昨年11月ひと月かけてリリースされたグレイトフル・デッドの《30 Days Of Dead》を年代を遡りながら聴いています。今回は07日リリースの 1972-10-24, Performing Arts Center, Milwaukee, WI から〈The Other One> He's Gone> The Other One〉。36:50はこの年の《30 Days Of Dead》最長トラック。
第二部もクライマックス、〈Truckin'〉から Drums を経て切れ目なしにこのメドレーに入り、ここで一度終り。〈Casey Jones〉〈Johnny B. Goode 〉で締めて、アンコール無し。〈The Other One〉の直後、機器トラブルにみまわれたとウィアが宣言しているので、アンコール無しはそのせいかもしれません。
バーロゥ&ウィアの2曲はこの年5月にリリースされたウィアの初のソロ《Ace》のために書かれた曲。《Ace》はバック・バンドがデッドそのままですし、プロデュースにはガルシアもかなり「口を出し」ています。そのためデッドのアルバムとして数える向きもありますが、デニス・マクナリーのバンドの公式伝記 A LONG STRANGE TRIP によれば、この録音を主導したのはあくまでもウィアで、どこからどう見てもこれはウィアのソロ・プロジェクトであるそうです。
さらにこの年、バンドは自前のレコード会社として Grateful Dead Records、Round Records を設立します。ロック・ミュージシャンが自前のレコード会社を設立することはビートルズの Apple Records 以来珍しくありませんが、配給・販売まで自前でやろうとしたところはいかにもデッドらしい。そして見事に失敗するところはさらにデッドらしい。
演奏はさすがにピークの年、気合いの入ったもの。〈Truckin'〉でのガルシアのギターがなんともすばらしい。ウィアの歌の裏で弾いているのも、ソロになってからも、絶好調の時の、意表をつくフレーズがどんどんとあふれてきます。ここでの Drums は元来は〈The Other One〉の元になった組曲の一部で、単独時代でもこの年のクロイツマンはレシュが「鬼神」と呼んだのもよくわかる大活躍。それに引き出された〈The Other One〉はデッドの真骨頂。ベース・ソロもいいし、ガルシアのアヴァンギャルドなギターが縦横に駆けめぐります。こういう抽象的、不定形な即興が聴いていて面白いと感じられるのがデッドのデッドたるところ。メンバー各自の音楽的素養の深さと広さに支えられたものでしょう。
このショウは大半が記念すべき《Dick's Picks, Vol. 1》でリリースされています。そこに収められていないトラックのうち、第一部クローザー前の〈Ramble On Rose〉が2012年の《30 Days Of Dead》でリリースされ、今回、これも未収録の第一部4曲目からの3曲がリリースされました。これでこのショウの26トラック中18トラック、2時間半が公式にリリースされたことになります。例によって Internet Archive ではショウ全体の SBD の Charlie Miller によるミックスがストリーミングで聴けます。
この年のショウは計72本、レパートリィは77曲。新曲は〈China Doll〉〈Eyes Of the World〉〈Loose Lucy〉〈Row Jimmy〉〈Here Comes Sunshine〉〈They Love Each Other〉、〈Weather Report Suite〉、それに〈Wave That Flag〉。最後のものは後に改訂されて〈U. S. Blues〉として生まれかわります。いずれも定番として、長く、また数多く演奏されます。
年初は秋にリリースされる《Wake Of The Flood》の録音に費し、始動は02月09日のスタンフォード大学でした。このショウでは上記のうち〈Weather Report Suite〉を除く7曲が一気にデビューしています。1971年10月19日のミネソタ大学でも一気に7曲デビューしています。7曲というのはこの2回だけで、5曲デビューが3度ほどあります。
ニコラス・メリウェザーによる《30 Trips Around The Sun》の「史上最長のライナーノート」によれば、この年はテープの存在が顕著になった年でした。『ローリング・ストーン』誌には東西両海岸のテープ交換、分配のシーンが紹介されました。この頃はまだオープン・リールによるもので、主に7インチの、おそらくは細ハブが使われたのでしょう。テープ・スピードを 9.5cm/秒にすれば往復で3時間入り、平均的なショウを1本にできます。このテープの世界は翌年から1976年にいたる大休止の時期に爆発的に拡大します。後にグレイトフル・デッドの初代アーカイヴィストになるディック・ラトヴァラがデッドのテープと出会って、頭から飛びこんでゆくのも1975年でした。
これでもわかる通り、ガルシアは絶好調で、ソロをとるときでも一瞬たりとも耳が離せません。本人も自覚しているのでしょう、〈Big River〉ではなかなかソロをやめません。特筆すべきは〈Here Comes Sunshine〉〈He's Gone〉〈Nobody's Fault But Mine〉。最後のものはブルーズ・ギターではなく、ほとんどジャズです。歌も元気一杯。ラストの〈Around and Around〉でも、およそロックンロールの定石からははずれたギター。アンコール〈Casey Jones〉のギターもいい。そして何といってもこの時期の〈Playing In The Band〉は特別。初めは5分ほどの普通の曲だったものが、どんどん長くなり、ついには30分を越えるようになるこの曲の成長と変化は、デッド音楽を聴く醍醐味の一つです。
ここでの〈Playing In The Band〉はまだ終始ビートがあり、あたしには一番面白い形ですが、第二部の〈The Other One〉になると深化の階梯を一段上がっていて、後半に後の Space に通じる抽象的、スペーシィなジャムになります。復帰後の1977年春から第二部中間に Drums> Space が必ず置かれるようになりますが、大休止前にはこういう曲が途中から Space や Drums になります。いずれにしても、フリーリズムで不定形な集団即興は、バンドのごく初期から最後まで、常にそのショウの一部でした。ここは賛否両論別れるところかもしれませんが、あたしはこれがあってのデッドのライヴと思います。
昨年11月ひと月かけてリリースされたグレイトフル・デッドの《30 Days Of Dead》を年代を遡りながら聴いています。今回は03日リリースの 1974-07-29, Capital Centre, Landover, MD から〈Scarlet Begonias; Jack Straw〉。この2曲も切れています。
1974年は10月20日にウィンターランドで「最後の」ショウをするまで、ショウの数は40本と少ないですが、バンドとしてはいろいろと忙しい年です。レパートリィは83曲。新曲は6曲。〈U.S. Blues〉〈It Must Have Been The Roses〉〈Ship Of Fools〉〈Scarlet Begonias〉〈Cassidy〉〈Money Money〉。最後のもの以外は、以後、定番として長く数多く演奏されます。
〈Scarlet Begonias〉は復帰後の1977年春から〈Fire on the Mountain〉を後につないでペアとして演奏されます。〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉と並んで人気の高い、定番中の定番となり、名演も多く生まれます。ですが、1974年、76年に50回近く単独で演奏されたものにも優れた演奏はあり、この日のものはそのベストの1本です。
この年まず一番大きなできごととしては Wall of Sound が完成します。理想のライヴ・サウンドを求めて、ペアことアウズレィ・スタンリィたちが立ちあげた Alembic が中心となって開発したモンスターPAシステムです。前年からショウでの実地テストを繰返し、3月23日、カウパレスでのショウで正式にお披露目されました。5月12日、これを携えたツアーがモンタナとカナダから始まります。6月に《From Mars Hotel》をリリース。9月にはヨーロッパ・ツアーに出て、ロンドン、ミュンヘン、ディジョン、パリと「ウォール・オヴ・サウンド」をかついで回りました。
重なりあった問題を解決するため、バンドはライヴ活動を全面的に休止することを決め、10月16〜20日のウィンターランドでの公演を千秋楽として大休止に入りました。チケットにでかでかと "The Last One" のハンコが押された20日の「最後」のショウが終った時点では、グレイトフル・デッドがグレイトフル・デッドとして再びステージに立つ日が来るのか、誰にもわかりませんでした。20日のショウの第二部にミッキー・ハートがドラム・キットを持って駆けつけて復帰したのも、これを逃せば二度とバンドとしてともに演奏することはできなくなるという危機感からでした。
その頃、太平洋の反対側で大学に入ったばかりだったあたしは、クラシックからプログレを経て、ブリテン、アイルランドの「トラッド」とその頃本朝では呼ばれていた不思議な音楽の虜となる一方、アメリカン・ロックの洗礼を CSN&Y によって受けようとしていました。グレイトフル・デッドの名も耳にしたものの、少し後でリアルタイムで買った《Steal Your Face》によって、以後追いかけようという意志を奪われます。デッドの音楽に開眼し、生きてゆくのになくてはならぬものになるのは、それから40年近く経た2010年代初めのことでした。
ショウには夜7時開演、料金6.50ドルのチケットが残っています。全体の4割に相当するトラックが2012年の《Dave's Picks Bonus Disc》に収録されました。第一部2曲めの〈Sugaree〉とクローザー〈Weather Report Suite〉、それに第二部の前半です。このうち〈The Other One> Spanish Jam> Wharf Rat〉は2019年の《30 Days Of Dead》でもリリースされました。今回の〈Scarlet Begonias; Jack Straw〉は第一部の6、7曲目です。これで全体の半分のトラックがリリースされたことになります。
