クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

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 終ってから川村さんに、今日の感想は書きますよね、と言われて口ごもってしまう。これだけのものを聴いてしまっては何か書かずにはいられないが、いったい何をどう書けというのだ。川村さん自身言っていたように、参りました、で終りである。

 今年これまででベストのライヴ、だけでなく、ここ10年で、いや、音楽にここまで翻弄されたライヴが、これまでの人生ではたして何本あったろうか。面白かったライヴはたくさんある。感動したライヴも少なくない。だが、である。

 音楽そのものに持ちあげられ、運ばれ、ほうり出されるかと思うとふわりと包まれる。種も仕掛けもない、純粋に音楽そのものだけにいいようにあしらわれて、それによって幸福感がふつふつと湧いてくる。他の一切が消えている。この世にあるのは、いま奏でられている音楽とそれに身も心も満たされている自分だけ。いや、自分という意識も無い。時折り、たとえばひとつの楽章が終って音が消えるとふっと我に返るぐらいだ。こんな経験はあったような気もするが、じゃあ、いつのどれだと問われてもすぐには出てこない。

 ひょっとするとこれがクラシックの作用なのか、とも思う。昔、学校の音楽の授業で聞いた覚えのある「純粋音楽」というやつがこれなのか。

 だが、ホンモノの音楽はどれも純粋だ。アイリッシュも、ジャズも、グレイトフル・デッドも、みんな純粋の音楽だ。いや、たぶん、どんな音楽でも純粋の音楽になりうるのだ。演奏者が他の一切の雑念から逃れて、心から演りたい音楽を十二分に演奏しきることだけに集中できたとき。そして聴く側もそれに呼応して、あるいは喚起されて、もしくは巻きこまれて、一切の雑念を洗い流し、奏でられている音楽を聴くことに集中できたとき。

 あの日曜の午後、目黒駅からほど近い住宅地の一角にある「芸術家の家」で起きたことはそういうことだったにちがいない。

 それを起こしたのは4人の女性である。ピアノの百武氏とチェロの竹本氏によるラフマニノフとプロコフィエフのチェロ・ソナタに始まり、昨年はピアノ・トリオによるプーランク。そして今回はフォーレとシューマン各々のピアノ・カルテットをメインに据えたプログラム。となれば、期待は否が応なく上がろうというもの。今年の予定が発表された時から5月だけは何としても行かねばならない、と思いつめていた。のんびり家で待っていられず、早すぎるかもしれないと思いながら出てみると、なんと人身事故で小田急が町田から先は止まっている。しかし、こういう時のために相鉄が都心に直結しているのだ。うまく便さえあれば、海老名から目黒まで乗換え無しに行けるのである。目黒駅に着いたのは開場30分前だった。

 プーランクの時も先月のベートーヴェンも、前から2列目で聴いていた。が、今回は最後尾の中央、出入口脇の、一段高い椅子を選んだ。ひとつにはカルテットの音の広がりを実感したかったからであり、また一つには位置によって音に変化があるのかも確めたかった。座っていると川村さんが、お、ベストの席をとりましたね、と言う。ここ「芸術家の家」という空間の音響を担当された技師が先月見えていて、一も二も無くこの席を選んだのだという。結論から言えば、この席はまさにベストの選択だった。数十センチだが前の椅子よりも高いので、前の人たちの頭越しに音が来るし、演奏者の姿も見やすい。そして空間全体に響く音が快感になる。最前列や2列目だと、弦楽器のヤニを浴びるような感覚がたまらないが、カルテットではそれよりも全体のふくらむ響きをあたしは選ぶ。

 面白かったのは楽器の位置どりである。ピアノの前に弦楽器3人が並ぶが、左にヴァイオリン、右にヴィオラ、そしてチェロが中央に座った。これには川村さんが珍しいですねと言葉をはさんだ。確かにこれまで聴いたピアノ・カルテットの録音では全てチェロは右にいた。百武さんがチェロには真ん中にいて欲しいんですと答える。そしてこの位置どりは適切だとあたしも思った。弦楽四重奏でも、昔はチェロが右にいたが、最近はヴィオラと入れ替わって中にいることが多い。低音が中央にいることで、ヴィオラとヴァイオリンの音が分離して、各々何をやっているかがよくわかる。フォーレの曲で多い、3本の弦楽器が揃って同じメロディを奏でる時にどっしりとした安定感が出る。もう一つ、今回は川村さんからシューマンのピアノ・カルテットというリクエストが出ていて、それに対してイニシアティヴをとったのはチェロの竹本氏だった。他の弦2人を呼んだのは竹本氏らしい。チェロが真ん中になるのはその意味からもふさわしい。

 もっともフォーレのピアノ・カルテット第一番を演奏した経験がこれ以前にあったのはヴィオラ担当の山縣氏だけで、他の3人は今回初めての挑戦なのだそうだ。川村さんが茶々を入れたおかげでこの事実が明らかになったのだが、この編成に必要な4人が揃うのはむしろ稀なことだと百武氏は言う。弦楽四重奏団は一つのユニットとして活動することが多いが、ピアノ・カルテットは恒久的な楽団になることはまず無いらしい。椿やボザールのようにピアノ・トリオはあるが、そこにもう1人ヴィオラが加わってのカルテットはハードルがどんと高くなるようだ。今回ヴィオラを担当した山縣氏も普段はヴァイオリンを弾いていて、これまで何度も演奏したこの曲でも常にヴァイオリンだったそうだ。

 ヴィオラという楽器は単にヴァイオリンより音域が低いだけではない。サイズも異なり、ということは同じ音でも響きが違う。ヴァイオリンよりも膨らみがあり、柔かく広がる。あたしはそこがたまらなく好きなのだが、どうしても2番目という位置に置かれがちで、ヴァイオリンからこぼれた人が弾く楽器ということに暗黙のうちにされてしまうと、自身ヴィオラも弾く、クラシックとアイリッシュを両方演るヴァイオリン奏者から聞いたことがある。

 しかし、弦楽四重奏でもピアノ・カルテットでも、鍵を握るのはヴィオラである。と、あたしには思える。ヴィオラの出来如何で演奏の質が決まる。ヴィオラが活躍する曲は面白い。今回も山縣氏のヴィオラがまずすばらしかったことが、音楽全体を底上げしていたように聞えた。これはあたしだけではなく、川村さんの意見でもあるから、まず当っているだろう。

 シューマンの方では初挑戦はヴァイオリンの野村氏で、他の3人は別の人たちと演ったことはある由。この辺は曲の知名度の差だろうか。シューマンの方は第三楽章のおかげで、ピアノ・カルテットの中でも最も有名な曲の一つになるらしい。

 プログラムはまずヴァイオリンとピアノによるフォーレの〈ロマンス〉から始まった。このヴァイオリンの音にまずあたしは参ってしまった。プーランクの時も、ベートーヴェンの時も感じていたのだが、このホールというかスタジオはヴァイオリンの響きが違うのだ。ここは元々ヴァイオリニストが理想の演奏空間を求めて造られたと聞く。ヴァイオリンが最も魅力的に響くように造られているわけだ。その響きに艷が出るのだ。極上のニスを塗ったような、よりきりりと締まるように聞えながら、同時に裏に音にならない共鳴が働いているように感じる。同様のことはヴィオラにもチェロにも起きる。コントラバスも聴いてみたくなる。ハーディングフェーレやハーディ・ガーディなどの共鳴弦のあるものもどうだろう。

 続くのはピアノ・ソロで〈3つの無言歌〉から第一、第三の2曲。百武氏はフランスに留学されていて、フォーレが「大大大大大好き」だというのがよくわかる。

 そしてメイン・イベントのピアノ・カルテットでまずノックアウトされたわけである。

 ピアノ・カルテットは弦楽四重奏とはかなり性格を異にする。ピアノと弦3本はどうしても別れる。弦楽四重奏のように全体が1個に融けあうようにはならない。弦3本をピアノが伴奏したり、ピアノ協奏曲になったり、あるいは対等にからみ合ったりする。弦の各々とピアノが対話することもある。ピアノと弦のどれかが組んで、他の弦を持ち上げるときもある。それにピアノはビートを作る。クラシックだってビートはあって、むしろ表面には出ない分、裏で大事な仕事をしている。チェロのフィンガリングもあるが、ピアノによるビートは次元が異なる。

 というようなことを、予習しながら考えていたわけだが、いざ曲が始まると完全にもっていかれた。ピアノがどうの、弦がどうのなんてことはどこかに消えてしまった。

 上にも触れたように、この曲では弦3本が同じメロディを揃って弾くところが多く、ここぞというポイントにもなっている。ハーモニーになるように作ってあり、演奏者もそう弾いているはずだが、これがユニゾンに聞えて、あたしはその度にぞくぞくしていた。音色や音の性格の異なる楽器によるユニゾンはアイリッシュ・ミュージックの最も強力な手法の一つであり、最大の魅力の一つでもある。そこに通じるものをこの曲にも感じる。各々の楽器が最も魅力的に響く音程で同じメロディを弾いているように聞えるのだ。そしてその度にカラダとココロがふわあ〜と浮きあがる。

 ひとまず休憩になった時、思わず外に出たのは、とてもじっとしていられなかったためでもあった。

 後半のシューマンはまずヴィオラとピアノによる。シューマンはたくさん歌曲も作っていて、その歌曲集のひとつハイネの詩に曲をつけた《詩人の恋》から6曲。歌のメロディをヴィオラが弾く。最初のヴァイオリンの時と同じだが、こちらの輝きにはどこか水を含んだ感覚がある。ぬばたまの黒髪を連想する。

 続いてはチェロとピアノによる〈夕べの歌〉。もともとは子どものピアノ連弾のための曲で、右側に座る人は右手だけで弾く由。そのパートをチェロが担当する。いや、佳い曲だ。この曲はチェロ以外にもオーボエなどいろいろな楽器にアレンジされ、演奏されているそうだが、演りたくなる曲なのだろうなあ。

 そしてカルテットでは、まずもってオープニングの弱音のハーモニーに震えた。そのままフォーレの時と同じく、完全に持っていかれてしまったわけだが、シューマンではさらに一段奥へ引きずりこまれたように思う。

 あそこまでのレベルになるには、一体どれくらいリハーサルを重ねたのだろうか、と気の遠くなる想いがしたのは会場を離れてだいぶ経ってからのことである。百武氏がその一端を披露していたけれど、やはり弦の3人の調整は徹底していて、弓の動きを合わせるのに大変な苦労をされたらしい。フレーズの一つひとつで、押す引くどちらから入るか、どこで反転するか、ほとんど寝食を忘れるほど議論と試行錯誤をくり返したそうだ。それが可能になるほど、3人がうまくはまっていたのだろう。この4人は、通常ではありえないほどぴったりとかち合って、ピアノ・カルテットとしては異常なまでに一体化していたのではないか。終演後、川村さんが、このまま解散させるのは惜しいと言ったのもまったく無理はない。

 アンコールは再びフォーレで〈子守唄〉。原曲はヴァイオリンまたはチェロとピアノのデュオの曲を、昨年のプーランクでヴァオリンと編曲を担当された佐々木絵里子氏編曲によるピアノ・カルテット版。いやあ、沁みました。

 あれ以来、未だに音楽を聴けないでいる。録音を聴く気になれない。聴こうという気が起こらない。こうして何か書いてみることで、経験に形を与え、それによっていわば「けりを着け」られないか、と思った。だが、書いてみて、あらためて体験したことの重みが増したようにも感じる。けりは全然着かないのだ。次のライヴは来週日曜の予定で、それまでに回復するか。それともライヴの衝撃は別のライヴでしか解消されないだろうか。

 それにしても、この組合せ、メンバーによる演奏をぜひまた聴きたい。死ぬまでにもう一度ライヴをみたい。(ゆ)


野村祥子: violin
山縣郁音: viola
竹本聖子: violoncello
百武恵子: piano

Gabriel Urbain Faure (1845-1924)
1. ロマンス Romance, Op.28
2. 無言歌 Romance sans paroles, Op.17 より第1曲、第3曲
3. ピアノ四重奏曲第1番, Op. 15

Robert Alexander Schumann (1810-1856)
4. 歌曲集『詩人の恋』より Dichterliebe, Op.48
4a. 第1曲 美しい五月に
4b. 第2曲 僕のあふれる涙から
4c. 第3曲 薔薇よ、百合よ、鳩よ
4d. 第4曲 君の瞳に見入るとき
4e. 第5曲 私の心を百合の杯に浸そう
4f. 第7曲 私は恨むまい
5. Abendlied Op.85-12 from 12 Vierhandige Klavierstucke fur kleine und grosse Kinder(小さな子供と大きな子供のための12の連弾小品)
6. ピアノ四重奏曲, Op.47

Encore 
Gabriel Urbain Faure (1845-1924)
子守歌, Op.16

WindsCafe341

 かれらの横浜でのライヴは初めてらしい。あたしはこちらの方が都内よりも来やすいからありがたい。ただ、この時間帯は昼飯をどこで確保するかに悩む。ましてやこの日は休日で、横浜駅周辺はどこもかしこも長蛇の列。サムズアップで開演前に食べるというのがおたがいの幸せのためではあるのだろう。もっともこの日はサムズアップでもなぜか一時ハンバーガーが品切れになってしまっていた。事前にサムズアップの1階下のハンバーガー屋で一応腹拵えしていたので、軽くすませるつもりでナチョスを頼んだら、ここのはひどく量が多いことを忘れていた。始まる前にお腹一杯。

 このバンドはジャズで言う二管カルテットになるのだとここで見て気がついた。ただ管の組合せはトランペットとアルト・サックスのような対等なものというよりは、ソプラノ・サックスとバスクラないしトロンボーンという感じ。

 加えてリズム・セクションの役割分担が面白い。今回あらためて感服したのはジョン・ジョー・ケリィの凄さ。最後に披露したソロよりも、普通、というのもヘンだが、通常の曲での演奏だ。ビートをキープしているだけではなく、細かく叩き方を変えている。アクセントの位置や強弱、叩くスピードもメロディのリピートごとに変えていて、まったく同じ繰返しをすることはほとんど無い。そしてそれがバンド特有のグルーヴを生むとともに、演奏全体を面白くしている。となると、バゥロンはドラムスよりはむしろピアノとベースの役割ではないか。エド・ボイドのギターがむしろドラムスに近い。

 ただ、ジョン・ドイルやわが長尾晃司とは違って、エドはあまり低音を強調しない。六弦はほとんど弾いていないのではないかと思えるほどで、低域はバゥロンに任せているようにも見える。ドラムスでもバスドラはあまり踏まず、スネアやタム、シンバルをメインにしていると言えようか。

 このバンドの売物はブライアン・フィネガンの天空を翔けるホィッスルであるわけだが、今回はどういうわけかセーラ・アレンのアルト・フルートに耳が惹きつけられた。もっぱらホィッスルにハーモニーやカウンター・メロディをつける、縁の下の力持ち的な立ち位置だが、近頃はバスクラやチューバのような低音管楽器に耳が惹きつけられることが多いせいか、ともするとセーラの音の方が大きく聞える。ひょっとするとPAの組立てのせいでもあったのか。それともあたしの耳の老化のせいか。耳の老化は高域が聞えなくなることから始まる。オーディオ・マニアは年をとるにつれて聞えづらくなる高域を強調するような機器や組合せを好むと言われ、あたしもたぶんそうなのだろうが、楽器では低域の響きを好むようになってきた。チェロとかバスーンとかトロンボーンやバスクラ、ピアノの左手という具合。それにホィッスルは嫌でも耳に入ってくるから、アルト・フルートが増幅されると両方聞えることになる。

 フルックの出発点はマイケル・マクゴールドリックも加わったトリプル・フルートだったわけだけれども、ブライアン・フィネガンはやはりホィッスルの人だと思う。ソロでもほとんどホィッスルで演っている印象だ。かれの作る曲はフルートの茫洋としたふくらみよりも、時空を貫いてゆくホィッスルの方が面白みが増すように思う。

 第一部ラストの曲で、今回のツアーで出逢ったバンドのメンバーということで、レコードでと同じくトロンボーンが参加する。ライヴではいつもはトロンボーンがいないので、エドが音頭をとって客に歌わせているのだそうだ。レコードにより近い組立てで聴けたのは良しとしよう。

 客層はいつもとは違っていて、とりわけ、ブライアンがフルート吹いてる人はいるかと訊ねた時、1本も手が上がらなかったのにはちょっと驚いた。アイリッシュをやっている人でフルート奏者は少なくないはずだが、誰もフルックは見にこないのか。それともたまたま横浜にはいなかったのか。そりゃ、フルックはイングランド・ベースでアイルランドのバンドではないが、それはナマを見ない理由にはならないだろう。マイケル・マクゴールドリックだってイングランド・ベースだし。それともみんな、豊田さんも参加した東京の方に行ってしまったのか。


 会場で配られたチラシに Caoimhin O Raghallaigh 来日があって狂喜乱舞。今一番ライヴを見たい人の1人だが、向こうに行かねば見られないと諦めていたのだ。万全を期して、これは行くぞ。のざきさん、ありがとう。(ゆ)


 「ヴァイオリン・ソナタの午後」と題されて、ベートーヴェンの7、8、9『クロイツェル』を続けて聴く。7、8とやって休憩をはさんで『クロイツェル』。

 どうやらあたしはまだクラシックのライヴの聴き方を習得していない。生演奏というのはそれなりに聴き方がある。録音を聴くのとは違う。まず一発勝負だ。後で録音を聴くチャンスがあることもあるが、その時その場では1回限り。先も後も無い。ちょっとそこもう一度やってください、は不可能だ。音楽は流れている。どんなにブツブツ切れているように聞えるものでも、流れはあって、始まったら終りまで、中断は普通不可能だ。そういう体験にはそれなりのやり方をもって臨む方がいい、と経験でわかっている。ただ、漫然と聴いても音楽が中に入ってこない。

 そういうやり方は相手によって変わってくる。アイリッシュ・ミュージックの伝統のコアを掘っていくようなライヴと、バッハの無伴奏チェロ組曲をチェロとパーカッションで演るライヴと、あるいはクラシックとは縁の無いミュージシャンたちだけの小編成による《マタイ受難曲》と、どれも同じ態度で臨んだら、得られる体験は最大限可能なものの何割かになってしまう。

 ただしそれぞれの音楽にふさわしい形の聴き方に定型があるわけでもなく、また人各々でどうふさわしいかも変わるから、こればかりは生で聴く体験を重ねるしかない。ただ、音楽によってふさわしい聴き方は各々違うことは念頭に置いて、最善の聴き方を探るように心掛けることで、その時々の体験はいくらかでも深まるだろうと期待している。

 で、クラシックの、しかもこういう至近距離でのライヴだ。クラシックで「ライヴ」と言うのは、それこそふさわしくないと言われそうだが、あたしにとってはその点は皆同じである。ライヴというのはミュージシャン(たち)と自分が時間と空間を共有し、ミュージシャンはありったけのものを音楽の演奏、パフォーマンスに注ぎこみ、こちらは全身全霊でこれを受けとめようと努める場である。少なくともあたしにとってはそういう場だ。見方によっては丁々発止と言ってもおかしくはない。とはいえ、ほとんどの場合はミュージシャンたちからやってくるものを可能なかぎりココロとカラダに取り込むのに精一杯で、それに対してこちらからどうこうなんてことはまず無い。

 クラシックの楽曲はたとえばアイリッシュ・ミュージックの曲よりも遙かに複雑だ。おそらく楽曲の複雑なことでは、地球上のあらゆる音楽の中でダントツだろう。だからクラシックを聴いて面白くなるには、相手の曲をある程度は覚えておくことが求められる。いやそうではない、覚えておく、あるいは曲がカラダに入ってくると、面白くなってくるのである。次にどういう音がどういうフレーズとして出てくるか、何となく湧くようになればしめたものだ。

 あたしは不見転のライヴに行くのも好きだ。まったく未知のミュージシャンに、いきなりライヴでお目にかかる。まったく合わずに失敗することもたまにあるが、それよりは自分で選んでいるだけでは絶対に遭遇できないようなすばらしいミュージシャンに出会えて喜ぶことの方がずっと多い。先日もスペインはカタルーニャのシンガー Silvia Perez Cruz のライヴに誘われていって、至福の時を過した。追いかけるべきミュージシャンがまた増えた。

 クラシックでもミュージシャンは未知でかまわない。が、演奏曲目はある程度知っておいた方が楽しめる。つまり予習が欠かせない。そのことに、今回ようやく気づいたのだ。前回のプーランクでも、その前のラフマニノフでも薄々感じてはいたのだが、ベートーヴェンに至って、がつんと脳天に叩きこまれた。プーランクもラフマニノフも、時代が近い。どちらも20世紀で、あたしもどちらかといえば20世紀の人間である。通じるものがある。言ってしまえば、なんとなく「わかる」。ベートーヴェンは違う。かれは18世紀から19世紀初めの人間であり、あたしなどがどんなに想像をたくましくしても、絶対にわからない部分が大きすぎる。異世界と言ってもいい。そこで極限まで複雑になった音楽が相手なのだ。もっと前、バッハやヘンデル、つまりバロックのあたりはまだシンプルだ。フォーク・ミュージックからそう遠く離れているわけではない。聴けば「わかる」。しかし、モーツァルトを経て、ベートーヴェンになると、全然別物になる。

 ベートーヴェンが一筋縄ではいかないことは、実は今回の前からわかっていた。昨年暮れにある人の手引きでベートーヴェンのいわゆる後期弦楽四重奏曲にハマっていたからだ。楽曲の複雑さでは弦楽四重奏曲はヴァイオリン・ソナタよりもさらに複雑ではある。ただ、あちらは4人のメンバー間のやりとりのスリルがあって、それをひたすら追いかけることで聴いてゆくことができる。ヴァイオリン・ソナタではそうはいかない。しかも、複雑さがより精密になる。細部にまで耳をすませなければならない。それにはある程度は曲を知っていないと難しいことになる。つまり、どこに集中すべきか、摑めないままに曲はどんどん進んでしまう。

 演奏者の集中の高さはわかる。Winds Cafe に出演する人たちは皆集中している。言い方を変えると没入している。今やっている音楽を演奏すること以外のことはすべて捨てている。雑念が無い。それにしてもこのお二人の集中の高さには圧倒される。曲はよくわからないが、何か凄いことが起きていることはひしひしとわかる。ここは良いライヴを体験している感覚だ。何か尋常でないことが起きているその現場に今立ち会っているという感覚。その尋常でないことの一部を演奏者と共有しているという感覚。

