クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

カテゴリ: 活字

 Fintan Vallely の編纂になる "Companion To Irish Traditional Music" の第三版がついに刊行されました。



Companion to Irish Traditional Music
Vallely, Dr Fintan
Cork University Press
2024-05-21



 アイルランド伝統音楽の百科事典。人名、楽器、歌、スタイル、ローカル性、ダンス、歴史、およそアイリッシュ・ミュージックについてのありとあらゆることが適確に、詳細に述べられてます。一家に一冊、揃えましょう。大学、高校、その他のサークルの部室にも1冊は置きましょう。

 英語が読めない? なに、書いてあることはアイリッシュ・ミュージックに関することです。難解な理論や深遠な哲学が語られているわけではありません。英語は平明だし、半分はすでに知っていること。そこからもう半歩踏みこもうとする時、大きな助けになってくれます。外国語に上達する極意は、好きなことについて書いてある文章を読むことです。

 初版が1999年、第二版が2011年。13年ぶりの改訂です。200人以上の執筆者が1400項目について書いた1,000頁。社会の変化をとりこみ、アイルランド国外でのアイリッシュ・ミュージック活動によりスペースを割いている由。電子版もいずれ出るはずですが、紙の本には電子版にはないメリットがあります。それはどんな音でも合成できるシンセサイザーに対する普通の楽器です。

 編者のフィンタン・ヴァレリーはルナサのキリアン・ヴァレリーや、コンサティーナのナイアル・ヴァレリーの、えーと、いとこだったか叔父さんだったか、とにかく血縁。本人もフルートをよくして、CDも出してます。諷刺歌を作ったり歌ったりもしてます。つまりは音楽をよく知っていて、なおかつこういう本を編纂できる人でもある。こういう人がいてアイリッシュ・ミュージックはラッキーです。(ゆ)

Victoria Goddard, The Hands Of The Emperor; 2019
Victoria Goddard, Derring-Do For Beginners; 2023
Ray Robertson, All The Year Combine: The Grateful Dead in Fifty Shows; 2023
Nghi Vo, Mammoths At The Gates; Tordotcom Publishing, 2023
友川カズキ, 一人盆踊り; ちくま文庫, 2019
洲之内徹, さらば気まぐれ美術館, 新潮社, 1988
The Annotated Memoirs Of Ulysses S. Grant, annotated by Elizabeth D. Samet; Liveright Publishing, 1886/2018
バート・S・ホール + 市場泰男, 火器の誕生とヨーロッパの戦争 Weapons And Warfare In Renaissance Europe; 平凡社ライブラリー, 1999/2023


 今年はとにかく Victoria Goddard に明け暮れ、そして洲之内徹を発見した。その合間に石川淳の中短篇を読みつづけ、Elizabeth D. Samet が厖大な、分量として本文と肩を並べ、かつ無数の図版を加えた厖大な注をつけたユリシーズ・S・グラントの回想録に夢中になった。


 まずは洲之内徹である。この人の名前と著書を知ったのは友川カズキの『一人盆踊り』だった。その『一人盆踊り』を教えられたのは、ダーティ・松本のブログである。
 『一人盆踊り』そのものも抜群に面白い読物だった。松本が書いているお地蔵さんにとりつかれた話も確かに面白いが、図書館から借りて読んでみて買う気になったのは、その話の次に入っている「一番下の空」という詩だった。その後の「詩篇供廚房められた中のいくつかも良かった。

 友川はシンガーであり、詩人であり、そして絵を描く。三つめからこの中の一篇「洲之内徹さんのこと」が生まれた。

 この文章は洲之内徹の追悼文である。白洲正子の追悼文の引用でしめくくりながら、これ自身見事な文章だ。こういう文章を書かせる洲之内徹が書いた本は読んでみたいと思わない方がおかしい。図書館には全部そろっていた。まず文庫版『気まぐれ美術館』を読み、『絵の中の散歩』を読み、以下、「気まぐれ美術館」の各巻を読んでいった。読みおえると、「気まぐれ美術館」以外の美術に関するエッセイを集めた『芸術随想』の2巻を、こちらは古書を買って読んだ。洲之内がとりあげた絵が図版として大量に入っていたからだ。

 信じられないくらい面白い。絵についてのエッセイがこんなに面白くなれるものとは知らなんだ。まさに我を忘れて読みふけってしまう。あっさり読んでしまうのはもったいないと、少しずつ読もうとするのだが、ついつい手が伸びてしまう。読みだすとやめられない。書いてあるのは、聞いたこともない絵描きたちのことばかりだ。日本で活動している、していた絵描きたちだ。日本語ネイティヴではない人も数人いる。読みおえた時には、誰もかれも昔から知っている人になっていた。

 とりわけ、最終巻『さらば気まぐれ美術館』だ。この巻に入ったとたん、空気が一変する。悽愴の気を帯びる。これが最後とわかっているのはこちらの話で、書いている本人はまだまだ何年も書きつづけるはずなのに、もうすぐ終りと気づいてしまった感覚がじわじわと這いのぼってくる。

 まず、洲之内はそれまで片鱗もなかったにもかかわらず、いきなり音楽を聴きはじめる。きっかけは友川だ。絵描きの友川のレコードを聴き、ライヴに行ったことで、日本のシンガー・ソング・ライターたちのレコードを聴きだす。周囲が薦めるものを片端から聴く。そしてある日、ジャズを発見する。今度はジャズに溺れこむ。レコードをかけて、以前はそんなに飲めなかった酒を飲みつづけながら、何時間も聴く。人にも無理矢理聴かせる。結局死ぬ間際まで聴きつづける。

 こんな風に死に物狂いで、実際に生きるためにも音楽を聴いていた人間、聴いている有様は見たことがなかった。洲之内の絵を見る眼のことを友川は書いている。もし眼のように耳がものを言うならば、洲之内の耳はさぞかしすさまじく美しい形相を見せていただろう。佐藤哲三や松田正平について語るように、洲之内がコルトレーンやモンクについて語っていたら、と思わざるをえない。

 洲之内徹については散々語られてきたし、これからも語られるだろう。あたしは黙ってその文章をくり返し読むだけでいい。こういう人に出会うと、もっと早く出会っていたかったと思うが、その度に、出会うにはその時が満ちることが必要なのだと自分に言い聞かせる。


 エリザベス・サメトが注をつけたユリシーズ・S・グラントの回想録を読んだのは、Washington Post Book Club で紹介されたからだ。



サメトはこの回想録にとり憑かれ、その研究をするためにウェストポイントの米陸軍士官学校で英語を教える仕事についた。そうして永年研究してきたありったけをこの注にぶちこんだ。と思えるが、おそらくまだまだ出していない、出せかなかったものが山のようにあるのだろう。そういうことも垣間見える。登場する人物などの固有名詞はもちろん、当時の社会、インフラ、テクノロジーなどの状況から、戦争を記録し、叙述する方法やスタイルの多様性、そしてグラント本人と回想録そのものの評価の変遷などなど、およそ紙の本として、一冊本として可能なかぎりの情報を詰めこんでいる。おかげで索引がはじき出された。基本にあるのは、時間的にも空間的にも可能な限り広い文脈で読もうとする姿勢である。例えば参照される文献には古代ギリシャ・ローマはもちろん、中国の古典から現代のものまで含まれる。グラントの本文はもともと滅法面白いが、それをさらに何倍、いや何乗にも増幅する。

 本文とサメトの注とから浮かびあがるグラントという人物も面白い。軍指揮官としてのグラントはアメリカのみならず、世界史上有数といわれる。断片的、ランダムな報告から、現場の地理的環境、状況全体を瞬時に適確に把握し、適切な対応ができる能力、自分が見えないところで敵が何をしようがまったく気にしないでいられる能力、戦場全体を総合的に把握して戦略を立てて実行する能力、そして全軍を一つの目標に向かって動かしてゆく能力を備えた。身長170センチの小男で、風采はあがらない。当時戦場で撮られた写真に映っているのは、どう見てもせいぜいが下士官だ。戦闘の間は丸腰のまま馬で戦場を駆けまわりながら、指示を出す。いったいいつ眠るのだと思えるほどの多忙の合間を縫って、愛妻ジュリアに頻々と手紙を書く。

 戦争に勝つという共通の目標に向かっている集団である軍隊を率いたとき、グラントは無類の強さを発揮した。しかし、一国の政治にはそうした共通の目標はありえず、様々な目標を各々の集団または個人がめざす。そういう集団を率いるとなるとグラントはほとんど無能になる。大統領としては最低の一人とされる。

 南北戦争終結までを扱うグラントの回想録は、62歳の時、詐欺師にひっかかって、全財産を失い、金を稼ぐ必要ができたことから書きはじめられた。ほぼ同時に喉頭がんが発覚して、金を稼ぐのも急がねばならなくなって本格化する。最後の原稿を渡したのは死の5日前。つまりがんが進行する中、1年で書いた。今や、アメリカ文学の古典として、いくつもの版が出ている。サメト注のものは、これら従来の版に冠絶する。


 バート・S・ホール + 市場泰男の『火器の誕生とヨーロッパの戦争』は、タイトル通りの話だが、火器には携帯用の小火器だけでなく、大砲もある。ヨーロッパの戦争はオープン・フィールドでの野戦と攻城戦がほとんどで、したがって初めは大砲が発達する。小火器がモノを言いはじめるのは、後込めシステムとライフルすなわち施条(しじょう)もしくは腔旋が発明されてからだ。それ以前の銃は装填に手間暇がかかりすぎたし、射った弾がどこに飛んでゆくかわからなかったから、使い方が限定されていた。滑腔銃である火縄銃で狙いをつけて撃つ、なんてことはありえないのだ。そしてライフルを施した銃が普及して最初の戦争が南北戦争だ。


火器の誕生とヨーロッパの戦争(945;945) (平凡社ライブラリー) [ バート・S.ホール ]
火器の誕生とヨーロッパの戦争(945;945) (平凡社ライブラリー) [ バート・S.ホール ]

 鉄砲や大砲は戦争の仕方をがらりと変えた、という定説を、そうではなかったと論証するのが、著者がこの本を書いたきっかけ。技術、テクノロジーはリニアに一直線に発展するものではないし、革新的なテクノロジーが即座に戦争のやり方を変えたわけでもない。むしろ、曲りくねって、時には改良しようとして逆行することもある。発明されただけで世の仕組みを変えることにはならない。

 情報のデジタル化も同じだ。それ自体では、たとえばCDが一時LPにとって代わったように、旧来の使われ方の中で使われる。これがネットワークと結びついた時、デジタル化の本領が発揮され、あるいはその真の意味が発見されて、情報はメディア、紙やレコードやフィルムから解放された。

 火器は人間ないし他の動物を殺傷する以外の機能は無い。槍、弓矢、刀剣も同様だが、それらは象徴になりうる。火器は象徴にならない。徹底的に工業製品だからか。それだけに、テクノロジーの本質を他よりも剥出しにする。


 石川淳はまずは文庫で読んでいる。エッセイ、随筆については昨年ほぼ読みつくした。『森鷗外』など、あえて読まずにとってあるものもあるが、最初期から最晩年までを網羅する形で、重要なものは読めた。そこで今年は中短篇小説をあらためて読みだし、そしてこちらも文庫で読めるものは読みつくした。

 まず驚いたのはエッセイと小説がほとんど対極といっていいくらいに違うことである。エッセイは漢文とフランス文学とそして江戸文化の分厚く、強靭な教養そのままに、「最後の文人」の面目躍如である。

 中には『諸国畸人伝』のように、諧謔精神たっぷりに対象を選んでいるものもある。その書きぶりは堂々たるもので、あまりに正統的なので、あたしなどはかつがれていることにかなり後になるまで気がつかなかった。正統的な叙述がそもそもかつぐ手法であるわけだ。

 そういうものも含めて、表面的には江戸以来の日本語のエッセイ、随筆の王道をひき継ぐ。これはどう見ても文学、それも「純」をつけたり、ゴチックで強調したりすべき文学だ。このエッセイだけでも石川淳が近代日本文学の巨人の一人に数えられるのも無理はない、とすら思えてくる。

 ところが小説は様相がまるで違う。こちらはどう見ても、「異端」と呼ばれておかしくないものばかりだ。小説の王道どころではない。裏街道ですらない。道なき道をかき分けてゆく。石川淳の前に道はなく、石川淳の後ろに道が残る。後を追って辿る者はいそうにない道だ。石川に並べられるのは中井英夫であり、かれが「異端の作家」と呼んだ、夢野久作、久生十蘭、小栗虫太郎、さらには山田風太郎といった面々だ。小説だけとりだせば、石川淳に最も近い位置に今いるのは筒井康隆ないし円城塔だろう。あるいは川上弘美か。石川淳の中短篇が『新潮』とか『群像』とか『文學界』とか、あるいは『すばる』などの雑誌に発表されたというのは、どういう契機なのだろう。出世作『普賢』が芥川賞をとったからだろうか。というようなことまで思ってしまう。

 しかしまあ面白い。もちろん文庫に収録されるものは精選されているとはいえ、どれもこれも面白い。「おとしばなし」のシリーズのような、カルヴィーノやレムを髣髴とさせるホラ話。半村良の『産霊山秘録』を髣髴とさせる「八幡縁起」のような伝奇もの。あるいは「まぼろし車」のような純粋のホラー。この「まぼろし車」を菅野昭正ほどの読み巧者が完全に読みあやまっていたのは、別の意味で面白かった。そうすると石川淳のキャリア全体が壮大な詐欺に見えてくる。20世紀日本の文学界全体をまんまとかつぎおおせた大詐欺師・石川淳。むろん、その石川淳と、「最後の文人」である石川淳は矛盾しない。同時にその二つの相を持っていたのだ。

 来年は長篇を読む予定だ。『狂風記』だけは読んでいるが、これを石川の長篇の最高傑作と呼ぶのを、あたしはためらう。むしろ『至福千年』や『荒魂』に期待する。


 さてヴィクトリア・ゴダードである。この人について語るのは難しい。ゴダードの作品はかなり人を選ぶからだ。ハマる人はハマるけれども、そうでない人にとってはまったくのゴミにしか思えない性質の小説だ。それに、なぜ、自分がこれにハマるのか、いつも以上にわからない。



 ひとつだけ言えそうなのは、あたしがゴダードを読むのは、そこに希望が語られているからだろう、ということだ。単に希望を持ちましょうと言っているわけではない。脳天気に楽天的な話で希望を抱かせようとするわけでもない。読んでいると、希望が持てそうな気がしてくるのである。具体的にはたぶんそこがゴダードを読みつづける人と棄てる人を分けるのではないか。ゴダードを読んでいると湧いてくる希望の感覚を、なんでこんな感覚が湧いてくるのだといぶかりながらも、話から必然的に生まれてくるものとして認め、受け入れる人と、徹頭徹尾うさん臭いもの、認めてしまっては危ない罠として拒む人が分れるのではないか。

 だから、とにかく文句ない傑作だから読めと、たとえばアン・レッキーの Ancillary Justice 邦題『叛逆航路』を薦めるようにはゴダードを薦めるわけにはいかない。

 しかも、エントリー・ポイントとしてのお勧めも難しい。ベストのエントリー・ポイントが The Hands Of The Emeperor であることはファンの一致するところだが、これは30万語超、邦訳400字詰3,000枚の長篇だ。kindle で902、Apple Book で 1,317 というページ数である。しかも、その長さを実感する小説なのだ。抜群に面白いが、なかなか読みおわらず、読みおえたとき、ああ長かったと思えてしまう。長かった、でも面白かった。そして、もう一度読みたいと思えてくる。



 これだけではない。ゴダードの作品は登場人物など、様々な形でからみ合っていて、一通り読んで終りではなく、もう一度全部読みなおしたくなるのである。

 エントリー・ポイントの2番目の選択肢としては The Greenwing & Dart シリーズの1冊目 Stargazy Pie だが、このシリーズの本当の面白さは巻を追って深まるので、これだけ読んでも、何の話かよくわからないうらみがある。あえて言えば、これを読んでみて、続きを読んでもいい、読みたいと感じられたら脈があるかもしれない。



 中短篇は初期のものは後に長篇で確立するスタイルとは違う。近作は長篇の外伝が多いので、元の長篇を読んでいないと面白さがよくわからない。

 もう一度あえて言えば The Bride Of The Blue Wind は、これまでのゴダードの全作品の中であたしが一番好きなものではある。このノヴェラは語り口が他のものと異なり、Nine Worlds と作者が名づけた世界での神話を語る、ダンセイニを思わせるやや古風なもので、きりりと引きしまった見事な出来だ。登場人物たちも後の他の作品に、いろいろと姿を変えて出てくる。



 そしてこれが例外となる語り口、ゴダードの主要作品の語り口がまた問題だ。ひと言でいえば、のんびりしているのである。毎日の暮しの細々としたことをゆったりとしたテンポで語ってゆく。食べもの、ファッション、買物、子どもたち、ゴシップ、近所づきあい。派手な活劇だけでなく、その裏にあるはずの生活を描く。ヒーローたちが負わされた宿命を進んで担おうという気になるような生活である。

 その語りのテンポはおよそ現代風の、常に何かに追いかけられているようなペースと根本的に異なる。このテンポについてゆけるかどうか、そこまで遅くゆるめることができるかが、おそらくはゴダードを読む第一関門となろう。言いかえると、語る必要のあることのすべてを、必要なだけの時間をかけて語るという姿勢を認め、いくらでも時間をかけていいし、手間暇をかけて語ってもいい、と思えるかどうかである。

 もっともこの人はアクション・シーンが不得手なわけではない。アクション・シーンでもペースは変わらず、一つひとつのシーン、手順をていねいに追いながら、しかも緊迫感が漲る。すさまじいまでの早技がほとんど舞踏に見える。考えてみれば、これはかなりの力業だ。並の筆力ではこうはいかない。ゆっくりていねいに描写すれば、緊張感は犠牲になるのが普通だ。

 あたしはとにかくどハマりにハマった。今年いっぱいかけて、長篇 At The Feet Of The Sun と Nine Worlds ものではない短篇を一握り残して、読みおえた。The Hands Of The Emperor にはやはり感動した。そして、今のところ最新の長篇 Derring-Do For Beginners には夢中になった。新たなシリーズの第一作で、続きを読みたくてしかたがない。

 ゴダードは2014年以来現在までに総数33本の作品を発表している。
短篇 = 7
短中篇 ノヴェレット = 4
長中篇 ノヴェラ = 9
長篇 = 12
 この他に Discord のみで読める短篇が3本。これもあたしは読んでいない。

 来年はゴダードの再読をしながら、また別の人を試すことになろう。誰かにハマるか。Richard Swan か Fonda Lee か Kevin Hearne か。あるいはまったくの新人か。ニー・ヴォはハマりかけている。C. S. E. Cooney もいる。一方、ル・グィンをあらためて読みなおそうという気分もある。ライバーを読んでやろうかとも思う。そうだ、ビーグルもいる。

 と思っていたら、マイケル・ビショップの訃報を Locus の最新号で知る。とすれば、追悼の意味で読むとするか。(ゆ)




 著者 Ray Robertson はカナダの作家だ。デトロイトのすぐ東のオンタリオ州チャタムに育ち、今はトロントをベースにしている。これまでに小説が9冊、ノンフィクションが4冊、詩集が1冊ある。これは5冊目のノンフィクションになる。

 この本はアメリカ人には書けない。カナダに生まれ育った人間だからこそ書き、また書けたものだ。それによって、これはおよそグレイトフル・デッドについて書かれたもので最もすぐれた本の1冊になった。文章だけとりだせば、最もすぐれたものだ。ほとんど文学と言っていい。

 ほとんど、というのはグレイトフル・デッドについて書くとき、人はデッドヘッドにならざるをえないからである。デッドヘッドが書くものは普遍的にならない。文学になるためにはどこかで普遍に突破しなければならないが、デッドヘッドにはそれはできない。デッドヘッドにとってはグレイトフル・デッドが、その音楽が宇宙の中心であり、すべてである。普遍などというしろものとは縁が無い。

 著者は最後におれはデッドヘッドだと宣言している。これもまたカナダの人間ならではだ。アメリカ人はそんな宣言はしない。カナダの人間は宣言する必要がある。一方でこの宣言によっても、この本は限りなく文学に近づいている。

 人はなろうと思ってデッドヘッドになるわけではない。自分の意志で左右できるものではない。そもそも、デッドヘッドとはなりたいと人が望むものには含まれない。あるいは、望む望まないの前に、存在を知らない。なってしまって初めてそういうものがいることに気づく。

 あたしなどは自分がデッドヘッドであることに、この本を読むまで気づかなかった。

 この本は副題にあるように、ボーナス・トラックとして挙げられたものを含めて51本のショウを語ることでグレイトフル・デッドを語ろうとしている。ショウについての記述の中に、バンドの成り立ちやメンバーの状態、周囲のコンテクストなどを混ぜ込んでゆく。一本ずつ時代を追って読み進めれば、デッドとその音楽が身近に感じられるようになる。

 はずはないんだなあ、これが。

 デッドの音楽、グレイトフル・デッドという現象は、そんなに容易く飲み込めるような、浅いものではない。ここに書かれていることを理解し、うなずいたり、反発したりするには、すでに相当にデッドとその音楽に入れ込んでいる必要がある。これはグレイトフル・デッドの世界への入門書ではない。デッドへの入門書など書けないのだ。告白すれば、そのことがわかったのはこの本を読んだ効用の一つだった。

 グレイトフル・デッドは入門したり、手引きに従って入ってゆけるものではない。それぞれが、それぞれのきっかけで出逢い、引き込まれ、ハマり込み、そしてある日気がつくとデッドヘッドになっている。

 人はデッドの音楽をおよそ人の生み出した最高の音楽とみなすか、こんなものはゴミでしかないと吐き捨てるかのどちらかになる。中間はない。

 この本はデッドヘッドからデッドへのラヴレターであり、宣言書である。1972〜74年を最高とするという宣言だ。この宣言が意味を持つのはデッドヘッドに対してだけである。グレイトフル・デッドの世界の外では何の意味もない。または、全く違う意味になる。。

 あたしはこの宣言に反発する。してしまう。自分が反発しているのを発見して、自分もまた著者と同様、デッドヘッドであると覚った。覚らざるをえなかった。その事実を否応なくつきつけられた。

 だが、その宣言のやり方には感心した。させられた。デッドに関する本として可能な限り文学に近づいていることは認めざるをえなかった。

 著者があたしの前に現れたのは、今年の冬、今年最初の《Dave's Picks》のライナーの書き手としてだ。次には今年のビッグボックス《Here Comes Sunshine》でもメインのライナーを書いていた。一読して、アーカイヴ・シリーズのプロデューサー、デヴィッド・レミューがロバートソンを起用した意図はわかった。文章が違う。文章だけで読めるのである。

 ライナーというのは通常中身で支えられている。読者にとって何らかの形で新しい情報、あるいは既存の情報の新たな解釈が提供されることが肝心だ。それを伝える文章は伝えられるべき情報が的確に伝わればいい。むしろまずはそれを目指す。文章そのものの美しさ、味わい、面白さは考慮から外していい。

 ロバートソンのライナーにはスタイルがある。独自の表現スタイルがある。一文読めばそれとわかる個性がある。文章を読むだけの愉しみを味わえる。これがグレイトフル・デッドについての文章でなければ、純粋に文章だけを読んで愉しむこともできると思える。

 こういうスタイル、スタイルのあり方の文章によってデッドについて書かれたものはこれまで無かった。あたしの読んできたものの中には無かった。もっともデッドに夢中になった初めの頃は何を読んでも目新しい事実、情報ばかりだったから、まずはそれらを消化するのに懸命で、文章の良し悪しなど目もくれなかった恨みはある。とはいえ、ここまでの質の文章があれば気がついていたはずだ。

 これまでデッドについて書いてきた人びとはいずれもまず何よりもデッドヘッドである。つまり若い頃からのデッドヘッドだ。すなわち、自分はなにものであるかの1番目にデッドヘッドがくる人びとだ。この人たちは作家になろうなどとは望まない。文章を書くことに命を賭けようとは思わない。デッドヘッドは書く人ではない。聴く人、踊る人、意識を変革しようとする人、その他の人ではあるだろう。しかし書くことが三度の飯より好きな人にはならない。デッドヘッドが三度の飯より好きなのはますデッドの音楽を聴くことだ。