このショウもきっちりしていて、とりわけ、ウィアが歌っている時にその背後で弾いているガルシアのギターが聞き物です。〈Jack Straw〉でも聴けますが、3曲目の〈Black-Throated Wind〉や〈El Paso〉、第一部クローザー〈Weather Report Suite〉の〈Let It Grow〉では耳を奪われます。
ソロのギターも冴えているのは〈Scarlet Begonias〉に明らかですし、〈Deal〉もいい。面白いのはクローザー前の〈To Lay Me Down〉で、ガルシアはほとんどギターを弾かず、バックはドラムス、オルガン、ベースという組合せ。デッドではきわめて珍しい組合せで、しかもぴったりとハマっています。
ゆったりしたテンポの〈Sugaree〉と、〈Let It Grow〉での明瞭なメロディに依存しない不定形なジャムも十分面白い。ただこの二つの手法は、1976年の復帰後にあらためて突き詰められて、1977年の第二の、そして最高のピークを特徴づけるもとになります。バンドとしてのライヴ活動はやめるのしても、演奏ではすでに次のステップへ向けての運動が始まっていたのでした。(ゆ)
昨年11月ひと月かけてリリースされたグレイトフル・デッドの《30 Days Of Dead》を年代を遡りながら聴く企画、今回は24日リリース、1976-09-27, Community War Memorial Auditorium, Rochester, NY からの〈Might As Well; Samson and Delilah〉です。第二部オープナーからの2曲。このショウからはこの後、drums の直後〈The Other One〉が2012年の《30 Days Of Dead》でリリースされています。開演夜7時半。料金7ドルのチケットが殘っています。
1976年は06月03日に、1974年10月20日以来、1年7カ月ぶりにツアーに復帰します。この年のツアーは06月07月と09月10月の2回、ショウは41本、レパートリィは66曲。新曲はバーロゥ&ウィアの〈Lazy Lightening〉と〈Supplication〉のペア、ハンター&ガルシアの〈Might As Well〉と〈Mission in the Rain〉。そしてレヴェレンド・ゲイリー・デイヴィスのカヴァー〈Samson And Delilah〉。〈Mission in the Rain〉はデッドでは5回演奏されただけで、ガルシアのソロ・プロジェクト専用の曲になります。こういう曲は他にもあり、例えば〈Ripple〉が同じく、デッドからジェリィ・ガルシア・バンドに移っています。
〈Might As Well; Samson and Delilah〉はどちらもバネのよく効いたビートにのった闊達な演奏。全員が溌剌としていて、大休止の効果は明らかです。このメンバーでまた演奏できる愉しさにあふれています。
次の〈Help on the Way〉からクローザーの〈Around and Around〉までひと続きです。〈Help on the Way〉は〈Slipknot!> Franklin's Tower〉と続くのが通例ですが、ここでは〈Slipknot!〉の次に drums>〈The Other One> Wharf Rat〉がはさまって〈Slipknot!〉に戻り、〈Franklin's Tower〉でまとめて、クローザーにつなぎます。〈Slipknot!〉から直接〈Franklin's Tower〉につながないのはこの年の特徴といわれますが、こういう尋常でないことをする時は調子が良く、この日もエネルギーに満ちた、見事な演奏です。
drums はもちろんですが、〈Help on the Way〉のコーダに顕著なように、再びダブル・ドラムスになったメリットがよくわかります。ようやく全員揃ったという思いもこの演奏の質を押し上げているかもしれません。〈Slipknot!〉は特定のメロディに依存しない、フリーの集団即興=ジャムの曲で、かつての〈Caution (Do Not Stop On Tracks)〉に通じるところもありますが、ずっと洗練されていて、複雑になっています。このヴァージョンは緊張感漲るなかに、目一杯愉しんでもいて、デッドを聴く醍醐味ここにあり。drums>〈The Other One> Wharf Rat〉もテンションは落ちませんが、また〈Slipknot!〉にもどるところはスリリングです。〈Franklin's Tower〉では途中でやや息切れしたようでもありますが、それでも演奏をやめたくない様子も伺えます。このあたりが1976年で、翌年になると充実した演奏をショウの最初から最後まで貫いて維持するようになります。
1本目、05-13のショウを収めたスリーブに全体のライナーが入ったブックレットが、ショウ自体のためのライナーとともにはさまっている。全体のライナーは Ray Robertson, スターファインダー・スタンリィはじめ The Owsley Stanley Foundation, それに David Lemieux が書いている。個々のショウのためのライナーは Ray Robertson のペンになる。
1973年前半は Wall of Sound が完成してゆく時期であり、またデッドのショウが最も長くなった時期でもある。収められた5本のショウのうち05-13と06-10がCD4枚、後の3本は3枚。すべて3時間超で、05-13は4時間半近い。トータルで19時間超。
Dead.net から今年のビッグボックス《Here Comes Sunshine 1973》の案内がきたので、早速注文。送料70ドル。計256.98USD。円安がまた進行しているし、送料は相変わらずだが、やむをえん。
収録されるショウは以下の5本。CD17枚組とダウンロード。
1973-05-13, Iowa State Fairgrounds, Des Moines, IA
第一部クローザー〈Playing in the Band〉が2010年の《30 Days Of Dead》でリリース。
1973-05-20, Campus Stadium, University Of California, Santa Barbara, CA
1973-05-26, Kezar Stadium, San Francisco, CA
第二部6曲目〈Box or Rain〉が2021年の《30 Days Of Dead》でリリース。
1973-06-09, RFK Stadium, Washington, DC
1973-06-10, RFK Stadium, Washington, DC
第一部クローザー前〈Bird Song〉が2011年の、第二部4曲目〈Here Comes Sunshine〉が2017年の《30 Days Of Dead》で、第三部オープナー〈It Takes A Lot To Laugh It Takes A Train To Cry〉が《Postcards Of The Hanging》で、各々リリース。
南に目を転じると Savina Yannatou の TERRA NOSTRA が2003年だが、これは2001年のギリシャ盤の再発で、ECMオリジナルは2008年の Songs Of An Other から。あたしなんぞは ECM で TERRA NOSTRA を知った口だから、この再発はもちろんありがたい。
が、それよりもっと驚いたのは Robin Williamson が2002年に Skirting The River Road を出していたのを後から知った時だった。ウィリアムスンはさらに2006年 The Iron Stone、2014年 Trusting In The Rising Light と出している。ウィリアムスンはたぶん ECM の全カタログの中でも珍品と言っていいんじゃなかろうか。このあたり、ECM 中でも「メインストリーム」のリスナーはどう評価するのだろう。その前に、アイヒャーがこういう音楽のどこに価値を見出したのか、訊いてみたくなる。いや、文句をつけてるわけじゃない。ただ、ウィリアムスンのこういう音楽は、聴くのがつらくないといえば嘘になる。ウィリアムスンはハーパーとしてすばらしいアルバムもあるし、アメリカで出した Merry Band とのアルバムは好きだ。が、インクレディブル・ストリング・バンドがあたしはどうしてもわからないのである。ECM での音楽は、かつて ISB でやろうとしてできなかったことを、思う存分、やりたい放題にやったように聞えて、そこがつらい。ISB が大好きという人もいるわけだから、聴く価値がないなどとは言わないが、なんとも居心地がよくないのだ。
イーロン・マスクが AI の開発競争に懸念を表明という報道。おまえが言うか。もっとも、わからないでもない。かれは世界を自分の思うがままにしたいので、AI はそれには邪魔になる。早い話、イーロン・マスクのようなヤツが世界征服するのを止める方法を AI に訊ねてみることもできる。イタリアが使用禁止にしたのも同じ。イタリアが禁止した理由がふるっている。個人の情報を集めているから。だったら、Facebook、Twitter、Google をまず使用禁止にすべきだろう。
バイドゥも AI 開発を発表したそうだが、中国政府がどうするか。ロシアやベラルーシ、イスラーム諸国も禁止したいはずだ。本朝政府ももちろん使用を禁止したいが、そうするとアメリカの機嫌をそこねるからできないか。
むろん、Microsoft も Google も開発を加速こそすれ、遅くするつもりはさらさらないはずだ。かれらだけではない、Apple もやっているし、世界中のコンピュータ科学の研究機関、大学や NASA のような機関もどんどんやっている。こういうものは止まるとか、遅くなることはありえない。そして、それが現在の世界の構造をひっくり返そうとしていることも確かだ。別にひっくり返すためにやっているわけではない。単に面白いからだ。AI 開発は面白い。やっている人たちは、必要にかられていろいろ理由をつけるが、根本のところは面白い、楽しいからやる。そして、人びとがそれを使うからますますやる。
AI 開発に反対する人は文明が人間のコントロールをはずれるというが、人間はこれまで文明をコントロールしてきたのか。百歩譲って、コントロールしてきたとして、コントロールしてきたその結果が今のこのザマではないか。これを、あんたはOKだというのか。これがこのまま続いていくことを、あんたは望んでいるのか。人間が、人間様だけがコントロールしてきたから、温暖化とか、戦争とか、差別とか、ひどいことになっているんじゃないか。このまま温暖化はどんどん進み、あちこちで戦争が勃発し、差別もひどくなるほうが良いというのか。
