クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

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 macOS Sonoma 14.0 でも AquaSKK は問題なく使える。

 毎度のことながらほっとする。

 入力ソースを変更するごとにカーソルのあるところに小さくアイコンが出る。ちょとわずらわしいが、切る方法がわからない。

 ついでながら、ドックの「最近使ったアプリ」が正常に動作するようになった。ドックを再起動しなくてもすむ。(ゆ)

2023-09-30追記
 ドックの「最近使ったアプリ」はやはりダメで、Mac を一度眠らせたりすると、再起動しないと正常に動作しない。

 昨年11月ひと月かけてリリースされたグレイトフル・デッドの《30 Days Of Dead》を年代を遡りながら聴いています。今回は07日リリースの 1972-10-24, Performing Arts Center, Milwaukee, WI から〈The Other One> He's Gone> The Other One〉。36:50はこの年の《30 Days Of Dead》最長トラック。

 第二部もクライマックス、〈Truckin'〉から  Drums を経て切れ目なしにこのメドレーに入り、ここで一度終り。〈Casey Jones〉〈Johnny B. Goode 〉で締めて、アンコール無し。〈The Other One〉の直後、機器トラブルにみまわれたとウィアが宣言しているので、アンコール無しはそのせいかもしれません。

 1972年は春のヨーロッパ・ツアーを筆頭に、デッドにとって最初のピークの年。1965年の結成以来右肩上がりに昇ってきたその頂点を極めた年です。春だけでなく、1年を通して絶好調を維持しています。

 このショウは同じヴェニュー2日連続の2日目。夜7時半開演のポスターが2種残っています。ひとつは全員完全に骸骨のバンドが踊っているもの。もうひとつは両側に蓬髪を垂らした頭蓋骨がこちらを睨んでいるもの。どちらもなかなかおどろおどろしくもあり、ユーモラスでもあり。

 この秋は働きづめで、08月27日、カリフォルニア州ヴェネタでの有名なショウ、09月03日コロラド州ボゥルダーでのショウの後、09日からツアーに出て10月02日に打上げ。09日にウィンターランドに出て、17日からセント・ルイスのフォックス・シアターでの三連荘から30日までツアー。11月13日から26日までまたツアーしています。春のヨーロッパ・ツアーのせいでしょう、夏に長いツアーをしていない埋合せでしょうか。

 年間のショウは計86本。1971年以降では最多。レパートリィは88曲。新曲は以下の13曲。

Black-Throated Wind; John Perry Barlow & Bob Weir
Looks Like Rain; John Perry Barlow & Bob Weir
The Stranger (Two Souls In Communion); Ron McKernan
How Sweet It Is (To Be Loved By You); Brian Holland, Lamont Dozier & Eddie Holland
Sidewalks Of New York; Charles B. Lawlor & James W. Blake
Who Do You Love; Ellas McDaniel (Bo Diddley)
He's Gone; Robert Hunter & Jerry Garcia
Hey Bo Diddley; Ellas McDaniel (Bo Diddley)
Rockin' Pneumonia and The Boogie Woogie Flu; Huey Smith / Johnny Vincent
Stella Blue; Robert Hunter & Jerry Garcia
Mississippi Half-Step Uptown Toodeloo; Robert Hunter & Jerry Garcia
Weather Report Suite Prelude; Bob Weir
Tomorrow Is Forever; Dolly Parton & Porter Wagoner

 カヴァー曲はいずれも単発ないし、数回の演奏でした。うち〈How Sweet It Is (To Be Loved By You)〉はデッドでは1回だけの演奏ですが、ジェリィ・ガルシア・バンドのレパートリィとして定着します。

 一方、オリジナル曲はピグペンの曲を除き、いずれも定番となります。

 デッドはステージではMCをしないために、ピグペンの曲はファンの間では長いこと〈Two Souls In Communion〉と呼ばれていました。《The Golden Road》に収録された際に〈The Stranger〉とされました。この年の03月12日から05月26日まで、13回演奏。

 ピグペンは前年末に復帰しますが、ヨーロッパ・ツアーで決定的に健康を損ない、06月17日を最後のステージとしてバンドから離れます。

 一方、前年大晦日に初ステージを踏んだドナ・ジーン・ガチョーはヨーロッパ・ツアーを経て完全にバンドに溶けこみ、1970年代の最も幸福な時期どデッドの音楽をより複雑多彩で豊饒なものにするのに貢献します。同時にデッドはピグペンのバンドから完全に離陸します。

 楽曲にもどって、〈He's Gone〉はバンドの金を使いこんで逃げた前マネージャーのレニー・ハートの一件を歌った曲。3月にかれは横領の罪で懲役6ヶ月を言い渡され、服役しました。横領した金の一部も返したようです。バンドは結局、損害賠償請求の訴訟も起こしませんでした。替わりに作ったこの歌は後に挽歌の性格を強め、関係者やバンドと親しい人間が死ぬと追悼に演奏されるようになります。

 バーロゥ&ウィアの2曲はこの年5月にリリースされたウィアの初のソロ《Ace》のために書かれた曲。《Ace》はバック・バンドがデッドそのままですし、プロデュースにはガルシアもかなり「口を出し」ています。そのためデッドのアルバムとして数える向きもありますが、デニス・マクナリーのバンドの公式伝記 A LONG STRANGE TRIP によれば、この録音を主導したのはあくまでもウィアで、どこからどう見てもこれはウィアのソロ・プロジェクトであるそうです。

 さらにこの年、バンドは自前のレコード会社として Grateful Dead Records、Round Records を設立します。ロック・ミュージシャンが自前のレコード会社を設立することはビートルズの Apple Records 以来珍しくありませんが、配給・販売まで自前でやろうとしたところはいかにもデッドらしい。そして見事に失敗するところはさらにデッドらしい。

 デッドは他人なら絶対にやらないようなことをあっさりとやってしまいます。そしていつもものの見事に失敗して、危機に陥ります。そうした危機を、かれらは音楽に集中し、より良い演奏をめざし、質の高いショウを重ねることで乗り越えていきました。それが可能だったのは、それらの失敗が後向きのものではなく、前向きのものだったからでしょう。

 10月24日のこのショウの SBD は第二部の後半のみ残っているようです。ショウ全体の録音は AUD があります。

 AUD はモノーラル録音、ステージからはやや遠いようで、細部は聴きとれませんが、ヴォーカルやギター、ドラムスの一部は明瞭です。ベースはどうしても落ちますけれども、一部わかるところもあります。

 演奏はさすがにピークの年、気合いの入ったもの。〈Truckin'〉でのガルシアのギターがなんともすばらしい。ウィアの歌の裏で弾いているのも、ソロになってからも、絶好調の時の、意表をつくフレーズがどんどんとあふれてきます。ここでの Drums は元来は〈The Other One〉の元になった組曲の一部で、単独時代でもこの年のクロイツマンはレシュが「鬼神」と呼んだのもよくわかる大活躍。それに引き出された〈The Other One〉はデッドの真骨頂。ベース・ソロもいいし、ガルシアのアヴァンギャルドなギターが縦横に駆けめぐります。こういう抽象的、不定形な即興が聴いていて面白いと感じられるのがデッドのデッドたるところ。メンバー各自の音楽的素養の深さと広さに支えられたものでしょう。

 その最中にガルシアがいきなりリフを始めて〈He's Gone〉。ここでもガルシアのギターがメイン・メロディの変奏からどんどん外れてゆき、しかも楽曲の大枠からははずれない、絶妙のバランスをとって流れてゆきます。それに他のメンバーがからみ、対抗して展開する集団即興の面白さには身もだえしてしまいます。この歌のベスト・ヴァージョンの一つ。

 そして今度はベースが音頭をとって〈The Other One〉にもどり、ウィアが2番を歌っておさめます。ここで一度終るので、〈Casey Jones〉と間をおかずに続ける〈Johnny B. Goode〉がアンコールに聞えなくもありません。(ゆ)

 昨年11月ひと月かけてリリースされたグレイトフル・デッドの《30 Days Of Dead》を年代を遡りながら聴いています。今回は22日リリースの 1973-12-19, Curtis Hixon Convention Hall, Tampa, FL から〈Dire Wolf; Black-Throated Wind; Candyman〉。この3曲は連続ではなく、各々間は切れています。

 このショウは大半が記念すべき《Dick's Picks, Vol. 1》でリリースされています。そこに収められていないトラックのうち、第一部クローザー前の〈Ramble On Rose〉が2012年の《30 Days Of Dead》でリリースされ、今回、これも未収録の第一部4曲目からの3曲がリリースされました。これでこのショウの26トラック中18トラック、2時間半が公式にリリースされたことになります。例によって Internet Archive ではショウ全体の SBD の Charlie Miller によるミックスがストリーミングで聴けます。

 この年のショウは計72本、レパートリィは77曲。新曲は〈China Doll〉〈Eyes Of the World〉〈Loose Lucy〉〈Row Jimmy〉〈Here Comes Sunshine〉〈They Love Each Other〉、〈Weather Report Suite〉、それに〈Wave That Flag〉。最後のものは後に改訂されて〈U. S. Blues〉として生まれかわります。いずれも定番として、長く、また数多く演奏されます。

 年初は秋にリリースされる《Wake Of The Flood》の録音に費し、始動は02月09日のスタンフォード大学でした。このショウでは上記のうち〈Weather Report Suite〉を除く7曲が一気にデビューしています。1971年10月19日のミネソタ大学でも一気に7曲デビューしています。7曲というのはこの2回だけで、5曲デビューが3度ほどあります。

 今回の12月19日はこの年最後のショウです。1968年以降、ビル・グレアムの死ぬ1991年までの間で、年間を通して活動してなおかつ大晦日の年越しショウをしていないのはこの年だけです。

 03月08日、ロン・“ピグペン”・マカナンが多臓器不全により27歳で世を去りました。後にピグペンの父は息子と人生をともにし、その人生を充実した、実り豊かなものにしてくれたことに感謝する手紙をバンドに送りました。ピグペンはデッドのキャリアにつきそう死者たちの最初のひとりでありました。この死者たちの列に最後に加わったのがジェリィ・ガルシアです。グレイトフル・デッドはその名前通り、死者たちのバンドでもあります。

 ニコラス・メリウェザーによる《30 Trips Around The Sun》の「史上最長のライナーノート」によれば、この年はテープの存在が顕著になった年でした。『ローリング・ストーン』誌には東西両海岸のテープ交換、分配のシーンが紹介されました。この頃はまだオープン・リールによるもので、主に7インチの、おそらくは細ハブが使われたのでしょう。テープ・スピードを 9.5cm/秒にすれば往復で3時間入り、平均的なショウを1本にできます。このテープの世界は翌年から1976年にいたる大休止の時期に爆発的に拡大します。後にグレイトフル・デッドの初代アーカイヴィストになるディック・ラトヴァラがデッドのテープと出会って、頭から飛びこんでゆくのも1975年でした。

 12月19日のショウはこの年の総決算のようにすばらしい出来です。その年最後のショウは翌1974年10月20日も含めて、出来の良いものが多い中でも、これはトップを争います。この年のベストの1本のみならず、全キャリアの中でも指折りです。これが完全な形で公式リリースされていないのは何とも歯痒い。Internet Archives のストリーミングでも音は十分良いので、一度は通して聴かれることを薦めます。

 全体にひどくゆったりとしたテンポ。ゆっくり演る時のデッドは調子が良いことが多い。1976年の大休止からの復帰の後もゆったりとしたテンポが快いですが、このショウはそれよりもさらにゆったりしています。とりわけガルシアの持ち歌で顕著で、ガルシアはどの歌も歌詞を噛んで含めるように、言葉を愛おしむようにていねいに歌います。ガルシアはシンガーとしては疑問符が付けられる傾向がありますが、たとえばヴァン・モリソンのようなうたい手ではなかったとしても、十分個性的な説得力を備えています。デッドをやる前のブルーグラスやフォークを演っている時の録音を聴いても、むしろ一級のうたい手と言ってもよいことは明らかです。デッドの音楽の魅力は器楽演奏の部分だけではなく、歌があってのものです。

 今回の3曲はまさに歌を聴かせる曲で、どれもガルシアがソロをとる場面はあってもごく短かい。もっとも、ウィアの持ち歌では、ヴォーカルの裏でガルシアはずっと美味しいギターを弾いています。これ以外でも〈Jack Straw〉〈El Paso〉でも聴けます。ソロとは異なり、あくまでも歌を立てる伴奏の範疇に留まって出しゃばらないところが見事ですが、時に耳をもっていかれます。自分もコーラスをつける時にはギターは弾いていませんから、それだけギターに集中しているのでしょう。

 これでもわかる通り、ガルシアは絶好調で、ソロをとるときでも一瞬たりとも耳が離せません。本人も自覚しているのでしょう、〈Big River〉ではなかなかソロをやめません。特筆すべきは〈Here Comes Sunshine〉〈He's Gone〉〈Nobody's Fault But Mine〉。最後のものはブルーズ・ギターではなく、ほとんどジャズです。歌も元気一杯。ラストの〈Around and Around〉でも、およそロックンロールの定石からははずれたギター。アンコール〈Casey Jones〉のギターもいい。そして何といってもこの時期の〈Playing In The Band〉は特別。初めは5分ほどの普通の曲だったものが、どんどん長くなり、ついには30分を越えるようになるこの曲の成長と変化は、デッド音楽を聴く醍醐味の一つです。

 ここでの〈Playing In The Band〉はまだ終始ビートがあり、あたしには一番面白い形ですが、第二部の〈The Other One〉になると深化の階梯を一段上がっていて、後半に後の Space に通じる抽象的、スペーシィなジャムになります。復帰後の1977年春から第二部中間に Drums> Space が必ず置かれるようになりますが、大休止前にはこういう曲が途中から Space や Drums になります。いずれにしても、フリーリズムで不定形な集団即興は、バンドのごく初期から最後まで、常にそのショウの一部でした。ここは賛否両論別れるところかもしれませんが、あたしはこれがあってのデッドのライヴと思います。

 もうひとつ、このショウの質の高さはガルシアの好調だけに由来するものではありません。こういう時は他のメンバー各々にしても、またバンド全体として、みごとな演奏をしています。ここで目に(耳に)つくのはキースで、ドラムスに替わってビートを支えたり、面白いフレーズを連発したり、ここぞというところでツボにはまった演奏を聴かせます。なお、このショウではドナはお休みです。

 《Dick's Picks, Vol. 1》はもちろん聴いていましたが、こうしてショウ全体を聴くとやはりいろいろと発見があります。デッドにとっての「作品」とは、スタジオ盤ではなく、一本一本のショウであることもすとんと胸に落ちます。(ゆ)

 昨年11月ひと月かけてリリースされたグレイトフル・デッドの《30 Days Of Dead》を年代を遡りながら聴いています。今回は03日リリースの 1974-07-29, Capital Centre, Landover, MD から〈Scarlet Begonias; Jack Straw〉。この2曲も切れています。

 1975年は飛ばされていますが、無理は無いので、デッドはツアーをせず、年間を通じてショウは4回だけ。それも2回はフェスティヴァルに参加した短かいステージです。いずれも既に何らかの形で全てリリースされています。

 1974年は10月20日にウィンターランドで「最後の」ショウをするまで、ショウの数は40本と少ないですが、バンドとしてはいろいろと忙しい年です。レパートリィは83曲。新曲は6曲。〈U.S. Blues〉〈It Must Have Been The Roses〉〈Ship Of Fools〉〈Scarlet Begonias〉〈Cassidy〉〈Money Money〉。最後のもの以外は、以後、定番として長く数多く演奏されます。

 〈Scarlet Begonias〉は復帰後の1977年春から〈Fire on the Mountain〉を後につないでペアとして演奏されます。〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉と並んで人気の高い、定番中の定番となり、名演も多く生まれます。ですが、1974年、76年に50回近く単独で演奏されたものにも優れた演奏はあり、この日のものはそのベストの1本です。

 この年まず一番大きなできごととしては Wall of Sound が完成します。理想のライヴ・サウンドを求めて、ペアことアウズレィ・スタンリィたちが立ちあげた Alembic が中心となって開発したモンスターPAシステムです。前年からショウでの実地テストを繰返し、3月23日、カウパレスでのショウで正式にお披露目されました。5月12日、これを携えたツアーがモンタナとカナダから始まります。6月に《From Mars Hotel》をリリース。9月にはヨーロッパ・ツアーに出て、ロンドン、ミュンヘン、ディジョン、パリと「ウォール・オヴ・サウンド」をかついで回りました。

 一方、この年勃発した石油危機によって運送コストが法外なほど上がり、「ウォール・オヴ・サウンド」の維持費が耐えられる限界を超えます。完成形の「ウォール・オヴ・サウンド」機材の総重量は75トン。運搬にはトレーラー5台が必要で、組立て解体には30人の専従スタッフがいました。組立てに1日かかるので、連日のショウをこなすためには、二組用意して、一組をひとつ先の会場に送っていました。

 《フロム・マーズ・ホテル》はリリースしたものの、自前のレコード会社をもう続けられないことは誰の目にも明らかになっていました。

 こうした様々なストレスが重なり、ドラッグの消費量も目に見えて増えます。

 重なりあった問題を解決するため、バンドはライヴ活動を全面的に休止することを決め、10月16〜20日のウィンターランドでの公演を千秋楽として大休止に入りました。チケットにでかでかと "The Last One" のハンコが押された20日の「最後」のショウが終った時点では、グレイトフル・デッドがグレイトフル・デッドとして再びステージに立つ日が来るのか、誰にもわかりませんでした。20日のショウの第二部にミッキー・ハートがドラム・キットを持って駆けつけて復帰したのも、これを逃せば二度とバンドとしてともに演奏することはできなくなるという危機感からでした。

 その頃、太平洋の反対側で大学に入ったばかりだったあたしは、クラシックからプログレを経て、ブリテン、アイルランドの「トラッド」とその頃本朝では呼ばれていた不思議な音楽の虜となる一方、アメリカン・ロックの洗礼を CSN&Y によって受けようとしていました。グレイトフル・デッドの名も耳にしたものの、少し後でリアルタイムで買った《Steal Your Face》によって、以後追いかけようという意志を奪われます。デッドの音楽に開眼し、生きてゆくのになくてはならぬものになるのは、それから40年近く経た2010年代初めのことでした。

 07月29日のショウは7月19日から8月6日までの夏のツアー後半も終盤です。このツアーの後は9月のヨーロッパ・ツアーで、その次のショウは10月下旬のウィンターランドです。

 ショウには夜7時開演、料金6.50ドルのチケットが残っています。全体の4割に相当するトラックが2012年の《Dave's Picks Bonus Disc》に収録されました。第一部2曲めの〈Sugaree〉とクローザー〈Weather Report Suite〉、それに第二部の前半です。このうち〈The Other One> Spanish Jam> Wharf Rat〉は2019年の《30 Days Of Dead》でもリリースされました。今回の〈Scarlet Begonias; Jack Straw〉は第一部の6、7曲目です。これで全体の半分のトラックがリリースされたことになります。

 バンドの内外でそれぞれからみあった問題がより深刻になり、解決の道筋も見えない状況にあって、かえってそれ故にでしょうか、音楽の質は高いものです。72年のピーク時に比べても、質が落ちたとは感じられません。新曲もいずれもすばらしく、それによってショウの質が上がっている効果もあります。