 同時に演奏者は演奏を愉しんでもいる。ベートーヴェンをいま、ここで演れる、演っていることが愉しくてしかたがない。その感覚もまた、一部ではあるが共有できる。とりわけて印象的なのはピアノの左手だ。これを叩けるのが嬉しくて嬉しくてたまらない。こういうのを聴くとベートーヴェンはヴァイオリンの人ではない、ピアノの人だと思う。そもそもベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタはむしろピアノが主人公だ、とプログラムにもある。もっともヴァイオリンの人に、本当に良いヴァイオリンの曲は書けないのかもしれない。パガニーニの曲を面白いと思ったことは、昔から一度も無い。テクニックのひけらかしに聞えてしまう。ジャズなどにもよくある、ムチャクチャ上手いがそれだけ、というやつだ。まあ、これはあたしの偏見なのであって、ヴァイオリン奏者にとってはパガニーニの曲こそは究極に愉しいものなのだろう。

 それはともかく、まったくの五里霧中の中を無理矢理手を引っぱられていくことが面白い、というのも得難い体験だ。これは不見転で、まったく未知のミュージシャンのライヴを体験するのとはまた違う。どこがどう違うかというのは今はまだよくわからないが、違うことは確かだ。

 加えて、時折りえもいわれぬ響きがふっと現れて、ぞくぞくする。クラシックのヴァイオリンはこの楽器からいかに多様多彩な音、響きを生みだすかに腐心している。技巧とは別のレヴェルで、時には偶然に生まれるものも計算に入っているのではないかと思える。あんな微妙で不可思議な響きを完璧にコントロールして生みだせるものなのか。おそらくは演奏者と楽器と、そしてその現場の相互作用で生まれるものなのではないか。ひょっとすると一期一会なのかもとすら思う。一つ例をあげれば7番第二楽章の、中低音域のフレーズのまろやかな響き。

 第一級の演奏を至近距離で浴びるのはくたびれるものでもある。『クロイツェル』が終った時には思わず溜息が出た。最高に美味しいご馳走を喉元まで詰め込まれた気分。だからだろうか、アンコールのラヴェルの小品が沁みました。ラヴェルとなると、初耳でも十分「わかる」。これなら、このお2人でラヴェルのヴァイオリン・ソナタも聴きたくなってくる。

 当然、次回の話が出て、今度はシューベルト。再来年のどこかということになる。来年でも冷や冷やものなのに、再来年となると、「ふしぎに命ながらえて」その場にいたいものと願う。

 Winds Cafe は永年会場だった原宿のカーサ・モーツァルトを離れることになり、とりあえずしばらくはここが会場になる由。その初回として、まずは上々の滑りだしと思う。前回ここで開催されたプーランクの時にも感じたことだが、クラシックのミュージシャンたちが思わず燃えてしまう何かが、ひょっとしてここにはあるのかもしれない。(ゆ)

伊坪淑子: piano
谷裕美: violin

ベートーヴェン
ヴァイオリン・ソナタ第7番 ハ短調 Op.30-2, 1803
ヴァイオリン・ソナタ第8番 ト長調 Op. 30-3, 1803
ヴァイオリン・ソナタ第9番 イ長調 Op.47『クロイツェル』, 1803

 月例ラ・カーニャでの紅龍ライヴ。いつもの永田さんのピアノに向島ゆり子さんのヴィオラ・ダ・モーレ、小沢アキさんのギター。今回は永田さんの歌は無し。

 向島さんの楽器は共鳴弦を入れて10本。実際に弓が触れるのは5本に見えた。実になんともふくよかで、中身が詰まった、たっぷりとした響きがすぱあんと広がる。こりゃあ、いい。演奏する方も、これを弾けるのが嬉しくてしかたがないのがありありとわかる。いつも以上に熱が入っている。今回はまずこれがハイライト。

 ところでウィキペディアではヴィオラ・ダ・モーレの弦は6〜7本とある。今世紀に入って造られたハーダンガー・ダモーレなら十弦だが、そちらに近いのだろうか。ひょっとして折衷された新しい楽器だろうか。胴のサイズはヴィオラに見えた。

 この日のもう1つのハイライトは紅龍さん本人の歌である。絶好調と言っていい。声もよく出ているし、息の長短も自在で、伸びるべきところでは十分によく伸びる。歌うのも愉しそうだ。新譜お披露目ツアーでライヴを重ねたおかげだろうか。ギターもほとんど小沢さんのアコースティックに任せて、歌うことに専念しているようでもある。聴き慣れた歌もそれはそれは瑞々しい。

 オープナーはディラン〈時代は変わる〉。アンコールの2曲目のクローザーもディラン〈風に吹かれて〉。どちらも日本語版。完全に自分の歌としてうたっているのは当然ながら、今、ここでこれらを歌うことがまさに時宜を得ている。まさに今歌うべき、歌われるべき歌を、今にふさわしく歌っている。この2曲だけでなく、この日の歌はどれも、いつにもまして心に沁みてきた。どの歌にも切実に共鳴するものが、あたしの内にあった。そういう状態にあたしがいたということかもしれない。とはいえ、歌はあたしのために作られたわけでもなく、あたしだけのために歌われているわけでもない。それで個々の事情に共鳴してくるのは、より広く、あたしと似た状態にある人間の心の琴線を鳴らす、普遍的に訴えるものがこめられているからだろう。

 3曲目 Spooky Joe の歌のアヴァンギャルドなイントロでの向島さんの演奏、〈兵士のように詩人のように〉で小沢さんが弾くマンドリンそっくりのアコースティック・ギターが、特に印象に残る。

 〈野良犬の話〉と〈旅芸人の唄〉。2枚のソロに収められたうたのいずれにも隙は無いけれども、この二つには紅龍さん本人の音楽家としての行き方、人間としての在り方の自画像が聞える。そこにあたし自身を重ねて聴くのは、どういう風の吹きまわしか、自分でもわからない。わからないけれども、憧れと呼んでもいい感情が湧いてくる。ひとつの理想像でもある。完全無欠という理想ではなく、そのように生きてみたいと望む姿だ。性格からして不可能だし、実行したならたちまち野垂れ死ぬことは目に見えているにしても、望んでしまう。

 あたしの見るかぎり、新作を出した後のライヴは、演るたびに良くなっている。声はますます充実し、伸びるのが長くなっている。歌唄いとしての存在感、説得力が目に見えて大きくなっている。シンガーとしての紅龍はこれからが黄金期ではないか。いずれライヴ・アルバムも作ってほしい。

 日曜夜の下北沢は完全に観光地で、終ってから入ろうと思っていたカレー屋は夜も9時近いのにまだ長蛇の列。真冬に戻った中で老人は並んでなどいられない。さっさと退散したことであった。(ゆ)

 無伴奏チェロ独奏によるコンサート。二部に別れた前半の締めと後半の初めにバッハの無伴奏組曲を置き、前後はソッリマの自作や現代曲の演奏ではさむ。

 ソッリマはやはり天才だ、とバッハを演奏する姿を見て思う。その姿はバッハが昔作った曲を今演奏しているものではない。今ここでバッハが時空を超えてのりうつって、音楽が流れでてくる。あるいはバッハの音楽がソッリマに宿ってあふれ出てくる、と見え、聞える。

 体の外にあるチェロを弾いているのではなく、それは体の一部、延長であって、われわれが指を動かして箸をあやつったり、ボールを蹴ったりするのと同じレベルで楽器を操る。

 かとと思えば、チェロを楽器として扱わず、おもちゃにする。チェロで遊ぶ。それも一度にひとつの遊びをするのではなく、いくつもの遊びを次々にやってゆく。同時に複数やることもある。そういうことができる高度に複雑なおもちゃに、チェロはなることができる。それともこれはソッリマだからだろうか。ソッリマにしかできないことだろうか。チェロを複雑でそれ故に面白いおもちゃに、ソッリマはしてしまえる。

 基本はチェロで音を出すことで遊ぶのだが、出し方も出てくる音も実に多種多様。弓で弦をこする、指ではじくのはほんの一部、手始めでしかない。

 だから、ソッリマのライヴは感動はあまりない。ひたすら面白い。ひたすら楽しい。音楽の自由さ、柔軟さ、多様さが具体的な音、音楽になって浴びせられる。音楽はここまで自由に、柔軟に、多様になれることが、音楽そのものとして体験させられる。

 さらにここで終りという感覚もない。すべてをやりきったとか、これ以上もうできませんという感覚が無い。今できることをすべてとことんやり尽くしてなお余力がある。明日になれば、また全く別の、同じくらい面白く、楽しい音楽を生みだせる。

 しかもソッリマはそれを聴いてもらおう、見てもらおうとしてやっているのではない。今の巷にあふれかえる「ねえ、見て見て」「聞いて聞いて」の姿勢がかけらも無い。人を驚かすために、注目を集めるために AI で作った画像や動画や音源をネットに上げるとは根本的に違う。

 ソッリマは自分が面白いと感じることをしている。まず自分が愉しんでいる。愉しむために自分の心と体を鍛え、鍛えた心と体を駆使して愉しんでいる。だから雑味が無い。すっきりと、どこまでもさわやかに、ひたすら純粋に面白い。心洗われる。カタルシスを与えられる。これこそ真に見聞に値する。視聴する、体験する価値がある。後に残る。一度消費されて終りではなく、聴く者、見る者を何らかの意味、形で変える。

 それにしてもチェロというところが味噌だ。これがヴァイオリンやヴィオラではこうはいかない。コントラバスでも無理だ。どちらも各々にベクトルが限定されている。ある方向にどうしても行ってしまう。チェロは自由だ。どんな風にも使える。何にでもなれる。ソッリマはチェロを運びながら演奏することもやる。こう弾かなければいけないという縛りも限界も無い。

 ソッリマは飛び抜けていると思うけれども、スコットランドのスア・リー Su-a Lee とか、南アフリカのエイベル・セラコー Abel Selaocoe とか、面白いチェリストが出てきているのは愉しい。ジャズの方ではトミカ・リード Tomeka Reid もいるし、歌うチェリスト、ナオミ・ベリル Naomi Berrill もいる。こういう人たちを見て、聴いていると、チェロの時代はこれからだと思えてくる。ソッリマは先頭に立ってチェロの黄金時代を開いているのだ。(ゆ)

 唄の山本謙之助、三味線の山中信人のお2人による津軽民謡と津軽三味線のライヴはすっかり Winds Cafe 春の定番になって、毎年楽しみだ。通えるかぎりは通いたい。年齡からいえば山本さんが最年長だが、ますますお元気で、この方を前にするとあたしの方が先に行きそうな気がしきりにする。唄をうたうことは身心の健康に良いと言われるが、その生きた証がここにおられる。

 前半は例によって山中さんのソロ。今回はいつもとはいささか趣を異にして、演奏というよりは講演。山中さんは今年50歳になり、入門した時の師匠・山田千里の年齡60歳まであと十年。60歳の時の師匠に追いつけるか、これからの十年が正念場と言う。そこでまず山中さんが師匠を「発見」した〈あいや節〉。津軽三味線名演を集めたテープの中の1曲。その鄙びた味わいに惹かれたのだそうだ。この演奏はむろん師匠へのオマージュだ。

 山中さんは立って弾く。楽器を吊るす紐などはない。三味線の音は実に切れ味が良く、勢い良く飛びだしてくる。犬皮でなく、プラスティックを張っていると後で明かされる。繊細な響きとパワーが同居している。弦を撥が弾く音と、撥が胴に当たる音がほとんど同時に鳴る。

 この楽器は能登の人が使っていたもので、地震でとても三味線は弾けなくなったから処分してくれ、とボランティアで行った山中さんの友人が託された。その友人から山中さんが預る形で今使っているそうだ。ペグは黒檀。

 最近の傾向への批判も飛びだす。ネット上の動画などで、他の奏者の演奏が沢山、簡単に見られるようになった。そのせいで、どの奏者もスタイルが似てきている。昔は皆ローカルでやっていたから、独自の奏法をもっていた。と言って、高橋竹山や木田林松栄のスタイルで弾く。竹山は木の撥を使っていて、折れないようにやさしく弾く。林松栄は鼈甲の撥なので派手だ。

 他人の演奏を簡単に視聴できるようになって、伝統芸能の演奏スタイルが似てくることは津軽三味線だけではない。アイリッシュ・ミュージックの世界でも起きていて、ネット以前からやっている人たちはどこでも危惧している。もっともテクノロジーの導入が伝統音楽の奏法やスタイルに影響することは今だけの話でもない。SP盤が現れた時も、ラジオ放送が始まった時も、同様のことは起きた。今回は規模が違うから自信をもって言えるわけではないが、そう悲観することもないだろうとあたしは思っている。何らかの表現をする人間は最後のところでは他人と違うところを出したいはずだからだ。みんな似ていると感じるのも、やっている人間の絶対数が増えているからということもあるのではないかとも思う。当然凡庸な演奏者が大部分なわけで、そういう人たちは誰かのコピーをするので精一杯だろう。もちろんこれもすべてがそうだとは言えないが、伝統音楽の世界では、演奏者の絶対数は増えているだろう。なにしろ接するチャンスが飛躍的に増えている。音楽伝統やその背後の文化とは無縁の人たちが増えていることはまた別の問題だ。

 それはそれとして、他の人たちのように東京に行かず、津軽からついに出なかった山田千里の流儀を伝えていこうという山中さんの志には共鳴する。〈黒石よされ〉を東京流と山田流で弾きわけたのは面白かった。さらに山田流の〈じょんがら節 中節〉もいい。

 そうして山中さんの本領が出たのが最後の〈さくら〉。フリーリズムのおそろしく凝ったイントロから、デフォルメしまくり、インプロに展開し、ロック・ギターのストローク奏法を自乗したような奏法が炸裂する。弦を皮の上で指をそろえた左手で押えて出す音がたまらん。このスピードは三味線でしか出せないだろう。単なる速弾きというのではない、細かい音がキレにキレながらすっ飛んでゆく。近いものといえばウードだろうか。


 後半の歌伴の楽器は本来の犬皮と象牙のペグ、鼈甲の撥。全然違いますね。こちらの方が響きが深い。うーむ、あたしはこっちの方が好きだなあ。

 山本さんが Winds Cafe に出るようになって今年は十年。それもあってか、この日はすばらしかった。十回全部見られたわけではないが、見た中では文句なくベストの歌唱。川村さんも同意見だったから、これまででベストの出来だったことは確か。声の張り、響きの充実、コブシの回しと粘り、それに力を抜いて声が細く消えてゆくところが見事だ。津軽民謡といわず、伝統歌謡といわず、人の唄として最高だ。

 三味線とのかけあいもぴったりというより、三味線が乗せ、それに唄も乗ってゆく、その呼吸が絶妙というしかない。山中さんは唄のイントロでもはじけていて、唄う方の気分をかきたてる。

 他の唄と変わっていたのが6曲目〈やさぶろう節〉。実話を元にしたバラッドで、歌詞は本来15番まであるそうな。嫁いびりがひどく、10人の嫁を息子にとって全部いびって追いだした婆さんの話。これを山本さんはコミカルに唄う。笑わせよう、笑ってくれというのではない。この唄はどうしてもこうなるという自然な感じだ。だからよけい可笑しい。

 ラストの〈山唄〉とアンコールの〈あいや節〉で山中さんは尺八を吹く。これもお見事。音楽のセンスの良さがこういうところに現れる。

 母の不在の感覚がだんだん強くなっていて、ともすれば落ちこんでいたところに、たっぷりと元気をいただいて、感謝の言葉も無い。93歳という年齡から、いつ、どういう形で来るか、いつも冷や冷やしていたから、ついに決着がついたことでほっとした部分は否定できない。一方で、もう二度とその存在を実感できない喪失感は、時間が経つにつれてむしろ強くなっている。日常のふとした折り、たとえばやっていることが一段落して次に移る転換の時に、その二つの想いが対になってじわっと湧いてくることがある。すると、しばらくそこから離れられない。やるべきことはすべてやっていたかと思ったりもする。そうしてすがるようにして音楽を聴く。本は読む気になれない。ここしばらくのライヴはどれもずっと前からスケジュールに入れていたものだが、まるで図っていたかのようなタイミングでその日がやってきて、おかげで何とか保っている。気もする。

 山本&山中デュオは来年も Winds Cafe で演ることが決まった。会場は変わるが、やはり元気をもらえるだろう。ありがたや、ありがたや。(ゆ)

メンデルスゾーン&ブラームス:ピアノ三重奏曲第1番 [ 椿三重奏団 ]
メンデルスゾーン&ブラームス:ピアノ三重奏曲第1番 [ 椿三重奏団 ]

 一昨年あたりからクラシックの室内楽にハマっている。きっかけはラフマニノフのチェロ・ソナタだったが、昨年暮れから弦楽四重奏に焦点が移った。ある人からハーゲン・カルテットによるベートーヴェン後期作品群の録音を聴かされたのである。

 加えてロンドンの King's Place のコンサート案内でアタッカ・カルテットというのにでくわした。これがまた滅法面白い。勢いがついて、YouTube に山のようにあるライヴ動画を見まくり聴きまくるようになった。とりわけハマっているのはバルトークで、音だけでなく、見るのも愉しい。第4番など、人間の能力の限界に挑戦しようとしたのではないかと思える。

 こうなるとピアノ・トリオが地元でやるというのを見逃せるはずがない。しかも新倉瞳さんがメンバーとなればなおさらだ。渡辺庸介さんとのデュオは見ているが、いわば本業も一度はちゃんと見てみたい。

 今回は厚木市文化会館リニューアル記念という。文化会館は昨年からずいぶん長いこと閉めて改修していた。小ホールは久しぶりだけど、どこが変わったのか、よくわからない。改修したのは大ホールの天井耐震化、客席の一部への難聴者支援設備の導入、外壁のれんがタイル補強、などだそうだから、目に見えるところが新しくなったわけではないのだろう。

 ステージ正面奥にピアノ、手前右にチェロ用の椅子と譜面台、左にヴァイオリン用譜面台がある。チェロの譜面台は iPad であろう。専用のスタンドで支えている。YouTube の演奏動画でも最近のはほとんど iPad だ。ところが、めくるのはどうするのか、不思議だった。紙の譜面のように指でめくったり、タップしている様子が見えない。と思っていたら、演奏前、スタッフが何やら黒い弓形の装置をもってきて譜面台の下に置いた。あれはフット・スイッチではないか。足で踏んで画面をめくると推測する。対してピアノは足もペダルで使うから、自分ではめくれない。そこで譜面めくりの人がつくわけだ。

 プログラムは前半、3分前後の短かい曲や抜粋をならべ、後半はメンデルスゾーンの第1番全曲。後で検索すると、最近の椿のコンサートはどれも同じ曲目、構成。何だ、チーフテンズじゃないか、とちょっとがっかりしたのだが、現場で見聞きするかぎりは、そんなリピートの気配はまったく感じられなかった。チーフテンズのステージの一部に見えた「お仕事」感覚はカケラも無い。チーフテンズと違って MC は毎回違うらしい。オープナーのブラームスの〈ハンガリアン舞曲第6番〉を自分たちのCDに入れているかどうかをめぐって、ピアノの高橋氏が笑いの発作にとらえられたのは愉しかった。笑い上戸らしい。

 一方、このプログラムはよく練られてもいる。あたしでも聴けばああ、あの曲とわかるし、中には〈ハンガリアン〉のように、メロディまで浮かんでくるものもある。そういう有名曲と、そこまで有名ではない曲、あるいは地味ながら佳曲をまぜあわせている。前半の後半はチャイコフスキー、ショスタコヴィッチ、シューベルト各々のピアノ・トリオの一部、1楽章をならべて、もっと聴きたい気にさせる。しかもだんだん長くなる。あたしはまんまとひっかかって、終演後、図書館に駆け込んで、この三つの各々全曲が入っているCDを借りだしたものだ。今ではわざわざCDを借りなくても、ネット上にストリーミングや動画が山ほどあるわけだが、CDに飛びついてしまうのは年寄りの癖だ。

 オープナーは出てきていきなり演る。その昔、クラシック少年だった時はわからなかったのは当然だが、今聴くとこの曲はなるほどチャルダーシュまんまだ。ブラームスというと交響曲第1番のいかにもドイツ、それもハプスブルクよりはホーエンツォルレンの、謹厳実直、にこりともしないイメージだったのだが、こんなモロ・トラッド=伝統音楽をやっていたというのは、あたしにとっては新たな発見である。かれは実は相当なロマンチストだったのか。

 1曲やってから MC でまずは自己紹介。そして各々のソロをやる。ヴァイオリン、チェロ、ピアノ。サン・サーンスの〈白鳥〉はまた定番、耳タコというやつだが、新倉さんの演奏は実に新鮮、みずみずしい。初めて人前で演奏した曲だそうで、以来無数の回数弾いているが、いつ弾いても他に二つとない演奏になるそうだ。キンクスのレイ・デイヴィスが最初のヒット曲〈You really got me〉はステージで無数に演奏しているが、何度やっても新鮮だと言っていたのに通じるだろう。

 ピアノはショパン。ひばり、白鳥ときたが、鳥の曲で適当なのが見当らないので動物つながりで小犬。これも耳タコ。ただ、ワルツには全然聞えない。ちなみに3人とも暗譜で演る。

 ここでピアノも一度引込んで舞台を作りなおす。ピアノの譜面めくりもここから入る。

 チャイコフスキーのワルツはこちらは確かにワルツ。チャイコフスキーはワルツが大好きだったらしい。あたしからすると、ヨハン・シュトラウスはむしろ行進曲の人で、ワルツといわれると浮かんでくるのは〈花のワルツ〉。ディズニーの『ファンタジア』のこの曲のシーンは音楽の映像化として、未だにあれを超えるものはないんじゃないか。

 ショスタコヴィッチも三拍子だがワルツじゃないよなあ。この曲には弦楽器のボウイングにも指定があるそうだ。普通音の出しはじめは、弓を上から下、左から右へ引っぱって音を出すが、指定は逆の動き。演奏者から見てまずぎゅっと押す形で音を出す。確かに音の出方は違う。引っぱると音の始まりは明瞭だが、押すとふわっと出てくる。ショスタコヴィッチは試してみたのだろう。だが、これを思いつくきっかけは何だったのか。

 前半クローザーのシューベルトの第2番は椿としては初演の由。新倉さんの発案だそうだ。中学でクラシックに熱中した頃はリートは全然わからず、面白くなかったので、シューベルトはほとんどすっ飛ばしていた。今回聴いてみると、やはりなかなか面白い。とにかくドラマティックでわかりやすい。ロマン派だなあ。他の室内楽曲も聴いてみようじゃないかという気になる。

