クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

カテゴリ: Diary

 努めて普段どおりの生活をするようにしたためか、痛みはほぼ消えた。しかし、まだ前屈みになろうとすると腰が緊張するので、手をついたり、しゃがみこんでから手を前に伸ばしたりしている。今日は外出のテストも兼ねて歯医者に出かけたが、バスから降りるときに、ステップから歩道に渡ろうとしてふらついた。前屈みになるわけではないが、腰の筋肉を使っているらしい。体のどこの筋肉をいつどこで使っているか、なんてことは痛くならないかぎりわからない。

 通販生活に注文した腰ささえが着いたので、夜、試す。付けてみると、やはり上半身の緊張がぬける感じがある。買ったのはこれ。



 通販生活のものはメディカル枕とかヤコフォームの靴とか、永年愛用しているのがあり、信用している。このサポーターもかみさんがぎっくり腰をやった時に探して見つけておいた。そういえば、このメディカル・パッドもずっと使っている。



 これもどうやらぎっくり腰には効果があるらしい。一晩寝て朝になるたびに痛みが楽になっていった。起きた直後は楽なのだが、しばらく椅子に座っていて、立とうとすると痛い、ということがはじめのうち繰返された。

 図書館から借りている『洲之内徹ベスト・エッセイ2』収録のエッセイで、洲之内もぎっくり腰をやり、しばらくズボンを履くのに柱にもたれなければならなかったという。なるほどその手があったか。前屈みになれないで一番困るのは下半身の衣類を履こうとする時だ。
 今日はのんびりとではあるが1万歩近く歩いたし、階段もたくさん登ったが、腰が痛くなることはない。ちょうど1週間で9割方恢復という次第。週末はやはり出かけてみよう。


 ラックスマンが創業百周年記念で新しいハイエンド・ヘッドフォン・アンプを出すと発表。さてこれでマス工房 model 465 に対抗できるか。1台ではできないので、2台使って BT接続することであれを凌ぐものにしよう、というのかと勘繰ってしまった。値段も新製品2台でちょうど 465 1台分だし。





 あたしは 465 はもちろん買えないが、ヘッドフォン祭などで散々音は聴いている。それに個人用として model 433 を使っているから、マス工房のヘッドフォン・アンプの何たるかはわかっているつもり。433 だって、そりゃ 465 には讓るだろうが、それ以外のヘッドフォン・アンプではまず対抗できない。何よりパワーがあるだけではなく、音楽として聴かせてくれる。増田さんはむしろプロ機器のつもりで設計・製造しているのではあろうが、それで鳴らすとちゃんと音楽として聴ける機械を作れるのは耳が良いということなのだろう。今では 433 が基準になっていて、これでちゃんと鳴らないヘッドフォンはダメなのである。

 そう、433 はどんなヘッドフォンでもきれいに鳴らすというようなヤワな代物ではないのだ。世の中にはどんなに高くても、宣伝が上手くても、本質的にダメなヘッドフォンは存在する。そういうものの正体を剥出しにしてみせるのである。一方で良いものはその良さを十二分に発揮させる。しかし、本当に良いヘッドフォン・アンプとはそういうものではないか。何にでも使える万能選手などというものは、ことオーディオに関するかぎり、自己矛盾でしかない。


 テクニクスが発表した新しいアナログ・プレーヤー SL-1300G はちょと面白い。アナログ・プレーヤーのキモは振動対策であるわけで、各社、様々に工夫を凝らして振動を減らすことに腐心している。材質とメカニズムで振動を減らすとか、プラッターとアーム・システムを吊るしたり、浮かせたりして、外の振動を遮るとか、まずたいていは物量で勝負だ。今回のテクニクスはその逆を行っているように見える。徹底的に電子的、電気的な操作をつきつめることで振動が起きる要因を一つひとつ削除していった。デジタルをつきつめることでアナログの効果を狙っている。とあたしには見える。使われている技術もホップステップジャンプしたものではなくて、従来自社で開発蓄積してきたものを応用している、ように見える。あたしは昔からベルト・ドライブ派で、ダイレクト・ドライブなんてものは信用ならんと思っていたが、これくらいつきつめているんなら、聴いてみようじゃないかという気になる。



 とにかく一度、音を聴いてみたいし、たとえばテクダスのハイエンド・モデルと、他の条件を全部同じにした聴き比べてみたい。まあ、今のオーディオ業界ではそんな聴き比べはできないだろう。とまれ単独でも音を聴いてみて、その上で DS Audio DS-E3 と組合せてみたい。これなら、合計で定価で70万だ。その後、1年は本もレコードも買えないし、ライヴにも行けないが、昔買ったレコードを聴きなおせば1年くらいはすぐ経ってしまう。それにしても、こういうのをまともに試聴できる店が近くにあるのか、そこが一番の問題。



 ぎっくり腰には自分の年齡をあらためて思い知らされた。以来、多少とも前屈みになる時は、痛みが出ようが出まいが、必ずどこかに手をつくようにしている。(ゆ)

 凄い、というコトバしか出てこなかった。美しいとか、豪奢とか、堂々たるとか、感動的とか、音楽演奏のポジティヴな評価を全部呑みこんだ上で、凄い、としか言いようがない。

 ミュージシャンたちはあっけらかんとしている。何か特別なことをした、という風でもなく、いつもやってることをいつもやってるようにやっただけ、という顔をしている。ほとんど拍子抜けしてしまう。あるいは心中では、やった、できた、と思っていても、それを表には出さないことがカッコいい、と思っているのか。

 しかし、とんでもないことをやっていたのだ、あなたたちは、と襟を摑んでわめきたくなる。

 ピアニスト、作曲家の shezoo さんがやっている2つのユニット、トリニテ透明な庭が合体したライヴをやると聞いたとき、どうやるのか、ちょっと見当がつかなかった。たとえば前半透明な庭、後半トリニテ、アンコールで合奏、みたいなものかと漠然と想像していた。

 実際には5人のミュージシャンが終始一貫、一緒に演奏した。その上で、トリニテと透明な庭各々のレパートリィからの曲を交互に演奏する。すべて shezoo さんの曲。例外はアンコールの〈永遠〉で、これだけ藤野さんの曲。トリニテに藤野さんが参加した、とも透明な庭に、壷井、北田、井谷の三氏が参加したとも、おたがいに言い合っていたが、要は合体である。壷井、藤野のお2人はオオフジツボでも一緒だ。

 結論から言えば、この合体による化学変化はどこから見ても聴いても絶大な効果を生んでいる。各々の長所を引き出し、潜在していたものを引き出し、どちらからも離陸した、新たな音楽を生みだした。

 その構造をうんと単純化して乱暴にまとめれば、まずは二つ、見えると思う。

 まず一つはフロントが三人になり、アレンジを展開できる駒が増え、より複雑かつ重層的で変化に富む響きが生まれたこと。例えば後半2曲め〈Moons〉でのフーガの部分がヴァイオリン、クラリネット、そしてピアノの代わりにアコーディオンが来て、ピアノはリズム・セクションに回る。持続音楽器が三つ連なる効果はフーガの面白さを格段に増す。

 あるいは前半3曲目〈Mondissimo 1〉のテーマで三つの持続音楽器によるパワー全開のユニゾン。ユニゾンはここだけでなく、三つの楽器の様々な組合せで要所要所に炸裂する。

 アコーディオンはメロディも奏でられるが、同時にハーモニーも出せる。ピアノのコード演奏と相俟って、うねりを生んで曲のスケールを増幅する。

 もう一つは即興において左端のピアノと右端のアコーディオンによって、全体が大きくくるまれたこと。トリニテの即興は、とりわけ Ver. 2 になってからよりシャープになり、鋭いカドがむきむき湧いてくるようになった。それが透明な庭の響きによってカドが丸くなり、抑制が効いている。羽目を外して暴れまわるかわりに、やわらかい網をぱんぱんにふくらませながら、その中で充実し、熟成する。それは shezoo 版〈マタイ受難曲〉で、アンサンブルはあくまでバッハの書いた通りに演奏しながら、クラリネットやサックスが自由に即興を展開するのにも似ている。大きな枠の中にあえて収められることで、かえって中身が濃くなる。

 その効果はアンサンブルだけでなく、ソロにも現れる。ヴァイオリンはハーモニクスで音色を千変万化させると思うと、思いきりよく切れこんでくる。そしてこの日、最も冴えていたのはクラリネット。オープナー〈Sky Mirror〉のソロでまずノックアウトされて、これを聴いただけで今日は来た甲斐があったと思ったのは甘かった。後半3曲目〈蝙蝠と妖精の舞う空〉のソロが止まらない。ごく狭い音域だけでシンプルに音を動かしながら、テンションがどんどん昇ってゆく。音域も徐々に昇ってゆき、ついには耳にびんびん響くまでになる。こんなになってどう始末をつけるのだと思っていたら、きっちりと余韻さえ帯びて収めてみせた。コルトレーンに代表されるような、厖大な数の音を撒き散らしてその奔流で圧倒するのとは対極のスタイルだ。北田さん本人の言う「ジャズではない、でも自由な即興」の真骨頂。そう、グレイトフル・デッドの即興の最良のものに通じる。耳はおかしくなりそうだったが、これを聴けたのは、生きててよかった。

 前回、山猫軒ではヴァイオリンが支配的で、クラリネットは控え目に聞えたのだが、今回は存分に歌っている。

 山猫軒で気がついたことに、井谷氏の語彙の豊冨さがある。この人の出す音の種類の多いことは尋常ではない。いざとなればマーチやワルツのビートを見事にキープするけれども、ほとんどの時間は、似たような音、響きが連続することはほとんどない。次から次へと、様々にかけ離れた音を出す。スティック、ブラシ、細い串を束ねたような撥、指、掌などなどを使って、太鼓、スネア、各種シンバル、カホン、ダフ、ダラブッカ、自分の膝などなどを叩き、こすり、はじく。上記〈蝙蝠と妖精の舞う空〉では、目の前に広げてあった楽譜の束をひらひらと振って音をたてている。アイデアが尽きることがない。その音はアクセントとして、ドライヴァーとして、アンサンブルをあるいは持ち上げ、あるいは引張り、あるいは全体を引き締める。

 ピアノもカルテットの時の制限から解放されて、より伸び伸びと歌っている。カルテットではピアノだけでやることを、今回はアコーディオンとの共同作業でできているように聞える。その分、余裕ができているらしい。shezoo さんがアレルギー性咽頭炎で掠れ声しか出ないことが、むしろプラスに作用していたようでもある。

 始まる前はいささかの不安さえ抱いていたのが、最初の1曲で吹飛んだ後は、このバンドはこれが完成形なのではないか、とすら思えてきた。トリニテに何かが不足していたわけではないが、アコーディオンが加わる、それもこの場合藤野さんのアコーディオンが加わることで、アニメのロボットが合体して別物になるように、まったく別の生き物に生まれかわったように聞える。こういう音楽を前にしては、浴びせかけられては、凄いとしか出てこない。唸るしかないのだ。1曲終るごとに拍手が鳴りやまないのも無理はない。4+1あるいは2+3が100になって聞える。

 終演22時過ぎて、満月の下、人影まばらな骨董通りを表参道の駅に向かって歩きながら、あまり寒さを感じなかった。このところ、ある件でともすれば奈落の底に引きこまれそうになっていたのだが、どうやらそれにも正面からたち向かう気力をもらった具合でもある。ありがたや、ありがたや。(ゆ)

透明なトリニテの庭
壷井彰久: violin
北田学: clarinet, bass-clarinet
井谷享志: percussion
藤野由佳: accordion
shezoo: piano 
 

 1990年代からは今年は9回、8本リリースでした。80年代からのリリースも8本。まずは9日リリースの 1989-12-27, Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA から〈Playing In The Band> Crazy Fingers〉。第二部2曲目からのメドレーです。が、これは2018年の《30 Days Of Dead》で、この後に続く〈Uncle John's Band〉までのセットがリリース済みでした。重複したばかりか、減ってしまったのはちょとがっかり。

 ショウはビル・グレアム恒例の大晦日の年越しショウにかけての4本連続の初日。10月26日に秋のツアーを打ち上げ、この12月上旬に同じオークランド・オルメイダ・カウンティ・コリシアム・アリーナで1本、続いてグリーク・シアターで三連荘をやり、このランでこの年は終り。

 1989年は翌年春まで続くデッド第3の黄金期。空前絶後の音楽を聴かせてくれています。ショウは73本。2,860万ドルを売りあげて、コンサートの興行収入では4位でした。レパートリィは135曲。新曲ではハンター&ガルシアの〈Standing on the Moon〉が以後最後まで歌われ、後期の代表作となります。バーロゥ&ウィアの〈Picasso Moon〉も面白い。あたしのお気に入り。バーロゥはミドランドと組んで〈We Can Run〉と〈Just a Little Light〉も送り出しました。
 カヴァー曲で定着したのはありませんでしたが、10月に起きたロマ・プリータ地震のニュースをツアー先で聞いたバンドはロドニー・クロゥエルの〈California Earthquake (Whole Lotta Shakin' Goin' On)〉を演奏しました。

 この年は2月に1987年のボブ・ディランとのツアーからのライヴ・アルバム《Dylan & The Dead》、10月に最後のスタジオ盤《Built To Last》がリリースされます。後者は2月に録音を始めて、夏秋のツアー中も作業は続きました。今回は全員一緒ではなく、個別に録音したトラックをガルシアとジョン・カトラーが合わせる形で、誰にとっても嫌な作業でした。この後、スタジオ盤が作られなかったのも、この時の嫌な体験がトラウマになったのかもしれません。

 このヴェニューでのデッドの演奏は66回、デッドが一度でも演奏したことが判明している645ヶ所(DeadLists による)のヴェニューのうち最多です。ここは1966年11月にオープンした屋内アリーナで、収容人員はコンサートで2万。長い間、プロ・バスケットボールのゴールデン・ステイト・ウォリアーズの本拠でした。デッドは1980年代半ば以降、年初の始動と年末の締めくくりをここでやっています。活動後半のホーム・グラウンドと言ってもよいかと思います。現在の名称は Oakland Arena。

 この日の第二部にはE・ストリート・バンドのクラレンス・クレモンズがゲスト参加して、オープナー〈Iko Iko〉ではご機嫌なサックスを吹いていますが、ここでは聞えません。しかしこの〈Playing In The Band〉はすばらしい。とりわけ後半の現代音楽風のジャムはデッドのこの形のジャムとして最もレベルの高いものの一つです。この曲のベスト・ヴァージョンの一つ。続く〈Crazy Fingers〉への遷移もごく自然で、演奏ものっています。歌の後のジャムがいわゆるスパニッシュ・ジャムになるのがたまらん。これに〈Uncle John's Band〉をつなぐのも意表を突かれます。こういう組合せはすべてその場で即興で決められていて、あらかじめ打合せていたわけではありません。ここではどちらもガルシアの持ち歌で、ガルシアが始めるきっかけを出していると思われます。

 〈Uncle John's Band〉の後は Drums、Space。どちらも面白いですが、この後半のヤマはなんといってもクローザー〈Morning Dew〉。ラフすぎる、ぶち壊しという人もいて、それもうなずけないことはない。崩壊寸前になる瞬間もあることは確か。しかし、ここでのエネルギーの爆発はすごい。これほど「猛りたって」うたうガルシアは他には覚えがありません。エネルギーはまだ余っていて、アンコールの〈Johonny B. Goode〉に再び爆発し、ここではクレモンズが吹きまくります。面白いのは、これが終って間髪を入れずにガルシアが〈Black Muddy River〉のリフを始め、一転して、ぐっと抑えた、味わいぶかい演奏を聴かせること。ミドランドのハーモニーが効いてます。この歌のベスト・ヴァージョン。こういう緩急をつけて、ロックンロールで解放したものを回収し、余韻を残してしめくくるのがデッドのやり方。

 やはり、この年はピークです。(ゆ)

 shezoo さんは年明け、正月7日の『マタイ受難曲 2023』を控えててんてこ舞いのはずなのだが、精力的にライヴをしている。先日の透明な庭のライヴの時も、もう『マタイ』で頭がいっぱいで、家ではピアノを弾くヒマもなく、ライヴで弾けるのが愉しいと言っていたくらいだから、ライヴが息抜きになっているのか。台本はできあがったそうで、これから年末、集中的にリハーサルをする由。この日のライヴはすばらしかったが、ということは、たぶん『マタイ』の台本も満足のゆくものができたのだろう。それについて、聴く方も事前準備として『カラマーゾフの兄弟』を読んでおいてくれと宿題が出た。あとで確認したら、「5回読んでください」。ひええ。自慢じゃないが、ドストエフスキーは読んだことがない。

 エアジンに比べてずっと小さな空間であるここでこのユニットがやるのはどうなるのかと危惧がなくもなかったのだが、スペースの制約はむしろプラスに作用した。ひとつにはパーカッションの永井さんが見事に対応して、全体の音量を絞り気味にしたことがある。スペースだけではなくて、このユニットにふさわしい演奏の仕方を探りあててきているのかもしれない。大きな器で声とピアノをくるむようにるすだけでなく、その隙間に入りこんで双方をひき寄せ、接着したり、先頭に立って引っぱったりもする。パーカッションの人たちは、一人ひとりがスタイルも使う楽器もまったく違っているのが実に面白い。おまけに shezoo さんが一緒にやる人たちがまたそれはそれは愉しく面白い人たちばかりだ。shezoo さんには共演者を見る目があるのだ。

 永井さんも、これまでの共演者たちの誰ともまた違っていて、ダイナミック・レンジの幅がとんでもなく広い。出す音色の多彩なこともちょっと比べる人が見当らない。楽器も自作していて、前回、エアジンでも使っていたガスボンベを加工して作ったという、二つ一組の音階も奏でられるものに加えて、今回は木製の細長い直方体の上面にスリットが入ったものを持ちこんできた。これも自作だそうだが、それにしては仕上げも見事で、市販品と言われても疑問は抱かない。スリット・ドラムと呼ばれるタイプの楽器の由で、やはり音階が出せる。片足首に鈴をつけて踏み鳴らしながら、これをマレットや指で叩いてアンサンブルをリードする。

 そうすると石川さんの声が浮上する。一応増幅もしていて、距離が近いせいもあるか、エアジンの時よりも生々しい。ピアノと打楽器がメロディから離れて跳びまわるのに歌詞なしで即興で歌うときも声が埋もれない。石川さんもミミタボとは別の、このユニットで歌うときのコツを探りあててきているようだ。3人とも別々の形で何度も共演しているようだが、いざ、この組合せでやるとなると、他にはないここだけの化学反応が起きるのにあらためて対処する必要があるのだろう。それもライヴを重ねる中でやるしかない。リハーサルだけではどこか脱けてしまうのではないか。

 ここのピアノは小型でやや特殊なタイプで、弾くのが難しく、出せない音もあるそうだが、この日の shezoo さんは活き活きしている。弾くのが愉しくてしかたがない様子だ。後で聞いたら、弾いているうちにだんだん調子がよくなり、終った時がベストだったそうな。ミュージシャンというのはそういうものではある。

