クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

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 今月2日にドナ・ジーン・ガチョー Donna Jean Godchaux が亡くなったと、今日配信の Grateful Dead Bulletin で知らされました。がんで闘病していたそうです。享年78歳。

 ドナはグレイトフル・デッドの紅一点として、1972年から1979年まで在籍しました。デッドには有能な女性を集める力があって、黎明期から彼女たちの存在がバンドの存続に必要不可欠でありましたが、いずれもスタッフ、クルーとして裏方を努めていて、メンバーとして表舞台に立ったのはドナだけです。

 ドナはアラバマ州出身。若い頃はマッスルショールズでセッション・シンガーとして活動し、パーシー・スレッジ、エルヴィス・プレスリーのナンバー・ワン・ヒットでバック・コーラスに参加した他、ボズ・スキャグス、デュアン・オールマン、ニール・ダイアモンドなど幅広いミュージシャンのバックに入っています。1970年にサンフランシスコに移住し、そこでキース・ガチョー Keith Godchaux と出逢い、結婚。デッドのライヴを見たキースが、自分はなんとしてもあのバンドに入らなければならないと告白すると、一緒にジェリィ・ガルシアのライヴに行き、終演後、ガルシアを摑まえてキースを売りこみ、ガルシアがうんと言うまで離さなかった、という話は有名です。

 当時デッドは鍵盤担当のピグペンの健康問題で替わりの鍵盤奏者を探しており、キースはそのピアノによって、1970年代のデッドのサウンドを支えます。

 ドナはキースがバンドのメンバーになってほどなく、バック・コーラス要員としてバンドに呼ばれて参加。1972-03-25 のニューヨークのショウを初ステージとして1979年4月まで在籍しました。

 ガルシア、ウィアを核とするハーモニー・コーラスはデッドの魅力の1つです。どちらかが低域を担当し、初期にはレシュ、ドナが入ってからはドナ、後にはブレント・ミドランドやヴィンス・ウェルニクが高域を担当しました。そしてドナはその声と歌の上手さで、70年代デッドのサウンドを特別なものにしています。コーラスのハーモニーのみならず、終始ウィアとのコーラスで歌われる〈Cassidy〉〈Looks like rain〉〈The music never stopped〉そして〈Sugar Magnolia〉就中後半の Sunshine daydream のパート、〈Playing In The Band〉でのスキャット、さらには〈He's gone〉後半の歌いかわしなど、ドナが入ることによって70年代のデッドの音楽はそのキャリアの中でもひときわ強い輝きを放っています。とりわけ「大休止」から復帰後の1976〜78年のドナの活躍は比べるものがありません。2,300本を超えるショウ=ライヴの中でベストと言われる有名な 1977-05-08のコーネル大学バートン・ホールのショウをはじめ、デッドの黄金時代を築いたのには、キースの鍵盤とともに、ドナの声の力が大きく貢献しています。

 デッド以外でもこの時期ジェリィ・ガルシア・バンドに参加し、ライヴ録音が出ています。またキースと2人で1975年に出した《Kieth & Donna》は、デッドに代表されるサンフランシスコ・サウンドと「スワンプ・ロック」と呼ばれた南部の音楽が融合した、他にあまり類例のない独自の魅力があります。

 1979年4月にキースとともにバンドを離脱。翌年、キースが交通事故で亡くなると、ベーシストの David MacKay と再婚。その後は Donna Jean Godchaux-MacKay と名乗っていました。キースとマッケイとの間に1人ずつ男子があり、2人は共にミュージシャンになっているそうです。キースとの間の子を妊娠中もステージに立っていました。

 デッドを離れた後もずっと自分のバンドで音楽活動を続けており、ガルシア死後のデッド関連のライヴに参加してもいました。また、キースが両親と一時期住んでいたボートから発見されたデッドのライヴ録音のテープを、デッドのアーカイヴィスト David Lemiuex に渡す仲介をしたこともあります。

 コアなデッドヘッドの中にはドナの声を嫌う "Donna hater" と呼ばれる人たちもいますが、ドナがいたことでデッドの音楽が何乗にも豊かになったことは確かだとあたしは思います。天国でガルシアやキースやレシュたちと楽しくやっていることを祈ります。合掌。(ゆ)

2025-11-21 追記
 今月15日配信の 30 Days Of Dead の1本〈Weather Report Suite〉は1973-11-25, Feyline Field, Tempe, AZ のショウからのトラックで、ドナのコーラスの貢献がどのようなものであったかの一端が聴けます。

https://www.dead.net/30daysofdead/nov-15-2025

 なお、このトラックは演奏もとびきりですが、録音がとびきりで、ウィア、ドナ、ガルシアのコーラスが明瞭に聴けます。

 今年も 30 Days Of Dead が始まりました。



 毎年11月、グレイトフル・デッドの公式サイトで毎日1トラック、未発表のライヴ音源が MP3 で無料で配信されます。その音源がいつのどこでのものか、クイズになっており、翌日正解者の中から抽選で1名、賞品がもらえます。30日間の当選者の中からさらに抽選で最後に豪華賞品が当ります。ただし、応募できるのは USA国内居住者に限られます。

 賞品はともかく、毎年30トラック、計10時間を超えるライヴ音源が聴けて、手に入るのですから、相当にお徳です。リリースされたものは翌年の 30 Days Of Dead が始まるまで、つまり10月31日まで公開されています。2010年から始まり、今年で15年目。音源の総合計時間は5500時間を超えています。

 未発表というのは公式リリースとしてまだ出ていないという意味ですが、こちらも2010年頃から本格的に、定期的にリリースされるようになっていて、未発表もずいぶん減ってきました。なので、ここ数年は既に何らかの形で出ているものが 30 Days Of Dead で重複してリリースされることも増えてきました。なにせタダなのですから、その辺は大目に見なければなりますまい。

 この企画のメリットは、元のテープや録音に何らかの損傷があって、全体としての公式リリースはできないけれど、演奏自体はすばらしく、公式にリリースするに値する演奏が聴けることです。テープで聴けるといえばそれまでですが、中には SBD が流出していないものがあったりもします。

 毎日、これはいつのどこのものかな、と推測するのも楽しい。あたしは2012年に気がついて聴きはじめましたが、その頃は、録音だけ聴いて、正確な日付まで特定するなんて、んなバカなことができるか、と思っていました。ところがその後、デッドのライヴ音源をあれこれ聴いているうちに、各々の時期の性格や特徴がわかるようになり、大体の見当がつくようになりました。そうすると、その曲が演奏されたショウを検索して絞りこむと、目指すショウを特定することもそんなに難しいことではなくなってきます。

 今年のオープナーは 1984-10-05, Charlotte Coliseum, Charlotte, NC の第一部クローザーの2曲〈Feel Like A Stranger> Might As Well〉。この年の秋のツアーのスタート。ここから10月20日まで、大西洋岸を回ります。

 今年の 30 Days Of Dead はどんなものになるか。やはり11月はデッド漬けの日々です。(ゆ)

 アイルランド共和国政府は昨日10月7日付けで発表した次年度政府予算案の中で、試験運用中の「芸術家のためのベーシックインカム制度」を恒久的に導入することを発表しました。

 この制度は2022年に試験運用が始まったもので、アイルランドで活動している 2,000人の芸術家に週325EUR を支給しています。2年間の試験運用の後、1年延長されて来年終了予定です。これを支給枠を拡大し、かつ永続する制度として確立することが予算案に盛りこまれました。

 試験運用の支給対象は芸術活動で収入を得ている、または得ようとしている人で応募者のなかから抽選で選ばれていました。恒久制度の支給対象をどう決めるかはまだ未定です。芸術家対象のアンケートでは収入の必要度に応じるというものと、活動実績に基くというものが拮抗しています。