 後半のメンデルスゾーン。こうして生で聴いてみると、室内楽は作曲家の本質が現れるように思える。メンデルスゾーンは作曲家としてはどうも二番手、アーサー・C・クラークの言う「超一流の二流」とはこういうものか。本人の作品よりバッハ再評価の方が大事なんじゃないかと思えたりもする。まあ、あたしには合わなかったということだろう。

 とはいえ、このピアノ三重奏曲はなかなかに面白い。第2楽章3回目のリピートでチェロがやるピチカートや第4楽章のロシア風のメロディは印象に残る。会場で買った椿のファーストにも入っているから、後でじっくり聴きなおしてみましょう。

 アンコールは〈You raise me up〉とオープナーの〈ハンガリアン〉をもう一度やる。歌のない〈You raise me up〉は新鮮。1時間半くらいだろうと思っていたら、休憩いれて2時間たっぷり。いや堪能しました。

 席は新倉さんからは反対側だが正面になって、譜面台を置いている曲でもところどころ目をつむって気持ちよさそうに弾いている姿がよく見えた。ヴァイオリンの響きが普通と違ってどこか華やかなのだが派手ではない。品の良さが感じられた。あれがストラディヴァリウスの音であろうか。ピアノはスタインウェイ。開演前、初老の男性が調律していた。休憩でもチェックを入れている。

 母が亡くなってから初めてのライヴ。むろんチケットは昨年のうちに買っていた。往きはとぼとぼ会場に向っていたのが、帰りは図書館へさっさか歩いていった。音楽の力は偉大だ。ありがたや、ありがたや。

 この翌日、母の最後の診療費の支払いに行った病院のロビーのディスプレイに、音楽が認知症を防ぐという話が映しだされていた。母は最後の瞬間まで全くボケなかった。積極的に音楽を聴いていた姿は記憶にないが、音楽に対する感性を備えていたのは間違いない。あたしの血縁者では母だけだ。その昔、社会人のあたしがまだ家にいた頃、Sammy Walker のワーナーのファーストをかけていたら、そのオープナー〈Brown Eyed Georgia Darlin'〉に合わせてあたしの部屋の入口で体を揺らしていたのは忘れられない。映画『タイタニック』で一番良かったのは、三等船室のダンス・パーティーとも言っていた。あたしの音楽好きは母からの贈り物と思っている。椿のコンサートが葬儀の2日後というめぐりあわせになったのは、ひょっとして母のはからいであったのかもしれない。(ゆ)

 四谷のジャズ喫茶「いーぐる」での村井康司さんの連続講演「時空を超えるジャズ史」第十回の最終回。

 連続はわかるが、断絶はどういうことだろう。と思ったら、ジャズの歴史には両方あると、村井さんは言う。つまりすぐ前を飛びこえてその前のジャズ、ずっと前のジャズ、さらにジャズ以外の音楽の「参照」だというのだ。

 ジャズ以外の音楽として今のジャズが「参照」しているのは、ヒップホップであり、80年代以降のR&Bやロック、初期アメリカ大衆音楽、中南米やアフリカの音楽だそうだ。これらはジャズとどこかでつながっている、と今のジャズをやっている人たちは感じているわけだ。

 と言われると、80年代以前、60年代、70年代のロックやR&B、あるいはソウルはどうなのだ、とその時代の音楽で育ったあたしなどはツッコミたくなる。

 というのはとりあえず棚に挙げて、村井さんが今のジャズの担い手としてサンプルにあげたのは、ロバート・グラスパー、カマシ・ワシントン、ノラ・ジョーンズ、そして UKジャズの面々。まあメジャー中のメジャー、この人たちを今のジャズの代表と言っても、どこからも文句は出ないでしょう。この3人の登場が今のジャズの隆盛を画したと言えるだろう。この3人が今のジャズの隆盛をもたらしたとは言わないが、ジャズが生まれかわって、新たな隆盛に向かっていることを、誰にもわかる形で示したとは言える。で、この人たち自身の音楽と、かれらが参照している音楽を交互に効いてみるという趣向。


 あたしはグラスパーの音楽がどうにも好きになれない。どうしてか、よくわからないが、とにかく気に入らない。今回、その参照項と並べられても、やはり気に入らないままである。

 村井さんによるとグラスパーはとにかくハンコックが大好きで、ハンコックのやったことをなぞっているところがあるらしい。まず最初はそのハンコックの1978年の曲と、グラスパーの2016年のハンコックのカヴァーを対比する。一番の違いはドラムスの叩き方で、グラスパーの方はヒップホップを経たスタイル。まあ、今風の、故意にノイズを入れた、「ローテク」なもの。ひょっとするとこれは叩き方というよりも録り方の違いなのではとも思える。ハンコックの方のドラムスは、ああ、これは70年代のサウンドとあたしにもわかる。で、あたしはこのハンコックの方のドラムスを好ましいと感じるのだ。

 村井さんも、後藤さんも、グラスパーの方が新しい、ハンコックのはいかにも古いとおっしゃるが、新旧の違いはあたしにはよくわからんし、あまり意味があるとも思えない。今は新しくても、すぐに古くなる。ヒップホップに匹敵する大きな現象がまたすぐ起きるとは思えないけれども、あれが最後であるはずもない。それにものごとが変化する周期は、今世紀に入っておそろしく短くなっている。昨日新しくても、明日には古くなる、どころではない。あのラファティの傑作「長い火曜の夜だった」にあるごとく、朝には新しくても、夕方には古くなっているくらいだ。

 もっともそうなるとちょっと古いものが新しいものとして「再発見」されることも増える。1980年代の音楽が近頃もてはやされているのもそういうことではないか。

 それがなぜ70年代や60年代にまで遡らないか、と問うて明瞭が答えが出るとも思えないが、距離が遠すぎるのかもしれない。自分が生まれる前の時代はみな遠い。ただ、生まれる20年くらい前まではまだつながりが感じられるものだ。つまり親が生まれた頃まではつながりを感じる。あたしの両親は昭和一桁生まれだから、1930年代まではつながりを感じる。これが大正になると途端に遠くなる。明治は異世界だ。

 ところがわが国の場合、1930年代と1950年代では世の中があまりに違いすぎる。つながりはあっても、共感できるものはごく少ない。そうなるとあたしの場合、青春期であった1970年代が最も共感できる時期になる。

 グラスパーやワシントンやジョーンズたちにとって、自分が生まれた時期と今は同じ世界にある。少なくともアメリカ文化圏ではそうだろう。それに、一度は表舞台から消えたように見えてもその時代の産物は様々な形で残っている。アクセスが可能だ。デジタル化によって、アクセスはさらに格段に簡単になった。そこで「再発見」されるわけだ。

 グラスパーやワシントンやジョーンズたちが今のジャズ隆盛の旗手として登場したのは、そうした古いものを再発見できる環境が整った時期に育ち、これを使いこなせるようになった最初の世代だったからではないか。そして、かれらに古いものは実は新鮮だよ、それを使うと面白いぜと教えたのがヒップホップだった、というのはどうだろう。

 グラスパーが売れたのは、その肌触りが冷たく、演っている音楽からも一歩距離を置いたように聞えるからではないか、とあたしは思う。いわゆる「チル」の感覚ではないか。一方で、ミニマルでありながら、機械的ではない。有機的なズレがある。あたしが反撥してしまうのは、そこかもしれない。ミニマルならどこまでも無機的でいてほしいのである。どこまでも無機的に繰返される、その奥からひどく生々しいものがにじみ出るのが、ミニマル・ミュージックのあたしにとっての魅力だ。機械にまかせれば正確無比にやるところを、人間がキーを叩く形で介入するためにズレが生じる。そのズレを今度は故意に人間が再現してよろこぶ。そういう人間がいてもかまわないが、あたしはそういう人間にも、そういう人間がやっている音楽にも近寄りたくはない。

 カマシ・ワシントンはグラスパーに比べるとずっとジャズの王道に近い。村井さんも言うとおり、コルトレーンの正統な後継者と呼んでもいいくらいだ。そのワシントンが参照しているとして示されたのが、エチオピアのジャズ、エチオ・ジャズの最も有名なサックス奏者の1人、マッコイ・タイナー、そしてサン・ラである。

 エチオ・ジャズのサックスが持ってこられたのは、ワシントンが最新作でコプト語で歌われるエチオピアの伝統音楽をとりあげているからだ。面白いことにエチオピアはアフリカでも最も早くからポピュラー音楽が開花したところで、1960年代から膨大な音源があり、ここから編集したアンソロジー・シリーズがフランスの Buda から出ている。30枚近いタイトルの大きな部分をジャズが占める。

 おまけにエチオピアの伝統音楽はわが国のものとメロディがよく似ていることで有名だそうだ。なるほどここでかかった曲も、メロディだけもってきて誰かやれば、日本民謡だと言われても誰も疑わないだろうと思われる。

 エチオピアはアフリカの内陸国の例にもれず、多民族国家で、しかもここは古くからの歴史があり、帝国主義国が勝手に引いた国境線で区切られていない。ヨーロッパよりも古い、パレスティナから直接伝わったキリスト教があり、イスラームがあり、言語も多様。たくさんある文化集団の各々に伝統音楽がある。わが国とメロディの似ているのはそのごく一部だ。

 マッコイ・タイナーは1976年のオーケストラとの共演。アイリッシュ・ミュージックの連中が功成り、名遂げると、いや時にはローカルでのみ有名な連中も、みんなオーケストラと演りたがるのは、こういうところに淵源があったわけだ。いや、たぶん、もっと前からの習性ないし性癖なのだろう。クラシックのオーケストラというのは、ジャンルを問わず、ミュージシャンにとってはたまらない魅力があるのか。音楽を演るための編成としては、人類が生みだした最大のものではある。

 ワシントンはデビュー作からの1曲で、確かにかれにはできる限り壮大な音楽を生みだそうという習性ないし性癖がある。

 サン・ラとの対比はどちらもビデオ。編成といい、衣裳といい、音楽といい、そしてリーダーのカリスマといい、これまたまさに後継者。


 ノラ・ジョーンズで村井さんが指摘したのは、ジョーンズが歌っているのはジャズ以前の曲ばかり、ということで、ここで対比されたのが、あたしとしてはこの日最大のヒット、マリア・マルダー。文字通り、あっと思いました。そうだ、この人がいたじゃないか。伝統歌からディラン、ゴスペルからジャズ、おそろしく幅が広く、しかも何をどう歌ってもマリア・マルダーの歌である。自分ではほとんど曲を作らないのに、歌ううたはどれもこれもまぎれもないマリア・マルダー節。ひょっとすると彼女こそはアメリカーナの化身、アメリカン・ソングの女神、一国に一人しかいないディーヴァではないか。彼女のセカンド《Waitress In A Donut Shop》1974から、ミルドレッド・ベイリーが1936年に出した〈Squeeze me〉のカヴァーがかかったのが、この日最も感動した音楽でした。

 対比の3曲目にディランの〈I'll be your baby tonight〉をそれぞれ歌った録音を聴いたのだけれど、比べてしまうと、ノラさん、まだまだ修行が足りんよ。


 UKジャズからの遡行の例として選ばれたのは、セオン・クロス、ヌバイア・ガルシア、シャバカ・ハッチングスの3人。これまたこの3人をもって代表とするのはどこからも異論は出ないでしょう。

 何といっても、セオン・クロスがヌバイア・ガルシアとモーゼズ・ボイドの3人でやっている〈Activate〉が凄い。これは前回もリストにはあがっていたが、時間不足で飛ばされていた。チューバとドラムスの組合せということではわが「ふーちんぎど」も負けてはいないと思うけれども、このトリオの演奏は現代ジャズの1つの極致、とあたしは思います。

 そのガルシアがコロンビアの女声トリオ La Perla と共演したのも面白い。コロンビアの音楽がガルシアというカリブ海つながりで、アメリカをすっ飛ばしてロンドンへ行くというのも面白い。

 そして3人め、シャバカ・ハッチングスに対比されたのが、この日2度目の「あっと驚くタメゴロー」(古すぎるか)、フェラ・クティ。そうだ、この人がいたじゃないか。シャバカが「あいつら、死んでもらうぜ」とおらべば、フェラが「そうさ、あいつらはもうゾンビ」と答える。こういうところがロンドンの面白いところ。ニューヨークではたぶんこうはいかない。ロンドンは広く開かれているけれども、ニューヨークはそれだけで自己完結してしまう。

 UK は帝国主義国家として、とんでもなくひどいことを散々やっているけれども、一方でその旧植民地から面白い人たちを集めて真の意味での坩堝にほうりこみ、新しいものを生みだす。ニューヨークは坩堝にはなれず、サラダボウルのままなのだ。


 ということで、「時空を超えるジャズ史」はともかくも現代まで到達した。村井さんとしてはこれをやることで見えてきたこともあり、新たに試してみたいことも出てきたそうで、むしろここは折り返し点にしたい意向だそうだ。むろん大歓迎で、すぐにというわけにはいかないだろうけれど、続篇をお待ちもうしあげる。

 あたしは全部は参加できなかったけれど、できた回はどれもこれも滅法面白かった。目鱗耳鱗ものの体験もたくさんさせていただいた。とりわけ、最後にマリア・マルダーとフェラ・クティという宿題をいただいたことは、最大の収獲のひとつでもある。

 とまれ、村井さん、ご苦労様でした。そして、ありがとうございました。(ゆ)

 村井康司さんの連続講演「時空を超えるジャズ史」第9回は「1980年代ジャズ再訪:ネオ・アコースティックとジャズのニュー・ウェイヴ」として、マルサリス兄弟、ブルックリン派、「ニュー・ウェイヴ」、ギターとチューバの新しい響き、そして今のジャズと1980年代との繋がりという五部構成。

 1980年代というのはジャズにとって結構面白い時期であることは「いーぐる」で学んだことのひとつだ。フュージョンの後にマルサリス兄弟やブルックリン派のような人たちが出てきたり、新世代のギタリストたちが現れたりするところに、ジャズの粘り強さを感じたりもする。フュージョン・ブームの失墜とともに荒れはてたりせず、ちゃんと新しい草が生えてくる。こういう弾力性を備えるのは、ジャズがロックと異なり、自然発生したフォームだからだ、というのがあたしの見立て。その点でジャズは伝統音楽の一種なのだ。

 1980年代はこうした新しい草とともに、かつて活躍した巨匠、名人もまだ健在。だから80年代のジャズはかなり多彩、ダイヴァーシティ=多様性が大きい。そこが面白い。今回は新しい草に焦点が当てられたが、ベテランたちの80年代でも1回やっていただきたい、とあたしなどは思う。

 まずはマルサリス兄弟。ウィントンのハービー・ハンコック・カルテットでの鮮烈な登場、さらに衝撃的なデビュー・アルバムと来て、3曲目に紹介された《The Majesty Of The Blues》からのタイトル・トラックがあたしには面白かった。出た当時には酷評されたそうだが、そういうアルバムで時間が経って聴いてみると、どうしてそんなに酷評されねばならなかったのかさっぱりわからないアルバムは少なくない。結局従来の評価軸の延長でしかモノを言えない人が多いのだろう。あたしの体験ではボブ・ディランとグレイトフル・デッドというアメリカ音楽の二大巨星ががっぷり四つに組んだ《Dylan & The Dead》について、出た当時、「こんなものは出すべきではなかった」と言ったヤツは耳か頭か、あるいは両方がいかれていたとしか思えない。あるいは、できたものが大きすぎて、同時代ではこれを受け入れられるほど器が大きな人間はいなかったのだろう。その点では後世の人間は有利だ。人間としての器のもともとの大きさではかなわない相手にしても、こちらがより年をとっていると何とかまともにつきあえる。

 ウィントンにしても、デビューは確かに新鮮だったろうが、それだけに今聴くと時代の色がついてしまうのはやむをえない。《The Majesty Of The Blues》は時代を超えていて、今聴いて現代的と聞える。しかもここでは、エリントン楽団が1920年代に多用したプランジャー・ミュートを使っているという。ちゃんと勉強している。英語でいう homework をしっかりやっている。

 とはいえ、あたしにとってはやはりウィントンよりはブランフォードだ。ここでもかかったスティングのアルバムも強烈だが、何といってもグレイトフル・デッドとの1990年3月の共演は、ブランフォードにとってもデッドにとっても頂点の1つで、いつ聴いても、何度聴いても、音楽を聴く愉しみを存分に味わわせてくれる。

 ここでの発見はブランフォードが Buckshot Lefonque 名義で出したヒップホップと組んだ録音で、ほとんどアフリカの呪文に聞える音楽に、この人の懐の深さをあらためて感じる。あたしにはまだわからないヒップホップへの導入口になってくれるかもしれない。


 ブルックリン派は登場した当時、中村とうようが大プッシュしていたせいもあり、あたしもリアルタイムで聴いていた。当時聴いていたということは、CDを何枚も買いこんでいたことに等しい。もっともそれでジャズに傾倒したかというとそうはならなかった。それにかれらの真価はむしろ90年代になってカサンドラ・ウィルソンが化けたり、ジェリ・アレンが1枚も2枚も剥けたりしてから発揮されたようにも見える。ウィルソンの《Blue Light 'Til Dawn》はとりわけヴァン・モリソンのナンバーで、あたしにとっても衝撃だった。ここでかかったジョニ・ミッチェルとのつながりを見出すのはもっと後になる。あたしにはあのアルバムのウィルスンはむしろまったく新しいタイプのフォーク・シンガーだった。

 村井さんによれば、あれはジャズ・シンガーとしても新しいタイプだったので、後で今のジャズとのつながりでかかったベッカ・スティーヴンスもその流れに乗っていると見える。アコギ1本の弾き語りでうたうスティーヴンスなど、こんなのジャズじゃないと「ジャズおやじ」ならわめきそうだ。

 確かにウィルスン以降、スティーヴンスとか、グレッチェン・パーラトとか、あるいは Christine Tobin とか、Sue Rynhart とか、ジャズ・シンガーの姿も変わってきていて、あたしはやはりこういう方が面白い。

 ところで《Blue Light 'Til Dawn》はプロデューサーの Craig Street にとってもデビュー作というのはちょと面白い。この人がプロデュースしたアルバムとしては、なんといってもノラ・ジョーンズの《Come Away With Me》が挙げられるだろうが、Holy Cole とか Jeb Loy Nichols とか Chris Whitley とか、渋いところもやっているのは見逃せない。デレク・トラックス、ベティ・ラファイエット、ダーティ・ダズン・ブラス・バンドなんてのもある。ジョー・ヘンリーの《Scar》をやっていて、あれはあたしにとっては「問題作」なので、いずれプロデューサーの流れで聴きなおしてみるかという気にもなる。


 第三部は「ニュー・ウェイヴ」、あるいは新しいアヴァンギャルドで、ここでのキーパースンはジョン・ゾーン、ビル・ラズウェル、アート・リンゼイ。そうか、この人たちが出てきたのも80年代なのね。

 あたしとしてはこの中ではラズウェルが一番親近感がある。ワールド・ミュージック的なことをしているからかもしれない。ヒップホップに関わっていたとここで村井さんに教えられて、その方面も気になってくる。

 ラズウェルというと連られて思い出すのがキップ・ハンラハン。あたしの中ではどちらも似たようなところにいる。ハンラハンの方がプロデューサー的か。ラズウェルは自分も一緒になってはしゃぐのが好きだけど、ハンラハンはクールに人にやらせて悦に入っているところがある。


 ギタリストではまずビル・フリゼールとパット・メセニー。前者はポール・モチアンのモンク・アルバム。後者は動画。メセニーまたはメシーニィはギタリストとしてもさることながら、作曲面での影響が大きいのだそうだ。複雑な変拍子なのに、聴いている分には心地よくて、変拍子だとはわからない。あるいはその心地よさを生むために変拍子を使うというべきか。

 あたしなどは変拍子の快感はむしろ体の内部をよじられるような、一般的には心地よいとは言われないものだ。マゾヒスティックと言えないこともないが、いためつけられているわけではなく、それまで体験したことのない、本来ありえない方向によじられるのがたまらなく快感なのだ。だから変拍子とわかることはむしろ前提で、そうわからずにひたすら心地よいだけ、というのはどうもつまらない。もっともメシーニィの音楽はただ心地良いだけではすまない面白さがあると思う。そこが変拍子の効験であろうか。

 80年代のジャズはギターの時代と言ってもおかしくない。他にもジョン・スコフィールドとか、マーク・リボーとかもいるし、ジョー・アバクロンビー、フレッド・フリス、アラン・ホールズワースあたりも80年代に頭角を現したと見える。80年代のギタリストは従来のジャズ・ギターの定番だったクリーン・トーンではなく、ノイズや歪みを含む、ロック的なサウンドも積極的に出すのが、あたしには面白い。クリーン・トーンのエレクトリック・ギターは音を伸ばせるところだけを利用していて、楽器の特性をフルに使っていないと思える。もっとも、ジャズで電気前提の楽器はかつてはむしろ珍しかったから、ノイズやディストーションを当たり前に使うのには抵抗があったのかもしれない。

 ここでギターと並べられたチューバの新しい響きはアーサー・ブライスの《Illusion》のものだが、チューバがリード楽器として花開くには、もう少し時間がかかるようだ。一方、わが関島岳郎はやはり1980年代に登場している。あるいは関島の活動をジャズでくくるのは、かえって狭い枠に押しこめることになるのかもしれない。


 第5部、今のジャズと1980年代のジャズとの繋がりで挙げられているのはジョシュア・レッドマン、ブラド・メルドー、ロバート・グラスパー、カマシ・ワシントン、ヴィジェイ・アイヤー、マカヤ・マクレイヴン、ベッカ・スティーヴンス、マリア・シュナイダー、ジェイコブ・ブロ、セオン・クロスといった面々。

 この中であたしが一番面白かったのはこの中で唯一初見参だったマカヤ・マクレイヴン。村井さんによればかれにはオーネット・コールマンとビル・ラズウェルの影響があるそうだけど、あたし的にはバランス感覚がいいと思えた。とにかく面白くて、もっと聴こうと思って検索すると、なんとこの人の母親はあのコリンダのシンガーというではないか。どうしてこういう人とジャズ・ドラマーが結びついて、マカヤ君が生まれたのかは訊いてみたいが、それにしてもこういうつながりのあるジャズ・ミュージシャンは初めてだ。同時にかれの音楽をあたしが面白いと思う理由の一端も見える気がする。

