告白するとフリスペルはまったく知らなかった。これが二度目の来日というのに驚いた。どうしてこのライヴのことを知ったのか、つい先日のことのはずだが、もう忘れている。とまれ、とにかく知って行ったのは嬉しい。これもまた呼ばれたのだ。呼んでくれたことに感謝多謝。そしてこの人たちを招いてくれたハーモニー・フィールズにも感謝多謝。

 もう一つ告白すれば、このライヴに行こうと思ったのは、渡辺さんが出るからでもあった。この前かれのライヴを見たのは、パンデミック前だから、もう3年以上前になるはずだ。ドレクスキップ以来、ナベさんの出るライヴはどれもこれも面白かったから、見逃したくない。共演の新倉瞳氏はあたしは知らなかったが、チェロは好きだから、これまた歓迎だ。

 ほぼ定刻、二人が出てきて背後の仏像に一礼、客席に一礼して位置につき、いきなりナベさんがなにやら金属の響きのするものを叩きだした。音階の出せる、平たいものを短かい撥らしきもので細かく叩く。うーん、芸の幅が広がっている。後ではハマー・ダルシマーまで操る。操る楽器の種類が増えているだけではないことは、曲が進むにつれてどんどんあらわになっていった。

 ひとしきり演ってから、やおらチェロがバッハの〈無伴奏チェロ組曲〉第1番を弾きだしたのにまずのけぞる。すばらしい響きだ。演奏者の腕と楽器とそしてこの場の相乗効果だろう。するとそこにナベさんがどんとからんだ。その音の鋭さにまたのけぞる。もうのけぞってばかりいる。こりゃあ、面白い。この二人の「前座」が終って休憩になったとき、隣にいた酒井絵美さんが、「うわあ、面白い。これだけで来た甲斐がありました」と言ったが、まったく同感とうなずいたことであった。

 それにしてもナベさんの音のシャープなこと。音の鋭さではふーちんが一番だと思っていたが、こうなってくるとどちらが上とも言えない。

 曲はバッハの後はナベさんのオリジナルが二つ。一つは雨上がりのまだ木の枝や草の葉の先から雫が垂れているときの感じ。もう一つは京都からナベさんの故郷・綾部に向かう山陰線が、長いトンネルと深い峡谷の連続を抜けてゆく、その峡谷がくり返し現れる情景を曲にしたもの。それぞれに面白い曲なのに加えて、ナベさんの口パーカッションにもいよいよ年季が入ってきて、表現の幅がぐんと広がり、深くなってもいる。いやもう、こんなになっていたとは、クリシェではあるが「別人28号」の文句が否応なく浮かんできた。

 ナベさんの曲作りのルーツにはケルトや北欧があり、ここの音楽は音の動きが細かい。フィドルが盛んなのは、そのせいもある。その細かい動きをチェロでやるのは大変で、チェロでケルトや北欧をやろうという人は、ヨーロッパでも5本の指で数えられるくらいだ。新倉さんは果敢にこれに挑戦している。演奏する姿を見ると気の毒になるくらいで、だからなるべく見ないようにする。そうすると、いやもう、立派なものではないか。こういう人が出てきてくれるのは嬉しい。というか、こういう人がこういうことをやってくれるのは嬉しい。

 二人のステージの最後にフリスペルのリーダー、ヨーラン・モンソンを呼ぶ。元はといえば、昨年この同じヴェニューでモンソン氏とナベさんのライヴを見た新倉さんがナベさんに電話をかけてきて、そのライヴがいかに凄かったか、さんざんしゃべった挙句、一緒にできないかとぼそっと言ったのが今回のきっかけだったのだそうだ。そのライヴはまったく知らず、見逃したのは残念だが、こうして新たにすばらしいライヴが実現したのだから、文句は言えない。

 トリオでやるのはスウェーデンの伝統曲。モンソンさんは例のコントラバス・フルートを持ちだす。とても楽器とは見えないシロモノだが、この人の手にかかると、まさに低音の魅力をたっぷりと味わわせてくれる。クリコーダー・カルテットのコントラバス・リコーダーも似たところがある。あちらはヨーロッパに実際にあったものらしいが、こちらはモンソンさんのオリジナル、のはずだ。クリコーダーのはどちらかというとドローン的な役割だが、モンソン流はよりダイナミックで時にアグレッシヴですらある。そして、この演奏も「ロック調」と本人が言うとおり、即興も加えたたいへんに面白いものだった。