 2曲目の〈瞬間撮影〉でいきなりピアノとパーカッションがジャムを始め、ずっと続いて、そのまま押しきる。続く〈残月〉でもパーカッションと対話する。不思議なのは、歌っていなくても、シンガーがいるのが「見える」。対話というよりも、音のないシンガーも参加した会話に聞える。その後のパーカッションのソロがすばらしい。

 とはいえ前半のハイライトは何といってもクローザーの《神々の骨》からの〈Dies Irae〉。もともとは全ての旋律楽器がユニゾンでシンプルきわまる短いメロディをくり返す曲なのだが、今回はまずシンギング・ボウルからガスボンベ・ドラムの小さい音でビートを刻んでゆく。ほとんどホラー・ソングだ。ピアノがメロディを弾く一方で、なんと歌が入る。歌というより、何かの朗読をつぶやく。トリニテだと、パーカッション以外の3人がミニマルなメロディをくり返してゆく一方で、パーカッションが奔放にはね回るというスタイルだったが、これはまたまったく新たな位相。

 後半でもまず冒頭の〈枯野〉がすばらしい。透明な庭のための shezoo さんの曲で古事記に出てくる「からの」と呼ばれる舟の話。石川さんがその物語を語り、永井さんと shezoo さんは勝手にやっている。3人がそれぞれに異なる時間軸でやっている。それでいてちゃんとひとつの曲に聞える。

 shezoo さんによれば、これはポリリズムとポリトーナリティを同時にやる「ポリトナリズム」になる。

 この後は多少の波はあるが、レベルの高い演奏が続いて、舞いあがりっぱなし。〈Sky Mirror〉ではピアノとパーカッションの即興が地上に写っている夜空の転変を伝え、〈ひとり林に〉では、ミニマルで少ない音を散らすピアノに吸いこまれる。その次の〈ふりかえって鳥〉がもう一つのピーク。木製のスリット・ドラムと足首の鈴で、アフリカンともラテンとも聞えるビートを刻むのに、スキャットとピアノがメロディをそれぞれに奏でてからみあう。もう、たまりません。行川さをりさんの詞に shezoo さんが曲をつけた月蝕を歌った〈月窓〉では歌が冴えわたり、そして留めに〈Moons〉。ここのピアノはどうも特定の音がよく響くのか、それとも shezoo さんがそう弾いているのか。イントロでスキャットでメロディを奏でた後のピアノ・ソロに悶絶。そしてヴォーカルが粘りに粘る。この曲はどうしてこう名演ばかり生むのであろうか。

 そしてアンコールにドイツのキャロル〈飼葉桶のイエス〉。ここでのパーカッションのソロがまた沁みる。

 このトリオは来年アルバム録音を予定しているそうで、来年のベスト1は決まった(笑)。いや、冗談ではなく、楽しみだ。

 外に出てみれば氷雨。しかし、このもらったエネルギーがあればへっちゃらだ。さて、ドストエフスキーを読まねばならない。本は家の中のどこかにあるはずだ。(ゆ)

shinono-me
石川真奈美: vocal
永井朋生: percussion
shezoo: piano

 次のショウは 1991-03-24, Knickerbocker Arena, Albany, NY で、今回2回リリースされているので、14日リリースの〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉と21日リリースの〈Looks Like Rain> He's Gone〉を一緒に聴きます。この4曲は第二部冒頭からこの順番での続きで、この後は Drums。なお、〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉は2017年の《30 Days Of Dead》でリリース済です。《30 Days Of Dead》は未発表ライヴ音源を謳ってますが、回を重ねて重複も増えてきました。

 またオープナーのメドレー〈Help On The Way> Slipknot!> Franklin's Tower〉が2016年の《30 Days Of Dead》でリリースされています。

 ああ、そうそう、デッドの世界ではショウの年月日は 03-24-91 または March 24, 1991 と表記するのが習慣です。アメリカの習慣ですね。UK はじめアメリカ以外の英語圏なら 24-03-91 と書くところでしょう。いずれにしてもリストにしてソートする時に不便なので、あたしは1991-03-24 と書いています。

 ショウはセント・パトリック・ディの03月17日にメリーランド州ランドーヴァーで始まった春のツアー二つ目の寄港地ニューヨーク州オルバニーでの三連荘の中日。開演午後7時半。料金は22.50ドルから。次はロングアイランドでまた三連荘してノース・カロライナ、ジョージア、フロリダと回ります。

 ヴェニューは1990年代、毎年前半に回ったところです。1990-03-24に初めて出て、1995-06-25まで13回、ここで演奏しています。1990年01月30日にオープンした屋内多目的アリーナで、コンサートでは定員15,400弱。満杯に詰めると17,500入。カレッジ・スポーツとプロレスによく使われています。柿落しはフランク・シナトラで、コンサート会場として人気があり、デッドの他、ローリング・ストーンズ、U2、ブルース・スプリングスティーン、ポール・マッカトニー、ガース・ブルックス、ジャスティン・ティンバーレイクなどなど。現在は Times Union Center という名称。

 〈China Cat Sunflower〉後半のジャムがまずすばらしい。ウェルニクがガルシアをうまくサポートしています。最後にビートが速くなるのもカッコいい。〈I Know You Rider〉に入ってもガルシアがギターを弾きやめません。歌も歌の後のジャムもいい。好演ヴァージョンと思います。一度曲は終り。
 〈Looks Like Rain〉はバーロゥ&ウィア・コンビのベストの1曲。あたしはちょっとジャクソン・ブラウンに通じるところを感じます。西海岸の歌。この曲ではウィアのヴォーカルの裏で弾いてるガルシアのギターがいつも聞き物。ここでもウェルニクのサポートがいい。このショウにはブルース・ホーンスビィはいませんが、立派にアンサンブルの一角を支えてます。コーダに向けてのウィアのアドリブ的な歌唱がハマってます。ここは空回りすることも時にありますが、この日はいい。
 曲は一度終りますが間髪を入れず、ガルシアが〈He's Gone〉のリフを始めます。かなりゆったりしたテンポ。ガルシアの歌唱はハリがあります。"Nothing gonna bring him back" のリピートのところで、ウェルニクが遠くで叫ぶのが面白い。そこから移るインストルメンタルのジャムも面白い。ウェルニクのソロ。ジャズですなあ。ウィアのギターの応答が粋。その後、おそらくガルシアはステージを去り、ドラムスが前面に出ますが、Drums に移行する前のジャムもまだまだいい。ウェルニクも引っこんで、残る4人でしばらく演るのは珍しいかも。

 続く Drums ではハートの叩く大太鼓の低音が SBD でも割れています。こういう音は生で聴かないとわからないでしょう。おそらく耳だけでなく、カラダに響いてくるはず。

 Space ではガルシアが MIDI でトランペットやフルートやの音を出すのが面白い。サウンドを変えるとまたインスピレーションが湧くらしい。

 第二部後半もスイッチは切れず、とりわけクローザーの〈Standing On The Moon〉から〈Good Lovin'〉のメドレー。〈Standing On The Moon〉ではガルシアの歌唱もギターもエモーショナル。こういう感情たっぷりで感傷すれすれの演奏は90年代に入ってからのように思われます。それがやがて〈So Many Roads〉で極まりますが、ここではまだそこまではいかない。あたしはむしろ感情控えめの方が好きではあります。

 〈Good Lovin'〉は、少し遅めのテンポでたっぷりしたタメをとって、前の曲とは一転して、いかにも楽しげ。ここもウィアのアドリブ歌唱がいい。この日のウィアのアドリブは冴えてます。(ゆ)

 前回アウラを聴いたのはここ同じ会場で3年前のクリスマス・コンサートだった。3年ぶりに聴く彼女たちのハーモニーはやはりすばらしい。コーラスで歌うことが愉しくてたまらないのが手にとるようにわかるので、見て聴いてこちらも愉しくなるのはいつもの通り。そこに巧まざるユーモアが滲みでるのもこのグループならではだろう。

 3年のご無沙汰の間に大きな変化が起きていた。池田有希氏が卒業して、クインテットからカルテットになった。同じ卒業でも、アイドル・グループのものとは次元が異なる。50人近くいる中で1人抜けても、全体の姿形には響かない。5人から1人抜けるのは、量にして2割減。音にしては数字では測れない。単に音量が減るとかいう話ではない。アレンジもすべてゼロからやりなおしになる。

 1人抜けることになった時点で、あえて後を補充せず、減ったままのカルテットでやると決めるのは並大抵のことではなかっただろう。アウラもすでに10年選手。ここで新たなメンバーを加えるのは、入る人、迎える人たち双方にとってハードルは高い。おそらくはそれ以前に、適切な人が見つからなかったのかもしれない。ソロでも十分やっていける実力をもち、なおかつ、アカペラ・コーラスでもやろうという積極的な意欲があり、さらに、他のメンバーとも気が合う、という条件を満たす人となると、おいそれとは見つかるまい。あるいはやむをえぬ選択だったのかもしれない。

 とはいえ、その結果は、雨降って地固まる、災い転じて福となる。カルテットのアウラはまことに新鮮だった。クラシックの世界ではクインテットは珍しくないのかもしれないが、あたしは他では五人組のアカペラ・コーラス・グループは聴いたことがない。だからだろうか、アウラのハーモニーはどこか不安定、というと言過ぎだろうが、どっしり安定しきったわけではないところを感じていて、そこが魅力の一つでもあった。聴いていると、4+1になったり3+2になったり、1対4、2対3になったりして、しかもその変化が規則的ではなく、千変万化していた。つまり五声であることでどこかが均衡が破れる。それが面白かったのだ。

 四声は安定する。それが最も明瞭にわかるのはコーダ、歌が終る最後の終止音のところ。そしてそこのハーモニーにアウラがクラシックとして歌っていることもまた最も明瞭に出る。先日のカルデミンミットのハーモニーとの違いがまざまざと現れる。たまたま二つの、女声4人の形は同じながら、まったく性格の異なるハーモニーをたて続けに聴くことができて、いろいろ発見があり、これまたたいへん面白かった。

 五声が安定しないことが魅力であったことはたぶん自覚されていたのだろう。四声の安定を、破るのではなく、一部をはずして傾むける試みも随所にされていたと聞えた。一番はっきりしていたのは歌詞を歌わず、スキャットを多用すること。1人ないし2人が歌詞を歌い、他のメンバーが声だけでハーモニーをつけたり、あるいは全員が声だけで「演奏」することもある。これはおそらく、全体の音量減をカヴァーして、瘠せて聞えるのを防ぐ効果も狙ってのことではないかとも思われる。そして、うまく一石で二鳥をとらえていたと思う。あたしの耳には、ドローンのように一つの音を長くひっぱるのがことによい効果を上げていた。

 〈芭蕉布〉では、沖縄の歌ということもあってか、発声法もクラシック標準のものからは変えていたように聞えたけれど、これはあたしの耳のせいかもしれない。

 1人減ったことの影響は必ずしも悪いものだけではない。良い効果とあたしには思えたのは、一人ひとりの声がよりはっきり聞えるようになったことだ。星野氏の低音がより大きくはっきり響いてきたのは、とりわけ嬉しかった。リードをとる場面も増えている。他のメンバーのソプラノと彼女の低音の対比もまたアウラの魅力の一つなので、ここがより増幅されたのは大きいと思える。こうなると、奈加靖子さんが歌詞を書いた〈ダニー・ボーイ〉の日本語版を、あの低いキーのままアウラが歌うのを聴いてみたくなる。

 カルデミンミットとの対比で面白いと感じられたことの一つは、さっきも言ったが、とりわけコーダのハーモニーに現れていた。カルデミンミットのハーモニーは倍音をより大きく響かせて解放しようとする。歌う方も聴く方も倍音に溺れようとする。アウラの、ということはクラシックのやり方は倍音が響くのにまかせず、響きをコントロールしようとする。ある点にむかって収斂しようとする。一点に向かうのはクラシックをクラシックたらしめる特性で、ここもその基本特性にしたがっている。倍音に溺れこまずに醒めようとする。音楽には演る方も聴く方も呑みこもうとする習性があって、そこにあらがおうとするところに西欧クラシックの面白みがあることが、このコーダを聴いていると浮上してきた。

 アレンジをまったくやりなおし、それを完全にモノにするのは、さぞかし大変だったろうなあ、とあらためて思う。一人ひとりの負担も当然増える。バッハやヴィヴァルディなど「新曲」もあったけれど、ほとんどはお馴染のレパートリィ。それを1人減ったと感じさせず、むしろより大きなスケールで歌われたのには感服する。どれも良かったけれど、個人的にはアンコールの〈アニー・ローリー〉日本語版がハイライト。つくづくこれは歌詞が良い。

 次はやはりこのカルテットでの新譜を期待してしまう。それも「新曲」で固めたもの。1曲ぐらいはアレンジ違いのセルフ・カヴァーがあってもいい。

 それにしても人間の声はええのう、とこれまたあらためて染々思い知らされたことでありました。(ゆ)

アウラ
畠山真央
菊地薫音
奥脇泉
星野典子

 生誕110周年死去30周年のジョン・ケージ・メモリアル・イヤーの今年、Winds Cafe は何らかの形でジョン・ケージにつながりのあるイベントを組んできた。11月はついに主宰者・川村龍俊氏自らの登場。それも MOZART MIX という、あたしなぞにはまったくの謎のブツをひっさげての登場である。予告を見て、いったいこりゃなんじゃいなと検索しても、写真などは出てくるものの、それがいったいどういう代物なのかはさっぱりわからない。そうなるとますます知りたくなる。現物を見るしかない。このチャンスを逃せば、この先死ぬまで拝顔の栄には浴せまい。もう年で、3日連続で出かけるのはしんどくて避けてきたのだが、このまま知らずに死ねば、絶対に後悔のあまり化けて出ざるをえないだろう。ここは這ってでも見に行かねばならない。

 MOZART MIX とは1991年、死の前年にケージが発表した作品で、限定35セット。お値段は7桁前半。川村さんが買ったのは1997年で、その時点でもまだ売れのこっていた。本朝でこれを買ったのは川村さんの他にもう一人いたことが、この日、これを売った人、井部治氏から明かされた。その人はお金持ちのコレクターというだけで、ジョン・ケージに愛着があったわけではないそうで、現在は音信不通。捨てられていなければ、もう1セットがこの列島のどこかにあるわけで、いつか、何らかの形で浮上することがあれば、ちょと面白い。

 この作品は「サウンド・マルチプル」と呼ばれるジャンルまたは形態に属する。音で構成された「マルチプル」。「マルチプル」とは現代美術、芸術の分野で生まれた形態で、たとえば一つのボックスに複数の作品、版画とか写真とかを収め、セットとして提示、販売する。ドイツの現代美術専門のスタジオ兼販売店が1970年代に始めたものだそうだ。

 音を素材として使った「サウンド・マルチプル」としては、自動的に偶然に弦が弾かれる仕掛けをほどこしたアコースティック・ギターを函に収めたもの、なんてのがあった。これなどは作品として一度だけ一定期間展示されて終り、後に残るのは写真のみという。チップを備えて、ランダムに光と音が発するのはちょと面白そうにもみえる。結果としてあらわれるものだけでなく、その光と音を発生させる仕組みそのものが面白そうでもある。

 で、このブツである。実物はかなり大きい。縦横1メートルほどの正方形、厚さ15センチほどだろうか。がっちりした木製のケース。このケースがまず贅沢そうだ。いかにも美術品あるいはハイエンドのオーディオ装置などの超精密機械を収めるためのもの。重量も相当にあり、おそらくは素材も選びぬいた特注品であろう。これがさらにでかい木枠に入るという形で屆けられたそうで、送料だけでもウン万円はかかっていそうだ。なお、上のケースの裏にはケージのサインとこれが35セット中の何番かの番号が書かれている。筆記具は鉛筆に見えた。

 入っているのはカセット・プレーヤーが5台とカセット・テープが25本。カセット・プレーヤーはパナソニック製のモノーラル・スピーカー付きの録再機。三味線や謡などを習う人たちは今でもデフォルトで使っているアレである。録音もできるのだが、入っているものにはボタンの上に金属の板が貼られて、再生とストップ以外のボタンは押せないようになっている。電池駆動だが、コンセントから電源もとれる。ただし、同梱されているケーブルはドイツ仕様なので、そのままでは本朝では使えない。

 テープはエンドレス・テープで、3分ほどの音楽が録音されている。25本のカセットには番号などの識別記号は一切なく、どのテープにどんな音楽が入っているか示すものは何もない。25本はどれも皆同じ外見。

 録音されているのはすべてモーツァルトの楽曲。オペラ、シンフォニーからソロ・ピアノまで、各種一応揃っているらしい。3分ほどなので、全曲入っているものはない。すべて断片。モーツァルト・ファンならば、ああ、あの曲と聴けばわかるのだろう。あたしなどは〈アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク〉だけはわかった。演奏のクレジットなども一切無いが、まっとうな演奏だそうだ。

 立派なケースとは裏腹とど素人には見えるが、中身はつまり超精密機器でもハイエンドな装置やソフトウェアでもない。こんなにまでしてカネをかけたケースに入れる必要もないだろうと思えてしまう。

 もちろんこのハードウェアが「作品」なわけではない。「作品」はあくまでもアイデアとそこから生まれる「音楽」になるので、ハードウェアはそれを実現するための専用の手段になる。その気になれば、自分なりのハードウェア環境とソフトウェア、つまりカセット・テープに収めた音楽の断片を用意して再現することも可能だ。

 この場合、ケージの意図としては、カセット・テープに収めたモーツァルトの音楽の断片のセレクションそのものにそう大きな意味があったとは思えない。それはモーツァルトの音楽の録音という枠内で、適当にランダムで、多様性が確保されていればよいはずだ。その断片を5台のプレーヤーでさらにランダムに再生した場合の「音」の偶然性が鍵になる。

 したがって、カセット・テープに収められた内容そのものは、セットによって異なり、それを「再生」した場合の効果も異なる可能性もある。本朝のどこかにあるもう1セットの浮上をそこはかとなく期待するのはこのことの確認のためだ。あるいは、35セットを一堂に集めての「演奏」というのも一度はやってみる価値はあるかもしれない。

 ケージの作品としては当然とも思えるが、マニュアル、使用法の類は一切無い。同梱されていた書類はカセット・プレーヤーのマニュアルと保証書のみ。これをどう使うかはすべて買った人、あるいは使う人(たち)にまかされる。極端な話、カセット・プレーヤーやテープを投げつけあってもかまわないわけだ。

