パート3の合同演奏で、ジェ・ドゥーナのフィドルの舞さんは涙で唄えなくなってしまった。後を追いかけているバンドに自分たちの曲がうたわれ、新たな光を当てられるのを目の当たりにするのは感情を揺さぶられるだろう。いかに揺さぶられても、泣いてしまって演奏できなくなるのはプロじゃない、というのは酷だ。

 その少し前、後手のジェ・ドゥーナの3曲目を浴びていて、あたしも涙がにじんできた。こちらはワケがわからない。音楽に感動したからか。それも無いとはいえない。これは佳い曲だ。しかし、そういう時は背筋にぞぞぞと戦慄は走っても、涙まではにじんでこないのがふつうだ。あたしが老人だからか。それもあるかもしれない。老人はなにかと涙もろくなる。老人夫婦がおしゃべりしていても、子どもたちの小さい頃とか、死んだ親たちのこととかを思いだして、涙が出てくることは珍しくない。だけど、目の前の音楽は過去のことではない。いま、ここで、起きている。自分はそこに浸っている。

 そう、たぶん、いま、ここ、ということなのだ。不思議にいのちながらえて、いま、ここで、この音楽を浴びていられることが、むしょうに嬉しかったのではないか、と今、これを書きながら思う。自分が生きのびていることと、ジェ・ドゥーナが出現してくれたことが、ともに嬉しかったのだ。

 ジェ・ドゥーナは生を見たかった。月見ルのHさんから教えられて、録音を2枚聴いて、ぜひ生を見たい、と思った。ようやく生を見られたかれらは、期待以上だろうという期待をも軽く超えていた。

 まず驚いたのはその音楽がすでに完成していることだ。メンバー各自の技量の高さは言うまでもない。時に舌を巻くほどに皆巧いが、若い人たちの技量が高いことは世界的な現象でもあって、今さら驚くことではない。少なくとも人前でやろうという程の人たちは、ジャンルを問わず、実に巧いことは経験している。駅前の路上で演奏している人たちだって、技術だけはりっぱなものだ。ジェ・ドゥーナの技術はまた一つレヴェルが違うが、伝統音楽やそれを土台にした音楽は、ジャズ同様、テクニックのくびきがきついので、それだけをとりだして評価すべきものでもない。

 その高い技術によって実現されている音楽は、すでに独自の型を備え、その型を自在に駆使して、新鮮な音楽を次々にくり出す。そこには未熟さも、将来に期待してくださいというような甘えも一切無い。胸がすくくらいに無い。今持てるものをすべて、あらいざらいぶち込んでもいる。それが、先ほどの、いま、ここ、の感覚を増幅する。とにかく音楽の活きがよい。とれたて、というよりも、いま、ここで一瞬一瞬生まれている。そのみずみずしさ!

 見ていると、即興と聞えるところも緻密なアレンジをほどこしているようでもあり、入念なリハーサルを重ねているはずだが、そうは聞えない。たった今、思いつきで、というよりも内からあふれ出てくるものをそのまま出しているけしきだ。

 アレンジをしている時は内からあふれ出てくるのかもしれない。それをアレンジとして定着させるにはくり返し演奏しているはずだが、くり返しによって音楽がすり切れることがまるでない。名手、名演というのはそういうものではある。クラシックは楽譜通りに演奏するものだが、名演とそうでないものは截然とわかる。キンクスのレイ・デイヴィスは最大のヒット曲〈You Really Got Me〉を、文字通り数えきれない回数ステージで演奏しながら、毎回、いつも初めて演奏するスリルを感じると言う。おそらく音楽を新鮮で優れたものにするのは、その能力、演りつくしたとみえる楽曲を、初めて演奏するスリルをもって演奏できる能力なのだろう。ジェ・ドゥーナはそれを備えている。

 そしてそのアレンジが新鮮なのだ。いやまずその前に曲そのものがいい。ベースにしているアイリッシュ・ミュージックのダンス・チューンには無数の曲があり、もう新しいものはできないとも思えるが、ジェ・ドゥーナの作る曲はわずかに規範からはずれていて、はっとさせられる。しかも、何度聴いても、はっとさせられる。どこがどうはずれているのか、あたしなどにはわからないが、はずれかたが遠すぎず、近すぎず、絶妙としか言いようがない。

