クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

カテゴリ: ソフト

 デッドの今年のビッグボックスがようやく発表になる。なぜか、今年の発表は遅れていた。

 《Friend Of The Devils: April 1978》のタイトルのもと、1978-04-06から16までの8本のショウをCD19枚に収める。



 録音は Betty Cantor-Jackson、いつものように Plangent Processes によるテープ修復、速度調整を経て、マスタリングは Jeffrey Norman。ライナーは Steve Silberman。

 発売09月20日。1万セット限定。199.98USD+日本までの送料70USD=269.98USD。

 なお、04-12のデューク大学でのショウは単独でCDとLPがリリースされる。

 収録されるショウは以下の通り。

1978-04-06, Curtis Hixon Convention Hall, Tampa, FL
1978-04-07, Sportatorium, Pembroke Pines, FL
1978-04-08, Veterans Memorial Coliseum, Jacksonville, FL
1978-04-10, Fox Theatre, Atlanta, GA
1978-04-11, Fox Theatre, Atlanta, GA
1978-04-12, Cameron Indoor Stadium, Duke University, Durham, NC
1978-04-14, Cassell Coliseum, Virginia Polytechnic Institute and State University, Blacksburg, VA
1978-04-16, Huntington Civic Center, Huntington, WV

 この年の春のツアーは04-06から24までが第一レグ。05-05から17までが第二レグ。第一レグの14本のショウのうち、04-15と18が Dave's Picks, Vol. 37で、04-22 が Dave's Picks, Vol. 15で、04-24 が Dave's Picks, Vol. 07でそれぞれ完全版が公式リリースされている。04-19と04-21以外はこれで全部リリースされることになる。

 アーカイヴィストでリリース・プロデューサーのデヴィッド・レミューによれば、この第一レグと第二レグの間で、デッドの音楽が変わるという。第一レグまでは前年1977年のデッド、第二レグはよりレイドバックした1978年のデッドになる。

 レミューの Seaside chat によれば、このツアーのポイントは二つ。まずドナ・ジーン・ガチョーの歌唱がピークを迎えている。〈大休止〉からの復帰後のドナの歌には眼を瞠るものがある、そのベストがここで聴ける。中には決定版として、ドナの入ったこれ以外のヴァージョンが想像できないものもある、というレミューの言葉には双手を上げて同意する。〈Cassidy〉〈Looks like rain〉〈Sugar Magnolia〉〈Music never stopped〉〈Dancin' in the street〉〈He's gone〉などなどはこの時期が最高だ。

 もう一つのポイントは Drums、後の Rhythm Devils がここから始まる。ステージ狭しと置かれた打楽器群はどんどん種類が増えてゆき、ドラマーたちは、自分たちだけでなく、他のメンバーやクルーにも演奏に参加するよう誘う。

 テープを聴きだしていて、公式リリースのありがたみは以前ほどではないが、ライナーは魅力だし、やはり音がいいのは嬉しい。テープだと SBD でもあちこち切れたり、まともに音が入ってなかったりするからねえ。

 来年は結成60周年で、特別がいろいろあるらしい。(ゆ)

 スコットランド音楽の「ナショナル」・レーベル Greentrax Records の創設者 Ian D. Green が今月10日に亡くなったそうです。1934年にスコットランド北東部インヴァネスの東の Forres に生まれて、享年90歳でした。死因は公表されていません。



 こんにちのスコットランド音楽の隆盛の少なくとも半分、実質的にはその大部分をグリーンの活動に負うと言って言い過ぎではありません。Greentrax Records が無ければシューグルニフティもピートボッグ・フェアリーズもデビューはずっと遅れたか、あるいはそもそも世に出られたかどうか、あやしいところがあります。Simon Thoumire が Hands Up Trad の追悼記事で書いているように、新人発掘にグリーンは特異な才能を発揮しました。才能ある新人を拾いあげるだけでなく、レコードを出すこととそのプロモーションを通じて確実にかれらの音楽の価値を広めました。ECM のように、Greentrax から出るものならば買って聴く価値があると認められました。

 Greentrax Records からのリリースにもお世話になりましたが、個人的にはグリーンが Greentrax を設立する前からやっていた Discount Folk Records の存在がありがたかったです。スコットランドの伝統音楽やフォーク・ミュージック、フォーク・ロックのレコードを買えるところとして頼りにしていました。むろんネットなどまだ無い頃で、初めの頃はファックスでやりとりしていたと思います。一番最初、1980年代半ばはたぶん手紙だったでしょう。

 一方 Greentrax がリリースするタイトルの幅はひじょうに広く、スコットランド音楽の最先端から、エディンバラ大学スコットランド研究所が出していたアーカイヴ録音のシリーズや、ハイランド・パイプの芸術音楽 piobaireachd ピブロックの名手たちの貴重な音源まで出していました。ケープ・ブレトンはじめ北米のスコットランド系ミュージシャンもいます。グリーンの懐の深さがしのばれます。

 グリーンの職業はエディンバラ警察の警察官でした。1960年代に Edinburgh Police Folk Club を作ったというのもいかにもスコットランドらしいです。さらに Edinburgh Folk Club の創設メンバーであり、スコットランド音楽の雑誌 Sandy Bell’s Broadsheet の編集にも関りました。The Living Tradition はこの雑誌の後継者でありました。ちなみに Sandy Bell はエディンバラの有名な音楽パブで、ここでのライヴを集めたオムニバスも出ています。

 グリーン本人はミュージシャンではなかったそうですが、その貢献はどんなミュージシャンよりも大きいものがあります。スコットランドの音楽を教えてくれた師匠の一人として、感謝をこめて、ご冥福をお祈りします。合掌。(ゆ)

 今年のサマソニのメインの出演者発表、と DM が来る。海外から招聘する22のアクトだそうだ。これまではまったく関心が湧かなかった。そんなものを聴くのに手間暇かけられるか、という反応がせいぜいだった。ところが、今はストリーミングというものがある。簡単に全部聴けてしまう。となると聴きたくなるのが人情というもの。

 え、違う?

 いや、あたしは聴きたくなってしまうのである。とにかく、名前も聞いたことのない人たちである。今売れっ子のはずである。そういう人たちはどんな音楽をやっているのか。来年はいないかもしれないではないか。いなくならないまでも、忘れられている可能性も小さくはなかろう。ここで聴かなければ、いつ聴く。

 というわけで、この22のアクトの、Tidal や Apple Music で一番上に出てきたトラックを聴いてみた。こういうところでトップに出てくるのは、再生回数が一番多い、つまり今一番人気ということだろう。ほとんどは3分前後、長くて5分、一つだけ7分半があったが、ヒットするには長くてはいけないというのは、この百年、変わっていないらしい。

 タイの Bright だけ、Tidal に無かったのは、英語で歌っていないからだろうか。Apple Music では曲名もタイ語表記で、そのままではまるでわからん。

 22の中で面白いと思ったのが2つ。Olivia Dean と Jon Batiste。ディーンは英国、バティストがアメリカ。この2人だけは、やりたい音楽をやっている。他は全部、売りたい音楽をやっている。後者は音楽である前に商品だ。

 もっともどれも商品としては一級である。売るためにカネをかけている。いろいろ工夫もしている。どれもヴォーカルがくっきりしっかり中央前面に据えられていて、インストルメンタルに埋もれることはまったく無い。聴かせたい焦点が明瞭だ。聴いていて不快にはならない。カネをやるからもう一度全部聴けと言われたら、聴いてもいいと思える。カネをもらっても二度と聴きたくないというものも、世の中にはごまんとある。

 工夫の中でおっと思ったのは AJR の〈World’s Smallest Violin〉。短かいフレーズを繰返しながら、ヴァイオリンの音から始めてシームレスにどんどんといろいろな音に変えてゆく。テクノロジーを使うのに想像力を働かせている。ただ、それが売れるための工夫におわり、そこから新しいものが生まれてはいない。あるいは他にもっと展開しているのかもしれないが、そこまで追いかける気にはなれない。

 全体の傾向として、アメリカのアーティストはそれぞれどこか際立って他と違うところがある。他人とは違うことをやろうとしていると見える。あるいは自然に否応なくやってしまう。UK のミュージシャンたちは他人と似ることを気にしない。同じようになるのを避けようとしない。Underworld は他と違うことをやっているようだが、7分半の曲を聴いているうちに気がつくと寝ていた。

 UK の今のジャズはどれもこれもユニークで実に面白いのに、ポップスやロックはどれもこれも似たようなものになるのも、別の意味で面白い。やはりジャズはやりたい音楽なのだ。

 米英以外の、イタリア、ノルウェイ、アイスランド、南アフリカとタイのミュージシャンは、言語も含めてそれぞれのローカルな要素は皆無と言っていい。タイだけはタイ語で歌っているところがローカルだが、それ以外はメロディもアレンジも演奏もすべてアメリカン・スタンダード。近所の中華料理屋の BGM でよくかかっている中国語以外はまったくアメリカのポップスというものと同じ。

 22曲、1時間20分。時にはこういうことをやってみるのも無駄ではない。結論としては、Olivia Dean と Jon Batiste 以外は聴かなくてもいいということだが、それが確認できたのは収獲。とにかく聴いてみないことにはわからんのだから。そりゃ、そういうものだろうという推測はつくが、推測だけで切りすてるのはゴーマンであろう。それにこの2人のような発見もある。

 もう一つ、Yoasobi や Ado のようなものばかりが世界で売れているわけではないこともわかった。その点ではヒット狙いのものは昔からあまり変わっていないようでもある。20世紀末からヒット曲がどれもこれも似たようなものになり、多様性が減ったという調査結果をシカゴ大学が出していたと記憶する。米英以外の地域、文化から出てくるものが、アメリカのヒット曲そっくりというのも、その傾向の現れだろう。

 K-pop は少し違って、音楽とは別の、より土台に近いところのローカル性が現れていると見える。和魂洋才ならぬ韓魂洋才と言ってみるか。とすると、ここに出てくる米英以外の地域出身者たちは、魂までアメリカに売っている。こういう音楽をやるのに、各々の地域でやる必要も必然も無いだろう、とあたしなどには見える。どの地域にも立派に世界に通用するローカル音楽があるのに、と思ってしまうのは、また逆の偏見だろうか。(ゆ)

 今年のグレイトフル・デッドのビッグ・ボックス《Here Comes Sunshine 1973》はパッケージの製造過程でミスがあったらしく、CDPで再生できなかったり、リッピングできなかったりするディスクが続出。大騒ぎになっている。受取ったセットにまったく問題が無かったのは全体の4分の1にすぎない、という集計もある。

 あたしのところに来たのも17枚のうちの半分以上に、何らかの欠陥がある。音飛びや、短いループ、ひどいノイズなど。リッピングしてひっかかったものはCDPでも同じ問題が出る。大きな障碍ではなく、スピーカーでは気づかず、ヘッドフォンやイヤフォンでわかるものもあるが、音楽にひたりきることはできない。盤面はきれいなもので、欠陥があるとはわからない。いわゆるCDのプリント・ミス。販売元の Dead.net のカスタマーサーヴィスに連絡して交換してもらうことになっているが、どうなるか、まだ不明。

 トラブルの形はそれだけではない。厚紙製のパッケージに挿入する際に傷がついたものや、パッケージに使われた接着剤が盤面に付着したものも報告されている。

 メディアとしてのCDに未来はない。製造会社は新規の設備投資はしていないだろうし、人もいなくなっているだろう。CD製造自体台湾や東欧諸国に主力が移っているようでもある。デッドのボックスのCDはワーナー製造で、まだアメリカ国内でやっているとすれば、CD製造インフラの劣化が吹き出したのだろう。もともとアメリカ製CDは質が良くない。ECMはドイツ・プレス、アメリカ・プレス、日本プレスと三種類あり、各々音が違う。ドイツがダントツによく、次が日本。アメリカ・プレスのものは買うなと昔言われた。

 デッドの公式リリースのCDは HDCD だ。通常のCDにハイレゾ音源を入れる技術で、マイクロソフトが特許をもつ。ウィキペディアによれば、「20 – 24bit音源を自然な音質で、なおかつ聴感上のノイズを低下させつつ音量感を伴う音で16bit化し聴取するしくみである。あくまでも16bitのままで音質を改善するためのディザやノイズリダクションの技術セットであり、16bitのデータと隠しコードから20 – 24bitのデータを復元する技術ではない」そうだ。対応するCDPで再生するとハイレゾとして聴ける。非対応のプレーヤーにかけると通常の16/44.1として再生される。デッドのボックスや Dave's Picks のディスクを dbPoweramp など対応するソフトでリッピングすると24/44.1のファイルにできる。HDCDの製造装置やCDP、リッピング・ソフトにライセンス料がかけられると聞いた。

 当然製作の際に通常のCDより複雑な作業になる。設備も通常CD作成用よりも高価で、故障しやすいはずだ。憶測するに、HDCD製造装置が途中から一部に不具合が出たのに気づかなかった、というところか。

 ビッグ・ボックス・セットや Dave's Picks は Dead.net を顔とするデッドの財産管理会社の主な収入源だ。こうしたアーカイヴ音源の公式リリースをつづけているのは、生残りの旧メンバーの収入を支えるためもあるだろう。テープが出回っている、あるいは Internet Archives にデジタル化されたテープ音源がアップロードされていて、ライヴ録音をいつでも聴けるデッドの世界で確実にライヴ音源を売るには、経年劣化したマスター・テープを修復し、きちんとマスタリングし、読みごたえのあるライナーを付けて付加価値のあるパッケージで出す必要がある。HDCDも付加価値の1つだ。

 しかし製造インフラが劣化して商品としてまともなCDが作れないとなると、パッケージで出す以外の方法を考えざるをえないだろう。従来は発売早々に売り切れていた Dave's Picks が、今年に入っていつまでも売れ残っている。パンデミックをきっかけとした送料の大幅なアップで、アメリカ国外への販売が減ったためではないか。この方面でもパッケージ販売は限界にきている。来年の企画はもう動いているので、変化があるとすれば再来年からだろう。(ゆ)


2023-12-23追記
 後日談。Dead.net のサポートから問題のあるCDの写真を送れとの要請。盤面の写真を送る。印刷段階でのミスは見ただけではわからないはずだが、どうやら通販で届いた商品に問題があった場合はとにかく写真を送るよう求めるのがあちらの手順らしい。写真を送ると代替品を送ると連絡があり、やがて写真を送った盤が送られてきた。今回はどれもスムーズにリッピングできて、一件落着。メールの送信と返信の間には時に1週間ぐらいの間があいたし、返信の度に相手の名前は変わったが、無事解決したので、胸をなでおろしたことでありました。

 毎年恒例、11月一杯かけて未発表のライヴ音源を毎日1トラックずつリリースする《30 Days Of Dead》が今年も無事終りました。今年で13年目。来年はあるか、と毎年思いますが、続いてますね。なお、この30本は来年の《30 Days Of Dead》が始まるまで、つまり1031日までダウンロード、またはウエブ・サイト上でストリーミングで聴くことができます。


 2023 年は

1968-12-07, Knights Hall, Bellarmine College, Louisville, KY

から

1994-10-19, Madison Square Garden, New York, NY

までのショウから選ばれています。

 合計9時間7分8秒は2021年の7時間4408秒を大幅に抜いてダントツの歴代トップ。


 昨年以来、1本のショウから複数曲を選ぶ形が増えました。かつては途切れなしに続くものにほぼ限られていたんですが、間が切れているものも選ぶようになりました。今年はむしろ単一の曲の方が少なくなりました。1回の時間も長く、30分超が4日、20分台が6日あります。



 登場したショウの年別本数。

66 0

67 0

68 1

69 1

70 1

71 1

72 0

73 1

74 0

76 2

77 2

78 1

79 3

80 3

81 2

82 0

83 1

84 1

85 1

86 1

87 1

88 0

89 1

90 0

91 2

92 1

93 1

94 1

95 0



 最短のトラック

22 U.S. Blues = 06:24; 1976-06-29, Auditorium Theatre, Chicago, IL


 最長のトラック

24 They Love Each Other; Cassidy; Tennessee Jed; Let It Grow> Don't Ease Me In = 40:55; 1981-11-30, Hara Arena, Dayton, OH


 従来登場した曲とダブったのは7回。

初日 Comes a Time; 1980-08-26, Cleveland Public Auditorium, Cleveland, OH 2019年にも登場。

03日目 Feel Like A Stranger> Bertha; 1994-10-19, Madison Square Garden, New York, NY はこの組合せで昨年登場し、さらに〈Feel Like A Stranger〉はその前年にも登場して3年連続。

04日目 My Brother Esau; High Time; 1987-09-16, Madison Square Garden, New York, NY のうち〈My Brother Esau〉は2021年、〈High Time〉は2019年に既出。

08日目 Scarlet Begonias> Fire On The Mountain; 1980-08-30, The Spectrum, Philadelphia, PA 2011

14日目 Playing In The Band> China Doll; 1983-08-31, Silva Hall, Hult Center for the Performing Arts, Eugene, OR 2021

の各々《30 Days Of Dead》ですでに出ています。

23日目 Space> The Other One> Black Peter> Throwing Stones> Playing In The Band; 1991-03-25, Knickerbocker Arena, Albany, NY のうち後ろの2曲〈Throwing Stones> Playing In The Band〉は2018年、

24日目 They Love Each Other; Cassidy; Tennessee Jed; Let It Grow> Don't Ease Me In; 1981-11-30, Hara Arena, Dayton, OH も後半の2曲〈Let It Grow> Don't Ease Me In〉が2020

の《30 Days Of Dead》で各々登場しています。



 今回初めて録音が《30 Days Of Dead》でリリースされたショウは以下の13本。

1968-12-07, Knights Hall, Bellarmine College, Louisville, KY

1969-10-26, Winterland Arena, San Francisco, CA

1971-03-20, Iowa Fieldhouse, University of Iowa, Iowa City, IA

1973-10-27, State Fair Coliseum, Indianapolis, IN

1977-03-18, Winterland Arena, San Francisco, CA

1979-05-05, Baltimore Civic Center, Baltimore, MD

1979-05-12, Alumni Stadium, University of Massachusetts, Amherst, MA

1979-12-11, Soldier's And Sailors Memorial Hall, Kansas City, KS

1980-12-13, Long Beach Arena, Long Beach, CA

1981-09-30, Playhouse Theatre, Edinburgh, Scotland

1984-06-23, City Island, Harrisburg, PA

1992-06-11, Knickerbocker Arena, Albany, NY

1993-03-09, Rosemont Horizon Arena, Rosemont, IL


 今回は昨年のような計画的なセレクションは見当りません。1969年と1977年、1977年と80年、1985年と86年、1987年と94年、1991年と92年が同じヴェニューであることくらいです。


 登場した楽曲は延63曲。うち2回以上登場は以下の11曲。

Casey Jones

Dark Star

Dire Wolf

Don't Ease Me In

Feel Like A Stranger

High Time

Let It Grow

My Brother Esau

Playing In The Band

Saint Of Circumstance

Uncle John's Band


 うち

Dark Star

Playing In The Band

 は3回登場。


 重複を除いたレパートリィは50曲。

Bertha

Black Peter

Brown-Eyed Women

Casey Jones

Cassidy

China Cat Sunflower

China Doll

Comes a Time

Crazy Fingers

Dark Star

Deal

Dire Wolf

Don't Ease Me In

Estimated Prophet

Feel Like A Stranger

Fire On The Mountain

Foolish Heart

Goin' Down The Road Feeling Bad> Jam

Here Comes Sunshine

He’s Gone

High Time

I Know You Rider

I Need A Miracle

Let It Grow

Loose Lucy

Lost Sailor

Might As Well

My Brother Esau

Never Trust A Woman

New Minglewood Blues

One More Saturday Night

Peggy-O

Picasso Moon

Playing In The Band

Row Jimmy

Saint Of Circumstance

Samson and Delilah

Scarlet Begonias

Shakedown Street

Ship Of Fools

St. Stephen

Sugar Magnolia

Tennessee Jed

The Eleven

The Other One

They Love Each Other

Throwing Stones

U.S. Blues

Uncle John's Band

Victim Or The Crime



 今年も1本ずつ聴いて書いてみるつもりですが、今年はリリースされたトラックに集中してみます。(ゆ)


 昨年11月ひと月かけてリリースされたグレイトフル・デッドの《30 Days Of Dead》を年代を遡る旅も終着点です。17日リリースの 〈Mindbender (Confusion's Prince)〉02:37は 1966-02-06, Northridge Unitarian Church, Los Angeles, CA からのセレクション。この録音は昨年の《30 Days Of Dead》で最も古い日付のものであるだけでなく、知られるかぎり、デッドのショウの録音として最も古いものです。この日のセット・リストとして残っているのは次の通り。

1. Early in the Morning(?)
2. Mindbender 2:37 30 Days 2022
3. See That My Grave Is Kept Clean
4. Beat It On Down The Line
5. The Only Time Is Now (?)

