教会でアウラを聴くのは初めてなので愉しみにしていた。ルーテル東京教会は地図で見ると歌舞伎町を抜けて大久保の方へ行けばいいはずだと、熱中症警戒アラートが出る中、汗をふきふき、新宿駅から歩く。この通りと見当をつけた大通りを右往左往してもそれらしき建物が無い。どうやらもう1本先らしい、とまた汗をかきかき歩く。新大久保駅から伸びる目抜き通りは歩道が狭く、内外の観光客でのろのろとしか歩けない。ようやく探しあてると「場所が変更になりました」の小さな立て看板が出ている。関係者らしき人が出てきて「アウラのコンサートですか」と訊ね、そうだというと地図をくれた。それと iPhone のマップによると、変更先の淀橋教会は同じ通りをもどり、新大久保駅を過ぎて中央線・大久保駅の手前らしい。そこでまたてくてく歩く。まったく東京は人が多い。ようやくそれらしき建物を探しあて、通りから引込んだ入口に近づくとスタッフの姿が見えた。

 予定していた教会がダブル・ブッキングだったとのことで、急遽、こちらになったそうな。当初の予定の教会は響きが良いそうだが、こちらは広大な空間。アウラ史上最大の空間らしい。江戸川橋の東京カテドラルや品川・御殿山の品川教会に匹敵するのではないかと思われる。ただ、パイプ・オルガンが無いのがちょと寂しい。それと、正面演壇背後の窓の外を中央線の線路が走っていて、大久保駅のホームが見える。一番手前、教会に近いところを中央線上り電車が走ると、その音が小さく聞える。それでもなお、こちらはこちらでやはりすばらしい音響。アウラのようなアカペラ・コーラスには最適の空間とあたしには思われた。ハクジュ・ホールや JTアートホール・アフィニスも良いが、適度にデッドなああいうホールよりは、思いきりライブな教会の空間でアカペラ・コーラスは聴きたい。この日は個々の声もハーモニーも両方ともよくわかる。意識せずとも自然に聴きわけられる。個々の声とハーモニーが同時に聞えてくる。不思議な感覚。6曲目〈アニー・ローリー〉のメロディに日本語詞をのせた〈愛の名のもとに〉ではドローンがそれはそれはよく響く。

 今回はアウラ結成20周年記念になっていて、メンバーが MC で各々思い出を語る。とはいえ、20年間ずっと在籍したのは唯一菊地さんだけで、他の3人は一時的に離脱した時期があり、奥脇さんにいたっては途中参加でメンバーとしては半分の時間になる。もっとも、20年前、アウラのファーストをたまたま買って聴き、こういうことが可能なのだと驚き、喜んだそうだ。当時オペラ専攻に籍を置いていたものの、本当にオペラがやりたいのか、自分でもわからなかったところへ、アウラを聴いて、めざす方向がおぼろげに見えたという。もっとも後にそのメンバーとなってこうして歌っているとは、その時にはまったく思いもよらなかった。20年というのは、そういうことが可能なくらい長い。結成当時はまだ学生だったメンバーもいる由だが、そういう人も今や40の坂を越えている。人生、いろいろあったはずで、それらをくぐり抜けてきた人たちの歌はやはり違う。この日のアウラを聴いてまず浮かんできたのは成熟だった。若い時にしかできない音楽もあるが、アカペラ・コーラス、それも複雑なアレンジによる精緻なハーモニーの妙を聴かせるアウラのような音楽は、歳月を経て、経験を重ね、山坂を越えて成熟する。

 まず目につくのは体力。アカペラ・コーラスは声だけが勝負で、しかもワンマン・ライヴということは初めから最後まで歌いつづける。歌は全身運動でもあって、どんな楽器演奏よりも体力を消耗する。最初の頃は途中休憩を入れても、アンコールの頃には息たえだえ、ということもあった。それで歌唱のクオリティが落ちるわけではむろん無かったし、若い人たちが最後の息をふりしぼって歌うのは初々しくもあり、可憐でもあった。もはや、そういうことはまったくない。5人でやっていたことをカルテットでやるのは大変なんです、ものすごく忙しくて息継ぎをしてるヒマがないんです、とおっしゃるのだが、むしろ、プログラムが進むにつれて輝きと迫力が増してゆき、今回のハイライトはラスト、アンコール前の『メサイア』の〈ハレルヤ〉。会場が教会ということでラストの位置に置いたのだろう、まさにこの空間で歌われるにふさわしい曲を、広大な空間いっぱいに響かせて、堂々たる歌唱。天国にいるはずのヘンデルも神さまも大いに喜んだにちがいない。普通のホールよりは、こういうところの方が天国に声は届きやすいだろう。

 20周年の回顧ばかりではない。5曲目〈My Love Is a Red, Red Rose〉は畠山さんのアレンジによる初演。スコッチらしい起伏の大きなメロディを活かして、交錯するハーモニーが見事。そして、これはスコッチらしくなく、明るいのである。アウラの音楽は明るい。前半ラストは宮城道雄の〈春の海〉。箏のエミュレーションも面白いが、原曲にはないはずのハーモニーがごく自然に聞えるのがもっと面白い。

 後半はまず『モンセラートの朱い本』からの2曲。バルセロナ郊外のモンセラート修道院に伝わる14世紀の写本に記されたもの。プリミティヴかつ洗練された歌唱で、これだけは星野さんを除いたソプラノ3人で歌われた。そこで外れた星野さんがリードをとる〈サンタ・ルチア〉もやはりいい。彼女のリードはもっと聴きたい。その次のサティがまたいい。コーダが粋だ。フォーレの〈レクイエム〉からの曲は故意に小さな声で歌われるが、それがまたよく響く。大きく増幅されるのではなく、小さいままに響くのが美しい。そして〈トルコ行進曲〉のアクロバティックな歌唱こそはアウラの真骨頂。こういうのを聴くと、アウラは繊細というよりも、実は「体育会系」で、芯が太く、どちらかといえば肝っ玉かあさん風ではないかとすら思える。

 突然、直前の会場変更はむしろ雨降って地固まる、怪我の功名、瓢箪から出た駒、あるいは棚からぼた餅とも言えるものだと思えた。

 カルテットとしての歌唱もすっかり板についた。新曲もあるし、そろそろ次のアルバムが欲しい、とあたしなどは思う。アウラの録音はイヤフォン、ヘッドフォンのチェックにも使える。昔は曲によって音がビビることもあったけれど、それはもう昔話。イヤフォン、ヘッドフォンでも音が良いのはあたりまえ。問題はその先、音楽をいかに活き活きと聴かせられるか。メーカーがいかに音楽を聴きこんでいるか、になっている。これからのオーディオのハードウェアを造る人たちには、ぜひ、アウラも聴いてほしい。これがきちんと再生できればホンモノですよ。

 20年は長いし、節目ではあるけれど、通過点でしかない。次の20年がどうなるか、最後まではあたしはまずもたないだろうが、行けるところまでは追いかけたい。(ゆ)