この週はたまたま連日外出するスケジュールになってしまい、少しは休もうと思って当初予定には入れていなかったのだが、shezoo さんからわざわざ、リハーサルがすごく良かったから聴いてくれと誘われてはことわれない。1週間まるまる連日出かけるというのもたまにはしないとカラダがなまる。そうして、やはり聴きにでかけた甲斐は十分以上であった。それにしても shezoo さんが自分でやりたくてやっているライヴで、失敗したということがあるのだろうか。
そういうライヴの出来は相手を選ぶところで半分以上は決まるだろう。適切な相手を見つけられれば、そしてその相手と意気投合できれば、いや、というのは同語反復だ。意気投合できれば適切な相手となる道理だ。shezoo さんが見つけてくる相手というのが、また誰も彼も面白い。今回の赤木りえさんも、あたしと同世代の大ベテランだが、あたしはまったくの初見参。このライヴがあまりに良かったので、後追いでアルバムも聴いてみて、なるほどこれならと納得した。ラテンが基本らしいが、そこを土台に四方に食指を伸ばしている。最新作《魔法の国のフルート》の〈エリザベス・リードの記憶〉、〈シルトス〉から〈ミザルー〉の流れには感心してしまう。まず語彙が豊富だ。その豊富な語彙の使い方、組合せが面白い。グレイトフル・デッドもそうだが、初めて聴いて驚き、さらにくり返し聴いてその度に新鮮に聞える即興をこの人はできる。だから聴きなれた曲がまったく新たな様相を見せる。
生で聴く赤木さんのフルートの音は軽々としている。飛ぶ蝶の軽みをまとう。蝶が飛んでいるところを見ると、意外にたくましい。たくましく、軽々と、そしてかなりのスピードで飛んでいる。楽に飛んでいる。これが蝉とかカナブンだと、もう必死で飛んでいる。次に留まるところへ向けて、とにかく落ちないように羽を動かしつづけている。蝿、虻、蜂の類も飛ぶのは得意だが、飛んでいるよりも、空中を移動していると見える。蝶やそして燕は飛ぶことそのものを楽しんでいる風情で、気まぐれのようにいきなり方向転換をしたりもする。赤木さんのフルートも軽々とした音の運びを愉しみ、思いもかけない方へ転換する。細かい音を連ねた速いパッセージでも、ゆったりと延ばした音でも、軽みは変わらない。
俳諧にも似たその軽みが一番よく出たのは後半冒頭の〈浜千鳥> おぼろ月夜〉のメドレー。直接に関係はないけれど、蕪村がおぼろ月夜に遊んでいるけしきが浮かんでくる。
続く〈枯野〉では、ほとんど尺八の響きを出す。と思えば能管に聞えたりもする。そういう楽器でよく使われるフレーズだろうか、音色のエミュレーションだろうか。
フルートにつられたか、ピアノの音まで軽くなったのが、その次の〈Mother Love〉で、shezoo さんのピアノは必ずしも重いわけではないが、この曲ではずいぶん軽く聞える。ここのちょっと特殊なピアノのせいもあるだろうか。この楽器は弾きやすくないそうだけれども、shezoo さんはそれにふさわしい、そこから他には無い響きをひき出す術を編みだしているのかもしれない。
次の〈コウモリと妖精の舞う夜〉は曲そのものの浮遊感がさらに増幅される。ここでもフルートが尺八になったり能管になったり、なんだかわからないものにもなる。透明な庭ではリード楽器がアコーディオンのせいか、もっと粘りのある演奏になる。フルートの音はむしろ切れ味がよく、赤木さんのフルートはさらに湿っていない。蝶の翼は濡れては飛べまい。
入りの3曲はクラシックの名曲選で、何も知らないあたしは赤木りえという人はこういう人で、今日はこういう路線でいくのかと思ってしまった。もっともただのきれいなクラシックではないことはすぐにわかるので、ところどころジャズの風味を散らしたこういう演奏も悪くはないねえ、と思っていると、同じクラシックでもやはりバッハは違うのである。クラシックの人がやるとグルックもフォーレもバッハもみんなおんなじに聞えるが、クラシックの基準に収まらないスタイルで演奏されると、違いがよくわかる。ビートルズと同じで、バッハは指定とは異なる、どんな編成のどんなアプローチで演っても曲本来のもつ美しさ、魅力がよくわかる。バッハとモーツァルトの一部を除いて、クラシックの作曲家の曲はクラシック以外の編成、スタイルでやってもなかなか面白くならない。ヘンデルの《メサイア》をクィンシー・ジョーンズがゴスペル調のミュージカル仕立てにしたのは例外だし、そもそもあれは換骨奪胎だ。バッハは編成だけ変えて、曲はまったく指定通りに演奏して面白く聴ける。
冒頭3曲に続いた〈マタイ〉からの〈アウスリーベン〉は、あたしがこの曲をとりわけ好むこともあるのだろうが、この曲の最高の演奏の一つだった。これだけでももう一度聴きたい。聴きたいが、むろん、聴けない。半分は即興だからだ。これはshezoo版〈マタイ〉にも入らないだろう。フルートとピアノの二つだけで、ここまでできるのだ。たぶんデュオだからだ。何かが、たとえばパーカッションでも、もう1人入ったらこういう柔軟さは出ないじゃないか。まあ、それはそれでまた別の面白いものができるではあろうが、でも、この二人の対話の変幻自在なやりとりには魔法がある。
続く〈Moons〉がまた良い。フルートの音が軽々と月の周りを舞い、二つの月の間を飛びうつる。この曲には演奏されるたびに名演を生む魔法が宿る。
アンコールはグノーの〈アヴェ・マリア〉。バッハの〈平均律〉第一番がベースのシンプルな曲。シンプルな曲をシンプルにやって心に染みいらせる。
笛類の音が好きだ、ということに、最近になって気がついたこともあって、この組合せは嬉しい。ぜひぜひどんどん演っていただきたい。聴きにゆくぞ。録音も欲しいな。(ゆ)
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