北杜はやはりしあわせの国であることをもう一度確認させてもらった2日間。イベント自体は金曜夜から始まっていたし、土曜日も朝から様々なプログラムが組まれていたけれども、諸々の事情で土曜午後からの参加。今度は昨年の失敗はくり返さず、ちゃんと乗換えて、予定通りの清里到着。はんださんと木村さんが待っていてくれた。あたしのためだけ、というのでは恐縮だが、コンビニでミュージシャン用のコーヒーを買うという重要なミッションがあったのでほっとする。

 まずは内野貴文さんのイレン・パイプについての講義と hatao さんとのデュエットでの実演。内野さんとは10年ぶりくらいであろうか。もっとかもしれない。記憶力の減退がひどくて、前回がいつ、どこではむろん、どんな演奏だったかも覚えていない。今回一番驚き、また嬉しかったのは内野さんのパイプにたっぷりと浸れたことである。物静かで端正で品格のあるパイプはリアム・オ・フリンを連想させる。生のパイプの音をこれだけ集中して聴けたのは初めての体験。こういう音をこれだけ聴かされれば、この楽器をやってみたいと思うのも無理はないと思われた。

 あたしはイレン・パイプと書く。RTE のアナウンサーが「イリアン・パイプス」と言うのを聞いたこともあるから、こちらが一般的というのは承知しているが、他ならぬリアム・オ・フリンが、これは「イレン・パイプス」と言うのを間近で聞いて以来、それに従っている。uillean の原形 uillinn。アイルランド語で「肘、角」の意味。cathaoir uillean カヒア・イレン で肘掛け椅子、アームチェア。pi/b uillean ピーブ・イレンでイレン・パイプ。

 内野さんのパイプの音は実に気持ちがいい。いつまでも聴いていられる。いくら聴いても飽きない。演奏している姿もいい。背筋が伸びて、顔はまっすぐ前を見て動かない。控え目ながら効果的なレギュレイターの使用と並んで、この姿勢もリアム・オ・フリンに通じる。内野さんによってパイプの音と音楽の魅力を改めて教えられた。

 楽器を今日初めて見るという人が20人ほどの受講者の半分いたので、内野さんはまず客席の中央に出てきて1曲演奏する。それから楽器を分解した図や写真をスライドで映しながら説明する。

 個人的に面白かったのは次の、なぜパイプを演奏するようになったのかという話。初対面の人にはほとんどいつも、どうしてパイプなのかと訊かれるそうだ。その昔、アイリッシュ・ミュージックがまだ無名の頃、好きな音楽を訊かれてアイリッシュ・ミュージックと答えると、なんでそんなものを、と反射的に訊かれるのが常だったから、その感覚はよくわかる。しかし、ある音楽を好きになる、楽器を演奏するようになるのに理由なんか無い。強いて言えば、向こうから呼ばれたのだ。自分で意識して、よしこれこそを自分の楽器とするぞ、と選んだわけではないだろう。

 内野さんが最初に聞いたパイプの演奏はシン・リジーのギタリスト、ゲイリー・ムーアのソロ・アルバムでのパディ・モローニのもので1997年頃。パディ・モローニはチーフテンズのリーダー、プロデューサーのイメージが強いかもしれないが、パイパーとして当代一流の人でもあった。パイプのソロ・アルバムを作らなかったのは本当に惜しい。かれのパイプのソロ演奏は The Drones & Chanters, Vol. 1 で聴ける。

Drones & Chanters: Irish Pipe.
Various Artists
Atlantic
2000-04-25



 次に聴いたアイリッシュ・ミュージックはソーラスで、フルートやホィッスルの音に魅かれた。決定的だったのは1998年に来日したキーラ。そこで初めてパイプの実物の演奏に接する。この時のパイパーはオゥエン・ディロン Eoin Dillon。後に実験的なソロ・アルバムを出す。とはいえ、すぐに飛びついたわけではなく、むしろ自分には到底無理と思った。しかし、どうしても気になる、やってみたいという思いが消えず、やむにやまれず、とうとうアメリカの職人から直接購入した。2006年に註文して、やってきたのが6年後。まったくの独学で始める。

 苦労したのはまずバッグの空気圧を一定にキープすること。常にかなりぱんぱんにする。もう一つがチャンターの穴を抑えるのに、指の先ではなく、第一と第二関節の間の腹を使うこと。この辺りは演奏者ならではだ。

 伝統楽器に歴史は欠かせない。

 バグパイプそのものは古くからある。アイルランドでも口からバッグに息を吹きこむスコットランドのハイランド・パイプと同じパイプが使われていた。今でもノーザン・アイルランドなど少数だが演奏者はいるし、軍楽隊では使われている。