 しかしまあ普通はプレーヤーでカセット・テープを再生することになるだろう。どの順番で、どういう形で再生するかが、どうぞご自由にになる。

 イベントの前半はこれを売った井部治氏が、そもそもこれは何か、「マルチプル」とは何か、どうやって見つけ、売ったかをスライドをまじえて講演。あとで確認したら、井部氏から川村さんに買いませんか、と誘いがあり、川村さんは二つ返事で、かどうかは訊きそびれたが、とにかく買った。さすがに4年の月賦だったそうだ。面白いのは完済したところでブツが引き渡されたそうな。月賦でモノを買うと、初回の払込と同時ぐらいにモノは引き渡されるののが普通であろうが、この場合にはなにか深い事情があったものと思われる。もう一人買った方ももっと短かくはあったがやはり月賦で、引き渡しはやはり完済後だったので、でかい木枠に入ったブツが二つ、井部氏の狭い店を長い間占拠していたという。

 一方で川村さんは買ったものの開けることはなく、この立派なケースは部屋の隅に置かれたままだった、と夫人にうかがった。今回のご開帳は買われてから四半世紀経ってのものということになる。次がいつになるかは不明である。

 イベントの後半は開いたケースの中に収めたままのプレーヤーで25本のカセットが再生された。そのやり方はいろいろ考えられるが、今回は川村さんがひとりで、いわば独奏する形である。たあだ、その場ででたらめにやるのも面白くない。そこに何らかの筋を通して、それにしたがって再生することをおそらくケージも期待していただろう。

 この作品を発表した晩年、ケージは易に入れこんでいた。それも日常生活にまで導入し、たとえばその日何を食べるかを易で決めるということまでしていたそうな。そこで、今回も再生の順番を易で決めることにした。

 易の64卦のどれかを出すのに一番簡単なのはコインである。コインの表を陽、裏を陰として、たとえば3回はじくか、3枚一度にはじくかで陰陽の組合せを作る。たとえば陽3つなら「乾=天」、陰3つなら「坤=地」で、その間に6つの卦ができる。これを上下に組合せて上も下も「乾」なら「乾為天」、両方とも「坤」なら「坤為地」になって、この間に62の卦ができる。

 いちいちこれをやるのは時間がかかる。ケージの晩年の助手の一人がプログラミングに詳しく、瞬時に卦をランダムに出してくれるアプリを作り、ケージはこれを使っていた。同じ人が今はブラウザ上で同じことをできるようにしてくれている。しかも、変数をいろいろ変えたりもできるよう性能もよくなっている。川村さんはこれを利用して、25本のカセット・テープを5台のプレーヤーでランダムに重複なしに一度だけ再生し、全体で35分で終るようなタイム・テーブルを作った。テープはケースにならべた順番に再生し、それぞれのプレーヤーで何秒間再生するかが決まっているわけだ。

 ケースにテープを並べるところだけは今日の参加者から有志を募ったが、誰も手を挙げないのを見定めてから井部氏が買って出た。井部氏にしてもどのカセットに何が入っているかはわかりようもない。ただ、川村さんではない人間の手が加わるところがポイントである。

 そしてよーい、どんで1本目のカセットをプレーヤー1に入れてボタンを押した。これも川村さんが用意した、当時よく使われていた電子ストップ・ウォッチとタイマーとその他いろいろ機能のついたもので秒単位でタイミングを測る。これと同じようなものを、その昔、星川京児さんがいつも首からかけていた。音楽の録音を仕事とするプロデューサーには手離せないものであったらしい。

 プリント・アウトしたタイム・テーブルを見ながら、川村さんはカセット・テープをプレーヤーに入れてはボタンを押し、また押して止めてはテープを出して交換する。単純に見えるが、タイム・テーブルを決めたプログラムは人間の都合など考慮に入れていないから、時にはすぱぱぱぱと手練の早業で入れかえねばならないこともある。川村さんは大汗をかいている。

 そうして聞えてくるものが、この「作品」の実際ということになる。再生音は事前に調整して、音が割れない最大音量にしてある。様々な音楽の断片があるいは単独で、あるいは二つ三つと重なり、さらには全部が同時に聞えてくる。時にはサイレント・テープがあたったか、無音にもなる。1本、走行に問題のあるテープもあって、最後の数分も無音になった。このカセットの再生音にプレーヤーの操作音が加わる。なにせ、原始的ともいえるプレーヤーで、カセットを入れる時も出す時も盛大な音をたてる。この音もまたケージの意図ないし構想の中には入っていたはずだ。

 これを今の最先端の機器を使ってやることもむろん可能ではあるだろうが、どうもそれで面白くなるとも思えない。カセット・テープとプレーヤーはこの「システム」を可能にした初めてのテクノロジーだ。そこでケージがこれを思いついたところがキモである。

 ケージはとにかく音楽に偶然を持ちこもうとした、とあたしには見える。少なくともこの MOZART MIX のめざすところはそこにある。モーツァルトの音楽という枠を設定することで、偶然を際立たせる。これが、クラシック全体とかに広げてしまっては、やはり無意味になる。別にモーツァルトでなくてもよかっただろう。ビートルズでもできたと思われる。ただ、多様性の点ではオーケストラから独奏まで備わるモーツァルトの方が幅は広い。

 そして偶然を持ちこむことによって生まれる、聞えてくる音楽を愉しむ。というのはちょとずれる。再生音の質はここでは問うてはいない。このプレーヤーの音質は音楽そのものを鑑賞するには届かない。そこではなく、音楽に偶然を持ちこむことそのものを愉しんでみよう、愉しめるようにしようとした。だから、この「作品」をどういう順番で、どういう形で再生するかを考えることがまず愉しみの第一になる。

 アンコールも用意されていた。ネット上では、この「作品」では5台のプレーヤーが全部常に鳴っている状態にするのが本筋だという議論があるそうだ。そこで川村さんは25本のテープ全部を重複せずに一度ずつ再生し、5台全部が常に鳴っている状態が4分33秒続くタイム・テーブルを、上記と同じ方法で組んでみた。テープの順番はまた別の人間が並べた。

 本番とアンコールでは、鳴っている「音楽」そのものの印象は案外似ている、とあたしには聞えた。ランダムに再生される音楽、それも複数の再生機で再生される音楽は音の塊、クラスターとなって、しかもその結果は平均化されるのではないか。

 むしろここでは、このコンセプト、「25本のテープ全部を重複せずに一度ずつ再生し、5台全部が常に鳴っている状態が4分33秒続く」というアイデアそのものが面白い。このアイデアの元になったケージのおそらく最も有名な「作品」〈4分33秒〉も、実際の演奏そのものよりは、そのアイデアが面白い。

 だから、たぶん同じことをもっと音質の良い装置を使ってやることには、あまり意味は無いだろう。これはこのケースの中でやってこそ面白い。

 そして、再びご開帳があるとして、その時も川村さんが「演奏」するのでは、おそらくあまり面白くない。まったく別の人間が、まったく別のアイデア、「演奏」の仕組みそのものから考えたアイデアをもちこんで初めて面白くなりだす。終演後の雑談でも出ていたように、これは本来は個人所有というよりは、美術館なりの公共施設が保有して、様々な人びとがいじれる、利用できるようにすることで実力を発揮する性格のものにみえる。これにはこんな使い方、「演奏」法があったのか、とみんながびっくりするようなものが出てくるのが理想だ。ケージの意図も究極的にはそこにあったのではないか。

 音楽は必然と偶然の相互作用の産物である。クラシックのように、楽譜通りに演奏することが理想とされていて、どんなに「完璧」にその通りに演奏されたとしても、それを次もまったく同じに再現することは求められない。毎回同じ曲をまったく同じように演奏しようとしても、そうはならないところに音楽の面白さがある。反対に、毎回違うように演奏しようとしても、期待以上に似たことのくりかえしになってしまうのも音楽だ。この二つでは文句なく前者の方が面白くなる。人間としては必然をめざし、偶然の生成は天にまかせる方が結果は面白くなる。

 ケージは必然をめざすその前の段階で偶然の要素を可能なかぎり人為的に導入することをめざした、とあたしには見える。偶然そのものは人智のおよぶところではないにしても、どこでどのように偶然を呼びこむかはわが手に握ろうとした。易に入れこんだのは、それこそ必然的に思える。易は本来、人智の及ばぬ偶然のはたらきをなんとか感知しようとする試みではないか。

 かくて、MOZART MIX を目のあたりにし、そのご開帳に立ちあえて、本当によかった。これで死ぬときは、少なくともこれに関しては納得して死んでいける。ありがたや、ありがたや。(ゆ)


2022-12-14追記
 当日のレクチャー原稿に基く井部治氏によるまとめ、写真、川村さんが「演奏」に使ったリストなどが、Winds Cafe のページにリンクされている。「マルチプル」や「サウンドマルチプル」について、より詳しく、正確な事情がわかる。

 それにしても、あの日の体験はどこか異様で、感動したわけでもないのに、なぜか面白かったという感覚が時間が経つほどに少しずつ強くなっている。Winds Cafe の上記ページにある肖像画にもあるように、ジョン・ケージのユーモアのセンスがたまらない。
 

 8日リリースの〈New Speedway Boogie〉。ショウは 1992-06-12, Knickerbocker Arena, Albany, NY。この次に新しいのは前年03-24の同じヴェニューのショウからで、この辺りは意図的ではないかとも思えます。

 ショウはこのヴェニュー2日連続の2日目。06月06日からの夏のツアー後半で、このツアーでは各ヴェニュー2日ずつのランです。

 曲は第一部クローザー前。この後は〈The Promised Land〉でしめくくり、第二部は〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain〉からスタート。

 〈New Speedway Boogie〉はオルタモントの悲劇を歌った曲として知られますが、デッドのレパートリィとしてちょっと珍しい経歴をたどります。1969-12-20、フィルモア・オーディトリアムでの初演の後、翌年09-20のフィルモア・イーストまで25回演奏して一度レパートリィから落ちます。20年後の1991-02-19、オークランド・オルメイダ・カウンティ・コリシアム・アリーナ、この年最初のショウで復活。以後、回数は少ないながら、1995-07-02まで演奏されました。演奏回数は55回。スタジオ盤は《Workingman's Dead》収録。

 なお、フィルモア・オーディトリアムはフィルモア・ウェストの前にビル・グレアムがやっていたヴェニューです。もっともウェストを開いた後もしばらく平行してオーディトリアムも経営しており、デッドは両方に出ています。

 〈New Speedway Boogie〉のすぐ前にウィアが熱唱している〈Black-Throated Wind〉も似た経歴をたどります。1972-03-05 にウィンターランドでデビューし、1974年10月の大休止前まで100回以上演奏されますが、1976年の復帰後は演奏されず、復活するのは1990-03-16。1995-06-28まで、計160回演奏。復帰後はコーダがひき伸ばされます。

 ガルシアはこの夏のツアーが終った直後に倒れますが、この日は冒頭から好調で、〈New Speedway Boogie〉でもヴォーカルも力強く、いいギターを弾いています。コーダのコーラスのくり返しが粋。ここはそのまま途切れずに〈The Promised Land〉。冒頭から場内大合唱。ウェルニクもかなり良いピアノ・ソロをツー・コーラス聴かせます。

 1992年のショウは秋のツアーがキャンセルされて55本。それでも120万枚のチケットを売り、コンサート収入はU2に次ぐ2位でした。レパートリィは134曲。新曲は4曲。ハンター&ガルシアの〈So Many Roads〉。ハンター&レシュの2度目のコラボレーションから生まれた〈Wave to the Wind〉。ハンターの詞にウィアとハートが曲をつけた〈Corrina〉。そしてハンターの詞にウェルニクがボブ・ブララヴと曲をつけた〈Way to Go Home〉。この中では〈So Many Roads〉が、ガルシア晩年の絶唱を生んでいきます。(ゆ)

 5年ぶりの来日とのことで、前回2017年の来日は見逃していた。あたしが見たのはその前年の初来日で、神谷町の寺の本堂でのライヴだった。この時は個々の楽曲はすばらしいのだが、全体としてはどうも単調で、あまり楽しめなかった記憶がある。

 今回はその時の印象とは見違えるばかりで、楽曲、編曲、演奏、構成、四拍子そろったすばらしいコンサート。人の声とそのハーモニーの多彩な響きを堪能させていただいた。こうなるとヴァルティナと肩を並べる、しかも対照的な音楽を聴かせてくれる。見ようによってはこちらの方が一層洗練されている。ヴァルティナはむしろ野生が華麗なテクノロジーの衣をまとっている。

 中央、椅子の前に大型38弦のカンテレが置かれ、その他に肩から吊るして体の前でギターのように弾く15弦のカンテレを各々が持つ。少ないときはどれか一つ、多い時は大型と小型3台。大型の楽器の前には4人のメンバーが交替で座る。ここに座った者が一応リード・ヴォーカルもとるようだ。

 小型の方はもっぱらリズム・ギターの役割。大型はメロディに加えてベースの役割が大きい。この低音は倍音たっぷりで、しかも芯が通って、軽いのに浸透力がある。ホールいっぱいに拡がってゆくのがなんとも快い。

 前半は劇的な構成で、とりわけ、4曲目『千と千尋の神隠し』のテーマ・ソングを日本語とフィンランド語で歌ったのがまずハイライト。先日の「ノルディック・ウーマン」と同じく、ただ日本産の歌をサービスしてますではない。まず完全に自分たちの音楽として消化したうえで演奏している。正直、歌詞など、こちらの方がすなおに入ってくるし、楽曲の良さもあらためて染みてくる。

 続くマイヤがリードをとる曲では、ヴァルティナを想わせる呪術的な響きが現れてぞくぞくする。あたしなどはこの響きに最もフィンランド的なものを感じてしまう。その次はベース・ワークがすばらしく、コーラスも重心が低くしてなお美しい。そしてその次7曲目。ユッタが大型の前に座り、まずハーモニクスのイントロからモダンな展開をした後のコーラスが、これまで聴いたこともないほど荘厳で可憐でしかも尖っている。歌詞のないコーラスでの即興に身がよじられる。底にビートが流れていて、時に表に現れる。声の重なりが倍音を生み、それがまた全体を増幅する。

 続くのはフィンランドとは親戚のハンガリーの伝統歌をフィンランド語に置きかえた歌。ロメオとジュリエットのストーリーをもつ歌だそうで、メロディは確かにハンガリーに聞えるけれど、これまた自家薬籠中のものにしている。

 プログラムには無いアカペラの曲で前半を締めくくる。

 ここまでで、もう十分来た甲斐はあったし、パンデミックの前からしても、指折りのライヴと思う。

 後半は前半ほどドラマチックではないのだが、どれもこれも前半で上がったままの高い水準の曲と演奏が続く。熊の歌のようなユーモラスなところも顔を出す。小型のカンテレの方がチューニングに手間がかかるらしく、その間をやはりメンバーが交替に MC をする。クリスマスは何が楽しみか。ユッタが音楽ソフト用の新しいプラグインをおねだりしたというのが印象に残る。この人がリードをとる曲はよりモダンで尖った感覚がある。ラストは無印良品のCDにも入れた伝統曲。生で聴くとまた格別。そしてアンコールは〈聖夜〉「きよしこの夜」のフィンランド語版。カンテレの響きが一段と映え、最後の余韻が消えてゆくのに背筋に戦慄が走る。こういう終り方をされると、もうこの後は何があっても余計になる。

 ここは西国分寺駅前にある、定員400人程のホール。客席の傾斜が急で天井が高い。カンテレや声のハーモニーを美しく聴かせてくれる。外に出ると着込んでいても寒気に身がひきしまるけれど、こういう音楽にはやはりこの寒さがふさわしい。(ゆ)

 28日リリースの〈Feel Like A Stranger; Stagger Lee〉。1993-03-10, Rosemont Horizon Arena, Rosemont, IL のオープナーです。

 春のツアー2日目。初日はエンジンがかからなかったようですが、この日はうって変わって最高のショウになった、とファンは口を揃えます。

 1993年のショウは計81本。180万枚のチケットを売り、4,650万ドルを稼いで、この年のコンサート収入の全米トップになりました。新譜もなく、ラジオでかかることもまずなく、チケット1枚あたりの金額は同クラスの他のアクトの3分の1、4分の1で1位になっています。

 一方でこれはデッドが巨大なビジネスになっていたことも意味し、それがバンドの行動を縛る結果にもなりました。この頃、ガルシアが1974年の時のようなツアー休止を全社会議に提案した時、マイナス面が大きすぎるとして、却下されています。

 この時期のデッドのショウでは、大物のアーティストが前座を勤めることがありますが、この年には1月にサンタナ、5月、6月にはスティング、8月にはインディゴ・ガールズが出ています。

 ガルシアとともにステージ裏にいた当時上院外交小委員会委員長だった民主党上院議員パトリック・レーヒィのところにホワイトハウスから電話が入ったのは、6月のワシントン、D.C.は RFKスタジアムでのショウの前座にスティングが出ていたときでしょう。レーヒィ議員は有名なデッドヘッドで、議員としてのオフィスにもテープのコレクションを置いていたそうです。

 この年のレパートリィは143曲。そのうち「新曲」としてロビー・ロバートソンの〈Broken Arrow〉、ビートルズの〈Lucy in the Sky with Diamonds〉、Bobby Fuller Four の〈I Fought the Law〉のカヴァーとハンター&ガルシアの3曲に加えて、ボブ・ウィアがロブ・ワッサーマンとウィリー・ディクソンと作った〈Eternity〉と、ボブ・ブララヴ、ワッサーマン、ヴィンス・ウェルニクとの共作〈Easy Answers〉があります。

 この2曲はワッサーマンのアルバム《Trio》の企画から生まれたもので、後者はニール・ヤングとウィアとワッサーマンのトラックのためでした。これはライヴで演奏されるうちにかなり形が変わり、またウィアはデッド以外でも後々にいたるまで演奏しつづけます。ただ、あたしにはデッドでの演奏はついに満足なレヴェルには届かなかったと聞えます。

 対照的に〈Eternity〉はこの年ガルシアがハンターと作った3曲とともに、デッド末期を飾る佳曲でしょう。

 《30 Days Of Dead》にもどって、これはすばらしいオープニング。ガルシアの好調は明らかで、こうなれば鬼に金棒。2曲目の〈Stager Lee〉のヴォーカルも声に力があり、茶目っ気がこぼれます。この後の〈Ramble on Rose〉も同じ系統で、こういう歌をうたわせたら、ガルシアの右に出る者はいません。ガルシアより歌の巧い人はいくらでもいますが、このユーモアの味、どこかとぼけた、しかし芯はちゃんと通っている歌唱ができる人はまず見当らない。あからさまなユーモア・ソング、お笑いのウケ狙いではなく、でも時には思わず吹きだしてしまうようなおかしみをたたえた歌。こういう歌もデッドを聴く愉しみの一つです。
 この第一部はきっちりウィアとガルシアが交替でリードをとり、それぞれの持ち味を十分に出して、対照的です。「双極の原理」はデッドを貫く筋の一本ですが、それがよく回って、カラフルな風光を巡らせてくれます。第一部クローザーの〈Let It Grow〉はこの曲でも指折りの名演。聴いていると拳を握ってしまいます。(ゆ)

 3本目は11日リリースの〈The Music Never Stopped〉。ショウは 1993-03-11, Rosemont Horizon Arena, Rosemont, IL。8:49。第一部クローザーです。

