グレイトフル・デッドの毎年11月恒例の《30 Days Of Dead》2022年版を年代順に遡って聴いています。
今回は11-16リリースの 1981-12-06, Rosemont Horizon Arena, Rosemont, IL から〈To Lay Me Down〉。なお、このショウからは第一部9曲目〈Jack-A-Roe〉が2020年の《30 Days Of Dead》でリリースされています。
毎年12月上旬はあまりショウはやりませんが、この年は珍しく11月29日ペンシルヴェイニアから12月09日コロラドにかけて短かいツアーをしています。この後は12日にカリフォルニアで軍縮を訴える音楽イベントをジョーン・バエズとやった後、26日からオークランドで恒例の年末年越しショウに向けての5本連続です。
1981年はスロー・スタートで02月26日シカゴでの三連荘が最初。それでもショウの数は82本、レパートリィは123曲。デビュー曲は1曲だけで、ミドランドの〈Never Trust a Womon〉でした。この年の出来事としては春と秋の2回、ヨーロッパ・ツアーをしています。春はロンドンで4本連続をやった後、当時西ドイツのエッセンでザ・フーとジョイント。
この時、New Musical Express の記者でパンクの支持者だった Paul Morley がガルシアに長時間インタヴューをします。パンクにとってはデッドは許しがたいエスタブリッシュメントだったわけですが、ガルシアは持ち前のユーモアと謙虚な態度でいなし、それにあくまでも愛想の良さを崩さなかったため、結果として出た記事ではモーリィが言いくるめられているように見えてしまい、これに怒った読者が数千人、雑誌の定期購読をやめるという事態になりました。今からふり返れば、パンクは表に現れた姿としてはデッドの音楽とは対極に見えても、根っ子ではかなり近いところから発していたので、そんなに怒ることもなかろうと思ったりもしますが、当時は何かと怒ることがカッコいいとされていたのでしょう。
デッドは10月に再度ヨーロッパに渡り、イングランド、西ドイツ、デンマーク、オランダ、フランス、そしてスペインで唯一のショウをしています。
また4月に《Reckoning》、8月に《Dead Set》の2枚のライヴ・アルバムが出ました。前年秋のサンフランシスコのウォーフィールド・シアター、ニューヨークのラジオシティ・ミュージック・ホールでのレジデンス公演からのセレクションで、前者がアコースティック・セット、後者がエレクトリック・セット。どちらも2枚組。後にCD化される際、トラックの追加がされています。アコースティック・セットはいくつか完全版が公式リリースされていますが、エレクトリック・セットは部分的なリリースだけです。完全版のリリースは50周年、2030年まで待たねばならないのでしょうか。
このショウのヴェニューはシカゴ、オヘア空港そばの定員18,500人の多目的アリーナで、デッドはこの時初めてここで演奏し、1988年、89年、93年、94年といずれも春のツアーの一環として三連荘をしています。この時は開演午後8時で、料金は10.50ドルから。この頃になるとデッドヘッドは子どもたちをショウに連れてくるようになっていて、この日は特に多く、ウィアが「今日は子どもの日だね」とコメントした由。
このショウの SBD はこの頃定番だったカセットではなく、オープン・リールに録音されているそうです。
〈To Lay Me Down〉は第二部オープナー〈Samson And Delilah〉に続く2曲目で、次は〈Estimated Prophet> Eyes Of The World〉。
この曲はガルシアのバラードの1曲。ハンター&ガルシアのコンビには、スロー・バラードのジャンルに分類できる曲がいくつもあって、これもその一つ。なお、スタジオ盤としてはガルシアの1972年のファースト・ソロに収められました。ちなみにこのファースト・ソロ収録10曲のうち、〈Deal〉〈Bird Song〉〈Sugaree〉〈Loser〉〈The Wheel〉とこの〈To Lay Me Down〉の6曲がデッドのレパートリィの定番になっています。もっとも〈Loser〉〈The Wheel〉以外の4曲はこのアルバム録音前から演奏されていました。〈To Lay Me Down〉も1970年07月30日初演。1980〜1981年に最も集中的に演奏されました。全体では64回演奏。