 「芸術」の範囲は広く、音楽、美術、パフォーマンス、映像、文学も含みます。ゲーム製作や YouTube や TikTok などでの活動まで含むかは調べていません。基本的にはその活動だけで収入を得られるようになることが難しく、時間がかかる分野が主な対象でしょう。また、試験運用では支給対象に国籍条項はないようです。

 所轄の文化・コミュニケーション・スポーツ担当大臣の Patrick O'Donovan は発表の中で、「この制度は世界の羨望の的となり、アイルランドにとっては巨大な実績となっており、将来長きにわたって持続可能なものとしなければならない」と述べています。

 JOM によれば、同じ予算案の中で音楽関係としては、来年創設75周年を迎える CCE への追加助成60万 EUR、独立のヴェニューやアーティストを助成する「草の根音楽会場サポート制度」に100万 EUR、Culture Ireland の海外ツアー助成が80万 EUR 増額、それに National Concer Hall 再開発も盛り込まれています。(ゆ)






 今日リリースされた macOS Tahoe 26 で AquaSKK は問題無く使えています。毎度のことながら、ほっとします。あたしの環境は MacBook Air, 2020 M1。

 Tahoe 26 では外観は結構変わっていますが、根幹の部分はあまり変化が無いのかも。

 動作はきびきびしていて、これも表面上ですが、いろいろなソフトの動作が速くなった感覚があります。(ゆ)

追記
 Spotlight 検索がだいぶ変わったようです。UI も変わってますし、少し利口にもなっているらしいです。

 ポール・ブレディがアイルランドの Aosdana の9月4日の総会で新メンバー9人のうちの1人に選ばれたそうです。



 Aosdana イースダーナはアイルランド在住の芸術家のうち顕著な業績を残している人びとをメンバーとする団体で、定員250名。1981年の創設。アカデミー・フランセーズのようなものでしょうか。任期は終身で、メンバーには年額約2万ユーロの年金が支給されます。Wikipedia によれば全員がもらっているのではないらしい。メンバーが亡くなって空席ができると、メンバーからの推薦を受け、投票の上で新メンバーを決めます。

 音楽関係のメンバーはほとんどがクラシックの作曲家で、伝統音楽畑からはこれまでにトミー・ピープルズとドーナル・ラニィが入っています。

 まずはめでたいことであります。(ゆ)

 グレイトフル・デッドの《Blues For Allah (50th Anniversary Deluxe Edition)》のアナウンスが出ました。全てのフォーマットが9月12日発売。



 形態は CD3枚組、アナログが2種類、ファイル・ダウンロード2種類。それに今回はブルーレイ・ディスク版が出ます。これには Dolby Atmos 5.1、ハイレゾ・ステレオ、そしてカラオケ用ミックスのファイルが収められます。これのみ Dead.net ではなく、Rhino のサイトでの販売。3,000セット限定。



 アナログ・ディスクは、ピクチャー・ディスクが7,500セット限定。カラー・ディスクの方にはオリジナルの歌詞カードの精巧な複製、英語とアラビア語訳が付録。3,000セット限定。

 ファイル・ダウンロードはいつもと同じ flac と alac。flac はハイレゾ。

 CDとファイルの中身はオリジナル・アルバムのリマスタリング版に加えて

1975-08-12, Great American Music Hall, San Francisco, CA Soundcheck/Rehearsal
1975-03-23, Kezar Stadium, San Francisco, CA
1976-06-21 & 06-22, Tower Theater, Upper Darby, PA

 からの音源が収録されます。

 グレイト・アメリカン・ミュージック・ホールでのショウは招待客のみの聴衆にこのアルバムのお披露目をしました。ショウ本体の全体は《One From The Vault》1991でリリースされています。

 ケザー・スタジアムでのショウは、この年4本だけ行なったショウの最初のもので、2004年のボックス・セット《Beyond Description》のボーナス・ディスクでリリースされています。

 タワー・シアターでのショウはここでの3日連続のランの最初の2日間。この2日間からは2005年の《Download Series, Vol. 4》で一部がリリースされていますが、それらとの重複は無い模様。

 アナログとブルーレイ・ディスク版にはオリジナル・アルバムのみ収録です。

 デッドは新曲をまずライヴでデビューさせ、ライヴで何度も演奏することで揉んでからスタジオ盤に収録するのが常でした。中にはスタジオ盤にはとうとう入らなかった定番曲も少なくありません。

 《Blues For Allah》収録曲はデッドでは唯一、全曲、このアルバムのために書かれ、アルバムでデビューしています。ライヴではこれ以前には演奏していません。

 タイトル曲はデッドが得意とし、大好きでもあった組曲形式ですが、わずか3回の演奏、それも1975年中だけで終りました。つまりはライヴで演奏するのが面白くならなかった、ということでしょう。むろんそういうことはこれが初めてではなく、最後でもありません。ただ、この曲の失敗から学ぶことによって〈Terrapin Staiton〉が生まれた、というのがあたしの見立てです。デッドの場合、失敗も後から見ると実に面白い、というのもまたデッドを今聴く醍醐味の一つではあります。(ゆ)

 ポール・ブレディのCD4枚組ボックス・セット《The Archive》が出ています。ライヴ音源やデモ、コラボレーションなど、未発表やレアものを集めたものだそうです。全体はLP盤サイズのケースに入り、このサイズで60ページの本が付きます。限定1,200セット。レコード会社直販価格は9,900円。送料は4,200円。Proper Music にも出ていますが、直販の方が若干安いです。下記サイトにはトラック・リストもあります。



 内容の選択と並べはブレディ本人がやったようで、本人曰く、これはファンのためのもので、万人のためのものではない。ファンは急いだ方がいいでしょう。アマゾンにはまだ出てません。(ゆ)

 スコットランド出身で、現代英語圏の伝統音楽最大のレジェンドの1人であるディック・ゴーハン Dick Gaughan のボックス・セット企画のクラウドファンディングが始まっています。

 言い出しっぺはコリン・ハーパー Colin Harper。ハーパーが企画を立てるきっかけを与えたのはロビン・ドランスフィールド Robin Dransfield。ハーパーの呼びかけでオーディオ・マスタリングや映像補修の専門家などからなるチームが立ち上がりました。

 内容は1969年から84年までのオーディオを収めたCD7枚組と、1970〜91年のライヴ動画を収めた DVD 1枚の計8枚のディスクに、ブックレットが2冊付きます。ブックレットの1冊は Graeme Thomson による1万語(邦訳400字詰原稿用紙約80枚=32,000字)のライナー、もう1冊はイアン・A・アンダースンとコリン・ハーパー各々による2本のロング・インタヴュー。

 CDには計126トラック、約9時間の音源、DVD には計30トラック、2時間の動画が収められます。音源のうち未発表が83トラック。うち43トラックは BBC での録音、40トラックがその他のライヴ音源。

 Gaughan (1978) と A Different Kind Of Love Song (1983) の2枚は丸々全部。Coppers & Brass (1977) と Parallel Lines (1982) から選抜。後者はアンディ・アーヴァインとの共作で、2人が半分ずつやっているので、ゴーハンの分はおそらく全部と期待。

 1975年から81年までのスタジオ・アルバムから9トラック。

 それに1981年カリフォルニア州バークリーでのアメリカでの初ライヴのほぼ全部。

 既発表のトラックはすべてリマスタリングされます。

 なお、この本体とは別に Kickstarter では Live In Belfast というディスクの付いたプレッジもあります。本体の目標は1,000セット、付録つきの方は500セットです。2025-03-27 22:00 現在、付録つきの方は残り50セットを切っています。