 この年は1月末と2月下旬にそれぞれオークランドで三連荘をした後、3月9日から春のツアーに入り、その最初の三連荘がこのヴェニュー。今回の《30 Days Of Dead》ではこの日とその前日からリリースされました。この後はオハイオ、メリーランド、ジョージア、ノース・カロライナ、そしてニューヨークのアップステートとロング・アイランドと回り、4月5日に打上げます。

 前年の7月初旬、ガルシアは再び人事不省となり、そのため夏と秋のツアーはキャンセルされます。ガルシアは1986年に糖尿病で昏睡に陥り、文字通り九死に一生を得て恢復しています。その年の年末には復帰し、そこから1990年夏までのデッド第3の黄金期を現出することができました。今回も12月2日にはデンヴァーで復帰していますが、前回ほどの恢復はかないませんでした。結局のところ命取りとなった血管の詰まりが進行していたのでしょう。

 それでも節制に努めるきっかけにはなり、この1993年前半は全体として好調を維持します。ここでもギター・ソロの前半は MIDI を使ってフルートの音で軽やかな演奏を展開し、後半はギター本来の音でシャープなフレーズをくり出します。

 ガルシアの調子の良いことは後半の〈Space〉でよくわかります。この前半では Ken Nordine がゲストで出演し、即興のラップを披露します。その背後での演奏からガルシアとウィアがしばし二人だけでやるフリーの演奏が面白い。そこからガルシアが引張って〈The Other One〉へとなだれこむのは快感。2番の歌詞の前にバンド全体が不協和音のジャムに外れるところもあって、この〈The Other One〉は良いヴァージョン。そしてその後の〈Days Between〉がすばらしい。この年2月、たて続けにデビューしたハンター&ガルシアの3曲の1曲で、これが2度目の演奏。結局これがこのコンビの最後の曲になりますが、有終の美を飾る佳曲と思います。

 ほとんど諦観に満ちているとも思える〈Days Between〉からこれまた静かに移った〈Around and Around〉は徐々に熱を加え、余裕と貫禄のロックンロール。ウェルニクのソロも小気味良く、これに刺激されてガルシアのソロも軽やかなステップを踏み、むしろジャズと呼びたくなるような粋でクール演奏を聴かせます。これはいいなあ。

 そしてアンコールはハンター&ガルシアのこの年の新曲3曲の1曲〈Liberty〉。うたうガルシアは茶目っ気たっぷり。これも佳曲で、この後、クローザーやアンコールでよく演奏されるようになるのもむべなるかな。

 思わずショウの残りも聴いちゃいましたけど、いいショウです。とりわけ〈Space 〉以降は、この時期ならではの感じもあります。ガルシアは人より何倍も速く老いていったところがあって、その老いてゆくのに巧く合わせた演奏ができているようでもある、というと言過ぎでしょうか。(ゆ)

 2本めは15日にリリースされた、同じ1994年秋のツアーから3週間前 1994-10-01, Boston Garden, Boston, MA のオープナー〈Help On The Way> Slipknot!> Franklin's Tower〉のメドレー。21:07。

 このショウは第一部ラスト前の〈So Many Roads〉が2013年の《30 Days Of Dead》でリリースされた後、2015年のグレイトフル・デッド結成50周年記念のビッグボックス《30 Trips Around The Sun》の一本として全体がリリースされました。ちなみに《30 Trips Around The Sun》は1966年から1995年までの各年一本ずつショウを選んで30年間のキャリアを展望しようというもので、デッドのアーカイヴ・リリースのビッグボックスとしては2011年の《Europe '72: The Complete Recordings》と並ぶ規模の大きなものです。

 ショウはこれもボストン・ガーデンでの6本連続のランの4本目。この秋のツアーは9月16日、カリフォルニア州マウンテン・ヴューの Shoreline Amphitheatre から始まり、バークレーでの1本をはさんで次がここです。開演7時半。料金は30ドルから。

 ボストン・ガーデンはマジソン・スクエア・ガーデンと同系列の多目的アリーナで、1928年にオープンし、1995年09月に閉鎖、1998年03月に解体されました。かつてはバスケットのセルティクスとアイス・ホッケーのブルーインズの本拠として、史上初めて NBAファイナルとホッケーのスタンレー・カップが同じ年にここで開催されたこともあります。またセルティクスはこのホームで無類の強さを発揮し、全盛期の1980年代半ば、79勝3敗という記録を残しています。

 コンサート会場としての定員は16,000弱。ビートルズは1964年最初のアメリカ・ツアーの際、ここで演奏しました。ジェイムズ・ブラウン、ザ・フー、レッド・ツェッペリン、キッス、ピンク・フロイド、ジェスロ・タルなどメジャーなアクトが出ています。

 デッドは1973年4月に初めてここで演奏し、1994年のこの10月の6本連続まで計24本のショウをしています。この数字は他のミュージック・アクトに比べて断トツに多いそうです。やはりここもお気に入りだったのでしょう。ここからは1974-06-28が《Dick's Picks, Vol. 12》、1991-09-25が《同, Vol. 17》、そしてこのショウと、完全版が3本公式にリリースされています。

 《30 Trips Around The Sun》が出た時、1966年から一本ずつ聴いていってここに来たときには驚きました。1990年代は周知のとおり、ジェリィ・ガルシアがゆっくりと衰えてゆく時期で、1992年や1993年は、水準は軽く越えているとはいえ、その前のピーク時のショウに比べてしまうとどうしても落ちると聞えてしまいます。それが、この最末期、1994年に来てこのボックス・セットの30本のショウの中でも最高の一本と言ってもいい演奏を聴かせてくれたからです。

 この時期、ガルシア以外のバンドは史上最高の演奏をしている、というアーカイヴ・リリースのプロデューサー、デヴィッド・レミューの言葉には、この演奏を聴くと納得できます。問題はガルシアの出来次第。ガルシアの存在がしっかりとそこで聞えれば、そのショウはすばらしいものになった。少なくとも音を聴くかぎりはそう聞えます。

 オープナーの3曲のメドレーはいつもの組曲ですが、はじけぶりがすばらしい。

 なお、1994年は正月にデッドがロックンロールの殿堂入りをはたしました。ただし、そのセレモニーにガルシアだけは出席しませんでした。替わりに本人の等身大の写真を貼って切り抜いたダンボールが持ちこまれました。ショウは計84本。レパートリィは145曲。うち前年には演奏されなかったものが12曲。新曲は3曲。ウェルニックの〈Samba in the Rain〉とレシュの〈If the Shoe Fits〉と〈Childhood's End〉。コンサートの総収入は5位でした。デッドの上にいたのはローリング・ストーンズ、ピンク・フロイド、イーグルス、バーブラ・ストライザンド。なお、デッドのチケット代はこれら他のアクトのものの半分ほどでした。(ゆ)

 毎年恒例、11月一杯かけて公式サイトがグレイトフル・デッドの未発表のライヴ音源を毎日1トラックずつ無料でリリースする《30 Days Of Dead》が今年も無事終りました。今年で12年。来年はあるか、と毎年思いますが、続いてますね。なお、この30本は来年1月末くらいまではダウンロードできます。




 2022 年は

1966-02-06, Northridge Unitarian Church, Los Angeles, CA

から

1994-10-19, Madison Square Garden, New York, NY

までのショウから選ばれています。
 

 合計7時間3646秒は昨年の7時間4408秒に次いで歴代2位。7時間を超えたのは2回目。
 

 昨年以来、1本のショウから複数曲を選ぶ形が増えました。かつては途切れなしに続くものにほぼ限られていたんですが、間が切れているものも選ぶようになりました。今年は03182224252628日がそれです。


 17日、1966-02-06, Northridge Unitarian Church, Los Angeles, CA はこれまでの《30 Days Of Dead》の中で最も早い時期のショウ。Northridge Acid Test として知られるこのショウは日付と場所がわかっているデッドの録音として最も古いものです。


 登場したショウの年別本数。

66 1

67 0

68 0

69 1

70 2

71 1

72 1

73 1

74 1

76 1

77 1

78 2

79 3

80 1

81 1

82 0

83 1

84 1

85 0

86 0

87 1

88 0

89 2

90 0

91 2

92 1

93 2

94 2

95 0



 最短のトラック

17 Mindbender (Confusion's Prince), 1966-02-06, Northridge Unitarian Church, Los Angeles, CA, 2:37


 最長のトラック

07 The Other One> He's Gone> The Other One, 1972-10-24, Performing Arts Center, Milwaukee, WI, 36:50


 従来のものとダブったのは5曲。

初日 Passenger; 1979-05-07, Allan Kirby Field House, Lafayette College, Easton, PA 2013年、

06日目 Feel Like A Stranger> Bertha; 1994-10-19, Madison Square Garden, New York, NY 〈Feel Like A Stranger〉が昨年、

09日目 Playing In The Band> Crazy Fingers; 1989-12-27, Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA 2018年、

14日目 China Cat Sunflower> I Know You Rider; 1991-03-24, Knickerbocker Arena, Albany, NY 2017

の各々《30 Days Of Dead》ですでに出ています。

15日目 Help On The Way> Slipknot!> Franklin's Tower; 1994-10-01, Boston Garden, Boston, MA は《30 Trips Around The Sun》でリリース済み。


 今回初めて録音が《30 Days Of Dead》でリリースされたショウは以下の13本。

1966-02-06, Northridge Unitarian Church, Los Angeles, CA

1969-10-25, Winterland Arena, San Francisco, CA

1970-02-27, Family Dog at the Great Highway, San Francisco, CA

1972-10-24, Performing Arts Center, Milwaukee, WI

1979-12-01, Stanley Theatre, Pittsburgh, PA

1979-12-07, Indiana Convention Center, Indianapolis, IN

1980-05-31, Metropolitan Sports Center, Bloomington, MN

1984-04-16, Community War Memorial Auditorium, Rochester, NY

1987-09-15, Madison Square Garden, New York, NY

1989-02-06, Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA

1992-06-12, Knickerbocker Arena, Albany, NY

1993-03-10, Rosemont Horizon Arena, Rosemont, IL

1993-03-11, Rosemont Horizon Arena, Rosemont, IL


 今回ちょと面白いのは161718日のショウの日付を12-0602-0602-06と並べたこと。選んでみたら揃ったので並べてみたんでしょうか。


 さらに16日目のヴェニューは Rosemont Horizon Arena, Rosemont, IL で、同じヴェニューの199303月の30日、31日からも選んでいます。ある程度意図的ではないかと勘繰ります。この会場ではこの1981年に初めて演奏し、198819891993、そして19940318日まで計13回演奏しています。88年以後はいずれも三連荘。1980年にシカゴ・オヘア空港近くにオープンした多目的アリーナで、定員はコンサートで18,500。現在は Allstate Arena の名称。


 もう一つ、14日と21日は同じ1991-03-24, Knickerbocker Arena, Albany, NY からのセレクションで、同じショウから二度選んだのは初めて。


 とどめに〈Black Peter〉が26日と最終30日にありますが、どちらも同じFamily Dog at the Great Highway, San Francisco, CA がヴェニューで、しかも前者1970-02-28、後者がその翌日03-01のショウ。同じ曲が2日連続のショウからリリースされたのも《30 Days of Dead》史上初。この違いを聴くのもデッドを聴く愉しみのひとつです。


 登場した楽曲は延54曲。うち2回登場は以下の10曲。

Althea

Bertha

Black Peter

China Cat Sunflower

I Know You Rider

Feel Like a Stranger

He's Gone

Playing In The Band

Tennessee Jed

The Other One


 重複を除いたレパートリィは44曲。

Althea

Bertha

Bird Song

Black Peter

Black-Throated Wind

Brown-Eyed Women

Candyman

Cassidy

China Cat Sunflower

Crazy Fingers

Dark Star

Dire Wolf

Dupree's Diamond Blues

Eyes Of The World

Feel Like A Stranger

Franklin's Tower

He's Gone

Hell In A Bucket

Help On The Way

I Know You Rider

I Need A Miracle

Jack Straw

Lazy Lightning

Little Sadie

Looks Like Rain

Might As Well

Mindbender (Confusion's Prince)

My Brother Esau

New Speedway Boogie

Passenger

Playing In The Band

Samson and Delilah

Scarlet Begonias

Slipknot!

Stagger Lee

Sugar Magnolia

Sugaree

Supplication

Tennessee Jed

That's It For The Other One

The Music Never Stopped

The Other One

To Lay Me Down

Truckin’


 今回新たに《30 Days Of Dead》でリリースされた曲は無し。12年もやっていれば、一度でも登場した曲は122曲になり、これといった曲は出てしまっています。


 さて、では、一つずつ、じっくりと、いただきまーす。(ゆ)


 つまるところどこを目指して演奏するか、なのだ。手法ないし語法から言えばこれはジャズになる。後半冒頭の〈枯葉〉に端的に現れていたように、ジャズのスタンダードとしてのこの曲を素材にしながら、この音楽はジャズではない。あえていえばもっと普遍的なところを目指している。ジャズ自体普遍的であるという議論もあるかもしれないが、ジャズかそうでないかはかなり明確な違いがある。その違いを生むのがミュージシャンのめざすところということだ。そして、そこが、ジャズの方法論をとことん活用しながらなおかつジャズではないところを目指すところが、あたしがこのデュオの音楽を好む理由の一つになる。さらに言えば、shezoo さんの音楽、とりわけここ数年の音楽を好む理由でもある。

 ここ数年というのは、shezoo さんの音楽が変わってきているからだ。ご本人が「前世」と呼ぶ変わる前というのは、そう昔のことではなく、あたしの見るところ、パンデミックが始まる前だ。たとえばこの日のアンコール〈空と花〉はデュオのファースト・アルバムからだが、これははっきりと「前世」に作られたものと聴けばわかる。その前の、出たばかりのセカンド・アルバム収録の〈熊、タマホコリの森に入りこむ〉との対照が鮮やかだ。いわゆる「shezoo 節」とどちらも感じられるが、前者が古い shezoo 節なら、後者は新しい shezoo 節だ。あえて言えば、古い方はああ shezoo さんの曲とすぐにうなずいてしまうが、新しい方はその色の透明度が増している。shezoo さん以外からこんな曲は出てこないとわかる一方で、癖というか、臭みというか、そういう要素が薄れている。

 その要素はたとえば納豆やクサヤの匂いのように、好きな人間にはたまらない魅力だが、嫌いな人はとことん嫌う性格を備えているようでもある。嫌いだった匂いが好きになることもあるが、どちらにしても、はっきりしていて、中間が無い。ようにみえる。

 強烈なその匂いが薄れてきているのは、パンデミックとともに、〈マタイ受難曲〉と格闘している影響もあるのかもしれない。バッハの音楽もまた、一音聴けばバッハとわかるほど臭いものだが、それにしてはなぜか普遍的でもある。

 面白いことに、藤野さんの曲も shezoo さんの曲となじんで、一枚のアルバムに収まっていても、あるいはライヴで続けて演奏されても、違和感が無い。どちらの曲もどちらが作ったのかとは気にならない。そこには演奏そのものによる展開の妙も働いているだろう。素材は各々固有の味をもっていても、ライヴで演奏してゆくことで溶けあう。セカンド・アルバムは一つの部屋の中に二人が入り、さらにはエンジニアも入って、一発録りに近いかたちでベーシック・トラックを録っているという。スタジオ録音としては限りなくライヴに近いかたちだ。

 セカンド・アルバム《Moon Night Prade》のレコ発ツアーの一環で、このツアーでは、それぞれのヴェニューでしか演奏できない、その場所に触発された曲をまず演る、とのことで、まずエアジンの音を即興で展開してから〈夜の果て〉。前半はセカンド・アルバムからサーカスをモチーフとした曲を連ねる。この曲では藤野さんはサーカスが果てて、立ちさったその跡の草地にサーカスの記憶が立ちあがるとイメージしているので、店が閉まった後のエアジンを思い描いたという。shezoo さんはエアジンでは、リハーサルしているといつも誰かもう一人か二人見えない人がいて一緒に聴いている感覚がいつもするので、それを音にしてみたそうだ。

 あたしは本を読みながらイマージュが立ちあがってくることはよくある。が、しかし、音楽を聴きながらイマージュが立ちあがることはまずない。イメージを籠めているミュージシャンにはもうしわけないが、音でそのイメージが伝わってくることはない。イメージというよりも、あるぼんやりしたアイデアの元素のようなものが聞えてくることはある。ここでまず感じたのはスケールが大きいことだ。その点ではエアジンは不思議なところで、そう大きくはないはずの空間から限界が消えて、どこまでも広がってゆくように聞えることがある。この日もそれが起こった。スケールが大きいというよりも、スケールから限界が消えるのである。音楽の大きさは自由自在にふくらんだり、小さくなったりする。どちらも限界がない。

 そして前回も感じた2本の太い紐が各々に常に色を変えながら螺旋となってからみあいながら伸びてゆく。それをはっきり感じたのは3曲目〈Dreaming〉から〈Pulcinella〉へのメドレー。アルバムでもこの二つは並んでいる。どちらもアンデルセンの『絵のない絵本』第16夜、コロンビーナとプルチネルラの話をモチーフにしているという。

 前半ラストの〈コウモリと妖精の舞う空〉は夜の空だろうか。昼ではない。逢魔が刻のような気もするが、むしろ明け方、陽が昇る前の、明るくなってだんだんモノの姿がはっきりしてくる時の空ではないか。

 後半2曲目〈枯野〉は「からの」と読んで、『古事記』にある枯野という舟の話がベースだそうだが、むしろその次の〈終わりのない朝〉のイントロのアコーディオンに雅楽の響きが聞えた。どちらもうっとりと聴いているうちにいつの間にか終ってしまい、え、もう終り?と驚いた。

 続く〈浮舟〉は『源氏物語』を題材にした能の演目を念頭に置いているそうだ。浮舟の話そのものは悲劇のはずだが、この日の演奏に現れた浮舟はむしろ幸せに聞える。二人の男性に惚れられてどちらかを選べず、迷いに迷っていることそのものを秘かに愉しんでいるようだ。迷った末にではなく、迷いを愉しむ己の姿に気がつき、そこで初めて心が千々に乱れだす。

 アンコールの shezoo さんの「前世」からの曲は古びているわけではない。あたしなどはむしろほっとする。遠く遙かなところへ運ばれていたのが、なじみのあるところへ帰ってきた感覚である。

 先日のみみたぼでも気がついたユーモアの底流がこの日も秘かに流れていた。ほんとうに良い音楽は、たとえバッハやベートーヴェンやコルトレーンであっても、ユーモアの感覚が潜んでいる。音楽そのものに、その本質に笑いが含まれている。眉間に皺を寄せて聴かないと音楽を聴いた気がしない人は、どこか肝心なところに触れぬままに死んでゆく。このデュオの音楽には、聴いていて笑いが体の中から浮かびあがってくる。声をたててがははと笑うようなものとは別の、しかし含み笑いなどではない朗らかな感覚だ。ひょっとするとこのユーモアの感覚も、最近の shezoo さんの音楽に備わっているものではないか。おそらくは前から潜んではいたのだろう。それがパンデミックもきっかけの一つとして、より明瞭になったのかもしれない。