 録音は2013年02月第一週に Dead.net の Jam Of The Week で流されたそうです。

 〈Mindbender (Confusion's Prince)〉はガルシアとレシュの共作とされ、前年11月に録音されたデモが《Birth Of The Dead》に収録されました。記録では1966-01-07に初演。この02-06が2回目、最後は11-29で計4回の演奏。これが全部ではない可能性はありますが、翌年にはすでにレパートリーから落ちていたようでもあります。録音は知られている限りこれが唯一。今後も出てきそうにはありません。

 このショウは Northridge Acid Test と呼ばれます。ヴェニューの教会の Paul Swayer 牧師がデッドを招いたそうです。

 1966年はもちろんデッドが本格的に活動を始めた年。ショウの合計は現在わかっているところで107本。ただし、思いつくとハイト・アシュベリーの家からゴールデン・ゲイト・パークの「パンハンドル」にでかけておこなっていたというフリー・コンサートの大半はこの数には入っていません。ショウのほとんどはカリフォルニア州内、それもサンフランシスコ周辺ですが、7月末から8月初めにかけて初の「海外」公演をヴァンクーヴァーで行っています。また、アシッド・テストのように、コンサート形式ではないものもあります。10月には創業間もない The North Face がサンフランシスコ市内に初めて出したリアル店舗のオープニング・パーティーで「余興」として演奏しています。ノース・フェイス公式サイトの会社の歴史のページに、演奏している髭を剃ったガルシアとウィアの写真があります。

 レパートリィは60曲。ほとんどはカヴァーで、オリジナルは〈Mindbender (Confusion's Prince)〉の他、〈Caution〉と〈Cream Puff War〉。前者はピグペンの作詞、バンドの作曲のクレジット。後者はガルシアの作詞作曲。ピグペンは〈Tastebud〉〈You See A Broken Heart〉も作っていますが、前者は3回、後者は1回演奏されたのみ。オリジナルが花開くには、1968年のロバート・ハンターの参加を待たねばなりません。

 一方、この年にレパートリィに入ったカヴァー曲では〈I Know You Rider〉〈New Minglewood Blues〉〈Cold Rain And Snow〉〈Beat It On Down The Line〉〈Don't Ease Me In〉〈Dancing In The Street〉〈Me And My Uncle〉〈Morning Dew〉が定番として数多く演奏されます。中でも〈Me And My Uncle〉は演奏回数624回で、回数順では第一位です。

 ただ、この年の個々のショウのデータは不明のものが多いです。日付と場所だけはわかっているが、何を演奏したかの記録が無いものが大半です。ショウの録音は例外的で、人びとはまだショウのセット・リストを記録する習慣がありません。レパートリィはですから、これもまた今のところ、わかっているかぎりという条件がつきます。

 この歌はいかにも60年代半ばのヒット狙いの典型に聞こえます。デッドにもこういう曲を作り、演っていた時期があった、というのは時代の趨勢の持つ力の強さの証明でしようか。ここからいかにして脱皮してゆくかが、この時期のデッドを聴く焦点の一つです。

 この録音が面白いのは、当時の習いとして、片方、ここでは左チャンネルにインスト、右にヴォーカルを集めて始まり、コーラスもしていますが、途中からインストと声の片方をセンターにして、ハーモニーが別れて聞こえるようにしているところ。その意図はよくわかりませんが、現場ではこう聞こえていたのか。ステレオとしてはこの方が自然になることはもちろんです。

 なお、センターの声はガルシア、右はレシュに聞こえます。

 昨年の《30 Days Of Dead》を遡る旅も、今年のが始まる前に何とか終えることができて、ほっとしています。むろん、こんなに時間をかけるつもりはなかったので、せいぜいふた月ぐらいでさらっと終わるはずでした。

 長くなったのは、それぞれの曲が含まれるショウの全体の録音を聴きだしたのが大きいです。しかし、実際に全体を聴くと、やはり世界が広がって、格段に面白くなってしまいました。公式で出ておらず、まず出せないと思われるショウにも聴く価値のあるものがあることも改めてわかりました。全体の録音が残っているショウは少なくとも1,000本からありますから、前途遼遠ですが、できる限り聴こうと思っているところです。

 来月11月は《30 Days Of Dead》の月。おそらく今年もやるでしょう。これを道案内に新たな旅に出ることにします。デッドの世界はそういう旅を無数にできるところです。(ゆ)

  昨年11月ひと月かけてリリースされたグレイトフル・デッドの《30 Days Of Dead》を年代を遡りながら聴いています。今回は05日リリースの 1969-10-25, Winterland Arena, San Francisco, CA から〈Dark Star〉22:11。

 この日のショウは同じヴェニュー3日連続の2日目。ジェファーソン・エアプレイン、サンズ・オヴ・シャンプリンとの三本立。三つのバンドのメンバーの顔を散らしたポスターと3ドル50セントのチケットが残っています。初日はエアプレインがトリ、この日はデッドがトリ、3日目もエアプレインがトリだったようです。なお、ポスターには24、25日しか記載がなく、26日日曜日のギグは急遽追加されたらしい。当時のビル・グレアムの興行ではよくあったそうな。

 デッドの演奏として〈Dark Star > St. Stephen > The Eleven > Turn On Your Lovelight〉の60分強のテープが残っています。テープは2本あり、1本では冒頭に〈High Time〉の断片が入っています。〈Dark Star〉以下の4曲のメドレーはこの年の定番で、ほとんど組曲のように何度も演奏されています。

 1969年は60年代デッド、いわゆる原始デッドが頂点に達した年です。146本のショウは30年間の最高記録。レパートリィは97曲。うち3分の2の63曲が初登場。オリジナルは11曲。

Dupree's Diamond Blues; Robert Hunter+Jerry Garcia, 1969, Aoxomoxoa, 78
Doin' That Rag; Robert Hunter+Jerry Garcia, 1969, Aoxomoxoa, 38
Dire Wolf; Robert Hunter+Jerry Garcia, 1970, Workingman’s Dead, 227
High Time; Robert Hunter+Jerry Garcia, 1970, Workingman’s Dead, 133
Casey Jones; Robert Hunter+Jerry Garcia, 1970, Workingman’s Dead, 318
Easy Wind; Robert Hunter+Robert Hunter+1970, Workingman’s Dead, 45
Uncle John's Band; Robert Hunter+Jerry Garcia, 1970, Workingman’s Dead, 335
Cumberland Blues; Robert Hunter+Jerry Garcia & Phil Lesh, 1970, Workingman’s Dead, 226
Black Peter; Robert Hunter+Jerry Garcia, 1970, Workingman’s Dead, 346
Mason's Children; Robert Hunter+Jerry Garcia, Phil Lesh & Bob Weir, (none), 19
New Speedway Boogie; Robert Hunter+Jerry Garcia, 1970, Workingman’s Dead, 55

 カヴァー曲では以下の三つが定番になります。

Mama Tried; Merle Haggard, 307
El Paso; Marty Robbins, 396
Johnny B. Goode; Chuck Berry, 285

 いずれもウィアの持ち歌。

 この年の出来事としては8月のウッドストックと12月のオルタモントが音楽界としては大きいわけですが、どちらもデッドの世界ではほとんど脚注扱いされています。オルタモントでは会場には一度入ったものの、結局演奏はしませんでした。ウッドストックでは、デッドの常として、フェスティバル形式では実力が発揮できず、不本意な出来で、映画にも録音にも収録をことわりました。先年出たウッドストック全公演の録音ボックスに初めて収められました。

 デッドにとっては6月の《Aoxomoxoa》、そして11月の《Live/Dead》のリリースの方が大きい。とりわけ後者で、LP2枚組にわずか7曲という破格の形と、さらに破格のその音楽は、グレイトフル・デッドの音楽を強烈にアピールし、セールスの上でもベストセラーとなり、バンドにとって最初のブレイクとなりました。なお、ここに選ばれた02月27日から03月02日の4日間のフィルモア・ウェストでのショウの完全版が2005年11月に《Fillmore West 1969: The Complete Recordings》としてリリースされています。

 〈Dark Star〉は原始デッドのみならず、デッド全体の象徴のような曲であります。この曲を演奏することでデッドはデッドになっていった、バンドとして独自の性格を育てていった、ということもできましょう。ところがこの曲もライヴ盤以外のアルバム収録がありません。スタジオ・ヴァージョンとしてはシングルのみ。また、「大休止」から復帰後の70年代後半から80年代にかけて演奏回数が極端に少なかったため、全体の演奏回数は235回と、代表曲の割に多くありません。

 ここでの演奏が面白いのは、最初の歌の後のジャムで、二つの曲が同寺に演奏されているように聞えるところ。ガルシアは〈Dark Star〉のソロを弾いているつもりのようで、ウィアとレシュが演っているのは別の曲のようです。それも1曲ではなく、どんどんと変わっていきます。最後には後の〈Eyes Of The World〉のリフを連想させるものまで出てきます。結局ガルシアもそちらに乗り、ジャムは〈Dark Star〉から完全に離れます。こういうところがデッドの面白いところ。しばしジャムを続けてからガルシアがふっと曲の初めにやっていたようなソロにもどり、レシュが追いかけて冒頭のモチーフが出ます。そこからテンポを徐々に落としていって最後に2番の歌詞をガルシアが歌ってコーダ。切れ目無しに〈St. Stephen〉。この頃は通称 "William Tell Bridge" と呼ばれるクラシカルなメロディと雰囲気を持つパートもしっかり歌っていますが、この部分はすでに次の〈The Eleven〉の一部でもあるようです。あるいは、この2曲をつなぐブリッジという位置付けか。実際、後の〈St. Stephen〉では後に〈The Eleven〉が続かず、このブリッジは演奏されなくなります。

 〈The Eleven〉はレシュの曲でもあり、いつもベースが一番元気な曲です。ここでもソロをとり、奔放にあばれ回ります。ガルシアはソロをとっても短く、むしろ決まったフレーズにもどって、フロントはレシュに譲っているけしきです。

 やはりベースの主導で切れ目なく〈Turn On Your Lovelight〉。ここにはスティーヴン・スティルスが参加して、いつもより少しひき締まった演奏になっています。とはいえ、これはじっと耳を傾けるよりは踊るための音楽。もっともデッドは基本的にダンス・バンドではあります。

 なお、Internet Archive に上がっている音源のうち、再生回数のぐんと少ない Charlie Miller ミックスの版の方が音は遙かに良いです。(ゆ)

  昨年11月ひと月かけてリリースされたグレイトフル・デッドの《30 Days Of Dead》を年代を遡りながら聴いています。1970年の2本目、26日リリースの1970-02-28, Family Dog at the Great Highway, San Francisco, CA。

 02月28日のショウからは〈Little Sadie; Black Peter〉12:12 がリリースされました。28日は〈Turn On Your Lovelight〉で始め、〈Me and My Uncle〉〈Cumberland Blues〉までやったところで、楽器をアコースティックに切替え、〈Monkey and The Engineer〉〈Little Sadie; Black Peter〉とやって、〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉からまたエレクトリックにもどります。

 この年は《Workingmans Dead》と《American Beauty》をたて続けに出して、路線転換をやってのけますが、ライヴでは1969年までのピグペン・バンドのレパートリィと1970年以降のガルシア・バンドのレパートリィが混在しています。さらに、スタジオ盤でのアコースティック・サウンドをライヴに持ちこむ試みもしていたわけです。

 なお、このショウの録音として Internet Archive に上がっているものは SBD 1本だけです。セット・リストでは〈Big Boss Man〉の次に〈Casey Jones〉をやりかけ、またアンコールとして〈Uncle John's Band〉が演奏されたとされていますが、ともにテープには入っていません。

 この時期は60年代のいわゆる「原始デッド」、ピグペンをフロントとし、レシュが仕切る形のバンドと、70年代のガルシアとウィアを核とするバンドが混在しますが、このショウは前半と後半がはっきりと二つのバンドに別れます。まるで、別々のバンドが対バンでもしているようです。

 オープナーこそ〈Turn On Your Lovelight〉ですが、ここでもかつてのようにピグペンがそのヴォーカルとおしゃべりで圧倒するというよりもガルシアのソロが目立ちます。ガルシアはこの頃から多様なフレーズをくり出すようになり、ガルシア一流のギター・ソロを展開しはじめます。ロックのリード・ギターというよりもジャズのインプロに近い、けれども徹底して流動性を求める点で完全にジャズと言い切れない演奏です。デッドの音楽はフリーであることからも自由であろうとします。ここではガルシアのスイッチが「オン」になったまま切れなくなってしまったようでもあり、いつまでもギターを弾きつづけ、ついにピグペンが根負けします。

 このガルシアのギターのスイッチは次の〈Me and My Uncle〉でも〈Cumberland Blues〉でも落ちません。

 そしてその後は〈Dire Wolf〉まで《Workingmans Dead》以降のレパートリィと演奏が続きます。そして今回リリースされたアコースティックの演奏まで試みます。このアコースティック3曲は事実上、ガルシアとウィアのデュオでの演奏です。この3曲は10年後のサンフランシスコとニューヨークでのレジデンス公演でのアコースティック・パートでも演奏されます。〈Black Peter〉は歌唱では翌日のエレクトリック・ヴァージョンよりもパワフルですが、全体としてピーターはずっと弱気で、一人で奮闘しています。

 ガルシアがエレクトリックに戻るよと宣言して始まる〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉でも、ガルシアのギターが切れに切れます。〈High Time〉では一転してじっくりと歌を聴かせ、〈Dire Wolf〉ではさらにシリアスから一転しておとぼけに徹する。ここまでガルシアの持ち歌が続きます。

 そして、ここでもう一度一転して今度はピグペンの持ち歌を続け、空気はすっかり原始デッドで終りまで突っ走ります。この転換はあっさりとごくあたりまえに行われるので、一瞬、何が起きたのかわからなくなります。ガルシアのギターもすっかり60年代のスタイルにもどります。

 〈Good Lovin'〉と〈The Other One〉の前にドラムスのソロが各々あります。前者はクロイツマン中心、後者はハート中心に聞えます。

 〈The Other One〉はこの日は前後の〈Cryptical Envelopment〉が省略されます。翌日はまた戻るので、あるいはショウの流れとして〈Alligator〉の後に〈Cryptical Envelopment〉をもってくる気分になれなかっただけかもしれません。いきなりのせいか、この〈The Other One〉はむしろゆっくりとガルシアが独りでぽつんぽつんと始めて、ベースは後から加わります。進むにつれてだんだん熱が入ってきて、スピードも出て、歌の2番に突入。終ったとたんに〈Mason's Children〉。この歌の最後の演奏です。こうして今聴くと、これがレパートリィから落ちるのもむべなるかなと思えてきます。終始コーラスで唄われますが、60年代のコーラスで、CSN&Y の衝撃を消化した70年代のコーラスはやはり一線を画しています。ここでのガルシアのソロはどちらかというと70年代的。切れ目なく〈Turn On Your Lovelight〉ですが、こちらは曲の後半。後に〈Playing In The Band〉がやはり曲のコーダに回帰するフレーズの前で他の曲に移り、時にはショウの第二部全体をはさみこんでから回帰する形になっていきますが、その原型をここでやっていたわけです。

 このショウの後半、ピグペンはおそらくステージ中央に仁王立ちで、場内を支配していたのでしょう。ただ、音として聴くかぎりは衰えは聴きのがせません。あるいはこうしたピグペンのパフォーマーとしての衰えも、バンドの変身を促した要因の一つとも思えてきます。

 こうして見ると、この年のデッドは二つのバンドを同時に抱えていたので、休む間もなくショウを続けていたのも、その二つのせめぎあいに駆りたてられていたのかもしれません。(ゆ)

  昨年11月ひと月かけてリリースされたグレイトフル・デッドの《30 Days Of Dead》を年代を遡りながら聴いています。今回は1970年ですが、この年は2本のショウから選曲されています。同じヴェニューでの三連荘の2日目と3日目、26日リリースの1970-02-28と30日、最終日リリースの 03-01。場所は Family Dog at the Great Highway, San Francisco, CA。

 02月28日のショウからは〈Little Sadie; Black Peter〉12:12、03月01日のショウからは〈That's It For The Other One> Black Peter〉34:08。

 この金土日の3日間は Commander Cody & His Lost Planet Airmen が前座。料金は3ドル50セント。仰向けに寝ている骸骨に若い女性がまたがった図柄のポスターが残っています。娘の姿は透けているようでもあります。

 まずこのヴェニューが面白い。Family Dog はチェット・ヘルムズが率いたグループで、デッドなどの当時のサンフランシスコ・ロックにのせて踊るイベントを企画していました。当初はアヴァロン・ボールルームをベースにしていましたが、そこの賃貸契約が切れたために、海岸沿いにあった遊園地の中のこの建物を借りて "Family Dog at the Great Highway" と名付けます。建物自体は1880年代に建てられて、かなり老朽化していたようです。1969-06-13にジェファーソン・エアプレインで柿落し。1970年07月に閉じます。デッドはここで12回演奏しています。

 この頃のショウは後の二部構成ではなく、一本勝負で、アンコールが複数で長くなることもありました。28日、01日はどちらも2時間前後のテープが残っています。

 01日は〈New Speedway Boogie〉のテーマでジャムを始め、〈Casey Jones〉でスタートして7曲目の〈That's It For The Other One> Black Peter〉は最初のヤマです。34:08はこの年の《30 Days Of Dead》2番目の長さ。

 〈That's It For The Other One〉は1967-10-22初演で、〈Cryptical Envelopment〉をイントロとし、drums のブレイクが入って〈The Other One〉に展開、再び〈Cryptical Envelopment〉にもどる組曲です。真ん中の〈The Other One〉だけでなく、後ろの〈Cryptical Envelopment〉でもジャムになることがよくあります。ここでの演奏もその形。演奏回数を重ねるにつれて、イントロの〈Cryptical Envelopment〉が省略されるようになり、さらに後ろも消えて、1971-04-28から〈The Other One〉のみ独立します。

 なお03-01はアンコールの1曲目〈Uncle John's Band〉が2014年の《30 Days Of Dead》でリリースされています。

 1970年のショウの数は計142本。前年1969年に次ぐ2番目。正月2日にニューヨークのフィルモアで始動してから大晦日のウィンターランドまで、ほとんど休みらしい休みもなく、働いています。レパートリィは119曲。初登場の曲は28、うちオリジナルは12。