 コリンダ Kolinda というのは1970年代後半、ハンガリーの伝統音楽を現代化したバンドで、フランスの Hexagon から出した2枚のアルバムに我々はノックアウトされた。当時、ブリテン、アイルランドの伝統音楽に夢中になっていた、あたしらごく少数の人間たちに、ハンガリーにも伝統音楽が生きており、それはブリテン、アイルランドのものとは異質ながら、まったく同等の美しさと広さを備えていることを初めて叩きこんでくれたのだ。演奏、選曲、編曲の能力のとんでもなく高い連中で、その後しばらくして陸続と出てきたハンガリーのミュージシャンたちの中でも、あそこまでの存在は見当らない。コリンダが凄すぎて、後から出てきた人たちは別の方向をめざしたとも見える。今聴いても十分に新鮮、というより、むしろハンガリー伝統音楽の諸相が普通に聴ける今聴く方がその凄みがより実感できるだろう。久しぶりに聴きなおして、マクレイヴンの音楽とのつながりを探るのも愉しそうだ。

 今回は最後にびっくりのおまけもついて、1980年代というのは面白いとあらためて認識させられた。リアルタイムでは80年代に入った途端、出てくる音楽がつまらなくなったという印象が残っているのだけれど、後から見ると、その後につながる動きはたいていが80年代に始まっている。50年代に始まった動きは1970年代末で一応完結し、そこで位相の転換が起きた、というのはどうだろう。パンクは新しい動きというよりも、それまでのロックの集大成だったのかもしれない。クロノス・カルテットのアルバム・デビューも1979年。ロン・カーター、チャック・イスラエル、エディー・マーシャルを迎えたモンク・アルバムが1985年、エディー・ゴメスとジム・ホールを迎えたビル・エヴァンス・アルバムが1986年だ。

 ジャズにあっても、フュージョンはそれまでのジャズの行きついた果てで、そこで舞台がくるりと回って今回聴いた人たちがわらわらと登場してくる。今のジャズが直接つながるのが70年代ではなく、80年代なのも納得できる。

 それに、そうだ、80年代はデジタル録音が広まり、CDが普及する。音楽の録り方が変わっている。このことの意味も小さくないはずだ。(ゆ)

 村井さんの飛んでるジャズ歴史講座の8回目は1960年代後半から70年代いっぱい、エレクトリック・マイルスからクロスオーバー/フュージョン。

 20世紀末のヒップホップでフュージョンがそれ以前のジャズ同様にサンプリングされて新ためて脚光を浴びているのだそうだ。それを受けて21世紀のジャズ・ミュージシャンたちがフュージョンを参照し、カヴァーするようになる。あたしには今回この部分が一番面白かった。彼ら、今30代、40代のミュージシャンたちはハービー・ハンコックがフュージョンをいわば完成させ、代表的の録音を残しているとして、リスペクトしているのだそうだ。

 もっともハンコックのフュージョンとしてかかった《ヘッドハンターズ》などの音源は今一つ面白くない。音楽としてはその源流であるエレクトリック・マイルスの方がずっと面白い。あの混沌がいい。何か新しいものが生まれてくる時の勢いがまざまざと感じられる。

 ハンコックたちになると妙にできあがってしまっている感じを受ける。整理されてきちんとやっている。だから引用、参照、利用されやすくもなるのだろう。マイルスの音楽は方法論やコンセプトを学ぶことはできるだろうが、素材としては使えないまではいかなくても、相当に使いにくいのではないか。

 マイルスとしてかかったフィルモアのライヴは、グレイトフル・デッドの前座で出た時の録音のはずだが、70年のデッドは68、69年の原始デッドの混沌から《ワーキングマンズ・デッド》《アメリカン・ビューティ》のアメリカーナ・デッドへと転換している。混沌からよりメロディ志向になっている。混沌へ向かうマイルスとベクトルがちょうど対極だ。この二つの方向性がフィルモアで交錯していたわけだ。これもちょと面白い。

 クロスオーバー/フュージョンは当初大ヒットした。ジョージ・ベンソンの〈Blazin'〉などは、あの頃そんなものには見向きもしなかったあたしでさえ、散々耳にした、聞かされた。ラジオやら BGM やら、そこらじゅうでかかっていた。今聴いて、やはりもっと聴きたいとは全く思わない。こんなものを聴くのに貴重な人生の残り時間を使いたくない。

 それ以前、こういうものはイージーリスニングと呼ばれていた。それとの違いはリズム・セクションだと村井さんは言う。リズム隊がタイトにきっちりと支えている。言われてみるとなるほど、そこがフュージョンの革命だったのかもしれない。あれ以後、リズムがきちんとしていない音楽はヒットしなくなった。

 それにしてもヒップホップによるサンプリングというのはどこか異常だ。元の音源を構成する要素に分解し、その断片を抜き出して組合せる。村井さんは元の音源もかけて、ここが使われてます、と腑分けしてみせてくれて、それはそれで面白いが、サンプリングした方がこの「曲」を使っていると宣言しなければ、絶対にわからないと思われる。そしてそうした宣言によって、引用先の音源をヒップホップのファンは聴くらしい。

 もっとも伝統音楽のフィールドでも、この曲のこのヴァージョンは誰それの録音なりこの資料なりがソースとライナーで書くのと同じことではある。あたしらはそこでそのソースを聴こうとする。今の解釈と聴き比べるためだ。そこであらためて Frankie Archer は凄いという話になる。おそらく、それと同じことなのだろう。

 かくて引用されたボブ・ジェームズは大金持ちとなり、ハンコックがリスペクトされ、グラスパーがカヴァーしたり、《ビッチズ・ブリュー》のトリビュート・アルバム《London Brew》でヌバイア・ガルシアがマイルスをカヴァーすることになる。

 そしてフュージョンは今や新たなダンスバンドとして、例えばエズラ・コレクティヴの形をとるわけだ。フュージョンはかつては「聴いてはいけない」ものとされたそうで、それも隨分な話だが、そこまで貶しめられたものが最先端ジャズの一角として甦っている。愉しいじゃないか。(ゆ)

 四谷は「いーぐる」での村井康司さんの連続講演、今回は「モード・ジャズ」のお話。《カインド・オヴ・ブルー》から、ジャズはモード・ジャズの時代に突入する。たった1枚のアルバムでジャズ全体の方向性が変わる、というのもどうかと思うが、文学でいえば『ユリシーズ』とか『失われた時を求めて』のようなものなのだろう。モード・ジャズはジャズにより自由で多様な世界を開いたことは確か。また一方で、ジャズが世界各地の伝統音楽現代化のための強力で柔軟なツールになってゆくのもモード化のおかげではあろう。

 では、そのモードによって即興をやるというアイデアをマイルスやコルトレーンたちはどこから得たのか、それを探ろうという試み。こういう発想が村井さんらしい。

 いかにマイルスやコルトレーンが天才でも、無から有を生みだしたわけじゃない。そんなことは神ならぬ身には不可能だ。必ずどこかに先行ないし原型があって、それをお手本にしてあちこち変えたり、まぜ合わせたりすることで新たなものを生みだす。アインシュタインだって相対性理論を無から考えついたわけじゃない。アリストテレスとは言わないまでも、ニュートン力学の完全な理解に立って相対性理論に到達したのだ、と寺田寅彦が言っている。

 だいたいモードと言われても実はよくわからない。旋法と訳されるるが、教会旋法なんてのがあって、要するに音階の型のようでもあるけれど、それと関係があるのか、無いのか。今回の講演を聞いて、わかった!わけではないが、何となくこーゆーことなのかなーというヒントはもらえた。ひと言でいえば四度のハーモニー、三度や五度ではなく、四度離れた音をつけてゆくのが、モード奏法のひとつの基本らしい。

 とまれ村井さんが提示するモード奏法の源流はまずキューバの音楽、そしてクラシックつまり20世紀前半の作曲家たちの音楽、アフリカの音楽とミニマル・ミュージックだ。

 そこで次々に披露される音源は、よくまあこれだけのものを見つけてくるよなあ、といつもながら感心する。それを並べられると、言わんとされていることもすなおに納得されてしまう。

 まずパート1はキューバのソンの一種「モントゥーノ」。と言われてもキューバ音楽は全く知らないので、はあ、それが何かとしか反応できないのは悲しいが、いきなりかかったのはコルトレーンの〈アフロ・ブルー〉。あ、これは知ってる、好きです。モンゴ・サンタマリアの作、いや、好きだなあ。これには歌詞もあってアルジェリアのシンガーのヴァージョンは良かったと思い出す。

 コルトレーンは同じことを繰返していて、そこは西洋音楽ではない、と村井さんは言う。西洋音楽も繰返すけれど、繰返すたびに少しずつ変える。キューバやアフリカは変えない。変えずに繰返すことが気持ちいい。後のディスコもそうだけど、そこは体を動かすからだろう。こういう音楽は踊るためのもので、そうなると、繰返して変えてしまっては踊れなくなる。変えてはいけない。ビバップでジャズもダンス音楽ではなくなったわけで、モードはビバップでやったことをさらに徹底しようと考えだされたわけだが、片方でダンス音楽の要素も復活させている。この部分はエレクトリック・マイルスで拡大されるように聞える。ところで1963年のコルトレーンのパターンの原型としてかかったのは1948年のマチート&アフロ・キューバン・オーケストラ。

 四度のハーモニーの実例が並ぶのがパート2。ラヴェルの〈パヴァーヌ〉の1938年のウィーン放送交響楽団と1939年のグレン・ミラー楽団の演奏が並ぶ。味わいは当然違うが、グレン・ミラーってやっぱりヘンだし、スゲエと思う。

 休憩後はマッコイ・タイナーから始まって2013年 ECM の児玉桃によるラヴェルの〈鏡の谷〉、チェコの作曲家、ピアニストのイルジャ・フルニッチによるドビュッシー〈版画〉の1曲〈塔〉と、四度のハーモニーの実例が次々にかかる。クラシックでは長調短調システムからの離脱が意図されているようだ。ジャズでも従来とは異なる響きを使っている。コルトレーン《アセンション》の1965年フランスでのライヴ映像、ウガンダの伝統音楽、そして1964年にテリィ・ライリーが作った〈テイト・モダーン&アフリカ急行〉のライヴ映像。

 四度のハーモニーは尻がおちつかない。不安定というより綱渡りの気分。終りがない。とはいえ、終らないのが音楽の理想ではなかったか。1曲の演奏時間が5〜7時間かかるモロッコのヌゥバも延々と繰返してゆく。もっともあれは少しずつ変わってゆくので、ヨーロッパの音楽の源流はここにあるわけだが、それは余談。

 同じことを繰返して終らないといえばファンクやサルサはその代表でもある。ジェイムズ・ブラウンが同じことを繰返すのが実にカッコいいではないか。どこか人間の感覚の根源につながるからか。音楽は本質的には同じことを繰返す。繰返しのパターンの単純複雑や、繰返しながら変えるか変えないかなどの手法を組合せる。

 モード奏法、モードで即興するというのは、出す音を選ぶときに四度のハーモニーをベースにして、しかもなるべく同じように繰返すことである。というのがこの日学んだことに思える。思いきり誤解しているかもしれないが、この枠組みでモード以降のジャズを聴くのは面白そうだ、と少なくとも感じられた。(ゆ)

 一昨日、2月26日にダブリンの Vicar Street で行われた RTE Radio 1 Folk Awards の今年の授賞式で、生涯業績賞を贈られたドーナル・ラニィへのクリスティ・ムーアの祝辞全文が Journal of Music のサイトに上がっています。



 ドーナルの最も古くからの友人であるムーアはドーナルの全キャリアについて語っていますが、とりわけ興味深いのはごく若い頃の話、Emmet Spicland 以前のドーナルの活動です。この時期はおそらく録音も無いでしょうが、ドーナル・ラニィは一朝一夕で生まれたわけではないこと、そしてやはりドーナルは初めからドーナルだったことがわかります。当然といえば当然ですが、こうして具体的な名前まであげて語られると、その事実があらためて重みをもってきます。

 もう1つ、プランクシティからボシィ・バンドへドーナルが移った時のショックがいかに大きかったかも伝わってきます。直接ボシィ・バンドへ移ったわけではないことも興味深い。

 さすがムーアとあたしが思ったのは、ドーナルがフランク・ハートを援けて作ったアルバムにわざわざ言及していることです。歌うたいとしてのムーアの面目躍如です。ムーアとしてはああいうアルバムを自分も作りたかったが、自分にはできないこともわかっているのでしょう。

 ハート&ラニィの6枚のアルバムは、ドーナルのものとしては最も地味な性質のものではありますが、かれの全業績の中でも最高峰の1つ、プランクシティ〜ボシィ・バンドとモザイク、クールフィンと並ぶ、見方によってはそれらをも凌ぐ傑作だと思います。

 ドーナルがゲイリー・ムーアとリアム・オ・フリンと3人でセッションし、しかもバンジョーを弾いたというのもいい話です。バンジョーではないけれど、ここでバンジョーを弾いていてもおかしくない一例。(ゆ)



 今年の RTE Radio 1 Folk Awards の Life Achievement Award が ドーナル・ラニィに授与されることが発表されました

 この賞のこれまでの受賞者はトゥリーナ・ニ・ゴゥナル、メアリ・ブラック、クリスティ・ムーア、スティーヴ・クーニー、モイヤ・ブレナン、アンディ・アーヴァイン。錚々たるメンバーですが、ドーナルこそは誰よりもこの賞にふさわしいと思います。

 授賞式は今月26日で、ドーナルは新しいグループ Donal Lunny's Darkhorse をそこで披露するそうです。

 そういえば、パンデミック前でしたっけ、このバンドのアルバム製作資金をクラウドファンディングしていて、あたしも参加しましたが、その後、どうなってんだろう。(ゆ)


 マリンバ、ビブラフォンの Ronni Kot Wenzell とフィドルの Kristian Bugge のデュオは初見参。このいずみホールは2022年のカルデミンミットのすばらしいライヴを味わわせてもらったところ。まあ、あのレベルの再現は難しいと思いながら入る。ここは天井が高く、響きが良くて、カルデミンミットのカンテレの倍音と声のハーモニーを堪能した。今回その響きの良さをまず実感したのは金属製のビブラフォン。深く長い残響がよく伸びて気持ち良い。ウェンゼルは左のこれと、右のフルサイズの木製マリンバを使いわけるが、演奏スタイルも異なり、木琴はピアノの左手の役割で、リズム・セクション。鉄琴はより細かく、裏メロまではいかないが、カウンター的にフィドルにからむ。ブッゲの方も心得ていて、鉄琴のサステインと戯れてもみせる。こういうところ、デンマーク人は芸が細かい。

 そのフィドルの響きのしなやかで繊細な響きを生んでいたのは、演奏者の腕か、楽器の特性か、ホールの響きか、あるいはその全部が合体したおかげか。その響きが最もモノを言ったのはアンコールの〈サクラ〉だった。「さくらあ、さくらあ、やよいのそらあはあ」のアレである。正直、始まったときには、えー、これかよーと内心頭を抱えたのだが、曲が進むにつれて、嫌悪が感嘆に変わっていった。

 違うのだ。こんな〈サクラ〉は聴いたことがない。ひどく繊細で、ひめやかで、透明。美しい音、美しい響きが続いて、滑かで官能的な〈サクラ〉が浮かびあがる。日本人では絶対に思いつかないような〈サクラ〉。このセンスはクラシックではない、伝統音楽のものだ。1つの伝統からもう1つの伝統へのリスペクト、あえかなラヴレター。

 静かに弾ききってお辞儀をした、そのままの姿勢からもう一度楽器をとりなおして、元気いっぱいのダンス・チューンになだれこんだのはお約束だが、あの〈サクラ〉の後なら何でも認めましょう。

 先日のドリーマーズ・サーカスもそうだったが、デンマーク人というのはセンスがいい。デンマーク音楽に接した初めはハウゴー&ホイロップ。かれらの選曲とアレンジのセンス、それに強弱のダイナミズムに度肝を抜かれたわけだが、ドリーマーズ・サーカスといい、このウェンゼル&ブッゲといい、その点はみごとに同じだ。

 そもそもフィドルと木琴、鉄琴の組合せが面白い。マリンバは先述のようにピアノの役割も兼ねるが、ピアノよりもやわらかい響きはフィドルを包みこむ時にも相手を消さない。音の強弱、大小の対比もずっと大きく、アクセントの振幅がよりダイナミックになる。

 一方でビートをドライヴする力は大きくなく、スピードに乗るダンス・チューンでも切迫感はない。するとブッゲのフィドルの滑らかな響きが活きる。

 鉄琴はミドル・テンポからスローな曲で使っていたと思う。「ああ、いい湯だ」と言いたくなる第一部6曲目〈Canadian air〉、哀愁のワルツに聞える第二部2曲目〈Duetto fagotto〉がいい。あたしとしては、ウェンゼルが鉄琴のソロで奏でた〈虹の彼方に〉やアバの〈アライヴァル〉などのゆったりめの曲に耳を惹かれる。〈虹の彼方に〉は、まだ子どもの頃、母親の葬儀で演奏して以来、どこのどんなコンサートでも必ず演奏しているそうだが、こういう演奏で亡くなった人は虹の彼方の国へ赴くと告げられると、天国や極楽よりもいいところなんじゃないかと思えてくる。

 客席を二つに分けて、違うビートを手で叩かせ、それに乗る演奏をするあたり、エンタテイナーとしても手慣れている。伝統音楽を伝統音楽のまま一級のエンタテインメントにするのは、元はといえばアイルランド人の発明だが、昨今、デンマークがそのお株をとってしまった観もあると、あらためて思う。

 ウェンゼルの方は初耳だったが、ブッゲはあの Baltic Crossing のメンバーだったと知って、なるほどと納得。

 カルデミンミットのような感動まではやはり行かなかったが、もっと気楽にいい音楽をたっぷりと浴びさせていただいて、やはりこのホールは縁起がいい。(ゆ)

 昨年行ったライヴ、コンサートの総数33本。同じミュージシャンに複数回行ったのは紅龍3回、新倉瞳&渡辺庸介とナスポンズ各々2回。COVID-19感染とぎっくり腰、発熱を伴う風邪で行けなかったもの数本。どれもこれも良かったが、中でも忘れがたいもののリスト。ほとんどはすでに当ブログで書いている。
















1014 七つの月 @ 岩崎博物館ゲーテ座ホール、横浜
 shezoo さんがここ数年横浜・エアジンでやってきたシンガーたちとのコラボレーションから生まれたアルバム《七つの月》レコ発ライヴ。一級のシンガーたちが次から次へと出てきて、各々の持ち歌を披露する。どなたかが「学芸会みたい」とおっしゃっていたが、だとしてもとびきり質の高い学芸会。シンガー同士の秘かなライヴァル意識もそこはかとなく感じられて、聴き手としてはむしろ美味極まる料理をどんどんと出される。一部二部が昼の部、夜の部に分られ、間に食事するだけの間隔があいたので何とかなったが、さもなければ消化不良を起こしていただろう。

 アルバム《七つの月》は shezoo さん自身は飽くまでも通過点と言うが、それにしても《マタイ》《ヨハネ》も含めて、これまでの全業績の一つの結節点であることは確か。アルバム自体、繰返し聴いているし、これからも聴くだろうが、ここからどこへ行くのかがますます愉しみ。


1017 Nora Brown @ Thumbs Up、横浜
 こういう人のキャリアのこの時期の生を見られたのは嬉しい。相棒のフィドラーともども、オールドタイムを実にオーセンティックにやっていて、伝統の力をあらためて認識させられた。会場も音楽にふさわしい。

1023 Dreamer's Circus @ 王子ホール、銀座
 ルーツ・ミュージックが音楽はそのまま、エンタテインメントとして一級になる実例を目の当たりにする。

1103 Julian Lage @ すみだトリフォニー・ホール、錦糸町
 何より驚いたのはあの大ホールが満杯になり、この人の音楽が大ウケにウケていたことだ。ラージの音楽は耳になじみやすく、わかりやすいものとは対極にあると思えるのだが、それがやんやの喝采を受けていた。それも相当に幅広い層の聴衆からだ。若い女性もかなりいた。あたしのような老人はむしろ少ないし、「ガンコなジャズ爺」はほとんど見なかった。ここでは「ケルティック・クリスマス」を何度も見ているが、ああいうウケ方をしたのは覚えが無い。


1213 モーツァルト・グループ @ ひらしん平塚文化芸術ホール
 レヴューを頼まれて見たのだが、最高に愉しかった。要するにお笑い芸である一方、あくまでも音楽を演奏することで笑わせるところが凄い。音楽家としてとんでもなく高いレベルにある人たちが、真剣に人を笑わせようとする。こういうやり方もあるのだと感心すると同時に、一曲ぐらい、大真面目に演奏するのを聴きたかった。

1228 紅龍, 題名のない Live @ La Cana, 下北沢
 昨年のライヴ納め。ピアノ、ベース、ギター、トランペット、パーカッションというフル・バンドに、シンガー2人。さらに後半、向島ゆり子さんも駆け付けて、最新作《Radio Manchuria》の録音メンバーが1人を除いて顔を揃えるという豪華版。プロデューサーでピアノの永田さんのヴォーカル・デビューという特大のおまけまで付き、まさに2024年を締めくくるにふさわしい夜になった。


 展覧会はあまり行けず。行った中でもう一度見たいと思ったもの。

エドワード・ゴーリー展@横須賀美術館
 これまで思っていたよりも遙かに大きく広く深い世界であることを実感。

田中一村展@東京都美術館
 奄美に行ってからの絵を見ると、ここまでの全てのキャリアはこの一群の絵を描くための準備と見える。奄美大島の一村記念館に行きたくなる。

オタケ・インパクト@泉屋博古館
 同じ美術館で同時開催されていた別の展示を見にいった家人が持ち帰ったチラシで見て勃然とし、会期末近くに滑り込み。まったく未知の、しかし素晴しい画家たちの絵に出会うスリル。日本画のアヴァンギャルドという謳い文句は伊達ではない。(ゆ)

 村井康司さんの「時空を超えるジャズ史」第6回は「スイングからビバップ、そしてジャイヴとジャンプ」。スイングから生まれた2つの流れ、ビバップとジャンプ/ジャイヴ。ビバップが後のモダン・ジャズを生む一方でふり捨てたダンス・ミュージックとしての性格を継いだのがジャンプ/ジャイヴだった。この2つがどう違うかは、今回はわからず。

 ポピュラー音楽は誕生以来常にダンス・ミュージックだ。ジャンプ/ジャイヴはロックンロールにつながりこれも当初ダンス・ミュージックだった。ロックがジャズ同様、「芸術性」を獲得してダンス・ミュージックとしての性格を捨てると、ソウルやいわゆるブラック・ミュージックに受け継がれ、以後も連綿と続いている。ちなみにグレイトフル・デッドの音楽も基本はあくまでもダンス・ミュージックで、デッドは終始ダンス・バンドだった。あの集団即興で皆踊りまくっていたのだ。デッドの音楽に「耳を傾けた」のは、その場にはいないでテープを聴いていた連中だ。それだって、大音量でかけながら踊っていた人たちも多かったろう。