 このデュオの音楽は shezoo さんのプロジェクトの中では一番音がまろやかで穏やかな響きをもつ。shezoo さんの音楽はどちらかというと尖ったところが多いし、ここでも皆無ではない。むしろ、ここぞというところで顔を出す。そこが目立つくらい、基調はなめらかで優しくせつない。あるいは藤野さんのアコーディオンの響きがそこに作用しているのかもしれない。来年早々、このデュオとトリニテの共演が予定されている。トリニテはまたツンツンに尖った、ほとんど針の塊のような音楽だ。この二つが合わさるとどうなるのか。もちろん見に行く予定だが、怖いもの見たさの気分でもある。(ゆ)

Moon night parade
透明な庭
qslebel
2022-09-03


 石川真奈美さんも shezoo さんも懐が深い。これくらい深いと生も何度か聴かないと摑みどころがわからない。このデュオの聴きどころがようやくわかってきた感じが今回は味わえた。二人にパーカッションが加わった Shinono-me を聴いたおかげで、デュオとしての姿がよりはっきり見えるようになったのかもしれない。声の綾なす歌のふくらみ、ピアノがうたう潮のさしひき、二人の声が織りなす音楽全体の姿が、大きな構図から細部のニュアンスまで、労せずしてごく自然に流れこんでくる。こうなればただ黙って浸っていればいい。

 冒頭、立原道造の詩に shezoo さんが曲をつけた〈のちの想いに〉からして、声の出し入れの妙にぞくぞくする。囁き声と力を入れた声の対比、その間のグラデーションに耳を持っていかれる。そしてやがて来たピアノのコーダにクラクラする。この後もコーダは余韻とキレの両方を兼ね備えて、彫りが深い。今日は調子が良い。たぶんやる方だけで無く、聴くこちらの調子も同じくらいよいのだ。

 次の滝口修造の詩に shezoo さんが曲をつけた〈瞬間撮影〉では、まずピアノのイントロが素晴らしい。滝口にふさわしいシュールな、とんがった演奏。この日は羽目をはずした大暴れはないのだが、むしろあえてそちらに行かない。意識して抑えているようでもない。自然にそうなっているようで、それが良い効果につながっている。その効果に引きだされるようにして、石川さんが一番二番とくり返すごとに歌い方を変える。はじめはストレートに、二度目は切迫した変化球だ。

 派手な即興が鳴りをひそめているのに、全体としてはジャズの向こうへ突抜けていく。この日のハイライトの一つは5曲目のシャンソンから〈枯葉〉へ繋いだ演奏。ジャズではスタンダードはスタンダードとわかった上でいかに新鮮に聴かせるかがポイントになるのだろうが、歌ではなく、声でメロディをくずしてゆくそのくずし方がジャズの範疇からははみ出てゆく。少なくとも、ジャズの常套ではない。方法論としてはジャズを使っても、めざしているところはジャズの先ではない。もっとパーソナルなところで、だからこそ普遍性を帯びることが可能になる境地だ。

 この日はしかしハイライトにしても突出してはおらず、どの曲もそれぞれに見事。〈枯葉〉の前、〈Little red bird is lonely〉 からラヴェルの〈嘴の美しい三羽の鳥〉では、アカペラの歌唱に一気に異郷へ引きこまれる。そこでは赤い鳥が血の滴る心臓を運んでくる。

 前半ラストのバッハ。〈マタイ〉からの一曲で、本番では石川さんの担当では無い歌。こういうのは良い。他の方のも聴きたい。ここは小細工をせず、真正面から突破する。こういうところ、こういう曲には歌い手の生地があらわになる。そして、こういうバッハはいつまでも聴いていたい。

 後半冒頭のエミリー・ディキンソン〈When the night is almost done〉もストレートな歌唱。ピアノはミニマル。これもはまっている。続く谷川俊太郎と武満徹の〈見えない子ども〉はディキンソンから引き継いだユーモアの隠し味が歌にもピアノにも流れる。ほとんどお茶目と言いたいくらい。これへの返答歌という石川さんの詞に shezoo さんが曲をつけた〈残月〉は、一転して緊張感に満ちる。さらに続く〈Blue moon〉にも緊張感がつながって、こうなると脳天気でもなく、哀歌でもない。底の方で何かにじっと耐えている。そこから歓びとまではいえないが、なぜか晴れ晴れとした感情が浮き上がってくる。とすれば、耐えることはこの場合、受身の態度ではなく、何かの準備でもなく、それ自体が積極的なふるまいなのだ。

 曲はどれもこれも良いが、ラストの〈両手いっぱいの風景〉はことさらに名曲。ひたすら聞き惚れる。

 アンコールは〈朧月夜〉。力を抜いて、語りかけるように歌いだして、声を変えてゆく。石川さんの真骨張。

 歌とピアノという組合せとしては破格の音楽をたっぷりと浴びて、気分は上々。この生きにくい世の中で、こういう気分になれるのは貴重でも必要でもあると思いしらされる。ありがたや、ありがたや。(ゆ)

みみたぼ
石川真奈美: vocal
shezoo: piano

 さいとうさんのフィドル・ソロや、やはりさいとうさんの Jam Jumble のライヴは見ているが、ココペリーナとしてのライヴは初めて。アルバムとしては2枚目、フル・アルバムとしては初の《Tune The Steps》には惚れこんでいたから、ライヴはぜひ見たかった。パンデミックもあって、4年待つことになった。この年になると4年待てたことにまず歓んでしまう。

 生で聴くとまず音の芯が太い。さいとうさんのフィドルの音の芯がまず太いのだが、フルートとギターも芯がしっかりしている。

 面白いのはフルートと対照的にバンジョーがむしろ繊細だ。普通はもっと自己主張する楽器だが、ここでは片足を後ろに退いている。その響きとフィドルの音の混ざり具合が新鮮。

 線の太さと繊細さの対照はギターでも聞える。曲のイントロやつなぎのパート、フィドルまたはフルートのどちらかだけとのデュオの形では、かなり緻密な演奏なのが、トリオになってビートを支えると太くなる。

 もっとも、ギターという楽器はどちらも可能で、アニーにしても長尾さんにしても、やはり繊細さと線の太さが同居している。のだが、それに気付いたのがこのトリオを生で見たとき、というのも面白い。アイルランドやアメリカなどのギタリストにはあまりいないようにも思える。ミホール・オ・ドーナルはそうかな。

 録音ではイントロやつなぎを中心に、かなり大胆でモダンなアレンジをしている部分と、ギターにドライヴされるユニゾンで迫る部分の対比がこのバンドの肝に見えた。それは生でも確認できたのだが、曲のつなぎは2曲目の b から c へのようにさらに面白くなっている。

 生で気がついたのはメインの部分でもさいとうさんか岩浅氏のどちらかがメロディを演奏し、もう片方がそこからは外れて即興をしている。ドローンもよく使う。これをごく自然に、まるでそもそもこういう曲ですよ、と素知らぬ顔でやる。つまり対比させるというよりも、同じ地平でやっている。

 見方によってどちらにもとれる。ユニゾン主体の、実にオーセンティックな演奏にも聞えるし、少々無茶な実験もどんどんしてゆく前衛的演奏にも聞える。両極端が同居している。

 選曲にもそれは現れて、耳タコの定番曲と聴いた覚えのない新鮮な曲が入り乱れる。

 ひと言でいえば、よく遊んでいる。こんなに遊ぶアンサンブルを他に探せば、そう Flook! が近いか。ココペリーナの方が伝統曲を核にしているし、あえて言えばココペリーナの方が洗練されている。どこか上方の文化の匂いが漂う。

 歌が2曲。前半の〈青い月〉と後半の〈Hard Times Come Again No More〉。どちらも良いが、後者では他のお二人もコーラスを合わせたのがハイライト。チューンでのハイライトは後半冒頭〈Cup of Tea〉から〈Earl's Chair〉のメドレーに聴きほれる。

 今回は石崎元弥氏がバゥロンとパーカッションでサポート。これが実に良い。これまた、もともとカルテットだと言われてもまるで不思議がないほどアンサンブルに溶けこんでいた。後半冒頭、トリオでやったのもすっきりとさわやかだったが、石崎氏が入ると、演奏のダイナミズムのレベルが一段上がる。

 さいとうさんのフィドルのどっしりとした存在感に磨きがかかったようでもある。フィドルでもフルートでも、こういう肝っ玉母さん的なキャラはあたしの好みなのだ。ソロは別格だし、Jam Jumble も楽しいが、やはりココペリーナをもっと聴きたくなる。

 満席のお客さんにはミュージシャン仲間が顔を揃えていた。あたしのように楽器がまったくできない人間は2、3人ではなかったか。これもまたこのバンドの人徳であろう。(ゆ)

Cocopelina
さいとうともこ: fiddle, concertina, vocals
岩浅翔: banjo, whistle, flute, vocals
山本宏史: guitar, vocals

石崎元弥: bodhran, percussion, banjo

 まずはアマゾンに予約しておいた Vasily Grossman, The People Immortal が午前中に配達。1942年に赤軍の機関紙『赤い星』に連載された長篇。残されていた原稿から追加してロシア語本文を確定してから英訳している。この小説には実在のモデルがおり、その人物たちについての注記が付録にある。付録にはバルバロッサ作戦でナチス・ドイツがソ連を席捲している最中にソ連軍最高司令部スタヴカが出した命令なども収められている。

The People Immortal (New York Review Books Classics)
Grossman, Vasily
New York Review of Books
2022-09-27



 昼過ぎ、佐川が DHL の荷物を二つもってくる。Mark A. Rodriguez, After All Is Said And Done: Taping the Grateful Dead 1965-95 と Subterranean Press からの Anthony Ryan, To Blackfyre Keep。

 アンソニー・ライアンのは年1冊で出しているノヴェラのシリーズ The Seven Swords の4冊目。全6冊予定。

To Blackfyre Keep (Seven Swords, 4)
Ryan, Anthony
Subterranean Pr
2022-09-30

 

 前者は凄いものであった。今年の Grateful Dead Almanac から跳んだ In And Out Of The Garden の Podcast ページで紹介されていたもの。デッドのテープ文化全体についての厖大な資料集。関係者へのインタヴュー、テーパーズ・コーナー設置の経緯についてのデッドの全社会議の議事録、Audio 誌に掲載されたテーパーズ・コーナー特集記事の複製、テープ・ジャケットのコレクションなどなど。宝の山だがLPサイズの本に細かい活字でぎっしり詰めこまれて、消化するのに時間がかかりそうだ。

After All Is Said and Done: Taping the Grateful Dead; 1965-1995
Rodriguez, Mark A.
Anthology Editions
2022-09-20



 夕方、郵便ポストを確認すると、Robert Byron, The Station が入っていた。22歳の時、友人二人とともギリシャの聖地アトス山を訪ねた旅行記。初版は1928年刊行。買ったのは2011年の再刊。バイロンはこの旅行で東方の土地と文化に惹かれて中央アジアを旅し、9年後1937年に出した The Road To Oxiana で文学史に名を残す。


 

 最後に、夕飯もすんだ7時半、郵便局の配達が大きな航空便を持ってくる。バート・ヤンシュの At The BBC アナログ・ボックス・セット。LPサイズのハードカヴァー。40ページのライナーの内容はバートの BBC ライヴの歴史、共演者・キャスター、そして彼の広報担当の見たバート。このボックスを企画したのはコリン・ハーパーだった。正式発売は4日だが、発送通知は来ていた。アナログ版は4枚組で48曲収録だが、CD8枚組収録の147曲にプラス α のダウンロード権が付いている。1966年から2009年まで、バートが BBC に残した録音を網羅している。らしい。

 こうなるとバート・ヤンシュもあらためて全部通して聴きたくなる。ひー、時間が無いよう。(ゆ)

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 図書館にあったのでとりあえず読んでみる。筑摩書房が1968年に出した『現代世界ノンフィクション全集』16。この巻は「戦後の探検」がテーマで、収録はハイエルダール『コン・ティキ号探検記』、本篇、エフレーモフ『恐竜を求めて——風の道』の3本。他の2本は科学研究を目的とした調査、実験だが、これはスターク個人の愉しみのための旅の報告。

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 エフレーモフは後に作家に転ずるだけあって、これも純粋な調査研究報告ではなく、りっぱな文学作品、スタークの翻訳をし、解題を書いている篠田一士の言葉を借りればりっぱな旅行文学になっているらしい。惜しいことに訳出されているのは『風の道』の第一部、3回の調査旅行の第1回を扱った部分のさらに抄訳。今となっては完訳は望むべくもない。英訳もない。「風の道」とは、モンゴルのゴビ砂漠を渡る隊商路を現地の人びとが呼ぶ名前。エフレーモフはここでの恐竜化石発掘を指揮した。

 コン・ティキ号もゴビの恐竜化石も後日の読書を期し、とにかくスタークの作品の実地につくべく、読んでみたわけだが、これが滅法面白い。

 邦題は一応原題に忠実だが、日本語だとチグリス川に沿って馬でまわった、という印象になる。英語ではチグリス川に向かって馬に乗っていったことを示す。トルコ東部、イランとの国境近くにヴァン湖がある。イラン側のウルミラ湖と双子のような湖で、この間を隔てる山脈は4,000メートルを超える最高峰をもち、富士山より高い嶺がつらなる。ここから南へメソポタミアの平原に向かっては徐々に低くなるものの、険しい峡谷がつづく山岳地帯だ。ヴァン湖の南のイラクとの国境に近い一帯を、東から西へ、国境にだいたい平行に、スタークは旅している。始めと終りは自動車で、最も奥地は馬とらばで旅した。その終りはチグリスの上流で、そこでこのタイトルになる。1950年代後半のある夏のことだ。

 当時、自動車の入れる道はヴァン湖東岸のヴァンから南東、ユーフラテスに注ぐグレート・ザブ川の河畔にあるハッキアリまでしか通じていない。そこから2週間、馬の鞍に揺られて、チグリス上流に注ぐ支流の源流近くの村ミリに至る。ここから先はまた道路が通じていて、自動車で一気にチグリス河畔のシズレを経て、空港のあるディヤルベクルまで行っている。

 もちろんバスやタクシーが走っているわけではない。自動車はどちらもたまたまその方面に行く誰かの車に便乗させてもらう。ハッキアリまでは、地方の子どもたちに種痘をしに回る医師の一家の車だ。この地域に住んでいたのはほとんどがクルド人で、その後クルド独立運動の舞台になっている。おそらく外国人が一人で旅行することは現在では不可能だろう。スタークの頃までの紀行が貴重なのは、今は部外者が入れない地域歩いていることもある。

 医療の提供と治安維持がここがトルコ政府の管轄にあることを示す。このあたりは第二次大戦前までは山賊が跋扈し、あるいはクルド人とアッシリア人(とスタークは書く)の日常的な部族抗争で、やはり部外者は立ち入れなかった。戦後、山賊は討伐・追放され、部族対立の方はアッシリア人が様々な要因から四散していなくなったために終息した。トルコ政府は地域の長官=ワリや町長、村長を任命・派遣し、要所には守備隊を置いた。スタークが宿をとったのはこうした役人のいる集落や駐屯地だ。外来者が泊まれる施設があるわけではない。夜を過ごし、食事をとるのは、どこでも役人たちの家や、集落の中でも富裕な家族の家の一部屋だ。クルド人たちは牧畜を営む。冬を越す村は深い谷の河畔にあるが、夏は谷の上流の上にある台地の放牧地「ヤイラ」で過ごす。スタークは一夜、ヤイラの一つの天幕で過ごし、「開いたテントや、地面の上のキャンプの寝床」の安心感をおぼえてもいる。

 こうした集落をつないでいる道は、ほとんどが川沿いで、馬一頭がかろうじて通れる幅しかないことも普通だ。とはいえ、この地域は小アジアからメソポタミアに抜ける道の1本として古代から使われている。クセノポンの『アナバシス』で有名な紀元前5世紀の一万人のギリシャ傭兵団もここを通っていて、スタークは随所で引用する。ローマ帝国とササン朝ペルシャの国境地帯でもあって、あたりに誰も住んでいないところにローマの遺蹟がぽつんとあったりする。スタークが1日馬で旅して、人っ子一人遭わないことも珍しくないが、昔からずっとそうであったわけではない。

 先輩のガートルード・ベルと同じく、スタークも単独行を好む。途中で、逆方向へ向かうドイツの民俗学調査団と徃きあう。自分が旅行の許可をとるのにさんざん苦労し、おまけに写真撮影を禁止されているのに、相手が多人数で機材もそろえ、写真も撮り放題なのをいぶかる。

 ドイツは第一次大戦前、ギリシャ、トルコ経由でバグダードへ進出する計画を立て、それが大戦の原因の一つになっているが、どこか深いところで親近感を互いに抱いているのか。第二次大戦後、トルコからはドイツに大量に出稼ぎ、移民が出て、ディシデンテンのようなバンドも現れている。ギリシャ、トルコの観光地はドイツからの観光客が占拠するらしい。

 ここで描かれる世界は時間的に半世紀以上前というよりもずっと遠く感じられる。誰かの想像が生んだのではなく、確実に今われわれが生きているこの世界にかつて存在したとはなかなか信じられない。今は消えており、おそらく復活することはない世界でもある。途中、何が起きるわけでもない。ごく平凡な人たちの、毎日の生活が続いているだけだ。土地の住人たちにとっては、スタークの到来そのものが事件である。西欧人がやってくるだけでも異常事態で、しかも女性がひとりでやってくるのは、おそらく彼らの一生に一度のことだったろう。

 スタークにしてみれば、旅につきもののトラブルは多々あるにしても、未知の土地を自分の脚で歩いてゆくことが歓びだ。ただその歓びを味わいたい、それだけのために、あらゆるツテをたどって旅行の許可をとり、あらゆる不便を耐えしのぶ。トイレの問題一つとっても、その不便は表現できるものではないだろう。1ヶ所だけトイレについての言及がある。旅も終わりに近く、ある川の畔の村であてがわれた宿ではトイレが川をまたぐ形で作られていた。自分にとってはありがたいが、下流の住民にとっては問題だ、と書く。

 訳者の篠田一士はスタークの文体を誉めたたえる。

「大変力強い英語散文で、修辞法も堂々としていて、とても女流の筆になったとは思えないほど雄渾な響きをもっている。この文体のかがやきこそ、外ならぬ、女史をイギリス旅行文学のチャンピオンにしているのである」

 「とても女流の筆になったとは思えない」というところは今なら問題にされるかもしれないが、要は「男流」の筆でも珍しいほどのかがやきをその文章は備えているわけだ。

 その雄渾なかがやかしい文章で描きだされたこの世界は、そこだけぽっかりと時間と空間のあわいに浮かびあがる。我々の過去の一部では確かにあったものの、一方でこの世界はまったく独立に成立している。これを幻と言わずして何と言うか。我々の世界の実相が映しだされた幻。幻なるがゆえに明瞭に映しだされた実相。むろん世界全体の実相ではないが、実相は全体としては把握できるものではない。こうした小さな断片の幻に焦点を合わせることで拡大され、見えるようになる。