Dark Hollow;Trad. / Bill Browning, (none), 34
Friend Of The Devil; Robert Hunter, Jerry Garcia & John Dawson, 1970b, American Beauty, 311
Candyman; Robert Hunter & Jerry Garcia, 1970b, American Beauty, 281
It's A Man's, Man's, Man's World; James Brown & Betty Newsome, (none), 11
Roberta; Trad. / Leadbelly, (none), 2
Flood; unknown, (none), 1
Walk Down The Street; unknown, (none), 1
She's Mine; Lightnin' Hopkins, (none), 3
Cold Jordan; Trad., (none), 13
The Frozen Logger; James Stevens & Ivar Haglund, (none), 8
Attics Of My Life; Robert Hunter & Jerry Garcia, 1970b, American Beauty, 53
Nobody's Fault But Mine; , Trad., (none), 35
A Voice From On High; Bill Monroe & Bessie Lee Mauldin, (none), 4
Sugar Magnolia; Robert Hunter & Bob Weir, 1970b, American Beauty, 601
Big Railroad Blues; Noah Lewis, (1971, Grateful Dead=Skull & Roses), 175
Rosalie McFall; Charlie Monroe, (none), 18
To Lay Me Down; Robert Hunter & Jerry Garcia, 1972, Garcia (JG), 64
Truckin'; Robert Hunter, Jerry Garcia, Phil Lesh & Bob Weir, 1970b, American Beauty, 527
Brokedown Palace; Robert Hunter & Jerry Garcia, 1970b, American Beauty, 220
Ripple; Robert Hunter & Jerry Garcia, 1970b, American Beauty, 41
Operator; Ron McKernan, 1970b, American Beauty, 4
Box Of Rain; Robert Hunter & Phil Lesh, 1970b, American Beauty, 160
Till The Morning Comes; Robert Hunter & Jerry Garcia, 1970b, American Beauty, 6
Goin’ Down The Road Feeling Bad; Trad., (none), 298
Me And Bobby McGee; Kris Kristofferson & Fred Foster, (none), 118
Around And Around; Chuck Berry, (none), 420
La Bamba; Trad., (none), 5
Bertha; Robert Hunter & Jerry Garcia, (1971, Grateful Dead=Skull & Roses), 403
Bird Song; Robert Hunter & Jerry Garcia, Garcia (1972), 300

 オリジナルのほとんどはハンター&ガルシアの曲ですが、ハンターとレシュ、ウィア、そしてハンターの詞にガルシア、レシュ、ウィアが曲のクレジットに名を連ねたものが1曲ずつあります。ハンター&レシュの〈Box of Rain〉はハンターの詩集のタイトルにも採用されました。レシュの持ち歌として、一時レパートリィから落ちますが、後復活し、最後まで演奏されます。ハンター&ウィアの〈Sugar Magnolia〉は定番中の定番として、演奏回数は600回超。ハンターと3人の作になる〈Truckin'〉も500回を超える演奏回数です。

 1970年は以後のバンドの方向性を決める重要なできごとがいくつも起きた年です。1960年代を大いなる助走として、ここから本格的な活動に入ったと見ることもできましょう。

 まずは人事面。オルタモントの悲劇の後、その責任を負わされる形でローリング・ストーンズのロード・マネージャーをクビになった Sam Cutler をデッドはロード・マネージャーとして雇います。カトラーは優秀で、ショウからの収入をしっかり確保して、財政を大いにうるおします。1972年のヨーロッパ・ツアー実現にはイングランド人であるカトラーの尽力が大きい。最初のロンドン公演の録音冒頭でバンドを紹介するカトラーの声は疲れきっています。

 もう一つのできごとは弁護士のハル・カントと契約したこと。カントも優秀な弁護士で、また音楽面でのクライアントをデッドだけに限りました。デッドはカントに窮地を何度も救われることになります。

 また、この年、デッドの楽曲の著作権管理のため Ice Nine Publishing を設立します。

 プラスもあればマイナスもあります。03月、マネージャーだったレニー・ハートが巨額の使いこみをした挙句、大金をもって逐電します。このことでレニーの息子のミッキーは当然ながらたいへんなショックを受け、落ちこみ、翌年02月18日にバンドを離れる羽目に追いこまれました。

 バンド・メンバーにはまだ変化があります。01月30日のニューオーリンズでのショウを最後にトム・コンスタンティンがバンドを離れました。コンスタンティン自身はミュージシャンとして優れていたようですが、デッドの音楽にはついに完全に溶けこむことができませんでした。もっとも、DeadBase にかれが寄稿した記事は、当時のバンドの様子、とりわけツアー中の舞台裏やホテルでの生態を活き活きと伝えています。

 4月に《Workingmans Dead》を録音して、5月にリリース。8〜9月に《American Beauty》を録音して11月にリリースします。

 5月には初めて海を渡り、イングランドでショウをおこないます。後のヨーロッパ・ツアーへの布石の一つになりました。

 とはいえ、音楽面でこの年最も重要で、後々のバンドに長く影響を与えたできごとは、6月末から7月初めに参加した Trans Continental Pop Festival、通称 Festival Express です。これについてはドキュメンタリーの DVD も出ており、様々なところでとりあげられています。デッドに関して言えば、ひとつにはジャムに対する考え方を広げたと思われます。もう一つは〈Goin' Down the Road Feeling Bad〉をデラニー・ボニーから習ったこと。この曲は以後定番として最後まで300回近く演奏されました。

 しかし、この列車の仲間でもあったジャニス・ジョプリンは10月04日に世を去ります。その晩デッドはジェファーソン・エアプレインとの対バンをウィンターランドでしていました。ハンター&ガルシアはジャニスを悼み、〈Bird Song〉を作りました。〈Bertha〉と共に、12月15日にデヴィッド・クロスビー、ガルシア、レシュ、ハートのメンバーで The Matrix で行ったショウでデビューします。

 03月01日のショウのテープでは、まず〈New Speedway Boogie〉のテーマで遊んでいるバンドが捉えられています。Internet Archive にある SBD でも、これと正式なオープナーの〈Casey Jones〉は AUD で、客席でもステージを見ながら皆笑っています。3曲目の〈Big Boy Pete〉のイントロの途中で SBD に切り替わります。

 この〈Casey Jones〉はこういう位置で演奏されるのにふさわしく、まだテンポが段々速くなりません。リピートの部分でも終始同じテンポで、繰返しの回数も多くありません。とはいえ、力の籠もった演奏です。デビューしたての頃のある曲の演奏は後の形に比べると通常よりシンプルですが、だからといってつまらないわけではなく、その時期なりの聴きごたえがあります。そのことは〈Playing In The Band〉のように極端に形が変わる曲でもあてはまります。この曲は当初、5分ほどで終り、ガルシアのソロもほとんどありませんが、それでもその形でやはり聴いて面白いのです。

 ドン&デューイがオリジナルの〈Big Boy Pete〉はリード・ヴォーカルはピグペンですが、むしろコーラスの方が目立つ曲。ここを始め、後の〈I Know You Rider〉や〈Uncle John's Band〉でも、コーラスのハーモニーが決まっています。

 続く〈Morning Dew〉も初期形で、ガルシアはあまりソロを弾かず、むしろヴォーカルで聴かせます。デッドをやる以前のフォーク・シンガーの谺が聞えます。ガルシアがかなりシリアスに唄うのを受けてピグペンが一転、とぼけた味を効かせるのが〈Hard to Handle〉。ピグペンもむしろこういうとぼけた、真面目なのか、不真面目なのか、よくわからない、あるいは両方半々ずつ入っているような歌唱が身上でしょう。続いてウィアが〈Me And My Uncle〉をていねいに歌います。とりわけテンポがゆっくりなわけではありませんが、歌に余裕があります。ガルシアも良いソロを聴かせていい調子ですが、コーダでいきなりテープがちょん切れます。

 そして今回の〈That's It for the Other One〉。これもどちらかというとゆったりした入り。とはいえ、イントロとして〈Cryptical Envelopment〉に続いてドラムス二人の演奏のうちにじわじわと緊張感が高まってきて、駆けあがるベースとともに〈The Other One〉が爆発すると、これは原始デッド真只中。全力疾走するガルシアのギターにレシュのベースが執拗にからみつき、螺旋を描く二人に他のメンバーも負けじと追いすがる。やがて、ガルシアとレシュの美しいデュエットに収斂したと思うと、再び走りだす。ひとしきり走ってメインのモチーフが出て、ウィアが2番を歌い、おさめたところでガルシアが〈Cryptical Envelopment〉を歌いだして、そのままジャム。ここはほとんどフォービートに聞えるところもあり、ガルシアのギターもジャズに踏みこんでます。後に〈The Other One〉だけ独立すると、この部分が落ちてしまうのは惜しい。ジャムがゆっくりと終るのと間髪を入れずに〈Black Peter〉。

 これもいいヴァージョンですねえ。ガルシアのヴォーカルは粘りに粘り、このピーターはとても死にそうにありません。

 〈Beat It On Down The Line〉の冒頭は12発。初めの頃は2、3回のあっさりしたものでしたが、かなり増えてきました。ウィアの歌い方はいい具合にルーズですが、こういう力の抜け方がOKなのもデッドならではと言えそうです。〈Dire Wolf〉もとぼけた歌のとぼけた演奏で、歌詞だけ見ると、「殺さないでくれよ」と懇願していますが、実際の演奏にはそんな深刻さはありません。もっともそのそらとぼけたところに、生々しい恐怖感が隠されてもいるようです。

 〈Good Lovin'〉が始まった途端、時代は60年代、原始デッドの瑞々しさと禍々しさが同居した世界に突入します。ギターとベースのユニゾンがその呼び水。それが〈Cumberland Blues〉でまたフォーク調にもどり、〈I'm a King Bee〉でさらに再びピグペンの支配するブルーズの世界に返る、というこの大きな振幅こそはこの時期の醍醐味です。そして締め括りは〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉。ガルシアは歌もギターも尻上がりに良くなっています。

 アンコール1曲目、UJB はこの歌の最も遅いヴァージョン。あるいはいろいろなテンポで演奏してみて、最適なものを探していたのかもしれません。ここでは前半はドラムレスでギロを使い、ギターもアコースティックな響きで終始します。ハーモニー・コーラスも決まっています。その背後には CSN&Y の大成功があるわけですが、かれらほど声の質が合ってはいなかったデッドでも、ライヴでしっかり決めていたことがわかります。"Take Children home" のあとのリフからインストルメンタルになり、ドラムスとベースも加わり、ガルシアもギターを展開。このセミ・アコースティックからエレクトリックへの移行は試行錯誤の一環かもしれませんが、カッコいい。これも名演ですが、このメロディでダメな演奏ができるのかとも思ってしまいます。最近もジョン・スコフィールドがギター、ベース、ドラムスのトリオでカヴァーしてます。おまけにこの2枚組新作CDのタイトルにこの曲を選んでました。

  アンコールの後ろの2曲は SBD がなく、AUD になります。〈Dancing In The Street〉では途中テープがよれていますし、最後の〈It's All Over Now, Baby Blue〉は末尾で録音がちょん切れます。それでも前者でのガルシアのギターは出色で、この歌のソロとしてはベストの一つ。音質は落ちますが、聴く価値はあります。後者でもガルシアのヴォーカルが聞き物で、この時期、うたい手としてはガルシアに一日の長があります。(ゆ)

 アマゾンがデスクトップ版の Kindle for Mac を新版にした。従来のものは Kindle Classic と呼んで、間もなく使用できなくするらしい。この新版はアマゾンで買ったもの以外の mobi ファイルを受けつけない。アマゾン以外で買ったり、ダウンロードしたりした Kindle 本もかなりな数あるが、それらは認識しない。新しい本は Send to Kindle を使えとあるのだが、使おうとすると、これまでは問題なく Kindle で読めていた本が、このフォーマットはサポートしていません、と出る。デスクトップ版でこういう態度に出たということは、iPad OS、iOS 用でも同様だろう。

 そこで一度試したもののユーザー・インターフェイスが気に入らなくてお蔵入りさせていた Calibre をひっぱり出した。新しくなっていて、UI もだいぶマシになった。それよりもこれは mobi を epub に変換できるはずだ。試しにやってみると、Lo and behold!、みごとに変換してくれる。変換は MacBook Air (M1) でやるが、「ブック」で一度開けば、iPad mini でも iPhone でも開ける。よしよし、アマゾンが自社以外で入手した電子本は占めだすというのなら、mobi ファイルで持っている本は全部 epub に変換して読もう。

 電子本のメリットはいろいろあるが、配布元の意向次第で読めなくなるのは問題だ。だからできるかぎり紙の本を買うのだが、それができなくなりつつある。洋書の話だ。

 どうしても新刊で欲しいものは別として、従来洋書は一番安い版を探して買っていた。ほとんどは BookFinder で検索して一番安いもの、たいていは古書を買っていた。その方が電子版より安かった。それがパンデミックによって送料が上がり、さらに円安である。送料含めて1冊2,000円を切るのは稀だ。こうなると電子版より高いことが増える。

 新刊は完全に電子本の方が安い。しかし小説はともかく、ノンフィクション類で図版や写真が入っているものは電子版では見にくい。小説でも地図が重要なファンタジーはできるだけ紙で欲しい。地図だけ別にウエブ・サイトなどで公開してくれている人もいるが、まだ少ない。

 電子本は好きではない。上記以外にも、まず画面で読むのが眼に辛い。国籍で買えないことがある。人に貸したり、あげたりできない。読むのにツールと電気が要る。

 買うときは Apple Bookstore、Kindle ストア、楽天 kobo ストアで探し、一番安いものを買っていた。しかし、今後は Kindle はそれ以外には無い場合のみ買うことになるだろう。

 電子本を読むのはもっぱら iPad mini である。重さ、サイズがちょうどいい。そして、すべての電子本が読める。ePub のみならず、mobi も、kobo もアプリを入れればそのまま読める。

 iPhone は画面が小さすぎて、長時間見ていると頭が痛くなる。スマホがデフォルトなのだろうか、ゲームも映画もスマホで見ている人も巷にはかなりいるが、ああいうマネはとてもできない。

 すべての本に電子版があるわけでもない。電子版が出ているのは今世紀に入ってからの本か、古くて著作権が切れたタイトルのどちらかだ。20世紀後半に出た書物の電子化が少ない。古典と目される作品は電子化されていても、ちょっと外れるとダメだ。安田均さんは1960年代、70年代のSFペーパーバックは日本で一番集めたと思うと言っていた。宝物だ。

 雑誌はまた話が別だ。雑誌掲載のみで単行本化されていない中短篇は厖大だ。今世紀初めまでの雑誌は紙のバックナンバーを読むしかない。古書市場に出てこないものもある。古い雑誌に載った小説の著作権はもともと電子化は含まれていないし、著者にもどっているのが普通だし、物故者も増えてくるから、電子化はこれからも進まないだろう。

 何らかの形で単行本化されるものは氷山の一角に過ぎない。そして雑誌初出でしか読めない作品にも、忘れさられるままにするのはもったいないものがたくさんある。SFFのようなエンタテインメント系の作家の中短篇を網羅した全集が出ることは例外に属する。C・M・コーンブルースやジュディス・メリル、トム・リーミィやウォルター・M・ミラー・ジュニアのような作品数の少ない書き手は別として、ディックやスタージョン、セラズニィにシェクリイぐらいだ。シルヴァーバーグは初期に書きまくったものは選集になっている。ルグィンは進行中。アンダースンは中断している。ある作家の全作品を読もうとすれば、ほとんどは雑誌掲載のものを1本ずつあたるしかない。

 F&SF誌は定期購読をやめたことがないから、30年分はある。Asimov's も創刊から数年分はある。死んだ時、こいつらをゴミにするのはもったいないが、どこか、もらってくれるところはあるだろうか。

 電子本のメリットにはもう1つあると最近気付いた。やたらに本を買いこんで積読を増やすことが減った。なくなったわけではないけれど、ブツを買うのは今年に入って激減した。電子本が出ていれば、手許に置いておく必要がないからだ。読みたいときに買える。今のところはではあるが。洋書は買わなくては読めない。だから、とにかく手許に置いておかなくてはという心理も働いて、読めるはずがない量の本を買いこんでいた。その分が大幅に減った。ちょっと寂しくはあるが、やはり良いことではある。(ゆ)

 昨年11月ひと月かけてリリースされたグレイトフル・デッドの《30 Days Of Dead》を年代を遡りながら聴いています。今回は10日リリースの 1971-04-14, Davis Gym, Bucknell University, Lewisburg, PA から第二部オープナー〈Bird Song〉。

 このショウからは第一部9、10曲目の〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉が2012年の《30 Days Of Dead》でリリースされています。

 1971年のショウは計82本。レパートリィは90曲。新曲は18曲。以下、タイトル、作詞・作曲, 収録アルバム、演奏回数。

Wharf Rat; Robert Hunter & Jerry Garcia, (1971, Grateful Dead), 398
Loser; Robert Hunter & Jerry Garcia, 1972, Garcia (JG), 352
Greatest Story Ever Told; Robert Hunter & Bob Weir, 1972, Ace (BW), 281
Deal; Robert Hunter & Jerry Garcia, 1972, Garcia (JG), 427
Bird Song; Robert Hunter & Jerry Garcia, 1972, Garcia, 300
Sing Me Back Home; Merle Haggard, (none), 41
Oh Boy; Sonny West, Bill Tilghman & Norman Petty, (none), 6
I Second That Emotion; William Robinson / Al Cleveland, (none), 8
The Promised Land, Chuck Berry, (none), 434
Sugaree; Robert Hunter & Jerry Garcia, 1972, Garcia (JG), 362
Mr. Charlie; Robert Hunter & Ron McKernan, (none), 50
Empty Pages; Ron McKernan, 2
Jack Straw; Robert Hunter & Bob Weir, (1972, Europe ’72), 478
Mexicali Blues; John Perry Barlow & Bob Weir, 1972, Ace (BW), 443
Tennessee Jed; Robert Hunter & Jerry Garcia, (1972, Europe ’72), 437
Brown-Eyed Women; Robert Hunter & Jerry Garcia, (1972, Europe ’72), 345
One More Saturday Night; Bob Weir, 1972, Ace (BW), 341
Ramble On Rose; Robert Hunter & Jerry Garcia, (1972, Europe ’72), 319
Comes A Time; Robert Hunter & Jerry Garcia, 1976, Reflections (JG), 66
You Win Again; Hank Williams, (none), 25
Run Rudolph Run; Marvin Brodie & Johnny Marks, 7
Big River, Johnny Cash, (none), 399
The Same Thing; Willie Dixon, (none), 40
Chinatown Shuffle; Ron McKernan, (none), 28

 行末の演奏回数で、その曲の定番度がわかります。

 〈One More Saturday Night〉はもともとはロバート・ハンターの作詞でしたが、ウィアが歌う際に歌詞を勝手に変えたことにハンターが怒り、自分はこの歌とは一切無関係としたため、クレジットはウィア単独になっています。また、このことをきっかけにハンターはウィアとの共作も拒否し、替わりにその場にいたジョン・ペリィ・バーロゥをウィアの作詞家に指名しました。この年2月のことです。バーロゥは普通の高校からはじき出された生徒を受け入れるコロラドの高校でウィアと同窓で、デッド・ファミリーの一員として楽屋などにも出入りしていました。このペアの最初の作品が〈Mexicali Blues〉です。かくて、ハンター&ガルシアに加えて、もう一組、曲作りのペアが生まれて、デッドを貫く「双極の原理」がここにも見られます。

 〈Wharf Rat〉〈Jack Straw〉〈Tennessee Jed〉〈Brown-Eyed Women〉〈Ramble On Rose〉(加えて前年末デビューの〈Bertha〉)はどれも演奏回数400回300回を超える定番中の定番曲ですが、ご覧の通り、スタジオ録音が存在しません。初出のアルバムはいずれもライヴ盤です。スタジオ版が無いことを作詞者のハンターは気にしていたそうですが、今から振返ると、これまたいかにもデッドらしい現象に見えます。つまり、たとえある曲にスタジオ録音が存在するにしても、それらが「正式版」というわけでもないことを示唆します。

