クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

カテゴリ: ハード

 伝聴研ニュース36号が来て、聴覚トレーニングのツールがついにCDからメモリ・プレーヤーになり、ヘッドフォンもモデル・チェンジするとの予告。正式発表は2月予定。プレーヤーには音楽も追加できるそうで、なにせここの DenDAC やヘッドフォン・アンプはやたら音が良かったから、これは楽しみだ。そのヘッドフォン・アンプは小型で、本来携帯用ではないけれど、 DAP と一緒に携帯している人をヘッドフォン祭で見たこともある。

 ボックス・セットは持っているけど、CDP が必要なのはやはり面倒で、トレーニングはあまりやってない。やればいいことはわかっている。筋肉のように鍛えることで視覚や聴覚の老化を遅らせることはできない。伝聴研の聴覚トレーニングは、あたしには効果があって、やると聞こえが良くなる。音楽をよりよく聴けるようになる。老化が遅れているように感じる。時には逆転したとさえ思える。ミュージシャンにはもっと実際的な効果、リズムのとり方が良くなるとか、音程が良くなるとかがあるそうだ。あたしはもちろんそこはわからん。

 新しいヘッドフォンも写真ではツラがいい。またオーテクの OEM だろうが、ベースはどれだろう。形からすると ATH-M60x かな。ATH-770XCOM からマイクを取りはずした形にも見える。



##本日のグレイトフル・デッド

 1209日には1966年から1994年まで9本のショウをしている。公式リリースは3本。うち完全版2本。


1. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA

 4日連続の初日。共演 Big Mama Mae Thornton Tim Rose。セット・リスト不明。

 ビッグ・ママ・ソーントン (1926-1984) はよく知られたリズム&ブルーズのシンガー。後にプレスリーがカヴァーする〈Hound Dog〉が最大のヒット。〈Ball and Chain〉の作者。女性ドラマーのパイオニアの1人。

 Tim Rose (1940-2002) はワシントン、D..出身のフォーク・シンガー。後にママス&パパスに参加する Cass Eliot やジミヘンと The Big 3 というバンドを組んでブレイクする。Bonnie Dobson が書き、デッドがカヴァーした〈Morning Dew〉の作者クレジットに自分の名前を勝手に加えたことで知られる。ドブスンはローズの貢献を全否定している。


2. 1971 Fox Theatre, St. Louis, MO

 開演7時。2日連続の初日。全体が今年のビッグ・ボックス・セット《Listen To The River》でリリースされた。

 セント・ルイスには3月に続き、この年2度目の登場。3月のショウは2日目が《30 Trips Around The Sun》の1本でリリースされている。

 9月に入院したピグペンが復帰した。

 第二部がやけに短く、全体としてもこのショウのみ他より1時間短かい。が、事情がわからない。ライナーにも書いていない。


3. 1979 Kiel Auditorium, St. Louis, MO

 デッドは移動日でショウの無かった前日にジョン・レノンが射殺された。


4. 1981 Activity Center, University of Colorado, Boulder, CO

 12.65ドル。開演7時。全体が《Dave’s Picks, Vol. 20》でリリースされた。

 この年のツアーの打ち上げ。この後は1212日にサンフランシスコの南のサン・マテオでジョーン・バエズとの公演をした後、年末恒例の年越しショウに向けての5本連続になる。

 第一部が〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉で終り、第二部が〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain〉で始まるという黄金の組合せ。第二部はその後も黄金の並び。


5. 1988 Long Beach Arena, Long Beach, CA

 開演8時。

 セット・リスト以外の他の情報無し。


6. 1989 Great Western Forum, Inglewood, CA

 同じヴェニュー2日連続の2日目。開演8時。第一部クローザー前の〈Bird Song〉が《Without A Net》でリリースされた。

 セット・リスト以外のその他の情報無し。


7. 1990 Compton Terrace Amphitheatre, Chandler, AZ

 21ドル。開演1時。2日連続の2日目。

 セット・リスト以外のその他の情報無し。


8. 1993 Los Angeles Sports Arena, Los Angeles, CA

 25ドル。開演7時半。

 第二部 Drums にアイアート・モレイラが、Space にアイアート・モレイラ、フローラ・プリムとオーネット・コールマン、その後の〈The Other One〉からクローザーの〈Turn On Your Love Light〉まで、オーネット・コールマンが参加。


9. 1994 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 4本連続の2本目。27.50ドル。開演7時。第一部半ば〈El Paso〉でウィアがアコースティック・ギター。この曲はウィアがアコースティックをまた演るようになって復活した。

 この頃になると、チケットが売り切れなくなり、前の晩は空席が目立ったらしい。この日はほぼ満杯。SBD で聴くかぎり、第一部は音が良くない。初めはドラムスとヴォーカルだけで、ベースは終始聞えず、ウィアのギターはスライドを演っているときだけ。ガルシアは時々歌詞を忘れ、ギターでカヴァーする。もっともそのギターは歌詞忘れを補って余りある。第二部はがらりと音が良くなり、まずオープナーの〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain〉がベストの出来で、しかも長い。長いといえば、この日の Drums> Space はひどく長く、その後は〈Box of Rain〉とアンコールの〈Johnny B. Goode〉のみ。DeadBase XI Mike Dolgushkin David Greenberg のレポートによる。(ゆ)


1208日・水

 A&Cオーディオのヒッポさんが Diretta を誉めているので、どんなものかと調べてみる。しかし Mac ユーザにはなかなか敷居が高いと判明する。

 あたしなりに整理すると、 Diretta はイーサネットで外部記憶装置内の音源ファイルを送りだす際の伝送技術だ。当然ながら、送り手側と受け手側の両方で Diretta をサポートしている必要がある。

 イーサネット・ポートを備えた DAC LAN DAC とかネットワーク・トランスポートとか呼ばれる。このジャンルで Diretta に対応しているのはスフォルツァートのみ。もう一社、イタリアのメーカーも対応しているそうだが、国内販売は無い。

 その他の世に出ている大多数の DAC にはイーサネット・ポートは無いし、あっても Diretta をサポートしてはいないので、イーサネットを USB に変換するブリッジが必要になる。このブリッジは SPEC とオリオスペックから出ている。 ヒッポさんは SPEC のブリッジを試して、CDP よりも音が良くなった、と認めている。

 上流、音源としては外部記憶装置または Windows PC が必要になる。Mac 用の HOST ドライバは開発中というのが2年半前の話。その後、どうなったのか、検索しても出てこない。2年経っても何も出てこないのは、開発できなかったのだろう。

 となると、Mac ユーザとしては対応する外付記憶装置に頼ることになるが、IOデータの fitada または Soundgenic しか無い。

 第1の問題は fitada/ Soundgenic のものはルータに有線でつなぐ必要があること。つながないと再生やコントロールできない。ルータまで延々ケーブルを引き回す必要がある。無線ルータが無意味になる。あるいは親子システムが必要になる。Soundgenic にはネットワーク・コネクタは1個しか無いから、別途ハブが必要になる。この点、Soundgenic のサイトのイラストは誤解を招きやすい。fitada Music App をインストールした iOS/Android 機器であたかも無線で直接コントロールできるように描いているが、実際には Soundgenic をルータにつなぎ、そのルータと iPad などを無線でつなぐ必要がある。

 問題の二つ目、ハード・ディスクは使っているうちにクラッシュすることを覚悟しておかなければならないが、fitada Soundgenic のハード・ディスクは特別製でおいそれと交換はできない。fitada SSD もあるが、最大2TB 60万超。今や 1TB マイクロSDカードが1.5万の時代なのだ。2TB SSD が入ったものになんで60万も出さねばならんのだ。いい音の環境を追求するというよりも、ハード・ディスクや SDD をいかに高く売るかを追求した製品のように見えてくる。

 こうなると Diretta は音は良いかもしれないが、現状ではカネと手間暇かける価値は無い、と結論せざるをえない。これなら、Mac で再生したい音源は AirPlay で飛ばして、対応する DAP なりストリーマなりで受けて、好みの DAC に入れた方が遙かに手間がかからずに音楽が楽しめる。聞き比べてみれば音は違うとしても、比較せずに聴く分には十分満足できるし、それなりに音を良くするためにいろいろ遊ぶこともできる。

 まあ、オリオスペックないし他のメーカーがマイクロSDカードやそれに準ずるメディアを使って、もっと安価で無線で直接コントロールできる Diretta 用音源装置を出せば、また検討の余地は出てこよう。

 Windows PC の代わりにラズパイないし専用コンピュータでもいいわけで、オリオスペックは Diretta 用コンピュータやラズパイを出していたが、コンピュータは販売終了、ラズパイは品切れ納期未定になっている。

 Windows PC を買えって? バカ言え、あの醜い画面を見たくないから Mac を使っているのだ。あの画面を見ただけで、せっかくの音楽が台無しだ。


 しかし、そう、デジタル・アウトだけ装備した DAP をどこか作ってくれないものか。好みの DAC につなぐためのもので、本体に再生機能はなくていい。サイズは多少大きくてもいいから、マイクロSDカード・スロットを複数備えたもの。最大で8枚くらいは欲しい。その読み出しと出力にハイエンド級の物量やシステム(例えば USB Bulk Pet 転送。これって転送するデータの量と速度を一定にするという点では Diretta と同じでないの?)を投入したもの。スマホやタブレットのアプリで再生やコントロールをする。だから本体にコントロール画面は無くていい。AirPlay サポート。マイクロSDカードは装着したままファイルの出し入れもできる。ライブラリは全部一括して扱える。値段は、そうなあ、10万以内。5万ならベスト。そんなもの、誰も買わん、かねえ。



##本日のグレイトフル・デッド

 1208日には1973年から1994年まで、5本のショウをしている。公式リリースは1本。


1. 1973 Cameron Indoor Stadium, Duke University, Durham, NC

 前売5ドル、当日6ドル。開演7時。第一部クローザー一つ手前の〈Weather Report Suite〉が2011年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 2011年にはまだあたしはデッドにハマっていないので、この年の《30 Days Of Dead》は持っていない。全体として良いショウとのこと。


2. 1989 Great Western Forum, Inglewood, CA

 3日連続このヴェニューでの初日。19.50ドル。開演8時。

 イングルウッドはロサンゼルス国際空港のすぐ東、大ロサンゼルスの一角。ヴェニューは19671230日にオープンした多目的屋内アリーナで、収容人数は17,500。屋内に柱の無い構造で、このサイズのアリーナとしては最初のもの。1966年から1999年まで、NBA のロサンゼルス・レイカーズの本拠地として、東のマディソン・スクエア・ガーデンと並び称されるスポーツ会場だった。2012年、西のコンサート拠点として開発する意図でマディソン・スクエア・ガーデンを所有する会社が買収したが、2020年、NBA のロサンゼルス・クリッパーズのオーナーがさらに買収している。現在は単に The Forum と呼ばれる。

 デッドはここでこの年の2月と12月の2度、3連チャンをしている。


3. 1990 Compton Terrace Amphitheatre, Chandler, AZ

 2日連続の2日目。21ドル。開演1時。

 セット・リストを除くそれ以外の情報無し。


4. 1993 Los Angeles Sports Arena, Los Angeles, CA

 25ドル、開演7時半。ポスターによればロサンゼルス、サンディエゴ、オークランドのミニ・ツアー。ロサンゼルスはこの日から3日間。

 セット・リストを除くそれ以外の情報無し。


5. 1994 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 27.50ドル、開演7時。

 第一部クローザー前の〈Eternity〉で、ウィアがアコースティック・ギター。

 セット・リストを除くそれ以外の情報無し。(ゆ)


1124日・水

 デッドの1973-11-21のデンヴァーのショウを聴きながら散歩していて、〈Going Down the Road Feelin' Bad〉のあまりの気持ちよさに歩きながらわめいてしまい、川縁で遊んでいた幼ない女の子たちに笑われる。


 FiiO M17発売。直販で215,000円。円安だから、こういう値段になるよなあ。国内価格は税込25万切るかどうかかな。うーん、M11Pro まだバリバリ元気だし、特に音にも不満は無いし、バッテリーも良くなってるんだろう、1年以上経つけど、特に衰えた感じはないし。しかも冷却器付きって、そんなに熱くなるわけえ。それはちょっと引くなあ。それと、やあっぱり、Sabre のチップは好かん。旭化成かサーラス(シーラス?)が好みなのよねえ。さもなきゃ、R2R を試すか。HiFiMAN も何やら出したし。

 Kontinum K100 が投げ売りをして、ほぼ半額になっているのが気になってしかたがない。32bit 処理とバッテリーの違いは試したい。後続が出そうもないし。2.5mmバランス・アウトだけ目をつむれば、バッテリーは交換できるから、長く使えそうだし。
 ありゃ、しかし、初値が高すぎだよ。Astell&Kern の流れで強気に出たのかもしれんけど、最初から今ぐらいの値段だったら、後につながるくらいは売れたんでないかい。それとも、あのカタチかしらん。あのバッテリーを使うにしてもさ、もう一工夫欲しいよ。つまりは詰めが甘かったってわけだ。Astell&Kern は何だかんだ言って、突き詰めてることは感じられるのよね。オーディオはニッチなんだから、どこか一点でも突き詰めてるところがないと、わかった、騙されてやろう、清水の舞台から飛び降りてやろう、って気にはなれないじゃない。
 しかし、そうしてみると、詰めの甘いものが半額になったからって、跳びつく道理はないわけだ。32bit 処理の技術も、いずれ iRiver が買いとって、Astell&Kern に組みこむかもしれない。KANN シリーズの次期モデルとか。KANN のあのカタチなら、バッテリーも K100 と同様のものにしやすいだろう。

 ところで FiiO の本家サイトは Safari では表示がおかしくて、M17の製品ページ、右側に空白スペースができてテキストもちょん切れてるんだけど、あたしだけか。



##本日のグレイトフル・デッド

 1124日には1968年から1972年まで4本のショウをしている。公式リリースは2本。


1. 1968 Hyde Park Teen Center, Cincinnati, OH

 ピグペンとトム・コンスタンティンが2人ともキーボードを担当した。The Lemon Pipers が前座。

 The Lemon Pipers は当時地元で活動していたサイケデリック・ロック・バンド。1966年にオハイオ州オクスフォードで学生バンドとして結成。1967年、Ohio Battle of the Bands の決勝に残り、ジェイムズ・ギャングの後塵を拝する。1967年のシングル〈Green Tambourine〉が1968年2月、ビルボードとキャッシュボックスで No. 1 ヒットとなる。ただし、これは契約した Buddah Records が外部のソングライター・チームに依頼して書かせたティーネイジャー向けの曲で、バンド本来の志向とは相反するものだったようだ。また、例によって印税はバンドにはほとんど渡っていないらしい。


2. 1972 Dallas Memorial Auditorium, Dallas, TX

 開演7時。ピグペン病欠で、オープナーの〈Don't Ease Me In〉の後、ウィアがそのことを説明した。


3. 1978 Capitol Theatre, Passaic, NJ

 10ドル。第一部8曲目〈New Minglewood Blues〉が《Beyond Description》収録の《Shakedown Street》ボーナス・トラックでリリースされた。