 ディック・ゴーハン自身について説明する必要があるかもしれません。ゴーハンの音楽はごくわずかしかストリーミングで聴くことができず、その質もあまり良くない状態です。そのため、ハーパーも認めるように、ゴーハンがいかに偉大なシンガーであり、ギタリストであり、パフォーマーであるか、広く知られてはいません。これはまったく許されざることであります。このボックス・セットはその穴を埋め、正当に評価しなおし、そして闘病しているゴーハンに財政的支援を行うものです。

 2016年9月、ゴーハンはそれまでに脳梗塞の発作が起きたために演奏ができなくなったとして、以後すべての公演をキャンセルしました。翌月 MRI で梗塞の事実が判明し、翌年2月から理学療法を始めましたが、再び演奏活動できるようになる見通しは立っていません。

 あたしがこの企画に興奮するのは、大量の未発表録音、録画ももちろんですが、1972年のレコード・デビュー以前の音源が入っていることです。72年の《No More Forever》こそは、あたしが最初に買った数枚の「トラッド」のレコードの1枚であり、ブリテンそしてアイルランドの伝統音楽の世界に否も応もなく引きずりこんでくれたものでした。彼の声とギター、そしてごくわずかに入るアリィ・ベインのフィドルのみから成るその世界は、ほとんど暗鬱なまでに昏く張りつめていて、同時に異様なほどのなまめかしい精気に満ちていました。それは当時、まったくの「異界」から響いてくるように思われました。この音はギターにちがいないが、そのギターを作っている木や弦は、われわれの世界のものとは違うのではないか。

 そしてその声。表はビロード、ではない天鵞絨のような手触りなのに、その下にはおそろしく硬いものが確固としてあるために、表面が滑らかというよりも細かい孔が無数にあいているような感覚。加えて抜き身の刃が喉に仕込まれているかのようにドスが効いています。これに少しでも似た声など、音楽以外でもそれまでまったく聴いたことがありませんでした。基準からまったく外れているのに、耳について離れない声。入ってくるのは耳からにしても、体の最も奥の隅にまでまっすぐ浸透していく声。その後も、響きが少し似ているかと思うことがあるくらいで、ゴーハンの声はユニークであり続けています。

 この声とギターが生みだす「異界」は陰鬱で厳しくはあっても、脅やかし、威圧してくる気配はかけらもありません。桃源郷とは言えませんが、鬱蒼とした森にはほのかな明るさが地の底から滲みでています。

 次に驚いたのは1977年の《Coppers & Brass》です。これは全篇スコティッシュやアイリッシュのダンス・チューンを、アコースティック・ギター1本で演奏したもの。フィドルやフルートやパイプや蛇腹やではありふれていますが、アルバム1枚丸々アコースティック・ギターのみのダンス・チューン集は寡聞にして他に知りません。アーティ・マッグリンのファーストが近いでしょうか。トニー・マクマナスにも優れたダンス・チューン演奏がありますが、アルバム1枚全部はやっていません。

 アコースティック・ギター・アルバムは無数にありますし、ダンス・チューンを演奏したものも少なくありませんが、ほぼギターの単音弾きだけでここまでダイナミックにダンス・チューンをまさに踊りの音楽として演奏してのけ、しかもそれをアルバム1枚分やっているのは、他に無いと思います。これが出た当時、あたしはまだダンス・チューンに開眼しておらず、ダンス・チューンだけのアルバムは敬して遠ざけていましたが、ゴーハンのアルバムという、ただそれだけの理由でこれを聴き、びっくり仰天したものです。

 ゴーハンのアルバムについて書きだすときりがありませんが、1枚だけあげろと言われれば、1981年の《Handful Of Earth》に留めをさします。実際、現在、最も簡単に聴けるのはこのアルバムです。ゴーハン、何者と問われるならば、これを聴いてみてくださいと答えます。シンガーとして、ギタリストとして、ここにはディック・ゴーハンの全てが最も研ぎすまされて輝いています。同時にこれはそれまでのかれのキャリアの総決算でもあります。このアルバムを頂点として、この後、アンディ・アーヴァインとの共作を間にはさんで出した《A Different Kind Of Love Song》1983で、その音楽は大きくベクトルを変えます。それまで伝統歌や他人の歌のカヴァーで通してきたのが、ここでは全篇オリジナルで固めてきたからです。今回のボックス・セットが1984年を区切りとしているのも、そのことを反映しています。

 ゴーハンの影響ということになると、あたしの手には負えません。あたしの目ないし耳からすると、ゴーハンのような声の持ち主もいないし、あんな風に歌えるうたい手もいないし、あんな風に弾けるギタリストもいません。唯一無二の存在として屹立しています。つまり、ゴーハン流の伝統歌や伝統音楽演奏をしている人は聴いたことがありません。一方で、彼の存在とその音楽は形の上ではなく、精神の土台の部分に絶大な影響を与えているのではないか、という推測はできます。しかし、こういう影響関係は実証が難しい。たとえあるミュージシャンがあの人に影響を受けたと証言したとしても、その内実はなかなかわからないものです。

 ということで、このクラウドファンディングは絶好のタイミングで出現しました。付録ないしおまけ付きの場合、送料含めて110GBP は安い金額ではありませんが、この内容からすれば、いわゆる「コスパ抜群」とあたしは思います。(ゆ)

 デッドの今年のビッグ・ボックスが発表になりました。今年はバンドの活動開始60周年で、50周年に次ぐ大きなものになっています。タイトルは《Enjoy The Ride》。CD60枚組。価格は599.98USD。日本までの送料は50USD で、計649.98USD です。発売は05月30日。6,000セット限定。



 今回のテーマはヴェニュー、会場です。デッドが一度でも演奏したことのあるヴェニューは総数645ヶ所。50人も入れば一杯だったというサンフランシスコの The Matrix(DeadBase 50 によれば収容人数104)から、収容人数6万超のシカゴ、ソルジャーズ・フィールド・スタジアムまで、サイズも形態も実に様々です。その中でも、バンドにもリスナーにも人気があり、名演、名ショウの舞台となったものがいくつかあります。そうしたヴェニューを20ヶ所選び、それぞれからの名演でキャリアを展望する、というもの。収録されたショウは以下の通り。

Avalon Ballroom, San Francisco, CA (4/5/69) – Cassette
Fillmore West, San Francisco, CA (6/5/69)
Fillmore West, San Francisco, CA (6/7/69)
Fillmore West, San Francisco, CA (6/8/69)
Capitol Theatre, Port Chester, NY (2/24/71)
Capitol Theatre, Port Chester, NY (2/20/71)
Fillmore East, New York, NY (4/25/71)
Fillmore East, New York, NY (4/27/71)
Boston Music Hall, Boston, MA (9/15/72)
Boston Music Hall, Boston, MA (9/16/72)
Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY (3/16/73)
Winterland, San Francisco, CA (3/20/77)
Philadelphia Spectrum, Philadelphia, PA (5/13/78)
Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO (8/12/79)
Alpine Valley Music Theatre, East Troy, WI (8/23/80) SBD無し
Alpine Valley Music Theatre, East Troy, WI (7/11/81)
Hartford Civic Center, Hartford, CT (3/14/81)
Hampton Coliseum, Hampton, VA (5/1/81)
Frost Amphitheatre, Stanford University, Palo Alto, CA (8/20/83) SBD無し
Greek Theatre, University of California, Berkeley, CA (7/13/84)
Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA (11/21/85)
Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA (11/22/85)
Madison Square Garden, New York City, NY (9/16/87)
Deer Creek Music Center, Noblesville, IN (7/15/89)
Oakland Coliseum Arena, Oakland, CA (12/27/89)
Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA (5/12/91)
Capital Centre, Landover MD (3/17/93)
Capital Centre, Landover MD (9/15/82)
Boston Garden, Boston, MA (10/3/94)