 スタークはそこでいろいろ考えたことも記す。トルコ人について。大英帝国の思考法、システムについて。先達の旅行家たちについて。今自分が歩いている同じ場所をかつて通った人びとについて。人間と人間が生みだしてきたさまざまなもの全般について。そうした考えもまた、この世界、時空の泡の中でこそ生まれたものでもある。

 紀行を読む愉しみはそこにある。見慣れた風光から見慣れぬ世界を浮かびあがらせるのもいいが、見慣れぬ風光から、知っているはずの世界の新たな位相が立ち上がってくるのはもっといい。


 篠田は巻末の解題で英国旅行文学の中でも中近東を旅してその旅行記を書いた人たちを個性と作品の質の高いことでぬきんでているとする。その最上の書き手は18世紀末『アラビア砂漠 Arabia Deserta』を書いたチャールズ・ダウティということに評価は定まっていて、これに続くのがカートルード・ベル、T・E・ロレンス、そしてこのフレヤ・スタークが世代を代表する大物作家。さらにフィルビー、バイロン、セシガーと続く。

 もっともダウティはガートルード・ベル Gertrude Bell の『シリア縦断紀行 The Desert And The Sown』邦訳第1巻巻末の解説の筆者セアラ・グレアム=ブラウンに言わせれば「おそるべき記念碑趣味=モニュメンタリズム」に陥っているそうだ。

シリア縦断紀行〈1〉 (東洋文庫)
G.L. ベル
平凡社
1994-12-01



 ロレンスはもちろん「アラビアのロレンス」で、主著『知恵の七柱』は完全版の完訳も出た。上記グレアム=ブラウンは「とりとめのない自意識過剰の内省」が多いと言う。

完全版 知恵の七柱 1 (東洋文庫0777)
T.E.ロレンス
平凡社
2020-06-30



 フィルビーは Harry St John Bridger Philby (1885-1960) と思われる。二重スパイのキム・フィルビーの父親。サウディアラビアを建国し、英傑といわれたイブン・サウドの顧問。これもグレアム=ブラウンに言わせると「隠喩だらけの散漫な文章」だそうだ。

 篠田の文章も半世紀前のものではある。彼自身の見立てもその後変わったかもしれない。

 バイロンは Robert Byron (1905–1941) だろう。The Road To Oxiana, 1937 が有名。これについてはブルース・チャトウィンが「聖なる本。批評などできない」と述べているそうな。チャトウィンは中央アジアを4回旅していて、その間、この本を肌身離さず持ちあるいたから、あちこち濡れた跡があり、ほとんどばらばらになっていたという。
 英文学には紀行の太い伝統がある。チャトウィンはその伝統を豊かにした書き手の一人だろう。
 バイロンにはもう1冊、The Station, 1928 がある。ギリシャのアトス山の紀行。村上春樹が『雨天炎天』1990 にそこへの旅を書いた聖地。60年の時間差で、どれだけ変わり、あるいは変わらないか、読みくらべるのも一興。
 バイロンは第二次大戦中、西アフリカへ向かう乗船が魚雷攻撃を受けて沈没して亡くなる。
 セシガーは Wilfred Thesiger (1910-2003) 。『ベドウィンの道』が同じ『現代世界ノンフィクション全集』の7に収録。他に『湿原のアラブ人』が白水社から出ている。スタークと同様、この人も93歳の高齢を保った。アラビアの砂漠を探検すると長生きするとみえる。

湿原のアラブ人
ウィルフレッド セシジャー
白水社
2009-10-01



 問題はガートルード・ベル Gertrude Bell (1868-1926) である。スタークの先輩旅行家兼作家でもあり、スタークももちろん読んでいるし、その著作の中でも『シリア縦断紀行』と双璧と言われる Aramuth To Aramuth をこの旅にも携えてきている。こちらはシリアのアレッポからユーフラテスを下ってバグダードに至り、Uターンしてティグリスを上って最終的にはトルコのコンヤに至る、3,000キロの旅の紀行。

 ベルはしかし、旅行作家としてだけでなく、第一次大戦中から戦後にかけての英国の中東政策に絶大な貢献をしている。『ラルース』はかつてベルについて「ロレンスの女性版」と書いたそうだが、実相はロレンスがベルの男性版と言う方が近い。
 たとえば第一次大戦後、イラクという国を作ったのは、実質的にベルの仕事である。ロレンスが「発見」したファイサルをイラクの初代国王に据えたのはベルである。国境の策定も一人でやっている。他にできる人間がいなかった。
 ベルは1911年05月、ユーフラテス上流カルケミシュで考古学者としてのロレンスに会っている。ロレンスはベルの『シリア縦断紀行』を読んでいて、ファンだった。ベルはこの邂逅を告げる書簡で
「私の来るのを心待ちにしていたロレンスという若い人に会いました。彼もひとかどの旅行作家になることでしょう」
と書いている。と、 『シリア縦断紀行』の訳者・田隅恒生は「訳者後記」で書いている。

 ベルの伝記が2冊、ジャネット・ウォラックの『砂漠の女王:イラク建国の母ガートルード・ベルの生涯』と『シリア縦断紀行』とデビュー作『ペルシアの情景』の訳者・田隅恒生による 『荒野に立つ貴婦人:ガートルード・ベルの生涯と業績』がある。
 ということで、スタークの『暗殺教団の谷』と伝記『情熱のノマド』、ベルの3冊と伝記2冊、バイロンの2冊、セシガーまたはセシジャーの2冊は読まねばならない。宮崎市定の『西アジア遊記』も再読しよう。(ゆ)

 先日読み終わった Chuck Rogers, Heroes Road はおよそファンタジーに求めるものがすべてたっぷりと魅力的な形でぶちこまれていて、大いに愉しませてもらった。分量も十分、エンディングは見事、そして続篇への予告篇もきっちり。続篇 Heroes Road 2 はさらに面白いそうだが、Michael R. Fletcher, Beyond Redemption と2冊、部厚い本を読んだので、次はちょっと軽めの本が読みたい。本棚にぽつんとあった岩村忍『暗殺者教国』が目についた。リブロポートからの再刊で、40年前に出た時に買ったまま、ほったらかしていた。



Beyond Redemption (English Edition)
Fletcher, Michael R.
Harper Voyager
2015-06-16




 読みだしてみれば、読みやすく、面白く、簡潔で、結局読んでしまう。

 10世紀から13世紀まで、約2世紀半、現在のイラン北西部、アラムートの城に蟠踞したイスラームの異端イスマイリ派、別名ニザリ派の誕生からモンゴルによる滅亡、そして復活までを略述する。セルジューク朝と渡り合い、マムルーク朝や十字軍にも脅威を与えた教団政権。イスマイリ派はシーア派の分派で、スンニからもシーアからも異端とされながら、一時は西アジア一帯にとびとびながらかなりの範囲に勢力を持った。今でも絶滅したわけではなく、あちこちにしぶとく生きているそうな。なによりも政略手段として暗殺を積極的に採用したことで歴史上有名だ。『アサシン・クリード』という人気ゲームの源になったことでも知られる。遙か昔、『ゴルゴ13』のエピソードの一つにも出てきた。

 ロジャースの『英雄たちの道』では、暗殺者教団のボスである「山の長老」配下の暗殺者たちが主人公たちの命を狙って、あちこちで大立ち回りをする。なかなか楽しい連中だ。もちろん、作品世界にふさわしくデフォルメされているが、結構巧くデフォルメしていることが、岩村本を読むとわかる。ロジャースはちゃんと調べて書いている。

 もっとも岩村本で一番メウロコだったのは13章の教義の解説だ。どんどん過激になっていって、ついにはイスラームとは似ても似つかない、別の宗教といえるもの(預言者ムハンマドの権威まで否定する)になりながら、最後にまたくるりと回転してスンニ派に合流してしまう。「奇怪」といえばこの過激化したものと、最後の転回が一番「奇怪」。こういう教義、絶対独裁者である教団トップの思考の変遷が、どういう環境の変化に押されたものなのか、知りたくなるが、そこまではようわからないらしい。

 岩村が本来専門外のイスマイリ派に深入りしたのは、かれらを滅ぼしたチンギス・ハンの孫フラグの麾下の武将の一人キドブハを追いかけたため、というのも面白い。ナイマン出身で、どうやらネストリウス派のクリスチャンだったらしいキドブハはフラグのもとで西アジアからシリア征服に功を立てる。しかし、最後にマムルーク朝がモンゴルの進攻を止めた1260年09月03日の戦いで死ぬ。この戦いとかれの戦死はモンゴル帝国にとっては分水嶺となる。

 つまり、岩村本はイスマイリ派をユーラシア大陸西半分の大きな歴史の動きのなかに置いて描く。大きく広い動きと、イスマイリ派をめぐる小く狭い動きの対比がダイナミズムを生む。

 最終章、イスマイリ派が頑強にモンゴル軍に抵抗したラミアッサール城の遺蹟に赴く紀行は、700年の時間の遠さを実感させる。同時に半世紀前のイラン西部の様相もまた別世界だ。

 巻末の「新版によせて」で、岩村がロンドンの本屋で見つけて面白く読んだという Freya Stark の The Valley Of The Assassins, 1934 を調べてみると1982年に現代教養文庫で『暗殺教団の谷 女ひとりイスラム辺境を行く』として出ている。図書館にないか検索するとスタークの伝記『情熱のノマド:女性探検家フレイア・スターク』が出てきた。1993年に100歳で亡くなったこの人、とんでもない人らしい。邦訳はもう1冊 Riding To The Tigris, 1959 が篠田一士の訳で『チグリス騎馬行』として出ている。こちらは『現代ノンフィクション全集』第16巻で、図書館にある。主な著作は Internet Archives で読める。

情熱のノマド 上―女性探検家フレイア・スターク
英子, 白須
株式会社共同通信社
2002-06T



 こうして読む本がどんどんと芋蔓式に増えてゆく。(ゆ)

 このデュオを生で見聞するのは初めてなのだった。着いてまず驚いたのは、テーブルがほとんど外に出されて、椅子がステージ、つまりピアノのある側に向けて並べられている。カウンターの椅子も外に向けて置かれている。奥の部屋も客席になるが、ここは楽屋も兼ねている。満席で30人は入るか。結局ほぼ満席になった。前にここに来たときはパンデミックの最中だったので、客の数を制限し、店内のレイアウトは普段の営業の時と変わっていなかった。奥の部屋には配信用の機材が置かれ、間の壁に穿いた窓からミュージシャンを映していた。お客も4、5人で、のんびりゆったりしたものだった。そりゃ、まあ、いつもあれではライヴをやる甲斐もないよねえ。

 ここのピアノは小型のアップライトで、鍵盤の下は開放でピアノ線が剥出しになっている。聴く分にはなかなか良い音だと聞えるが、弾く方からすると、かなり制限があって、出せない音があるのだそうだ。このデュオは来月、エアジンでも見る予定なので、そこがどう変わるかは愉しみではある。とはいえ、この日もそうした制限はまったくわからず、むしろ音のバランスが良いと感じた。もっともアコーディオンの類は音は小さくない。小型のボタン・アコーディオンでも相当にでかい音が出る。その点ではノーPAで聴くにはふさわしい組合せではある。

 今回はユニットのセカンド《Moon Night Parade》のレコ発ツアー初日なので、前半はこのアルバムの中でもサーカスをモチーフとした曲を並べる。ここでは4・5曲目、アンデルセン『絵のない絵本』第16夜「ドリーミング」から〈プルチネルラ〉へのメドレーがハイライト。メロディがころころ変わってゆくのを、二人が少しずつずらして演奏する。輪奏とは違い、同じメロディを追いかけるのではなく、メロディが変わってゆくのが面白い。即興もずらしてやる。対話ではあるのだが、互いに向きあって相手に向かってしゃべるというよりは、それぞれが斜め前、内側へ向けて発話する感じで、そうするとキャッチボールではなく、2本の色の異なる紐が螺旋を描いてゆく。それぞれの紐の色もまた刻々と変わってゆく。その紐が向かう方向もまた千変万化する。これは愉しい。

 やはり生、ライヴを体験すると、そのユニットが目指すところ、やりたいこと、キモが見えてくる。

 藤野さんのアコーディオンがどういうものか、ようやく摑みかけた気もする。この人の演奏はどこか摑みどころがわからず、悪くはないのだが、どこが良いのか、押えられなかった。shezoo さんと組み合わさることで、そこが見えてきたようでもある。アコーディオンを見ると、アイリッシュやスコティッシュ、あるいはバスクのトリティキシャのような、細かい音を連ねるスタイルを予想してしまう。が、もちろん、この楽器の演奏法はそれだけに限られるはずはない。

 藤野さんはむしろハーモニーを重ねるのが好きでもあり、得意でもある。というのはケルト系とは対極の演奏法だ。即興でもコード・ワークを多用する。そうすると、曲全体が大きくたなびき、揺れてくる。グルーヴとは違い、波というよりうねる。うねりながら盛り上がり、また鎮まる。縒りあわさった2本の紐が太くなり、細くなり、上下左右斜めに運動する。各々の紐が各々に太くなり、細くなる。色も各々に変化する。あるいはそれぞれの紐は長い1本の繊維からできているのではなく、麦の穂の束が合わさっているようでもある。その麦の穂の長さも一定ではなく、麦だけでもなく、花の束、木の枝、蔓、時には針金の束だったりもする。これが一番成功していたのが後半冒頭の〈Invisible Garden〉から〈Tower〉、さらにそれに続く〈Hydrangea(あじさい)〉。どれもファーストからの曲。

 このデュオは、このカフェ・ブールマンで二人が演奏したことから生まれ、ファースト・アルバムは、ここのマスターが撮った写真に対して二人が作った曲を集めているそうで、後半はファーストからの曲がメイン。

 shezoo さんのプロジェクトの中では、最もピアノが自由にうたっている。ライヴではメロディとだいたいの演奏順は決めているが、それ以外はまったくその場での流れにまかせているのだそうだ。限りなくジャズに近い手法とも思えるし、言葉の最も広い意味でジャズとしか呼びようはない。ただ、世のいわゆるジャズ・ファンが思い浮かべるものからは相当にかけ離れている。これまたあたしの偏見かもしれないが、いわゆるジャズらしいジャズはソロのための音楽で、それだけ傍若無人なところがある。この音楽はソロのためではない。あくまでも二人で、掌中の珠をいつくしむように作ってゆく。これもまた生を見て、わかったことである。

 同じユニットを2ヶ月続けて生で見るのは珍しい。どういう体験ができるか、愉しみになってきた。次はこれもあたしとしては珍しく、予習をして行ってみよう。(ゆ)

Moon night parade
透明な庭
qslebel
2022-09-03


 ここも3年ぶりだろうか。パンデミックの間にも近隣に変化があったようで、通りの向い側の店が一新された印象。明瞭な記憶があるわけではないが、もっと雑然として、寂れてもいたように思う。それが新しく、かなりシャレた店になっている。

 もっとも木馬亭はあいかわらずで、手作りの公演もあいかわらず。開演直後、客席脇の天井にとりつけられた、舞台を照らす照明にスイッチが入っていなかったのも、スタッフのミスです、と岡さんが言うと、担当者が舞台袖に出てきて一礼してあやまったのも頬笑ましい。

 パンデミック後のライヴ通いを再開してから岡さんを見るのは2度目。まず印象的なのは声がよく通ること。マイクは立ててあるが、やや距離をとり、オフマイク気味。それでも軽々と声が通ってくる。ノーマイクでもいけるんじゃないかと思えるほど。ギターのコード・ストロークの音もシャープかつ豊かな響き。ハーモニカも巧い。つまり、ミュージシャンとしてのレベルがパンデミック前より1枚か2枚、剥けた感覚だ。器もひとまわりは大きくなっている。

 今回は「添田唖蝉坊生誕150周年」記念に《かんからソング IV》として出したCDのレコ発でもある。三部構成で、第一部はギターとハーモニカを伴奏に、「フォーク・ロック」を歌う。第二部はゲストの三遊亭兼好師匠による一席。第三部がカンカラ三線伴奏で唖蝉坊演歌。

 第一部は歓迎のうたから浅草のうた、〈風に吹かれて〉の日本語による替え歌。さらに〈Hard Times Come Again No More〉の日本語版。この2曲がすばらしかった。前者のコーラス、「何度でも言ってくれ、世界が破滅の前夜だなんてウソだろう、ってよ」が心に響く。唖蝉坊もいいが、岡さんには1度、高田渡のカヴァー・アルバムも作ってほしい。

 兼好師匠の噺は終ったばかりの葬式から円楽亡き後の笑点、そして本題はドケチな商人が跡継ぎを決めようと、三人の息子各々に自分が死んだらどんな葬式を出すかを問う。長男は超豪華、次男は盛大なお祭り、そして三男はドケチ。次男のところで祭の囃子を口だけでやってみせるのが見所。この人はこれが得意技なのだろう。あるいはコンサートの客という要素も考えてのことか。リズム感もすばらしく、これだけでも堪能。ちょとホラーなオチまでおおいに笑わせていただきました。

 第三部は明治の演歌師のコスプレです、という扮装で出てくる。あまり特殊なものには見えない。オリジナルに岡さんがオリジナルの詞を付けまくる。〈東京節〉、ラーメチャンタラ、ギッチョンチョンノは〈デタラメ節〉、〈オッペケペー〉は〈オリンピック節〉になる。ラスト前の〈カンカラ節〉も唖蝉坊のメロディにオリジナルのメロディ。

 〈ハテナ・ソング〉というのは1920年、前回の世界的パンデミック、スペイン風邪の時の歌。〈むさらき節〉は一番のみ当時のスタイル、つまりアカペラで歌い、〈四季の唄〉に続けるのがまずハイライト。前回、横浜でのライヴでも披露した唖蝉坊の故郷、大磯の地元自慢のうた〈磯自慢〉は15番まである歌詞のうち6番まで。国立劇場でもうたったという〈鉄道唱歌〉の元歌である〈汽車の旅〉。これも唖蝉坊だそうな。そして、これも横浜でハイライトだった〈ヤカ節〉。今回のベスト・シンギング。シンガーとしての岡大介の良いところが全部、ベストの形で出ていた。うーん、こうなると、沖縄島唄でも1枚、ぜひ作ってほしい。アンコールの〈月ぬかいしゃ〉がまたすばらしい。カンカラ三線のコード・ソトロークにぞくぞくする。

 木馬亭は唖蝉坊の息子の知道が出演したことがあるそうで、岡さんがここにこだわるのもそのためという。実際、こうして何度も見ていると、こちらもここで見るのが一番しっくりする。出るともうまだ温もりの残る夜。浅草寺の境内を抜けてゆくと、外国からのお客さんの姿も増えてきたようだ。(ゆ)

