クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

カテゴリ: イベント

 石川真奈美+shezoo のデュオ・ユニット、みみたぼのライヴ。今回は北沢直子氏のフルートがゲストで、非常に面白くみる。

 北沢氏は shezoo さんの〈マタイ受難曲〉で初めてその演奏に接し、以後〈マタイ〉と〈ヨハネ受難曲〉のライヴで何度か見聞している。そういう時はアンサンブルの一部だし、とりわけ際立つわけではない。今回はソロも披露して、全体像とまではいかないが、これまでわからなかった面もみえたのは収獲。

 もともとはブラジル方面で活動されていて、この日もブラジルの曲が出る。shezoo さんとの絡みでライヴを見た赤木りえさんもラテン方面がベースだった。

 フルートはアイルランド、スコットランド、ブルターニュでも定番楽器だが、味わいはだいぶ違う。ジャズでもよく使われて、応用範囲の広い楽器だ。各々のジャンルに特有のスタイルがあるわけだ。ウインド楽器の類は人類にとって最も古い楽器のひとつであるわけで、使われ方が広いのもその反映だろう。

 赤木氏との比較でいえば、北沢氏のスタイルはより内向的集中的で、即興もたとえていえばドルフィー志向に聞える。

 北沢氏が加わったせいもあるのだろう、この日は選曲がいつもと違って面白い。ブラジルの〈貧しき人々〉や〈良い風〉をやったり、トリニテの〈ララバイ〉をやったり、陽水が出てきた時にはびっくりした。しかし、これが良い。ラスト前で、フルート中心のインプロから入ってひどくゆっくりしたテンポ、フリーリズムで石川さんがおそろしく丁寧に一語ずつ明瞭に発音する。陽水はあまり好みではないが、これはいい。こうしてうたわれると、〈傘がない〉もいい曲だ。

 石川さんが絶好調で〈ララバイ〉に続いて、〈マタイ〉から、いつもは石川さんの担当ではない〈アウスリーベ〉をやったのはハイライト。うーん、こうして聴かされると、担当を入れ替えた〈マタイ〉も聴きたくなる。

 〈ララバイ〉にも歌詞があったのだった。〈Moons〉に詞があるとわかった時、トリニテのインスト曲にはどれも歌詞があると shezoo さんは言っていたが、こうして実際にうたわれると、曲の様相ががらりと変わる。他の曲も聴きたい。〈ララバイ〉で石川さんは歌う順番を間違えたそうだが、そんなことはわからなかった。

 〈貧しき人々〉は三人三様のインプロを展開するが、石川さんのスキャットがベスト。ラストの〈終りは始まり〉も名演。

 北沢氏はバス・フルートも持ってきている。先日の〈ヨハネ〉でも使っていた。管がくるりと百八十度曲って吹きこみ口と指の距離はそう変わらないが、下にさがる形。この音がよく膨らむ。低音のよく膨らむのは快感だ。北沢氏が普通のフルートでここぞというところに入れてくるビブラートも快感。とりわけ前半ラスト、立原道造の詞に shezoo さんが曲をつけた〈薄明〉でのビブラートにぞくぞくする。

 こうしてみるとフルートはかなり自由が利く。表現の幅が広い。サックスのようにお山の大将にならない。ヴァイオリンの響きは比べると鋭どすぎると感じることがある。このままみみたぼに北沢氏が加わってもいいんじゃないかとも思える。

 それにしてもやはりうたである。人間の声が好きだ。shezoo さんには悪いが、石川さんの調子がよいときのみみたぼは面白い。(ゆ)

みみたぼ
 石川真奈美: vocal
 shezoo: piano

北沢直子: fulte, bass-flute

 金曜日の午後、書庫兼仕事部屋で本を縛りなおしていた時だ。

 本棚に入らない本は紐で縛る。以前は段ボール箱に入れていたが、どこに何が入っているのかわからなくなるので、縛ることにした。古本屋がやっている方法である。縛った時にある程度テーマや作家でまとめるようにしているのだが、急いでいたり、うっかりしていたりで、あちこちの束に束としては半端な本が1、2冊とか入っている。それを取り出して縛りなおす作業を時々やる。こうして何がどこにあるか、できるかぎりわかりやすいようにする。当面必要な本を取り出すこともある。

 今回は作業対象の束が結構あって、作業空間、つまり空いている床が狭く、立ったまま前屈みになって縛る作業をしていた。この「立ったまま」がよくなかった。2本ほど縛って、収納場所に移した、その2本目を下ろそうとしたら腰が痛い。ひどく痛い。疲れたのかと椅子に座ってみた。座ると痛みはやわらぐ。が、立とうとすると痛くて立てない。前屈みになれない。なろうとするとずきんとくる。何かにつかまって、あるいは支えに手をついてようやく立てる。歩くのもそろそろだ。足が前に出ない。

 あれ、こりゃあ、ぎっくり腰というやつではなかろうか。と気づいた時はすでに遅いわけである。

 とりあえず、ベッドに寝てみた。寝ながら iPhone で検索をする、というのは今の時代の常道であろう。すると、ぎっくり腰というのは即効の治療法などはなく、自然治癒を待つほかない、とある。確かにかみさんが昔ぎっくり腰であまりに痛がるので救急車で病院に担ぎこんだ時も、痛み止めを注射されただけだった。さらに、寝たりしているよりも、普通の生活、動作をしている方が速く治る、とも書いてある。そういう結果が複数あるそうだ。

 そこでこうしちゃいられない、と起きあがって、とにかくできるかぎり普通の生活をしようとしてみる。しかし、トイレに座るのさえ、やっとのことだ。幸い、トイレにはこういうこともあろうかと考えたわけではないが、なにせ高齢者が住むのだからと、リフォームの時にがっちりした手摺りをつけてある。トイレット・ペーパー・ケースの上の台も、体重を支えられるように作ってある。それで、何とか用を足す。

 椅子に座っていると、立つのが辛くなる。えいやっと体をまっすぐにしてそろそろと足を出す。しばらく家の中を歩きまわると、楽になってくる。

 前屈みになれないので、顔を洗えない。あたしの顔は油顔、真冬でも夜にはぬらぬらぎとぎとになるので、顔を洗えないのは結構辛い。うーむ、これも避難所生活のリハーサルととらえるか。しかし、いま大地震など来られた日にはたまらんぞ。

 こういう状態で外出など考えられない。週末の予定は、「いーぐる」での佐藤英輔さんの著書発刊記念イベントも、横浜・山手ゲーテ館での木村、須貝、中村トリオのライヴも吹飛んだ。来週1週間でどこまで恢復するか。

 要するに年をとったということだ。来年は古希だ。インターバル速歩のおかげで体調そのものは維持しているが、ふだん使わない筋肉は着実に衰えている。それをあらためて思い知らされた。(ゆ)

 真黒毛ぼっくすはバンマスの大槻ヒロノリが病気療養中で欠席。対バンが決まった時には元気だったが、その後入院し、外泊許可が降りなかった。バンドの存在はこの日まで知らなかったが、1985年からやっている。検索してみると外泊許可が降りないのも無理はない。アルコール漬けといい、歌う様子といい、作る曲といい、まるでシェイン・マゴーワンではないか。年はあたしとあまり変わらないだろう。ということはシェインともそれほど離れていないはずだ。

 このバンマスの不在は他のメンバーにとっては気の毒だが、かなり踏んばって、それなりに聴かせる。大槻の穴は埋めようがないにしても、全員が歌い、コーラスを張るのは妙に感動させられる。大槻の帰還への祈りもこめられていそうだ。

 出色は〈夏のロビンソン〉。東直子の歌集『青卵』から選んだ歌に大槻が曲をつけたもの。歌の一つずつをメンバー全員がもち回りで歌う。こうなると歌の上手い下手は関係なくなる。ここにはいない大槻の霊、死んでいるわけではないが、その生霊が各々に憑いているようでもある。歌そのものの面白さも聴きものだ。とりわけラスト全員でくり返す「夏のロビンソン」の歌は、俵万智に始まる現代短歌の一つの到達点にあたしには聞える。

 穴埋めの一環としてあがた森魚がゲストで参加したのは、あたしにはもうけもの。この人のライヴに接することができて嬉しい。大槻はあがたがアイドルで、ソングライターのロールモデルであったらしい。過去に共演もしている由。曲名アナウンス無しで、前口上で始め、え、ひょっとしてと思っていると〈大道芸人〉のイントロ、フェアポート・コンヴェンションの〈Walk a while〉のあれがいきなり始まった時にはのけぞった。まさかこれを生で聴けるとは。

 あたしはあがたの良いリスナーではない。《乙女の儚夢》と《噫無情》しか聴いていない。それで持っていたイメージとは実物は百八十度違って、大いにはじけるタイプのミュージシャンなのだった。次の〈赤色エレジー〉も祝祭になる。大槻の替わりに、あがたがこのバンドをバックバンドにしてもいいんじゃないかとさえ思う。

 アンコールでも松浦湊がイントロとコーラスを担当して〈最后のダンスステップ〉を大はしゃぎでやる。オリジナルのイントロは緑魔子だが、松浦も負けてはいない。「お酒は少ししか飲めませんが」のところで客席爆笑。

 ナスポンズは皮が何枚も剥けていた。狂気が影をひそめ、というより音楽に練りこまれて、音楽の質が格段に上がっている。アレンジの妙、アンサンブルの呼吸、メンバー同士の間合いが熟して、完全に一個の有機体のレベル。松浦もリード・シンガーとしてすっかり溶けこんでいる。アルバム制作はこのままライヴを録ってしまえばいいではないかと反射的に思ってもみたが、むしろこれは出発点で、このバンドの本当の凄みが出てくるのは、これからだと思いなおす。

 いきなり〈サバの味噌煮〉で始め、〈アフター・ワッショイ〉で締める。2曲目でギターとキーボードの掛合いが白熱する。その次〈星めぐり〉からブルーズ・ナンバーをはさんで、レンコンの歌までのひと続きがハイライト。レンコンでは上原が「先生」となってすばらしい演技を披露する。松浦のあえぎ声との差し手引き手がぴったり。ことこのバンドで出るかぎり、「ユカリ」の替わりに「センセー」が愛称になる勢いだ。ステージ上のメンバー全員にビールが配られた後の〈お買物〉がまたすばらしい。やはり名曲だ。

 アンコールはまずあがたが真黒毛ぼっくすのメンバーをひき連れてギターをかき鳴らし、歌いながら客席を回る。ステージに戻り両バンド入りみだれて〈ラヂヲ焼き〉〈最后のダンスステップ〉とやり、最後は松浦が真黒毛のレパートリィ(曲名を忘れた)を歌って幕。ナズポンズのライヴは毎回違い、何が起きるかわからないところがいい。あがた森魚と松浦湊もいい組合せだ。文中敬称略。(ゆ)

ザ・ナスポンズ
松浦湊: vocal, guitar
小湊みつる: keyboards, vocal
上原 “ユカリ” 裕: drums, vocal
新井健太: bass, vocal
春日 “ハチ” 博文: guitar, vocal

真黒毛ぼっくす
田中マチ: drums, vocal
宮坂洋生: double bass, vocal
橋本史生: guitar, vocal
田村カズ: trumpet, vocal
川松桐子: trombone, vocal
大槻さとみ: accordion, vocal
宮田真由美: keyboards, vocal

あがた森魚: vocal, guitar

 9月8日の続き。

 予定通り午後2時半に開場する。客席は6割ぐらいの入りだろうか。このコンサートだけにやって来る人も多い。聴きおわってみると、これのためだけにここまでやってくる価値は十分にあった。これだけレベルの高いミュージシャンばかりが一堂に会することは東京でもまず滅多に無い。

 コンサートはまず斎藤さんが挨拶し、メンバーを一人ずつ呼んで紹介する。内野、高橋、青木、hatao、木村、須貝各氏の順。並びは左から内野、青木、木村、須貝、hatao、高橋。

 まず2曲全員でやる。音の厚みが違う。PAの音も違う。バランスがぴったりで、どの楽器の音も明瞭だ。楽器によってデフォルトの音量は違うから、アコースティックな楽器のアンサンブルの場合、これはなかなか大変なことだ。すべての楽器が各々に明瞭に聞えることはセッションには無い、コンサートならではの愉しみだ。ここではパイプのドローンが音域の底になる。

 3番目から各メンバーの組合せになる。トップ・バッターは hatao さん。〈ストー・モ・クリー〉。「わが魂の宝」という意味のタイトルのスロー・エア。ビブラートだけで5種類使いわけたそうで、フルートにできることはおよそ全部ぶちこむ勢いだ。穴から指を徐々に離すようにして、音階を連続して変化させることもする。朝、これをしきりに練習していた。超高難度のテクニックだろう。しかもそれは演奏の本質的な一部なのだ。単にできるからやってみましたというのではない。テクニックのためのテクニックではなく、一個の芸術表現のために必要なものとしてテクニックを使う。実際この〈ストー・モ・クリー〉の演奏は絶品だった。この日4回聴いた中で、この本番がベストだったのは当然というべきか。次の録音に入れてくれることを期待する。

 次は hatao、須貝、高橋のトリオ。ダブル・フルートは珍しい。フルックとごく初期のルナサぐらいか。高橋さんはリピート毎にギターのビートを変える。

 続いては高橋さんが残って、青木さんが加わる。が、二人一緒にはやらないのも面白い。まずは高橋さんがギターで〈Carolan's farewell to music〉。これがまた絶品。昨夜、焚き火のそばでやっていたのよりもずっといい。カロランが臨終の床で書いたとされる曲だが、あんまり哀しくなく、さらりとやるのがいい。ピックは使わず、親指だけ。青木さんもソロで〈Farewell to Connaght〉というリールで受ける。"Farewell" をタイトルにいただく曲を並べたわけだ。この演奏も実に気持ちいい。いつまでも聴いていたい。

 3番目、木村さんのアコーディオンで寺町さんがハード・シューズ・ダンスを披露する。シャン・ノースと呼ばれるソロ・ダンシング。『リバーダンス』のような派手さとは対極の渋い踊りで独得の味がある。ダンサーの即興がキモであるところも『リバーダンス』とは対照的だ。伴奏がアコーディオンのみというのもさわやか。

 次はパイプとフィドルの組合せ。昨夜のセッションでは一緒にやっているが、それとはまた違う。リール3曲のセット。会って3日目だが、息はぴったり。このお二人、佇まいが似ている。これまた終ってくれるな。

 一方の木村・須貝組は2019年からというからデュオを組んで5年目。たがいに勝手知ったる仲でジグを3曲。ますます練れてきた。リハーサルの時にも感じたのだが、須貝さん、また上達していないか。あのレベルで上達というのも適切でないとすれば、演奏の、音楽の質が上がっている。ということはこのデュオの音楽もまた良くなっている。

 木村さんが残り、青木、hatao 両氏が加わってスリップ・ジグ。スリップ・ジグとホップ・ジグの違いは何でしょうと木村さんが hatao さんに訊く。一拍を三つに割るのがジグで、そのまま一拍を三拍子にするとスリップ・ジグ、三つに割った真ん中の音を抜き、これを三拍子にするとホップ・ジグ。と言うことだが、いかにも明解なようで、うーん、ようわからん。演奏する人にはわかるのだろうか。演奏を聴く分には違いがわからなくとも愉しめる。セットの2曲目、フィドルでジャーンと倍音が入るのが快感。

 次はホップ・ジグで内野、木村、須貝のトリオ。確かにこちらの方が音数が少ない。セットの2曲目は内野さんのパイプの先生の曲で、赤ちゃんに離乳食を食べさせる時にヒントを得た由。

 ここでずっと出番の無かった高橋さんが、自分も演奏したくなったらしく、時間的な余裕もあるということで、予定に無かったソロを披露する。〈Easter snow〉というスロー・エア。いやもうすばらしい。高橋さんはアイリッシュ以外の音楽、ブルーズやハワイアンも演っているせいか、表現の抽斗が豊富だ。この辺は hatao さんとも共通する。

 次が今回の目玉。〈The ace and duece of piping〉という有名なパイプ・チューンがある。ダンスにも同じタイトルのものがあり、寺町さんはこのダンスをパイプが入った伴奏で踊るのが夢だったそうで、今回これを実現できた。ダンスの振付は講師として海外から来たダンサーによるもの。

 hatao さんがイタリアかフランスあたり(どこのかは訊くのを忘れた)の口で空気を吹きこむ式の小型のバグパイプを持ち、ドローンを出す。その上に曲をくり返すたびに楽器が一つずつ加わってゆく。フィドル、アコーディオン、フルート、パイプ、そして hatao さんのパイプまでそろったところで寺町さんがダンスで入る。曲もいいし、聴き応え、見応え十分。文句なくこの日のハイライト。

 こういう盛り上がりの後を受けるのは難しいが、内野さんがこの清里の雰囲気にぴったりの曲と思うと、ハーパーのマイケル・ルーニィの曲を高橋さんと演ったのは良かった。曲はタイトルが出てこないが、ルーニィの作品の中でも最も有名なもの。そこから須貝さんが入ってバーンダンス、さらにパイプがソロで一周してから全員が加わってのユニゾン。

 ラストはチーフテンズのひそみにならい、〈Drowsie Maggie〉をくり返しながら、各自のソロをはさむ。順番は席順でまずパイプがリール。前にも書いたが、これだけ質の高いパイプを存分に浴びられたのは今回最大の収獲。

 青木さんのフィドルに出会えたのも大きい。リールからつないだポルカの倍音にノックアウトされる。

 あたしにとって今回木村さんが一番割をくった恰好になってしまった。メンバーの中でライヴを見ている回数は断トツで多いのだが、それが裏目に出た形だ。普段聴けない人たちに耳が行ってしまった。むろん木村さんのせいではない。ライヴにはこういうこともある。

 須貝さんのリールには高橋さんがガマンできなくなったという風情で伴奏をつける。

 hatao さんはホィッスルでリール。極限まで装飾音をぶち込む。お茶目でユーモラスなところもあり、見て聴いて実に愉しい。

 次の高橋さんがすばらしい。ギターの単音弾きでリールをかます。アーティ・マッグリンかディック・ゴーハンかトニー・マクマナスか。これだけで一枚アルバム作ってくれませんか。

 仕上げに寺町さんが無伴奏ダンス。名手による無伴奏ダンスはやはりカッコいい。

 一度〈Drowsie Maggie〉に戻り、そのまま終るのではなく、もう1曲全員で別のリールをやったのは粋。もう1曲加えるのは直前のリハで須貝さんが提案した。センスがいい。

 アンコールは今日午前中のスロー・セッションでやった曲を全員でやる。客席にいる、午前中の参加者もご一緒にどうぞ、というので、これはすばらしいアイデアだ。去年もスロー・セッションの課題曲がアンコールだったけれど、客席への呼びかけはしなかった。それで思いだしたのが、いつか見たシエナ・ウインド・オーケストラの定期演奏会ライヴ・ビデオ。アンコールに、会場に楽器を持ってきている人はみんなステージにおいでと指揮者の佐渡裕が呼びかけて、全員で〈星条旗よ、永遠なれ〉をやった。これは恒例になっていて、客席には中高生のブラバン部員が大勢楽器を持ってきていたから、ステージ上はたいへんなことになったが、見ているだけでも愉しさが伝わってきた。指揮者まで何人もいるのには笑ったけれど、誰もが照れずに心底愉しそうにやっているのには感動した。北杜も恒例になって、最後は場内大合奏で締めるようになることを祈る。

内野貴文: uillean pipes
青木智哉: fiddle
木村穂波: accordion
須貝知世: flute
hatao: flute, whistle, bag pipes
高橋創: guitar
寺町靖子: step dancing

 かくて今年もしあわせをいっぱいいただいて清里を後にすることができた。鹿との衝突で中央線が止まっているというので一瞬焦ったが、小淵沢に着く頃には運転再開していて、ダイヤもほとんど乱れていなかった。今年は去年ほどくたびれてはいないと感じながら、特急の席に座ったのだが、やはり眠ってしまい、気がつくともうすぐ八王子だった。

 スタッフ、ミュージシャン、それに参加された皆様に篤く御礼申しあげる。(ゆ)


追伸
 SNS は苦手なので、旧ついったーでも投稿だけで適切な反応ができず、申し訳ない。乞御容赦。

 内野さん、『アイリッシュ・ソウルを求めて』はぼくらにとってもまことに大きな事件でした。あれをやったおかげでアイリッシュ・ミュージックの展望が開けました。全部わかったわけではむろんありませんが、根幹の部分は把握できたことと、どれくらいの広がりと深度があるのか、想像する手がかりを得られたことです。

 Oguchi さん、こちらこそ、ありがとうございました。モンロー・ブラザーズと New Grass Revival には思い入れがあります。還暦過ぎてグレイトフル・デッドにはまり、ジェリィ・ガルシアつながりで Old & In The Way は聴いています。

 9月8日日曜日。

 昨日より雲は少し多めのようだが、今日も良い天気。さすがに朝は結構冷える。美味しい朝食の後、朝のコーヒーをいただきながらぼんやり庭を眺めていると、正面の露台の上で寺町さんがハードシューズに履きかえ、木村さんの伴奏で踊りだした。これは午後のコンサートで演るもののリハをしていたことが後にわかる。この露台ではその前、お二人が朝食前にヨガをしていた。後で聞いたら、木村さんはインストラクターの資格をお持ちの由。寺町さんも体が柔かい。ダンサーは体が柔かくなるのか。

 ダンスとアコーディオンのリハが終る頃、昨夜のセッションでいい演奏をしていたバンジョーとコンサティーナのお二人がセッションを始めた。末頼もしい。

 聴きに行こうかとも思ったのだが、すぐ脇のテーブルで hatao さんがフルートを吹く準備体操を始めたので思いとどまる。体操をすませると楽器をとりあげて、まず一通り音を出す。やがて吹きだしたのはスロー・エア、なのだが、どうしても尺八の、それも古典本曲に聞える。音の運び、間合い、アクセントの付け方、およそアイリッシュに聞えない。吹きおわって、
 「今日はこれをやろうと思うんです」
と言うので、思わず
 「本曲?」
と訊いてしまった。笑って
 「ストーモクリーですよ」
 言われてみれば、ああ、そうだ、ちがいない。
 「もう少し表現を磨こう」
とつぶやいてもう一度演るとまるで違う曲に聞える。森の音楽堂でのリハと本番も含め、この曲をこの日4回聴いたのだが、全部違った。

 そこで食堂がスロー・セッション用に模様替えする。こちらは木村さんと一緒に高橋さんの車で午後のコンサート会場、森の音楽堂に移動する。今日はプロによる本格的な動画収録があり、それに伴って音響と照明もプロが入る。そのスタッフの方たちが準備に余念がない。そこにいてもやることもなく、邪魔になるだけのようなので、高橋さんの発案で清泉寮にソフトクリームを食べにゆく。

 高橋さんは子どもの頃、中学くらいまで、毎年家族旅行で清里に来ていたそうな。だからどこに何があるかは詳しい。木村さんも同様の体験がある由。

 毎年同じところに行くというのも面白かっただろうと思われる。あたしの小学校時代はもっと昔だが、夏の家族旅行は毎年違うところに行った。たぶん父親の性格ではないかと思う。というのも新しもの好きで、前とは違うことをしたがる性格はあたしも受けついでいるからだ。もっともどこへ行ったかはあまり覚えていない。箱根の宮ノ下温泉郷、伊豆の石廊崎、裏磐梯の記憶があるくらいだ。その頃は車を持っている家はまだ珍しく、ウチも車は無かったから、移動はもっぱら電車とバスだった。

 とまれ、別にやって来た青木さんも加わり、総勢4人、高橋さんの車で清泉寮のファームショップへ行き、ソフトクリームを食べる。こういうところのソフトクリームはたいてい旨い。周りの環境も相俟って、気分は完全に観光客。周囲にいるのは小さい子どもを連れた家族連れ、老人夫婦など、観光客ばかり。ここにも燕が群れをなして飛んでいる。