 これまでデッドについて書いた人間で書くことが仕事であるという点で最も作家に近いのはデニス・マクナリーであろう。かれによるバンドの公式伝記 A Long Strange Trip は質の良い、つまり読んで楽しい文章で書かれている。しかしかれは本質的には学者だ。文学を書こうとしてはいない。
 《30 Trips Around The Sun》につけた史上最長のライナー・ノートの執筆者ニコラス・メリウェザーもやはり学者である。それにあそこでは歴史ですらない、それ以前の年代記を作ることに専念している。

 ロバートソンの文章は違う。ロバートソンが文学を書こうとしているわけではない。書くものが書き手の意図からは離れて、どうしても文学になろうとしてしまうという意味でかれは作家である。

 加えてかれがデッドヘッドになるのは47歳の時。彼にとってデッドヘッドは何番目かのアイデンティティである。デッドヘッドである前に作家なのだ。その作家がデッドについて書けば、それはどうしても文学に近づいてしまう。これまでに無かったデッド本がかくして生まれた。

 ここでは作家とデッドヘッドが文章の主導権を握ろうとして格闘している。文章は右に振れ、左に揺らぎ、天空にかけのぼろうとして、真逆さまに転落し、また這い上がる。その軌跡が一個の文学になろうとするその瞬間、横殴りの一発に吹っ飛ぶ。これを読んでいる、読まされている、読まずにはいられないでいるこちらは、翻弄されながら、自らのグレイトフル・デッドの像を重ね合わせる。嫌でもその像が浮かんできて、二重写しになってしまう。

 1972〜74年のデッドが最高であること。そのこと自体は目くじら立てることではない。ドナの声がデッドとして空前絶後の輝きをデッドの音楽に加えていたという主張にもその通りと諸手を上げよう。

 しかし、とあたしの中のデッドヘッドは髪の毛をふり乱し、拳を机に叩きつける。これは違う。これはグレイトフル・デッドじゃない。

 いや、あたしのグレイトフル・デッドがどんな姿かを開陳するのはここではやめておく。

 グレイトフル・デッドを語る方法として、50本のショウをたどるというのが有効であることは証明された。デッドはスタジオ盤をいくら聞いてもわからない、その片鱗でも摑もうというのなら、まずショウを、一本丸々のショウを何本も、少なくとも50本は聴く必要がある。デッドヘッドにとっては自明のことであるこのことも改めて証明された。

 さて、ではここに選ばれた51本を改めて聴きなおしてやろうではないか。

 そして、あたしのグレイトフル・デッドを提示してやろうではないか。(ゆ)

 ついでながら、1986年以降デビューした作家たちについてもデビュー年順に並べてみた。こちらはまだ評価が完全に固まっているとは言えないから、まったくあたしの好みによるセレクションだ。というのもつまらないので、多少とも第三者視点を加えるために1986年以降の John W. Campbell Award for Best New Writer の受賞者も加えてみた。

 今年のヒューゴー賞授賞式でこの賞を受賞した Jeannette Ng が受賞スピーチでキャンベルをファシストで白人男性至上主義者で、差別、搾取、抑圧にサイエンス・フィクションの土台を築いた者として非難した。賞の主催者である Analog 編集部はこれを受けて賞の名前を来年から Astounding Award for Best New Writer に変更すると発表した。

 Ng のここでの趣旨はしかし、キャンベルを非難することよりも、そのキャンベルの遺産から、現在のサイエンス・フィクションは見事に脱却して、多様性の花を華麗に爛漫と咲かせていると指摘することにある。「キャンベル主義者」たちの Ng の受賞の言葉への反発は過剰反応でもあろう。もっとも、サイエンス・フィクションを白人男性のものにしておきたい向きにとっては、サイエンス・フィクションの、少なくとも英語で発表されているサイエンス・フィクションの現状はガマンならないものではあろうことは、このリストにも反映されている。

 もっともこうして並べてみると、キャンベル新人賞の受賞者は女性が圧倒的だし、1985年以前を含めても半々、というのはヒューゴー、ネビュラを含めた他の賞に比べて、女性の受賞者が遙かに多い。2010年代では時代の趨勢となった多様化の傾向に積極的に反応してもいる。「アナログ」誌編集部はキャンベル主義者の願いとは裏腹に、キャンベルの負の遺産を真先に振り捨てていたと言える。

 ちなみに Ng の受賞の対象となったデビュー長篇 Under The Pendulum Sun はまことに面白い小説で、受賞もむべなるかな、とうなずかせるものではある。

Under the Pendulum Sun
Jeannette Ng
Angry Robot
2017-10-03



 ケイジ・ベイカーやジェイ・レイクなど、既に亡くなっている人もいるし、ジャンルから離れた人、作家活動をやめているらしい人もいるが、本はいくらでも手に入る。あらためて調べてみると、未知の人で面白そうな人もいる。

 ああ、しかし、どうすれば、これを全部読めるのだ。などと、頭を抱えてもしょうがない。それよりも黙ってごりごりと読めばよいのだ。

 問題はあたしが実に移り気で、1冊読んでいると、すぐに別のを読みたくなることだ。こないだも、たまたま名前が目について、ついた途端無性に読みたくなり、しかもまるで呼びこんだように本が、山のてっぺんにちょこんとあったので、思わず他を全部ほおりだしてリチャード・カウパーの The Road To Corlay を読みだしてしまった。今度は三部作の最後まで一気に読むぞ。それにしてもこの Pocket Books の David Maitz による表紙は最高の絵の1枚ではある。

BKTG00575


2023-05-17追記
 こちらにも生没年とデビュー時の満年齢を加えてみた。単純計算なので、デビュー時の正確な年齡ではない。不悪。なにも書いていない人は生年、年齡未公開。

 こうしてみると、またいろいろと見えてきて、面白い。
 

1986, China Mieville 1972/; 14歳
1986, Jack McDevitt 1935/; 51歳
1986, Judith Moffett 1942/; 42歳[Campbell New Writer]
1986, Julia Ecklar 1964/; 24歳 [Campbell New Writer]
1986, Robert Reed 1956/; 30歳
1987, C. S. Friedman 1957/; 30歳(長篇)
1987, Eric Brown 1960/2023; 27歳
1987, Kathe Koja 1960/; 27歳 [Locus Best 1st Novel]
1987, Kristine Kathryn Rusch 1960/; 27歳[Campbell New Writer]
1987, Linda Nagata 1960/; 27歳 [Locus Best 1st Novel]
1987, Patricia Anthony 1947/2013; 40歳 [Locus Best 1st Novel]
1987, Paul Park 1954/; 33歳
1987, Stephen Baxter 1957/; 30歳
1987, Storm Constantine 1956/2021; 31歳
1988, Allen Steele 1958/; 30歳 [Locus Best 1st Novel]
1988, R. A. Salvatore 1959/; 29歳
1988, Sarah Zettel 1966/; 22歳 [Locus Best 1st Novel]
1988, Elizabeth Hand 1957/; 31歳
1988, Jeff VanderMeer 1968/; 20歳
1988, Kate Elliott 1958/; 30歳(長篇)
1988, Maureen F. McHugh 1959/; 29歳 [Locus Best 1st Novel]
1988, Michaela Roessner 1950/; 38歳(長篇)[Campbell New Writer]
1989, Ian R. MacLeod 1956/; 33歳[Locus Best 1st Novel]
1989, Jeffrey Ford 1955/; 34歳
1989, Jonathan Lethem 1964/; 25歳 [Locus Best 1st Novel]
1989, Michael Kandel 1941/; 48歳(長篇)
1989, Nisi Shawl 1955/; 34歳
1990, Alastair Reynolds 1966/; 24歳
1990, Cory Doctorow 1971/; 19歳 [Locus Best 1st Novel]
1990, Mary Rosenblum 1952/2018; 38歳
1990, Peter F. Hamilton 1960/; 30歳
1990, Peter Watts 1958/; 32歳
1990, Ted Chiang 1967/; 23歳 [Campbell New Writer]
1991, John Scalzi 1969/; 22歳 [Campbell New Writer]
1991, Kathleen Ann Goonan 1952/2021; 39歳
1991, Paul Levinson 1947/; 44歳 [Locus Best 1st Novel]
1993, Amy Thomson 1958/; 35歳(長篇)[Campbell New Writer]
1993, Jeff Noon 1957/; 36歳(長篇)[Campbell New Writer]
1994, David Feintuch 1944/2006; 50歳(長篇)[Campbell New Writer]
1994, Marion Deeds
1994, Steven Erikson 1959/; 35歳
1995, Caitlin R. Kiernan 1964/; 29歳
1995, Jacqueline Carey 1964/; 31歳 [Locus Best 1st Novel]
1995, Kelly Link 1969/; 26歳
1995, Ken MacLeod 1954/; 41歳(長篇)
1995, Michael A. Burstein 1970/; 25歳 [Campbell New Writer]
1996, Adrian Tchaikovsky 1972/; 24歳
1996, Mary Doria Russell 1950/; 46歳(長篇)[Campbell New Writer]
1996, Nalo Hopkinson 1960/; 36歳[Campbell New Writer] [Locus Best 1st Novel]
1996, Paul Melko 1968/; 32歳 [Locus Best 1st Novel]
1997, K. V. Johansen 1968/; 29歳(長篇)
1997, Joe Hill 1972/; 25歳 [Locus Best 1st Novel]
1997, Kage Baker 1952/2010; 25歳
1997, Lev Grossman 1969/; 28歳 [Campbell New Writer]
1997, Liz Williams 1965/; 32歳
1998, Ellen Klages 1954/; 44歳 [Campbell New Writer]
1998, Jo Walton 1964/; 34歳[Campbell New Writer]
1999, Kristine Smith [Campbell New Writer]
1999, M. Rickert 1959/; 40歳 [Locus Best 1st Novel]
1999, Paolo Bacigalupi 1972/; 27歳 [Locus Best 1st Novel]
1999, Trudi Canavan 1969/; 30歳
1999, Yoon Ha Lee 1979/; 20歳
2000, Alex Irvine 1969/; 31歳 [Locus Best 1st Novel]
2000, Elizabeth Bear 1971/; 29歳 [Campbell New Writer] [Locus Best 1st Novel]
2000, Nnedi Okorafor 1974/; 26歳
2000, Tobias S. Buckell 1979/; 21歳
2001, Charles Coleman Finlay 1964/; 37歳
2001, Jay Lake 1964/2014; 37歳 [Campbell New Writer]
2001, Wen Spencer 1963/; 38歳 [Campbell New Writer]
2002, Ken Liu = 刘宇昆 1976/; 26歳 [Locus Best 1st Novel]
2002, Nina Allan 1966/; 36歳
2002, Patrick Rothfuss 1973/; 29歳
2002, Theodora Goss 1968/; 34歳  [Locus Best 1st Novel]
2003, Lavie Tidhar 1976/; 27歳
2003, Usman T. Malik
2004, Mary Robinette Kowal 1969/; 35歳 [Campbell New Writer]
2004, N. K. Jemisin 1972/; 32歳 [Locus Best 1st Novel]
2004, Susanna Clarke 1959/; 45歳(長篇) [Locus Best 1st Novel]
2005, Brandon Sanderson 1975/; 30歳(長篇)
2005, Mur Lafferty 1973/; 32歳 [Campbell New Writer]
2006, Aliette de Bodard 1982/; 24歳
2006, Ann Leckie 1966/; 40歳 [Locus Best 1st Novel]
2006, Ilona Andrews
2006, Joe Abercrombie 1974/; 32歳(長篇)
2006, Naomi Novik 1973/; 33歳(長篇)[Campbell New Writer] [Locus Best 1st Novel]
2006, Scott Lynch 1978/; 28歳(長篇)
2007, C. S. E. Cooney 1981/; 26歳
2007, David Anthony Durham 1969/; 38歳( 長篇)[Campbell New Writer]
2007, Mark Lawrence 1966/; 41歳
2007, Nghi Vo 1981/; 26歳
2008, Brent Weeks 1977/; 31歳(長篇)
2008, Michael J. Sullivan 1961/; 47歳(長篇)[self]
2008, Robert V. S. Redick 1967/; 41歳(長篇)
2009, Andy Weir 1972/; 37歳 [Campbell New Writer]
2009, Max Gladstone 1984/; 25歳
2009, Saladin Ahmed 1975/; 34歳 [Locus Best 1st Novel]
2009, Seanan McGuire 1978/; 31歳 [Campbell New Writer]
2009, Robert Jackson Bennett 1984/; 25歳(長篇)
2010, E. Lily Yu [Campbell New Writer]
2011, Anthony Ryan 1970/; 41歳 [self]
2011, Erin Morgenstern 1978/; 33歳(長篇) [Locus Best 1st Novel]
2011, P. Djeli Clark 1971/; 40歳 [Locus Best 1st Novel]
2011, Rich Larson 1992/; 19歳
2011, Tamsyn Muir 1985/; 26歳 [Locus Best 1st Novel]
2012, Sofia Samatar 1971/; 41歳 [Campbell New Writer]
2013, Josiah Bancroft(長篇)[self]
2013, Wesley Chu = 朱恆 1976/; 37歳(長篇)[Campbell New Writer]
2014, Alexander Dan Vilhjalmsson(長篇)
2014, Alyssa Wong
2014, Darcie Little Badger 1987/; 33歳 [Locus Best 1st Novel]
2014, Victoria Goddard [self] 
2015, Fonda Lee 1979/; 36歳
2015, Kelly Robson 1967/; 48歳
2015, Richard Swan(長篇)[self]
2016, Ada Palmer 1981/; 35歳(長篇)[Campbell New Writer]
2016, Chuck Rogers(長篇)[self] ※小説家としてのデビューは1996年。
2016, Jeannette Ng [Campbell New Writer]
2017, Ed McDonald(長篇)
2017, Rebecca Roanhorse 1971/; 46歳 [Campbell New Writer] [Locus Best 1st Novel]
2018, R. F. Kuang 1996/; 22歳(長篇)[Astounding New Writer]
2019, Emily Tesh [Astounding New Writer]
2019, Evan Winter(長篇)
2021, Shelley Parker-Chan(長篇) [Astounding New Writer]

 こうしてみると、デビュー年齡が上がっているのがよくわかる。1950年代、60年代には20代でデビューするのは普通だったが、今世紀に入ると例外的になる。セルフ出版でデビューする人には若い人も多いのかもしれないが、こちらのアンテナにひっかっかってくるのは、セルフでも人生半ばで作家デビューした人たちになる。

 小説家のデビュー年齡が上がった理由のひとつは、小説以外のメディア、とりわけゲームに若い人たちが入ることが増えたからだ。コンピュータのプログラミングやハード、ソフトの開発も小説にとってはライヴァルになる。受け手の側の時間の奪いあいだけでなく、送り手の人材の面でも争奪が激しくなっている。そして小説は比較的にスタートが若くなくてもいい。プログラミングなどは若さが必須の面があるらしい。スポーツでは肉体的に若くないと現役ではいられないが、それと同様、プログラミングやソフトウェアの設計では頭の回転とセンスにおいて若さが求められる。その点、小説は、技能を磨き、材料を蓄積するのに時間がかかる。そして、小説が扱う題材や問題も、より複雑で広く多様になっているから、これをこなせるようになるのにもより時間がかかる。したがって、経験や研鑽を積んでから小説家としてデビューすることが増える。若い頃は他のことをしてから小説に取り組める。

 SFF以外の小説を書いていて、年齡を重ねてからSFFにデビューする例も増えている。古くは George Turner がいるし、新しい例の代表 Chuck Rogers はドン・ペンドルトンに始まる『死刑執行人』シリーズのフランチャイズ小説の書き手で出発し、そちらが閉じられた後、セルフ出版でファンタジィ長篇を出す。

 年をとってからデビューする人たちが皆、人生で初めて書いた小説でデビューしているわけではない。小説家として成功している人たちは、まずたいていがごく若い頃から物語を語り、また綴っている。他人がカネを払っても読みたくなるレベルの作品を書けたのがその年齡だったわけだ。作品は書けたがデビューまでにはさらに時間がかかる場合もある。とはいえ、今はどこかの出版社の編集者の目にとまるのを待つまでもなく、セルフ出版で直接読者に是非を問うことが可能になっている。

 今やセルフ出版で出るものがあまりに多く、その中で注目されるのもかつてよりずっと難しくなっている事情もある。ただ、セルフ出版にあっては、作品をとにもかくにも読む人間の数が、版元に投稿するよりも格段に多いこともまた確かだ。それにセルフ出版する人間をバックアップするインフラ、すなわち編集、校閲、デザイン、広報などの体制も整ってきていて、作品や出版物のクオリティも、既存版元から出るものと比べて遜色はなくなった。

 セルフ出版のしやすさは会社組織としての出版のしやすさにも通じる。さらに雑誌の数からいえば、オンライン雑誌の数は紙の雑誌とは桁が違って多いから、この面でもデビューしやすくなっている。Marion Deeds のように、定年退職してあらためてデビューする人も出てきた。かつてラファティが45歳で「老人」デビューだと評判になった。これからはディーズのような本物の老人が増えると面白い。

 全体に新人の数は増えている。若い頃は、出てくる面白そうな人は残らず読む気でいた。それは結局できず、限られた時間をいかに分配するかを考え、どれかを優先するしかない、と残された時間がなくなってようやく気づく。

 AIによる創作、AI の助けを借りた創作が金を払っても読みたくなるレベルになるには、AI 自身、もう一段のブレイクスルーが必要だろう。こちらが生きている間に出てくるか。(ゆ)

 これは英語圏のサイエンス・フィクション、ファンタジーの主な書き手をデビュー作発表年の順番にならべてみたリストである。

 もともとはキャサリン・マクリーンが1949年にデビューしていて、シルヴァーバーグよりも早いことに気がつき、その前後にデビューしていたのはどんな人たちだったかと調べはじめて拡大していったものだ。ネビュラのグランド・マスターをベースに、メジャーと目される人たちと自分の好み、関心のある書き手を拾いあげた。データは ISFDB で最も早い小説作品の発表年である。(長篇)としたのはデビュー作が長篇だった人。

 むろん、あの人がいない、この人もいないと指摘したくなるだろうが、それはご自分で調べてみればいい。新しい方は今年のグランド・マスター、ビジョルド(女性で7人目)を区切りとしている。


2023-05-07追記
 生没年とデビュー時の満年齢を加えてみた。単純計算なので、デビュー時の正確な年齡ではない。不悪。こうしてみると、またいろいろと見えてくる。

1926, エドモンド・ハミルトン 1904/1977; 22歳
1928, コードウェイナー・スミス 1913/1966; 15歳
1928, ジャック・ウィリアムスン 1908/2006; 20歳
1928, ミリアム・アレン・ディフォード 1888/1975; 40歳
1930, C. L. ムーア 1911/1987; 19歳
1930, オラフ・ステイプルドン 1886/1950; 44歳
1930, チャールズ・ウィリアムズ(長篇)1886/1945; 44歳
1931, クリフォード・D・シマック 1904/1988; 27歳
1931, ジョン・ウィンダム 1903/1969; 28歳
1931, ヘンリイ・カットナー 1915/1958; 16歳
1933, C・S・リュイス 1898/1963; 35歳
1934, スタンリィ・G・ワインボウム 1902/1935; 32歳
1934, フリッツ・ライバー 1910/1992; 24歳
1935, ジェイムズ・ブリッシュ 1921/1975; 14歳
1936, フレドリック・ブラウン 1906/1972; 30歳
1937, アーサー・C・クラーク 1917/2008; 20歳
1937, エリック・フランク・ラッセル 1905/1978; 32歳
1937, L・スプレイグ・ディ・キャンプ 1907/2000; 30歳
1937, J・R・R・トールキン(長篇) 1892/1973; 45歳
1938, シオドア・スタージョン 1918/1985; 20歳
1938, リチャード・ウィルスン 1920/1987; 18歳
1938, レイ・ブラッドベリ 1920/2012; 18歳
1938, レスター・デル・リイ  1915/1993; 23歳
1939, アイザック・アシモフ 1920/1992; 19歳
1939, アルフレッド・ベスター 1913/1987; 26歳
1939, アンドレ・ノートン 1912/2005; 27歳
1939, ウィリアム・テン 1920/2010; 19歳
1939, A・E・ヴァン・ヴォクト 1912/2000; 17歳
1939, C・M・コーンブルース 1923/1958; 16歳
1939, マーヴィン・ピーク 1911/1968; 28歳
1939, ロバート・A・ハインライン 1907/1988; 32歳
1940, デーモン・ナイト 1922/2002; 18歳
1940, フレドリック・ポール 1919/2013; 21歳
1940, リィ・ブラケット 1915/1978; 25歳
1942, ゴードン・R・ディクスン 1923/2001; 19歳
1942, ハル・クレメント 1922/2003; 20歳
1942, フィリップ・K・ディック 1928/1982; 14歳
1944, A・バートラム・チャンドラー 1912/1984; 22歳
1945, ジャック・ヴァンス 1916/2013; 29歳
1946, フィリップ・ホセ・ファーマー 1918/2009; 28歳
1946, マーガレット・セント・クレア 1911/1995; 35歳
1947, ポール・アンダースン 1926/2001; 21歳
1947, マリオン・ジマー・ブラドリー 1930/1999; 17歳
1948, ジュディス・メリル 1923/1997; 26歳
1948, チャールズ・L・ハーネス 1915/2005; 33歳
1949, キャサリン・マクリーン 1925/2019; 24歳
1949, ジェイムズ・E・ガン 1923/2020; 26歳
1949, ハーラン・エリスン 1934/2018; 15歳
1950, E・C・タブ 1919/2010; 31歳
1950, チャド・オリヴァー 1928/1993; 22歳
1950, リチャード・マシスン 1926/2013; 24歳
1951, J・G・バラード 1930/2009; 21歳
1951, ジーン・ウルフ 1931/2019; 20歳
1951, ゼナ・ヘンダースン 1917/1983; 34歳
1951, チャールズ・ボーモント 1929/1967; 22歳
1951, ボブ・ショウ 1931/1996; 20歳
1952, アルジス・バドリス 1931/2008; 21歳
1952, ジョン・ブラナー 1934/1995; 18歳
1952, Donald Kingsbury 1929/; 23歳 [Locus Best 1st Novel]
1952, フランク・ハーバート 1920/1986; 32歳
1952, ミルドレッド・クリンガーマン 1918/1997; 34歳
1952, ロバート・シェクリイ 1928/2005; 24歳
1952, ロバート・シルヴァーバーグ 1935/; 17歳
1953, アン・マキャフリィ 1926/2011; 27歳
1953, ロジャー・ゼラズニイ 1937/1995; 16歳
1954, エイヴラム・デヴィッドスン 1923/1993; 21歳
1954, キャロル・エムシュウィラー 1921/2019; 23歳
1954, バリントン・J・ベイリー 1937/2008; 17歳
1954, ブライアン・W・オールディス 1925/2017; 29歳
1955, ジョアンナ・ラス 1937/2011; 18歳
1956, ケイト・ウィルヘルム 1928/2018; 28歳
1956, マイケル・ムアコック 1939/; 17歳
1957, ピーター・S・ビーグル 1939/; 18歳
1958, キット・リード 1932/2017; 26歳
1959, R・A・ラファティ 1914/2002; 45歳
1960, スティーヴン・キング 1947/; 13歳
1960, ベン・ボヴァ 1932/2020; 28歳
1961, アーシュラ・K・ル・グィン 1929/2018; 32歳
1961, Sterling E. Lanier 1927/2007; 34歳
1961, フレッド・セイバーヘーゲン 1930/2007; 31歳
1962, サミュエル・R・ディレーニィ 1942/; 20歳(長篇)
1962, トーマス・M・ディッシュ 1940/2008; 22歳
1963, クリストファー・プリースト 1943/; 20歳
1963, ジョン・スラデック 1937/2000; 26歳
1963, Damian Broderick 1944/; 19歳
1963, テリィ・プラチェット 1948/2015; 15歳
1963, ノーマン・スピンラッド 1940/; 23歳
1964, キース・ロバーツ 1935/2000; 29歳
1964, ラリィ・ニーヴン 1938/; 26歳
1965, グレゴリー・ベンフォード 1941/; 24歳
1965, ジョセフィン・サクストン 1935/; 30歳
1965, ブライアン・ステイブルフォード 1948/; 17歳
1965, マイク・レズニック 1942/2020; 23歳
1966, M・ジョン・ハリスン 1945/; 21歳
1967, グレッグ・ベア 1951/2022; 16歳
1967, リチャード・カウパー 1926/2002; 39歳(長篇)
1967, ジョージ・R・R・マーティン 1948/; 19歳
1968, ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア 1915/1987; 53歳
1968, ジェイン・ヨーレン 1939/; 29歳
1968, タニス・リー 1947/2015; 21歳
1969, イアン・ワトスン 1943/; 26歳
1969, ジョー・ホールドマン 1943/; 26歳
1969, スゼット・ヘイデン・エルジン 1936/2015; 30歳
1969, マイケル・G・コーニィ 1932/2005; 37歳
1970, ヴォンダ・N・マッキンタイア 1948/2019; 22歳
1970, エドワード・ブライアント 1945/2017; 25歳
1970, コニー・ウィリス 1945/; 25歳
1970, パメラ・サージェント 1948/; 22歳
1970, マイケル・ビショップ 1936/; 34歳
1971, オクテイヴィア・E・バトラー 1947/2006; 24歳
1971, Glen Cook 1944/; 27歳
1971, Rachel Pollack 1945/2023; 26歳
1972, ハワード・ウォルドロップ 1946/; 26歳
1973, Eleanor Arnason 1942/; 31歳
1973, パトリシア・A・マッキリップ 1948/2022; 25歳
1974, ジョン・ヴァーリィ 1947/; 27歳
1975, ジェイムズ・パトリック・ケリー 1951/; 24歳
1975, パット・マーフィー 1955/; 20歳
1976, カーター・ショルツ 1953/; 23歳
1976, キム・スタンリー・ロビンスン 1952/; 24歳 [Locus Best 1st Novel]
1976, C・J・チェリィ 1942/; 34歳(長篇)
1976, ジェフ・ライマン 1951/; 25歳
1976, ティム・パワーズ 1952/; 24歳(長篇)
1976, ナンシー・クレス 1948/; 28歳
1976, ブルース・スターリング 1954/; 22歳
1977, ウィリアム・ギブソン 1948/; 29歳
1977, オースン・スコット・カード 1951/; 26歳
1977, サムトウ・スチャリトクル 1952/; 25歳 [Locus Best 1st Novel]
1977, ジェイムズ・P・ブレイロック 1950/; 27歳
1977, ジェイムズ・P・ホーガン 1941/2010; 36歳(長篇)
1977, スティーヴン・R・ドナルドソン 1947/; 30歳(長篇)
1977, チャールズ・ド・リント 1951/; 26歳
1977, テリー・ブルックス 1944/; 33歳(長篇)
1977, パット・キャディガン 1953/; 24歳
1977, ポール・ディ・フィリポ 1954/; 23歳
1977, ルイス・シャイナー 1950/; 27歳
1978, ジョージ・ターナー 1916/1997; 62歳 ※小説家としてのデビューは1959年43歳。
1978, ジョン・ケッセル 1950/; 28歳
1978, フィリップ・プルマン 1946/; 32歳
1979, Suzy McKee Charnas 1939/2023; 40歳
1979, ダグラス・アダムズ 1952/2001; 27歳(長篇)
1979, ロバート・L・フォワード 1932/2002; 45歳 [Locus Best 1st Novel]
1979, ロビン・ホブ/ミーガン・リンドルム 1952/; 27歳
1980, デイヴィッド・ブリン 1950/; 30歳(長篇)
1980, マイケル・スワンウィック 1950/; 30歳
1981, ジャック・マクデヴィッド 1935/; 46歳 [Locus Best 1st Novel]
1982, イアン・マクドナルド 1946/2022; 36歳 [Locus Best 1st Novel]
1982, ダン・シモンズ 1948/; 34歳
1982, Terry Dowling 1947/; 35歳
1982, トレイシー・ヒックマン 1955/; 27歳
1982, ロバート・ジョーダン 1948/2007; 34歳(長篇)
1983, グレッグ・イーガン 1961/; 22歳
1983, スティーヴン・ブルースト 1955/; 28歳(長篇)
1983, ルーシャス・シェパード 1943/2014; 40歳
1984, ウォルター・ジョン・ウィリアムス 1953/; 31歳(長篇)
1984, Emma Bull 1954/; 30歳 [Locus Best 1st Novel]
1984, ジョフリー・A・ランディス 1955/; 29歳 [Locus Best 1st Novel]
1984, デヴィッド・ゲメル 1948/2006; 36歳(長篇)
1984, マイケル・F・フリン 1958/; 26歳 [Locus Best 1st Novel]
1984, ニール・ゲイマン 1960/; 24歳
1984, ポール・J・マコーリィ 1955/; 29歳
1984, マーガレット・ワイス 1948/; 36歳
1985, カレン・ジョイ・ファウラー 1950/; 35歳
1985, タッド・ウィリアムス 1957/; 27歳(長篇)
1985, チャールズ・ストロス 1964/; 21歳
1985, デリア・シャーマン 1951/; 34歳
1985, ロイス・マクマスター・ビジョルド 1949/; 36歳