 このショウもきっちりしていて、とりわけ、ウィアが歌っている時にその背後で弾いているガルシアのギターが聞き物です。〈Jack Straw〉でも聴けますが、3曲目の〈Black-Throated Wind〉や〈El Paso〉、第一部クローザー〈Weather Report Suite〉の〈Let It Grow〉では耳を奪われます。

 ソロのギターも冴えているのは〈Scarlet Begonias〉に明らかですし、〈Deal〉もいい。面白いのはクローザー前の〈To Lay Me Down〉で、ガルシアはほとんどギターを弾かず、バックはドラムス、オルガン、ベースという組合せ。デッドではきわめて珍しい組合せで、しかもぴったりとハマっています。

 ゆったりしたテンポの〈Sugaree〉と、〈Let It Grow〉での明瞭なメロディに依存しない不定形なジャムも十分面白い。ただこの二つの手法は、1976年の復帰後にあらためて突き詰められて、1977年の第二の、そして最高のピークを特徴づけるもとになります。バンドとしてのライヴ活動はやめるのしても、演奏ではすでに次のステップへ向けての運動が始まっていたのでした。(ゆ)

  昨年11月ひと月かけてリリースされたグレイトフル・デッドの《30 Days Of Dead》を年代を遡りながら聴く企画、今回は24日リリース、1976-09-27, Community War Memorial Auditorium, Rochester, NY からの〈Might As Well; Samson and Delilah〉です。第二部オープナーからの2曲。このショウからはこの後、drums の直後〈The Other One〉が2012年の《30 Days Of Dead》でリリースされています。開演夜7時半。料金7ドルのチケットが殘っています。

 1976年は06月03日に、1974年10月20日以来、1年7カ月ぶりにツアーに復帰します。この年のツアーは06月07月と09月10月の2回、ショウは41本、レパートリィは66曲。新曲はバーロゥ&ウィアの〈Lazy Lightening〉と〈Supplication〉のペア、ハンター&ガルシアの〈Might As Well〉と〈Mission in the Rain〉。そしてレヴェレンド・ゲイリー・デイヴィスのカヴァー〈Samson And Delilah〉。〈Mission in the Rain〉はデッドでは5回演奏されただけで、ガルシアのソロ・プロジェクト専用の曲になります。こういう曲は他にもあり、例えば〈Ripple〉が同じく、デッドからジェリィ・ガルシア・バンドに移っています。

 〈Might As Well; Samson and Delilah〉はどちらもバネのよく効いたビートにのった闊達な演奏。全員が溌剌としていて、大休止の効果は明らかです。このメンバーでまた演奏できる愉しさにあふれています。

 こうして並べて聴くと、この二つは片方が片方の霊感の元になったように聞えます。どちらかといえばガルシアの曲がウィアに後者を持ち出すきっかけを与えた気がします。

 次の〈Help on the Way〉からクローザーの〈Around and Around〉までひと続きです。〈Help on the Way〉は〈Slipknot!> Franklin's Tower〉と続くのが通例ですが、ここでは〈Slipknot!〉の次に drums>〈The Other One> Wharf Rat〉がはさまって〈Slipknot!〉に戻り、〈Franklin's Tower〉でまとめて、クローザーにつなぎます。〈Slipknot!〉から直接〈Franklin's Tower〉につながないのはこの年の特徴といわれますが、こういう尋常でないことをする時は調子が良く、この日もエネルギーに満ちた、見事な演奏です。

 drums はもちろんですが、〈Help on the Way〉のコーダに顕著なように、再びダブル・ドラムスになったメリットがよくわかります。ようやく全員揃ったという思いもこの演奏の質を押し上げているかもしれません。〈Slipknot!〉は特定のメロディに依存しない、フリーの集団即興=ジャムの曲で、かつての〈Caution (Do Not Stop On Tracks)〉に通じるところもありますが、ずっと洗練されていて、複雑になっています。このヴァージョンは緊張感漲るなかに、目一杯愉しんでもいて、デッドを聴く醍醐味ここにあり。drums>〈The Other One> Wharf Rat〉もテンションは落ちませんが、また〈Slipknot!〉にもどるところはスリリングです。〈Franklin's Tower〉では途中でやや息切れしたようでもありますが、それでも演奏をやめたくない様子も伺えます。このあたりが1976年で、翌年になると充実した演奏をショウの最初から最後まで貫いて維持するようになります。

 アンコールの〈U.S. Blues〉はゆったりしたテンポで、やはりこれを歌えるのが愉しくてたまらないのがありありとわかります。かくて、十二分の休養をとり、大休止前に抱えていた様々の問題をとりあえず精算して、音楽に集中する体制を整えることができたデッドは、キャリアの頂点を迎えることになります。(ゆ)

 06月30日に発送通知があってから2週間。グレイトフル・デッド今年のビッグ・ボックス《Here Comes Sunshine 1973》がやって来た。例によって輸入消費税1,700円也をとられる。

 比較的コンパクトなパッケージ。昨年のマディソン・スクエア・ガーデンのボックスのような、いささか奇をてらったところもなく、まっとうな外形だ。デザイナーは Masaki Koike。1977年5月の二つのボックス・セットのデザイナー。そのうち、例のコーネル大学バートン・ホールのショウを含む二つ目のボックス《Get Shown The Light》は、CDそのものの収め方が凝っていて、うっかりすると破ってしまいそうなデリケートなものだった。今回も中が結構凝っているが、あれほど危なっかしいところはない。

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 外見はこういう箱型。青い部分は滑って抜ける。

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 中の箱は上に蓋が開く。CDとライナーを収めたほぼ正方形の紙製レコードのダブル・ジャケットが5つ、手ぬぐいを縦に三つ折りにしたものでくるまれている。ただくるまれているだけで、固定されてはいない。一番下に、当時のメンバーの左側横顔を並べたイラストのポスター。今回は付録はほぼこれだけ。チケットの複製などは無い。すっきりしている。

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 1本目、05-13のショウを収めたスリーブに全体のライナーが入ったブックレットが、ショウ自体のためのライナーとともにはさまっている。全体のライナーは Ray Robertson, スターファインダー・スタンリィはじめ The Owsley Stanley Foundation, それに David Lemieux が書いている。個々のショウのためのライナーは Ray Robertson のペンになる。

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 1973年前半は Wall of Sound が完成してゆく時期であり、またデッドのショウが最も長くなった時期でもある。収められた5本のショウのうち05-13と06-10がCD4枚、後の3本は3枚。すべて3時間超で、05-13は4時間半近い。トータルで19時間超。

 この5本はショウとしては連続しているが、間が1週間とか2週間とか空いているので、レパートリィつまり演奏された曲目は似ている。05-13、26、06-10 はいずれも〈The Promised Land〉と〈Deal〉で始まる。最後の06-10は2日連続の2日目のせいか、他とはかなり違う内容だ。いきなり〈Morning Dew〉で始まったりする。

 録音担当はキッド・カンデラリオ、ベティ・カンター=ジャクソン、そしてアウズレィ・スタンリィという最高の面子。

 この一連のショウからはすでに半世紀。演奏中のステージの上で遊んでいる子どもたちも、今はみなジジババになっている。聴衆は死んでいる者も少なくないだろう。しかし、音楽は記録され、こうして時空を超えてゆく。(ゆ)

 Dead.net から今年のビッグボックス《Here Comes Sunshine 1973》の案内がきたので、早速注文。送料70ドル。計256.98USD。円安がまた進行しているし、送料は相変わらずだが、やむをえん。


 
 収録されるショウは以下の5本。CD17枚組とダウンロード。

1973-05-13, Iowa State Fairgrounds, Des Moines, IA
 第一部クローザー〈Playing in the Band〉が2010年の《30 Days Of Dead》でリリース。
 
1973-05-20, Campus Stadium, University Of California, Santa Barbara, CA

1973-05-26, Kezar Stadium, San Francisco, CA
 第二部6曲目〈Box or Rain〉が2021年の《30 Days Of Dead》でリリース。

1973-06-09, RFK Stadium, Washington, DC

1973-06-10, RFK Stadium, Washington, DC
 第一部クローザー前〈Bird Song〉が2011年の、第二部4曲目〈Here Comes Sunshine〉が2017年の《30 Days Of Dead》で、第三部オープナー〈It Takes A Lot To Laugh It Takes A Train To Cry〉が《Postcards Of The Hanging》で、各々リリース。

 この06-10のショウが独立でCD4枚組、LP8枚組で各々リリース。

 この5本は4月2日までの春のツアーと6月22日からの夏のツアーの間の時期で、この期間、ショウはこれで全部。

 RFK Stadium の2日間はオールマン・ブラザーズ・バンドとの双頭ヘッドで、ダグ・ザームとウェット・ウィリーが前座。9日はデッドが先、10日はデッドが後。10日第3部にはマール・ソーンダース、ディッキー・ベッツ、ブッチ・トラックスが参加。

 ライナー執筆陣の一人 Ray Robertson は《Dave's Picks, Vol. 45》に続いての登場で、あのライナーはなかなか良かったので楽しみ。(ゆ)

 新興の版元カンパニー社から『新版 ECM の真実』が出て、その記念のイベントがあり、著者の稲岡邦彌氏とバラカンさんが出るというので、行ってみた。なかなかに面白い。

 あたしにとって ECM とは、ジャズ的に面白くルーツ・ミュージックを料理した音楽を聴かせてくれるレーベル、である。だから、そこから一枚選ぶとすれば、Anouar Brahem, Barzakh, 1990 になる。 これであたしは ECM を「発見」するからだ。つまり、そこからの新譜をチェックする対象のひとつに ECM が入ったわけだ。

Barzakh
Brahem, Anouar
Ecm Records
2000-04-11



 なので昨日のイベントでバラカンさんが選んだ一枚としてブラヒムの Thimar からかかったのは、我が意を得たりというところだった。バラカンさんは、リスナーからずばりと当てられて、がっくりされてたけれど。

Thimar
Brahem, Anouar
Ecm Records
2000-01-25

 

 ブラヒムに続いて、1994年、Lena Willemark & Ale Moller の Nordan が登場し、ますます ECM は身近になった。これ以後、Agram, 1996, Frifot, 1999 と続く。Nordan、Agram はそれぞれに北国の冬と夏を描いて、かれらのアルバムとしてもピークとなったし、およそヨーロッパのルーツ・ミュージックでくくられる音楽の録音としてもベストに数えられるものではある。

Nordan
ECM Records
1994-09-19



Agram
ECM Records
1996-09-16




Frifot
ECM Records
2017-08-01


 実を言えばノルウェイの Agnes Buen Garnas がヤン・ガルバレクと作った Rosensfole が1989年に出ているのだが、これは後追いだった。ガルバレクは1993年の Twelve Moon でもガルナスと、サーミ出身のマリ・ボイネを起用する。

Rosensfole
Garbarek, Jan
Ecm Import
2000-08-01

 
トウェルヴ・ムーン
ヤン・ガルバレク・グループ
ユニバーサル ミュージック クラシック
2004-02-21



 北欧勢では Groupa の Mats Eden の MILVUS が1999年。

Milvus
Mats Eden
Ecm Import
2008-11-18



 Terje Rypdal がいるじゃないかという向きもあろうが、あたしから見るとかれはジャズの人で、ルーツ=フォーク・ミュージックの人ではない。ガルバレクも同じ。もともとルーツ=フォークをやっていた人の録音が ECM から出るのが面白いのである。

 Jon Balke を知るのはもう少し後で、Amina Alaoui の入った2009年の Siwan からだ。知ってからはバルケの Siwan は追っかけの対象である。

Siwan (Ocrd)
Balke, Jon
Ecm Records
2009-06-30


 アミナにはもう一枚 Arco Iris もある。

Arco Iris
Alaoui Ensemble, Amina
Ecm Records
2011-06-28


 
 さらにフィンランド ノルウェイの Sinikka Langeland が2007年の Starflowers から ECM で出しはじめる。

Starflowers (Ocrd)
Langeland, Sinikka
Ecm Records
2007-08-21



 フィンランドでは Markku Ounaskari, Samuli Mikkonen, Per Jorgensen の Kuara が2010年。

KUARA-PSALMS & FOLK SO
OUNASKARI, MARKKU
ECM
2018-10-05



 この流れでの最新作は先日出た Anders Jormin, Lena Willemark, Karin Nakagawa, Jon Falt による Pasado En Claro, ECM2761だ。2015年 Trees Of Light 以来のこのユニットの新作。

Pasado En Claro
Anders Jormin
Ecm Records
2023-03-03



Trees of Light
Lena Wille
Ecm Records
2015-05-26



 南に目を転じると Savina Yannatou の TERRA NOSTRA が2003年だが、これは2001年のギリシャ盤の再発で、ECMオリジナルは2008年の Songs Of An Other から。あたしなんぞは ECM で TERRA NOSTRA を知った口だから、この再発はもちろんありがたい。

Songs of an Other (Ocrd)
Yannatou, Savina
Ecm Records
2008-09-09

 

 同じギリシャから Charles Lloyd & Maria Farantouri の Athens Concert が2011年。

アテネ・コンサート
マリア・ファランドゥーリ
ユニバーサル ミュージック クラシック
2011-09-07



 サルディニアの Paolo Fresu, A Filetta & Daniele di Bonaventura の Mistico Mediterraneo も2011年。

Mistico Mediterraneo
Fresu, Paolo
Ecm Records
2011-02-22



 アルバニアの Elina Duni のカルテット名義の MATANE MALIT: Beyond The Mountain が2012年。

Matane Malit
Duni, Elina -Quartet-
Ecm Records
2012-10-16



 イラン系ドイツ人の Cymin Samawatie & Cyminology, As Ney が2009年。

As Ney (Ocrd)
Cyminology
Ecm Records
2009-03-09



 こういう人たちは ECM で教えられたので、まったく ECM様々である。

 という具合ではあるが、それにしても、June Tabor, Iain Bellamy & Huw Warren, QUERCUS が2013年に出たときは驚いた。

Quercus
Quercus
Ecm Records
2013-06-04



 が、それよりもっと驚いたのは Robin Williamson が2002年に Skirting The River Road を出していたのを後から知った時だった。ウィリアムスンはさらに2006年 The Iron Stone、2014年 Trusting In The Rising Light と出している。ウィリアムスンはたぶん ECM の全カタログの中でも珍品と言っていいんじゃなかろうか。このあたり、ECM 中でも「メインストリーム」のリスナーはどう評価するのだろう。その前に、アイヒャーがこういう音楽のどこに価値を見出したのか、訊いてみたくなる。いや、文句をつけてるわけじゃない。ただ、ウィリアムスンのこういう音楽は、聴くのがつらくないといえば嘘になる。ウィリアムスンはハーパーとしてすばらしいアルバムもあるし、アメリカで出した Merry Band とのアルバムは好きだ。が、インクレディブル・ストリング・バンドがあたしはどうしてもわからないのである。ECM での音楽は、かつて ISB でやろうとしてできなかったことを、思う存分、やりたい放題にやったように聞えて、そこがつらい。ISB が大好きという人もいるわけだから、聴く価値がないなどとは言わないが、なんとも居心地がよくないのだ。

Skirting the River Road
Williamson, Robin
Ecm Import
2003-08-12

 
American Stonehenge
Robin Williamson
Criminal
1978T


 あたしにとってこういう音楽を聴かせてくれるのが ECM である。そりゃ、キース・ジャレットは聴きますよ。ラルフ・タウナーも好きだ。パット・メセーニ(ほんとは「メシーニー」が近い)、それにもちろんガルバレク、リピダルはじめ北欧のジャズの人たちもいい。ECM としてはこのあたりが主流になるんだろうけど、ただ、それはあたしにとってはサイド・ディッシュなのである。というよりデザートかもしれない。スイーツという味わいではないけれど、あたしの中の位置としてはそれが一番近い。

 上に挙げたようなルーツ系の ECM は一方で、ここでしか聴けない音楽、各々のミュージシャンの、他ではなかなかに聴けない音楽を聴かせてくれる。ふだん出すようなレコードとはまったく違うアプローチの音楽だ。中にはヴィッレマルク&メッレルのように、ベストと言いきってもいいようなものすらある。ルーツ系 ECM のレコードは、主食としてもたいそう美味しく、そして珍しい味なのだ。

 昨日のイベントでは、このあたりの話も出るかなとほのかに期待していたが、そこまで行かなかった。『新版 ECM の真実』でも、1990年代から顕著になるこのあたりの動きは、あっさり飛ばされている。ECM のファンでも ECM をジャズのレーベルと認識している大半の人にとっては、ワケわからん世界なのだろう。ウィリアムスンのように、あたしでさえワケわからんものすらあるので、無理もないといえば無理もない。ただ、ヨーロッパの伝統音楽のファンは聴かない手はない。北欧しか聴きませんという向きも、ECM の北欧系ルーツ・ミュージックは聴く価値がある。

 稲岡氏の話でまず面白かったのは、ECM が当初クラシックのリスナーを購買層に想定していたというところ。わが国でジャズのリスナーとクラシックのリスナーの数を比べれば1対10ぐらいだろう。ヨーロッパではこの差は何倍にもなる。アイヒャーがめざしたのは、ジャズのミュージシャンを起用するが、クラシックのリスナーにも抵抗感の小さな音楽だった、というのだ。ピアノ・ソロなどはその典型で、クラシック・ファンはピアノ・ソナタなどで、ピアノ・ソロには慣れている。グレン・グールドやフリードリッヒ・グルダのような人もいる。加えて、クラシック・ファンは音楽に金を使う。レコードを買うのもシングル単位ではなく、アルバム単位だ。

 なるほど、チーフテンズがアイリッシュ・ミュージックをクラシック・ファンに売りこもうとしたのも戦略としては同じだ。いずれにしても、各々の音楽の従来のリスナー以外の人たちに聴かせようとした。どちらもそれぞれの名前をブランドにしようと努めた。今では ECM から出るものなら、未知のミュージシャンでも音楽の質は保証されると信頼されるようになっている。チーフテンズも、そのコンサートやレコードに失望されることはないという信頼感があった。

 稲岡氏の話でもう一つ、ECM のあのサウンド、アンビエントやリヴァーブ成分が多いとされるあのサウンドは、教会の響きなのだ、という話。これまた言われてみれば、そりゃそうだとうなずいてしまう。だから、小さい頃から教会の響きには慣れているヨーロッパのリスナーにしてみれば、ごく自然な響きになる。アメリカの、ブルー・ノートの音はなるほど、狭いクラブでの響きだ。もっとも、ルーツ系のアルバムでは、いわゆるECMサウンドはあまり強くない。むしろ、楽器や声のそのままの響きを大切にしている。

 一方、バラカンさんから出た、ECM が出てからジャズがまったく別のものになった、というのにも、膝を叩いてしまった。コルトレーンが死んだところにひょいと出てきたリターン・トゥ・フォーエヴァーは ECM だったのだ。昨日のイベントで流された、1971年ドイツでのライヴという、マイルス・デイヴィスのバンドで、大はしゃぎで電子ピアノを弾きまくっているキース・ジャレットの姿はもう一つの象徴に見えた。『ビッチェズ・ブリュー』50周年記念のトリビュートとしてロンドン・ベースのミュージシャンたちが作った London Brew などは、エレクトリック・マイルスのお父さん、ECMのお母さんから生まれた子どものように、あたしには聞える。

London Brew
London Brew
Concord Records
2023-03-31



 会場で買った『新版 ECM の真実』を読みながら帰る。ぱらぱらやっていると、本文よりも、今回増補されたインタヴューや対談、それと『ユリイカ』と『カイエ』表4(裏表紙)に「連載」されたエッセイ広告に読みふけってしまう。(ゆ)