 スタジオ盤はレストランに置いてある料理見本の蝋細工、というと言過ぎでしょうか。蝋細工は食べられませんが、スタジオ盤はとにかく聴けますし、その音楽の質は悪いものではない。けれどもライヴでの演奏に比べてしまうと、たとえそれがあまり良いとはいえないライヴ演奏であっても、蝋細工を食べているような味気ないものに聴こえます。スタジオ録音は整いすぎている、あるいはきつちり整っていることはデッドらしくないと聴こえます。

 デッドのライヴ音源を聴きつづけていると、妙なことが起こります。歌詞を忘れ、あるいは歌に入りそこない、チューニングが狂い、ミスが連続しても、そうしたマイナス要素も全部ひっくるめて、デッドのライヴを味わうようになります。他のバンドやジャンルだったらぶち壊しになるようなマイナス要素がデッドのライヴではむしろ魅力になる。痘痕もえくぼ、というと、惚れた相手の欠点も輝くことですが、どうもそれとも違います。マイナス要素がプラス要素に転換するわけではない。マイナスがマイナスのまま、魅力になる。

 ヘタウマでもない。これまたよくある誤解ですが、デッドは決してヘタではありません。むしろ、抜群に上手いことは、早い時期からアメリカでも認められています。また、ヘタでは他にどんな魅力があろうと、アメリカのショウ・ビジネスで成功することはできません。デッドは名手揃いですし、アンサンブルとしても最も熟練したレベルです。そういうレベルではミスや失敗は音楽の価値を下げるはずが、デッドではそうなりません。むしろ、ミスのない、完璧な演奏が居心地の悪いものになります。ミスがあるのが当然、いや、必須になるのです。スタジオ録音がつまらないのは、ミスがないからです。これもまたデッドの面白さです。

 デッドがヘタという「伝説」はこのことが原因ではないかと思われます。デッドはミスを恐れません。それよりもそれまでやったことのないことをやろうとします。それで間違うとヘタに聞こえてしまう。それがまたデッドが「不真面目」という評価につながるわけです。しかし、かれらがヘタでも不真面目でもないことは、ライヴ音源に少し身を入れて耳を傾ければ、すぐに納得されます。

 1971年にはまず02月にミッキー・ハートがバンドを離れます。前年にバンドのマネージャーをしていた父親のレニーが横領の上、失踪したことが原因でした。復帰するのは1974年10月20日、ライヴ活動停止前最後のショウの第二部でした。9月に《Skull & Roses》をリリース。10月にキース・ガチョーが加わります。また、The Greatful Dead, Inc. を設立しました。

 《Skull & Roses》ジャケットに掲げられたデッドヘッド、ここでは "Dead Freaks" への呼びかけによって、カリフォルニア州サン・ラファルのオフィスに世界中から手紙がなだれこみます。日本からも送られました。ここから熱心なファンの集団が出来、かれらはデットヘッドと呼ばれるようになります。

 このショウのヴェニューは大学の施設です。この頃からデッドは大学でのショウを積極的に行います。デッドがショウを行った大学施設は総計約120ヶ所。会場となった大学に籍をおく学生には割安のチケットが用意されました。ここでライヴに接した学生たちが後にデッドヘッドの中核を形成していきます。年齢的には、デッドのメンバーと同じか、すぐ下の世代です。会場となった大学は、カリフォルニア大学の各キャンパスやスタンフォード、MIT、ラトガース、プリンストン、コロンビア、ジョージタウン、イェール、有名なバートン・ホール公演のコーネルのように名門とされるものが少なくありません。したがってデッドヘッドにはアメリカ社会の上層部が多数含まれることになりました。スティーヴ・ジョブズ、ビル・ゲイツなどデジタル産業の立役者たちは最も有名ですが、その他の実業家、政治家、弁護士、医師、学者、芸術家、軍人、官吏等々、あらゆる分野にいます。ずっと後ですが、デッドのショウの舞台裏にいた上院外交小委員会委員長のもとへ、ホワイトハウスから電話がかかってきたこともあります。

 デッドヘッドは決して髪を伸ばし、タイダイのTシャツを着て、マリファナをふかすヒッピーばかりではありません。あるいはデッドのショウに来る時はそれにふさわしい恰好をするにしても、普段は他の人たちと変わらない外見をもつ人びとも含まれるようになります。また数の上でも一握りの限られた集団というわけでもありません。むしろ、アメリカの現在の社会を作っている要素のなかでも大きな比重を占めていると見るべきでしょう。

 一方で、デッドヘッドには、アメリカ社会の主流からはじき出された人びと、ミスフィットもまた多く含まれます。デッドのメンバーやその周囲に集まった人びと自身がミスフィットだったからです。デッド世界はミスフィットたちの避難場所、シェルターとしても作用しました。幼児期に性的虐待を受け、施設を転々とした揚句、デッドの行く先々についてまわるツアー・ヘッドのファミリーに出逢って救われ、充実した人生を送っている人もいます。

 このショウからも多くのデッドヘッドを生んだことと思われます。ハートが抜けて、シングル・ドラムになって2ヶ月ですが、クロイツマンはその穴を感じさせません。

 〈Bird Song〉は前年末にデビューしてこれが7回目の演奏。後のように充分に展開しきったとは言えませんが、ガルシアのヴォーカルにはまだジャニスを失った実感がこめられています。

 この後はまだクローザーになる前の〈Sugar Magnolia〉、そして組曲版の〈That's It for the Other One〉、〈Wharf Rat〉。〈Wharf Rat〉はだめなヴァージョンをまだ聴いたことがありませんが、これはまた出色。そしてピグペンの〈Hard to Handle〉。ピグペンは鍵盤のはずですが、ここではほとんど聞えません。とはいえ、歌はまだまだ大したものです。ここでのウィアとガルシアのギター合戦も聞き物。ガルシアはこういう曲ではロック・ギターを弾いています。締めは〈Not Fade Away> Goin' Down The Road Feeling Bad> Not Fade Away〉。このセットは定番としてよく演奏されます。〈Not Fade Away> Goin' Down The Road Feeling Bad〉でのガルシアのソロは快調に飛ばします。音域はごく狭いのに面白いフレーズがあふれてくるのはガルシアの真骨頂。〈Not Fade Away〉ではピグペンもはじめはタンバリン、後ではヴォーカルで参加し、ウィアと掛合います。間髪を入れずに〈Johnny B. Goode〉で幕。アンコール無し。

 この後は17日にプリンストン、18日にニューヨーク州立大でのショウです。春のツアーは月末のフィルモア・イーストでの5連荘まで続きます。(ゆ)

 macOS Sonoma 14.0 でも AquaSKK は問題なく使える。

 毎度のことながらほっとする。

 入力ソースを変更するごとにカーソルのあるところに小さくアイコンが出る。ちょとわずらわしいが、切る方法がわからない。

 ついでながら、ドックの「最近使ったアプリ」が正常に動作するようになった。ドックを再起動しなくてもすむ。(ゆ)

2023-09-30追記
 ドックの「最近使ったアプリ」はやはりダメで、Mac を一度眠らせたりすると、再起動しないと正常に動作しない。

 昨年11月ひと月かけてリリースされたグレイトフル・デッドの《30 Days Of Dead》を年代を遡りながら聴いています。今回は07日リリースの 1972-10-24, Performing Arts Center, Milwaukee, WI から〈The Other One> He's Gone> The Other One〉。36:50はこの年の《30 Days Of Dead》最長トラック。

 第二部もクライマックス、〈Truckin'〉から  Drums を経て切れ目なしにこのメドレーに入り、ここで一度終り。〈Casey Jones〉〈Johnny B. Goode 〉で締めて、アンコール無し。〈The Other One〉の直後、機器トラブルにみまわれたとウィアが宣言しているので、アンコール無しはそのせいかもしれません。

 1972年は春のヨーロッパ・ツアーを筆頭に、デッドにとって最初のピークの年。1965年の結成以来右肩上がりに昇ってきたその頂点を極めた年です。春だけでなく、1年を通して絶好調を維持しています。

 このショウは同じヴェニュー2日連続の2日目。夜7時半開演のポスターが2種残っています。ひとつは全員完全に骸骨のバンドが踊っているもの。もうひとつは両側に蓬髪を垂らした頭蓋骨がこちらを睨んでいるもの。どちらもなかなかおどろおどろしくもあり、ユーモラスでもあり。

 この秋は働きづめで、08月27日、カリフォルニア州ヴェネタでの有名なショウ、09月03日コロラド州ボゥルダーでのショウの後、09日からツアーに出て10月02日に打上げ。09日にウィンターランドに出て、17日からセント・ルイスのフォックス・シアターでの三連荘から30日までツアー。11月13日から26日までまたツアーしています。春のヨーロッパ・ツアーのせいでしょう、夏に長いツアーをしていない埋合せでしょうか。

 年間のショウは計86本。1971年以降では最多。レパートリィは88曲。新曲は以下の13曲。

Black-Throated Wind; John Perry Barlow & Bob Weir
Looks Like Rain; John Perry Barlow & Bob Weir
The Stranger (Two Souls In Communion); Ron McKernan
How Sweet It Is (To Be Loved By You); Brian Holland, Lamont Dozier & Eddie Holland
Sidewalks Of New York; Charles B. Lawlor & James W. Blake
Who Do You Love; Ellas McDaniel (Bo Diddley)
He's Gone; Robert Hunter & Jerry Garcia
Hey Bo Diddley; Ellas McDaniel (Bo Diddley)
Rockin' Pneumonia and The Boogie Woogie Flu; Huey Smith / Johnny Vincent
Stella Blue; Robert Hunter & Jerry Garcia
Mississippi Half-Step Uptown Toodeloo; Robert Hunter & Jerry Garcia
Weather Report Suite Prelude; Bob Weir
Tomorrow Is Forever; Dolly Parton & Porter Wagoner

 カヴァー曲はいずれも単発ないし、数回の演奏でした。うち〈How Sweet It Is (To Be Loved By You)〉はデッドでは1回だけの演奏ですが、ジェリィ・ガルシア・バンドのレパートリィとして定着します。

 一方、オリジナル曲はピグペンの曲を除き、いずれも定番となります。

 デッドはステージではMCをしないために、ピグペンの曲はファンの間では長いこと〈Two Souls In Communion〉と呼ばれていました。《The Golden Road》に収録された際に〈The Stranger〉とされました。この年の03月12日から05月26日まで、13回演奏。

 ピグペンは前年末に復帰しますが、ヨーロッパ・ツアーで決定的に健康を損ない、06月17日を最後のステージとしてバンドから離れます。

 一方、前年大晦日に初ステージを踏んだドナ・ジーン・ガチョーはヨーロッパ・ツアーを経て完全にバンドに溶けこみ、1970年代の最も幸福な時期どデッドの音楽をより複雑多彩で豊饒なものにするのに貢献します。同時にデッドはピグペンのバンドから完全に離陸します。

 楽曲にもどって、〈He's Gone〉はバンドの金を使いこんで逃げた前マネージャーのレニー・ハートの一件を歌った曲。3月にかれは横領の罪で懲役6ヶ月を言い渡され、服役しました。横領した金の一部も返したようです。バンドは結局、損害賠償請求の訴訟も起こしませんでした。替わりに作ったこの歌は後に挽歌の性格を強め、関係者やバンドと親しい人間が死ぬと追悼に演奏されるようになります。

 バーロゥ&ウィアの2曲はこの年5月にリリースされたウィアの初のソロ《Ace》のために書かれた曲。《Ace》はバック・バンドがデッドそのままですし、プロデュースにはガルシアもかなり「口を出し」ています。そのためデッドのアルバムとして数える向きもありますが、デニス・マクナリーのバンドの公式伝記 A LONG STRANGE TRIP によれば、この録音を主導したのはあくまでもウィアで、どこからどう見てもこれはウィアのソロ・プロジェクトであるそうです。

 さらにこの年、バンドは自前のレコード会社として Grateful Dead Records、Round Records を設立します。ロック・ミュージシャンが自前のレコード会社を設立することはビートルズの Apple Records 以来珍しくありませんが、配給・販売まで自前でやろうとしたところはいかにもデッドらしい。そして見事に失敗するところはさらにデッドらしい。

 デッドは他人なら絶対にやらないようなことをあっさりとやってしまいます。そしていつもものの見事に失敗して、危機に陥ります。そうした危機を、かれらは音楽に集中し、より良い演奏をめざし、質の高いショウを重ねることで乗り越えていきました。それが可能だったのは、それらの失敗が後向きのものではなく、前向きのものだったからでしょう。

 10月24日のこのショウの SBD は第二部の後半のみ残っているようです。ショウ全体の録音は AUD があります。

 AUD はモノーラル録音、ステージからはやや遠いようで、細部は聴きとれませんが、ヴォーカルやギター、ドラムスの一部は明瞭です。ベースはどうしても落ちますけれども、一部わかるところもあります。

 演奏はさすがにピークの年、気合いの入ったもの。〈Truckin'〉でのガルシアのギターがなんともすばらしい。ウィアの歌の裏で弾いているのも、ソロになってからも、絶好調の時の、意表をつくフレーズがどんどんとあふれてきます。ここでの Drums は元来は〈The Other One〉の元になった組曲の一部で、単独時代でもこの年のクロイツマンはレシュが「鬼神」と呼んだのもよくわかる大活躍。それに引き出された〈The Other One〉はデッドの真骨頂。ベース・ソロもいいし、ガルシアのアヴァンギャルドなギターが縦横に駆けめぐります。こういう抽象的、不定形な即興が聴いていて面白いと感じられるのがデッドのデッドたるところ。メンバー各自の音楽的素養の深さと広さに支えられたものでしょう。

 その最中にガルシアがいきなりリフを始めて〈He's Gone〉。ここでもガルシアのギターがメイン・メロディの変奏からどんどん外れてゆき、しかも楽曲の大枠からははずれない、絶妙のバランスをとって流れてゆきます。それに他のメンバーがからみ、対抗して展開する集団即興の面白さには身もだえしてしまいます。この歌のベスト・ヴァージョンの一つ。

 そして今度はベースが音頭をとって〈The Other One〉にもどり、ウィアが2番を歌っておさめます。ここで一度終るので、〈Casey Jones〉と間をおかずに続ける〈Johnny B. Goode〉がアンコールに聞えなくもありません。(ゆ)

 昨年11月ひと月かけてリリースされたグレイトフル・デッドの《30 Days Of Dead》を年代を遡りながら聴いています。今回は22日リリースの 1973-12-19, Curtis Hixon Convention Hall, Tampa, FL から〈Dire Wolf; Black-Throated Wind; Candyman〉。この3曲は連続ではなく、各々間は切れています。

 このショウは大半が記念すべき《Dick's Picks, Vol. 1》でリリースされています。そこに収められていないトラックのうち、第一部クローザー前の〈Ramble On Rose〉が2012年の《30 Days Of Dead》でリリースされ、今回、これも未収録の第一部4曲目からの3曲がリリースされました。これでこのショウの26トラック中18トラック、2時間半が公式にリリースされたことになります。例によって Internet Archive ではショウ全体の SBD の Charlie Miller によるミックスがストリーミングで聴けます

 この年のショウは計72本、レパートリィは77曲。新曲は〈China Doll〉〈Eyes Of the World〉〈Loose Lucy〉〈Row Jimmy〉〈Here Comes Sunshine〉〈They Love Each Other〉、〈Weather Report Suite〉、それに〈Wave That Flag〉。最後のものは後に改訂されて〈U. S. Blues〉として生まれかわります。いずれも定番として、長く、また数多く演奏されます。

 年初は秋にリリースされる《Wake Of The Flood》の録音に費し、始動は02月09日のスタンフォード大学でした。このショウでは上記のうち〈Weather Report Suite〉を除く7曲が一気にデビューしています。1971年10月19日のミネソタ大学でも一気に7曲デビューしています。7曲というのはこの2回だけで、5曲デビューが3度ほどあります。

 今回の12月19日はこの年最後のショウです。1968年以降、ビル・グレアムの死ぬ1991年までの間で、年間を通して活動してなおかつ大晦日の年越しショウをしていないのはこの年だけです。

 03月08日、ロン・“ピグペン”・マカナンが多臓器不全により27歳で世を去りました。後にピグペンの父は息子と人生をともにし、その人生を充実した、実り豊かなものにしてくれたことに感謝する手紙をバンドに送りました。ピグペンはデッドのキャリアにつきそう死者たちの最初のひとりでありました。この死者たちの列に最後に加わったのがジェリィ・ガルシアです。グレイトフル・デッドはその名前通り、死者たちのバンドでもあります。

 ニコラス・メリウェザーによる《30 Trips Around The Sun》の「史上最長のライナーノート」によれば、この年はテープの存在が顕著になった年でした。『ローリング・ストーン』誌には東西両海岸のテープ交換、分配のシーンが紹介されました。この頃はまだオープン・リールによるもので、主に7インチの、おそらくは細ハブが使われたのでしょう。テープ・スピードを 9.5cm/秒にすれば往復で3時間入り、平均的なショウを1本にできます。このテープの世界は翌年から1976年にいたる大休止の時期に爆発的に拡大します。後にグレイトフル・デッドの初代アーカイヴィストになるディック・ラトヴァラがデッドのテープと出会って、頭から飛びこんでゆくのも1975年でした。

 12月19日のショウはこの年の総決算のようにすばらしい出来です。その年最後のショウは翌1974年10月20日も含めて、出来の良いものが多い中でも、これはトップを争います。この年のベストの1本のみならず、全キャリアの中でも指折りです。これが完全な形で公式リリースされていないのは何とも歯痒い。Internet Archives のストリーミングでも音は十分良いので、一度は通して聴かれることを薦めます。

 全体にひどくゆったりとしたテンポ。ゆっくり演る時のデッドは調子が良いことが多い。1976年の大休止からの復帰の後もゆったりとしたテンポが快いですが、このショウはそれよりもさらにゆったりしています。とりわけガルシアの持ち歌で顕著で、ガルシアはどの歌も歌詞を噛んで含めるように、言葉を愛おしむようにていねいに歌います。ガルシアはシンガーとしては疑問符が付けられる傾向がありますが、たとえばヴァン・モリソンのようなうたい手ではなかったとしても、十分個性的な説得力を備えています。デッドをやる前のブルーグラスやフォークを演っている時の録音を聴いても、むしろ一級のうたい手と言ってもよいことは明らかです。デッドの音楽の魅力は器楽演奏の部分だけではなく、歌があってのものです。

 今回の3曲はまさに歌を聴かせる曲で、どれもガルシアがソロをとる場面はあってもごく短かい。もっとも、ウィアの持ち歌では、ヴォーカルの裏でガルシアはずっと美味しいギターを弾いています。これ以外でも〈Jack Straw〉〈El Paso〉でも聴けます。ソロとは異なり、あくまでも歌を立てる伴奏の範疇に留まって出しゃばらないところが見事ですが、時に耳をもっていかれます。自分もコーラスをつける時にはギターは弾いていませんから、それだけギターに集中しているのでしょう。

 これでもわかる通り、ガルシアは絶好調で、ソロをとるときでも一瞬たりとも耳が離せません。本人も自覚しているのでしょう、〈Big River〉ではなかなかソロをやめません。特筆すべきは〈Here Comes Sunshine〉〈He's Gone〉〈Nobody's Fault But Mine〉。最後のものはブルーズ・ギターではなく、ほとんどジャズです。歌も元気一杯。ラストの〈Around and Around〉でも、およそロックンロールの定石からははずれたギター。アンコール〈Casey Jones〉のギターもいい。そして何といってもこの時期の〈Playing In The Band〉は特別。初めは5分ほどの普通の曲だったものが、どんどん長くなり、ついには30分を越えるようになるこの曲の成長と変化は、デッド音楽を聴く醍醐味の一つです。