 生年ではなく、デビューの年でみるといろいろと面白い。1937〜40年組(キャンベル革命)とか、51/52年組とか、76/77年組とか、あるいは68年、70年の女性トリオとか、やはり塊で出てくるものだ。こういうつながり、塊をたどって読んでみるのも面白いだろう。

 一方、ブリッシュは「御三家」よりも早いとか、ル・グィンとセイバーヘーゲンが同期とか、「御三家」と同世代と思っていたアンダースンがひと回り下だとか、60年代の人と思っていたゼラズニィが50年代も初めの頃から書いていたとか、サイバーパンクでギブスンやスターリングとひとくくりにされたベアはひと回り上だとか、70年代になって名前が出てきたジーン・ウルフが1951年にデビューしているとか、他にも読み方を変える発見もあるかもしれない。マリオン・ジマー・ブラドリーが1947年、17歳でデビューしていたのは、あたしにはその1つ。もっともこれは自分でやっていたファンジンで、明確なプロ・デビューは1954年4月のF&SF。

 「御三家」はほぼ同期だが、ディック、ラファティ、ティプトリーの「新御三家」はバラバラ。

 マクリーンに関して言えば、エリスンと同期、メリルは1年先輩になる。その前から書いている女性作家というと、リィ・ブラケット、C・L・ムーア、アンドレ・ノートン、マーガレット・セント・クレア、そしてミリアム・アレン・ディフォードがいたわけだ。

 この中であたしがリアルタイムで体験した初めはジョン・ヴァーリィである。ちょうど Asimov's 誌創刊の頃でもあって、70年代半ばはこうして見ても実にエキサイティングな時期だった。ヴァーリィの登場はいわばその幕を切って落とすファンファーレでもあり、また最も華やかな才能が眼の前で花開いてゆくのをまざまざと見せつけられるものだった。F&SF誌に載った「火星の王の宮殿にて」に描かれた、眠っていた火星の生物たちが時を得て次々と姿を現してくるめくるめく情景は、サイエンス・フィクションを読んでいて最も興奮した瞬間の1つでもあった。この時期には『スター・ウォーズ』革命も重なるわけだが、その前から、質の面でも、サイエンス・フィクションは60年代の試行錯誤による成果を踏み台に、大きな飛躍が始まっていたのだ。

 SFFの質の向上の現れは、たとえばヴァーリィを紹介したF&SF誌の充実ぶりに見てとれる。1970年代のF&SFは黄金時代と言っていい。1966年から1991年まで編集長を務めた Edward L. Ferman は1981年のヒューゴーでは Best Professional Editor とともに、「ジャンルにおける作品の質の拡大と改善への貢献」に対して特別賞を授与されている。

 ヴァーリィはどれもこれも面白く、成功しているとは言えない長篇も楽しんでいたところへ、脳天一発かち割られたのが「残像」The Persistence of Vision だった(これまたF&SF誌発表)。これはおそらく英語で書かれた長短合わせて全てのサイエンス・フィクションの中でも最高の1作、いや、およそ英語で書かれたすべての小説の中で最高の作品の1つだが、1個の究極でもあって、その衝撃は大きかった。これ以後のヴァーリィはいまだに読んでいない。

 まあ、あたしはいつもそうで、ル・グィンもバラードもシェパードも、一時期夢中になって読むが、あるところまで行きつくと、ぱたっと読まなくなる。しばらく経ってから、また読みだすが、ヴァーリィはまだ読む気になれない。それだけ「残像」のショックが大きかったということか。

 われわれの五感とコミュニケーションのそれぞれと両者の絡み合いについて、これほど深く掘り下げて、その本質を、本来言葉にできない本質を、同時に言葉でしか表現できない本質を、ありありと感得させてくれた体験を、あたしはまだ他に知らない。ハンディキャップや disabled とされてきた状態も個性であり、多様性の一環として捉えようという時代にあって、一方で、デジタル技術によるリアルタイム・コミュニケーションに溺れる人間が多数派になっている時代にあって、「残像」はあらためて熟読玩味されるべき作品ではある。

 ヴァーリィと言えば、長篇 Wizard に登場する異星人がとりうる複数の性の対応関係を示したチャートについて、作家の Annalee Newitz が先日 Tor.com に書いた記事のコメント欄にヴァーリィ本人が登場したのは面白かった。しかも、この記事のことはグレゴリー・ベンフォードから教えられた、というのもまた面白い。やあっぱり、皆さん、あそこはチェックしてるんですなあ。これを見て、Titan だけ読んだ「ガイア三部作」も含めて、あらためて「残像」以降のヴァーリィを読もうという気になったことではある。(ゆ)


2019-12-24追加
1934, スタンリィ・G・ワインボーム
1976, カーター・ショルツ

2019-12-30追加
1963, テリィ・プラチェット
1977, テリー・ブルックス(長篇)
1979, ダグラス・アダムズ(長篇)
1984, デヴィッド・ゲメル(長篇)

 Subterranean Press のニュースレターでトム・リーミィの全中短篇集成の予告。未発表ノヴェラ収録とあっては買わないわけにはいかない。例によって送料がバカ高いが、やむをえん。昔出た San Diego Lightfoot Sue and Other Stories はもちろん買って、断片まで含めて、隅から隅まで読んだ。レオ&ダイアン・ディロンによるカヴァーにも惚れ惚れした。

 リーミィを知ったのはもちろん伊藤典夫さんの訳で SFM に載った「サン・ディエゴ・ライトフット・スー」で、何度読みかえしたかわからない。ああ、このタイトル。70年代だよねえ。F&SF1975年8月号巻頭を飾る。翌年ネビュラ受賞。1970年代の F&SF は本当に凄かった。後年、ロサンゼルスに仕事で半年住んだ時、最初の週末にわざわざローレル・キャニオン・ドライヴを走り、Hollywood Sign に行ってみたものだ。

 その Subterranean Press は先日久しぶりのティプトリーの作品集もアナウンスして、未発表、単行本未収録は無いようだが、やはり注文してしまった。

 これらのカネをさて、いったいどうやって工面するか。

 Subterranean Press の本は絶対逃せないものは直接注文するが、それほどでもない時はアマゾンに注文している。送料の桁が違って安い。そこでやって来たのが Jack McDevitt, Return To Glory。あらためて確認すると、この人、なんとシルヴァーバーグと同い年、3ヶ月しか違わない。ただし、デビューはシルヴァーバーグから遅れること四半世紀。というわけで、シルヴァーバーグはそろそろ燃え尽きているが、マクデヴィットは87歳でばりばり書いている。この本にも未発表短篇が5本ある。

Return to Glory
McDevitt, Jack
Subterranean Pr
2022-10-31



 シルヴァーバーグはすでに多すぎるくらい書いているわけで、もう何も書かなくても十分ではある。Subterranean Press はシルヴァーバーグも熱心に出していて、年明け早々に Among Strangers がやってきた。アマゾンに注文したのを忘れていた。3本の長篇とノヴェラを収めたこのオムニバスをぱらぱらやっていると、にわかにシルヴァーバーグが読みたくなり、買いためてあった中短篇集を掘りだしてきた。Subterranean Press からの中短篇全集も買ってはあるが、あえてなるべくオリジナルの形で読んでみたくなる。

Among Strangers
Silverberg, Robert
Subterranean Pr
2022-12-01



 昨年アメリカの出版界で最も話題になったのはブランドン・サンダースンの Kickstarter プロジェクトだった。COVID-19 で本のプロモーションのためのツアーが全部なくなった。それまでかれは1年の3分の1をツアーに費していたから、時間があいてしまった。そこで何をしたかというと、誰にも内緒で長篇を4本書いてしまった。それらを自分で出版するのに資金を募ったら、185,341人の支援者によって 41,754,153USD、今日のレートで55億円弱という Kickstarter 史上最高額の寄付が集まり、サンダースンの版元である Tor だけでなく、出版界全体が青くなった。

 その秘密の長篇4本の最初の1冊 Tress Of The Emerald Sea がやってきた。本だけでなく、特製の栞やらピンバッジやら、いろいろおまけも入っている。輸送用の外箱も、中のクッションも専用に作ったらしい。あんまり綺麗なので、シュリンクラップを破る気になれない。中身は電子版で読めるから、当分、このまま積んでおこう。

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TotESpin


 それにしても、これらの本は、あたしが死んだら、どこへ行くのだろうか。(ゆ)

本の索引の作り方
藤田 節子
地人書館
2019-10-19


 一番の驚きは本文には無い語彙を見出しに立てる、というところ。本文の記述から概念をとりだしたり、本文のテクストを改変したりして、よりアクセスしやすい見出しをたてろと言う。索引というのは本文とそれに付随する索引対象にある語句、語彙のみを対象にするものだと思っていた。索引の要諦は、レイアウト、配列もさることながら、どう項目を立てるか、拾うかなのだから、そこで内容にまで踏みこめ、というのはメウロコ。


 翻訳書も独自に作れ、と暗黙のうちに言っている。とはいえ、原書に立派な索引がついていれば、それをベースにすべきであろうとは思う。英語の本だからといって、索引がついているからといって、それがまっとうとは限らないことがあるにしてもだ。Hugh Thomas の大西洋奴隷貿易の歴史 The Slave Trade の英国版の索引は立派なものだが、アメリカ版の索引はまるでひどいしろものだった。


 それにしても本朝で索引がほとんど無視されてきたのはなぜなのだろうか。本全体の中での分量からいえば比較的小さいかもしれないが、索引が無い本は本来備えるはずの価値の半分しかない。明治に初めて触れて、その後、自家薬籠中のものとして、自明のものとして採用されているものは多いのに、索引の重要性はなぜ浸透していないのか。


 ひょっとすると、索引の扱われ方が本来妥当なものより犯罪的にまで軽いことは、明治期以降に採用された他の概念、システムも実は本来妥当な形とは相当にかけ離れた形でしか定着していないことを示唆しているのではないかとすら思える。


 富国強兵、帝国主義などの採用の仕方も、和魂洋才とか言って、本筋とはひどくかけ離れたものであったために、一度は亡国の憂き目を見なければならなかったわけだ。


 索引というのは、とりわけここでいう閉鎖型の、個々の書籍の一部としての索引はそのシステムも姿形も、あまりに本質的すぎて、変形のさせようがない。その概念をそっくりそのまま呑みこむしかない。日本語ネイティヴにはそれは苦手、というよりもまず不可能なのではないか。そこで、索引はそれほど重要ではないということにしてしまう。理解できないものは重要ではない、手が届かない葡萄はすっぱいことにするわけだ。


 さらに一つ、ここにも指摘されているが、索引というのは、本文とそれに付随する部分で語られていることを一度分解し、編成しなおすものだ。これに対して無意識のうちにでも反撥する傾向が著者の側にあるのではないか。自分が書いたものは、頭から最後まで、意図した通りに読め、それ以外の「利用」のしかたは著者の権威にたてつくものだ、というわけだ。そこで、索引をよけいなもの、書物に不可欠のものではなく、せいぜいがおまけとみなす。


 これは著者の側の不遜というものだろう。1冊の本が著者の意図した通りに読まれことなど、まずありえない。それにたとえその本に書かれていることがいかに重要な、あるいは立派なことであっても、索引によって思いもかけない角度からそこに光が当たることもある。それもまた索引の本質的な役割の一つだ。と、本書を読むとわかる。


 あるいは単純に、索引を作るのが面倒なのかもしれない。索引の作成は時間と労力と注意力、そして何よりもシステマティックに構想して、これを実装する能力が必要だ。時間と労力の点では、たとえば索引の校正は、所在指示、つまり見出し語の後についている頁を全部一つひとつ、実際に引いてみるしかない。本全体を見渡し、主旨に沿って多すぎず少なすぎず、大小、軽重のバランスをとって見出し語を拾いだし、整理するのは、大きな構想力と細心の注意の双方の賜物だ。日本語ネイティヴには最も苦手な部分ではある。


 英語の本に慣れていると、索引が無い本は片脚をもがれたように見える。中には、本文の中身は凡庸でも、索引が充実しているために重宝する本もある。


 これまで索引がまったく無くて驚いたのはユリシーズ・S・グラントの回想録に Elizabeth D. Samet が詳細な注釈をつけた The Annotated Memoirs Of Ulysses S. Grant ぐらいだ。これはしかし、回想録本文が相当に長い上に、それに匹敵するか、これを上回ろうかという分量の注釈と写真、図版を加えていて、B5判に近い判型のハードカヴァー1,100ページを優に超える本だから、索引をつけようとしたら、少なくともこの2割から3割増しになり、現実的ではないという判断だろう。


 いずれにしても、本書は、アナログであれデジタルであれ、およそ出版を業とする組織の編集部には必須だろう。ここにもあるが、コンピュータによる検索や、ソフトが自動的に作る索引はホンモノの索引ではなく、索引としての役には立たないのだ。それらには検索の漏れやノイズがあまりにも多すぎる。文脈を読んで、本文には無い項目を見出し語として立てることもできない。将来、AI 利用によって、より柔軟で、内容や概念にまで踏みこんだ読解の上にたった索引作成ができるようになる可能性はある。一方で、AI がフィクションや作曲もするようになっても、生身の人間による創作物がすたれることはないように、生身の人間による索引の価値が落ちることはない。AI はむしろ、生身の人間による索引作成を補助する形が理想だろう。


 索引作成は専門のスキルを必要とする高度に職人的な仕事、技なのだ。と、あらためて思い知らされる。(ゆ)





 正直なところ、大部分はあたしにはそこまでの必要はありません、というレベルの話である。これはやはりレファレンスを仕事とする人が最も重宝する、ありがたさを実感する本だろう。

 とはいえ NDL 国会図書館の人文リンク集とパスファインダーを教えてもらっただけでも読んだ甲斐があったというものだ。この2つを使いこなせれば、それだけであたしなどはまずたいていの用は足りるだろう。

 というよりも、それよりも細かく突込んでゆく部分は、せめてこの2つをある期間使ってみて 経験を積んでからでないと、ああそうか、とはならない。内容はまことにプラクティカル、具体的で、しかも一番のキモ、コツはちゃんと抽象化され、応用が効くように説明されている。一方でそれが徹底しているので、実際に自分で必要にかられてやってみないと、実感が湧いてこない。

 とはいえ、当地の市立図書館程度の規模以上の図書館には必備であろうし、あたしのまわりで言えば、編集者、翻訳者、校正・校閲担当者は一度は目を通すことを強く薦める。

 もっとも翻訳上の疑問、調べものは、これまでのところ、とにかくネットの検索をじたばたとやっていれば、なんとかカタがついた。小説の翻訳なら、それですむだろう。少しややこしいノンフィクションをやろうとすると、ここで開陳、説明されている手法がモノを言うかもしれない。

 それにしても、日本語文献のデジタル化はようやくこれからなのだ。NDL の次世代デジタルライブラリーに期待しよう。著者も言うように、戦前からの官報のデジタル化はまさに宝の山になるはずだ。

 148頁に「日本語図書は索引が弱いことにかけて定評がある。」とあるのには、膝を打つと同時に吹き出してしまった。もっとも本書で藤田節子『本の索引の作り方』地人書館の存在を教えられたのには躍りあがった。幸い、地元図書館にあったので、早速借出しを申し込んだ。

 日本語図書に索引が弱いのはやむをえない部分もある。なにせ明治になって初めて入ってきた概念だし、もともと東アジアの知的空間では索引の必要性が薄いからだ。つまり中国に索引が存在しなかったからだ。「索引」ということばからして明治に作られたものらしい。『広漢和』には明治以前の用例が無い。

 ヨーロッパで索引が発達したのは聖書のせいだ。ある言葉が聖書のどこにあるか知る必要が生じたことから生まれた。このあたりは Index, A History Of The, by Dennis Duncan に詳しい。つまり、キリスト教の聖職者は新約だけでも全巻暗記できなかった、ということになる。中国で索引が生まれなかったのは、必要がなかったためだろう。つまり中国の教養人、士大夫は、四書五経だけでなく、その注釈本、詩文、史記以来の史書など「万巻の書」を暗記していたわけだ。アラビアの学者たちも、必要な本は全部頭に入っていた、と井筒俊彦が書いている。あるいはキリスト教の聖職者たちは、聖書を暗記するには忙しすぎたのかもしれない。むろん、中には、ちゃんと頭に入っていて、自由自在に引用できる人間もいたはずだ。 この場合、憶えるのはウルガタ、ラテン語訳のものだったろう。

 ここで扱われるのは日本語の書物、雑誌に現れている情報である。一番調べにくいのが明治大正というのは意外だったが、関東大震災による断絶があるといわれると納得する。空襲による戦災でかなりの書物が消えたというのは承知していたが、関東大震災は盲点だった。前近代、江戸までの場合には質問の出所は近代文献で、範囲が限定されるので、かえって調べやすい。つまり、我々はそれだけ過去の文物と断絶されている。

 英語ネイティヴは16世紀のシェイクスピアをすっぴんでも読める。我々は16世紀に書かれた書物を生では読めない。19世紀半ばまでに書かれた文書を読むには、専門的な訓練が必要になる。学校でならう古文では歯が立たない。たとえ古文で常に満点をとっていてもだめだ。その点では漢文の方がまだ役に立ちそうだ。つまり、中学・高校で習う漢文を完璧にマスターすれば、あとは根気さえやしなえば、史記を原文で読むことはできるのではないか。

 実際には明治になってから書かれた文書でも読めないものが多い。漱石はまだいい。鷗外を読むにはそれなりの準備が要る。露伴を読めるのは、これまた専門家ぐらいだろう。

 つまり、我々が生きている時空はひどく狭いものであることを、あらためて思い知らされる。まあ、空間は多少広がったかもしれない。しかし、その空間は「ただの現在にすぎない」(118pp.)。仏教でいう「刹那」でしかない。そのことは忘れないでおこう。

 本書の内容に戻れば、かつてはベテランのレファレンス司書が必要だったことが、デジタル化のおかげで、ど素人でも、この本にしたがってやればかなり近いところまで行けるようになった。場合によってはより突込んだレファレンス、リサーチができる。調査の専門家でなくても、深く掘ってゆけるようになっている。あとは資料、文献のデジタル化をどんどんと進めていただきたい。とりわけ新聞、雑誌の広告を含めたデジタル化を進めていただきたい。これはすぐに見返りがある仕事ではない。しかし日本語の文化の未来にとっては不可欠の作業だ。(ゆ)

 ようやく掲題の原稿を脱稿して、版元に渡したところです。

 Jonathan Bardon の A History Of Ireland In 250 Episodes, 2008 の全訳です。版元はアルテスパブリッシング。今年のセント・パトリック・ディ刊行はちょと難しいかなあ。




 バードンはノーザン・アイルランド出身の歴史家で、これは250本の短かい話をならべて、アイルランドに人間がやってきた紀元前7000年ないし6500年頃から1965年1月、当時の共和国首相(= ティーシャック)ショーン・レマスとノーザン・アイルランド首相テレンス・オニールの会合までを語った本です。

 歴史になるにはどれくらい時間的な距離が離れればいいのか。歴史家は通常50年、半世紀という数字を出します。直接の関係者が大部分死んでいるからでしょう。とすれば1960年代までは歴史として扱えることになり、本文を1965年でしめくくるのは適切ではあります。

 もともとは同題のラジオ番組があり、2006年から2007年にかけて、BBCアルスタのラジオで毎週月曜から金曜まで1回5分で放送されました。バードンはその放送台本を担当し、その台本をベースにして書物として仕上げています。ただし放送は240回、第二次世界大戦開戦を告げる英国首相ネヴィル・チェンバレンの国民向けラジオ放送で終りでした。バードンはその後に10本書き足して1965年までを描き、さらにエピローグで21世紀初頭までカヴァーしています。

 本書にはオーディオ・ブックもありますが、放送されたものをそのまま使っているので、そちらは240話までで終っています。単なる朗読ではないので、聞いて面白いですが、その点はご注意を。 

 1回5分ですから、各エピソードは短かく、さらっと読めます。放送を途中から聞いたり、時々聞いたりしても話がわかるように一話完結になってもいます。本の方もぱらりと開いたページから読めますし、頭から通読すればアイルランドの歴史を一通り読むことができます。