 フリスペルとは要するにスウェーデン版のクリコーダー・カルテットではないか、と後半を見てまず思った。むろん、相当に異なる。まずカルテットではなくトリオだし、今回はとりわけサポートでパーカッションが入っている。一方で笛を操って千変万化、おそろしく多様で多彩、かつオーガニックな音楽を聴かせるところは共通する。なによりも遊びの精神たっぷりなのが似ている。

 前半最後のトリオでの演奏であらためて気がついたのは、ヨーラン・モンソンという人は遊ぶのがうまいのだ。それも自分が遊ぶだけでなく、他人をのせて一緒に遊ぶのがうまい。見ていて思い出したのはフランク・ロンドンだ。もう四半世紀の昔、セネガルのモラ・シラと来て、梅津和時、関島岳郎、中尾勘二、桜井芳樹、吉田達也と新宿のピット・インでやった時のあの遊ぶ達人ぶりが髣髴と湧いてきた。もう6年前になる、ジンタらムータとのライヴもなんともすばらしかった。そのロンドンと同じくらい、モンソンのミュージシャンとしての器は大きく、音楽で遊び、遊ばせる点でも同等の達人だ。このフリスペルはそのモンソンがバンドとして一緒に遊ぶために作ったのだろう。サポートの打楽器奏者も、かれが選んだだけのことはある。

 バンドとして遊ぶとなると一期一会とはまた違った工夫が必要になろう。ここで鍵を握っているのはアンサンブルではめだたない方のアグネータ・ヘルスロームだとあたしは見た。1曲、位置を変えてステージの上手の方に立ったとき、指はまったく動かないのに、音はちゃんと動いているのには驚いた。舌と唇?でやっていたらしいが、ほとんど魔法だ。ディジリドゥーの扱いも堂に入ったもので、インプロまでやってみせる。コントラバス・フルートが2台揃うのを目の前にするのはまた別の感動がある。

 モンソンとともにリードをとるクラウディア・ミュッレルはルーマニアの出身だそうで、彼女のお祖父さんが演っていたという伝統曲はハイライト。2曲のうち、二つ目は森で熊に会ったという、嘘かほんとかわからない話で、パーカッションのイェスペル・ラグストロムが、みごとな日本語のナレーションを入れる。むろん丸暗記だろうが、不自然さはほとんどない。そして、モンソンが日本人女性と日本であげた結婚式でフリスペルが演奏したというウェディング・マーチがまたハイライト。スウェーデンには結婚式のためにウェディング・マーチを作って贈る習慣があるそうで、いい曲がたくさんあるが、これはまた最高の1曲。

 ラグストロムは大小の片面太鼓、カホン、ダラブッカなどに加えて、小型の鉄琴を使う。これがなかなか面白い。膝の上に乗るようなサイズなので、リズムにはおさまらないがメロディにもなりきらない音が出てくる。

 面白い楽器といえば、モンソンが見たこともないものを使っていた。小型の方形の胴の上に4本の鉄弦?を張り、これを木製の太く短かい撥で叩く。これまたリズムともメロディともつかない音が出る。

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 渡辺、新倉が加わっての、スペインはサンチャゴ・デ・コンポステーラ巡礼のための音楽もすばらしい。観光バスで回る四国のお遍路とは違って、この巡礼路はわざとなのか、今でもあまり文明化されておらず、巡礼する人はちゃんと歩くらしい。

 二人はラストのダンス・チューン、800年前から伝わる〈La Rotta〉でも参加した。この曲を初めて聴いたのは、イングランドのアルビオン・カントリー・バンドの《Battle Of The Field》1976で、その時から様々な形で聴いているが、この6人によるものはベストといってもよかった。おまけにここではソロを回す。新倉さんがチェロでしっかり即興をするのに興奮する。こういうこともできる人なのね。

 アンコールは、笛3本で始め、低音担当のヘルストロームがモンソンが使っているのよりさらに短く、一段高い音域の笛に持ち替え。最後にラグストロムが、ごく短く、細い、ほとんど楊枝の様な笛を高く鳴らして終わり。会場、大爆笑。

 いやあ、堪能しました。今月はいろいろ忙しくて、ライヴは最小限に絞っているのだが、その中でこういうものにでくわしたのは、まさに大当り。ハーモニー・フィールズの主催するライヴはちゃんとチェックしなくてはいけない。(ゆ)


ヨーラン・モンソン Goran Mansson:リコーダー、パーカッション
アグネータ・ヘルストローム  Agneta Hellstrom:リコーダー、ディジュリドゥ
クラウディア・ミュッレル  Claudia Muller:リコーダー、口琴
​<サポートゲスト>
イェスペル・ラグストロム Jesper Lagstrom:パーカッション

渡辺庸介:パーカッション
新倉瞳:チェロ