 このうち17本はショウ全体の完全版ですが、 Fillmore West、Fillmore East、 Boston Music Hall の3ヶ所は複数のショウからの組合せです。

 なお、1969-04-05 の Avalon Ballroom はカセット・テープで収められます。

 ご覧の通り、1980年代のショウが多数、収録されています。これまでこの時期、とりわけ80年代前半は公式リリースが少ないので、あたしは大歓迎。1980-08-23と 1983-08-20 は Archive.org に SBD がアップロードされていません。まあ、他の時期、1970年代などはすでに多数公式リリースされていて、未使用のショウが少ないこともあるのでしょう。

 ライナーは Jesse Jarnow、David Lemiuex、それに The Owsley Stanley Foundation。

 あたしは当然即予約しようとしました。んが、日本円で10万を超えるせいか、クレジットカード不正使用の疑いで停止したとの通知がカード会社から来ました。本人のものであれば、もう一度買ってくれ。やれやれ。(ゆ)

 一昨日、2月26日にダブリンの Vicar Street で行われた RTE Radio 1 Folk Awards の今年の授賞式で、生涯業績賞を贈られたドーナル・ラニィへのクリスティ・ムーアの祝辞全文が Journal of Music のサイトに上がっています。



 ドーナルの最も古くからの友人であるムーアはドーナルの全キャリアについて語っていますが、とりわけ興味深いのはごく若い頃の話、Emmet Spicland 以前のドーナルの活動です。この時期はおそらく録音も無いでしょうが、ドーナル・ラニィは一朝一夕で生まれたわけではないこと、そしてやはりドーナルは初めからドーナルだったことがわかります。当然といえば当然ですが、こうして具体的な名前まであげて語られると、その事実があらためて重みをもってきます。

 もう1つ、プランクシティからボシィ・バンドへドーナルが移った時のショックがいかに大きかったかも伝わってきます。直接ボシィ・バンドへ移ったわけではないことも興味深い。

 さすがムーアとあたしが思ったのは、ドーナルがフランク・ハートを援けて作ったアルバムにわざわざ言及していることです。歌うたいとしてのムーアの面目躍如です。ムーアとしてはああいうアルバムを自分も作りたかったが、自分にはできないこともわかっているのでしょう。

 ハート&ラニィの6枚のアルバムは、ドーナルのものとしては最も地味な性質のものではありますが、かれの全業績の中でも最高峰の1つ、プランクシティ〜ボシィ・バンドとモザイク、クールフィンと並ぶ、見方によってはそれらをも凌ぐ傑作だと思います。

 ドーナルがゲイリー・ムーアとリアム・オ・フリンと3人でセッションし、しかもバンジョーを弾いたというのもいい話です。バンジョーではないけれど、ここでバンジョーを弾いていてもおかしくない一例。(ゆ)



 今年の RTE Radio 1 Folk Awards の Life Achievement Award が ドーナル・ラニィに授与されることが発表されました

 この賞のこれまでの受賞者はトゥリーナ・ニ・ゴゥナル、メアリ・ブラック、クリスティ・ムーア、スティーヴ・クーニー、モイヤ・ブレナン、アンディ・アーヴァイン。錚々たるメンバーですが、ドーナルこそは誰よりもこの賞にふさわしいと思います。

 授賞式は今月26日で、ドーナルは新しいグループ Donal Lunny's Darkhorse をそこで披露するそうです。

 そういえば、パンデミック前でしたっけ、このバンドのアルバム製作資金をクラウドファンディングしていて、あたしも参加しましたが、その後、どうなってんだろう。(ゆ)


 8月4〜11日までウェクスフォドで開かれたアイルランド伝統音楽の競技会フラー・キョールのハープ、スロー・エアの12-15歳部門で日本から参加した あだち・りあ さんが優勝したそうな。

 ジュニア部門とはいえ、また200以上ある部門別の一つとはいえ、日本から参加した人が優勝したのは初めてでしょう。ジュニアで参加というのも、そういう人が出る時代になったわけで、そのこと自体がなかなか凄い。

 チャンスがあれば、どこかでご本人の演奏を聴いてみたいものです。(ゆ)


 本日の OED Recently added に 'bodhran'。掌か木製スティックで叩く、とある。手で叩く時は掌ではなく、軽く曲げた指の関節、たいていは第一関節の外側を当てるはず。この語義を書いた人はイングランド人かな。

 語源はアイルランド語からだが、そのアイルランド語そのものの語源は不明とし、サンスクリット語の badhira 聾 に関係があるかもしれないとしているのは興味深い。

 用例の最古は1867年、イングランド植民地の方言語彙集で、ウェクスフォド州のものとして挙げられている。ここでの意味はドラム、タンバリン。次は1910の P. W. ジョイスで、小麦を運んだり、計ったりする篩の形の容器で、時にタンバリンの代わりに使われるとしている。1976年の用例は Daily Telegraph 掲載のレコードないしコンサートのクレジットらしく、ドーナル・ラニィの名前と担当が並んでいるなかにある。ドーナルの名前が OED に載るのは初めてではないか。


 HiBy の DAP RS2 用のファームウェアの最新版 1.3 が出ていました。出たのは4月上旬らしい。

 アップデート・ファイル・ダウンロード先リンク

 変更点は

Darwin V2 フィルターの追加
再生の際の問題の修正
様々なバグ・フィックス

 ダウンロードされたファイル RS2.upt をマイクロSDカードのトップ・レベルにコピーし、スロット1、正面から見て左側に入れて、起動。

 システム設定 > ファームウェア・アップデート > 確定をタップすると、アップデートが始まり、終ると自動で再起動します。メニューのデバイスについてをタップするとファームウェアのヴァージョンを確認できます。

 追加になったフィルターというのはメニューの Darwin をタップすると出てくるリストの一番上、デジタルフィルターでしょう。タップすると、見たこともない項目がずらりと出てきます。しかし、説明は見つかりません。なぞ。設定して音がどう変わるか、試行錯誤するしかないようです。またそれも楽しからずや。

 R2R を登載した DAP も各社出してきてますが、どれも高いんですよね。RS2のこの価格は奇跡的。青歯など無線をばっさり捨てたおかげでしょう。Bluetooth は載せるとライセンス料を払わなければならんそうな。おかげでファームウェアは手動でアップデートする必要があるわけですけど、そんなことは枝葉末節。

 そろそろ後継機種が出てもおかしくはないですが、Darwin とマイクロSDカード・スロット2個は死守してほしい。(ゆ)

RS2 HiBy デジタルオーディオプレーヤー(ブラック) HiBy Music
RS2 HiBy デジタルオーディオプレーヤー(ブラック) HiBy Music

 Fintan Vallely の編纂になる "Companion To Irish Traditional Music" の第三版がついに刊行されました。



Companion to Irish Traditional Music
Vallely, Dr Fintan
Cork University Press
2024-05-21



 アイルランド伝統音楽の百科事典。人名、楽器、歌、スタイル、ローカル性、ダンス、歴史、およそアイリッシュ・ミュージックについてのありとあらゆることが適確に、詳細に述べられてます。一家に一冊、揃えましょう。大学、高校、その他のサークルの部室にも1冊は置きましょう。

