「高音質盤で聴くソニー・ロリンズ――新春に堪能するサックスの巨人」
ラズウェル細木ではないが、《サキコロ》を聴いてないとは恥ずかしくて言えない。しかし何ものにも出会いに時がある。今があたしにとって《サキコロ》と出会う時なのだった、ということである。
小田急線・百合ヶ丘駅前の「轍」で隔月に開かれる村井さんのJAZZ三昧の第4回はソニー・ロリンズを聴く。前半は《サキコロ》をはじめとする名盤を、近年出た新マスタリングによるアナログ盤で聴く。後半は新たに発掘リリースされたライヴ音源をCDで聴く。
村井さんの解説は例によってさらりと細部に切りこんでゆく。オープナー、《サキコロ》の冒頭〈St. Thomas〉。タイトルはロリンズの母親の出身地であるカリブ海の島の名。この曲のテーマにその島の民謡から借りたものが使われている。リズムはカリブのシンキージョで、ドラマーのマックス・ローチはハイチの伝説的打楽器奏者チローロに師事してカリブのリズムを身につけた。ここでもチローロそっくりのソロを展開する。というのを曲を聴いた後で言われる。この辺は兼合いが難しい。こういう解説は曲の前に聞いておきたい一方で、おしゃべりよりも先ず曲だという気分もある。まあ、後で自分でもう一度聴けばいいわけだ。
《サキコロ》どころかロリンズをまともに聴くのさえ初めてだ。ラズウェル細木の影響で《橋》だけは買ってあったが、まともに聴いた覚えはない。終わってから、これだけまとめてロリンズを聴く機会はあまりないでしょうと村井さんが言うくらいだから、今のジャズ・ファンはそういうものか。もっともロリンズしか聴かない、それも一九六〇年代までという頑固な人もいそうだ。
まとめて聴いてまず気がついたのは、この人はお茶目だ。ユーモアのセンスがいい。コルトレーンのように眉間にしわを寄せてやっている、なんてことはまるで無い。ニコニコ笑いながら、というのはサックス吹きながらでは難しいだろうが、目は笑っているにちがいない。ふだんジョークを連発しているかどうかは知らないが、少なくともサックスを吹くとマジメにばかりやっていることができないのだろう。意識しないでユーモラスな音が出てくる。
出す音もヘンだ。折に触れて、妙にひしゃげた、音階からはずれた音を出す。微分音や別のモードという感じでもない。単独の時もあるし、しばらく続ける時もある。例えば3曲目にかかった〈Old devil moon〉。ロリンズはピアノレスのトリオを好んだというのもわかる。ピアノがいてはこういう音は出せないとは言わないまでも、出しづらいだろう。最後にかかった八〇歳記念コンサートでのオーネット・コールマンが入っての四人による演奏でも、やはりそういう妙な音を出す。サックスから普通では出さない、出せない妙な音をあれこれひねり出すのを愉しんでいるようでもある。そこだけなにか特別なリードを使うとか(んなバカなことはないよね)、指穴のふさぎ方が尋常ではないとか、とんでもないことをしているようでもある。
そしてあたしがいちばん感動したのは、ロリンズのソロの感覚がジェリイ・ガルシアのソロにそっくりなことである。どこかとぼけた、マジメなのかふざけているのかわからない。でも、不思議にツボを突いてくる。派手に音をばらまくこともない。楽器の限界に挑戦するような高音を出すこともない。一見誰にでも吹けそうなシンプルなフレーズ。同じ音を延々と続けたり、ごく少ない数の音で心に刺さるメロディを織りなしてみせる。まさにガルシアのギター・ソロだ。
ガルシアのソロの源泉にジャズが大きな位置を占めていることはわかっていた。ただ、ジャズを吸収するにあたって誰を手本にしたのか、具体的な名前がわからなかった。もちろん一人だけであるはずもないが、最も大きな源泉になったアーティストはいるはずだ。オーネットあたりではないかと漠然と比定していた。共演もしているし。しかし今回ロリンズをまとめて聴いて、おそらく十中八九ガルシアの手本の中心にロリンズがいると感じた。
むろんガルシアがロリンズのソロをまんまコピーしたことはまず無いだろう。それよりはロリンズのレコードを聴きこんで、その語法や組立てを吸収したのではないか。チャンスがあれば生も見ただろう。それにガルシアは自分と同質の性格をロリンズに見てもいただろう。ユーモアのセンス、時に茶目っ気たっぷりの演奏をするセンスは二人に共通する。
ガルシアのギター・ソロは時にひどく愉快な、笑いを含んだものになる。そのユーモラスなギターは他ではロックでもジャズでも聴いたことがない。ギタリストは皆さん実にマジメなのだ。悲劇が好きなのだ。
ユーモアのセンスはビートルズがあふれるほど持っていたし、キンクスやザ・フー、ロニー・レインなども豊富だ。クィーンはあまり表に出していない。隠し味にしていたようだ。フランク・ザッパも時にユーモラスな演奏をするが、かれはどちらかというと裏に潜ませる。そしてよりダークだ。ガルシアのギターは基本的に明るくおおらかだ。
ジャズではあたしはよく知らない。モンク、エリントン、ミンガス、マイルスあたりはかなり濃いと見える。それでもロリンズは別格だ。コールマンもユーモアには事欠かないが、彼は根が天然なので、本人がユーモアのつもりなのか、よくわからない。
とまれ、ロリンズとガルシアの相似はあたしにとってはとんでもなく刺激的だ。ロリンズをちゃんと聴いてみようと決意した次第である。
後半のライヴ音源。
前半の新マスタリングのアナログの音は鮮烈だった。面白いのはブルー・ノートとコンテンポラリーの録音の違い。前者は定位とかサウンドステージなんてものは知らないよとばかり、サックスを前に押出す。ピアノ、ベース、ドラムスはどこか後ろの方で小さくやっている。
西海岸ではサウンドステージが明瞭で整理されていて、誰がどこにいるか、はっきりしている。その場の空気も透明だ。《サキコロ》は煙だか何だかたちこめたところでやっている。ヴィレッジ・ヴァンガードなんか狭くて、ミュージシャンたちはでかいピアノに押しのけられるようにしてやっている。写真によればロリンズはピアノの向こう側で吹いている。こりゃあ、定位もへったくれもなくなるわな。
今回村井さんがかけたヴィレッジ・ヴァンガードの録音は、ヴァン・ゲルダーがリリースしたテープとは違うものだそうだ。ヴァン・ゲルダーが現場で使った録音機は携帯用で、テープ速度が半分だった。スタジオではそのままでは使えないので、スタジオに戻るとまずスタジオ用のテープにダビングし、ダビングしたテープで作業してリリースした。オリジナルはどこかに仕舞ってしまった。そのことが数年前に明らかになり、捜索の結果オリジナルのテープが発見され、そこから新たにマスタリングされたものがリリースされた。今回聴いたのはこちらの方である。やむをえない事情とはいえ、本来考えられないことをヴァン・ゲルダーはやっていたわけだ。こういう話を聞くと、ジャズの展開はやはり相当な圧力で加速されていたのだとあらためて思う。
最大の聞き物はやはり最後のロリンズとコールマンの「対決」で、コールマンの演奏にロリンズのスイッチが入り、後半吹きまくるところ。これには終わった時、心の底から拍手が自然に湧いてきた。この音源はストリーミングには無いようで、CDが欲しくなった。
ソニー・ロリンズは昔の人というイメージで、聴く気になれなかったのだが、《サキコロ》からして実にモダン、粋な今の音楽であると教えられた。村井さん、まことにありがとうござしました。(ゆ)

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