shezoo さんが打楽器奏者と共演するのはずいぶん見てきたが、デュオというのは初めての気がする。メロディを shezoo さんだけが演奏するのを聴くのは、もし初めてではないにしても、ひどく珍しく、新鮮だ。神々の骨版〈ディエス・イレ〉はバンドの時は複数の楽器がユニゾンでメインのメロディというよりシンプルきわまるリフを延々と繰返し、打楽器のソロが炸裂するのがパターンだが、今日はリフは独りだし、打楽器もソロが炸裂することはない。

 HAMA氏はこれまで shezoo さんが共演した打楽器奏者の中ではとび抜けて繊細で口数ないし手数が少ない。他の打楽器奏者が繊細でないわけではない。むしろ打楽器奏者は皆さん神経が細かい。少なくとも shezoo さんが共演してきた人たちは皆神経細やかで繊細だ。ドラム・キットではない、様々な打楽器を操る人はそうなるのか。神経が細やかだからドラム・キットから離れるのだろうか。HAMA氏はあたしは初見参だが、そうした人たちの中でもさらに一頭地を抜いて繊細であるように聞える。音も全体に小さい。

 楽器はアラブ系の片面太鼓、ダラブッカ、ハンドパンというのか、金属製の円盤型、叩く位置で音階を奏でられるもの、シンギング・ボウル、吊した鐘、木の枠に金属のパイプを3本並べたもの、床のスポンジの上に並べた十数枚の鉄板、といったところ。

 片面太鼓は叩く他に指で丸く弧を描いてこする。ダラブッカは膜面だけでなく、胴体も叩く。叩いて音が出るものは譜面台の支柱も叩く。片面太鼓の一つは内側に何やらたくさん糸で下がっていて、これらがノイズを発して面白い音になる。

 〈ディエス・イレ〉に戻れば、いかにもさあどうぞというようにピアノが例の静かで短かいリフを奏でているのに、打楽器も騒がず、静かに独り言をつぶやく。叫ぶことはない。叫ばない打楽器が新鮮で、聴きなれた曲の位相が転換する。ディエス・イレ=怒りの日はキリスト教の最後の審判の日のことだが、実は静かなのではないかとも思えてくる。

 後半は今回のテーマである架空の映画のサントラの趣で、すべての曲が途切れなしに演奏される。曲そのものは shezoo さんの既存の曲で、これを打楽器がつないでゆく。その時々でつなぐ楽器は替わる。ダフだったり、ミニ・ガムランもどきだったり、イランの太鼓だったり、ハンドパンだったりする。替わり目の前後は打楽器のソロになる。が、派手な即興などはしない。滑らかにソロになり、滑らかに次の曲が始まる。つまりピアノが入るので次の曲が始まったとわかる。

 「架空の映画」という意図はわからないでもないが、曲は既存のものなので、その曲に対するこちらの既存のイマージュが湧いてきてしまって、映画を連想する感じにはどうもならない。我ながらもう少しいろいろな連想がわく方が面白くなりそうだが、メロディに反応してしまうので、固定される傾向がある。想像力が貧困なのだ。

 shezoo さんのピアノも今回はフロントを張るわけだが、相手が派手にならないせいか、インプロも抑え気味というより内省的というべきか。音数は多いけれども、変化が小さいのに充実して聞えるのは面白い。

 後で HAMA氏が参加しているスーパージンギスカンズのアルバムを聴いても、叩きまくる感じではない。コントロールが効いている。端正ですらある。

 全体としてはむしろ涼しい音楽。ことしの夏にはまことに嬉しい。終演後、店のマスターからぜひ年内に再演を、と言われていたから期待しよう。

 外に出ると陽はまだかんかんと照っていて、暑さがどっと降りてくる。音楽のおかげで歩いていられる。(ゆ)