白状すればペンションなるものに泊まるのは初めてである。昨年までの宿の竹早山荘もペンションになるのだろうか。あたしの印象としては昔の民宿、大学のサークルの合宿でよく使ったものではある。ひまわりはああこれがペンションというものであろう。形としては大家族の家で、ただし毎晩メンバーが変わる。

 ひまわりの食堂は天井が2階分まで吹抜けで、外に面して一面床までのサッシ、開ければベランダに出られる。その上の方はステンドグラス。ただしキリスト教のモチーフではなく、「きよさと」の文字が入っているから、ここの自然を意匠にしているのだろう。

 夕食はコースで、テーブルに置かれたカードに書いてある料理が一定の間隔で出てくる。どれも家庭料理だが、どれも美味、品数も多く、時間をかけて食べるのでお腹一杯。ごちそうさまでした。

 食事が終って少しあって8時半からセッションが始まった。ホストは hatao さんと豊田さん。サムと須貝さんの旦那がギター。名古屋の松木さんがバゥロンも叩く。

 スタート時では12人ほどで、ホストのせいもあってか、フルートが5人もいてフィドルが2人。豊田さんはアコーディオンも持つ。

 今回はセッションが2ヶ所に分れた。もう1つのペンションすなどけいの方が人数も多く、フィドルがそろって盛り上がっていたようだ。2ヶ所の会場はホスト以外は移動自由なので、時間が経つにつれてひまわりに人が移ってくる。10時を回る頃には入りきれないほどになる。

 どっぷりと漬かる。帰りの心配をする必要がなく、ひたすら音楽にひたりこめるチャンスはなかなか無い。その気になれば旨い酒にも事欠かない。あたしはボウモアとブラック・ブッシュがあれば充分だ。

 ひまわりのマスターはこの日のためにギネスの壜と缶をしこたま仕入れ、専用の冷蔵庫まで用意していた。これではいただかないわけにはいかない。冷蔵庫一杯のギネスはきれいに無くなったそうだ。

 23時半にお開きになる。ほとんどの人が引上げた頃になってコンサティーナ弾きの青年が現れた。hatao さんはその顔を見るとしまっていた楽器をとりだし、サムと3人で新たにセッションを始めた。青年もかなり遣うので面白かったのだが、さすがにほどなくクレームが入って結局〇時半で幕。

 hatao さんはそれから外付の HD に貯めこんだ音源のうち、コンサティーナのものを青年と見始めた。ミュージシャン別のフォルダになっていて、開いてダブル・クリックすれば再生が始まる。青年は宝の山を前にしてもう夢中だ。1時になってあたしはもう限界と一足先に引上げた。

 日曜日は7時半の目覚ましで起きる。老化と興奮で寝付けず、実質3時間ぐらいしか眠れなかった。それでも涼しくさわやかな空気と、夕食同様美味でたっぷりの朝食にとりあえず元気になる。

 昨夜はテーブルが4人ずつに分れて坐る形だったが、今朝は長く一列に並んでいる。あたしが引上げたときにはセッション用に円環を描く椅子とその真中に集められたテーブルの形だったから、あれからマスターが並べかえたのか。あるいは今朝の作業かもしれないが、いずれにしても早起きで、ペンションのマスターはたいへんだ。

 朝食の席で向いになった hatao さんから最近中国に行ってきた話を聞いていたら、葉山から来られたという左隣のフィドルの女性が中国茶の茶会を定期的にされていると言い出した。今は亡き星川京児師匠の店で味わった中国茶を思いだして楽しくおしゃべりをさせていただく。中国茶も沼の世界で、中には福建の海中の岩に生えるものもある由。人間には危ないので、猿を仕込んでとって来させるのだそうだ。一度飲んでみたいものだ。

 といううちに hatao さんの出発の時刻になる。午後のコンサートの準備で9時に集合がかかっていて、小淵沢駅近くの会場まで時間がかかるためだ。同じ会場で開かれる寺町靖子さんのセット・ダンスのワークショップを覗くつもりだったので、乗せていってもらうことになっていた。車で清里から降りてゆくと、前方の山の中腹に雲がかかって実に美しい。甲州の山は実に険しい。田圃も結構あって穂が垂れている。今年の収獲はどうだろうか。

 車中、hatao さんが最近知り合ったアメリカ人フィドラーの話を聞く。日本人と結婚して西宮に住んでいるが、生まれはボストンで、ボストンのアイリッシュ・ミュージック・コミュニティにどっぷり漬かって育った由。日本でアイリッシュ・ミュージックができるとは考えていなかったのが、たまたま hatao さんと知り合うことになり、先日の中国遠征にも同行した由。御本人にとっても我々にとってもラッキーなことである。いずれ聴いてみたい。

 寺町さんのワークショップには30人ほどが参加した。うち、まったく初めての人が3人ほど。まずはスライドを使ってのセット・ダンスの歴史の簡単な紹介。なかなか面白い。18世紀の cottillon、quadrille と呼ばれる宮廷でのダンスが源流とされる。こういうものを今でもやっている人たちがいるというのも面白い。衣裳と音楽も当時の再現。今見ると踊っているよりただ歩いている。それでも男女4人ずつのペアが方形を作って動くところは確かに共通する。こういうものが下々のところへ降りてきてずっとダイナミックになるわけだが、ダンスの歴史は一筋縄ではいかない。あちこちから禁止されたり抑圧されたりする。統治者たちが恐怖をおぼえるほどに民衆の間で盛んになるわけだ。そういうハードルをあるいは乗りこえ、あるいはくぐり抜けて生き延びてきた。つまりはそれだけ人びとがダンスを必要としていた。伝統文化、伝統音楽は決して昔から順風満帆などではない。むしろ今こそ史上最高の「わが世の春」、これほど盛んになり、社会的な地位も上がったことはないとも言える。

