村井康司さんの「時空を超えるジャズ史」第6回は「スイングからビバップ、そしてジャイヴとジャンプ」。スイングから生まれた2つの流れ、ビバップとジャンプ/ジャイヴ。ビバップが後のモダン・ジャズを生む一方でふり捨てたダンス・ミュージックとしての性格を継いだのがジャンプ/ジャイヴだった。この2つがどう違うかは、今回はわからず。

 ポピュラー音楽は誕生以来常にダンス・ミュージックだ。ジャンプ/ジャイヴはロックンロールにつながりこれも当初ダンス・ミュージックだった。ロックがジャズ同様、「芸術性」を獲得してダンス・ミュージックとしての性格を捨てると、ソウルやいわゆるブラック・ミュージックに受け継がれ、以後も連綿と続いている。ちなみにグレイトフル・デッドの音楽も基本はあくまでもダンス・ミュージックで、デッドは終始ダンス・バンドだった。あの集団即興で皆踊りまくっていたのだ。デッドの音楽に「耳を傾けた」のは、その場にはいないでテープを聴いていた連中だ。それだって、大音量でかけながら踊っていた人たちも多かったろう。

 とまれ講演のパート1は1940年代のスイング・ジャズの中にジャンプとビバップの要素がある音源を並べる。いつものことながら村井さんの選曲眼の良さには感心する。よくもこういう音源を見つけてくるものだ。普段からよほど敏感なアンテナを広く張りめぐらしているのだろう。

 まずはジャンプ3曲。1曲目、1940のアンドリュー・シスターズはいきなりブギウギ。よく跳ねる。2曲目カウント・ベイシー・オーケストラの1941年の動画。ソリストがやたら上手い。3曲目ライオネル・ハンプトン・オーケストラの1943年の録音。トランペットと木琴のかけあいが楽しい。4曲目のアースキン・ホーキンス・オーケストラ1940年の音源はビバップへの布石。その次1941年のベニー・グッドマン・オーケストラのチャーリー・クリスチャンはすでにビバップ。

 その次が凄かった。スリム・ゲイラード&スラム・スチュワートとハーレム・コンジェルーズの1941年のムービー。ゲイラード&スチュアートのかけあいから始まる音楽にどんどん楽器が加わり、それを聞いたメイドや召使いたちがわらわらと現れて踊りだす。そのダンスに目が釘付けになる。今のストリート・ダンスを集団でやっている。相当にアクロバティックで、どう見ても第一級のプロフェッショナル。むろん全員黒人。動きの切れ味、ダイナミックなアクセントに圧倒される。こんな芸をやっている人たちがいたのだ。リンディホップと呼ばれるスタイルだそうで、この時期、一瞬輝いたらしい。昨今、復活の動きもある由。

 7曲目、ドロシー・ダンドリッジ&ポール・ホワイトの1942年の動画。男女が歌いかわすのはもう少しでR&B。第二次世界大戦酣で、当時は黒人だけが聞いていた。

 パート1の締めはやはりチャーリー・パーカー。パーカーが出発したバンド、ジェイ・マクシャノン・オーケストラの1942年の音源。そして1942年ないし44年と言われるホテルの一室での〈チェロキー〉。こうして流れで聴いてきて、同時代の他のミュージシャンたちと並べて聴くとパーカーがいかに突出していたか、よくわかる。ようやくパーカーの面白さに開眼した想い。パーカーばかり聴いていたのではわからなかった。後藤さんはパーカーにどっぷり漬かることで開眼されたというが、あたしはそこまでジャズに命をかけていないし、感性もずっと鈍い。こうして筋で並べられて初めてわかった気がする。これが今回最大の収獲。

 パート2は1940年代後半のアメリカン・ブラック・ミュージックということで、ブルーズ、ジャンプ、ジャイヴそしてビバップを聴く。まずはブルーズ3曲。

 ライオネル・ハンプトン楽団をバックにダイナ・ワシントンが歌う1945年の音源。歌の裏でトランペットがずっと吹いている。ジェリィ・ガルシアがボブ・ウィアの歌の裏でずっとギターを弾いているのは、これに習ったのかと妄想する。

 アーサー・クラダップの1946年の〈That's all right〉。これをプレスリーがデビュー録音で忠実にカヴァーしていると言ってかけた録音にのけぞる。プレスリー、スゲエ。この人、やはりタダモノじゃなかったのだ。

 そしてB・B・キングの1949年の録音では、サックスとトロンボーンがソロをとる。B・B・キングは自分のバンドに常に管楽器を入れていたのだそうだ。

 ここで休憩。

 後半はまずジャンプといえばこの人、ルイ・ジョーダン。1945年頃の動画で、ここでも歌の裏でトランペットがずっと吹いている。やはりこういう手法があり、ガルシアはそれを手本のひとつにしたのだろう。

 スリム・ゲイラードという人は芸の幅の相当に広い面白い人で、チャーリー・パーカーと共演もしている。1945年のこれは良い。1930年代のジャズはもっとまろやかで、40年代、LA が黒人音楽の拠点になってエッジが立ってくるらしい。それだけ40年代の LA では黒人差別がひどかったのだろう。

 ここでチャーリー・パーカーの1947年の〈楽園の鳥〉のイントロは、ビリー・アースキン楽団の1944年の〈Good jelly blues〉のイントロのパクリであることが明かされる。後藤さんも初耳だったそうだが、結構知られたことではある由。このイントロはさらにディジー・ガレスピーが〈All things〉のイントロに使う、となるとどこか心の琴線に触れるものがあるのだろう。

 さらにハード・バップのシンボルのようなジョニィ・グリフィンもジャンプをやっていた。1948年ジョー・モリス楽団との録音。つまり、ジャンプもビバップも当時は区別されてはいなかった。少なくともミュージシャンたちはしていなかったのだ。1949年のワイルド・ビル・ムーアになると、ジャンプとジャズの間を行っている。

 次のイリノイ・ジャケットは音楽よりも村井さんがレジュメに載せた写真の墓が面白い。ミュージシャンの墓が集まっているウッドローン墓地にあるもので、やたらでかく、本人がサックスを吹いている画が描いてある。写真ではその向こうのマイルス・デイヴィスの墓より派手だ。

 最後にかかったのは現代のジャンプ/ジャイヴとしてシャバカ・ハッチングスの2022年のライヴ映像。メロディの起伏が極端に少ないのは意図的と思われ、デジタル的にも聞えるが、並べて聴くと精神は立派に受け継いでいると感じられるのは面白い。

 スイングからビバップはジャズの正史だが、実際そんなにパッと変わったわけではない。いろんな階調、グラデーションの音楽が同時進行している。その中からあるものは後に受け継がれて残り、あるものは消える。もっともこうして音源、映像が残っているわけで、しかもアクセスは簡単、誰でもいつでも見たり聴いたりできる。となるとまた新たな形で生まれかわらない方がおかしい。ハッチングスのような現代のジャンプ/ジャイヴももっと現れるだろうし、すでに現れているのだろう。(ゆ)