7月の下旬に須貝知世&木村穂波デュオのライヴに行ったら、8月最終週末にこんなイベントがあります、とアナウンスがあった。聞いた途端に行こうと思った。その時はわからなかったが、呼ばれていたのだ。

 少し経って、あらためて路線や乗換えを調べだして、行こうと思ったことが自分で不思議になった。誰かに誘われるとか、仕事がらみでないかぎり、あたしが自分で動くということはまず無い。どっしり根を下ろした人間なので、そういうフェスティヴァルがあると聞いただけで行こうという気になるのは、いつものあたしなら考えられないのだ。

 山梨というのも作用したかもしれない。これが茨城とか群馬とかだったら、おそらく動かなかったにちがいない。山梨は神奈川からは隣になる。実際に行ってみれば、北杜市は山梨でも一番奥で、結構な時間がかかった。結局は群馬や茨城に行くのとそう変わらないかもしれない。とはいえ、気分としてはすぐお隣りである。一方、都心を越えてその向こうへゆくのは、心理的に負担がかかる。都心は壁なのだ。

 しかし、たぶん一番大きいのは、須貝さんには人を呼ぶ力があるのだ。それは表現が強すぎるというなら、その周りに人が集まってくる星まわりに生まれている。あるいはそれを人徳と呼んでもいい。そういう力、星まわり、人徳はどうやら北杜市に移ってから身についたもののようでもある。いや、それよりはもともと備わっていたものが、北杜市という土地の持っているものとの相乗効果で顕在化したのだろう。それはいろいろな形であらわれていたが、何よりもこのフェスティヴァルそのものが生まれたのは、須貝さんが移住したからである。

 昨年に続いて今年が第2回目。会場は清里一帯の4ヶ所。あたしはそのうち3ヶ所を訪れることになった。8月最後の週末金曜日夜の hatao & sam のライヴに始まり、日曜午後の tricolor のライヴまでの2日半。規模も参加者の数も小さなものではあったけれど、なんとも愉しい。参加者のほとんどが何らかの楽器をやっていて、その人たちはもちろん愉しかっただろう。

 日曜日に小海線が止まってしまい、小淵沢の駅まで車で送ってくださったのは名古屋から来ていた方で、昨年も参加し、あまりに愉しかったので、名古屋に帰ってからあちこち言いふらしたそうな。そのおかげで今年は名古屋から5人見えていたという。

 観光に来たついでにやってきたイングランド人一家も大いに愉しんでいた。日曜の朝食後、食堂で自然発生で始まったセッションのとき、母親は生涯2番目に愉しいとまで言っていた。母親とその二人の息子は、観光で京都に来て、京都の「ケルトの笛屋さん」でフェスティヴァルのチラシを見、オーガナイザーの斎藤さんに水曜日に電話をかけてきたのだそうだ。オクスフォードでスロー・セッションを10年主催していて、母親と長男はフィドル、次男はギターを持ってきていた。3人ともなかなかの遣い手で、とりわけ長男は一級のフィドラーだった。こういう人たちがやってくるというのも、須貝さんが呼んだのだ。かれらが帰ってから宣伝して、来年は海外からの参加者が増えるかもしれない。

 一方で、あたしのような、楽器演奏にはまるで縁のない人間でも、その場にいることがひどく愉しかった。ふり返ってみれば、土曜日の午後、折りからの土砂降りの雨の中に着いた瞬間から1日半、どっぷりとアイリッシュ・ミュージックに漬かりこんで、その間、ずっと幸福感に包まれていた。あの土地一帯がしあわせの国で、そこに入ると誰でもいつでも幸福感に包まれる。まるでそんな感覚。日曜の夜、新宿行きの臨時特急の座席にすわりこんで、初めてくたくたにくたびれていることに気がついた。休みなしに、幸福感に包まれつづけるのは、くたびれることなのだ。それにしてもあの愉しさは、いったい、どこから生まれていたのだろう。

 まず第一に挙げるべきはオーガナイザーとスタッフのチームの尽力だ。それぞれの企画がスムーズに運んでゆく。計画に無理がないし、スタッフの動きも急いでもいないし、無駄がない。少なくともそう見えるし、実際にもそうでなければこうはいかない。