 会場は2,500収容でチケットは抽選。FM で全国放送された。また、全篇ビデオ収録もされている。DeadBase XI David I. Greenberg のレポートはこのビデオに基いている。この年のベストのショウの一つの由。


4. 1979 Golden Hall, San Diego Community Concourse, San Diego, CA

 第一部5曲目の〈Peggy-O〉が2011年の、第一部クローザーの〈Passenger〉が2014年の、《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 セット・リスト以外の情報無し。(ゆ)


1115日・月

 ハイタイドのオンラインストアでふと目についた HMM Pencil を注文。こういう、良さげなシャープペンシルを見ると、むらむらと買ってしまう。こないだ、Kickstarter Wingback のものを手に入れて、気に入っていて、もうこれで打ち止め、と思ったのだが、やはりダメ。これが 0.5 だったら買わないところだが、おあつらえ向きに 0.7 なのだった。やはりハイタイドが出しているドラフト・ペンシルにも惹かれるが、0.5 だったので買わずにすむ。

 これも台湾製。台湾製の文房具が目につくなあ。
 


##本日のグレイトフル・デッド

 1115日には1969年から1987年まで4本のショウをしている。公式リリースは2本。


1. 1969 Lanai Theater, Crockett, CA

 Moratorium Day として知られるこの日のワシントン、D..でのベトナム反対大規模デモのための資金集め。休憩無しに2時間超演奏している。

 会場は685席の元映画館。1913年にオープン、1951年にラナイ劇場と改称。少なくとも1958年まで映画館として使用され、後、ライブハウスとなった。ここではこの1回のみ。

 クロケットはサンフランシスコ湾の北のサンパブロ湾東岸、オークランドからバークリー、リッチモンドと北上して、サンパブロ湾から東に伸びるカルキネス海峡の南側。


2. 1971 Austin Memorial Auditorium, Austin, TX

 開演午後8時。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。

 《Road Trips, Vol. 3, No. 2》で全体がリリースされた。後半ラスト〈Not Fade Away> Goin' Down The Road Feeling Bad> Not Fade Away〉のシークエンスが聞きどころ。71年版から72年版へ移ってゆくのが面白い、と言われる。

 《Road Trips》のシリーズは一連の複数のショウのハイライトを収録して、ランと呼ばれる一群のショウ全体像を提示しようという試みだったが、評判は悪く、売行もよくなかった。デッドヘッドはテープで1本のショウ全体を聴くのを好んだし、この前の《Dick's Picks》のシリーズは1本のショウ全体をリリースする方針だったから、失望されたのだろう。結局、1本のショウ全体をリリースする形になってゆく。


3. 1972 Oklahoma City Music Hall, Oklahoma City, OK

 後半5曲目〈Playing In The Band〉、8曲目〈Wharf Rat〉、10〜ラスト〈Not Fade Away> Goin' Down The Road Feeling Bad> Not Fade Away〉が《Dave’s Picks, Vol. 11》で、後半4曲目〈Brokedown Palace〉が昨年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。〈Wharf Rat〉は今年の《30 Days Of Dead》でもリリースされている。計6曲リリースされたことになる。

 30分を超える〈Playing In The Band〉がまずハイライト。30分間、バンド全員が一瞬たりともダレた音を出さない。緊張と弛緩の同居する集団即興が続く。ベスト・ヴァージョンの1本。最後にウィアが Thank you. Wharf Rat〉も、その後もすばらしい。まるでジャズの〈Not Fade Away〉から、だんだんスピードが速くなるロックンロール〈Goin' Down The Road Feeling Bad〉がコーダでぴたりと収まって、レシュのベース一発で〈Not Fade Away〉にぱっと戻る。今度はウィアがコーラスを繰返す。そこにガルシアがギターをかぶせて、エンディング。このエンディングだけで1分近くやる。

 こういうショウを連日やっていたこの年はやはりピークだ。全体を出さないのはテープの損傷か。せめて後半だけでも、全体の公式リリースが欲しい。録音はアウズレィ・スタンリィで、クリアそのもの。


4. 1987 Long Beach Arena, Long Beach, CA

 開演6時。日曜日のせいか、珍しく早い。

 この年ベストのショウの一つ、らしい。アンコールのハンター&ガルシアの後期の傑作〈Black Mudyy River〉は、デビューからちょうど1年経ち、最初の決定的演奏のようだ。(ゆ)


1112日・金

 溜まりに溜まったCDをリッピング。ひたすらリッピング。半日やってまだ終らない。デッドの HDCD dbPoweramp でやるが、普通のは XLD がやはり一番使いやすい。音は dbPoweramp でやるのと変わらない。


 HiBy RS6 は聴いてみたい。それにしても、チップ不足で、R2R がまた一つ増えた。

 iBasso DX240はバランス・アウトが今時 2.5 のみというところでペケ。それに、こうなってくると、これといった特徴が無い。アンプ・モジュール交換も Cayin A&K SE180 が出てくると、見劣りがする。HiBy は半歩先へ行っている感覚があるが、iBasso は後追いしている感じ。

 仕掛けじゃないだろう、要は音がいいかどうかだ、という向きもあるかもしれない。しかし、DAP はまだ発展途上なのだ。製品として成熟してるわけじゃない。新しいことをどんどん試せる。ならば、鼻の差でも先へ出なければ面白くない。どこかに、他には無い、こいつにしかない、というものが無いのはつまらなくなる。

 FiiO M17 は本家サイトに復活したが、出ないねえ。

 Cowon は昨年から新製品が出ていない。サイトも昨年4月から更新されていない。本家でも一昨年の Plenue R2 が最新。脱落か。最近はもっぱらワイヤレス・イヤフォンを出しているようだ。


##本日のグレイトフル・デッド

 1112日には1966年から1971年まで4本のショウをしている。公式リリースは1本。


1. 1966 The Old Cheese Factory, San Francisco, CA

 Anniversary Party と銘うたれたイベント。共演 Andrew Staples。ポスターのみ残る。セット・リスト不明。この日のものとして出回っている録音は実際には11-19のフィルモアのもの、だそうだ。ここでやったのはこの1回のみ。

 この日にはもう1ヶ所 Sokol Hall で開かれたヘルス・エンジェルス主催のギグがあり、そちらでも演奏したという。2007年5月に行われたラム・ロッド・シャートリフ・コレクションのオークションによる由。ラム・ロッドはデッドのクルーのリーダーで、一つのバンドのために働いた最長記録保持者と言われる。残っているポスターにはビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー、メリー・プランクスターズの名と午後8時半開演とある。Sokol Hall The Old Cheese Factory は3マイル、約5キロしか離れておらず、両方に出ることは難しくないそうだ。

 Andrew Staples は不明。


2. 1967 Winterland Arena, San Francisco, CA

 "Benefit For the Bands" と銘打たれたイベント。セット・リスト不明。


3. 1970 46th Street Rock Palace, Brooklyn, NY

 4日連続の2日目。

 雨の夜で客は少なく、500というところ。まずガルシアとクロイツマンが入ったニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジが熱い演奏をした。その後で出てきたデッドの演奏はひどかった。が、すぐに止めて、ウィアが弦が切れて、交換してチューニングするのにしばらくかかる、楽にしていてくれ、と言った。1時間ほどしてバンドはステージにもどり、あらためて始めた。今度はすばらしかった。1曲終ったところでガルシアが、ステージ・ライトを消して客電を点けてくれ、と言い、その通りになった。それからそれまで見た中で最高のショウが始まった。その時夜の11時で、終ったのは朝の4時。という証言あり。


4. 1971 San Antonio Civic Auditorium, San Antonio, TX

 前半10曲目、ラストの一つ前の〈Black Peter〉が2013年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 全体で10:14あるトラックのうち、曲は8:45で終る。次の〈One More Saturday Night〉の最初のリフの直後、録音が切れる。

 この曲は内容通り、陰々滅々に終始することもあるが、これはパワフルな演奏。このピーターは自分の状況を耐え忍んで、ほとんど強靭と言える相を見せる。全体としても良いショウだろう。(ゆ)


1103日・水

 原稿の仕上げ。指定に合わせるため、唸りながら、カットカットカット。


 FiiO のサイトの "A Letter to FiiO Fans" は興味深い。アフターサービスを考えたら、公式ストアか公式のディーラーから買ってくれ。それ以外のところから買うのを禁じるわけではないし、非公式チャンネルから買ったもののでもモノを本社まで送ればアフターサービスはするが、それにはカネと時間がかかる。だから、公式チャンネルから買ってくれ、と言うのまでは当然だが、その後に非公式チャンネルを列挙している。それが全部中国国内のオンラインストアだ。HiFiGO も含まれている。こちらは英語で見てるわけだが、この「書簡」は国内向けなのだろう。わざわざこういう書簡を発表するということは、非公式チャンネルで買われたもののアフターサービス要求がそれだけ多いと思われる。中国の企業も自国内の業者の安売りには手を焼いているらしい。それだけ中国の国内市場が大きくなっていることでもあるのだろう。



##本日のグレイトフル・デッド

 11月3日には1966年から1991年まで3本のショウをしている。公式リリースは無し。


0. 1965 Golden Gate Recorders, San Francisco, CA

 《Birth Of The Dead》冒頭に収録された6曲はこの日にスタジオで録音された。


1. 1966 Avalon Ballroom, San Francisco, CA)

 ポスターでは4日5日になっているが、チラシでは3日4日。共演は Oxford Circus。セット・リスト不明。

 Oxford Circus で検索するとサンフランシスコを本拠とするダンス・バンドのサイトが出てくるが、同じものとは思えない。


2. 1984 Berkeley Community Theatre, Berkeley, CA

 6本連続の最終日。前日が凄すぎて目立たなくなっているが、これもすばらしい出来の由。


3. 1991 Polo Field, Golden Gate Park, San Francisco, CA

 "Laughter, Love & Music" と題されたビル・グレアム追悼コンサート。開演11時。ポスターに掲載されたのはダーティ・ダズン・ブラス・バンド、ボビィ・マクファーリン、ジャクソン・ブラウン、アーロン・ネヴィル、イーヴリン・シスネロス、マイケル・スマイン、ジョー・サトリーニ&フレンズ、グレン・ライオンズ、サンタナ、ロス・ロボス、ロビン・ウィリアムス、ジャーニー、トレイシー・チャップマン、CSN&Y、グレイトフル・デッド、ジョン・ポパー、ジョン・フォガティ、ジョーン・バエズ、クリス・クリストファースン。

 デッドはアンコール2曲含めて14曲演奏。半ばでジョン・フォガティが参加して〈 Born On The Bayou; Green River ; Bad Moon Rising ; Proud Mary〉をやった。アンコール1曲目〈Forever Young〉にニール・ヤングが参加。アンコール前ラストの〈Sunshine Daydream〉はグレアム死後最初のショウだった1027日オークランドでのショウのオープナー〈Sugar Magnolia〉の後半をここで閉じた。この歌はグレアムが最も好んだ曲で、毎年末の恒例年越しライヴでは最後に歌ってくれといつもリクエストしていた。

 デッドがサンフランシスコ市内で演奏したのはこれが最後。ベイエリアでやる時にはもっぱらオークランドになる。(ゆ)


1023日・金

 先日の PhileWeb で野村ケンジが薦めていた有線イヤフォンのうち、JVC HA-FW7 を買った。



 夜、開梱。まず1曲聴き、夕食の間にピンクノイズのエージングをかけて、夜また聴く。かなり良い。クリアで見通しがよく、音に存在感がある。イヤチップをSpiralDot++に交換。サウンドステージが広がり、音の雑味が減る。簡単なエージングでここまで良くなるのなら、ちゃんとかければ立派になるだろう。

 アコースティックも良いが、デッドも良い。エレクトリックでもデッドの演奏では透明なアコースティックに近い音から、暴力的でノイジーな音まで、実に多種多様な音が響くが、各々にちゃんとリアリティがある。ということは、余計なことはしていないのだろう。もっともプレーヤーが良いのもあろうが、それにちゃんと応える。

 これだけの音を聞かせてくれるなら、イヤフォンはこれを使って、その分プレーヤーに奢る、という手もある。一方で、エントリーでこれならば、ハイエンドはどうなのだ、というのも気になってくる。スピーカー・オーディオと違って、イヤフォン、ヘッドフォンはこう気になるとそのハイエンドに手が届いてしまう。エントリーは数万で、ハイエンドは数百万なんてことはない。

 この音がダメだというのはわからん。好みでかたづけられる問題でもないような気がする。あるいは耳の問題かもしれない。オーディオでよく言われることに、1番大きな問題は機器ではなく部屋だ、というのがある。が、その前に、耳がいかれていてはどうにもなるまい。耳というのはハードウェアだけではない。鼓膜から来た信号を解釈する脳の中のソフトウェアとの組合せだ。ウォークマン難聴はハードウェアの問題だが、そこはクリアしているとしても、ソフトウェアがバグっていたり、仕様が最初から間違っていては、まともな動作はしない。あるいはディープラーニングで AI を鍛えるのに、不適切なデータを使うようなものだろう。

 良い音かどうか判断するソフトウェアは、良い音をふだんから聴いて鍛える必要がある。良い音とはすなわち生演奏の音、それも生楽器の生の音、PAを通さない音だ。生楽器は演奏する人間による音の変化が大きいから、できるだけ名手の演奏を聴く必要もある。クラシックとは限らない。アイリッシュ・ミュージックでも、ジャズでも、インド古典音楽でも、コラでもいい。自然音でもいいかもしれないが、音楽は自然に鳴るものではないから、やはり演奏の方がいいと思う。鳥や虫の鳴き声はいいかな。


##本日のグレイトフル・デッド

 1023日には1966年から1989年まで、7本のショウをしている。公式リリースは3本。


1. 1966 Las Lomas High School, Walnut Creek, CA

 開演午後3時。もとは Walnut Creek Library で予定されていた。セット・リスト不明。


2. 1970 McDonough Arena, Georgetown University, Washington, DC

 5ドル。開演8時半。第一部は50分弱のニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ。ガルシアがペダルスティール。第二部が1時間半弱のエレクトリック・デッド。FM放送されたが、テープは無いそうだ。ショウは最高だった由。


3. 1971 Easttown Theatre, Detroit, MI

 このヴェニュー、2日連続の1日目。8時開演。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジも出ている。WABX FMライブ放送されている。


4. 1972 Performing Arts Center, Milwaukee, WI

 このヴェニュー、2日連続の1日目。骸骨をフィーチュアしたポスター。7時半開演。ショウは良かったそうだが、既存のメディアにとっては、ほとんどしゃべらずに黙々と演奏するのが異様に映ったらしい。MC を聴衆と結びつくために使うミュージシャンは多いが、デッドは音楽だけでどんなミュージシャンよりも強力な結び付きを聴衆と結んでいた。


5. 1973 Metropolitan Sports Center, Bloomington, MN

 前半7曲目〈Black-Throated Wind〉が2015年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 警備員が横暴で、トラブルが絶えず、終演後、クロイツマンがその一人と喧嘩になったといわれる。

 珍しくキースがオルガンを弾いていて、なかなか良い。これならもっと弾いてもらいたい。キースのはずだが、あまりかれらしく聞えない。


6. 1980 Radio City Music Hall, New York, NY

 8本連続の2本目。第一部アコースティック・セット全部が《Reckoning2004年の拡大版で、第二部5曲目の〈Althea〉が《Beyond Description》中の《Go To Heaven》ボーナス・トラックでリリースされた。

 第一部〈Cassidy〉のガルシアのソロがいい。抒情たっぷりの〈China Doll〉がいい。これにチェンバロを使うことを思いついたのは誰だろう。ミドランドか。確かにこの歌はピアノではない。


7. 1989 Charlotte Coliseum, Charlotte, VA

 2日連続の2日目。開演7時半。前半ラストの2曲〈Tennessee Jed〉〈Let It Grow〉が2010年の、オープニング2曲目〈Feel Like A Stranger〉が2020年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 〈California Earthquake (Whole Lotta Shakin' Goin' On) 〉がオープナー。2度目で最後の演奏。ちなみにこの歌はロドニー・クロゥエルのデビュー・アルバム掉尾を飾るワルツ。コーラスのラストの1行

"We'll build ourselves another town you can tear it down again."

