まずは前回の訂正。
「AUD は残念ながらアンコール〈It's All Over Now, Baby Blue〉は収録なし」
と書きましたが、順番を替えて、第一部のクローザー〈Keep Your Day Job〉の後にちゃんと入っていました。勘違いしてすみません。これもかなり良い演奏。
1984年からのもう1本は04日リリースの 1984-04-16, Community War Memorial Auditorium, Rochester, NY から〈Dupree's Diamond Blues〉です。
この年は03月28日から地元サン・ラファルの Marin Veterans Memorial Auditorium での4本連続ランで始動し、4月06日のラスヴェガスから春のツアーを始め、ロチェスターは四つめの寄港地です。このツアーは30日にロングアイランドで打ち上げます。
この年のショウは64本、レパートリィは125曲。新曲はいずれもミドランドがらみで、〈Don’t Need Love〉と〈Tons Of Steel〉。それにトラフィックの〈Dear Mr. Fantasy〉のカヴァー。〈Dear Mr. Fantasy〉は後に〈Hey Jude〉と組合わされて、第二部後半の呼び物の一つとなります。
この年、デッドは二つ、新しいことを始めます。一つはレックス財団 The Rex Foundation、もう一つが "Taper's Corner" です。
デッドは結成当初から様々なベネフィット、チャリティ活動に参加し、演奏していますが、せっかくの収入の大半がたいていの場合、経費などの名目で途中で消えてしまうことに不満でした。そこで援助したい相手に直接資金を渡せるシステムとしてレックス財団を立上げたのです。レックスはクルーの一人 Rex Jackson からで、その急死を惜しまれていた人です。バンドはショウからの収入の一部を財団に寄付し、財団は5,000〜10,000ドルを個人や団体に寄付します。財団の評議員にはバンド・メンバー、クルー、スタッフに、ビル・グレアムとジョン・シェア、それにビッグ・ネーム・ファンでバスケットボールのレジェンド、ビル・ウォルトンも加わりました。財団が援助したのはミュージシャンだけでなく、学校や文化活動、AIDS 対策など多岐にわたります。ガルシアがかつてのよりを戻すために、デヴィッド・グリスマンへの資金援助を財団を通してやってもいます。この年最初の4連荘はレックス財団発足のお披露目でもありました。
「テーパーズ・コーナー」は10月27日の Berkeley Community Theatre でのショウから導入されました。ガルシアの「公認」以来、ショウを録音する人間 Taper の数が増え、ベストの録音場所を求めた結果、サウンドボードの前に録音用のマイクが林立し、サウンド・エンジニアからステージが見えない事態にまでなっていました。また、テーパーの中には録音に熱中するあまり、周囲のファンに迷惑をかけることを顧ない者もいて、顰蹙をかってもいました。そこでサウンドボードの後ろに "The taper's section" または "The taper's corner" が設けられ、ショウを録音しようとする人間の指定席とされます。テーパーたちはこの席のチケットを買うことになりました。この措置は一方でショウの録音をバンドが正式に公認したことにもなりました。
テープと呼ばれるショウの録音がデッドのファン・ベース拡大に果した役割はどんなに大きく評価してもし過ぎることはありません。テープがなければ、デッドが生きのびられたかどうか、危ういものがあります。デッドのテープ文化はそれ自体、大きな拡がりをもち、たいへん面白いテーマで、何冊もの本がすでに出ており、またこれからも出るでしょう。あたしらもまた、その恩恵を現在も受けています。解散後にファンになった人たちの中にも、公式に出ているサウンドボード録音 SBD よりも聴衆による録音 AUD の方が好きだという向きもあります。ひとつには AUD の方には聴衆の反応が大きく、明瞭に捉えられているからです。
この年にはもう一つ、スタッフに変化がありました。ロック・スカリーが過度の飲酒でクビになり、アルコール中毒者更生施設に送られました。スカリーはパブリシスト、メディア担当の渉外係も兼ねていたので、デッドの存在が大きくなっているところで代わりの担当者が必要とされ、ガルシアの指名で Dennis McNally が就任します。マクナリーはジャック・ケルアックの伝記を書いていて、それを送られて読んだガルシアはマクナリーにデッドの伝記を書くことを提案していました。マクナリーはメディア担当としての経験も組込んで、バンド解散後、初の公式伝記 A Long Strange Trip, 2002 を執筆・刊行しました。関係者が多数まだ生きている時期で、内部にいた人間がこれだけ冷静かつ公平でバランスのとれた伝記を書いたのは、たいしたものだとあたしは思います。グレイトフル・デッドのキャリアについての基本文献です。
この日04月16日のショウにも AUD があります。かなりクリアな佳録音です。
オープナー〈Shakedown Street〉はガルシアが長いソロを展開します。こりゃあ、調子がいいです。
〈Little Red Rooster〉ではウィアの声に思いきりリヴァーブがかけられ、スライド・ギターも見事。二度めの間奏ではミドランドのハモンド・ソロが聞き物。これを受けてウィアのスライドが再び炸裂。さらにガルシアが渋く熱いソロ。これはオールマンでも滅多に聴けないホットなブルーズ・ロックです。
次は暗黙のルール通りガルシアの持ち歌で〈Peggy-O〉。この曲もいろいろ違った顔を見せます。ここでは歌も演奏もよく弾んで、やや明るい歌。感傷にも沈まず、脳天気にも飛びさらない、地に足をちゃんとつけて、酸いも甘いも噛みわけたような演奏。ここでもガルシアの声に軽くリヴァーブがかけられます。ガルシアの喉の調子が今一つで、痰がからんだような声になるので、そのカヴァーかもしれません。こういう判断はエンジニアのダン・ヒーリィがやっていたらしい。
次のウィアは〈Me And My Uncle> Mexicali Blues〉のメドレー。この頃に多い組合せ。前者の間奏でガルシアが珍しくソロを3コーラス。確かによくはじけた演奏。この曲ではウィアの歌の後ろでもギターを弾いていて、それもかなり粋。曲は一度終りますが、ドラムスがそのまま次へ続けます。こちらでもガルシアがぴんぴんと硬く張った響きでやはり粋なソロを聴かせます。メロディから離れたりまた戻ったり。ここでもウィアの声に軽くリヴァーブがかかっているように聞えます。あるいはこのヴェニューの特性かも。
次が今回リリースされた〈Dupree's Diamond Blues〉。この SBD は流通していないようです。AUD ではよく聞えないレシュとハートも明瞭。ここでのガルシアのソロはこの日の演奏に共通してよく弾んでます。
ウィアの〈Cassidy〉ではミドランドが初めからずっと声を合わせます。ドナ時代のフォーマットの再現。この歌はこの形の方があたしは好き。その裏でガルシアもギターを合わせます。途中で少しダークなムードから始まるジャムがすばらしい。流れは続いていますが、曲からはまったく離れて、まるで別の曲。そしてコーラスにもどって静かに終る。いやあ、カッコええ。
次はやはり少しダークな〈West L.A. Fadeaway〉。わずかに遅めのテンポで重いものが敏捷に跳ねてゆく感じ。この曲も魅力がわかるのにあたしには時間がかかりました。これはその名演の一つです。それにしてもロサンゼルスの西は太平洋で、West L.A. ってどこなんでしょう。
第一部締括りは順番を無視してガルシアの〈Might As Well〉。ガルシアの声はもう潰れる寸前。ふり絞るのが愉しいと言わんばかりの歌唱。
1時間超の第一部。かなり良いショウです。(ゆ)
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