AI はつまるところ「3人寄れば文殊の智慧」を具体化し、極限まで拡大しようとするものだ。ひとりだけで考えていても、たいしたことは思いつきもしないし、考えられもしない。それとも考えることは少数の天才たちにまかせればいいのか。そうではなく、大勢の考えを集めてみれば、一人で考えているよりもずっとマシなことを思いつくだろう。それは少数の天才たちが思いつくどんなことよりもマシになりうる。百発百中の砲一門は、百発一中の砲百門にとうていかなわないのだ。
それは楽観的に過ぎるとしても、AI は人間の独善をチェックする存在になりうる。AI に反対しているイーロン・マスクのような連中は、自分たちの独善によって利益を得ている。この世界全体、地球全体がどうなろうと知ったことではないのだろう。AI はその独善に対するアンチテーゼになりうる。言わせてもらえば、むしろ AI に暴走してもらいたいくらいだ。コードウェイナー・スミスが今生きていたら、Instrumentality of Mankind 人類補完機構の管理者たちを人間の中からの選抜ではなく、AI にしたことだろう。
今回再発されるのは1963年のファースト・アルバムから1986年の《Ballad Of The Irish Horses》までで、ヴァン・モリソンとの《Irish Heartbeat》以降の、コラボレーション路線のチーフテンズに親しんできたリスナーには、かれらだけの音楽が新鮮に聞えるのではないでしょうか。ファーストから《Bonapart's Retreat》までは、バンドの進化がよくわかりますし、《Year Of The French》や《Ballad Of The Irish Horses》では、オーケストラとの共演が楽しめます。《Year Of The French》はなぜか本国でもずっとCD化されていなかったものです。
ひとつお断わり。この再発の日本語ライナーでも「マイケル・タブリディ」とあるべきところが「マイケル・タルビディ」になってしまっています。前に出た《60周年記念ベスト盤》のオリジナルの英語ライナーが Michael Tubridy とあるべきところを Michael Turbidy としてしまっていたために、そちらではそうなってしまいました。修正を申し入れてあったのですが、どういうわけか、やはり直っていませんでした。
もう一つ。来週土曜日のピーター・バラカンさんの「ウィークエンド・サンシャイン」でこの再発の特集が予定されています。あたしもゲストに呼ばれました。そこではこの再発とともに、Owsley Stanley Foundation から出た、《The Foxhunt: San Francisco, 1973 & 1976》からのライヴ音源からもかけようとバラカンさんとは話しています。(ゆ)
その間、《Terrapin Station》がリリースされ、またワーナー・ブラザーズからアナログ4枚組のワーナー時代の回顧コンピレーション《What A Long Strange Trip It’s Been》がリリースされました。後者にはシングルだけで出ていた〈Dark Star〉スタジオ盤が収録され、この曲のためだけにデッドヘッドはこのコンピレーションを買わされる羽目になりました。
第二部は〈Samson And Delilah〉で始まり、〈Sugaree〉で受けます。この曲はこの春のツアー中にモンスターに育ちます。ガルシアは伸び伸びと歌っています。悠然としたテンポで、ピアノもギターもベースもドラムスも誰も複雑なことはせず、シンプルそのものの音を坦々と連ねてゆきながら、どこまでも登っていきます。5月になると位置が第一部の、それもオープニングの2曲目に進みます。この春のツアーを象徴する曲です。
また間があって始まるのが〈Scarlet Begonias〉。ここからクローザーの〈Around and Around〉までは途切れなく続きます。〈Scarlet Begonias〉はこの少し前03月18日のウィンターランドのショウから〈Fire on the Mountain〉と組合わされて演奏されるようになりますが、ここではまた単独で、次は〈Goin' Down The Road Feeling Bad〉に続きます。この後も時偶単独で演奏されます。ここではやや速めのテンポで軽快なノリ。ドナのスキャットが効いてます。
〈Goin' Down The Road Feeling Bad〉がまたすばらしく、ドナのコーラスもキースのオルガンもガルシアのヴォーカル、ギターも冴えわたります。大休止から復帰後のガチョー夫妻の活躍には目を瞠るものがあります。そこから一度は〈Not Fade Away〉に移るのですが、どうも気が乗らなかったらしく、ヴォーカルが出ないまま、フロントのメンバーは引込んでしまいます。このあたり、やりたくない時にはやらないので、確かにデッドは「エンタテインメント」ではありません。
drums からのもどりは〈The Wheel〉。ガルシアとドナが終始コーラスで歌うこれはベスト・ヴァージョン。〈Wharf Rat〉はガルシアの熱唱が光ります。〈Around and Around〉はかなりゆっくりと入ります。前年の大休止からの復帰後、当初はゆっくりと入って、途中から本来のロックンロールのテンポにどんと上がる形になります。これがカッコいいんですよねえ。ここでもドナのコーラスが効果的。アンコールは〈Uncle John's Band〉。うーん、名曲名演。つくづくこれは不思議な曲ではあります。
折りしも今年の Dave's Picks の最初のリリース、Vol. 45 がやってきました。1977年の秋のツアーから、10月01日と02日、オレゴン州ポートランドでの2日間のショウを完全収録しています。この時期のショウは比較的短かく、2時間を少し超えるくらいなので、CD2枚で1本収めることが可能です。秋のツアーは春とはまた違った味わいがあるようです。この《30 Days Of Dead》のおさらいが終るまではおあずけです。(ゆ)
昨年のグレイトフル・デッドのビッグ・ボックス・セット《In And Out Of The Garden: Madison Square Garden '81, '82, '83》が、グラミーの "Best Boxed or Special Limited Edition Package" を受賞しました。中身ではなく、外装での受賞ですが、ゴールド・ディスク、プラチナ・ディスクは別として、デッドの録音がグラミーはもちろん、何らかの賞を受賞したのは初めてです。
2011年の《Europe '72: The Complete Recordings》を手始めとして、毎年ひとつ、数本から10本ほどのショウの完全版を数十枚のCDにまとめたビッグ・ボックス・セットがリリースされています。このボックス・セットはCDの容れ物の形や収納の仕方に毎回凝っていて、時には2018年の《Pacific Northwest》のように、やり過ぎてひどく大きくなってしまい、送料がぐんと高くなって非難轟々になることもあります。
グラミーにはベスト・ライナーの部門もあり、デッドのボックス・セットのライナーも2001年の《The Golden Road》の Dennis McNally によるものが候補になっていますが、受賞はまだありません。とはいえ、2015年の《30 Trips Around The Sun》附録の Nicholas Meriwether による "Shadow Boxing the Apocalypse: An Alternate History of the Grateful Dead" は、邦訳すれば優に文庫本1冊以上になり、「史上最長のライナー」と呼ばれたりします。メリウェザーは自身が管理人を勤める UC Santa Cruz の図書館に設けられた Grateful Dead Archives にある資料を駆使して書いていて、中身も充実しています。
《In And Out Of The Garden: Madison Square Garden '81, '82, '83》については、別途、書いてみようとは思います。
昨年11月の《30 Days Of Dead》リリースを年代順に遡って聴くのに戻ります。
1978年からのもう一本は、29日リリースの 1978-04-21, Rupp Arena, Lexington, KY からの〈Truckin’> Playing In The Band〉。ショウのクローザーで、この後のアンコールは〈Werewolves Of London〉と〈U. S. Blues〉。
〈U. S. Blues〉は SBD も含め、archives.org に上がっているどの録音にも含まれていないので、ひょっとすると存在しないのかもしれません。となると、このショウの「完全版」がリリースされることは無いかもしれません。
archives.org に上がっている SBD でも、アンコールの1曲目〈Werewolves Of London〉が始まって間もなく AUD にスイッチしているので、SBD ではアンコールもまともに無い可能性があります。
なお、このショウからは第一部クローザーの〈The Music Never Stopped〉が2012年の《30 Days Of Dead》で、また今回の2曲のすぐ前の〈Stella Blue〉が《So Many Roads》でリリースされています。
この日の第二部は〈Samson And Delilah〉に始まり、〈Ship of Fools〉で受け、次の〈Playing In The Band〉の還りが今回リリースのクローザーです。この曲はこの頃にはこんな風に間にいくつかの曲をはさんで、コーダに還る形になっています。還るまでの間はだんだん長くなり、やがて第二部全部になり、ついには日をまたいで、数本後のショウで還るまでになります。ついに還らなかったこともあります。今回は間に drums> jam>〈Stella Blue〉〈Truckin'〉と来て還りました。
第二部中間に drums> space が決まってはさまるようになるのは2本後の04月24日のショウからです。ここではまだ space がありません。
デヴィッド・レミューの言うように、このショウはまだ1977年の余韻が殘っていて、どの曲もひき締まっています。デッドのキャリアの中では一番「真面目に」やっている時期です。とはいえそこはデッドですから、アンコールの〈Werewolves of London〉では、ガルシア、ウィア、ドナがそろって遠吠えを競いあいます。もともとこれはそういう曲ではありますが、こういうことをやるデッドはいかにも楽しそう。この遠吠えがやりたくてこの曲を選んでいるのではないかと思えてしまいます。