 一方、内容はかなり濃くて、ここで初めて公けになった史実もありますし、おなじみの事件に新たな角度から光があてられてもいます。14世紀にダーグ湖に巡礼に来たスペインはカナルーニャの騎士や17世紀末にコネマラまで入ったロンドンの書籍商の話などは、たぶん他では読めません。エピソードとはいえ、噂や伝説の類ではなく、書かれていることにはどんなに些細なことでもきちんとした裏付けがあります。歴史書として頼りになるものです。イースター蜂起のようなモノグラフが公刊されているものは別として、ほぼあらゆる点で、アイルランドの歴史についての日本語で読める文献としてはこれまでで最も詳しいものになります。

 短いエピソードを重ねる形は歴史書としてなかなか面白い効果を生んでもいます。通史としても読める一方で、一本のつながった筋のある物語というよりは、様々な要素が複雑にからみあって織りなされている様子が捉えやすくなることです。物語にのめり込むのではなく、一歩退いたところで冷静に見る余裕ができます。

 歴史は無数のできごと、要素が複雑多岐にからみあっているので、すっきり一本の物語にまとめようとするのは不可能、無理にそうしようとすると歪んでしまいます。最大の弊害は物語に落としこめない要素が排除されてしまうことです。そして歴史にとって本当に重要なことが、本筋とされる流れとは無関係に見える要素の方にあることは少なくありません。あるいは、一見傍流の、重要でもないと見えた要素が後になってみると、本筋だったこともよくあります。

 さらに加えて、ベースとする史料そのものからして、初めからバイアスがかかっているのが普通です。またどんなに避けようとしても、書いている本人の歴史をこう見たいという願望が忍びこみやすい。どんな人でも、人間である以上、そうした感情は生まれて当然なので、自分はそんなことはないと思っている人ほどその罠にはまるものです。通史を書くのは難しく、書く人間の力量が試されますし、本当に良い通史がめったにないのもわかります。

 この本では話は連続はしていますが、一本の筋にはなっていません。話が切りかわると、視点が変わりもします。歴史を織りなす何本もの筋があらわれてきます。著者もこの手法のメリットに味をしめたのでしょう、同様の手法でアイルランドとスコットランドの関係史も書いています。

 あたしは本が2008年に出たときに買って読んでみました。アイルランドの一冊本の通史は何冊も出てますが、どれがいいのかよくわからず、手を出しかねていたので、これはひょっとすると面白いかもと思いました。届いてまずその厚さにびっくりしましたが、読みだしてみると実に面白い。一話ずつは短かいので、ショートショートでも読む感覚。どんどんと読めてしまいます。史料の引用のやり方も巧い。ほとんど巻擱くあたわず、というくらいのめり込みました。

 ちょうどその頃はヒマでもあったので、自分の勉強のためにもと日本語に訳すことも始めてみました。可能な時には翻訳にまさる精読はありません。最初の訳稿がほぼできあがった頃、大腸がんが発覚して九死に一生を得る、同時に東日本大震災が重なるということがありました。恢復の日々の中で再度訳稿を読みなおして改訂するのが支えの1本にもなってくれました。

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 その後、訳したところで満足し、他の仕事も入ったりして、しばし原稿は眠らせていました。何かの雑談のおりだったか、もう記憶からはすっぽり落ちていますが、とにかくアルテスパブリッシングのSさんにこんなのがあるんだけどというような話をしたのでしょう。Sさんが乗ってきて、それはウチで出そうという話になったのがもう数年前。それならもう一度、きちんと出すつもりで見直さねばいけない、ということで、他の仕事の合間を縫って、ぼちぼちとやっていたわけです。その間、思いもかけず山川出版社から『アイルランド史』という日本語で読める信頼できる通史も出たので、固有名詞を中心に日本語の表記をこれに倣うようにする作業も入りました。昨年春も過ぎる頃になってようやくまとまった時間がとれるようになり、あらためて馬力をかけて改訂を進めて、ようやくまずはこれ以上よくできないというところまで来ました。
 アイルランドの歴史は海外との関係の歴史です。ことが島の中だけですむなんてことはまずありません。偽史である Lebor Gabala Erenn = アイルランド来寇の書が「史実」と長い間信じられていたのも、この島には繰返し波となって様々な人間たちがやってきたと語る内容が、アイルランドの人びとの皮膚感覚にマッチしたからでしょう。

 対照的に我々日本列島の住民は、列島の中だけで話がすむと思いたがる傾向があります。実は昔から列島の外との関係で中の事情も決まってきているわけですが、そうは思いたくない。アイルランドの歴史とならべてみると、よくわかります。もっともこの列島がもっと南に、たとえば今の沖縄本島の位置に本州がある形だったら、アイルランドのように大陸との関係が遙かに密接になっていたでしょう。今の位置は北に寄っていて、大陸との北の接点の先は文明の中心からはずっと離れ、人口も希薄でした。これが幸か不幸かは時代によって、見方によって変わってきます。

 アイルランドに戻れば、表面的にはその歴史はお隣りとの紛争の連続のようにも映りますが、必ずしも一方的な関係でもありません。また小さな島なのに、その中が一枚岩になったこともないのも興味深い。「うって一丸になろう」なんてことは思いつきもしない人たちなんですね、この島の住人は。常に何らかの形で異質な要素が複数併存していて、それがダイナミズムを生んでいます。つまり、この島では常にものごとや考えが流動していて、よどんで腐ることがありません。

 17世紀以降、アイルランドからは様々の形で大勢の人間が出てゆき、行った先で増えて、アイルランドの文化を伝えることになりました。出ていった人たちは望んで出たわけではありませんし、その苦労は筆舌に尽くしがたいものがあったことは明らかですけれど、時間が経ってみると、ディアスポラは必ずしもマイナスの面ばかりでないこともまた明瞭です。むしろ、ディアスポラ無くして、現在のアイルランドの繁栄は無いとも言えそうです。その点ではユダヤ人が生きのびたのはディアスポラのおかげであることと軌を一にします。ひょっとすると、マイノリティが生きのびるにはディアスポラが不可欠なのかもしれません。少なくとも現在のアイリッシュ・ミュージックの繁栄はディアスポラのプラス面が現れた例の一つでもあります。

 アイルランドという面白い国、地域の歴史を愉しく通覧もできるし、ディテールに突込む入口にもなる本だと、あたしは思います。乞うご期待。(ゆ)

 ラティーナ電子版の "Best Album 2022" に寄稿しました。1週間ほど、フリーで見られます。その後は有料になるそうです。

 今年後半はグレイトフル・デッドしか聴かなかったので、ベスト・アルバムなんて選べるかなと危惧しましたが、拾いだしてみれば、やはりぞろぞろ出てきて、削るのに苦労しました。

 ストリーミング時代で「アルバム」という概念、枠組みは意味を失いつつある、と見えますけれども、いろいろな意味で便利なんでしょう、なかなかしぶといです。先日、JOM に出たアイリッシュ・ミュージックに起きて欲しい夢ベスト10の中にも、専門レーベル立上げが入ってました。

 もっとも、あたしなんぞも、CD とか買うけれど、聴くのはストリーミングでというのが多くなりました。Bandcamp で買う音源もストリーミングで聴いたりします。

 とまれ、今年もすばらしい音楽がたくさん聴けました。来年も音楽はたくさん生まれるはずで、こちらがいかに追いかけられるか、です。それも、肉体的に、つまり耳をいかに保たせるかが鍵になります。年をとるとはそういうことです。皆さまもくれぐれも耳はお大事に。(ゆ)

 Kevin Hearne がプロファイルだけ残してツイッターの書き込みのほぼ全てを削除し、アプリも削除したとニュースレターでアナウンスしていた。とりあえずコンタクトはニュースレターとインスタグラム。そして Bluesky のベータ・テスターに登録したという。

 Bluesky は Twitter 創業者が立ちあげた新しい SNS で、分散型のシステムをとる。Twitter や Facebook では「ユーザーの投稿や情報が各プラットフォームによって管理されています。ADXはSNSの非中央集権化を目的に開発されており、ユーザーデータを各ユーザーの個人データリポジトリに保存して、ユーザーのコンテンツをあらゆるプラットフォームで利用可能にすることを目指して」いるそうだ。

 ハーンのこのふるまいはもちろんイーロン・マスクによる Twitter 買収を受けてのものだ。とりあえず Bluesky のローンチを知らせるウェイトリストに登録する。

 ケヴィン・ハーンは The Iron Druid Chronicles がベストセラーになっているファンタジー作家。アリゾナ出身で今はカナダに住んで市民権も取得している。話はいわゆるアーバン・ファンタジィのジャンル。いずれ読もうと思っていたが、こうなるとあらためて興味が出てきた。(ゆ)

 図書館にあったのでとりあえず読んでみる。筑摩書房が1968年に出した『現代世界ノンフィクション全集』16。この巻は「戦後の探検」がテーマで、収録はハイエルダール『コン・ティキ号探検記』、本篇、エフレーモフ『恐竜を求めて——風の道』の3本。他の2本は科学研究を目的とした調査、実験だが、これはスターク個人の愉しみのための旅の報告。

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 エフレーモフは後に作家に転ずるだけあって、これも純粋な調査研究報告ではなく、りっぱな文学作品、スタークの翻訳をし、解題を書いている篠田一士の言葉を借りればりっぱな旅行文学になっているらしい。惜しいことに訳出されているのは『風の道』の第一部、3回の調査旅行の第1回を扱った部分のさらに抄訳。今となっては完訳は望むべくもない。英訳もない。「風の道」とは、モンゴルのゴビ砂漠を渡る隊商路を現地の人びとが呼ぶ名前。エフレーモフはここでの恐竜化石発掘を指揮した。

 コン・ティキ号もゴビの恐竜化石も後日の読書を期し、とにかくスタークの作品の実地につくべく、読んでみたわけだが、これが滅法面白い。

 邦題は一応原題に忠実だが、日本語だとチグリス川に沿って馬でまわった、という印象になる。英語ではチグリス川に向かって馬に乗っていったことを示す。トルコ東部、イランとの国境近くにヴァン湖がある。イラン側のウルミラ湖と双子のような湖で、この間を隔てる山脈は4,000メートルを超える最高峰をもち、富士山より高い嶺がつらなる。ここから南へメソポタミアの平原に向かっては徐々に低くなるものの、険しい峡谷がつづく山岳地帯だ。ヴァン湖の南のイラクとの国境に近い一帯を、東から西へ、国境にだいたい平行に、スタークは旅している。始めと終りは自動車で、最も奥地は馬とらばで旅した。その終りはチグリスの上流で、そこでこのタイトルになる。1950年代後半のある夏のことだ。

 当時、自動車の入れる道はヴァン湖東岸のヴァンから南東、ユーフラテスに注ぐグレート・ザブ川の河畔にあるハッキアリまでしか通じていない。そこから2週間、馬の鞍に揺られて、チグリス上流に注ぐ支流の源流近くの村ミリに至る。ここから先はまた道路が通じていて、自動車で一気にチグリス河畔のシズレを経て、空港のあるディヤルベクルまで行っている。

 もちろんバスやタクシーが走っているわけではない。自動車はどちらもたまたまその方面に行く誰かの車に便乗させてもらう。ハッキアリまでは、地方の子どもたちに種痘をしに回る医師の一家の車だ。この地域に住んでいたのはほとんどがクルド人で、その後クルド独立運動の舞台になっている。おそらく外国人が一人で旅行することは現在では不可能だろう。スタークの頃までの紀行が貴重なのは、今は部外者が入れない地域歩いていることもある。

 医療の提供と治安維持がここがトルコ政府の管轄にあることを示す。このあたりは第二次大戦前までは山賊が跋扈し、あるいはクルド人とアッシリア人(とスタークは書く)の日常的な部族抗争で、やはり部外者は立ち入れなかった。戦後、山賊は討伐・追放され、部族対立の方はアッシリア人が様々な要因から四散していなくなったために終息した。トルコ政府は地域の長官=ワリや町長、村長を任命・派遣し、要所には守備隊を置いた。スタークが宿をとったのはこうした役人のいる集落や駐屯地だ。外来者が泊まれる施設があるわけではない。夜を過ごし、食事をとるのは、どこでも役人たちの家や、集落の中でも富裕な家族の家の一部屋だ。クルド人たちは牧畜を営む。冬を越す村は深い谷の河畔にあるが、夏は谷の上流の上にある台地の放牧地「ヤイラ」で過ごす。スタークは一夜、ヤイラの一つの天幕で過ごし、「開いたテントや、地面の上のキャンプの寝床」の安心感をおぼえてもいる。

 こうした集落をつないでいる道は、ほとんどが川沿いで、馬一頭がかろうじて通れる幅しかないことも普通だ。とはいえ、この地域は小アジアからメソポタミアに抜ける道の1本として古代から使われている。クセノポンの『アナバシス』で有名な紀元前5世紀の一万人のギリシャ傭兵団もここを通っていて、スタークは随所で引用する。ローマ帝国とササン朝ペルシャの国境地帯でもあって、あたりに誰も住んでいないところにローマの遺蹟がぽつんとあったりする。スタークが1日馬で旅して、人っ子一人遭わないことも珍しくないが、昔からずっとそうであったわけではない。

 先輩のガートルード・ベルと同じく、スタークも単独行を好む。途中で、逆方向へ向かうドイツの民俗学調査団と徃きあう。自分が旅行の許可をとるのにさんざん苦労し、おまけに写真撮影を禁止されているのに、相手が多人数で機材もそろえ、写真も撮り放題なのをいぶかる。

 ドイツは第一次大戦前、ギリシャ、トルコ経由でバグダードへ進出する計画を立て、それが大戦の原因の一つになっているが、どこか深いところで親近感を互いに抱いているのか。第二次大戦後、トルコからはドイツに大量に出稼ぎ、移民が出て、ディシデンテンのようなバンドも現れている。ギリシャ、トルコの観光地はドイツからの観光客が占拠するらしい。

 ここで描かれる世界は時間的に半世紀以上前というよりもずっと遠く感じられる。誰かの想像が生んだのではなく、確実に今われわれが生きているこの世界にかつて存在したとはなかなか信じられない。今は消えており、おそらく復活することはない世界でもある。途中、何が起きるわけでもない。ごく平凡な人たちの、毎日の生活が続いているだけだ。土地の住人たちにとっては、スタークの到来そのものが事件である。西欧人がやってくるだけでも異常事態で、しかも女性がひとりでやってくるのは、おそらく彼らの一生に一度のことだったろう。

 スタークにしてみれば、旅につきもののトラブルは多々あるにしても、未知の土地を自分の脚で歩いてゆくことが歓びだ。ただその歓びを味わいたい、それだけのために、あらゆるツテをたどって旅行の許可をとり、あらゆる不便を耐えしのぶ。トイレの問題一つとっても、その不便は表現できるものではないだろう。1ヶ所だけトイレについての言及がある。旅も終わりに近く、ある川の畔の村であてがわれた宿ではトイレが川をまたぐ形で作られていた。自分にとってはありがたいが、下流の住民にとっては問題だ、と書く。

 訳者の篠田一士はスタークの文体を誉めたたえる。

「大変力強い英語散文で、修辞法も堂々としていて、とても女流の筆になったとは思えないほど雄渾な響きをもっている。この文体のかがやきこそ、外ならぬ、女史をイギリス旅行文学のチャンピオンにしているのである」

 「とても女流の筆になったとは思えない」というところは今なら問題にされるかもしれないが、要は「男流」の筆でも珍しいほどのかがやきをその文章は備えているわけだ。

 その雄渾なかがやかしい文章で描きだされたこの世界は、そこだけぽっかりと時間と空間のあわいに浮かびあがる。我々の過去の一部では確かにあったものの、一方でこの世界はまったく独立に成立している。これを幻と言わずして何と言うか。我々の世界の実相が映しだされた幻。幻なるがゆえに明瞭に映しだされた実相。むろん世界全体の実相ではないが、実相は全体としては把握できるものではない。こうした小さな断片の幻に焦点を合わせることで拡大され、見えるようになる。

 スタークはそこでいろいろ考えたことも記す。トルコ人について。大英帝国の思考法、システムについて。先達の旅行家たちについて。今自分が歩いている同じ場所をかつて通った人びとについて。人間と人間が生みだしてきたさまざまなもの全般について。そうした考えもまた、この世界、時空の泡の中でこそ生まれたものでもある。

 紀行を読む愉しみはそこにある。見慣れた風光から見慣れぬ世界を浮かびあがらせるのもいいが、見慣れぬ風光から、知っているはずの世界の新たな位相が立ち上がってくるのはもっといい。


 篠田は巻末の解題で英国旅行文学の中でも中近東を旅してその旅行記を書いた人たちを個性と作品の質の高いことでぬきんでているとする。その最上の書き手は18世紀末『アラビア砂漠 Arabia Deserta』を書いたチャールズ・ダウティということに評価は定まっていて、これに続くのがカートルード・ベル、T・E・ロレンス、そしてこのフレヤ・スタークが世代を代表する大物作家。さらにフィルビー、バイロン、セシガーと続く。

 もっともダウティはガートルード・ベル Gertrude Bell の『シリア縦断紀行 The Desert And The Sown』邦訳第1巻巻末の解説の筆者セアラ・グレアム=ブラウンに言わせれば「おそるべき記念碑趣味=モニュメンタリズム」に陥っているそうだ。

シリア縦断紀行〈1〉 (東洋文庫)
G.L. ベル
平凡社
1994-12-01



 ロレンスはもちろん「アラビアのロレンス」で、主著『知恵の七柱』は完全版の完訳も出た。上記グレアム=ブラウンは「とりとめのない自意識過剰の内省」が多いと言う。

完全版 知恵の七柱 1 (東洋文庫0777)
T.E.ロレンス
平凡社
2020-06-30



 フィルビーは Harry St John Bridger Philby (1885-1960) と思われる。二重スパイのキム・フィルビーの父親。サウディアラビアを建国し、英傑といわれたイブン・サウドの顧問。これもグレアム=ブラウンに言わせると「隠喩だらけの散漫な文章」だそうだ。

 篠田の文章も半世紀前のものではある。彼自身の見立てもその後変わったかもしれない。

 バイロンは Robert Byron (1905–1941) だろう。The Road To Oxiana, 1937 が有名。これについてはブルース・チャトウィンが「聖なる本。批評などできない」と述べているそうな。チャトウィンは中央アジアを4回旅していて、その間、この本を肌身離さず持ちあるいたから、あちこち濡れた跡があり、ほとんどばらばらになっていたという。
 英文学には紀行の太い伝統がある。チャトウィンはその伝統を豊かにした書き手の一人だろう。
 バイロンにはもう1冊、The Station, 1928 がある。ギリシャのアトス山の紀行。村上春樹が『雨天炎天』1990 にそこへの旅を書いた聖地。60年の時間差で、どれだけ変わり、あるいは変わらないか、読みくらべるのも一興。
 バイロンは第二次大戦中、西アフリカへ向かう乗船が魚雷攻撃を受けて沈没して亡くなる。
 セシガーは Wilfred Thesiger (1910-2003) 。『ベドウィンの道』が同じ『現代世界ノンフィクション全集』の7に収録。他に『湿原のアラブ人』が白水社から出ている。スタークと同様、この人も93歳の高齢を保った。アラビアの砂漠を探検すると長生きするとみえる。

湿原のアラブ人
ウィルフレッド セシジャー
白水社
2009-10-01



 問題はガートルード・ベル Gertrude Bell (1868-1926) である。スタークの先輩旅行家兼作家でもあり、スタークももちろん読んでいるし、その著作の中でも『シリア縦断紀行』と双璧と言われる Aramuth To Aramuth をこの旅にも携えてきている。こちらはシリアのアレッポからユーフラテスを下ってバグダードに至り、Uターンしてティグリスを上って最終的にはトルコのコンヤに至る、3,000キロの旅の紀行。

 ベルはしかし、旅行作家としてだけでなく、第一次大戦中から戦後にかけての英国の中東政策に絶大な貢献をしている。『ラルース』はかつてベルについて「ロレンスの女性版」と書いたそうだが、実相はロレンスがベルの男性版と言う方が近い。
 たとえば第一次大戦後、イラクという国を作ったのは、実質的にベルの仕事である。ロレンスが「発見」したファイサルをイラクの初代国王に据えたのはベルである。国境の策定も一人でやっている。他にできる人間がいなかった。
 ベルは1911年05月、ユーフラテス上流カルケミシュで考古学者としてのロレンスに会っている。ロレンスはベルの『シリア縦断紀行』を読んでいて、ファンだった。ベルはこの邂逅を告げる書簡で
「私の来るのを心待ちにしていたロレンスという若い人に会いました。彼もひとかどの旅行作家になることでしょう」
と書いている。と、 『シリア縦断紀行』の訳者・田隅恒生は「訳者後記」で書いている。

 ベルの伝記が2冊、ジャネット・ウォラックの『砂漠の女王:イラク建国の母ガートルード・ベルの生涯』と『シリア縦断紀行』とデビュー作『ペルシアの情景』の訳者・田隅恒生による 『荒野に立つ貴婦人:ガートルード・ベルの生涯と業績』がある。
 ということで、スタークの『暗殺教団の谷』と伝記『情熱のノマド』、ベルの3冊と伝記2冊、バイロンの2冊、セシガーまたはセシジャーの2冊は読まねばならない。宮崎市定の『西アジア遊記』も再読しよう。(ゆ)

 先日読み終わった Chuck Rogers, Heroes Road はおよそファンタジーに求めるものがすべてたっぷりと魅力的な形でぶちこまれていて、大いに愉しませてもらった。分量も十分、エンディングは見事、そして続篇への予告篇もきっちり。続篇 Heroes Road 2 はさらに面白いそうだが、Michael R. Fletcher, Beyond Redemption と2冊、部厚い本を読んだので、次はちょっと軽めの本が読みたい。本棚にぽつんとあった岩村忍『暗殺者教国』が目についた。リブロポートからの再刊で、40年前に出た時に買ったまま、ほったらかしていた。



Beyond Redemption (English Edition)
Fletcher, Michael R.
Harper Voyager
2015-06-16




 読みだしてみれば、読みやすく、面白く、簡潔で、結局読んでしまう。

 10世紀から13世紀まで、約2世紀半、現在のイラン北西部、アラムートの城に蟠踞したイスラームの異端イスマイリ派、別名ニザリ派の誕生からモンゴルによる滅亡、そして復活までを略述する。セルジューク朝と渡り合い、マムルーク朝や十字軍にも脅威を与えた教団政権。イスマイリ派はシーア派の分派で、スンニからもシーアからも異端とされながら、一時は西アジア一帯にとびとびながらかなりの範囲に勢力を持った。今でも絶滅したわけではなく、あちこちにしぶとく生きているそうな。なによりも政略手段として暗殺を積極的に採用したことで歴史上有名だ。『アサシン・クリード』という人気ゲームの源になったことでも知られる。遙か昔、『ゴルゴ13』のエピソードの一つにも出てきた。

 ロジャースの『英雄たちの道』では、暗殺者教団のボスである「山の長老」配下の暗殺者たちが主人公たちの命を狙って、あちこちで大立ち回りをする。なかなか楽しい連中だ。もちろん、作品世界にふさわしくデフォルメされているが、結構巧くデフォルメしていることが、岩村本を読むとわかる。ロジャースはちゃんと調べて書いている。

 もっとも岩村本で一番メウロコだったのは13章の教義の解説だ。どんどん過激になっていって、ついにはイスラームとは似ても似つかない、別の宗教といえるもの(預言者ムハンマドの権威まで否定する)になりながら、最後にまたくるりと回転してスンニ派に合流してしまう。「奇怪」といえばこの過激化したものと、最後の転回が一番「奇怪」。こういう教義、絶対独裁者である教団トップの思考の変遷が、どういう環境の変化に押されたものなのか、知りたくなるが、そこまではようわからないらしい。

 岩村が本来専門外のイスマイリ派に深入りしたのは、かれらを滅ぼしたチンギス・ハンの孫フラグの麾下の武将の一人キドブハを追いかけたため、というのも面白い。ナイマン出身で、どうやらネストリウス派のクリスチャンだったらしいキドブハはフラグのもとで西アジアからシリア征服に功を立てる。しかし、最後にマムルーク朝がモンゴルの進攻を止めた1260年09月03日の戦いで死ぬ。この戦いとかれの戦死はモンゴル帝国にとっては分水嶺となる。

 つまり、岩村本はイスマイリ派をユーラシア大陸西半分の大きな歴史の動きのなかに置いて描く。大きく広い動きと、イスマイリ派をめぐる小く狭い動きの対比がダイナミズムを生む。

 最終章、イスマイリ派が頑強にモンゴル軍に抵抗したラミアッサール城の遺蹟に赴く紀行は、700年の時間の遠さを実感させる。同時に半世紀前のイラン西部の様相もまた別世界だ。

 巻末の「新版によせて」で、岩村がロンドンの本屋で見つけて面白く読んだという Freya Stark の The Valley Of The Assassins, 1934 を調べてみると1982年に現代教養文庫で『暗殺教団の谷 女ひとりイスラム辺境を行く』として出ている。図書館にないか検索するとスタークの伝記『情熱のノマド:女性探検家フレイア・スターク』が出てきた。1993年に100歳で亡くなったこの人、とんでもない人らしい。邦訳はもう1冊 Riding To The Tigris, 1959 が篠田一士の訳で『チグリス騎馬行』として出ている。こちらは『現代ノンフィクション全集』第16巻で、図書館にある。主な著作は Internet Archives で読める。

情熱のノマド 上―女性探検家フレイア・スターク
英子, 白須
株式会社共同通信社
2002-06T



 こうして読む本がどんどんと芋蔓式に増えてゆく。(ゆ)

09月05日・月
 岩波文庫今月の新刊の1冊『サラゴサ手稿』上巻を注文。三分冊で完訳になる予定。今世紀に入って初めて全貌が明らかになったのだそうだ。Wikipedia によれば、フランス、ポーランド、スペイン、ロシアの図書館に散在していた、まったくの新発見も含むオリジナルのフランス語原稿を集め、突き合わせた批判校訂版が2006年に出ている。この記事によると、1804年版と1810年版の、それぞれ違う原稿があるそうな。この作品の全体像が世に出たのはこれが初めて。以前、東京創元社から完訳が出るという話があったが、いつの間にか立ち消えになっていた。とにかくこれの完訳が出るのはめでたい。

サラゴサ手稿 ((上)) (岩波文庫, 赤N519-1)
ヤン・ポトツキ
岩波書店
2022-09-17



%本日のグレイトフル・デッド
 09月05日には1966年から1991年まで6本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1966 Rancho Olompali, Novato, CA
 月曜日。05月22日の再現? この「楽園」でのサマー・キャンプの打ち上げパーティー?