 ここでの〈Playing In The Band〉はまだ終始ビートがあり、あたしには一番面白い形ですが、第二部の〈The Other One〉になると深化の階梯を一段上がっていて、後半に後の Space に通じる抽象的、スペーシィなジャムになります。復帰後の1977年春から第二部中間に Drums> Space が必ず置かれるようになりますが、大休止前にはこういう曲が途中から Space や Drums になります。いずれにしても、フリーリズムで不定形な集団即興は、バンドのごく初期から最後まで、常にそのショウの一部でした。ここは賛否両論別れるところかもしれませんが、あたしはこれがあってのデッドのライヴと思います。

 もうひとつ、このショウの質の高さはガルシアの好調だけに由来するものではありません。こういう時は他のメンバー各々にしても、またバンド全体として、みごとな演奏をしています。ここで目に(耳に)つくのはキースで、ドラムスに替わってビートを支えたり、面白いフレーズを連発したり、ここぞというところでツボにはまった演奏を聴かせます。なお、このショウではドナはお休みです。

 《Dick's Picks, Vol. 1》はもちろん聴いていましたが、こうしてショウ全体を聴くとやはりいろいろと発見があります。デッドにとっての「作品」とは、スタジオ盤ではなく、一本一本のショウであることもすとんと胸に落ちます。(ゆ)

 昨年11月ひと月かけてリリースされたグレイトフル・デッドの《30 Days Of Dead》を年代を遡りながら聴いています。今回は03日リリースの 1974-07-29, Capital Centre, Landover, MD から〈Scarlet Begonias; Jack Straw〉。この2曲も切れています。

 1975年は飛ばされていますが、無理は無いので、デッドはツアーをせず、年間を通じてショウは4回だけ。それも2回はフェスティヴァルに参加した短かいステージです。いずれも既に何らかの形で全てリリースされています。

 1974年は10月20日にウィンターランドで「最後の」ショウをするまで、ショウの数は40本と少ないですが、バンドとしてはいろいろと忙しい年です。レパートリィは83曲。新曲は6曲。〈U.S. Blues〉〈It Must Have Been The Roses〉〈Ship Of Fools〉〈Scarlet Begonias〉〈Cassidy〉〈Money Money〉。最後のもの以外は、以後、定番として長く数多く演奏されます。

 〈Scarlet Begonias〉は復帰後の1977年春から〈Fire on the Mountain〉を後につないでペアとして演奏されます。〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉と並んで人気の高い、定番中の定番となり、名演も多く生まれます。ですが、1974年、76年に50回近く単独で演奏されたものにも優れた演奏はあり、この日のものはそのベストの1本です。

 この年まず一番大きなできごととしては Wall of Sound が完成します。理想のライヴ・サウンドを求めて、ペアことアウズレィ・スタンリィたちが立ちあげた Alembic が中心となって開発したモンスターPAシステムです。前年からショウでの実地テストを繰返し、3月23日、カウパレスでのショウで正式にお披露目されました。5月12日、これを携えたツアーがモンタナとカナダから始まります。6月に《From Mars Hotel》をリリース。9月にはヨーロッパ・ツアーに出て、ロンドン、ミュンヘン、ディジョン、パリと「ウォール・オヴ・サウンド」をかついで回りました。

 一方、この年勃発した石油危機によって運送コストが法外なほど上がり、「ウォール・オヴ・サウンド」の維持費が耐えられる限界を超えます。完成形の「ウォール・オヴ・サウンド」機材の総重量は75トン。運搬にはトレーラー5台が必要で、組立て解体には30人の専従スタッフがいました。組立てに1日かかるので、連日のショウをこなすためには、二組用意して、一組をひとつ先の会場に送っていました。

 《フロム・マーズ・ホテル》はリリースしたものの、自前のレコード会社をもう続けられないことは誰の目にも明らかになっていました。

 こうした様々なストレスが重なり、ドラッグの消費量も目に見えて増えます。

 重なりあった問題を解決するため、バンドはライヴ活動を全面的に休止することを決め、10月16〜20日のウィンターランドでの公演を千秋楽として大休止に入りました。チケットにでかでかと "The Last One" のハンコが押された20日の「最後」のショウが終った時点では、グレイトフル・デッドがグレイトフル・デッドとして再びステージに立つ日が来るのか、誰にもわかりませんでした。20日のショウの第二部にミッキー・ハートがドラム・キットを持って駆けつけて復帰したのも、これを逃せば二度とバンドとしてともに演奏することはできなくなるという危機感からでした。

 その頃、太平洋の反対側で大学に入ったばかりだったあたしは、クラシックからプログレを経て、ブリテン、アイルランドの「トラッド」とその頃本朝では呼ばれていた不思議な音楽の虜となる一方、アメリカン・ロックの洗礼を CSN&Y によって受けようとしていました。グレイトフル・デッドの名も耳にしたものの、少し後でリアルタイムで買った《Steal Your Face》によって、以後追いかけようという意志を奪われます。デッドの音楽に開眼し、生きてゆくのになくてはならぬものになるのは、それから40年近く経た2010年代初めのことでした。

 07月29日のショウは7月19日から8月6日までの夏のツアー後半も終盤です。このツアーの後は9月のヨーロッパ・ツアーで、その次のショウは10月下旬のウィンターランドです。

 ショウには夜7時開演、料金6.50ドルのチケットが残っています。全体の4割に相当するトラックが2012年の《Dave's Picks Bonus Disc》に収録されました。第一部2曲めの〈Sugaree〉とクローザー〈Weather Report Suite〉、それに第二部の前半です。このうち〈The Other One> Spanish Jam> Wharf Rat〉は2019年の《30 Days Of Dead》でもリリースされました。今回の〈Scarlet Begonias; Jack Straw〉は第一部の6、7曲目です。これで全体の半分のトラックがリリースされたことになります。

 バンドの内外でそれぞれからみあった問題がより深刻になり、解決の道筋も見えない状況にあって、かえってそれ故にでしょうか、音楽の質は高いものです。72年のピーク時に比べても、質が落ちたとは感じられません。新曲もいずれもすばらしく、それによってショウの質が上がっている効果もあります。

 このショウもきっちりしていて、とりわけ、ウィアが歌っている時にその背後で弾いているガルシアのギターが聞き物です。〈Jack Straw〉でも聴けますが、3曲目の〈Black-Throated Wind〉や〈El Paso〉、第一部クローザー〈Weather Report Suite〉の〈Let It Grow〉では耳を奪われます。

 ソロのギターも冴えているのは〈Scarlet Begonias〉に明らかですし、〈Deal〉もいい。面白いのはクローザー前の〈To Lay Me Down〉で、ガルシアはほとんどギターを弾かず、バックはドラムス、オルガン、ベースという組合せ。デッドではきわめて珍しい組合せで、しかもぴったりとハマっています。

 ゆったりしたテンポの〈Sugaree〉と、〈Let It Grow〉での明瞭なメロディに依存しない不定形なジャムも十分面白い。ただこの二つの手法は、1976年の復帰後にあらためて突き詰められて、1977年の第二の、そして最高のピークを特徴づけるもとになります。バンドとしてのライヴ活動はやめるのしても、演奏ではすでに次のステップへ向けての運動が始まっていたのでした。(ゆ)

  昨年11月ひと月かけてリリースされたグレイトフル・デッドの《30 Days Of Dead》を年代を遡りながら聴く企画、今回は24日リリース、1976-09-27, Community War Memorial Auditorium, Rochester, NY からの〈Might As Well; Samson and Delilah〉です。第二部オープナーからの2曲。このショウからはこの後、drums の直後〈The Other One〉が2012年の《30 Days Of Dead》でリリースされています。開演夜7時半。料金7ドルのチケットが殘っています。

 1976年は06月03日に、1974年10月20日以来、1年7カ月ぶりにツアーに復帰します。この年のツアーは06月07月と09月10月の2回、ショウは41本、レパートリィは66曲。新曲はバーロゥ&ウィアの〈Lazy Lightening〉と〈Supplication〉のペア、ハンター&ガルシアの〈Might As Well〉と〈Mission in the Rain〉。そしてレヴェレンド・ゲイリー・デイヴィスのカヴァー〈Samson And Delilah〉。〈Mission in the Rain〉はデッドでは5回演奏されただけで、ガルシアのソロ・プロジェクト専用の曲になります。こういう曲は他にもあり、例えば〈Ripple〉が同じく、デッドからジェリィ・ガルシア・バンドに移っています。

 〈Might As Well; Samson and Delilah〉はどちらもバネのよく効いたビートにのった闊達な演奏。全員が溌剌としていて、大休止の効果は明らかです。このメンバーでまた演奏できる愉しさにあふれています。

 こうして並べて聴くと、この二つは片方が片方の霊感の元になったように聞えます。どちらかといえばガルシアの曲がウィアに後者を持ち出すきっかけを与えた気がします。

 次の〈Help on the Way〉からクローザーの〈Around and Around〉までひと続きです。〈Help on the Way〉は〈Slipknot!> Franklin's Tower〉と続くのが通例ですが、ここでは〈Slipknot!〉の次に drums>〈The Other One> Wharf Rat〉がはさまって〈Slipknot!〉に戻り、〈Franklin's Tower〉でまとめて、クローザーにつなぎます。〈Slipknot!〉から直接〈Franklin's Tower〉につながないのはこの年の特徴といわれますが、こういう尋常でないことをする時は調子が良く、この日もエネルギーに満ちた、見事な演奏です。

 drums はもちろんですが、〈Help on the Way〉のコーダに顕著なように、再びダブル・ドラムスになったメリットがよくわかります。ようやく全員揃ったという思いもこの演奏の質を押し上げているかもしれません。〈Slipknot!〉は特定のメロディに依存しない、フリーの集団即興=ジャムの曲で、かつての〈Caution (Do Not Stop On Tracks)〉に通じるところもありますが、ずっと洗練されていて、複雑になっています。このヴァージョンは緊張感漲るなかに、目一杯愉しんでもいて、デッドを聴く醍醐味ここにあり。drums>〈The Other One> Wharf Rat〉もテンションは落ちませんが、また〈Slipknot!〉にもどるところはスリリングです。〈Franklin's Tower〉では途中でやや息切れしたようでもありますが、それでも演奏をやめたくない様子も伺えます。このあたりが1976年で、翌年になると充実した演奏をショウの最初から最後まで貫いて維持するようになります。

 アンコールの〈U.S. Blues〉はゆったりしたテンポで、やはりこれを歌えるのが愉しくてたまらないのがありありとわかります。かくて、十二分の休養をとり、大休止前に抱えていた様々の問題をとりあえず精算して、音楽に集中する体制を整えることができたデッドは、キャリアの頂点を迎えることになります。(ゆ)

 06月30日に発送通知があってから2週間。グレイトフル・デッド今年のビッグ・ボックス《Here Comes Sunshine 1973》がやって来た。例によって輸入消費税1,700円也をとられる。

 比較的コンパクトなパッケージ。昨年のマディソン・スクエア・ガーデンのボックスのような、いささか奇をてらったところもなく、まっとうな外形だ。デザイナーは Masaki Koike。1977年5月の二つのボックス・セットのデザイナー。そのうち、例のコーネル大学バートン・ホールのショウを含む二つ目のボックス《Get Shown The Light》は、CDそのものの収め方が凝っていて、うっかりすると破ってしまいそうなデリケートなものだった。今回も中が結構凝っているが、あれほど危なっかしいところはない。

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 外見はこういう箱型。青い部分は滑って抜ける。

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 中の箱は上に蓋が開く。CDとライナーを収めたほぼ正方形の紙製レコードのダブル・ジャケットが5つ、手ぬぐいを縦に三つ折りにしたものでくるまれている。ただくるまれているだけで、固定されてはいない。一番下に、当時のメンバーの左側横顔を並べたイラストのポスター。今回は付録はほぼこれだけ。チケットの複製などは無い。すっきりしている。

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 1本目、05-13のショウを収めたスリーブに全体のライナーが入ったブックレットが、ショウ自体のためのライナーとともにはさまっている。全体のライナーは Ray Robertson, スターファインダー・スタンリィはじめ The Owsley Stanley Foundation, それに David Lemieux が書いている。個々のショウのためのライナーは Ray Robertson のペンになる。

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 1973年前半は Wall of Sound が完成してゆく時期であり、またデッドのショウが最も長くなった時期でもある。収められた5本のショウのうち05-13と06-10がCD4枚、後の3本は3枚。すべて3時間超で、05-13は4時間半近い。トータルで19時間超。

 この5本はショウとしては連続しているが、間が1週間とか2週間とか空いているので、レパートリィつまり演奏された曲目は似ている。05-13、26、06-10 はいずれも〈The Promised Land〉と〈Deal〉で始まる。最後の06-10は2日連続の2日目のせいか、他とはかなり違う内容だ。いきなり〈Morning Dew〉で始まったりする。

 録音担当はキッド・カンデラリオ、ベティ・カンター=ジャクソン、そしてアウズレィ・スタンリィという最高の面子。

 この一連のショウからはすでに半世紀。演奏中のステージの上で遊んでいる子どもたちも、今はみなジジババになっている。聴衆は死んでいる者も少なくないだろう。しかし、音楽は記録され、こうして時空を超えてゆく。(ゆ)

 Dead.net から今年のビッグボックス《Here Comes Sunshine 1973》の案内がきたので、早速注文。送料70ドル。計256.98USD。円安がまた進行しているし、送料は相変わらずだが、やむをえん。


 
 収録されるショウは以下の5本。CD17枚組とダウンロード。

1973-05-13, Iowa State Fairgrounds, Des Moines, IA
 第一部クローザー〈Playing in the Band〉が2010年の《30 Days Of Dead》でリリース。
 
1973-05-20, Campus Stadium, University Of California, Santa Barbara, CA

1973-05-26, Kezar Stadium, San Francisco, CA
 第二部6曲目〈Box or Rain〉が2021年の《30 Days Of Dead》でリリース。

1973-06-09, RFK Stadium, Washington, DC

1973-06-10, RFK Stadium, Washington, DC
 第一部クローザー前〈Bird Song〉が2011年の、第二部4曲目〈Here Comes Sunshine〉が2017年の《30 Days Of Dead》で、第三部オープナー〈It Takes A Lot To Laugh It Takes A Train To Cry〉が《Postcards Of The Hanging》で、各々リリース。

 この06-10のショウが独立でCD4枚組、LP8枚組で各々リリース。

 この5本は4月2日までの春のツアーと6月22日からの夏のツアーの間の時期で、この期間、ショウはこれで全部。

 RFK Stadium の2日間はオールマン・ブラザーズ・バンドとの双頭ヘッドで、ダグ・ザームとウェット・ウィリーが前座。9日はデッドが先、10日はデッドが後。10日第3部にはマール・ソーンダース、ディッキー・ベッツ、ブッチ・トラックスが参加。

 ライナー執筆陣の一人 Ray Robertson は《Dave's Picks, Vol. 45》に続いての登場で、あのライナーはなかなか良かったので楽しみ。(ゆ)

 新興の版元カンパニー社から『新版 ECM の真実』が出て、その記念のイベントがあり、著者の稲岡邦彌氏とバラカンさんが出るというので、行ってみた。なかなかに面白い。

 あたしにとって ECM とは、ジャズ的に面白くルーツ・ミュージックを料理した音楽を聴かせてくれるレーベル、である。だから、そこから一枚選ぶとすれば、Anouar Brahem, Barzakh, 1990 になる。 これであたしは ECM を「発見」するからだ。つまり、そこからの新譜をチェックする対象のひとつに ECM が入ったわけだ。

Barzakh
Brahem, Anouar
Ecm Records
2000-04-11



 なので昨日のイベントでバラカンさんが選んだ一枚としてブラヒムの Thimar からかかったのは、我が意を得たりというところだった。バラカンさんは、リスナーからずばりと当てられて、がっくりされてたけれど。

Thimar
Brahem, Anouar
Ecm Records
2000-01-25

 

 ブラヒムに続いて、1994年、Lena Willemark & Ale Moller の Nordan が登場し、ますます ECM は身近になった。これ以後、Agram, 1996, Frifot, 1999 と続く。Nordan、Agram はそれぞれに北国の冬と夏を描いて、かれらのアルバムとしてもピークとなったし、およそヨーロッパのルーツ・ミュージックでくくられる音楽の録音としてもベストに数えられるものではある。

Nordan
ECM Records
1994-09-19



Agram
ECM Records
1996-09-16




Frifot
ECM Records
2017-08-01


 実を言えばノルウェイの Agnes Buen Garnas がヤン・ガルバレクと作った Rosensfole が1989年に出ているのだが、これは後追いだった。ガルバレクは1993年の Twelve Moon でもガルナスと、サーミ出身のマリ・ボイネを起用する。

Rosensfole
Garbarek, Jan
Ecm Import
2000-08-01

 
トウェルヴ・ムーン
ヤン・ガルバレク・グループ
ユニバーサル ミュージック クラシック
2004-02-21



 北欧勢では Groupa の Mats Eden の MILVUS が1999年。

Milvus
Mats Eden
Ecm Import
2008-11-18



 Terje Rypdal がいるじゃないかという向きもあろうが、あたしから見るとかれはジャズの人で、ルーツ=フォーク・ミュージックの人ではない。ガルバレクも同じ。もともとルーツ=フォークをやっていた人の録音が ECM から出るのが面白いのである。

 Jon Balke を知るのはもう少し後で、Amina Alaoui の入った2009年の Siwan からだ。知ってからはバルケの Siwan は追っかけの対象である。

Siwan (Ocrd)
Balke, Jon
Ecm Records
2009-06-30


 アミナにはもう一枚 Arco Iris もある。

Arco Iris
Alaoui Ensemble, Amina
Ecm Records
2011-06-28


 
 さらにフィンランド ノルウェイの Sinikka Langeland が2007年の Starflowers から ECM で出しはじめる。

Starflowers (Ocrd)
Langeland, Sinikka
Ecm Records
2007-08-21



 フィンランドでは Markku Ounaskari, Samuli Mikkonen, Per Jorgensen の Kuara が2010年。

KUARA-PSALMS & FOLK SO
OUNASKARI, MARKKU
ECM
2018-10-05



 この流れでの最新作は先日出た Anders Jormin, Lena Willemark, Karin Nakagawa, Jon Falt による Pasado En Claro, ECM2761だ。2015年 Trees Of Light 以来のこのユニットの新作。

Pasado En Claro
Anders Jormin
Ecm Records
2023-03-03



Trees of Light
Lena Wille
Ecm Records
2015-05-26



 南に目を転じると Savina Yannatou の TERRA NOSTRA が2003年だが、これは2001年のギリシャ盤の再発で、ECMオリジナルは2008年の Songs Of An Other から。あたしなんぞは ECM で TERRA NOSTRA を知った口だから、この再発はもちろんありがたい。

Songs of an Other (Ocrd)
Yannatou, Savina
Ecm Records
2008-09-09

 

 同じギリシャから Charles Lloyd & Maria Farantouri の Athens Concert が2011年。

アテネ・コンサート
マリア・ファランドゥーリ
ユニバーサル ミュージック クラシック
2011-09-07



 サルディニアの Paolo Fresu, A Filetta & Daniele di Bonaventura の Mistico Mediterraneo も2011年。

Mistico Mediterraneo
Fresu, Paolo
Ecm Records
2011-02-22



 アルバニアの Elina Duni のカルテット名義の MATANE MALIT: Beyond The Mountain が2012年。

Matane Malit
Duni, Elina -Quartet-
Ecm Records
2012-10-16



 イラン系ドイツ人の Cymin Samawatie & Cyminology, As Ney が2009年。

As Ney (Ocrd)
Cyminology
Ecm Records
2009-03-09



 こういう人たちは ECM で教えられたので、まったく ECM様々である。

 という具合ではあるが、それにしても、June Tabor, Iain Bellamy & Huw Warren, QUERCUS が2013年に出たときは驚いた。

