08月15日・月
 ワシーリー・グロスマンの Stalingrad 着。1,000ページ超。

Stalingrad (English Edition)
Grossman, Vasily
NYRB Classics
2019-06-11



 序文と後記によると、これは For A Just Cause(むろんそういう意味のロシア語のタイトル)として1954年にソ連で初版が出た本の英訳。だが、この本は当時の検閲を通るため、大幅な削除がされている。後、二度、再刊され、最後の1956年版はフルシチョフによる「雪解け」期に出たため、削られたものがかなり復活している。

 モスクワのアーカイヴには手書き、タイプ、ゲラの形のテキストが9つある。このうち第三版がかなりきれいなタイプ原稿で、手書きの訂正が入っている。分量からしても、最も完全に近い。以後の版では第五版と第九版に新たな要素がある。

 この英訳版は1956年の刊本をベースに、プロットはそれに従いながら、第三版のタイプ原稿から追補した。ただし、そっくり全部ではない。この本と『人生と運命』は本来1本の作品として構想されていた。1956年版が終っているところから『人生と運命』が始まる。原稿第三版には『人生と運命』と1本とみた場合に、プロットに違背する部分がいくつかある。その部分を外した。

 本文の決定は訳者の一人 Robert Chandler とグロスマンの最新の伝記の著者の一人 Yury Bit-Yunan があたった。ロシア語の校訂版が存在しない現時点での最良のテキストを用意するよう努めた。

 ロバート・チャンドラーは序文で、本書刊行本の成立事情を解説している。この小説はもちろんグロスマン自身のスターリングラード体験が土台になっているが、執筆の動機としてはむしろ外からの、それもスターリン政権から暗黙のうちに示されたものだった。この独ソ戦はソ連にとってまず何よりもナポレオン戦争の再現だった。だから戦争遂行のため、『戦争と平和』が利用される。実際、スターリングラードでロシア軍の最も重要な指揮官も『戦争と平和』に頼った。ロディムツェフはこれを3回読んだ。チュイコフは作中の将軍たちのふるまいを己のふるまいの基準とした。
 そして戦後にあって、この勝利を永遠のものとするような小説作品、20世紀の『戦争と平和』を政権は手に入れようとする。グロスマンはトルストイに挑戦することに奮いたったのだ。

 グロスマン自身、戦争の全期間を通じて、読むことができたのは『戦争と平和』だけだった、と述懐している。これを二度読んだという。スターリングラードの戦場から娘にあてた手紙にも書く。
「爆撃。砲撃。地獄の轟音。本なんて読めたもんじゃない。『戦争と平和』以外の本は読めたもんじゃない」

 政権は自分に都合のよいヴァージョンを得ようとして、グロスマンに原稿を「改訂」させようとする。一方で、グロスマンはスターリン政権末期のユダヤ人弾圧の標的にもされる。For A Just Cause として本篇がまがりなりにも刊行されたのは、ひとえにスターリンが死んだからだ。

 こうなると、『戦争と平和』も読まねばならない。あれも初めの方で何度も挫折している。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月15日には1971年から1987年まで3本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1971 Berkeley Community Theatre, Berkeley, CA
 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。
 非常に良いショウだそうだ。
 デッドヘッドのすべてがバンドと一緒にツアーしていたわけではなく、地元に来ると見に行く、という人たちも当然いた。むしろ、その方が多かっただろう。
 ヴェニューはバークリー高校の敷地内にある。収容人員3,500弱。この時期、ビル・グレアムがフィルモアと並んでここを根城にコンサートを開いている。デッドの2週間前がロッド・スチュワート付きフェイセズ、デッドの翌週末がスティーヴン・スティルス。その週はさらにフランク・ザッパ、プロコル・ハルム、そして9月半ばにレッド・ツェッペリン。とポスターにはある。

2. 1981 Memorial Coliseum, Portland, OR
 土曜日。北西部3日間の中日。10ドル。開演7時半。
 充実したホットなショウの由。

3. 1987 Town Park, Telluride, CO
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。20ドル。開演2時。Olatunji and the Drums of Passion 前座。KOTO FM で放送された。オラトゥンジのバンドは前座だけでなく、コンサートに先立って、メインストリートを太鼓を叩きながら練りあるいた。
 ここはジャズとブルーグラスのフェスティヴァルで有名なところだが、音楽を味わうにふさわしい環境の場所らしい。デッドの音楽は、たとえばキース・ジャレットのピアノ・ソロのように、演奏される場、場所を反映する。シスコとニューヨークでは、その音楽は同じだが違う。ここでもやはり違っていたようだ。こういうショウはその場にいて初めて全体像が把握できるのだろう。後で音だけ聴くのではやはり届かないところがある。
 一方で、すべての現場に居合わせるわけにもいかない。ソローが歩きまわった場所に今行っても、同じ光景は見られない。しかしソローが歩きまわったその記録を読んで疑似体験することはできる。(ゆ)