「真面目」というのは、大休止からの復帰後、とりわけ、《Terrapin Station》の録音でプロデューサーの Keith Olsen に鍛えられて、演奏に正面から取組み、その質をとことん高めることの面白さに目覚め、本気になってやりだしたところから生まれた印象です。デッドは本朝に一般に広まっているちゃらんぽらんという誤解とは裏腹に、こと音楽演奏に関してはデビュー当時から本気でとことん突きつめようとしています。もともと至極「真面目」なのです。ただ、これまでは、演奏そのものに溺れる、ないし中毒するところがあって、状況の許すかぎりやりたいようにやりたいだけやり続けるところがありました。そうした欲望の湧きでるままに演奏するよりも、湧いてくるものを一度貯めて鍛えることで余分にふくれないようにすることの面白さと、その結果の美しさに気がついた、ということでしょう。ここでの〈Playing In The Band〉や〈Truckin'〉にもそういう志向が現れています。
ただ、こういう「真面目さ」だけを追求することはやはりデッドにはアンバランスと感じられてしまいます。そこで drums や space のような「遊び」、まったく拘束のない、純粋な「遊び」の時間を設けることでバランスをとろうとします。この「遊び」の度が過ぎているとすれば、「真面目さ」もまた過剰なほどなのです。デッドが30年間ハードワーク(毎年平均77本以上のショウ)を続けられたのも、そのバランスがかろうじてなんとかとれていたためでしょう。バランスがとれて安定していたというよりは、崖っ縁を渡るように、あるいは綱渡りをするように、危ういところでとれていたのです。(ゆ)
1978年は年頭から始動し、01月06日から02月03日まで17公演というツアーからスタートします。ショウの総計は80本。レパートリィは86曲。新曲にはまずバーロゥ&ウィアの〈I Need a Miracle〉、ハンター&ガルシアの〈Shakedown Street〉〈Stagger Lee〉〈If I Had The World To Give〉。ドナの〈From The Heart Of Me〉。〈If I Had The World To Give〉は3回しか演奏されませんでしたが、他はいずれも定番になります。ドナの曲は翌年02月のガチョー夫妻の脱退までではあります。
ウィンターランドのショウは恒例の年越しショウの一本ではありますが、このヴェニュー最後のコンサートとして、まったく特別なものとなりました。「サタデー・ナイト・ライブ」に出演して仲良くなったブルーズ・ブラザーズに加えてニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジが前座をつとめ、真夜中に登場したデッドは延々朝まで三部にわたって演奏を続けて、終演後、聴衆にはビュッフェ形式の朝食がふるまわれました。この模様は、少なくともデッドのパートは《The Closing Of Winterland》として CD4枚組、DVD2枚組でリリースされました。一本のショウとしては長いショウの多いデッドのものでも最長の一つです。内容もすばらしい。
この年に始まったこととして第二部半ばに drums と space がはさまる形が定まったことがあります。聴衆の一部にはトイレ・タイムと心得る人たちもいましたが、録音は通常の楽曲演奏同様じっくり耳を傾ける価値は十分にあります。drums は1980年代後期に MIDI の導入によってサウンド、手法とも格段に多様性を増し、Rhythm Devils と呼ばれるようになります。といってそれ以前がつまらないわけではもちろんありません。
ドラムスのない、フロントの4人だけによる space も、様々に変化していきます。1960年代から70年代初めには〈Dark Star〉や〈Playing In The Band〉〈The Other One〉など長いジャムに展開される曲で現れていた形が、この頃からここに集約され、楽曲内のジャムはデッド流ロック・ジャズになってゆく傾向が見てとれます。それにしても space のような、まったくの即興、それもフリー・ジャズなどとは対照的に比較的静かな、瞑想的なパートをショウの不可欠の要素として組込んだのは、まことにユニークなやり方です。同時にこのパートはクリエイターとしてこの集団がいかに大きく豊かな想像力、イマジネーションを備えていたかをまざまざと思い知らせてくれます。たとえば Dark Star Orchestra のようなコピー・バンドもショウの再現の一環として space をやりますが、比べるのも気の毒なくらいです。
さて、まずは 1978-05-17, Uptown Theatre, Chicago, IL から〈Lazy Lightning> Supplication〉です。
曲はバーロゥ&ウィアのコンビによるもので、このペアは1976年06月03日、オレゴン州ポートランドで初演。〈Lazy Lightning〉は1984年10月31日、バークリィまで、111回演奏。〈Supplication〉はその後単独で演奏され、1993年05月24日、マウンテン・ヴューまで124回演奏。スタジオ盤はウィアの個人プロジェクト Kingfish の1976年03月リリースのデビュー・アルバム冒頭です。デッドのこうした組曲は後から組合わせたものと、初めから組曲として作られているものがあります。もっとも後者は〈The Other One〉や〈Let It Grow〉のようにその一部が独立して演奏されるようになることが多いようにも見えます。
ちなみに1976年06月03日には他に〈Might As Well〉〈Samson and Delilah〉〈The Wheel〉と、一挙に5曲がデビューしています。
この05月17日では第一部のクローザーです。なお、この日のショウからは第二部2曲目〈Friend of the Devil〉が2016年の《30 Days Of Dead》でリリースされています。
この日は〈Mississippi Half-Step Uptown Toodeloo〉から〈Franklin's Tower〉という珍しいメドレーで始まります。〈Franklin's Tower〉は通常〈Help on the Way> Slipknot!〉との組曲で演奏されますが、時々、独立でも演奏されました。〈Mississippi Half-Step Uptown Toodeloo〉はもともととぼけた、ユーモラスな曲ですが、ここではぐっとくだけた演奏。ゆるいですが、ダレているわけではなく、魅力的な音楽になっているのがデッドたるところ。春風駘蕩というと言い過ぎでしょうが、その気分も漂います。
この時期には定番となっている〈Me and My Uncle> Big River〉のメドレー、続く〈It Must Have Been The Roses〉というカントリー・ソングの並びでも、緊迫感より、絶妙の呼吸の漫才を見ているけしき。ドナとウィアの声の組合せには魔法があります。ここでの〈Looks Like Rain〉はその好例。そしてオープナーと対をなすおとぼけソング〈Tennessee Jed〉はベスト・ヴァージョン。ガルシアは歌うのを大いに愉しんでいますし、ギターはほとんど落語のノリ。レシュの弦が切れるのも、台本に「ここで弦が切れる」と書かれているようにさえ聞えます。
グレイトフル・デッド公式サイトで毎年恒例の《30 Days Of Dead》、昨年のリリースから1979年3本目は 1979-05-07, Allan Kirby Field House, Lafayette College, Easton, PA から〈Passenger〉。
Peter Monk 作詞、フィル・レシュ作曲で、このコンビの曲はこれしかありません。1977年05月15日にセント・ルイスで初演。1981年12月27日、オークランドが最後で、計99回演奏。演奏された期間は短いですが、頻度はかなり高い。レシュの曲ですが、この頃はかれはヴォーカルをとらないので、初演からしばらくはドナとウィアのコーラスで歌われました。
レシュの曲としては珍しく、シンプルで軽快なロックンロール。《30 Days Of Dead》ではリリースの多い曲で、2011、2012、2013、2014、2016、2019年と6回登場しています。とられたショウは以下の通り。
1977-05-26, Baltimore Civic Center, Baltimore, MD
1977-10-07, University Arena (aka The Pit') , University Of New Mexico, Albuquerque, NM
1979-05-07, Allan Kirby Field House, Lafayette College, Easton, PA
1979-11-24, Golden Hall, San Diego Community Concourse, San Diego, CA
1981-02-26, Uptown Theatre, Chicago, IL
1978-05-07, Field House, Rensselaer Polytechnic Institute, Troy, NY
ショウは05月03日からの春のツアーの4本目。このツアーは05月13日メイン州ポートランドまでの計9本。春のツアーとしては短め。ブレント・ミドランドが加わって最初のツアーはやはり試運転の意味もあったのでしょう。なお、第二部後半 space の後のクローザーに向けてのメドレー〈Not Fade Away> Black Peter> Around And Around〉にクィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスのジョン・チポリーナが参加しています。午後8時開演。料金10.50ドルのチケットが殘っています。
〈Passenger〉はショウの第一部クローザー。オープナー〈Don't Ease Me In〉から快調に飛ばします。ガルシアの歌もギターも水を得た魚のよう、というのはこういう状態を言うのでしょう。〈Big River〉ではミドランドが早速電子ピアノでソロを任されています。それも、3コーラスという大盤振舞い。ガルシアもノってきて、ソロをやめません。その後も見事な演奏が続きます。〈Tennessee Jed〉はガルシアの力強いヴォーカルもこの曲特有のおとぼけギターも冴えわたって、この歌のベスト・ヴァージョンの一つ。〈New Minglewood Blues〉では再びミドランドが今度はハモンドのサウンドでいいソロを聞かせ、ウィアが粋なスライド・ギターで反応します。