Quercus
Quercus
Ecm Records
2013-06-04



 が、それよりもっと驚いたのは Robin Williamson が2002年に Skirting The River Road を出していたのを後から知った時だった。ウィリアムスンはさらに2006年 The Iron Stone、2014年 Trusting In The Rising Light と出している。ウィリアムスンはたぶん ECM の全カタログの中でも珍品と言っていいんじゃなかろうか。このあたり、ECM 中でも「メインストリーム」のリスナーはどう評価するのだろう。その前に、アイヒャーがこういう音楽のどこに価値を見出したのか、訊いてみたくなる。いや、文句をつけてるわけじゃない。ただ、ウィリアムスンのこういう音楽は、聴くのがつらくないといえば嘘になる。ウィリアムスンはハーパーとしてすばらしいアルバムもあるし、アメリカで出した Merry Band とのアルバムは好きだ。が、インクレディブル・ストリング・バンドがあたしはどうしてもわからないのである。ECM での音楽は、かつて ISB でやろうとしてできなかったことを、思う存分、やりたい放題にやったように聞えて、そこがつらい。ISB が大好きという人もいるわけだから、聴く価値がないなどとは言わないが、なんとも居心地がよくないのだ。

Skirting the River Road
Williamson, Robin
Ecm Import
2003-08-12

 
American Stonehenge
Robin Williamson
Criminal
1978T


 あたしにとってこういう音楽を聴かせてくれるのが ECM である。そりゃ、キース・ジャレットは聴きますよ。ラルフ・タウナーも好きだ。パット・メセーニ(ほんとは「メシーニー」が近い)、それにもちろんガルバレク、リピダルはじめ北欧のジャズの人たちもいい。ECM としてはこのあたりが主流になるんだろうけど、ただ、それはあたしにとってはサイド・ディッシュなのである。というよりデザートかもしれない。スイーツという味わいではないけれど、あたしの中の位置としてはそれが一番近い。

 上に挙げたようなルーツ系の ECM は一方で、ここでしか聴けない音楽、各々のミュージシャンの、他ではなかなかに聴けない音楽を聴かせてくれる。ふだん出すようなレコードとはまったく違うアプローチの音楽だ。中にはヴィッレマルク&メッレルのように、ベストと言いきってもいいようなものすらある。ルーツ系 ECM のレコードは、主食としてもたいそう美味しく、そして珍しい味なのだ。

 昨日のイベントでは、このあたりの話も出るかなとほのかに期待していたが、そこまで行かなかった。『新版 ECM の真実』でも、1990年代から顕著になるこのあたりの動きは、あっさり飛ばされている。ECM のファンでも ECM をジャズのレーベルと認識している大半の人にとっては、ワケわからん世界なのだろう。ウィリアムスンのように、あたしでさえワケわからんものすらあるので、無理もないといえば無理もない。ただ、ヨーロッパの伝統音楽のファンは聴かない手はない。北欧しか聴きませんという向きも、ECM の北欧系ルーツ・ミュージックは聴く価値がある。

 稲岡氏の話でまず面白かったのは、ECM が当初クラシックのリスナーを購買層に想定していたというところ。わが国でジャズのリスナーとクラシックのリスナーの数を比べれば1対10ぐらいだろう。ヨーロッパではこの差は何倍にもなる。アイヒャーがめざしたのは、ジャズのミュージシャンを起用するが、クラシックのリスナーにも抵抗感の小さな音楽だった、というのだ。ピアノ・ソロなどはその典型で、クラシック・ファンはピアノ・ソナタなどで、ピアノ・ソロには慣れている。グレン・グールドやフリードリッヒ・グルダのような人もいる。加えて、クラシック・ファンは音楽に金を使う。レコードを買うのもシングル単位ではなく、アルバム単位だ。

 なるほど、チーフテンズがアイリッシュ・ミュージックをクラシック・ファンに売りこもうとしたのも戦略としては同じだ。いずれにしても、各々の音楽の従来のリスナー以外の人たちに聴かせようとした。どちらもそれぞれの名前をブランドにしようと努めた。今では ECM から出るものなら、未知のミュージシャンでも音楽の質は保証されると信頼されるようになっている。チーフテンズも、そのコンサートやレコードに失望されることはないという信頼感があった。

 稲岡氏の話でもう一つ、ECM のあのサウンド、アンビエントやリヴァーブ成分が多いとされるあのサウンドは、教会の響きなのだ、という話。これまた言われてみれば、そりゃそうだとうなずいてしまう。だから、小さい頃から教会の響きには慣れているヨーロッパのリスナーにしてみれば、ごく自然な響きになる。アメリカの、ブルー・ノートの音はなるほど、狭いクラブでの響きだ。もっとも、ルーツ系のアルバムでは、いわゆるECMサウンドはあまり強くない。むしろ、楽器や声のそのままの響きを大切にしている。

 一方、バラカンさんから出た、ECM が出てからジャズがまったく別のものになった、というのにも、膝を叩いてしまった。コルトレーンが死んだところにひょいと出てきたリターン・トゥ・フォーエヴァーは ECM だったのだ。昨日のイベントで流された、1971年ドイツでのライヴという、マイルス・デイヴィスのバンドで、大はしゃぎで電子ピアノを弾きまくっているキース・ジャレットの姿はもう一つの象徴に見えた。『ビッチェズ・ブリュー』50周年記念のトリビュートとしてロンドン・ベースのミュージシャンたちが作った London Brew などは、エレクトリック・マイルスのお父さん、ECMのお母さんから生まれた子どものように、あたしには聞える。

London Brew
London Brew
Concord Records
2023-03-31



 会場で買った『新版 ECM の真実』を読みながら帰る。ぱらぱらやっていると、本文よりも、今回増補されたインタヴューや対談、それと『ユリイカ』と『カイエ』表4(裏表紙)に「連載」されたエッセイ広告に読みふけってしまう。(ゆ)

 イーロン・マスクが AI の開発競争に懸念を表明という報道。おまえが言うか。もっとも、わからないでもない。かれは世界を自分の思うがままにしたいので、AI はそれには邪魔になる。早い話、イーロン・マスクのようなヤツが世界征服するのを止める方法を AI に訊ねてみることもできる。イタリアが使用禁止にしたのも同じ。イタリアが禁止した理由がふるっている。個人の情報を集めているから。だったら、Facebook、Twitter、Google をまず使用禁止にすべきだろう。

 バイドゥも AI 開発を発表したそうだが、中国政府がどうするか。ロシアやベラルーシ、イスラーム諸国も禁止したいはずだ。本朝政府ももちろん使用を禁止したいが、そうするとアメリカの機嫌をそこねるからできないか。

 むろん、Microsoft も Google も開発を加速こそすれ、遅くするつもりはさらさらないはずだ。かれらだけではない、Apple もやっているし、世界中のコンピュータ科学の研究機関、大学や NASA のような機関もどんどんやっている。こういうものは止まるとか、遅くなることはありえない。そして、それが現在の世界の構造をひっくり返そうとしていることも確かだ。別にひっくり返すためにやっているわけではない。単に面白いからだ。AI 開発は面白い。やっている人たちは、必要にかられていろいろ理由をつけるが、根本のところは面白い、楽しいからやる。そして、人びとがそれを使うからますますやる。

 AI 開発に反対する人は文明が人間のコントロールをはずれるというが、人間はこれまで文明をコントロールしてきたのか。百歩譲って、コントロールしてきたとして、コントロールしてきたその結果が今のこのザマではないか。これを、あんたはOKだというのか。これがこのまま続いていくことを、あんたは望んでいるのか。人間が、人間様だけがコントロールしてきたから、温暖化とか、戦争とか、差別とか、ひどいことになっているんじゃないか。このまま温暖化はどんどん進み、あちこちで戦争が勃発し、差別もひどくなるほうが良いというのか。

 AI はつまるところ「3人寄れば文殊の智慧」を具体化し、極限まで拡大しようとするものだ。ひとりだけで考えていても、たいしたことは思いつきもしないし、考えられもしない。それとも考えることは少数の天才たちにまかせればいいのか。そうではなく、大勢の考えを集めてみれば、一人で考えているよりもずっとマシなことを思いつくだろう。それは少数の天才たちが思いつくどんなことよりもマシになりうる。百発百中の砲一門は、百発一中の砲百門にとうていかなわないのだ。

 ジェイムズ・P・ホーガンは『仮想空間計画』で、AI にまかせた方が仮想空間内の社会がまともな方向に向かうことを描いてみせた。

仮想空間計画 (創元SF文庫)
ジェイムズ・P・ホーガン
東京創元社
2015-08-29



 それは楽観的に過ぎるとしても、AI は人間の独善をチェックする存在になりうる。AI に反対しているイーロン・マスクのような連中は、自分たちの独善によって利益を得ている。この世界全体、地球全体がどうなろうと知ったことではないのだろう。AI はその独善に対するアンチテーゼになりうる。言わせてもらえば、むしろ AI に暴走してもらいたいくらいだ。コードウェイナー・スミスが今生きていたら、Instrumentality of Mankind 人類補完機構の管理者たちを人間の中からの選抜ではなく、AI にしたことだろう。
 もちろん、どうなるかはわからない。AI が「悪い」方向に暴走することだってありうる。しかし、AI がなくても未来はお先真暗なのだ。AI という要素がからんできたことで、その真暗闇に濃淡がつくかもしれない、というところだろう、今はまだ。しかし、それだけでも面白い。AI の研究は昨日や今日に始まったわけではないが、ようやくスタート地点に立ったのだ。ひょっとすると、生きているうちにシンギュラリティが見られるのではないか。そう思うと、わくわくしてくる。(ゆ)

 バンド結成60周年記念で出ていたクラダ・レコードからのチーフテンズの旧譜10枚の国内盤がめでたく来週03月15日に発売になります。ちょうどセント・パトリック・ディの週末ですね。

ザ・チーフタンズ 1 (UHQCD)
ザ・チーフタンズ
Universal Music
2023-03-15

 

 いずれも国内初CD化で、リマスタリングされており、おまけに「高音質CD」だそうです。これらはもともと録音もよいので、その点でも楽しめるはずです。

 今回再発されるのは1963年のファースト・アルバムから1986年の《Ballad Of The Irish Horses》までで、ヴァン・モリソンとの《Irish Heartbeat》以降の、コラボレーション路線のチーフテンズに親しんできたリスナーには、かれらだけの音楽が新鮮に聞えるのではないでしょうか。ファーストから《Bonapart's Retreat》までは、バンドの進化がよくわかりますし、《Year Of The French》や《Ballad Of The Irish Horses》では、オーケストラとの共演が楽しめます。《Year Of The French》はなぜか本国でもずっとCD化されていなかったものです。

イヤー・オブ・ザ・フレンチ (UHQCD)
ザ・チーフタンズ
Universal Music
2023-03-15



 以前にも書きましたが、このライナーを書くために、あらためてファーストから集中的に聴いて、かれらの凄さにあらためて感嘆しました。まさに、チーフテンズの前にチーフテンズ無く、チーフテンズの後にチーフテンズ無し。こういうバンドはもう二度と出ないでしょう。

 言い換えれば、これはあくまでもチーフテンズの音楽であって、アイリッシュ・ミュージック、アイルランドの伝統音楽をベースにはしていますし、アイリッシュ・ミュージック以外からは絶対に出てこないものではあるでしょうが、アイリッシュ・ミュージックそのものではありません。伝統音楽の一部とも言えない。

 それでもなお、これこそがアイリッシュ・ミュージックであるというパディ・モローニの主張を敷衍するならば、そう、デューク・エリントンの音楽もまたジャズの一環であるという意味で、チーフテンズの音楽もアイリッシュ・ミュージックの一環であるとは言えます。

 ただ、ジャズにおけるエリントンよりも、チーフテンズの音楽はアイリッシュ・ミュージックをある方向にぎりぎりまで展開したものではあります。それは最先端であると同時に、この先はもう無い袋小路でもあります。後継者もいません。今後もまず現れそうにありません。現れるとすれば、むしろクラシックの側からとも思えますが、クラシックの人たちの関心は別の方に向いています。

 ということはあたしのようなすれっからしの寝言であって、リスナーとしては、ここに現れた成果に無心に聴きほれるのが一番ではあります。なんといっても、ここには、純朴であると同時にこの上なく洗練された、唯一無二の美しさをたたえた音楽がたっぷり詰まっています。

 ひとつお断わり。この再発の日本語ライナーでも「マイケル・タブリディ」とあるべきところが「マイケル・タルビディ」になってしまっています。前に出た《60周年記念ベスト盤》のオリジナルの英語ライナーが Michael Tubridy とあるべきところを Michael Turbidy としてしまっていたために、そちらではそうなってしまいました。修正を申し入れてあったのですが、どういうわけか、やはり直っていませんでした。

 ですので、「マイケル・タルビディ」と印刷されているところは「マイケル・タブリディ」と読みかえてくださいますよう、お願いいたします。なお、本人はメンバーが写っている《3》のジャケットの右奥でフルートを抱えています。

ザ・チーフタンズ 3 (UHQCD)
ザ・チーフタンズ
Universal Music
2023-03-15



 もう一つ。来週土曜日のピーター・バラカンさんの「ウィークエンド・サンシャイン」でこの再発の特集が予定されています。あたしもゲストに呼ばれました。そこではこの再発とともに、Owsley Stanley Foundation から出た、《The Foxhunt: San Francisco, 1973 & 1976》からのライヴ音源からもかけようとバラカンさんとは話しています。(ゆ)



 昨年11月ひと月かけてリリースされたグレイトフル・デッドの《30 Days Of Dead》を年代を遡りながら聴いています。

 1977年からは 1977-04-29, The Palladium, New York, NY のショウで、曲は〈Brown-Eyed Women〉。

 このショウは第二部の2、6、7曲目が《Download Series, Vol. 1》で、9曲目〈The Wheel〉が2012年の《30 Days Of Dead》でリリースされています。

 1977年はデッド2度目のピークの年です。デッドのピークは3度、1972年、1977年、そして1989年後半から1990年夏まで、というのがあたしの見立てですが、この三つがピークであることは大方の一致するところでもあります。むろん、他の年がダメだというのではなく、各々の年、時期にはそれぞれに魅力があります。ただ、この三つの時期のデッドの音楽は他のどの時期をも凌ぐ高みに達し、しかもその高い水準が続きます。

 この年のショウは60本、レパートリィは81曲。新曲はバーロゥ&ウィアの〈Estimated Prophet〉、ハンター&ガルシアの〈Terrapin Station〉、急死したクルーの一人レックス・ジャクソンを悼むドナの〈Sunrise〉、そしてレシュの珍しいロックンロール〈Passenger〉。またカヴァーとして〈Iko Iko〉と〈Jack-A-Roe〉がデビューしています。

 ショウが少なめなのは、06月20日、ミッキー・ハートが車を運転していて道路から飛びだし、腕と鎖骨を骨折、肋骨に罅が入り、肺にも穴があくという重傷を負って、夏のツアーがキャンセルになったためです。復帰は09月03日、ニュー・ジャージー州イングリッシュタウンの自動車レース場で、この日、単独で15万人の聴衆を集めて記録を作りました。

 その間、《Terrapin Station》がリリースされ、またワーナー・ブラザーズからアナログ4枚組のワーナー時代の回顧コンピレーション《What A Long Strange Trip It’s Been》がリリースされました。後者にはシングルだけで出ていた〈Dark Star〉スタジオ盤が収録され、この曲のためだけにデッドヘッドはこのコンピレーションを買わされる羽目になりました。

 この年の04月22日フィラデルフィアから05月28日コネティカット州ハートフォードまでの1ヶ月を超える春のツアーは、有名なコーネル大学バートン・ホールのショウを始め、最高のショウを連日連夜くり広げたことで知られます。このツアー26本のうち、16本の完全版が公式リリースされています。

 04月29日はその中で完全版が公式リリースされていない数少ないショウの一本です。このショウの SBD は外に出ていないらしく、archives.org には AUD が1本だけです。AUD としては音はすばらしい。

 第二部は〈Samson And Delilah〉で始まり、〈Sugaree〉で受けます。この曲はこの春のツアー中にモンスターに育ちます。ガルシアは伸び伸びと歌っています。悠然としたテンポで、ピアノもギターもベースもドラムスも誰も複雑なことはせず、シンプルそのものの音を坦々と連ねてゆきながら、どこまでも登っていきます。5月になると位置が第一部の、それもオープニングの2曲目に進みます。この春のツアーを象徴する曲です。

 間髪を入れずに〈El Paso〉。これはまあこの歌として普通の演奏。その後、かなり長い間があって今回リリースされた〈Brown-eyed Women〉。ガルシアの歌もギターも溌剌としてます。ドナとウィアのハーモニーも決まってます。この後もまたかなり長い間があいて、〈Estimated Prophet〉。この年02月26日にデビューしたばかりで、これが11回目の演奏。とはいえ、もう十分に練れた演奏。歌の終りの方でウィアがいかれたヤツのフリをしている裏で、ドナとガルシアがハミングするのが愉しい。その後のガルシアのソロは〈Sugaree〉と並ぶこのショウのハイライトです。

 また間があって始まるのが〈Scarlet Begonias〉。ここからクローザーの〈Around and Around〉までは途切れなく続きます。〈Scarlet Begonias〉はこの少し前03月18日のウィンターランドのショウから〈Fire on the Mountain〉と組合わされて演奏されるようになりますが、ここではまた単独で、次は〈Goin' Down The Road Feeling Bad〉に続きます。この後も時偶単独で演奏されます。ここではやや速めのテンポで軽快なノリ。ドナのスキャットが効いてます。

 〈Goin' Down The Road Feeling Bad〉がまたすばらしく、ドナのコーラスもキースのオルガンもガルシアのヴォーカル、ギターも冴えわたります。大休止から復帰後のガチョー夫妻の活躍には目を瞠るものがあります。そこから一度は〈Not Fade Away〉に移るのですが、どうも気が乗らなかったらしく、ヴォーカルが出ないまま、フロントのメンバーは引込んでしまいます。このあたり、やりたくない時にはやらないので、確かにデッドは「エンタテインメント」ではありません。

 drums からのもどりは〈The Wheel〉。ガルシアとドナが終始コーラスで歌うこれはベスト・ヴァージョン。〈Wharf Rat〉はガルシアの熱唱が光ります。〈Around and Around〉はかなりゆっくりと入ります。前年の大休止からの復帰後、当初はゆっくりと入って、途中から本来のロックンロールのテンポにどんと上がる形になります。これがカッコいいんですよねえ。ここでもドナのコーラスが効果的。アンコールは〈Uncle John's Band〉。うーん、名曲名演。つくづくこれは不思議な曲ではあります。

 折りしも今年の Dave's Picks の最初のリリース、Vol. 45 がやってきました。1977年の秋のツアーから、10月01日と02日、オレゴン州ポートランドでの2日間のショウを完全収録しています。この時期のショウは比較的短かく、2時間を少し超えるくらいなので、CD2枚で1本収めることが可能です。秋のツアーは春とはまた違った味わいがあるようです。この《30 Days Of Dead》のおさらいが終るまではおあずけです。(ゆ)

 昨年のグレイトフル・デッドのビッグ・ボックス・セット《In And Out Of The Garden: Madison Square Garden '81, '82, '83》が、グラミーの "Best Boxed or Special Limited Edition Package" を受賞しました。中身ではなく、外装での受賞ですが、ゴールド・ディスク、プラチナ・ディスクは別として、デッドの録音がグラミーはもちろん、何らかの賞を受賞したのは初めてです。