2. 1979 Madison Square Garden, New York , NY
  水曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。11ドル。開演7時半。
 見事なショウだそうだ。

3. 1982 Glen Helen Regional Park, Devore, CA
 日曜日。US Festival というイベント。17.50ドル。3日間通し券は37.50ドル。開演10時終演6時。
 「アス・フェスティヴァル」はこの年レイバー・デー週末と翌年春のメモリアル・デーすなわち5月末の2度開かれたイベント。一躍億万長者になった Apple 創業者の一人スティーヴ・ウォズニアクがビル・グレアムの協力を得て開催。設営費用はすべてウォズニアクが負担。この年は40万人、翌年は67万人を集めた。
 デッドは3日目のトップ・バッターで "Breakfast in Bed with the Grateful Dead!" と題された。第一部6曲、第二部8曲、アンコール2曲の、デッドとしては短かめのステージ。ちなみにその後はジェリー・ジェフ・ウォーカー、ジミー・バフェット、ジャクソン・ブラウン、トリはフリートウッド・マック。
 会場はロサンゼルスの東、サン・バーディーノ郡デヴォアの公園で、気温摂氏43度に達した。Bill Graham Presents のスタッフは不定期にバケツ一杯の氷を聴衆の上にぶちまけた。
 フェスティヴァルも3日目で、Robin Nixon が会場に着いた時には、酔っぱらってやかましく、他人の迷惑など考えない群衆で一杯だった。ほとんどはデッドのファンでもない。朝一番で出てきたデッドのメンバーもほとんどゾンビーで、つまらなくなくもない演奏。長いジャムなどは無し。何のために来たんだか、とニクソンは DeadBase XI で書いている。

4. 1985 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO
 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。開演2時。チケットは「開演7時」と印刷されているのが黒く塗りつぶされ、「開演2時」と赤くスタンプが押されている。開演時刻が急遽変更になったか、チケット印刷の際のミスか。
 アンコールの〈Brokedown Palace〉が途中でぐだぐだになり、一度やめて打合せをしてから、あらためてやりなおすよと宣言して、今度はすばらしい演奏をした。

5. 1988 Capital Centre, Landover, MD
 月曜日。このヴェニュー4本連続のランの3本目。開演7時半。
 水準は高いが、どこか吹っ切れない出来というところか。

6. 1991 Richfield Coliseum, Richfield, OH
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。開演7時半。08月18日以来の、夏休み明けのショウ。
 〈China Doll〉の美しさがわかるショウだそうだ。(ゆ)

09月04日・日
 ジャン・パウル『気球乗りジャノッツォ』を読む。うん十年前に買ったまま積読になっていた。読む時がようやく満ちたのだ。と思うことにしている。

 ローマ生まれのいたずら者の毒舌家ジャノッツォが気球に乗ってドイツの上を遊覧し、アルプスの手前で雷に打たれて墜落、死ぬ2週間の「航行日誌」。本文140ページの、長さから言えばノヴェラになる。パウルの作品としては短かい方だ。

 この本の成立は少々変わっている。パウルは畢生の大作『巨人』を1800年から4分冊で刊行する際、その各巻に付録を付ける。読者サーヴィスでもあり、また本篇では抑制した(ほんとかよ)脱線癖を発揮するためでもあった。その第二巻に付けられた二つの付録の片方がこの作品。もう片方は当時の文学、哲学への批判と、自作への批評に対する反駁のエッセイ。ということはこの小説と同じコインの片面をなすのだろう。

 1783年モンゴルフィエが気球で初めて上昇に成功。2年後の1785年、ブランシャールが気球で英仏海峡横断に成功。という時代。気球で旅をする話はこれが初めてではないが、気球によって地表の上を旅することがリアリティをもって書かれたのはおそらく初めてではないか。サイエンス・フィクションの歴史でジャン・パウルの名は見た覚えがないけれど、ここにはほとんどサイエンス・フィクションと呼べるシーンや叙述も出てくる。

 原題をまんま訳すと『気球船乗りジャノッツォの渡航日誌』。人が空を飛ぶのは始まったばかりで、それに関する用語はまだない。したがってパウルは気球を空飛ぶ船に見立てて、航海術の用語を使い、シャレもそれに従っている。そこで訳者は「気球船」と訳す。

 宇宙空間を飛ぶのをやはり我々は船が進むのに見立てている。実際は地表の上を飛ぶのとは違い、完全に三次元の動きになるから、新しい用語や表現が必要になるはずだ。たとえば、右舷、左舷だけでは足らなくなる。斜め45度への移動を呼ぶ用語も作らねばならない。航空術ではすでにあるのか。しかし惑星表面では惑星の重力が働くから上昇下降ですむが、上下のない宇宙空間の移動はまた別の話だ。

 閑話休題。ここではまだ空を飛ぶことすら新しい。城壁に囲まれた市街地に降りても、住人は相手が空から降りてきたことを理解できず、どの門から入ったのかと執拗に問いただしたりする。上空から見る、俯瞰するのは、当時大部分の人間にとってはまだ神の視点、目線だったはずだ。その作用を利用してもいる。ジャノッツォは神ではないが、有象無象でもない。一段上の存在になりうる。そうして上から見ることで見えてくる人間のばかばかしさを、ジャノッツォの口を借りて、パウルは縦横無尽に切りきざみ、叩きつぶす。

 「陽気なヴッツ先生」も同じだが、パウルの批判、嘲笑、痛罵には、自分もその対象に含んでいるところがある。ジャノッツォが怒りくるっているのは相手だけでなく、そういうやつらと否応なく関らねばならない自分にも怒っている。ように見える。絵を見ている自分もその絵に含まれるエッシャーの絵のような具合だ。高みにあって、地上からは一度切れた快感とともに、その地上にやはりつながれていることを自覚してもいる。自分だけは違う、などとは思わない。ジャン・ジャック・ルソーに心酔し、フランス語風に Jean Paul と名乗りながら、「ジャン・ポール」ではなく、ジャン・パウルと仏独混合読みされてきた、そう読ませるものが、その作品にある気がする。そしてそこが、自分のことは棚に上げてしまう凡俗とは一線を画して、パウルの批判、嘲笑、痛罵をより痛烈に、切実にしている。確かに直接の対象である同時代、18世紀末から19世紀初めのドイツの事情そのものはわからなくなっていても、パウルが剔抉している欠陥自体は時空を超えて、21世紀最初の四半世紀にも通底する。どころか、むしろますますひどくなってはいないか。ネット上でグローバルにつながりながら、一人ひとりは、昔ながらの、それこそ18世紀以来のローカルな狭い価値観にしがみつく俗物根性の塊のままではないか。

 ここにはまた地上では絶対に見られない美しさもある。第十一航。オークニーの南にいる、というのだから、いつの間にかここでは北海の上に出ているらしい。その海と空のあわいにあって、ジャノッツォの目に映る光景は、訳者も言うように一篇の散文詩だ。同時代のゲーテと違って、パウルは詩作はしなかったらしいが、散文による詩と呼べる文章は他にもいくつもある。こういう光景を想像でき、そしてそれを文章で表現することを開拓しているのだ、この人は。

  解説で訳者が指摘している著者の話術の効果として3番目の、語る者と語られるものの関係を多重化することで、作品世界とそこで起きていることにリアリティを与える、小説世界の独立性を確保することは、その後の小説の展開を先取りしているし、現代的ですらある。

 ゲーテの古典主義とは袂を別ち、ロマン派の先駆とみなされるのも当然と思われるあふれるばかりの想像力を備え、嵐のような譬喩を連ねて、時にはほとんどシュールレアリスムと呼びたくなるところまで行く。こういうのを読むと、ドイツ語もやっときゃよかった、と後悔する。

 とまれ、ジャン・パウルは読まねばならない。ドイツ文学史上の最も独創的なユーモア長篇作家、と訳者は呼ぶ。

ジャン・パウル『気球乗りジャノッツォ』古見日嘉=訳, 現代思潮社/古典文庫10, 1967-10, 170pp.


%本日のグレイトフル・デッド
 09月04日には1966年から1991年まで6本のショウをしている。公式リリースは1本。

1. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
 日曜日。3ドル?。チラシには「月曜夜の入場料はすべて3ドル」とあり、その前の週末の入場料は別のように見える。が、そちらの料金はどこにもない。前売料金無し。ちなみにこの前の金・土はジェファーソン・エアプレインがヘッドライナー。後の月曜日は Martha & the Vandellas がヘッドライナー。
 クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、カントリー・ジョー&ザ・フィッシュ共演。セット・リスト不明。
 デッドにとってこのヴェニューでの初のヘッドライナー。
 Martha & the Vandellas は1957年にデトロイトで結成された黒人女性コーラス・トリオ。1960年代、モータウンの Gordy レーベルから一連のヒットを出した。1967年以降は Martha Reeves & The Vandellas と名乗る。1972年解散。

2. 1967 Dance Hall, Rio Nido, CA
 月曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。セット・リスト不明。

3. 1979 Madison Square Garden, New York , NY
 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。11ドル。開演7時半。
 これも良いショウだそうだ。

4. 1980 Providence Civic Center, Providence, RI
 木曜日。
 第二部3曲目〈Supplication Jam〉からアンコール〈U.S. Blues〉までの10曲が《Download Series, Vol. 07》でリリースされた。

5. 1983 Park West Ski Area, Park City, UT
 日曜日。
 紫の煙をたなびかせながらパラシュートで会場に降りた男がいたそうな。
 ショウは見事。

6. 1991 Richfield Coliseum, Richfield, OH
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。開演7時半。08月18日以来、夏休み明けのショウ。
 平均より上の出来の由。(ゆ)

08月31日・水
 Margaret Weis & Tracy Hickman, Dragons Of Deceit: The Dragonlance Destinies, Vol. 1 着。The War Of Souls 以来20年ぶりのオリジナル・デュオによる『ドラゴンランス』新作。一度は Wizards of the Coast と訴訟騒ぎにまでなったが、無事刊行されてまずは良かった。


 

 タッスルが持つ時間旅行機を使って、父親が戦死する過去を改変しようとする娘の話。タイムトラベルはサイエンス・フィクションの常套手段の一つだが、ファンタジーではロマンス用以外に真向から歴史改変を扱うのは珍しいんじゃないか。

 さてさて、これを機会に、最初から読みなおすか。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月31日には1968年から1985年まで7本のショウをしている。公式リリースは2本。

1. 1968 Fillmore West, San Francisco, CA
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。3ドル。セット・リスト不明。リザーヴェイション・ホールジャズ・バンド、サンズ・オヴ・シャンプリン共演。

2. 1978 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO
 木曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。8.25ドル。開演7時半。
 第一部クローザー前で〈From The Heart Of Me〉、第二部オープナーで〈Shakedown Street〉がデビュー。
 〈From The Heart Of Me〉はドナの作詞作曲。翌年02月17日まで27回演奏。それまでの〈Sunrise〉に代わってドナの持ち歌として歌われた。スタジオ版は《Shakedown Street》所収。曲としてはこちらの方が出来はいいと思う。
 〈Shakedown Street〉はハンター&ガルシアの曲。1995年07月09日まで、計163回演奏。スタジオ版はもちろん《Shakedown Street》所収。踊るのに適しているのでデッドヘッドの人気は高い。

 デッドのショウの会場周辺、典型的には駐車場でデッドヘッドたちが開く青空マーケットが "Shakedown Street" と呼ばれた。売られていたのは食べ物、飲物、衣類とりわけタイダイTシャツやスカーフ、バンバーステッカー、バッジなどのアクセサリー、同人誌、ショウを録音したテープなどなど。各種ドラッグもあった。このマーケットによって地元にも経済効果があったが、そこに集まるデッドヘッドの風体とドラッグの横行に、これを嫌う自治体も多く、1980年代末以降、新たなファンの流入で規模が大きくなると、地元との摩擦が問題となった。デッドとしてはショウができなくなるのが最大の問題なので、後にはマーケットは開かないよう間接的にデッドヘッドに訴えた。もっともデッドヘッドはそれでおとなしくハイハイとやめるような人間たちではない。ビル・グレアムが設計したカリフォルニア州マウンテンヴューのショアライン・アンフィシアターでは、「シェイクダウン・ストリート」を開けるスペースがあらかじめ組込まれているが、これは例外。

3. 1979 Glens Falls Civic Center, Glens Falls, NY
 金曜日。9.50ドル。開演7時。
 第一部クローザー前で〈Saint Of Circumstance〉がデビュー。〈Lost Sailor〉とのペアの最初でもある。バーロゥ&ウィアの曲。1995年07月08日まで222回演奏。演奏回数順では63位。〈Ship of Fools〉より4回少なく、〈Franklin's Tower〉より1回多い。〈Lost Sailor〉が演奏された間はほぼ例外なくペアとして演奏されたが、〈Lost Sailor〉がレパートリィから落ちた後も演奏され続けた。ペアとしての演奏は1986年03月24日フィラデルフィアが最後。単独では76回演奏。スタジオ盤は《Go To Heaven》収録。

4. 1980 Capital Centre, Landover , MD
 日曜日。8.80ドル。
 第一部クローザー前の〈Lazy Lightning> Supplication〉が2019年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 これも宝石の1本といわれる。アンコール〈Brokedown Palace〉の途中でガルシアのギターの音が消えるハプニング。
 〈Lazy Lightning> Supplication〉はすばらしい。後半のジャムはベスト・ヴァージョンの一つ。

5. 1981 Aladdin Hotel Theatre, Las Vegas, NV
 月曜日。12ドル。開演8時。
 第二部前半、オープナー〈Lost Sailor〉から〈Playing In The Band〉までをハイライトとして、見事なショウだそうだ。
 終演後、観客は専用のルートで外に誘導された。デッドヘッドがカジノに溢れるのをホテル側が恐れたらしい。

6. 1983 Silva Hall, Hult Center for the Performing Arts, Eugene, OR
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。開演8時。
 第一部クローザー〈Cassidy> Don't Ease Me In〉が2010年の、第二部2曲目からの〈Playing In The Band> China Doll> Jam〉が2021年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 後者は面白い。〈Playing In The Band〉は10分ほどで、最後までビートがキープされて、型が崩れず、その上でジャムが進行する。テンポが変わらないまま、ガルシアが〈China Doll〉のリフを始め、他のメンバーが段々乗ってきて遷移。ガルシアは歌詞をほうり出すように歌う。むしろドライな演奏。センチメンタルなところがない。歌が一通り終るといきなりテンポが上がってジャム。定まったメロディのない、デッド独得のジャムで、ミドランドが愉しい。このミドル、スロー、アップというテンポの転換もいい。

7. 1985 Manor Downs, Austin, TX
 土曜日。13ドル。開演8時。
 良いショウだそうだ。(ゆ)

08月30日・月
 初期仏教がなんでこんなに面白いのか、我ながらようわからん。今の仏教とあまりにも違うからか。わが国仏教の問題点は大乗であるだけではなく、そもそも奈良朝に輸入した時の形にあるという佐々木閑の指摘は刺激的だが、それだけでもないような。ゴータマ・ブッダは悟った時、こんなわかりにくいものは他人に教えるのはやめようと決意した話とか、悟りを開くための修行から見た宇宙とか、「私」という現象に実体はないとか、出家して比丘=仏教修行者になることは他人が恵んでくれるものに寄生することだとか、ゴータマ・ブッダは崇拝の対象ではないとか、もうメウロコとかのレベルではない。仏教は一番身近なだけに、なんとなくわかっていたような気分でいたのを、片端から引くり返されてゆく。そこが快感なのだろう、きっと。

 一神教は我々の対極にあるから、かえって対象としてとらえやすい。仏教も本来は我々の心性とはまったく異質な信仰なのは、神仏習合を見てもわかろうというものだが、そうやって表面的には同質なものとみなせるようにしているから、対象にならない。もっとも神仏習合が可能だったのは大乗だからで、テーラワーダが何らかの形で独自にやって来て、国家宗教としてではなく、自発的な活動をして後世に伝わっていたなら、そちらは神仏習合のしようはあるまいとも思える。その点では近代西欧科学と同じく、仏教の宇宙に神はいないからだ。

 仏教の信仰とは、この世は業による輪廻と因果でできていて、煩悩を断たないかぎり、永遠にそこから脱けだせないが、人間はやりようによっては煩悩をすべて断ち、永遠に続く輪廻から脱出してほんとうに楽になることができる、と信じることである。そして生きたままその境地、涅槃に逹することができると信じることでもある。その信仰のどこにも神はいない。輪廻と因果を「造った」のは誰か、なんてことは考えないのだ。それは考えても意味がない。それよりもそこからいかに脱出するかを考える方がよほど大事だ。

 そう信じるか、と言われるとたたらを踏んでためらうけれども、この考え方そのものはなぜかひどく魅力的にみえる。一神教の独善的な宇宙よりもはるかに魅力的だ。一方で、近代西欧科学が明らかにした宇宙は、あまりに巨大であまりに冷たく、その中で生きるにはとりつく島もなさすぎる。知性や生命現象はこの宇宙が生まれた時の計画に含まれているのかすらあやしい。となれば、その宇宙を生きるのを意味あるものと見るのに、仏教の、初期仏教の考え方を応用するのは面白いと思える、ということだろうか。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月30日には1968年から1985年まで8本のショウをしている。公式リリースは2本。

1. 1968 Fillmore West, San Francisco, CA
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。セット・リスト不明。3ドル。Reservation Hall Jazz Band、サンズ・オヴ・シャンプリン共演。
 Reservation Hall Jazz Band はニューオーリンズのフレンチ・クォーターにあるリザーヴェイション・ホールを拠点として1960年代に結成されたバンドで、現在も現役。

2. 1969 Family Dog at the Great Highway, San Francisco, CA
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。単身2.50ドル、ペア4ドル。開演8時半。フェニックス、コマンダー・コディ、ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ共演。この日もグレイトフル・デッド名義でフル・メンバー。
 オープナーからの2曲〈China Cat Sunflower> Doin' That Rag〉が2018年の、4曲目〈Easy Wind〉が2019年の、《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 前者は面白い組合せ。〈China Cat Sunflower〉が〈I Know You Rider〉と組み合わされるのはこの年の09月30日。組み合わされた後はほぼ例外なくペアでの演奏になるが、その前はいろいろの曲と組み合わされている。うまくはまる相手を探している感じもある。ここでも歌の後、ギアが入れかわってジャムになる。〈Doin' That Rag〉への転換はやや強引なところもあるが、キャラクターが対照的な曲をつないでみたのだろう。演奏は決まっている。
 〈Easy Wind〉は前日とは違って、もう少しロック寄りか。ガルシアのソロの質も高く、どちらも快演。

3. 1970 KQED Studios, San Francisco, CA
 日曜日。これは地元のテレビ・スタジオでの聴衆を入れてのライヴで、FM で同時放送された。聴衆はまことにやかましいデッドヘッドの一群。5曲、30分弱の演奏。

4. 1978 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO
 水曜日。このヴェニュー2日連続の初日。8.25ドル。開演7時半。07月08日、同じヴェニュー以来のショウ。夏休み明け。
 第一部5曲目で〈Stagger Lee〉、第二部オープナーで〈I Need A Miracle〉がデビュー。
 〈Stagger Lee〉はハンター&ガルシアの曲。1995年06月18日まで計147回演奏。スタジオ盤は《Shakedown Street》収録。題材はいわゆる「マーダー・バラッド」の一つで、伝統歌として歌われてきたもののロバート・ハンター版。伝統歌の方は1928年のミシシッピ・ジョン・ハートの録音がおそらく最も古いもの。
 〈I Need A Miracle〉バーロゥ&ウィアの曲。1995年06月30日まで計272回演奏。演奏回数順では49位。〈Let It Grow〉よりも3回少なく、〈Little Red Rooster〉と同数で、〈Althea〉より1回多い。大休止後にデビューした曲としては最も演奏回数が多い。スタジオ盤は《Shakedown Street》収録。
 なかなかシュールな歌詞の面白い歌だが、タイトルそのままのコーラスは、やはり「奇跡」が起きるデッドのショウを歌ったものととられたのか、人気が高い。このコーラスをウィアは聴衆に歌わせることが多い。


5. 1980 The Spectrum, Philadelphia, PA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。10.50ドル。開演7時。
 第二部オープナー〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain〉が2011年の、5・6曲目〈Estimated Prophet> Eyes Of The World〉が2018年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 後者、まことに見事な演奏。この年はまさに絶好調。とりわけ、〈Eyes Of The World〉は極上のジャズ。センスの良いソロが続く。ミドランドも電子ピアノでさりげなくソロをとる。クール。
 リリースされたファイルはどうやら左右逆相になっている。ヘッドフォンで聴く場合、左右逆にすると正常な音になる。

6. 1981 Compton Terrace Amphitheatre, Tempe, AZ
 日曜日。10.50ドル。開演7時半。10.50ドル。開演7時。

7. 1983 Silva Hall, Hult Center for the Performing Arts. Eugene, OR
 火曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。13.50、15.50ドル。開演8時。

8. 1985 Southern Star Amphitheater, Houston, TX
 金曜日。10ドル。開演9時。短かいショウだが中身は濃いようだ。第一部の〈Bird Song〉、第二部オープナーの〈Scarlet Begonias> Touch of Grey〉のメドレーがハイライト。(ゆ)

08月29日・月
 Victoria Goddard から新作のお知らせ。"Those Who Hold The Fire"。1万1千語のノヴェレット。



 "Lays of the Hearth-Fire" のシリーズに属する。"The Hands Of The Emperor" から始まるシリーズ、ということは今のところ、彼女のメインのシリーズになる。11月に "The Hands Of The Emperor" の直接の続篇 "At The Feet Of The Sun" が予定されている。

 いやあ、どんどん書くなあ。ついていくのが大変。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月29日には1969年から1982年まで5本のショウをしている。公式リリースは2本。

1. 1969 Family Dog at the Great Highway, San Francisco, CA
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。このヴェニューは Playland と呼ばれた古い遊園地にあった、と Paul Scotton が DeadBase XI で書いている。単身2.50ドル、ペア4ドル。開演8時半。フェニックス、コマンダー・コディ、ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ共演。この日と翌日はグレイトフル・デッドのフル・メンバーで登場。
 2曲目〈Easy Wind〉が2017年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 良い演奏。ガルシアのギターはブルーズ・ギターではない。ずっとジャズに近い。ピグペンは歌わないときはオルガンでガルシアのギターにからめ、かなりよい演奏をしている。

2. 1970 Thee Club, Los Angeles, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。セット・リスト不明。

