凄い、というコトバしか出てこなかった。美しいとか、豪奢とか、堂々たるとか、感動的とか、音楽演奏のポジティヴな評価を全部呑みこんだ上で、凄い、としか言いようがない。
ミュージシャンたちはあっけらかんとしている。何か特別なことをした、という風でもなく、いつもやってることをいつもやってるようにやっただけ、という顔をしている。ほとんど拍子抜けしてしまう。あるいは心中では、やった、できた、と思っていても、それを表には出さないことがカッコいい、と思っているのか。
しかし、とんでもないことをやっていたのだ、あなたたちは、と襟を摑んでわめきたくなる。
ピアニスト、作曲家の shezoo さんがやっている2つのユニット、トリニテと透明な庭が合体したライヴをやると聞いたとき、どうやるのか、ちょっと見当がつかなかった。たとえば前半透明な庭、後半トリニテ、アンコールで合奏、みたいなものかと漠然と想像していた。
実際には5人のミュージシャンが終始一貫、一緒に演奏した。その上で、トリニテと透明な庭各々のレパートリィからの曲を交互に演奏する。すべて shezoo さんの曲。例外はアンコールの〈永遠〉で、これだけ藤野さんの曲。トリニテに藤野さんが参加した、とも透明な庭に、壷井、北田、井谷の三氏が参加したとも、おたがいに言い合っていたが、要は合体である。壷井、藤野のお2人はオオフジツボでも一緒だ。
結論から言えば、この合体による化学変化はどこから見ても聴いても絶大な効果を生んでいる。各々の長所を引き出し、潜在していたものを引き出し、どちらからも離陸した、新たな音楽を生みだした。
その構造をうんと単純化して乱暴にまとめれば、まずは二つ、見えると思う。
まず一つはフロントが三人になり、アレンジを展開できる駒が増え、より複雑かつ重層的で変化に富む響きが生まれたこと。例えば後半2曲め〈Moons〉でのフーガの部分がヴァイオリン、クラリネット、そしてピアノの代わりにアコーディオンが来て、ピアノはリズム・セクションに回る。持続音楽器が三つ連なる効果はフーガの面白さを格段に増す。
あるいは前半3曲目〈Mondissimo 1〉のテーマで三つの持続音楽器によるパワー全開のユニゾン。ユニゾンはここだけでなく、三つの楽器の様々な組合せで要所要所に炸裂する。
アコーディオンはメロディも奏でられるが、同時にハーモニーも出せる。ピアノのコード演奏と相俟って、うねりを生んで曲のスケールを増幅する。
もう一つは即興において左端のピアノと右端のアコーディオンによって、全体が大きくくるまれたこと。トリニテの即興は、とりわけ Ver. 2 になってからよりシャープになり、鋭いカドがむきむき湧いてくるようになった。それが透明な庭の響きによってカドが丸くなり、抑制が効いている。羽目を外して暴れまわるかわりに、やわらかい網をぱんぱんにふくらませながら、その中で充実し、熟成する。それは shezoo 版〈マタイ受難曲〉で、アンサンブルはあくまでバッハの書いた通りに演奏しながら、クラリネットやサックスが自由に即興を展開するのにも似ている。大きな枠の中にあえて収められることで、かえって中身が濃くなる。
その効果はアンサンブルだけでなく、ソロにも現れる。ヴァイオリンはハーモニクスで音色を千変万化させると思うと、思いきりよく切れこんでくる。そしてこの日、最も冴えていたのはクラリネット。オープナー〈Sky Mirror〉のソロでまずノックアウトされて、これを聴いただけで今日は来た甲斐があったと思ったのは甘かった。後半3曲目〈蝙蝠と妖精の舞う空〉のソロが止まらない。ごく狭い音域だけでシンプルに音を動かしながら、テンションがどんどん昇ってゆく。音域も徐々に昇ってゆき、ついには耳にびんびん響くまでになる。こんなになってどう始末をつけるのだと思っていたら、きっちりと余韻さえ帯びて収めてみせた。コルトレーンに代表されるような、厖大な数の音を撒き散らしてその奔流で圧倒するのとは対極のスタイルだ。北田さん本人の言う「ジャズではない、でも自由な即興」の真骨頂。そう、グレイトフル・デッドの即興の最良のものに通じる。耳はおかしくなりそうだったが、これを聴けたのは、生きててよかった。
前回、山猫軒ではヴァイオリンが支配的で、クラリネットは控え目に聞えたのだが、今回は存分に歌っている。
山猫軒で気がついたことに、井谷氏の語彙の豊冨さがある。この人の出す音の種類の多いことは尋常ではない。いざとなればマーチやワルツのビートを見事にキープするけれども、ほとんどの時間は、似たような音、響きが連続することはほとんどない。次から次へと、様々にかけ離れた音を出す。スティック、ブラシ、細い串を束ねたような撥、指、掌などなどを使って、太鼓、スネア、各種シンバル、カホン、ダフ、ダラブッカ、自分の膝などなどを叩き、こすり、はじく。上記〈蝙蝠と妖精の舞う空〉では、目の前に広げてあった楽譜の束をひらひらと振って音をたてている。アイデアが尽きることがない。その音はアクセントとして、ドライヴァーとして、アンサンブルをあるいは持ち上げ、あるいは引張り、あるいは全体を引き締める。
ピアノもカルテットの時の制限から解放されて、より伸び伸びと歌っている。カルテットではピアノだけでやることを、今回はアコーディオンとの共同作業でできているように聞える。その分、余裕ができているらしい。shezoo さんがアレルギー性咽頭炎で掠れ声しか出ないことが、むしろプラスに作用していたようでもある。
始まる前はいささかの不安さえ抱いていたのが、最初の1曲で吹飛んだ後は、このバンドはこれが完成形なのではないか、とすら思えてきた。トリニテに何かが不足していたわけではないが、アコーディオンが加わる、それもこの場合藤野さんのアコーディオンが加わることで、アニメのロボットが合体して別物になるように、まったく別の生き物に生まれかわったように聞える。こういう音楽を前にしては、浴びせかけられては、凄いとしか出てこない。唸るしかないのだ。1曲終るごとに拍手が鳴りやまないのも無理はない。4+1あるいは2+3が100になって聞える。
終演22時過ぎて、満月の下、人影まばらな骨董通りを表参道の駅に向かって歩きながら、あまり寒さを感じなかった。このところ、ある件でともすれば奈落の底に引きこまれそうになっていたのだが、どうやらそれにも正面からたち向かう気力をもらった具合でもある。ありがたや、ありがたや。(ゆ)
透明なトリニテの庭
壷井彰久: violin
北田学: clarinet, bass-clarinet
井谷享志: percussion
藤野由佳: accordion
shezoo: piano
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