 英語が読めない? なに、書いてあることはアイリッシュ・ミュージックに関することです。難解な理論や深遠な哲学が語られているわけではありません。英語は平明だし、半分はすでに知っていること。そこからもう半歩踏みこもうとする時、大きな助けになってくれます。外国語に上達する極意は、好きなことについて書いてある文章を読むことです。

 初版が1999年、第二版が2011年。13年ぶりの改訂です。200人以上の執筆者が1400項目について書いた1,000頁。社会の変化をとりこみ、アイルランド国外でのアイリッシュ・ミュージック活動によりスペースを割いている由。電子版もいずれ出るはずですが、紙の本には電子版にはないメリットがあります。それはどんな音でも合成できるシンセサイザーに対する普通の楽器です。

 編者のフィンタン・ヴァレリーはルナサのキリアン・ヴァレリーや、コンサティーナのナイアル・ヴァレリーの、えーと、いとこだったか叔父さんだったか、とにかく血縁。本人もフルートをよくして、CDも出してます。諷刺歌を作ったり歌ったりもしてます。つまりは音楽をよく知っていて、なおかつこういう本を編纂できる人でもある。こういう人がいてアイリッシュ・ミュージックはラッキーです。(ゆ)

 Axell Grell が Drop と共同開発していたヘッドフォンがいよいよ出来上がり、予約受付が開始されています。



 通常399USDのところ、今なら349USD。さらに、送料もサービスです。チェック・アウトで20ドル加算されますが、後で返金されました。あたしは paypal を使いました。

 まだ製造中で、発送は2カ月先。

 なお、1,000台限定だそうです。

 アクセル・グレルはゼンハイザーでHD800シリーズを作った人物。イヤフォンの IE800もかれの仕事です。ゼンハイザーの民生部門が売却された前後にゼンハイザーを辞めて独立したと記憶します。そこで出したのはイヤフォンで、ヘッドフォンは独立後はこれが初めてのはず。  > Neuman NDH30 がかれの仕事でした。





 HD800シリーズはドライバーが耳に対してまっすぐではなく、前方から斜めに角度がつけられてますけど、今回はそれをさらに徹底しているようです。



 Head-Fi のジュードがグレルにインタビューしているビデオ。グレルが手に持っているのがドライバー。大きなドライバーの中に、偏ってもう一つ小さなドライバーが着いてます。

 オープン・バックですが、低域は密閉型と同じくらいあるらしい。ジュードが低域の豊かさに驚いてます。

 グレルによれば、人は低域を耳だけでなく、頭をはじめとした体でも聴いているので、そこに配慮したそうな。

 計画が発表された時から楽しみにしてました。円安ですが、そんなことは言ってられません。(ゆ)

 スコットランド音楽の「ナショナル」・レーベル Greentrax Records の創設者 Ian D. Green が今月10日に亡くなったそうです。1934年にスコットランド北東部インヴァネスの東の Forres に生まれて、享年90歳でした。死因は公表されていません。



 こんにちのスコットランド音楽の隆盛の少なくとも半分、実質的にはその大部分をグリーンの活動に負うと言って言い過ぎではありません。Greentrax Records が無ければシューグルニフティもピートボッグ・フェアリーズもデビューはずっと遅れたか、あるいはそもそも世に出られたかどうか、あやしいところがあります。Simon Thoumire が Hands Up Trad の追悼記事で書いているように、新人発掘にグリーンは特異な才能を発揮しました。才能ある新人を拾いあげるだけでなく、レコードを出すこととそのプロモーションを通じて確実にかれらの音楽の価値を広めました。ECM のように、Greentrax から出るものならば買って聴く価値があると認められました。

 Greentrax Records からのリリースにもお世話になりましたが、個人的にはグリーンが Greentrax を設立する前からやっていた Discount Folk Records の存在がありがたかったです。スコットランドの伝統音楽やフォーク・ミュージック、フォーク・ロックのレコードを買えるところとして頼りにしていました。むろんネットなどまだ無い頃で、初めの頃はファックスでやりとりしていたと思います。一番最初、1980年代半ばはたぶん手紙だったでしょう。

 一方 Greentrax がリリースするタイトルの幅はひじょうに広く、スコットランド音楽の最先端から、エディンバラ大学スコットランド研究所が出していたアーカイヴ録音のシリーズや、ハイランド・パイプの芸術音楽 piobaireachd ピブロックの名手たちの貴重な音源まで出していました。ケープ・ブレトンはじめ北米のスコットランド系ミュージシャンもいます。グリーンの懐の深さがしのばれます。

 グリーンの職業はエディンバラ警察の警察官でした。1960年代に Edinburgh Police Folk Club を作ったというのもいかにもスコットランドらしいです。さらに Edinburgh Folk Club の創設メンバーであり、スコットランド音楽の雑誌 Sandy Bell’s Broadsheet の編集にも関りました。The Living Tradition はこの雑誌の後継者でありました。ちなみに Sandy Bell はエディンバラの有名な音楽パブで、ここでのライヴを集めたオムニバスも出ています。

 グリーン本人はミュージシャンではなかったそうですが、その貢献はどんなミュージシャンよりも大きいものがあります。スコットランドの音楽を教えてくれた師匠の一人として、感謝をこめて、ご冥福をお祈りします。合掌。(ゆ)

 HiBy の DAP、RS2 のファームウェアに 1.1が出ています。

 変更点は
1. ショートカット・メニューのカスタマイズ。ドロップダウン・メニューとクイック・アクセスをカスタマイズできるようになった。
2. DSD 再生の最適化。
3. 「フォーマット」のカテゴリーを「アルバム・アーティスト」に変更。
4. 様々なバグ・フィックス。

 アップデートの方法。
イ. ダウンロードした zip ファイルを解凍。
ロ. できたフォルダの中の RS2.upt ファイルをマイクロSDカードのルート=最上層にコピー。
ハ. このマイクロSDカードを #1 のスロット、つまり正面から見て左側のスロットに挿入。
ニ. システム設定> ファームウェア・アップデート(一番下)をタップ。「確定」をタップ。

 これでアップデートが始まります。無事終ると自動で再起動します。(ゆ)

 macOS Sonoma 14.0 でも AquaSKK は問題なく使える。

 毎度のことながらほっとする。

 入力ソースを変更するごとにカーソルのあるところに小さくアイコンが出る。ちょとわずらわしいが、切る方法がわからない。

 ついでながら、ドックの「最近使ったアプリ」が正常に動作するようになった。ドックを再起動しなくてもすむ。(ゆ)

2023-09-30追記
 ドックの「最近使ったアプリ」はやはりダメで、Mac を一度眠らせたりすると、再起動しないと正常に動作しない。

 ベルリンで開かれたコンシューマ向け電子機器の見本市 IFA でデノンが CEOL N-12 なるCDレシーバーを発表したそうな。
 


 CDプレーヤー、FMラジオ、ストリーマーが一体になっている。WiFi、イーサネット、Bluetooth でつなげられる。AirPlay2、Tidal、Amazon Music HD、Spotify などを聴くことができる。Bandcamp もOKだろう。USB入力もあるから、NAS 内のオーディオ・ファイルも再生できる。HDMI ARC をサポートしてテレビにもつなげられる。ヨーロッパでは10月01日、699EUR で発売。そのまま換算すれば11万円強。

 あたし的に問題なのはモデル名が "CEOL" であること。知ってる人は知ってるが、これはアイルランド語やスコティッシュ・ゲール語で「音楽」を意味することば。デノンにアイリッシュ・ミュージックのファンがいるのか、は別として、アイリッシュ・ミュージックやスコティッシュ・ミュージックを聴くにふさわしいマシンなのか。

 どこかで試聴できればいいんだが、こういう大手メーカーのマスプロ製品をまっとうに試聴するのは案外難しい。試聴機を借りられればベストだが、そういうシステムがあるかどうか。問合わせてみるか。(ゆ)