3. 1980 The Spectrum, Philadelphia, PA
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。10.50ドル。開演7時。
 これも良いショウのようだ。この年は調子が良い。

4. 1982 Seattle Center Coliseum, Seattle, WA
 日曜日。10.50ドル。開演7時半。
 第一部クローザー〈Let It Grow〉が2019年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 抜群のヴァージョン。ややアップテンポで緊迫感みなぎり、ガルシアが翔んでゆくのにバンドも悠々とついてゆく。間奏と最後の歌の後のジャムがいい。

5. 1983 Silva Hall, Hult Center for the Performing Arts. Eugene, OR
 月曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。15ドル。開演8時。
 良いショウのようだ。(ゆ)

 西欧近代科学はこの宇宙の年齡を約143億年とつきとめた。人類の年齡はせいぜい100万年前。自分たちが住んでいる世界を把握・理解しよう、あるいはできるようになってからとすると、10万年ぐらいか。つまり、宇宙は人類とは無関係に存在している。人類が認識しようがしまいが、宇宙は存在していたし、いるし、これからもいくだろう。もっともそのことを科学がそれこそ認識しはじめたのは、せいぜいがここ200年ぐらいだ。

 一方で、その10倍、2,000年ほど前に、宇宙は人間の認識によって存在すると捉え、まったく独力で、というのは専用の器具など使わずに、観察と論理だけで、認識によって捉えた宇宙の全体を構築した人たちがいた。ゴータマ・ブッダの仏教から出てきた「説一切有部」というグループの人びとだ。現在のカシミール、ガンダーラのあたりにいたらしい。この人びとが作った一連の書物が「アビダルマ」と呼ばれるものの半分をなす。個々のケースに即して教えたために、実際的断片的だったゴータマ・ブッダの教えを、普遍的に体系化する必要が出てきて、それを試みた書物群だ。その代表作に『アビダルマコーシャ』がある。漢訳タイトルの『具舎論』の名の方がわが国では通りがいい。世親=ヴァスバンドゥが書いたとされる。内容は「説一切有部」の主流にしたがう、仏教の目標である解脱=涅槃=悟りにいたるマニュアルである、と佐々木閑はいう。
 エヴェレストに登るためのマニュアルのようなものだというのだ。そこに書かれていることは、まず第一にエヴェレストとその周辺のヒマラヤ地域についての地理、気象をはじめとする状況だ。その後に必要な装備、事前の訓練をはじめとする準備、そして実際の登山のやり方、となる。
 『具舎論』も同様に、「悟りの山」登頂を目指す者のために、まず悟る場の状況が説明され、悟るために必要な装備、訓練のやり方が説明され、それからいくつものレベルを登ってゆく過程が述べられる。この通りにやっていけば、誰でも悟れる、というわけだ。
 ところで悟るのはこの世でなされる。死ぬ時とか死んだ後での話ではない。仏教はもともと生きながらにして悟ることが目標で、ゴータマ・ブッダはそれを成しとげた。そして、自分がなしとげた悟りにいたるやり方を、やはり生きているうちに悟りたいと願う人びとに教えた。悟るすなわち涅槃に入るのは死んだ時としたのは後に出てきて中国、朝鮮、日本に伝わるいわゆる大乗仏教だ。
 世親は大乗の完成者の一人とされるが、『具舎論』ではそういう自分の考えは一応抑えて、それ以前の説一切有部の理論を説いている。だから、悟るのはこの世での話で、となると悟る場の状況というのはつまりこの世の全体、全宇宙がどうなっているか、ということになる。その説明だけで『具舎論』の半分を占める。

 『仏教は宇宙をどう見たか』はこの『具舎論』前半部分の記述を、仏教の宇宙のとらえ方に無知な人間に解説したエントリー本、入門書ということになる。使われている譬喩や説明の仕方、たとえば仏教用語をより現代的な表現で置き換える手法によって、アビダルマ仏教の宇宙の全体像をとても愉しく学ぶことができる。

 二千年前のインドでは宇宙が人類より古いとか、人間とは無関係に存在しているなどとはわからない。説一切有部の人びとは人間が認識できる宇宙を全体と考え、その全体像を描いた。その際、ただ漠然と眺めたり、あることないこと考えたりしたわけではない。宇宙の全体像を描くのは、悟るためである。悟るための修行に必要なものとして描いた。悟るために修行を積んでゆくと見えてくる宇宙であり、悟りを目指すところから感じとれる宇宙だ。その点では、至極実際的でもある。修行してゆくと、どう見てもこういう風になっているとしか考えられないことがあったり、あるいは実際にそう感じとれる感覚があったりする。それを組み合わせ、足らないところ、隠れているところを推量し、論理の筋を通し、それをまた修行で確認し、という作業を重ねて構築したのが、アビダルマの宇宙だ。望遠鏡のような器具は使っていないかもしれないが、修行するココロとカラダは目一杯使っている。この宇宙は空想の産物ではなく、実際のデータの上に成り立っている。

 こうして現れるアビダルマの宇宙は、いやあ、面白い。どこが面白いか。どこもかしこも面白い。どう、面白いか。さあ、それが難しい。とにかく、ほとんど一気読みしてしまった。

 この世のものはほとんどが虚構ではある。仏教用語では「仮設」と書いて「けせつ」と読ませるのがこの虚構の存在だ。「家」「自動車」「地球」「私」「自我」、みんな仮設だ。表面に見えている、感じられるのはほとんどすべて仮設、この世は虚構世界だ。しかし、その奥に世界を形成する基本的な実在要素がある。これが75ある。宇宙は75の基本要素がさまざまに組合されてできている。繰返すが、「私」「自我」無意識も含めた我はその75の中には無い。「私」は虚構なのだ。これが面白いことの第一点。

 面白いと思ったことの第二点は、この世界は瞬間瞬間に生成し、また消滅している、ということ。「刹那」はもともと仏教用語で、百分の1秒に相当するそうだが、とにかく人間の感覚では捉えられないその刹那の間に、全宇宙が生まれ、消滅している。それを繰り返している。

 これを説明する映写機の譬喩は秀逸だ。映画のフィルムのひとコマずつはそれぞれ違う、まったく別のものだ。コマとコマの間の変化はごく小さいが、まったく同じではなく、まあ、時にはまったく同じこともあるだろうが、まずたいていは違っている。これが1秒に24コマ送られることで、コマの静止画が動画として見える。1コマは百分の4秒になる。全宇宙が巨大な映写機で映写される3D映画なわけだ。

 普通の映写機と違うところがサイズは別としてもう一つある。映写機で映写されるフィルムは下に出てゆくのは1本のフィルムだが、上から入ってくるのは1本のフィルムではない。今映っている瞬間は現在だ。下に出ていったコマは過去である。上は未来になる。未来はあらかじめ決まっているわけではない。映写機の譬喩を使うなら、上には巨大な袋があって、その中ではばらばらなコマが舞っている。現在になる可能性のあるすべての未来がコマとして舞っている。中には絶対に現在にはならないと定まったコマもある。そのうち、現在になる可能性の最も大きなコマが袋の出口に近付いて、映写機のランプに照らされる1刹那前の位置、「正生位」にはまる。次の刹那に下に送られて現在となり、その時には次のコマが正生位にハマっていて、次の刹那には現在だった刹那は過去となり、正生位にハマっていたコマが降りて現在となる。

 このどこが面白いかというと、まず未来も実在していること。現在がどうなるかは1刹那前に決まっていること。そして時間が実在しないこと。コマ、というのは75の実在要素すなわち「法=ダルマ」のうち、何らかの作用をする72の要素から成る全宇宙の姿だが、このコマの未来から正生位、現在、過去への移動を時間の経過と感じているだけなのだ。

 いったいどういう修行をすれば、こういう構造が見えてくるのか、想像もつかないが、しかし、これは無から思いついたことではない、というところがまた面白い。ある時、修行の中で実際にそう見えた人が複数いたのだ。

 面白いことをもう一つ。さっきココロとカラダと書いたが、アビダルマの宇宙ではあたしらが今捉えているような精神と肉体の分け方はしない。だいたい、どちらも実在の要素=法ではないから、もしあるとしても虚構だ。ではどう見るかというと、認識を中心に捉える。眼、耳、鼻、舌、身=皮膚の五つの受容器官と、意と呼ばれる五感以外の受容器官の六つの器官によって捕捉されたものをそれぞれに景色、音、匂い、味、接触・痒み・痛み・温度、記憶・思考として認識する作用が起こるのが「心=しん」であり、この認識に対する反応が起きるのが「心所=しんじょ」になる。このふたつは人間というまとまりの内部のどこかにある。どことは言えない。

 ここでまた面白いのは、認識にはいわゆる外界からの刺激によるものだけでなく、我々が体内感覚と考えているものも含まれる。筋肉痛とか空腹感とか膀胱が一杯だとかいう認識、さらにはそうした認識に対する反応も、眼に映るものや匂いなどとまったく同列に扱われる。

 ここは案外わかりにくいところだ。巻末の附論「仏教における精神と物質をめぐる誤解」にあるように、仏教学者として相当な業績をあげている人でさえ、うっかりすると西欧的な肉体・精神の捉え方に引きずられる。肉体・精神の捉え方はそれだけ吸引力が強いとも言えるけれど、その二分法はアビダルマ宇宙には存在しない。この宇宙は修行者が捉え、修行者のために説かれている。修行者は自己の身体的認識器官を制御し、それによって心・心所の状態を変移させ、煩悩と呼ばれる一群の作用を止めていって、最終的に煩悩がまったく起こらない状態にもってゆく。その状態が涅槃、悟りの山の頂上だ。ここにあるのは人間というひとまとまりの仮設だけで、肉体という「物質」とそれに宿る精神というようなものはどこにも無い。これもまた面白い。

 他にも世親が自分のアイデアとして述べている「相続転変差別=そうぞくてんぺんしゃべつ」がカオス理論そのままだとか、仏教にとっての善悪は我々の倫理上のものとは違い、悟るのに役立つ、悟りに近づくことを助けるものが善であり、悟りの邪魔をするものが悪になる、とか、面白い話が続出する。後者は、ここで使われている例を引用すれば、坂道で重い荷車を押している老人を助けることは「業」を生み、悟ることのハードルを上げるから善ではない、というのだ。

 仏教が葬式や仏事のためののほほんとしたものではなくて、切実な必要に応じようとするところに生まれ、精緻でラディカルな思想を生んできたことを知ったのは今年最もスリリングな収獲で、この本はその収獲をさらに豊かにしてくれた。この本にはその前身である『犀の角たち』があり、現在は『科学するブッダ:犀の角たち』として文庫にもなっている。これまた面白そうだ。本書も文庫だし、今回は図書館から借りたが、この内容なら買った方がいいとも思う。繰り返し参照したくなるはずだ。

 それにしてもこのアビダルマ宇宙は、サイエンス・フィクション、ファンタジィの世界設定としても、ちょっとこれ以上のものはないんじゃないか。これは世親が一人で作ったものではなくて、説一切有部の学僧たちが、それも数百年にもなろうかという時間をかけて構築したものだ。いかに知的巨人でも、単独でこんなに完璧なものはできない。もちろん、仏教修行者にとってはリアルな現実そのものなわけだけれど、悟るのは到底ムリなあたしなどからすると、そういう「使い方」が湧いてきてしまう。誰か、これを使って書かないかなあ。

 例えばコスモス映写機の未来の袋の中から望ましい未来のコマを引っぱってくる装置ないし方法を発明するとか、そういう能力を修行によって身につけるとか。「望ましい未来を引き寄せる能力」というのは、ビショップの『時の他に敵なし』の目立たない方のアイデアで、実はこちらが小説の本来の目的ではないかと思えるものだけれど、ビショップがこの映写機のアイデアを読んだわけではないだろう。このアイデアはわが国仏教学の先達の一人、木村泰賢 (1881-1930) が提示したものだから。ビショップは独自に思いついたか、あるいは似たようなアイデアをどこかで見たか。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月28日には1966年から1988年まで8本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1966 I.D.B.S. Hall, Pescadero, CA
 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。セット・リスト不明。
 自転車レースと「フォーク・ロック・ダンス」の2日間のイベントの2日目。

2. 1967 Lindley Meadows, Golden Gate Park, San Francisco, CA
 月曜日。ヘルス・エンジェルスのメンバー Chocolate George 追悼パーティーに出演。ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー共演。開演1時。セット・リスト不明。
 手書きらしいポスターの裏には "Chocolate George Will Be Forever..." と書かれている。デッドがここで演奏したことで、確かにその名は長く記憶に留められることになった。

3. 1968 Avalon Ballroom, San Francisco, CA
 水曜日。
 ほとんど《Live Dead》そのもののセット・リスト。

4. 1969 Family Dog at the Great Highway, San Francisco, CA
 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。この日は Mickey Hart & the Hartbeats 名義らしい。ウィアとピグペン抜きで、ハワード・ウェールズが鍵盤で入っている。
 1時間半弱のテープがある。
 DeadBase XI の Paul Scotton のレポートによれば、ここは狭いホールの両端に高さ50センチほどのステージがあり、片方でバンドが演奏している間、もう片方でセッティングされていた。バンドの演奏が終ると、聴衆は回れ右をして次のバンドを聴く形。
 出演はフェニックス、コマンダー・コディ、ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ、デッドの順。演奏していないバンドのメンバーが聴衆に混じって聴いていた。スコットンはそれと知らずに、たぶんコマンダー・コディの演奏中、レシュとおしゃべりしていた。デッドを見るのは初めてで、デッドが出てもそれとはわからなかった。

5. 1970 Thee Club, Los Angeles, CA
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。セット・リスト不明。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ共演。

6. 1981 Long Beach Arena, Long Beach, CA
 金曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。
 第二部5曲目、drums 前で〈Never Trust A Woman〉がデビュー。ミドランドの作詞作曲。1990年07月23日まで計39回演奏。"Good Times" または "Good Times Blues" と呼ばれることもある。
 全体にすばらしいが、とりわけ第二部が「モンスター」だそうだ。

7. 1982 Oregon Country Fairgrounds, Veneta, OR
 土曜日。1972年08月27日のショウの10周年記念 "The Field Trip" というイベント。ロバート・クレイ・バンド、The Flying Karamazov Brothers、Strangers With Candy 共演。開場午前8時。開演午前10時。終演夕暮。
 前の晩と翌日は雨が降ったが、この日だけは晴れて暖かかった。
 第二部オープナーで〈Keep Your Day Job〉、3曲目で〈West L. A. Fadeaway〉がデビュー。
 〈Keep Your Day Job〉はハンター&ガルシアの曲。1986年04月04日まで57回演奏。スタジオ盤収録無し。この曲はデッドヘッド、とりわけトラベルヘッドたちのライフスタイルを真向から批判するものととられて、猛烈な反発をくらい、レパートリィからはずされた。それでも4年間演奏しつづけているのは、さすがと言うべきか。
 アプローチとしては〈Estimated Prophet〉と共通なのだが、こちらはあからさまに、いい加減定職についたらどうだ、と聞えることは確か。もっともトラベルヘッドの一部の生き方に目に余るものがあったことも同じくらい確かだろう。デッドヘッドとて人間の集団、中にはひどい人間もいたはずだ。

 〈West L. A. Fadeaway〉もハンター&ガルシアの曲。1995年06月30日まで、計140回演奏。スタジオ盤は《In The Dark》収録。ボブ・ディランがコンサートでカヴァーしたことがあるそうだ。ディランも1枚ぐらい、デッドのカヴァー集を出してもいいんじゃないか。

 The Flying Karamazov Brothers は1973年結成のジャグリングとお笑いのグループ。

 Strangers With Candy はテレビのお笑い番組で、ポスターには名前があるが、どういう形で出たのかは不明。


8. 1988 Autzen Stadium, University of Oregon, Eugene, OR
 日曜日。開演正午。ロバート・クレイ・バンドとジミー・クリフ前座。2番目に出たジミー・クリフは8歳くらいの息子を連れてきて、1曲共演した。どのセットも非常に良かったそうだ。(ゆ)

08月25日・木
 午後、公民館に往復。本5冊返却、9冊受取り。もどって確認し、読む順番を決める。まず、厚木以外の図書館から借りているもの。これらは2週間で返さねばならないので最優先。仏教関係3冊。
 
荒木見悟 (1917-), 新版 仏教と儒教; 研文出版, 1993-11, 横浜市立図書館
佐々木閑 (1956-), 出家とはなにか; 大蔵出版, 1999-09, 海老名市立図書館
小川隆 (1961-), 語録の思想史:中国禅の研究; 岩波書店, 2011-02, 横浜市立図書館

 荒木本は中国の仏教と儒教が中国思想史でどう絡むかを探っている。中国の仏教に関して無知なので、たぶん歯が立たない。まずは小川本からいくか。佐々木閑は同世代だから、次にこれ。荒木本は余裕があれば全部。とりあえず序論だけは読んでおく。

 あとは厚木の本なので、のんびりいこう。

 と思いつつ、ふと佐々木閑『仏教は宇宙をどう見たか:アビダルマ仏教の科学的世界観』をぱらぱらやると、これが面白い。例によってまえがき、あとがき、そして冒頭の章に目を通す。あとがきの一節
 
--引用開始--
 アビダルマ哲学を学んだからといって、それが直接現代科学に役立つわけではないし、そこからなんらかの人生訓を会得できるわけでもない。しかし大切なのは、「みかけの日常世界の背後には、見えない構造が存在しており、それを解明した時、我々自身の世界観・価値観は転換する」という実感を得ることができるという点である。
--引用終了--
240pp.

 おおお、ならば、まずこれを読まねばならない。師茂樹『「大乗五蘊論」を読む』で出てきた概念が出てくる。あれも世親の著作。『具舎論』も世親。もっとも、『具舎論』はそれまでに積み上げられてきて、仏教の一般的に承認されていた世界像を書いている。世親個人の考えとは異なるところが多々ある。『大乗五蘊論』の方が世親の本心に近そうだが、そのベースとなっている世界観は共通だろう。

 この本にはそのきっかけとなった先行本、『科学するブッダ:犀の角たち』がある。これも厚木にあるな。

 あとがきを読んでも、佐々木氏は面白い。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月25日には1967年、72年、93年の3本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。

1. 1967 Kings Beach Bowl, North Shore, Lake Tahoe, CA
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。セット・リスト不明。
 "Kings Beach Bowl Summer Series" と銘打たれた一連のコンサートの最後。カントリー・ジョー&ザ・フィッシュ、クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、The Creators New Sounds、ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー、そしてデッド。

 The Creators New Sounds は不明。The Creators または New Sounds という名前のバンドはあるが、この時期ではない。


2. 1972 Berkeley Community Theatre, Berkeley, CA
 金曜日。このヴェニュー4本連続のランの楽日。
 全体が《Dave's Picks, Vol. 24》でリリースされた。
 この年は春のヨーロッパ・ツアーと秋のツアーに大きく別れる。その秋のツアーの事実上のスタートがここでの4連荘で、ここから11月26日のテキサス州サンアントニオまでノンストップ。それをしながら《Europe '72》を出し、翌年秋のグレイトフル・デッド・レコーズ発足の準備をする。

 このツアーはピグペンが完全に離れた最初のものでもある。ピグペンの持ち歌のうちの「大曲」が一度消えるかわりに、〈The Other One〉〈Dark Star〉それに、〈Playing In The Band〉が大きく成長し、〈Bird Song〉がその後を追うように大きくなっている。ここでは〈Dark Star〉以外の3曲が揃う。〈Playing In The Band〉15分、〈Bird Song〉10分、そして〈The Other One〉は30分近い。


3. 1993 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。24.50ドル。開演7時。
 第一部の〈Friends of the Devil〉〈So Many Roads〉〈The Promised Land〉、第二部オープナーの〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain〉〈Attics of My Life〉など、ハイライトの多い良いショウだそうだ。(ゆ)

08月21日・日
 シュティフターがあまりに面白いので、買ってあるはずの本を探して、前に本を積んで普段アクセスできない奥になっている本棚を捜索。『晩夏』を除いて無事発見。ついでにいろいろ、探していた本が出てくる。ピーター・S・ビーグルの第2作品集 The Rhinoceros Who Quoted Nitzsche が見つかったのは嬉しい。よし、あらためて作品集を読むぞ。ストルガツキー兄弟の本も出てくる。読み返したかったデヴィッド・リンゼイの長篇第二作 The Haunted Woman も見つかる。これは『アークチュルスへの旅』とはうって変わって、ほとんど古典的な幽霊屋敷譚として始まりながら、どんどん逸脱していく傑作という記憶があるが、結末を忘れてしまっている。いやあ、読む本はほんとにキリがない。

 しかし『晩夏』はどこへ行った? こうなるとまた別の本棚を捜索せねばならぬ。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月21日には1968年から1993年まで5本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1968 Fillmore West, San Francisco, CA
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。3ドル。カレイドスコープ、アルバート・コリンズ共演。
 すばらしいショウのようだ。

2. 1972 Berkeley Community Theatre, Berkeley, CA
 月曜日。このヴェニュー4本連続の初日。
 ピークのこの年のベスト・ショウの呼び声が高い。
 〈Black-throated Winds〉の後でレシュが、ピグペンはヨーロッパでヘパティティスを貰ってきたので、半年間は野菜を食べる他は何もしてはいけないことになっている、と説明した。
 ここでの〈Dark Star〉は他に似たもののないユニークで無気味で不思議な演奏だと、ヘンリー・カイザーが DeadBase XI で書いている。これはおそらくかれのアルバム《Eternty Blue》のためのリサーチの一環だろう。このアルバムはデッドのカヴァー・アルバムでも出色の1枚。選曲も、参加ミュージシャンも面白い。〈Dark Star〉で〈A Love Supreme〉をはさむということをやっている。

3. 1980 Uptown Theatre, Chicago, IL
 火曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。13.50ドル。開演7時半。
 第一部は古い曲中心。第二部はドラマーたちのソロで始まり、〈Uncle John's Band〉がほぼ第二部全体をはさむ。アンコールに〈Albama Getaway〉というのも珍しく、すばらしいショウだそうだ。

4. 1983 Frost Amphitheatre, Stanford University, Palo Alto, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。開演2時。
 オープナーが〈Cassidy〉は珍しい。ので、これも良いショウのようだ。

5. 1993 Autzen Stadium, University of Oregon, Eugene, OR
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。06月26日以来、ほぼ2ヶ月ぶりのショウ。26ドル。開演2時。
 インディゴ・ガールズ前座。第二部4曲目〈Truckin'〉から〈Good Morning Little Schoolgirl > Smokestack Lightnin'〉、drums> space 後の〈The Last Time〉まで、ヒューイ・ルイスがハーモニカで参加。
 ヴェニューも、ユージーンの街もデッドとデッドヘッドに良い環境を提供し、ショウはすばらしいものになった。
 母親に連れられてきていた幼ない女の子にもガルシアは好ましい印象を与えたらしい。(ゆ)

08月20日・土
 文庫棚の整理をしていて出てきた岩波文庫のシュティフター『森の小道・二人の姉妹』をふと読みだしたら止まらなくなって、「森の小道」を一気読みしてしまう。これはいいノヴェラだ。甘いといえば甘いのだが、どこにも無理がない。語りそのものも、語られている人間たちとそのふるまいも、まったく自然に流れる。現実はこんなもんじゃない、などというのは野暮に思えてくる。こういうことがあってもいいじゃないか。

森の小道・二人の姉妹 (岩波文庫)
シュティフター
岩波書店
2003-02-14



 シュティフターは昔出ていた作品集も有名な『晩夏』も買ってあるが、例によって積読で本棚の奥に埋もれている。これは掘り出さないわけにはいかない。

 なぜかドイツ語の小説が読みたくなる。それも長いやつ。ムージル、ブロッホ、ヤーン、マン兄弟、ヨーンゾン。それにジャン・パウル。『巨人』はどういうわけか地元の図書館にあって、読みかけたことがある。なるほどマーラーの曲はこの通りだと思えるほど、なかなか話が始まらないので、その時は落っこちたが、今なら読めそうだ。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月20日には1966年から1987年まで7本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1966 Avalon Ballroom, San Francisco, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。セット・リスト不明。共演ソプウィス・キャメル。

2. 1968 Fillmore West, San Francisco, CA
 火曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。3ドル。共演カイレイドスコープ、アルバート・コリンズ。セット・リスト不明。
 ポスターによればコリンズは同じヴェニューの直前16〜18日の3日間、クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル、イッツ・ア・ビューティフル・デイのランにも出ている。

