先日、当ブログで紹介したスコットランドのレジェンド、ディック・ゴーハンのボックス・セットのクラウドファンディングは目標金額を遙かに超える金額が集まって大成功しました。まずは良かった。
このクラウドファンディング企画の成功はいろいろあちこちに波紋を拡げているようですが、その一つとして、ゴーハン関係のクラウドファンディングがもう一つ、立ち上がっています。ゴーハンが自分の音源の著作権帰属の明確化を求めて訴訟を起こし、そのための費用を募っています。
なお、これは純粋に寄付を募るもので、直接の見返りはありません。見返りがあるとすれば、この訴訟がゴーハンの勝利に終り、今は眠っているゴーハンの傑作アルバムが普通に聴けるようになることです。それとともに、ここにもあるように、これが前例になって、同様に休眠状態にある1970年代前半のブリテン、アイルランドの伝統音楽の傑作、名盤が再び聴けるようになることもあります。
ゴーハンのデビューからの2枚のアルバムは Trailer Records から出ました。Trailer は録音エンジニア、プロデューサーの Bill Leader が立上げたレーベルで、ゴーハンはじめ、Nic Jones ニック・ジョーンズ、Vin Garbutt ヴィン・ガーバット、Dave Burland デイヴ・バーランド、Dave & Toni Arther デイヴ&トニ・アーサーなど、1970年代前半のブリテンの伝統音楽のシンガーたちの傑作、名盤を多数リリースしました。我々はこういうアルバムを聴いて、ブリテンやアイルランドの伝統音楽の世界に引きこまれていきました。
リーダーは英国フォーク・リヴァイヴァルの初期から活躍したエンジニアで、ブリテンの もう一つの伝統音楽レーベル Topic Records や、60年代に勃興した Transatlantic Records のために優れた録音をたくさんしています。有名なバート・ヤンシュのファースト・アルバムもリーダーの仕事です。その実績の上に Trailer Records を始め、成功するわけですが、経営者としてはエンジニアやプロデューサーほどの腕ではなかったらしく、1980年代に失速します。
Trailer Records の権利は Celtic Music Records の Dave Bulmer がリーダーから買い取りました。Celtic Music はヨークシャーの企業で、初めは Trailer などブリテン、アイルランドのフォーク・ミュージック、伝統音楽のレーベルの配給、卸を手掛け、1978年から独自のレコード製作を始めます。バルマーは自分がディストリビュートしていたレーベルのバック・カタログを買い取ることに熱心で、Wikipedia にある、かれが買い取ったレーベルを見ると、1970年代から80年代にかけてブリテン、アイルランドで活動し、我々にも馴染のあるものが軒並含まれています。
ところがバルマーという人はどういう考えがあったのか、自分が買い取ったレコードをほとんど全く再発しませんでした。どうやら在庫として残っていたアナログ盤を売ることだけに興味があったらしく、あたしの知るかぎり、一切CDにしていません。Trailer については、かなり後になって、ビル・リーダーが個人的に少数のタイトルを CD-R としてリリースしましたが、それもすぐにやんでいます。ゴーハンのデビュー作《No More Forever》のCD版はこの時リリースされたものの一つです。
デジタル化されていないので、配信、ストリーミングなどにも出ていません。Trailer のオリジナル盤は Discog などに出ることもありましたが、バルマーはこれにもクレームをつけていた、ということを読んだ覚えがあります。
ゴーハンは Celtic Music Records からも Live In Edinburgh (1985)、Call It Freedom (1988) 、Clan Alba (1995) を出しており、いずれも彼の傑作に数えられます。1978年に Tony Capstick と Dave Burland の3人で出した大傑作《Songs Of Ewan MacColl》の Rubber Records もバルマーが買ったレーベルの一つです。後に Battlefield Band と並んでスコットランドを代表するバンドとなる The Boys of the Lough の創設にもゴーハンが参加していて、そのデビュー・アルバムも1973年に Trailer から出ています。
Celtic Music Records は2007年を最後に活動を停止し、このクラウドファンディングによれば2013年のバルマーの死に伴ない、会社も2016年に消滅したようです。なお、バルマーについては The Living Tradition の編集長だった Pete Heywood が追悼記事を書いています。
これによれば、バルマーの「コレクション」はフォーク・ミュージック、伝統音楽やその周辺に限らず、イングランド北部に別の伝統を持つブラスバンドなどまで含んでいるようです。
とまれ、問題なのは、ゴーハンの録音も含め、Celtic Music が所有していた音源が現在ほとんどまったく聴けない状態であることです。これはレコードを作ったミュージシャンたちにとっても、我々リスナーにとっても大きな損失です。あたしの見るかぎり、Trailer をはじめ、これらのレーベルに残されたレコードには、現在なお耳をすますに値する音楽がたくさん入っています。それらはあの時代、20世紀最後の四半世紀にしか作れなかった音楽でもあります。我々老人だけでなく、より若い世代の人たちにとっても価値あるものと信じます。
これらの音源は Celtic Music の著作権を継承したと称する Northworks なる存在のものになっているそうです。ところが、どちらの存在も現在英国の企業として登録されていません。英国ではすべての企業は Companies House に登録しなければなりません。ここに無いということは、まっとうな企業ではないことになります。
そこで今回、ボックス・セットのクラウドファンディングの成功に背中を押されて、ゴーハンは過去の音源の著作権確認と音源そのものの返還の訴訟に踏み切りました。それには多額の費用がかかります。関っているのはエディンバラでも最高の弁護士たちだそうですが、当然そういう人たちは高くなります。したがって前回の仕掛人 Colin Harper は再度のクラウドファンディングを立上げました。
これはあたしなどにとっても大変なグッドニュースです。これまでこれらのアーティストやレコードについて何か語ろうにも、肝心の音源を聴くことがほとんどの人にはできないという状態では手のつけようがありませんでした。かれらについて語っておくことはそれを知っている老人の勤めではないかとこの頃思うようになっていたことでもあります。
なお、ディック・ゴーハンのボックス・セットについては公式サイトが新たに立ち上がっています。
(ゆ)

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