IMG_0133


 2011年の《Europe '72: The Complete Recordings》を手始めとして、毎年ひとつ、数本から10本ほどのショウの完全版を数十枚のCDにまとめたビッグ・ボックス・セットがリリースされています。このボックス・セットはCDの容れ物の形や収納の仕方に毎回凝っていて、時には2018年の《Pacific Northwest》のように、やり過ぎてひどく大きくなってしまい、送料がぐんと高くなって非難轟々になることもあります。

 今回のマジソン・スクエア・ガーデンも全体のサイズはそう大きくありませんが、やたらに細長く、扱いにいささか困るところもあります。とりわけ、ライナーなどを収めたブックレットもひどく横長になり、読むのにちょっと困りました。CDはリッピングしてしまうので、頻繁に出し入れしませんが、ライナーは読みかえすこともあります。そもそもこのライナーは中身に負けずに楽しみで、これを読むために公式リリースを買っている部分も小さくはありません。

IAOMSG-2

 

 グラミーにはベスト・ライナーの部門もあり、デッドのボックス・セットのライナーも2001年の《The Golden Road》の Dennis McNally によるものが候補になっていますが、受賞はまだありません。とはいえ、2015年の《30 Trips Around The Sun》附録の Nicholas Meriwether による "Shadow Boxing the Apocalypse: An Alternate History of the Grateful Dead" は、邦訳すれば優に文庫本1冊以上になり、「史上最長のライナー」と呼ばれたりします。メリウェザーは自身が管理人を勤める UC Santa Cruz の図書館に設けられた Grateful Dead Archives にある資料を駆使して書いていて、中身も充実しています。

 《In And Out Of The Garden: Madison Square Garden '81, '82, '83》については、別途、書いてみようとは思います。

 昨年11月の《30 Days Of Dead》リリースを年代順に遡って聴くのに戻ります。

 1978年からのもう一本は、29日リリースの 1978-04-21, Rupp Arena, Lexington, KY からの〈Truckin’> Playing In The Band〉。ショウのクローザーで、この後のアンコールは〈Werewolves Of London〉と〈U. S. Blues〉。

 〈U. S. Blues〉は SBD も含め、archives.org に上がっているどの録音にも含まれていないので、ひょっとすると存在しないのかもしれません。となると、このショウの「完全版」がリリースされることは無いかもしれません。

 archives.org に上がっている SBD でも、アンコールの1曲目〈Werewolves Of London〉が始まって間もなく AUD にスイッチしているので、SBD ではアンコールもまともに無い可能性があります。

 なお、このショウからは第一部クローザーの〈The Music Never Stopped〉が2012年の《30 Days Of Dead》で、また今回の2曲のすぐ前の〈Stella Blue〉が《So Many Roads》でリリースされています。

 ショウは04月02日から始まる春のツアーの前半も終盤。次の04月22日ナッシュヴィルは《Dave's Picks, Vol. 15》で、さらに次のツアー前半の千秋楽04月24日イリノイ州ノーマルは《Dave's Picks, Vol. 07》で各々全体がリリースされました。

 この日の第二部は〈Samson And Delilah〉に始まり、〈Ship of Fools〉で受け、次の〈Playing In The Band〉の還りが今回リリースのクローザーです。この曲はこの頃にはこんな風に間にいくつかの曲をはさんで、コーダに還る形になっています。還るまでの間はだんだん長くなり、やがて第二部全部になり、ついには日をまたいで、数本後のショウで還るまでになります。ついに還らなかったこともあります。今回は間に drums> jam>〈Stella Blue〉〈Truckin'〉と来て還りました。

 第二部中間に drums> space が決まってはさまるようになるのは2本後の04月24日のショウからです。ここではまだ space がありません。

 Drums に続くのはドラマーたちも入ってビートの効いた集団即興=ジャム。何か特定の曲に依存していない、どこへ行くのかわからない、バンド自身にもわからない、至福の時間。やがて〈Stella Blue〉におちつきます。

 デヴィッド・レミューの言うように、このショウはまだ1977年の余韻が殘っていて、どの曲もひき締まっています。デッドのキャリアの中では一番「真面目に」やっている時期です。とはいえそこはデッドですから、アンコールの〈Werewolves of London〉では、ガルシア、ウィア、ドナがそろって遠吠えを競いあいます。もともとこれはそういう曲ではありますが、こういうことをやるデッドはいかにも楽しそう。この遠吠えがやりたくてこの曲を選んでいるのではないかと思えてしまいます。

 「真面目」というのは、大休止からの復帰後、とりわけ、《Terrapin Station》の録音でプロデューサーの Keith Olsen に鍛えられて、演奏に正面から取組み、その質をとことん高めることの面白さに目覚め、本気になってやりだしたところから生まれた印象です。デッドは本朝に一般に広まっているちゃらんぽらんという誤解とは裏腹に、こと音楽演奏に関してはデビュー当時から本気でとことん突きつめようとしています。もともと至極「真面目」なのです。ただ、これまでは、演奏そのものに溺れる、ないし中毒するところがあって、状況の許すかぎりやりたいようにやりたいだけやり続けるところがありました。そうした欲望の湧きでるままに演奏するよりも、湧いてくるものを一度貯めて鍛えることで余分にふくれないようにすることの面白さと、その結果の美しさに気がついた、ということでしょう。ここでの〈Playing In The Band〉や〈Truckin'〉にもそういう志向が現れています。

 ただ、こういう「真面目さ」だけを追求することはやはりデッドにはアンバランスと感じられてしまいます。そこで drums や space のような「遊び」、まったく拘束のない、純粋な「遊び」の時間を設けることでバランスをとろうとします。この「遊び」の度が過ぎているとすれば、「真面目さ」もまた過剰なほどなのです。デッドが30年間ハードワーク(毎年平均77本以上のショウ)を続けられたのも、そのバランスがかろうじてなんとかとれていたためでしょう。バランスがとれて安定していたというよりは、崖っ縁を渡るように、あるいは綱渡りをするように、危ういところでとれていたのです。(ゆ)

 昨年11月ひと月かけてリリースされたグレイトフル・デッドの《30 Days Of Dead》を年代を遡りながら聴いています。

 1978年からは2本、

29日リリースの 1978-04-21, Rupp Arena, Lexington, KY からの〈Truckin’> Playing In The Band
23日リリースの 1978-05-17, Uptown Theatre, Chicago, IL から〈Lazy Lightning> Supplication〉。

 どちらも04月06日フロリダ州タンパから始まる春のツアー中のショウで、後者の05月17日はツアー千秋楽です。

 この年のできごととしては09月14〜16日のエジプトはギザのピラミッドとスフィンクス脇でのショウがあります。これと並び、時代を画する点ではずっと重要であるものに大晦日、ウィンターランド最後の公演があります。

 1978年は年頭から始動し、01月06日から02月03日まで17公演というツアーからスタートします。ショウの総計は80本。レパートリィは86曲。新曲にはまずバーロゥ&ウィアの〈I Need a Miracle〉、ハンター&ガルシアの〈Shakedown Street〉〈Stagger Lee〉〈If I Had The World To Give〉。ドナの〈From The Heart Of Me〉。〈If I Had The World To Give〉は3回しか演奏されませんでしたが、他はいずれも定番になります。ドナの曲は翌年02月のガチョー夫妻の脱退までではあります。

 11月には《Shakedown Street》がリリースされ、これらの新曲が収められました。名目上のプロデューサーはローウェル・ジョージで、おかげで制作過程はお世辞にも順調とはいかず、おまけに完成前にジョージは自分のバンドのツアーに出てしまいます。これもリリース当初の売行きはさほどよくありませんでした。もっともこの頃にはデッドのショウのチケットの会場周辺のダフ屋による相場は額面の5倍になっています。レコードの売行とショウの人気はまるで別物なのでした。

Shakedown Street (Dig)
Grateful Dead
Grateful Dead / Wea
2006-03-07



 エジプト遠征ではバンドとクルーだけでなく、観客も一緒に行くことになります。初日の最前列には当時のサダト大統領夫人とその取巻きもいましたが、聴衆のほとんどはアメリカやヨーロッパから飛んでいったデッドヘッドと、その時たまたまエジプト周辺にいたアメリカンたちでした。遠征費用を賄うためライヴ・アルバムも企画されていましたが、録音を聴いたガルシアは即座にダメを出します。とはいえ、その後、2008年に出た後ろの2日間の音源の抜粋を聴くと、どうしてこれがアタマからダメだったのか、首をかしげます。

 ウィンターランドのショウは恒例の年越しショウの一本ではありますが、このヴェニュー最後のコンサートとして、まったく特別なものとなりました。「サタデー・ナイト・ライブ」に出演して仲良くなったブルーズ・ブラザーズに加えてニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジが前座をつとめ、真夜中に登場したデッドは延々朝まで三部にわたって演奏を続けて、終演後、聴衆にはビュッフェ形式の朝食がふるまわれました。この模様は、少なくともデッドのパートは《The Closing Of Winterland》として CD4枚組、DVD2枚組でリリースされました。一本のショウとしては長いショウの多いデッドのものでも最長の一つです。内容もすばらしい。

グレイトフル・デッド/クロージング・オブ・ウィンターランド【2DVD:日本語字幕付】
グレイトフル・デット
ヤマハミュージックアンドビジュアルズ
2013-12-18



 この年に始まったこととして第二部半ばに drums と space がはさまる形が定まったことがあります。聴衆の一部にはトイレ・タイムと心得る人たちもいましたが、録音は通常の楽曲演奏同様じっくり耳を傾ける価値は十分にあります。drums は1980年代後期に MIDI の導入によってサウンド、手法とも格段に多様性を増し、Rhythm Devils と呼ばれるようになります。といってそれ以前がつまらないわけではもちろんありません。

 ドラムスのない、フロントの4人だけによる space も、様々に変化していきます。1960年代から70年代初めには〈Dark Star〉や〈Playing In The Band〉〈The Other One〉など長いジャムに展開される曲で現れていた形が、この頃からここに集約され、楽曲内のジャムはデッド流ロック・ジャズになってゆく傾向が見てとれます。それにしても space のような、まったくの即興、それもフリー・ジャズなどとは対照的に比較的静かな、瞑想的なパートをショウの不可欠の要素として組込んだのは、まことにユニークなやり方です。同時にこのパートはクリエイターとしてこの集団がいかに大きく豊かな想像力、イマジネーションを備えていたかをまざまざと思い知らせてくれます。たとえば Dark Star Orchestra のようなコピー・バンドもショウの再現の一環として space をやりますが、比べるのも気の毒なくらいです。

 さて、まずは 1978-05-17, Uptown Theatre, Chicago, IL から〈Lazy Lightning> Supplication〉です。

 曲はバーロゥ&ウィアのコンビによるもので、このペアは1976年06月03日、オレゴン州ポートランドで初演。〈Lazy Lightning〉は1984年10月31日、バークリィまで、111回演奏。〈Supplication〉はその後単独で演奏され、1993年05月24日、マウンテン・ヴューまで124回演奏。スタジオ盤はウィアの個人プロジェクト Kingfish の1976年03月リリースのデビュー・アルバム冒頭です。デッドのこうした組曲は後から組合わせたものと、初めから組曲として作られているものがあります。もっとも後者は〈The Other One〉や〈Let It Grow〉のようにその一部が独立して演奏されるようになることが多いようにも見えます。

 ちなみに1976年06月03日には他に〈Might As Well〉〈Samson and Delilah〉〈The Wheel〉と、一挙に5曲がデビューしています。

 この05月17日では第一部のクローザーです。なお、この日のショウからは第二部2曲目〈Friend of the Devil〉が2016年の《30 Days Of Dead》でリリースされています。

 1978年前半は2度目のピークである前年1977年の流れで、バンドは好調を維持しています。ただ、デッドのアーカイヴ管理人デヴィッド・レミューによれば、この年4月下旬の10日ほどの休みの間に演奏の質が変わり、1977年のタイトな演奏から、ずっとゆるく、ルーズな手触りの1978年版の演奏になります。

 この日は〈Mississippi Half-Step Uptown Toodeloo〉から〈Franklin's Tower〉という珍しいメドレーで始まります。〈Franklin's Tower〉は通常〈Help on the Way> Slipknot!〉との組曲で演奏されますが、時々、独立でも演奏されました。〈Mississippi Half-Step Uptown Toodeloo〉はもともととぼけた、ユーモラスな曲ですが、ここではぐっとくだけた演奏。ゆるいですが、ダレているわけではなく、魅力的な音楽になっているのがデッドたるところ。春風駘蕩というと言い過ぎでしょうが、その気分も漂います。

 この時期には定番となっている〈Me and My Uncle> Big River〉のメドレー、続く〈It Must Have Been The Roses〉というカントリー・ソングの並びでも、緊迫感より、絶妙の呼吸の漫才を見ているけしき。ドナとウィアの声の組合せには魔法があります。ここでの〈Looks Like Rain〉はその好例。そしてオープナーと対をなすおとぼけソング〈Tennessee Jed〉はベスト・ヴァージョン。ガルシアは歌うのを大いに愉しんでいますし、ギターはほとんど落語のノリ。レシュの弦が切れるのも、台本に「ここで弦が切れる」と書かれているようにさえ聞えます。

 こうなると場合によっては聴いていて胃が痛くなるようなこともある〈Lazy Lightning> Supplication〉のペアも、軽々と浮揚し、燦々と明るい陽光のもと、牧神たちが遊んでいます。ガルシアのギターは広い音域を駆使して、ジャズ・ギターとして聴いても第一級でしょう。

 1977年のデッド史上、最もひき締まった演奏はもちろん最高ですが、この時期特有のいい具合にゆるんだ演奏もまたデッドというユニットの面白さを放っています。(ゆ)

 グレイトフル・デッド公式サイトで毎年恒例の《30 Days Of Dead》、昨年のリリースから1979年3本目は 1979-05-07, Allan Kirby Field House, Lafayette College, Easton, PA から〈Passenger〉。

 Peter Monk 作詞、フィル・レシュ作曲で、このコンビの曲はこれしかありません。1977年05月15日にセント・ルイスで初演。1981年12月27日、オークランドが最後で、計99回演奏。演奏された期間は短いですが、頻度はかなり高い。レシュの曲ですが、この頃はかれはヴォーカルをとらないので、初演からしばらくはドナとウィアのコーラスで歌われました。

 レシュの曲としては珍しく、シンプルで軽快なロックンロール。《30 Days Of Dead》ではリリースの多い曲で、2011、2012、2013、2014、2016、2019年と6回登場しています。とられたショウは以下の通り。

1977-05-26, Baltimore Civic Center, Baltimore, MD
1977-10-07, University Arena (aka The Pit') , University Of New Mexico, Albuquerque, NM
1979-05-07, Allan Kirby Field House, Lafayette College, Easton, PA
1979-11-24, Golden Hall, San Diego Community Concourse, San Diego, CA
1981-02-26, Uptown Theatre, Chicago, IL
1978-05-07, Field House, Rensselaer Polytechnic Institute, Troy, NY

 このうち2013年に登場した 1979-05-07 が今回もリリースされました。このショウの SBD は外には出ていません。Internet Archives にあるものは AUD のみ。かなり上質の AUD ではあります。

 ショウは05月03日からの春のツアーの4本目。このツアーは05月13日メイン州ポートランドまでの計9本。春のツアーとしては短め。ブレント・ミドランドが加わって最初のツアーはやはり試運転の意味もあったのでしょう。なお、第二部後半 space の後のクローザーに向けてのメドレー〈Not Fade Away> Black Peter> Around And Around〉にクィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスのジョン・チポリーナが参加しています。午後8時開演。料金10.50ドルのチケットが殘っています。

 〈Passenger〉はショウの第一部クローザー。オープナー〈Don't Ease Me In〉から快調に飛ばします。ガルシアの歌もギターも水を得た魚のよう、というのはこういう状態を言うのでしょう。〈Big River〉ではミドランドが早速電子ピアノでソロを任されています。それも、3コーラスという大盤振舞い。ガルシアもノってきて、ソロをやめません。その後も見事な演奏が続きます。〈Tennessee Jed〉はガルシアの力強いヴォーカルもこの曲特有のおとぼけギターも冴えわたって、この歌のベスト・ヴァージョンの一つ。〈New Minglewood Blues〉では再びミドランドが今度はハモンドのサウンドでいいソロを聞かせ、ウィアが粋なスライド・ギターで反応します。

 〈Looks Like Rain〉はウィアが独りでドナの分までカヴァーしていますが、〈Passenger〉ではミドランドと2人で歌います。ガルシアはスライドでおそろしくシンプルなのに聴きごたえのあるフレーズをくり出します。2度目のソロは一転してバンジョー・スタイルの速弾き。どちらも、ギターを弾くのが愉しくてしかたがない様子。

 これは良いショウです。Internet Archives でも7万回以上の再生。《30 Days Of Dead》で何度も出すくらいなら、さっさと全部出してくれい。(ゆ)

 グレイトフル・デッドの《30 Days Of Dead 2022》での1979年の2本目、12日の1979-12-01, Stanley Theatre, Pittsburgh, PA から〈Althea〉。

 このヴェニュー二夜連続の二晩目。前日は午後7時開演なので、おそらく同じでしょう。07日のインディアナポリスとの間にシカゴで三連荘をしています。

 第二部5曲目 space 前で〈C C Rider〉が初演されています。ウィアの持ち歌であるブルース・ナンバー。原曲はマ・レイニーが1925年に〈See See Rider Blues〉として録音したもので、おそらくは伝統歌。1986年までは定番として演奏されますが、それ以後はがくんと頻度が減ります。1987年のディランとのツアー用にリハーサルされましたが、本番では演奏されませんでした。最後は1992年03月16日のフィラデルフィア。計127回演奏。

 翌日、同じ街でザ・フーのコンサートがあり、ロジャー・ダルトリーとピート・タウンゼントが見に来ていたそうです。

 〈Althea〉は第一部クローザーの〈The Music Never Stopped〉の前で8曲目。この年8月4日オークランドでデビューしたばかり、これが14回目の演奏。1995-07-08のシカゴ、ソルジャーズ・フィールドまでコンスタントに演奏され、計271回。この時期にデビューしたハンター&ガルシアの曲としては最も演奏回数の多い曲です。全体でも51位。今回の《30 Days Of Dead》でも25日リリースの 1983-09-04, Park West Ski Area, Park City, UT からのトラックにも含まれています。

 そこでも書きましたが、何を歌っているのか、まだよくわかりません。わからないままに、でもこれは傑作だと思います。もっとも楽曲の魅力に感応するまで、かなり時間がかかりました。ガルシア流スロー・バラードとも違って、はじめはむしろ単調に聞えました。〈Sugaree〉や〈Black Peter〉に近いでしょうか。良いと思えだしたきっかけもよくわかりません。くり返し聴くうちに、いつの間にか、出てくるのが愉しみになっていました。

 "Althea" がここで人名であるのは明らかですが、本来は植物の名前、和名むくげ、槿または木槿とされるもの。原産は中国ですが、世界各地に広まっていて、本朝でも野性化しています。園芸用、庭園用としても植えられている由。韓国の事実上の国花。旧約聖書・雅歌に出てくる「シャロンの薔薇」に比定する説もありますが、「シャロンの薔薇」が実際に何をさすか定説は無いとのこと。

 人名としてはイングランドの詩人 Richard Lovelace (1618-1658) の詩 "To Althea from Prison" (1649) が引合に出されます。王の側近なので実名を出せない女性へのラヴソング。こうした仮名としての女性名としてハンターは "Stella" を使っていて、これが2番目。〈Stella Blue〉はガルシアのスロー・バラードの代表作ですが、この〈Althea〉も勝るとも劣らぬ名曲です。

 またギリシャ神話の英雄の一人メレアグロスの母親の名前との指摘もあります。

 歌詞には『ハムレット』からの引用も鏤められていますが、だからと言って意味がすっきり通るというようなものでもありません。まあ、こういうものはあーでもない、こーでもないと、聴くたびにいろいろ考えるところを愉しむものでありましょう。