 ここでようやく青木さんとゆっくり話すことができた。あたしは今回初対面である。そのフィドルも初めて聴く。昨日から見て聴いていて、一体どんな人なのかと興味津々だったのだ。

 ヴァイオリンは小学生の時にやっていたが、上手くならなくてやめてしまった。わが国のアイリッシュ・フィドラーでクラシックを経由していない人にはまだ会ったことがない。あたしの知る限り、日本人では松井ゆみ子さんが唯一の例外だが、彼女はアイルランドに住んで、そこで始めているので、勘定に入らない。ずっとクラシックも続けてますという人も知らない。そういう人はアイリッシュをやってみようとは思わないのか。アイルランドでも大陸でも、クラシックと伝統音楽の両方の達人という人は少なくない。ナリグ・ケイシーや、デンマークのハラール・ハウゴーがいい例だ。

 青木さんがアイリッシュ・ミュージックに出会うのは、大学に入ってアイリッシュ/ケルト音楽のサークルでだ。そしてボシィ・バンドを聴く。これをカッコいいと思ったという。それまで特に熱心に音楽を聴いていたわけでもないそうだが、いきなり聴いたボシィ、とりわけケヴィン・バークのフィドルがカッコよかったという。

 アイリッシュの面白さ、同じ曲が演奏者によってまるで違ったり、ビートや装飾音が変わったりする面白さに気がつかないのはもったいない、と青木さんは言うのだが、アイリッシュは万人のための音楽ではないとあたしは思うと申しあげた。そういう違いに気がつき、楽しむにはそれなりの素質、いきなり聴いたボシィ・バンドをカッコいいと感じるセンスが必要なのだ。そこには先天的なものだけでなく、後天的な要素もある。音楽だけの話でもなく、何を美しいと感じるか、何を旨いと思うかといった全人格的な話でもある。

 ただアイリッシュ・ミュージックは入口の敷居が低い、親しみやすい。また、今は様々な形で使われてもいる。ゲーム音楽は大きいが、商店街の BGM に明らかにアイリッシュ・ハープの曲が流れていたこともあるし、映画やテレビ番組の劇伴にも少なくないらしい。初めて聴くのに昔どこかで聴いたことがあるように聞えるからだろうか。だからアイリッシュ・ミュージックに感応する人はかつてよりも増えているだろう。したがってアイリッシュ向きの素質を持つ人も増えているだろうう。

 もっともアイリッシュ・ミュージックは奥が深い。演るにしても聴くにしても、こちらのレベルが上がると奥が見えてくる、奥の広がりが感得できる。そしてまた誘われる。

 青木さんのフィドルはすでに相当深いところまで行っている。この若さであそこまで行くのは、それも伝統の淵源から遙か遠い処で行っているのには舌を巻くしかない。あそこまで行くとまた奥が見えているだろう。いったいどこまで行くのか、生きている限りは追いかけたい。

 森の音楽堂に戻ると準備もほぼできていて、木村・須貝のペアがサウンドチェックをしていた。それから各自サウンドチェックをし、昼食をはさんで午後1時前から全員で通しのリハーサルが始まる。ミュージシャンの席はステージの前のフロアに置かれ、客席は昨年と同じく階段状になっている。PAのスピーカーは背を高くしてあり、階段の三、四段あたりに位置する。

 このコンサートは今回の講師全員揃ってのもので、フェスティバルのトリだ。昨年トリの tricolor のコンサートとは一転して、即席メンバーでのライヴだ。昨年も来た者としてはこういう変化は嬉しい。どういう組合せでやるかが決まったのは前の晩である。夕食の後で hatao さんが中心になり、ミュージシャンたちが相談して組合せ、順番を決めていた。たまたま集まったメンバーであることを活かして、様々な組合せで演奏する。アイリッシュ・ミュージックは楽器の組合せに制限が無い。デュオ、トリオ、カルテット、どんな組合せもできる。しかもアイリッシュで使われる楽器はハープとバゥロンを除いてひと通り揃っている。加えてメンバーの技量は全員がトップ・レベルだ。何でもできる。

 リハーサルは順番、MC の担当と入れ方、全員でやる時の曲、そしてラストのソロの回しの順番と入り方を確認してゆく。高橋さんがステージ・マネージャーの役を担う。特に大きな混乱もトラブルもなく進む。カメラ、音響の最終チェックもされていた。寺町さんのダンスのみステージの上でやる。これを見て音響の方はステージの端に集音用の小さなマイクを付けた。以下続く。(ゆ)

 9月7日の続き。

 パイプの講座がすんで、高橋創さんの車に乗せてもらって竹早山荘に移動する。高橋さんとも久しぶり。パンデミックのかなり前だから、6、7年ぶりだろうか。

 清里は面白いことに蝉があまり聞えない。秋の虫たちも鳴かない。高度が高すぎるのか。一方で燕は多い。今年、わが家の周辺では燕が少ない。帰ってきたのも少なかったし、あまり増えているようにも見えない。例年8月の末になると群れをなして飛びまわり、渡りの準備をしているように見えるが、今年は9月になっても、2羽3羽で飛んでいるものしか見えない。大丈夫か。

 例によって美味しい食事をごちそうさまでした。美味しくてヘルシーなようでもあって、これもしあわせ。

 8時過ぎくらいから食堂でセッションが始まる。30人ぐらいだろうか。今年は去年よりも笛が少ない。蛇腹、フィドルが増え、バンジョーもいる。

 今年は参加者の居住地域が広がったそうだ。地元山梨、東京、秋田、群馬、三重(桑名)、静岡(浜松)、名古屋、大阪、岩手、仙台。あたし以外に神奈川から来た人がいたかどうかは知らない。こうした各地にアイリッシュのグループやサークルがあり、セッションや練習会やの活動をしているという。後で聞いたところでは東京・町田でも練習会があるそうな。地道にじわじわと広がっているように感じるのはあたしの希望的観測であろうか。

 セッションに来ていたあたしと同世代の男性は、かつてブルーグラスをやってらした。我々が学生の頃、ブルーグラスはブームで、各大学にブルーグラスのサークルができ、関東の大学のサークルが集まって大きなフェスティバルをしたこともあった由。あたしは横目で見ていただけだが、どこの大学にもブルーグラスのサークルがあったことは知っている。それがいつの間にか、下火になり、今では少数のコアなファンが続けているが、年齢層は上がって、若い人たちが入っていかない。一時は第一世代の子どもたちによるバンドなどもできたそうだが、続かなかったらしい。

 ブルーグラスが続かなかった理由は今すぐはわからないが、アイリッシュはどうだろうか。今の状況、すなわち演奏者がどっと出現して、その輪と層がどんどん広がり、厚くなる状況が始まってまだ15年ほどで、子どもたちが始めるまでにはなっていない。フェスティバルのオーガナイザー斎藤さんの息子さんあたりがその先頭に立っていると見えるが、かれは小学校高学年。一線に立つにはまだあと5、6年はかかるだろう。一方で、先日ハープのスロー・エアのジュニア部門で全アイルランド・チャンピオンになった娘さんも大分の小学生と聞く。この先どうなるか、見届けたいが、それまで健康を維持して生きていられるか。

 セッションはまず青木さんのフィドルから始まった。続く曲出しは木村さん、ホィッスルの方と続き、斎藤さんのご子息さっとん君が出した曲に合わせたのは hatao さんだけというのも珍しい。内野さんが誘われて出し、その次がバンジョーの女性。この人の選曲はなかなか渋く2曲ソロになり、3曲目で他の人たちが入った。めざせ、日本のアンジェリーナ・カーベリィ。これに刺激されたか、後を hatao さんが受けて何曲も続けるが、ついていくのは木村さん、内野さんくらい。ラストの2曲は皆さん入る。須貝さんと寺町さんがホィッスルでゆったりホーンパイプをやって皆さん入る。2曲目〈Rights of man〉が実にいい感じ。続いては内野、木村、hatao、須貝、高橋というオール・スター・キャスト。hatao さんの出した曲に内野、木村、須貝さんたちとコンサティーナの女性がついてゆく。2曲目の〈The old bush〉は皆さん入るが、3曲目はまた前記の4人にバンジョーがついてゆく。このコンサティーナとバンジョーのお二人、翌日日曜の朝食後にも、山荘庭の露台の上で演っていた。いずれじっくり聴いてみたい。

 十時半頃、斎藤さんに呼ばれて外に設けられていた焚き火のところへ移る。ここには青木さんと高橋さんがいて、ちょうど高橋さんがギター・リサイタルをしていた。ちょっと中近東風のメロディを核に、即興で次々に変奏してゆく。同じ変奏をくり返さない。

 高橋さんと青木さんは翌日午後のコンサートで組むことになったので、何をするかの打合せをまったりとしている。あれこれ曲をやりかけてみる。1曲通してやってみる。青木さんのフィドルがすばらしい。音色がきれいで演奏が安定している。今回初めて聴いたが、時空を超えた、実に伝統的な響きがする。今の人でいえばエイダン・コノリーのめざすところに通じよう。少し古い人では Seamus Creagh を連想する。枯れたと言うには青木さんは若すぎるのだが、そう感じてしまうのは、余分なものが削ぎおとされて、音楽の本質的なところだけが、現れているということではないか。高橋さんがしきりにいいよねいいよねと言うのには心底同意する。こういうフィドルをこの国のネイティヴから聴けようとは思わなんだ。

 その響きにひたっていると斎藤さんが、来年何か話でもしないかと誘いをかけてきた。一人では無理だが、誰かと二人で対談、またはインタヴューを受けるような形なら何とかなるかもしれない。サムもいることだし、かれが担当したギネス本をネタにした話でもしますか。ギネスはパブ・セッションには欠かせないし、ギネス一族の一人ガレク・ブラウンは Claddagh Records を創設して現在のアイリッシュ・ミュージック隆盛に貢献もしている。

 11時半過ぎ、高橋さんと中に戻る。あたしが外にいる間も盛んに続いていたセッションはおちついていて、高橋さんはバンジョーの女性に楽器を借りて弾きだす。これがまた良かった。急がないのんびりとすら言えるテンポで坦々と弾く。いい意味で「枯れて」いる。皆聴きほれていたのが、曲によって合わせたりする。結局そのまま午前零時になり、お開きになった。

 会場をかたづけながら、内野さんが、ここは雰囲気いいですねえ、としみじみ言う。考えてみればこういう形のフェスは国内では他に無いんじゃなかろうか。高島町のアイリッシュ・キャンプはやはりキャンプでフェスとは違う。ICF も立ち移置が異なるし、学生以外は参加しづらい面もある。ただ見物に行くのもためらわれる。ここは楽器ができればそりゃあ楽しいだろうが、あたしのように何もできなくても十分に楽しい。セッションでも楽器を持たずに見ていた方が他にもいたようだ。

 そうそう今回は清里駅前の Maumau Caffee が出店して、セッションの会場で飲物を提供していた。コーヒーは旨いが飲みすぎたらしく、なかなか寝つかれなかった。(ゆ)。

 北杜はやはりしあわせの国であることをもう一度確認させてもらった2日間。イベント自体は金曜夜から始まっていたし、土曜日も朝から様々なプログラムが組まれていたけれども、諸々の事情で土曜午後からの参加。今度は昨年の失敗はくり返さず、ちゃんと乗換えて、予定通りの清里到着。はんださんと木村さんが待っていてくれた。あたしのためだけ、というのでは恐縮だが、コンビニでミュージシャン用のコーヒーを買うという重要なミッションがあったのでほっとする。

 まずは内野貴文さんのイレン・パイプについての講義と hatao さんとのデュエットでの実演。内野さんとは10年ぶりくらいであろうか。もっとかもしれない。記憶力の減退がひどくて、前回がいつ、どこではむろん、どんな演奏だったかも覚えていない。今回一番驚き、また嬉しかったのは内野さんのパイプにたっぷりと浸れたことである。物静かで端正で品格のあるパイプはリアム・オ・フリンを連想させる。生のパイプの音をこれだけ集中して聴けたのは初めての体験。こういう音をこれだけ聴かされれば、この楽器をやってみたいと思うのも無理はないと思われた。

 あたしはイレン・パイプと書く。RTE のアナウンサーが「イリアン・パイプス」と言うのを聞いたこともあるから、こちらが一般的というのは承知しているが、他ならぬリアム・オ・フリンが、これは「イレン・パイプス」と言うのを間近で聞いて以来、それに従っている。uillean の原形 uillinn。アイルランド語で「肘、角」の意味。cathaoir uillean カヒア・イレン で肘掛け椅子、アームチェア。pi/b uillean ピーブ・イレンでイレン・パイプ。

 内野さんのパイプの音は実に気持ちがいい。いつまでも聴いていられる。いくら聴いても飽きない。演奏している姿もいい。背筋が伸びて、顔はまっすぐ前を見て動かない。控え目ながら効果的なレギュレイターの使用と並んで、この姿勢もリアム・オ・フリンに通じる。内野さんによってパイプの音と音楽の魅力を改めて教えられた。

 楽器を今日初めて見るという人が20人ほどの受講者の半分いたので、内野さんはまず客席の中央に出てきて1曲演奏する。それから楽器を分解した図や写真をスライドで映しながら説明する。

 個人的に面白かったのは次の、なぜパイプを演奏するようになったのかという話。初対面の人にはほとんどいつも、どうしてパイプなのかと訊かれるそうだ。その昔、アイリッシュ・ミュージックがまだ無名の頃、好きな音楽を訊かれてアイリッシュ・ミュージックと答えると、なんでそんなものを、と反射的に訊かれるのが常だったから、その感覚はよくわかる。しかし、ある音楽を好きになる、楽器を演奏するようになるのに理由なんか無い。強いて言えば、向こうから呼ばれたのだ。自分で意識して、よしこれこそを自分の楽器とするぞ、と選んだわけではないだろう。

 内野さんが最初に聞いたパイプの演奏はシン・リジーのギタリスト、ゲイリー・ムーアのソロ・アルバムでのパディ・モローニのもので1997年頃。パディ・モローニはチーフテンズのリーダー、プロデューサーのイメージが強いかもしれないが、パイパーとして当代一流の人でもあった。パイプのソロ・アルバムを作らなかったのは本当に惜しい。かれのパイプのソロ演奏は The Drones & Chanters, Vol. 1 で聴ける。

Drones & Chanters: Irish Pipe.
Various Artists
Atlantic
2000-04-25



 次に聴いたアイリッシュ・ミュージックはソーラスで、フルートやホィッスルの音に魅かれた。決定的だったのは1998年に来日したキーラ。そこで初めてパイプの実物の演奏に接する。この時のパイパーはオゥエン・ディロン Eoin Dillon。後に実験的なソロ・アルバムを出す。とはいえ、すぐに飛びついたわけではなく、むしろ自分には到底無理と思った。しかし、どうしても気になる、やってみたいという思いが消えず、やむにやまれず、とうとうアメリカの職人から直接購入した。2006年に註文して、やってきたのが6年後。まったくの独学で始める。

 苦労したのはまずバッグの空気圧を一定にキープすること。常にかなりぱんぱんにする。もう一つがチャンターの穴を抑えるのに、指の先ではなく、第一と第二関節の間の腹を使うこと。この辺りは演奏者ならではだ。

 伝統楽器に歴史は欠かせない。

 バグパイプそのものは古くからある。アイルランドでも口からバッグに息を吹きこむスコットランドのハイランド・パイプと同じパイプが使われていた。今でもノーザン・アイルランドなど少数だが演奏者はいるし、軍楽隊では使われている。

 1740年頃、パストラル・パイプと呼ばれる鞴式のものが現れる。立って演奏している。18世紀後半になって座って演奏するようになる。1820年頃、現在の形になるが、この頃はキーが低く、サイズが大きい。今はフラット・ピッチと呼ばれるタイプだろう。

 なぜ鞴を使うかという話が出なかった。あたしが読んだ説明では、2オクターヴ出すためという。口から息を吹き込むタイプでは1オクターヴが普通だ。イレン・パイプが2オクターヴ出せるのは、チャンターのリードが薄いためで、呼気で一度湿ると後で乾いた時に反ってしまって使えなくなる。そこで鞴によって乾いた空気を送るわけだ。鞴を使うバグパイプにはノーサンブリアン・スモール・パイプやスコットランドのロゥランド・パイプなどもあり、これらは確かに音域が他より広い。イレン・パイプの音域はバグパイプでは最も広い。

 次の改良はアメリカが舞台。アイルランドから移民したテイラー兄弟がD管を開発する。演奏する会場が広くなり、より浸透力のある音が求められたかららしい。フラット・ピッチに対してこちらはコンサート・ピッチと呼ばれる。このD管を駆使して一時代を築いたのがパッツィ・トゥーヒ Patsy Touhey。トリプレットを多用し、音を切るクローズド奏法は「アメリカン・スタイル」と呼ばれることもある。アイルランドでは音をつなげるレガート、オープン奏法が多い。

 余談だがトゥーヒは商才もあり、蝋管録音の通販をやって稼いだそうな。蝋管はコピーできないから、一本ずつ新たに録音した。今はCD復刻され、ストリーミングでも聴ける。ビブラートやシンコペーションの使い方は高度で、今聴いても一級のプレイヤーと内野さんは言う。

 他の楽器と異なり、パイプは音を切ることができる。どう切るかはプレイヤー次第で、個性やセンス、技量を試されるところ。

 演奏のポイントとして、Cナチュラルを出す方法が3つあり、この音の出し方で技量のレベルがわかるそうだ。

 チャンターは太股に置いた革にあてるが、時々離すのはDの音を出す時と音量を大きくする時。

 パイプ演奏のサンプルとして〈The fox chase〉を演る。貴族御抱えのある盲目のパイパーの作とされる。おそらくは雇い主の求めに応じたのだろう。狐狩りの一部始終をパイプで表現するものだが、本来は狩られた狐への挽歌ではないか、とは内野さんの説。なるほど、雇い主の意図はともかく、作った方はそのつもりだったかもしれない。

 もともとの曲の性格からか、内野さんはかなりレギュレイターを使う。右手をチャンターから離し、指の先でキーを押えたりもする。

 レギュレイターは通常チャンターを両手で押えたまま、利き手の掌外側(小指側)でレバーを押えるわけだが、上の方のレバーを押えようとするとチャンターが浮く。あれはチャンターの音と合わせているのだろうか。

 休憩なしで、hatao さんとのデュオのライヴに突入。

 hatao さんはしばらくオリジナルや北欧の音楽などに入れこんでいたが、最近アイリッシュの伝統曲演奏に回帰した由。手始めに内野さんとパイプ・チューン、パイプのための曲として伝えられている曲にパイプとのデュオでチャレンジしていると言う。めざすのはデュオでユニゾンを完璧に揃えること。そうすることで彼我の境界が消える境地。そこで難問はフルートには息継ぎがあること。いつもと同じ息継ぎをすると、音が揃わず、ぶち壊しになることもありえる。そこでパイプがスタッカートしそうなところに合わせて息継ぎをするそうだ。

 一方でパイプは音量が変わらない。変えられない。フルートは吹きこむ息の量とスピードで音量を変えられ、それによってアクセントも自由にできる。そこで適切にアクセントを入れることでパイプを補完することが可能になる。アクセントを入れるにはレの音が特に入れやすい由。

 こうして始まったパイプとフルートの演奏は凄かった。これだけで今回来た甲斐があった。リール、ジグと来て次のホーンパイプ。1曲目のBパートでぐっと低くなるところが、くー、たまらん。2曲目では内野さんがあえてドローンを消す。チャンターとフルートの音だけの爽快なこと。次のスリップ・ジグではレギュレイターでスタッカートする。さらに次のジグでもメロディが低い音域へ沈んでいくのが快感なのは、アイルランド人も同じなのだろうか。かれらはむしろ高音が好みのはずなのだが。

 スロー・エア、ホップ・ジグ、ジグときて、ラストが最大のハイライト。〈Rakish Paddy〉のウィリー・クランシィ版と〈Jenny welcome Charlie〉のシェイマス・エニス&ロビー・ハノン版。こりゃあ、ぜひCDを作ってください。

 書いてみたらかなり分量が多いので、分割してアップロードする。4回の予定。(ゆ)

 shezoo さんの〈ヨハネ受難曲〉を見るのは2回目。前回は第一部のみで、さらに〈マタイ〉からの曲も交えていた。今回は全曲。編成はミニマムで、これ以上削れないギリギリと思われる。ピアノ、ヴァイオリン、フルート(含むバス・フルート)、チューバ。それにシンガー4人。一部の曲ではピアノ、チューバにヴァオリンまたはフルートのトリオもある。

 〈マタイ〉と同じく、このミニマムの形で見て、聴いてしまうと、通常の形式、オケや合唱団による演奏が聞けない。余計なものがくっついて、水膨れしたように聞えてしまう。極小編成の方が楽曲の本質が顕わになり、直接響いてくる。バッハが聴かせたかったのはまさにこういう音楽だったのだと思えてしまう。

 shezoo さんによれば、原曲にはない音やフレーズを加えてもいるそうだが、この編成でやるためにはむしろ必要な措置だろう。全体として聞えてくるのはまぎれもないバッハの〈ヨハネ〉、それも今ここのために今ここで演奏されている音楽だ。

 4人の器楽奏者は当然各々不可欠の存在だが、あたしとして一番面白いのがチューバの働きだ。基本的にはビートのキープが主な担当だが、メインのメロディを奏でることも少なくない。低音楽器がメロディを奏でるとメロディの性格、美しさが剥出しになるのは、チューバとバス・クラリネットのデュオ Music for Isolation でも経験している。ここではピアノやヴァオリンのサポートでチューバが舞いあがるのが愉しい。これが可能なのもこの編成ならではだろう。ピアノが支えてチューバがメロディを吹く二重奏もすばらしい。チューバの演奏はさぞかしたいへんだろうとは思われたが。

 〈ヨハネ〉ではコーラスがより重要だそうで、四声のハーモニーが詞無しでうたわれる。〈マタイ〉ではコーラスをボーカロイドが担当することで時間短縮するとともに面白い効果を出していた。今回はすべて肉声。全体はコーラスに始まり、コーラスに終る。終った時、本当に終ったのかどうか、はっきりわからなかった。ためらいがちに拍手が起きるまで、少し間があった。

 コーラスを形成する4人の声のハーモニーもまた面白い。というのも4人の声の質が揃っているわけではないからだ。クラシックの合唱隊なら発声法を揃えるよう訓練されるので、個々のうたい手の声の質の違いは吸収できるのだろう。ポピュラーでは声の質が合うメンバーではハーモニーが整い、きれいに聞える。サイモン&ガーファンクルとかクロスビー、スティルス&ナッシュとかマンハタン・トランスファーとかはその例だ。兄弟姉妹によるのも元々声が似ている。いつだったか、日比谷野音の楽屋で、コンサートの後の打上げで、トゥリーナとマイレトのニ・ゴゥナル姉妹が前触れ無しにうたい出したのには、うなじの毛が総毛立った。

 〈マタイ〉と〈マタイ〉のためにshezoo さんが集めた4人のうたい手は、ソロでの歌唱を基準にしていると思われる。だから声の質は揃っていない。発声法も各々独自だ。むろん音としては合っている。この4人はライヴに向けてハーモニーの練習も別に重ねているそうだ。元々一級のうたい手ばかりだから、ハーモニーそのものはぴたりと合っている。

 一方で声の質は合っていない。そこにズレが生まれる。一方の位相で合っていながら、もう片方ではズレている。これがたまらなく面白い。気持ちいい、快いというのとはまた違う。見方を変えれば不安定だ。崩れそうに聞えながら、実際には崩れない。そのスリル。不協和音でもない。合っている音が収斂しない。滑らかに流れない。