 1740年頃、パストラル・パイプと呼ばれる鞴式のものが現れる。立って演奏している。18世紀後半になって座って演奏するようになる。1820年頃、現在の形になるが、この頃はキーが低く、サイズが大きい。今はフラット・ピッチと呼ばれるタイプだろう。

 なぜ鞴を使うかという話が出なかった。あたしが読んだ説明では、2オクターヴ出すためという。口から息を吹き込むタイプでは1オクターヴが普通だ。イレン・パイプが2オクターヴ出せるのは、チャンターのリードが薄いためで、呼気で一度湿ると後で乾いた時に反ってしまって使えなくなる。そこで鞴によって乾いた空気を送るわけだ。鞴を使うバグパイプにはノーサンブリアン・スモール・パイプやスコットランドのロゥランド・パイプなどもあり、これらは確かに音域が他より広い。イレン・パイプの音域はバグパイプでは最も広い。

 次の改良はアメリカが舞台。アイルランドから移民したテイラー兄弟がD管を開発する。演奏する会場が広くなり、より浸透力のある音が求められたかららしい。フラット・ピッチに対してこちらはコンサート・ピッチと呼ばれる。このD管を駆使して一時代を築いたのがパッツィ・トゥーヒ Patsy Touhey。トリプレットを多用し、音を切るクローズド奏法は「アメリカン・スタイル」と呼ばれることもある。アイルランドでは音をつなげるレガート、オープン奏法が多い。

 余談だがトゥーヒは商才もあり、蝋管録音の通販をやって稼いだそうな。蝋管はコピーできないから、一本ずつ新たに録音した。今はCD復刻され、ストリーミングでも聴ける。ビブラートやシンコペーションの使い方は高度で、今聴いても一級のプレイヤーと内野さんは言う。

 他の楽器と異なり、パイプは音を切ることができる。どう切るかはプレイヤー次第で、個性やセンス、技量を試されるところ。

 演奏のポイントとして、Cナチュラルを出す方法が3つあり、この音の出し方で技量のレベルがわかるそうだ。

 チャンターは太股に置いた革にあてるが、時々離すのはDの音を出す時と音量を大きくする時。

 パイプ演奏のサンプルとして〈The fox chase〉を演る。貴族御抱えのある盲目のパイパーの作とされる。おそらくは雇い主の求めに応じたのだろう。狐狩りの一部始終をパイプで表現するものだが、本来は狩られた狐への挽歌ではないか、とは内野さんの説。なるほど、雇い主の意図はともかく、作った方はそのつもりだったかもしれない。

 もともとの曲の性格からか、内野さんはかなりレギュレイターを使う。右手をチャンターから離し、指の先でキーを押えたりもする。

 レギュレイターは通常チャンターを両手で押えたまま、利き手の掌外側(小指側)でレバーを押えるわけだが、上の方のレバーを押えようとするとチャンターが浮く。あれはチャンターの音と合わせているのだろうか。

 休憩なしで、hatao さんとのデュオのライヴに突入。

 hatao さんはしばらくオリジナルや北欧の音楽などに入れこんでいたが、最近アイリッシュの伝統曲演奏に回帰した由。手始めに内野さんとパイプ・チューン、パイプのための曲として伝えられている曲にパイプとのデュオでチャレンジしていると言う。めざすのはデュオでユニゾンを完璧に揃えること。そうすることで彼我の境界が消える境地。そこで難問はフルートには息継ぎがあること。いつもと同じ息継ぎをすると、音が揃わず、ぶち壊しになることもありえる。そこでパイプがスタッカートしそうなところに合わせて息継ぎをするそうだ。

 一方でパイプは音量が変わらない。変えられない。フルートは吹きこむ息の量とスピードで音量を変えられ、それによってアクセントも自由にできる。そこで適切にアクセントを入れることでパイプを補完することが可能になる。アクセントを入れるにはレの音が特に入れやすい由。

 こうして始まったパイプとフルートの演奏は凄かった。これだけで今回来た甲斐があった。リール、ジグと来て次のホーンパイプ。1曲目のBパートでぐっと低くなるところが、くー、たまらん。2曲目では内野さんがあえてドローンを消す。チャンターとフルートの音だけの爽快なこと。次のスリップ・ジグではレギュレイターでスタッカートする。さらに次のジグでもメロディが低い音域へ沈んでいくのが快感なのは、アイルランド人も同じなのだろうか。かれらはむしろ高音が好みのはずなのだが。

 スロー・エア、ホップ・ジグ、ジグときて、ラストが最大のハイライト。〈Rakish Paddy〉のウィリー・クランシィ版と〈Jenny welcome Charlie〉のシェイマス・エニス&ロビー・ハノン版。こりゃあ、ぜひCDを作ってください。

 書いてみたらかなり分量が多いので、分割してアップロードする。4回の予定。(ゆ)