〈Looks Like Rain〉はウィアが独りでドナの分までカヴァーしていますが、〈Passenger〉ではミドランドと2人で歌います。ガルシアはスライドでおそろしくシンプルなのに聴きごたえのあるフレーズをくり出します。2度目のソロは一転してバンジョー・スタイルの速弾き。どちらも、ギターを弾くのが愉しくてしかたがない様子。
これは良いショウです。Internet Archives でも7万回以上の再生。《30 Days Of Dead》で何度も出すくらいなら、さっさと全部出してくれい。(ゆ)
第二部5曲目 space 前で〈C C Rider〉が初演されています。ウィアの持ち歌であるブルース・ナンバー。原曲はマ・レイニーが1925年に〈See See Rider Blues〉として録音したもので、おそらくは伝統歌。1986年までは定番として演奏されますが、それ以後はがくんと頻度が減ります。1987年のディランとのツアー用にリハーサルされましたが、本番では演奏されませんでした。最後は1992年03月16日のフィラデルフィア。計127回演奏。
〈Althea〉は第一部クローザーの〈The Music Never Stopped〉の前で8曲目。この年8月4日オークランドでデビューしたばかり、これが14回目の演奏。1995-07-08のシカゴ、ソルジャーズ・フィールドまでコンスタントに演奏され、計271回。この時期にデビューしたハンター&ガルシアの曲としては最も演奏回数の多い曲です。全体でも51位。今回の《30 Days Of Dead》でも25日リリースの 1983-09-04, Park West Ski Area, Park City, UT からのトラックにも含まれています。
中間はカントリー・ソングを並べます。〈Me and My Uncle〉からそのまま続く〈Big River〉では、ミドランドが電子ピアノで、およそカントリーらしくない、ユーモラスなソロを聞かせます。こういうソロはこの人ならでは。こういうソロが出るとガルシアも発奮して、この曲では珍しくソロをやめません。続くは〈Loser〉。あたしはこの曲がもう好きでたまらんのですが、これは良いヴァージョン。この歌の主人公は実に様々な顔を見せますが、この日の「負け屋」はほんとうに参っているらしく、ほとんど嘆願しています。ガルシアのギターがまた悲哀に満ちています。ミドランドの〈Easy To Love You〉は〈Althea〉とほぼ同時にデビューしています。これまたみずみずしい演奏。〈New Minglewood Blues〉も元気いっぱいで、ダンプが撥ねまわっているようなビートに載せて、ウィアがすばらしいスライド・ギター・ソロをくり出すので、ガルシアも負けてはいません。
そして〈Althea〉が冒頭の〈Sugaree〉と対になるハイライトを現出して、ガルシアのヴォーカルが全体をぐんとひき締めます。〈The Music Never Stopped〉で締めくくる第一部。この歌は本来ドナとウィアの2人で歌ってこそのところもありますが、ウィアが踏んばって、ドナの不在を感じさせません。今の姿を見ると、生き残ったメンバーで一番良い年のとり方をしているのはウィアですが、こういうのを聴くと、なるほどと納得されます。それに応えて、ガルシアが引っぱれるだけ引っぱって盛り上げる。
ヨーロッパで索引が発達したのは聖書のせいだ。ある言葉が聖書のどこにあるか知る必要が生じたことから生まれた。このあたりは Index, A History Of The, by Dennis Duncan に詳しい。つまり、キリスト教の聖職者は新約だけでも全巻暗記できなかった、ということになる。中国で索引が生まれなかったのは、必要がなかったためだろう。つまり中国の教養人、士大夫は、四書五経だけでなく、その注釈本、詩文、史記以来の史書など「万巻の書」を暗記していたわけだ。アラビアの学者たちも、必要な本は全部頭に入っていた、と井筒俊彦が書いている。あるいはキリスト教の聖職者たちは、聖書を暗記するには忙しすぎたのかもしれない。むろん、中には、ちゃんと頭に入っていて、自由自在に引用できる人間もいたはずだ。 この場合、憶えるのはウルガタ、ラテン語訳のものだったろう。
この年のショウは75本。レパートリィは93曲。新曲は5曲。ハンター&ガルシアの〈Althea〉〈Alabama Getaway〉、バーロゥ&ウィアの〈Lost Sailor〉と〈Saint of Circumstances〉のペア、そしてミドランドの〈Easy to Love You〉。
1979年にはかつての "Wall of Sound" に代わる新たな最先端 PA システムが導入されます。デッドはショウの音響システムについては常に先進的でした。目的は可能なかぎり明瞭で透明なサウンドを会場のできるだけ広い範囲に屆けることでした。〈Althea〉やガルシアのスロー・バラードの演奏にはそうしたシステムの貢献が欠かせません。
時間軸にしたがって、まずは 1979-12-07, Indiana Convention Center, Indianapolis, IN から〈Eyes Of The World〉です。第二部オープナー〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉が一度終った次の曲で、ここからクローザー〈Johnny B. Goode〉までノンストップです。
長いツアーも終盤でやはりくたびれてきているのでしょうか。ガルシアの声に今一つ力がありません。全体に第二部は足取りが重い。重いというと言い過ぎにも思えますが、〈Eyes Of The World〉は軽快に、はずむように、流れるように演奏されるのが常ですが、ここでは一歩一歩、確かめながら足を運んでいます。くたびれたようではあるものの、ガルシアはここで3曲続けてリード・ヴォーカルをとってもいますから、踏んばろうと気力をまとめているようでもあります。後半、ギターが後ろに引込んで、もともと大きかったベースと電子ピアノが前面に出て明瞭になります。とはいえ、それによって全体のからみ合いがよりはっきりと入ってきて、ひじょうに良いジャムをしているのがわかります。
この後はウィアの〈Lost Sailor> Saint Of Circumstance〉のペアから space> drums> space ときて、本来のどん底を這いまわる〈Wharf Rat〉。そしてそのパート3から一気に〈Around And Around〉と〈Johnny B. Goode〉のロックンロール二本立てのクローザー。ここへ来て、ずっと頭の上にのしかかっていたものに耐えていた、耐えて矯めていたものを爆発させます。アンコール〈U. S. Blues〉が一番元気。
昨年11月ひと月かけてリリースされた《30 Days Of Dead》を年代順に遡って聴く試み。20日リリースの 1980-05-31, Metropolitan Sports Center, Bloomington, MN からクローザーへ向けての3曲のメドレー〈I Need A Miracle> Bertha> Sugar Magnolia〉です。ショウは04月28日アラバマ州バーミンガムから始まった春のツアー後半の3本目。この後半は6月中旬、アンカレッジでの三連荘で打上げます。
1980年は01月13日にカンボディア難民支援のチャリティ・イベントに参加しただけで、始動は遅く、03月31日ニュー・ジャージー州パサーイクから。ショウの総数は86本。レパートリィは103曲。新曲はミドランドの〈Far from Home〉とバーロゥ&ウィアの〈Feel like a Stranger〉。どちらもこの年04月にリリースの新譜《Go To Heaven》収録。
イントロからベースのリフが入って〈The Other One〉。始まって間もなく少しの間 AUD になり、また SBD に戻ります。ここにアップされているのは Charlie Miller によるマスターなので、ミラーによる作業でしょう。演奏はいいです。間奏でのガルシアのギターは「ロック」してます。2番の歌詞の後、ガルシアがフリーの即興を続け、他のメンバーは小さな音でこれに反応します。しばし即興を続けてからガルシアも音を絞り、ドラマーたちに讓ります。
Drums ではまず〈The Other One〉後半では沈黙していたクロイツマンがひとしきり叩いてから、ハートが加わって対話。一度終ってからハートが何やらドラム系ではない打楽器を叩きだし、しばらくしてガルシアがギターでメロディのない音数の少ないフレーズを弾きだして〈Space〉。
〈Space〉からの曲が今回リリースされた〈I Need a Miracle〉。以下〈Sugar Magnolia〉までほぼ同じテンポ、アップビートな曲で軽快に駆けぬけます。前半はどちらかというとヘヴィに打ちこんできますが、後半は軽やか。この軽やかな〈Sugar Magnolia〉はいいなあ。
このショウはダブル・アンコールで、一つ目が〈U. S. Blues〉、二つ目が〈Brokedown Palace〉。
〈U. S. Blues〉は第二部後半の軽やかに弾む感覚が続いてます。ウィアがスライド・ギターでおいしいフレーズを連発します。とてもアンコールではないです。
1981年はスロー・スタートで02月26日シカゴでの三連荘が最初。それでもショウの数は82本、レパートリィは123曲。デビュー曲は1曲だけで、ミドランドの〈Never Trust a Womon〉でした。この年の出来事としては春と秋の2回、ヨーロッパ・ツアーをしています。春はロンドンで4本連続をやった後、当時西ドイツのエッセンでザ・フーとジョイント。
この時、New Musical Express の記者でパンクの支持者だった Paul Morley がガルシアに長時間インタヴューをします。パンクにとってはデッドは許しがたいエスタブリッシュメントだったわけですが、ガルシアは持ち前のユーモアと謙虚な態度でいなし、それにあくまでも愛想の良さを崩さなかったため、結果として出た記事ではモーリィが言いくるめられているように見えてしまい、これに怒った読者が数千人、雑誌の定期購読をやめるという事態になりました。今からふり返れば、パンクは表に現れた姿としてはデッドの音楽とは対極に見えても、根っ子ではかなり近いところから発していたので、そんなに怒ることもなかろうと思ったりもしますが、当時は何かと怒ることがカッコいいとされていたのでしょう。