には励まされる。

 会場周辺でのデッドヘッドと地元警察との軋轢が悪化していた時期だが、ここはことさらに悪かったらしい。

 ショウは前日よりは良かった。(ゆ)


1020日・水

 Grado The White PHAntasy でデッドを聴いてみる。アンバランスしかない機種はむしろオリジナルの PHAntasy の方が好きだ。すばらしい。うーん、The Hemp 2 は近すぎるか。White の方がホールの感じ、ライヴ感がある。The Hemp 2 だと小さなライヴハウスで聴いている感じ。The Hemp 2 は耳のせ型でもあり、できれば散歩の時使いたいのだが、それにしてはこのケーブルが太すぎる。もう少し、細くて、取りまわしのしやすいものに換えてくれるところがあるかな。



##本日のグレイトフル・デッド

 1020日には1968年から1990年まで8本のショウをしている。公式リリースは5本。うち完全版1本。


1. 1968 Greek Theatre, Berkeley, CA

 "All Cal Rock Festival" と題するイベント。日曜午後1時から6時まで。共演は Canned HeadMad River StonehengeLinn County 他。前売3.50ドル、当日4ドル。

 1時間ほどのステージ。3曲め〈Dark Star〉が2012年の《30 Days Of Dead》でリリースされた後、《30 Trips Around The Sun》の1本として全体がリリースされた。

 数本のショウの不在を経て、ピグペンが復帰。不在はガールフレンドの看病のためと言われる。

 Mad River 1966年4月、オハイオ州イエロー・スプリングスで結成したサイケデリック・バンド。1967年3月、バークリーに移り、ここでリチャード・ブローティガンの注目するところとなって浮上する。キャピトルに2枚アルバムを残して、1969年7月解散。

 Stonehenge は調べがつかず。


2. 1974 Winterland, San Francisco

 ライヴ休止前5日間最終日。チケットには "The Last One" のスタンプが押された。この時点ではデッドがライヴを再開するか、わからなかった。復帰するのは1年7ヶ月の後、1976年6月3日、オレゴン州ポートランド。

 ショウは三部構成で、アンコールも2回。オープナー〈Cold Rain And Snow〉、第一部ラスト〈Around And Around〉、第三部2曲目〈The Promised Land〉とラストから2曲目〈Stella Blue〉が《Steal Your Face》で、第二部全部とアンコールの全部が《The Grateful Dead Movie Sound Track》で、第一部ラスト前の〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉が2014年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。全体の約半分がリリースされたことになる。

 第二部にミッキー・ハートが復帰する。1971年2月18日以来、3年8ヶ月ぶり。第三部では一部の曲で外れたが、アンコールでは復帰。

 この5日間で演奏された曲は延117曲。重複を除くと71曲。

 終演後、デッドヘッドの間では、半年で復帰するか、1年かかるか、賭が行われた。

 デッドがライヴ活動を休止したことは、かれらが尋常のロック・バンドとは一線を画していたことの現れの一つではある。デッドの場合、この休止は意図的に行われた。売れなくなった、とか、バンドのまとまりが保てなくなったなどの消極的理由ではなかった。

 というより消極的理由はあったが、それは理由の半分だった。消極的理由はまず Wall of Sound である。空前絶後のこのPAシステム、モンスターはライヴのサウンドの質にこだわるデッドにとっての究極のシステムだった。しかし、組立てに数十人を要して2日かかり、あまりに巨大で、使えるヴェニューが限られた。連日のショウをこなすには、2セット用意して、1セットは先行して送っておく必要があった。実際には予備も含め3セット用意されていた。当然、維持のためのコストは天文学的な額になる。結果、このモンスターはデッドの財政基盤をゆるがしはじめていた。

 消極的理由にはもう一つ、自前のレコード会社も財政的に見合うものではなくなっていたことがある。この5日間のランからはライヴ・アルバム《Steal Your Face》が作られ、これがこの最初の自前のレコード会社の最後のリリースとなった。

 積極的理由は、1965年以来、突走りつづけてきて、その疲労が蓄積していたことがある。1965年のショウの数ははっきりしないが、1966年からこの1974年最後のランまでのショウの合計は少なくとも916本。年平均100本を9年続けたことになる。全米をくまなく走りまわりながらだ。カナダやヨーロッパに遠征もした。しかも、その900本を超えるショウは、どれもがユニークなもので、演目、曲順、演奏がそれぞれに異なる。疲弊しない方がおかしい。演奏の質そのものはそれほど落ちているとは思えない。しかし、はっきり落ちはじめる前にやめよう、と決めたわけだ。プロとしてみっともないショウをするわけにはいかない、という意識でもある。

 この197410月の時点では、デッドとその直近、メンバー、クルー、スタッフはこれが最後になると信じていた。復帰できるかどうかはまったくの闇の中だった。ハートがここで復帰したのは、これが最後になるかもしれないと恐慌に襲われたためだ、という説もある。

 もう一つ、間接的ながら重要な要素がある。この時点ではまだデッドはやめることができた。回っている車輪を止めることができる程度の規模だった。1990年代、再び同様の事態になった時には、規模が大きくなりすぎて、止めることができなくなっていた。1986年のガルシアの昏睡は、いわば怪我の功名だった。半年とはいえ、バンドは休息できた。一方でガルシアはギターの弾き方をゼロから覚えなければならない、あるいは思い出さなければならなかったにせよ、それも含めてデッドはここで再度リセットできた。それが1990年夏までの第三の黄金期を生みだす。しかし、次に倒れた時には、ガルシアはついに再び立ちあがることができなかった。

 デッドのショウ、音楽は他に二つとない、すばらしいものではある。20世紀の生んだ最高の音楽、文化的産物と言ってもいいと思う。一方で、それを生みだすプロセスは、それに関わる誰にとっても、バンドのメンバー、クルー、スタッフの全員にとっても、それはそれは厳しく、きついことであった。偉大なものを生みだすには、それだけの犠牲が付随する。毎晩、ステージの上で、ああいう音楽をやっているのはどんな感じかと問われた時、ガルシアは答えた。

 「絶えず砂が流れおちてくる砂丘を、片足だけで一輪車を漕いで昇ろうとするようなもんさ」

 デッドの恩恵を受けつづけている我々はこの言葉を噛みしめるべきだろう。


3. 1978 Winterland Arena, San Francisco, CA

 ウィンターランド5本連続の中日。やはり良いショウの由。


4. 1983 Centrum, Worcester, MA

 この会場2日連続の1日目。ガルシアの調子が誰の目にも悪いとわかるショウだったようだ。


5. 1984 Carrier Dome, Syracuse University, Syracuse, NY

 開演7時。後半オープナー〈Shakedown Street> Samson and Delilah〉が2017年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 初め、ヴォーカルの音が皆遠い。5分過ぎ、急に大きくなる。おそろしくバネの効いたガルシアのギターを中心に、非常にイキのいい演奏。ガルシア、ウィア、ミドランドがコーラスを歌い交わすのがカッコいい。この歌のベスト・ヴァージョンと言いたなる。〈Shakedown が一度終るがドラムスが途切れなく〈Samson〉のビートを打ち出す。ウィアのヴォーカルにミドランドがハモンドで激しく突っかかる。歌の後のガルシアのギターをドラムスが切迫感たっぷりのビートを細かく打ちだして煽る。ガルシアはこれを余裕で受けとめて、いっかな演奏をやめない。

 この2曲だけ聴いても、このショウが第一級であることはわかる。


6. 1988 The Summit, Houston, TX

 17.50ドル。開演7時半。チケットに "No Smoking" とあるのににやり。この年の平均的なショウだったらしい。ということは良い。


7. 1989 The Spectrum, Philadelphia, PA

 前半ラスト〈California Earthquake (Whole Lotta Shakin' Goin' On)〉が《Beyond Description》でリリースされた。2日前のロマ・プリータ地震に対して歌われたのは明らか。後日、もう一度歌われる。


8. 1990 Internationales Congress Centrum, Berlin, Germany

 前半5曲目〈Black-throated Wind〉が2020年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。この年3月に16年ぶりに復活してこれが4回目の演奏。70年代とはかなり性格が変わっている。(ゆ)


1016日・土

 Dave's Picks, Vol. 40発表。いつもはいつから予約開始とアナウンスが来るが、今回はいきなり予約開始のアナウンス。1990-07-18/19 だからか。あたしは大歓迎。Dave's Picks の最後は去年も後期1987年の2本のカップリングだった。10/29リリース。ということは、もう来月は 30 Days の月ではないか。そしてそろそろ来年の Dave's のサブスクリプション申込みだ。



 PhileWeb の野村ケンジ氏による「あえて選びたい有線イヤホン、プロが選ぶ“1万円以下のおすすめ6モデル」は、旱天の慈雨というと大袈裟か。しかし、久しぶりにほっとする。
 世はワイヤレス全盛で、これがこれから主流になってゆくのはわかるが、こう、出てくる新製品がどれもこれもワイヤレスばかり、となると辟易してくる。だいたい売れているのは AirPods Pro とソニーと Anker ぐらいで、他は出すのに意味があるのか、と思える。アマゾンの売行ランキングではこの三者が不動のベスト5で、しかも順位まで AirPods ProAnker、ソニーと決まっている。ごく時たま、ソニーや Anker が新製品を出すと、一瞬入れかわるけれど、またすぐ元に戻る。だからといってこの3つだけありゃいい、ということにはならないことも承知しているし、主流になる、ということはどこもかしこもその方式を出すということではあると、アタマでは理解しているが、カラダは承知しない。それに、いかにワイヤレスが主流になろうと、有線が滅びるわけじゃない。



 1万以下の有線6モデルは国産と中華が半々。今、この価格帯を出しているのはこの二つだけ、ということか。かつて、ヘッドフォン祭にヴェトナムのメーカーが出たことがあったけれど、参入はならなかったようだ。向こうではどうなのだろう。東南アジアではオープン・タイプのイヤフォン、いわゆる ear buds が大人気で、しかも、音をカスタマイズするのが流行っていて、そのためのパーツ市場が盛んと聞いたのは COVID-19 の前だが、今はどうなのだろうか。アジアでヘッドフォンよりもイヤフォンが好まれるのは、電車やバスによる通勤があるからだ、という説があるが、その説からするとオープン・タイプは売れないはずだけれど。

 この国産と中華半々、というのには深い意味もあるのだろうが、国産がすべてケーブル固定で、中華がすべてリケーブル可能というのは興味深い。リケーブルは iBasso MMCX で他は 2pin

 ドライバーはすべてダイナミック。BA ではこの価格ではできない、ということだろうか。final で見ると、BA を使った1番安いのは F3100の2万。ドライバーのサイズは水月雨の6mm から DENON 11.5mm まで。DENON は記事では11.2とあるが、公式サイトでは11.5TFZ も記事では11.2だが、公式サイトでは11.4。単純なミスか、意味があるのか。ドライバー振動板の素材でユニークなのは JVC のウッドドーム。iBasso TFZ がグラフェン、水月雨がベリリウムの、各々コーティング。DENONfinal は発表なし。

 価格は final 3,209円から水月雨の 9,191円まで。6機種合計42,815円也。これはアマゾンで、楽天の最安で買うと41,280円。にポイントが2942着く。これなら、どれか1機種といわず、全部買って、とっかえひっかえ、使う環境、聴く音楽に合わせて使うのも面白いだろう。それに、野村氏の記述と自分の聞え方を比べると、評論家がこう書いているときは、自分にはこう聞えるだろうという見当もつくようになる。少なくとも野村氏についてはつくようになる。

 中で真先に試したいのはウッドドームだ。ハイエンド・モデルを試そうかと思ったこともあるが、まずこれで試して、自分に合うかどうか、本当にアコースティックの楽器がきちんと、良くではなく、きちんと聞えるか、つまり、生の音に近く聞えるか、試すには格好だ。



##本日のグレイトフル・デッド

 1016日には1966年から1989年まで7本のショウをしている。公式リリースは4本。うち完全版1本。なおこの日はボブ・ウィアの誕生日。ちなみに、最近一緒にやっている John Meyer も同じ誕生日。


1. 1966 Golden Gate Park, San Francisco, CA

 ゴールデン・ゲイト公園の東に伸びたパンハンドルと呼ばれる場所での "Artist's Liberation, Front Free Festival"。ポスターでは15日と2日間のイベントだが、デッドはこの2日目に演奏した。

 ボブ・ウィアは19歳になった。


2. 1970 Irvine Auditorium, University of Pennsylvania, Philadelphia, PA

 会場はペンシルヴァニヤ大学の講堂なのだが、趣旨は Drexel という理工系カレッジの同窓会で、ドレクセル・カレッジがこの講堂を借りていた。会場はペンシルヴァニヤ大学をドロップアウトしながら有名になった建築家によるもので、建物の設計を依頼された時、学生時代にドロップアウトの原因となった同じ設計を提出した。それによって建てられたホールは、大学のホールの中でも最悪の音響特性をもっていた。

 したがって聴衆はほとんどが、ごく普通の、いわゆる「民間人」とその伴侶で、その中に少数のデッドヘッドがはさまれる形。誰が、なぜ、こういう場に当時のデッドを呼んだのか、は興味あるところだ。呼んだ方はあるいはデッドの何たるかを知らないままに呼んだ可能性もある。ショウの間、会場を去る人間が絶えず、途中休憩でどっといなくなった由。音楽もだが、デッドヘッドたちに反発した者も多かったらしい。デッドヘッドがアメリカ社会の隅々にまで拡散するのは、20年後だ。この頃はまだ極めて目立つ、物珍しい存在だったろう。

 ショウそのものはピグペンのショウだった。以上 DeadBase XI Zea Sonnabend のレポートによる。


3. 1974 Winterland Arena, San Francisco, CA

 ツアー休止前のウィンターランド5日連続のショウの初日。

 前半ラストの〈Playing In The Band〉が《The Grateful Dead Movie Sound Track》で、後半2曲目〈Eyes Of The World〉が2014年の《30 Days Of Dead》で、4曲目〈Scarlet Begonias〉が《BEYOND DESCRIPTION》中の《Mars Hotel》のボーナス・トラックで、各々リリースされた。

