9月8日日曜日。

 昨日より雲は少し多めのようだが、今日も良い天気。さすがに朝は結構冷える。美味しい朝食の後、朝のコーヒーをいただきながらぼんやり庭を眺めていると、正面の露台の上で寺町さんがハードシューズに履きかえ、木村さんの伴奏で踊りだした。これは午後のコンサートで演るもののリハをしていたことが後にわかる。この露台ではその前、お二人が朝食前にヨガをしていた。後で聞いたら、木村さんはインストラクターの資格をお持ちの由。寺町さんも体が柔かい。ダンサーは体が柔かくなるのか。

 ダンスとアコーディオンのリハが終る頃、昨夜のセッションでいい演奏をしていたバンジョーとコンサティーナのお二人がセッションを始めた。末頼もしい。

 聴きに行こうかとも思ったのだが、すぐ脇のテーブルで hatao さんがフルートを吹く準備体操を始めたので思いとどまる。体操をすませると楽器をとりあげて、まず一通り音を出す。やがて吹きだしたのはスロー・エア、なのだが、どうしても尺八の、それも古典本曲に聞える。音の運び、間合い、アクセントの付け方、およそアイリッシュに聞えない。吹きおわって、
 「今日はこれをやろうと思うんです」
と言うので、思わず
 「本曲?」
と訊いてしまった。笑って
 「ストーモクリーですよ」
 言われてみれば、ああ、そうだ、ちがいない。
 「もう少し表現を磨こう」
とつぶやいてもう一度演るとまるで違う曲に聞える。森の音楽堂でのリハと本番も含め、この曲をこの日4回聴いたのだが、全部違った。

 そこで食堂がスロー・セッション用に模様替えする。こちらは木村さんと一緒に高橋さんの車で午後のコンサート会場、森の音楽堂に移動する。今日はプロによる本格的な動画収録があり、それに伴って音響と照明もプロが入る。そのスタッフの方たちが準備に余念がない。そこにいてもやることもなく、邪魔になるだけのようなので、高橋さんの発案で清泉寮にソフトクリームを食べにゆく。

 高橋さんは子どもの頃、中学くらいまで、毎年家族旅行で清里に来ていたそうな。だからどこに何があるかは詳しい。木村さんも同様の体験がある由。

 毎年同じところに行くというのも面白かっただろうと思われる。あたしの小学校時代はもっと昔だが、夏の家族旅行は毎年違うところに行った。たぶん父親の性格ではないかと思う。というのも新しもの好きで、前とは違うことをしたがる性格はあたしも受けついでいるからだ。もっともどこへ行ったかはあまり覚えていない。箱根の宮ノ下温泉郷、伊豆の石廊崎、裏磐梯の記憶があるくらいだ。その頃は車を持っている家はまだ珍しく、ウチも車は無かったから、移動はもっぱら電車とバスだった。

 とまれ、別にやって来た青木さんも加わり、総勢4人、高橋さんの車で清泉寮のファームショップへ行き、ソフトクリームを食べる。こういうところのソフトクリームはたいてい旨い。周りの環境も相俟って、気分は完全に観光客。周囲にいるのは小さい子どもを連れた家族連れ、老人夫婦など、観光客ばかり。ここにも燕が群れをなして飛んでいる。

 ここでようやく青木さんとゆっくり話すことができた。あたしは今回初対面である。そのフィドルも初めて聴く。昨日から見て聴いていて、一体どんな人なのかと興味津々だったのだ。

 ヴァイオリンは小学生の時にやっていたが、上手くならなくてやめてしまった。わが国のアイリッシュ・フィドラーでクラシックを経由していない人にはまだ会ったことがない。あたしの知る限り、日本人では松井ゆみ子さんが唯一の例外だが、彼女はアイルランドに住んで、そこで始めているので、勘定に入らない。ずっとクラシックも続けてますという人も知らない。そういう人はアイリッシュをやってみようとは思わないのか。アイルランドでも大陸でも、クラシックと伝統音楽の両方の達人という人は少なくない。ナリグ・ケイシーや、デンマークのハラール・ハウゴーがいい例だ。