 イーロン・マスクが AI の開発競争に懸念を表明という報道。おまえが言うか。もっとも、わからないでもない。かれは世界を自分の思うがままにしたいので、AI はそれには邪魔になる。早い話、イーロン・マスクのようなヤツが世界征服するのを止める方法を AI に訊ねてみることもできる。イタリアが使用禁止にしたのも同じ。イタリアが禁止した理由がふるっている。個人の情報を集めているから。だったら、Facebook、Twitter、Google をまず使用禁止にすべきだろう。

 バイドゥも AI 開発を発表したそうだが、中国政府がどうするか。ロシアやベラルーシ、イスラーム諸国も禁止したいはずだ。本朝政府ももちろん使用を禁止したいが、そうするとアメリカの機嫌をそこねるからできないか。

 むろん、Microsoft も Google も開発を加速こそすれ、遅くするつもりはさらさらないはずだ。かれらだけではない、Apple もやっているし、世界中のコンピュータ科学の研究機関、大学や NASA のような機関もどんどんやっている。こういうものは止まるとか、遅くなることはありえない。そして、それが現在の世界の構造をひっくり返そうとしていることも確かだ。別にひっくり返すためにやっているわけではない。単に面白いからだ。AI 開発は面白い。やっている人たちは、必要にかられていろいろ理由をつけるが、根本のところは面白い、楽しいからやる。そして、人びとがそれを使うからますますやる。

 AI 開発に反対する人は文明が人間のコントロールをはずれるというが、人間はこれまで文明をコントロールしてきたのか。百歩譲って、コントロールしてきたとして、コントロールしてきたその結果が今のこのザマではないか。これを、あんたはOKだというのか。これがこのまま続いていくことを、あんたは望んでいるのか。人間が、人間様だけがコントロールしてきたから、温暖化とか、戦争とか、差別とか、ひどいことになっているんじゃないか。このまま温暖化はどんどん進み、あちこちで戦争が勃発し、差別もひどくなるほうが良いというのか。

 AI はつまるところ「3人寄れば文殊の智慧」を具体化し、極限まで拡大しようとするものだ。ひとりだけで考えていても、たいしたことは思いつきもしないし、考えられもしない。それとも考えることは少数の天才たちにまかせればいいのか。そうではなく、大勢の考えを集めてみれば、一人で考えているよりもずっとマシなことを思いつくだろう。それは少数の天才たちが思いつくどんなことよりもマシになりうる。百発百中の砲一門は、百発一中の砲百門にとうていかなわないのだ。

 ジェイムズ・P・ホーガンは『仮想空間計画』で、AI にまかせた方が仮想空間内の社会がまともな方向に向かうことを描いてみせた。

仮想空間計画 (創元SF文庫)
ジェイムズ・P・ホーガン
東京創元社
2015-08-29



 それは楽観的に過ぎるとしても、AI は人間の独善をチェックする存在になりうる。AI に反対しているイーロン・マスクのような連中は、自分たちの独善によって利益を得ている。この世界全体、地球全体がどうなろうと知ったことではないのだろう。AI はその独善に対するアンチテーゼになりうる。言わせてもらえば、むしろ AI に暴走してもらいたいくらいだ。コードウェイナー・スミスが今生きていたら、Instrumentality of Mankind 人類補完機構の管理者たちを人間の中からの選抜ではなく、AI にしたことだろう。
 もちろん、どうなるかはわからない。AI が「悪い」方向に暴走することだってありうる。しかし、AI がなくても未来はお先真暗なのだ。AI という要素がからんできたことで、その真暗闇に濃淡がつくかもしれない、というところだろう、今はまだ。しかし、それだけでも面白い。AI の研究は昨日や今日に始まったわけではないが、ようやくスタート地点に立ったのだ。ひょっとすると、生きているうちにシンギュラリティが見られるのではないか。そう思うと、わくわくしてくる。(ゆ)

 バンド結成60周年記念で出ていたクラダ・レコードからのチーフテンズの旧譜10枚の国内盤がめでたく来週03月15日に発売になります。ちょうどセント・パトリック・ディの週末ですね。

ザ・チーフタンズ 1 (UHQCD)
ザ・チーフタンズ
Universal Music
2023-03-15

 

 いずれも国内初CD化で、リマスタリングされており、おまけに「高音質CD」だそうです。これらはもともと録音もよいので、その点でも楽しめるはずです。

 今回再発されるのは1963年のファースト・アルバムから1986年の《Ballad Of The Irish Horses》までで、ヴァン・モリソンとの《Irish Heartbeat》以降の、コラボレーション路線のチーフテンズに親しんできたリスナーには、かれらだけの音楽が新鮮に聞えるのではないでしょうか。ファーストから《Bonapart's Retreat》までは、バンドの進化がよくわかりますし、《Year Of The French》や《Ballad Of The Irish Horses》では、オーケストラとの共演が楽しめます。《Year Of The French》はなぜか本国でもずっとCD化されていなかったものです。

イヤー・オブ・ザ・フレンチ (UHQCD)
ザ・チーフタンズ
Universal Music
2023-03-15



 以前にも書きましたが、このライナーを書くために、あらためてファーストから集中的に聴いて、かれらの凄さにあらためて感嘆しました。まさに、チーフテンズの前にチーフテンズ無く、チーフテンズの後にチーフテンズ無し。こういうバンドはもう二度と出ないでしょう。

 言い換えれば、これはあくまでもチーフテンズの音楽であって、アイリッシュ・ミュージック、アイルランドの伝統音楽をベースにはしていますし、アイリッシュ・ミュージック以外からは絶対に出てこないものではあるでしょうが、アイリッシュ・ミュージックそのものではありません。伝統音楽の一部とも言えない。

 それでもなお、これこそがアイリッシュ・ミュージックであるというパディ・モローニの主張を敷衍するならば、そう、デューク・エリントンの音楽もまたジャズの一環であるという意味で、チーフテンズの音楽もアイリッシュ・ミュージックの一環であるとは言えます。

 ただ、ジャズにおけるエリントンよりも、チーフテンズの音楽はアイリッシュ・ミュージックをある方向にぎりぎりまで展開したものではあります。それは最先端であると同時に、この先はもう無い袋小路でもあります。後継者もいません。今後もまず現れそうにありません。現れるとすれば、むしろクラシックの側からとも思えますが、クラシックの人たちの関心は別の方に向いています。

 ということはあたしのようなすれっからしの寝言であって、リスナーとしては、ここに現れた成果に無心に聴きほれるのが一番ではあります。なんといっても、ここには、純朴であると同時にこの上なく洗練された、唯一無二の美しさをたたえた音楽がたっぷり詰まっています。

 ひとつお断わり。この再発の日本語ライナーでも「マイケル・タブリディ」とあるべきところが「マイケル・タルビディ」になってしまっています。前に出た《60周年記念ベスト盤》のオリジナルの英語ライナーが Michael Tubridy とあるべきところを Michael Turbidy としてしまっていたために、そちらではそうなってしまいました。修正を申し入れてあったのですが、どういうわけか、やはり直っていませんでした。

 ですので、「マイケル・タルビディ」と印刷されているところは「マイケル・タブリディ」と読みかえてくださいますよう、お願いいたします。なお、本人はメンバーが写っている《3》のジャケットの右奥でフルートを抱えています。

ザ・チーフタンズ 3 (UHQCD)
ザ・チーフタンズ
Universal Music
2023-03-15



 もう一つ。来週土曜日のピーター・バラカンさんの「ウィークエンド・サンシャイン」でこの再発の特集が予定されています。あたしもゲストに呼ばれました。そこではこの再発とともに、Owsley Stanley Foundation から出た、《The Foxhunt: San Francisco, 1973 & 1976》からのライヴ音源からもかけようとバラカンさんとは話しています。(ゆ)



 昨年11月ひと月かけてリリースされたグレイトフル・デッドの《30 Days Of Dead》を年代を遡りながら聴いています。

 1977年からは 1977-04-29, The Palladium, New York, NY のショウで、曲は〈Brown-Eyed Women〉。

 このショウは第二部の2、6、7曲目が《Download Series, Vol. 1》で、9曲目〈The Wheel〉が2012年の《30 Days Of Dead》でリリースされています。

 1977年はデッド2度目のピークの年です。デッドのピークは3度、1972年、1977年、そして1989年後半から1990年夏まで、というのがあたしの見立てですが、この三つがピークであることは大方の一致するところでもあります。むろん、他の年がダメだというのではなく、各々の年、時期にはそれぞれに魅力があります。ただ、この三つの時期のデッドの音楽は他のどの時期をも凌ぐ高みに達し、しかもその高い水準が続きます。

 この年のショウは60本、レパートリィは81曲。新曲はバーロゥ&ウィアの〈Estimated Prophet〉、ハンター&ガルシアの〈Terrapin Station〉、急死したクルーの一人レックス・ジャクソンを悼むドナの〈Sunrise〉、そしてレシュの珍しいロックンロール〈Passenger〉。またカヴァーとして〈Iko Iko〉と〈Jack-A-Roe〉がデビューしています。

 ショウが少なめなのは、06月20日、ミッキー・ハートが車を運転していて道路から飛びだし、腕と鎖骨を骨折、肋骨に罅が入り、肺にも穴があくという重傷を負って、夏のツアーがキャンセルになったためです。復帰は09月03日、ニュー・ジャージー州イングリッシュタウンの自動車レース場で、この日、単独で15万人の聴衆を集めて記録を作りました。

 その間、《Terrapin Station》がリリースされ、またワーナー・ブラザーズからアナログ4枚組のワーナー時代の回顧コンピレーション《What A Long Strange Trip It’s Been》がリリースされました。後者にはシングルだけで出ていた〈Dark Star〉スタジオ盤が収録され、この曲のためだけにデッドヘッドはこのコンピレーションを買わされる羽目になりました。

 この年の04月22日フィラデルフィアから05月28日コネティカット州ハートフォードまでの1ヶ月を超える春のツアーは、有名なコーネル大学バートン・ホールのショウを始め、最高のショウを連日連夜くり広げたことで知られます。このツアー26本のうち、16本の完全版が公式リリースされています。

 04月29日はその中で完全版が公式リリースされていない数少ないショウの一本です。このショウの SBD は外に出ていないらしく、archives.org には AUD が1本だけです。AUD としては音はすばらしい。

 第二部は〈Samson And Delilah〉で始まり、〈Sugaree〉で受けます。この曲はこの春のツアー中にモンスターに育ちます。ガルシアは伸び伸びと歌っています。悠然としたテンポで、ピアノもギターもベースもドラムスも誰も複雑なことはせず、シンプルそのものの音を坦々と連ねてゆきながら、どこまでも登っていきます。5月になると位置が第一部の、それもオープニングの2曲目に進みます。この春のツアーを象徴する曲です。

 間髪を入れずに〈El Paso〉。これはまあこの歌として普通の演奏。その後、かなり長い間があって今回リリースされた〈Brown-eyed Women〉。ガルシアの歌もギターも溌剌としてます。ドナとウィアのハーモニーも決まってます。この後もまたかなり長い間があいて、〈Estimated Prophet〉。この年02月26日にデビューしたばかりで、これが11回目の演奏。とはいえ、もう十分に練れた演奏。歌の終りの方でウィアがいかれたヤツのフリをしている裏で、ドナとガルシアがハミングするのが愉しい。その後のガルシアのソロは〈Sugaree〉と並ぶこのショウのハイライトです。

 また間があって始まるのが〈Scarlet Begonias〉。ここからクローザーの〈Around and Around〉までは途切れなく続きます。〈Scarlet Begonias〉はこの少し前03月18日のウィンターランドのショウから〈Fire on the Mountain〉と組合わされて演奏されるようになりますが、ここではまた単独で、次は〈Goin' Down The Road Feeling Bad〉に続きます。この後も時偶単独で演奏されます。ここではやや速めのテンポで軽快なノリ。ドナのスキャットが効いてます。

 〈Goin' Down The Road Feeling Bad〉がまたすばらしく、ドナのコーラスもキースのオルガンもガルシアのヴォーカル、ギターも冴えわたります。大休止から復帰後のガチョー夫妻の活躍には目を瞠るものがあります。そこから一度は〈Not Fade Away〉に移るのですが、どうも気が乗らなかったらしく、ヴォーカルが出ないまま、フロントのメンバーは引込んでしまいます。このあたり、やりたくない時にはやらないので、確かにデッドは「エンタテインメント」ではありません。

 drums からのもどりは〈The Wheel〉。ガルシアとドナが終始コーラスで歌うこれはベスト・ヴァージョン。〈Wharf Rat〉はガルシアの熱唱が光ります。〈Around and Around〉はかなりゆっくりと入ります。前年の大休止からの復帰後、当初はゆっくりと入って、途中から本来のロックンロールのテンポにどんと上がる形になります。これがカッコいいんですよねえ。ここでもドナのコーラスが効果的。アンコールは〈Uncle John's Band〉。うーん、名曲名演。つくづくこれは不思議な曲ではあります。

 折りしも今年の Dave's Picks の最初のリリース、Vol. 45 がやってきました。1977年の秋のツアーから、10月01日と02日、オレゴン州ポートランドでの2日間のショウを完全収録しています。この時期のショウは比較的短かく、2時間を少し超えるくらいなので、CD2枚で1本収めることが可能です。秋のツアーは春とはまた違った味わいがあるようです。この《30 Days Of Dead》のおさらいが終るまではおあずけです。(ゆ)

 昨年のグレイトフル・デッドのビッグ・ボックス・セット《In And Out Of The Garden: Madison Square Garden '81, '82, '83》が、グラミーの "Best Boxed or Special Limited Edition Package" を受賞しました。中身ではなく、外装での受賞ですが、ゴールド・ディスク、プラチナ・ディスクは別として、デッドの録音がグラミーはもちろん、何らかの賞を受賞したのは初めてです。

IMG_0133


 2011年の《Europe '72: The Complete Recordings》を手始めとして、毎年ひとつ、数本から10本ほどのショウの完全版を数十枚のCDにまとめたビッグ・ボックス・セットがリリースされています。このボックス・セットはCDの容れ物の形や収納の仕方に毎回凝っていて、時には2018年の《Pacific Northwest》のように、やり過ぎてひどく大きくなってしまい、送料がぐんと高くなって非難轟々になることもあります。

 今回のマジソン・スクエア・ガーデンも全体のサイズはそう大きくありませんが、やたらに細長く、扱いにいささか困るところもあります。とりわけ、ライナーなどを収めたブックレットもひどく横長になり、読むのにちょっと困りました。CDはリッピングしてしまうので、頻繁に出し入れしませんが、ライナーは読みかえすこともあります。そもそもこのライナーは中身に負けずに楽しみで、これを読むために公式リリースを買っている部分も小さくはありません。

IAOMSG-2

 

 グラミーにはベスト・ライナーの部門もあり、デッドのボックス・セットのライナーも2001年の《The Golden Road》の Dennis McNally によるものが候補になっていますが、受賞はまだありません。とはいえ、2015年の《30 Trips Around The Sun》附録の Nicholas Meriwether による "Shadow Boxing the Apocalypse: An Alternate History of the Grateful Dead" は、邦訳すれば優に文庫本1冊以上になり、「史上最長のライナー」と呼ばれたりします。メリウェザーは自身が管理人を勤める UC Santa Cruz の図書館に設けられた Grateful Dead Archives にある資料を駆使して書いていて、中身も充実しています。

 《In And Out Of The Garden: Madison Square Garden '81, '82, '83》については、別途、書いてみようとは思います。

 昨年11月の《30 Days Of Dead》リリースを年代順に遡って聴くのに戻ります。

 1978年からのもう一本は、29日リリースの 1978-04-21, Rupp Arena, Lexington, KY からの〈Truckin’> Playing In The Band〉。ショウのクローザーで、この後のアンコールは〈Werewolves Of London〉と〈U. S. Blues〉。

 〈U. S. Blues〉は SBD も含め、archives.org に上がっているどの録音にも含まれていないので、ひょっとすると存在しないのかもしれません。となると、このショウの「完全版」がリリースされることは無いかもしれません。

 archives.org に上がっている SBD でも、アンコールの1曲目〈Werewolves Of London〉が始まって間もなく AUD にスイッチしているので、SBD ではアンコールもまともに無い可能性があります。

 なお、このショウからは第一部クローザーの〈The Music Never Stopped〉が2012年の《30 Days Of Dead》で、また今回の2曲のすぐ前の〈Stella Blue〉が《So Many Roads》でリリースされています。

 ショウは04月02日から始まる春のツアーの前半も終盤。次の04月22日ナッシュヴィルは《Dave's Picks, Vol. 15》で、さらに次のツアー前半の千秋楽04月24日イリノイ州ノーマルは《Dave's Picks, Vol. 07》で各々全体がリリースされました。

 この日の第二部は〈Samson And Delilah〉に始まり、〈Ship of Fools〉で受け、次の〈Playing In The Band〉の還りが今回リリースのクローザーです。この曲はこの頃にはこんな風に間にいくつかの曲をはさんで、コーダに還る形になっています。還るまでの間はだんだん長くなり、やがて第二部全部になり、ついには日をまたいで、数本後のショウで還るまでになります。ついに還らなかったこともあります。今回は間に drums> jam>〈Stella Blue〉〈Truckin'〉と来て還りました。

 第二部中間に drums> space が決まってはさまるようになるのは2本後の04月24日のショウからです。ここではまだ space がありません。

 Drums に続くのはドラマーたちも入ってビートの効いた集団即興=ジャム。何か特定の曲に依存していない、どこへ行くのかわからない、バンド自身にもわからない、至福の時間。やがて〈Stella Blue〉におちつきます。

 デヴィッド・レミューの言うように、このショウはまだ1977年の余韻が殘っていて、どの曲もひき締まっています。デッドのキャリアの中では一番「真面目に」やっている時期です。とはいえそこはデッドですから、アンコールの〈Werewolves of London〉では、ガルシア、ウィア、ドナがそろって遠吠えを競いあいます。もともとこれはそういう曲ではありますが、こういうことをやるデッドはいかにも楽しそう。この遠吠えがやりたくてこの曲を選んでいるのではないかと思えてしまいます。

 「真面目」というのは、大休止からの復帰後、とりわけ、《Terrapin Station》の録音でプロデューサーの Keith Olsen に鍛えられて、演奏に正面から取組み、その質をとことん高めることの面白さに目覚め、本気になってやりだしたところから生まれた印象です。デッドは本朝に一般に広まっているちゃらんぽらんという誤解とは裏腹に、こと音楽演奏に関してはデビュー当時から本気でとことん突きつめようとしています。もともと至極「真面目」なのです。ただ、これまでは、演奏そのものに溺れる、ないし中毒するところがあって、状況の許すかぎりやりたいようにやりたいだけやり続けるところがありました。そうした欲望の湧きでるままに演奏するよりも、湧いてくるものを一度貯めて鍛えることで余分にふくれないようにすることの面白さと、その結果の美しさに気がついた、ということでしょう。ここでの〈Playing In The Band〉や〈Truckin'〉にもそういう志向が現れています。

 ただ、こういう「真面目さ」だけを追求することはやはりデッドにはアンバランスと感じられてしまいます。そこで drums や space のような「遊び」、まったく拘束のない、純粋な「遊び」の時間を設けることでバランスをとろうとします。この「遊び」の度が過ぎているとすれば、「真面目さ」もまた過剰なほどなのです。デッドが30年間ハードワーク(毎年平均77本以上のショウ)を続けられたのも、そのバランスがかろうじてなんとかとれていたためでしょう。バランスがとれて安定していたというよりは、崖っ縁を渡るように、あるいは綱渡りをするように、危ういところでとれていたのです。(ゆ)