 チーフテンズのフィドラー、ショーン・キーンが亡くなった。享年76。7日日曜日の朝、突然のことだったそうな。心臓が悪いとのことだったから、何らかの発作が起きたのか。

 これでチーフテンズで残るはケヴィン・コネフとマット・モロイの二人になった。

 ショーンのフィドルはバンドの華だった。チーフテンズの歴代メンバーは全員が一騎当千のヴィルチュオーソだったけれど、ショーン・キーンのフィドルとマット・モロイのフルートはその中でも抜きんでた存在だった。そして、この二人は技量の点でも音楽家としてのスケールの大きさの点でも伯仲していた。ただ、マットにはどこか「求道者」の面影がある一方で、ショーンは明るいのだ。

 美男子というのとは少し違うが、背筋をすっくと伸ばしてフィドルを弾く姿は、バンド随一の長身がさらに伸びたようで、誰かがギリシャ神話の神のどれかが地上に降りたったようと言っていたのは当を得ている。後光がさしていると言ってもいい。表面いたって生真面目だが、その芯にはユーモアのセンスが潜んでもいる。

 そして、そのフィドルの華麗さ。圧倒的なテクニックを存分に披露しながら、それがまったく鼻につかず、テクだけで魂のない演奏に決してならない。アイリッシュ・ミュージックは実はジャズ同様、「テクニックのくびき」がきついものだが、また一方でテクニックだけいくら秀でても、たとえばセッションの「道場破り」をやるような人間は評価されない。

 ショーンのフィドルは華麗なテクニックにあふれながら、同時にその伝統を今に担い、バンドの仲間たちと、リスナーとこれをわかちあえる歓びに満ちて、輝いている。マットがテクだけだとか、輝いていないというわけではもちろんなく、これはもう性格の違いだ。チーフテンズの顔といえばパディ・モローニだが、チーフテンズの音楽の上での顔はショーン・キーンのフィドルなのだ。モローニだって、その気になれば有数のパイパーだが、音楽の上でそれを前面に押し出すことはしなかった。

 ショーン・キーンのフィドルがチーフテンズの音楽の顔であることの一つの象徴は《In China》のラスト・トラック〈China to Hong Kong〉冒頭のフィドルだけの演奏だ。中国のどこかの伝統曲とおぼしき曲をアイリッシュ・ミュージックのスタイルで弾いて、しかも一個の曲として聴かせてしまうトゥル・ド・フォースだ。異なる伝統同士の異種交配のひとつの理想、ひとつの究極だ。

 ショーン・キーンにはチーフテンズ以外にもソロや、マット・モロイとの共演の録音がある。そこではチーフテンズとは別の、伝統のコアにより近い演奏が聴ける。ショーン個人としては、むしろこちらの方が本来やりたかったこととも思える。こうしたソロ・アルバムを作ることで、チーフテンズとのバランスをとっていたのかもしれない。

 76歳という享年は今の時代若いと思えるが、チーフテンズの一員としての活動やソロ・アルバムによって与えてくれた恩恵ははかりしれない。心からの感謝を捧げるばかりだ。(ゆ)

 夕食後、虫の知らせか、めずらしく Twitter をながめているとあらひろこさんの訃報が入ってくる。闘病されていた由。とすると昨年11月に「ノルディック・ウーマン」のステージで見たのが最後。ステージではご病気の様子などはカケラも無く、すばらしい音楽の一翼を担っていた。

 あらさんの生は何度か見ているはずだが、記録に残っているのは2019年10月、馬頭琴の嵯峨治彦さんのデュオ Rauma にハープの木村林太郎さんが加わった時のものだけだ。あれは実にすばらしかった。

 今でこそカンテレもごく普通の楽器で、本朝では本国フィンランド以外で、フィンランドとは無縁の地域としては演奏者人口が最も多い、と他ならぬあらさんに伺った。そうなったことには、あらさんの尽力が大きいのだろう。単に演奏し、作曲する音楽家としての活動にとどまらない、器の大きなところが、あらさんには感じられた。ごく浅いおつきあいしかしていないのに、そう感じられるくらいだ。

 どんなものであれ、異邦の文物が根を下ろすには、それにとらわれたことを幸運としてすべてを捧げる人間が必要だ。

 ご自身の音楽にも器の大きなところは出ている。伝統に深く掘りすすみながら、同時に外からの要素を大胆に注入する。馬頭琴とのデュオというのは、伝統の外にいるからこそ可能なのだし、また伝統にしっかりと根をおろしているからこそ、そこから生まれる音楽に魂が宿る。一方で、鍛えられたバランス感覚と、冒険を愉しむ勇敢さを必要とする危うい綱渡りでもある。そういうことができる人間を一言でいえば、スケールの大きな英雄だ。

 あらさんの音楽を初めて聴いたのはいつだったろう。たぶん2007年のセカンドの《Moon Drops》ではなかったか。2004年のファーストの《Garden》は後追いというかすかな記憶がある。手許に残された音楽はあまりに少ないが、どれも珠玉と呼ぶにふさわしい。

 人は来り、人は去る。されど、音楽は残る。(ゆ)

 Peatix からの知らせで、マイケル・ルーニィ、ジューン・マコーマックとミュージック・ジェネレーション・リーシュ・ハープアンサンブルの公演の知らせ。パンデミック前に松岡莉子さんが手掛けていた企画が、二度の延期を経て、ようやく実現したものの由。ルーニィとマコーマックの夫妻だけでも必見だが、九人編成のハープ・アンサンブルが一緒なのはますます逃せない。即座にチケットを購入。






 Dead.net から今年のビッグボックス《Here Comes Sunshine 1973》の案内がきたので、早速注文。送料70ドル。計256.98USD。円安がまた進行しているし、送料は相変わらずだが、やむをえん。


 
 収録されるショウは以下の5本。CD17枚組とダウンロード。

1973-05-13, Iowa State Fairgrounds, Des Moines, IA
 第一部クローザー〈Playing in the Band〉が2010年の《30 Days Of Dead》でリリース。
 
1973-05-20, Campus Stadium, University Of California, Santa Barbara, CA

1973-05-26, Kezar Stadium, San Francisco, CA
 第二部6曲目〈Box or Rain〉が2021年の《30 Days Of Dead》でリリース。

1973-06-09, RFK Stadium, Washington, DC

1973-06-10, RFK Stadium, Washington, DC
 第一部クローザー前〈Bird Song〉が2011年の、第二部4曲目〈Here Comes Sunshine〉が2017年の《30 Days Of Dead》で、第三部オープナー〈It Takes A Lot To Laugh It Takes A Train To Cry〉が《Postcards Of The Hanging》で、各々リリース。

 この06-10のショウが独立でCD4枚組、LP8枚組で各々リリース。

 この5本は4月2日までの春のツアーと6月22日からの夏のツアーの間の時期で、この期間、ショウはこれで全部。

 RFK Stadium の2日間はオールマン・ブラザーズ・バンドとの双頭ヘッドで、ダグ・ザームとウェット・ウィリーが前座。9日はデッドが先、10日はデッドが後。10日第3部にはマール・ソーンダース、ディッキー・ベッツ、ブッチ・トラックスが参加。

 ライナー執筆陣の一人 Ray Robertson は《Dave's Picks, Vol. 45》に続いての登場で、あのライナーはなかなか良かったので楽しみ。(ゆ)

 バンド結成60周年記念で出ていたクラダ・レコードからのチーフテンズの旧譜10枚の国内盤がめでたく来週03月15日に発売になります。ちょうどセント・パトリック・ディの週末ですね。