 そしてその佳いメロディーを展開するアレンジのアイデアが、やはりアイリッシュ・ミュージックの慣習からはずれている。ルナサが出てきたとき、そのアレンジのアイデアの豊冨なことと効果的なことに驚いた。プランクシティ以来のアイリッシュ・ミュージックの現代化はいかにアレンジするかの積み重ねでもあるけれど、ルナサはその中でも抜きんでていた。ジェ・ドゥーナのアレンジのアイデアはそこからまた一歩踏みだしている。おそらくクラシックの素養が働いているのではないかと思うが、それだけでは無いようでもある。ジャズの香りが漂うこともある。ヒップホップも入っているのは、今の時代、むしろ無いほうがおかしい。かと思えば、たとえばギターのアルペジオなどには1970年代とみまごうばかりの響きが聞える。

 こうした要素を演奏としてまとめあげるセンスがいい。確固として揺るぎない伝統を柱とする音楽に外からアプローチする場合、こういうセンスの有無は大きくモノを言う。このセンスはおそらくは先天性のもので、眠っているものを目覚めさせることはできても、全く無い人間が訓練で身につけられるものではないだろう。曲は面白いものが作れても、アレンジのセンスの無い人はいる。アレンジのセンスが必要ないジャンルやフォームもある。とまれ、ジェ・ドゥーナのメンバーはこのアレンジのセンスをあふれるほどに備えていることは確かだ。

 生を見てあらためて思う、ここまで音楽とスタイルを完成させてしまって、次にどこへ行くのだろう。余計なお世話ではあるが、初めにやりたいことをやり尽くしてしまって燃えつきたバンドを見てきてもいる。老人は心配性なのだ。若い時のように、時間が無限にあるとはもう感じられないからだ。そうわかっているから、心配が半分、そんな杞憂はあっさりはねのけてくれるだろうという期待が半分である。当人たちにとってはあっさりなどではないかもしれないが、傍から見る分には涼しい顔をして、またあっと言わせてくれるだろう。

 一方でことさらに変わる必要もないとも思える。無理に変わろうとして、崩れてしまっては元も子もない。むしろ、今の形をとことんまで深く掘りさげてゆくのもまた愉しからずや。いずれにしても、JJF を超えてゆくのを、JJF にはやりたくてもできないことをやるのを見たい。めざせ、ブドーカン! いや、そうではない。あんなところでジェ・ドゥーナを見たくはない。もっと音のまともな、もっと親密な、そして大きな空間で見たい。あるいは別の、あたしなどには思いもつかない姿を見たい。こちらとしては、とにかく、生きてそれを見られるよう、養生と精進に努めるばかりだ。


 ジョンジョンフェスティバルも収まりかえってはいなかった。じょんはオーストラリア、トシバウロンは京都、アニーは東京で、ふだん、おいそれとはリハーサルもできないと思われるが、そんなことは微塵も感じさせない。ネット上でやってもいるのだろうか。

 JJF が先に出てきたときには、ほほお、先手ですかと思い、すぐに、さすがだなと思いなおした。そして音が出た瞬間、うむうと唸った。じょんのフィドルがまた変わっている。切れ味が増している。パンデミックがとにもかくにも収まって、ヨーロッパにも行き、ライヴの機会が増えたからだろうか。アニーがピアノに座るケープ・ブレトン様式のラストの8曲メドレーは、JJF ならではの演奏。貫禄といっては重すぎるか、風格を見る。

 初めて対バンして、7曲も一緒にやるのは前例が無いとトシさんが言っていたが、この合同演奏は良かった。ダブル・フィドルの華麗な響き、ホィッスルのジャズ風の遊び、アニーが持ち替えるマンドリンやピアノの粋、ギター2本の重なり、そしてパーカッション二人の叩き合い。JJF の曲での口パーカッションも効いていた、と記憶する。久しぶりにほぼ立ちっぱなしだったが、もう1、2時間はそのまま聴いていたかった。アンコールの〈海へ〉が終るまで、足の痛みも感じなかった。会場を出て、外苑前の駅に向かって坂を登りだしたら、脚ががくがくしてきた。

 それにしても良いものを見せて、聴かせていただいた。生きるエネルギーをいただいた。ミュージシャンにも、Hさんにも感謝多謝。(ゆ)