 朝、眼が覚めて、ベッドの中でうだうだとメール・チェックをしていると、カードが落ちないぞ、とのメール。そんなはずはない、とびっくり仰天して、あわてて通帳をチェックすると、7月から記帳していない。

 うっへえ、と銀行にでかけて記帳する。そんなはずはやはりあって、確かに不足している。まだカネが口座にあると思って、野放図に買物をしていたわけだ。ありったけの金を入れて、とりあえず、今回はクリアする。が、カネが無いことは変わらず。一気にビンボーになってしまった。ビンボーになっていることを突きつけられた。

 次の入金があるまでは、必需品以外、何も買えない。ライヴも新たなものは予約できない(今月末の徳島のみわけんコンサート、北島トラディショナル・ナイト25周年に行こうかと計画していたのもパー)。応援しようとおもっていたクラウドファンディングもやめ。年末年始を乗切るには、ギリギリ切り詰めるしかない。

 買物依存症だぞ、という警告でもあり、買いためたものを消化せよ、との天の声であろう。しばらくはひたすらおとなしくして、積み上がっているものを読んだり、聴いたりすることに専念する。

 いや、溜まっている仕事もせねばならぬ。もっと働け、と天の声は言っているのか。もう隠居したいよ。でも隠居すると食えないか。(ゆ)

 HiBy RS2 は面白い。無線をばっさり捨てて、R2R DAC を載せ、マイクロSDカードを2枚サポート。ストレージに入れた音楽再生、それも有線のカンに特化している(AV Watch は無線を捨てていると正確に書いている)。DAP の原点。外見も AK100そっくり。でもこれでいいんだよ。

 

 DAP に無線イヤフォンを使うのは邪道だ。無線イヤフォンはスマホで聴くためのものだ。66万の DAP を無線で聴くのか。ストリーミングのために WiFi はあってもいいが、DAP に青歯はそれこそ蛇足だ。

 いや、わかってるさ。無線が有線よりも音が良くなるのは時間の問題だということは。しかし、それはつまり無線のカンに DAC とアンプが入っているからなので、これらが進化すれば DAP に高価な DAC もパワフルなアンプも要らなくなる。そうなると DAP のレゾン・デートルは無くなる。スマホと無線だけで完結する。ストリーミングだって、今でもスマホで Tidal も聴けるのだ。

 とすれば、DAP としてはストレージ=マイクロSDカードに入っている音源をよい音で聴かせることが肝要になる。無線のカンとは異なる良い音で聴かせることだ。であれば DAP と組み合わせるのは有線しかない。

 つまりは RS2 は DAP の原点回帰のように見えて、その実、DAP の未来形なのだ。(ゆ)

 shezoo さんのプロジェクトとしては最も長いものになったトリニテの新ヴァージョンを初めて見る。Mk3 である。このメンバーでは2回目だそうだが、もうすっかりユニットとして十分に油が回っている。

 そもそもトリニテは壷井さんと shezoo さんが組むことが出発点で、この二人さえいれば、あとは誰がいもトリニテになる、と言えるかもしれない。楽曲もヴァイオリンを活かした形に作られたり、アレンジされたりしている。ここではピアノはあくまでも土台作りに徹して、派手なことはやらない。即興では少し羽目をはずすけれども、他のユニットやライヴの時よりも抑制されている。

 とはいえ、ユニットである以上、他のメンバーによって性格は変わってくる。初代のライヴは一度しか見られなかったが、パーカッションの交替で性格が一変したことは、ファーストとライヴ版を聴けばよくわかる。もっともパーカッションはスタイルも使う楽器も基本的な姿勢も人によってまったくの千差万別だし、岡部氏と小林さんではさらに対照的でもある。ユニットの土台がピアノで、パーカッションはむしろ旋律楽器と対等の位置になるトリニテではなおさら変化が大きくなるだろう。

 今回はけれどもクラリネットが交替が大きい。トリニテの曲はリリカルな側面がおいしいものが多く、小森さんはその側面を展開するのにぴったり合っていた。トリニテのライヴは1本の流れで、烈しい急流もあり、ゆったりとたゆたう瀬もあり、その流れをカヌーのようなボート、あるいは桶にでも乗って流されてゆくのが愉しかった。

 今度のトリニテはパワー・ユニットである。たとえていえば、Mk2 がヨーロッパの、ECM的なジャズとすれば、新トリニテはごりごりのハード・バップないしファンキー・ジャズと言ってもいい。そもそもずっとジャズ寄りになっている。

 北田氏のクラリネットはまず音の切れ味がすばらしい。音もフレーズも切れまくる。バス・クラですらこんなに切れていいのか、と思ってしまうほど。しかもその音が底からてっぺんまでがっちりと硬い。確かに、小森さんは、ときたまだが、もう少しクラリネットが前に出てほしい、と思うときもなくもなかった。北田氏は、この日は会場の都合でたまたまだろうが、位置としても一番前で、オレがこのバンドの主という顔で吹きまくる。

 壷井さんも当然負けてはいない。これまでのトリニテのライヴでは聴いたこともないほどアグレッシヴに攻める。しかも KBB の時のようなロック・ヴァイオリンではなく、あくまでもトリニテのヴァイオリンの音でだ。そうすると響きの艷がぐっと増す。〈人間が失ったものの歌〉の、低域のヴァイオリンの響きの迫力は初めて聴くもので、この曲がこの日のハイライト。

 これを聴くと壷井さんの演奏が実にシリアスなのがよくわかる。MC では冗談ばかりとばしているイメージがあるけれども、根は真面目であると、これを聴くと思ってしまう。北田氏の演奏は対照的にユーモアたっぷりだ。クラリネットという楽器がそもそもユーモラスなところがあるけれど、それにさらに輪をかけているようだ。

 今回の発見は〈アポトーシス〉がバッハの流儀で作られていること。バッハ流ポリフォニーで始まり、フーガになる。まさに前奏曲とフーガ。それに集団即興が加わるところが shezoo 流ではある。

 この曲と〈よじれた空間の先に見えるもの〉が CD では表記が入れ替わっていた、というのにはあたしも全然気がつかなかった。トリニテはライヴで見ることが多く、CD を聴いてもタイトル・リストはあまり見ていないからか。ライヴでタイトルと曲が結びついていたせいかもしれない。

 北田氏の印象があまりに強くて、パーカッションの変化があまり入ってこなかったのだが、井谷氏は岡部氏や小林さんに比べると堅実なタイプのように聞えた。どこかミッキー・ハートを連想したりもする。次回はもう少し、注目してみたい。

 トリニテの次は来年1月22日、かの埼玉は越生の山猫軒。山の中の一軒家で、shezoo さんの「夜の音楽」のライヴ盤の録音場処。調べると日帰りも無理ではないので、思いきって行ってみることにする。

 それにしても、トリニテも10年かけて、いよいよ面白くなってきた。これあ、愉しみ。(ゆ)

壷井彰久: violin
北田学: clarinet, bass clarinet
井谷享志: percussion
shezoo: piano

 笛とハープは相性が良い。が、ありそうであまりない。マイケル・ルーニィ&ジューン・マコーマックというとびきりのデュオがいて、それで充分と言われるかもしれないが、相性の良い組合せはいくつあってもいい。梅田さんは須貝知世さんともやっていて、これがまた良いデュオだ。

 このデュオはもう5回目だそうで、いい感じに息が合っている。記録を見ると前回は3年前の9月下旬にやはりホメリで見ている。この時は矢島さんがアイルランドから帰国したばかりとのことでアイリッシュ中心だったが、今回はアイリッシュがほとんど無い。前日のムリウイでの若い4人のライヴがほぼアイリッシュのみだったのとは実に対照的で、これはまたこれで愉しい。

 スウェディッシュで始まり、おふたり各々のオリジナル、クレツマーにブルターニュ。マイケル・マクゴールドリックのやっていた曲、というのが一番アイリッシュに近いところ。どれもみな良い曲だけど、おふたりのオリジナルの良さが際立つ。異質の要素とおなじみの要素のバランスがちょうど良い、ということだろうか。3曲目にやった矢島さんの曲でまだタイトルが着いていない、作曲の日付で「2022年07月22日の1」と呼ばれている曲は、サンディ・デニーの曲を連想させて、嬉しくなる。

 矢島さんは金属フルート、ウッド・フルート、それにロゥホィッスルを使いわける。どういう基準で使いわけるのかはよくわからない。スウェディッシュやクレツマーは金属でやっている。梅田さんの na ba na のための曲は、一つは金属、もう一つはウッド。どちらにしても高域が綺麗に伸びて気持ちがよい。矢島さんの音、なのかもしれない。面白いことに、金属の方が響きがソフトで、ウッドの方がシャープに聞える。このフルートの風の音と、ハープの弦の金属の音の対比がまた快感。

 もっとも今回、何よりも気持ちが良かったのはロゥホィッスル。普通の、というか、これまで目にしている、たとえばデイヴィ・スピラーンやマイケル・マクゴールドリックが吹いている楽器よりも細身で、鮮やかな赤に塗られていて、鮮烈な音が出る。この楽器で演られると、それだけで、もうたまらん、へへえーと平伏したくなる。これでやった2曲、後半オープナーのマイケル・マクゴールドリックがやっていた曲とその次のブルターニュの曲がこの日のハイライト。ブルターニュのメドレーの3曲目がとりわけ面白い。

 マイケル・マクゴールドリックの曲では笛とハープがユニゾンする。梅田さんのハープは積極的にどんどん前に出るところが愉しく、この日も遠慮なくとばす。楽器の音も大きくて、ホメリという場がまたその音を増幅してもいるらしく、音量ではむしろフルートよりも大きく聞えるくらい。特に改造などはしていないそうだが、弾きこんでいることで、音が大きくなっていることはあるかもしれないという。同じメーカーの同じモデルでも、他の人の楽器とは別物になっているらしい。

 クローザーが矢島さんとアニーの共作。前半を矢島さん、後半をアニーが作ったそうで、夏の終りという感じをたたえる。今年の夏はまだまだ終りそうにないが、この後、ちょっと涼しくなったのは、この曲のご利益か。軽い響きの音で、映画『ファンタジア』のフェアリーの曲を思い出すような、透明な佳曲。

 前日が活きのいい、若さがそのまま音になったような新鮮な音楽で、この日はそこから少しおちついて、広い世界をあちこち見てまわっている感覚。ようやく、ライヴにまた少し慣れて、身が入るようになってきたようでもある。

 それにしても、だ、梅田さん、そろそろCDを作ってください。曲ごとにゲストを替えて「宴」にしてもいいんじゃないですか。(ゆ)

 言葉はあまりよくないかもしれないが、とれたての新鮮な音楽、というのが、しきりに湧いてきた。ひとつにはフルートの瀧澤晴美さんがリムリックの大学院を卒業して3日前に帰国された、その歓迎ライヴということがある。その卒業コンサートで演奏した曲を、ここでも演奏されたりする。

 瀧澤さんのフルートは、たとえば須貝知世さんのそれを思い浮かべてみると、やや線が細く、繊細な感じがする。一方でしなやかで、強靭なところもある。もっとも今回は隣が木村さんで、おまけに木村さんが「新兵器」のメロディオンを持ちこんできたから、その究極とも言える音の太さは強烈で、あれと並んでしまうと、どんな音でも細く聞えるかもしれない。それでも、ソロで、その卒業演奏の曲、曲名がよく聴きとれなかったが、Bobby Gardner の娘さんの曲で、とりわけラストのテンポを落としたところは、繊細かつ新鮮なみずみずしさがしたたるようだ。

 昨年10月末の Castle Island のイベントでのセッションで習ったというジグのセットは伝統曲とリズ・キャロルともう1曲、オリジナル曲の組合せが、実にモダンで新鮮に響く。リズ・キャロルが入ればなんでも新鮮になるところはあるにしても、もう一段レベルが上がって、モダンかつ新鮮になる。たぶん、曲の組合せの効果だろうが、今、アイルランドで演奏されているセットという事実も後押ししているかもしれない。

 レパートリィでも新鮮さは増幅される。2020年の Young Scottish Traditional Awards 受賞のパイパーの作った曲というだけで新鮮だが、〈Toss the Feathers〉のような曲が入ったセットすら、新鮮になるのは面白い。たぶんこういう新鮮な感覚は、ライヴでしかわからないだろうとも思う。これをまんま録音してみても、すり抜け落ちてしまうんじゃないか。

 メンバーが若いことも、新鮮な感覚に寄与しているとも思われる。木村さんが同年代のメンバーを集めたそうで、4人とも20代半ば。やはりこの時にしか出ない音、響きというのはあるものだ。かつて Oige のライヴ盤を聴いたとき、文字通り「青春」まっただなか、という響きに衝撃を受けたものだが、あの感覚が蘓える。むろん天の時も地の利も違うので、音楽が同じわけではないけれど、若いというのは特権的な魅力がある。年をとるとそういうところがよくわかる。

 このメンバーはダンス・チューンでは音のころがし方が快い。フルートは持続音で、あんまりころころところがる感じがしないものだが、どこがどういうものか、この日はジグもリールも、全体としてよくころがっていると聞えた。流れるよりはころがる感じ。ごろんごろんではなく、ころころころだ。この点も含めて、4曲目のホップ・ジグからの4曲のセットがこの日のハイライト。どれも佳曲で、しかも、だんだん良くなる。選曲の妙だ。

 選曲と組合せが巧いのは木村さんのメロディオン・ソロでも愉しかった。楽器の特性を活かす選曲でもある。

 木村さん以外、初体験というのも新鮮さを加えていたかもしれない。フィドルの福島さんはどっしりと腰の座った、安定感あふれる演奏で、頼もしい。どういうわけかわが国の一線で活躍しているフィドラーは女性がほとんどなので、小松大さんに続く男性の登場はうれしい。やはり両方そろっているのが理想だ。時間に余裕があるので、とやったソロも良かった。オープン・チューニングという「反則技」を使ったそうだが、スロー・エアからジグは、有名曲なのに初めて聴く気がした。

 杉野さんのギターは音数が少なめで、ミホール・オ・ドーナルとデニス・カヒルの合体のように聞える。やはりどちらかというとリスナーに向けてよりもプレーヤーに向けて演奏している。後で確認すると、高橋創さんがお手本だそうで、改めて納得。。

 前回の木村さんのライヴと同じく、アイリッシュばかりのセレクションも気持ちが良い。スコットランド人の曲も、アイルランドにいる幼い女の子のためだそうで、あまりスコティッシュの感じがしない。

 清流に浸かって、内も外もすっかり綺麗に洗われた気分。わずかにしても若返った感じすらある。まことにありがたい。ご馳走様でした。

木村穂波(ボタンアコーディオン、メロディオン)
福島開(フィドル)
瀧澤晴美(アイリッシュフルート)
杉野文俊(ギター)

09月07日・水
 昨年09月08日から始めて、これで「本日のグレイトフル・デッド」は一年一周した。無事一周できてほっとしている。地震・台風・豪雨に核戦争、いつどうなるか、わからない。ひとまずここで一段落とする。途中で形式を変えたり、書込む情報を追加したりしたので、本来ならもう一周すべきだろうが、やはりくたびれた。まるで1年間、ネヴァー・エンディグ・ツアーをやった感覚だ。とりあえず土台はできたので、肉をつけてゆく作業はのんびりやろうと思う。

 肉付けする作業をこのブログの各記事のページでやるか、それとも別途、ウエブ・サイトを立てるかも考えたい。デッドのウィキのようなものを作るかとも思うが、「本日のグレイトフル・デッド」はあまりに個人的主観的観察や考察、あるいは思いつきの色彩が濃いから、多少ともパブリックな場にはふさわしくなかろう。ただこのブログの各ページに追加するというのも使い勝手が悪そうだ。

 肉付けは、追加の情報、各々の音源を聴いて湧いたこと、感じたことがメインになるだろう。今年は1972年、77年、90年の各春のツアーの手許にある公式録音を全部聴いたが、正直、そこで力尽きた。それだけでこちらの受容能力の限界を試された。かろうじて最後まで聴けたけれど、それ以上聴いても、音楽が中に入ってこないところまで達してしまった。デッドの音楽は情報量が多すぎる。聴いている間は実に愉しいし、幸せだが、1本聴き終るとぐったりする。

 なので、少し休んで、溜まっているものを片付けてから、あらためてデッドを聴く作業にもどる予定。なるべくツアーや一連のランをまとめて聴こうと思う。上記3つのツアーもあらためて各々に通して聴きたい。

 もう一つの課題は公式にリリースされていないが、質の高いショウをなるべくたくさん聴くことである。そんなに質が高くないものも聴くべきではあるが、なにせ、もう時間が無い。

 他にも聴きたいものは多々あって、日々増えているが、追われるように聴くのもこの年になると無理だ。加齢による耳の劣化も日々実感している。補聴器をつけてオーディオ機器のレヴューをしている人もいるから、いずれそうなるだろう。といって、老化と競走はできない。なにごとにつけ、老人は急げない。カラダに合わせたペースでしか動けないのだから、カラダとの対話を愉しむことであろう。


%本日のグレイトフル・デッド
 09月07日には1969年から1990年まで6本のショウをしている。公式リリースは1本。

1. 1969 Family Dog at the Great Highway, San Francisco, CA
 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。
 30分のテープがある。ジェファーソン・エアプレインのヨウマ・カウコネン、ジャック・キャサディ、ジョーイ・コヴィントンが参加。
 3曲目で〈Johnny B. Goode〉がデビュー。言わずとしれたチャック・ベリーの曲。1957年12月リリースのシングル。B面は〈Around and Around〉。ビルボードで最高8位。デッドは1995年04月05日まで285回演奏。演奏回数順では44位。〈Goin' Down The Road Feeling Bad〉よりも3回少なく、〈Candyman〉より4回多い。スタジオ盤収録は無し。オープナー、クローザー、アンコールが多い。
 7曲目で〈Big Railroad Blues〉がデビュー。1966年にも演奏したといわれるが、確証が無い。Noah Lewis の作詞作曲。ルイスがメンバーだった Gus Cannon の Cannon's Jug Stompers による録音が1928年にリリースされている。デッドは1995年06月25日まで176回演奏。1974年10月で一度レパートリィから落ち、1979年02月17日に復活。1980年代は定番として演奏された。スタジオ盤収録はないが、《Skull & Roses》に収録。
 キャノンズ・ジャグ・ストンパーズのレパートリィからは〈Viola Lee Blues〉に続く採用。このどちらも収録した《Alexis Korner Presents Kings Of The Blues Vol. 1》という4曲入り7インチが1963年に出ている。
 デッドのレパートリィにはノア・ルイスの曲としてもう1曲〈New Minglewood Blues〉があるが、こちらは CJS時代に作ったまたは編曲した〈Minglewood Blues〉を改訂してルイス自身の Noah Lewis Jug Band で1930年頃に録音した〈New Minglewood Blues〉を元にしている。《The Great Jug Bands》という1962年のオムニバスに収録がある。

