イーロン・マスクが AI の開発競争に懸念を表明という報道。おまえが言うか。もっとも、わからないでもない。かれは世界を自分の思うがままにしたいので、AI はそれには邪魔になる。早い話、イーロン・マスクのようなヤツが世界征服するのを止める方法を AI に訊ねてみることもできる。イタリアが使用禁止にしたのも同じ。イタリアが禁止した理由がふるっている。個人の情報を集めているから。だったら、Facebook、Twitter、Google をまず使用禁止にすべきだろう。
バイドゥも AI 開発を発表したそうだが、中国政府がどうするか。ロシアやベラルーシ、イスラーム諸国も禁止したいはずだ。本朝政府ももちろん使用を禁止したいが、そうするとアメリカの機嫌をそこねるからできないか。
むろん、Microsoft も Google も開発を加速こそすれ、遅くするつもりはさらさらないはずだ。かれらだけではない、Apple もやっているし、世界中のコンピュータ科学の研究機関、大学や NASA のような機関もどんどんやっている。こういうものは止まるとか、遅くなることはありえない。そして、それが現在の世界の構造をひっくり返そうとしていることも確かだ。別にひっくり返すためにやっているわけではない。単に面白いからだ。AI 開発は面白い。やっている人たちは、必要にかられていろいろ理由をつけるが、根本のところは面白い、楽しいからやる。そして、人びとがそれを使うからますますやる。
AI 開発に反対する人は文明が人間のコントロールをはずれるというが、人間はこれまで文明をコントロールしてきたのか。百歩譲って、コントロールしてきたとして、コントロールしてきたその結果が今のこのザマではないか。これを、あんたはOKだというのか。これがこのまま続いていくことを、あんたは望んでいるのか。人間が、人間様だけがコントロールしてきたから、温暖化とか、戦争とか、差別とか、ひどいことになっているんじゃないか。このまま温暖化はどんどん進み、あちこちで戦争が勃発し、差別もひどくなるほうが良いというのか。
AI はつまるところ「3人寄れば文殊の智慧」を具体化し、極限まで拡大しようとするものだ。ひとりだけで考えていても、たいしたことは思いつきもしないし、考えられもしない。それとも考えることは少数の天才たちにまかせればいいのか。そうではなく、大勢の考えを集めてみれば、一人で考えているよりもずっとマシなことを思いつくだろう。それは少数の天才たちが思いつくどんなことよりもマシになりうる。百発百中の砲一門は、百発一中の砲百門にとうていかなわないのだ。
ジェイムズ・P・ホーガンは『仮想空間計画』で、AI にまかせた方が仮想空間内の社会がまともな方向に向かうことを描いてみせた。
それは楽観的に過ぎるとしても、AI は人間の独善をチェックする存在になりうる。AI に反対しているイーロン・マスクのような連中は、自分たちの独善によって利益を得ている。この世界全体、地球全体がどうなろうと知ったことではないのだろう。AI はその独善に対するアンチテーゼになりうる。言わせてもらえば、むしろ AI に暴走してもらいたいくらいだ。コードウェイナー・スミスが今生きていたら、Instrumentality of Mankind 人類補完機構の管理者たちを人間の中からの選抜ではなく、AI にしたことだろう。
それは楽観的に過ぎるとしても、AI は人間の独善をチェックする存在になりうる。AI に反対しているイーロン・マスクのような連中は、自分たちの独善によって利益を得ている。この世界全体、地球全体がどうなろうと知ったことではないのだろう。AI はその独善に対するアンチテーゼになりうる。言わせてもらえば、むしろ AI に暴走してもらいたいくらいだ。コードウェイナー・スミスが今生きていたら、Instrumentality of Mankind 人類補完機構の管理者たちを人間の中からの選抜ではなく、AI にしたことだろう。
もちろん、どうなるかはわからない。AI が「悪い」方向に暴走することだってありうる。しかし、AI がなくても未来はお先真暗なのだ。AI という要素がからんできたことで、その真暗闇に濃淡がつくかもしれない、というところだろう、今はまだ。しかし、それだけでも面白い。AI の研究は昨日や今日に始まったわけではないが、ようやくスタート地点に立ったのだ。ひょっとすると、生きているうちにシンギュラリティが見られるのではないか。そう思うと、わくわくしてくる。(ゆ)
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