〈Samson And Delilah〉はウィアのヴォーカルはいつもの調子で、ガルシアがギターを弾きまくります。ウィアがこれにスライドを合わせ、ミドランドがハモンドで支える形。
次の曲が決まるまで、かなり時間がかかります。けれど、この後は〈To Lay Me Down〉からクローザーの〈Good Lovin'〉までノンストップです。
次の曲が決まるまで、かなり時間がかかります。けれど、この後は〈To Lay Me Down〉からクローザーの〈Good Lovin'〉までノンストップです。
〈To Lay Me Down〉の演奏はさらにゆったりで、やや投げやりともいえそうに始まりますが、徐々に熱気を加え、最後には相当に集中した演奏になるところが今回選ばれた理由でしょうか。
一度きちんと終って間髪を入れずに〈Estimated Prophet〉。七拍子のこの曲は、当初はウィアが「ワン・ツー・フォー……」と数えて始まっていますが、この頃になると、いきなり始めています。歌のコーダではウィアがいかれたヤク中になりきっての熱演。いつもここは熱演になりますけど、この日の熱演はひときわ熱が入ってます。ウィアが歌を終らせるのを待ちかねたようにガルシアが2度目のソロ。1度目以上にメロディからはすっ飛んで、ギターの音色もどんどんと変えて、デッド流ロック・ジャズの精髄。
いつの間にかビートが変わっていて、これという切れ目もなく〈Eyes Of The World〉に入ります。〈Estimated Prophet〉もわずかに速いテンポでしたが、こちらもそのまま疾走します。ガルシアも〈Estimated Prophet〉の後半から、細かい音を素早く連ねます。それにしても「世界の目」とは、世界を代表して見る目か、世界の中心としての目なのか。それとも両方を含めたダブル・ミーニングなのか。歌が終ってからのインスト・パートではガルシアの「バンジョー・スタイル」ギターが渦を巻き、バンドを引きこみます。やがてガルシアとウィアが残り、ウィアが締めて Drums にチェンジ。
ビル・クロイツマンは10本ショウをやる毎にドラム・キットのトップの革を張りかえていたそうですが、ここでの叩きぶりを聴くと、さもありなんと納得できます。後半、ハートが背後に並べた巨大太鼓を叩くと、捕えきれずに、音が割れています。
Space ではウィアとガルシアがまずスライド・ギターで音を散らし、ハートが様々なノイズを出すパーカッションを操り、おそらくレシュが背景を作って、ミドランドが風の音を送りこむ。いつもはドラマーたちは引っこみますが、この日はハートが殘って、いろいろな音を加えています。
次の曲は〈Not Fade Away〉ですが、様々なサウンドや手法を試すように延々とイントロを続け、やがて前半とは対照的に遅めのテンポで曲本体が始まります。お祭りの曲というよりは、おたがいの間隔を広めにとり、ガルシアのソロも考えながら弾いている表情。
続くは〈Wharf Rat〉。あたしの大のお気に入り。これが出てくると顔がにやけてしまいます。この曲は三つのパートからなる組曲になっていて、デッドの組曲好きが最も成功している例でもあります。パート2のガルシア、ウィア、ミドランドのコーラスが、うー、たまらん。ここでもガルシアは歌のメロディからはとび離れたギターを弾きますが、ここではジャズになりません。でもこれはロック・ギターでしょうか。どうでもいいことかもしれませんが、ギタリストとしてのガルシアはジャンルの枠組みにはおさまらない器の大きさを備えています。その点ではジミヘンもザッパも及ばないところがあります。よくあるロック・ギタリスト・ベスト100とかに現れるのはギタリスト・ガルシアのごく一部でしかない。
クローザー〈Good Lovin'〉もゆったりとしたテンポで、前に突込まず、八分の力で半歩、いやほんの5ミリほど足を退いたところで演っています。クールというのともちょっと違う。ほんのわずか踏むところがずれると冷たく生気を失いかねない、軽やかな綱渡り。
アンコールは〈Brokedown Palace〉。なんということもない演奏ですが、名曲に堕演なし。
このショウはアメリカでは衛星ラジオ Sirius のデッド・チャンネルで放送もされているそうです。1980年代はガルシアの健康問題もあって、ショウの質が定まらず、そのせいか、他の時期に較べると評価も高くありませんが、良いものはやはり良い。公式リリースが待たれます。(ゆ)
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