昨年11月ひと月かけてリリースされたグレイトフル・デッドの《30 Days Of Dead》を年代を遡りながら聴いています。今回は22日リリースの 1973-12-19, Curtis Hixon Convention Hall, Tampa, FL から〈Dire Wolf; Black-Throated Wind; Candyman〉。この3曲は連続ではなく、各々間は切れています。

 このショウは大半が記念すべき《Dick's Picks, Vol. 1》でリリースされています。そこに収められていないトラックのうち、第一部クローザー前の〈Ramble On Rose〉が2012年の《30 Days Of Dead》でリリースされ、今回、これも未収録の第一部4曲目からの3曲がリリースされました。これでこのショウの26トラック中18トラック、2時間半が公式にリリースされたことになります。例によって Internet Archive ではショウ全体の SBD の Charlie Miller によるミックスがストリーミングで聴けます

 この年のショウは計72本、レパートリィは77曲。新曲は〈China Doll〉〈Eyes Of the World〉〈Loose Lucy〉〈Row Jimmy〉〈Here Comes Sunshine〉〈They Love Each Other〉、〈Weather Report Suite〉、それに〈Wave That Flag〉。最後のものは後に改訂されて〈U. S. Blues〉として生まれかわります。いずれも定番として、長く、また数多く演奏されます。

 年初は秋にリリースされる《Wake Of The Flood》の録音に費し、始動は02月09日のスタンフォード大学でした。このショウでは上記のうち〈Weather Report Suite〉を除く7曲が一気にデビューしています。1971年10月19日のミネソタ大学でも一気に7曲デビューしています。7曲というのはこの2回だけで、5曲デビューが3度ほどあります。

 今回の12月19日はこの年最後のショウです。1968年以降、ビル・グレアムの死ぬ1991年までの間で、年間を通して活動してなおかつ大晦日の年越しショウをしていないのはこの年だけです。

 03月08日、ロン・“ピグペン”・マカナンが多臓器不全により27歳で世を去りました。後にピグペンの父は息子と人生をともにし、その人生を充実した、実り豊かなものにしてくれたことに感謝する手紙をバンドに送りました。ピグペンはデッドのキャリアにつきそう死者たちの最初のひとりでありました。この死者たちの列に最後に加わったのがジェリィ・ガルシアです。グレイトフル・デッドはその名前通り、死者たちのバンドでもあります。

 ニコラス・メリウェザーによる《30 Trips Around The Sun》の「史上最長のライナーノート」によれば、この年はテープの存在が顕著になった年でした。『ローリング・ストーン』誌には東西両海岸のテープ交換、分配のシーンが紹介されました。この頃はまだオープン・リールによるもので、主に7インチの、おそらくは細ハブが使われたのでしょう。テープ・スピードを 9.5cm/秒にすれば往復で3時間入り、平均的なショウを1本にできます。このテープの世界は翌年から1976年にいたる大休止の時期に爆発的に拡大します。後にグレイトフル・デッドの初代アーカイヴィストになるディック・ラトヴァラがデッドのテープと出会って、頭から飛びこんでゆくのも1975年でした。

 12月19日のショウはこの年の総決算のようにすばらしい出来です。その年最後のショウは翌1974年10月20日も含めて、出来の良いものが多い中でも、これはトップを争います。この年のベストの1本のみならず、全キャリアの中でも指折りです。これが完全な形で公式リリースされていないのは何とも歯痒い。Internet Archives のストリーミングでも音は十分良いので、一度は通して聴かれることを薦めます。

 全体にひどくゆったりとしたテンポ。ゆっくり演る時のデッドは調子が良いことが多い。1976年の大休止からの復帰の後もゆったりとしたテンポが快いですが、このショウはそれよりもさらにゆったりしています。とりわけガルシアの持ち歌で顕著で、ガルシアはどの歌も歌詞を噛んで含めるように、言葉を愛おしむようにていねいに歌います。ガルシアはシンガーとしては疑問符が付けられる傾向がありますが、たとえばヴァン・モリソンのようなうたい手ではなかったとしても、十分個性的な説得力を備えています。デッドをやる前のブルーグラスやフォークを演っている時の録音を聴いても、むしろ一級のうたい手と言ってもよいことは明らかです。デッドの音楽の魅力は器楽演奏の部分だけではなく、歌があってのものです。

 今回の3曲はまさに歌を聴かせる曲で、どれもガルシアがソロをとる場面はあってもごく短かい。もっとも、ウィアの持ち歌では、ヴォーカルの裏でガルシアはずっと美味しいギターを弾いています。これ以外でも〈Jack Straw〉〈El Paso〉でも聴けます。ソロとは異なり、あくまでも歌を立てる伴奏の範疇に留まって出しゃばらないところが見事ですが、時に耳をもっていかれます。自分もコーラスをつける時にはギターは弾いていませんから、それだけギターに集中しているのでしょう。

 これでもわかる通り、ガルシアは絶好調で、ソロをとるときでも一瞬たりとも耳が離せません。本人も自覚しているのでしょう、〈Big River〉ではなかなかソロをやめません。特筆すべきは〈Here Comes Sunshine〉〈He's Gone〉〈Nobody's Fault But Mine〉。最後のものはブルーズ・ギターではなく、ほとんどジャズです。歌も元気一杯。ラストの〈Around and Around〉でも、およそロックンロールの定石からははずれたギター。アンコール〈Casey Jones〉のギターもいい。そして何といってもこの時期の〈Playing In The Band〉は特別。初めは5分ほどの普通の曲だったものが、どんどん長くなり、ついには30分を越えるようになるこの曲の成長と変化は、デッド音楽を聴く醍醐味の一つです。

 ここでの〈Playing In The Band〉はまだ終始ビートがあり、あたしには一番面白い形ですが、第二部の〈The Other One〉になると深化の階梯を一段上がっていて、後半に後の Space に通じる抽象的、スペーシィなジャムになります。復帰後の1977年春から第二部中間に Drums> Space が必ず置かれるようになりますが、大休止前にはこういう曲が途中から Space や Drums になります。いずれにしても、フリーリズムで不定形な集団即興は、バンドのごく初期から最後まで、常にそのショウの一部でした。ここは賛否両論別れるところかもしれませんが、あたしはこれがあってのデッドのライヴと思います。

 もうひとつ、このショウの質の高さはガルシアの好調だけに由来するものではありません。こういう時は他のメンバー各々にしても、またバンド全体として、みごとな演奏をしています。ここで目に(耳に)つくのはキースで、ドラムスに替わってビートを支えたり、面白いフレーズを連発したり、ここぞというところでツボにはまった演奏を聴かせます。なお、このショウではドナはお休みです。

 《Dick's Picks, Vol. 1》はもちろん聴いていましたが、こうしてショウ全体を聴くとやはりいろいろと発見があります。デッドにとっての「作品」とは、スタジオ盤ではなく、一本一本のショウであることもすとんと胸に落ちます。(ゆ)