 クラシックに馴れてしまっている人は受けつけないかもしれない。しかし、合っていながらズレといる感覚には「今」が共感する。これこそ今を生きる我々のための音楽と思える。そしてそれを生みだしたバッハの音楽を今にあって美しいと思う。時代を超えるとはこういうことだとも思う。

 今回もう一つ特徴的で面白かったのは、歌の前に各々のうたい手が読みあげる日本語のイントロだ。いずれもshezoo さんのオリジナルで、歌の内容からかけ離れた連想のようでもあり、そこはかとなくつながっているようでもある。〈マタイ〉のように、これから歌う歌詞の内容のごく短かい要約、紹介ではないし、ある物語に沿ったものでもない。各々が独立した散文詩にも聞えるし、また全体の一部でもあるようだ。

 朗読のしかたもその時々で変えている。声を張ったり、ささやいたり、いかにも朗読のように読んだり、話しかける会話調になったりする。もっともどういう基準でそうしているのかは、一度見聞しただけではわからい。

 緊張と弛緩が綾なす1時間半ノンストップ。いやあ、堪能しました。願わくはこれをもう一度、いや何度もくり返し聴きたい。ぜひ、何らかの形の録音を出していただきたい。準備はしているそうだから待つといたしましょう。でも、あたしがまだ生きている間、生きて音楽を聞ける状態でいるうちに出してくだされ。(ゆ)

shezoo: piano, 編曲
石川真奈美: vocal
松本泰子: vocal
行川さをり: vocal
Noriko Suzuki: vocal
桑野聖: violin
北沢直子: flute
佐藤桃: tuba

 村井さんの「時空を超えるジャズ史」4回目は「移民都市、ニューヨークの音楽:世紀末から1930年代まで」。

 ニューヨークが移民都市として発展する要因は主に二つあると思う。エリー運河とエリス島だ。

 1825年に開通したエリー運河はエリー湖東端バッファローの近くからほぼ真東にハドソン川の上流オルバニー近くまで、全長565キロ。これによって五大湖地方が大西洋と結ばれ、内陸との人、モノの流通の量、スピードが格段によくなり、コストもぐんと下がった。ニューヨークが他の大西洋沿岸諸都市を後に置いて商業センターになるのはこの運河のおかげだ。

 エリス島はニュー・ジャージー州ジャージー・シティ沿岸の島で、マンハタン南端バッテリー・パークから自由の女神像に向かうとほぼ中間右手にある。天然の島を埋立で拡張していて、長方形の真ん中に沖側から切れ込みが入る形。切れ込みの中はフェリーの発着場。1892年から1954年まで、ここに移民の検疫、受入れのセンターが置かれ、計1,200万人がここを通って USA に入った。島には伝染病患者などを収容する病院があった。今は史跡として保存され、一般公開されている。

 村井さんが紹介したニューヨーク市(マンハタン、ブルックリン、クィーンズ、ブロンクス、スタテン島)の人口の変化をみるとエリス島の影響の大きさがよくわかる。Wikipedia によれば、こんな具合だ。

1840          391,114
1850          696,115          +305001
1860          1,174,779          +478664
1870          1,478,103          +303324
1880          1,911,698          +433595
1890          2,507,414          +595716
1900          3,437,202          +929788
1910          4,766,883          +1329681
1920          5,620,048          +853165
1930          6,930,446          +1310398
1940          7,454,995          +524549
1950          7,891,957          +436962

 1900年からの30年間に倍増し、350万人増えている。一つの都市でこれだけの短期間にこれだけの人口増加したのは、空前にして絶後だろう。しかもその内実はヨーロッパ各地からやってきた言語からして異なる人たちだ。英語を話せなかった人たちが大半だっただろう。アイルランドからの移民について、村井さんはダブリン周辺からの人たちと言っていたが、ダブリンのようなアイルランドにしては都会からよりも農村出身がほとんど、アイルランド語のネイティヴで英語は話せない人たちだった。

 移民たちはニューヨークの中で出身地毎に固まって住む傾向があった。アイルランド、イタリア、ギリシャ、ユダヤという具合だが、各地域の間に壁があったわけでもなく、往来は自由だから、「ルツボ」になる。各々がもってきた音楽はごった煮になる。

 第一部はこの移民たち、ヨーロッパからの「新移民」たちの音楽。なのだが、各々の音楽そのものというよりは移民たちを題材にした音楽の趣。

 最初の〈Street piano medley〉は Len Spencer, Bill Murray という当時有名だったアイルランド系シンガーを August Molinari というピアニストが伴奏する。ピアニストは名前からしてイタリア系だろう。やっている音楽はラグタイムといっていい。

 次はそのビル・マレィによる〈Yes! We have no bananas〉。ギリシャ人八百屋の口癖をおちょくる歌で大ヒットした。ギリシャ語では日本語と同じく「バナナはないか」と訊かれると「はい、ありません」と答える。英語の通常用法では「いいえ、ありません」と答えなければならないわけだ。この歌をめぐってはスコット・フィッツジェラルドもエッセイを書いているそうな。それにしてもこのバックは上手い。

 3曲目からはユダヤ系の音楽がならぶ。まずはアイザイア・バーリン。ここでかかった初期の曲では確かにクレツマー系のメロディが聞える。

 次の Joseph Cherniavsky Yiddish American Jazz Band というバンドの曲はタイトルもイディッシュ語で、オケではあるが今聞いてもクレツマーで通じる。この頃にはデイヴ・タラスやナフトゥール・ブランディワインが活動を始めていたはずで、よりオーセンティックなクレツマーは別にあったのだろう。イディッシュ・アメリカン・ジャズ・バンドという名乗りはそうしたクレツマーとの差別化をはかったのかもしれない。タラスやブランディワインのコテコテのクレツマーはイディッシュしか話せない移民しか聞かず、それとは違う誰でも聞ける音楽、あるいは当時流行の「ジャズ」の範疇なのだと言いたっかたのではないか。

 こういうクレツマー・ベースのジャズの現代的展開の一つとしてここでジョン・ゾーンのマサダがかかる。マサダはもう30年続いていて、様々な形があるが、今回は最新のカルテットでジュリアン・ラージが入っている。ラージの演奏を嬉しそうに見ているゾーンの表情が面白い。

 次はユダヤ系ジャズの一つの到達点ガーシュウィン、それも本人の演奏による〈I Got the Rhythm〉。こんな映像が残っているだけでもびっくりだが、カメラ3台で撮っていたというのにのけぞる。それにしても上手い。

 仕上げに〈ラプソディ・イン・ブルー〉を初演したポール・ホワイトマン楽団による緑苑。今聞くとばかばかしいことを大真面目にやっているように聞える。クラリネット・ソロから始めるのはクレツマーへのオマージュだろうか。

 第二部は黒人の流入による「ハーレム・ルネッサンス」。こちらは国内移民というべきか。

 ここで初めて耳にしたのが、James Reese Europe という御仁。アラバマ州モバイルに1880年に生まれ、1904年にニューヨークに来る。この人、音楽的才能もさることながら、組織力があった人で、Clef Club という黒人ミュージシャンの同業者組合を組織した。1910年にカーネギー・ホールでプロト・ジャズのコンサートを開いている。ポール・ホワイトマンとガーシュウィンのエオリアン・ホール・コンサートに先立つこと12年、ベニー・グッドマンがカーネギー・ホールでやる26年前。しかもクレフ・クラブのミュージシャンたちは黒人作曲家の楽曲だけを演奏したというから、ユーロップさん、相当に時代に先んじていた。

 第一次世界大戦にアメリカが参戦したとき、黒人部隊も編成される。その軍楽隊を組織したのもユーロップ。1918年元旦にフランスに上陸した部隊に対するフランス軍兵士たちの歓迎への返礼に「ラ・マルセイエーズ」を演奏した時の様子をユーロップの伝記から村井さんは引用している。ユーロップ流のリズミカルな演奏にフランス人たちははじめ何の曲かわからなかった。

 ユーロップは1919年に帰国した直後、ちょっとした口論がもとで刺殺されてしまうが、クレフ・クラブの影響力は残る。これも村井さんが引用している佐久間由梨氏の論文によると、1924年当時、ジャズに四つのカーストがあった。証言しているのはデューク・エリントン楽団のトランペッター、レックス・スチュアート。トップがクレフ・クラブのオケ。次がベッシー・スミスなど女性ブルーズ・シンガーを擁する巡業楽団。これは仕事が絶えず、引っ張りだこだったかららしい。3番手がコットン・クラブのような白人専用のクラブで人気を博したフレッチャー・ヘンダーソンなどの楽団。エリントンの楽団もここに入るだろう。最低にいたのがラグタイムやストライド・ピアノなどを演奏する人たちで、黒人労働者向けの小さなクラブや、家賃を工面するため間借り人が入場料をとって開いたレント・パーティなどに出ていた。

 ということでこの四つを聞いてゆく。

 まずはジム・ユーロップ率いる第三六九歩兵連隊通称ハーレム・ヘルファイターズ所属軍楽隊による〈ラシアン・ラグ〉。ラフマニノフの嬰ハ短調前奏曲をイントロにしている。同じ曲をジェイソン・モランによるユーロップへのトリビュート・アルバムから聴き比べる。

 フランスで大成功して移住したジョセフィン・ベイカーのダンスの動画。こんなものもあるんですねえ。ベイカーは来日もしていて、たしか荷風が書いていなかったかしらん。ダンスもだが、目付きが面白い。ここで休憩。

 後半はベッシー・スミスの〈セントルイス・ブルーズ〉から始まる。バーで歌っているという仕立ての動画で、コール&レスポンスだ。

 カーストの3番目、ヘンダースン、エリントン、キャブ・キャロウェイの三連荘はおなじみではある。キャブ・キャロウェイの動画、もちろんフィルムだが、初めて見るので面白い。こうしてみると音楽というよりは芸能だ。この人は大変な才能があり、業績も大きいとどこかで読んだが、誰かいーぐるで特集してもらえんかのう。

 ファッツ・ウォラーと共演しているのがタップ・ダンサー、ビル・“ボージャングルズ”・ロビンソンと聞くと、、ジェリー・ジェフ・ウォーカーが作って、ニッティー・グリッティー・ダート・バンドでヒットした〈ミスタ・ボージャングルズ〉を思い出すが、直接の関連はないらしい。歌でのミスタ・ボージャングルズは通称だけいただいた白人のタップ・ダンサーだ。

 第三部はカリブ海からの移民たちの音楽。具体的にはプエルト・リコとキューバからだ。

 前者については前出のジム・ユーロップが軍楽隊を組織するに際して、3日間プエルト・リコのサン・ホアンに行き、若く有能なミュージシャンを13人連れ帰ったという話を、村井さんは伝記から引用している。遙か後年、ライ・クーダーがキューバにでかけ、ブエナ・ビスタ・ソーシャル・クラブを出すのを思い出す。この時ニューヨークに渡ったミュージシャンたちは後にプエルト・リコ音楽の展開に大きく貢献することになったそうだ。

 最後にかかったのはキューバ原産の〈El manicero〉すなわち〈ピーナッツ売り〉。世界的な大ヒットになり、ルンバ・ブームを起こす。サッチモ、エリントンはじめ多数のカヴァーがあり、本朝でもエノケンがやっている。聞けばああ、あれとすぐわかる。

 1930年代、ナチスと戦火のヨーロッパからの移民の数はまた増える。ここにはユダヤ系のミュージシャンたちも多数いたはずだ。もっとも30年代を席捲し、ジャズをアメリカ全土に広めたスイングの王様ベニー・グッドマンはユダヤ系だがアメリカ生れ育ちだ。父親が19世紀末にワルシャワから渡った。

 移民は今また世界的問題になっているが、つまるところ移民によって、人が移動することによって文化が生まれ、新たに再生してゆく。ニューヨークの音楽が面白いのは、絶えず移民が入っているからだろう。そしてその面白さがまた新たな移民を引きつける。

 ニューヨークではスイングに続いてビバップが起きるわけだが、それはまたのお愉しみ。

 この連続講演、次は9月7日。あたしは残念だが別件があって行けない。(ゆ)

 8月4〜11日までウェクスフォドで開かれたアイルランド伝統音楽の競技会フラー・キョールのハープ、スロー・エアの12-15歳部門で日本から参加した あだち・りあ さんが優勝したそうな。

 ジュニア部門とはいえ、また200以上ある部門別の一つとはいえ、日本から参加した人が優勝したのは初めてでしょう。ジュニアで参加というのも、そういう人が出る時代になったわけで、そのこと自体がなかなか凄い。

 チャンスがあれば、どこかでご本人の演奏を聴いてみたいものです。(ゆ)


 村井康司さんの「時空を超えるジャズ史」第3回。

 ニューオリンズはジャズが生まれた場所とされている。時代は19世紀末から20世紀初頭、「世紀の変わり目」。もっとも世紀が変わってもそれですべてがころりと変わるわけじゃない。19世紀はまだ続いている。ヨーロッパでは19世紀は第一次世界大戦で終るが、アメリカの19世紀の終りはどこだろう。大恐慌だろうか。アメリカは広いし、戦場にならなかったからヨーロッパのように全部がころりと変わったのではなさそうだ。場所によっては今でも19世紀が続いていそうだ。

 ニューオリンズについてみれば、ジャズを生んだところで19世紀が終るというのはどうだろう。ニューオリンズはジャズを生んだけれども、生まれたジャズは故郷を出て、シカゴやニューヨークへ行く。シカゴやニューヨークへ行くのは、ジャズ自体の要請か、それとも外からの作用か。まあこういうことは往々にしてどちらの要素も働いているものだ。ジャズの場合もおそらく同じだ。そして、そこで性格が変わる。

 ニューオリンズで生まれた時、ジャズは自然発生している。誰かが作ろうとしてできたのではなく、その時までにニューオリンズに流れこみ、またそれ以前に生まれていた様々の音楽のごった煮=ガンボ料理として生まれた。というよりも、この街では様々な音楽が様々に混淆し、交配し、千変万化している、その一つの相がたまたまジャズとして分岐していった、という方がより実相に近いのではないかと思ったりもする。

 Daniel Hardy という人の The Ancestors Of Jazz という本のチャートから村井さんが作ったリストによれば、ブラスバンド音楽、ラグタイム、クラシック、ブルーズ、フランス・スペインの民謡、クレオールの歌・カリブ海音楽、黒人教会音楽・黒人霊歌、アメリカン・フォーク、アメリカン・ポピュラーソングがジャズの元になっている、となる。

 もっともこうした音楽がみな、19世紀末に実態として確立していたというわけでもないし、すべてが均等に混じわったなんてはずもない。これ以外もあったろうし、何やらよくわからないものもあっただろう。なるべく個々のイメージがわくように要素をえり分けてみればこうなるんじゃないか、という提案と見た方が実りは多そうだ。

 とまれ、こうして生まれたジャズは、商売としての成功を求めるとニューオリンズでは収まらなくなり、シカゴやニューヨークへと映る。そこから先は商業音楽として成長する。

 肝心なのはニューオリンズでは自然発生していること。村井さんの話で面白かったのは、ジャズの元祖、最初のジャズ・ミュージシャンと言われるバディ・ボールデンが唯一録音したとされる曲が〈わらの中の七面鳥〉だということ。これはまぎれもなくアイリッシュ、スコティッシュ起源、アパラチアから来ていた曲で、これがジャズのレパートリィだったのは、ジャズが自然発生している傍証まではいかなくても、そう見える根拠の一つにはなるだろうか。

 バディ・ボールデンの録音がない、というのも面白い。19世紀末は録音が始まったばかりで、商業録音は未熟、何を録音して出せば売れるのかもわからない。すでに人気のあったカルーソーやシャリアピンなんて人たちだけでは商売にならない。そこで思いついたのがレイス・レコード。アメリカの各移民集団、イタリア系、アイルランド系、ドイツ系、あるいは黒人等々に向けて、各々のルーツ音楽を録音して出すことだった。アイリッシュ・ミュージックの最も初期の録音もこの類である。最古とされるのは1898年ロンドンでのイリン・パイプの録音だが、アメリカでもニューヨークの公園で路上演奏つまりバスキングしていたアコーディオン奏者をスタジオに引っぱってきて録ったものを出したら、500枚があっという間に完売した、という話がある。

 ミュージシャンが自分でスタジオに入って録音する習慣は、ボールデンの時代にはまだ確立していない。誰かが、あいつは面白いし、売れそうだから録ろうと思わなければ、録音されないのが普通だ。となれば、ボールデンのやっていた音楽は誰も録音に値する、あるいは録音すれば売れそうだとは思わなかったのだろう。

 第一次世界大戦後になると録音が増す。アメリカは第一次世界大戦で金持ちになり、「金ぴか時代」になる。朝鮮戦争、ベトナム戦争で日本にカネが流れこんだのと同じ構図だ。ジャズは金ぴか時代の音楽としてもてはやされる。前回見た『華麗なギャツビー』の大パーティーの BGM は当時のジャズだった。そこからのジャズは商売になる音楽として展開される。

 ニューオリンズに戻って、村井さんの講演の前半は19世紀末から20世紀初頭、ニューオリンズで演奏されていて、ジャズの元になっただろう音楽を想像するための音源を並べる。

 とはいえ、ウィントン・マルサリスによる〈バディ・ボールデンズ・ブルーズ〉なんてのは、マルサリスが巧すぎるし、モダンな展開も入れるから、聴きほれてしまって、とても昔のニューオリンズを想像なんてできない。

 一方で、マルサリスがこうした演奏を YouTube でのみ公開し、CDにしないのも、ボールデン当時のニューオリンズではレコードという概念がまだなく、ライヴしかなかったことへのオマージュであり、再現にも見える。

 ニューオリンズ・ラグタイム・オーケストラの〈Creole Belles〉は、あたしにはとてもラグタイムに聞えないのは、あたしのラグタイム体験が狭すぎるのだろう。

 ジェリー・ロール・モートンの〈Tiger Rag〉の弾き比べは面白いが、これがジャズの元だと言われても、へ?と反応するしかない。

 前半の締めにかかったサッチモの〈Heebie Jeebies〉は、初めてスキャットをうたったので有名な録音だそうで、これは明らかにジャズだ。そしてそこまで聞いてきたニューオリンズの音楽とのそこはかとないつながりも感じられる。ああいうものから出てきたものがこれだと言われても、何となく納得できなくもない。

 あたしにとってニューオリンズ音楽の面白さは後半、第二次世界大戦後のこの街の音楽。かつてこの街が生んだジャズは巣立っていって、まるで別の姿をとる一方、ニューオリンズは独自の音楽を生みだす。それがプロフェッサー・ロングヘアーに始まるもので、ファッツ・ドミノ、アラン・トゥーサン、ドクター・ジョン、ネヴィル・ブラザーズ、トロンボーン・ショーティ、そして今をときめくジョン・バティステまで太く流れている。とりあげられなかったけれど、ダーティ・ダズン・ブラスバンドなどのブラスバンドも、ニューオリンズのものは他とは違う。

 村井さんはケイジャン/ザディコもこの流れの筋に入れているが、あたしのイメージは少し違う。これもニューオリンズでしか生まれえない音楽であることはまぎれもないが、村井さんが提示したニューオリンズ音楽の本流とは別に聞える。本流がジャズとは別の形で商業音楽として展開しているのに対し、ケイジャン/ザディコはコミュニティのための音楽、生活のための音楽、つまりフォーク・ミュージックとして自然発生しているとみえる。ジャズが自然発生して終りではなく、ニューオリンズではその後も様々な音楽が自然発生しているので、ケイジャン/ザディコはその中で最も「成功」したものになる、というのはどうだろう。

 面白かったのは、大ヒットしたという Ernie K-Doe の〈Mother-in-law〉の替え歌を大滝詠一がやっている録音。何にでも口出しして、夫婦のジャマをする口うるさい義母をグチる歌を徹夜の麻雀の話にしたのはジョークとして一流だ。

 それにしても原曲のアレンジは、単に口だけうるさいにおさまらない義母との危うい関係を暗示していると聞えてしかたがない。

 アメリカの街の音楽はニューヨークやボストンのアイリッシュ・ミュージック、シカゴのブルーズやジャズのように、外から持ちこまれたもので、自然発生したものは見当らない。音楽が自然発生するニューオリンズはその点特異だ。

 近いことは1960年代前半サンフランシスコで起きるが、それはまた別の話。

 次は8月10日、ニューオリンズから出ていったジャズがシカゴ、ニューヨークにどう移り、変わりはじめたか、になるらしい。(ゆ)

 村井康司さんによる「いーぐる」での10回連続講演「時空を超えるジャズ史」の第2回。4月の1回目は見逃した。後の8回は行きたいが、全部は行けないか。

 雑食が一番面白いのだよというのは村井さんが日頃くり返していることで、この日の選曲も雑食のお手本。一般的なジャズの範疇に入るのは冒頭のビル・フリゼールとラストのセシル・マクローリン・サルヴァンくらいで、後はアメリカン・フォーク、オールドタイム、ミンストレル・ショーの復元、囚人たちの労働歌、ポップス等々。ジャズだけの歴史を期待してきた人がいたらお気の毒。実際、途中で退席した人も数人。でも、歴史というものはいろんなものが複雑にからみあっているので、何の歴史にしても、それだけの歴史というのは成立しない。もしあるとしたら、それはからみ合っているいろんなものをきり捨てて作ったフェイクでしかない。雑食で見て初めて本来の姿が見えてくる。

 前半はフォスターの曲をいろいろな演奏で聴く。

 フォスターはある世代までは、アメリカでもわが国でもたいへんよく聴かれ、また学校で教えられた。あたしなどもこの日かかった曲は、聞けばあああれねとわかるし、いくつかは歌える。ところが今世紀に入って「政治的正当性」の犠牲になり、人種差別的内容が忌避されて、ほとんど誰も聴かなくなった。フォスターが大好きで何度も録音しているフリゼールは珍しいらしい。とりわけ冒頭にかかった1993年の〈金髪のジェニー〉の演奏はすばらしい。その次の〈ハードタイムス〉は一転してフリゼールはアコースティック・ギターでベテラ・ヘイデンの歌をサポートしていて、まるでフォーク・ソングだ。

 この曲はイングランドでも人気があり、ほとんど伝統歌の扱いで、あたしなどはこの曲の録音を聴くとき、フォスターの作品であることはまるで頭になかった。

 ジェイムズ・テイラーはまともに聴いていないので〈おお、スザンナ〉は新鮮。あらためてこの人、ギター巧いなあ。

 ジム・クェスキンの〈オールド・ブラック・ジョー〉は降霊会のオープニングにふさわしい。これが入っている《アメリカ》も「ブラックホーク」で名盤とされながら、まともに聴いたことがない。聴きたいと必死になっていた頃はレコードが手に入らなかった。このアルバムの録音時にはクェスキンは新興宗教にはまっていた由だが、それにしても一度は聴いておかにゃなるまい。

 話はここでミンストレル・ショーをはじめとする芸能の人種差別要素にうつる。フォスターはまさにミンストレル・ショーのためにたくさんの曲を書き、提供していた。フォスター自身は北部出身で奴隷制にはどちらかといえば否定的な姿勢がうかがわれるそうだが、生まれ育った時空においては人種差別はごくあたりまえにおこなわれていた。というより人種差別はシステムなので、個人では対抗できない。すなわちフォスター個人の問題ではない。フォスターの作品を無かったことにしても、人種差別そのものだったミンストレル・ショーがアメリカの音楽とダンスを核とする芸能、パフォーマンス芸術の基礎になっていることが消えるわけじゃない。白人が顔を黒く塗って演じるミンストレル・ショーのダンスから、『リバーダンス』の〈タップの応酬〉までは一直線につながっている。