3. 1969 Aqua Theater, Seattle, WA
 水曜日。1時間半強、一本勝負のテープが残っている。アウズレィ・スタンリィのマスター・テープに "8/21/69" とあるために DeadBase 50 でも21日とされているが、ポスターでは20日になっている、として DeadLists では20日にしているので、それに従う。
 ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ、Sanpaku 共演。
 7曲目〈New Minglewood Blues〉から次の〈China Cat Sunflower〉とそれに続くジャムにチャールズ・ロイドがフルートで参加。
 2曲目で〈Easy Wind〉がデビュー。ロバート・ハンターの作詞作曲。ピグペンの持ち歌で、1971年04月04日まで45回演奏。スタジオ盤は《Workingman's Dead》所収。ハンター自身のアルバムでは《Live '85》所収。途中でテンポが急激に変わるユニークな構造。
 Sanpaku の名前は日本語の「三白眼」の「三白」から来ていると思われるが、詳細不明。言葉そのものは1960年代半ばに英語に取り入れられているそうだ。

4. 1972 San Jose Civic Auditorium, San Jose, CA
 日曜日。
 ここも名演、力演、熱演を生むヴェニューで、このショウも見事だそうだ。

5. 1980 Uptown Theatre, Chicago, IL
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。開演7時半。

6. 1983 Frost Amphitheatre, Stanford University, Palo Alto, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。学生12.50、一般13.50ドル。開演2時。
 全体に熱いショウの由。デッドは大学で演るのが好きらしい。多目的ホールでも、ここやグリーク・シアターのような立派なところでも、選り好みはしない。

7. 1987 Park West Ski Area, Park City, UT
 木曜日。16.25ドル。
 ユタ州では1969年04月12日から1995年02月21日まで9本のショウをしていて、いずれも外れはないという。このショウも目を瞠る出来だそうだ。(ゆ)

08月15日・月
 ワシーリー・グロスマンの Stalingrad 着。1,000ページ超。

Stalingrad (English Edition)
Grossman, Vasily
NYRB Classics
2019-06-11



 序文と後記によると、これは For A Just Cause(むろんそういう意味のロシア語のタイトル)として1954年にソ連で初版が出た本の英訳。だが、この本は当時の検閲を通るため、大幅な削除がされている。後、二度、再刊され、最後の1956年版はフルシチョフによる「雪解け」期に出たため、削られたものがかなり復活している。

 モスクワのアーカイヴには手書き、タイプ、ゲラの形のテキストが9つある。このうち第三版がかなりきれいなタイプ原稿で、手書きの訂正が入っている。分量からしても、最も完全に近い。以後の版では第五版と第九版に新たな要素がある。

 この英訳版は1956年の刊本をベースに、プロットはそれに従いながら、第三版のタイプ原稿から追補した。ただし、そっくり全部ではない。この本と『人生と運命』は本来1本の作品として構想されていた。1956年版が終っているところから『人生と運命』が始まる。原稿第三版には『人生と運命』と1本とみた場合に、プロットに違背する部分がいくつかある。その部分を外した。

 本文の決定は訳者の一人 Robert Chandler とグロスマンの最新の伝記の著者の一人 Yury Bit-Yunan があたった。ロシア語の校訂版が存在しない現時点での最良のテキストを用意するよう努めた。

 ロバート・チャンドラーは序文で、本書刊行本の成立事情を解説している。この小説はもちろんグロスマン自身のスターリングラード体験が土台になっているが、執筆の動機としてはむしろ外からの、それもスターリン政権から暗黙のうちに示されたものだった。この独ソ戦はソ連にとってまず何よりもナポレオン戦争の再現だった。だから戦争遂行のため、『戦争と平和』が利用される。実際、スターリングラードでロシア軍の最も重要な指揮官も『戦争と平和』に頼った。ロディムツェフはこれを3回読んだ。チュイコフは作中の将軍たちのふるまいを己のふるまいの基準とした。
 そして戦後にあって、この勝利を永遠のものとするような小説作品、20世紀の『戦争と平和』を政権は手に入れようとする。グロスマンはトルストイに挑戦することに奮いたったのだ。

 グロスマン自身、戦争の全期間を通じて、読むことができたのは『戦争と平和』だけだった、と述懐している。これを二度読んだという。スターリングラードの戦場から娘にあてた手紙にも書く。
「爆撃。砲撃。地獄の轟音。本なんて読めたもんじゃない。『戦争と平和』以外の本は読めたもんじゃない」

 政権は自分に都合のよいヴァージョンを得ようとして、グロスマンに原稿を「改訂」させようとする。一方で、グロスマンはスターリン政権末期のユダヤ人弾圧の標的にもされる。For A Just Cause として本篇がまがりなりにも刊行されたのは、ひとえにスターリンが死んだからだ。

 こうなると、『戦争と平和』も読まねばならない。あれも初めの方で何度も挫折している。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月15日には1971年から1987年まで3本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1971 Berkeley Community Theatre, Berkeley, CA
 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。
 非常に良いショウだそうだ。
 デッドヘッドのすべてがバンドと一緒にツアーしていたわけではなく、地元に来ると見に行く、という人たちも当然いた。むしろ、その方が多かっただろう。
 ヴェニューはバークリー高校の敷地内にある。収容人員3,500弱。この時期、ビル・グレアムがフィルモアと並んでここを根城にコンサートを開いている。デッドの2週間前がロッド・スチュワート付きフェイセズ、デッドの翌週末がスティーヴン・スティルス。その週はさらにフランク・ザッパ、プロコル・ハルム、そして9月半ばにレッド・ツェッペリン。とポスターにはある。

2. 1981 Memorial Coliseum, Portland, OR
 土曜日。北西部3日間の中日。10ドル。開演7時半。
 充実したホットなショウの由。

3. 1987 Town Park, Telluride, CO
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。20ドル。開演2時。Olatunji and the Drums of Passion 前座。KOTO FM で放送された。オラトゥンジのバンドは前座だけでなく、コンサートに先立って、メインストリートを太鼓を叩きながら練りあるいた。
 ここはジャズとブルーグラスのフェスティヴァルで有名なところだが、音楽を味わうにふさわしい環境の場所らしい。デッドの音楽は、たとえばキース・ジャレットのピアノ・ソロのように、演奏される場、場所を反映する。シスコとニューヨークでは、その音楽は同じだが違う。ここでもやはり違っていたようだ。こういうショウはその場にいて初めて全体像が把握できるのだろう。後で音だけ聴くのではやはり届かないところがある。
 一方で、すべての現場に居合わせるわけにもいかない。ソローが歩きまわった場所に今行っても、同じ光景は見られない。しかしソローが歩きまわったその記録を読んで疑似体験することはできる。(ゆ)

08月14日・日
 公民館に往復。本を3冊返却、4冊受け取り。借りた本はいずれも他の図書館からの借用なので、2週間で返さねばならない。家人が横浜市内に勤めていたときには、横浜市立図書館から借りられたので、自前でまかなえたから延長できた。県立から借りたのが一度あったくらいだ。『宮崎市定全集』全巻読破できたのも、そのおかげだった。厚木はビンボーで、図書館蔵書も少ない。

 ワシーリー・グロスマンの『システィーナの聖母』は茅ヶ崎市立図書館から。所収のアルメニア紀行を確認するため。これは後3分の1ほどを占める。ということで買うことにしよう。が、NYRB 版は NYRB original で、160ページあるから、邦訳よりは分量がありそうだ。英訳も買うか。グロスマンの本としては The People Immortal も邦訳されていない。『人生と運命』の前にあたるのが Stalinglad で、The People Immortal が扱うのはさらに前のバルバロッサ作戦酣で赤軍が敗走している時期だそうだ。そこで、いかなる手段を用いてもナチス・ドイツ軍の進攻を止めろと命じられたある師団の話、らしい。

システィーナの聖母――ワシーリー・グロスマン後期作品集
ワシーリー・グロスマン
みすず書房
2015-05-26

 
Stalingrad
Grossman, Vasily
NYRB Classics
2019-06-11

 
The People Immortal
Grossman, Vasily
MacLehose Press
2022-08-18



 アンソロジー『フィクション論への誘い』は横浜市立図書館から。師茂樹氏のエッセイを読むため。プロレスについて書いている。一読、こよなく愛するファンであることがひしひしと伝わってくる。
 プロレスにまつわる記憶では、学生の時、なぜか高田馬場で友人とたまたま夕飯を食べに入った食堂のテレビで、猪木の試合を中継していた。見るともなしに見ていると、いかにもプロレスと思われるまったりとした進行だったのが、ある時点で猪木が「怒る」ことでがらりと変わった。中継のアナウンサーが「猪木、怒った、怒った」と、いかにもこれはヤバいという口調になった。つまりヒールの反則が過ぎたのに猪木が怒った、というシナリオ(「ブック」と呼ばれるそうだ)だったのだろう、と後で思いついたのだが、その時の猪木の変身、本気で怒っている様子、それによる圧倒的な強さは見ていてまことに面白いものだった。後でああいう台本だろうと思ってはみたものの、その瞬間はいかにも猪木が怒りのあまり、そうした打合せや台本を忘れはてて、本気を出しているとしか見えなかった。師氏がここで言うように、本当に思わず本気で怒ってしまったのかどうか、わからないところはまた面白いが、あの猪木の変身ぶりは、プロレスも面白くなるものだ、というポジティヴな印象を残した。猪木といえば、河内音頭の〈アントニオ猪木一代記〉が真先に出てくるのだが、その次にはあの時の印象が湧いてくる。

 ハンス・ヘニー・ヤーン『岸辺なき流れ』上下は鎌倉市立図書館から。第三部『エピローグ』をカットした形。訳者の紹介によればカットするのも無理は無いとは思われる。これもまた未完なのだ。完成しないのは20世紀文学の宿命か。プルーストもムージルもカフカも未完。『鉛の夜』に使われた部分もある由。この上下を2週間では読めないから、買うしかないな。

岸辺なき流れ 上
ハンス・ヘニー・ヤーン
国書刊行会
2014-05-28


岸辺なき流れ 下
ハンス・ヘニー・ヤーン
国書刊行会
2014-05-28



%本日のグレイトフル・デッド
 08月14日には1971年から1991年まで4本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1971 Berkeley Community Theatre, Berkeley, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。
 アンコールの1曲目〈Johnny B. Goode〉の前にデヴィッド・クロスビーのために〈ハッピー・バースディ〉が演奏された。これと続く〈Uncle John's Band〉の2曲のアンコールにクロスビー参加。
 オープナーの〈Bertha〉が《Huckleberry Jam》のタイトルの1997年の CD でリリースされた。限定2万枚でベイエリア限定販売。1960年代末にアメリカで最初の家出少年少女のための避難所としてオープンされた Huckleberry House の資金援助のためのベネフィットCD。

2. 1979 McNichols Arena, Denver, CO
 火曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。9.35ドル。開演7時。
 第一部6曲目で〈Easy To Love You〉がデビュー。ジョン・ペリィ・バーロゥ作詞、ブレント・ミドランド作曲。1980年09月03日で一度レパートリィから落ち、1990年03月15日に復活して1990年07月06日まで、計45回演奏。スタジオ盤は《Go To Heaven》収録。ミドランドの曲でデッドのレパートリィに入った最初の曲。バーロゥとの共作としても最初。演奏回数では〈Far from Me〉の73回に次ぐ。
 この初演ではウィアがほぼ同時に〈Me and My Uncle〉を始める。ウィアは第二部2曲目〈Ship of Fools〉でも〈Lost Sailor〉を歌いだすので、おそらくは意図的、少なくとも2度目は意図的ではないか、という話もある。
 ショウ全体は良い出来。

3. 1981 Seattle Center Coliseum, Seattle, WA
 金曜日。この日がシアトル、翌日ポートランド、その次の日ユージーンと、北西部3日間の初日。9.50ドル。開演7時。
 第二部で4曲目〈Playing In The Band〉の後の〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉がとんでもなく速かった。

4. 1991 Cal Expo Amphitheatre, Sacramento, CA
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。22.50ドル。開演7時。
 第二部が始まるとともに霧が立ちこめて、そのため第二部は〈Cold Rain And Snow〉〈Box Of Rain〉〈Looks Like Rain〉と続いたので、聴衆は大喜び。さらに〈Crazy Finger〉をはさんで〈Estimated Prophet〉でウィアが "I'll call down thunder and speak the same" と歌うのと同時に、ステージの遙か後方のシエラ・ネヴァダの麓の丘の上で稲妻が光った。(ゆ)

08月13日・土
 Yiyun Li の新作 The Book Of Goose。FSG のニュースレターから PW のレヴューを読む。1996年、中国からアメリカに移住。ウィキペディアに記事があり、邦訳も5冊ある。エリザベス・ボゥエンが書評している第2次大戦後にフランスでいっとき流行った十代の著者による小説の1本に引っかかり、この本にまつわる話をネタとして書いた架空の歴史小説。ボゥエンが評した実在の本の著者の少女は文盲であることが後に判明する。リーの小説ではこれを巧妙にアレンジしている。面白そうだ。完全に第二言語で小説を書く、という点ではコンラッドの後継の一人。ユキミ・オガワもそうだな。

The Book of Goose: A Novel (English Edition)
Li, Yiyun
Farrar, Straus and Giroux
2022-09-20

 

 八木詠美の『空芯手帳』が Diary Of A Void として英訳されたのも PW の starred review にある。原書は筑摩で各国語版の版権がどんどん売れているらしい。いろいろな意味で国境は薄れている。


 
空芯手帳
八木 詠美
筑摩書房
2020-12-02



%本日のグレイトフル・デッド
 08月13日には1966年から1991年まで6本のショウをしている。公式リリースは2本、うち完全版1本。

1. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。共演ジェファーソン・エアプレイン。セット・リスト不明。

2. 1967 West Park, Ann Arbor, MI
 日曜日。午後のショウで、あるいはフリー・コンサートか。詳細、セット・リスト不明。

3. 1975 The Great American Music Hall, San Francisco, CA
 開演9時。この年4本だけ行なったグレイトフル・デッドとしてのショウの3本目。少数の招待客を相手に、翌月リリースの新譜《Blues For Allah》の全曲を演奏した。曲順はアルバム通りではなく、全体に散らされた。〈King Solomon's Marbles〉は第一部クローザー、〈Blues for Allah〉が第二部クローザー。
 全体が《One From The Vault》でリリースされた。このアーカイブ・リリースはショウの全体が丸々公式にリリースされた初めてのもの。
 FM放送されたため、早くからブートレグがあり、テープも広く出回っていた。
 第一部4曲目で〈The Music Never Stopped〉がデビュー。
 バーロゥ&ウィアの曲で、1995年06月28日まで233回演奏。演奏回数順では58位。〈Dark Star〉より3回少なく、〈Dire Wolf〉より6回多い。タイトル通り、デッドの音楽は止まらないことを象徴する1曲で、セットやショウのクローザーまたはオープナーになることが多い。
 デッドの曲はまずライヴでデビューして最低でも1、2年は揉まれてからスタジオ盤に入ることが多いが、これは珍しく、レコードのために書かれている。
 《Blues For Allah》全体が、白紙状態でスタジオに入ってから曲を作るという手法で制作されたので、このアルバムの曲はどれもライヴで練られてはいない。そのせいか、レパートリィに残った曲も他のレコードに比べて少ない。
 オープナーの〈Help on the Way〉はヴォーカル入りではこれが初演。
 ヴェニューは収容人員470のコンサート・ホール。元は1907年に建てられたホールで Blanco's という名称。一時、Misic Box と呼ばれた。1972年、改修されてこの名前になる。ロックだけではなく、ジャズ、フォーク、カントリー、レヴュー、バーレスクなど演し物は幅広い。当初はジャズが多かった。この日デッドとして出る前にガルシアはマール・ソーンダースやリージョン・オヴ・メアリ、ジェリィ・ガルシア・バンドでも出ている。

4. 1979 McNichols Arena, Denver, CO
 月曜日。このヴェニュー2日連続の初日。9.35ドル。開演7時。
 レッド・ロックスで3日間の予定だったが、雨が降りやまず、使えなくなって会場が変更になった。
 アンコール〈Sugar Magnolia〉が2011年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

5. 1987 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO
 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。17ドル。開演7時。
 珍しくもアンコールに3曲。

6. 1991 Cal Expo Amphitheatre, Sacramento, CA
 火曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。22.50ドル。開演7時。
 出来は良いようだ。一度は聴く価値があるとのこと。(ゆ)

08月12日・金
 Penguin の サイトで、Tik Tok 内の #booktok がパンデミックによるロックダウン以後のこの2年で出版界に革命を起こしているということで、フォロワーが多く、投稿も面白い数人の自宅を訪問して本人に会ってみたの記事は面白い。日本語 tik tok ではこういう現象は無いらしい。日本語文学を紹介しているユーザーが出てくる。



 日本語ネイティヴの若者は活字を読まないか。もっとも中年、老人はもっと読まないな。英語ネイティヴの方が活字を読む量が多いのは確か。日本語は漢字かな混じり文で、「絵」としての漢字を拾えば、だいたいの内容はとれる。マンガはこれを拡張したものだ。漢字が絵、かながネームだ。そのせいか、活字中毒者は稀だ。表音文字はとにかく一語一語読まねば意味を取れないから、その文化に育った人は文字を読む癖がつく。活字中毒になりやすい。

 韓国はハングルばかりになって、ほぼ表音文字だけになったわけだが、漢字を使っていた頃に比べて活字を読むようになったのだろうか。

 #booktok に集まり、また発信しているのは女性が圧倒的らしい。ここでも男性は一人だけだ。また #booktok でバズって、ベストセラーとなる本には、多様性をキーワードとするものが多いこともわかる。ここに登場するのにも、ナイジェリア、インド、中東、ソマリアをルーツとする人びとがいる。文化、言語、種族、または LGBT、あるいはそうしたものが混淆したもの、しかもそれらに限られない多様性。彼女たちは発信者だが、同時に #booktok のコミュニティから学ぶことも多いと口をそろえる。自分は多様な本を読むと思っていても、世の中にはさらに多様な書き手、多様な世界があると教えられる。

 読書によって映画や SNS やマンガなどには不可能な体験ができることも繰返し語られる。テレビ画面を見るときには、まずたいていは片手にスマホを持っているが、本を読む時には電話も置き、集中することができる。幼ない頃から転居を、それも国境を超える転居を繰返して、ADHD と診断された人にとって、どっしりと落着いて、安定できる環境を本を読むことは提供する。あるいは、本を読むときには、そこから自分だけの、オリジナルの「映画」を作ることができる。好きなキャストで自分が監督になって、どんな CG でも不可能な映像を思い描くことができる。自分だけが見ることができるし、人が違えば同じ本から違う「映画」が、その人だけの「映画」ができる。それって、魔法と呼んでもいいものじゃないか。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月12日には1966年から1991年まで7本のショウをしている。公式リリースは1本。

1. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
 金曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。共演ジェファーソン・エアプレイン。セット・リスト不明。

2. 1967 Grande Ballroom, Detroit, MI
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。共演 Rationals, Southbound Freeway, Bishops, Ashmollyan Quintet。セット・リスト不明。

3. 1972 Sacramento Memorial Auditorium, Sacramento, CA
 土曜日。前売4.50ドル。開演7時半。
 この年の夏に悪いショウは無し。

4. 1979 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO
 日曜日。9.35ドル。開演7時。この年だけは単独だが、当初3日間の予定だったのが、後の2日は雨で会場が変更になった。こういう屋外のヴェニューでのショウは雨天決行が普通だが、あまりに雨がひどかったらしい。ここでのショウの常として、ごく出来の良いショウのようだ。
 第二部5曲目〈Estimated Prophet〉が《So Many Roads》でリリースされた。
 確かにベスト・ヴァージョンの一つ。間奏のガルシアのギターがまず聴かせる。ウィアが歌をフェイドアウトさせる後ろでミドランドが電子ピアノでぱらぱらと音を散らすようにソロをとり、そのまましばらく続ける。こういう芸当は彼にしかできない。その後を引きとるガルシアに、レシュ、ウィアも加わって、バンド全体のすばらしいジャムになる。《So Many Roads》ではフェイドアウトだが、いずれ全体をリリースしてほしい。

5. 1981 Salt Palace, Salt Lake City, UT
 水曜日。07月14日以来のショウ。夏のツアーのスタート。
 第二部クローザー近く〈Morning Dew〉を歌いながら、ガルシアはずっと涙を流し続けた。頬をつたい落ちる涙が2本の川のようだった。

6. 1987 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。17ドル。開演7時。
 とりわけ第一部の流れが自然なのと、第二部後半に聴き所が多いそうな。

7. 1991 Cal Expo Amphitheatre, Sacramento, CA
 月曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。22.50ドル。開演7時。06月28日以来のショウ。ここで3日間、ショアライン・アンフィシアターで3日間やり、09月初旬から秋のツアーに出る。
 1ヶ月半の間があいた割には、エンジンのかかりは良く、第一部クローザー前の〈Bird Song〉からはすばらしい出来の由。(ゆ)

07月27日・水
 Micheal R. Fletcherがカナダの人だと知って、俄然興味が湧く。GrimDark Magazine が騒いでいるのは知っていたが、いつか読もうのランクだったのだが、ISFDB でふと見ると、オンタリオ出身でトロント在住。となると読んでみたくなる。なにせ、カナダはスティーヴン・エリクソンが出ているし、チャールズ・ド・リントがいるし、ミシェル・ウェスト=ミシェル・サガラもトロントだし、ヴィクトリア・ゴダードもカナダだ。ウェストの先輩筋にあたる Julie E. Czerneda や K. V. Johansen もいる。

 フレッチャーは2015年の Beyond Redemption で彗星のように現れた。

Beyond Redemption
Fletcher, Michael R
Harper Voyager
2015-06-16


 
 1971年生まれだから44歳で、遅咲きの方だ。もっともデビュー作は2年前2013年に 88 という長篇をカナダの小出版社から出している。後2017年に Ghosts Of Tomorrow として出しなおした。スティーム・パンクものらしい。このカヴァーを見ると読みたくなる。

Ghosts of Tomorrow
Fletcher, Michael R.
Michael R. Fletcher
2017-02-19


 
 以来今年05月の An End To Sorrow で長篇9冊。共作が1冊。作品集が1冊。
 以前はオーディオのエンジニアでミキシングや録音の仕事をしていたらしいことは今年01月の "A Letter To The Editor From Michael R Fletcher" に触れられている。これは GrimDark Magazine の Patreon 会員用に約束した短篇をなぜ書けないかの言い訳の手紙で、1篇のホラ話になっている。



 長篇は二部作が二つに三部作が一つ。スタンド・アローンがデビュー作の他に1冊、Beyond Redemption、The Mirror's Truth の二部作と同じ世界の話。この世界では妄想を現実にできる人間がいるが、それができる人間は必ず気が狂っている。こんな世界がロクな世界でないことは当然だが、そこからどんどんとさらに崩壊してゆく世界での権力争いと泥棒たちの野心とそれに巻きこまれる各々にろくでなしだが個性だけは強烈なやつら。まさに grim で dark、凄惨で真暗な世界での、希望とか優しさとかのかけらもない話、らしい。そして、それが面白い、というのだ。
 とまれ、読んでみるしかない。


%本日のグレイトフル・デッド
 07月27日には、1973年から1994年まで、4本のショウをしている。公式リリースは1本。

1. 1973 Grand Prix Racecourse, Watkins Glen, NY
 金曜日。翌日の本番のためのサウンドチェック。ではあるが、すでに来ていた数千人が聴いていたし、2時間以上、計11トラックの完全なテープが残っている。
 "Summer Jam" と名づけられたイベントでオールマン・ブラザーズ・バンド、ザ・バンドとの共演。
 後半の〈Me and My Uncle〉の後のジャムの一部が〈Watkins Glen Soundcheck Jam〉として《So May Roads》でリリースされた。
 本来正式なショウではないが、公式リリースがあるのでリストアップ。
 ワトキンス・グレンはニューヨーク州北部のアップステート、シラキューズから南西に車で130キロの村。この辺りに Finger Lakes と呼ばれる氷河が造った細長い湖が11本南北に並行に並んでいる、その中央に位置する最大のセネカ湖南端。会場となったレース場は NASCAR カップ・シリーズなど、全米的催しの会場。かつてはアメリカの F1 レースの会場でもあった。

2. 1974 Roanoke Civic Center, Roanoke, VA
 土曜日。
 Wall of Sound の夏。全体としては非常に良いショウだが、ところどころ斑の出来ではあるようだ。
 この7月末、25日から1日置きでシカゴ、ヴァージニア、メリーランド、コネティカットと回り、8月上旬フィラデルフィアとニュー・ジャージーで3日連続でやって夏休み。9月はヨーロッパに行き、その後10月下旬ウィンターランドでの5日間になる。