ザ・チーフタンズ 1 (UHQCD)
ザ・チーフタンズ
Universal Music
2023-03-15

 

 いずれも国内初CD化で、リマスタリングされており、おまけに「高音質CD」だそうです。これらはもともと録音もよいので、その点でも楽しめるはずです。

 今回再発されるのは1963年のファースト・アルバムから1986年の《Ballad Of The Irish Horses》までで、ヴァン・モリソンとの《Irish Heartbeat》以降の、コラボレーション路線のチーフテンズに親しんできたリスナーには、かれらだけの音楽が新鮮に聞えるのではないでしょうか。ファーストから《Bonapart's Retreat》までは、バンドの進化がよくわかりますし、《Year Of The French》や《Ballad Of The Irish Horses》では、オーケストラとの共演が楽しめます。《Year Of The French》はなぜか本国でもずっとCD化されていなかったものです。

イヤー・オブ・ザ・フレンチ (UHQCD)
ザ・チーフタンズ
Universal Music
2023-03-15



 以前にも書きましたが、このライナーを書くために、あらためてファーストから集中的に聴いて、かれらの凄さにあらためて感嘆しました。まさに、チーフテンズの前にチーフテンズ無く、チーフテンズの後にチーフテンズ無し。こういうバンドはもう二度と出ないでしょう。

 言い換えれば、これはあくまでもチーフテンズの音楽であって、アイリッシュ・ミュージック、アイルランドの伝統音楽をベースにはしていますし、アイリッシュ・ミュージック以外からは絶対に出てこないものではあるでしょうが、アイリッシュ・ミュージックそのものではありません。伝統音楽の一部とも言えない。

 それでもなお、これこそがアイリッシュ・ミュージックであるというパディ・モローニの主張を敷衍するならば、そう、デューク・エリントンの音楽もまたジャズの一環であるという意味で、チーフテンズの音楽もアイリッシュ・ミュージックの一環であるとは言えます。

 ただ、ジャズにおけるエリントンよりも、チーフテンズの音楽はアイリッシュ・ミュージックをある方向にぎりぎりまで展開したものではあります。それは最先端であると同時に、この先はもう無い袋小路でもあります。後継者もいません。今後もまず現れそうにありません。現れるとすれば、むしろクラシックの側からとも思えますが、クラシックの人たちの関心は別の方に向いています。

 ということはあたしのようなすれっからしの寝言であって、リスナーとしては、ここに現れた成果に無心に聴きほれるのが一番ではあります。なんといっても、ここには、純朴であると同時にこの上なく洗練された、唯一無二の美しさをたたえた音楽がたっぷり詰まっています。

 ひとつお断わり。この再発の日本語ライナーでも「マイケル・タブリディ」とあるべきところが「マイケル・タルビディ」になってしまっています。前に出た《60周年記念ベスト盤》のオリジナルの英語ライナーが Michael Tubridy とあるべきところを Michael Turbidy としてしまっていたために、そちらではそうなってしまいました。修正を申し入れてあったのですが、どういうわけか、やはり直っていませんでした。

 ですので、「マイケル・タルビディ」と印刷されているところは「マイケル・タブリディ」と読みかえてくださいますよう、お願いいたします。なお、本人はメンバーが写っている《3》のジャケットの右奥でフルートを抱えています。

ザ・チーフタンズ 3 (UHQCD)
ザ・チーフタンズ
Universal Music
2023-03-15



 もう一つ。来週土曜日のピーター・バラカンさんの「ウィークエンド・サンシャイン」でこの再発の特集が予定されています。あたしもゲストに呼ばれました。そこではこの再発とともに、Owsley Stanley Foundation から出た、《The Foxhunt: San Francisco, 1973 & 1976》からのライヴ音源からもかけようとバラカンさんとは話しています。(ゆ)



 シェイマス・ベグリーが73歳で亡くなったそうです。死因は公表されていません。

 ケリィのゲールタハトの有名な音楽一族出身の卓越したアコーディオン奏者で、まことに渋いシンガーでした。息子のブレンダンも父親に負けないアコーディオン奏者でシンガーとして活躍しています。妹の Seosaimhin も優れたシンガーです。

 あたしがこの人のことを知ったのは前世紀の末 Bringing It All Back Home のビデオで Steve Cooney とのデュオのライヴを見たときでした。どこかのパブの一角で、2人だけのアップ。静かに、おだやかに始まった演奏は、徐々に熱とスピードを加えてゆくのはまず予想されたところでありますが、それがいっかな止まりません。およそ人間業とも思えないレベルにまで達してもまだ止まらない。身も心も鷲摑みにされて、どこかこの世ならぬところに持ってゆかれました。

 この2人の組合せに匹敵するものはアイルランドでもそう滅多にあるものではない、ということはだんだんにわかってきました。今は YouTube に動画もたくさんアップされています。シェイマスはその後 Jim Murray、Tim Edey とも組んでいて、それらもすばらしいですが、クーニィとのデュオはやはり特別です。

 本業は農家で、会いにいったら、トラクターに乗っていた、という話を読んだこともあります。プロにはならなかった割には録音も多く、良い意味でのアマチュアリズムを貫いた人でもありました。(ゆ)

 検索しても出てこないので、念のために書いておく。AquaSKK は macOS Ventura でも問題なく動く。まことにありがたいことである。すべてのアプリで試したわけではないが、Jedit Ω、mi、CotEditor、Pages、egword universal 2、メール、Safari では問題ない。すべて最新ヴァージョン。AquaSKK は 4.7.4 (=4.7.3)。SNS やチャット・アプリは試していない。不悪。(ゆ)

08月18日・木
 中国四川省は水力発電が盛んで、全土の2割以上、1億5千万キロワットを発電しているが、旱魃で水量が減り、発電量も減っている。今後さらに減ると予想されることから大幅な電力制限を実施。「2022年8月14日に緊急宣言を発し、2022年8月15日〜2022年8月20日まで、電力を使用するすべての産業に対して生産の完全停止を要求」と伝えられる。

 やり方が凄いが、それだけ危機感が大きいのだろう。

 気候変動はこういう形でも現れる。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月18日には1970年から1991年まで4本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1970 Fillmore West, San Francisco, CA
 火曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ共演。第一部アコースティック・デッド、第二部 NRPS、第三部エレクトリック・デッド。3時間半の完全またはそれに近いテープが残っているらしい。非常に良いショウのようだ。

 第一部5〜7曲目で〈Ripple〉〈Brokedown Palace〉〈Operator〉がデビュー。3曲とも《American Beauty》収録。

 〈Ripple〉はハンター&ガルシアの曲。1988年09月03日まで41回演奏。ほとんどがアコースティック・セットで演奏され、とりわけ1980年のウォーフィールドとラジオシティでのレジデンス公演で集中的に演奏された。1988年の最後の演奏の一つ前は1981年10月16日のオランダ。
 人気の高い曲で、実際佳曲と思うが、デッドでの演奏は必ずしも納得のゆくものではない。むしろ、ジェリィ・ガルシア・バンドでの演奏の方が良い。実際、JGB ではデッドでの演奏が事実上終った後の1982年04月10日から1992年05月09日まで、68回演奏している。ガルシアはこの曲についてはデッドよりも、JGB やジェリィ・ガルシア・アコースティック・バンドで演る方がうまくいくと判断したのだろう。