 この日は公開リハーサルということで、カメラは入っていなかった。むしろリラックスした形で、この日が5日間のベストという声もある。

 中間にレシュとラギンによる Seastone があり、後半はここからシームレスにジャムが始まる形。

 上記3曲、どれも非常に良い演奏。この3曲だけで1時間近いが、いずれも一瞬たりともダレた瞬間がない。映画『イエロー・サブマリン』の中の「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ダイヤモンド」のシーン。ルーシーの姿の輪郭は変わらないまま、その中が千変万化してゆく、あれを思い出す。バンドの形は変わらないまま、音楽は千変万化してゆく。3曲とも一応終る。〈Eyes Of The World〉は3分の2ほどのところで、テープの損傷か、一瞬音がとぎれるところがあり、このために GDMST に入らなかったのかもしれない。


4. 1977 Assembly Center, Louisiana State University, Baton Rouge, LA

 前半2曲目の〈Sugaree〉、前半ラストの〈The Music Never Stopped〉、それにアンコールを除く後半全部が《Road Trips, Vol. 1 No. 2》とそのボーナス・ディスクでリリースされた。

 この年に悪いショウ、否、すばらしくないショウがあったのか、と思われる年だが、これは中でもトップ・クラス。バートン・ホールとその前後、その後のウィンターランドと比べても遜色ない。


5. 1981 Melkweg, Amsterdam, Netherlands

 キャンセルされたフランスのショウの代わりの即席のショウ2日目。デッドが演奏していることが口コミで伝わったらしく、会場は400人がぎゅう詰めとなった。やはり Cindy Peress が前座を努めた。ウィアはステージに登場すると花束を贈られ、聴衆が「ハッピー・バースディ」を歌った。

 親密で、暖かく、リラックスした雰囲気だった由。前半はアコースティック。後半はウィアの舞台で、〈Turn on Your Lovelight〉が1972年5月以来9年ぶり、ピグペンが離れてからは初めて復活。以後はコンスタントに最後までレパートリィの一部だった。トータル349回演奏。回数順では29位。アンコール無し。終演午前2時。以上、DeadBase XI Robert A. Minkin のレポートによる。この時も少数ながら、アメリカから追っかけをしているデッドヘッドがいた。


6. 1988 Bayfront Center, St. Petersburg, FL

 このヴェニュー2日目。後半2、3曲目の〈Victim Or The Crime > Foolish Heart〉が2014年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 ボブ・ウィアは41歳になり、アンコール前に「ハッピー・バースディ」が歌われた。

 〈Victim Or The Crime〉はジャムがほとんど無い。即興部分も少ない。それでも、ウィアの歌唱だけでもこの演奏は買い。〈Foolish Heart〉では、ガルシアは声を出しにくそうだ。一瞬、声が裏返ったりする。声が出なくなる時もある。切り替わった直後は〈Bertha〉か〈Touch of Grey〉かと思えるが、やがてそれとわかり、ミドランドが特徴的なリフを始める。中間のジャムはすばらしい。ミドランドが見事な鍵盤ワークを聴かせ、ガルシアを盛りたてる。


7. 1989 Meadowlands Arena, East Rutherford, NJ

 このヴェニュー3日連続の最終日。全体が《Nightfall Of Diamonds》としてリリースされた。このタイトルはもちろん〈Dark Star〉の歌詞から。デッドのライブ録音アーカイヴ The Vault からのリリースはどれかの歌の歌詞からつけられることが多い。

 オープナーの〈Picasso Moon〉は東海岸デビュー。後半は〈Dark Star〉に始まり、〈Playing In The Band〉に続き、後にまず〈Dark Star〉が回帰し、最後に PITB が回帰して幕。(ゆ)


10月14日・木

 FiiO M17 予告。うーん、しかし、本家のサイトからは消えていて、まあ、出ることは出るんだろうけれど、年内に出れば、というところか。M11Pro はまだぴんぴんしてるし、何度も落として、あちこち傷だらけで売れそうにないし、こいつはとことん使い倒すつもり。それよりは FD7 + FDX用ケーブルかなと思ったりもする。


##本日のグレイトフル・デッド

 1014日は1967年から1994年まで9本のショウをしている。公式リリースは4本。うち完全版1本。


1. 1967 Continental Ballroom, Santa Clara, CA

 共演に The Powers Of Evil Om

 サンタ・クララはサンフランシスコ湾南端のすぐ南の町で、サンフランシスコに行くルートとオークランドに行くルートが別れるところ。西隣がクパティーノ。会場はここのローラースケート・リンクを改装したもので、フィルモア・ウェストやアヴァロン・ボールルームに相当するものとして1967年にオープン。柿落しはビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーとクィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス。デッドはここで1966-12-21以来5回演奏し、これが最後。セット・リストは DeadBase XI に4曲挙げられている。


2. 1976 Shrine Auditorium, Los Angeles, CA

 2日連続の初日。この2日間でこの年のツアーは完結し、後は大晦日の年越しショウのみとなる。そのツアーの完結篇として、前半はトロトロで、後半の後半からスイッチが入り、翌日は大爆発、だったそうだ。


3. 1977 Hofheinz Pavilion, University of Houston, Houston, TX

 7.50ドル。午後7時半開演。

 前半2、3曲目〈Mississippi Half-Step Uptown Toodeloo〉〈El Paso〉、後半4曲目〈Playing In The Band〉とその返りが《Road Trips, Vol. 1 No. 2》で、前半6曲目〈Loser〉が同ボーナス・ディスクでリリースされた。〈Playing In The Band〉の返りはアンコールの2曲目、最後の最後で、こういうことをやるのは調子が良い証。

 しかし、こういうショウの部分だけリリースするということを、一体誰が思いついたのか。恨めしい。いつか、このショウの全体が公式リリースされることはあるのか。あたしの生きているうちに。生きて、耳が聞えているうちに。

 全体にテンポが遅めで、ゆっくり演奏する時のデッドは調子が良く、演奏の質も高い。それがよく現れているのはここでは〈Loser〉。〈Playing In The Band〉のジャムはこの時期になるとガルシアのギターとドラムスの対話になる。なぜかレシュがあまり積極的ではない。いわばフツーのロック・ベースに近いことをやっている。かれとしては、だが、デッドの中ではそうすると引込んでしまう。


4. 1980 Warfield Theater, San Francisco, CA

 15本連続の千秋楽。まず訂正しなければならない。このレジデンス公演は当初12本連続として発表され、チケットが発売された。しかし、売行が良かったために、さらに3本追加された。もっとも、こういう場合、当初から15本で計画されていたはずではある。ショウは3日やって1日休み、2日やって1日休み、また3日やって休み、というローテーションで3週間で15本。ロビーにはプロモーターのビル・グレアムが集めた1960年代サンフランシスコの思い出の品や写真が展示された。

 ショウも千秋楽にふさわしいものだったそうだ。そして、最後にグレアムが聴衆全員にシャンパンをふるまい、バンドがステージにまた現れ、グレアムの音頭で場内全員が乾杯。一行は3日あけて、ニューオーリンズに移動する。

 第一部アコースティック・セットの4、5、7、9曲目〈Cassidy〉〈I've Been All Around This World〉〈China Doll〉〈Bird Song〉が《Reckoning》で、第2部ラストの〈The Music Never Stopped〉が《So Many Roads》でリリースされた。

 〈Cassidy〉でのガルシアの、メロディから思いきり外したソロが粋。〈China Doll〉ではミドランドはハープシコードを弾いている。これはシンセではなく、ちゃんと楽器を持ちこんでいた。〈The Music Never Stopped〉ではウィアがやや声を嗄らしていて、そのせいか肩の力が抜けているのが良い感じ。


5. 1983 Hartford Civic Center, Hartford, CT

 2日連続の1日目。12.50ドル。夜7時半開演。《Dick’s Picks, Vol. 06》で全体がリリースされた。

 トレイ・アナスタシオがメタルヘッドからデッドヘッドに転向したのは、このショウでデッドを初体験したためだそうだ。野球のバットで頭をぶんなぐられたようだった、と言う。


6. 1984 Hartford Civic Center, Hartford, CT

 これも良いショウだった由。あまりに長くなったので、ラストの〈Not Fade Away〉が終る前に客電が点灯された。が、バンドは演奏を続けた。NFA が終ったところでレシュ、ウィア、ミドランドはステージから降りかけたが、ガルシアが〈Turn on Your Lovelight〉を演りはじめた。これが終ったところで、ガルシアはそのまま建物を出ていった。


7. 1988 Miami Arena, Miami, FL

 18.50ドル。夜7時半開演。このショウについては情報が無い。この会場で演奏するのはこれが初めてで、1994年春まで計6回演奏している。1988年にオープンし、2008年7月に閉鎖された屋内アリーナ。NBA のマイアミ・ヒートの本拠地だった。収容人員17,000


8. 1989 Meadowlands Arena, East Rutherford , NJ

 5本連続の中日。20ドル。夜7時半開演。良いショウだった由。

 この日、聴衆の一人 Adam Katz が会場を離れた後、死体で発見された。当初、事故と思われたものは、司法解剖の結果、他殺に変わり、犯人としては会場の警備員が疑われた。しかし、逮捕・訴追はついにされなかった。このこともあってか、バンドはこのレジデンス公演を最後にここでは演奏していない。


9. 1994 Madi)son Square Garden, New York, NY

 6本連続の2本目。《Ready Or Not》で後半5曲目〈Corrina〉とアンコールの〈Liberty〉がリリースされた。

 良いショウだったようで、とりわけ後半オープナーの30分を超える〈Scarlet Begonias> Fire on the Mountain〉は圧巻だそうだ。(ゆ)


1008日・金

 FiiO FD7, FDX 国内販売発表。FD78万はまあ妥当なところ。ケーブルもすでに独立販売されているから、FDX を買う必要もない。先日もダイヤを鏤めた300万のイヤフォンが出ていたけれど、こういうものを欲しい、と思う心情は正直わからん。あるいは音が変わるかもしれんけど、良くなるとも思えないし、あたしにその違いがわかるかも疑問。イヤフォンはどんどん進化かどうかわからないが、変化していて、新製品が次々出るから、こういうものも装飾以外の中身はすぐ古くなる。オーディオ機器はどんなに「最高」のものが出ても、必ずそれを凌ぐものが出てくるので、「一生モノ」などありえない。だいたい「一生」使えるほど頑丈な機械なんぞ、滅多にあるもんじゃない。この年になると「一生」も短かいから、死ぬまでこれでいい、というのもある。A8000はその一つだけど、だから買っちゃうと死んじまうような気がするのだ。


 iFi ZEN Stream 5万。FD7よりこちらの方が先だな。これにも Tidal は入ってるが、Qobuz は入っていない。


##1008日のグレイトフル・デッド

 1966年から1989年まで7本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。


1. 1966 Mt. Tamalpais Amphitheatre, Marin County, CA

 "1st Congressional District Write-In Committee for Phil Drath and Peace Benefit" と題された午後2時からのイベント。ポスターは熊のプーとコブタが地平線で半分に切られた朝日または夕陽に向かって歩いてゆく後ろ姿がフィーチュアされ、出演者としてジョーン・バエズ、ミミ・ファリーニャ、デッド、クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスの名がある。デッドとボラ・セテの名があるチラシも残っている。


2. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA

 前日に続き、ウィンターランドから移動した公演。バターフィールド・ブルーズ・バンド、ジェファーソン・エアプレインと共演。


3. 1968 The Matrix, San Francisco, CA

 ここでの3日連続の初日。"Jerry Garrceeah (Garcia) and His Friends" の名義になっていて、ウィアとピグペンは不在。一方、San Francisco Chronicle のラルフ・グリースンのコラムでは同じ日付で "The Grateful Dead and Elvin Bishop" が演奏する、となっている。

 残っているセット・リストでは三部に別れ、第三部はエルヴィン・ビショップ、ジャック・キャサディ、ミッキー・ハートという面子で演奏したそうな。第二部の終りにガルシアがビショップとベースのキャサディを呼出し、Mickey Hart & the Hartbeats と紹介。ビショップは、今日ここで演奏するはずだったんだが、リズム・セクションが来られなかったので、これでジャムをする、とアナウンス。後の2日も同様のことをやったらしい。


4. 1981 Forum Theatre, Copenhagen, Denmark

 この年、2度目のヨーロッパ・ツアー。ロンドン4日間の次の寄港地。


5. 1983 Richmond Coliseum, Richmond, VA

 まずまずのショウ、らしい。


6. 1984 The Centrum, Worcester, MA

 2日連続の1日目。後半は冒頭から最後まで1本につながっている。この日は Willie Dixon の曲でマディ・ウォーターズの持ち歌〈I Just Want To Make Love To You〉をやって、全体にブルーズ基調だったそうだ。この曲は1966年、1984年(2回)、1995年に4回のみ演奏された。


7. 1989 Hampton Coliseum, Hampton, VA

 2日連続の初日。18.50ドル。夜7時半開演。2日間の完全版が《Formerly The Warlocks》ボックス・セットとしてリリースされた。

 この2日間のショウは1週間前まで開催が伏せられ、チケットはいつもの通販はせず、ハンプトン市内3ヶ所のみで販売され、さらに "Formerly The Warlocks" の名前で行なわれた。1987年の〈Touch of Grey〉のヒットによってデッドの人気が高まり、デッドのショウについてまわる「サーカス」が膨れあがって、ショウの会場周辺がキャンプと "Shakedown Street" と呼ばれた青空マーケットに埋めつくされるようになり、これを嫌う地元の住人との軋轢が深刻になっていた。トラブルを最小限にするため、実験として、サプライズの手法がとられ、ある程度成功したことで、後に何度かこの方式が採用される。

 デッドヘッドの大群は会場周辺に多額のカネを落としたし、デッドヘッドは他のロック・コンサートの聴衆とは別次元なほど暴力を嫌い、平和的な人間だったから、商店は一般に歓迎したが、そうでない住人は、普段は見慣れない外見と、非合法とされるブツがごくあたりまえに存在するのに鶏冠を逆立てたらしい。自分は偏見や差別意識などない「まっとうな市民」だと思いこんでいる人間ほど、偏見と差別にこり固まって騒ぎたてるものだ。しかし、この頃になると、そういう人間たちのたてる騒音がショウそのものの成立を脅かすほど大きくもなっていた。バンドは会場周辺でのキャンプや物販をやめるよう要請する手紙を、メンバー全員の署名入りで通販のチケットに同封することもする。

 音楽ではなく、キャンプや物販だけを目当てに来る人間も多かったから、そういう連中にはバンドの声は届かなかっただろう。また、問題を起こすのはそういう連中でもあった。このことは古くからのトラヴェル・ヘッド、デッドのショウについてまわるデッドヘッドたちにとっても死活問題になりえた。こうなった要因の大きなものは1980年代後半の急激なファン層の増加だ。新たにファンとなった人たちはいわばデッドヘッドとしての作法をわきまえなかった。デッドの音楽、それも表面的な部分に反応していたので、古くからのデッドヘッドたちのようにバンドと世界観を共有するところまでは行っていなかった。デニス・マクナリーはバンドの公式伝記 A Long Strange Trip の中で、もう一発ヒットが出たなら、バンドは潰れていただろうと言う。