 一方で、今、フォスターの曲を人種差別の表現にならないようなコンテクストで演奏するには工夫がいる。フリゼールのようにメロディだけ演ずるのはその工夫の一つではある。しかし、歌はうたわれてナンボだ。歌の土台になっている人種差別を換骨奪胎するような解釈を聴きたいものではある。たとえばの話、ビヨンセが《Cowboy Carter》で聴かせる〈Blackbird〉は「黒歌鳥」についての歌ではない、少なくともそれだけではないと聞える。しかし、逆は難しいか。

 後半はそのフォスターの楽曲のルーツを想像する試み。ここで核になるのはフォスターも含め、アメリカの古い歌にはヨナ抜きがたいへん多いということ。ひとつ言えるのは、19世紀のアメリカにあっては黒白問わずヨナ抜き音階で歌っていたという仮説。

 その仮説をひきだす実例としてハリー・スミスのアンソロジーからの音源や、クラレンス・アシュレィやカロライナ・チョコレート・ドロップス、アビゲイル・ウォッシュバーン、パンチ・ブラザーズなどの音源がかけられる。このあたりはアメリカン・ルーツ・ミュージックを少し身を入れて聴いていればおなじみの人たちで、あたしなどはこう並べて聴かされるとぞくぞくワクワクしてくる。ジャズ・ファンには新鮮だろうか、それとも退屈の一語だろうか。

 あらためて思ったのはパンチ・ブラザーズはブルーグラスではなくオールドタイムだ。一本のマイクを囲んで演奏するのもオールドタイムのスタイルだ。

 ウォッシュバーンがベラ・フレックとやっている〈Railroad〉は〈Pretty Polly〉として知られるバラッド。

 最後に有名なバラッド〈ジョン・ヘンリー〉を3つのヴァージョンで聴き比べたのも面白かった。アラン・ロマックスによる刑務所でのフィールド録音、ハリー・ベラフォンテのカーネギー・ホールのライヴ、そしてセシル・マクローリン・サルヴァン。囚人たちがうたっていた歌を、所もあろうにカーネギー・ホールでうたうというのも凄いが、ベラフォンテの歌唱はそれを当然としてしまう有無を言わさぬものだ。これはもう一個の芸術であり、同時にだからこそ最高のエンタテインメントだ。このアルバムは〈ダニー・ボーイ〉とか、他にも絶唱が詰まっていて、録音も最高、何度もくり返し聴くに値する。そしてサルヴァンのうたには、ひょっとして遠い親戚がロマックスが録音した刑務所にいたんじゃありませんかと訊ねたくならずにはいられない。

 ベラフォンテはギターとベースの伴奏がつく。ベラフォンテのメロディは囚人たちと同じマイナーなヨナ抜きなのに、ギターとベースがメジャーで伴奏するとブルーズに聞えるという村井さんの指摘にはあっと驚いた。ブルーズ誕生のきっかけはこれではないかとい説も最近出されているそうだ。

 こう聴かされると、19世紀には黒も白も皆ヨナ抜きでうたっていたという仮説は説得力を持つ。淵源はスコッチ・アイリッシュを核とした移民たちがもちこんだ伝承歌謡。20世紀になる頃から、黒人と白人の音楽に分離しはじめる。黒人はブルーズに向かい、白人はオールドタイムになる。

 ではどうして19世紀のスコッチ・アイリッシュのうたが淵源になったのか、というのは村井さんのこの連続講演の趣旨からははずれるだろう。

 ぱっと思いつくのは、それ以前の移民たち、イングランドからの人たちにとってうたといえば聖歌ぐらいで、伝承歌のレパートリィはごく小さかったのではないか。こと音楽にかけては、アイルランドの豊饒さは古代からの年季が入っている。音楽が生活の一部の人たちは、体や言語習慣信仰とともに音楽も否応なしにもってくる。この人たちにとって音楽はコミュニケーション手段であり、共同体、コミュニティの暮らしに必要だから、しょっちゅううたっていたはずだ。

 アフリカから拉致されてきた人たちの中にも音楽をもってきた人たちはいたはずだ。しかし奴隷たちはアフリカから「出荷」される時点で、同じ出身地の者が集中しないように、故意にばらばらにされた。だから一人だけうたを知っていても、そのうたを知っている人が周りにいないからうたうチャンスは減るし、その人が死んだり、忘れたりすればうたも消える。伝承も伝播もされない。そこがスコッチ・アイリッシュとは異なる。

 この連続講演を貫くテーマは古い話や音楽と新しい話や音楽をまぜあわせたらどうなるか、という実験だそうだ。次回は今月13日、もう今週末ではないか。テーマは「ジャズの故郷、ニューオリンズ音楽の歴史」。いざ、行かん。(ゆ)

 このデュオのレパートリィは一番好みに近い。バッハからスウェーデン、キルギス、そしてクレツマー。これからも広がりそうだ。いずれアイルランドやブリテン群島にも行ってくれるか、と期待させるところもある。

 これで三度目のライヴで、どんどん進化している。今回のハイライトは何といっても第一部の2曲目というか後半。バッハ、無伴奏チェロ組曲第二番をまるまるデュオでやる。元来無伴奏の曲に伴奏をつけるというのは、クラシックの常識からすれば無謀、野蛮だろうが、少なくともこの演奏はバッハ本人が聴いても喜んだろう。さすがにかなり綿密にアレンジしてあると見えて、ナベさんも楽譜を見ながら演っている。何よりも本来原曲に備わるグルーヴが実際に活き活きと感じられたのがすばらしい。ダンス・チューンとして聞えたのだ。今年初めに出たアイルランドの アルヴァ・マクドナー Ailbhe McDonagh の録音で感じられたグルーヴがより明瞭に出ていた。実は無伴奏というのは誤解で、バッハ本来の意図はこちらなのだ、と言われても納得できる。聴いていてとにかく愉しかった。

 興味深かったのは、新倉さんが、全世界の孤独なチェリストはナベさんと共演すべきだ、と言っていたこと。ただ独りで演るのはなんとも寂しく、心細く、これまでどうしても演る気になれなかったのだそうだ。バッハの無伴奏組曲6曲はおよそチェリストたる者、己のものとして弾ききることは窮極の目標であろう。ヴァイオリン=フィドルと異なり、チェロで伝統音楽から入る人はいない。必ずクラシックからだ。チェリストは全員がクラシックの訓練を受けている。チェロ・ソナタやコンチェルトで目標になる曲も多々あるだろうが、そういう曲は相手が要る。バッハの無伴奏組曲は独りでできる。一方でそれはまったくの孤独な作業にもなる。あのレベルの曲を独りで演るのは寂しいことなのだ。ナベさんとのこの共演を経ていたので、初めて第一〜第三番を弾くリサイタルができたと言う。ナベさんが傍にいる感覚があったからできたと言うのだ。ひょっとすると、それはあのグルーヴを摑むことができたからかもしれない、とも思う。これまでのこの曲の録音で本来あるはずのグルーヴが感じられず、楽曲が完全に演奏されきっていない感覚がどうしてもぬぐえなかったのは、奏者が独りでやらねばならず、頼れるものが無かったせいなのかもしれない。

 一方でナベさんに言わせると、グルーヴは揺れている。それもわかる。ダンス・チューンだとて、拍が常に均等であるはずはない。実際、ナベさんがやっていたスウェーデンのポルスカのグルーヴも別の形で揺れている。

 このチェロと打楽器によるバッハ無伴奏組曲の演奏は革命的なことなのではないか。二人とも手応えは感じていて、全曲演奏に挑戦するとのことだから大いに期待する。その上で新倉さんによる独奏も聴いてみたい。そして両方のヴァージョンの録音をぜひ出してほしい。

 第二部も実に愉しくて、バッハの組曲ばかりが際立つということがないのが、またすばらしい。まず二人のインプロヴィゼーションが凄い。ほんとに即興なのか、疑うほどだ。ラストもぴたりと決まって、もう快感。

 そして前回初登場の新倉さんによるカザフスタンのドンブラとナベさんのキルギスの口琴の再演。ドンブラはストローク奏法だが、〈アダーイ〉というこれは相当な難曲らしい。しかし新倉さんがやるといとも簡単そうに見える。ピックの類は使わず、爪で弾いているようだ。カザフやキルギスなど、中央アジアの草原に住む遊牧民たちは各々に特徴的な撥弦楽器を抱えて叙事詩を歌うディーヴァに事欠かないが、いずれ新倉さんもその一角を占めるのではないかと期待する。

 第二部後半はクレツマー大会で、まずは前回もやった有名な〈ニグン〉。クレツマーといえばまずクラリネット、そしてアリシア・スヴィガルズのフィドルがあるけれど、チェロでやるのは他では聴いたことがない。この楽器でここまでクレツマーのノリを出すのも大したものだと感心する。スキャットもやり、おまけに二人でやってちゃんとハモっている。これまた快感。続くイディッシュ・ソング・メドレー、1曲目の〈長靴の歌〉では、チャランポランタンの小春による日本語詞も披露した。

 それにしても、たった二人なのに、何とも多彩、多様な音楽を満喫できたのにあらためて感謝する。ともすれば雑然、散漫になるところ、ちゃんと一本、芯が通っているのは、二人の志の高さの故だろう。それに何より、本人たちが一番愉しんでいる。関東では次のライヴまでしばし間があくらしいが、生きて動けるかぎりは参りましょう。

 出てくると神楽坂はまさに歓楽街。夜は始まったばかり。こちらはいただいた温もりを抱えて、家路を急いだことでありました。(ゆ)

 日曜日の昼下がり、梅雨入りしたばかりで、朝のうちは雨が降っていたが、会場にたどり着く頃には上がっていた。木村さんからのお誘いなら、行かないわけにはいかない。

 Shino は大岡山の駅前、駅から歩いて5分とかからないロケーションだが、北側への目抜き通りとその一本西側の道路にはさまれた路地にあるので、思いの外に奥まって静かだ。駅の改札を出てもこの路地への入り口がわからず、右側のメインの商店街を進んで左に折れ、最初の角を右に折れてちょっと行くと左手にそれらしきものが見えた。帰りにこの路地を駅までたどると入り口は歩道に面していた。

 木村さんはむろんアコーディオンだが、福島さんは今日はフィドルは封印で、ブズーキと2、3曲、ギターに持ち替えて伴奏に徹する。どちらかというと聴衆向けというよりは木村さんに聞えればいいという様子。アイリッシュの伴奏としてひとつの理想ではある。もっとも、2曲、ブズーキのソロでスロー・エアからリールを聞かせたし、もう1曲ブズーキから始めて後からアコーディオンが加わってのユニゾンも良かった。このブズーキは去年9月に、始めて3ヶ月と言っていたから、ちょうど1年経ったところのはずだが、すっかり自家薬籠中にしている。その前回の時にすでに長尾さんを感心させただけのことはある。やはりセンスが良いのだ。

 初めにお客さんにアイリッシュ・ミュージックを聞いたことのある方と訊ねたら、半分以下。というので、アイリッシュ・ミュージックとは何ぞやとか、この楽器はこういうものでとかも説明しながら進める。木村さんは MC がなかなか巧い、とあらためて思う。こういう話はえてして退屈なものになりがちだが、あたしのようなすれっからしでも楽しく聞ける。ひとつには現地での体験のからめ方が巧いからだろう。単なる説明よりも話が活き活きする。

 ふだんアイリッシュ・ミュージックなど聞いたことのない人が多かったのは、この店についているお客さんで、ポスターなどを見て興味を持たれた方が多かったためだ。この店でのアイリッシュ・ミュージックのライヴは二度目の由。

 MC は客層に合わせていたが、曲目の方はいつもの木村流。ゴリゴリとアイリッシュで固める。もっとも3曲目に〈The Mountain of Pomroy〉をやったのはちょっと意表を突かれた。インストだけだが、なかなかのアレンジで聞かせる。その次のブズーキ・ソロも良かったが、さらにその次のスリップ・ジグ、2曲目がとりわけ良い曲。後で曲名を訊ねたら、アイルランド語で読めない。しかも、若い人が最近作ったものだそうだ。

 後半でもまず Peter Carberry の曲が聞かせる。前回、ムリウィで聴いたときもやった、途中でテンポをぐんと落とす、ちょっとトリッキィな曲。いいですねえ。アンコールは Josephine Marsh のワルツでこれも佳曲。木村さんが会ったマーシュはまことにふくよかになっていたそうだが、あたしが見たのはもう四半世紀前だから、むしろほっそりしたお姉さんでした。ロレツもまわらないほどべろんべろんになりながら、すんばらしい演奏を延々と続けていたなあ。

 木村さんぐらいのクラスで上達したとはもう言えないのだが、安定感が一段と増した感じを受けた。貫禄があるというとたぶん言い過ぎだろうが、すっかり安心して、身も心もその音楽に浸れる。マスターやカウンターで並んでいたお客さんにも申し上げたが、これだけ質の高い、第一級の生演奏をいながらにして浴びられるのは、ほんとうに良い時代になったものだ。これがいつまで続くかわからないし、その前にこちらがおさらばしかねないけれど、続いている間、生きて行ける間はできるかぎり通いたい。

 Shino はマスター夫人の実家、八戸の海鮮問屋から直接仕入れたという魚も旨い。カルパッチョで出たタコは、食べたことがないくらい旨かった。外はタコらしく歯応えがあるのに、中はとろとろ。実はタコはあまり好きではないが、こういうタコならいくらでも食べられる。サバも貝もまことに結構。ギネスも美味だし、実に久しぶりにアイリッシュ・ウィスキーのモルトも賞味させてもらった。Connemara という名前で、醸造元はラウズにあるらしい。ピートの効いた、アイレイ・モルトを思わせる味。これを機会にこれから時々、ライヴをやってもらえると嬉しい。こういう酒も食べ物も旨い店でアイリッシュ・ミュージックの生演奏を間近で浴びるのは極楽だ。

 まだまだ明るい外に出ると雨は降っていない。大岡山からは相鉄経由で海老名までの直通がある。ホームに降りたらたまたまそれが次の電車。これまたありがたく乗ったのであった。(ゆ)

 しばらく前から Winds Cafe は師走の月を除いてクラシックの室内楽のコンサートになっている。今回はピアノの百武恵子氏を核にしたプーランク作品ばかりのライヴだ。

 あたしなんぞはプーランクと聞いてなんとなくバロックあたりの人と思いこんでいて、19世紀も最末期に生まれて死んだのは1963年、東京オリンピックの前の年というのにびっくり仰天したのが、2、3年前というありさま。クラシックに狂っていた中学・高校の頃にその作品も聴いたことがなかった。あるいはその頃はプーランクは死んでからまだ間もなく、注目度が落ちていたのかもしれない。

 あわててプーランクをいくつか聴いて、こんなに面白い曲を書いた人がいたのかと認識を新たにしていた。そのきっかけはこの百武氏と今回も登場のチェロの竹本聖子氏によるラフマニノフとプロコフィエフのチェロ・ソナタである。主催の川村さんに泣きついてこの日の録音を聴かせてもらって、この2曲、とりわけラフマニノフにどハマりにハマってしまった。この録音を繰り返し聴くだけでなく、図書館のCD、ストリーミングをあさりまくり、聴きまくった。図書館にはコントラバス版のCDもあって、なかなか良かった。

 そこで発見したことは、この20世紀前半という時期のクラシックの楽曲が実に面白いということだ。まだ現代音楽になる前で、しかもその前の煮詰まったロマン派とは完全に一線を画す。モダンあるいはポスト・モダン以降にかたまったあたしの感性にもびんびん響くとともに、音楽の「流れ」の要素を無視するまでにもいたっておらず、リニアな曲として聴くことができる。思えばかつてクラシックに溺れこんでいたとき、最終的に行きついたバルトーク、コダーイ、ヤナーチェック、シベリウス、ショスタコヴィッチなどもこの時期の人たちだ。マーラーやハンス・ロットを加えてもいい。あの時そのままクラシック聴きつづけていれば、ラフマニノフ、プロコフィエフ、そしてこのプーランクなどを深堀りしていたかもしれない。一方で、その後、あっちゃこっちゃうろついたからこそ、この時期、音楽史でいえば近代の末になる時期の曲のおもしろさがわかるようになったのかもしれない。

 この日の出演者を知って、これは行かねばならないと思ったのは、プーランクで固めたプログラムだけではない。ラフマニノフのチェロ・ソナタの様々なヴァージョンを聴いても、結局あたしにとってベストの演奏は百武&竹本ヴァージョンなのである。これは絶対に生を体験しなければならない。

 いやあ、堪能しました。会場は急遽変更になり、サイズはカーサ・モーツァルトよりもちょっと狭いけれど、音は良い。演奏者との距離はさらに近い。ロケーションも日曜日の原宿よりは人の数が少ないのがありがたい。もうね、田舎から出てゆくと、あの人の多さには最近は恐怖を覚えたりもするのですよ。

 驚いたのは小さな、未就学児のお子さんを連れた家族が多かったこと。Winds Cafe の客はあたしのような爺婆がほとんどなのが普通で、一体何がどうしたのかと思ったけれど、後で聞いたところでは百武氏のお子さんがその年頃で、同じ年頃の子どもたちを通じてのご友人やそのまたお友だちが「大挙」して来場したのだった。必ずしもこういう音楽になじみのある子どもというわけではなく、演奏中はもじもじしたり、退屈そうな様子をしたりする子もいた。それでも泣きわめいたりするわけではなく、とにかく最後まで聞いていたのには感心した。こういうホンモノを幼ない頃に体験することは大事だ。音楽の道に進まなくても、クラシックを聴きつづけなくても、ホンモノを生で体験することは確実に人生にプラスになる。ホンモノの生というところがミソだ。ネット上の動画とどこが違うか。ネット上ではホンモノとフェイクの区別がつかない。今後ますますつかなくなるだろう。生ではホンモノは一発で、子どもでもわかる。これが一級の作品であり、その一級の演奏であることがわかる。

 子どもたちが保ったのは、おそらくまず演奏者の熱気に感応したこともあっただろう。また演奏時間も1曲20分、長いチェロ・ソナタでも30分弱で、いわゆるLP片面、人間の集中力が保てる限界に収まっていたこともあるだろう。そして楽曲そのものの面白さ。ゆったりした長いフレーズがのんびりと繰返されるのではなく、美しいメロディがいきなり転換したり、思いもかけないフレーズがわっと出たりする。演奏する姿も、弦を指ではじいたり、弓で叩いたりもして、見ていて飽きない。これがブラームスあたりだったら、かえって騒ぎだす子がいたかもしれない。

 あたしとしては休憩後の後半、ヴァイオリンとチェロの各々のソナタにもう陶然を通りこして茫然としていた。やはり生である。ヤニが飛びちらんばかりの演奏を至近距離で浴びるのに勝るエンタテインメントがそうそうあるとは思えない。加えて、こういう生楽器の響きを録音でまるごと捉えるのは不可能でもある。音は録れても、響きのふくらみ、空間を満たす感覚、耳だけではなく、全身に浴びる感覚を再現するのは無理なのだ。

 今回はとりわけヴァイオリンの方の第二楽章冒頭に現れた摩訶不思議な響きに捕まった。この曲はダブル・ストップの嵐で、この響きも複数の弦を同時に弾いているらしいが、輪郭のぼやけた、ふわりとした響きはこの世のものとも思えない。

 どちらも名曲名演で、あらためてこの二つはまたあさりまくることになるだろう。ラフマニノフもそうだが、ヴァイオリン・ソナタ、チェロ・ソナタといいながら、ピアノが伴奏や添えものではなく、まったく対等に活躍するのもこの時期の楽曲の面白さだ。プーランクもピアニストで、時にピアノが主役を張る。ヨーロッパの伝統音楽でもフィドルなどの旋律楽器とギターなどのリズム楽器のデュオはやはりモダンな展開のフォーマットの一つだが、そこでも両者が対等なのが一番面白い。近代末の「ソナタもの」を面白いと感じるのは、そこで鍛えられたのかもしれない、と思ったりもする。かつてクラシック少年だった時にはオーケストラばかり聴いていた。室内楽は何が面白いのかわからなかった。今は小編成の方が面白い。

 小さい子どもが来ることがわかっていたのか、百武氏はプログラムの前半にプーランクが絵本『象のババール』につけた音楽を置いた。原曲はピアノで、プーランクの友人がオーケストラ用に編曲したものを、この日ヴァイオリンを弾かれた佐々木絵里子氏がヴァイオリン、チェロ、ピアノのトリオのために編曲された特別ヴァージョン。この音楽がまた良かった。ピアノ版、オーケストラ版も聴かねばならない。

 『ババール』の絵本のテキストを田添菜穂子氏が朗読し、それと交互に音楽を演奏する。ババールの話はこれを皮切りに15冊のシリーズに成長する由だが、正直、この話だけでは、なんじゃこりゃの世界である。しかし、これも後で思いなおしたのは、そう感じるのはあるいは島国根性というやつではないか。わが国はずっと貧乏だったので、なにかというと世の中、そんなうまくいくはずがないじゃないかとモノゴトを小さく、せちがらくとらえてしまう傾向がある。ババールの話はもっとおおらかに、そういうこともあるだろうねえ、よかったよかったと楽しむものなのだろう。それにむろん本来は絵本で、絵と一体になったものでもある。それはともかく、プロコフィエフの『ピーターと狼』のように、プーランクの曲は音楽として聴いても面白い。

 アンコールもちゃんと用意されていた。歌曲の〈愛の小径〉を、やはり佐々木氏が編曲されたヴァージョンで、歌のかわりに最初の一節を田添氏が朗読。

 田添氏が朗読のための本を置いていた、書見台というのか、譜面台というのか、天然の木の枝の形を活かした背の高いものが素敵だった。ここの備品なのか、持ちこまれたものなのか、訊くのを忘れた。

WindsCafe300


 百武氏とその一党によるライヴはまたやるとのことなので、来年の次回も来なくてはならない。演る曲が何かも楽しみだが、どんな曲でも、来ますよ。ありがたや、ありがたや。(ゆ)

田添菜穂子: narration
佐々木絵里子: violin
竹本聖子: violoncello
百武恵子: piano

Francis Jean Marcel Poulenc (1899-1963)
1. 15の即興曲第15番「エディット・ピアフを讃えて」FP176, 1959
2. 「子象ババールのお話」FP129, 1945
3. ヴァイオリン・ソナタ FP119, 1943
4. チェロ・ソナタ FP143, 1948
アンコール 愛の小径 FP 106-Ib, 1940

 クロコダイルは久しぶりで、原宿から歩いていったら場所がわからなくなってうろうろしてしまった。おまけにカモノハシに頼んでおいた予約が通っておらず、一瞬、どうなることかと思った。が、ライヴそのもののすばらしさに、全部ふっ飛んだ。

 思うに、歌にはそれにふさわしい形が決まっているのだ。少なくとも、初めて世に生まれでるにあたってふさわしい形がある。

 一方ですぐれた歌はどんな形でうたわれても伝わるものでもある。無伴奏でも、フルオケ伴奏でも、ソロでもコーラスでも、フリー・リズムでもヒップホップでも。松浦湊の歌もいずれはそうやってカヴァーされていくだろう。いって欲しい。いくにちがいない。

 それでも今は松浦自身のうたで聴くのが一番だ。そして、このバンド、ナスポンズの形で聴くのがベストである。と、ライヴを見て確信した。

 松浦のソロもベストの形だ。とりわけソロのライヴはあの緩急の呼吸、ゆるみきったおしゃべりと、カンカンにひき締まった演奏の往来によって、比べるものもない。歌そのものの本質が露わにもなる。

 だが、このバンド、この面子のバンドこそは、松浦の歌に次元の異なる飛翔力を与える。この乗物に乗るとき、松浦の歌はまさに千里を翔ける。ナスポンズは松浦の歌にとっての觔斗雲だ。同時にガンダムでもある。ナスポンズという衣をまとうことで、松浦の歌は超常的な能力を備えて、世界を満たし、その場にいる者ごと異世界へと転移する。ナスポンズの最初の音が鳴ったとたん、クロコダイルが占める時空はまるごと飛びたち、それぞれに異なる世界を経巡る旅に出る。レコードによってカラダに沁みこんでいるはずの歌が、まったく新たな世界としてたち現れる。

