昨年11月の《30 Days Of Dead 2022》を時間軸を遡りながら聴いています。
1979年からは今回3本、セレクトされました。
オープナー01日の 1979-05-07, Allan Kirby Field House, Lafayette College, Easton, PA から〈Passenger〉。これは2013年の《30 Days Of Dead》でリリース済み。
12日の1979-12-01, Stanley Theatre, Pittsburgh, PA から〈Althea〉。
そして19日の 1979-12-07, Indiana Convention Center, Indianapolis, IN から〈Eyes Of The World〉。
1979年には大きなできごとがあります。年頭のツアーの終った2月半ば過ぎ、鍵盤奏者がキース・ガチョーからブレント・ミドランドに交替し、キースと同時にドナ・ジーンも退団します。1970年代を支えたペアがいなくなり、ミドランドは鍵盤兼第三のシンガーとして1980年代を担うことになります。今回の3本はいずれもミドランド・デッドの時期です。
一つの見方として、デッドのキャリアを鍵盤奏者で区切る方法があります。1960年代のピグペン、70年代のキース・ガチョー、80年代のブレント・ミドランド、90年代のヴィンス・ウェルニク。意図してそうなったわけではありませんが、結果としてきれいに区分けできてしまうことは、グレイトフル・デッドという特異な存在にまつわる特異な現象でもあります。デッドとその周囲にはこうしたシンクロニシティが実に多い。
この年は珍しく年頭01月05日からツアーに出ます。フィラデルフィアから始め、マディソン・スクエア・ガーデン、ロングアイランド、アップステートから東部を回り、さらにミシガン、インディアナ、ウィスコンシン、オクラホマ、イリノイ、カンザス、ミズーリ州セント・ルイスまで、1ヶ月半の長丁場でした。その途中、ドナがまず脱落し、ツアーが終って戻ったキースと相談の上、バンドに退団を申し入れ、バンドもこれを了承しました。
前年の末からキースの演奏の質が急激に低下します。その原因はむろん単純なものではありませんが、乱暴にまとめるならば、やはり疲れたということでしょう。デッドのように、毎晩、それまでとは違う演奏、やったことのない演奏をするのは、ミュージシャンにとってたいへんな負担になります。デッドとしてはそうしないではいられない、同じことをくり返すことの方が苦痛であるためにそうやっているわけですが、それでも負担であることには違いありません。
それを可能にするために、メンバーは日頃から努力しています。もっとも本人たちは努力とは感じてはいなかったでしょうけれども、傍から見れば努力です。何よりも皆インプットに努めています。常に違うことをアウトプットするには、それに倍するインプットが必要です。キースもそれをやっていたはずで、そうでなければ仮にも10年デッドの鍵盤を支えることはできなかったはずです。それが、様々の理由からできなくなった、というのが1978年後半にキースに起きたことと思われます。そのため、キースは演奏で独自の寄与をすることができなくなります。そこでかれがやむなくとった方策はガルシアのソロをそっくりマネすることでした。このことはバンド全体の演奏の質を大きく低下させました。
最も大きくマイナスに作用したのは当然ガルシアです。ガルシアは鍵盤奏者の演奏を支点にしてそのソロを展開します。鍵盤がよい演奏をすることが、ガルシアがよいソロを展開する前提のひとつです。それが自分のソロをマネされては、いわば鏡に映った自分に向って演奏することになります。その演奏は縮小再生産のダウン・スパイラルに陥ります。
公式リリースされたライヴ音源を聴いていると、1979年に入ってからのキースの演奏の質の低下が耳につきます。したがって鍵盤奏者を入れかえることはバンドとしても考えなければならなくなっていました。ガルシアは代わりの鍵盤奏者を探して、当時ウィアの個人バンドにいたミドランドに目をつけていました。
ミドランドがアンサンブルに溶けこむためにバンドは2ヶ月の休みをとり、04月22日、サンノゼでミドランドがデビュー、05月03日から春のツアーに出ます。05月07日のペンシルヴェイニア州イーストンはその4本目です。
この年のショウは75本。レパートリィは93曲。新曲は5曲。ハンター&ガルシアの〈Althea〉〈Alabama Getaway〉、バーロゥ&ウィアの〈Lost Sailor〉と〈Saint of Circumstances〉のペア、そしてミドランドの〈Easy to Love You〉。
1979年にはかつての "Wall of Sound" に代わる新たな最先端 PA システムが導入されます。デッドはショウの音響システムについては常に先進的でした。目的は可能なかぎり明瞭で透明なサウンドを会場のできるだけ広い範囲に屆けることでした。〈Althea〉やガルシアのスロー・バラードの演奏にはそうしたシステムの貢献が欠かせません。
この年は世間的にはクラッシュのアルバム《ロンドン・コーリング》でパンクがピークに達し、デッドはもう時代遅れと見る向きも顕在化しています。一方で、この頃から新たな世代のファンが増えはじめてもいて、風潮としてはデッドやデッドが体現する志向とは対立する1980年代のレーガン時代を通じて着実にファン層は厚くなっていきました。ちなみにデッドヘッドは民主党支持者に限りません。熱心な共和党支持者であるデッドヘッドはいます。
時間軸にしたがって、まずは 1979-12-07, Indiana Convention Center, Indianapolis, IN から〈Eyes Of The World〉です。第二部オープナー〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉が一度終った次の曲で、ここからクローザー〈Johnny B. Goode〉までノンストップです。
ショウは10月24日から始まる26本におよぶ長い秋のツアー終盤の一本。このツアーは3本後の12月11日のカンザス・シティまで続きます。
長いツアーも終盤でやはりくたびれてきているのでしょうか。ガルシアの声に今一つ力がありません。全体に第二部は足取りが重い。重いというと言い過ぎにも思えますが、〈Eyes Of The World〉は軽快に、はずむように、流れるように演奏されるのが常ですが、ここでは一歩一歩、確かめながら足を運んでいます。くたびれたようではあるものの、ガルシアはここで3曲続けてリード・ヴォーカルをとってもいますから、踏んばろうと気力をまとめているようでもあります。後半、ギターが後ろに引込んで、もともと大きかったベースと電子ピアノが前面に出て明瞭になります。とはいえ、それによって全体のからみ合いがよりはっきりと入ってきて、ひじょうに良いジャムをしているのがわかります。
この後はウィアの〈Lost Sailor> Saint Of Circumstance〉のペアから space> drums> space ときて、本来のどん底を這いまわる〈Wharf Rat〉。そしてそのパート3から一気に〈Around And Around〉と〈Johnny B. Goode〉のロックンロール二本立てのクローザー。ここへ来て、ずっと頭の上にのしかかっていたものに耐えていた、耐えて矯めていたものを爆発させます。アンコール〈U. S. Blues〉が一番元気。
疲れたらそれが現れるのを無理に隠そうとはしません。また飾りたててごまかすこともしない。疲れたなりに演奏し、それが自然な説得力を持つのがデッドです。そして結局演奏することで自らを癒す。より大きな危機も音楽に、ショウに集中することで乗り越えてゆきます。このショウはベストのショウではありませんが、デッドの粘り強さがよりはっきりと聴きとれます。(ゆ)
コメント