 一方でデッドが生みだす音楽、ショウの中身の方は、1986年末のガルシアの昏睡からの復帰以後、右肩上がりに調子を上げてゆく。1988年から1990年夏までは、1972年、1977年とならぶデッドの第三のピークだ。あたしにはこの第三のピークはその前二つのピークを凌いで、デッドが到達した頂点とみえる。そしてこの2日間は1989年の中でもピークと言われる。

 後半冒頭〈Help On The Way> Slipknot!> Franklin's Tower〉は1985-09-12以来、4年ぶりに登場。会場を埋めた14,000のデッドヘッドの大歓声が音楽をかき消さんばかり。デッドヘッドはなぜか、長いこと演奏されなかった曲が復活すると喜ぶ。翌日にもかれらには嬉しいサプライズがある。

 ある人の回想。ショウが始まって間もなく、彼とその友人たち数人が入口前のロビーのゴミを掃除していた。この頃になると新しいファンが増えたために、会場周辺のゴミの量もケタ違いに増えていたらしい。これを掃除していたわけだが、それを見ていた警備員の一人が、掃除を終えた彼らに合図して扉を開け、中に入れてくれた。そこらにたむろしていた連中も続こうとしたが、たちまち数人の警備員が現れて、掃除をしていた者たちだけを入れた。

 ライナーでブレア・ジャクソンが、前半を終えた時点で、「こいつら、今日はオンになってる」と思ったと言うとおり、すべてがかちりと噛みあって、湯気をたてている。いつもはあっさり終る〈Big River〉でソロの投げ合いがいつまでも続く。こうなっても、もちろんミスはあり、意図のすれ違いもあるのだが、ミスもすれ違いもプラスにしか作用しなくなる。〈Bird Song〉の後半のジャムは、混沌と秩序、ポリフォニーとホモフォニー、音の投げ合い、エゴのぶつかり合いと音楽の共有の理想がすべて共存する、デッドのジャムがこの世を離脱してゆくゾーンに入る。わやくちゃなのに筋が通ってゆく。やっている本人たちもどこへ行くのかわからない。でも、その最中にふっと道が見えて、もとの歌にするりと戻る。この快感!

 後半、〈Help On The Way> Slipknot!> Franklin's Tower〉は見事だが、〈Victim or the Crime〉の荘厳さに打たれる。こんなに威厳をもってこの歌がうたわれるのは、覚えが無い。(ゆ)


1005日・火

 Moon Audio がしきりに Dan Clark Audio の新フラッグシップ Stealth を薦めてくる。この値段では不見転では買えないし、聴いてはみたいが、日本で聴こうとすれば買うしかない。こんなもの買いそうな知合いもいない。代理店が無いから、イベントでも出てこない。まあ、EtherC Flow から予想するに、悪いものであるはずはないが、ここまでくると好みの音かどうかではあるのだ。それに EtherC Flow との違いが、ほんとに聞きとれるかどうか。もっとも EtherC Flow も不見転で買って、良くなるまで、結構苦労したからなあ。一時は叩き売ろうかとも思った。1.1にアップデートしてようやく真価が現れた。



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本日のグレイトフル・デッド

 1005日は1968年から1994年まで4本のショウをしている。公式リリースは2本。


1. 1968 Memorial Auditorium, Sacramento, CA

 1968-10-04 The San Francisco Chronicle に「明日の晩、Memorial Stadium(サクラメント):グレイトフル・デッド、ヤングブラッズ」という告知があることによる。詳細不明。

 このヴェニューではこの年の0311日にクリームとのダブル・ビルでやっていて、そちらは一部ではあるはずだがセット・リストもある。この後は197219781979年と計6回演奏している。

 会場は座席数3,867の多目的ホールで、1927年にオープン、1986年に閉鎖。改修後1996年に再オープンされた。コンサートの他、高校の卒業式などのイベントに使われている。2007年、シュワルツェネッガー州知事就任式の会場となる。国の史跡。


2. 1970 Winterland Arena, San Francisco, CA

 前日に続くイベント。セット・リストがはっきりしない。このショウのサウンド・ボード録音は The Vault には無い、とのことだったが、《DOWNLOAD SERIES: Family Dog》で後半に演奏されたといわれる〈Dancing In The Street〉がリリースされた。

 後に比べるとぐんとゆったりのんびりしたテンポ。ウィアのヴォーカルは低い声を出す。コーラスのアレンジもまったく違う。はじめ、右のハートが聞えない。ガルシアのギターもゆったりと音を置いてゆく。ジャズ的。技術的にはシンプル極まることをやりながら、繰返し聴いて飽きないフレーズを編みだしてゆく。ギタリストの人気投票などでは決して上位にはこないが、これほど抽斗が多くて、多彩な音、語彙、表現を自在に操っていたギタリストは他にはいない。途中からテンポが上がっていて、ガルシアのギターも切迫感を備え、〈Eye of the World〉を連想させる演奏になってゆく。後の〈Dancing In The Street〉とはまるで別物の演奏。同じ曲では無いよ、もう、これは。ヴォーカルのもどりがいささか唐突に響く。凄い。


3. 1984 Charlotte Coliseum, Charlotte, NC

 13.50ドル。夜8時開演。〈Promised Land〉に始まり、〈Johnny B. Goode〉に終る。良いショウでないはずがない。


4. 1994 The Spectrum, Philadelphia, PA

 30.00ドル、夜7時半開演。3日連続公演の初日。後半3曲目からの〈Playing in the Band> Uncle John’s Band> Jam〉のメドレーが2016年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 ボストン後半からの好調は続いていて、これと翌日も引き締まった、良いショウだったようだ。

 そのことは30分近いこのメドレーを聴いてもわかる。やや遅めのテンポ。1976年頃の感じ。PITB のジャムの後半、ほとんどフリー・ジャズに踏みこんでいる。ザッパもここまではやらなかった。混沌としているが、どこかで崩れずに踏みとどまっている。1本の筋が、まっすぐではないにしても、通っている。混沌の中からまたビートが現れ、UJB になりそうでなかなかならない、そこがまたいい。歌が始まり、大歓声が湧くのもまったく同感。ガルシアのギター・ソロ、まだまだ霊感の泉は満々とたたえられている。ガルシアの声もたっぷりの響き。さんざん聴きなれた曲のはずなのに、この演奏にはじっとしていられなくなる。人を鼓舞し、立ちあがらせ、動きださせる力がある。30年、後ろをふり向かず、ひたすら前だけを見つめてやってきた、その末に手に入れた力。その後のジャムガルシアは MIDI でギターの音色を変化させる。またフリーの領域に踏みこむが、先ほどよりもテンポが速く、緊張感がみなぎる。デッドとして最もアグレッシヴな音。さらに Space を先取りする。ガルシアのデーモンが殻を破って現れんとしているけしき。ウェルニクの踏ん張りも貢献している。ここにいてうたっている、演っているのが楽しくて、嬉しくてしかたがないのだ。他のメンバーによって引きだされ、引きあげられている部分はあるにしても、それに応えるだけのものは持っている。(ゆ)


9月28日・火

 FiiO K9ProTHX-AAA アンプ、AK4499採用で直販9万を切る DAC/amp4pinXLR4.43.5のヘッドフォン・アウト、3pinXLR x 2 のラインアウト。Bluetooth はあるが、WiFi は無し。惜しいのう。音は聴いてみたいが。

 watchOS 8.0 になってから、登った階段の階数の数え方が鈍い。まあ、最近、階段の数字は気にしていないからいいようなものだが、気にならないわけでもない。

 今日はつくつく法師をついに聞かない。今年の蝉も終ったか。


##9月28日のグレイトフル・デッド

 1972年から1994年まで5本のショウをしている。うち公式リリースは2本。


1. 1972 Stanley Theatre, Jersey City, NJ

 3日連続最終日。料金5.50ドル。出来としては前夜以上という声もある。冒頭、1、2曲、マイクの不調で声が聞えなかったらしく、そのために公式リリースが見送られたのだろうという説あり。


2. 1975 Golden Gate Park, San Francisco

 ライヴ活動休止中のこの年行った4本のライヴの最後のもの。《30 Trips Around The Sun》の1本としてリリースされた。

 ゴールデンゲイト公園はサンフランシスコ市の北端に近く、短かい西端を太平洋に面し、真東に細長く延びたほぼ長方形の市立公園。ニューヨークのセントラル・パークとよく比較されるが、こちらの方が2割ほど大きい。1860年代から構想され、元々は砂浜と砂丘だったところに大量の植林をして19世紀末にかけて整備される。この公園での音楽イベントとしては、2001年に始まった Hardly Strictly Bluegrass が有名。またポロフィールドでは後にビル・グレアムとガルシア各々の追悼コンサートが開かれた。

 リンドレー・メドウ Lindley Meadows は中心からやや西寄り、ポロフィールドの北にある、東西に細長い一角。ここでのデッドのショウは記録ではこれ以外には 1967-08-28 のみ。この時は Big Brother & the Holding Company との "Party For Chocolate George" と称された Chcolate George なる人物の追悼イベントで月曜午後1時という時刻だった。Deadlist では2曲だけ演奏したようだ。

 60年代にデッドが気が向くとフリー・コンサートを屢々行なったのは、ゴールデンゲイト公園の本体から東へ延びる The Panhandle と呼ばれる部分で、このすぐ南がハイト・アシュベリーになる。

 この公園についてガルシアは JERRY ON JERRY, 2015 のインタヴューの中で、様々な植生がシームレスに変化しながら、気がつくとまったく別の世界になっている様に驚嘆し、これを大変好んでいることを語っている。デッドがショウの後半で曲をシームレスにつないでゆくのは、これをエミュレートしているとも言う。デッド発祥の地サンフランシスコの中でも揺籃時代のデッドを育てた公園とも言える。一方で、ガルシアはここでマリファナ所持の廉で逮捕されてもいる。公園内に駐車した車の中にいたのだが、この車の車検が切れていることに気がついた警官に尋問された。

 このコンサートは San Francisco Unity Fair の一環。1975年9月2728日に開催され、45NPOが参加し、デッドとジェファーソン・スターシップの無料コンサートがあり、他にもパフォーマンスが多数あって、4〜5万人が集まったと言われる。このイベントの成功から翌年 Unity Foundation が設立され、現在に至っている。

 冒頭〈Help on the Way> Slipknot!〉と来て、不定形のジャムから〈Help on the Way〉のモチーフが出て演奏が中断する。ウィアがちょっとトラブルがある、と言い、レシュが医者はいないか、バックステージで赤ん坊が生まれそうだ、と続ける。ガルシアがギターの弦を切ったこともあるようだ。次に〈Franklin's Tower〉ではなく、〈The Music Never Stopped〉になり、しばらくすると「サウンド・ミキサーの後ろに担架をもってきてくれ」と言う声が聞える。なお、この曲から入るハーモニカは Matthew Kelly とされている。

 さらに〈They Love Each Other〉〈Beat It On Down the Line〉とやって、その次に〈Franklin's Tower〉にもどる。

 〈They Love Each Other〉はここから姿ががらりと変わる。1973-02-09初演で、73年中はかなりの回数演奏されるが、74年には1回だけ。次がこの日の演奏で、ブリッジがなくなり、テンポもぐんと遅くなり、鍵盤のソロが加わる。以後は定番となり、1994-09-27まで、計227回演奏。回数順では59位。

 休憩無しの1本通しだったらしい。後半はすべてつながっている。CDでは全体で100分強。

 こういうフリー・コンサートの場合、デッドが出ると発表されないことも多かったらしい。問い合わせても、曖昧な返事しかもらえなかったそうな。


3. 1976 Onondaga County War Memorial, Syracuse, NY

 《Dick’s Picks, Vol. 20》で2曲を除き、リリースされた。このアルバムはCD4枚組で、9月25日と28日のショウのカップリング。

 後半は〈Playing in the Band〉で全体がはさまれる形。PITB が終らずに〈The Wheel〉に続き、後半をやって〈Dancing in the Street〉から PITB にもどって大団円。アンコールに〈Johnny B. Goode〉。こんな風に、時には翌日、さらには数日かそれ以上間が空いてから戻るのは、この曲だけではある。そういうことが可能な曲がこれだけ、ということではあろう。

 〈Samson and Delilah〉の後の無名のジャムと、〈Eyes of the World〉の後、〈Orange Tango Jam〉とCDではトラック名がついているジャムがすばらしい。前の曲との明瞭なつながりは無いのだが、どこか底の方ではつながっている。ジャズのソロがテーマとはほとんど無縁の展開をするのとはまた違う。ここではピアノ、ドラムス、ウィアのリズム・セクションの土台の上でガルシアのギターとレシュのベースがあるいはからみ合い、またつき離して不定形な、しかし快いソロを展開する。ポリフォニーとはまた別のデッド流ジャムの真髄。

 この会場でデッドは1971年から1982年まで6回演奏している。現在は Upstate Medical University Arena at Onondaga County War Memorial という名称の多目的アリーナで収容人数は7,0001951年オープンで、2度改修されて現役。国定史跡。コンサート会場としても頻繁に使われ、プレスリー、クィーン、キッス、ブルース・スプリングスティーン、エアロスミスなどの他、ディランの1965年エレクトリック・ツアーの一環でもあった。ちなみに COVID-19 の検査、ワクチン接種会場にも使われた。


4. 1993 Boston Garden, Boston, MA

 6本連続の4本目。ほとんど70年代前半と見まごうばかりのセット・リスト。


5. 1994 Boston Garden, Boston, MA

 6本連続の2本目。30ドル、7時半開演のチケットはもぎられた形跡がない。

 会場はニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン三代目の「支店」として1928年にオープンしたアリーナで、本家は代替わりしたが、こちらは1995年9月まで存続した。1998年3月に取り壊された。収容人数はコンサートで16,000弱。デッドは1973年に初めてここで演奏し、1982年までは単発だが、1991年、1993年、1994年と三度、6本連続のレジデンス公演を行った。計24回演奏している。うち、1974年、1991年、1994年のショウから1本ずつの完全版が出ている。

 1995年9月にも6本連続のショウが予定されていて、千秋楽19日のチケットには〈Samson & Delilah〉の歌詞から "lets tear this old building down" が引用されていた、と Wikipedia にある。(ゆ)


9月23日・木

 北日本音響からクラウドファンディングしたイヤフォン Mother Audio ME5-BORON 着。ドライバーの素材にボロンを使用したダイナミック型。ボロンはダイナミック・ドライバー振動板の素材としてはベリリウムに継ぐ優秀な特性を持つのだそうだ。