 とまれ講演のパート1は1940年代のスイング・ジャズの中にジャンプとビバップの要素がある音源を並べる。いつものことながら村井さんの選曲眼の良さには感心する。よくもこういう音源を見つけてくるものだ。普段からよほど敏感なアンテナを広く張りめぐらしているのだろう。

 まずはジャンプ3曲。1曲目、1940のアンドリュー・シスターズはいきなりブギウギ。よく跳ねる。2曲目カウント・ベイシー・オーケストラの1941年の動画。ソリストがやたら上手い。3曲目ライオネル・ハンプトン・オーケストラの1943年の録音。トランペットと木琴のかけあいが楽しい。4曲目のアースキン・ホーキンス・オーケストラ1940年の音源はビバップへの布石。その次1941年のベニー・グッドマン・オーケストラのチャーリー・クリスチャンはすでにビバップ。

 その次が凄かった。スリム・ゲイラード&スラム・スチュワートとハーレム・コンジェルーズの1941年のムービー。ゲイラード&スチュアートのかけあいから始まる音楽にどんどん楽器が加わり、それを聞いたメイドや召使いたちがわらわらと現れて踊りだす。そのダンスに目が釘付けになる。今のストリート・ダンスを集団でやっている。相当にアクロバティックで、どう見ても第一級のプロフェッショナル。むろん全員黒人。動きの切れ味、ダイナミックなアクセントに圧倒される。こんな芸をやっている人たちがいたのだ。リンディホップと呼ばれるスタイルだそうで、この時期、一瞬輝いたらしい。昨今、復活の動きもある由。

 7曲目、ドロシー・ダンドリッジ&ポール・ホワイトの1942年の動画。男女が歌いかわすのはもう少しでR&B。第二次世界大戦酣で、当時は黒人だけが聞いていた。

 パート1の締めはやはりチャーリー・パーカー。パーカーが出発したバンド、ジェイ・マクシャノン・オーケストラの1942年の音源。そして1942年ないし44年と言われるホテルの一室での〈チェロキー〉。こうして流れで聴いてきて、同時代の他のミュージシャンたちと並べて聴くとパーカーがいかに突出していたか、よくわかる。ようやくパーカーの面白さに開眼した想い。パーカーばかり聴いていたのではわからなかった。後藤さんはパーカーにどっぷり漬かることで開眼されたというが、あたしはそこまでジャズに命をかけていないし、感性もずっと鈍い。こうして筋で並べられて初めてわかった気がする。これが今回最大の収獲。

 パート2は1940年代後半のアメリカン・ブラック・ミュージックということで、ブルーズ、ジャンプ、ジャイヴそしてビバップを聴く。まずはブルーズ3曲。

 ライオネル・ハンプトン楽団をバックにダイナ・ワシントンが歌う1945年の音源。歌の裏でトランペットがずっと吹いている。ジェリィ・ガルシアがボブ・ウィアの歌の裏でずっとギターを弾いているのは、これに習ったのかと妄想する。

 アーサー・クラダップの1946年の〈That's all right〉。これをプレスリーがデビュー録音で忠実にカヴァーしていると言ってかけた録音にのけぞる。プレスリー、スゲエ。この人、やはりタダモノじゃなかったのだ。

 そしてB・B・キングの1949年の録音では、サックスとトロンボーンがソロをとる。B・B・キングは自分のバンドに常に管楽器を入れていたのだそうだ。

 ここで休憩。

 後半はまずジャンプといえばこの人、ルイ・ジョーダン。1945年頃の動画で、ここでも歌の裏でトランペットがずっと吹いている。やはりこういう手法があり、ガルシアはそれを手本のひとつにしたのだろう。

 スリム・ゲイラードという人は芸の幅の相当に広い面白い人で、チャーリー・パーカーと共演もしている。1945年のこれは良い。1930年代のジャズはもっとまろやかで、40年代、LA が黒人音楽の拠点になってエッジが立ってくるらしい。それだけ40年代の LA では黒人差別がひどかったのだろう。

 ここでチャーリー・パーカーの1947年の〈楽園の鳥〉のイントロは、ビリー・アースキン楽団の1944年の〈Good jelly blues〉のイントロのパクリであることが明かされる。後藤さんも初耳だったそうだが、結構知られたことではある由。このイントロはさらにディジー・ガレスピーが〈All things〉のイントロに使う、となるとどこか心の琴線に触れるものがあるのだろう。

 さらにハード・バップのシンボルのようなジョニィ・グリフィンもジャンプをやっていた。1948年ジョー・モリス楽団との録音。つまり、ジャンプもビバップも当時は区別されてはいなかった。少なくともミュージシャンたちはしていなかったのだ。1949年のワイルド・ビル・ムーアになると、ジャンプとジャズの間を行っている。

 次のイリノイ・ジャケットは音楽よりも村井さんがレジュメに載せた写真の墓が面白い。ミュージシャンの墓が集まっているウッドローン墓地にあるもので、やたらでかく、本人がサックスを吹いている画が描いてある。写真ではその向こうのマイルス・デイヴィスの墓より派手だ。

 最後にかかったのは現代のジャンプ/ジャイヴとしてシャバカ・ハッチングスの2022年のライヴ映像。メロディの起伏が極端に少ないのは意図的と思われ、デジタル的にも聞えるが、並べて聴くと精神は立派に受け継いでいると感じられるのは面白い。

 スイングからビバップはジャズの正史だが、実際そんなにパッと変わったわけではない。いろんな階調、グラデーションの音楽が同時進行している。その中からあるものは後に受け継がれて残り、あるものは消える。もっともこうして音源、映像が残っているわけで、しかもアクセスは簡単、誰でもいつでも見たり聴いたりできる。となるとまた新たな形で生まれかわらない方がおかしい。ハッチングスのような現代のジャンプ/ジャイヴももっと現れるだろうし、すでに現れているのだろう。(ゆ)

 そうそうこの声、とうたいだした途端に納得した。ぎっしりと実の詰まった、異界から響いてくると聞える声。行川さをりさんの声と性質が似ている。行川さんの声が低い方に膨らむのに対して小暮さんの声は高い方へ広がる。ただスイート・スポットは最高域ではなくて、その少し下にあるらしい。そこで伸ばされると空間全体が共鳴して、こちらの体の芯がそれに共鳴する。くー、たまりまへん。例えば前半5曲目コインブラ・ファドの〈別れのバラード〉、例えば後半オープナー〈赤い魚〉。

 この人には紅龍さんの新作《紅龍 / RADIO MANCHURIA [CD]》で出逢った。この人、何者?と永田さんに訊くと、ふふふ見にいらっしゃいとあの低い声で誘う。そりゃ、行かずばなるまい。

紅龍 / RADIO MANCHURIA [CD]
紅龍 / RADIO MANCHURIA [CD]

 ということでこの日、出かけていったわけだが、すばらしいうたい手はたくさんいるにしてもこの声は唯一無二。しかもその声をちゃんとコントロールしている。これだけの声を持てばそれに頼り、溺れてしまってもおかしくない。実際そういう人もいる。しかし小暮さんは声によりかからず、しっかり主体性をもって声を聴かせるのではなく、歌を聴かせる。だからこそ声が引きたつ。

 自身のギターと永田さんのピアノとピアニカ。ギターはアルペジオ主体でかき鳴らすことはほとんどない。控え目で効果的。しかしその気になれば相当に弾けるのではとも思える。

 永田さんのピアノはいつもながら適確かつ随所に驚きが仕組まれていて、ふっと耳を奪われる。今回はピアニカが面白い。リスボアの街角でピアニカを奏する盲目の老女をうたった歌の伴奏というだけではない。おまけに左手でピアノ、右手で肩からかけたピアニカという芸当もしてみせる。これが見せるだけでなく、聴かせる。

 小暮さんは元はファドに惹かれ、ポルトガルにも住んだことがあるらしい。松田美緒さんも確か元はファドを歌っていたのではなかったっけ。ファドの昏さは我々には親しみやすいのか。一方でスコットランドの歌の昏さに共感する人は多くないのう。

 松田さんも日本語の伝統歌をうたうようになり、あたしはそこで「発見」するわけだが、小暮さんは自作やカヴァーで日本語のうたを歌う。オリジナルも面白い。詞も曲もいい。オープナーの「さねかずら」は認知症の母親を歌っている。そこにりきみが無い。哀しみも同情も聞えない。ただ、そういう存在としてまるごと受け入れる。器が大きい。

 次の歌は「きみは何を持っているの」とうたうが、これは問いというより、相手の目を覚まし、引きつける刺戟のようだ。

 とはいえこの日のハイライトは後半4曲目、紅龍作の〈誰かが誰かを〉の絶唱。語尾をのばしてまわす、コブシまではいかないゆったりとまわすのにうっとりしてしまう。次のメアリ・ホプキンの〈悲しき天使〉の日本語版、高田渡の主治医だったという藤村直樹による詞のヴァージョンもいい。こうして日本語で聴いたからか、この歌のメロディはクレツマーであることにようやく気がついた。そしてアップテンポの〈蝶々〉、ラスト曲とハイライトが続く。

 アンコールはピアノだけのバックで初恋をうたう。声とともに言葉にならない感情が流れこんでくる。

 おなじみのアーティストの安定したパフォーマンスにひたるのも快感だが、鮮烈な初体験にまさるものもまた無い。それが最も好きなタイプの声をたっぷりと浴びるとなれば無上の天国。これで明日からまた生きていけるというものだ。ぜひまた生を聴きたいし、聴けるだろう。

 このすばらしいうたい手に引きあわせてくれた永田さんと紅龍さんに感謝。

 やはり人の声は最高だとあらためてかみしめながら、なぜか古着屋のやたら増えた下北沢の街を駅へ向かう。(ゆ)

小暮はな: vocals, guitar
永田雅代: piano, pianica



 大昔、1年間『邦楽ジャーナル』にコラムを連載した際に現代邦楽、つまり伝統邦楽と呼ばれる音楽の現代の姿を集中的に聴いたことがあり、このユニットのCDも買って聴いていた。名前は記憶に残っていたのが、いきなり地元でライヴをやるというので喜んでチケットを買った。聴いてみればこれで千円は安すぎる。もっとも完売御礼、当日券無しになったのはその安さのおかげかもしれない。元々は今年8月に予定されていた公演が台風で流れたリベンジの由。8月の方は気がつかなかったので、ありがたかった。

 びかむというユニットは琵琶、琴、尺八に打楽器が加わるのがレギュラーの形だそうだが、今回は打楽器抜き。このトリオの形でもよくやるらしい。先々週トリオで小椋佳のコンサートのバックを勤めたとも言っていた。



 プログラムは前半平曲を並べ、後半はモダンなレパートリィ。

 まず琵琶の坂田氏が独り出てきて「祇園精舎」と「扇の的」をやり、琴と尺八が加わって「敦盛」。どれも抜粋ないし短縮版。「敦盛」はまともにやれば30分はかかるはず。あたしはむしろそちらが聴きたかったが、厚木の文化会館主催で聴衆のほとんどは地元の婆さん爺さんではやはりこうなるか。

 演奏そのものは一級で、この人の平曲は本来の形で聴いてみたい。短縮するのは器楽の部分が大きいから、琵琶の演奏がこれからというところで終ってしまう憾みがある。

 昔の琵琶法師は男性だったと思われ、詞も楽曲も男の声に合わせてあるはず。女声による語りはどうだろうと思ったが、「祇園精舎」ではちょっと合わない感じもあったけれども、「扇の的」では気にならないのも面白い。「敦盛」は他の楽器が加わったせいか、声自体に違和感は無かった。「祇園精舎」は坂田氏の作曲とあって、それが今一つぴたりと合っているとは聴こえなかったのはあたしの耳がおかしいのかもしれない。

 琴と尺八の加わった平曲は悪くない。平曲は琵琶だけでやるべしとはわからなくもないし、あたしも好きだが、こうしてアンサンブルでやるのも大いにアリだと思う。もともと平曲はエンタテインメントなんだから、時代に合わせてどんどん新しい形でやってしかるべきだろう。シンセやヒップホップでやったっていいし、もうやっている人がいるかもしれない。一方でこうして伝統的生楽器のアンサンブルでもっと聴きたい。半日がっつり平曲もこれなら楽しめそうだ。演る方は大変ではあろうが。

 楽器の説明も入るのはお約束。琵琶は演奏者も製作者も減って絶滅危惧種なのだそうだ。とりわけ製作者は親子二人だけの由。親戚のウードは結構演奏者がいるようだが、琵琶には行かないのか。楽器の演奏だけでなく、語り、唄もできなければならないとなると敷居が高くなりそうだ。分業なんか考えられないのだろうか。もっとも平安の昔からやっている雅楽の琵琶は違うのだそうだ。でもウード弾きながら歌う人もいるよなあ。

 休憩をはさんで後半はまず尺八と琴のお二人が出てきて、楽器の説明をひとくさり。「尺八」の語源の話。琴の調弦の話。「桜」が弾きやすい、というよりその音階をうまく使った曲になるのだろう。

 で、この音階の琴と尺八でやった〈サマータイム〉が良かった。この日のハイライト。実際拍手も一番大きかったと思う。元の8月の公演ならばふさわしかったわけだが、これは季節に関係なく名演。尺八が妙にひしゃげた音を出すのが快感。

 最後は琵琶が戻ってトリオでの物語り「泣いた赤鬼」。今回のお題が物語りをかたることだそうで、そこでこれを持ってきた、と言う。演奏そのものは立派で何の文句もないが、なぜこれを、というのは後から思った。異族と仲良くすることの強調だろうか。

 音楽で物語りというと物語詩としてのバラッドがある。日本語にはバラッドの伝統は無いけれども、英語のマーダー・バラッドの一篇、たとえば〈Little Musgrave and Lady Bernard〉を設定を本朝に置きかえてやってもよいのではないか。いや、その前に心中物や仇討ち物の話には事欠かないではないか。三味線伴奏の謡とは別に琵琶伴奏による語りがあってもよさそうなものだ。

 というのは無いものねだりと承知しているが、小学校でやるならまだしも、じじばば相手に「泣いた赤鬼」はどうなのよ、とは思ったことであった。

 アンコールはバックを勤めた小椋佳のヒット曲〈愛燦々〉。なるほど、これなら、小椋佳がバックに呼びたくなるのもわかる。

 とまれ全体としては良いライヴ。会場は多目的ホールで拍手の音がまるで響かないにもかかわらず、サウンドはすばらしかった。照明もかなり念が入っていた。どちらも専属のチームがやっているのだろう。ぜひまた地元で、次は改修なった文化会館でやっていただきたい。

 終って30分後には家に帰っていたというのも珍しく、ありがたかった。(ゆ)。

 坂田美子:薩摩琵琶、歌
 稲葉美和:琴、コーラス
 坂田梁山:尺八、笛、コーラス

 石川真奈美+shezoo のデュオ・ユニット、みみたぼのライヴ。今回は北沢直子氏のフルートがゲストで、非常に面白くみる。

 北沢氏は shezoo さんの〈マタイ受難曲〉で初めてその演奏に接し、以後〈マタイ〉と〈ヨハネ受難曲〉のライヴで何度か見聞している。そういう時はアンサンブルの一部だし、とりわけ際立つわけではない。今回はソロも披露して、全体像とまではいかないが、これまでわからなかった面もみえたのは収獲。

 もともとはブラジル方面で活動されていて、この日もブラジルの曲が出る。shezoo さんとの絡みでライヴを見た赤木りえさんもラテン方面がベースだった。

 フルートはアイルランド、スコットランド、ブルターニュでも定番楽器だが、味わいはだいぶ違う。ジャズでもよく使われて、応用範囲の広い楽器だ。各々のジャンルに特有のスタイルがあるわけだ。ウインド楽器の類は人類にとって最も古い楽器のひとつであるわけで、使われ方が広いのもその反映だろう。

 赤木氏との比較でいえば、北沢氏のスタイルはより内向的集中的で、即興もたとえていえばドルフィー志向に聞える。

 北沢氏が加わったせいもあるのだろう、この日は選曲がいつもと違って面白い。ブラジルの〈貧しき人々〉や〈良い風〉をやったり、トリニテの〈ララバイ〉をやったり、陽水が出てきた時にはびっくりした。しかし、これが良い。ラスト前で、フルート中心のインプロから入ってひどくゆっくりしたテンポ、フリーリズムで石川さんがおそろしく丁寧に一語ずつ明瞭に発音する。陽水はあまり好みではないが、これはいい。こうしてうたわれると、〈傘がない〉もいい曲だ。

 石川さんが絶好調で〈ララバイ〉に続いて、〈マタイ〉から、いつもは石川さんの担当ではない〈アウスリーベ〉をやったのはハイライト。うーん、こうして聴かされると、担当を入れ替えた〈マタイ〉も聴きたくなる。

 〈ララバイ〉にも歌詞があったのだった。〈Moons〉に詞があるとわかった時、トリニテのインスト曲にはどれも歌詞があると shezoo さんは言っていたが、こうして実際にうたわれると、曲の様相ががらりと変わる。他の曲も聴きたい。〈ララバイ〉で石川さんは歌う順番を間違えたそうだが、そんなことはわからなかった。

 〈貧しき人々〉は三人三様のインプロを展開するが、石川さんのスキャットがベスト。ラストの〈終りは始まり〉も名演。

 北沢氏はバス・フルートも持ってきている。先日の〈ヨハネ〉でも使っていた。管がくるりと百八十度曲って吹きこみ口と指の距離はそう変わらないが、下にさがる形。この音がよく膨らむ。低音のよく膨らむのは快感だ。北沢氏が普通のフルートでここぞというところに入れてくるビブラートも快感。とりわけ前半ラスト、立原道造の詞に shezoo さんが曲をつけた〈薄明〉でのビブラートにぞくぞくする。

 こうしてみるとフルートはかなり自由が利く。表現の幅が広い。サックスのようにお山の大将にならない。ヴァイオリンの響きは比べると鋭どすぎると感じることがある。このままみみたぼに北沢氏が加わってもいいんじゃないかとも思える。

 それにしてもやはりうたである。人間の声が好きだ。shezoo さんには悪いが、石川さんの調子がよいときのみみたぼは面白い。(ゆ)

みみたぼ
 石川真奈美: vocal
 shezoo: piano

北沢直子: fulte, bass-flute

 金曜日の午後、書庫兼仕事部屋で本を縛りなおしていた時だ。

 本棚に入らない本は紐で縛る。以前は段ボール箱に入れていたが、どこに何が入っているのかわからなくなるので、縛ることにした。古本屋がやっている方法である。縛った時にある程度テーマや作家でまとめるようにしているのだが、急いでいたり、うっかりしていたりで、あちこちの束に束としては半端な本が1、2冊とか入っている。それを取り出して縛りなおす作業を時々やる。こうして何がどこにあるか、できるかぎりわかりやすいようにする。当面必要な本を取り出すこともある。

 今回は作業対象の束が結構あって、作業空間、つまり空いている床が狭く、立ったまま前屈みになって縛る作業をしていた。この「立ったまま」がよくなかった。2本ほど縛って、収納場所に移した、その2本目を下ろそうとしたら腰が痛い。ひどく痛い。疲れたのかと椅子に座ってみた。座ると痛みはやわらぐ。が、立とうとすると痛くて立てない。前屈みになれない。なろうとするとずきんとくる。何かにつかまって、あるいは支えに手をついてようやく立てる。歩くのもそろそろだ。足が前に出ない。

 あれ、こりゃあ、ぎっくり腰というやつではなかろうか。と気づいた時はすでに遅いわけである。

 とりあえず、ベッドに寝てみた。寝ながら iPhone で検索をする、というのは今の時代の常道であろう。すると、ぎっくり腰というのは即効の治療法などはなく、自然治癒を待つほかない、とある。確かにかみさんが昔ぎっくり腰であまりに痛がるので救急車で病院に担ぎこんだ時も、痛み止めを注射されただけだった。さらに、寝たりしているよりも、普通の生活、動作をしている方が速く治る、とも書いてある。そういう結果が複数あるそうだ。

 そこでこうしちゃいられない、と起きあがって、とにかくできるかぎり普通の生活をしようとしてみる。しかし、トイレに座るのさえ、やっとのことだ。幸い、トイレにはこういうこともあろうかと考えたわけではないが、なにせ高齢者が住むのだからと、リフォームの時にがっちりした手摺りをつけてある。トイレット・ペーパー・ケースの上の台も、体重を支えられるように作ってある。それで、何とか用を足す。

 椅子に座っていると、立つのが辛くなる。えいやっと体をまっすぐにしてそろそろと足を出す。しばらく家の中を歩きまわると、楽になってくる。

 前屈みになれないので、顔を洗えない。あたしの顔は油顔、真冬でも夜にはぬらぬらぎとぎとになるので、顔を洗えないのは結構辛い。うーむ、これも避難所生活のリハーサルととらえるか。しかし、いま大地震など来られた日にはたまらんぞ。

 こういう状態で外出など考えられない。週末の予定は、「いーぐる」での佐藤英輔さんの著書発刊記念イベントも、横浜・山手ゲーテ館での木村、須貝、中村トリオのライヴも吹飛んだ。来週1週間でどこまで恢復するか。

 要するに年をとったということだ。来年は古希だ。インターバル速歩のおかげで体調そのものは維持しているが、ふだん使わない筋肉は着実に衰えている。それをあらためて思い知らされた。(ゆ)

 真黒毛ぼっくすはバンマスの大槻ヒロノリが病気療養中で欠席。対バンが決まった時には元気だったが、その後入院し、外泊許可が降りなかった。バンドの存在はこの日まで知らなかったが、1985年からやっている。検索してみると外泊許可が降りないのも無理はない。アルコール漬けといい、歌う様子といい、作る曲といい、まるでシェイン・マゴーワンではないか。年はあたしとあまり変わらないだろう。ということはシェインともそれほど離れていないはずだ。

 このバンマスの不在は他のメンバーにとっては気の毒だが、かなり踏んばって、それなりに聴かせる。大槻の穴は埋めようがないにしても、全員が歌い、コーラスを張るのは妙に感動させられる。大槻の帰還への祈りもこめられていそうだ。

 出色は〈夏のロビンソン〉。東直子の歌集『青卵』から選んだ歌に大槻が曲をつけたもの。歌の一つずつをメンバー全員がもち回りで歌う。こうなると歌の上手い下手は関係なくなる。ここにはいない大槻の霊、死んでいるわけではないが、その生霊が各々に憑いているようでもある。歌そのものの面白さも聴きものだ。とりわけラスト全員でくり返す「夏のロビンソン」の歌は、俵万智に始まる現代短歌の一つの到達点にあたしには聞える。