 昨年11月ひと月かけてリリースされたグレイトフル・デッドの《30 Days Of Dead》を年代を遡りながら聴いています。

 1978年からは2本、

29日リリースの 1978-04-21, Rupp Arena, Lexington, KY からの〈Truckin’> Playing In The Band〉
23日リリースの 1978-05-17, Uptown Theatre, Chicago, IL から〈Lazy Lightning> Supplication〉。

 どちらも04月06日フロリダ州タンパから始まる春のツアー中のショウで、後者の05月17日はツアー千秋楽です。

 この年のできごととしては09月14〜16日のエジプトはギザのピラミッドとスフィンクス脇でのショウがあります。これと並び、時代を画する点ではずっと重要であるものに大晦日、ウィンターランド最後の公演があります。

 1978年は年頭から始動し、01月06日から02月03日まで17公演というツアーからスタートします。ショウの総計は80本。レパートリィは86曲。新曲にはまずバーロゥ&ウィアの〈I Need a Miracle〉、ハンター&ガルシアの〈Shakedown Street〉〈Stagger Lee〉〈If I Had The World To Give〉。ドナの〈From The Heart Of Me〉。〈If I Had The World To Give〉は3回しか演奏されませんでしたが、他はいずれも定番になります。ドナの曲は翌年02月のガチョー夫妻の脱退までではあります。

 11月には《Shakedown Street》がリリースされ、これらの新曲が収められました。名目上のプロデューサーはローウェル・ジョージで、おかげで制作過程はお世辞にも順調とはいかず、おまけに完成前にジョージは自分のバンドのツアーに出てしまいます。これもリリース当初の売行きはさほどよくありませんでした。もっともこの頃にはデッドのショウのチケットの会場周辺のダフ屋による相場は額面の5倍になっています。レコードの売行とショウの人気はまるで別物なのでした。

Shakedown Street (Dig)
Grateful Dead
Grateful Dead / Wea
2006-03-07



 エジプト遠征ではバンドとクルーだけでなく、観客も一緒に行くことになります。初日の最前列には当時のサダト大統領夫人とその取巻きもいましたが、聴衆のほとんどはアメリカやヨーロッパから飛んでいったデッドヘッドと、その時たまたまエジプト周辺にいたアメリカンたちでした。遠征費用を賄うためライヴ・アルバムも企画されていましたが、録音を聴いたガルシアは即座にダメを出します。とはいえ、その後、2008年に出た後ろの2日間の音源の抜粋を聴くと、どうしてこれがアタマからダメだったのか、首をかしげます。

 ウィンターランドのショウは恒例の年越しショウの一本ではありますが、このヴェニュー最後のコンサートとして、まったく特別なものとなりました。「サタデー・ナイト・ライブ」に出演して仲良くなったブルーズ・ブラザーズに加えてニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジが前座をつとめ、真夜中に登場したデッドは延々朝まで三部にわたって演奏を続けて、終演後、聴衆にはビュッフェ形式の朝食がふるまわれました。この模様は、少なくともデッドのパートは《The Closing Of Winterland》として CD4枚組、DVD2枚組でリリースされました。一本のショウとしては長いショウの多いデッドのものでも最長の一つです。内容もすばらしい。

グレイトフル・デッド/クロージング・オブ・ウィンターランド【2DVD:日本語字幕付】
グレイトフル・デット
ヤマハミュージックアンドビジュアルズ
2013-12-18



 この年に始まったこととして第二部半ばに drums と space がはさまる形が定まったことがあります。聴衆の一部にはトイレ・タイムと心得る人たちもいましたが、録音は通常の楽曲演奏同様じっくり耳を傾ける価値は十分にあります。drums は1980年代後期に MIDI の導入によってサウンド、手法とも格段に多様性を増し、Rhythm Devils と呼ばれるようになります。といってそれ以前がつまらないわけではもちろんありません。

 ドラムスのない、フロントの4人だけによる space も、様々に変化していきます。1960年代から70年代初めには〈Dark Star〉や〈Playing In The Band〉〈The Other One〉など長いジャムに展開される曲で現れていた形が、この頃からここに集約され、楽曲内のジャムはデッド流ロック・ジャズになってゆく傾向が見てとれます。それにしても space のような、まったくの即興、それもフリー・ジャズなどとは対照的に比較的静かな、瞑想的なパートをショウの不可欠の要素として組込んだのは、まことにユニークなやり方です。同時にこのパートはクリエイターとしてこの集団がいかに大きく豊かな想像力、イマジネーションを備えていたかをまざまざと思い知らせてくれます。たとえば Dark Star Orchestra のようなコピー・バンドもショウの再現の一環として space をやりますが、比べるのも気の毒なくらいです。

 さて、まずは 1978-05-17, Uptown Theatre, Chicago, IL から〈Lazy Lightning> Supplication〉です。

 曲はバーロゥ&ウィアのコンビによるもので、このペアは1976年06月03日、オレゴン州ポートランドで初演。〈Lazy Lightning〉は1984年10月31日、バークリィまで、111回演奏。〈Supplication〉はその後単独で演奏され、1993年05月24日、マウンテン・ヴューまで124回演奏。スタジオ盤はウィアの個人プロジェクト Kingfish の1976年03月リリースのデビュー・アルバム冒頭です。デッドのこうした組曲は後から組合わせたものと、初めから組曲として作られているものがあります。もっとも後者は〈The Other One〉や〈Let It Grow〉のようにその一部が独立して演奏されるようになることが多いようにも見えます。

 ちなみに1976年06月03日には他に〈Might As Well〉〈Samson and Delilah〉〈The Wheel〉と、一挙に5曲がデビューしています。

 この05月17日では第一部のクローザーです。なお、この日のショウからは第二部2曲目〈Friend of the Devil〉が2016年の《30 Days Of Dead》でリリースされています。

 1978年前半は2度目のピークである前年1977年の流れで、バンドは好調を維持しています。ただ、デッドのアーカイヴ管理人デヴィッド・レミューによれば、この年4月下旬の10日ほどの休みの間に演奏の質が変わり、1977年のタイトな演奏から、ずっとゆるく、ルーズな手触りの1978年版の演奏になります。

 この日は〈Mississippi Half-Step Uptown Toodeloo〉から〈Franklin's Tower〉という珍しいメドレーで始まります。〈Franklin's Tower〉は通常〈Help on the Way> Slipknot!〉との組曲で演奏されますが、時々、独立でも演奏されました。〈Mississippi Half-Step Uptown Toodeloo〉はもともととぼけた、ユーモラスな曲ですが、ここではぐっとくだけた演奏。ゆるいですが、ダレているわけではなく、魅力的な音楽になっているのがデッドたるところ。春風駘蕩というと言い過ぎでしょうが、その気分も漂います。

 この時期には定番となっている〈Me and My Uncle> Big River〉のメドレー、続く〈It Must Have Been The Roses〉というカントリー・ソングの並びでも、緊迫感より、絶妙の呼吸の漫才を見ているけしき。ドナとウィアの声の組合せには魔法があります。ここでの〈Looks Like Rain〉はその好例。そしてオープナーと対をなすおとぼけソング〈Tennessee Jed〉はベスト・ヴァージョン。ガルシアは歌うのを大いに愉しんでいますし、ギターはほとんど落語のノリ。レシュの弦が切れるのも、台本に「ここで弦が切れる」と書かれているようにさえ聞えます。

 こうなると場合によっては聴いていて胃が痛くなるようなこともある〈Lazy Lightning> Supplication〉のペアも、軽々と浮揚し、燦々と明るい陽光のもと、牧神たちが遊んでいます。ガルシアのギターは広い音域を駆使して、ジャズ・ギターとして聴いても第一級でしょう。

 1977年のデッド史上、最もひき締まった演奏はもちろん最高ですが、この時期特有のいい具合にゆるんだ演奏もまたデッドというユニットの面白さを放っています。(ゆ)

 グレイトフル・デッド公式サイトで毎年恒例の《30 Days Of Dead》、昨年のリリースから1979年3本目は 1979-05-07, Allan Kirby Field House, Lafayette College, Easton, PA から〈Passenger〉。

 Peter Monk 作詞、フィル・レシュ作曲で、このコンビの曲はこれしかありません。1977年05月15日にセント・ルイスで初演。1981年12月27日、オークランドが最後で、計99回演奏。演奏された期間は短いですが、頻度はかなり高い。レシュの曲ですが、この頃はかれはヴォーカルをとらないので、初演からしばらくはドナとウィアのコーラスで歌われました。

 レシュの曲としては珍しく、シンプルで軽快なロックンロール。《30 Days Of Dead》ではリリースの多い曲で、2011、2012、2013、2014、2016、2019年と6回登場しています。とられたショウは以下の通り。

1977-05-26, Baltimore Civic Center, Baltimore, MD
1977-10-07, University Arena (aka The Pit') , University Of New Mexico, Albuquerque, NM
1979-05-07, Allan Kirby Field House, Lafayette College, Easton, PA
1979-11-24, Golden Hall, San Diego Community Concourse, San Diego, CA
1981-02-26, Uptown Theatre, Chicago, IL
1978-05-07, Field House, Rensselaer Polytechnic Institute, Troy, NY

 このうち2013年に登場した 1979-05-07 が今回もリリースされました。このショウの SBD は外には出ていません。Internet Archives にあるものは AUD のみ。かなり上質の AUD ではあります。

 ショウは05月03日からの春のツアーの4本目。このツアーは05月13日メイン州ポートランドまでの計9本。春のツアーとしては短め。ブレント・ミドランドが加わって最初のツアーはやはり試運転の意味もあったのでしょう。なお、第二部後半 space の後のクローザーに向けてのメドレー〈Not Fade Away> Black Peter> Around And Around〉にクィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスのジョン・チポリーナが参加しています。午後8時開演。料金10.50ドルのチケットが殘っています。

 〈Passenger〉はショウの第一部クローザー。オープナー〈Don't Ease Me In〉から快調に飛ばします。ガルシアの歌もギターも水を得た魚のよう、というのはこういう状態を言うのでしょう。〈Big River〉ではミドランドが早速電子ピアノでソロを任されています。それも、3コーラスという大盤振舞い。ガルシアもノってきて、ソロをやめません。その後も見事な演奏が続きます。〈Tennessee Jed〉はガルシアの力強いヴォーカルもこの曲特有のおとぼけギターも冴えわたって、この歌のベスト・ヴァージョンの一つ。〈New Minglewood Blues〉では再びミドランドが今度はハモンドのサウンドでいいソロを聞かせ、ウィアが粋なスライド・ギターで反応します。

 〈Looks Like Rain〉はウィアが独りでドナの分までカヴァーしていますが、〈Passenger〉ではミドランドと2人で歌います。ガルシアはスライドでおそろしくシンプルなのに聴きごたえのあるフレーズをくり出します。2度目のソロは一転してバンジョー・スタイルの速弾き。どちらも、ギターを弾くのが愉しくてしかたがない様子。

 これは良いショウです。Internet Archives でも7万回以上の再生。《30 Days Of Dead》で何度も出すくらいなら、さっさと全部出してくれい。(ゆ)

 グレイトフル・デッドの《30 Days Of Dead 2022》での1979年の2本目、12日の1979-12-01, Stanley Theatre, Pittsburgh, PA から〈Althea〉。

 このヴェニュー二夜連続の二晩目。前日は午後7時開演なので、おそらく同じでしょう。07日のインディアナポリスとの間にシカゴで三連荘をしています。

 第二部5曲目 space 前で〈C C Rider〉が初演されています。ウィアの持ち歌であるブルース・ナンバー。原曲はマ・レイニーが1925年に〈See See Rider Blues〉として録音したもので、おそらくは伝統歌。1986年までは定番として演奏されますが、それ以後はがくんと頻度が減ります。1987年のディランとのツアー用にリハーサルされましたが、本番では演奏されませんでした。最後は1992年03月16日のフィラデルフィア。計127回演奏。

 翌日、同じ街でザ・フーのコンサートがあり、ロジャー・ダルトリーとピート・タウンゼントが見に来ていたそうです。

 〈Althea〉は第一部クローザーの〈The Music Never Stopped〉の前で8曲目。この年8月4日オークランドでデビューしたばかり、これが14回目の演奏。1995-07-08のシカゴ、ソルジャーズ・フィールドまでコンスタントに演奏され、計271回。この時期にデビューしたハンター&ガルシアの曲としては最も演奏回数の多い曲です。全体でも51位。今回の《30 Days Of Dead》でも25日リリースの 1983-09-04, Park West Ski Area, Park City, UT からのトラックにも含まれています。

 そこでも書きましたが、何を歌っているのか、まだよくわかりません。わからないままに、でもこれは傑作だと思います。もっとも楽曲の魅力に感応するまで、かなり時間がかかりました。ガルシア流スロー・バラードとも違って、はじめはむしろ単調に聞えました。〈Sugaree〉や〈Black Peter〉に近いでしょうか。良いと思えだしたきっかけもよくわかりません。くり返し聴くうちに、いつの間にか、出てくるのが愉しみになっていました。

 "Althea" がここで人名であるのは明らかですが、本来は植物の名前、和名むくげ、槿または木槿とされるもの。原産は中国ですが、世界各地に広まっていて、本朝でも野性化しています。園芸用、庭園用としても植えられている由。韓国の事実上の国花。旧約聖書・雅歌に出てくる「シャロンの薔薇」に比定する説もありますが、「シャロンの薔薇」が実際に何をさすか定説は無いとのこと。

 人名としてはイングランドの詩人 Richard Lovelace (1618-1658) の詩 "To Althea from Prison" (1649) が引合に出されます。王の側近なので実名を出せない女性へのラヴソング。こうした仮名としての女性名としてハンターは "Stella" を使っていて、これが2番目。〈Stella Blue〉はガルシアのスロー・バラードの代表作ですが、この〈Althea〉も勝るとも劣らぬ名曲です。

 またギリシャ神話の英雄の一人メレアグロスの母親の名前との指摘もあります。

 歌詞には『ハムレット』からの引用も鏤められていますが、だからと言って意味がすっきり通るというようなものでもありません。まあ、こういうものはあーでもない、こーでもないと、聴くたびにいろいろ考えるところを愉しむものでありましょう。

 1983-09-04はだいぶ慣れて、歌いまわしにも余裕があります。歌の間に入れる間奏もいい。

 ここではまだ歌いきる、演りきることに集中していると聞えます。1週間後に較べると、この日のガルシアはずっと元気で、歌にも力があります。あるいはいろいろな歌い方を試しているようでもあります。1983年に較べると、アルシアとの距離が、物理的にも精神的にも、ずっと近い。ギター・ソロもすぐ側にいる相手に語りかけてます。

 オープナーの〈Jack Straw〉から続く15分を超える〈Sugaree〉がまずハイライトで、ガルシアは例によってシンプル極まりないながら、わずかにひねったメロディを重ね、さらにミドランドがオルガンで熱いソロを展開するのにウィアが応え、それにまたガルシアが乗っていきます。誰もがクールに、冷静とも言える態度なのに、全体の演奏はどこまでも熱く、ホットになってゆきます。その頂点ですうっと引く。これがたまりません。引いたと思えば、さらに飽くまでもクールに続く演奏は、あまりにシンプルでひょっとしてトボけているのかと邪推したくなります。この曲が「化ける」のは1977年春のツアーでのことですが、この演奏はその77年のヴァージョンにも劣りません。

 中間はカントリー・ソングを並べます。〈Me and My Uncle〉からそのまま続く〈Big River〉では、ミドランドが電子ピアノで、およそカントリーらしくない、ユーモラスなソロを聞かせます。こういうソロはこの人ならでは。こういうソロが出るとガルシアも発奮して、この曲では珍しくソロをやめません。続くは〈Loser〉。あたしはこの曲がもう好きでたまらんのですが、これは良いヴァージョン。この歌の主人公は実に様々な顔を見せますが、この日の「負け屋」はほんとうに参っているらしく、ほとんど嘆願しています。ガルシアのギターがまた悲哀に満ちています。ミドランドの〈Easy To Love You〉は〈Althea〉とほぼ同時にデビューしています。これまたみずみずしい演奏。〈New Minglewood Blues〉も元気いっぱいで、ダンプが撥ねまわっているようなビートに載せて、ウィアがすばらしいスライド・ギター・ソロをくり出すので、ガルシアも負けてはいません。

 そして〈Althea〉が冒頭の〈Sugaree〉と対になるハイライトを現出して、ガルシアのヴォーカルが全体をぐんとひき締めます。〈The Music Never Stopped〉で締めくくる第一部。この歌は本来ドナとウィアの2人で歌ってこそのところもありますが、ウィアが踏んばって、ドナの不在を感じさせません。今の姿を見ると、生き残ったメンバーで一番良い年のとり方をしているのはウィアですが、こういうのを聴くと、なるほどと納得されます。それに応えて、ガルシアが引っぱれるだけ引っぱって盛り上げる。

 ミドランドへの交替はまずはかなりのプラスの効果を生んでます。(ゆ)




 正直なところ、大部分はあたしにはそこまでの必要はありません、というレベルの話である。これはやはりレファレンスを仕事とする人が最も重宝する、ありがたさを実感する本だろう。

 とはいえ NDL 国会図書館の人文リンク集とパスファインダーを教えてもらっただけでも読んだ甲斐があったというものだ。この2つを使いこなせれば、それだけであたしなどはまずたいていの用は足りるだろう。

 というよりも、それよりも細かく突込んでゆく部分は、せめてこの2つをある期間使ってみて 経験を積んでからでないと、ああそうか、とはならない。内容はまことにプラクティカル、具体的で、しかも一番のキモ、コツはちゃんと抽象化され、応用が効くように説明されている。一方でそれが徹底しているので、実際に自分で必要にかられてやってみないと、実感が湧いてこない。

 とはいえ、当地の市立図書館程度の規模以上の図書館には必備であろうし、あたしのまわりで言えば、編集者、翻訳者、校正・校閲担当者は一度は目を通すことを強く薦める。

 もっとも翻訳上の疑問、調べものは、これまでのところ、とにかくネットの検索をじたばたとやっていれば、なんとかカタがついた。小説の翻訳なら、それですむだろう。少しややこしいノンフィクションをやろうとすると、ここで開陳、説明されている手法がモノを言うかもしれない。

 それにしても、日本語文献のデジタル化はようやくこれからなのだ。NDL の次世代デジタルライブラリーに期待しよう。著者も言うように、戦前からの官報のデジタル化はまさに宝の山になるはずだ。

 148頁に「日本語図書は索引が弱いことにかけて定評がある。」とあるのには、膝を打つと同時に吹き出してしまった。もっとも本書で藤田節子『本の索引の作り方』地人書館の存在を教えられたのには躍りあがった。幸い、地元図書館にあったので、早速借出しを申し込んだ。

 日本語図書に索引が弱いのはやむをえない部分もある。なにせ明治になって初めて入ってきた概念だし、もともと東アジアの知的空間では索引の必要性が薄いからだ。つまり中国に索引が存在しなかったからだ。「索引」ということばからして明治に作られたものらしい。『広漢和』には明治以前の用例が無い。

