新興の版元カンパニー社から『新版 ECM の真実』が出て、その記念のイベントがあり、著者の稲岡邦彌氏とバラカンさんが出るというので、行ってみた。なかなかに面白い。

 あたしにとって ECM とは、ジャズ的に面白くルーツ・ミュージックを料理した音楽を聴かせてくれるレーベル、である。だから、そこから一枚選ぶとすれば、Anouar Brahem, Barzakh, 1990 になる。 これであたしは ECM を「発見」するからだ。つまり、そこからの新譜をチェックする対象のひとつに ECM が入ったわけだ。

Barzakh
Brahem, Anouar
Ecm Records
2000-04-11



 なので昨日のイベントでバラカンさんが選んだ一枚としてブラヒムの Thimar からかかったのは、我が意を得たりというところだった。バラカンさんは、リスナーからずばりと当てられて、がっくりされてたけれど。

Thimar
Brahem, Anouar
Ecm Records
2000-01-25

 

 ブラヒムに続いて、1994年、Lena Willemark & Ale Moller の Nordan が登場し、ますます ECM は身近になった。これ以後、Agram, 1996, Frifot, 1999 と続く。Nordan、Agram はそれぞれに北国の冬と夏を描いて、かれらのアルバムとしてもピークとなったし、およそヨーロッパのルーツ・ミュージックでくくられる音楽の録音としてもベストに数えられるものではある。

Nordan
ECM Records
1994-09-19



Agram
ECM Records
1996-09-16




Frifot
ECM Records
2017-08-01


 実を言えばノルウェイの Agnes Buen Garnas がヤン・ガルバレクと作った Rosensfole が1989年に出ているのだが、これは後追いだった。ガルバレクは1993年の Twelve Moon でもガルナスと、サーミ出身のマリ・ボイネを起用する。

Rosensfole
Garbarek, Jan
Ecm Import
2000-08-01

 
トウェルヴ・ムーン
ヤン・ガルバレク・グループ
ユニバーサル ミュージック クラシック
2004-02-21



 北欧勢では Groupa の Mats Eden の MILVUS が1999年。

Milvus
Mats Eden
Ecm Import
2008-11-18



 Terje Rypdal がいるじゃないかという向きもあろうが、あたしから見るとかれはジャズの人で、ルーツ=フォーク・ミュージックの人ではない。ガルバレクも同じ。もともとルーツ=フォークをやっていた人の録音が ECM から出るのが面白いのである。

 Jon Balke を知るのはもう少し後で、Amina Alaoui の入った2009年の Siwan からだ。知ってからはバルケの Siwan は追っかけの対象である。

Siwan (Ocrd)
Balke, Jon
Ecm Records
2009-06-30


 アミナにはもう一枚 Arco Iris もある。

Arco Iris
Alaoui Ensemble, Amina
Ecm Records
2011-06-28


 
 さらにフィンランド ノルウェイの Sinikka Langeland が2007年の Starflowers から ECM で出しはじめる。

Starflowers (Ocrd)
Langeland, Sinikka
Ecm Records
2007-08-21



 フィンランドでは Markku Ounaskari, Samuli Mikkonen, Per Jorgensen の Kuara が2010年。

KUARA-PSALMS & FOLK SO
OUNASKARI, MARKKU
ECM
2018-10-05



 この流れでの最新作は先日出た Anders Jormin, Lena Willemark, Karin Nakagawa, Jon Falt による Pasado En Claro, ECM2761だ。2015年 Trees Of Light 以来のこのユニットの新作。

Pasado En Claro
Anders Jormin
Ecm Records
2023-03-03



Trees of Light
Lena Wille
Ecm Records
2015-05-26



 南に目を転じると Savina Yannatou の TERRA NOSTRA が2003年だが、これは2001年のギリシャ盤の再発で、ECMオリジナルは2008年の Songs Of An Other から。あたしなんぞは ECM で TERRA NOSTRA を知った口だから、この再発はもちろんありがたい。

Songs of an Other (Ocrd)
Yannatou, Savina
Ecm Records
2008-09-09

 

 同じギリシャから Charles Lloyd & Maria Farantouri の Athens Concert が2011年。

アテネ・コンサート
マリア・ファランドゥーリ
ユニバーサル ミュージック クラシック
2011-09-07



 サルディニアの Paolo Fresu, A Filetta & Daniele di Bonaventura の Mistico Mediterraneo も2011年。

Mistico Mediterraneo
Fresu, Paolo
Ecm Records
2011-02-22



 アルバニアの Elina Duni のカルテット名義の MATANE MALIT: Beyond The Mountain が2012年。

Matane Malit
Duni, Elina -Quartet-
Ecm Records
2012-10-16



 イラン系ドイツ人の Cymin Samawatie & Cyminology, As Ney が2009年。

As Ney (Ocrd)
Cyminology
Ecm Records
2009-03-09



 こういう人たちは ECM で教えられたので、まったく ECM様々である。

 という具合ではあるが、それにしても、June Tabor, Iain Bellamy & Huw Warren, QUERCUS が2013年に出たときは驚いた。