〈To Lay Me Down〉は第二部オープナー〈Samson And Delilah〉に続く2曲目で、次は〈Estimated Prophet> Eyes Of The World〉。
この曲はガルシアのバラードの1曲。ハンター&ガルシアのコンビには、スロー・バラードのジャンルに分類できる曲がいくつもあって、これもその一つ。なお、スタジオ盤としてはガルシアの1972年のファースト・ソロに収められました。ちなみにこのファースト・ソロ収録10曲のうち、〈Deal〉〈Bird Song〉〈Sugaree〉〈Loser〉〈The Wheel〉とこの〈To Lay Me Down〉の6曲がデッドのレパートリィの定番になっています。もっとも〈Loser〉〈The Wheel〉以外の4曲はこのアルバム録音前から演奏されていました。〈To Lay Me Down〉も1970年07月30日初演。1980〜1981年に最も集中的に演奏されました。全体では64回演奏。
〈Samson And Delilah〉はウィアのヴォーカルはいつもの調子で、ガルシアがギターを弾きまくります。ウィアがこれにスライドを合わせ、ミドランドがハモンドで支える形。
次の曲が決まるまで、かなり時間がかかります。けれど、この後は〈To Lay Me Down〉からクローザーの〈Good Lovin'〉までノンストップです。
〈To Lay Me Down〉の演奏はさらにゆったりで、やや投げやりともいえそうに始まりますが、徐々に熱気を加え、最後には相当に集中した演奏になるところが今回選ばれた理由でしょうか。
いつの間にかビートが変わっていて、これという切れ目もなく〈Eyes Of The World〉に入ります。〈Estimated Prophet〉もわずかに速いテンポでしたが、こちらもそのまま疾走します。ガルシアも〈Estimated Prophet〉の後半から、細かい音を素早く連ねます。それにしても「世界の目」とは、世界を代表して見る目か、世界の中心としての目なのか。それとも両方を含めたダブル・ミーニングなのか。歌が終ってからのインスト・パートではガルシアの「バンジョー・スタイル」ギターが渦を巻き、バンドを引きこみます。やがてガルシアとウィアが残り、ウィアが締めて Drums にチェンジ。
グレイトフル・デッドの公式サイト Dead.net で昨年11月1ヶ月かけてリリースされた《30 Days Of Dead》のうち、25日リリースの 1983-09-04, Park West Ski Area, Park City, UT から〈Tennessee Jed; My Brother Esau; Althea〉の3曲。第一部全10曲中5〜8曲目。連続してはおらず、曲はそれぞれ一度終ります。
1983年のショウの数は66本、レパートリィは110曲。新曲はバーロゥ&ウィアの〈My Brother Esau〉〈Hell in a Bucket〉、それにウィアの〈Little Star〉、そしてミドランドの〈Maybe You Know〉。後の二つは短期間でレパートリィから消えますが、前の二つはもっと長もちし、とりわけ〈Hell in a Bucket〉は最後まで演奏されました。
オープナー〈Bertha〉の次がいつもならクローザーやアンコールになる〈The Promised Land〉というのは調子が良い徴です。続く〈Friend of the Devil〉〈Little Red Rooster〉もともに8分を超えるホットな演奏。ともにガルシア、ミドランド、ウィアが各々にすばらしいソロを展開します。
その次が今回の〈Tennessee Jed〉。ガルシアが気持ち良さそうに歌います。間奏のガルシアのギターの音がちょっと遠かったりしますが、演奏そのものの質は高いです。この曲ではたいていそうですが、ガルシアのソロは歌のメロディからはかけ離れます。〈Friend of the Devil〉では歌のメロディを展開することが多い印象です。
〈Hell In A Bucket〉はまずガルシアのギターがひとくさりイントロを奏でてから本体に突入。間奏のジャムは短かいですが、全体が浮きたつ瞬間がたまらない。
間髪入れずに〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉。ウィアが弾くいつものリフは音を節約しているようで、すぐにガルシアが歌いだします。わずかですが前に突込んだ演奏。個々の演奏はそんなに急いでいないのに、全体としてはせっかちに聞えます。どうなるのかとひやひやしていると、そのままテンションを保ってすばらしいジャムになってゆくのはスリル満点。〈I Know You Rider〉になるとむしろ普通のテンポに聞えるのも不思議。これで第一部をしめて休憩に入ります。
「AUD は残念ながらアンコール〈It's All Over Now, Baby Blue〉は収録なし」
と書きましたが、順番を替えて、第一部のクローザー〈Keep Your Day Job〉の後にちゃんと入っていました。勘違いしてすみません。これもかなり良い演奏。
1984年からのもう1本は04日リリースの 1984-04-16, Community War Memorial Auditorium, Rochester, NY から〈Dupree's Diamond Blues〉です。
この年は03月28日から地元サン・ラファルの Marin Veterans Memorial Auditorium での4本連続ランで始動し、4月06日のラスヴェガスから春のツアーを始め、ロチェスターは四つめの寄港地です。このツアーは30日にロングアイランドで打ち上げます。
この年のショウは64本、レパートリィは125曲。新曲はいずれもミドランドがらみで、〈Don’t Need Love〉と〈Tons Of Steel〉。それにトラフィックの〈Dear Mr. Fantasy〉のカヴァー。〈Dear Mr. Fantasy〉は後に〈Hey Jude〉と組合わされて、第二部後半の呼び物の一つとなります。
この年、デッドは二つ、新しいことを始めます。一つはレックス財団 The Rex Foundation、もう一つが "Taper's Corner" です。
デッドは結成当初から様々なベネフィット、チャリティ活動に参加し、演奏していますが、せっかくの収入の大半がたいていの場合、経費などの名目で途中で消えてしまうことに不満でした。そこで援助したい相手に直接資金を渡せるシステムとしてレックス財団を立上げたのです。レックスはクルーの一人 Rex Jackson からで、その急死を惜しまれていた人です。バンドはショウからの収入の一部を財団に寄付し、財団は5,000〜10,000ドルを個人や団体に寄付します。財団の評議員にはバンド・メンバー、クルー、スタッフに、ビル・グレアムとジョン・シェア、それにビッグ・ネーム・ファンでバスケットボールのレジェンド、ビル・ウォルトンも加わりました。財団が援助したのはミュージシャンだけでなく、学校や文化活動、AIDS 対策など多岐にわたります。ガルシアがかつてのよりを戻すために、デヴィッド・グリスマンへの資金援助を財団を通してやってもいます。この年最初の4連荘はレックス財団発足のお披露目でもありました。
「テーパーズ・コーナー」は10月27日の Berkeley Community Theatre でのショウから導入されました。ガルシアの「公認」以来、ショウを録音する人間 Taper の数が増え、ベストの録音場所を求めた結果、サウンドボードの前に録音用のマイクが林立し、サウンド・エンジニアからステージが見えない事態にまでなっていました。また、テーパーの中には録音に熱中するあまり、周囲のファンに迷惑をかけることを顧ない者もいて、顰蹙をかってもいました。そこでサウンドボードの後ろに "The taper's section" または "The taper's corner" が設けられ、ショウを録音しようとする人間の指定席とされます。テーパーたちはこの席のチケットを買うことになりました。この措置は一方でショウの録音をバンドが正式に公認したことにもなりました。
この年にはもう一つ、スタッフに変化がありました。ロック・スカリーが過度の飲酒でクビになり、アルコール中毒者更生施設に送られました。スカリーはパブリシスト、メディア担当の渉外係も兼ねていたので、デッドの存在が大きくなっているところで代わりの担当者が必要とされ、ガルシアの指名で Dennis McNally が就任します。マクナリーはジャック・ケルアックの伝記を書いていて、それを送られて読んだガルシアはマクナリーにデッドの伝記を書くことを提案していました。マクナリーはメディア担当としての経験も組込んで、バンド解散後、初の公式伝記 A Long Strange Trip, 2002 を執筆・刊行しました。関係者が多数まだ生きている時期で、内部にいた人間がこれだけ冷静かつ公平でバランスのとれた伝記を書いたのは、たいしたものだとあたしは思います。グレイトフル・デッドのキャリアについての基本文献です。
次のウィアは〈Me And My Uncle> Mexicali Blues〉のメドレー。この頃に多い組合せ。前者の間奏でガルシアが珍しくソロを3コーラス。確かによくはじけた演奏。この曲ではウィアの歌の後ろでもギターを弾いていて、それもかなり粋。曲は一度終りますが、ドラムスがそのまま次へ続けます。こちらでもガルシアがぴんぴんと硬く張った響きでやはり粋なソロを聴かせます。メロディから離れたりまた戻ったり。ここでもウィアの声に軽くリヴァーブがかかっているように聞えます。あるいはこのヴェニューの特性かも。
この日のショウからは4曲目の〈Bird Song〉が2018年、第二部3曲目の〈Playing In The Band〉が昨年の、それぞれ《30 Days Of Dead》でリリースされています。なお、〈Playing In The Band〉の返りはその後、クローザー〈Sugar Magnolia〉の前です。すなわち、Drums> Space> 〈The Wheel〉> 〈Wharf Rat〉までが〈Playing In The Band〉にはさまれています。