 ヨーロッパで索引が発達したのは聖書のせいだ。ある言葉が聖書のどこにあるか知る必要が生じたことから生まれた。このあたりは Index, A History Of The, by Dennis Duncan に詳しい。つまり、キリスト教の聖職者は新約だけでも全巻暗記できなかった、ということになる。中国で索引が生まれなかったのは、必要がなかったためだろう。つまり中国の教養人、士大夫は、四書五経だけでなく、その注釈本、詩文、史記以来の史書など「万巻の書」を暗記していたわけだ。アラビアの学者たちも、必要な本は全部頭に入っていた、と井筒俊彦が書いている。あるいはキリスト教の聖職者たちは、聖書を暗記するには忙しすぎたのかもしれない。むろん、中には、ちゃんと頭に入っていて、自由自在に引用できる人間もいたはずだ。 この場合、憶えるのはウルガタ、ラテン語訳のものだったろう。

 ここで扱われるのは日本語の書物、雑誌に現れている情報である。一番調べにくいのが明治大正というのは意外だったが、関東大震災による断絶があるといわれると納得する。空襲による戦災でかなりの書物が消えたというのは承知していたが、関東大震災は盲点だった。前近代、江戸までの場合には質問の出所は近代文献で、範囲が限定されるので、かえって調べやすい。つまり、我々はそれだけ過去の文物と断絶されている。

 英語ネイティヴは16世紀のシェイクスピアをすっぴんでも読める。我々は16世紀に書かれた書物を生では読めない。19世紀半ばまでに書かれた文書を読むには、専門的な訓練が必要になる。学校でならう古文では歯が立たない。たとえ古文で常に満点をとっていてもだめだ。その点では漢文の方がまだ役に立ちそうだ。つまり、中学・高校で習う漢文を完璧にマスターすれば、あとは根気さえやしなえば、史記を原文で読むことはできるのではないか。

 実際には明治になってから書かれた文書でも読めないものが多い。漱石はまだいい。鷗外を読むにはそれなりの準備が要る。露伴を読めるのは、これまた専門家ぐらいだろう。

 つまり、我々が生きている時空はひどく狭いものであることを、あらためて思い知らされる。まあ、空間は多少広がったかもしれない。しかし、その空間は「ただの現在にすぎない」(118pp.)。仏教でいう「刹那」でしかない。そのことは忘れないでおこう。

 本書の内容に戻れば、かつてはベテランのレファレンス司書が必要だったことが、デジタル化のおかげで、ど素人でも、この本にしたがってやればかなり近いところまで行けるようになった。場合によってはより突込んだレファレンス、リサーチができる。調査の専門家でなくても、深く掘ってゆけるようになっている。あとは資料、文献のデジタル化をどんどんと進めていただきたい。とりわけ新聞、雑誌の広告を含めたデジタル化を進めていただきたい。これはすぐに見返りがある仕事ではない。しかし日本語の文化の未来にとっては不可欠の作業だ。(ゆ)

 昨年11月の《30 Days Of Dead 2022》を時間軸を遡りながら聴いています。

 1979年からは今回3本、セレクトされました。
 オープナー01日の 1979-05-07, Allan Kirby Field House, Lafayette College, Easton, PA から〈Passenger〉。これは2013年の《30 Days Of Dead》でリリース済み。
 12日の1979-12-01, Stanley Theatre, Pittsburgh, PA から〈Althea〉。
 そして19日の 1979-12-07, Indiana Convention Center, Indianapolis, IN から〈Eyes Of The World〉。

 1979年には大きなできごとがあります。年頭のツアーの終った2月半ば過ぎ、鍵盤奏者がキース・ガチョーからブレント・ミドランドに交替し、キースと同時にドナ・ジーンも退団します。1970年代を支えたペアがいなくなり、ミドランドは鍵盤兼第三のシンガーとして1980年代を担うことになります。今回の3本はいずれもミドランド・デッドの時期です。

 一つの見方として、デッドのキャリアを鍵盤奏者で区切る方法があります。1960年代のピグペン、70年代のキース・ガチョー、80年代のブレント・ミドランド、90年代のヴィンス・ウェルニク。意図してそうなったわけではありませんが、結果としてきれいに区分けできてしまうことは、グレイトフル・デッドという特異な存在にまつわる特異な現象でもあります。デッドとその周囲にはこうしたシンクロニシティが実に多い。

 この年は珍しく年頭01月05日からツアーに出ます。フィラデルフィアから始め、マディソン・スクエア・ガーデン、ロングアイランド、アップステートから東部を回り、さらにミシガン、インディアナ、ウィスコンシン、オクラホマ、イリノイ、カンザス、ミズーリ州セント・ルイスまで、1ヶ月半の長丁場でした。その途中、ドナがまず脱落し、ツアーが終って戻ったキースと相談の上、バンドに退団を申し入れ、バンドもこれを了承しました。

 前年の末からキースの演奏の質が急激に低下します。その原因はむろん単純なものではありませんが、乱暴にまとめるならば、やはり疲れたということでしょう。デッドのように、毎晩、それまでとは違う演奏、やったことのない演奏をするのは、ミュージシャンにとってたいへんな負担になります。デッドとしてはそうしないではいられない、同じことをくり返すことの方が苦痛であるためにそうやっているわけですが、それでも負担であることには違いありません。

 それを可能にするために、メンバーは日頃から努力しています。もっとも本人たちは努力とは感じてはいなかったでしょうけれども、傍から見れば努力です。何よりも皆インプットに努めています。常に違うことをアウトプットするには、それに倍するインプットが必要です。キースもそれをやっていたはずで、そうでなければ仮にも10年デッドの鍵盤を支えることはできなかったはずです。それが、様々の理由からできなくなった、というのが1978年後半にキースに起きたことと思われます。そのため、キースは演奏で独自の寄与をすることができなくなります。そこでかれがやむなくとった方策はガルシアのソロをそっくりマネすることでした。このことはバンド全体の演奏の質を大きく低下させました。

 最も大きくマイナスに作用したのは当然ガルシアです。ガルシアは鍵盤奏者の演奏を支点にしてそのソロを展開します。鍵盤がよい演奏をすることが、ガルシアがよいソロを展開する前提のひとつです。それが自分のソロをマネされては、いわば鏡に映った自分に向って演奏することになります。その演奏は縮小再生産のダウン・スパイラルに陥ります。

 公式リリースされたライヴ音源を聴いていると、1979年に入ってからのキースの演奏の質の低下が耳につきます。したがって鍵盤奏者を入れかえることはバンドとしても考えなければならなくなっていました。ガルシアは代わりの鍵盤奏者を探して、当時ウィアの個人バンドにいたミドランドに目をつけていました。

 ミドランドがアンサンブルに溶けこむためにバンドは2ヶ月の休みをとり、04月22日、サンノゼでミドランドがデビュー、05月03日から春のツアーに出ます。05月07日のペンシルヴェイニア州イーストンはその4本目です。

 この年のショウは75本。レパートリィは93曲。新曲は5曲。ハンター&ガルシアの〈Althea〉〈Alabama Getaway〉、バーロゥ&ウィアの〈Lost Sailor〉と〈Saint of Circumstances〉のペア、そしてミドランドの〈Easy to Love You〉。

 1979年にはかつての "Wall of Sound" に代わる新たな最先端 PA システムが導入されます。デッドはショウの音響システムについては常に先進的でした。目的は可能なかぎり明瞭で透明なサウンドを会場のできるだけ広い範囲に屆けることでした。〈Althea〉やガルシアのスロー・バラードの演奏にはそうしたシステムの貢献が欠かせません。

 この年は世間的にはクラッシュのアルバム《ロンドン・コーリング》でパンクがピークに達し、デッドはもう時代遅れと見る向きも顕在化しています。一方で、この頃から新たな世代のファンが増えはじめてもいて、風潮としてはデッドやデッドが体現する志向とは対立する1980年代のレーガン時代を通じて着実にファン層は厚くなっていきました。ちなみにデッドヘッドは民主党支持者に限りません。熱心な共和党支持者であるデッドヘッドはいます。

 時間軸にしたがって、まずは 1979-12-07, Indiana Convention Center, Indianapolis, IN から〈Eyes Of The World〉です。第二部オープナー〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉が一度終った次の曲で、ここからクローザー〈Johnny B. Goode〉までノンストップです。

 ショウは10月24日から始まる26本におよぶ長い秋のツアー終盤の一本。このツアーは3本後の12月11日のカンザス・シティまで続きます。

 長いツアーも終盤でやはりくたびれてきているのでしょうか。ガルシアの声に今一つ力がありません。全体に第二部は足取りが重い。重いというと言い過ぎにも思えますが、〈Eyes Of The World〉は軽快に、はずむように、流れるように演奏されるのが常ですが、ここでは一歩一歩、確かめながら足を運んでいます。くたびれたようではあるものの、ガルシアはここで3曲続けてリード・ヴォーカルをとってもいますから、踏んばろうと気力をまとめているようでもあります。後半、ギターが後ろに引込んで、もともと大きかったベースと電子ピアノが前面に出て明瞭になります。とはいえ、それによって全体のからみ合いがよりはっきりと入ってきて、ひじょうに良いジャムをしているのがわかります。

 この後はウィアの〈Lost Sailor> Saint Of Circumstance〉のペアから space> drums> space ときて、本来のどん底を這いまわる〈Wharf Rat〉。そしてそのパート3から一気に〈Around And Around〉と〈Johnny B. Goode〉のロックンロール二本立てのクローザー。ここへ来て、ずっと頭の上にのしかかっていたものに耐えていた、耐えて矯めていたものを爆発させます。アンコール〈U. S. Blues〉が一番元気。

 疲れたらそれが現れるのを無理に隠そうとはしません。また飾りたててごまかすこともしない。疲れたなりに演奏し、それが自然な説得力を持つのがデッドです。そして結局演奏することで自らを癒す。より大きな危機も音楽に、ショウに集中することで乗り越えてゆきます。このショウはベストのショウではありませんが、デッドの粘り強さがよりはっきりと聴きとれます。(ゆ)

 昨年11月ひと月かけてリリースされた《30 Days Of Dead》を年代順に遡って聴く試み。20日リリースの 1980-05-31, Metropolitan Sports Center, Bloomington, MN からクローザーへ向けての3曲のメドレー〈I Need A Miracle> Bertha> Sugar Magnolia〉です。ショウは04月28日アラバマ州バーミンガムから始まった春のツアー後半の3本目。この後半は6月中旬、アンカレッジでの三連荘で打上げます。

 1980年は01月13日にカンボディア難民支援のチャリティ・イベントに参加しただけで、始動は遅く、03月31日ニュー・ジャージー州パサーイクから。ショウの総数は86本。レパートリィは103曲。新曲はミドランドの〈Far from Home〉とバーロゥ&ウィアの〈Feel like a Stranger〉。どちらもこの年04月にリリースの新譜《Go To Heaven》収録。

 このツアーの後、07月01日のサンディエゴを終えて1ヶ月半の夏休みに入りますが、その23日、キース・ガチョーが交通事故で死亡します。ピグペン、キース、ブレント・ミドランド、ヴィンス・ウェルニクの4人のデッドの鍵盤奏者はいずれも悲劇的な死に方をしています。

 秋にはサンフランシスコのウォーフィールド・シアター、ニューヨークのラジオシティ・ミュージック・ホールで長期レジデンス公演をします。この時は第一部がアコースティック・セット、第二部以降がエレクトリック・セットという構成でした。デッドが集中的にアコースティック・セットを演奏したのは1970年頃以来で、これが最後。ここからは《Reckoning》《Dead Set》というライヴ・アルバムがリリースされました。ライヴ音源を聴くかぎり、デッドはアコースティック・アンサンブルとしても一級で、こういう演奏をもっと聴きたかったものです。

 このショウは第二部だけ SBD があります。
 
 オープナーの〈Feel Like A Stranger〉は2ヶ月前にデビューして、これが16回目の演奏ですが、ミドランドのキーボードとコーラスの効果は歴然。ガルシアのギターもこれに感応しています。

 一度終って〈Ship of Fools〉。歌の裏のミドランドの電子ピアノが美味。ガルシア力唱。とはいっても、力みがないのがこの人の身上。

 やはり一度終って〈Last Sailor〉からは今回リリースされたクローザー〈Sugar Magnolia〉までノンストップ。〈Last Sailor〉は前年夏のデビューで、まだ新しい曲。1986年まではこの曲の後には〈Saint Of Circumstance〉が続きます。この二つは組曲になっていますが、さらに後者自体が少なくとも二つのパートに別れる組曲なので、ペアで演奏すると3曲の組曲に聞えます。このショウでは、後者の後半はまったく曲から離れた集団即興=ジャムになります。必然性は見えないけれど、聴いている分にはまことに面白いこの現象もデッドならではです。

 続くは〈Wharf Rat〉。やや闊達な演奏ですが、ガルシアのヴォーカルはむしろ抑え気味。ここではガルシアは歌っている間、ギターをほとんど弾きません。このヴァージョンはパート3でがらりと雰囲気が変わります。パート3が晴れやかな気分になるのはいつものことではありますが、ここはその切替えが大きい。ガルシアのギターは歌とは裏腹に緊張感が強い。

 イントロからベースのリフが入って〈The Other One〉。始まって間もなく少しの間 AUD になり、また SBD に戻ります。ここにアップされているのは Charlie Miller によるマスターなので、ミラーによる作業でしょう。演奏はいいです。間奏でのガルシアのギターは「ロック」してます。2番の歌詞の後、ガルシアがフリーの即興を続け、他のメンバーは小さな音でこれに反応します。しばし即興を続けてからガルシアも音を絞り、ドラマーたちに讓ります。

 Drums ではまず〈The Other One〉後半では沈黙していたクロイツマンがひとしきり叩いてから、ハートが加わって対話。一度終ってからハートが何やらドラム系ではない打楽器を叩きだし、しばらくしてガルシアがギターでメロディのない音数の少ないフレーズを弾きだして〈Space〉。

 〈Space〉からの曲が今回リリースされた〈I Need a Miracle〉。以下〈Sugar Magnolia〉までほぼ同じテンポ、アップビートな曲で軽快に駆けぬけます。前半はどちらかというとヘヴィに打ちこんできますが、後半は軽やか。この軽やかな〈Sugar Magnolia〉はいいなあ。

 このショウはダブル・アンコールで、一つ目が〈U. S. Blues〉、二つ目が〈Brokedown Palace〉。

 〈U. S. Blues〉は第二部後半の軽やかに弾む感覚が続いてます。ウィアがスライド・ギターでおいしいフレーズを連発します。とてもアンコールではないです。

 〈Brokedown Palace〉は再び AUD。音の良い AUD で、コーラスをきれいに捉えてます。これも明るく開放的な演奏。

 1980年代前半はこれまで公式リリースが少ないですが、こういうショウがあるんですねえ。(ゆ)

 グレイトフル・デッドの毎年11月恒例の《30 Days Of Dead》2022年版を年代順に遡って聴いています。
 今回は11-16リリースの 1981-12-06, Rosemont Horizon Arena, Rosemont, IL から〈To Lay Me Down〉。なお、このショウからは第一部9曲目〈Jack-A-Roe〉が2020年の《30 Days Of Dead》でリリースされています。

 毎年12月上旬はあまりショウはやりませんが、この年は珍しく11月29日ペンシルヴェイニアから12月09日コロラドにかけて短かいツアーをしています。この後は12日にカリフォルニアで軍縮を訴える音楽イベントをジョーン・バエズとやった後、26日からオークランドで恒例の年末年越しショウに向けての5本連続です。

 1981年はスロー・スタートで02月26日シカゴでの三連荘が最初。それでもショウの数は82本、レパートリィは123曲。デビュー曲は1曲だけで、ミドランドの〈Never Trust a Womon〉でした。この年の出来事としては春と秋の2回、ヨーロッパ・ツアーをしています。春はロンドンで4本連続をやった後、当時西ドイツのエッセンでザ・フーとジョイント。

 この時、New Musical Express の記者でパンクの支持者だった Paul Morley がガルシアに長時間インタヴューをします。パンクにとってはデッドは許しがたいエスタブリッシュメントだったわけですが、ガルシアは持ち前のユーモアと謙虚な態度でいなし、それにあくまでも愛想の良さを崩さなかったため、結果として出た記事ではモーリィが言いくるめられているように見えてしまい、これに怒った読者が数千人、雑誌の定期購読をやめるという事態になりました。今からふり返れば、パンクは表に現れた姿としてはデッドの音楽とは対極に見えても、根っ子ではかなり近いところから発していたので、そんなに怒ることもなかろうと思ったりもしますが、当時は何かと怒ることがカッコいいとされていたのでしょう。

 デッドは10月に再度ヨーロッパに渡り、イングランド、西ドイツ、デンマーク、オランダ、フランス、そしてスペインで唯一のショウをしています。

 また4月に《Reckoning》、8月に《Dead Set》の2枚のライヴ・アルバムが出ました。前年秋のサンフランシスコのウォーフィールド・シアター、ニューヨークのラジオシティ・ミュージック・ホールでのレジデンス公演からのセレクションで、前者がアコースティック・セット、後者がエレクトリック・セット。どちらも2枚組。後にCD化される際、トラックの追加がされています。アコースティック・セットはいくつか完全版が公式リリースされていますが、エレクトリック・セットは部分的なリリースだけです。完全版のリリースは50周年、2030年まで待たねばならないのでしょうか。

 このショウのヴェニューはシカゴ、オヘア空港そばの定員18,500人の多目的アリーナで、デッドはこの時初めてここで演奏し、1988年、89年、93年、94年といずれも春のツアーの一環として三連荘をしています。この時は開演午後8時で、料金は10.50ドルから。この頃になるとデッドヘッドは子どもたちをショウに連れてくるようになっていて、この日は特に多く、ウィアが「今日は子どもの日だね」とコメントした由。

 このショウの SBD はこの頃定番だったカセットではなく、オープン・リールに録音されているそうです。

 〈To Lay Me Down〉は第二部オープナー〈Samson And Delilah〉に続く2曲目で、次は〈Estimated Prophet> Eyes Of The World〉。

 この曲はガルシアのバラードの1曲。ハンター&ガルシアのコンビには、スロー・バラードのジャンルに分類できる曲がいくつもあって、これもその一つ。なお、スタジオ盤としてはガルシアの1972年のファースト・ソロに収められました。ちなみにこのファースト・ソロ収録10曲のうち、〈Deal〉〈Bird Song〉〈Sugaree〉〈Loser〉〈The Wheel〉とこの〈To Lay Me Down〉の6曲がデッドのレパートリィの定番になっています。もっとも〈Loser〉〈The Wheel〉以外の4曲はこのアルバム録音前から演奏されていました。〈To Lay Me Down〉も1970年07月30日初演。1980〜1981年に最も集中的に演奏されました。全体では64回演奏。

 〈Samson And Delilah〉はウィアのヴォーカルはいつもの調子で、ガルシアがギターを弾きまくります。ウィアがこれにスライドを合わせ、ミドランドがハモンドで支える形。

 次の曲が決まるまで、かなり時間がかかります。けれど、この後は〈To Lay Me Down〉からクローザーの〈Good Lovin'〉までノンストップです。

 〈To Lay Me Down〉の演奏はさらにゆったりで、やや投げやりともいえそうに始まりますが、徐々に熱気を加え、最後には相当に集中した演奏になるところが今回選ばれた理由でしょうか。