 純粋ベリリウム振動板は加工が極端に難しく、Campfire の Lyra II も、final の A8000 も、20万近い。最近中国の Nicehck が3万を切る値段で出した。と、思ったら、その後からも出てきた。もっとも、「純粋ベリリウム・ドライバー」というのが何を意味するのかは、ユーザーは確めようがない。ただ、やはり中国の FiiO が、純粋ベリリウム・ドライバーをうたって FD7 を出し、そちらは直販で7万しているから、Nicehck 他は疑わしくはなる。それに、スピーカーの音が振動板の素材だけで決まるわけでもないことは、A&Cオーディオのブログでも散々言われている。イヤフォンといえど、極小のスピーカーなわけだ。A8000 はしかし究極とも思える音で、こんなものを買ってしまったら、そこで終ってしまう、さもなければ死んでしまうような気がしきりにする。

 ME5-BORON はクラウドファンディングの立ち上げが4月で、その時にはまだ Campfire と final しか無く、二番手の素材を使っても3万以下というのは面白くみえて、乗ってみた。それから待つこと5ヶ月にして製品が届く。

 早速試す。箱出しでは低域が弱い。しかし、聞えている音はまことにクリアで、ウィアの歌っている歌詞が明瞭に聴きとれる。分離もいい。明朗でさわやかな音。聴いていて気分のよくなる音。どんどん音楽が聴きたくなる音。A8000 のあの深み、掘ってゆくと後から後からいくらでも現れてきそうな奥行きは無いが、曇りやにじみの無い、愉しい音だ。一方でただキレがいいだけではなく、曖昧なところはきちんと曖昧に聞かせる。深みはまだこれから出てくるかもしれない。

 ピンクノイズをかけ、《あかまつさん》を聴いているうちによくなってくる。Yaz Ahmed のセカンドではベースも活き活きしている。デッドでもそうだが、ヴォーカルが前面に出て、微妙なアーティキュレーションもよくわかる。様々な細かいパーカッションの響きが実にきれい。聴こうとしなくても耳に入ってくる。とともに、ボロンという素材のおかげか、インピーダンスや能率の数字推測されるよりも音量がずっと大きい。いつも聴いている音量レベルよりかなり下げてちょうど良い。

 これは先が楽しみだ。
 

あかまつさん
チェルシーズ
DANCING PIG
2013-07-14



 watchOS 8.0。今度は Apple Watch 3 にもインストールできた。使う頻度が一番多いタイマーの UI ががらりと変わっていて、面喰らう。


##本日のグレイトフル・デッド

 9月23日は1966年から1988年まで7本のショウをしている。公式リリースは1本。


1. 1966 Pioneer Ballroom, Suisun City, CA

 2日連続の初日。サスーン・シティはオークランドの北40キロにある街。サンフランシスコ湾の北に続くサン・パブロ湾からさらに東にサスーン湾、グリズリー湾があり、その北のサスーン・マーシュという北米最大の沼沢地の北側。サスーンはかつてこの辺に住んでいた先住民の名前。ここで演ったのはこの2日間だけ。ポスターが残っているのみ。セット・リストなし。the 13 Experience というバンドが共演。


2. 1967 Family Dog, Denver, CO

 前日と同じヴェニュー。デンヴァーの Family Dog で演ったのもこの2日間のみ。ポスターのみ。


3. 1972 Palace Theater, Waterbury, CT

 同じヴェニュー2日間の初日。料金5.50ドル。開演7時半。ある人が開演3時間前に会場に行くと、ここでやる他のロック・コンサートなら前3列の席がとれるのに、この時はすでにデッドヘッドが2,000人ほど集まっていてショックを受けたそうな。そのうち、デッドのクルーが卵サラダ・サンドイッチを大きなゴミ袋に入れて運んできて、配ってあるいた。さらには、でかいオープンリール・デッキと自動車用バッテリーを2本、堂々と持ち込んでいるやつがいた。この日は比較的短かくて前後3時間。アンコール無し。


4. 1976 Cameron Indoor Stadium, Duke University, Durham, NC

 良いショウらしい。チケットが残っているが、開演時刻と料金の頭のところがちょうど切れていて、確認できず。


5. 1982 New Haven Coliseum, New Haven, CT

 秋のツアーもあと1本。前半最後の〈Let It Grow〉が2011年の、後半2曲目〈Lost Sailor > Saint Of Circumstance〉のメドレーが2014年の《30 Days Of Dead》で、各々リリースされた。後者、音は少し上ずっていて、ベースがほとんど聞えないが、ウィアの声はすぐ目の前だし、演奏はすばらしい。

 会場は正式名称 New Haven Veterans Memorial Coliseum で、1972年オープンした多目的屋内アリーナ。2002年に閉鎖。2007年に取り壊された。定員11,500。デッドはここで1977年から1984年まで、主に春のツアーの一環として11演奏している。秋に行ったのは79年とこの82年。うち公式リリースされたのは6本。1977年5月の完全版、78年5月のショウの大部分がある。


5. 1987 The Spectrum, Philadelphia, PA

 3日連続の中日。これも良かったらしい。


6. 1988 Madison Square Garden, New York , NY

 9本連続の8本目。こういうレジデンス公演の場合、この日がベストになることが多い。この日も好調だった由。(ゆ)


9月19日・日

 朝起きて MacBook Air を開くとネットにつながらない。と言うよりも、ネットにはつながっているが、「サーバが見つかりません」と出る。メールもだめ。MacBook Air 本体、ルータやモデムを再起動してもだめ。iPhone iPad はつながるので macOS の問題らしい。Big Sur Cache Cleaner でシステムのキャッシュを軽く掃除したらつながった。つながってから見てみるとプロバイダが接続障害情報を出しているから、それかもしれない。でも、掃除する前よりもブラウザの反応もきびきびしているから、やはりキャッシュが悪さをしていた部分もあるのだろう。

 ヘッドフォン祭 ONLINE をちょこちょこ覗く。iFi ZEN Stream は良いかもしれない。オール・イン・ワンやストリーマ付き DAC を買うより、すでに DAC やヘッドフォン・アンプは立派なものが手許にあるのだから、専用のストリーマを導入する方が面白い。今は M11Pro をストリーマにしているようなものだ。ストリーマに頼れるものがあれば、DAP AirPlay 対応にこだわらなくてもいい。



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本日のグレイトフル・デッド

 9月19日には1970年から1990年まで5本のショウをしている。公式リリースは1本。

1. 1970 Fillmore East, New York, NY

 4日連続の3日め。前日にジミ・ヘンドリックスが死んで、ガルシアのギターにそのスピリットが宿っていた、という報告がある。三部構成でアコースティック・デッド、New Riders Of The Purple Sage、エレクトリック・デッド。もっとも第一部ではガルシアがエレクトリック・ギターを弾くこともあったらしい。

2. 1972 Roosevelt Stadium, Jersey City, NJ

 この前後、09-17, Baltimore Civic Center, Baltimore, MD 09-21, The Spectrum, Philadelphia, PA はともに《Dick's Picks》で完全版が出ているが、これが無視されているのは、出来が良くないか。72年でもダメな時があったのか。

3. 1987 Madison Square Garden, NY

 5本連続の4本め。後半冒頭〈Crazy Finger〉で、"Who can stop what must arrive now, Something new is waiting to be born" と歌いながら、ガルシアがレシュを見て、大きく笑顔を浮かべて、レシュに息子が生まれたのを祝ったそうな。

4. 1988 Madison Square Garden, New York , NY

 9本連続の5本め。

5. 1990 Madison Square Garden, New York , NY

 6本連続の5本目。ブルース・ホーンスビィ参加。後半の前半5曲が《Road Trips, Vol. 2, No. 1》に収録された。この時の MSG レジデンスではベストのショウらしい。しかし、《Road Trips, Vol. 2, No. 1》を聴くかぎり、翌日も甲乙つけ難い。(ゆ)


9月16日・木

 ARCAM 再上陸はまあ朗報。選択肢が増えるのはいいことだ。どこか NAIM も入れてくれ。あそこの Uniti Atom Headphone Edition は聴いてみたい。これぞネットワーク・プレーヤー本来の姿。

 イヤフォンよりヘッドフォン向け、というのは Focal と同じ親会社の傘下で、Focal のサイトにも Focal 向けに作ったとニュースにあげてるくらいだから、当然ではあろう。Focal の輸入元のラックスマンが NAIM もやればいい、と素人は思う。一緒に売れるだろ。

 Mytek Brooklyn Bridge も II で AirPlay に対応したから、これでもいい。Brooklyn Bridge 初代の値下げは在庫をはいて、Brooklyn Bridget II を投入するためと邪推する。


##本日のグレイトフル・デッド

 9月16日は1966年から1994年まで9本のショウをしている。うち公式リリースがあるのは4本。


1. 1966 Avalon Ballroom, San Francisco, CA

 このショウのためのポスターに初めてケリィ&マウスの「薔薇と骸骨」のイメージが使われた。後に1971年の通称《Skull & Roses》アルバムのジャケットとなったもの。

 かつて《Vintage Dead》《Historic Dead》という「非公式」LPが Sunflower Records という MGM の子会社から出ていて、そこに一部が収録されたそうな。「非公式」というのは、バンドはこの音源のリリースについてレーベルと全面的に合意していたわけではない、ということらしい。収録されたショウについても翌09-1709-11との混同もあるようだ。また、このLPからのテープも出回っている由。

skull&rosesposter

2. 1972 Boston Music Hall, Boston, MA

 同じヴェニューの2日目。前半最後の〈Playing in the Band〉が2014年と2020年の《30 Days of Dead》で、後半6曲目〈Dark Star > Brokendown Palace〉のメドレーが2016年の《30 Days of Dead》でリリースされた。《30 Days of Dead》でのリリースが将来のより正式な形でのリリースを約束するわけではないが、これは期待できそうだ、となんとなく感じる。


3. 1978 Sphinx Theatre, Giza, Egypt

 ピラミッドの下、スフィンクスに見守られての3日間の最終日。《Rocking The Cradle》本体に8割、ボーナス・ディスクも含めれば2曲を除いて収められた。3日間の中ではベストのショウだったことは間違いない。ビデオも収録され、CD本体と一緒に入っている。

 全体におおらかでゆったりとしたテンポなのは、エジプトのご利益か。演奏はかなり良い。ヴォーカルには芯があるし、演奏も気合いが入っている。これならば当時であっても十分ライヴ・アルバムとして出せたと思うけど、ガルシアは何が気に入らなかったのか。

 初日、2日目から恢復したとすれば、さすがのデッドもスフィンクスに睨まれて平常心を取り戻すのに3日かかったということか。

 聴衆のほとんどはバンドを追ってアメリカやヨーロッパから飛んでいった、あるいはたまたま近隣にいたデッドヘッドだったようだが、中にはカイロで英語を習っていた教師たちに連れられて見に行った12歳のエジプト人もいた。わずかにいたエジプト人たちも踊りまくっていたそうだ。


4. 1987 Madison Square Garden, NY

 5本連続の2本め。前半6曲め〈High Time〉が2019年の、その次の前半最後〈Let It Grow> Don’t Ease Mi In〉が2013年の、後半6曲めの〈He’s Gone〉が2020年の《30 Days of Dead》で、それぞれリリースされた。

 〈Touch of Grey〉に続いて〈Scarlet Begonias〉単独というオープナー。


5. 1988 Madison Square Garden, New York , NY

 9本連続の3本め。ようやくエンジンがかかってきたらしい。あるいは意図的にスロースタートしたか。デッドといえども、同じ場所で11日間に9本やるのはたいへんだったろう。


6. 1990 Madison Square Garden, NY

 6本連続の3本め。《Dick’s Picks, Vol. 09》として全体がリリースされた。


7. 1991 Madison Square Garden, New York, NY

 9本連続の7本め。この MSG 9本連続は90年代のピークの一つらしい。


8. 1993 Madison Square Garden, New York , NY

 6本連続の初日。この日は土砂降りで、そのためオープナーはビートルズの〈Rain〉。


9. 1994 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA

 3本連続の初日。良いショウらしい。

 このヴェニューは屋外のアンフィシアターで、ビル・グレアムが設計し、真上から見るとデッドのロゴ、中が真ん丸い頭蓋骨をかたどっている。1986年にオープンし、柿落しはデッドの予定だったが、ガルシアの昏睡で吹飛んだ。(ゆ)

Shoreline Amphitheatre

9月15日・水

 TEAC のネットワーク・プレーヤー NT-505-X は中途半端。まず WiFi が無い。したがって AirPlay も無し。無線は Bluetooth のみじゃあ、ネットワーク・プレーヤーとは言えんでしょう。これならやはり M11Pro の方がいいわな。デスクトップのオーディオには、むしろ、Bluetooth なんぞ切るくらいのガッツが欲しい。Bluetooth でスマホやイヤフォンを使ってる人間が、こんなデスクトップを使うか。音質優先なら Bluetooth はありえないのだから、媚でしかない。USBメモリ再生を付けるなら、SDカード・スロットをなぜ付けない? そちらの方がユーザは多いはず。もう一つ、ヘッドフォン端子が3.5mm4極というのも、意図不明。同時発表の UD-505-X には4.4mmバランスがあるのにさ。こういう文句をつけるのは、期待してるからですよ。せめて WiFi AirPlay に対応してくれれば、選択肢に入ってくるのに。TEAC はオープンリール・デッキの頃からの憧れなんだけどねえ。一時はカセット・デッキの Drogan を愛用してました。また TEAC 使いたいよ。

 バトラー、Parable 二部作へのN・K・ジェミシンの2018年の序文を訳す。序文なのに、思いっきりネタバレで、たぶん巻末に入れることになるだろうけど、ネタバレを恐れていては、ほんとに大事なことは書けない。でも、いや、いい文章だ。こういう文章にあたると、ジェミシン読むべし、と思う。


##本日のグレイトフル・デッド

 9月15日には1967年から1990年まで9本のショウをしている。公式リリースは2本。


1. 1967 Hollywood Bowl, Hollywood, CA

 ビル・グレアムが企画した "The San Francisco Scene in Los Angeles" と題された公演で、ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーとジェファーソン・エアプレインが共演。ジェファーソン・エアプレインがトリ。ポスターの写真もジェファーソン・エアプレイン。

 8曲のセット・リストがある。


2. 1972 Boston Music Hall, Boston, MA

 秋の東部ツアー初日で2日連続同じヴェニューの初日。


3. 1973 Providence Civic Center, Providence, RI

 ここで2日連続の予定だったが、前日がキャンセルされた。料金5.50ドル。後半の一部でトランペットのジョー・エリスとサックスのマーティン・フィエロが参加。この時も前座がダグ・ザーム・バンドで、2人はそのメンバー。また《Wake Of The Flood》にも参加している。


4. 1978 Sphinx Theatre, Giza, Egypt

 スフィンクスとピラミッドのもとでの2日め。うち前半最後と後半冒頭の2曲が《Rocking The Cradle》に収録。ボーナス・ディスクまで含めれば後半からもう4曲収録。ボーナス・ディスクは持っておらん。この日もアンコール無し。

Rocking the Cradle: Egypt 1978 (W/Dvd)
Grateful Dead
Rhino / Wea
2008-10-06

 

 〈Stagger Lee〉はガルシアのヴォーカルは、ここぞというところでいきむのがいい。左のウィアのギターはアコースティックのように聞える。コーダがわざとらしい。休憩の宣言なし。聴衆の声がよく聞える。

