フルート2本だけの演奏を生で聴くのは初めて。hatao さんはアイリッシュ・フルートに楽器として大きな可能性を見ているという。いわゆるベーム式の、キーの付いた形ではできないことが、シンプルなアイリッシュのフルートではできる。指孔にあてる指をずらしたり、ゆっくりとふさいだり、開けたりすることで細かく音を変化させる。ビブラートは9種類できる。息でかける。指を細かくあてては離す。指孔をもむ。楽器自体をわずかに回す。楽器を動かすと同時に息でかける。などなど。指孔をもむのは中東のカヴァルやネイでも使われるという。
それに気がついてから、アイリッシュ・フルートでアイリッシュ以外の音楽もやってみたくなった。矢島さんとの試みは一昨年11月が初めで、昨年6月に神戸で2人のオリジナルのみでやってみてたいへん面白かった。そこで再度東京でやろうというわけだ。もっとも今回はオリジナルだけでなく、尺八のために書かれた曲もやり、これがハイライトになった。
使う楽器は2人ともD管。hatao さんの楽器は異なるメーカーの吹き口と本体をつなぎ合わせたものの由。普通は径が違って合わないのだが、たまたまぴったり合った。その組合せで出る音が唯一無二のものとして気に入っているという。
楽器というのは作る人によって音が違うことは承知していたが、こういう合体の仕方は初めて聞いた。フルートは吹き口と指孔のある本体が必ず分れるからこういうこともありうる。パイプも部品がいろいろあるし、何よりリードは専門の職人がいるくらいだから、作った人が別々の部品を組合せることはあるかもしれない。
手作りのモノの場合、どんな名人でもうまくできた製品とそれほどでもないものとできてしまうのはやむをえないだろう。むろん一定の水準はクリアするにしても、ぎりぎりでOKのものと、会心の出来のものでは質は変わってくる。その差が限りなく小さくなるのが名人、達人ということだろうが、神様ではない生身の人間である以上、どうしても差は出る。うまくできたモノに当る幸運を祈るしかない。
フルートやホィッスルは直接息を吹きこんで音を出す点で、楽器の中でも肉体に最も近い。昔マット・モロイはフルートを吹いていたおかげで肺の病気に気がついたという。
演奏者は楽器の出来の良し悪しに敏感だが、フルートの場合、より繊細に敏感になるのではないか。たぶん、ストラディヴァリウスは音が違うというのとはまた次元の違う話になる。誰でもそれを吹けば良い音が出るというよりは、もっとパーソナルな共鳴になるのではないか。hatao さんの楽器にしても、他の人が吹けば、そんなに良いとは感じない可能性は高い。
とまれ2本のフルートだけの音楽は基本的にゆったりしている。とんとんとダンス・チューンというわけにはやはりいかないらしい。一方、フリー・リズムではない。ゆっくりではあるが、一定のテンポはある。
2本のフルートの音はハーモニーとして重なるよりも各々独自の動きをする方が多い。どちらかといえばポリフォニーだろう。時に重なる場合はユニゾンになることが多い気がする。今回たまたまそうだったのかもしれないが。
後半の初めで各々ソロも披露する。
hatao さんは近年、アイリッシュ以外の笛、能管やケーナ、尺八などにまで対象を広げてインプットに努めている由。できる限り幅広くインプットに努めるのはミュージシャンとして当然とも思えるが、hatao さんの場合、アーティストとしての精進はあるにしても、笛のことをもっと知りたいという好奇心につき動かされているようにも見える。こういうインプットは義務感からできるものでもあるまい。
ソロの演目はおなじみの〈ストー・モ・クリー〉だが、9種類あるというビブラートも含め、様々なテクニックの品評会、いわゆるショウ・ピースのようだ。といって単なるテクニック自慢にならないのが凄いところ。曲としてちゃんと聴ける。聴きほれる。これも伝統の力だろうか。
矢島さんのソロは、パンデミックの始まりの頃、夜中にどうしてもフルートが吹きたくなってカラオケに行き、ようやく気が鎮まって出てくると夜明けがもう近かった。その時に湧いてきた曲。なかなかの佳曲。
その次、山本邦山作曲の尺八二重奏第一番「竹」が今回最大のハイライト。序破急の三楽章から成る、その第三楽章がすばらしい。この二重奏曲は三部作であと2曲あり、それもいずれこのフルート2本でやりたいとのことで楽しみだ。
邦山作品を除き、この日の演目は元の曲をフルート2本のためにアレンジしているが、1曲、hatao さん作曲の〈2本のフルートのための Spring air〉を最後にやる。ポリフォニーの曲。アンコールも hatao さんの曲で、本来は韓国語のタイトルで邦訳すると〈7月1日風が吹く日〉。倍音が実にきれい。
同じ楽器の二重奏で無伴奏というのは、洋楽の場合ほとんど無い。ジャズや前衛、即興音楽の世界には2台のピアノによる演奏がある。ギター2本というのもある。アイリッシュのセッションで、たまたまその場へ来たのがコンサティーナ2人だけとかパイプ2人だけだったので、それでやるというのはありそうだが、それはまた別の話だろう。意図して同じ楽器、それもメロディ楽器2人だけでやるのはかなり新しい試みになる。そしてフルートによるものはこうして聴くと、結構いろいろな可能性がありそうだ。何よりも不思議なさわやかさが残った。フルートという楽器だけでなく、この2人の奏者から生まれているのかもしれないが。(ゆ)

コメント