2. 1973 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。5.50ドル。開演7時。08月01日以来、夏休み明けのショウ。
 クローザー前の〈Eyes Of The World〉が《Beyond Description》でリリースされた後、これを含んで、第一部クローザーの2曲が《Dave’s Picks, Vol. 38》、第二部の2曲を除く全て、8曲が《Dave's Picks Bonus Disc 2021》でリリースされた。曲数にして10曲で半分弱、時間して2時間弱、3分の2以上がリリースされたことになる。
 第二部4曲目で〈Let It Grow〉がデビュー。バーロゥ&ウィアの曲。この日は単独だが、翌日から〈Weather Report Suite〉の第三部に組込む形で演奏される。大休止からの復帰後は単独で演奏される。1995年07月02日まで、計275回演奏。演奏回数順では48位。〈Row Jimmy〉より1回少なく、〈I Need a Miracle〉より3回多い。組曲としては47回演奏。
 ワイオミングの農場に育ち、自分も農場経営をしていたバーロゥ一流の自然讃歌と聞える。朗らかな曲。組曲、単独、どちらも各々に名演がある。
 録音で聴ける演奏はすばらしい。〈Eyes Of The World〉は後半のジャムがすさまじい。歌が終ってまずベースのソロ、その次のガルシアのギターが尋常ではない。尋常ではないかれのギターとしても尋常ではい。さらにキースが積極的にからむと、ガルシアのギターがさらに羽目をはずす。第一部の〈Bird Song〉も13分を超える力演。〈Playing In The Band〉はすっかり成長して18分。まだ終始ビートがある形で、くー、たまらん。

3. 1983 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。14.30ドル。開演7時。
 ひじょうに長いショウらしい。長いショウはたいてい出来がいい。

4. 1985 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。開演2時。
 ガルシアがなんらかの機器トラブルでなかなか出てこなかったので、ウィアが時間稼ぎのジョークに〈Frozen Logger〉をやる。カズーまで使ったそうな。第二部後半で〈Dear Mr. Fantasy> Hey Jude> Dera Mr. Fantasy〉を初めてやるが、ひょっとすると意図したものではなく、たまたまそうなってしまったアクシデントだったかもしれないとも聞えるという。もっともデッドの音楽にはそうしたアクシデントが一面鏤められていて、そのいくつかが定番のペアになったり、ある時期、ほとんど固定したメドレーとして演奏されたりする。
 全体としてはかなり良いショウとみえる。

5. 1987 Providence Civic Center, Providence, RI
 月曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。開演7時半。
 かっちりとした、とりわけ突破したところもないが、ひどいところはもっと無い、レベルの高いショウのようだ。

6. 1990 Coliseum, Richfield, OH
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。07月23日以来のショウ。秋のツアーのスタート。ブレント・ミドランド急死後初のショウ。ヴィンス・ウェルニクのデビュー・ショウ。ショウの出来は良いようだ。

 ウェルニクもタダモノではなかったとあたしは思う。ミドランドの後任を選ぶオーディションでは、オーディションをしなければならないということそのものがミドランドの死の衝撃をあらためて実感させ、バンド・メンバー、とりわけガルシアが参ってしまって一刻も早く終らせたがった。そして、まともに歌えて鍵盤が弾ける最初の候補者がウェルニクだった、といわれることがある。これがたとえ事実の一端であったとしても、だからウェルニクはダメだということにはなるまい。こいつならば、これから何年も一緒にやっていってもOKという感覚が無かったならば、バンド・メンバーはかれを選ばなかったはずである。そういう直感はデッドではとりわけ鋭いだろう。

 デッドの音楽はバンドの音楽なので、個々のメンバーにあるレベル以上の技量があればこなせるというようなものではない。バンドという有機体に溶けこむ一方で、独自の貢献ができるだけの器量を備えている必要がある。他のメンバーによって、単独では到達できないレベルに引き上げられる効果もあるにしても、そもそも備えているものが違えばどうにもならない。

 たとえばトム・コンスタンティンは、音楽家としての資質では不足は無かったが、その資質の向いている方向が、デッドが向かっているところとはついに合わなかった。リハーサルではすばらしい演奏をするが、本番でそれに匹敵する演奏をしたことはついに無かった、というビル・クロイツマンの評があたっているとすれば、ミュージシャン同士だけではなく、聴衆の反応を糧とし、聴衆と(そしておそらくはクルーやヴェニューのスタッフなども含めて)一体となってある現象を生みだしてゆくデッドのやり方に、コンスタンティンはどうしても肌が合わなかった、ということだろう。おそらくコンスタンティンにとって聴衆は自分の送りだす音楽の受け手に留まっていてほしかったのではないか。

 キース・ガチョーもブレント・ミドランドも、その点でデッドのやり方に心から賛同し、バンドと一体となれた。ウェルニクは、ひょっとすると二人の前任者以上に、そのやり方に音楽家としてのスリルを感じ、幸福を味わっていたようでもある。デッドに拾われていなければ野垂れ死にしていただろうということだけでなく、グレイトフル・デッドという、他には類例のないユニットの一員として音楽をすることに、心からの歓びを感じていたように見える。

 ブルース・ホーンスビィがフルタイムの正式メンバーとなっていたら、と想像することは楽しいかもしれないが、不毛な想像でしかない。それに、確かにホースビィはステージで多大の貢献をしているにしても、ではフルタイムのメンバーとしてバンドと一体になれたか、という点では疑問が残る。ホーンスビィとしては、あくまでも助っ人として参加することが精一杯のところであり、ベストの形ではなかったか。

 とにもかくにも、1990年代のデッドの音楽はウェルニクの時代として残ることになる。ピグペンの60年代、キースの70年代、ミドランドの80年代、そしてウェルニクの90年代、という鍵盤奏者によるデッドの音楽の変化を愉しむのもまた、デッドを聴く愉しみ方として有効だ。(ゆ)

09月06日・火
 母の補聴器定期点検に付き添う。

 タクシーに乗せて送り、昼飯に中村屋に入ると新メニューで白目米を使ったビリヤニがあるので、試す。当たり。これまではコールマン・カレーの一択だったが、選択肢ができた。

 付いてくるカレースープがまた旨い。残り少なくなったらかけて食べろということだが、あまりの旨さにスープだけどんどん飲めてしまう。載っているチキンとジャガイモもいい。ジャガイモは皮を残しているのが旨い。インドカリーがインドのカレーとは違うように、ビリヤニもバスマティライスのものとは別物で、なおかつすばらしい。



%本日のグレイトフル・デッド
 09月06日には1969年から1991年まで、7本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1969 Family Dog at the Great Highway, San Francisco, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。ジェファーソン・エアプレインが共演し、SBD があるそうだ。
 6曲、44分のテープがある。これで全部かは不明。
 クローザーで〈It's All Over Now〉がデビュー。Bobby & Shirley Womack の作詞作曲。1995年07月02日まで177回演奏。スタジオ盤収録無し。
 〈Good Lovin'〉に珍しくもガルシアがヴォーカルで参加。

2. 1979 Madison Square Garden, New York, NY
 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。
 なぜか、客電が点いたままだったらしい。中身は良かった。

3. 1980 Maine State Fairgrounds, Lewiston, ME
 土曜日。12ドル。開演1時。08月16日からの夏のツアーがこれで千秋楽。3週間休んで秋のウォーフィールドとラジオシティでのレジデンス公演。
 A級のショウらしい。第二部 drums 前で〈Playing In The Band> Uncle John's Band〉をやり、クローザー前で〈Uncle John's Band> Playing In The Band〉で締めた、というだけでぞくぞくする。〈One More Saturday Night> Brokedown Palace〉のダブル・アンコールもすばらしかったそうな。前者ではウィアの声は完全に潰れていた。なにせ、このショウは第一部だけで100分ある。

4. 1983 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO
 火曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。14.30ドル。開演1時半。
 アンコールに〈Brokedown Palace〉をやるショウはまずまちがいがない。

5. 1985 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。開演午後2時。
 やはりチケットは古い時刻が黒く塗りつぶされて、赤のスタンプが押されている。
 まずまずのショウらしい。

6. 1988 Capital Centre, Landover, MD
 火曜日。このヴェニュー4本連続の楽日。開演7時半。
 クローザー前の〈Throwing Stone〉で聴衆が異様なまでに盛り上がり、コーラスでバンドの音がかき消されるほどだった。

7. 1991 Richfield Coliseum, Richfield, OH
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。開演7時半。良いショウのようだ。(ゆ)

09月05日・月
 岩波文庫今月の新刊の1冊『サラゴサ手稿』上巻を注文。三分冊で完訳になる予定。今世紀に入って初めて全貌が明らかになったのだそうだ。Wikipedia によれば、フランス、ポーランド、スペイン、ロシアの図書館に散在していた、まったくの新発見も含むオリジナルのフランス語原稿を集め、突き合わせた批判校訂版が2006年に出ている。この記事によると、1804年版と1810年版の、それぞれ違う原稿があるそうな。この作品の全体像が世に出たのはこれが初めて。以前、東京創元社から完訳が出るという話があったが、いつの間にか立ち消えになっていた。とにかくこれの完訳が出るのはめでたい。

サラゴサ手稿 ((上)) (岩波文庫, 赤N519-1)
ヤン・ポトツキ
岩波書店
2022-09-17



%本日のグレイトフル・デッド
 09月05日には1966年から1991年まで6本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1966 Rancho Olompali, Novato, CA
 月曜日。05月22日の再現? この「楽園」でのサマー・キャンプの打ち上げパーティー?

2. 1979 Madison Square Garden, New York , NY
  水曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。11ドル。開演7時半。
 見事なショウだそうだ。

3. 1982 Glen Helen Regional Park, Devore, CA
 日曜日。US Festival というイベント。17.50ドル。3日間通し券は37.50ドル。開演10時終演6時。
 「アス・フェスティヴァル」はこの年レイバー・デー週末と翌年春のメモリアル・デーすなわち5月末の2度開かれたイベント。一躍億万長者になった Apple 創業者の一人スティーヴ・ウォズニアクがビル・グレアムの協力を得て開催。設営費用はすべてウォズニアクが負担。この年は40万人、翌年は67万人を集めた。
 デッドは3日目のトップ・バッターで "Breakfast in Bed with the Grateful Dead!" と題された。第一部6曲、第二部8曲、アンコール2曲の、デッドとしては短かめのステージ。ちなみにその後はジェリー・ジェフ・ウォーカー、ジミー・バフェット、ジャクソン・ブラウン、トリはフリートウッド・マック。
 会場はロサンゼルスの東、サン・バーディーノ郡デヴォアの公園で、気温摂氏43度に達した。Bill Graham Presents のスタッフは不定期にバケツ一杯の氷を聴衆の上にぶちまけた。
 フェスティヴァルも3日目で、Robin Nixon が会場に着いた時には、酔っぱらってやかましく、他人の迷惑など考えない群衆で一杯だった。ほとんどはデッドのファンでもない。朝一番で出てきたデッドのメンバーもほとんどゾンビーで、つまらなくなくもない演奏。長いジャムなどは無し。何のために来たんだか、とニクソンは DeadBase XI で書いている。

4. 1985 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO
 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。開演2時。チケットは「開演7時」と印刷されているのが黒く塗りつぶされ、「開演2時」と赤くスタンプが押されている。開演時刻が急遽変更になったか、チケット印刷の際のミスか。
 アンコールの〈Brokedown Palace〉が途中でぐだぐだになり、一度やめて打合せをしてから、あらためてやりなおすよと宣言して、今度はすばらしい演奏をした。

5. 1988 Capital Centre, Landover, MD
 月曜日。このヴェニュー4本連続のランの3本目。開演7時半。
 水準は高いが、どこか吹っ切れない出来というところか。

6. 1991 Richfield Coliseum, Richfield, OH
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。開演7時半。08月18日以来の、夏休み明けのショウ。
 〈China Doll〉の美しさがわかるショウだそうだ。(ゆ)

09月04日・日
 ジャン・パウル『気球乗りジャノッツォ』を読む。うん十年前に買ったまま積読になっていた。読む時がようやく満ちたのだ。と思うことにしている。

 ローマ生まれのいたずら者の毒舌家ジャノッツォが気球に乗ってドイツの上を遊覧し、アルプスの手前で雷に打たれて墜落、死ぬ2週間の「航行日誌」。本文140ページの、長さから言えばノヴェラになる。パウルの作品としては短かい方だ。

 この本の成立は少々変わっている。パウルは畢生の大作『巨人』を1800年から4分冊で刊行する際、その各巻に付録を付ける。読者サーヴィスでもあり、また本篇では抑制した(ほんとかよ)脱線癖を発揮するためでもあった。その第二巻に付けられた二つの付録の片方がこの作品。もう片方は当時の文学、哲学への批判と、自作への批評に対する反駁のエッセイ。ということはこの小説と同じコインの片面をなすのだろう。

 1783年モンゴルフィエが気球で初めて上昇に成功。2年後の1785年、ブランシャールが気球で英仏海峡横断に成功。という時代。気球で旅をする話はこれが初めてではないが、気球によって地表の上を旅することがリアリティをもって書かれたのはおそらく初めてではないか。サイエンス・フィクションの歴史でジャン・パウルの名は見た覚えがないけれど、ここにはほとんどサイエンス・フィクションと呼べるシーンや叙述も出てくる。

 原題をまんま訳すと『気球船乗りジャノッツォの渡航日誌』。人が空を飛ぶのは始まったばかりで、それに関する用語はまだない。したがってパウルは気球を空飛ぶ船に見立てて、航海術の用語を使い、シャレもそれに従っている。そこで訳者は「気球船」と訳す。

 宇宙空間を飛ぶのをやはり我々は船が進むのに見立てている。実際は地表の上を飛ぶのとは違い、完全に三次元の動きになるから、新しい用語や表現が必要になるはずだ。たとえば、右舷、左舷だけでは足らなくなる。斜め45度への移動を呼ぶ用語も作らねばならない。航空術ではすでにあるのか。しかし惑星表面では惑星の重力が働くから上昇下降ですむが、上下のない宇宙空間の移動はまた別の話だ。

 閑話休題。ここではまだ空を飛ぶことすら新しい。城壁に囲まれた市街地に降りても、住人は相手が空から降りてきたことを理解できず、どの門から入ったのかと執拗に問いただしたりする。上空から見る、俯瞰するのは、当時大部分の人間にとってはまだ神の視点、目線だったはずだ。その作用を利用してもいる。ジャノッツォは神ではないが、有象無象でもない。一段上の存在になりうる。そうして上から見ることで見えてくる人間のばかばかしさを、ジャノッツォの口を借りて、パウルは縦横無尽に切りきざみ、叩きつぶす。

 「陽気なヴッツ先生」も同じだが、パウルの批判、嘲笑、痛罵には、自分もその対象に含んでいるところがある。ジャノッツォが怒りくるっているのは相手だけでなく、そういうやつらと否応なく関らねばならない自分にも怒っている。ように見える。絵を見ている自分もその絵に含まれるエッシャーの絵のような具合だ。高みにあって、地上からは一度切れた快感とともに、その地上にやはりつながれていることを自覚してもいる。自分だけは違う、などとは思わない。ジャン・ジャック・ルソーに心酔し、フランス語風に Jean Paul と名乗りながら、「ジャン・ポール」ではなく、ジャン・パウルと仏独混合読みされてきた、そう読ませるものが、その作品にある気がする。そしてそこが、自分のことは棚に上げてしまう凡俗とは一線を画して、パウルの批判、嘲笑、痛罵をより痛烈に、切実にしている。確かに直接の対象である同時代、18世紀末から19世紀初めのドイツの事情そのものはわからなくなっていても、パウルが剔抉している欠陥自体は時空を超えて、21世紀最初の四半世紀にも通底する。どころか、むしろますますひどくなってはいないか。ネット上でグローバルにつながりながら、一人ひとりは、昔ながらの、それこそ18世紀以来のローカルな狭い価値観にしがみつく俗物根性の塊のままではないか。

 ここにはまた地上では絶対に見られない美しさもある。第十一航。オークニーの南にいる、というのだから、いつの間にかここでは北海の上に出ているらしい。その海と空のあわいにあって、ジャノッツォの目に映る光景は、訳者も言うように一篇の散文詩だ。同時代のゲーテと違って、パウルは詩作はしなかったらしいが、散文による詩と呼べる文章は他にもいくつもある。こういう光景を想像でき、そしてそれを文章で表現することを開拓しているのだ、この人は。

  解説で訳者が指摘している著者の話術の効果として3番目の、語る者と語られるものの関係を多重化することで、作品世界とそこで起きていることにリアリティを与える、小説世界の独立性を確保することは、その後の小説の展開を先取りしているし、現代的ですらある。

 ゲーテの古典主義とは袂を別ち、ロマン派の先駆とみなされるのも当然と思われるあふれるばかりの想像力を備え、嵐のような譬喩を連ねて、時にはほとんどシュールレアリスムと呼びたくなるところまで行く。こういうのを読むと、ドイツ語もやっときゃよかった、と後悔する。

 とまれ、ジャン・パウルは読まねばならない。ドイツ文学史上の最も独創的なユーモア長篇作家、と訳者は呼ぶ。

ジャン・パウル『気球乗りジャノッツォ』古見日嘉=訳, 現代思潮社/古典文庫10, 1967-10, 170pp.


%本日のグレイトフル・デッド
 09月04日には1966年から1991年まで6本のショウをしている。公式リリースは1本。

1. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
 日曜日。3ドル?。チラシには「月曜夜の入場料はすべて3ドル」とあり、その前の週末の入場料は別のように見える。が、そちらの料金はどこにもない。前売料金無し。ちなみにこの前の金・土はジェファーソン・エアプレインがヘッドライナー。後の月曜日は Martha & the Vandellas がヘッドライナー。
 クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、カントリー・ジョー&ザ・フィッシュ共演。セット・リスト不明。
 デッドにとってこのヴェニューでの初のヘッドライナー。
 Martha & the Vandellas は1957年にデトロイトで結成された黒人女性コーラス・トリオ。1960年代、モータウンの Gordy レーベルから一連のヒットを出した。1967年以降は Martha Reeves & The Vandellas と名乗る。1972年解散。

2. 1967 Dance Hall, Rio Nido, CA
 月曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。セット・リスト不明。

3. 1979 Madison Square Garden, New York , NY
 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。11ドル。開演7時半。
 これも良いショウだそうだ。

4. 1980 Providence Civic Center, Providence, RI
 木曜日。
 第二部3曲目〈Supplication Jam〉からアンコール〈U.S. Blues〉までの10曲が《Download Series, Vol. 07》でリリースされた。

5. 1983 Park West Ski Area, Park City, UT
 日曜日。
 紫の煙をたなびかせながらパラシュートで会場に降りた男がいたそうな。
 ショウは見事。

6. 1991 Richfield Coliseum, Richfield, OH
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。開演7時半。08月18日以来、夏休み明けのショウ。
 平均より上の出来の由。(ゆ)

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