Quercus
Quercus
Ecm Records
2013-06-04



 が、それよりもっと驚いたのは Robin Williamson が2002年に Skirting The River Road を出していたのを後から知った時だった。ウィリアムスンはさらに2006年 The Iron Stone、2014年 Trusting In The Rising Light と出している。ウィリアムスンはたぶん ECM の全カタログの中でも珍品と言っていいんじゃなかろうか。このあたり、ECM 中でも「メインストリーム」のリスナーはどう評価するのだろう。その前に、アイヒャーがこういう音楽のどこに価値を見出したのか、訊いてみたくなる。いや、文句をつけてるわけじゃない。ただ、ウィリアムスンのこういう音楽は、聴くのがつらくないといえば嘘になる。ウィリアムスンはハーパーとしてすばらしいアルバムもあるし、アメリカで出した Merry Band とのアルバムは好きだ。が、インクレディブル・ストリング・バンドがあたしはどうしてもわからないのである。ECM での音楽は、かつて ISB でやろうとしてできなかったことを、思う存分、やりたい放題にやったように聞えて、そこがつらい。ISB が大好きという人もいるわけだから、聴く価値がないなどとは言わないが、なんとも居心地がよくないのだ。

Skirting the River Road
Williamson, Robin
Ecm Import
2003-08-12

 
American Stonehenge
Robin Williamson
Criminal
1978T


 あたしにとってこういう音楽を聴かせてくれるのが ECM である。そりゃ、キース・ジャレットは聴きますよ。ラルフ・タウナーも好きだ。パット・メセーニ(ほんとは「メシーニー」が近い)、それにもちろんガルバレク、リピダルはじめ北欧のジャズの人たちもいい。ECM としてはこのあたりが主流になるんだろうけど、ただ、それはあたしにとってはサイド・ディッシュなのである。というよりデザートかもしれない。スイーツという味わいではないけれど、あたしの中の位置としてはそれが一番近い。

 上に挙げたようなルーツ系の ECM は一方で、ここでしか聴けない音楽、各々のミュージシャンの、他ではなかなかに聴けない音楽を聴かせてくれる。ふだん出すようなレコードとはまったく違うアプローチの音楽だ。中にはヴィッレマルク&メッレルのように、ベストと言いきってもいいようなものすらある。ルーツ系 ECM のレコードは、主食としてもたいそう美味しく、そして珍しい味なのだ。

 昨日のイベントでは、このあたりの話も出るかなとほのかに期待していたが、そこまで行かなかった。『新版 ECM の真実』でも、1990年代から顕著になるこのあたりの動きは、あっさり飛ばされている。ECM のファンでも ECM をジャズのレーベルと認識している大半の人にとっては、ワケわからん世界なのだろう。ウィリアムスンのように、あたしでさえワケわからんものすらあるので、無理もないといえば無理もない。ただ、ヨーロッパの伝統音楽のファンは聴かない手はない。北欧しか聴きませんという向きも、ECM の北欧系ルーツ・ミュージックは聴く価値がある。

 稲岡氏の話でまず面白かったのは、ECM が当初クラシックのリスナーを購買層に想定していたというところ。わが国でジャズのリスナーとクラシックのリスナーの数を比べれば1対10ぐらいだろう。ヨーロッパではこの差は何倍にもなる。アイヒャーがめざしたのは、ジャズのミュージシャンを起用するが、クラシックのリスナーにも抵抗感の小さな音楽だった、というのだ。ピアノ・ソロなどはその典型で、クラシック・ファンはピアノ・ソナタなどで、ピアノ・ソロには慣れている。グレン・グールドやフリードリッヒ・グルダのような人もいる。加えて、クラシック・ファンは音楽に金を使う。レコードを買うのもシングル単位ではなく、アルバム単位だ。

 なるほど、チーフテンズがアイリッシュ・ミュージックをクラシック・ファンに売りこもうとしたのも戦略としては同じだ。いずれにしても、各々の音楽の従来のリスナー以外の人たちに聴かせようとした。どちらもそれぞれの名前をブランドにしようと努めた。今では ECM から出るものなら、未知のミュージシャンでも音楽の質は保証されると信頼されるようになっている。チーフテンズも、そのコンサートやレコードに失望されることはないという信頼感があった。

 稲岡氏の話でもう一つ、ECM のあのサウンド、アンビエントやリヴァーブ成分が多いとされるあのサウンドは、教会の響きなのだ、という話。これまた言われてみれば、そりゃそうだとうなずいてしまう。だから、小さい頃から教会の響きには慣れているヨーロッパのリスナーにしてみれば、ごく自然な響きになる。アメリカの、ブルー・ノートの音はなるほど、狭いクラブでの響きだ。もっとも、ルーツ系のアルバムでは、いわゆるECMサウンドはあまり強くない。むしろ、楽器や声のそのままの響きを大切にしている。

 一方、バラカンさんから出た、ECM が出てからジャズがまったく別のものになった、というのにも、膝を叩いてしまった。コルトレーンが死んだところにひょいと出てきたリターン・トゥ・フォーエヴァーは ECM だったのだ。昨日のイベントで流された、1971年ドイツでのライヴという、マイルス・デイヴィスのバンドで、大はしゃぎで電子ピアノを弾きまくっているキース・ジャレットの姿はもう一つの象徴に見えた。『ビッチェズ・ブリュー』50周年記念のトリビュートとしてロンドン・ベースのミュージシャンたちが作った London Brew などは、エレクトリック・マイルスのお父さん、ECMのお母さんから生まれた子どものように、あたしには聞える。

London Brew
London Brew
Concord Records
2023-03-31



 会場で買った『新版 ECM の真実』を読みながら帰る。ぱらぱらやっていると、本文よりも、今回増補されたインタヴューや対談、それと『ユリイカ』と『カイエ』表4(裏表紙)に「連載」されたエッセイ広告に読みふけってしまう。(ゆ)