年に一度の独演会。昨年からこの会場になった。面白いのは、木馬座も同じだったが、ステージの上は下足禁止であるらしい。靴下なのだ。昨年、上の助空五郎はタップダンス用の靴をはいたが、専用の板が敷かれた。それで思い出すのは先日見た能舞台でのジル・アパップたちの公演。アパップも含めて全員白足袋をはいていた。これも決まりらしい。裸足ではダメなのだろう。こういう決まりに理屈は無い。慣習というだけだ。ヨーロッパでクラシックのオケの公演なら、演奏する側はもちろん、聴衆側もタキシードにイヴニングで正装するのが慣習なのと同じだ。
ただ、落語ではない音楽のライヴで靴下というのはどこかおちつかないのである。足元を見なければいいのだし、たいていは無視していられるが、一度気がつくと脇腹をつんつんされる感覚がある。
もっとも能舞台に足袋というのは納得してしまうものもあるのもこれまた確か。
岡さんのライヴで靴下というのが気になるのは裸足ではないからかもしれない。裸足はやはりダメなのか。他の人たちはともかく、岡さんが靴下というのが気になる。あたしが靴下が大キライで、自分ではなるべくはかないようにしているせいか。それにつけても思いだすのはリアム・オ・メーンリやキーラのロナン・オ・スノディがステージで裸足でやっていたこと。松本泰子さんも裸足でうたう。ミュージシャンは靴がはけないのなら、裸足でやってほしい。
というのは文字通りの蛇足。
今回は岡さん以外の出演者が3組。ちんどんののまど舎は3回連続の登場で、もはやこの人たちなしの独演会は考えられない。この人たちの音楽能力の高さからそれも道理で、岡さんとの共演はいつもハイライトだ。
後の2組のうちひとつはウクレレ漫談。音楽で笑わせるという点では昨年見たモーツァルト・グループに通じる。この人も純粋にウクレレの演奏だけでも充分メシが食えるだろう。しかし音楽を演奏するだけでは収まらない何かを持っているにちがいない。
もう一つはマジック。手品師。奇術師。妙齢の美しい女性。音楽とは一応縁は無さそうだ。
ウクレレとマジックのお2人は岡さんと落語協会の同窓という縁で呼んだらしい。マジックもウクレレも大いに楽しませてもらった。マジックは笑いをとりながら、ちゃんとマジックとしても見せる。ルービック・キューブをネタにしたのは見応えがあった。
これは岡さんの独演会。誰を呼ぼうとあたしなどが文句をいう筋合いはない。いろいろな芸を見せてもらうのもいい。こういう人たちもいるという紹介、いわゆる推し活もわかる。それでもなお、である。
あたしは岡さんを見にきている。岡さんの唄を聴きに来ている。それが減るのだ。ありていにいえば3組は多すぎるのではないか。
今回その少ない岡さんの出番で、あらためてうたい手としての成熟に感じいった。この声の張りと充実は滅多にないレベルにきているのではないか。それに初めて気がついた。というのは遅すぎるだろうが、気がつかないよりはマシではある。
唄の巧さと MC の下手さはわかっていた。しかしこんなに声が良くなっていたのか。シンガー岡大介はまさに四十にして立っている。うたい手としてこれからが黄金期だ。
もう一つ喜んだのは高田渡のカヴァーである。高田渡の唄こそは現代の、20世紀後半から21世紀初めにかけての「演歌」と呼んでいい。岡さんが大正・昭和の真の「演歌」に賭けていることは承知している。それも大事だ。しかしあまりにも時代が遠く、うたわれている社会も違っている。高田渡のうたはそのギャップを埋めている。岡流演歌として高田渡をうたうのをもっと聴きたい。レコードも欲しい。
日曜夜の浅草は内外からの観光客でごった返している。ちょうど中国の大型連休でふだんにも増して増えているらしい。今見て聴いてきた芸と音楽のおかげで、観光客どんどんいらっしゃいの気分だ。それであたしのサイフが太るわけじゃまったく無いにしてもだ。(ゆ)
岡大介:唄, カンカラ三線, ギター
のまど舎=紺野しょうけい:チンドン + ほりごめみほ:アコーディオン
ウクレレえいじ:ウクレレ, 唄, 漫談
小梅:マジック

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