今年も「幸せの国」に行くことができた。なぜか今回は前2回よりもイベント感が強い。特別な場所へ行って特別な時間を過したという感覚だ。前2回はライヴが延々と連続する感覚だった。最近になって年をとったと実感することが重なったせいだろうか。

 直前になって台風が来たけれど、金曜の午後には抜けている予報だったから、それほど心配はしなかった。もっともフェス自体は金曜から始まっているので、主催する側は気が気でなかっただろう。イベントをやる側に回ったことも何度かあるが、天候はいつも胃が痛くなる。幸い今回は台風一過。土曜朝家を出る時には抜けるような青空が広がって、にわか雨の気配もなく、安定していた。日曜の朝は甲府盆地南側の山々の中腹に雲がかかって、それはそれは気持ちよかった。翌日の下界はまた暑熱が戻ったけれど、あの時のあそこはさわやかな秋晴れが大きかった。

 夏休みは終ったけれども、観光シーズンはまだまだ終らないようで、往復とも中央線特急はデッキにも人が立っていた。往きの車両は偶然か、右半分がすべて白人の外国人、左側が日本人ときれいに分れていた。あるいは団体さんだったか。皆さん、先まで乗っていった。聞くところでは松本は外国人に人気の由。小海線も例によって混んでいて、清里でどっと降りてほとんど空になる。降りる際に運賃を払うのに手間取った人がいて、かなり待たされた。それにしても降車ホームから改札へ線路を横切る踏切を列車の前に置いたのはどういう考えだったのだろう。そのために、降りた人びとは列車が行ってしまうまで待たされる。上りのホームで乗る人びとを優先したのか。それとも単に地形からなのか。

 駅にはMさんが迎えてくれた。今回はあたしだけというのに恐縮する。いつもの八ヶ岳コモンズまで送っていただくが、昨年までの駐車スペースはスペース・デブリの観測所になったそうで、今回は正面玄関につける。なるほど、何やら天文台にあるようなドームの小さいのが建っていた。

 講師控室で皆さんに挨拶。なぜか子どもたちが次々にやってくる。子どもたちが大きくなっているのに驚くのは通例だが、やはり驚く。今回参加者中最年少の生後4ヶ月の赤ちゃんもいる。このフェスが好きなのは子どもたちの存在も大きい。ワークショップやコンサート、セッションにも一緒にいるのがいい。この辺は主催者の裁量次第だが、八ヶ岳のフェスはお子さん大歓迎なのがすばらしい。豊田さんのお子さんも来ている。

 アイリッシュには子どもが似合う。子どもがたくさんいることで音楽が一段と愉しくなる。須貝さんのお嬢さんたちも、去年はお父さんにべったり甘えていたのが、すっかり一人前の子どもになってとびまわっている。もちろん親御さんたちはたいへんなはずだ。あたしの娘は小さい頃、場所見知りをするので苦労させられた。ふだんの場所と違うところに行くと泣きわめくのだ。実家でも同じなので、旅行など行こうものなら、寝かしつけるのが大騒ぎだった。ふだんはころりと寝てしまうのに。それが大人になった今は、海外も含め、独りでほいほいと行ってしまうのだから、人間わからないものである。とまれ老人になると子どもたちの姿を見たり、声を聞いたりすると、元気をもらうと実感する。

 午後は豊田さんによるジグ&リールのワークショップを聴講する。ここにもお子さんが3人、小学校低学年、つかまり立ち、乳呑み児といて、各々思い思いのことをしている。別にワークショップに参加しなくても、できなくてもいいのだ。

 もう一人、主催の斎藤さんの息子さんはすでにミュージシャンとして参加している。今年のフラーに日本代表として行ってきたそうだ。

 ワークショップの参加者は15名ほどでうち女性は6名。豊田さんやあたしを別にして、年齡の上限は30代半ばくらいか。アイリッシュやその類はまったく初めてという人が3人いるのはあたしには驚きだった。たまたま耳にしたホイッスルの音を手がかりに、このしろものがどんなものか知りたくて来たというのは、あたしの若い頃は考えられなかった。いや、あたしがというのではなく、世間一般にそういうことはありえなかった。世の中、少しも変わらないように、時には逆行しているように見えて、その実、着実に変わっているのだ。そういうことを感じさせてくれるのもありがたい。