0. 1977 Terrapin Station release
 1977年のこの日、《Terrapin Station》がリリースされた。
 バンド7作目のスタジオ盤。アリスタからの最初のリリース。前作 Grateful Dead Records からの最後のリリース《Steal Your Face》からちょうど1年後。次は翌年11月の《Shakedown Street》。1971年からこの1978年まで、毎年アルバムをリリースしている。
 トラック・リスト。
Side one
1. Estimated Prophet {John Perry Barlow & Bob Weir}; 5:35
2. Dancin' in the Streets {William Stevenson, Marvin Gaye, I.J. Hunter}; 3:30
3. Passenger {Peter Monk & Phil Lesh}; 2:48
4. Samson & Delilah {Trad.}; 3:30
5. Sunrise {Donna Godchaux}; 4:05

Side two
1. Terrapin Part 1
Lady with a Fan {Robert Hunter & Jerry Garcia}; 4:40
Terrapin Station {Robert Hunter & Jerry Garcia}; 1:54
Terrapin {Robert Hunter & Jerry Garcia}; 2:11
Terrapin Transit {Mickey Hart & Bill Kreutzmann}; 1:27
At a Siding {Robert Hunter & Mickey Hart}; 0:55
Terrapin Flyer {Mickey Hart & Bill Kreutzmann}; 3:00
Refrain {Jerry Garcia}; 2:16

 2004年《Beyond Description》収録にあたって、ボーナス・トラックが追加。このアルバムについては録音されながらアルバムに収録されなかったアウトテイクがある。
07. Peggy-O (Traditional) - Instrumental studio outtake, 11/2/76
08. The Ascent (Grateful Dead) - Instrumental studio outtake, 11/2/76
09. Catfish John (McDill / Reynolds) - Studio outtake, Fall 1976
10. Equinox (Lesh) - Studio outtake, 2/17/77
11. Fire On The Mountain (Hart / Hunter) - Studio outtake, Feb 1977
12. Dancin' In The Streets (Stevenson / Gaye / I. Hunter) - Live, 5/8/77

 このアルバムは内容もさることながら、録音のプロセスが重要だ。プロデューサーのキース・オルセンはバンドに対してプロとしての高い水準を要求する。当初の録音に対し、こんなものは使えないとダメを出しつづける。業を煮やしたバンドが、これ以上はできないと言うと、オルセンは答えた。
 「いんや、きみらならもっといいものができる」
 また、スタジオでの時間厳守など、仕事の上でのルールを守ることを徹底する。
 それまで、好きな時に好きなようにやっていたバンドにとってはこれは革命的だった。そうしてリズムをキープし、余分な部分を削ぎおとすことで、音楽の質が上がり、またやっていてより愉しくもなることを実感したのだろう。この録音過程を経て、グレイトフル・デッドはほとんど別のバンドに生まれかわる。1977年がデッドにとって最良の年になるのは、半ばオルセンのおかげだ。それ以前、とりわけ大休止の前に比べて、演奏はよりタイトに、贅肉を削ぎおとしたものになり、ショウ全体の時間も短かくなる一方で内容は充実する。だらだらとやりたいだけやるのではなく、構成を考えたショウになる。シンプルきわまりない音とフレーズの繰返しだけで、おそろしく劇的な展開をする〈Sugaree〉に象徴される、無駄を省いた演奏も、このアルバムの録音ゑ経たおかげだ。
 つまるところ、大休止から復帰後の、デッドのキャリア後半の演奏スタイル、ショウの構成スタイルに決定的な影響を与えたアルバムである。
 一方で仕事をする上でのそうした革新が内容につながるか、というと、そうストレートにいかないのがデッドである。それに、仕上がったものは、バンドの録音にオルセンがオーケストラと合唱をかぶせたため、さらに評価がやりにくくなっている。バンド・メンバーからも批判された。
 まず言えることは、これまでのアルバムの中で、最もヴァラエティに富んでいる。B面はハンター&ガルシアが中心となった組曲〈Terrapin Station〉だが、A面はすべてのトラックで作詞作曲が異なる。しかも珍しくカヴァーを2曲も収めている。
 B面のタイトル・チューンをめぐっては、時間が経って聴いてみると、一瞬ぎょっとするものの、聴いていくうちに、だんだんなじんでくる。アレンジと演奏そのものは質の低いものではない。そして、後にも先にも、デッドの音楽では他には聴けないものだし、ライヴでももちろんありえないフォームだ。オーケストラによるデッド・ナンバーの演奏があたりまえに行われている昨今からすれば、むしろ先駆的な試みであり、デッドの音楽の展開の新たな方向を示唆しているとも言える。
 レパートリィの上では、〈Estimated Prophet〉〈Dancin' in the Streets〉〈Samson And Delilah〉それに〈Terrapin Staiton〉は以後定番となってゆく。

3. 1982 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO
 火曜日。13.75ドル。開演7時半。このヴェニュー3日連続のランの初日。
 お気に入りのヴェニューでノッていたようだ。第二部は〈Playing In The Band〉に始まり、〈Playing In The Band〉に終る。途中にも入る。

4. 1994 Riverport Amphitheater, Maryland Heights, MO
 水曜日。24.50ドル。開演7時。このヴェニュー2日連続の2日目。第一部4曲目〈Black-Throated Wind〉でウィアはアコースティック・ギター。
 開演前にざっと雨が降り、ステージの上に虹が出た。それでオープナーは〈Here Comes Sunshine〉。
 前日よりは良く、第一部の〈Jack-A-Roe〉〈Black-Throated Wind〉、第二部オープナーの〈Box Of Rain〉、クローザー前の〈Days Between〉など、ハイライトもあった。
 ツアーの疲れが一番溜まる時期ではある。(ゆ)

07月26日・火
 ワシーリー・グロスマン『万物は流転する』をみすずが新装復刊したので購入。来月には『人生と運命』も新装復刊されるので、今度はちゃんと買って読む予定。

万物は流転する【新装版】
ワシーリー・グロスマン
みすず書房
2022-06-20


 
 NYRB が出している一連のグロスマンの英訳には Life And Fate も Everything Flows… もちゃんとある。その他に、『人生と運命』の前日譚になる Stalinglad と、時間的にはさらにその前の時期を描いた The People Immortal が出ている。
 Stalinglad は1952年にソ連でロシア語で刊行された同名の書に、未刊行原稿を加えたものらしい。頁数は1,000超えで、Life And Fate よりも厚い。邦訳はされそうにないから、邦訳をひと通り読んでから挑戦してみるか。
 The People Immortal は、どんな手段を使ってでもドイツ軍の前進を止めろと命じられたある部隊の顛末だそうだ。英語版 Wikipedia によれば1943年にモスクワでこれの英訳が出ている。原書はもっと前なのか。
 NYRB版では The Road としてまとめられている中短篇、報道記事、エッセイなどはみすずの2冊の作品集とほぼ重なるようだ。みすずでは後期の『システィーナの聖母』に一部が入っているアルメニアの旅行記が、An Armenian Sketchbook として1冊になっている。
 とまれ、まずは『人生と運命』を読むべし。


%本日のグレイトフル・デッド
 07月26日には1972年から1994年まで、3本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。

1. 1972 Paramount Theatre, Portland, OR
 水曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。
 DeadBase XI の John W. Scott によれば、この年にしては平均的な出来、ということはかなり水準の高いショウになる。3時間半超の長さも、この年では珍しくない。そこには30分を超える〈Dark Star〉も含まれる。
 翌日から2週間夏休みで、08月12日にサクラメントで単発のショウを行い、20日から10月02日までの長い秋のツアーに出る。春のヨーロッパ・ツアーの後で休んでいるので、この年は11月末までほとんど休み無し。

0. 1976 Steal Your Face release
 1976年のこの日《Steal Your Face》がリリースされた。
 バンド5作目のライヴ・アルバム。Grateful Dead Records 最後のリリース。アナログ2枚組に収められた14曲は1974年10月16〜20日のウィンターランドでの連続公演の録音から選ばれた。実際には16日からの収録は無い。各日からの収録曲は以下の通り。

1974-10-17
Casey Jones
It Must Have Been the Roses

1974-10-18
Ship of Fools
Beat It On Down the Line
Sugaree

1974-10-19
Mississippi Half-Step Uptown Toodeloo
Black Throated Wind
U.S. Blues
Big River
El Paso

1974-10-20
Promised Land
Cold Rain and Snow
Around and Around
Stella Blue

 後に同じ公演からの録音としてリリースされた《The Grateful Dead Movie Sound Track》との重複はこのうち17日の〈Casey Jones〉1曲のみ。ただし、GDMST 収録の版は短縮されている。

 アルバムのトラック・リスト。当時のロックのライヴ・アルバムの常で、全体が1本のショウとして聴けるように並べられている。

Side one
1. The Promised Land {Chuck Berry} 3:15 1974-10-20
2. Cold Rain And Snow {Trad.} 5:35 1974-10-20
3. Around And Around {Berry} 5:07 1974-10-20
4. Stella Blue {Robert Hunter & Jerry Garcia} 8:48 1974-10-20

Side two
5. Mississippi Half-Step Uptown Toodeloo {Hunter, Garcia} 8:00 1974-10-19
6. Ship Of Fools {Hunter, Garcia} 6:59 1974-10-18
7. Beat It On Down The Line {Jesse Fuller} 3:22 1974-10-18

Side three
8. Big River {Johnny Cash} 4:53 1974-10-19
9. Black-Throated Wind {John Barlow, Bob Weir} 6:05 1974-10-19
10. U.S. Blues {Hunter, Garcia} 5:18 1974-10-19
11. El Paso {Marty Robbins} 4:15 1974-10-19

Side four
12. Sugaree {Hunter, Garcia} 7:33 1974-10-18
13. It Must Have Been The Roses {Hunter} 5:58 1974-10-17
14. Casey Jones {Hunter, Garcia} 7:02 1974-10-17

 このアルバムはバンド史上最低の内容との評価がほぼ確定していて、後に二つのボックス・セットにアナログ時代の全アルバムがボーナス・トラック付きでまとめられた際にも、これだけは収録されなかった。1989年に初めてCD化され、2004年にリマスター版がリリースされて、音質は改善された。2017年のレコードストア・ディ用に再度リマスターされたアナログ盤がリリースされ、ここで音質はかなり改善された由。

 あたしはこのアルバムをリアルタイムで買った。ちょうどその頃、CSN&Y からアメリカ音楽に目覚め、オールマン、リトル・フィート、ザ・バンドなどを聴きあさっていた頃で、グレイトフル・デッドも聴くべしと、折りしも発売されたばかりの新譜を買った。デッドはこれが初お目見えで、どういうバンドかも、どんなアルバムを出しているのかも、まったく知らなかった。
 何度か聴いたものの、まったく面白くもなんともなく、ロックのライヴ・アルバムにあるまじきやる気の無さが目立つ、ふにゃふにゃとしまりのない演奏ばかりとしか聞えなかった。比較対象となっていたのはオールマンの《フィルモア》であり、CSN&Y の《4 Way Street》であり、ザ・バンドの《Rock Of Ages》であり、ディランの《激しい雨》であり、デイヴ・メイスンの《Certified Live》だった。クリムゾンの《U.S.A.》もあったが、文脈が異なる。
 結局あたしとしては箸にも棒にもかからないものとして、これは棚に眠ることになった。バンドにも見切りをつけ、他のアルバムは買うことも聴くこともなかった。その頃のわが国のラジオではかからなかったし、「ブラックホーク」はじめ、ロック喫茶で聞いた覚えもない。
 アメリカ音楽に自分なりに深入りするにつれて、時にデッドの名前に出逢うこともあり、そう言えばとほんの時偶、数年おきぐらいに引っ張り出して聞いてみるのだが、その度にやはりダメだという結論を確認するだけだった。教えられて《Workingman's Dead》と《American Beauty》の CD は買って聴いてみたものの、《Steal Your Face》の悪印象は強烈で、デッドについての評価を変えるにはいたらなかった。
 近年デッドにはまりこんでから、あらためて最初のリマスター版を聴いてみると、記憶にあるほどひどいとは思わないことを発見した。おそらく、デッドの曲を知り、演奏がどういうものかわかってきているせいだろう。もっともこのアルバムとして聴くよりは、各々のショウの一部として聴いた方が、コンテクストがわかるのでより素直に聴ける気がする。デッドのショウはやはり1本ずつでまとまっている。
 一方でこの選曲は、確かにデッドのレパートリィを代表するものが入ってはいるものの、デッドの音楽の真髄が聴けるかとなると首をかしげてしまう。《Live/Dead》や《Europe '72》に収められたジャム、集団即興のスリルはここには無い。さあ、どうだ、こいつを聴いてみろ、というよりは、恐る恐る出して見ました、という感じだ。Grateful Dead Records はすでに仕舞うことが決まっていて、身が入らなかったのかもしれない。
 アルバムの出来としては、エントリー・ポイントにはなりえないことは確かだ。デッドの音楽に親しんでから、こういうものもあると聴いても遅くはない。


2. 1987 Anaheim Stadium, Anaheim, CA
 日曜日。開演5時。ディランとのツアーの千秋楽。
 第一部、第二部、デッド、第三部デッドをバックにしたディラン。そのデッドのセットの全体が《View From The Vault IV》で DVD と CD でリリースされた。ただし drums> space は DVD では編集されている。
 また、第三部からクローザーの2曲〈Gotta Serve Somebody〉〈All Along The Watchtower〉とアンコールの2曲目〈Knockin' On Heaven's Door〉の3曲が《Dylan & The Dead》でリリースされた。
 ボブ・ディランとのこのツアーは07月04日から26日まで計6本。すべてスタジアムでのショウ。収容人数と入場者数は以下の通り。

04: Sullivan Stadium, Foxborough, MA = 61,000/ 61,000
10: John F. Kennedy Stadium, Philadelphia, PA = 71,097/ 90,000
12: Giants Stadium, East Rutherford, NJ = 71,598/ 71,598
19: Autzen Stadium, Eugene, OR = 40,470/ 40,470
24: Oakland–Alameda County Coliseum, Oakland, CA = 53,354/ 55,000
26: Anaheim Stadium, Anaheim, CA = 47,449/ 50,000
TOTAL 344,968/ 368,068 (94%)

 このうち12、24、26日のショウのデッドのセットの全体と、04日のデッドのセットから1曲が公式にリリースされている。
 《Dylan & The Dead》でリリースされたのは04、19、24、26日のショウからの録音。


3. 1994 Riverport Amphitheater, Maryland Heights, MO
 火曜日。24.50ドル。開演7時。このヴェニュー2日連続の初日。
 古強者のデッドヘッドにとっては我慢ならないほどひどいショウだが、これが初めての新たなファンにとっては最高のショウの1本になる。(ゆ)

07月24日・日
 Washington Post Book Club のニュースレターで紹介されていた Alec Wilkinson, A Divine Language の電子版の無料サンプルを読んで、そのまま購入。



 
 この人はノンフィクションに分類される本を10冊書いていて、これが11冊目。前作 The Ice Balloon は飛行船で北極探索をしようとしたスウェーデン人の話。その前 The Protest Singer はピート・シーガーについての短かい本。その前 The Happiest Man In The World は型破りのホームレス、ポッパ・ニュートリノの「伝記」。デビュー作 Midnight は25歳で就職したマサチューセッツ州ウェルフリート、つまりケープ・コッドの先端から一つ南の町の警察官としての経験を書いたもの。警官になる前はバークレーでロック・ミュージシャンをしていて、ディランのバンマスであるトニィ・ガルニエと一緒にやったこともある。LSD の体験もしている。60年代末の話だ。デッドヘッドではないまでも、デッドを知らないはずはない。
 かれの父親の一番の親友は The New Yorker の小説担当編集を長らく勤め、作家でもある William Maxwell で、父親の頼みで Midnight の原稿を読んでもらえたことから、マクスウェルに「弟子入り」し、The New Yorker で働きはじめる。1952年生まれ。
 ウィリアム・マクスウェルはもう1人のマクスウェル、マクスウェル・パーキンスの次の世代を担った編集者でその担当作家の1人はサリンジャーだった。『ライ麦畑』を書き上げたとき、サリンジャーはマクスウェルの別荘に車を走らせ、そのベランダで夫妻に読んで聞かせた。別荘があったのはケープ・コッドで、それが建つ同じ道沿いの家でウィルキンソンは育った。おかげでかれはウェルフリートの2,000人の住人を知っていた。警官になれたのはそれが理由だ。
 出たばかりの A Divine Language は65歳になったウィルキンソンが一念発起して、数学をモノにしようとする。1年余りのその奮闘の記録、だそうだ。副題に "Learning Algebra, Geometry, and Calculus at the Edge of Old Age"。数学の才に恵まれてシカゴ大学の教授をしている姪の支援を受けながら、若い頃に失敗した数学をイチから学びなおそうとする。高校を卒業できたのは、数学の試験でカンニングをしたおかげだった、という告白からこの本は始まる。老いを感じる時、人は何かを学ぶことで知的衰退を遅らせようとする。新たな言語を学んだり、詩集を1冊暗誦できるようにしたり、という具合だ。ウィルキンソンの場合はなぜか数学だった。それも趣味ではなく、きちんと学問の訓練を受ける形でだ。数学のあのにやにや笑いを吹きとばしてやりたいという一心からである。
 当然、著者は、その本道を学ぶだけでなく、数学を様々な角度から攻めたてる。その歴史、作ってきた人びと、数学者集団の特性、数学と世界の関係。電子版の無料サンプルを読んでいるだけでも、著者の博識には読書欲をかきたてられる。断片が引用される本を次から次へと読みたくなる。
 そしてもちろんここには老いること、困難な課題にくらいついていくこと、そしてこの世界の表に現れない本質的な秩序についての考察が鏤められている。
 この人の文章は一見簡潔でドライだが、ユーモアがこぼれ出る。こぼれ出るのがわかっていて、こぼれ出るのに任せているようだ。あるいは本人にとっては特段ユーモラスなことを書こうとしているわけではなくても、読んでいると思わず腹を抱えて笑ってしまう。読むのがたいへん愉しい。
 というわけで、The Protest Singer と The Happiest Man In The World も注文してしまった。


%本日のグレイトフル・デッド
 07月24日には1987年と1994年の2本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。

1. 1987 Oakland-Alameda County Coliseum Stadium, Oakland, CA
 金曜日。開演7時。ディランとのツアーの一環。
 第一部、第二部がデッド、第三部がデッドをバックにしたディラン。第一部と第二部のデッドのみのセットの全体が《View From The Vault IV》で DVD と CD で別々にリリースされた。DVD の方は第一部5〜7曲目〈Friend Of The Devil〉〈Me And My Uncle> Big River〉が省かれている。
 また第三部5曲目〈I Want You〉が《Dylan & The Dead》でリリースされた。
 見た人によると、最初にディランがソロで数曲やったらしい。
 第3の黄金時代へと向かいはじめている時期で、演奏はすばらしい。第二部はほぼ1本につながった70分。

2. 1994 Soldier Field, Chicago, IL
 日曜日。32.50ドル。開演6時。このヴェニュー2日連続の2日目。トラフィック前座。
 前日に比べると劣るようだ。ガルシアだけが不調というわけではなく、〈It Must Have Been Roses〉ではウィアが二度も歌詞を間違えた。とはいえ、輝きはまだところどころあり、印象に残るショウという人もいる。
 二度、同じところの歌詞を間違えた、ということは、歌詞をいちいち思い出しながら歌っているのではなく、自動的に口をついて出てくるようになっているのだろう。それが何かの拍子に、別の似たフレーズと置き換わってしまうわけだ。
 デッドのレパートリィは少ないときでも50、1980年代には常時100を超え、1987年以降は150曲前後で推移した。これはステージで実際にやった曲を集めて、重複を除いた数だ。デッドは演奏する曲をその都度その場で決めている。ということは150にも及ぶ数の曲はいつ何時でも演奏できたわけだ。動画を見ると初期の頃から歌詞は一切見ていない。150曲の歌詞はすべてアタマにというよりも、カラダに刻みこまれていたわけだ。
 1993年頃になってガルシアが歌詞を忘れたり、間違えたりすることが多くなるのが問題になる。これは動脈硬化で、脳に十分な量の血液が行かなくなるためだと後にわかる。当面、本人の努力でどうなるものでもないから、歌詞を映しだすプロンプターを用意することで解決をはかった。だからここではガルシアが「正しい」歌詞をうたっていて、ウィアの方が違う歌詞を同時にうたってしまった。それも二度も。ウィア自身、自分で自分に呆れはてたとかぶりを振るのが画面に大映しになったそうだ。
 もっとも調子の良い時でも、歌詞のスタンザの順番が入れ替わったり、スタンザの前半が次のスタンザの後半にくっついたり、ということは稀ではない。むしろ、歌詞のまちがいがまったく無いショウの方が少ないと言ってもいい。デッドの場合、調子が良い時には、そういう「ミス」はまったく気にならない。あはは、またやってら、と聴いている方は文字通り笑って許す。ミスが気になるのは、全体の演奏の質がよくないときだ。
 この年の夏のツアーは長く、このショウでは疲れている様子が目立ったらしいが、この後08月04日のジャイアンツ・スタジアムまで、4箇所、7本残っている。(ゆ)

07月22日・金
 3ヶ月半ぶりの床屋。この爽快感はやめられない。夕方、散歩に出て、今年初めて蜩を聞く。

 夜、竹書房編集のMさんから連絡。今月末「オクテイヴィア・E・バトラー『血を分けた子ども』(藤井光訳)刊行記念オンライントークイベント」というオンライン・イベントがあるそうな。

 SFセミナーでもバトラー関連企画があるそうな。もう間に合わんか。
「オクテイヴィア・バトラーが開いた扉」出演:小谷真理 橋本輝幸

 わが国でもじわじわ来てますなあ。あたしが訳した The Parable 二部作は今秋刊行でごんす。皆さま、よしなに。

 それにしても、バトラーさん、出身高校にまでその名前がつけられる今の状況を知れば、墓の下で恥ずかしさに身を縮こませてるんじゃないか。こんなはずではなかったのに、と。なにせ、「血を分けた子ども」がネビュラを獲ったとき、こういうことにならないようにと思ってやってきたのに、と言ったくらいだからねえ。

 とはいえ、彼女の場合、黒人で女性という二重のハンデを筆1本じゃないペン1本だけで克服したわけだから、尊敬されるのも無理はない。それも、今と違ってマイノリティへの差別がまだあたりまえの時代、環境においてだし。まあ、とにかく、あたしらとしてはまずは作品を読むことだな。


%本日のグレイトフル・デッド
 07月22日には1967年から1990年まで4本のショウをしている。公式リリースは2本。

1. 1967 Continental Ballroom, Santa Clara, CA
 土曜日。2.50ドル。このヴェニュー2日連続の2日目。共演サンズ・オヴ・シャンプリン、ザ・フィーニックス、コングレス・オヴ・ワンダーズ。セット・リスト不明。これを見た人の証言は2日間のどちらか不明。

2. 1972 Paramount Northwest Theatre, Seattle, WA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。
 第一部3曲目〈You Win Again〉5曲目〈Bird Song〉11曲目〈Playing In The Band〉、第二部クロージングの3曲〈Morning Dew〉〈Uncle John's Band〉〈One More Saturday Night〉の計6曲が《Download Series, Vol. 10》でリリースされた。
 どれもすばらしい演奏。〈Bird Song〉と〈Playing In The Band〉は成長途中で、中間のジャムがどんどん面白くなっている時期。各々でのジャムのやり方を開発してゆく過程が見える。〈Playing In The Band〉の冒頭、ウィアがドナ・ジーン・ガチョーと紹介する。ドナの参加はまだこれだけ。
 〈Morning Dew〉はこの2曲よりは完成に近づいている。フォーマットはほぼ固まっていて、あとは個々の要素をより深めてゆく。

3. 1984 Ventura County Fairgrounds, Ventura, CA
 日曜日。開演2時。このヴェニュー2日連続の2日目。
 最高のショウの1本の由。

4. 1990 World Music Theatre, Tinley Park, IL
 日曜日。開演7時。このヴェニュー3日連続のランの中日。ティンリー・パークはシカゴ南郊。
 第二部2曲目〈Hey Pocky Way〉の動画が《All The Years Combine Bonus Disc》でリリースされた。
 第一部6曲目〈When I Paint My Masterpiece〉が始まって間もなく、一瞬、電源が切れて、沈黙が支配した。
 その後の第一部クロージングへの3曲がすばらしかったそうだ。(ゆ)

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