 オーガナイザーの斎藤さんによると、昨年は当初からフェスティヴァルをやろうと計画していたわけではなく、別の形で始めながら、途中で、えい、フェスティヴァルにしちゃえとやったそうだ。今年は始めからフェスティヴァルをする計画をたてた。フェスティヴァルの一つの特徴は、複数の企画が同時に別々のところで進行することだ。参加者はそのうちどれかを選ぶ。選ぶ方は簡単だが、用意する方は単純に作業が同時進行するイベントの数だけ倍になるわけではない。そのまた倍くらいの作業量になる。そうした量も大きく、質も求められる作業をこなしてイベントが滑らかにおこなわれるようにするのは誰にでもできることではない。企画・立案・運営にたずさわったスタッフの皆さんには心からの感謝を表します。

 とはいえ、後から思うと、それだけではない。単にみごとに仕事をしているだけではなかった。参加した者が、そこにいること、参加していることが愉しいと感じられる何かを発散していたようだった。それが地元住民主体だったろうスタッフの方々からたちのぼるのか、北杜という風光からたちのぼるのか、その合体なのか、あたしにはまだわからない。とにかく、少なくともあたしはあそこにいる間じゅうその魔法にかけられていたように感じられる。

 あたしは土曜日午後の木村穂波さんによるアイルランドの歴史と音楽の講演と、その夜の須貝知世&木村穂波デュオによる投げ銭ライヴを見た。日曜日は午前中、長尾晃司さんによる伴奏についてのワークショップを見学し、午後、tricolor のライヴを見る。正式のプログラムには入っていなかったが、土曜日夜のライヴの後はセッションとなり、何といってもこれがハイライトだった。

 木村さんの講演の会場は「八ヶ岳コモンズ」。なかなか面白い施設で、廃校になった小学校をそのまま、机や椅子の備品も含めて貸出しているようだ。図工室では機械の音がしてなにやら作っていたし、体育館では夏休みの課外授業らしきことをやっていた。

 講演の会場は階段状になった音楽教室。黒板の上に幕を下ろしてスライドを映し、その前で木村さんがアイルランドの歴史のポイントを話す。そしてそれに関連する楽曲を hatao、須貝、木村の三氏が演奏する。

 この形は面白い。歴史と音楽の結びつけ方は少々強引なところもあるが、アイリッシュ・ミュージックの楽曲は裏で歴史とかたく結びついていることを具体的な形で示すのは効果的だ。聴衆はことばの上だけではなく、音楽を伴なった体験として記憶する。より深く刻まれる。

 木村さんは現地に住んでの体験もまじえるから、話がより具体的に、生々しくなる。ノーザン・アイルランド社会の分断の実際もよくわかる。もっとも、分断されているとはいえ、ユニオニスト、ナショナリストそれぞれの居住地域の間に壁があるわけではなく、人間はその気になりさえすれば自由に往来できる。とすれば、その境界に住んでいる人間はいるはずだから、どういう暮らしをしているのかも気になってくる。

 休憩をはさんで質疑応答。共和国とノーザン・アイルランドの音楽は違うのか。ジャガイモ飢饉の時はジャガイモが全滅したというが、その時アイルランドの人たちは何を食べていたのか。アイリッシュ・ミュージックは貧乏人の音楽だが、貧乏人が楽器を買えたのか。ドイツではナチスと結びついたため、フォーク・ミュージックは戦後タブーとなったが、アイルランドで伝統音楽とナショナリズムの結びつきはあるのか。いや、面白い。

 共和国とノーザン・アイルランドで音楽が違うわけではない。ただし、ノーザン・アイルランドでは意識して伝統音楽を選んでやっている。
 ジャガイモ以外には食べるものが無かったので、たくさんの人が死んだ。
 楽器を買えたかどうかは不明。
 アイルランドでも伝統音楽とナショナリズムは結びつく傾向がある。ナショナリズムの表現として伝統音楽をやっている人も少なくない。

 あたしなりに補足すれば、ノーザン・アイルランドでアイリッシュ・ミュージックをやっているのはナショナリストに限られる。かつてはプロテスタントのユニオニストたちにもアイリッシュ・ミュージックをやっている人もいたのだが、1960年代以降、いわゆるノーザン・アイルランド紛争が始まると次第に減り、今はまったく消えてしまったそうだ。ユニオニストの伝統音楽としては7月12日を中心とするいわゆるオレンジ行進に付添うファイフ&ドラム・バンドぐらいだ。一方、カトリックのナショナリストがアイリッシュ・ミュージックを熱心にやるのは、自分たちの帰属意識の表現でもあり強化手段でもあるのは、共和国と通じる。