 この面子でなければ、これは不可能だ。そう思わせる。ひとつにはメンバーのレベルが揃っている。全員が同じレベルというよりは、バランスがとれている。そして狂い方が、狂うベクトルがほぼ同じだ。もっともこの狂うベクトルは松浦の歌によって決まっているところも大きい。むしろ、松浦の歌に感応して狂うそのベクトルが同じ、というべきか。そしてどこまで狂うことができるかのレベルがそろっている、というべきなのだろう。このことは録音だけではわからない。生を、ライヴを見て、演奏している姿を見て、音を聴いて初めて感得できる。

 最初から最後まで、顔はゆるみっぱなしだった。傍から見ればさぞかし呆けた様子だっただろう。〈アサリ〉も〈サバ〉も〈わっしょい〉ももちろんすばらしいが、ハイライトはまず〈喫茶店〉、そして買物のうた。さらに〈どうどう星めぐり〉で、松浦の狂気が炸裂する。

 それにしても、つくづく音楽とは狂気の産物だとあらためて思う。音楽を作るとき、演るとき、人は狂っている。聴くときも少しは狂っている。聴くのは作者、演奏者の狂気のお裾分けにあずかる行為だ。少しだけ狂うことで、日常から外れる。日常から外れ、狂うことで正気を保つ。これがなければ、このクソったれな世界でまっとうに生きようとすることなどできるはずがない。そして松浦の歌はそのコトバと曲によって、クソったれな世界が正常であるフリをしていることを暴く。つまるところ、この世界で崩壊もせず暮らしているのだから、われわれは皆狂っているのだ。

 金ぴか、きんきらきんのパンタロンとしか呼びようのない衣裳で松浦が出てきたときには一瞬ぎょっとなったが、歌いだしてしまえば、派手でもなんでもなく、その音楽にふさわしく、よく似合う。時間の経つのを忘れる体験をひさしぶりにする。

 対バンの相手、玉響楽団はうつみようこを核にして、形の上はナスポンズと共通する。狂い方がナスポンズほど直接的ではない。うつみと松浦のキャラクター、世代の違いだろう。うつみのライヴは初体験で、なるほどさすがにと納得する。ちなみにベストは八代亜紀〈雨の慕情〉。実にカッコよかった。それにしても、この人とヒデ坊が並びたっていたメスカリン・ドライブはさぞかし凄かったにちがいない。ただ、あたしにはいささか音がデカすぎた。万一のために持っている FitEar の耳栓をしてちょうどよかった。おもしろいことに、ナスポンズはそこまで音がデカくなく、耳栓なしで聴いてもOKだった。

 ナスポンズはほぼ月一でライヴを予定している。毎月はムリだがなるべくたくさん見ようと思う。当面次は9月。

 夜も10時を過ぎると明治通りも人が少なくなっていた。めったにないほどひどくさわやかな気分で表参道の駅に向かって歩く。敬称略。(ゆ)



玉響楽団 第壱巻「たまゆ~ら」
玉響楽団
ミディ
2017-03-01


 松本泰子さんのヴォーカルと shezoo さんのピアノのデュオというユニット、音の旅行社のライヴ。初ライヴらしい。松本さんはこのハコに出るのは初めてだそうだ。この二人がやるからには、ヴォーカルとピアノ伴奏などというのからはほど遠い世界になるのは当然だ。

 shezoo さんもまあいろいろな人といろいろなユニットをやっていて、よくもまああれだけいろいろな名前を思いつくものだと感心する。今回のデュオは発せられた音が旅してゆく案内をしようという趣旨らしい。

 具体的には中田喜直と斎藤徹の二人の作曲家の歌を演奏するためのユニット。この日は様々な詩人の詩に二人が曲をつけた歌が演奏された。その1曲の詩を書いた方もお客として見えていた。後で shezoo さんが自分でも驚いた様子で、今日は自分の曲を1曲も演奏してないんですよ、それってとても珍しい、と言うのを聞いて、そういわれればとあたしも驚いた。むろん『マタイ』や『ヨハネ』のライヴは別であるし、かつてのシニフィアン・シニフィエはクラシックの現代曲とバッハだけのライヴをやっていた。もっともどのライヴを見ても、他人の曲を聞いているという気がしない。

 結論から言えば、この二人の作曲家の他の歌ももちろんだが、他の作曲家と詩人による歌、現代語の詩や詞ばかりでなく、古典の和歌や連歌やなどに曲がつけられた歌も聴いてみたくなる。

 松本さんの声はあたしの好きなタイプで、芯までみっちりと実の詰まった、貫通力の強い声だ。美声とはちょっと違うだろうが、とんでもなく広いどの声域でもどんどん流れこんでくる。きれいに伸びてゆく高い声も魅力だが、あたし個人としてはむしろ低いところの声がどばあっと床の上を這うように広がってくるのがたまらない。打ち寄せる波のように広がってきた声がふわあっと浮きあがってあらってゆく。高い声は遙か頭上を夜の女神が帳を引いてゆくように覆ってゆく。同時に声は流れとしてもやってきて、あたしはそこにどっぷりと浸る。そういう感覚が次から次へとやってくる。その声はあたしのところで止まるわけでもない。あたしを越えてどこまでも広がり進んでゆくようだ。それにしても松本さんはあたしより少し上か、少なくとも同世代のはずで、それであれだけの声をよくまあ出せるものだ。日頃、よほど精進されているのだろう。歌うときは裸足だそうで、それも声に力を注いでいるのかもしれない。

 shezoo さんの即興に対して松本さんも即興をする。その語彙も豊富だ。実に様々な色や肌触りや量の声を使いわける。かなり面白い。shezoo さんの即興はどこまでが即興でどこからがアレンジかわからないが、松本さんの反応でいくらか区別がつけられるように思える。

 前半はアレンジも即興も shezoo 流に奔放そのもので、原曲を知らないあたしでも、徹底的に換骨奪胎して、原型を留めていないことは一聴瞭然。shezoo さんのオリジナルだと言われてもなんの疑問もわかない。野口雨情作詞、中田喜直作曲の〈ねむの木〉も、作られた時代の匂いやカラーはすっかり脱けて、完全に現代の歌になる。作詞と作曲の二人はこれを今この瞬間、ここで作りました、というけしきだ。その次の〈おやすみ〉がまたいい。後半の即興がいい。時空を音で埋めつくそうとするいつもの癖が出ない。

 テーマが提示され、即興で展開し、またテーマに戻る、と書くとジャズに見えるが、ジャズのゆるさがここにはない。張りつめている。今という時代、世界を生きていれば、どうしても張りつめる。危機感と呼んではこぼれおちるものがある。張りつめながらも、余裕を忘れない。こういう音楽があるから、あたしらは生きていける。

 後半は前半と対照的に、ストレートに歌うスタイルが増える。ハイライトは斎藤徹作曲の〈ピルグリメイジ〉とその次の〈ふりかえるまなざし〉(だと思う)。前者では後半の即興にshezoo さんがテーマのメロディを埋め込むのにぞくぞくする。後者では一節を何度もくり返す粘りづよさに打たれる。

 ラストの〈小さい秋〉はストレートにうたわれる。が、その歌い方、中間の即興と再び戻ってうたわれるその様子に背筋が寒くなる。それは感動の戦慄だけではなく、この詞が相当に怖い内容を含んでいることがひしひしと伝わってくるからだ。〈とうりゃんせ〉と同じく、歌い方、歌われ方によって、まったく別の、思いもかけない相貌を見せる。

 アンコールの斎藤作品〈ふなうた〉がまた良かった。低く始まって、広い声域をいっぱいに使う。即興を通じてビートがキープされていて、即興を浮上させる。デッドのインプロでもこの形が一番面白い。

 2200過ぎ、地上に出てくると、金曜夜の中野の街はさあ、これからですよ、という喧騒の世界。いやいやあたしはもうそういう歳ではないよと、昂揚した気分を後生大事に抱えてそこをすり抜け、電車に乗ったのだった。(ゆ)

 フィドルのじょんがオーストラリアから帰って(来日?)してのライヴ。明後日にはオーストラリアに戻るとのことで、今回はジョンジョンフェスティバルは見られなかったので、最後にライヴが見られたのは嬉しい。原田さんに感謝。

 本邦にもフィドルの名手は増えているけれども、じょんのようなフィドラーはなかなかいない。音の太さ、演奏の底からたち上がってくるパワーとダイナミクス、そしてしなやかな弾力性。どちらかといえば細身の体つきだが、楽器演奏と肉体のカタチはあまり関係がないのだろうか。肉体の条件がより直接作用しそうなヴォーカルとは別だろうか。もっとも、本田美奈子も体つきは細かった。

 今回は原田さんのフィドルとの共演。アイリッシュでフィドルが重なるのは、北欧の重なりとはまた別の趣がある。響きがより華やいで、北欧の荘厳さに比べると豪奢と言いたくなるところがある。この日は時にじょんが下にハーモニーをつけたりして、より艶やかで、濃密な味が出ていた。じょんのフィドルには時に粘りがあらわれることがあって、ハーモニーをつける時にはこれがコクを増幅する。と思えば、2本のフィドルが溶けあって、まるで1本で弾いているようにも聞える。もっともここまでの音の厚み、拡がりは1本では到底出ない。複数のフィドルを擁するアンサンブルはなぜか、本邦では見かけない。あちらでは The Kane Sisters や Kinnaris Quintet、あるいは Blazin' Fiddles のようなユニットが愉しい。身近でもっと聴きたいものではある。昨年暮の O'Jizo の15周年記念ライヴでの中藤有花さんと沼下麻莉香さんのダブル・フィドルは快感だった。あの時は主役のフルートを盛りたてる役柄だったが、主役で聴きたい。

 原田&じょんに戻ると、前半の5曲目で原田さんがフィドルのチューニングを変えてやったオールドタイムがまずハイライト。じょんは通常チューニングで同じ曲をやるのだが、そうすると2本のフィドルが共鳴して、わっと音が拡がった。会場の壁や天井を無視して拡がるのだ。原田さんの楽器が五弦であることも関係しているのかもしれない。別に共鳴弦がついているわけではないが、普通のフィドルよりも音が拡がって聞えるように感じる。普断はハーディングフェーレを作っている鎌倉の個人メーカーに特注したものだそうだ。それにしても、パイプの中津井氏といい、凄い時代になったものだ。

 この日の三人目はパーカッションの熊本比呂志氏。元々は中世スペインの古楽から始めて、今はとにかく幅広い音楽で打楽器を担当しているそうな。あえてバゥロンは叩かず、ダラブッカを縦に置いたもの、サイドドラム、足でペダルで叩くバスドラ、カホン、ダフ、さらにはガダムの底を抜いて鱏の皮を貼った創作楽器を駆使する。ささやくような小さな音から、屋内いっぱいに響きわたる音まで、おそろしく多種多様な音、リズム、ビートを自在に叩きだす。

 上記オールドタイムではダフで、これまた共鳴するようなチューニングと演奏をする。楽器の皮をこする奏法から、おそろしく低い音が響く。重低音ではない、羽毛のように軽い、ホンモノの低音。

 その次の、前半最後の曲で、再度チューニング変更。今度はじょんも変える。ぐっと音域が低くなる。そして2本のフィドルはハーモニーというより、ズレている。いい具合にズレているので、つまりハーモニーとして聞える音の組合せからほんの少しズレている。ピタリとはまっていないところが快感になる。この快感はピタリとはまったハーモニーの快感よりもあたしは好きである。倍音がより濃密に、しかも拡がって聞える。

 この曲での熊本氏のパーカッションがおそろしくインテンシヴだ。緊張感が高まるあまり、ついには浮きあがりだす。

 リズムの感覚はじょんも原田さんも抜群なので、4曲目のスライドではフィドルがよくスイングするのを、カホンとサイドドラムとバスドラでさらに浮遊感が増す。

 最大のハイライトは後半オープナーのケープ・ブレトン三連発。ストラスペイからリールへの、スコットランド系フィドルでは黄金の組合せ。テンポも上がるのを、またもやインテンシヴな打楽器があおるので、こちらはもう昇天するしかない。

 より一般的なレパートリィで言えば、後半2曲目のジグのセットの3曲目がすばらしかった。Aパートがひどく低い音域で、Bパートでぐんと高くなる。後で訊いたらナタリー・マクマスターの曲〈Wedding Jig〉とのことで、これもケープ・ブレトン、アイリッシュではありませんでした。

 オールドタイムをとりあげたのは原田さんの嗜好で、おかげで全体の味わいの幅が広がっていた。味が変わると各々の味の旨味も引立つ。こういう自由さは伝統から離れているメリットではある。じょんは来年までお預けだが、原田さんと熊本さんには、誰かまた別のフィドラーを迎えてやって欲しい。(ゆ)

 『リバーダンス』2024東京公演最終日に行ってきた。今回は家族が同行者を求めたので応じた。自分だけで積極的に見たいとは思わないが、何かきっかけがあれば見に行くのはやぶさかではない。とはいえ、今度こそは最後であろう。これをもう一度見なければ死ねないというほどでもない。

 記録をくったら前回は2005年の簡略版最初の来日だったから、なんと20年ぶりになる。今回25周年を謳っていたのは初来日以来ということだろう。

 結論からいえば、思いの外に楽しめた。一つには席がやや左に偏っていたとはいえ最前列で、舞台の上の人たちの表情がよく見えたからでもある。

 最大の収獲はフラメンコで、この踊り手はマリア・パヘス以来。体のキレ、存在の華やかさ、そしてエネルギーにあふれる踊りは見ていて実に爽快。パヘスに届かないのは、あのカリスマ、貫禄、存在感で、これは芸というより人間の器の大きさの問題だ。

 もう一つ、この人は『リバーダンス』を脱けても聴きたいと思ったのはサックスの若い姉さん。今回はミュージシャンたちだけの出番が増えていて、もろにダンス・チューンを演奏もしたが、ソプラノ・サックスであれだけダンス・チューンを吹きこなすのはなかなかいない。録音があるのなら是非聴いてみたいものだ。

 パイパーもフィドラーもミュージシャンとしての質が高いし、ダンサーたちも皆巧い。男性プリンシパルにもう少し華が欲しいところ。やはりねえ、華という点ではフラトリーは飛びぬけていたからねえ。『リバーダンス』の男性プリンシパルを張るのはなかなか大変だとは同情しますよ。

 いろいろ削って、さらに簡略になっていて、これ以上簡略にはできないだろうというところまできているのは、やむをえないことではあるのだろうが、そう、万が一、当初のフル・サイズで、完全生バンドで、その後に加えたすべての演目も入れて来るのなら、それは見てもいいかなと思う。しかし、まあ無理であろうなあ。

 そうそう、人数が少ないのをカヴァーするためか、ダンサーたちがやたら声を出していたのは、あたしにはいささか興を削ぐものだった。別に黙って踊っていろというつもりはないが、あんなにきゃあきゃあ言わせなくてもいいんじゃないかねえ。

 それと、キャスト、スタッフの名前が公式サイト含めてどこにも無いのも、ヘンといえばヘン。最初は全部、クレジットされていた。

 とまれ、まずはいいものが見られてまんぞく、まんぞく。終演後は、少々離れてはいたものの、小石川のイタリア料理屋まで歩き、まことに美味なピザを腹一杯食べて、これもまんぞく、まんぞく。いい晩でした。たまには、こういうのもいいですね。(ゆ)

ひなのいえづと
中西レモン
DOYASA! Records
2022-07-31



Sparrow’s Arrows Fly so High
すずめのティアーズ
DOYASA! Records
2024-03-24


 やはり生である。声は生で、ライヴで聴かないとわからない。録音でくり返し聴きこんでようやくわかる細部はあるにしても、声の肌ざわり、実際の響きは生で聴いて初めて実感される。ましてやこのデュオのようにハーモニーの場合はなおさらだ。声が重なることで生まれる倍音のうち録音でわかるのはごく一部だ。音にならない、あるいはいわゆる可聴音域を超えた振動としてカラダで感じられるものが大事なのだ。ここは10メートルと離れていない至近距離。一応増幅はしていたようだが、ほとんど生声。

 ときわ座は30人も入れば一杯。結局ぎゅう詰めになる。ここはもと生花店だったのをほぼそのままイベント・スペースにしている。店の正面右奥の水道のあるブリキを貼った洗い場も蓋をして座れるようにしてある。正面奥は元の茶の間で、左手奥は台所。茶の間の手前、元は店舗部分だった部分の奥半分ほどの天井をとりはらい、2階から下が見えるようにし、2階に PA などを置いてあるらしい。マイクは立っているが、PAスピーカーは見当らない。

 楽器としてはあがさの爪弾くガット・ギターと持ち替えで叩くダホル、佐藤みゆきが時折り吹くカヴァルとメロディカ、それに〈江州音頭〉で使われる尺杖、〈秋田大黒舞〉で中西が使った鈴。どれもサポート、伴奏というよりは味つけで、主役は圧倒的に声、うただ。

 生で見てまず感嘆したのは中西レモン。《ひなのいえづと》でも感じてはいたものの、あらためてこの人ホンモノと思い知らされた。発声、コブシのコントロール、うたへの没入ぶり、何がきてもゆるがない根っ子の張り方。この人がうたいだすと、常に宇宙の中心になる。

 オープナーの〈松島節〉から全開。ゆったりのったりしたテンポがたまらない。そこに響きわたるすずめのティアーズのハモりで世界ががらりと変わる。変わった世界の中に中西の声が屹立する。

 と思えば次の〈塩釜甚句〉では佐藤のメロディカがジャズの即興を展開する。そういえば、あがさのギターも何気に巧い。3曲目〈ひえつき節〉はギター1本に二人のハモりで、そこに1970年代「ブリティッシュ・トラッド」のストイックなエキゾティズムを備えたなつかしき異界の薫りをかぎとってしまうのは、あたし個人の経験の谺だろうか。しかし、この谺は録音では感じとれなかった。

 美しい娘が洗濯しているというブルガリアの歌が挿入される〈ザラ板節〉がまずハイライト。この歌のお囃子は絶品。

 圧巻は6曲目〈ざらんとしょ〉。新曲らしい、3人のアカペラ・ハーモニー。声を頭から浴びて、洗濯される。

 前半の締めはお待ちかね〈ポリフォニー江州音頭〉。すずめのティアーズ誕生のきっかけになった曲で、看板ソングでもある。堪能しました。願わくば、もっと長くやってくれ。

 ここで佐藤が振っている長さ15センチほどの棒が尺杖で、〈江州音頭〉で使われる伝統楽器だそうな。山伏の錫杖を簡素化したものらしい。頭にある金属から高く澄んだ音がハーモニーを貫いてゆくのが快感を煽る。後半の締め、本来の〈江州音頭〉で中西が振るのは江州産の本物で、佐藤のものは手作りの由。現地産の方が音が低い。《Sparrow's Arrows Fly So High》で中西のクレジットに入っていた "shakujo" の意味がようやくわかった。

 先日のみわトシ鉄心のライヴと同じく、前半で気分は完全にアガってしまって、後半はひたすら陶然となって声を浴びていた。本朝の民謡とセルビア、ブルガリアの歌は、実はずっと昔から一緒にうたわれていたので、これが伝統なのだと言われてもすとんと納得されてしまう。それほどまでに溶けあって自在に往来するのが快感なんてものではない。佐渡の〈やっとこせ〉では、ブルガリアの歌からシームレスにお囃子につながるので、お囃子がまるでブルガリアの節に聞える。そうだ、ここでの歌はブルガリアの伝統歌の解釈としても出色ではないか。

 一方で〈秋田大黒舞〉でのカヴァルが、尺八のようでいてそうではないと明らかにわかる。その似て非なるところから身をよじられる快感が背骨を走る。

 それにしても、3人の佇まいがあまりにさりげない。まったく何の気負いも、衒いもなく、するりと凄いことをやっているのが、さらに凄みを増す。ステージ衣裳までが普段着に見えてくる。中西はハート型のピンクのフレームのサングラスに法被らしきものを着ているのに、お祭に見えない。すずめのティアーズの二人にいたっては、これといった変哲もないワンピース。ライヴを聴いているよりも、極上のアイリッシュ・セッションを聴いている気分。もっともセッションとまったく同じではなく、ここには大道芸の位相もある。セッションは見物人は相手にしないが、この3人は音楽を聴衆と共有しようとしている。一方でミュージシャン、アーティストとして扱われることも拒否しながらだ。

 とんでもなく質の高い音楽を存分に浴びて、感動というよりも果てしなく気分が昂揚してくる。『鉄コン筋クリート』の宝町を髣髴とさせる高田馬場を駅にむかって歩きながら、空を飛べる気分にさえなってくる。(ゆ)

 ここは2回目。前回は昨年10月の、須貝知世、沼下麻莉香&下田理のトリオだった。その時、あまりに気持ちよかったので、今回の関東ツアーのスケジュールにここがあったのを見て、迷わず予約した。すずめのティアーズとの共演にもものすごく心惹かれたのだが、仕事のイベントの直前でどうなるかわからないから、涙を呑んだ。後でトシさんからもう共演は無いかもしれないと言われたけど、前座でもなんでも再演を祈る。

 前回も始まったときは曇っていて、後半途中で雨が降りだし、降ったり止んだり。今回も後半途中で予報通り降りだす。次も雨なら、なにかに祟られているのか。

 前回は無かった木製の広いベランダが店の前に張りだす形にできていて、バンドははじめここに陣取る。PA が両脇に置かれている。リスナーは店の中からそちらを向くか、ベランダの右脇に張られたテントの中で聴く。PA は1台はそちら、もう1台が店の中に向いている。バックの新緑がそれは綺麗。前回は紅葉にはちょっと早い感じだったが、今回は染井吉野が終ってからゴールデン・ウィークまでの、新緑が一番映える時期にどんぴしゃ。こういう背景でこういう音楽を聴けるのはあたしにとっては天国だ。

mttdstr20240421


 このトリオを見るのはほぼ1年ぶり。前回は昨年2月。是政のカフェで、アニーが助っ人だった。その時はこの人たちをとにかく生で見られるというだけで舞いあがってしまっていた。とりわけみわさんだ。トシさんは他のバンドでも何度も見ている。鉄心さんも鞴座の生を見ている。みわさんはその時が初めてで、録音を聴いて永年憧れていたアイドルに会うというのはこういう気持ちかと思った。

 二度目としてまずは最高のロケーション、環境だ。そう、あの八ヶ岳アイリッシュ音楽フェスティヴァルのどこかで見られるとすれば、肩を並べるかもしれない。そういえば、去年あそこで一緒になった方も見えていて、今年の日程を教えてもらった。今年は9月第一週末、6〜8日だそうだ。よし、行くぞ。まだゲストも決まっていないそうだが、須貝さんとサムはいるし、セッションはそこらじゅうであるだろうから、あとはたとえ誰も来なくたってかまわない。

 で、みわトシ鉄心である。前回、これはあたしにとって理想のバンドだと思ったが、その理想のバンドがますます理想に近づいている。あるいは、ああ、あたしにとって理想のバンドとはこういう存在だったのだ、と気づかせてくれるレベルになっている。リルティングでのジグの1曲目からアンコールまで、ただただひたすらいい気持ち、そう、あの幸福感に包まれていた。

 既存のバンドで一番近いのはたぶん Cran だ、とあたしは思った。あちらは男性ばかりのトリオ、やはりパイプがいて、ギターならぬブズーキがいる。そして三声のコーラスで聴かせる。女声がいるということではスカラ・ブレイがあった。あちらはギター伴奏の四声。となるとみわトシ鉄心はクランとスカラ・ブレイのいいとこ取りをしていることになる。