 一度きちんと終って間髪を入れずに〈Estimated Prophet〉。七拍子のこの曲は、当初はウィアが「ワン・ツー・フォー……」と数えて始まっていますが、この頃になると、いきなり始めています。歌のコーダではウィアがいかれたヤク中になりきっての熱演。いつもここは熱演になりますけど、この日の熱演はひときわ熱が入ってます。ウィアが歌を終らせるのを待ちかねたようにガルシアが2度目のソロ。1度目以上にメロディからはすっ飛んで、ギターの音色もどんどんと変えて、デッド流ロック・ジャズの精髄。

 いつの間にかビートが変わっていて、これという切れ目もなく〈Eyes Of The World〉に入ります。〈Estimated Prophet〉もわずかに速いテンポでしたが、こちらもそのまま疾走します。ガルシアも〈Estimated Prophet〉の後半から、細かい音を素早く連ねます。それにしても「世界の目」とは、世界を代表して見る目か、世界の中心としての目なのか。それとも両方を含めたダブル・ミーニングなのか。歌が終ってからのインスト・パートではガルシアの「バンジョー・スタイル」ギターが渦を巻き、バンドを引きこみます。やがてガルシアとウィアが残り、ウィアが締めて Drums にチェンジ。

 ビル・クロイツマンは10本ショウをやる毎にドラム・キットのトップの革を張りかえていたそうですが、ここでの叩きぶりを聴くと、さもありなんと納得できます。後半、ハートが背後に並べた巨大太鼓を叩くと、捕えきれずに、音が割れています。

 Space ではウィアとガルシアがまずスライド・ギターで音を散らし、ハートが様々なノイズを出すパーカッションを操り、おそらくレシュが背景を作って、ミドランドが風の音を送りこむ。いつもはドラマーたちは引っこみますが、この日はハートが殘って、いろいろな音を加えています。

 次の曲は〈Not Fade Away〉ですが、様々なサウンドや手法を試すように延々とイントロを続け、やがて前半とは対照的に遅めのテンポで曲本体が始まります。お祭りの曲というよりは、おたがいの間隔を広めにとり、ガルシアのソロも考えながら弾いている表情。

 続くは〈Wharf Rat〉。あたしの大のお気に入り。これが出てくると顔がにやけてしまいます。この曲は三つのパートからなる組曲になっていて、デッドの組曲好きが最も成功している例でもあります。パート2のガルシア、ウィア、ミドランドのコーラスが、うー、たまらん。ここでもガルシアは歌のメロディからはとび離れたギターを弾きますが、ここではジャズになりません。でもこれはロック・ギターでしょうか。どうでもいいことかもしれませんが、ギタリストとしてのガルシアはジャンルの枠組みにはおさまらない器の大きさを備えています。その点ではジミヘンもザッパも及ばないところがあります。よくあるロック・ギタリスト・ベスト100とかに現れるのはギタリスト・ガルシアのごく一部でしかない。

 クローザー〈Good Lovin'〉もゆったりとしたテンポで、前に突込まず、八分の力で半歩、いやほんの5ミリほど足を退いたところで演っています。クールというのともちょっと違う。ほんのわずか踏むところがずれると冷たく生気を失いかねない、軽やかな綱渡り。

 アンコールは〈Brokedown Palace〉。なんということもない演奏ですが、名曲に堕演なし。

 このショウはアメリカでは衛星ラジオ Sirius のデッド・チャンネルで放送もされているそうです。1980年代はガルシアの健康問題もあって、ショウの質が定まらず、そのせいか、他の時期に較べると評価も高くありませんが、良いものはやはり良い。公式リリースが待たれます。(ゆ)

 グレイトフル・デッドの公式サイト Dead.net で昨年11月1ヶ月かけてリリースされた《30 Days Of Dead》のうち、25日リリースの 1983-09-04, Park West Ski Area, Park City, UT から〈Tennessee Jed; My Brother Esau; Althea〉の3曲。第一部全10曲中5〜8曲目。連続してはおらず、曲はそれぞれ一度終ります。

 ショウは08月20日パロ・アルトから始まる秋のツアーの一環。このショウの前はアイダホ州ボイジー、次はデンヴァー郊外のレッド・ロックス・アンフィシアターでの三連荘。ツアーは09月13日オースティンまで。ボイジーでのショウは《Dave's Picks, Vol. 27》で全体がリリースされました。

 場所はソルトレイク・シティの東へ20キロほど、山を一つ越えたところにあるリゾート。高い山の中の谷間で、かなり寒かったようです。この地域の山岳地帯は雪質が良いといいうのでスキーヤーに人気がある由。

 また、ユタ州はアルコール販売の規制が厳しいところで、いつもは会場でふんだんに売られるビールの売り場もほぼ1ヶ所、それも 3.2 beer と呼ばれるアルコール度数の弱いものだったそうな。

 1983年のショウの数は66本、レパートリィは110曲。新曲はバーロゥ&ウィアの〈My Brother Esau〉〈Hell in a Bucket〉、それにウィアの〈Little Star〉、そしてミドランドの〈Maybe You Know〉。後の二つは短期間でレパートリィから消えますが、前の二つはもっと長もちし、とりわけ〈Hell in a Bucket〉は最後まで演奏されました。

 この年のできごととして後々巨大な影響を与えたのがチケットの通信販売の導入です。デッドヘッドたちが社会に出、9時5時の仕事について、チケットを買うために長時間昼間並ぶことなどできなくなった人たちも増えていました。そうしたファンにチケットを買いやすくするためにマネージャーのダニィ・リフキンが考案したのが通信販売です。この年だけで25,000枚弱を売り、翌年には一気に5倍近くにふえ、1990年代には連年50万枚を売るまでになります。現在ではまったく当り前の販売方法ですが、これを始めたのもデッドでした。

 このショウの SBD は流通していて、Internet Archives にもアップロードされており、ストリーミングで聴くことができます。

 第一部のクローザーが〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉で、第二部のオープナーが〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain〉という、黄金の組合せだけでも聴きたくなり、また聴く価値のあるショウです。

 ショウの最中、紫色の煙をひきながらパラシュートで会場に降りてきた人物がいたそうな。前もって仕組まれていたわけではないらしい。

 オープナー〈Bertha〉の次がいつもならクローザーやアンコールになる〈The Promised Land〉というのは調子が良い徴です。続く〈Friend of the Devil〉〈Little Red Rooster〉もともに8分を超えるホットな演奏。ともにガルシア、ミドランド、ウィアが各々にすばらしいソロを展開します。

 その次が今回の〈Tennessee Jed〉。ガルシアが気持ち良さそうに歌います。間奏のガルシアのギターの音がちょっと遠かったりしますが、演奏そのものの質は高いです。この曲ではたいていそうですが、ガルシアのソロは歌のメロディからはかけ離れます。〈Friend of the Devil〉では歌のメロディを展開することが多い印象です。

 次の〈My Brother Esau〉は、まずリズム・セクションがわくわくしている様子で始めるのがお茶目。ガルシアのソロも含めて、バンド全体がぽんぽんと跳びはねてます。

 〈Althea〉はガルシアのギター・リフに他のメンバーが合わせてスタート。これまたひどく意味のとりにくい歌詞の歌ですが、演奏もユーモラスなようでその実かなりダークでもあり、聴いていると落ちつかなくなります。ですが、その落ちつかない気分が快感にもなってくる。不思議な歌。くねくねとうねりながら気まぐれに動く明暗境界線を綱渡りして渡ってゆくような歌であり、演奏です。傑作の名演の一つ。

 〈Hell In A Bucket〉はまずガルシアのギターがひとくさりイントロを奏でてから本体に突入。間奏のジャムは短かいですが、全体が浮きたつ瞬間がたまらない。

 間髪入れずに〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉。ウィアが弾くいつものリフは音を節約しているようで、すぐにガルシアが歌いだします。わずかですが前に突込んだ演奏。個々の演奏はそんなに急いでいないのに、全体としてはせっかちに聞えます。どうなるのかとひやひやしていると、そのままテンションを保ってすばらしいジャムになってゆくのはスリル満点。〈I Know You Rider〉になるとむしろ普通のテンポに聞えるのも不思議。これで第一部をしめて休憩に入ります。

 こりゃあ、すばらしいショウです。ぜひ全体を公式に出してほしいもの。(ゆ)

 まずは前回の訂正。
「AUD は残念ながらアンコール〈It's All Over Now, Baby Blue〉は収録なし」
 と書きましたが、順番を替えて、第一部のクローザー〈Keep Your Day Job〉の後にちゃんと入っていました。勘違いしてすみません。これもかなり良い演奏。

 1984年からのもう1本は04日リリースの 1984-04-16, Community War Memorial Auditorium, Rochester, NY から〈Dupree's Diamond Blues〉です。

 この年は03月28日から地元サン・ラファルの Marin Veterans Memorial Auditorium での4本連続ランで始動し、4月06日のラスヴェガスから春のツアーを始め、ロチェスターは四つめの寄港地です。このツアーは30日にロングアイランドで打ち上げます。

 この年のショウは64本、レパートリィは125曲。新曲はいずれもミドランドがらみで、〈Don’t Need Love〉と〈Tons Of Steel〉。それにトラフィックの〈Dear Mr. Fantasy〉のカヴァー。〈Dear Mr. Fantasy〉は後に〈Hey Jude〉と組合わされて、第二部後半の呼び物の一つとなります。

 この年、デッドは二つ、新しいことを始めます。一つはレックス財団 The Rex Foundation、もう一つが "Taper's Corner" です。

 デッドは結成当初から様々なベネフィット、チャリティ活動に参加し、演奏していますが、せっかくの収入の大半がたいていの場合、経費などの名目で途中で消えてしまうことに不満でした。そこで援助したい相手に直接資金を渡せるシステムとしてレックス財団を立上げたのです。レックスはクルーの一人 Rex Jackson からで、その急死を惜しまれていた人です。バンドはショウからの収入の一部を財団に寄付し、財団は5,000〜10,000ドルを個人や団体に寄付します。財団の評議員にはバンド・メンバー、クルー、スタッフに、ビル・グレアムとジョン・シェア、それにビッグ・ネーム・ファンでバスケットボールのレジェンド、ビル・ウォルトンも加わりました。財団が援助したのはミュージシャンだけでなく、学校や文化活動、AIDS 対策など多岐にわたります。ガルシアがかつてのよりを戻すために、デヴィッド・グリスマンへの資金援助を財団を通してやってもいます。この年最初の4連荘はレックス財団発足のお披露目でもありました。

 「テーパーズ・コーナー」は10月27日の Berkeley Community Theatre でのショウから導入されました。ガルシアの「公認」以来、ショウを録音する人間 Taper の数が増え、ベストの録音場所を求めた結果、サウンドボードの前に録音用のマイクが林立し、サウンド・エンジニアからステージが見えない事態にまでなっていました。また、テーパーの中には録音に熱中するあまり、周囲のファンに迷惑をかけることを顧ない者もいて、顰蹙をかってもいました。そこでサウンドボードの後ろに "The taper's section" または "The taper's corner" が設けられ、ショウを録音しようとする人間の指定席とされます。テーパーたちはこの席のチケットを買うことになりました。この措置は一方でショウの録音をバンドが正式に公認したことにもなりました。

 テープと呼ばれるショウの録音がデッドのファン・ベース拡大に果した役割はどんなに大きく評価してもし過ぎることはありません。テープがなければ、デッドが生きのびられたかどうか、危ういものがあります。デッドのテープ文化はそれ自体、大きな拡がりをもち、たいへん面白いテーマで、何冊もの本がすでに出ており、またこれからも出るでしょう。あたしらもまた、その恩恵を現在も受けています。解散後にファンになった人たちの中にも、公式に出ているサウンドボード録音 SBD よりも聴衆による録音 AUD の方が好きだという向きもあります。ひとつには AUD の方には聴衆の反応が大きく、明瞭に捉えられているからです。

 この年にはもう一つ、スタッフに変化がありました。ロック・スカリーが過度の飲酒でクビになり、アルコール中毒者更生施設に送られました。スカリーはパブリシスト、メディア担当の渉外係も兼ねていたので、デッドの存在が大きくなっているところで代わりの担当者が必要とされ、ガルシアの指名で Dennis McNally が就任します。マクナリーはジャック・ケルアックの伝記を書いていて、それを送られて読んだガルシアはマクナリーにデッドの伝記を書くことを提案していました。マクナリーはメディア担当としての経験も組込んで、バンド解散後、初の公式伝記 A Long Strange Trip, 2002 を執筆・刊行しました。関係者が多数まだ生きている時期で、内部にいた人間がこれだけ冷静かつ公平でバランスのとれた伝記を書いたのは、たいしたものだとあたしは思います。グレイトフル・デッドのキャリアについての基本文献です。

 この日04月16日のショウにも AUD があります。かなりクリアな佳録音です。

 オープナー〈Shakedown Street〉はガルシアが長いソロを展開します。こりゃあ、調子がいいです。

 〈Little Red Rooster〉ではウィアの声に思いきりリヴァーブがかけられ、スライド・ギターも見事。二度めの間奏ではミドランドのハモンド・ソロが聞き物。これを受けてウィアのスライドが再び炸裂。さらにガルシアが渋く熱いソロ。これはオールマンでも滅多に聴けないホットなブルーズ・ロックです。

 次は暗黙のルール通りガルシアの持ち歌で〈Peggy-O〉。この曲もいろいろ違った顔を見せます。ここでは歌も演奏もよく弾んで、やや明るい歌。感傷にも沈まず、脳天気にも飛びさらない、地に足をちゃんとつけて、酸いも甘いも噛みわけたような演奏。ここでもガルシアの声に軽くリヴァーブがかけられます。ガルシアの喉の調子が今一つで、痰がからんだような声になるので、そのカヴァーかもしれません。こういう判断はエンジニアのダン・ヒーリィがやっていたらしい。

 次のウィアは〈Me And My Uncle> Mexicali Blues〉のメドレー。この頃に多い組合せ。前者の間奏でガルシアが珍しくソロを3コーラス。確かによくはじけた演奏。この曲ではウィアの歌の後ろでもギターを弾いていて、それもかなり粋。曲は一度終りますが、ドラムスがそのまま次へ続けます。こちらでもガルシアがぴんぴんと硬く張った響きでやはり粋なソロを聴かせます。メロディから離れたりまた戻ったり。ここでもウィアの声に軽くリヴァーブがかかっているように聞えます。あるいはこのヴェニューの特性かも。

 次が今回リリースされた〈Dupree's Diamond Blues〉。この SBD は流通していないようです。AUD ではよく聞えないレシュとハートも明瞭。ここでのガルシアのソロはこの日の演奏に共通してよく弾んでます。

 ウィアの〈Cassidy〉ではミドランドが初めからずっと声を合わせます。ドナ時代のフォーマットの再現。この歌はこの形の方があたしは好き。その裏でガルシアもギターを合わせます。途中で少しダークなムードから始まるジャムがすばらしい。流れは続いていますが、曲からはまったく離れて、まるで別の曲。そしてコーラスにもどって静かに終る。いやあ、カッコええ。

 次はやはり少しダークな〈West L.A. Fadeaway〉。わずかに遅めのテンポで重いものが敏捷に跳ねてゆく感じ。この曲も魅力がわかるのにあたしには時間がかかりました。これはその名演の一つです。それにしてもロサンゼルスの西は太平洋で、West L.A. ってどこなんでしょう。

 第一部締括りは順番を無視してガルシアの〈Might As Well〉。ガルシアの声はもう潰れる寸前。ふり絞るのが愉しいと言わんばかりの歌唱。

 1時間超の第一部。かなり良いショウです。(ゆ)

 新年のご挨拶を申しあげます。

 今年が皆さまにとって実り多い年になりますように。


 昨年後半はとにかくグレイトフル・デッドばかり聴いていましたが、今年はもっと聴くことになりそうです。これまでは公式リリースを追いかけていましたが、年末の《30 Days Of Dead 2022》にひっかけて、AUD つまり聴衆録音も聴きだしました。これからできるかぎり聴いていこうと思ってます。

 オーディオ方面では昨年末に買った final ZE8000 がすばらしく、当分、これがあれば他は何も要らないくらいです。Amarra Play を通じて iPhone で Tidal も聴けるので、iPhone と M11Pro と ZE8000 で完結してしまっています。せっかく買った RS2 は、有線で聴くことが突然なくなってしまったので、宝の持腐れになってしまいました。また突然気が変わるかもしれませんけれど。

 今年、期待するものといえば final の耳かけ型ヘッドフォンです。

 読書では昨年秋、突如ハマってしまった石川淳を今年も読みつづけるでしょう。小林秀雄> 隆慶一郎の言葉を借りればあたしは今石川淳という事件の真只中です。いずれ読もうと買っておいた最後の全集が役に立っています。ただ、各種文庫の解説がなかなか面白い。

 さらに年末に宿題が出たドストエフスキーからトルストイ、プラトーノフ、グロスマン等のロシア文学も読むことになるしょう。 今だからこそのロシア文学です。それにグロスマンはウクライナ生まれですし。

 仏教関係にもハマりつつあります。今のところ鎌倉周辺。法然、親鸞、日蓮、道元、栄西あたり。それと原始仏教という、いわば両極端が面白い。これもあって、承久の乱前後の鎌倉時代がまた面白くなりだしました。

 SFFではアジア系をはじめとする女性の書き手たちという一応のテーマはありますが、あいかわらずとっちらかることでありましょう。

 しかしまあ、時間はどんどん限られているのに、読みたい本、聴きたい音楽は増えるばかり。ライヴも復活してきましたし、優先順位をつけるのがたいへん。一度つけてもしょっちゅう変わります。『カラマーゾフの兄弟』のように突然入ってくるものもあります。

 ということで、ここの記事はこういうことが主になるでありましょう。よしなに、おつきあいのほどを。



 では、《30 Days Of Dead 2022》のリスニングを続けます。

30 Days Of Dead 2022 を聴く。その10

 1986、85年からは今年はピックアップされず、次は1984年から2本、13日リリースの 1984-10-15, Hartford Civic Center, Hartford, CT のショウから〈Hell In A Bucket> Sugaree〉と、04日リリースの 1984-04-16, Community War Memorial Auditorium, Rochester, NY から〈Dupree's Diamond Blues〉です。それぞれ春と秋のツアーからです。

 前者はこのヴェニュー2日連続の2日目。10-05から10-20までの短いツアーの5つめの寄港地。ノース・カロライナでスタート、ヴァージニア、マサチューセッツ、メイン、そしてここ。この後はニュー・ジャージーとニューヨークのアップステート。1週間あけてバークリィで6本連続をやると、後は年末です。

 この日のショウからは4曲目の〈Bird Song〉が2018年、第二部3曲目の〈Playing In The Band〉が昨年の、それぞれ《30 Days Of Dead》でリリースされています。なお、〈Playing In The Band〉の返りはその後、クローザー〈Sugar Magnolia〉の前です。すなわち、Drums> Space> 〈The Wheel〉> 〈Wharf Rat〉までが〈Playing In The Band〉にはさまれています。

 〈Playing In The Band〉は演奏回数の最も多い曲の一つで、1968年のデビュー以降、キャリア全体にわたって演奏されていますが、変貌の最も大きな曲でもあります。初めは5分で終っていたものが、1972年春のヨーロッパ・ツアー中に長くなりはじめ、ついには大休止の前には30分を超えるのも珍しくないほどになります。極限まで伸ばされたその次に、間に別の曲がはさまりだし、それも1曲2曲と増えていって、やがては第二部全体がはさまる、つまり〈Playing In The Band〉でスタートして、クローザーないしその前でまた還ることも起きてきます。最後にはその日には還らず、数日置いて還るようにまでなりました。同じ曲の様々な演奏、ヴァージョンを続けて聴いてゆくのは、デッドの音楽の聴き方としてショウを丸々1本聴いてゆくのに次いで面白く、また成果も大きいものの一つです。ショウを聴いてゆくのを横糸とすれば、同じ曲を聴いてゆくのは縦糸になるでしょう。その中でも〈Playing In The Band〉の聴比べは最高に愉しいものです。ただし、とんでもなく時間もかかります。