 楽器はパイプを除けば、皆工夫して手に入れていたようだ。アコーディオン、コンサティーナは工業製品でかなり安く流通していたし、フィドルは手許にある材料で作ってもいた。ブリキのフィドルも残っている。ホィッスル、フルートはもっと簡単に作れる。パイプは地主・領主などの富裕層が買い与え、御抱えのパイパーとして雇うという慣習があった。かつてのハープの地位にパイプがとって替わったわけだ。

 また楽器は演奏者から演奏者へ代々受け継がれてもいた。今でこそ、アイリッシュ・ミュージック用の楽器は優れた製作者が何人もいて、良い楽器が次々に生まれているが、かつてはそうではなかった。例えばフルートは19世紀イングランド製が最高とされて、古い楽器が大切に使われていた。アイリッシュ・ミュージックの楽器は自分の所有物ではなく、一時的な預かりものであって、死ねば次の人に渡すべきものと考えられてもいた。パイプもリアム・オ・フリンが使っていたセットはレォ・ロウサムが作ったもので、Na Piobairi Uliieann が管理し、オ・フリンの前はウィリー・クランシーが使っていた。今は Colm Broderic という若手パイパーに貸与されている。

 講演が終ると hatao さんの軽トラ改造キャンピングカーに乗せてもらって、宿である竹早荘に向う。



 ここは宿泊だけでなく、その晩の須貝&木村デュオの投げ銭ライヴと翌日の長尾さんの伴奏ワークショップの会場でもある。

 昔なつかしい民宿の趣で、枕カバー、掛布団カバー、シーツは自分でそれぞれかけるし、扉に鍵なんかない。トイレ、洗面所は共同。周囲は雑木林。ウエブ・サイトの写真は真冬に撮ったものだろうが、夏は緑一色の真ん中にある。この建物の前の庭では焚き火もできる。周りは静かで、夜は虫の声もあまり聞えなかった。そういえば、蝉の声もほとんど聞いた覚えがない。標高1300メートル前後だからか。

 夕食はビュッフェ方式。和食とエスニックの折衷のような、何だかわからないが旨い。味噌汁もあって、実になっている菜っ葉がふだん味噌汁では食べつけないものだが妙に旨く、訊いたら空芯菜だった。ご飯もあったが、おかずだけでお腹がいっぱい。デザートに配られたバナナのアイスクリームがまた絶妙で、ますますお腹いっぱい。

 こうしていい気分になったところで、須貝&木村デュオのライヴとなる。ギターは長尾さん。このデュオはアニー、先日の松野氏、そして今回の長尾さんと見ているが、それぞれ味わいは違いながら、全体の印象は変わらない。根幹のデュオの音楽はゆるがない。その味の違いを書きわけるのは無理だが、今回は音楽の流れがめだっていると聞えた。前回の松野氏の時はビートの存在が大きくて、跳ねている印象だった。ギターそのものは逆で、長尾さんの方がビートが強く、松野氏はより柔かいのは面白い。

 今回は曲を何回くり返すかはあまり厳密に決めていないそうで、ものによっては興にのって何度もリピートする場面もある。なかなかいい。

 それにしてもこのデュオは本当にいい。聴くたびに良くなる。アイリッシュ・ミュージックでは楽器の組合せはジャズ以上に自由だが、フルートとアコーディオンという組合せはあまり聞かない。若さにまかせて突走るのでもなく、わざわざ誰も知らないような曲を探してくるような偏屈でもなく、いわゆる玄人好みの渋い演奏だけでもない。華やかさがあって、バランスが実にちょうどいい。最初に聴いた頃に比べると、須貝さんのフルートが太くなっている。自ら北杜市に移住しようとしていて、今回のフェスティヴァルでもスタッフの一角をつとめていたサムは、北杜市に来てから須貝さんの笛の音が太くなったという。たぶん単純に太くなっただけではないのだろうが、表面では太く聞える。人を呼びよせる人徳が表に出てきたのが、フルートの音にも現れているのだろう。