 穴埋めの一環としてあがた森魚がゲストで参加したのは、あたしにはもうけもの。この人のライヴに接することができて嬉しい。大槻はあがたがアイドルで、ソングライターのロールモデルであったらしい。過去に共演もしている由。曲名アナウンス無しで、前口上で始め、え、ひょっとしてと思っていると〈大道芸人〉のイントロ、フェアポート・コンヴェンションの〈Walk a while〉のあれがいきなり始まった時にはのけぞった。まさかこれを生で聴けるとは。

 あたしはあがたの良いリスナーではない。《乙女の儚夢》と《噫無情》しか聴いていない。それで持っていたイメージとは実物は百八十度違って、大いにはじけるタイプのミュージシャンなのだった。次の〈赤色エレジー〉も祝祭になる。大槻の替わりに、あがたがこのバンドをバックバンドにしてもいいんじゃないかとさえ思う。

 アンコールでも松浦湊がイントロとコーラスを担当して〈最后のダンスステップ〉を大はしゃぎでやる。オリジナルのイントロは緑魔子だが、松浦も負けてはいない。「お酒は少ししか飲めませんが」のところで客席爆笑。

 ナスポンズは皮が何枚も剥けていた。狂気が影をひそめ、というより音楽に練りこまれて、音楽の質が格段に上がっている。アレンジの妙、アンサンブルの呼吸、メンバー同士の間合いが熟して、完全に一個の有機体のレベル。松浦もリード・シンガーとしてすっかり溶けこんでいる。アルバム制作はこのままライヴを録ってしまえばいいではないかと反射的に思ってもみたが、むしろこれは出発点で、このバンドの本当の凄みが出てくるのは、これからだと思いなおす。

 いきなり〈サバの味噌煮〉で始め、〈アフター・ワッショイ〉で締める。2曲目でギターとキーボードの掛合いが白熱する。その次〈星めぐり〉からブルーズ・ナンバーをはさんで、レンコンの歌までのひと続きがハイライト。レンコンでは上原が「先生」となってすばらしい演技を披露する。松浦のあえぎ声との差し手引き手がぴったり。ことこのバンドで出るかぎり、「ユカリ」の替わりに「センセー」が愛称になる勢いだ。ステージ上のメンバー全員にビールが配られた後の〈お買物〉がまたすばらしい。やはり名曲だ。

 アンコールはまずあがたが真黒毛ぼっくすのメンバーをひき連れてギターをかき鳴らし、歌いながら客席を回る。ステージに戻り両バンド入りみだれて〈ラヂヲ焼き〉〈最后のダンスステップ〉とやり、最後は松浦が真黒毛のレパートリィ(曲名を忘れた)を歌って幕。ナズポンズのライヴは毎回違い、何が起きるかわからないところがいい。あがた森魚と松浦湊もいい組合せだ。文中敬称略。(ゆ)

ザ・ナスポンズ
松浦湊: vocal, guitar
小湊みつる: keyboards, vocal
上原 “ユカリ” 裕: drums, vocal
新井健太: bass, vocal
春日 “ハチ” 博文: guitar, vocal

真黒毛ぼっくす
田中マチ: drums, vocal
宮坂洋生: double bass, vocal
橋本史生: guitar, vocal
田村カズ: trumpet, vocal
川松桐子: trombone, vocal
大槻さとみ: accordion, vocal
宮田真由美: keyboards, vocal

あがた森魚: vocal, guitar

 9月8日の続き。

 予定通り午後2時半に開場する。客席は6割ぐらいの入りだろうか。このコンサートだけにやって来る人も多い。聴きおわってみると、これのためだけにここまでやってくる価値は十分にあった。これだけレベルの高いミュージシャンばかりが一堂に会することは東京でもまず滅多に無い。

 コンサートはまず斎藤さんが挨拶し、メンバーを一人ずつ呼んで紹介する。内野、高橋、青木、hatao、木村、須貝各氏の順。並びは左から内野、青木、木村、須貝、hatao、高橋。

 まず2曲全員でやる。音の厚みが違う。PAの音も違う。バランスがぴったりで、どの楽器の音も明瞭だ。楽器によってデフォルトの音量は違うから、アコースティックな楽器のアンサンブルの場合、これはなかなか大変なことだ。すべての楽器が各々に明瞭に聞えることはセッションには無い、コンサートならではの愉しみだ。ここではパイプのドローンが音域の底になる。

 3番目から各メンバーの組合せになる。トップ・バッターは hatao さん。〈ストー・モ・クリー〉。「わが魂の宝」という意味のタイトルのスロー・エア。ビブラートだけで5種類使いわけたそうで、フルートにできることはおよそ全部ぶちこむ勢いだ。穴から指を徐々に離すようにして、音階を連続して変化させることもする。朝、これをしきりに練習していた。超高難度のテクニックだろう。しかもそれは演奏の本質的な一部なのだ。単にできるからやってみましたというのではない。テクニックのためのテクニックではなく、一個の芸術表現のために必要なものとしてテクニックを使う。実際この〈ストー・モ・クリー〉の演奏は絶品だった。この日4回聴いた中で、この本番がベストだったのは当然というべきか。次の録音に入れてくれることを期待する。

 次は hatao、須貝、高橋のトリオ。ダブル・フルートは珍しい。フルックとごく初期のルナサぐらいか。高橋さんはリピート毎にギターのビートを変える。

 続いては高橋さんが残って、青木さんが加わる。が、二人一緒にはやらないのも面白い。まずは高橋さんがギターで〈Carolan's farewell to music〉。これがまた絶品。昨夜、焚き火のそばでやっていたのよりもずっといい。カロランが臨終の床で書いたとされる曲だが、あんまり哀しくなく、さらりとやるのがいい。ピックは使わず、親指だけ。青木さんもソロで〈Farewell to Connaght〉というリールで受ける。"Farewell" をタイトルにいただく曲を並べたわけだ。この演奏も実に気持ちいい。いつまでも聴いていたい。

 3番目、木村さんのアコーディオンで寺町さんがハード・シューズ・ダンスを披露する。シャン・ノースと呼ばれるソロ・ダンシング。『リバーダンス』のような派手さとは対極の渋い踊りで独得の味がある。ダンサーの即興がキモであるところも『リバーダンス』とは対照的だ。伴奏がアコーディオンのみというのもさわやか。

 次はパイプとフィドルの組合せ。昨夜のセッションでは一緒にやっているが、それとはまた違う。リール3曲のセット。会って3日目だが、息はぴったり。このお二人、佇まいが似ている。これまた終ってくれるな。

 一方の木村・須貝組は2019年からというからデュオを組んで5年目。たがいに勝手知ったる仲でジグを3曲。ますます練れてきた。リハーサルの時にも感じたのだが、須貝さん、また上達していないか。あのレベルで上達というのも適切でないとすれば、演奏の、音楽の質が上がっている。ということはこのデュオの音楽もまた良くなっている。

 木村さんが残り、青木、hatao 両氏が加わってスリップ・ジグ。スリップ・ジグとホップ・ジグの違いは何でしょうと木村さんが hatao さんに訊く。一拍を三つに割るのがジグで、そのまま一拍を三拍子にするとスリップ・ジグ、三つに割った真ん中の音を抜き、これを三拍子にするとホップ・ジグ。と言うことだが、いかにも明解なようで、うーん、ようわからん。演奏する人にはわかるのだろうか。演奏を聴く分には違いがわからなくとも愉しめる。セットの2曲目、フィドルでジャーンと倍音が入るのが快感。

 次はホップ・ジグで内野、木村、須貝のトリオ。確かにこちらの方が音数が少ない。セットの2曲目は内野さんのパイプの先生の曲で、赤ちゃんに離乳食を食べさせる時にヒントを得た由。

 ここでずっと出番の無かった高橋さんが、自分も演奏したくなったらしく、時間的な余裕もあるということで、予定に無かったソロを披露する。〈Easter snow〉というスロー・エア。いやもうすばらしい。高橋さんはアイリッシュ以外の音楽、ブルーズやハワイアンも演っているせいか、表現の抽斗が豊富だ。この辺は hatao さんとも共通する。

 次が今回の目玉。〈The ace and duece of piping〉という有名なパイプ・チューンがある。ダンスにも同じタイトルのものがあり、寺町さんはこのダンスをパイプが入った伴奏で踊るのが夢だったそうで、今回これを実現できた。ダンスの振付は講師として海外から来たダンサーによるもの。

 hatao さんがイタリアかフランスあたり(どこのかは訊くのを忘れた)の口で空気を吹きこむ式の小型のバグパイプを持ち、ドローンを出す。その上に曲をくり返すたびに楽器が一つずつ加わってゆく。フィドル、アコーディオン、フルート、パイプ、そして hatao さんのパイプまでそろったところで寺町さんがダンスで入る。曲もいいし、聴き応え、見応え十分。文句なくこの日のハイライト。

 こういう盛り上がりの後を受けるのは難しいが、内野さんがこの清里の雰囲気にぴったりの曲と思うと、ハーパーのマイケル・ルーニィの曲を高橋さんと演ったのは良かった。曲はタイトルが出てこないが、ルーニィの作品の中でも最も有名なもの。そこから須貝さんが入ってバーンダンス、さらにパイプがソロで一周してから全員が加わってのユニゾン。

 ラストはチーフテンズのひそみにならい、〈Drowsie Maggie〉をくり返しながら、各自のソロをはさむ。順番は席順でまずパイプがリール。前にも書いたが、これだけ質の高いパイプを存分に浴びられたのは今回最大の収獲。

 青木さんのフィドルに出会えたのも大きい。リールからつないだポルカの倍音にノックアウトされる。

 あたしにとって今回木村さんが一番割をくった恰好になってしまった。メンバーの中でライヴを見ている回数は断トツで多いのだが、それが裏目に出た形だ。普段聴けない人たちに耳が行ってしまった。むろん木村さんのせいではない。ライヴにはこういうこともある。

 須貝さんのリールには高橋さんがガマンできなくなったという風情で伴奏をつける。

 hatao さんはホィッスルでリール。極限まで装飾音をぶち込む。お茶目でユーモラスなところもあり、見て聴いて実に愉しい。

 次の高橋さんがすばらしい。ギターの単音弾きでリールをかます。アーティ・マッグリンかディック・ゴーハンかトニー・マクマナスか。これだけで一枚アルバム作ってくれませんか。

 仕上げに寺町さんが無伴奏ダンス。名手による無伴奏ダンスはやはりカッコいい。

 一度〈Drowsie Maggie〉に戻り、そのまま終るのではなく、もう1曲全員で別のリールをやったのは粋。もう1曲加えるのは直前のリハで須貝さんが提案した。センスがいい。

 アンコールは今日午前中のスロー・セッションでやった曲を全員でやる。客席にいる、午前中の参加者もご一緒にどうぞ、というので、これはすばらしいアイデアだ。去年もスロー・セッションの課題曲がアンコールだったけれど、客席への呼びかけはしなかった。それで思いだしたのが、いつか見たシエナ・ウインド・オーケストラの定期演奏会ライヴ・ビデオ。アンコールに、会場に楽器を持ってきている人はみんなステージにおいでと指揮者の佐渡裕が呼びかけて、全員で〈星条旗よ、永遠なれ〉をやった。これは恒例になっていて、客席には中高生のブラバン部員が大勢楽器を持ってきていたから、ステージ上はたいへんなことになったが、見ているだけでも愉しさが伝わってきた。指揮者まで何人もいるのには笑ったけれど、誰もが照れずに心底愉しそうにやっているのには感動した。北杜も恒例になって、最後は場内大合奏で締めるようになることを祈る。

内野貴文: uillean pipes
青木智哉: fiddle
木村穂波: accordion
須貝知世: flute
hatao: flute, whistle, bag pipes
高橋創: guitar
寺町靖子: step dancing

 かくて今年もしあわせをいっぱいいただいて清里を後にすることができた。鹿との衝突で中央線が止まっているというので一瞬焦ったが、小淵沢に着く頃には運転再開していて、ダイヤもほとんど乱れていなかった。今年は去年ほどくたびれてはいないと感じながら、特急の席に座ったのだが、やはり眠ってしまい、気がつくともうすぐ八王子だった。

 スタッフ、ミュージシャン、それに参加された皆様に篤く御礼申しあげる。(ゆ)


追伸
 SNS は苦手なので、旧ついったーでも投稿だけで適切な反応ができず、申し訳ない。乞御容赦。

 内野さん、『アイリッシュ・ソウルを求めて』はぼくらにとってもまことに大きな事件でした。あれをやったおかげでアイリッシュ・ミュージックの展望が開けました。全部わかったわけではむろんありませんが、根幹の部分は把握できたことと、どれくらいの広がりと深度があるのか、想像する手がかりを得られたことです。

 Oguchi さん、こちらこそ、ありがとうございました。モンロー・ブラザーズと New Grass Revival には思い入れがあります。還暦過ぎてグレイトフル・デッドにはまり、ジェリィ・ガルシアつながりで Old & In The Way は聴いています。

 9月8日日曜日。

 昨日より雲は少し多めのようだが、今日も良い天気。さすがに朝は結構冷える。美味しい朝食の後、朝のコーヒーをいただきながらぼんやり庭を眺めていると、正面の露台の上で寺町さんがハードシューズに履きかえ、木村さんの伴奏で踊りだした。これは午後のコンサートで演るもののリハをしていたことが後にわかる。この露台ではその前、お二人が朝食前にヨガをしていた。後で聞いたら、木村さんはインストラクターの資格をお持ちの由。寺町さんも体が柔かい。ダンサーは体が柔かくなるのか。

 ダンスとアコーディオンのリハが終る頃、昨夜のセッションでいい演奏をしていたバンジョーとコンサティーナのお二人がセッションを始めた。末頼もしい。

 聴きに行こうかとも思ったのだが、すぐ脇のテーブルで hatao さんがフルートを吹く準備体操を始めたので思いとどまる。体操をすませると楽器をとりあげて、まず一通り音を出す。やがて吹きだしたのはスロー・エア、なのだが、どうしても尺八の、それも古典本曲に聞える。音の運び、間合い、アクセントの付け方、およそアイリッシュに聞えない。吹きおわって、
 「今日はこれをやろうと思うんです」
と言うので、思わず
 「本曲?」
と訊いてしまった。笑って
 「ストーモクリーですよ」
 言われてみれば、ああ、そうだ、ちがいない。
 「もう少し表現を磨こう」
とつぶやいてもう一度演るとまるで違う曲に聞える。森の音楽堂でのリハと本番も含め、この曲をこの日4回聴いたのだが、全部違った。

 そこで食堂がスロー・セッション用に模様替えする。こちらは木村さんと一緒に高橋さんの車で午後のコンサート会場、森の音楽堂に移動する。今日はプロによる本格的な動画収録があり、それに伴って音響と照明もプロが入る。そのスタッフの方たちが準備に余念がない。そこにいてもやることもなく、邪魔になるだけのようなので、高橋さんの発案で清泉寮にソフトクリームを食べにゆく。

 高橋さんは子どもの頃、中学くらいまで、毎年家族旅行で清里に来ていたそうな。だからどこに何があるかは詳しい。木村さんも同様の体験がある由。

 毎年同じところに行くというのも面白かっただろうと思われる。あたしの小学校時代はもっと昔だが、夏の家族旅行は毎年違うところに行った。たぶん父親の性格ではないかと思う。というのも新しもの好きで、前とは違うことをしたがる性格はあたしも受けついでいるからだ。もっともどこへ行ったかはあまり覚えていない。箱根の宮ノ下温泉郷、伊豆の石廊崎、裏磐梯の記憶があるくらいだ。その頃は車を持っている家はまだ珍しく、ウチも車は無かったから、移動はもっぱら電車とバスだった。

 とまれ、別にやって来た青木さんも加わり、総勢4人、高橋さんの車で清泉寮のファームショップへ行き、ソフトクリームを食べる。こういうところのソフトクリームはたいてい旨い。周りの環境も相俟って、気分は完全に観光客。周囲にいるのは小さい子どもを連れた家族連れ、老人夫婦など、観光客ばかり。ここにも燕が群れをなして飛んでいる。

 ここでようやく青木さんとゆっくり話すことができた。あたしは今回初対面である。そのフィドルも初めて聴く。昨日から見て聴いていて、一体どんな人なのかと興味津々だったのだ。

 ヴァイオリンは小学生の時にやっていたが、上手くならなくてやめてしまった。わが国のアイリッシュ・フィドラーでクラシックを経由していない人にはまだ会ったことがない。あたしの知る限り、日本人では松井ゆみ子さんが唯一の例外だが、彼女はアイルランドに住んで、そこで始めているので、勘定に入らない。ずっとクラシックも続けてますという人も知らない。そういう人はアイリッシュをやってみようとは思わないのか。アイルランドでも大陸でも、クラシックと伝統音楽の両方の達人という人は少なくない。ナリグ・ケイシーや、デンマークのハラール・ハウゴーがいい例だ。

 青木さんがアイリッシュ・ミュージックに出会うのは、大学に入ってアイリッシュ/ケルト音楽のサークルでだ。そしてボシィ・バンドを聴く。これをカッコいいと思ったという。それまで特に熱心に音楽を聴いていたわけでもないそうだが、いきなり聴いたボシィ、とりわけケヴィン・バークのフィドルがカッコよかったという。

 アイリッシュの面白さ、同じ曲が演奏者によってまるで違ったり、ビートや装飾音が変わったりする面白さに気がつかないのはもったいない、と青木さんは言うのだが、アイリッシュは万人のための音楽ではないとあたしは思うと申しあげた。そういう違いに気がつき、楽しむにはそれなりの素質、いきなり聴いたボシィ・バンドをカッコいいと感じるセンスが必要なのだ。そこには先天的なものだけでなく、後天的な要素もある。音楽だけの話でもなく、何を美しいと感じるか、何を旨いと思うかといった全人格的な話でもある。

 ただアイリッシュ・ミュージックは入口の敷居が低い、親しみやすい。また、今は様々な形で使われてもいる。ゲーム音楽は大きいが、商店街の BGM に明らかにアイリッシュ・ハープの曲が流れていたこともあるし、映画やテレビ番組の劇伴にも少なくないらしい。初めて聴くのに昔どこかで聴いたことがあるように聞えるからだろうか。だからアイリッシュ・ミュージックに感応する人はかつてよりも増えているだろう。したがってアイリッシュ向きの素質を持つ人も増えているだろうう。

 もっともアイリッシュ・ミュージックは奥が深い。演るにしても聴くにしても、こちらのレベルが上がると奥が見えてくる、奥の広がりが感得できる。そしてまた誘われる。

 青木さんのフィドルはすでに相当深いところまで行っている。この若さであそこまで行くのは、それも伝統の淵源から遙か遠い処で行っているのには舌を巻くしかない。あそこまで行くとまた奥が見えているだろう。いったいどこまで行くのか、生きている限りは追いかけたい。

 森の音楽堂に戻ると準備もほぼできていて、木村・須貝のペアがサウンドチェックをしていた。それから各自サウンドチェックをし、昼食をはさんで午後1時前から全員で通しのリハーサルが始まる。ミュージシャンの席はステージの前のフロアに置かれ、客席は昨年と同じく階段状になっている。PAのスピーカーは背を高くしてあり、階段の三、四段あたりに位置する。

 このコンサートは今回の講師全員揃ってのもので、フェスティバルのトリだ。昨年トリの tricolor のコンサートとは一転して、即席メンバーでのライヴだ。昨年も来た者としてはこういう変化は嬉しい。どういう組合せでやるかが決まったのは前の晩である。夕食の後で hatao さんが中心になり、ミュージシャンたちが相談して組合せ、順番を決めていた。たまたま集まったメンバーであることを活かして、様々な組合せで演奏する。アイリッシュ・ミュージックは楽器の組合せに制限が無い。デュオ、トリオ、カルテット、どんな組合せもできる。しかもアイリッシュで使われる楽器はハープとバゥロンを除いてひと通り揃っている。加えてメンバーの技量は全員がトップ・レベルだ。何でもできる。

 リハーサルは順番、MC の担当と入れ方、全員でやる時の曲、そしてラストのソロの回しの順番と入り方を確認してゆく。高橋さんがステージ・マネージャーの役を担う。特に大きな混乱もトラブルもなく進む。カメラ、音響の最終チェックもされていた。寺町さんのダンスのみステージの上でやる。これを見て音響の方はステージの端に集音用の小さなマイクを付けた。以下続く。(ゆ)

 9月7日の続き。

 パイプの講座がすんで、高橋創さんの車に乗せてもらって竹早山荘に移動する。高橋さんとも久しぶり。パンデミックのかなり前だから、6、7年ぶりだろうか。

 清里は面白いことに蝉があまり聞えない。秋の虫たちも鳴かない。高度が高すぎるのか。一方で燕は多い。今年、わが家の周辺では燕が少ない。帰ってきたのも少なかったし、あまり増えているようにも見えない。例年8月の末になると群れをなして飛びまわり、渡りの準備をしているように見えるが、今年は9月になっても、2羽3羽で飛んでいるものしか見えない。大丈夫か。

 例によって美味しい食事をごちそうさまでした。美味しくてヘルシーなようでもあって、これもしあわせ。

 8時過ぎくらいから食堂でセッションが始まる。30人ぐらいだろうか。今年は去年よりも笛が少ない。蛇腹、フィドルが増え、バンジョーもいる。

 今年は参加者の居住地域が広がったそうだ。地元山梨、東京、秋田、群馬、三重(桑名)、静岡(浜松)、名古屋、大阪、岩手、仙台。あたし以外に神奈川から来た人がいたかどうかは知らない。こうした各地にアイリッシュのグループやサークルがあり、セッションや練習会やの活動をしているという。後で聞いたところでは東京・町田でも練習会があるそうな。地道にじわじわと広がっているように感じるのはあたしの希望的観測であろうか。

 セッションに来ていたあたしと同世代の男性は、かつてブルーグラスをやってらした。我々が学生の頃、ブルーグラスはブームで、各大学にブルーグラスのサークルができ、関東の大学のサークルが集まって大きなフェスティバルをしたこともあった由。あたしは横目で見ていただけだが、どこの大学にもブルーグラスのサークルがあったことは知っている。それがいつの間にか、下火になり、今では少数のコアなファンが続けているが、年齢層は上がって、若い人たちが入っていかない。一時は第一世代の子どもたちによるバンドなどもできたそうだが、続かなかったらしい。