 青木さんがアイリッシュ・ミュージックに出会うのは、大学に入ってアイリッシュ/ケルト音楽のサークルでだ。そしてボシィ・バンドを聴く。これをカッコいいと思ったという。それまで特に熱心に音楽を聴いていたわけでもないそうだが、いきなり聴いたボシィ、とりわけケヴィン・バークのフィドルがカッコよかったという。

 アイリッシュの面白さ、同じ曲が演奏者によってまるで違ったり、ビートや装飾音が変わったりする面白さに気がつかないのはもったいない、と青木さんは言うのだが、アイリッシュは万人のための音楽ではないとあたしは思うと申しあげた。そういう違いに気がつき、楽しむにはそれなりの素質、いきなり聴いたボシィ・バンドをカッコいいと感じるセンスが必要なのだ。そこには先天的なものだけでなく、後天的な要素もある。音楽だけの話でもなく、何を美しいと感じるか、何を旨いと思うかといった全人格的な話でもある。

 ただアイリッシュ・ミュージックは入口の敷居が低い、親しみやすい。また、今は様々な形で使われてもいる。ゲーム音楽は大きいが、商店街の BGM に明らかにアイリッシュ・ハープの曲が流れていたこともあるし、映画やテレビ番組の劇伴にも少なくないらしい。初めて聴くのに昔どこかで聴いたことがあるように聞えるからだろうか。だからアイリッシュ・ミュージックに感応する人はかつてよりも増えているだろう。したがってアイリッシュ向きの素質を持つ人も増えているだろうう。

 もっともアイリッシュ・ミュージックは奥が深い。演るにしても聴くにしても、こちらのレベルが上がると奥が見えてくる、奥の広がりが感得できる。そしてまた誘われる。

 青木さんのフィドルはすでに相当深いところまで行っている。この若さであそこまで行くのは、それも伝統の淵源から遙か遠い処で行っているのには舌を巻くしかない。あそこまで行くとまた奥が見えているだろう。いったいどこまで行くのか、生きている限りは追いかけたい。

 森の音楽堂に戻ると準備もほぼできていて、木村・須貝のペアがサウンドチェックをしていた。それから各自サウンドチェックをし、昼食をはさんで午後1時前から全員で通しのリハーサルが始まる。ミュージシャンの席はステージの前のフロアに置かれ、客席は昨年と同じく階段状になっている。PAのスピーカーは背を高くしてあり、階段の三、四段あたりに位置する。

 このコンサートは今回の講師全員揃ってのもので、フェスティバルのトリだ。昨年トリの tricolor のコンサートとは一転して、即席メンバーでのライヴだ。昨年も来た者としてはこういう変化は嬉しい。どういう組合せでやるかが決まったのは前の晩である。夕食の後で hatao さんが中心になり、ミュージシャンたちが相談して組合せ、順番を決めていた。たまたま集まったメンバーであることを活かして、様々な組合せで演奏する。アイリッシュ・ミュージックは楽器の組合せに制限が無い。デュオ、トリオ、カルテット、どんな組合せもできる。しかもアイリッシュで使われる楽器はハープとバゥロンを除いてひと通り揃っている。加えてメンバーの技量は全員がトップ・レベルだ。何でもできる。

 リハーサルは順番、MC の担当と入れ方、全員でやる時の曲、そしてラストのソロの回しの順番と入り方を確認してゆく。高橋さんがステージ・マネージャーの役を担う。特に大きな混乱もトラブルもなく進む。カメラ、音響の最終チェックもされていた。寺町さんのダンスのみステージの上でやる。これを見て音響の方はステージの端に集音用の小さなマイクを付けた。以下続く。(ゆ)