チック・コリアと言えば《リターン・トゥ・フォーエヴァー》というのが世間の相場であろうか。今回も後半のオープナーとしてタイトル・トラックがかかる。「チックのカモメ」と当時は呼ばれたそうな。しかしジャケットに写っているのはカモメではなくカツオドリだそうだ。で音楽はといえば、ジャケットから連想されるようなひたすら爽やかというわけでもない。フローラ・プリムの声に端的に表れる不気味さが全体にある。あたしなどから見ると立派なジャズに聞こえる。これが大ベストセラーになったのはめでたいことではあるが、不思議でもある。爽やかな印象を与えるジャケットの貢献であろうか。1972年というのはあたしにとっては凄い年、たいへんな収穫が相次いで、時代を画した年であるのだが、ジャズでもこういう実りがあって時代を画したのは,これもひとつのシンクロニシティだろう。

 それにしてもこれが ECM から出たというのも深い意味がありそうだ。例えば当時他のレーベルから出る可能性はあったのだろうか。ECM だから出た、出せたのではないか。とシロウトには思えてしまう。当時の ECM はまだマイナー・レーベルだったはず。あらためてみると、この日かかったもののほとんどは ECM である。ECM なくんばチックも、そしてキースも無かったのではないか。

 冒頭に村井さんはチックの出自をイタリアの父とスペインの母と紹介した。レッキとした白人である。白人のやるジャズと言えばウェストコーストのクールジャズという回路がそれまでの本朝のリスナーの間になかったか。と、あたしなどは疑ってしまう。ECM には黒人もいるが、圧倒的に白人やその流れだ。かつての黒白二分法で言えば ECM は白人のジャズを押出した。

 チックを初めてまとめて聴いてみてまず感じるのは明るさ、次に軽み、そして爽やかさである。この日の目玉はナベサダ、チック、ヴィトウス、ディジョネットというメンツでなぜかフリー・ジャズをやっているトラック。1970年の《ラウンド・トリップ》というアルバム。村井さんも言うように明るいフリーである。たいていのフリーのように眉間に皺を寄せて,あるいは目をまん丸にヒン剥いて、とにかくひっちゃきになってやってはいない。四人とも軽々と、制約のない、決まり事のないことを喜び、愉しんで、嬉々として夢中で遊んでいる。フリーは本来こういうもんだよと言っている。


【中古】 ラウンド・トリップ/渡辺貞夫
【中古】 ラウンド・トリップ/渡辺貞夫

 ここでのヴィトウスが凄い。ずっとアルコで、ひどく高い音域で弾きつづける。初めはサックスの他に管がもう一人いるのかと思った。ミュートしたトランペットに似た音だったが、そんなはずはないとよくよく耳をこらすと、これがベースだと途中からわかってたまげた。

 その前のこの日のオープナーはチックの最初のトリオで、ここでもヴィトウスが聞きもの。おそろしく粘り気のあるベースを弾く。ドラムスはロイ・ヘインズで、これも凄かった。このトリオは1980年代に再編して、後半でそこからかかったライヴ音源もヴィトウスが突出していた。

 そうなのだ、あたしにはチック・コリアのピアノがどうも捉えどころが無いように聞こえる。巧いのはわかるし、爽やかで明るい音、演奏も嫌いでは決して無いけれども、これがチック・コリアというつかみが聞こえない。どの録音も、むしろ共演者の方に耳が引っぱられる。唯一、ああいいピアノだなあと感じたのはラストの、チックが生涯最後に人前で演奏したソロの録音だった。

 あたしが単にチックを聴きこんでいないだけならばいいのだが。もっとも音楽全体はどれも美味しい。つまりチックのピアノがいいというよりも、トリオなり、カルテットなり、あるいはデュエットなりの演奏はどれも気持ちがいい。その核になっているのはやはりピアノであり、チック・コリアという存在ではある。そこを出発点としてこの人を聴いてみようという気にはなる。

 それにしてもヴィトウスである。ウェザー・リポートしか知らなかったけれど、ちゃんと聴いてみよう。

 今回はほとんどがアナログ盤での再生で、ラスト2曲のみ CD だった。《トリロジー3》から CD になって音ががらりと変わったのも面白かった。ピアノの高域の響きが透きとおった。見通しもよくなる。アナログの音も別に何の不満もなかったのが、メディアの違いか、録音の違いかわからないけれどもびっくり。

 次回はチャーリー・パーカーとそのチルドレン。うーん、村井さん、巧いなあ。キース、ロリンズ、チックと来て次は誰かな、ギターかなと思っていたらパーカーである。この辺のセンスがあたしなんかとは全然違う。売れる本を書ける人なのだ。(ゆ)