 ブルーグラスが続かなかった理由は今すぐはわからないが、アイリッシュはどうだろうか。今の状況、すなわち演奏者がどっと出現して、その輪と層がどんどん広がり、厚くなる状況が始まってまだ15年ほどで、子どもたちが始めるまでにはなっていない。フェスティバルのオーガナイザー斎藤さんの息子さんあたりがその先頭に立っていると見えるが、かれは小学校高学年。一線に立つにはまだあと5、6年はかかるだろう。一方で、先日ハープのスロー・エアのジュニア部門で全アイルランド・チャンピオンになった娘さんも大分の小学生と聞く。この先どうなるか、見届けたいが、それまで健康を維持して生きていられるか。

 セッションはまず青木さんのフィドルから始まった。続く曲出しは木村さん、ホィッスルの方と続き、斎藤さんのご子息さっとん君が出した曲に合わせたのは hatao さんだけというのも珍しい。内野さんが誘われて出し、その次がバンジョーの女性。この人の選曲はなかなか渋く2曲ソロになり、3曲目で他の人たちが入った。めざせ、日本のアンジェリーナ・カーベリィ。これに刺激されたか、後を hatao さんが受けて何曲も続けるが、ついていくのは木村さん、内野さんくらい。ラストの2曲は皆さん入る。須貝さんと寺町さんがホィッスルでゆったりホーンパイプをやって皆さん入る。2曲目〈Rights of man〉が実にいい感じ。続いては内野、木村、hatao、須貝、高橋というオール・スター・キャスト。hatao さんの出した曲に内野、木村、須貝さんたちとコンサティーナの女性がついてゆく。2曲目の〈The old bush〉は皆さん入るが、3曲目はまた前記の4人にバンジョーがついてゆく。このコンサティーナとバンジョーのお二人、翌日日曜の朝食後にも、山荘庭の露台の上で演っていた。いずれじっくり聴いてみたい。

 十時半頃、斎藤さんに呼ばれて外に設けられていた焚き火のところへ移る。ここには青木さんと高橋さんがいて、ちょうど高橋さんがギター・リサイタルをしていた。ちょっと中近東風のメロディを核に、即興で次々に変奏してゆく。同じ変奏をくり返さない。

 高橋さんと青木さんは翌日午後のコンサートで組むことになったので、何をするかの打合せをまったりとしている。あれこれ曲をやりかけてみる。1曲通してやってみる。青木さんのフィドルがすばらしい。音色がきれいで演奏が安定している。今回初めて聴いたが、時空を超えた、実に伝統的な響きがする。今の人でいえばエイダン・コノリーのめざすところに通じよう。少し古い人では Seamus Creagh を連想する。枯れたと言うには青木さんは若すぎるのだが、そう感じてしまうのは、余分なものが削ぎおとされて、音楽の本質的なところだけが、現れているということではないか。高橋さんがしきりにいいよねいいよねと言うのには心底同意する。こういうフィドルをこの国のネイティヴから聴けようとは思わなんだ。

 その響きにひたっていると斎藤さんが、来年何か話でもしないかと誘いをかけてきた。一人では無理だが、誰かと二人で対談、またはインタヴューを受けるような形なら何とかなるかもしれない。サムもいることだし、かれが担当したギネス本をネタにした話でもしますか。ギネスはパブ・セッションには欠かせないし、ギネス一族の一人ガレク・ブラウンは Claddagh Records を創設して現在のアイリッシュ・ミュージック隆盛に貢献もしている。

 11時半過ぎ、高橋さんと中に戻る。あたしが外にいる間も盛んに続いていたセッションはおちついていて、高橋さんはバンジョーの女性に楽器を借りて弾きだす。これがまた良かった。急がないのんびりとすら言えるテンポで坦々と弾く。いい意味で「枯れて」いる。皆聴きほれていたのが、曲によって合わせたりする。結局そのまま午前零時になり、お開きになった。

 会場をかたづけながら、内野さんが、ここは雰囲気いいですねえ、としみじみ言う。考えてみればこういう形のフェスは国内では他に無いんじゃなかろうか。高島町のアイリッシュ・キャンプはやはりキャンプでフェスとは違う。ICF も立ち移置が異なるし、学生以外は参加しづらい面もある。ただ見物に行くのもためらわれる。ここは楽器ができればそりゃあ楽しいだろうが、あたしのように何もできなくても十分に楽しい。セッションでも楽器を持たずに見ていた方が他にもいたようだ。

 そうそう今回は清里駅前の Maumau Caffee が出店して、セッションの会場で飲物を提供していた。コーヒーは旨いが飲みすぎたらしく、なかなか寝つかれなかった。(ゆ)。

 北杜はやはりしあわせの国であることをもう一度確認させてもらった2日間。イベント自体は金曜夜から始まっていたし、土曜日も朝から様々なプログラムが組まれていたけれども、諸々の事情で土曜午後からの参加。今度は昨年の失敗はくり返さず、ちゃんと乗換えて、予定通りの清里到着。はんださんと木村さんが待っていてくれた。あたしのためだけ、というのでは恐縮だが、コンビニでミュージシャン用のコーヒーを買うという重要なミッションがあったのでほっとする。

 まずは内野貴文さんのイレン・パイプについての講義と hatao さんとのデュエットでの実演。内野さんとは10年ぶりくらいであろうか。もっとかもしれない。記憶力の減退がひどくて、前回がいつ、どこではむろん、どんな演奏だったかも覚えていない。今回一番驚き、また嬉しかったのは内野さんのパイプにたっぷりと浸れたことである。物静かで端正で品格のあるパイプはリアム・オ・フリンを連想させる。生のパイプの音をこれだけ集中して聴けたのは初めての体験。こういう音をこれだけ聴かされれば、この楽器をやってみたいと思うのも無理はないと思われた。

 あたしはイレン・パイプと書く。RTE のアナウンサーが「イリアン・パイプス」と言うのを聞いたこともあるから、こちらが一般的というのは承知しているが、他ならぬリアム・オ・フリンが、これは「イレン・パイプス」と言うのを間近で聞いて以来、それに従っている。uillean の原形 uillinn。アイルランド語で「肘、角」の意味。cathaoir uillean カヒア・イレン で肘掛け椅子、アームチェア。pi/b uillean ピーブ・イレンでイレン・パイプ。

 内野さんのパイプの音は実に気持ちがいい。いつまでも聴いていられる。いくら聴いても飽きない。演奏している姿もいい。背筋が伸びて、顔はまっすぐ前を見て動かない。控え目ながら効果的なレギュレイターの使用と並んで、この姿勢もリアム・オ・フリンに通じる。内野さんによってパイプの音と音楽の魅力を改めて教えられた。

 楽器を今日初めて見るという人が20人ほどの受講者の半分いたので、内野さんはまず客席の中央に出てきて1曲演奏する。それから楽器を分解した図や写真をスライドで映しながら説明する。

 個人的に面白かったのは次の、なぜパイプを演奏するようになったのかという話。初対面の人にはほとんどいつも、どうしてパイプなのかと訊かれるそうだ。その昔、アイリッシュ・ミュージックがまだ無名の頃、好きな音楽を訊かれてアイリッシュ・ミュージックと答えると、なんでそんなものを、と反射的に訊かれるのが常だったから、その感覚はよくわかる。しかし、ある音楽を好きになる、楽器を演奏するようになるのに理由なんか無い。強いて言えば、向こうから呼ばれたのだ。自分で意識して、よしこれこそを自分の楽器とするぞ、と選んだわけではないだろう。

 内野さんが最初に聞いたパイプの演奏はシン・リジーのギタリスト、ゲイリー・ムーアのソロ・アルバムでのパディ・モローニのもので1997年頃。パディ・モローニはチーフテンズのリーダー、プロデューサーのイメージが強いかもしれないが、パイパーとして当代一流の人でもあった。パイプのソロ・アルバムを作らなかったのは本当に惜しい。かれのパイプのソロ演奏は The Drones & Chanters, Vol. 1 で聴ける。

Drones & Chanters: Irish Pipe.
Various Artists
Atlantic
2000-04-25



 次に聴いたアイリッシュ・ミュージックはソーラスで、フルートやホィッスルの音に魅かれた。決定的だったのは1998年に来日したキーラ。そこで初めてパイプの実物の演奏に接する。この時のパイパーはオゥエン・ディロン Eoin Dillon。後に実験的なソロ・アルバムを出す。とはいえ、すぐに飛びついたわけではなく、むしろ自分には到底無理と思った。しかし、どうしても気になる、やってみたいという思いが消えず、やむにやまれず、とうとうアメリカの職人から直接購入した。2006年に註文して、やってきたのが6年後。まったくの独学で始める。

 苦労したのはまずバッグの空気圧を一定にキープすること。常にかなりぱんぱんにする。もう一つがチャンターの穴を抑えるのに、指の先ではなく、第一と第二関節の間の腹を使うこと。この辺りは演奏者ならではだ。

 伝統楽器に歴史は欠かせない。

 バグパイプそのものは古くからある。アイルランドでも口からバッグに息を吹きこむスコットランドのハイランド・パイプと同じパイプが使われていた。今でもノーザン・アイルランドなど少数だが演奏者はいるし、軍楽隊では使われている。

 1740年頃、パストラル・パイプと呼ばれる鞴式のものが現れる。立って演奏している。18世紀後半になって座って演奏するようになる。1820年頃、現在の形になるが、この頃はキーが低く、サイズが大きい。今はフラット・ピッチと呼ばれるタイプだろう。

 なぜ鞴を使うかという話が出なかった。あたしが読んだ説明では、2オクターヴ出すためという。口から息を吹き込むタイプでは1オクターヴが普通だ。イレン・パイプが2オクターヴ出せるのは、チャンターのリードが薄いためで、呼気で一度湿ると後で乾いた時に反ってしまって使えなくなる。そこで鞴によって乾いた空気を送るわけだ。鞴を使うバグパイプにはノーサンブリアン・スモール・パイプやスコットランドのロゥランド・パイプなどもあり、これらは確かに音域が他より広い。イレン・パイプの音域はバグパイプでは最も広い。

 次の改良はアメリカが舞台。アイルランドから移民したテイラー兄弟がD管を開発する。演奏する会場が広くなり、より浸透力のある音が求められたかららしい。フラット・ピッチに対してこちらはコンサート・ピッチと呼ばれる。このD管を駆使して一時代を築いたのがパッツィ・トゥーヒ Patsy Touhey。トリプレットを多用し、音を切るクローズド奏法は「アメリカン・スタイル」と呼ばれることもある。アイルランドでは音をつなげるレガート、オープン奏法が多い。

 余談だがトゥーヒは商才もあり、蝋管録音の通販をやって稼いだそうな。蝋管はコピーできないから、一本ずつ新たに録音した。今はCD復刻され、ストリーミングでも聴ける。ビブラートやシンコペーションの使い方は高度で、今聴いても一級のプレイヤーと内野さんは言う。

 他の楽器と異なり、パイプは音を切ることができる。どう切るかはプレイヤー次第で、個性やセンス、技量を試されるところ。

 演奏のポイントとして、Cナチュラルを出す方法が3つあり、この音の出し方で技量のレベルがわかるそうだ。

 チャンターは太股に置いた革にあてるが、時々離すのはDの音を出す時と音量を大きくする時。

 パイプ演奏のサンプルとして〈The fox chase〉を演る。貴族御抱えのある盲目のパイパーの作とされる。おそらくは雇い主の求めに応じたのだろう。狐狩りの一部始終をパイプで表現するものだが、本来は狩られた狐への挽歌ではないか、とは内野さんの説。なるほど、雇い主の意図はともかく、作った方はそのつもりだったかもしれない。

 もともとの曲の性格からか、内野さんはかなりレギュレイターを使う。右手をチャンターから離し、指の先でキーを押えたりもする。

 レギュレイターは通常チャンターを両手で押えたまま、利き手の掌外側(小指側)でレバーを押えるわけだが、上の方のレバーを押えようとするとチャンターが浮く。あれはチャンターの音と合わせているのだろうか。

 休憩なしで、hatao さんとのデュオのライヴに突入。

 hatao さんはしばらくオリジナルや北欧の音楽などに入れこんでいたが、最近アイリッシュの伝統曲演奏に回帰した由。手始めに内野さんとパイプ・チューン、パイプのための曲として伝えられている曲にパイプとのデュオでチャレンジしていると言う。めざすのはデュオでユニゾンを完璧に揃えること。そうすることで彼我の境界が消える境地。そこで難問はフルートには息継ぎがあること。いつもと同じ息継ぎをすると、音が揃わず、ぶち壊しになることもありえる。そこでパイプがスタッカートしそうなところに合わせて息継ぎをするそうだ。

 一方でパイプは音量が変わらない。変えられない。フルートは吹きこむ息の量とスピードで音量を変えられ、それによってアクセントも自由にできる。そこで適切にアクセントを入れることでパイプを補完することが可能になる。アクセントを入れるにはレの音が特に入れやすい由。

 こうして始まったパイプとフルートの演奏は凄かった。これだけで今回来た甲斐があった。リール、ジグと来て次のホーンパイプ。1曲目のBパートでぐっと低くなるところが、くー、たまらん。2曲目では内野さんがあえてドローンを消す。チャンターとフルートの音だけの爽快なこと。次のスリップ・ジグではレギュレイターでスタッカートする。さらに次のジグでもメロディが低い音域へ沈んでいくのが快感なのは、アイルランド人も同じなのだろうか。かれらはむしろ高音が好みのはずなのだが。

 スロー・エア、ホップ・ジグ、ジグときて、ラストが最大のハイライト。〈Rakish Paddy〉のウィリー・クランシィ版と〈Jenny welcome Charlie〉のシェイマス・エニス&ロビー・ハノン版。こりゃあ、ぜひCDを作ってください。

 書いてみたらかなり分量が多いので、分割してアップロードする。4回の予定。(ゆ)

 shezoo さんの〈ヨハネ受難曲〉を見るのは2回目。前回は第一部のみで、さらに〈マタイ〉からの曲も交えていた。今回は全曲。編成はミニマムで、これ以上削れないギリギリと思われる。ピアノ、ヴァイオリン、フルート(含むバス・フルート)、チューバ。それにシンガー4人。一部の曲ではピアノ、チューバにヴァオリンまたはフルートのトリオもある。

 〈マタイ〉と同じく、このミニマムの形で見て、聴いてしまうと、通常の形式、オケや合唱団による演奏が聞けない。余計なものがくっついて、水膨れしたように聞えてしまう。極小編成の方が楽曲の本質が顕わになり、直接響いてくる。バッハが聴かせたかったのはまさにこういう音楽だったのだと思えてしまう。

 shezoo さんによれば、原曲にはない音やフレーズを加えてもいるそうだが、この編成でやるためにはむしろ必要な措置だろう。全体として聞えてくるのはまぎれもないバッハの〈ヨハネ〉、それも今ここのために今ここで演奏されている音楽だ。

 4人の器楽奏者は当然各々不可欠の存在だが、あたしとして一番面白いのがチューバの働きだ。基本的にはビートのキープが主な担当だが、メインのメロディを奏でることも少なくない。低音楽器がメロディを奏でるとメロディの性格、美しさが剥出しになるのは、チューバとバス・クラリネットのデュオ Music for Isolation でも経験している。ここではピアノやヴァオリンのサポートでチューバが舞いあがるのが愉しい。これが可能なのもこの編成ならではだろう。ピアノが支えてチューバがメロディを吹く二重奏もすばらしい。チューバの演奏はさぞかしたいへんだろうとは思われたが。

 〈ヨハネ〉ではコーラスがより重要だそうで、四声のハーモニーが詞無しでうたわれる。〈マタイ〉ではコーラスをボーカロイドが担当することで時間短縮するとともに面白い効果を出していた。今回はすべて肉声。全体はコーラスに始まり、コーラスに終る。終った時、本当に終ったのかどうか、はっきりわからなかった。ためらいがちに拍手が起きるまで、少し間があった。

 コーラスを形成する4人の声のハーモニーもまた面白い。というのも4人の声の質が揃っているわけではないからだ。クラシックの合唱隊なら発声法を揃えるよう訓練されるので、個々のうたい手の声の質の違いは吸収できるのだろう。ポピュラーでは声の質が合うメンバーではハーモニーが整い、きれいに聞える。サイモン&ガーファンクルとかクロスビー、スティルス&ナッシュとかマンハタン・トランスファーとかはその例だ。兄弟姉妹によるのも元々声が似ている。いつだったか、日比谷野音の楽屋で、コンサートの後の打上げで、トゥリーナとマイレトのニ・ゴゥナル姉妹が前触れ無しにうたい出したのには、うなじの毛が総毛立った。

 〈マタイ〉と〈マタイ〉のためにshezoo さんが集めた4人のうたい手は、ソロでの歌唱を基準にしていると思われる。だから声の質は揃っていない。発声法も各々独自だ。むろん音としては合っている。この4人はライヴに向けてハーモニーの練習も別に重ねているそうだ。元々一級のうたい手ばかりだから、ハーモニーそのものはぴたりと合っている。

 一方で声の質は合っていない。そこにズレが生まれる。一方の位相で合っていながら、もう片方ではズレている。これがたまらなく面白い。気持ちいい、快いというのとはまた違う。見方を変えれば不安定だ。崩れそうに聞えながら、実際には崩れない。そのスリル。不協和音でもない。合っている音が収斂しない。滑らかに流れない。

 クラシックに馴れてしまっている人は受けつけないかもしれない。しかし、合っていながらズレといる感覚には「今」が共感する。これこそ今を生きる我々のための音楽と思える。そしてそれを生みだしたバッハの音楽を今にあって美しいと思う。時代を超えるとはこういうことだとも思う。

 今回もう一つ特徴的で面白かったのは、歌の前に各々のうたい手が読みあげる日本語のイントロだ。いずれもshezoo さんのオリジナルで、歌の内容からかけ離れた連想のようでもあり、そこはかとなくつながっているようでもある。〈マタイ〉のように、これから歌う歌詞の内容のごく短かい要約、紹介ではないし、ある物語に沿ったものでもない。各々が独立した散文詩にも聞えるし、また全体の一部でもあるようだ。

 朗読のしかたもその時々で変えている。声を張ったり、ささやいたり、いかにも朗読のように読んだり、話しかける会話調になったりする。もっともどういう基準でそうしているのかは、一度見聞しただけではわからい。

 緊張と弛緩が綾なす1時間半ノンストップ。いやあ、堪能しました。願わくはこれをもう一度、いや何度もくり返し聴きたい。ぜひ、何らかの形の録音を出していただきたい。準備はしているそうだから待つといたしましょう。でも、あたしがまだ生きている間、生きて音楽を聞ける状態でいるうちに出してくだされ。(ゆ)

shezoo: piano, 編曲
石川真奈美: vocal
松本泰子: vocal
行川さをり: vocal
Noriko Suzuki: vocal
桑野聖: violin
北沢直子: flute
佐藤桃: tuba

 村井さんの「時空を超えるジャズ史」4回目は「移民都市、ニューヨークの音楽:世紀末から1930年代まで」。

 ニューヨークが移民都市として発展する要因は主に二つあると思う。エリー運河とエリス島だ。

 1825年に開通したエリー運河はエリー湖東端バッファローの近くからほぼ真東にハドソン川の上流オルバニー近くまで、全長565キロ。これによって五大湖地方が大西洋と結ばれ、内陸との人、モノの流通の量、スピードが格段によくなり、コストもぐんと下がった。ニューヨークが他の大西洋沿岸諸都市を後に置いて商業センターになるのはこの運河のおかげだ。

 エリス島はニュー・ジャージー州ジャージー・シティ沿岸の島で、マンハタン南端バッテリー・パークから自由の女神像に向かうとほぼ中間右手にある。天然の島を埋立で拡張していて、長方形の真ん中に沖側から切れ込みが入る形。切れ込みの中はフェリーの発着場。1892年から1954年まで、ここに移民の検疫、受入れのセンターが置かれ、計1,200万人がここを通って USA に入った。島には伝染病患者などを収容する病院があった。今は史跡として保存され、一般公開されている。

 村井さんが紹介したニューヨーク市(マンハタン、ブルックリン、クィーンズ、ブロンクス、スタテン島)の人口の変化をみるとエリス島の影響の大きさがよくわかる。Wikipedia によれば、こんな具合だ。

1840          391,114
1850          696,115          +305001
1860          1,174,779          +478664
1870          1,478,103          +303324
1880          1,911,698          +433595
1890          2,507,414          +595716
1900          3,437,202          +929788
1910          4,766,883          +1329681
1920          5,620,048          +853165
1930          6,930,446          +1310398
1940          7,454,995          +524549
1950          7,891,957          +436962

 1900年からの30年間に倍増し、350万人増えている。一つの都市でこれだけの短期間にこれだけの人口増加したのは、空前にして絶後だろう。しかもその内実はヨーロッパ各地からやってきた言語からして異なる人たちだ。英語を話せなかった人たちが大半だっただろう。アイルランドからの移民について、村井さんはダブリン周辺からの人たちと言っていたが、ダブリンのようなアイルランドにしては都会からよりも農村出身がほとんど、アイルランド語のネイティヴで英語は話せない人たちだった。

 移民たちはニューヨークの中で出身地毎に固まって住む傾向があった。アイルランド、イタリア、ギリシャ、ユダヤという具合だが、各地域の間に壁があったわけでもなく、往来は自由だから、「ルツボ」になる。各々がもってきた音楽はごった煮になる。

 第一部はこの移民たち、ヨーロッパからの「新移民」たちの音楽。なのだが、各々の音楽そのものというよりは移民たちを題材にした音楽の趣。

 最初の〈Street piano medley〉は Len Spencer, Bill Murray という当時有名だったアイルランド系シンガーを August Molinari というピアニストが伴奏する。ピアニストは名前からしてイタリア系だろう。やっている音楽はラグタイムといっていい。

 次はそのビル・マレィによる〈Yes! We have no bananas〉。ギリシャ人八百屋の口癖をおちょくる歌で大ヒットした。ギリシャ語では日本語と同じく「バナナはないか」と訊かれると「はい、ありません」と答える。英語の通常用法では「いいえ、ありません」と答えなければならないわけだ。この歌をめぐってはスコット・フィッツジェラルドもエッセイを書いているそうな。それにしてもこのバックは上手い。

 3曲目からはユダヤ系の音楽がならぶ。まずはアイザイア・バーリン。ここでかかった初期の曲では確かにクレツマー系のメロディが聞える。

 次の Joseph Cherniavsky Yiddish American Jazz Band というバンドの曲はタイトルもイディッシュ語で、オケではあるが今聞いてもクレツマーで通じる。この頃にはデイヴ・タラスやナフトゥール・ブランディワインが活動を始めていたはずで、よりオーセンティックなクレツマーは別にあったのだろう。イディッシュ・アメリカン・ジャズ・バンドという名乗りはそうしたクレツマーとの差別化をはかったのかもしれない。タラスやブランディワインのコテコテのクレツマーはイディッシュしか話せない移民しか聞かず、それとは違う誰でも聞ける音楽、あるいは当時流行の「ジャズ」の範疇なのだと言いたっかたのではないか。