 豊田さんはまず参加者の自己紹介を求めた。参加の理由と目的の把握のためだ。初心者の存在はそこで明らかになる。初心者といっても、楽器に触ったこともない人もいれば、クラシック・ヴァイオリンは永年やっている人もいる。

 うまいなあとまず唸ったのは、題材曲の選択だ。まったくの初心者とかなり突込んでいる人の双方にとって実のあるものになるように、ジグを1曲選び、これをとりあえず通して演奏できるようになろうというわけだ。楽器は講師が豊田さんだからだろう、フルートが4人と最多。ホィッスル3人、フィドル、ギター、それにバンジョーが2人いるのがあたしには面白かった。昔、と言っても十年くらい前には、パイプはいてもバンジョーはいなかった。これも先日豊田さんから伺った話、今の若い人たちはダンスからアイリッシュにハマり、ケイリ・バンドをやりたがるという現象の顕れだろうか。

 豊田さんが選んだのは〈John Feehily's〉。ひとつにはこれがDモーダルの曲であること。二つには参加者の中で知っている人がいなかったこと。

 Dモーダルというのは、最もアイルランドらしい音階なのだそうだ。クラシックなど他の音楽をやってきた人で、他の音階の曲はすいすい演奏できても、Dモーダルになった途端につまずくという。音階の中のある音がメロディないし前後の音によってシャープがついたりつかなかったりする、とあたしは理解したのだが、合っているだろうか。

 この曲を1小節ないしそれ以下に細かく分けて覚えてゆくのだが、豊田さんはすぐには楽器をやらせない。まず歌わせる。なるほどねえ。ダンス・チューンでも歌えなければ演奏できないと聞いたことはある。豊田さん自身は音名つまりドレミをつけずに覚えるそうだが、ここでは参加者の便宜のため音名をつけて歌う。何度もくり返し、ある程度体に入ったところで歌いながら楽器に指を合わせる。まだ音は出さない。これもくり返してからようやく楽器で音を出す。

 というのを小節ごとに繰返す。2小節やってつなげる。さらにつなげる。Aパートをつなげて通す。という具合に覚えてゆく。

 ところでアイリッシュのビートは等間隔ではない。ジグは八分の六拍子がドンドンドンと進んではいかない。EDM とか、クラブやディスコなどの等間隔のビートを面白いとあたしには感じられないのは、こういう揺れる、スイングするビートに慣れきってしまっているからだろうか。アイリッシュに限らず、ケルティックに限らず、伝統音楽のビートはほぼ例外なく揺れている。その揺れ、スイングするビートを浴びると体が動きだす。打込みの等間隔ビートでは体は動かない。

 豊田さんがこの揺れ、スイングを円運動で表すのがまた秀逸。それも楕円である。縦の楕円で、底の前後は速く、上端付近ではゆるくなる。むしろためらう。底に向かって圧縮し、上に向かって解放する。緊張と弛緩だ。アイリッシュのダンス・チューンには緊張と弛緩が同居しているのだ。

 もう一つ、楽器を操る筋肉は一番内側の小さな筋肉を遣うように意識せよ。そのためには動作をゆっくりやわらかくする。このことを教えられたのは、バンジョーの達人エンダ・スカヒルからだったそうだ。小さい筋肉を使うように意識してやっていると、それ用の神経回路ができてきて、スピードのコントロールが可能になり、持久力もつく。

 こういうことはクラシックやジャズでも教えられるのだろうか。言われてみると達人、名手といわれる人たちの演奏している姿は皆実に「コスパが大きい」ように見える。最小限の動作しかしていないように見える。