 〈Jack Straw〉はいつもよりわずかに遅いテンポで丁寧に始まる。ドナがコーラスの真ん中を担当するのが新鮮。ガルシアのソロが終始コード・ストロークなのも珍しく、新鮮。


5. 1982 Capital Centre, Landover , MD

 料金12.50ドル。〈Touch of Grey〉初演。レコードになって、チャートのベスト10に入り、デッド唯一最大のヒットとなるのは5年後。〈Playing In The Band〉のオープナーは珍しい。


6. 1985 Devore Field, Southwestern College, Chula Vista, CA

 夏のツアーの千秋楽。料金15.00ドル。屋外フットボール・フィールドでの公演で開演午後2時。

 後半4曲目〈She Belongs To Me〉がデッドのディランをカヴァーしたライヴ音源集 Postcards Of The Hanging》に収録。ガルシアのヴォーカル。ガルシアの声がやけに若く聞える。ガルシアのソロも含め、演奏は全体にしっとりして、抒情味が勝っている。ガルシア自身の曲の抒情性とは違うどこか乾いた味。良いねえ。

Postcards Of Hanging : Songs Of Bob Dylan
GRATEFUL DEAD
Arista
2002-03-19

 

 この曲はこの年4月から11月まで9回演奏されたのみ。04-28, Frost Amphitheatre, Stanford University, Palo Alto, CA 演奏が《Garcia Plays Dylan》に、11-01, the Richmond Coliseum, Richmond, VA の演奏が《Dick's Picks, Vol. 21》に収録されている。

Garcia Plays Dylan: Ladder to the Stars
Garcia, Jerry
Rhino / Wea
2005-12-12

 

 1976年の復帰以降、デッドはディラン・ナンバーを頻繁にとりあげるようになる。全体としてかなり良い演奏で、ショウのハイライトになることも多い。ディランもデッドのカヴァーは好きで、それが1989年のツアーにつながる。ディランは他人のカヴァーはやらないが、ハンター&ガルシアの曲をどれか歌うのを一度くらいは聴いてみたくもある。


7. 1987 Madison Square Garden, New York, NY

 MSG 5本連続公演の初日。料金18.50ドル。珍しくもミドランドのリード・ヴォーカルで開幕。ディランのカヴァーが3曲。後半冒頭から China> Rider> Estimated> Eyes と並ぶ。


8. 1988 Madison Square Garden, New York , NY

 9本連続の2日め。あまり良くなかったらしい。後半冒頭にレシュが「息子が rock'n'roll と初めて言ったぜ」とアナウンス。


9. 1990 Madison Square Garden, New York , NY

 6本連続の2日め。ブルース・ホーンスビィが初めて参加。グランド・ピアノを弾く。


9月11日・土

 駅前の皮膚科へ往復のバスの中で HS1300SS でデッドを聴いてゆく。このイヤフォンはすばらしい。MP3 でも各々のパートが鮮明に立ち上がってくる。ポリフォニーが明瞭に迫ってくる。たまらん。他のイヤフォンを欲しいという気がなくなる。FiiO の FD7 はまだ興味があるが、むしろ Acoustune の次のフラッグシップが気になる。それまではこの1300で十分で、むしろいずれケーブルを換えてみよう。



##本日のグレイトフル・デッド

 9月11日には1966年から1990年まで、10本のショウをしている。うち、公式リリースは1本。ミッキー・ハートの誕生日。だが、2001年以降、別の記念日になってしまった。


1. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA

 単独のショウではなく、ジャズ・クラブのためのチャリティ・コンサート。"Gigantic All-Night Jazz/Rock Dance Concert" と題され、他の参加アーティストは John Hendricks Trio, Elvin Jones, Joe Henderson Quartet, Big Mama Thornton, Denny Zeitlin Trio, Jefferson Airplane, the Great Society そして the Wildflower。料金2.50ドル。セット・リスト無し。ジャンルを超えた組合せを好んだビル・グレアムだが、実際、この頃はジャズとロックの間の垣根はそれほど高くなかったのだろう。

 ちなみにデニィ・ザイトリンは UCSF の精神医学教授でもあるピアニスト、作曲家で、映画『SF/ボディ・スナッチャー』(1978年のリメイク版)の音楽担当。


2. 1973 William And Mary Hall, College Of William And Mary, Williamsburg, VA

 2日連続ここでのショウの初日。ここでは1978年まで計4回演奏していて、どれも良いショウのようだ。1976年と1978年のショウは各々《Dave's Picks》の Vol. 4 と Vol. 37 としてリリースされた。

 このショウでは前座の Doug Sahm のバンドからサックスの Martin Fierro とトランペットの Joe Ellis が一部の曲で参加している。マーティン・フィエロはジェリィ・ガルシアの個人バンドにも参加している。またブルース・ホーンスビィが一聴衆として、おそらく初めて見ていたそうだ。


3. 1974 Alexandra Palace, London

 2度めのヨーロッパ・ツアー冒頭ロンドン3日間の最終日。このショウの前半から6曲が《Dick’s Picks, Vol. 07》に収録された。が、ほんとうに凄いのは後半らしい。

 とはいえ、この前半も調子は良いし、とりわけ最後で、実際前半最後でもある〈Playing in the Band〉は20分を超えて、すばらしいジャムを展開する。この日の録音ではなぜかベースが大きく、鮮明に聞える。アルバム全体がそういう傾向だが、この3日目は特に大きい。ここでは誰かが全体を引張っているのではなく、それぞれ好き勝手にやりながら、全体がある有機的なまとまりをもって進んでゆく。その中で、いわば鼻の差で先頭に立っているのがベース。ガルシアはむしろ後から追いかけている。この演奏はこの曲のベスト3に入れていい。

 それにしても、この3日間のショウはすばらしい。今ならばボックス・セットか、何らかの形で各々の完全版が出ていただろう。いずれ、全貌があらためて公式リリースされることを期待する。


4. 1981 Greek Theatre University of California, Berkeley, CA

 2日連続このヴェニューでのショウの初日。ここでの最初のショウ。前売で11.50ドル、当日13ドル。

 この日は、開幕直前ジョーン・バエズが PA越しにハートに「ハッピー・バースディ」を歌ったそうだ。


5. 1982 West Palm Beach Civic Center, West Palm Beach, FL

 後半冒頭 Scarlet> Fire> Saint> Sailor> Terrapin というメドレーは唯一この時のみの由。


6. 1983 Downs of Santa Fe, Santa Fe, NM

 同じヴェニューの2日め。ミッキー・ハート40歳の誕生日。


7. 1985 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA

 地元3日連続の中日。80年代のこの日のショウはどれも良いが、これがベストらしい。


8. 1987 Capital Centre, Landover , MD

 同じヴェニュー3日連続の初日。17.50ドル。6年で6ドル、35%の上昇。デッドのチケットは相対的に安かったと言われる。


9. 1988 The Spectrum, Philadelphia, PA

 4本連続ここでのショウの3本め。前日の中日は休み。


10. 1990 The Spectrum, Philadelphia, PA

 ここでの3本連続の中日。(ゆ)


9月9日・木

 伊東屋のニュースレターに、カランダッシュ849のローラーボールが出た、とあるが、まだ国内には入っていないらしい。伊東屋のサイトでも売ってはいないし、公式ストアにも無い。本家のサイトのみ。ボールペンよりも少し太く、長いようだ。849の万年筆には惹かれなかったが、これは欲しい。849はやはりノックで使いたい。


 夕方着いた Acoustune HS1300SS Verde を聴く。AET06 S のチップ。聴くのはもちろんチェルシーズ《あかまつさん》。このアルバムを愉しく聴かせてくれるのがよい機器になる。HS1300SS Verde はまずその関門は楽にクリア。あらためてやはりこのアルバムは傑作だ。アマゾンにある在庫は全部買って、配ろうかとも思う。

あかまつさん
チェルシーズ
DANCING PIG
2013-07-14



##本日のグレイトフル・デッド

 1967年から1993年まで9本のショウをしている。


1. 1967 Volunteer Park, Seattle, WA

 シアトル遠征2日めの昼にこのショウをしたことになっている。


2. 1967 Eagles Auditorium, Seattle, WA

 前日に続く2日め。セット・リスト無し。ポスター以外の裏付けは無いようだ。デッドはこの日、Fillmore Auditorium にジョーン・バエズ、ミミ・ファリーニャとともに出ていたというビル・グレアムの言明も裏付けがあるかどうか。


3. 1972 Hollywood Palladium, Hollywood, CA

 同じヴェニュー2日間の初日。

 〈One More Saturday Night〉のアンコールの後、あまりに聴衆がしつこいので、ガルシアとウィアが出てきて、クルーの大半はティファナに向けて出発したし、ベース・プレーヤーはかわいい女の子のシケこんだから、今日はおしまい、とアナウンスした由。でも、翌日も同じこの場所でやる。


4. 1974 Alexandra Palace, London

 2度めのヨーロッパ・ツアーの初日。ロンドン3日間の初日。この3日間の各々から一部ずつが《Dick's Picks, Vol. 7》に収録される。1本のショウとしても聴け、また3日間各々のハイライトも味わえる、一石二鳥を狙ったもの。

 この日は休憩なしの一本勝負で、5、6、7曲めと13曲め〈Truckin'〉からのジャムと〈Wharf Rat〉が収録された。


5. 1982 Saenger Theatre, Los Angeles

 秋のツアー初日。前半最後の〈Althea〉が2015年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。この〈Althea〉の途中でウィアが楽器のトラブルでいきなり引っこんだが、残ったメンバーがすばらしい演奏をした。

 後半開始、ステージにメンバーが出てきて、普通はチューニングとかあるのが、この日は前振りなしに、いきなり〈Uncle John's Band〉が始まった。


6. 1987 Providence Civic Center, Providence, RI

 3日連続このヴェニューの最終日。前半最後がいつもとは違う選曲と並び。


7. 1988 The Spectrum, Philadelphia, PA

 3日連続同じヴェニューの中日。チケットによると料金は19.50ドル。

 5日間、4本連続のこの一連のショウでは珍しく警察が介入せず、ヴェニュー向かいの公園はデッドヘッドの天国と化したそうな。


8. 1991 Madison Square Garden, New York , NY

 9本連続 MSG の2日め。


9. 1993 Richfield Coliseum, Richfield, OH

 3日連続同じヴェニューの中日。(ゆ)


6月23日・水曜日
 
 Cayin N6ii-Ti R-2R チタニウム・リミテッドエディション。DAC チップの供給に難があるのを逆手にとったのか、ラダー式を採用。AirPlay は無し。マザーボード交換は面白いんだが、その他にこれというのが無い。I2S はあるけど、つなぐものが無い。FiiO は AirPlay、DSD変換、THXアンプとそろっている。当面、これを凌ぐものはなさそうだ。


 Oさんに教えられた平出隆の本を図書館からあるだけ借りてくる。詩集はあとまわしで、まずは散文。『左手日記例言』が無かったのは残念。『鳥を探しに』は購入以来誰も開いたこともないようなまっさらな本。この厚さ、しかも二段組み。いいなあ。こうこなくっちゃ。この長さだけで、読もうという気がもりもり湧いてくる。

httrwsgs
 
httrwsgs2

 

左手日記例言
平出 隆
白水社
1993-06-01


5月27日・木

 ゼンハイザーの民生部門の Sonova への売却についてのささきさんの ASCII の記事を読んで思う。結局これはヘッドフォン、イヤフォンというものが、従来の「アクセサリー」の範疇から飛びだして、スマホと同じマスプロ、マスセールスの製品になったということの現れだろう。

 ゼンハイザーはあくまでも「オーディオ・アクセサリー」としてのヘッドフォン、イヤフォンを作っていた。だから家族経営でもOKだった。しかし今や、Apple がヘッドフォンまで作るようになった。音楽鑑賞のメインはストリーミングとイヤフォンのルートになり、しかも無線接続がデフォルトだ。そしてイヤフォンの市場は Apple が圧倒的シェアを持ち、これに次ぐのも Anker などの大企業だ。これはオーディオというようなニッチな、趣味が幅を利かせる範疇ではもはや無い。イヤフォンとヘッドフォンは、スピーカーを中心としたオーディオを完全に飛びこして、かつてのテレビやラジオ、今ならスマホやタブレットのレベルの製品群の一角に座を占めたということだ。そして、ゼンハイザーはそのことをいち早く看てとり、もはやつきあってはいられない、と民生部門を切ったのだ。

 スタジオやライヴなどのロの分野では職人芸がまだ生きている、活かせる。プロ用機材のメーカーに大企業はいない。なれない。そこなら家族経営でまだまだやれる。そういう読みと判断ではないか。

 もう遙か昔、まだ iMac にハーマンのスピーカーが付属していた頃、タイムドメインのライセンス製品を出していたメーカーがそのスピーカーを Apple に売りこんだことがある。音質などの条件はクリアしたが、最低で月100万セット納品できるかと言われて、退散したそうだ。その頃ですでにそういう規模だった。ゼンハイザーはそういう世界からは足を洗うと宣言したのだ。

 民生撤退の理由はおそらくもう一つある。Apple が Dolby Atmos に舵を切り、ソニーも360度サウンドを出し、民生用の音楽再生は DSP が必須になった。それも音の出口のところでだ。これまではただ物理的に音を出していればよかったヘッドフォン、イヤフォンにチップが入った。それも無線接続のためのものに限らず、音楽再生の根幹に関わるものがだ。デジタルはハードウェアだけでは役に立たず、ソフトウェア開発もついてまわる。ゼンハイザーはこれを嫌ったのだ。嫌ったというより、対応できないと潔く諦めたのだ。こういう潔さ、フットワークの軽い転身も家族経営ならではだろう。

 ハイエンド・ヘッドフォン、イヤフォンはまだこれからも出るだろう。が、それを担うのは新しい、たとえばゼンハイザーに比べれば「駆け出し」の HiFiMAN のようなメーカーだろうし、あるいはハイエンドだけを狙った新しいブランドだろう。

 ついでに言えば、スピーカーにも DSP が入って、オーディオの常識がひっくりかえっているなあ。Alexa や Home Pod は AirPods ファミリーに相当するものだが、いわゆるオーディオファイル用のジャンルでも Airpulse A80 や KEF LS50 のようなアクティヴ・スピーカー、そしてその先を行く Genelec の SAM システムによる音場補正は、「使いこなし」とか「セッティング」を無意味にしようとしている。

 もちろん、そんなに簡単にできてしまうのはイヤだ、あれこれ試行錯誤するのが愉しいのだ、という人がいなくなることはない。ヘッドフォン、イヤフォンだって、ケーブルを替え、チップやパッドを替え、クローズドにオープン、セミ・オープン、ダイナミックに静電型、平面型など様々なタイプを使いわけるのを愉しむ人がいなくなることはない。ただ、それはますますニッチな趣味の世界へ入ってゆくだろう。本当に趣味の世界は何でもニッチなものではあるが。(ゆ)

5月24日・月

 市から案内が来たので新型コロナ・ワクチン接種予約をネットでやると1回目は7月末、2回目はその3週間後。最速でこの日付。50代以下は秋以降か。6月に入るとかかりつけ医でもできるようになるというけど、老人はともかく、この辺りでは今どきかかりつけ医なんていない人間の方が多い。東京まで通勤している人たちは大規模接種会場をめざす手もあるが、一都三県の住民は誰でもめざせるから、混雑なんてもんじゃないだろう。1日1万人だそうで、1ヶ月休みなしにやって30万人。焼け石に水くらいにはなるか。