 1983-09-04はだいぶ慣れて、歌いまわしにも余裕があります。歌の間に入れる間奏もいい。

 ここではまだ歌いきる、演りきることに集中していると聞えます。1週間後に較べると、この日のガルシアはずっと元気で、歌にも力があります。あるいはいろいろな歌い方を試しているようでもあります。1983年に較べると、アルシアとの距離が、物理的にも精神的にも、ずっと近い。ギター・ソロもすぐ側にいる相手に語りかけてます。

 オープナーの〈Jack Straw〉から続く15分を超える〈Sugaree〉がまずハイライトで、ガルシアは例によってシンプル極まりないながら、わずかにひねったメロディを重ね、さらにミドランドがオルガンで熱いソロを展開するのにウィアが応え、それにまたガルシアが乗っていきます。誰もがクールに、冷静とも言える態度なのに、全体の演奏はどこまでも熱く、ホットになってゆきます。その頂点ですうっと引く。これがたまりません。引いたと思えば、さらに飽くまでもクールに続く演奏は、あまりにシンプルでひょっとしてトボけているのかと邪推したくなります。この曲が「化ける」のは1977年春のツアーでのことですが、この演奏はその77年のヴァージョンにも劣りません。

 中間はカントリー・ソングを並べます。〈Me and My Uncle〉からそのまま続く〈Big River〉では、ミドランドが電子ピアノで、およそカントリーらしくない、ユーモラスなソロを聞かせます。こういうソロはこの人ならでは。こういうソロが出るとガルシアも発奮して、この曲では珍しくソロをやめません。続くは〈Loser〉。あたしはこの曲がもう好きでたまらんのですが、これは良いヴァージョン。この歌の主人公は実に様々な顔を見せますが、この日の「負け屋」はほんとうに参っているらしく、ほとんど嘆願しています。ガルシアのギターがまた悲哀に満ちています。ミドランドの〈Easy To Love You〉は〈Althea〉とほぼ同時にデビューしています。これまたみずみずしい演奏。〈New Minglewood Blues〉も元気いっぱいで、ダンプが撥ねまわっているようなビートに載せて、ウィアがすばらしいスライド・ギター・ソロをくり出すので、ガルシアも負けてはいません。

 そして〈Althea〉が冒頭の〈Sugaree〉と対になるハイライトを現出して、ガルシアのヴォーカルが全体をぐんとひき締めます。〈The Music Never Stopped〉で締めくくる第一部。この歌は本来ドナとウィアの2人で歌ってこそのところもありますが、ウィアが踏んばって、ドナの不在を感じさせません。今の姿を見ると、生き残ったメンバーで一番良い年のとり方をしているのはウィアですが、こういうのを聴くと、なるほどと納得されます。それに応えて、ガルシアが引っぱれるだけ引っぱって盛り上げる。

 ミドランドへの交替はまずはかなりのプラスの効果を生んでます。(ゆ)




 正直なところ、大部分はあたしにはそこまでの必要はありません、というレベルの話である。これはやはりレファレンスを仕事とする人が最も重宝する、ありがたさを実感する本だろう。

 とはいえ NDL 国会図書館の人文リンク集とパスファインダーを教えてもらっただけでも読んだ甲斐があったというものだ。この2つを使いこなせれば、それだけであたしなどはまずたいていの用は足りるだろう。

 というよりも、それよりも細かく突込んでゆく部分は、せめてこの2つをある期間使ってみて 経験を積んでからでないと、ああそうか、とはならない。内容はまことにプラクティカル、具体的で、しかも一番のキモ、コツはちゃんと抽象化され、応用が効くように説明されている。一方でそれが徹底しているので、実際に自分で必要にかられてやってみないと、実感が湧いてこない。

 とはいえ、当地の市立図書館程度の規模以上の図書館には必備であろうし、あたしのまわりで言えば、編集者、翻訳者、校正・校閲担当者は一度は目を通すことを強く薦める。

 もっとも翻訳上の疑問、調べものは、これまでのところ、とにかくネットの検索をじたばたとやっていれば、なんとかカタがついた。小説の翻訳なら、それですむだろう。少しややこしいノンフィクションをやろうとすると、ここで開陳、説明されている手法がモノを言うかもしれない。

 それにしても、日本語文献のデジタル化はようやくこれからなのだ。NDL の次世代デジタルライブラリーに期待しよう。著者も言うように、戦前からの官報のデジタル化はまさに宝の山になるはずだ。

 148頁に「日本語図書は索引が弱いことにかけて定評がある。」とあるのには、膝を打つと同時に吹き出してしまった。もっとも本書で藤田節子『本の索引の作り方』地人書館の存在を教えられたのには躍りあがった。幸い、地元図書館にあったので、早速借出しを申し込んだ。

 日本語図書に索引が弱いのはやむをえない部分もある。なにせ明治になって初めて入ってきた概念だし、もともと東アジアの知的空間では索引の必要性が薄いからだ。つまり中国に索引が存在しなかったからだ。「索引」ということばからして明治に作られたものらしい。『広漢和』には明治以前の用例が無い。

 ヨーロッパで索引が発達したのは聖書のせいだ。ある言葉が聖書のどこにあるか知る必要が生じたことから生まれた。このあたりは Index, A History Of The, by Dennis Duncan に詳しい。つまり、キリスト教の聖職者は新約だけでも全巻暗記できなかった、ということになる。中国で索引が生まれなかったのは、必要がなかったためだろう。つまり中国の教養人、士大夫は、四書五経だけでなく、その注釈本、詩文、史記以来の史書など「万巻の書」を暗記していたわけだ。アラビアの学者たちも、必要な本は全部頭に入っていた、と井筒俊彦が書いている。あるいはキリスト教の聖職者たちは、聖書を暗記するには忙しすぎたのかもしれない。むろん、中には、ちゃんと頭に入っていて、自由自在に引用できる人間もいたはずだ。 この場合、憶えるのはウルガタ、ラテン語訳のものだったろう。

 ここで扱われるのは日本語の書物、雑誌に現れている情報である。一番調べにくいのが明治大正というのは意外だったが、関東大震災による断絶があるといわれると納得する。空襲による戦災でかなりの書物が消えたというのは承知していたが、関東大震災は盲点だった。前近代、江戸までの場合には質問の出所は近代文献で、範囲が限定されるので、かえって調べやすい。つまり、我々はそれだけ過去の文物と断絶されている。

 英語ネイティヴは16世紀のシェイクスピアをすっぴんでも読める。我々は16世紀に書かれた書物を生では読めない。19世紀半ばまでに書かれた文書を読むには、専門的な訓練が必要になる。学校でならう古文では歯が立たない。たとえ古文で常に満点をとっていてもだめだ。その点では漢文の方がまだ役に立ちそうだ。つまり、中学・高校で習う漢文を完璧にマスターすれば、あとは根気さえやしなえば、史記を原文で読むことはできるのではないか。

 実際には明治になってから書かれた文書でも読めないものが多い。漱石はまだいい。鷗外を読むにはそれなりの準備が要る。露伴を読めるのは、これまた専門家ぐらいだろう。

 つまり、我々が生きている時空はひどく狭いものであることを、あらためて思い知らされる。まあ、空間は多少広がったかもしれない。しかし、その空間は「ただの現在にすぎない」(118pp.)。仏教でいう「刹那」でしかない。そのことは忘れないでおこう。

 本書の内容に戻れば、かつてはベテランのレファレンス司書が必要だったことが、デジタル化のおかげで、ど素人でも、この本にしたがってやればかなり近いところまで行けるようになった。場合によってはより突込んだレファレンス、リサーチができる。調査の専門家でなくても、深く掘ってゆけるようになっている。あとは資料、文献のデジタル化をどんどんと進めていただきたい。とりわけ新聞、雑誌の広告を含めたデジタル化を進めていただきたい。これはすぐに見返りがある仕事ではない。しかし日本語の文化の未来にとっては不可欠の作業だ。(ゆ)

 昨年11月の《30 Days Of Dead 2022》を時間軸を遡りながら聴いています。

 1979年からは今回3本、セレクトされました。
 オープナー01日の 1979-05-07, Allan Kirby Field House, Lafayette College, Easton, PA から〈Passenger〉。これは2013年の《30 Days Of Dead》でリリース済み。
 12日の1979-12-01, Stanley Theatre, Pittsburgh, PA から〈Althea〉。
 そして19日の 1979-12-07, Indiana Convention Center, Indianapolis, IN から〈Eyes Of The World〉。

 1979年には大きなできごとがあります。年頭のツアーの終った2月半ば過ぎ、鍵盤奏者がキース・ガチョーからブレント・ミドランドに交替し、キースと同時にドナ・ジーンも退団します。1970年代を支えたペアがいなくなり、ミドランドは鍵盤兼第三のシンガーとして1980年代を担うことになります。今回の3本はいずれもミドランド・デッドの時期です。

 一つの見方として、デッドのキャリアを鍵盤奏者で区切る方法があります。1960年代のピグペン、70年代のキース・ガチョー、80年代のブレント・ミドランド、90年代のヴィンス・ウェルニク。意図してそうなったわけではありませんが、結果としてきれいに区分けできてしまうことは、グレイトフル・デッドという特異な存在にまつわる特異な現象でもあります。デッドとその周囲にはこうしたシンクロニシティが実に多い。

 この年は珍しく年頭01月05日からツアーに出ます。フィラデルフィアから始め、マディソン・スクエア・ガーデン、ロングアイランド、アップステートから東部を回り、さらにミシガン、インディアナ、ウィスコンシン、オクラホマ、イリノイ、カンザス、ミズーリ州セント・ルイスまで、1ヶ月半の長丁場でした。その途中、ドナがまず脱落し、ツアーが終って戻ったキースと相談の上、バンドに退団を申し入れ、バンドもこれを了承しました。

 前年の末からキースの演奏の質が急激に低下します。その原因はむろん単純なものではありませんが、乱暴にまとめるならば、やはり疲れたということでしょう。デッドのように、毎晩、それまでとは違う演奏、やったことのない演奏をするのは、ミュージシャンにとってたいへんな負担になります。デッドとしてはそうしないではいられない、同じことをくり返すことの方が苦痛であるためにそうやっているわけですが、それでも負担であることには違いありません。

 それを可能にするために、メンバーは日頃から努力しています。もっとも本人たちは努力とは感じてはいなかったでしょうけれども、傍から見れば努力です。何よりも皆インプットに努めています。常に違うことをアウトプットするには、それに倍するインプットが必要です。キースもそれをやっていたはずで、そうでなければ仮にも10年デッドの鍵盤を支えることはできなかったはずです。それが、様々の理由からできなくなった、というのが1978年後半にキースに起きたことと思われます。そのため、キースは演奏で独自の寄与をすることができなくなります。そこでかれがやむなくとった方策はガルシアのソロをそっくりマネすることでした。このことはバンド全体の演奏の質を大きく低下させました。

 最も大きくマイナスに作用したのは当然ガルシアです。ガルシアは鍵盤奏者の演奏を支点にしてそのソロを展開します。鍵盤がよい演奏をすることが、ガルシアがよいソロを展開する前提のひとつです。それが自分のソロをマネされては、いわば鏡に映った自分に向って演奏することになります。その演奏は縮小再生産のダウン・スパイラルに陥ります。

 公式リリースされたライヴ音源を聴いていると、1979年に入ってからのキースの演奏の質の低下が耳につきます。したがって鍵盤奏者を入れかえることはバンドとしても考えなければならなくなっていました。ガルシアは代わりの鍵盤奏者を探して、当時ウィアの個人バンドにいたミドランドに目をつけていました。

 ミドランドがアンサンブルに溶けこむためにバンドは2ヶ月の休みをとり、04月22日、サンノゼでミドランドがデビュー、05月03日から春のツアーに出ます。05月07日のペンシルヴェイニア州イーストンはその4本目です。

 この年のショウは75本。レパートリィは93曲。新曲は5曲。ハンター&ガルシアの〈Althea〉〈Alabama Getaway〉、バーロゥ&ウィアの〈Lost Sailor〉と〈Saint of Circumstances〉のペア、そしてミドランドの〈Easy to Love You〉。

 1979年にはかつての "Wall of Sound" に代わる新たな最先端 PA システムが導入されます。デッドはショウの音響システムについては常に先進的でした。目的は可能なかぎり明瞭で透明なサウンドを会場のできるだけ広い範囲に屆けることでした。〈Althea〉やガルシアのスロー・バラードの演奏にはそうしたシステムの貢献が欠かせません。

 この年は世間的にはクラッシュのアルバム《ロンドン・コーリング》でパンクがピークに達し、デッドはもう時代遅れと見る向きも顕在化しています。一方で、この頃から新たな世代のファンが増えはじめてもいて、風潮としてはデッドやデッドが体現する志向とは対立する1980年代のレーガン時代を通じて着実にファン層は厚くなっていきました。ちなみにデッドヘッドは民主党支持者に限りません。熱心な共和党支持者であるデッドヘッドはいます。

 時間軸にしたがって、まずは 1979-12-07, Indiana Convention Center, Indianapolis, IN から〈Eyes Of The World〉です。第二部オープナー〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉が一度終った次の曲で、ここからクローザー〈Johnny B. Goode〉までノンストップです。

 ショウは10月24日から始まる26本におよぶ長い秋のツアー終盤の一本。このツアーは3本後の12月11日のカンザス・シティまで続きます。

 長いツアーも終盤でやはりくたびれてきているのでしょうか。ガルシアの声に今一つ力がありません。全体に第二部は足取りが重い。重いというと言い過ぎにも思えますが、〈Eyes Of The World〉は軽快に、はずむように、流れるように演奏されるのが常ですが、ここでは一歩一歩、確かめながら足を運んでいます。くたびれたようではあるものの、ガルシアはここで3曲続けてリード・ヴォーカルをとってもいますから、踏んばろうと気力をまとめているようでもあります。後半、ギターが後ろに引込んで、もともと大きかったベースと電子ピアノが前面に出て明瞭になります。とはいえ、それによって全体のからみ合いがよりはっきりと入ってきて、ひじょうに良いジャムをしているのがわかります。

 この後はウィアの〈Lost Sailor> Saint Of Circumstance〉のペアから space> drums> space ときて、本来のどん底を這いまわる〈Wharf Rat〉。そしてそのパート3から一気に〈Around And Around〉と〈Johnny B. Goode〉のロックンロール二本立てのクローザー。ここへ来て、ずっと頭の上にのしかかっていたものに耐えていた、耐えて矯めていたものを爆発させます。アンコール〈U. S. Blues〉が一番元気。

 疲れたらそれが現れるのを無理に隠そうとはしません。また飾りたててごまかすこともしない。疲れたなりに演奏し、それが自然な説得力を持つのがデッドです。そして結局演奏することで自らを癒す。より大きな危機も音楽に、ショウに集中することで乗り越えてゆきます。このショウはベストのショウではありませんが、デッドの粘り強さがよりはっきりと聴きとれます。(ゆ)

 昨年11月ひと月かけてリリースされた《30 Days Of Dead》を年代順に遡って聴く試み。20日リリースの 1980-05-31, Metropolitan Sports Center, Bloomington, MN からクローザーへ向けての3曲のメドレー〈I Need A Miracle> Bertha> Sugar Magnolia〉です。ショウは04月28日アラバマ州バーミンガムから始まった春のツアー後半の3本目。この後半は6月中旬、アンカレッジでの三連荘で打上げます。

 1980年は01月13日にカンボディア難民支援のチャリティ・イベントに参加しただけで、始動は遅く、03月31日ニュー・ジャージー州パサーイクから。ショウの総数は86本。レパートリィは103曲。新曲はミドランドの〈Far from Home〉とバーロゥ&ウィアの〈Feel like a Stranger〉。どちらもこの年04月にリリースの新譜《Go To Heaven》収録。

 このツアーの後、07月01日のサンディエゴを終えて1ヶ月半の夏休みに入りますが、その23日、キース・ガチョーが交通事故で死亡します。ピグペン、キース、ブレント・ミドランド、ヴィンス・ウェルニクの4人のデッドの鍵盤奏者はいずれも悲劇的な死に方をしています。

 秋にはサンフランシスコのウォーフィールド・シアター、ニューヨークのラジオシティ・ミュージック・ホールで長期レジデンス公演をします。この時は第一部がアコースティック・セット、第二部以降がエレクトリック・セットという構成でした。デッドが集中的にアコースティック・セットを演奏したのは1970年頃以来で、これが最後。ここからは《Reckoning》《Dead Set》というライヴ・アルバムがリリースされました。ライヴ音源を聴くかぎり、デッドはアコースティック・アンサンブルとしても一級で、こういう演奏をもっと聴きたかったものです。

 このショウは第二部だけ SBD があります。
 
 オープナーの〈Feel Like A Stranger〉は2ヶ月前にデビューして、これが16回目の演奏ですが、ミドランドのキーボードとコーラスの効果は歴然。ガルシアのギターもこれに感応しています。

 一度終って〈Ship of Fools〉。歌の裏のミドランドの電子ピアノが美味。ガルシア力唱。とはいっても、力みがないのがこの人の身上。

 やはり一度終って〈Last Sailor〉からは今回リリースされたクローザー〈Sugar Magnolia〉までノンストップ。〈Last Sailor〉は前年夏のデビューで、まだ新しい曲。1986年まではこの曲の後には〈Saint Of Circumstance〉が続きます。この二つは組曲になっていますが、さらに後者自体が少なくとも二つのパートに別れる組曲なので、ペアで演奏すると3曲の組曲に聞えます。このショウでは、後者の後半はまったく曲から離れた集団即興=ジャムになります。必然性は見えないけれど、聴いている分にはまことに面白いこの現象もデッドならではです。

 続くは〈Wharf Rat〉。やや闊達な演奏ですが、ガルシアのヴォーカルはむしろ抑え気味。ここではガルシアは歌っている間、ギターをほとんど弾きません。このヴァージョンはパート3でがらりと雰囲気が変わります。パート3が晴れやかな気分になるのはいつものことではありますが、ここはその切替えが大きい。ガルシアのギターは歌とは裏腹に緊張感が強い。

 イントロからベースのリフが入って〈The Other One〉。始まって間もなく少しの間 AUD になり、また SBD に戻ります。ここにアップされているのは Charlie Miller によるマスターなので、ミラーによる作業でしょう。演奏はいいです。間奏でのガルシアのギターは「ロック」してます。2番の歌詞の後、ガルシアがフリーの即興を続け、他のメンバーは小さな音でこれに反応します。しばし即興を続けてからガルシアも音を絞り、ドラマーたちに讓ります。

 Drums ではまず〈The Other One〉後半では沈黙していたクロイツマンがひとしきり叩いてから、ハートが加わって対話。一度終ってからハートが何やらドラム系ではない打楽器を叩きだし、しばらくしてガルシアがギターでメロディのない音数の少ないフレーズを弾きだして〈Space〉。

 〈Space〉からの曲が今回リリースされた〈I Need a Miracle〉。以下〈Sugar Magnolia〉までほぼ同じテンポ、アップビートな曲で軽快に駆けぬけます。前半はどちらかというとヘヴィに打ちこんできますが、後半は軽やか。この軽やかな〈Sugar Magnolia〉はいいなあ。

 このショウはダブル・アンコールで、一つ目が〈U. S. Blues〉、二つ目が〈Brokedown Palace〉。

 〈U. S. Blues〉は第二部後半の軽やかに弾む感覚が続いてます。ウィアがスライド・ギターでおいしいフレーズを連発します。とてもアンコールではないです。

 〈Brokedown Palace〉は再び AUD。音の良い AUD で、コーラスをきれいに捉えてます。これも明るく開放的な演奏。

 1980年代前半はこれまで公式リリースが少ないですが、こういうショウがあるんですねえ。(ゆ)

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