 それにしてもだ、女声と男声のハーモニー、それも混声合唱団ではなく、少人数のハーモニー・コーラスには他のヴォーカルにはない蠱惑的と言いたい魅力が宿る。グレイトフル・デッドでも、1970年代半ば、76〜78年にかけての、ボブ・ウィアとドナ・ジーン・ガチョーの2人のコーラス、あるいはこれにジェリィ・ガルシアが加わった3人でのコーラスは、デッド30年の音楽の中でも一際輝く瞬間を何度も味わわせてくれる。デッドやスカラ・ブレイと同じく、みわトシ鉄心も地声で歌う。そこから、たとえばマンハッタン・トランスファーとは違って、土の薫りに包まれ、始源の響きが聞えてくる。そして、このトリオの面白いのは、みわさんがリードをとるところだ。

 今回まず感じいったのは、コーラスの見事さ。これが最も端的に現れたのはアンコールのそれもコーダのコーラスだった。これには圧倒された。とはいえ、オープナーの曲からずっと3人でのハーモニーがぴたりと決まってゆくのが実に快感。たぶんそれには鉄心さんの精進が効いているのではないか。前回はどこか遠慮がちというか、自信がもてないというか、歌いきれていない感覚がわずかながらあった。そういう遠慮も自信のなさも今回は微塵も見えない。しっかりとハモっていて、しかもそれを愉しんでいる。

 そうなのだ、3人がハモるのを愉しんでいるのだ。これは前回には無かったと思う。ハモるのは聴くのも愉しいが、なによりもまず歌う方が愉しいのだ。たぶん。いや、それは見ていて明らかだ。ぴたりとハモりが決まるときの快感は、音楽演奏の快感の中でも最高のものの一つではないかと、これは想像ではあるが、ハーモニーが決まることで生まれる倍音は外で聴くのもさることながら、中で自分の声もその一部として聞えるのはさらに快感だろう。

 だからだろうか、アレンジにおいても歌の比重が増えていて、器楽演奏の部分はずっと少ないように思えた。とはいえ、チューン演奏ではメインになるパイプの飄々とした演奏に磨きがかかっている。パイパーにもいろいろいて、流麗、華麗、あるいは剛直ということばで表現したくなる人たちもいる。鉄心さんのパイプのように、ユーモラスでいい具合に軽い演奏は、ちょっと他では聴いたことがない。

 ユーモラスな軽みが増えるなんてことは本来ありえないはずだ。よりユーモラスに、より軽くなる、わけではない。軽いのではない。軽みと軽さは違う。ところが、その性質が奥に隠れながら、それ故により明瞭に感じられる、不思議なことが起きている。あるいは歌うことによりのめり込んだからだろうか。

 みわさんはもともと一級のうたい手で、今さらより巧くなるとは思えないが、このトリオで歌うことのコツを摑んだのかもしれない。

 たぶん、そういうことなのだろう。各々個人として歌うことだけでなく、この3人で歌うことに習熟してきたのだ。楽器でもそういうことはあるだろうが、声、歌の場合はより時間がかかると思われる。その習熟にはアレンジの手法も含まれる。それが最も鮮明に感じられたのは〈古い映画の話〉。この歌も演奏されるにしたがって形を変えてきているが、ここに至って本当の姿が現れたと聞えた。

 それにしても、実に気持ち良くて、もうどれがハイライトかなどというのはどこかへ飛んでいた。ハイライトというなら始めから最後まで全部ハイライトだ。それでも後になるほど、良くなっていったようにも思う。とりわけ、休憩後の後半は雨を考慮して、バンドも中に入って屋内で生音でやる形にした。途中で雨が降りだしたから、まことに時宜を得た措置だったのだが、それ以上に、直近の生音での演奏、そしてコーラスには何度も背筋に戦慄が走った。

 そうそう、一番感心したのは、前半クローザーにやった〈オランモアの雄鹿〉。仕掛けがより凝って劇的になった上に、鉄心さんのとぼけた語りがさらに堂に入って、腹をかかえて笑ってしまった。

 バンドもここの場所、環境、雰囲気を気に入ったようだし、マスターもこの音楽には惚れたようで、これからも年に一、二度はやりましょうという話になっていたのは、あたしとしてはまことに嬉しい。「スローンチャ」のシリーズだけでなく、ほかのアクトもできるだけ見に来ようと思ったことであった。

 帰り、同じ電車を待っていた50代とおぼしきサラリーマンのおっさんが、「寂しいところですねえ、びっくりしました」と話しかけてきた。確かに谷峨の駅は寂しいかもしれないが、だからといって土地そのものも寂しいわけではない。(ゆ)


 いやもうすばらしくて、ぜひとももう一度見たいと思った。演る方も愉しいのだろう、どうやら続くようで、実に嬉しい。

 デュオを組んだきっかけは、昨年秋の時の話とはちょっと違っていて、新倉さんが名古屋、渡辺さんが岐阜でライヴをやっていて、新倉さんが渡辺さんのライヴを見に行こうとしたら会場のマスターがどうせなら楽器を持ってきたらと誘ったのだという。とまれ、このデュオが生まれたのは、音楽の神様が引合せたのだろう。

 今回、お二人も言うように、チェロと打楽器の組合せはまずこれまで無かったし、他にも無いだろう。この場合、楽器の相性よりも、本人たちがおたがい一緒に演りたい相手と思ったところから出発しているにちがいない。むろん、チェロと打楽器のための曲などあるはずもなく、レパートリィから作る必要がある。というのは、何をしようと自由であるとも言える。試行錯誤は当然にしても、それ自体がまた愉しいと推察する。

 この日はバッハやグリーグ、クレズマー、北欧の伝統曲、それに二人のオリジナルという構成で、完璧とは言えなくても、ほぼどれも成功していた。あるいはお二人の技倆とセンスと有機的つながり、それにそう、ホールの魔術が作用して成功させていたというべきか。

 開演前、渡辺さんが出てきてハマー・ダルシマーのチューニングをする。後でこれについての説明もしていたこの楽器が今回大活躍。ステージ狭しと広げられた各種打楽器の中で、使用頻度が一番高かったのではないか。旋律打楽器としてはむしろ小型で、ビブラフォンなどよりは扱いやすいかもしれない。チューニングは厄介だが。

 オープニングは二人が客席後方から両側の通路を入ってきた。各々手でささえた鉢のようなものを短い棒で叩いている。金属製の音がする。ステージに上がって台の上に置き、ナベさんがしばしソロ。見ていると鉢のように上が開いているわけではなく、鼓のように何か張ってあるらしい。それを指先で叩く。これも金属の音がする。なかなか繊細な響きだ。

 と、やおら新倉さんが弓をとりあげ、バッハの無伴奏組曲第一番のプレリュードを始める。ここは前回と同じ。

 このホールの響きのよさがここで出る。新倉さんもハクジュ・マジックと繰り返していたが、楽器はノーPAなのに、実に豊かに、時に朗々と鳴る。この会場には何度も来ているが、ホールの響きがこれほど良いと聞えるのは初めてだ。チェロはことさらこのホールに合っているらしい。それはよく歌う。いつもはあまり響かない最低域もよく響く。サイド・ドラムのような大きな音にもまったく負けない。

 しばしチェロの独奏が続いて、ナベさんが静かに入ってくる。はじめは伴奏の雰囲気がだんだん拮抗し、次のサラバンドの後、今度は打楽器の独奏になる。この響きがまたいい。大きくなりすぎないのは、叩き方によるだけでもないようだ。残響を含めてホールの響きに自然にそうなるようにも見える。

 サイド・ドラムでマーチ風のビートを叩きはじめるとチェロがジーグを始める。これが良かった。ちゃんと踊っているのだ。先日聴いたアイルランドのチェリスト Ailbhe McDonagh の録音もそうだが、ダンス・チューンになっている。この組曲の各パートはダンス曲の名前になっているんだから、元々はダンス・チューンのはずである。バッハの曲はそうじゃないという確固たる根拠があるのか。作曲者はチェロの独奏を前提にしているが、打楽器が加わることでダンス・チューンになるのなら、どんどん入るべし。この曲全体をこのデュオで録音してほしい。それとは別に新倉さんのソロでも聴きたいものではあるが。

 新倉さんはクラシックだけでなく、東欧の伝統音楽も好きだそうで、そこでクレズマー。これもいい。チェロでクレズマーというのは初めて聴いたが、ハマー・ダルシマーとの組合せもハマっていて、もっと聴きたい。二人で口三味線するのもいい。これがまずハイライト。

 次のグリーグ〈ソルヴェイグの唄〉からスウェーデンのポルスカへのつなぎも自然。ポルスカをチェロで弾くのはたいへんそうだが、楽しそうでもある。ハマー・ダルシマーの共鳴弦がそれは美しく響く。この曲でのチェロの響きが今回のベスト。こうなると、この会場で酒井絵美さんのハーダンガー・フィドルを聴いてみたいものだ。

 新倉さんはいろいろな楽器に興味があるそうで、京都の楽器屋で見かけた口琴を買ってしまったり、カザフスタンの撥弦楽器を持ちこんだりしている。口琴は結局ナベさんが担当し、チェロと合わせる。口琴もカザフの楽器も音がひどく小さいが、このホールではしっかり聞えるのが、まさに魔法に思える。

 撥弦楽器を爪弾くのにハマー・ダルシマー、それにガダムだろうか、これまた音の小さな壺型の打楽器と声を合わせたのがまたハイライト。新倉さんのオリジナルでなかなかの佳曲。

 ラストは前回もやったナベさんのオリジナルの面白い曲。中間部でふくらむチェロの響きに陶然となる。アンコールはイタリアのチェロ奏者の曲で、さすがにチェロのための曲で楽器をいっぱいに使う。

 今回はこのホールが続けているリクライニング・コンサートで、座席を一列置きに空けていて、シートを後ろに倒せる。もともとそういう仕掛けにしてある。とはいえ、ゆっくりもたれてのんびり聞くというには、かなりトンガったところもあって、身を乗出して耳を開いて聴く姿勢になる。

 いやしかし、このデュオはいい。ぜひぜひ録音も出してほしい。

 それにしてもハマー・ダルシマーの採用はナベさんにとってはターニング・ポイントになるのではないかという気もする。このデュオ以外でも使うだろう。これからどう発展してゆくかも楽しみだ。

 この日は昼と夜の2回公演があって、どちらにするか迷ったが、年寄りはやはり明るいうちに帰りたいと昼間を選んだ。このところ真冬に逆戻りしていたが、またエネルギーをいただいて、ほくほくと帰る。ありがたや、ありがたや。次は6月だ。(ゆ)

 松浦湊というシンガー・ソング・ライターを知ったのは昨年秋、かものはしこと川村恭子からザ・ナスポンズというバンドの3曲入りCDシングル《ナスの缶詰め, Ver.1》を買ったことによる。



 これがなんともすばらしかった。楽曲、演奏、録音三拍子揃った傑作。そのヴォーカルと曲の面白さにノックアウトされてしまった。

 まずは歌詞が抜群に面白い。日本語の歌詞でこういう言葉遊びをしているのは初めてお目にかかる気がする。ダジャレと思えたものが、そこから意味をずらしてまるで別のところへ向かうきっかけになる。まったく脈絡のなさそうなもの、ことにつながってゆく。その先に現れる風光がなんとも新鮮でスリリングで、そしてグリムダークでもあり、シュールレアリスムと呼びたくなる。どんぴしゃのメロディがその歌詞の面白さを増幅する。ちなみにタイトルが Vol. 1 ではなく、Ver. 1 であるのも遊びの一つに見えてくる。

 歌唱がいい。発音が明瞭で、声域も広く、様々なスタイルを歌いわけられる。コントロールがきいている。ホンモノの、一級の歌うたいだ。

 バンド全体のアレンジと演奏も、この面子で悪いものができようはずもないが、ヒロインに引張られ、またヒロインを盛りたてて、このバンドを心から愉しんでいるのがよくわかる。

 録音も見事で、ヴォーカルをきちんと前面に立て、器楽の音に埋もれるようなことはまったく無い。わが国のポピュラー音楽ではヴォーカルが引込んで、ともすれば伴奏やバックに埋もれて、何を聴かせたいのか、わからなくなる形にすることがなぜかデフォルトらしい。先日も、まだ聴いたことがないのかと友人に呆れられたので、Ado の新曲を Apple Music で聴いてみたが、やはりヴォーカルが周囲に埋もれているし、声にファズだろうか、妙なエフェクトがかれられていて、あたしの耳には歌詞がまったく聴きとれなかった(米津玄師の〈Kick Back〉はアメリカでもヒットしたそうだが、ヴォーカルがちゃんと前面に出ているのも要因だろう)。松浦の録音ではそういう心配はまるでない。その点では英語圏の歌の録音やミックスと同じだ。

 この3曲入りのシングルはまさにヘビロテとなった。毎日一度は聴く。持っているヘッドフォンやイヤフォンを取替え引替えして聴く。どれで聴いても面白い。聴けば、心はハレバレ。ラストの〈サバの味噌煮〉ではヴォーカルが聞えてくるといつも笑ってしまう。この曲での松浦の歌唱は、どこかの三流宮廷の夜会でサバの味噌煮のプレゼンをする貴婦人という役柄。つくづく名曲だ。

 さらに、本人のサイトを眺めているうちに、ソロの《レモンチマン》が出ていることに気づいて買った。こちらはバックが東京ローカルホンクだ。あのバンドのリード・シンガーが松浦に交替した形である。これもたちまちヘビロテとなった。《ナスの缶詰め, Ver.1》と交互に聴く。



 当然のことながら生を見たくなる。一番近いザ・ナスポンズのライヴをかものはしに聞いて予約した。ところが、その前々日に熱が出て、前日に COVID-19 陽性判定が出てしまった。その次が今回のソロ、松浦湊ワン・ヒューマン・ライヴである。このヴェニューで定期的に続いていて、今回が第19回の由。まずソロを見られたのは結果として良かった。ミュージシャンのより本質に近い姿が見聞できたからだ。そしてそれは予想した以上に「狂気」が現れたものだった。

 音楽は多かれ少なかれ「狂気」の産物である。それに触れ、共鳴したくて音楽を聴いている。言い方を変えれば、「狂気」の無いものは音楽として聞えない。つまりまったくの業務として演奏したり、作られたりしたものは商品ではあっても音楽では無い。

 現れる「狂気」の濃淡、深浅はそれぞれだが、録音よりもライヴでより強く現れる傾向はある。アイリッシュなどのケルト系のアクトでは比較的薄いことが多いが、表面おだやかで、坦々とした演奏の底にぬらぬらと流れているのが感じられて、ヒヤリとすることもある。このヒヤリを味わいたくて、ライヴに通うわけだ。

 加えてバンドよりもソロの方が、「狂気」がより現れやすい傾向もある。この「ワン・ヒューマン・ライヴ」はすでに回も重ね、勝手知ったるハコ、お客さんも馴染みが多く、あたしのような初体験はどうも他にはいないような具合で、演る方としてもより地が出やすい、と思われた。

 まず声の強さは生で聴く方がより実感する。マイクを通しているが、ノーPAでも十分ではないかと思われるくらいよく通る。駆使する声の種類もより多い。〈かも〉ではカモの鳴き声を模写するが、複数の鳴き声をなきわける。もっとも本人曰く、カラスの声も混じったらしい。個人的にこのところカラスと格闘しているのだそうだ。ゴミを狙われているのか。

 ソロを生で見てようやくわかったのがギターの上手さ。5本の指によるフィンガー・ピッキングで、その気になればこれだけで食えるだろう。《レモンチマン》のギターの一部は本人だったわけだ。テクだけでなく、センスもいい。「いーぐる」の後藤さんではないが、音楽のセンスの無いやつはどうにもならないので、名の通った中にも無い人はいる。そしてセンスというのは日頃の蓄積がものを言うので、即席では身につかない。松浦は未就学児の頃、たまや高田渡で歌い踊っていたというから、センスのよさには先天的な要素も作用しているはずだ。

 もう一つ面白かったのが、MC はだらけきっているのに、いざ演奏を始めると別人になるその切替。MC はゆるゆるだが、不愉快ではない。こっちも一緒にだらけましょうという気分にさせられる。この文章もつられてだらだらになっている。それがまるで何の合図もきっかけもなく、不意に曲が始まる。場の空気がぱっと変わって歌の世界になる。ぴーんと張りつめている。聴くほうもごく自然に張りつめている。終るとまただらんとする。

 歌も上手いが、上手いと感じさせない。つまり歌そのものよりも歌が上手いことが先にたつことがない。聴かせたいのは歌の上手さではなく、歌そのものだ。それでも上手いなあと思ったのは3曲目の〈誤嚥〉。歌のテーマは時代に即している。というより、これからますますヴィヴィッドになるだろう。

 グレイトフル・デッドのショウに傾向が似ていて、前半はどちらかというと助走の趣、休憩をはさんだ後半にエンジンがかかる。先述の〈かも〉から始めて、〈おやすみ〉〈マーガレット〉〈あさりでも動いている〉とスローな曲が3曲続いたのがまずハイライト。〈あさり〉は《ナスの缶詰め, Ver.1》冒頭の曲でもあるが、実に新鮮に聞える。その前2曲はいずれも名曲。このあたり、ぜひソロの弾き語りの録音を出してほしい。

 亡霊の歌をはさんで、その後、ラストの〈サバ〉までがまたハイライト。ここで「狂気」が最も色濃くなる。〈平明のうた〉?では複数の登場人物を歌いわける。その次の〈ラビリンス〉が凄い。こういう曲のならびは意図していたことではないけれどと言いながら、その流れに乗ってやった〈喫茶店〉がまた面白い。

 なにかリクエストありますかと言っておいて、上がったものに次々にダメ出しして、結局〈サバ〉におちつく。いやあ、やはり名曲だのう。

 アンコールの〈コパン〉がまた佳曲。弾き語りをやると決めて初めて作った曲だそうだ。神楽坂のシュークリームが名物のカフェと関係があるのか。

 7時半オンタイムで始め、終演は10時近い。堪能したが、しかし、これで全部ではあるまい。まだまだ出していないところ、出ていない相があるはずだ。それもまた感じられる。持ち歌もこの何倍もありそうだ。ここでの次回は5月5日、昼間。デッドもよく昼間のショウをしている。午後2時開演というのがよくある。たいていは屋外だ。そう、松浦はどうだろう。屋外の広いところでもソロで見てみたい。どこかのフェスにでも行かねばなるまいが。

 初夏の後の真冬の雨で、入る前はおそろしく寒かったが、出てきた時はいい音楽のおかげかゆるんでいる。(ゆ)


2024-03-01訂正
 うっかり「バック・バンド」と書いたところ、メンバーから抗議をいただいたので、お詫びして訂正いたします。確かにジェファーソン・エアプレインはグレイス・スリックのバック・バンドではないし、プリテンダーズはクリシー・ハインドのバック・バンドではありませぬ。ザ・ナスポンズの松浦湊はスリックやハインドに匹敵するとあたしは思う。ソロの時は、歌唱といい、ギターといい、ジョニ・ミッチェルやね。

 パンデミックをはさんで久しぶりに見るセツメロゥズは一回り器が大きくなっていた。個々のメンバーの器がまず大きくなっている。この日も対バンの相手のイースタン・ブルームのステージにセツメロゥズのメンバーが参加した、その演奏がたまらない。イースタン・ブルームは歌中心のユニットで、セツメロゥズのメインのレパートリィであるダンス・チューンとは違う演奏が求められるわけだが、沼下さんも田中さんも実にぴったりの演奏を合わせる。この日は全体のスペシャル・ゲストとして高梨菖子さんもいて、同様に参加する。高梨さんがこうした曲に合わせるのはこれまでにも見聞していて、その実力はわかっているが、沼下さんも田中さんもレベルは変わらない。こういうアレンジは誰がしているのかと後で訊ねると、誰がというわけでもなく、なんとなくみんなで、と言われて絶句した。そんな簡単にできるものなのか。いやいや、そんな簡単にできるはずはない。皆さん、それぞれに精進しているのだ。

 もう一つ後で思いついたのは、熊谷さんの存在だ。セツメロゥズは元々他の3人が熊谷さんとやりたいと思って始まったと聞くが、その一緒にやったら面白いだろうなというところが効いているのではないか。

 つまり熊谷さんは異質なのだ。セツメロゥズに参加するまでケルト系の音楽をやったことが無い。多少聞いてはいたかもしれないが、演奏に加わってはいない。今でもセツメロゥズ以外のメインはジャズやロックや(良い意味での)ナンジャモンジャだ。そこがうまい具合に刺激になっている。異質ではあるが、柔軟性がある。音楽の上で貪欲でもある。新しいこと、やったことのないことをやるのが好きである。

 そういう存在と一緒にやれば、顕在的にも潜在的にも、刺戟される。3人が熊谷さんとやりたいと思ったのも、意識的にも無意識的にもそういう刺戟を求めてのことではないか。

 その効果はこれまでにもいろいろな形で顕れてきたけれども、それが最も面白い形で出たのが、セツメロゥズが参加したイースタン・ブルーム最後の曲。この形での録音も計画されているということで、今から実に楽しみになる。

 そもそもこのセツメロ FES ということからして新しい。形としては対バンだが、よくある対バンに収まらない。むしろ対バンとしての形を崩して、フェスとうたうことで見方を変える試みとあたしは見た。そこに大きくひと役かっていたのが、木村林太郎さん。まず DJ として、開演前、幕間の音楽を担当して流していたのが、実に面白い。いわゆるケルティック・ミュージックではない。選曲で意表を突くのが DJ の DJ たるところとすれば、初体験といいながら、立派なものではないか。MC でこの選曲は木村さんがアイルランドに留学していた時、現地で流行っていたものという。アイルランドとて伝統音楽がそこらじゅうで鳴っているわけではないのはもちろんだ。伝統音楽はヒット曲とは別の世界。いうなれば、クラシックやジャズといったジャンルと同等だ。そして、伝統音楽のミュージシャンたちも、こういうヒット曲を聴いていたのだ。そう見ると、この選曲、なかなか深いものがある。金髪の鬘とサングラスといういでたちで、外見もかなりのものである。これは本人のイニシアティヴによるもので、熊谷さんは DJ をやってくれと頼んだだけなのだそうだ。

 と思っていたら、幕間にとんでもないものが待っていた。熊谷さんのパーカッションをサポートに、得意のハープをとりだして演りだしたのが、これまたわが国の昔の流行歌。J-POP ではない、まだ歌謡曲の頃の、である。原曲をご存知ない若い方の中にはぽかんとされていた人もいたけれど、知っている人間はもう腹をかかえて笑ってしまった。アナログ時代には流行歌というのは、いやがおうでもどこかで耳に入ってきてしまったのである。デジタルになって、社会全体に流行するヒット曲は出なくなった。いわゆる「蛸壺化現象」だ。

 いやしかし、木村さんがこんな芸人とは知らなんだ。ここはぜひ、適切な芸名のもとにデビューしていただきたい。後援会には喜んではせ参じよう。

 これはやはり関西のノリである。東京のシーンはどうしても皆さんマジメで、あたしとしてはもう少しくだけてもいいんじゃないかと常々思っていた。これまでこんなことをライヴの、ステージの一環として見たことはなかった。木村さんにこれをやらせたのは大成功だ。これで今回の企画はめでたくフェスに昇格したのだ。

 しかし、今回、一番に驚いたのはイースタン・ブルームである。那須をベースに活動しているご夫婦だそうで、すでに5枚もアルバムがあるのに、あたしはまったくの初耳だった。このイベントに行ったのも、ひとえにセツメロゥズを聴きたいがためで、正直、共演者が誰だか、まったく意識に登らなかった。セツメロゥズが対バンに選ぶくらいなのだから悪いはずはない、と思いこんでいた。地方にはこうしたローカルでしか知られていないが、とんでもなく質の高い音楽をやっている人たちが、まだまだいるのだろう。そう、アイルランドのように。