 このお二人にはぜひぜひ、アルバムを作って欲しい。今のこの音楽を形として残しておいてほしい。音楽の姿は常に変わっているからだ。変わったその姿もいいはずだが、今のこの音楽とは違うものになる。

 長尾さんのサポートも例によって見事で、極上の音楽を堪能する。

 ところが、もっとすばらしいものがその後に待っていたのだ。ライヴが終って少しして同じ食堂で始まったセッションである。入りたい人は全員どうぞというので20人以上が円く座る。その外側にも何人かいる。まだ楽器を始めたばかりの人たちだ。その中の一人は1曲しか参加できなかったけれど、すごく愉しかったと後で言っていた。

 イングランドからの3人も楽器を持ってきた。それから真夜中12時の門限まで、延々途切れることなく続いたセッションは、たぶんこのフェスティヴァルの華であり、これが最高と、参加していた人たちは誰もが思ったのではないか。

 はじめはなるべく全員がやれるような曲が出ていた。最年少の斎藤さんの9歳の息子さんもホィッスルで曲出しをする。面白いのは日本人はほぼ全員参加している曲にイングランド人たちは入らない。知らないらしい。逆にかれらが出す曲についていく人は少ない。hatao さんとか須貝さん、木村さんぐらいだ。こういうものにもお国柄が出るらしい。1時間半ほどたったあたりでちょっと休憩の形になり、そこで半数が抜けた。風呂に入る人もいれば、寝る人もいる。それからがまた凄かった。須貝さんの旦那がフルートで渋いスロー・エアを披露もした。かれに会ったのは引越す前、東京でだが、その時はこんな姿は想像できなかった。気がつけばサムの夫人もコンサティーナを手にしている。ここに来るとみんなこうなるのだろうか。イングランド人の兄貴のフィドル・ソロも出た。これにはサムがギターでいいサポートをつけた。音楽は違うが雰囲気は完全にマーティン・ヘイズ&デニス・カヒルである。あたしはとにかくもう陶然として、ひたすら音楽を浴びていた。いいセッションはリスナーにとっても最高の音楽なのだ。

 あとで気がついたが、フィドルを持っていたのは、イングランド人二人と斎藤さんだけだった。笛が圧倒的に多い。次に蛇腹。バゥロンが一人。わが国のネイティヴにとってフィドルは敷居が高いらしい。斎藤さんもごく小さい頃ヴァイオリンを習った、習わされた経験を持っている。わが国にもフィドルの名手は多いが、皆クラシックから入っている。アイリッシュでゼロからフィドルを始めてモノにしている人はまだいないのか。

 日曜日の朝御飯はもう少し普通の和食に近く、これまた結構な味。コーヒーも旨い。コーヒーさえ旨ければ、あたしは文句は言わない。

 朝食が終って少しして、またセッションが始まった。今度は数人で、イングランドの二人が引張る形。この時だけ、ここだけではなく、結構あちこちで自然発生的にセッションがあったらしい。そういえば、夕食前、宿の庭の焚き火を囲んでやっている人たちもいた。そういう即席のセッションもフェスティヴァルならではだろう。

 誰が考えたのか知らないが、伴奏ワークショップというのはなかなか乙な企画だ。長尾さんという恰好の講師が来たからかもしれない。どちらかというと講義形式で、リール、ホーンパイプ、ジグ、スライド、ポルカとリズム別に伴奏をつける勘所を簡潔に説明し、実演する。実演には須貝さんがフルートでつきあう。須貝さんが同じ曲を演奏するのに、違う手法で伴奏をつけてみたりする。伴奏の付け方で曲の印象が変わるのがわかる。こういうのはリスナーにとってもありがたく、面白い。

 参加者は多くないが、どなたも自分なりにかなり明確な問題意識をもって臨んでいたようだ。具体的な質問がぽんぽん出る。

 以前、トシバウロンとやった楽器別アイリッシュ・ミュージック講座のギターの講師にも長尾さんを頼んだのは、この人は自分のやっていることをきちんと言語化できるからだ。質問にもていねいに答えている。こういう人がわが国アイリッシュ・ミュージックの弦楽器伴奏の第一人者であることの幸運を、われわれはもっと噛みしめるべきだろう。

 参加した最後のイベントは森の音楽堂での tricolor のライヴだ。午前中は伴奏ワークショップと同じ時間帯にここで中藤、中村両氏によるスロー・セッションが行われていた。