 こういうクレツマー・ベースのジャズの現代的展開の一つとしてここでジョン・ゾーンのマサダがかかる。マサダはもう30年続いていて、様々な形があるが、今回は最新のカルテットでジュリアン・ラージが入っている。ラージの演奏を嬉しそうに見ているゾーンの表情が面白い。

 次はユダヤ系ジャズの一つの到達点ガーシュウィン、それも本人の演奏による〈I Got the Rhythm〉。こんな映像が残っているだけでもびっくりだが、カメラ3台で撮っていたというのにのけぞる。それにしても上手い。

 仕上げに〈ラプソディ・イン・ブルー〉を初演したポール・ホワイトマン楽団による緑苑。今聞くとばかばかしいことを大真面目にやっているように聞える。クラリネット・ソロから始めるのはクレツマーへのオマージュだろうか。

 第二部は黒人の流入による「ハーレム・ルネッサンス」。こちらは国内移民というべきか。

 ここで初めて耳にしたのが、James Reese Europe という御仁。アラバマ州モバイルに1880年に生まれ、1904年にニューヨークに来る。この人、音楽的才能もさることながら、組織力があった人で、Clef Club という黒人ミュージシャンの同業者組合を組織した。1910年にカーネギー・ホールでプロト・ジャズのコンサートを開いている。ポール・ホワイトマンとガーシュウィンのエオリアン・ホール・コンサートに先立つこと12年、ベニー・グッドマンがカーネギー・ホールでやる26年前。しかもクレフ・クラブのミュージシャンたちは黒人作曲家の楽曲だけを演奏したというから、ユーロップさん、相当に時代に先んじていた。

 第一次世界大戦にアメリカが参戦したとき、黒人部隊も編成される。その軍楽隊を組織したのもユーロップ。1918年元旦にフランスに上陸した部隊に対するフランス軍兵士たちの歓迎への返礼に「ラ・マルセイエーズ」を演奏した時の様子をユーロップの伝記から村井さんは引用している。ユーロップ流のリズミカルな演奏にフランス人たちははじめ何の曲かわからなかった。

 ユーロップは1919年に帰国した直後、ちょっとした口論がもとで刺殺されてしまうが、クレフ・クラブの影響力は残る。これも村井さんが引用している佐久間由梨氏の論文によると、1924年当時、ジャズに四つのカーストがあった。証言しているのはデューク・エリントン楽団のトランペッター、レックス・スチュアート。トップがクレフ・クラブのオケ。次がベッシー・スミスなど女性ブルーズ・シンガーを擁する巡業楽団。これは仕事が絶えず、引っ張りだこだったかららしい。3番手がコットン・クラブのような白人専用のクラブで人気を博したフレッチャー・ヘンダーソンなどの楽団。エリントンの楽団もここに入るだろう。最低にいたのがラグタイムやストライド・ピアノなどを演奏する人たちで、黒人労働者向けの小さなクラブや、家賃を工面するため間借り人が入場料をとって開いたレント・パーティなどに出ていた。

 ということでこの四つを聞いてゆく。

 まずはジム・ユーロップ率いる第三六九歩兵連隊通称ハーレム・ヘルファイターズ所属軍楽隊による〈ラシアン・ラグ〉。ラフマニノフの嬰ハ短調前奏曲をイントロにしている。同じ曲をジェイソン・モランによるユーロップへのトリビュート・アルバムから聴き比べる。

 フランスで大成功して移住したジョセフィン・ベイカーのダンスの動画。こんなものもあるんですねえ。ベイカーは来日もしていて、たしか荷風が書いていなかったかしらん。ダンスもだが、目付きが面白い。ここで休憩。

 後半はベッシー・スミスの〈セントルイス・ブルーズ〉から始まる。バーで歌っているという仕立ての動画で、コール&レスポンスだ。

 カーストの3番目、ヘンダースン、エリントン、キャブ・キャロウェイの三連荘はおなじみではある。キャブ・キャロウェイの動画、もちろんフィルムだが、初めて見るので面白い。こうしてみると音楽というよりは芸能だ。この人は大変な才能があり、業績も大きいとどこかで読んだが、誰かいーぐるで特集してもらえんかのう。

 ファッツ・ウォラーと共演しているのがタップ・ダンサー、ビル・“ボージャングルズ”・ロビンソンと聞くと、、ジェリー・ジェフ・ウォーカーが作って、ニッティー・グリッティー・ダート・バンドでヒットした〈ミスタ・ボージャングルズ〉を思い出すが、直接の関連はないらしい。歌でのミスタ・ボージャングルズは通称だけいただいた白人のタップ・ダンサーだ。

 第三部はカリブ海からの移民たちの音楽。具体的にはプエルト・リコとキューバからだ。

 前者については前出のジム・ユーロップが軍楽隊を組織するに際して、3日間プエルト・リコのサン・ホアンに行き、若く有能なミュージシャンを13人連れ帰ったという話を、村井さんは伝記から引用している。遙か後年、ライ・クーダーがキューバにでかけ、ブエナ・ビスタ・ソーシャル・クラブを出すのを思い出す。この時ニューヨークに渡ったミュージシャンたちは後にプエルト・リコ音楽の展開に大きく貢献することになったそうだ。

 最後にかかったのはキューバ原産の〈El manicero〉すなわち〈ピーナッツ売り〉。世界的な大ヒットになり、ルンバ・ブームを起こす。サッチモ、エリントンはじめ多数のカヴァーがあり、本朝でもエノケンがやっている。聞けばああ、あれとすぐわかる。

 1930年代、ナチスと戦火のヨーロッパからの移民の数はまた増える。ここにはユダヤ系のミュージシャンたちも多数いたはずだ。もっとも30年代を席捲し、ジャズをアメリカ全土に広めたスイングの王様ベニー・グッドマンはユダヤ系だがアメリカ生れ育ちだ。父親が19世紀末にワルシャワから渡った。

 移民は今また世界的問題になっているが、つまるところ移民によって、人が移動することによって文化が生まれ、新たに再生してゆく。ニューヨークの音楽が面白いのは、絶えず移民が入っているからだろう。そしてその面白さがまた新たな移民を引きつける。

 ニューヨークではスイングに続いてビバップが起きるわけだが、それはまたのお愉しみ。

 この連続講演、次は9月7日。あたしは残念だが別件があって行けない。(ゆ)

 8月4〜11日までウェクスフォドで開かれたアイルランド伝統音楽の競技会フラー・キョールのハープ、スロー・エアの12-15歳部門で日本から参加した あだち・りあ さんが優勝したそうな。

 ジュニア部門とはいえ、また200以上ある部門別の一つとはいえ、日本から参加した人が優勝したのは初めてでしょう。ジュニアで参加というのも、そういう人が出る時代になったわけで、そのこと自体がなかなか凄い。

 チャンスがあれば、どこかでご本人の演奏を聴いてみたいものです。(ゆ)


 村井康司さんの「時空を超えるジャズ史」第3回。

 ニューオリンズはジャズが生まれた場所とされている。時代は19世紀末から20世紀初頭、「世紀の変わり目」。もっとも世紀が変わってもそれですべてがころりと変わるわけじゃない。19世紀はまだ続いている。ヨーロッパでは19世紀は第一次世界大戦で終るが、アメリカの19世紀の終りはどこだろう。大恐慌だろうか。アメリカは広いし、戦場にならなかったからヨーロッパのように全部がころりと変わったのではなさそうだ。場所によっては今でも19世紀が続いていそうだ。

 ニューオリンズについてみれば、ジャズを生んだところで19世紀が終るというのはどうだろう。ニューオリンズはジャズを生んだけれども、生まれたジャズは故郷を出て、シカゴやニューヨークへ行く。シカゴやニューヨークへ行くのは、ジャズ自体の要請か、それとも外からの作用か。まあこういうことは往々にしてどちらの要素も働いているものだ。ジャズの場合もおそらく同じだ。そして、そこで性格が変わる。

 ニューオリンズで生まれた時、ジャズは自然発生している。誰かが作ろうとしてできたのではなく、その時までにニューオリンズに流れこみ、またそれ以前に生まれていた様々の音楽のごった煮=ガンボ料理として生まれた。というよりも、この街では様々な音楽が様々に混淆し、交配し、千変万化している、その一つの相がたまたまジャズとして分岐していった、という方がより実相に近いのではないかと思ったりもする。

 Daniel Hardy という人の The Ancestors Of Jazz という本のチャートから村井さんが作ったリストによれば、ブラスバンド音楽、ラグタイム、クラシック、ブルーズ、フランス・スペインの民謡、クレオールの歌・カリブ海音楽、黒人教会音楽・黒人霊歌、アメリカン・フォーク、アメリカン・ポピュラーソングがジャズの元になっている、となる。

 もっともこうした音楽がみな、19世紀末に実態として確立していたというわけでもないし、すべてが均等に混じわったなんてはずもない。これ以外もあったろうし、何やらよくわからないものもあっただろう。なるべく個々のイメージがわくように要素をえり分けてみればこうなるんじゃないか、という提案と見た方が実りは多そうだ。

 とまれ、こうして生まれたジャズは、商売としての成功を求めるとニューオリンズでは収まらなくなり、シカゴやニューヨークへと映る。そこから先は商業音楽として成長する。

 肝心なのはニューオリンズでは自然発生していること。村井さんの話で面白かったのは、ジャズの元祖、最初のジャズ・ミュージシャンと言われるバディ・ボールデンが唯一録音したとされる曲が〈わらの中の七面鳥〉だということ。これはまぎれもなくアイリッシュ、スコティッシュ起源、アパラチアから来ていた曲で、これがジャズのレパートリィだったのは、ジャズが自然発生している傍証まではいかなくても、そう見える根拠の一つにはなるだろうか。

 バディ・ボールデンの録音がない、というのも面白い。19世紀末は録音が始まったばかりで、商業録音は未熟、何を録音して出せば売れるのかもわからない。すでに人気のあったカルーソーやシャリアピンなんて人たちだけでは商売にならない。そこで思いついたのがレイス・レコード。アメリカの各移民集団、イタリア系、アイルランド系、ドイツ系、あるいは黒人等々に向けて、各々のルーツ音楽を録音して出すことだった。アイリッシュ・ミュージックの最も初期の録音もこの類である。最古とされるのは1898年ロンドンでのイリン・パイプの録音だが、アメリカでもニューヨークの公園で路上演奏つまりバスキングしていたアコーディオン奏者をスタジオに引っぱってきて録ったものを出したら、500枚があっという間に完売した、という話がある。

 ミュージシャンが自分でスタジオに入って録音する習慣は、ボールデンの時代にはまだ確立していない。誰かが、あいつは面白いし、売れそうだから録ろうと思わなければ、録音されないのが普通だ。となれば、ボールデンのやっていた音楽は誰も録音に値する、あるいは録音すれば売れそうだとは思わなかったのだろう。

 第一次世界大戦後になると録音が増す。アメリカは第一次世界大戦で金持ちになり、「金ぴか時代」になる。朝鮮戦争、ベトナム戦争で日本にカネが流れこんだのと同じ構図だ。ジャズは金ぴか時代の音楽としてもてはやされる。前回見た『華麗なギャツビー』の大パーティーの BGM は当時のジャズだった。そこからのジャズは商売になる音楽として展開される。

 ニューオリンズに戻って、村井さんの講演の前半は19世紀末から20世紀初頭、ニューオリンズで演奏されていて、ジャズの元になっただろう音楽を想像するための音源を並べる。

 とはいえ、ウィントン・マルサリスによる〈バディ・ボールデンズ・ブルーズ〉なんてのは、マルサリスが巧すぎるし、モダンな展開も入れるから、聴きほれてしまって、とても昔のニューオリンズを想像なんてできない。

 一方で、マルサリスがこうした演奏を YouTube でのみ公開し、CDにしないのも、ボールデン当時のニューオリンズではレコードという概念がまだなく、ライヴしかなかったことへのオマージュであり、再現にも見える。

 ニューオリンズ・ラグタイム・オーケストラの〈Creole Belles〉は、あたしにはとてもラグタイムに聞えないのは、あたしのラグタイム体験が狭すぎるのだろう。

 ジェリー・ロール・モートンの〈Tiger Rag〉の弾き比べは面白いが、これがジャズの元だと言われても、へ?と反応するしかない。

 前半の締めにかかったサッチモの〈Heebie Jeebies〉は、初めてスキャットをうたったので有名な録音だそうで、これは明らかにジャズだ。そしてそこまで聞いてきたニューオリンズの音楽とのそこはかとないつながりも感じられる。ああいうものから出てきたものがこれだと言われても、何となく納得できなくもない。

 あたしにとってニューオリンズ音楽の面白さは後半、第二次世界大戦後のこの街の音楽。かつてこの街が生んだジャズは巣立っていって、まるで別の姿をとる一方、ニューオリンズは独自の音楽を生みだす。それがプロフェッサー・ロングヘアーに始まるもので、ファッツ・ドミノ、アラン・トゥーサン、ドクター・ジョン、ネヴィル・ブラザーズ、トロンボーン・ショーティ、そして今をときめくジョン・バティステまで太く流れている。とりあげられなかったけれど、ダーティ・ダズン・ブラスバンドなどのブラスバンドも、ニューオリンズのものは他とは違う。

 村井さんはケイジャン/ザディコもこの流れの筋に入れているが、あたしのイメージは少し違う。これもニューオリンズでしか生まれえない音楽であることはまぎれもないが、村井さんが提示したニューオリンズ音楽の本流とは別に聞える。本流がジャズとは別の形で商業音楽として展開しているのに対し、ケイジャン/ザディコはコミュニティのための音楽、生活のための音楽、つまりフォーク・ミュージックとして自然発生しているとみえる。ジャズが自然発生して終りではなく、ニューオリンズではその後も様々な音楽が自然発生しているので、ケイジャン/ザディコはその中で最も「成功」したものになる、というのはどうだろう。

 面白かったのは、大ヒットしたという Ernie K-Doe の〈Mother-in-law〉の替え歌を大滝詠一がやっている録音。何にでも口出しして、夫婦のジャマをする口うるさい義母をグチる歌を徹夜の麻雀の話にしたのはジョークとして一流だ。

 それにしても原曲のアレンジは、単に口だけうるさいにおさまらない義母との危うい関係を暗示していると聞えてしかたがない。

 アメリカの街の音楽はニューヨークやボストンのアイリッシュ・ミュージック、シカゴのブルーズやジャズのように、外から持ちこまれたもので、自然発生したものは見当らない。音楽が自然発生するニューオリンズはその点特異だ。

 近いことは1960年代前半サンフランシスコで起きるが、それはまた別の話。

 次は8月10日、ニューオリンズから出ていったジャズがシカゴ、ニューヨークにどう移り、変わりはじめたか、になるらしい。(ゆ)

 村井康司さんによる「いーぐる」での10回連続講演「時空を超えるジャズ史」の第2回。4月の1回目は見逃した。後の8回は行きたいが、全部は行けないか。

 雑食が一番面白いのだよというのは村井さんが日頃くり返していることで、この日の選曲も雑食のお手本。一般的なジャズの範疇に入るのは冒頭のビル・フリゼールとラストのセシル・マクローリン・サルヴァンくらいで、後はアメリカン・フォーク、オールドタイム、ミンストレル・ショーの復元、囚人たちの労働歌、ポップス等々。ジャズだけの歴史を期待してきた人がいたらお気の毒。実際、途中で退席した人も数人。でも、歴史というものはいろんなものが複雑にからみあっているので、何の歴史にしても、それだけの歴史というのは成立しない。もしあるとしたら、それはからみ合っているいろんなものをきり捨てて作ったフェイクでしかない。雑食で見て初めて本来の姿が見えてくる。

 前半はフォスターの曲をいろいろな演奏で聴く。

 フォスターはある世代までは、アメリカでもわが国でもたいへんよく聴かれ、また学校で教えられた。あたしなどもこの日かかった曲は、聞けばあああれねとわかるし、いくつかは歌える。ところが今世紀に入って「政治的正当性」の犠牲になり、人種差別的内容が忌避されて、ほとんど誰も聴かなくなった。フォスターが大好きで何度も録音しているフリゼールは珍しいらしい。とりわけ冒頭にかかった1993年の〈金髪のジェニー〉の演奏はすばらしい。その次の〈ハードタイムス〉は一転してフリゼールはアコースティック・ギターでベテラ・ヘイデンの歌をサポートしていて、まるでフォーク・ソングだ。

 この曲はイングランドでも人気があり、ほとんど伝統歌の扱いで、あたしなどはこの曲の録音を聴くとき、フォスターの作品であることはまるで頭になかった。

 ジェイムズ・テイラーはまともに聴いていないので〈おお、スザンナ〉は新鮮。あらためてこの人、ギター巧いなあ。

 ジム・クェスキンの〈オールド・ブラック・ジョー〉は降霊会のオープニングにふさわしい。これが入っている《アメリカ》も「ブラックホーク」で名盤とされながら、まともに聴いたことがない。聴きたいと必死になっていた頃はレコードが手に入らなかった。このアルバムの録音時にはクェスキンは新興宗教にはまっていた由だが、それにしても一度は聴いておかにゃなるまい。

 話はここでミンストレル・ショーをはじめとする芸能の人種差別要素にうつる。フォスターはまさにミンストレル・ショーのためにたくさんの曲を書き、提供していた。フォスター自身は北部出身で奴隷制にはどちらかといえば否定的な姿勢がうかがわれるそうだが、生まれ育った時空においては人種差別はごくあたりまえにおこなわれていた。というより人種差別はシステムなので、個人では対抗できない。すなわちフォスター個人の問題ではない。フォスターの作品を無かったことにしても、人種差別そのものだったミンストレル・ショーがアメリカの音楽とダンスを核とする芸能、パフォーマンス芸術の基礎になっていることが消えるわけじゃない。白人が顔を黒く塗って演じるミンストレル・ショーのダンスから、『リバーダンス』の〈タップの応酬〉までは一直線につながっている。

 一方で、今、フォスターの曲を人種差別の表現にならないようなコンテクストで演奏するには工夫がいる。フリゼールのようにメロディだけ演ずるのはその工夫の一つではある。しかし、歌はうたわれてナンボだ。歌の土台になっている人種差別を換骨奪胎するような解釈を聴きたいものではある。たとえばの話、ビヨンセが《Cowboy Carter》で聴かせる〈Blackbird〉は「黒歌鳥」についての歌ではない、少なくともそれだけではないと聞える。しかし、逆は難しいか。

 後半はそのフォスターの楽曲のルーツを想像する試み。ここで核になるのはフォスターも含め、アメリカの古い歌にはヨナ抜きがたいへん多いということ。ひとつ言えるのは、19世紀のアメリカにあっては黒白問わずヨナ抜き音階で歌っていたという仮説。

 その仮説をひきだす実例としてハリー・スミスのアンソロジーからの音源や、クラレンス・アシュレィやカロライナ・チョコレート・ドロップス、アビゲイル・ウォッシュバーン、パンチ・ブラザーズなどの音源がかけられる。このあたりはアメリカン・ルーツ・ミュージックを少し身を入れて聴いていればおなじみの人たちで、あたしなどはこう並べて聴かされるとぞくぞくワクワクしてくる。ジャズ・ファンには新鮮だろうか、それとも退屈の一語だろうか。

 あらためて思ったのはパンチ・ブラザーズはブルーグラスではなくオールドタイムだ。一本のマイクを囲んで演奏するのもオールドタイムのスタイルだ。

 ウォッシュバーンがベラ・フレックとやっている〈Railroad〉は〈Pretty Polly〉として知られるバラッド。

 最後に有名なバラッド〈ジョン・ヘンリー〉を3つのヴァージョンで聴き比べたのも面白かった。アラン・ロマックスによる刑務所でのフィールド録音、ハリー・ベラフォンテのカーネギー・ホールのライヴ、そしてセシル・マクローリン・サルヴァン。囚人たちがうたっていた歌を、所もあろうにカーネギー・ホールでうたうというのも凄いが、ベラフォンテの歌唱はそれを当然としてしまう有無を言わさぬものだ。これはもう一個の芸術であり、同時にだからこそ最高のエンタテインメントだ。このアルバムは〈ダニー・ボーイ〉とか、他にも絶唱が詰まっていて、録音も最高、何度もくり返し聴くに値する。そしてサルヴァンのうたには、ひょっとして遠い親戚がロマックスが録音した刑務所にいたんじゃありませんかと訊ねたくならずにはいられない。

 ベラフォンテはギターとベースの伴奏がつく。ベラフォンテのメロディは囚人たちと同じマイナーなヨナ抜きなのに、ギターとベースがメジャーで伴奏するとブルーズに聞えるという村井さんの指摘にはあっと驚いた。ブルーズ誕生のきっかけはこれではないかとい説も最近出されているそうだ。

 こう聴かされると、19世紀には黒も白も皆ヨナ抜きでうたっていたという仮説は説得力を持つ。淵源はスコッチ・アイリッシュを核とした移民たちがもちこんだ伝承歌謡。20世紀になる頃から、黒人と白人の音楽に分離しはじめる。黒人はブルーズに向かい、白人はオールドタイムになる。

 ではどうして19世紀のスコッチ・アイリッシュのうたが淵源になったのか、というのは村井さんのこの連続講演の趣旨からははずれるだろう。

 ぱっと思いつくのは、それ以前の移民たち、イングランドからの人たちにとってうたといえば聖歌ぐらいで、伝承歌のレパートリィはごく小さかったのではないか。こと音楽にかけては、アイルランドの豊饒さは古代からの年季が入っている。音楽が生活の一部の人たちは、体や言語習慣信仰とともに音楽も否応なしにもってくる。この人たちにとって音楽はコミュニケーション手段であり、共同体、コミュニティの暮らしに必要だから、しょっちゅううたっていたはずだ。

 アフリカから拉致されてきた人たちの中にも音楽をもってきた人たちはいたはずだ。しかし奴隷たちはアフリカから「出荷」される時点で、同じ出身地の者が集中しないように、故意にばらばらにされた。だから一人だけうたを知っていても、そのうたを知っている人が周りにいないからうたうチャンスは減るし、その人が死んだり、忘れたりすればうたも消える。伝承も伝播もされない。そこがスコッチ・アイリッシュとは異なる。

 この連続講演を貫くテーマは古い話や音楽と新しい話や音楽をまぜあわせたらどうなるか、という実験だそうだ。次回は今月13日、もう今週末ではないか。テーマは「ジャズの故郷、ニューオリンズ音楽の歴史」。いざ、行かん。(ゆ)

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