 今回リリースされたのはオープナーからの2曲。曲は一度終りますが、間髪入れずガルシアがリフを始めます。このあたり、あるいはあらかじめ決めていたか。デッドは次に何を演奏するかはその場で決めていますが、オープナーや最初の2曲はステージに上がる前に決めることもありました。

 演奏はすばらしい。ここではガルシアのソロがひっぱります。どちらもメインのメロディのヴァリエーションながら、意表をつくフレーズを連ねます。〈Hell In A Bucket〉のソロもよいですが、〈Sugaree〉がやはり凄い。大休止からの復帰後、この曲の即興パートはごくシンプルな音を坦々と重ねて壮大な展開になるようになります。1977年春などはこのままついに終らないのではないかと思えるほどです。ここではそこまではいきませんが、それぞれのソロは彩りを変えて面白い。この録音ではウィアの煽りも愉しい。ただ、1970年代に比べると、どこか切羽詰った響きがあります。ウィア、ガルシアともにヴォーカルも好調。

 ガルシアの調子がよいのでしょう、次の〈El Paso〉でも珍しくソロをとり、それも良いギターを聴かせます。ここでソロをやれという指示はこの頃はウィアが出していたようです。

 〈Bird Song〉もテンポがわずかに速い。つんのめるわけではありませんが、のんびりしていられないという、何かに追いかけられているような感覚が無くもありません。その緊張感はジャムではプラスに作用しています。ウィアがほとんど暴力的なサウンドで噛みつくのに、ガルシアが太刀先を見切るようなソロで逃げる。かと思うといきなり丁々発止。こりゃあ、いい。光と影が交錯する、すばらしい演奏。

 〈C C Rider〉はブルーズ・ビート。ここでもガルシアは難しいことは何一つやりません。弾くだけなら誰でも弾けそうなシンプルなギターなのに、じゃあ、弾いてみろと言われれば、たいていのギタリストでは聴くにたえないものになるんじゃないか。2番の後、ミドランドとウィアが各々にまた美味しいソロ。ウィアはやはり相当にアグレッシヴ。さらにガルシア。さらにシンプルで美味しいギター。

 この頃の AUD を聴くとほとんどの歌を聴衆が最初から最後まで大合唱してます。デッドの曲は決してカラオケ向きではない、むしろ歌いにくいものが多いんですが、皆さん、耳がいいのか。〈Tennessee Jed〉もその典型。ビートものんびりしているようで、よく弾む感じをきちんと摑むのは簡単ではないでしょう。ガルシアのギターにはいつものおとぼけがちょっと足りないかな。

 〈Jack Straw〉も始まりこそとぼけていますが、中間部では疾走感がみなぎります。この曲のリード・ヴォーカルはウィアですが、珍しくガルシアが一節歌うところがあります。2人が交互にリードを歌う曲はこれだけでしょう。当初はウィアが終始ひとりで歌っていましたが、何度か試した後、一節だけ、ジャック・ストロウに殺される相棒のセリフをガルシアが歌うようになります。そう、これは人殺しの歌です。

 間髪入れずガルシアがリフを始めて第一部クローザー〈Keep Your Day Job〉。悪い曲じゃないと今聴くと思うんですが、この曲はデッドヘッドにとにかく嫌われ、あまりの不人気に4年ほどでレパートリィから落ちます。それでも4年間は演奏されつづけました。

 後半もテンションは落ちません。オープナーは〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain〉のメドレーという定番ですが、演奏はすばらしい。どちらもヴォーカルに力がありますし、ジャム=集団即興にはぞくぞくします。こういうのを聴くのがデッドを聴く醍醐味。

 続く〈Playing In The Band〉は70年代を髣髴とさせる長いジャムを展開します。これも聴きごたえがあります。半ばでフリーになってますます70年代の雰囲気が濃くなり、さらに宇宙を旅してゆく感覚の演奏が続きます。そこから自然に〈Drums〉ですが、この AUD では短くカットされているのは残念。〈Space〉はギタリスト2人の掛合い。ここから〈The Wheel〉さらに〈Wharf Rat〉という流れも定番ではありますが、この組合せは何度聴いてもいい。〈Playing In The Band〉の還り、つまりしめくくりの演奏が来ると、ここまで長く入り組んだ路を旅してきて、故郷にもどった気分。デッドのショウを聴くのは多様な寄港地をへめぐる旅をするのに似ています。間髪を入れずに〈Sugar Magnolia〉。ここでもガルシアがすばらしいギターで全体をひっ張ります。1980年代前半はあまり評価が高くありませんが、こういう演奏があるなら、もっと聴きたい。

 AUD は残念ながらアンコール〈It's All Over Now, Baby Blue〉は収録なし。(ゆ)

 1988年からの選曲は今回無しで、次は02日リリースの 1987-09-15, Madison Square Garden, New York, NY から〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉です。このペアは 1991-03-24 にも出ていますから、同じ曲がどう変わるかも体験できます。

 ここは肝心のところで、デッドは同じ曲を二度まったく同じに演奏することはありませんでした。この点ではロック・バンドではなく、ジャズのやり方です。つまり、同じ曲を同じように演奏することはつまらなかった。楽しくなかった。常に別のやり方、変わった手法でやろうとしました。このことは楽曲の演奏だけでなく、ショウの組立て、レコードの作り方から、ビジネスのやり方まで、あらゆるところに共通します。

 ですから、このペアのように通算で500回以上、そのキャリアの最初から最後まで通して演奏されつづけた曲でも、まったく同じ演奏は二つとありません。もちろん、時期が同じならば、共通したところはありますが、いつもどこか、何かが変わっています。またショウの中での順番、位置も変わります。これも時期によって、位置、順番が定まるケースもありますが、コンテクストが変わるので聴いて受ける感覚は変わってきます。このおなじみという感覚と演奏そのものが違うという感覚のバランスがデッドのショウを1本通して聴くときに愉しいところです。また、前回の 1989-02-06 のような、破格の順番、位置もまた愉しくなります。

 ショウはこのヴェニュー5本連続の初日。2日やって1日休んで三連荘です。この5本のショウの18.50ドルからのチケット85,000枚は4時間で売切れ、記録となりました。休みの17日にはガルシアとウィアが NBC の David Letterman Show に出演し、2人だけのアコースティック・セットで6曲演奏しました。この録画は YouTube で見られます。この時のランからは中日09-18のショウが《30 Trips Around The Sun》でリリースされています。

 前年の夏、ガルシアは重度の糖尿病で昏睡に陥ります。しかし、こんな重い症状から恢復したのは見たことがないと医者が驚く奇跡的な恢復を示し、10月にはジェリィ・ガルシア・バンドで、12月にはグレイトフル・デッドとしてステージに復帰しました。デッドはここから1990年春まで、終始右肩上がりに調子を上げてゆく黄金期を現出します。ビジネスの上でもそうですが、それよりも音楽の上で一層黄金期と言えます。見る角度によっては1972年、1977年をも凌ぐ、グレイトフル・デッドとして最高のピークです。

 そこにはこの年の夏、ミッキー・ハートが Bob Bralove の協力で MIDI をステージに導入したことも寄与しています。ブララヴまたはブレイラヴはクラシックの教育を受けたピアニストで、スティーヴィー・ワンダーのサウンド・デザイナー兼コンピュータ音楽ディレクターを勤めていました。ブララヴの援助で、ハートを皮切りにメンバーは次々に MIDI を導入し、これ以後のデッドのサウンドは多様性を大きく増すことになります。

 1987年は前年後半キャンセルした分もカヴァーするように、ショウの数は85本。1981年以来初めて80本を超えました。ちなみに30年のキャリアの中で年間80本を超えたのは14回あります。2,430万ドルを稼いで第4位。レパートリィは150曲。ここまで増えたのは、夏にボブ・ディランとツアーしたためもあります。

 ガルシアの復帰とこの年の稼ぎは強い印象を残しました。3年後、ポール・マッカトニーは13年ぶりにツアーを始める理由を訊ねられて、「ジェリィ・ガルシアが昏睡からたち直ってツアーできるんなら、ぼくだってできないはずはないと思ったのさ」と答えることになります。

 〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉はこの日の第二部オープナー。後半、ガルシアのギターを中心にした集団即興=ジャムがすばらしい。とりわけ、ガルシアとミドランドとレシュの絡合いが、この録音はよくわかります。ウィアのギターの音が小さいのが残念。ヴォーカルはちゃんと聞えます。〈I Know You Rider〉でコーラスの後で、すぐに歌を続けず、おれが弾くと言わんばかりのガルシアのソロ。ガルシアの歌の後のガルシアのソロとレシュのベースの絡みがまたたまらん。最後のアカペラ・コーラスになるところ、会場が手拍子で支えてますね。

 続くのは〈Estimated Prophet〉から〈Eyes Of The World〉という定番の組合せ。この2曲は〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉や〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain〉ほどの完全なペアにはなりませんでしたが、かなりの頻度で続けて演奏されてます。ただ、この2曲は順番が逆になったりします。どちらも長いジャムになることもよくあって、ここでも2曲合わせて20分超。

 前者では最初の歌の後の間奏でガルシアが決まったフレーズから出発して、どんどんはずれてゆき、最高のソロを聴かせます。ウィアの歌にもどると大喝采。ウィアも負けじと、イカレた「預言者」の役を熱演。その後のガルシアのソロはこの曲ではよくありますが、完全にジャズ、それも極上のジャズ。デッド流ジャズ。このソロを愉しめるかどうかは、デッドの音楽を愉しめるかどうかの試金石かもしれません。

 一度終って、一瞬、間があって〈Eyes Of The World〉のリフが始まると大歓声。ガルシアのヴォーカルが力強く、歌いまわしにも余裕があります。昏睡からの恢復後は相当に節制につとめたこともあり、体調も絶好調なのでしょう。こちらは〈Estimated Prophet〉よりもアップテンポで、ギターもそれに合わせていますが、やはりロック・ギターの範疇からははずれます。それにミドランドがピアノのサウンドでからんでゆくと、ガルシアはますます調子が出てきて、今度はハートとも絡みます。やがて、Drums に遷移。ハートが MIDI で不思議な音を出すのに、クロイツマンは通常のドラム・キットで応じます。ハートは今度は巨大太鼓でこれに対抗。この AUD は優秀で音は割れていません。デジタル録音と思われ、かなりクリアです。

 普通 Space に移るとドラマーたちはひっこみますが、この日はなかなかひっこみません。ひっこんだ後はガルシアとウィアの2人だけ。ガルシアはスライド・ギターで思いきり音をひっぱります。明瞭なメロディはなく、まさに宇宙空間を旅している気分。ウィアはこれにコードを合わせるというより、遠くから投げかける感じ。

 ごく自然に〈The Wheel〉が始まり、他のメンバーも入ってくるのに、ガルシアがイントロを引きのばします。聴衆も力一杯歌っているのも聞えます。これもいい演奏。

 〈Gimme Some Lovin'〉への遷移はちょっと唐突ですが、リフが始まってしまえばこっちのもの。すぐにミドランドがハモンドで有名なリフをくり出します。これも全員のコーラスですが、レシュも歌っていますね。歌の後、ワン・コーラスですがガルシアが切れ味のいいソロ。最後はこれもやや唐突に終り、すぐに〈All Along The Watchtower〉をやりかけますが、ガルシアの気が変わったようで〈Black Peter〉におちつきます。

 〈Black Peter〉でもガルシアのヴォーカルは元気で、このピーターはとても死にそうには聞えません。死にそうだという噂をばらまいておいて、あわてて見舞いに来た友人たちにアッカンベーをして見せるよう。前年の自分の体験を重ねているのでしょうか。ビートはブルーズ調で、ここでのガルシアのギターは明るいブルーズ・ギターの趣。

 一度きちんと終って間髪を入れず〈Sugar Magnolia〉。会場全体が最初からウィアにぴたりと合わせて歌っています。ウィアも負けじとメロディを崩してます。ミドランドのピアノを合図にジャムに突入、ガルシアは自在にメロディを崩して美味しいギターを展開します。弾きやめません。これぞ、デッド、ガルシアのギターを中心にバンド全体が飛んでゆきます。やがて、一瞬の間を置いて、ドン、ドンと Sunshine Daydream。ウィアがひとしきり叫んだ後はまたガルシアが弾きだしますが、この日はウィアが再びからみ、コーダにもちこみます。

 アンコールは〈It's All Over Now, Baby Blue〉。惜しいことにこれは AUD には入っておらず、SBD をストリーミングで聴きます。これはガルシアの持ち歌。ヴォーカルは力が籠もっていますが、ギターは肩の力が抜けて、「枯れた」というと言い過ぎですが、半歩退いたクールさが光ります。ミドランドのピアノがまたよく脇を締めています。最後にウィアが "Manana マニャーナ"。つまり「また明日」。この選曲と演奏も含め、明日のために力を貯めておけ、ということでしょうか。(ゆ)

 1989年からはもう1本 02月06日の Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA から〈Cassidy; Tennessee Jed〉が18日にリリースされました。こちらはこの年2本目のショウで、つまりは1989年の始めと終りからのセレクションをそろえたのでしょう。

 ショウは最初の三連荘の中日。3日置いてロサンゼルス国際空港の東隣のイングルウッドで三連荘したあと、ひと月空けて03月27日、アトランタから春のツアーが始まります。

 この2曲は第一部クロージングの2曲。このショウは選曲と並びが尋常でなく、何となくというふぜいで〈Beer Barrel Polka〉を始め、一度終り、音が切れてからいきなり始まるのは〈Not Fade Away〉。普通ならショウのクローザーやそれに近い位置に来る曲です。これは全員のコーラスによる曲ですが、その歌にこめられたパワーがはちきれんばかり。ガルシアのソロもシャープ。一度終って間髪入れず〈Sugaree〉が続きます。ガルシアの声が力強い。ギターも絶好調。さらに間髪入れずに〈Wang Dang Doodle〉。ややおちついたかとも聞えますが、コーラスではやはり拳を握ってしまいます。ガルシアのソロもミドランドのオルガン・ソロもなんということもありませんが、耳は引っぱられます。こういう異常な選曲と並びはバンドの調子が良い徴です。

 続く〈Jack-A-Roe〉では、ガルシアは3番の歌詞が当初出てきませんが、もう1回まわるうちに思い出します。このギターはデッド以前のフォーキー時代を連想します。

 次の〈Queen Jane Approximately〉は1987年のディランとのツアーからレパートリィに入りました。第一部の真ん中あたりでウィアがディランの曲をうたうのが、しばらく定番になり、"Dylan slot" などと呼ばれました。ガルシアがヴォーカルをとるディラン・カヴァーは第二部に入るのが多いようです。

 肝心の〈Cassidy〉は中間部のジャムがいきなりムードが変わり、無気味で不吉な響きを帯びます。まるで別の曲。そしてまたコーラスで元に戻る。こりゃあ、いいですねえ。こういう変化もデッドの味わいどころ。

 〈Tennessee Jed〉ではガルシアの力一杯の歌唱にちょっとびっくり。この時期の特徴かもしれません。後半のギター・ソロがまたすばらしい。ちょっとひっぱずした、ユーモアたっぷり、お茶目なフレーズ。こういうとぼけた曲のとぼけた演奏もまたデッドならではです。

 ザッパにもユーモラスな曲はありますが、こううとぼけた演奏はまずやらない。ユーモラスな演奏はしますが、どうもマジメにユーモアしている感じがあります。フロ&エディの時期のライヴにはとぼけたところもありますが、それはザッパよりもフロ&エディが引張たように見えます。

 デッドはマジメなのか、フマジメなのか、冗談でやっているのか、真剣なのか、よくわからない。そこが日本語ネイティヴにとってデッドのわかりにくさになっているのかもしれません。けれども、デッドは自分たちの音楽にあくまでも誠実だったことは確かです。

 ヴェニューは1914年にオークランド市街の中心部に建てられた多目的施設で、現在は国指定の史的建造物になっています。中にあるアリーナの収容人員は5,500弱。デッドは1985年02月からこの1989年02月07日まで、計34回、ここで演奏しています。1989年になると、デッドには小さすぎるようになりますが、ビル・グレアムにとっては何かと使い勝手がよかったのでしょう。

 ちなみに、1976年の復帰後は、ロッキー山脈西側のショウはビル・グレアム、東側は John Scher が担当プロモーターになります。グレアムはデッドにとっては最も重要で、関わりも深かったわけですが、コンサートをいわば自分の所有物とみなすグレアムの態度にはデッドはどうしてもなじめませんでした。プロモーターとアーティストの関係としてはシェーアとの方がしっくりいっていたようです。(ゆ)

 1990年代からは今年は9回、8本リリースでした。80年代からのリリースも8本。まずは9日リリースの 1989-12-27, Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA から〈Playing In The Band> Crazy Fingers〉。第二部2曲目からのメドレーです。が、これは2018年の《30 Days Of Dead》で、この後に続く〈Uncle John's Band〉までのセットがリリース済みでした。重複したばかりか、減ってしまったのはちょとがっかり。

 ショウはビル・グレアム恒例の大晦日の年越しショウにかけての4本連続の初日。10月26日に秋のツアーを打ち上げ、この12月上旬に同じオークランド・オルメイダ・カウンティ・コリシアム・アリーナで1本、続いてグリーク・シアターで三連荘をやり、このランでこの年は終り。

 1989年は翌年春まで続くデッド第3の黄金期。空前絶後の音楽を聴かせてくれています。ショウは73本。2,860万ドルを売りあげて、コンサートの興行収入では4位でした。レパートリィは135曲。新曲ではハンター&ガルシアの〈Standing on the Moon〉が以後最後まで歌われ、後期の代表作となります。バーロゥ&ウィアの〈Picasso Moon〉も面白い。あたしのお気に入り。バーロゥはミドランドと組んで〈We Can Run〉と〈Just a Little Light〉も送り出しました。
 カヴァー曲で定着したのはありませんでしたが、10月に起きたロマ・プリータ地震のニュースをツアー先で聞いたバンドはロドニー・クロゥエルの〈California Earthquake (Whole Lotta Shakin' Goin' On)〉を演奏しました。

 この年は2月に1987年のボブ・ディランとのツアーからのライヴ・アルバム《Dylan & The Dead》、10月に最後のスタジオ盤《Built To Last》がリリースされます。後者は2月に録音を始めて、夏秋のツアー中も作業は続きました。今回は全員一緒ではなく、個別に録音したトラックをガルシアとジョン・カトラーが合わせる形で、誰にとっても嫌な作業でした。この後、スタジオ盤が作られなかったのも、この時の嫌な体験がトラウマになったのかもしれません。

 このヴェニューでのデッドの演奏は66回、デッドが一度でも演奏したことが判明している645ヶ所(DeadLists による)のヴェニューのうち最多です。ここは1966年11月にオープンした屋内アリーナで、収容人員はコンサートで2万。長い間、プロ・バスケットボールのゴールデン・ステイト・ウォリアーズの本拠でした。デッドは1980年代半ば以降、年初の始動と年末の締めくくりをここでやっています。活動後半のホーム・グラウンドと言ってもよいかと思います。現在の名称は Oakland Arena。