 ここは響きがとてもいい。スロー・セッションでも楽器の響きがそれはきれいだったそうだ。

 面白いのは、客席側は平面に椅子を並べることもできるが、階段状の座席がステージ対面の壁に折り畳まれる形で造りつけになっていて、電動でこれが前にすべり出る。座席もスイッチ一つで起きあがる。最後部は天井近くまで届く。席は当初、平面に設営されていたが、ミュージシャンの要請もあり、この階段席に変更になった。あたしは大喜びで最上段の真ん中に座った。平面と階段ではそれだけで音も違う。階段のどの段にすわるかでも変わる。中段から下が普通にはおそらくベストだろうが、tricolor のサウンドの設定もあるのか、最上段で聴くフィドルとコンサティーナの音があたしには実に魅力的だったのだ。

 オープナーは〈マイグレーション〉。これで始めて〈アニヴァーサリー〉で締める、というのが、このところの tricolor のライヴの定番らしいが、この2曲の威力をあらためてライヴで体験すると、それもまことにもっともだとしか思えない。〈マイグレーション〉が始まったとたん、実に久しぶりに生で聴くその音に、ああ、帰ってきたと涙腺がゆるんだ。ここでゆるんだ涙腺は、ラストの〈アニヴァーサリー〉にいたって、とうとう溢れだした。この2曲、とりわけ〈アニヴァーサリー〉ラストの爛僖奪侫Д襯戰覘瓩砲亘睨,宿る。レコードですら聴くたびにこみあげてくるものがある。ましてやライヴである。ほとんど3年ぶりのだ。それも、清里という「しあわせの国」で。

 もちろんこのふたつだけではない。前半6曲目、須貝さんが入っての〈マウス・マウス〉の弾む愉しさ。後半オープナーの〈Railway Polka〉もいい。アニーがアヴァンギャルドなアコーディオンを聞かせる。須貝さんは出てからは出ずっぱり。その次がまた凄い。今年出した絵本とCDをセットにした Nook に収録の〈Ennistymon Set〉。これには hatao さんも加わってのクインテット。須貝さんはホィッスルを手にする。音の厚みにぞくぞくする。そしてお待ちかね〈夢のつづき〉。アニーはもうシンガーとしても一級だ。須貝さんのフルートの太い音がアニーの声と溶け合って、あたしは桃源郷にいる。続く〈ボンダンス〉で、アニーが手拍子を求める。聴衆には演奏者も多いからか、ここまでダンス・チューンでも手拍子が出ない。それにしても愉しい曲で、あたしはリールから盆踊りビートに戻るところがとりわけ好き。もとに戻るところの愉しさは、グレイトフル・デッドで味をしめた。〈アニヴァーサリー〉では再び hatao さんが加わり、今度はダブル・フルート。アニーはピアノに回る。アンコールは午前中のスロー・セッションでやったポルカを本来のテンポでやって幕。

 開演前、休憩、終演後にロビーで hatao さんがケルトの笛屋さんを開店していて、人だかりが絶えない。斎藤さんの息子さんは初めて目にし、吹いてみたのだろう、高価なホィッスルに夢中になっていた。

 ひとつお願い。今回は個々のイベントごとにチケットを買う形しかなかった。どのイベントにも自由に出入りできる通し券ないしパスの形のチケットも販売してください。

 今夜はこの北杜市のアイリッシュ・ミュージック・コミュニティの核でもある Bull & Bear で打上げがあるそうだが、帰らねばならない。清里ではまだかんかん陽が照っていたが、小淵沢まで降りてくると、周囲には山が迫り、陽は夕焼けを残してすでに山の向うに入っていた。甲州の山は険しい。小淵沢から新宿までの間に二つの駅にしか止まらない特急は、夕闇の底を縫ってひた走る。来年も来るべえ。生きてあるかぎり、杖をついてでもひとりで動けるかぎり、このフェスティヴァルが開かれているかぎりは何度でもまた来よう。来年は24、25日になるか。いつの間にか眠っていて、ふと気がつくと列車は八王子に着こうとしていた。(ゆ)

2023-09-10 追記
 イングランドからの3人の楽器は本人たちが持ちこんだものではなく、かれらの依頼でオーガナイザーが手配して貸したものだった由。後で教えられた。