 小島美紀さんのヴォーカルを崇さんがブズーキ、ギターで支える形。まずこのブズーキが異様だった。つまり、ドーナル・ラニィ型でもアレック・フィン型でも無い。赤澤さんとも違う。ペンタングル系のギターの応用かとも思うが、それだけでもなさそうだ。あるいはむしろアレ・メッレルだろうか。それに音も小さい。聴衆に向かってよりも、美紀さんに、共演者たちに向かって弾いている感じでもある。

 そしてその美紀さんの歌。この声、この歌唱力、第一級のシンガーではないか。こんな人が那須にいようとは。もっとも那須が故郷というわけではなく、出身は岡山だそうだが、ともあれ、この歌はもっと広く聴かれていい。聴かれるべきだ、とさえ思う。すると、いやいや、これはあたしだけの宝物として、大事にしまっておこうぜという声がささやいてくる。

 いきなり "The snow it melt the soonest, when the winds begin to sing" と歌いだす。え、ちょっ、なに、それ。まさかここでこんな歌を生で聴こうとは。

 そしてイースタン・ブルームとしてのステージの締めくくりが〈Ten Thousand Miles〉ときた。これには上述のようにセツメロゥズがフルバンドで参加し、すばらしいアレンジでサポートする。名曲は名演を引き出すものだが、これはまた最高だ。

 この二つを聴いていた時のあたしの状態は余人には到底わかるまい。たとえて言えば、片想いに終った初恋の相手が大人になっていきなり目の前に現れ、にっこり微笑みかけてきたようなものだ。レコードでは散々いろいろな人が歌うのを聴いている。名唱名演も少なくない。しかし、人間のなまの声で歌われるのを聴くのはまったく別の体験なのだ。しかも、第一級の歌唱で。

 この二つの間に歌われるのはお二人のオリジナルだ。初めの2曲は2人だけ。2曲目の〈月華〉がいい。そして沼下さんと熊谷さんが加わっての3曲目〈The Dream of a Puppet〉がまずハイライト。〈ハミングバード〉と聞えた5曲目で高くスキャットしてゆく声が異常なまでに効く。高梨さんの加わった2曲はさすがに聴かせる。

 美紀さんのヴォーカルはアンコールでもう一度聴けた。1曲目の〈シューラ・ルゥ〉はこの曲のいつもの調子とがらりと変わった軽快なアップ・テンポ。おお、こういうのもいいじゃないか。そして最後は別れの歌〈Parting Glass〉。歌とギターだけでゆっくりと始め、これにパーカッション、ロウ・ホイッスル、もう1本のブズーキ、フィドルとアコーディオンと段々と加わる。

 昨年のみわトシ鉄心のライヴは、やはり一級の歌をたっぷりと聴けた点で、あたしとしては画期的な体験だった。今回はそれに続く体験だ。どちらもこれから何度も体験できそうなのもありがたい。関西より那須は近いか。この声を聴くためなら那須は近い。近いぞ。

 念のために書き添えておけば、shezoo さんが一緒にやっている人たちにも第一級のシンガーは多々いるが、そういう人たちとはまた別なのだ。ルーツ系の、伝統音楽やそれに連なる音楽とは、同じシンガーでも歌う姿勢が変わってくる。

 後攻のセツメロゥズも負けてはいない。今回のテーマは「遊び」である。まあ、皆さん、よく遊ぶ。高梨さんが入るとさらに遊ぶ。ユニゾンからするりと外れてハーモニーやカウンターをかまし、さらには一見いや一聴、まるで関係ないフレーズになる。こうなるとユニゾンすらハモっているように聞える。最高だったのは7曲目、熊谷さんのパーカッション・ソロからの曲。アフリカあたりにありそうなコトバの口三味線ならぬ口パーカッションも飛び出し、それはそれは愉しい。そこからリールになってもパーカッションが遊びまくる。それに押し上げられて、最後の曲が名曲名演。その次の変拍子の曲〈ソーホー〉もテンションが変わらない。パンデミックは音楽活動にとってはマイナスの部分が大きかったはずだが、これを見て聴いていると、まさに禍福はあざなえる縄のごとし、禍があるからこそ福来たるのだと思い知らされる。

 もう一つあたしとして嬉しかったのは、シェトランドの曲が登場したことだ。沼下さんが好きなのだという。そもそもはクリス・スタウトをどこの人とも知らずに聴いて惚れこみ、そこからシェトランドにはまったのだそうだ。とりわけラストのシェトランドのウェディング・マーチはいい曲だ。シェトランドはもともとはノルウェイの支配下にあったわけで、ウェディング・マーチの伝統もノルウェイからだろう。

 沼下さんは自分がシェトランドやスコットランドが好きだということを最近自覚したそうだ。ダンカン・チザムとかぜひやってほしい。こういう広がりが音楽の深化にも貢献しているといっても、たぶん的外れにはなるまい。

 今月3本のライヴのおかげで年初以来の鬱状態から脱けでられたようである。ありがたいことである。皆さんに、感謝感謝しながら、イースタン・ブルームのCDと、熊谷さんが参加している福岡史朗という人のCDを買いこんで、ほくほくと帰途についたのであった。(ゆ)

イースタン・ブルーム
小島美紀: vocal, accordion
小島崇: bouzouki, guitar

セツメロゥズ
沼下麻莉香: fiddle
田中千尋: accordion
岡皆実: bouzouki
熊谷太輔: percussion

スペシャル・ゲスト
高梨菖子: whistle, low whistle

 4年ぶりのこの二組による新年あけましておめでとうライヴ。前回通算6回目は2020年の同月同日。月曜日、平日の昼間、会場は下北沢の 440。今回、最後にあちこちへのお礼を述べた際、中藤さんが思いっきり「440の皆さん、ありがとう」と言ってしまったのも無理はない。3年の空白はそれだけ大きい。言ってしまってから、しゃがみこんでいたのも頬笑ましかった。

 まず初めに全員で出てきて1セット。ジグの定番曲を3曲連ねる。その3曲目のBパートでさいとうさんと中藤さんのダブル・フィドルが高く舞いあがるところでまず体が浮く。昨年末、同じ会場での O'Jizo の15周年記念ライヴでは中藤さんと沼下さんのダブル・フィドルが快感だったのに負けない。沼下さんとの組合せだと流麗な響きになるのが、この組合せだと華麗になる。今回はいたるところでこのダブル・フィドルに身も心も浮きあがったのがまず何よりありがたいことだった。本格的にダブル・フィドルをフィーチュアしたバンドを誰かやってくれないか。その昔、アルタンの絶頂期、《The Red Crow》《Harvest Storm》《Island Angel》の三部作を前人未踏の高みに押しあげていたのも、ダブル、トリプルと重なるフィドルの響きだった。

 演奏する順番を決めるのはじゃんけんで、tricolor 代表はゲストの石崎氏、Cocopelina 代表はお客さんの一人。お客さんの勝ちで Cocopelina 先攻になる。

 かれらの生を見るのは一昨年の11月以来。その間に昨年末サード・アルバムを出していた。それによる変化は劇的なものではないが、深いところで進行しているようだ。アンサンブルのダイナミズム、よく遊ぶアレンジ、そして選曲と並べ方の妙、というこのバンドの長所に一層磨きがかかっている。新譜からの曲だけでなく、その後に作った新曲もどんどん演る。

 4曲目の〈Earl's Chair〉は実験で、有名なこの曲だけをくり返しながら、楽器編成、アレンジを次々に変えてゆく。アニーがブズーキで参加するが、通常の使い方ではなく、エフェクタでファズをかけたエレクトリック・ブズーキの音にして、ロック・バンドのリード・ギターのノリである。これはアンコールでも再び登場し、場の温度を一気に上げていた。

 この日は互いのステージに休んでいる方のメンバーが様々な形で参加した。気心の知れた、たがいの長所も欠点も知りつくしている仲だからこその芸だろうか。これが全体の雰囲気をゆるめ、年頭のめでたさを増幅もする。それにこうした対バン・ライヴならではの愉しさでもある。

 サポートの点で特筆すべきはバゥロンの石崎氏で、終始冷静にクールに適確な演奏を打ちだす。どちらかというと、ビートを強調してノリをよくするよりも、ともすれば糸の切れた凧のようにすっ飛んでいきかねないメンバーの手綱を上手にさばいていると聞えた。tricolor の時にも Cocopelina の時にも飄々と現れてぴたりとはまった合の手を入れるのには唸ってしまった。

 プレゼント・タイムの休憩(今回のプレゼントのヒットは岩瀬氏が持ってきたマイク・オールドフィールド《Amarok》のCD。昨年こればかり聴いていたのだそうだ)をはさんでの tricolor も怠けてはいない。オープナーの〈Migratory〉はもう定番といっていいが、1曲目でアコーディオンとフィドルがメロディを交錯させるのは初めて聴いた。2曲目〈Three Pieces〉の静と動の対照の鮮かさに陶然とする。次のセットの4曲目が実に良い曲。

 次の〈カンパニオ〉というラテン語のタイトルのセットでさいとうさんが加わり、まずコンサティーナ。長尾さんがマンドリン、アニーがギターのカルテット。持続音楽器と非持続音楽器のユニゾンが快感。2曲目でダブル・フィドルとなっての後半、テンポ・アップしてからには興奮する。締めは例によって〈ボン・ダンス〉。しかし、手拍子でノルよりも、じっと聴きこまされてしまう。この曲もまた進化している。

 どちらもアコースティック楽器がほとんどなのに、演奏の変化が大きく、多様性が豊富で、ステージ全体が巨大な万華鏡にも見えてくる。年明け一発めのライヴにまことにふさわしい。今年は元旦からショックが続いたから、こういう音楽が欲しかった。ショックの核の部分は11日の shinono-me+荒谷良一が大部分融解してくれたのに重ねて、今年初めてのアイリッシュ系のライヴでようやく2024年という年が始まった。ありがたや、ありがたや。

 それにしても、この二つ、演奏とアレンジのダイナミック・レンジの幅が半端でなく大きいから、サウンド担当の苦労もまた大変なものだ。エンジニアの原田さんによると、終った時にはくたくたになっているそうな。あらためてすばらしい音響で聴かせてくれたことに感謝する。(ゆ)


さいとうともこ: fiddle
岩浅翔: flute, whistles, banjo
山本宏史: guitar

中藤有花: fiddle, concertina, vocal
長尾晃司: guitar, mandolin
中村大史: bouzouki, guitar, accordion, vocal

Special Guest
石崎元弥: bodhran, percussion, banjo

 このところ、積極的に音楽を聴く気にも、本を読もうという気にもなれなかった。日々、暮らしに必要なことやルーチンをこなしながら、茫然と過してしまう。

 というのはやはり能登の地震のショックなのではないか。と思ったのは、このライヴに出かける直前だった。年末にはようやくデッド本が向かうべき方向が見えてきたし、エイドリアン・チャイコフスキーに呼ばれてもいて、よっしゃひとつ読んでやろうやという気分になっていたはずだった。年が明けてしばらくは毎年恒例のことで過ぎる。元旦は近隣の神社、どれも小さく普断は無人の社に初詣してまわる。2日、3日は駅伝で過ぎ、3日、駅伝が終ったところで3年ぶりに大山阿夫利神社へ初詣に行った。そして、4日、5日と経つうちに、どうもやる気が起きない。こりゃあボケが始まったのかという不安も湧いた。それがひょっとすると元旦に大地震というショックの後遺症、PTSD といっては直接の被害者の方々に失礼になろうが、その軽いものに相当するやつではなかろうか、とふと思ったのだった。

 ライヴのことはむろん昨年のうちに知り、即予約をしていて、今年初ライヴがこれになることに興奮もし、楽しみにもしていた。はずだった。それが、いざ、出かけようとすると、腰が重いのである。これという理由もなく行きたくない、というより、さあライヴに行くぞという気分になれない。

 ライヴというのは会場に入ったり、演奏が始まったりするのがスタートなのではない。家を出るときからイベントは始まっている。ライヴに臨む支度をしていく。そういう心構えを作っていく。それがどこかではずれると、昨年末の「ケルティック・クリスマス」のように遅刻なんぞしたりしてしまうと、せっかく作った心構えが崩れて、音楽をすなおに楽しめなくなる。

 しかし、こういう時、なんとなく気が進まないといってそこでやめてしまうと、後々、後悔することになることもこれまでの経験でわかっている。だから、半ば我が身に鞭打って出発したのだった。

 そうしたら案の定である。開演時刻と開場時刻を間違えていて、いつもなら開場前に来て開くのを待っているのが、今回は予約客のほとんどラストだった。危ない危ない。席に座るか座らないかで、ミュージシャンたちが前に出ていった。努めて気を鎮める。

 そうして始まった。いや、始まったのだろうか。shezoo さんも石川さんも、永井さんの方を見つめている。永井さんは床にぺたりと座りこんで、何やらしているようだ。遅く来たために席は一番後ろで、音を聴く分にはまったく問題ないが、永井さんが床の上でしていることは前の人の陰になって見えない。やむなく、時々立ちあがって見ようとしてみる。

 そのうち小さく、静かに音が聞えてきた。はじめは何も聞えなかったのが、ごくかすかに、聞えるか聞えないかになり、そしてはっきりと聞えだした。何か軽く叩いている。いろいろなものを叩いている。その音が少しずつ大きくなる。が、ある大きさで止まっている。すると、石川さんが声を出しはじめた。歌詞はない。スキャットでうたってゆく。しばらく2人だけのからみが続く。一段落したところでピアノがこれまた静かに入ってきた。

 こうして始まった演奏はそれから1時間半以上、止まることがなかった。曲の区切りはわかる。しかし、まったく途切れなしに演奏は続いている。たいていは永井さんが何かを鳴らしている。ピアノが続いていることもある。そうして次の曲、演目に続いてゆく。

 いつものライヴと違うのは曲のつなぎだけではない。エアジンの店内いたるところにモノクロの小さめの写真が展示されている。そして奥の壁、ちょうど永井さんの頭の上の位置にスクリーンが掲げられて、ここにも写真が、こちらはほとんどがカラーで時折りモノクロがまじる写真がスライド・ショー式に写しだされる。このスクリーンを設置するために、永井さんは床に座ったわけだ。各種の楽器も床の上や、ごく低い位置に置かれている。

 写真はいずれも古い木造の校舎。そこで学んだり遊んだりしているこどもたちからして小学校だ。全部ではないが、ほとんどは同じ学校らしい。背景は樹々の繁った山。田植えがすんだばかりの水田の手前の道に2人の男の子が傘をさして立ち、その間、田圃のずっと向こうに校舎が見える写真もある。

 写真は荒谷良一氏が1991年に撮影したものという。それから30年以上経った昨年春、この写真によって開いた写真展を shezoo さんが訪れ、そこでこのコラボレーションを提案した。写真から shezoo さんはある物語を紡ぎ、それに沿って3人各々のオリジナルをはじめとする曲を選んで配列した。それには、川崎洋編になる小学校以下の子どもたちによる詩集『こどもの詩』文春新書から選んだ詩の朗読も含まれる。この詩がまたどれも面白い。そして音楽と朗読に合わせて荒谷氏が写真を選んでスライド・ショーに組立てた。

 後で荒谷氏に伺ったところでは、教科書用の写真を撮るのが仕事だったことから、教科書会社を通じて小学校に頼んで撮らせてもらった。こうした木造校舎は当時すでに最後に残されたもので、どこか壊れたら修理はできなくなっていた。撮影して間もなく、みな建替えられていった。小学校そのものが無くなった例も多い。

 写真展のために作った写真集を撮影した小学校に送ったところ、そこに当時新任教師として写っていた方が校長先生になり、子どもの一人は PTA 会長になっていたそうな。

 shezoo さんが写真から紡いだ物語は、完成した1本のリニアな物語というよりは、いくつもの物語を孕んだ種をばら播いたけしきだ。聴く人が各々にそこから物語を引きだせる。言葉で語ることのできない物語でもある。音楽と写真が織りなす、言葉になれない物語。あるいは物語群。ないしいくつもの物語が交差し、からみあい、時には新たな物語に生まれかわるところ。それでいて、ある一つの物語を語っている。それがどんな物語か、何度も言うが、ことばで説明はできない。聴いて、見て、体験するしかない。幸いに、このライヴはエアジンによって配信もされていて、有料ではあるが、終った後でも見ることができる。あたしがここで縷々説明する必要もない。

 打楽器は実に様々な音を出す。叩くのが基本だが、加えてこする、振る、かき乱す、たて流す、はじく、などなど。対象となる素材もまた様々で、木、革、金属、プラスティック、石、何だかわからないもの。形もサイズもまた様々。今回は大きな音を出さない。前回のライヴでは、時にドラム・キットを叩いて他の2人の音がかき消される場面もあって、その時は正直たまらんと思った。しかし後で思いかえしてみれば、それはそれでひとつの表現であるわけだ。ここでは打楽器が他を圧倒するのだという宣言なのだ。今回、打楽器はむしろ比較的小さな音を出すことを選んだ。ひとつには映像、写真とのコラボレーションという条件を考慮してでのことだろう。また、前回は大きな音を試したから、今回は小さな音でどこまでできるかを試すという意味もあるだろう。とまれ、この選択はみごとにうまく働き、コラボレーションの音楽の側の土台をがっしりと据えていた。曲をつないだのはその一つの側面だが、途切れがまったく無いことによる緊張の高まりをほぐすのが大きかった。永井さんの演奏にはユーモアがあるからだ。

 石川さんも shezoo さんもユーモアのセンスには事欠かないが、ふたりともどちらかというと、あまり表に出さない。隠し味として入れる方だ。永井さんのユーモアはより外向的だ。演奏にあらわれる。そして器が大きい。他の2人のやることをやわらかく受けとめ、ふさわしく返す。

 石川さんはスキャットで始める。歌詞が出たのは4曲目〈Mother Sea〉、「海はひろいな〜、おおきいな〜」というあの歌の英語版である。当初、このメロディはよく知ってるが、なんの歌だっけ、と思ったくらい意表を突かれた。

 とはいえ、詞よりもスキャットをはじめ、これも様々な音、声を使った即興の方に耳が引っぱられる。詞が耳に入ってきたのは、後半も立原道造の詩に shezoo さんが曲をつけた〈薄明〉。絶唱といいたくなる、ここから演奏のギアが変わった。その次、小学校3年生の詩「ひく」に続いて打楽器が炸裂する。次のカール・オルフ〈In Trutina〉がまた絶唱。テンションそのまま〈雨が見ていた景色〉と今度は5年生の詩「青い鳥へ」を経て、〈からたちの花〉の「まろいまろい」の「い」を伸ばす声に天国に運ばれる。しめくくる shezoo さんの〈両手いっぱいの風景〉は、まさに今、ひとつの物語をくぐりぬけてきた、体験してきたことを打ちこんでくる。もう一度言うが、どんな話だと訊かれても、ことばでは答えられない物語。そして、打楽器が冒頭の、今日の演奏を始めた低いビートにもどる。ゆっくりとゆっくりとそれが小さくなり、消えてゆく。

 渡されたプログラムでは、いくつかの曲と詩がひとまとまりにされていて、どこかで休憩が入るものと思いこんでいたから、まったく途切れもなく続いてゆくのに一度は戸惑った。それが続いてゆくのにどんどん引きこまれ、気がつくと今いる時空は、音楽が途切れなく続くことによって現れたものだった。

 語りおえられたことが明らかになって夢中で喝采しながら、生まれかわった気分になっていた。そして、ここへ来るまで胸をふさいでいたものが晴れているのを感じた。それが能登の地震によるショックだったとようやくわかったのである。やはり人間に音楽は必要なのだ。

 今回はそれに木造校舎で学び遊ぶ子どもたちの姿が加わった。その姿はすでに失われて久しい。二度ともどることもない。それでも写真は記憶、というよりは記憶を呼びおこす触媒として作用する。そこで呼びおこされる記憶は必ずしも見る人が実際に体験したものの記憶とは限らない。木造校舎は地球からの贈り物の一つだからだ。映像と音楽の共鳴によって物語による浄化と再生の力は自乗されていた。

 関東大震災の夜、バスキングに出た添田唖蝉坊の一行は人びとに熱狂的に迎えられた。阪神淡路大震災の際、避難所でソウル・フラワー・モノノケ・サミットが演奏した時、人びとはそれまで忘れようとしていた、抑えつけていた涙を心おきなく流した。

 音楽はパンではない。しかし、人はパンのみにて生きられるものでもない。音楽は人が人であるために必要なのだ。このすばらしいライヴで今年を始められたことは、期せずして救われることにもなった。shinono-me、荒谷良一氏、そして会場のエアジンに心から感謝。(ゆ)

shinono-me
石川真奈美: vocal
永井朋生: percussion
shezoo: piano

荒谷良一: photography, slide show



 今年の録音のベストは『ラティーナ』のオンライン版に書いたので、そちらを参照されたい。

 今年最後の記事は、今年見て聴いたライヴのうち、死ぬまで忘れえぬであろうと思われるものを挙げる。先頭は日付。これらのほとんどについては当ブログで書いているので、そちらをご参照のほどを。ブログを書きそこねた3本のみ、コメントを添えた。

 チケットを買っておいたのに、風邪をひいたとか、急な用件とかで行けなくなったものもいくつかあった。この年になると、しっかり条件を整えてライヴに行くのもなかなかたいへんだ。


01-07, マタイ受難曲 2023 @ ハクジュ・ホール、富ケ谷
 shezoo さんの《マタイ》の二度目。物語を書き換え、エバンゲリストを一人増やす。他はほぼ2021年の初演と同じ。

 どうもこれは冷静に見聞できない。いつものライヴとはどこか違ってしまう。どこがどう違うというのが言葉にできないが、バッハをこの編成で、非クラシックとしてやることに構えてしまうのか。いい音楽を聴いた、すばらしい体験をした、だけではすまないところがある。「事件」になってしまう。次があれば、そしてあることを期待するが、もう少し平常心で臨めるのではないかと思う。





05-03, ジョヴァンニ・ソッリマ、ソロ・コンサート @ フィリアホール、青葉台
 イタリアの特異なチェロ奏者。元はクラシック畑の人だが、クラシックでは考えられないことを平然としてしまう。この日も前半はバッハの無伴奏組曲のすばらしい演奏だが、後半はチェロで遊びまくる。もてあそばれるチェロがかわいそうになるくらいだ。演奏の途中でいきなり立ちあがり、楽器を抱え、弾きながらステージを大きく歩きまわる。かれにとっては、そうしたパフォーマンスもバッハもまったく同列らしい。招聘元のプランクトンの川島さんによると、本人曰く、おとなしくクラシックを演っていると退屈してくるのだそうだ。世には実験とか前衛とかフリーとか称する音楽があるが、この破天荒なチェロこそは、真の意味で最前衛であり、どんなものにも束縛されない自由な音楽であり、失敗を恐れることなどどこかに忘れた実験だ。音楽のもっているポテンシャルをチェロを媒介にしてとことんつき詰め、解放してゆく。と書くと矛盾しているように見えるが、ソッリマにあっては対極的なベクトルが同時に同居する。そうせずにはいられない熱いものが、その中に滾っている。感動というよりも、身も心も洗われて生まれかわったようにさわやかな気持ちになった。









09-18, 行川さをり+shezoo @ エアジン、横浜
 恒例 shezoo さんの「七つの月」。7人の詩人のうたを7人のうたい手に歌ってもらう企画の第5夜「月と水」。