〈Playing In The Band〉は演奏回数の最も多い曲の一つで、1968年のデビュー以降、キャリア全体にわたって演奏されていますが、変貌の最も大きな曲でもあります。初めは5分で終っていたものが、1972年春のヨーロッパ・ツアー中に長くなりはじめ、ついには大休止の前には30分を超えるのも珍しくないほどになります。極限まで伸ばされたその次に、間に別の曲がはさまりだし、それも1曲2曲と増えていって、やがては第二部全体がはさまる、つまり〈Playing In The Band〉でスタートして、クローザーないしその前でまた還ることも起きてきます。最後にはその日には還らず、数日置いて還るようにまでなりました。同じ曲の様々な演奏、ヴァージョンを続けて聴いてゆくのは、デッドの音楽の聴き方としてショウを丸々1本聴いてゆくのに次いで面白く、また成果も大きいものの一つです。ショウを聴いてゆくのを横糸とすれば、同じ曲を聴いてゆくのは縦糸になるでしょう。その中でも〈Playing In The Band〉の聴比べは最高に愉しいものです。ただし、とんでもなく時間もかかります。
演奏はすばらしい。ここではガルシアのソロがひっぱります。どちらもメインのメロディのヴァリエーションながら、意表をつくフレーズを連ねます。〈Hell In A Bucket〉のソロもよいですが、〈Sugaree〉がやはり凄い。大休止からの復帰後、この曲の即興パートはごくシンプルな音を坦々と重ねて壮大な展開になるようになります。1977年春などはこのままついに終らないのではないかと思えるほどです。ここではそこまではいきませんが、それぞれのソロは彩りを変えて面白い。この録音ではウィアの煽りも愉しい。ただ、1970年代に比べると、どこか切羽詰った響きがあります。ウィア、ガルシアともにヴォーカルも好調。
〈C C Rider〉はブルーズ・ビート。ここでもガルシアは難しいことは何一つやりません。弾くだけなら誰でも弾けそうなシンプルなギターなのに、じゃあ、弾いてみろと言われれば、たいていのギタリストでは聴くにたえないものになるんじゃないか。2番の後、ミドランドとウィアが各々にまた美味しいソロ。ウィアはやはり相当にアグレッシヴ。さらにガルシア。さらにシンプルで美味しいギター。
間髪入れずガルシアがリフを始めて第一部クローザー〈Keep Your Day Job〉。悪い曲じゃないと今聴くと思うんですが、この曲はデッドヘッドにとにかく嫌われ、あまりの不人気に4年ほどでレパートリィから落ちます。それでも4年間は演奏されつづけました。
後半もテンションは落ちません。オープナーは〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain〉のメドレーという定番ですが、演奏はすばらしい。どちらもヴォーカルに力がありますし、ジャム=集団即興にはぞくぞくします。こういうのを聴くのがデッドを聴く醍醐味。
続く〈Playing In The Band〉は70年代を髣髴とさせる長いジャムを展開します。これも聴きごたえがあります。半ばでフリーになってますます70年代の雰囲気が濃くなり、さらに宇宙を旅してゆく感覚の演奏が続きます。そこから自然に〈Drums〉ですが、この AUD では短くカットされているのは残念。〈Space〉はギタリスト2人の掛合い。ここから〈The Wheel〉さらに〈Wharf Rat〉という流れも定番ではありますが、この組合せは何度聴いてもいい。〈Playing In The Band〉の還り、つまりしめくくりの演奏が来ると、ここまで長く入り組んだ路を旅してきて、故郷にもどった気分。デッドのショウを聴くのは多様な寄港地をへめぐる旅をするのに似ています。間髪を入れずに〈Sugar Magnolia〉。ここでもガルシアがすばらしいギターで全体をひっ張ります。1980年代前半はあまり評価が高くありませんが、こういう演奏があるなら、もっと聴きたい。
AUD は残念ながらアンコール〈It's All Over Now, Baby Blue〉は収録なし。(ゆ)
ショウはこのヴェニュー5本連続の初日。2日やって1日休んで三連荘です。この5本のショウの18.50ドルからのチケット85,000枚は4時間で売切れ、記録となりました。休みの17日にはガルシアとウィアが NBC の David Letterman Show に出演し、2人だけのアコースティック・セットで6曲演奏しました。この録画は YouTube で見られます。この時のランからは中日09-18のショウが《30 Trips Around The Sun》でリリースされています。
〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉はこの日の第二部オープナー。後半、ガルシアのギターを中心にした集団即興=ジャムがすばらしい。とりわけ、ガルシアとミドランドとレシュの絡合いが、この録音はよくわかります。ウィアのギターの音が小さいのが残念。ヴォーカルはちゃんと聞えます。〈I Know You Rider〉でコーラスの後で、すぐに歌を続けず、おれが弾くと言わんばかりのガルシアのソロ。ガルシアの歌の後のガルシアのソロとレシュのベースの絡みがまたたまらん。最後のアカペラ・コーラスになるところ、会場が手拍子で支えてますね。
続くのは〈Estimated Prophet〉から〈Eyes Of The World〉という定番の組合せ。この2曲は〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉や〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain〉ほどの完全なペアにはなりませんでしたが、かなりの頻度で続けて演奏されてます。ただ、この2曲は順番が逆になったりします。どちらも長いジャムになることもよくあって、ここでも2曲合わせて20分超。
一度終って、一瞬、間があって〈Eyes Of The World〉のリフが始まると大歓声。ガルシアのヴォーカルが力強く、歌いまわしにも余裕があります。昏睡からの恢復後は相当に節制につとめたこともあり、体調も絶好調なのでしょう。こちらは〈Estimated Prophet〉よりもアップテンポで、ギターもそれに合わせていますが、やはりロック・ギターの範疇からははずれます。それにミドランドがピアノのサウンドでからんでゆくと、ガルシアはますます調子が出てきて、今度はハートとも絡みます。やがて、Drums に遷移。ハートが MIDI で不思議な音を出すのに、クロイツマンは通常のドラム・キットで応じます。ハートは今度は巨大太鼓でこれに対抗。この AUD は優秀で音は割れていません。デジタル録音と思われ、かなりクリアです。
普通 Space に移るとドラマーたちはひっこみますが、この日はなかなかひっこみません。ひっこんだ後はガルシアとウィアの2人だけ。ガルシアはスライド・ギターで思いきり音をひっぱります。明瞭なメロディはなく、まさに宇宙空間を旅している気分。ウィアはこれにコードを合わせるというより、遠くから投げかける感じ。
〈Gimme Some Lovin'〉への遷移はちょっと唐突ですが、リフが始まってしまえばこっちのもの。すぐにミドランドがハモンドで有名なリフをくり出します。これも全員のコーラスですが、レシュも歌っていますね。歌の後、ワン・コーラスですがガルシアが切れ味のいいソロ。最後はこれもやや唐突に終り、すぐに〈All Along The Watchtower〉をやりかけますが、ガルシアの気が変わったようで〈Black Peter〉におちつきます。
次の〈Queen Jane Approximately〉は1987年のディランとのツアーからレパートリィに入りました。第一部の真ん中あたりでウィアがディランの曲をうたうのが、しばらく定番になり、"Dylan slot" などと呼ばれました。ガルシアがヴォーカルをとるディラン・カヴァーは第二部に入るのが多いようです。
ちなみに、1976年の復帰後は、ロッキー山脈西側のショウはビル・グレアム、東側は John Scher が担当プロモーターになります。グレアムはデッドにとっては最も重要で、関わりも深かったわけですが、コンサートをいわば自分の所有物とみなすグレアムの態度にはデッドはどうしてもなじめませんでした。プロモーターとアーティストの関係としてはシェーアとの方がしっくりいっていたようです。(ゆ)
1990年代からは今年は9回、8本リリースでした。80年代からのリリースも8本。まずは9日リリースの 1989-12-27, Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA から〈Playing In The Band> Crazy Fingers〉。第二部2曲目からのメドレーです。が、これは2018年の《30 Days Of Dead》で、この後に続く〈Uncle John's Band〉までのセットがリリース済みでした。重複したばかりか、減ってしまったのはちょとがっかり。
1989年は翌年春まで続くデッド第3の黄金期。空前絶後の音楽を聴かせてくれています。ショウは73本。2,860万ドルを売りあげて、コンサートの興行収入では4位でした。レパートリィは135曲。新曲ではハンター&ガルシアの〈Standing on the Moon〉が以後最後まで歌われ、後期の代表作となります。バーロゥ&ウィアの〈Picasso Moon〉も面白い。あたしのお気に入り。バーロゥはミドランドと組んで〈We Can Run〉と〈Just a Little Light〉も送り出しました。
この年は2月に1987年のボブ・ディランとのツアーからのライヴ・アルバム《Dylan & The Dead》、10月に最後のスタジオ盤《Built To Last》がリリースされます。後者は2月に録音を始めて、夏秋のツアー中も作業は続きました。今回は全員一緒ではなく、個別に録音したトラックをガルシアとジョン・カトラーが合わせる形で、誰にとっても嫌な作業でした。この後、スタジオ盤が作られなかったのも、この時の嫌な体験がトラウマになったのかもしれません。
この日の第二部にはE・ストリート・バンドのクラレンス・クレモンズがゲスト参加して、オープナー〈Iko Iko〉ではご機嫌なサックスを吹いていますが、ここでは聞えません。しかしこの〈Playing In The Band〉はすばらしい。とりわけ後半の現代音楽風のジャムはデッドのこの形のジャムとして最もレベルの高いものの一つです。この曲のベスト・ヴァージョンの一つ。続く〈Crazy Fingers〉への遷移もごく自然で、演奏ものっています。歌の後のジャムがいわゆるスパニッシュ・ジャムになるのがたまらん。これに〈Uncle John's Band〉をつなぐのも意表を突かれます。こういう組合せはすべてその場で即興で決められていて、あらかじめ打合せていたわけではありません。ここではどちらもガルシアの持ち歌で、ガルシアが始めるきっかけを出していると思われます。