 ジグのリズムは馬をギャロップで走らせる時のリズムが元になっている。日本の馬術にはギャロップが無かったそうだ。だく足でなるべく上下動が少ないように走らせた。その理由は馬に乗るのは甲冑をつけた武士で上下動を嫌ったから、と豊田さんは説明したが、そこは疑問。ヨーロッパの重装騎兵はもっと重い、全身を覆う鎧をつけた。まあ、これは音楽とはまた別の話。

 とまれジグの、馬のギャロップが無いのは世界でも日本列島とインドネシアの一部だけなのだそうだ。となると、そのインドネシアのどこだろうと気になってくる。

 ジグで8割方の時間を使ったので、リールはさらり。こちらは有名な〈Sally Garden〉を選び、やはりまずメロディを歌い、指をつけ、演奏する。

 リールも楕円運動でとらえる。スイングするとゆっくりに聞える。つまりゆっくり聞える時はビートがスイングしている。あとしのようなリスナーにもこれは重要だ。アップテンポのはずなのに、ゆっくり演奏されているように聞えてとまどうことは稀ではない。そういう時はビートがスイングしているのだ。なあるほど。

 90分休憩ナシで、小学生のサットンにはきつかったようだ。

 今回はコモンズ2階の廊下にコーヒー屋さんが出店していた。注文するとその場で豆を挽いて淹れてくれる。やはりもうがぶがぶは飲めないが、旨いコーヒーがいつでもすぐ飲めるのは嬉しい。ふだんはキッチンカーで営業されているそうだ。こういう店ならわが家の近くにも来てもらいたいものだが、営業範囲は県内だそうだ。そりゃ、そうでしょうねえ。

 控室にもどってぼんやりしていると、斎藤さんからロンドのセッションに誘われる。新しくできた店の外のデッキでやっているらしい。車に乗せていってもらったが、実はコモンズのすぐ裏で、歩いてもすぐなのだった。その昔、カリフォルニアで道路を渡るのに車に乗せられたことを思い出した。

 ロンドのセッションは hatao さんがホスト、と見えたのだが、ホストは masato 氏と後で教えられた。仙台の青木さんがかけつけで入っている。セッションには珍しくハープがいるが、反対側の端で音はあまり聞えなかった。

 サムがギターで入っていたが、息子さんにねだられて歩く練習につきあわされて外れる。ギターは須貝さんの旦那も入っている。あたりをとびまわっている娘さんたちはよく見ると須貝さんのお嬢さんたちだった。

 ここまでやって来て、アイリッシュにどっぷりと漬かっているだけで気持ちよくなってしまい、どんな曲をやっているとかはまったくの上の空。とはいえ、音楽の質そのものは相当に高いと聞えた。こういう上質のアイリッシュに浸っていると、日常の感覚がだんだんしびれてくる。すぐ傍を幹線道路の1本が通っていて、時折りでかいトラックがけたたましい音をたてて走りぬけていくのも気にならない。

 それにしても皆さん若い。豊田さん、hatao さんの世代の次の次ぐらいだろうか。今回耳にしたところでは、秋田、岩手、山形、新潟、群馬、埼玉、長野、愛知、それにここ山梨には定期的にアイリッシュのセッションや勉強会をやっている人たちがいるという。どこもそれほど数は多くないが、熱心にやっているらしい。お互いのところへ遠征したりすることもあるそうな。その他にも、まだ仲間に恵まれず、単独でやっている人もいるのだろう。新潟のセッションにはハンマー・ダルシマーを演奏する80歳の爺さんが来る由。20年ほどやっているということは、新潟のセッションができるまでは独りでやっていたわけだ。北海道の小松崎さんの影響だろうか。それとも北米から入ったのか。ハンマー・ダルシマーでアイリッシュやケルティックをやるのは、なぜか北米では盛んだ。アイルランドでもブリテンでも、ハンマー・ダルシマーは一度絶滅した。最近はまた復活しているようだが、あまり聴かない。

 17時にロンドのセッションはお開きとなり、hatao さんとコモンズに戻り、今夜の宿のペンションひまわりに乗せていってもらう。以下続く。(ゆ)