 行川さんの声にはshezoo版《マタイ受難曲》でやられた。《マタイ》のシンガーの一人としてその声を聴いたとたんに、この声をいつまでも聴いていたいと思ってしまった。《マタイ》初演の時のシンガーの半分は他でも見聞していて、半分は初体験だった。行川さんは初体験組の一人だった。初演の初日のあたしの席はステージ向って右側のかなり前の方で、そこからでは左から2番めの位置でうたう行川さんの姿は見えるけれども顔などはまるで見えなかった。だから、いきなり声だけが聞えてきた。

 声にみっしりと「実」が詰まっている。実体感がある。振動ではなく、実在するものがやってくる。同時によく響く。実体のあるものが薄まらずにどんどんふくらんでゆく。行川さんの実体のある声があたしの中の一番のツボにまっすぐにぶつかってくる。以来、shezoo版《マタイ》ときくと、行川さんのあの声を聴けることが、まず何よりの愉しみになった。

 《マタイ》や《ヨハネ》をうたう時の行川さんの比類なく充実した声にあたしは中毒しているが、それはやはり多様な位相の一つでしかない。というのは「砂漠の狐」と名づけられたユニット、shezoo さんと行川さんにサックスの田中邦和氏が加わったトリオのライヴで思い知らされたし、今回、あらためて確認させられた。

 行川さんの声そのものはみっしり実が詰まっているのだが、輪郭は明瞭ではない。器楽の背景にくっきりと輪郭がたちあがるのではない。背景の色に声の色が重なる。それも鮮かな原色がべったりと塗られるのではない。中心ははっきりしているが、縁に向うにつれて透明感が増す。声と背景の境界は線ではなくグラデーションになる。一方でぼやけることはない。声は声として明瞭だが、境界はやわらかくゆらぐ。やわらかい音の言葉はもちろんだが、あ行、か行、た行のような強い音でもふわりとやわらかく発せられる。発声はやわらかいが、その後がよく響く。あの充実感は倍音の重なりだろうか、響きのよさの現れでもあると思われる。余分な力がどこにも入っていないやわらかさといっばいに詰まった響きが低い声域でふくらんでくると、ただただひれ伏してしまう。

 やわらかさと充実感の組合せは粘りも生む。小さな声にその粘りがよく感じられる。そもそも力一杯うたいあげることをしない。力をこめることがない。声は適度の粘りを備えて、するりと流れだしてくる。その声を自在に操り、時には喉をふるわせ、あるいはアラビア語風のインプロを混ぜる。

 shezoo さんの即興は時にかなりアグレッシヴになることがあるが、この柔かくも実のしまった声が相手のせいか、この日は終始ビートが明瞭で、必要以上に激さない。行川さんによって新たな側面が引きだされたようでもある。

 行川さんにはギターの前原孝紀氏と2人で作った《もし、あなたの人生に入ることができるなら》という傑作があるが、shezoo さんとのデュオでもぜひレコードを作ってほしい。





12-17, アウラ、クリスマス・コンサート @ ハクジュ・ホール、富ケ谷


 来年がどうなるか、あいかわらずお先真暗であるが、だからこそ生きる価値がある。Apple Japan合同会社社長・秋間亮氏の言葉を掲げておこう。

「5年後のことを計画する必要はない。自分がいま何に興味を持ち、何に意欲を燃やしているかに集中すればいい」

 おたがい、来年が実り多い年になりますように。(ゆ)

 かつてはオレが応援しないで、誰が応援するのだ、ぐらいの気持ちでコンサートに臨んだものだった。結成して20年のアウラにはもうあたしなんぞの応援は要らない。こちらはそのハーモニーにひたすら浸って、いい気持ちになっていればいい。時々、本当に体が天に昇るような気分になる。

 前回は広々とした教会で、声は広大な空間に向かって解き放たれていた。今回は響きのコントロールされたホール。教会はクラシック音楽発祥の空間ではあるけれど、そこから出て、いわば聖のパワー・スポットから俗のサロンへと移ることで音楽として独立する。そして響きのコントロールへと向かう。このホールはやはり俗の空間で、教会との違いがラストの〈ハレルヤ〉に現れたのは当然ではある。前回の〈ハレルヤ〉が、聖なる空間によって引きだされ、人のためよりも神の、あるいは天のために響いていたとすれば、今回は俗空間にあって、うたい手たちの想いのこもった、人のための歌に聞えた。

 スキャットを使ったアレンジはさらに一段と巧妙になっていた。歌詞とスキャットの入れ替わりのタイミングと鮮かさに息を呑む場面がいくつもある。スキャットの種類も増えているし、アレンジのパターンもより多様だ。音量の大小、アクセントの強弱もメリハリがよくつき、リズムも変える。そうなると、5人だった時よりもアレンジが複雑になっているように聞える。にもかかわらず、全体の印象としてはすっきりと見通しが良い。そこにはおそらく、スキャットの役割を、たとえばインストルメンタルのパートに絞るというように、より整理していることも働いているのかもしれない。4人での体制が完成されたと思える。

 星野さんの低音がより際だつとともに、今回は菊地さんの声がこれまでになく大きく聞えた。彼女の声は大好きなので、あたしとしては喜ぶ。

 新曲の〈Auld Lang Syne〉はひょっとしてとひそかに期待したが、有名な方のメロディ。とはいえ、ストレートなアレンジが曲の美しさをあらためて引きたてる。いつか、古い方のメロディも歌ってくれると期待しよう。

 やはりこういうホールで聴くアウラは格別だ。教会には教会なりの良さがあるので、そちらも大歓迎だが、やはり距離があるし、それにどこか上の方から見られている気配のようなものがある。クリスチャンではないから気にすることもないし、時には聴衆以外のお仲間がいるのも面白いのだが、音楽から気を逸らされることもなくはない。俗のホールにはミュージシャンとリスナーしかいない。より純粋に音楽にひたりこんでいられる。人間の声だけのハーモニーには、他の音楽にはない魔法が宿る。(ゆ)

 まずはこのようなイベントがこうして行われたことをすなおに喜ぼう。新鮮な要素は何も無いにしても、やはり年末には「ケルティック・クリスマス」が開かれてほしい。

 今年、「ケルティック・クリスマス」が復活と聞き、そこで来日するミュージシャンの名前を見て、うーん、そうなるかー、と溜息をついたことを白状しておく。ルナサやダーヴィッシュがまずいわけではない。かれらの生がまた見られるのは大歓迎だ。それにかれらなら、失望させられることもないはずだ。会場の勝手もわかっている(と思いこんでいたら、実はそうではなかった)。パンデミックの空白を経て、復活イベントを託す相手として信頼のおける人たちだ。

 しかし、ルナサもダーヴィッシュもすでに何度も来ている。反射的に、またかよ、と一瞬、思ってしまったのは、あたしがどうしようもないすれっからしだからではある。キャシィ・ジョーダンが開巻劈頭に言っていたように、ダーヴィッシュは結成44年目。ルナサももうそろそろ四半世紀は超える。みんなそろって頭は真白だ。どういうわけか、ルナサもダーヴィッシュもステージ衣裳を黒で統一していたから、余計映える。例外は紅一点キャシィ姉さんだけ。

 この日はいろいろと計算違い、勘違いをした上に判断の誤りも加わり、あたしとしては珍しくも開演時間に遅刻してしまった。ルナサの1曲目はすでに始まっていた。この曲が終ってようやく客席に入れてもらえたが、客席は真暗だから、休憩、つまりルナサが終るまでは入口近くの空いている席に座ることになった。バルコニー席の先頭を狙ってあえてA席にしたのだが、チケットには3階とあった。この距離でステージを見るのは初めてで、これはこれで新鮮ではある。距離が離れているだけ、どこかクールにも見られる。いつもなら目はつむって、音楽だけ聴いているのだが、これだけ距離があると、やはり見てしまう。そのせいもあっただろうか。2曲目を聴いているうちに、ルナサも老いたか、という想いがわいてきた。

 あるいはそれは、遅刻したことでこちらの準備が整わず、素直に音楽に入りこめなかったせいかもしれない。ライヴというのは微妙なバランスの上に成りたつものだ。演奏する側がたとえ最高の演奏をしていたとしても、聴く方がそれを十分に受けとめられる状態にないと音楽は失速してしまう。そういう反応が一定の割合を超えると、今度は演奏そのものが失速する。

 3曲目のブルターニュ・チューンで少しもちなおし、次のルナサをテーマにしたアニメのサントラだといって、看板曲をやったあたりからようやく乗ってきた。このメドレーの3曲目で今回唯一の新顔のダンサーが登場して、かなりなまでに回復する。

 このダンサー、デイヴィッド・ギーニーは面白かった。アイルランドでも音楽伝統の濃厚なディングルの出身とのことだが、それ故にだろうか、実験と冒険に遠慮がない。華麗でワイルドで、一見新しい世代とわかるその一方で、その合間合間にひどく古い、と言うよりも根源的な、いわゆるシャン・ノース・スタイルの動作とまでいかない、空気がまじる。やっていることはマイケル・フラトリーよりもずっとアメリカンとすら思えるが、節目節目にひらめく色が伝統の根幹につながるようだ。だから新奇なことをやっても浮かない。とりわけ、ダーヴィッシュの前に無伴奏で踊ったのは、ほとんどシャン・ノース・ダンスと呼びたくなる。芯に何か一本通っている。

 その次のキリアンの作になる新曲が良く、ようやくルナサと波長が合う。そしてその次のロゥホイッスル3本による抒情歌で、ああルナサだなあと感じいった。あたしなどにはこういうゆったりした、ゆるいようでいてピシリと焦点の決まった曲と演奏がこのバンドの魅力だ。

 全体としてはメロウにはなっている。あるいは音のつながりがより滑らかになったと言うべきか。若い頃はざくざくと切りこんでくるようなところがあったのが、より自然に流れる感触だ。音楽そのもののエネルギーは衰えていない。むしろこれをどう感じるか、受けとるかでこちらの感受性の調子を測れるとみるべきかもしれない。

 休憩になってチケットに記された席に行ってみると、三階席真ん前のど真ん中だった。左に誰も来なかったのでゆったり見られた。狙っていた2階のバルコニー右側先頭の席は空いていた。

 後半冒頭、ギーニーが出てきて上述の無伴奏ソロ・ダンシングを披露する。無伴奏というのがまずいい。ダンスは伴奏があるのが前提というのは、アイリッシュに限らず「近代の病」の類だ。

 山岸涼子の初期の傑作『アラベスク』第二部のクライマックス、バレエのコンテストでヒロインの演技中伴奏のピアニストが途中で演奏をいきなり止める。しかしヒロインは何事もないようにそのまま無伴奏で踊りつづけ、最後まで踊りきる。全篇で最もスリリングなシーンだ。あるいは何らかのネタがあるのかもしれないが、有無を言わせぬ説得力をもってこのシーンを描いた山岸涼子の天才に感嘆した。

 クラシック・バレエとアイリッシュではコンテクストはだいぶ違って、アイリッシュ・ダンスには無伴奏の伝統があるが、踊る動機は同じだろう。

 歌や楽器のソロ演奏と同じく、無伴奏は踊り手の実力、精進の程度、それにその日の調子が露わになる。そして、この無伴奏ダンスが、あたしには一番面白かった。これを見てしまうと、音楽に合わせて踊るのが窮屈に見えるほどだった。

 ダーヴィッシュはさすがである。ルナサとて一級中の一級なのだが、ダーヴィッシュの貫禄というか、威厳と言ってしまっては言い過ぎだが、存在感はどこか違う。ユーロビジョン・ソング・コンテストにアイルランド代表として何度も出ていることに代表される体験の厚みに裏打ちされているのだろうか。

 そしてその音楽!

 今回は最初からおちついて見られたこともあるだろう。最初の一音が鳴った瞬間からダーヴィッシュいいなあと思う。ところが、いいなあ、どころではなかった。次の〈Donal Og〉には完全に圧倒された。定番曲でいろいろな人がいろいろな形で歌っているけれども、こんなヴァージョンは初めてだ。うたい手としてのキャシィ・ジョーダンの成熟にまず感嘆する。一回りも二回りも大きくなっている。この歌唱は全盛期のドロレス・ケーンについに肩を並べる。いや、凌いですらいるとも思える。そしてこのアレンジ。シンプルに上がってゆくリフの快感。そしてとどめにコーダのスキャット。この1曲を聴けただけでも、来た甲斐がある。

 ダンスも付いたダンス・チューンをはさんで、今度はキャシィ姉さんがウクレレを持って、アップテンポな曲でのメリハリのついた声。これくらい自在に声をあやつれるのは楽しいにちがいない。聴くだけで楽しくなる。この声のコントロールは次の次〈Galway Shore〉でさらによくわかる。ウクレレと両端のマンドリンとブズーキだけのシンプルな組立てがその声を押し出す。

 そして、アンコールの1曲目。独りだけで出てきてのアカペラ。

 ダーヴィッシュがダーヴィッシュになったのは、セカンド・アルバムでキャシィが加わったことによるが、40年を経て、その存在感はますます大きくなっていると見えた。

 とはいえダーヴィッシュはキャシィ・ジョーダンのバック・バンドではない。おそろしくレベルの高い技術水準で、即興とアレンジの区別がつかない遊びを展開するのはユニークだ。たとえば4曲目でのフィドルとフルートのからみ合い。ユニゾンが根本のアイリッシュ・ミュージックでは掟破りではあるが、あまりに自然にやられるので、これが本来なのだとすら思える。器楽面ではスライゴー、メイヨーの北西部のローカルな伝統にダブリンに出自を持つ都会的に洗練されたアレンジを組合わせたのがこのバンドの発明だが、これまた40年を経て、すっかり溶けこんで一体になっている。そうすると聴いている方としては、極上のミュージシャンたちが自由自在に遊んでいる極上のセッションを前にしている気分になる。

 アンコールの最後はもちろん全員そろっての演奏だが、ここでキャシィが、今日はケルティック・クリスマスだからクリスマス・ソング、それも史上最高のクリスマス・ソングを歌います、と言ってはじめたのが〈Fairy Tale of New York〉。アイルランドでは毎年クリスマス・シーズンになるとこの曲がそこらじゅうで流れるのだそうだ。相手の男声シンガーを勤めたのはケヴィン・クロフォード。録音も含めて初めて聴くが、どうして立派なシンガーではないか。もっと聴きたいぞ。

 それにしてもこれは良かった。そしてようやくわかった。中盤で2人が「罵しりあう」のは、あれは恋人同志の戯れなのだ。かつてあたしはあれを真向正直に、本気で罵しりあっていると受けとめた。実際、シェイン・マゴゥワンとカースティ・マッコールではそう聞えた。しかし、実はあれは愛の確認、将来への誓い以外の何者でもない。このことがわかったのも今日の収獲。

 最後は全員でのダンス・チューンにダンサーも加わって大団円。いや、いいライヴでした。まずは「ケルクリ」は見事に復活できた。

 キャシィ姉さんのソロ・アルバムを探すつもりだったが、CD売り場は休憩中も終演後もごった返していて、とても近寄れない。老人は早々に退散して、今度は順当に錦糸町の駅から帰途についたことであった。(ゆ)

 告白するとフリスペルはまったく知らなかった。これが二度目の来日というのに驚いた。どうしてこのライヴのことを知ったのか、つい先日のことのはずだが、もう忘れている。とまれ、とにかく知って行ったのは嬉しい。これもまた呼ばれたのだ。呼んでくれたことに感謝多謝。そしてこの人たちを招いてくれたハーモニー・フィールズにも感謝多謝。

 もう一つ告白すれば、このライヴに行こうと思ったのは、渡辺さんが出るからでもあった。この前かれのライヴを見たのは、パンデミック前だから、もう3年以上前になるはずだ。ドレクスキップ以来、ナベさんの出るライヴはどれもこれも面白かったから、見逃したくない。共演の新倉瞳氏はあたしは知らなかったが、チェロは好きだから、これまた歓迎だ。

 ほぼ定刻、二人が出てきて背後の仏像に一礼、客席に一礼して位置につき、いきなりナベさんがなにやら金属の響きのするものを叩きだした。音階の出せる、平たいものを短かい撥らしきもので細かく叩く。うーん、芸の幅が広がっている。後ではハマー・ダルシマーまで操る。操る楽器の種類が増えているだけではないことは、曲が進むにつれてどんどんあらわになっていった。

 ひとしきり演ってから、やおらチェロがバッハの〈無伴奏チェロ組曲〉第1番を弾きだしたのにまずのけぞる。すばらしい響きだ。演奏者の腕と楽器とそしてこの場の相乗効果だろう。するとそこにナベさんがどんとからんだ。その音の鋭さにまたのけぞる。もうのけぞってばかりいる。こりゃあ、面白い。この二人の「前座」が終って休憩になったとき、隣にいた酒井絵美さんが、「うわあ、面白い。これだけで来た甲斐がありました」と言ったが、まったく同感とうなずいたことであった。

 それにしてもナベさんの音のシャープなこと。音の鋭さではふーちんが一番だと思っていたが、こうなってくるとどちらが上とも言えない。

 曲はバッハの後はナベさんのオリジナルが二つ。一つは雨上がりのまだ木の枝や草の葉の先から雫が垂れているときの感じ。もう一つは京都からナベさんの故郷・綾部に向かう山陰線が、長いトンネルと深い峡谷の連続を抜けてゆく、その峡谷がくり返し現れる情景を曲にしたもの。それぞれに面白い曲なのに加えて、ナベさんの口パーカッションにもいよいよ年季が入ってきて、表現の幅がぐんと広がり、深くなってもいる。いやもう、こんなになっていたとは、クリシェではあるが「別人28号」の文句が否応なく浮かんできた。

 ナベさんの曲作りのルーツにはケルトや北欧があり、ここの音楽は音の動きが細かい。フィドルが盛んなのは、そのせいもある。その細かい動きをチェロでやるのは大変で、チェロでケルトや北欧をやろうという人は、ヨーロッパでも5本の指で数えられるくらいだ。新倉さんは果敢にこれに挑戦している。演奏する姿を見ると気の毒になるくらいで、だからなるべく見ないようにする。そうすると、いやもう、立派なものではないか。こういう人が出てきてくれるのは嬉しい。というか、こういう人がこういうことをやってくれるのは嬉しい。

 二人のステージの最後にフリスペルのリーダー、ヨーラン・モンソンを呼ぶ。元はといえば、昨年この同じヴェニューでモンソン氏とナベさんのライヴを見た新倉さんがナベさんに電話をかけてきて、そのライヴがいかに凄かったか、さんざんしゃべった挙句、一緒にできないかとぼそっと言ったのが今回のきっかけだったのだそうだ。そのライヴはまったく知らず、見逃したのは残念だが、こうして新たにすばらしいライヴが実現したのだから、文句は言えない。

 トリオでやるのはスウェーデンの伝統曲。モンソンさんは例のコントラバス・フルートを持ちだす。とても楽器とは見えないシロモノだが、この人の手にかかると、まさに低音の魅力をたっぷりと味わわせてくれる。クリコーダー・カルテットのコントラバス・リコーダーも似たところがある。あちらはヨーロッパに実際にあったものらしいが、こちらはモンソンさんのオリジナル、のはずだ。クリコーダーのはどちらかというとドローン的な役割だが、モンソン流はよりダイナミックで時にアグレッシヴですらある。そして、この演奏も「ロック調」と本人が言うとおり、即興も加えたたいへんに面白いものだった。

 フリスペルとは要するにスウェーデン版のクリコーダー・カルテットではないか、と後半を見てまず思った。むろん、相当に異なる。まずカルテットではなくトリオだし、今回はとりわけサポートでパーカッションが入っている。一方で笛を操って千変万化、おそろしく多様で多彩、かつオーガニックな音楽を聴かせるところは共通する。なによりも遊びの精神たっぷりなのが似ている。

 前半最後のトリオでの演奏であらためて気がついたのは、ヨーラン・モンソンという人は遊ぶのがうまいのだ。それも自分が遊ぶだけでなく、他人をのせて一緒に遊ぶのがうまい。見ていて思い出したのはフランク・ロンドンだ。もう四半世紀の昔、セネガルのモラ・シラと来て、梅津和時、関島岳郎、中尾勘二、桜井芳樹、吉田達也と新宿のピット・インでやった時のあの遊ぶ達人ぶりが髣髴と湧いてきた。もう6年前になる、ジンタらムータとのライヴもなんともすばらしかった。そのロンドンと同じくらい、モンソンのミュージシャンとしての器は大きく、音楽で遊び、遊ばせる点でも同等の達人だ。このフリスペルはそのモンソンがバンドとして一緒に遊ぶために作ったのだろう。サポートの打楽器奏者も、かれが選んだだけのことはある。

 バンドとして遊ぶとなると一期一会とはまた違った工夫が必要になろう。ここで鍵を握っているのはアンサンブルではめだたない方のアグネータ・ヘルスロームだとあたしは見た。1曲、位置を変えてステージの上手の方に立ったとき、指はまったく動かないのに、音はちゃんと動いているのには驚いた。舌と唇?でやっていたらしいが、ほとんど魔法だ。ディジリドゥーの扱いも堂に入ったもので、インプロまでやってみせる。コントラバス・フルートが2台揃うのを目の前にするのはまた別の感動がある。

 モンソンとともにリードをとるクラウディア・ミュッレルはルーマニアの出身だそうで、彼女のお祖父さんが演っていたという伝統曲はハイライト。2曲のうち、二つ目は森で熊に会ったという、嘘かほんとかわからない話で、パーカッションのイェスペル・ラグストロムが、みごとな日本語のナレーションを入れる。むろん丸暗記だろうが、不自然さはほとんどない。そして、モンソンが日本人女性と日本であげた結婚式でフリスペルが演奏したというウェディング・マーチがまたハイライト。スウェーデンには結婚式のためにウェディング・マーチを作って贈る習慣があるそうで、いい曲がたくさんあるが、これはまた最高の1曲。

 ラグストロムは大小の片面太鼓、カホン、ダラブッカなどに加えて、小型の鉄琴を使う。これがなかなか面白い。膝の上に乗るようなサイズなので、リズムにはおさまらないがメロディにもなりきらない音が出てくる。

 面白い楽器といえば、モンソンが見たこともないものを使っていた。小型の方形の胴の上に4本の鉄弦?を張り、これを木製の太く短かい撥で叩く。これまたリズムともメロディともつかない音が出る。

IMG_0760


 渡辺、新倉が加わっての、スペインはサンチャゴ・デ・コンポステーラ巡礼のための音楽もすばらしい。観光バスで回る四国のお遍路とは違って、この巡礼路はわざとなのか、今でもあまり文明化されておらず、巡礼する人はちゃんと歩くらしい。

 二人はラストのダンス・チューン、800年前から伝わる〈La Rotta〉でも参加した。この曲を初めて聴いたのは、イングランドのアルビオン・カントリー・バンドの《Battle Of The Field》1976で、その時から様々な形で聴いているが、この6人によるものはベストといってもよかった。おまけにここではソロを回す。新倉さんがチェロでしっかり即興をするのに興奮する。こういうこともできる人なのね。

 アンコールは、笛3本で始め、低音担当のヘルストロームがモンソンが使っているのよりさらに短く、一段高い音域の笛に持ち替え。最後にラグストロムが、ごく短く、細い、ほとんど楊枝の様な笛を高く鳴らして終わり。会場、大爆笑。

 いやあ、堪能しました。今月はいろいろ忙しくて、ライヴは最小限に絞っているのだが、その中でこういうものにでくわしたのは、まさに大当り。ハーモニー・フィールズの主催するライヴはちゃんとチェックしなくてはいけない。(ゆ)


ヨーラン・モンソン Goran Mansson:リコーダー、パーカッション
アグネータ・ヘルストローム  Agneta Hellstrom:リコーダー、ディジュリドゥ
クラウディア・ミュッレル  Claudia Muller:リコーダー、口琴
​<サポートゲスト>
イェスペル・ラグストロム Jesper Lagstrom:パーカッション

渡辺庸介:パーカッション
新倉瞳:チェロ

このページのトップヘ