〈Uncle John's Band〉の後は Drums、Space。どちらも面白いですが、この後半のヤマはなんといってもクローザー〈Morning Dew〉。ラフすぎる、ぶち壊しという人もいて、それもうなずけないことはない。崩壊寸前になる瞬間もあることは確か。しかし、ここでのエネルギーの爆発はすごい。これほど「猛りたって」うたうガルシアは他には覚えがありません。エネルギーはまだ余っていて、アンコールの〈Johonny B. Goode〉に再び爆発し、ここではクレモンズが吹きまくります。面白いのは、これが終って間髪を入れずにガルシアが〈Black Muddy River〉のリフを始め、一転して、ぐっと抑えた、味わいぶかい演奏を聴かせること。ミドランドのハーモニーが効いてます。この歌のベスト・ヴァージョン。こういう緩急をつけて、ロックンロールで解放したものを回収し、余韻を残してしめくくるのがデッドのやり方。
次のショウは 1991-03-24, Knickerbocker Arena, Albany, NY で、今回2回リリースされているので、14日リリースの〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉と21日リリースの〈Looks Like Rain> He's Gone〉を一緒に聴きます。この4曲は第二部冒頭からこの順番での続きで、この後は Drums。なお、〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉は2017年の《30 Days Of Dead》でリリース済です。《30 Days Of Dead》は未発表ライヴ音源を謳ってますが、回を重ねて重複も増えてきました。
またオープナーのメドレー〈Help On The Way> Slipknot!> Franklin's Tower〉が2016年の《30 Days Of Dead》でリリースされています。
ヴェニューは1990年代、毎年前半に回ったところです。1990-03-24に初めて出て、1995-06-25まで13回、ここで演奏しています。1990年01月30日にオープンした屋内多目的アリーナで、コンサートでは定員15,400弱。満杯に詰めると17,500入。カレッジ・スポーツとプロレスによく使われています。柿落しはフランク・シナトラで、コンサート会場として人気があり、デッドの他、ローリング・ストーンズ、U2、ブルース・スプリングスティーン、ポール・マッカトニー、ガース・ブルックス、ジャスティン・ティンバーレイクなどなど。現在は Times Union Center という名称。
〈China Cat Sunflower〉後半のジャムがまずすばらしい。ウェルニクがガルシアをうまくサポートしています。最後にビートが速くなるのもカッコいい。〈I Know You Rider〉に入ってもガルシアがギターを弾きやめません。歌も歌の後のジャムもいい。好演ヴァージョンと思います。一度曲は終り。
〈Looks Like Rain〉はバーロゥ&ウィア・コンビのベストの1曲。あたしはちょっとジャクソン・ブラウンに通じるところを感じます。西海岸の歌。この曲ではウィアのヴォーカルの裏で弾いてるガルシアのギターがいつも聞き物。ここでもウェルニクのサポートがいい。このショウにはブルース・ホーンスビィはいませんが、立派にアンサンブルの一角を支えてます。コーダに向けてのウィアのアドリブ的な歌唱がハマってます。ここは空回りすることも時にありますが、この日はいい。
曲は一度終りますが間髪を入れず、ガルシアが〈He's Gone〉のリフを始めます。かなりゆったりしたテンポ。ガルシアの歌唱はハリがあります。"Nothing gonna bring him back" のリピートのところで、ウェルニクが遠くで叫ぶのが面白い。そこから移るインストルメンタルのジャムも面白い。ウェルニクのソロ。ジャズですなあ。ウィアのギターの応答が粋。その後、おそらくガルシアはステージを去り、ドラムスが前面に出ますが、Drums に移行する前のジャムもまだまだいい。ウェルニクも引っこんで、残る4人でしばらく演るのは珍しいかも。
Space ではガルシアが MIDI でトランペットやフルートやの音を出すのが面白い。サウンドを変えるとまたインスピレーションが湧くらしい。
第二部後半もスイッチは切れず、とりわけクローザーの〈Standing On The Moon〉から〈Good Lovin'〉のメドレー。〈Standing On The Moon〉ではガルシアの歌唱もギターもエモーショナル。こういう感情たっぷりで感傷すれすれの演奏は90年代に入ってからのように思われます。それがやがて〈So Many Roads〉で極まりますが、ここではまだそこまではいかない。あたしはむしろ感情控えめの方が好きではあります。
1992年のショウは秋のツアーがキャンセルされて55本。それでも120万枚のチケットを売り、コンサート収入はU2に次ぐ2位でした。レパートリィは134曲。新曲は4曲。ハンター&ガルシアの〈So Many Roads〉。ハンター&レシュの2度目のコラボレーションから生まれた〈Wave to the Wind〉。ハンターの詞にウィアとハートが曲をつけた〈Corrina〉。そしてハンターの詞にウェルニクがボブ・ブララヴと曲をつけた〈Way to Go Home〉。この中では〈So Many Roads〉が、ガルシア晩年の絶唱を生んでいきます。(ゆ)
この年のレパートリィは143曲。そのうち「新曲」としてロビー・ロバートソンの〈Broken Arrow〉、ビートルズの〈Lucy in the Sky with Diamonds〉、Bobby Fuller Four の〈I Fought the Law〉のカヴァーとハンター&ガルシアの3曲に加えて、ボブ・ウィアがロブ・ワッサーマンとウィリー・ディクソンと作った〈Eternity〉と、ボブ・ブララヴ、ワッサーマン、ヴィンス・ウェルニクとの共作〈Easy Answers〉があります。
《30 Days Of Dead》にもどって、これはすばらしいオープニング。ガルシアの好調は明らかで、こうなれば鬼に金棒。2曲目の〈Stager Lee〉のヴォーカルも声に力があり、茶目っ気がこぼれます。この後の〈Ramble on Rose〉も同じ系統で、こういう歌をうたわせたら、ガルシアの右に出る者はいません。ガルシアより歌の巧い人はいくらでもいますが、このユーモアの味、どこかとぼけた、しかし芯はちゃんと通っている歌唱ができる人はまず見当らない。あからさまなユーモア・ソング、お笑いのウケ狙いではなく、でも時には思わず吹きだしてしまうようなおかしみをたたえた歌。こういう歌もデッドを聴く愉しみの一つです。
この第一部はきっちりウィアとガルシアが交替でリードをとり、それぞれの持ち味を十分に出して、対照的です。「双極の原理」はデッドを貫く筋の一本ですが、それがよく回って、カラフルな風光を巡らせてくれます。第一部クローザーの〈Let It Grow〉はこの曲でも指折りの名演。聴いていると拳を握ってしまいます。(ゆ)
この年は1月末と2月下旬にそれぞれオークランドで三連荘をした後、3月9日から春のツアーに入り、その最初の三連荘がこのヴェニュー。今回の《30 Days Of Dead》ではこの日とその前日からリリースされました。この後はオハイオ、メリーランド、ジョージア、ノース・カロライナ、そしてニューヨークのアップステートとロング・アイランドと回り、4月5日に打上げます。
ガルシアの調子の良いことは後半の〈Space〉でよくわかります。この前半では Ken Nordine がゲストで出演し、即興のラップを披露します。その背後での演奏からガルシアとウィアがしばし二人だけでやるフリーの演奏が面白い。そこからガルシアが引張って〈The Other One〉へとなだれこむのは快感。2番の歌詞の前にバンド全体が不協和音のジャムに外れるところもあって、この〈The Other One〉は良いヴァージョン。そしてその後の〈Days Between〉がすばらしい。この年2月、たて続けにデビューしたハンター&ガルシアの3曲の1曲で、これが2度目の演奏。結局これがこのコンビの最後の曲になりますが、有終の美を飾る佳曲と思います。
ほとんど諦観に満ちているとも思える〈Days Between〉からこれまた静かに移った〈Around and Around〉は徐々に熱を加え、余裕と貫禄のロックンロール。ウェルニクのソロも小気味良く、これに刺激されてガルシアのソロも軽やかなステップを踏み、むしろジャズと呼びたくなるような粋でクール演奏を聴かせます。これはいいなあ。
このショウは第一部ラスト前の〈So Many Roads〉が2013年の《30 Days Of Dead》でリリースされた後、2015年のグレイトフル・デッド結成50周年記念のビッグボックス《30 Trips Around The Sun》の一本として全体がリリースされました。ちなみに《30 Trips Around The Sun》は1966年から1995年までの各年一本ずつショウを選んで30年間のキャリアを展望しようというもので、デッドのアーカイヴ・リリースのビッグボックスとしては2011年の《Europe '72: The Complete Recordings》と並ぶ規模の大きなものです。
《30 Trips Around The Sun》が出た時、1966年から一本ずつ聴いていってここに来たときには驚きました。1990年代は周知のとおり、ジェリィ・ガルシアがゆっくりと衰えてゆく時期で、1992年や1993年は、水準は軽く越えているとはいえ、その前のピーク時のショウに比べてしまうとどうしても落ちると聞えてしまいます。それが、この最末期、1994年に来てこのボックス・セットの30本のショウの中でも最高の一本と言ってもいい演奏を聴かせてくれたからです。
なお、1994年は正月にデッドがロックンロールの殿堂入りをはたしました。ただし、そのセレモニーにガルシアだけは出席しませんでした。替わりに本人の等身大の写真を貼って切り抜いたダンボールが持ちこまれました。ショウは計84本。レパートリィは145曲。うち前年には演奏されなかったものが12曲。新曲は3曲。ウェルニックの〈Samba in the Rain〉とレシュの〈If the Shoe Fits〉と〈Childhood's End〉。コンサートの総収入は5位でした。デッドの上にいたのはローリング・ストーンズ、ピンク・フロイド、イーグルス、バーブラ・ストライザンド。なお、デッドのチケット代はこれら他のアクトのものの半分ほどでした。(ゆ)