 〈Brokedown Palace〉もハンター&ガルシアの曲録。こちらは1995年06月25日まで、220回演奏。演奏回数順では75位。〈Franklin's Tower〉よりも1回少なく、〈Cold Rain And Snow〉よりも4回多い。1980年以降はたいていクローザーないしアンコールで演奏された。こういう歌をお涙頂戴にならないで演奏するのがデッドの真骨頂。
 タイトルは英語としては破格で、普通なら "Broken-down" となるはずだが、スタインベックの Cannery Row(缶詰横丁) に出てくる、ホームレスたちが居座った大きな倉庫か納屋の呼び名が原典。福武文庫版の邦訳では「ドヤ御殿」。

 〈Operator〉はピグペンの作詞作曲。この年の11月08日まで4回しか演奏されなかった。


2. 1987 Compton Terrace Amphitheatre, Tempe, AZ
 火曜日。16ドル。開演7時半。ガルシアの昏睡からの回復後、1990年春に向かって登ってゆくこの時期にまったくダメなショウはまず無い。

3. 1989 Greek Theatre, University of California, Berkeley, CA
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。開演7時。レックス財団のベネフィット。
 ここでは悪いショウが無いらしい。第二部 space 後の〈Crazy Finger> I Need a Miracle> Stella Blue〉という並びはこの時だけで、そのことでさらにすばらしくなった。

4. 1991 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。開演5時。ブルース・ホーンスビィ参加。
 この3日間とその前の Cal Expo での3日間の6本で演奏した106曲はすべて違う。1曲も同じ曲を繰返していない。
 第一部5曲目〈Beat It on down the Line〉で、一度終りかけたところでホーンスビィがいかにもやめたくないという調子でまたやりだし、他のメンバーは顔も見合せてにやりとして後に続いた。(ゆ)

08月17日・水
 アイルランドのカトリック教会がローマ教皇庁に、女性、LGBT+、離婚・再婚者をはじめとする、従来、教会主流からは外されてきた人びとへの態度をよりインクルーシヴなものに変更し、僧侶への禁欲・独身の強制を廃止するよう求める文書を送った、というのはいささか衝撃的なニュース。それだけ危機感が強く、そこまで追いつめられてもいる、ということだろう。そういうことに積極的にならないと、社会から、とりわけ若い世代から時代遅れの遺物として見捨てられるという危機感だ。アイルランドの社会が短期間にいかにドラスティックに変化しているかを、裏面から浮彫りにしてもいる。

 来年秋に予定されている宗教会議への準備文書とのことだが、第二ヴァチカン会議に匹敵する、あるいはそれ以上の大改革がなされるかどうか。ヨーロッパの一部や北米のカトリックは賛同するかもしれないが、中南米も含めたラテン諸国やアフリカではどうだろうか。わが国のカトリック教会はどうか。

 アングリカン・チャーチでも、アメリカなどの教会が女性主教就任を求めたのに対して、国別信徒数では今や世界最大のナイジェリアの教会が反対し、分裂を恐れてカンタベリ大主教がアメリカの教会にそう急ぐなとなだめたという話もあった。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月17日には1970年から1991年まで4本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1970 Fillmore West, San Francisco, CA
 月曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ共演。第一部アコースティック・デッド、第二部 NRPS、第三部エレクトリック・デッド。残っているセット・リストはテープに基くもので不完全。また当のテープが本当にこのショウのものかにも疑問が持たれている。

 ただ、第一部で〈Truckin'〉がデビューしたことは確かなようだ。ロバート・ハンター作詞、曲はジェリィ・ガルシア、フィル・レシュ、ボブ・ウィアの共作。1995年07月06日まで、計527回演奏。演奏回数順では7位。〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉のペアよりも4回少なく、〈Jack Straw〉よりも51回多い。ペアをそれぞれ1曲と数えれば8位。つまり500回以上演奏されたのは全部で7ないし8曲。スタジオ盤は《American Beauty》収録。

 全米を走りまわる長距離トラック・ドライバーに託して、ツアーに明け暮れするバンドの喜怒哀楽を歌う。バンドのメンバーは飛行機で移動することも多いが、楽器・機材はトラックで運ばれたから、トラッキングはバンドとクルーの実感でもあっただろう。

 ロード・ムービーの趣。ビートもフリーウェイを駆ける大型トラック、というよりも、むしろ鉄道のレールの音を連想する。その点では、デッドの祖先の一つであるホーボー、貨物列車で移動した放浪の詩人たちへのオマージュも見える。

 ひとしきり歌を歌った後、長い集団即興=ジャムになることが多い。この曲の場合、ガルシアが細かくシンプルなパッセージで階段を昇るように音階を上がってゆき、頂点に達したところで、フル・バンドで「ドーン」と沈みこむという型が組込まれるようになる。これが決まった時の快感はデッドを聴く醍醐味の一つ。また、この型がだんだんできてゆくのを聴くのも愉しい。

 ガルシアによれば、ハンターの書く詞は当初は歌として演奏することをあまり考えておらず、曲をつけるのも、演奏するのもやり難いことが多かった。バンドのツアーに同行するようになって、ハンターの詞が変わってきて、この曲は詞と曲がうまくはまった最初の例の一つ。


2. 1980 Kansas City Municipal Auditorium, Kansas City, MO
 日曜日。09月06日までの16本のツアーの2本目。
 締まったショウらしい。

3. 1989 Greek Theatre, University of California, Berkeley, CA
 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。ヴェニュー隣の駐車場にもスピーカーが置かれて、700人ぐらいがそこで音楽に合わせて踊った。
 この時期のショウに駄作無し。

4. 1991 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。20ドル。開演7時。ブルース・ホーンスビィ参加。
 90年代でも最高のショウの1本の由。(ゆ)

08月11日・木
 地殻の大陸塊の起源が巨大隕石の衝突にあるという仮説が当っている証拠が初めて見つかった、という話。むろん、KT境界を作ったものの遙かずっと前の隕石だし、たぶん、1個や2個ではないだろう。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月11日には1967年と1987年にショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1967 Grande Ballroom, Detroit, MI
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。
 共演 Rationals, Southbound Freeway, Bishops, Ashmollyan Quintet。
 セット・リストは不明。
 共演は地元のローカル・バンドらしい。Rationals は1964年にミシガン州アン・アーバーで結成され、ローカルのヒットを何枚か出すが、全米市場には出られなかった。リード・シンガー、Scott Morgan はブラッド・スエット&ティアーズに誘われるも断わる。1970年に初のフル・アルバムを出して解散。
 Southbound Freeway はカナダ・アルバータ州エドモントンで1964年か65年頃に結成された。
 Ashmollyan Quintet はデトロイトのバンドらしい。このヴェニューに出るバンドの前座を勤めていたようだ。デッドの他、トラフィックやファグズなどの名前がある。
 Bishops は同名のアクトが多数あって不明。この時期のものは出てこない。
 「グランディー・ボールルーム」と読むこのヴェニューは収容人数1,837のダンス・ホールで、1928年建設当初は1階に商店が入り、2階以上がダンス・ホールだった。1966年に地元のラジオ局 DJ Russ Gibb が取得する。ギブはフィルモアのデトロイト版を造ろうとして、サンフランシスコやヨーロッパなどからバンドを呼び、また地元のアクトの育成にも努める。1972年に閉鎖されるまで、ここはデトロイトにおけるヒッピー/カウンター・カルチュアの中心となる。60年代の名のあるロック・アクトは軒並みここでやっている。ストゥージズはハウス・バンドだった。MC5もホーム・ベースとした。ロックだけでなく、コルトレーンやサン・ラなども出演した。
 デッドはここでこの2日間と翌年12月01日の3回、演奏している。

2. 1987 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO
 火曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。9.35ドル。開演7時。雨天決行。
 ここではいつも良いショウをするが、その中では出来がそれほどではないらしい。第二部は少し持ち直す。(ゆ)

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