 セット・ダンスの復興は1980年代。というのはずいぶん最近の話だ。2人の男性の努力の賜物。音楽のモダン化から十年遅れだったわけだ。もっとも80年代には音楽の上でも今に続く動きが始まっているから、底流として共通するものがあったのだろう。

 セットというのはまず4組のペアの動きのひとまとまりをさす。これも無数にあり、新しいものもどんどん生まれている。この日習ったのはアントリム・スクエア・セットで、オーストラリア人の考案になる。比較的短かく簡単だが楽しいもの。

 なおセット・ダンスという時には2つの意味がある。ひとつは4組のペアによる集団のダンス、もうひとつはある曲に対して決まっているダンスで、ソロで踊られる。ソロのセット・ダンスには old style とモダン・スタイルがある。モダンは衣裳をつけ、高く跳んだり、脚をはね上げたりする。『リバーダンス』はこれを集団で、より派手にしたものと言えなくもない。オールド・スタイルは足元の動きにより集中し、高くジャンプすることはない。後のコンサートで寺町さんが披露した形。

 いよいよ実際に踊るわけだが、ダンスには音楽が要る。今回は豊田さんのアコーディオン、サムのギターという贅沢。もっとも始まってみてわかったことだが、ダンスも曲と同じく、小さな動作の塊にして憶える。その際求められるパートだけを即座に提供できるのは生演奏だけなのだ。録音でこれをやろうとすれば頭出しだけでひどく手間がかかってしまう。曲の途中からでもぱっと始められて、またぱっと終わるには人間のミュージシャンが必要になる。AI でこれができるようになるとしても、まだまだずっと先になるだろう。

 またこういうことを一見難無く、自在にすることも誰にでもできることではない。豊田さんクラスのミュージシャンが求められる所以でもある。それにしてもお二人の演奏の適切さとその難易度の高さには後で思い返してあらためて脱帽したことだった。

 寺町さんの指導はまずステップの基本からだ。これがいかに大事なことであるかを、これも豊田さんから伺っていた。ある企画のためにインタヴューした際、ダンスの指導が寺町さんに交替し、それまでのフォーメーション重視からステップの基本を身につけることに変わって、ダンスのワークショップの定着率が目に見えて上がったのだという。ダンスが楽しくなり、それにつれて音楽にも入れこむようになるという良い循環が生まれた。

 その話を実地に確認するためもあってワークショップを聴講したのだが、結果的に巻き込まれて自分でも踊ることによって、なるほどと実感した。

 実例としてのセットの選択も巧い。アントリム・スクエア・セットは後半にビッグ・スクエアというフィギュア(フィガー)がある。フィガーというのはひとまとまりの動きだ。ビッグ・スクエアは個々の動きは前進と後退と90度の方向転換だけなのだが、全体では8人が大きく動きながら交錯し、入れかわりながら、まったくぶつかることなく元の位置に戻る。やっていていかにも楽しく面白い動きなのだ。ダンスって楽しいと、頭ではなく、カラダが納得する。

 もちろんそれだけでなく、準備運動からステップを憶えるための動作、個々の動きの分解のしかた、いちいち理にかない、無理がない。体さえ動けば、素直に反応していけば、誰にでも自然に憶えられる。寺町さんはこういう教授法をどうやって開発したのだろう。とこれも後から不思議になった。

 寝不足の上、ここで踊らされたのは後で響いてきたけれど、ワークショップ参加は大きな収獲。今回最大のハイライト。

 豊田さんとサムは小さなスピーカーで PA を組んでいた。大きくはないホールとはいえ、これだけの人間がいれば、音は吸われるし、動いている時、音が小さいと耳に入らないだろう。豊田さんが Grace Design のプリアンプを使っているのを見てオーディオ談義になる。楽器用のマイクはそのままではぺきぺきの音なのだが、グレイスのアンプを通すと生音もかくやという音になるのだそうだ。アメリカのフェスティバルに行った時、他のミュージシャンが使っているのを聴いてたまらなくなり、即座に注文して次の宿泊地のホテル宛に送ってもらったそうな。

 グレイスはプロ用機器のメーカーだが、15年ほど前、今にいたるヘッドフォン、イヤフォン・ブームの黎明期に M903 という据置型の DAC/ヘッドフォン・アンプで一世を風靡した。今は後継の M920 もディスコンだが、中古でもみつかれば、今でも使ってみたい。また出してくれないものか。

 ステージ・モニタについても訊くと、イヤモニを使うことが増えたという。今使っているのは、いろいろ試した末中国の KZAcousitc の1万円しないモデル。これもアメリカのフェスにもちこんだら、耳型をとって作るカスタム・モデルを使っていた人たちも含めて、乗換える人が続出したそうだ。あくまでもステージ・モニタとしてだから、あたしらの日常的リスニングにも適するかどうかはわからないが、この値段なら試してみてもいい。以下続く。(ゆ)