 この日の第二部にはE・ストリート・バンドのクラレンス・クレモンズがゲスト参加して、オープナー〈Iko Iko〉ではご機嫌なサックスを吹いていますが、ここでは聞えません。しかしこの〈Playing In The Band〉はすばらしい。とりわけ後半の現代音楽風のジャムはデッドのこの形のジャムとして最もレベルの高いものの一つです。この曲のベスト・ヴァージョンの一つ。続く〈Crazy Fingers〉への遷移もごく自然で、演奏ものっています。歌の後のジャムがいわゆるスパニッシュ・ジャムになるのがたまらん。これに〈Uncle John's Band〉をつなぐのも意表を突かれます。こういう組合せはすべてその場で即興で決められていて、あらかじめ打合せていたわけではありません。ここではどちらもガルシアの持ち歌で、ガルシアが始めるきっかけを出していると思われます。

 〈Uncle John's Band〉の後は Drums、Space。どちらも面白いですが、この後半のヤマはなんといってもクローザー〈Morning Dew〉。ラフすぎる、ぶち壊しという人もいて、それもうなずけないことはない。崩壊寸前になる瞬間もあることは確か。しかし、ここでのエネルギーの爆発はすごい。これほど「猛りたって」うたうガルシアは他には覚えがありません。エネルギーはまだ余っていて、アンコールの〈Johonny B. Goode〉に再び爆発し、ここではクレモンズが吹きまくります。面白いのは、これが終って間髪を入れずにガルシアが〈Black Muddy River〉のリフを始め、一転して、ぐっと抑えた、味わいぶかい演奏を聴かせること。ミドランドのハーモニーが効いてます。この歌のベスト・ヴァージョン。こういう緩急をつけて、ロックンロールで解放したものを回収し、余韻を残してしめくくるのがデッドのやり方。

 やはり、この年はピークです。(ゆ)

 次のショウは 1991-03-24, Knickerbocker Arena, Albany, NY で、今回2回リリースされているので、14日リリースの〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉と21日リリースの〈Looks Like Rain> He's Gone〉を一緒に聴きます。この4曲は第二部冒頭からこの順番での続きで、この後は Drums。なお、〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉は2017年の《30 Days Of Dead》でリリース済です。《30 Days Of Dead》は未発表ライヴ音源を謳ってますが、回を重ねて重複も増えてきました。

 またオープナーのメドレー〈Help On The Way> Slipknot!> Franklin's Tower〉が2016年の《30 Days Of Dead》でリリースされています。

 ああ、そうそう、デッドの世界ではショウの年月日は 03-24-91 または March 24, 1991 と表記するのが習慣です。アメリカの習慣ですね。UK はじめアメリカ以外の英語圏なら 24-03-91 と書くところでしょう。いずれにしてもリストにしてソートする時に不便なので、あたしは1991-03-24 と書いています。

 ショウはセント・パトリック・ディの03月17日にメリーランド州ランドーヴァーで始まった春のツアー二つ目の寄港地ニューヨーク州オルバニーでの三連荘の中日。開演午後7時半。料金は22.50ドルから。次はロングアイランドでまた三連荘してノース・カロライナ、ジョージア、フロリダと回ります。

 ヴェニューは1990年代、毎年前半に回ったところです。1990-03-24に初めて出て、1995-06-25まで13回、ここで演奏しています。1990年01月30日にオープンした屋内多目的アリーナで、コンサートでは定員15,400弱。満杯に詰めると17,500入。カレッジ・スポーツとプロレスによく使われています。柿落しはフランク・シナトラで、コンサート会場として人気があり、デッドの他、ローリング・ストーンズ、U2、ブルース・スプリングスティーン、ポール・マッカトニー、ガース・ブルックス、ジャスティン・ティンバーレイクなどなど。現在は Times Union Center という名称。

 〈China Cat Sunflower〉後半のジャムがまずすばらしい。ウェルニクがガルシアをうまくサポートしています。最後にビートが速くなるのもカッコいい。〈I Know You Rider〉に入ってもガルシアがギターを弾きやめません。歌も歌の後のジャムもいい。好演ヴァージョンと思います。一度曲は終り。
 〈Looks Like Rain〉はバーロゥ&ウィア・コンビのベストの1曲。あたしはちょっとジャクソン・ブラウンに通じるところを感じます。西海岸の歌。この曲ではウィアのヴォーカルの裏で弾いてるガルシアのギターがいつも聞き物。ここでもウェルニクのサポートがいい。このショウにはブルース・ホーンスビィはいませんが、立派にアンサンブルの一角を支えてます。コーダに向けてのウィアのアドリブ的な歌唱がハマってます。ここは空回りすることも時にありますが、この日はいい。
 曲は一度終りますが間髪を入れず、ガルシアが〈He's Gone〉のリフを始めます。かなりゆったりしたテンポ。ガルシアの歌唱はハリがあります。"Nothing gonna bring him back" のリピートのところで、ウェルニクが遠くで叫ぶのが面白い。そこから移るインストルメンタルのジャムも面白い。ウェルニクのソロ。ジャズですなあ。ウィアのギターの応答が粋。その後、おそらくガルシアはステージを去り、ドラムスが前面に出ますが、Drums に移行する前のジャムもまだまだいい。ウェルニクも引っこんで、残る4人でしばらく演るのは珍しいかも。

 続く Drums ではハートの叩く大太鼓の低音が SBD でも割れています。こういう音は生で聴かないとわからないでしょう。おそらく耳だけでなく、カラダに響いてくるはず。

 Space ではガルシアが MIDI でトランペットやフルートやの音を出すのが面白い。サウンドを変えるとまたインスピレーションが湧くらしい。

 第二部後半もスイッチは切れず、とりわけクローザーの〈Standing On The Moon〉から〈Good Lovin'〉のメドレー。〈Standing On The Moon〉ではガルシアの歌唱もギターもエモーショナル。こういう感情たっぷりで感傷すれすれの演奏は90年代に入ってからのように思われます。それがやがて〈So Many Roads〉で極まりますが、ここではまだそこまではいかない。あたしはむしろ感情控えめの方が好きではあります。

 〈Good Lovin'〉は、少し遅めのテンポでたっぷりしたタメをとって、前の曲とは一転して、いかにも楽しげ。ここもウィアのアドリブ歌唱がいい。この日のウィアのアドリブは冴えてます。(ゆ)

 8日リリースの〈New Speedway Boogie〉。ショウは 1992-06-12, Knickerbocker Arena, Albany, NY。この次に新しいのは前年03-24の同じヴェニューのショウからで、この辺りは意図的ではないかとも思えます。

 ショウはこのヴェニュー2日連続の2日目。06月06日からの夏のツアー後半で、このツアーでは各ヴェニュー2日ずつのランです。

 曲は第一部クローザー前。この後は〈The Promised Land〉でしめくくり、第二部は〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain〉からスタート。

 〈New Speedway Boogie〉はオルタモントの悲劇を歌った曲として知られますが、デッドのレパートリィとしてちょっと珍しい経歴をたどります。1969-12-20、フィルモア・オーディトリアムでの初演の後、翌年09-20のフィルモア・イーストまで25回演奏して一度レパートリィから落ちます。20年後の1991-02-19、オークランド・オルメイダ・カウンティ・コリシアム・アリーナ、この年最初のショウで復活。以後、回数は少ないながら、1995-07-02まで演奏されました。演奏回数は55回。スタジオ盤は《Workingman's Dead》収録。

 なお、フィルモア・オーディトリアムはフィルモア・ウェストの前にビル・グレアムがやっていたヴェニューです。もっともウェストを開いた後もしばらく平行してオーディトリアムも経営しており、デッドは両方に出ています。

 〈New Speedway Boogie〉のすぐ前にウィアが熱唱している〈Black-Throated Wind〉も似た経歴をたどります。1972-03-05 にウィンターランドでデビューし、1974年10月の大休止前まで100回以上演奏されますが、1976年の復帰後は演奏されず、復活するのは1990-03-16。1995-06-28まで、計160回演奏。復帰後はコーダがひき伸ばされます。

 ガルシアはこの夏のツアーが終った直後に倒れますが、この日は冒頭から好調で、〈New Speedway Boogie〉でもヴォーカルも力強く、いいギターを弾いています。コーダのコーラスのくり返しが粋。ここはそのまま途切れずに〈The Promised Land〉。冒頭から場内大合唱。ウェルニクもかなり良いピアノ・ソロをツー・コーラス聴かせます。

 1992年のショウは秋のツアーがキャンセルされて55本。それでも120万枚のチケットを売り、コンサート収入はU2に次ぐ2位でした。レパートリィは134曲。新曲は4曲。ハンター&ガルシアの〈So Many Roads〉。ハンター&レシュの2度目のコラボレーションから生まれた〈Wave to the Wind〉。ハンターの詞にウィアとハートが曲をつけた〈Corrina〉。そしてハンターの詞にウェルニクがボブ・ブララヴと曲をつけた〈Way to Go Home〉。この中では〈So Many Roads〉が、ガルシア晩年の絶唱を生んでいきます。(ゆ)

 28日リリースの〈Feel Like A Stranger; Stagger Lee〉。1993-03-10, Rosemont Horizon Arena, Rosemont, IL のオープナーです。

 春のツアー2日目。初日はエンジンがかからなかったようですが、この日はうって変わって最高のショウになった、とファンは口を揃えます。

 1993年のショウは計81本。180万枚のチケットを売り、4,650万ドルを稼いで、この年のコンサート収入の全米トップになりました。新譜もなく、ラジオでかかることもまずなく、チケット1枚あたりの金額は同クラスの他のアクトの3分の1、4分の1で1位になっています。

 一方でこれはデッドが巨大なビジネスになっていたことも意味し、それがバンドの行動を縛る結果にもなりました。この頃、ガルシアが1974年の時のようなツアー休止を全社会議に提案した時、マイナス面が大きすぎるとして、却下されています。

 この時期のデッドのショウでは、大物のアーティストが前座を勤めることがありますが、この年には1月にサンタナ、5月、6月にはスティング、8月にはインディゴ・ガールズが出ています。

 ガルシアとともにステージ裏にいた当時上院外交小委員会委員長だった民主党上院議員パトリック・レーヒィのところにホワイトハウスから電話が入ったのは、6月のワシントン、D.C.は RFKスタジアムでのショウの前座にスティングが出ていたときでしょう。レーヒィ議員は有名なデッドヘッドで、議員としてのオフィスにもテープのコレクションを置いていたそうです。

 この年のレパートリィは143曲。そのうち「新曲」としてロビー・ロバートソンの〈Broken Arrow〉、ビートルズの〈Lucy in the Sky with Diamonds〉、Bobby Fuller Four の〈I Fought the Law〉のカヴァーとハンター&ガルシアの3曲に加えて、ボブ・ウィアがロブ・ワッサーマンとウィリー・ディクソンと作った〈Eternity〉と、ボブ・ブララヴ、ワッサーマン、ヴィンス・ウェルニクとの共作〈Easy Answers〉があります。

 この2曲はワッサーマンのアルバム《Trio》の企画から生まれたもので、後者はニール・ヤングとウィアとワッサーマンのトラックのためでした。これはライヴで演奏されるうちにかなり形が変わり、またウィアはデッド以外でも後々にいたるまで演奏しつづけます。ただ、あたしにはデッドでの演奏はついに満足なレヴェルには届かなかったと聞えます。

 対照的に〈Eternity〉はこの年ガルシアがハンターと作った3曲とともに、デッド末期を飾る佳曲でしょう。

 《30 Days Of Dead》にもどって、これはすばらしいオープニング。ガルシアの好調は明らかで、こうなれば鬼に金棒。2曲目の〈Stager Lee〉のヴォーカルも声に力があり、茶目っ気がこぼれます。この後の〈Ramble on Rose〉も同じ系統で、こういう歌をうたわせたら、ガルシアの右に出る者はいません。ガルシアより歌の巧い人はいくらでもいますが、このユーモアの味、どこかとぼけた、しかし芯はちゃんと通っている歌唱ができる人はまず見当らない。あからさまなユーモア・ソング、お笑いのウケ狙いではなく、でも時には思わず吹きだしてしまうようなおかしみをたたえた歌。こういう歌もデッドを聴く愉しみの一つです。
 この第一部はきっちりウィアとガルシアが交替でリードをとり、それぞれの持ち味を十分に出して、対照的です。「双極の原理」はデッドを貫く筋の一本ですが、それがよく回って、カラフルな風光を巡らせてくれます。第一部クローザーの〈Let It Grow〉はこの曲でも指折りの名演。聴いていると拳を握ってしまいます。(ゆ)

 3本目は11日リリースの〈The Music Never Stopped〉。ショウは 1993-03-11, Rosemont Horizon Arena, Rosemont, IL。8:49。第一部クローザーです。

 この年は1月末と2月下旬にそれぞれオークランドで三連荘をした後、3月9日から春のツアーに入り、その最初の三連荘がこのヴェニュー。今回の《30 Days Of Dead》ではこの日とその前日からリリースされました。この後はオハイオ、メリーランド、ジョージア、ノース・カロライナ、そしてニューヨークのアップステートとロング・アイランドと回り、4月5日に打上げます。

 前年の7月初旬、ガルシアは再び人事不省となり、そのため夏と秋のツアーはキャンセルされます。ガルシアは1986年に糖尿病で昏睡に陥り、文字通り九死に一生を得て恢復しています。その年の年末には復帰し、そこから1990年夏までのデッド第3の黄金期を現出することができました。今回も12月2日にはデンヴァーで復帰していますが、前回ほどの恢復はかないませんでした。結局のところ命取りとなった血管の詰まりが進行していたのでしょう。

 それでも節制に努めるきっかけにはなり、この1993年前半は全体として好調を維持します。ここでもギター・ソロの前半は MIDI を使ってフルートの音で軽やかな演奏を展開し、後半はギター本来の音でシャープなフレーズをくり出します。

 ガルシアの調子の良いことは後半の〈Space〉でよくわかります。この前半では Ken Nordine がゲストで出演し、即興のラップを披露します。その背後での演奏からガルシアとウィアがしばし二人だけでやるフリーの演奏が面白い。そこからガルシアが引張って〈The Other One〉へとなだれこむのは快感。2番の歌詞の前にバンド全体が不協和音のジャムに外れるところもあって、この〈The Other One〉は良いヴァージョン。そしてその後の〈Days Between〉がすばらしい。この年2月、たて続けにデビューしたハンター&ガルシアの3曲の1曲で、これが2度目の演奏。結局これがこのコンビの最後の曲になりますが、有終の美を飾る佳曲と思います。

 ほとんど諦観に満ちているとも思える〈Days Between〉からこれまた静かに移った〈Around and Around〉は徐々に熱を加え、余裕と貫禄のロックンロール。ウェルニクのソロも小気味良く、これに刺激されてガルシアのソロも軽やかなステップを踏み、むしろジャズと呼びたくなるような粋でクール演奏を聴かせます。これはいいなあ。

 そしてアンコールはハンター&ガルシアのこの年の新曲3曲の1曲〈Liberty〉。うたうガルシアは茶目っ気たっぷり。これも佳曲で、この後、クローザーやアンコールでよく演奏されるようになるのもむべなるかな。

 思わずショウの残りも聴いちゃいましたけど、いいショウです。とりわけ〈Space 〉以降は、この時期ならではの感じもあります。ガルシアは人より何倍も速く老いていったところがあって、その老いてゆくのに巧く合わせた演奏ができているようでもある、というと言過ぎでしょうか。(ゆ)

 2本めは15日にリリースされた、同じ1994年秋のツアーから3週間前 1994-10-01, Boston Garden, Boston, MA のオープナー〈Help On The Way> Slipknot!> Franklin's Tower〉のメドレー。21:07。

 このショウは第一部ラスト前の〈So Many Roads〉が2013年の《30 Days Of Dead》でリリースされた後、2015年のグレイトフル・デッド結成50周年記念のビッグボックス《30 Trips Around The Sun》の一本として全体がリリースされました。ちなみに《30 Trips Around The Sun》は1966年から1995年までの各年一本ずつショウを選んで30年間のキャリアを展望しようというもので、デッドのアーカイヴ・リリースのビッグボックスとしては2011年の《Europe '72: The Complete Recordings》と並ぶ規模の大きなものです。

 ショウはこれもボストン・ガーデンでの6本連続のランの4本目。この秋のツアーは9月16日、カリフォルニア州マウンテン・ヴューの Shoreline Amphitheatre から始まり、バークレーでの1本をはさんで次がここです。開演7時半。料金は30ドルから。

 ボストン・ガーデンはマジソン・スクエア・ガーデンと同系列の多目的アリーナで、1928年にオープンし、1995年09月に閉鎖、1998年03月に解体されました。かつてはバスケットのセルティクスとアイス・ホッケーのブルーインズの本拠として、史上初めて NBAファイナルとホッケーのスタンレー・カップが同じ年にここで開催されたこともあります。またセルティクスはこのホームで無類の強さを発揮し、全盛期の1980年代半ば、79勝3敗という記録を残しています。

 コンサート会場としての定員は16,000弱。ビートルズは1964年最初のアメリカ・ツアーの際、ここで演奏しました。ジェイムズ・ブラウン、ザ・フー、レッド・ツェッペリン、キッス、ピンク・フロイド、ジェスロ・タルなどメジャーなアクトが出ています。

 デッドは1973年4月に初めてここで演奏し、1994年のこの10月の6本連続まで計24本のショウをしています。この数字は他のミュージック・アクトに比べて断トツに多いそうです。やはりここもお気に入りだったのでしょう。ここからは1974-06-28が《Dick's Picks, Vol. 12》、1991-09-25が《同, Vol. 17》、そしてこのショウと、完全版が3本公式にリリースされています。

 《30 Trips Around The Sun》が出た時、1966年から一本ずつ聴いていってここに来たときには驚きました。1990年代は周知のとおり、ジェリィ・ガルシアがゆっくりと衰えてゆく時期で、1992年や1993年は、水準は軽く越えているとはいえ、その前のピーク時のショウに比べてしまうとどうしても落ちると聞えてしまいます。それが、この最末期、1994年に来てこのボックス・セットの30本のショウの中でも最高の一本と言ってもいい演奏を聴かせてくれたからです。

 この時期、ガルシア以外のバンドは史上最高の演奏をしている、というアーカイヴ・リリースのプロデューサー、デヴィッド・レミューの言葉には、この演奏を聴くと納得できます。問題はガルシアの出来次第。ガルシアの存在がしっかりとそこで聞えれば、そのショウはすばらしいものになった。少なくとも音を聴くかぎりはそう聞えます。

 オープナーの3曲のメドレーはいつもの組曲ですが、はじけぶりがすばらしい。

 なお、1994年は正月にデッドがロックンロールの殿堂入りをはたしました。ただし、そのセレモニーにガルシアだけは出席しませんでした。替わりに本人の等身大の写真を貼って切り抜いたダンボールが持ちこまれました。ショウは計84本。レパートリィは145曲。うち前年には演奏されなかったものが12曲。新曲は3曲。ウェルニックの〈Samba in the Rain〉とレシュの〈If the Shoe Fits〉と〈Childhood's End〉。コンサートの総収入は5位でした。デッドの上にいたのはローリング・ストーンズ、ピンク・フロイド、イーグルス、バーブラ・ストライザンド。なお、デッドのチケット代はこれら他のアクトのものの半分ほどでした。(ゆ)

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