 Apple Music のロスレス、ハイレゾ対応の詳細が明らかになってきて、ハイレゾをどうやって聴くか、かしましい。一番簡単で音も良いのは AirPlay 対応の DAP や DAC、DAC付きのAVアンプに飛ばして聴く形だろう。もちろん USB-DAC などかまして有線でも聴けるけれど、無線に慣れてると面倒なんじゃないか。普段ワイヤレス・イヤフォンなんぞ使わないあたしだって、AirPlay の便利さは一度味わうと戻れん。FiiO の M11Pro、あるいはもうすぐ出る M11Plus なら、ハイレゾをさらに DSD に変換できるから、今でも十分ハイレゾになる。

 AirPods 一族ではハイレゾが聴けないのはやはりがっかり。AirPods Max を買う気が一気に失せた。イヤフォンやヘッドフォンに AirPlay を仕込むのは、そんなに難しいのだろうか。WiFi は Bluetooth とは別のチップが要るとか。


 あるオーディオ・サイトで薦められていたハリィ・ベラフォンテのカーネギー・ホールのライヴ完全盤 から Danny Boy を聴く。なるほど絶唱。ここまでくるとアイルランドとは関係なく凄い。録音も凄い。MacBook Air の Tidal から AirPlay で M11Pro に飛ばし、DSD変換。イヤフォンは Unique Melody の 3D Terminater に DITA の OSLA ケーブルを奢った。この組合せ、少し音が練れてきて、たまらん。この先、どうなるか、楽しみじゃ。この音源は Tidal のマスターではない HiFi だけど、ヘタなマスターより音がいい。いいというレベルではないくらいいい。演奏と録音があまりに凄いので、Danny Boy から Shenandoah まで聴いてしまう。英語 > フランス語 > スペイン語 > 英語のうた。どれもまるで母語に聞える。こんなうたい手もいないだろう。Danny Boy も Shenandoah もこれ以上はできないくらい遅いテンポ。Danny Boy はオケ、Shenandoah はギター1本。こいつはあらためて全部聴こう。(ゆ)


 

 今年2月に買った HiBy R5 のバッテリーが満充電でも97%にしかならなくなった。使用時間は190時間強だ。充電回数は数えていない。それではと、これまでバッテリーが死ぬまで使った DAP の使用時間を調べてみた。

QP1R=345:41:00
OPUS#1=330:19:28
Pono=329:08:20。

 記録してあるものだけだから、実際の使用時間はどれもこれよりはいくぶん多い。他にも AK100、AK120、CalyxM など使っているが、いずれもバッテリーが死ぬところまでは行っていない。

 1日平均1時間として1年というのがどうやら相場らしい。1年で使えなくなるものに10万というのは、やっぱり高いよなあ。MacBook だって最低3年は使えるし、普通は5年くらいは使うだろう。

 バッテリー交換も不可能ではないが、たいていは現物交換で新品を買いなおすのとあまり変わらない、と聞いた。それに DAP はまだドッグイヤーで進化していて、1年経つと前の年のモデルは古くなる。

 充電しながら使えなくもないが、ボディが熱くなったりして、メーカーでは推奨しないのが通例だし。

 となると Kontinum K100 の交換できるリチウム・バッテリーというアイデアは魅力的だ。電子タバコ用に売られている電池が使えるそうな。あれのバランス・アウトが 4.4mm だったら飛びつくんだけどねえ。次のモデルは 4.4mm としても、すぐには出ないだろうなあ。来年の夏か、年末か。それまでには、他にバッテリー交換できる DAP が出ているか。

 カイン N6ii のマザーボードとバッテリーが一体化しているシステムも面白くはある。ただし、N6ii は AirPlay に対応していない。Cayin は先日の「秋のヘッドフォン祭 2020 Online」でバッテリーがネジ止めされて、ユーザーが交換できるポータブル・アンプを発表したが、DAP で同じことはしないのだろうか。

 一方で M11Pro の THX アンプとDSDへのアップサンプリングの組合せ、それに AirPlay 対応がそろっているのは、今のところ唯一これだけだ。この中でどれか落とせと言われれば、DSDへのアップサンプリングだろう。反対に加えて欲しいものはと言われれば、バランスのラインアウトだ。

 

 ポータブルではなく、デスクトップなら iFi iDSD Pro にはマイクロSDカード・スロットがついているから、それで万事オーケーなわけだが、散歩用のポータブルが要るのよねえ。R5 の後継はやはりその時出てる安いモデルかのう。R5 は ESS ではなく、サーラス・ロジックの DAC チップが魅力なのだが、後継はどうだろう。

 それにしても、Apple は AirPlay 対応のイヤフォンとかヘッドフォンとか、出さないのか。(ゆ)

 FiiO MP11Pro には THX と並んでもう一つほかには無いメリットがあることを発見した。AirPlay だ。DAP で AirPlay に対応しているのは、どういうわけか FiiO 製品だけなのは興味深い。


 

 AirPlay を使うとどうなるか。

 Mac または iOS 機器のオーディオ出力をロスレスで無線で飛ばし、M11Pro で DSD 変換して聴けるのだ。youtube も spotify も Apple Music も soundcloud も Bandcamp も、とにかくオーディオで音が出るものはすべて DSD で聴けるのだ。MP11Pro には MQA のフルデコードも入っている。TIDAL の master クラスに対応し、これまた DSD で聴ける。

 Apple Music は M11Pro にインストールはできるが、あたしの場合、サインインができない。Bandcamp のアプリはインストール、サインインできた。

 音はどうかって? 有線と比べてみた。hip-dac と RME ADI-2 DACの2機種。まったく遜色が無い。前者にはMQAもあるが、出音は M11Pro の方が上だ。THX アンプのおかげだろう。後者では MQA の恩恵がない。

 そして無線の便利さ。USB ポートは少しずれてもすぐ外れる。iDefender などかますとさらに外れやすくなる。その都度つなぎなおし、出力の設定をやりなおさねばならない。どのケーブルを使うか、気を使う必要も無い。敢えて言えば音の良い WiFi のルーターを選ぶことか。そんなものがあればだが。もっとも古い iPad Mini 4 より iPhone 8 から飛ばした方が音が良かったりする。

 WiFi の届く範囲なら DAP を持って移動もできる。歩きながらでも、竹踏みしながらでも聴ける。なるほど、皆さん、ワイヤレスに行くわけだ。

 正直、AirPlay はどういうメリットがあるのか、さっぱりわからなかったのだが、ようやく納得がいった。いやあ、Apple エライ。ウィンドウズでは DNLA がこれに相当することになるのか。

 将来もしスピーカーを買うにしても、AirPlay 2 対応が必須になってくる。ということは、アクティヴで、DAC 入りになる。今なら KEF の LS50 Wireless II とかだ。Airpulse は残念ながら対応していない。

 ただし、Mac 用オーディオ・プレーヤーでも AirPlay をサポートしていないものもある。やや古い Decibel や Colibri はしていない。Colibri はサポートするべく、全面的に書き換え中とサイトにある。Pine Player はOK。Audirvana はサポートしている。JRiver Media Center は不明。

 もっとも、1曲だけ聴く分には Finder で再生するのが最も手取り早く、音も良い。クィックルックすると操作もできる。

 そうそう、AirPlay のメリットはもう一つ、あるんだよ。

 Mac のポートの数が少なくてすむのだ。ということは安くすむ。Mac からオーディオを出すためにわざわざ Thunderbolt 3 x 4ポートの MacBook Pro を選んでいたが、そんな必要も無い。2ポートで充分だ。まだ繋ぐ必要があるのは CD のリッピングだけだ。これも最近は Bandcamp で買うことが増えて、リッピングする頻度は以前の半分以下だ。それに今は iOS 機器に無線でリッピングすることも可能だ。音はやってみないとわからないが、WiFi だから AirPlay と同じレベルではあるだろう。しかし不思議なことに macOS 機器と無線でつながる外付 DVD プレーヤーは無いようだ。

 こうなると、CHORD Hugo 2+2Go か iFi Pro iDSD が欲しくなる。AirPlay に対応している DAC は今のところこの2つだけ。前者には MQA が無い。後者はコンセントが要る。

 しかし、当分は M11Pro で楽しむ手もある。今年の年末にこれの後継機を楽しみにして。(ゆ)

 新しいDAPを買った。FiiO M11Pro である。実は当初 M15 を買おうとしたのだが、どこにも在庫が無く、取り寄せにも時間がかかりそうだっのでやむなく 11Pro にしたのだが、今はかえって良かったと思っている。


 

 Cayin N6ii のマザーボードとバッテリーを一体化して交換できるコンセプトにも惹かれて、ほとんどそれに決めていたのだが、最後に方向転換したのは M11Pro のDSD変換機能だ。すべての出力をDSD に変換して出す。

 Android の サンプリングレート変換を回避する Pure Music モードもあり、これとDSD変換を組み合わせると、これ以上、何もいらないじゃんという気分になる。

 Pure Music モードへ切替える方法がついにわからず、輸入元のエミライに問い合わせる。どこの画面でもいいから、上端から下へスワイプすると出てくるメニューの中に切替のスイッチがある。Pure Music モードにすると FiiO Music のみが立ち上がり、他のことは一切できない。DSD変換のオン・オフをする「設定」アプリすら出てこない。これを出すには Android モードにもどさねばならない。ゲインの切替だけは、同じく、スワイプで出てくるメニューで切替えられる。

 Pure Music モードは一度入れると戻れない。オフにすると全体にくすんで、音楽に生気がなくなる。

 M11Pro には 15 には入っていない THX が入っている。15 ではなく、11Pro で良かったと思った理由がこれだ。THX に気がついたのは、実は Benchmark HPA4 のささきさんによる PhileWeb の記事を見て、これに実装されている THX ってどこかで見たぞと思い出した次第。

 HPA4 が使っているのは AAA-888 という THX のトップグレードだけど、M11Pro に実装されているのは THX-AAA-78 で、こちらはモバイル用のトップグレードだ。THX のサイトの製品案内によれば AAA-789 になる。DAP で THX を採用したのは初めてらしい。

 THX の効果は低ノイズ、低歪み、そして低消費電力、さらにハイパワーと、ヘッドフォン・アンプにとって良いことづくめだけれど、確かに M11Pro は静かなのだ。いわゆる雑味が無いというやつで、音楽が際立ってくる。個々の音や残響やその重なり具合にピントがぴしっと合って、にじんだりボケたりするところがまるで無い。聴いていて気持ち良いのだ。音楽の一部としてのノイズもきれいに聞える。一方で、録音の良し悪しはモロに出る。良し悪しというより録音の性格、録り方とか、ミックスやマスタリングの方針とか、そういうものが剥出しになる。慣れた人なら使っている機材のモデル名まであてられそうだ。編集でつないだところも、それとわかる。

 消費電力はよくわからない。DSD変換は当然電気を食うが、一度にそう何時間も聴いているわけではないから、まあ、こんなもんだろうで今のところすんでいる。それにバッテリーの充電が速い。100%になるのに2時間かからない。

 驚いたのはパワーだ。Benchmark の HPA4 でも鳴らないヘッドフォンがよく鳴るとささきさんも驚いていたが、M11Pro のパワーも DAP の次元ではない。なにせインピーダンス 600Ω の T1 がまあよく歌ってくれる。あたしのは初代 T1 の特製バランス仕様で、バランスはパワーが出るわけだが、それにしても、この鳴り方はまっとうなヘッドフォン・アンプを介さなければ、これまでは無かった。伸びるべきところはどこまでも伸び、止まるべきところは見事に制動が効いている。もちろんハイゲイン設定だが、音量スライダは下から3分の2あたりでちょうどいい録音が多い。

 EtherC Flow 1.1 もいい気分で歌う。これもなかなか気難し屋で、ただパワーがあるだけではうまく鳴ってくれない。手許のは初代で、あまりに鳴らないので、一時は手放そうかと思って、AMP に品出ししたこともあったが、1.1 にアップグレードし、マス工房 model 428 と組み合わせてようやく実力がわかってきて、売るなんてとんでもない。エージングもいい具合になり、そろそろケーブルを換えてみるかという気になっていた。M11Pro で聴くと、これならブリスオーディオの Mikumari を奢るかと気分が昂揚してくる。

 こうなってくると THX のヘッドフォン・アンプは DAP では必須ではないかとすら思える。少なくとも、あたしは今後、これが入っていないと使う気になれない。

 FiiO Music の使い勝手はまずまずで、この辺りは HiBy と同じ。入れているマイクロSDカード 512GB の3分の2くらい使っていて、アルバム数も結構あるが、画面が大きいこともあり、スクロールして右端に出るアルファベットで跳ぶのもやりやすい。

 デメリットはまず熱くなること。公式サイトのQ&Aにもあるように、やむをえないところだろうし、ささきさんも言うように、オーディオでは熱くなるのは音がいい、というのはたいてい当っている。一度、シャツの胸ポケットに入れて15分ほど歩きながら聴いたら、かなり熱くなった。季節要因もあるだろうが、携帯するにはもっと通気のよいものに入れる必要がありそうだ。今のところ、散歩用はこれまで使っている Hiby R5 で、M11Pro はもっぱら屋内での使用。冬は持ち出してもいいかもしれない。

 DAP は世代交替が激しいし、保ってせいぜい2年でバッテリーがダメになるから、5万前後までのものにしていたのだが、DSD変換に誘われて「清水の舞台」から飛びおりてみたら、別世界が開けた。この方向で、Sony DMP-Z1 を凌ぐようなものを出して欲しいものではある。Chord Hugo 2 のような半携帯式でバッテリー駆動で THX-888 のヘッドフォン・アンプを備えて、部品にもとことんこだわった DAP。バッテリーには先日発表された K100 が採用した円筒型の電気自動車規格の21700型リチウムイオン充電池はどうだろう。半デスクトップなら、K100 みたいな不恰好にすることもないだろう。

 HiBy に比べると FiiO は DAP を作ってきた経験が長い分、いろいろな点で一日の長があるように思う。もっとも R5 も悪くない。M11Pro よりも小さく軽く、熱くなることもないし、シーラス・ロジックの DAC チップの音も好きなので、散歩用としてはまだまだ活躍してくれるだろう。

 オーツェイドの人のように擁護する向きもあるが、あたしはあの 2.5mm バランス端子がでえっきれえなので、A&Kや今度の K100 は使ってみたいと思うこともあるけれど、当面は選択肢に入ってこない。M11Pro にも 2.5mm ジャックはあるのだが、華々しく金色の枠がついている4.4mm ジャックの隣に添え物のようにちょこなんと着けられていて、ちょっと見るだけではあるのさえわからない。こんな扱いにするなら、とっぱらった方がよかったろうに。もっともこれには、両方同時に挿せないようにという配慮もあるのか。

 イヤフォンは耳の中で存在を主張されるのが苦手で近頃はもっぱらヘッドフォンで聴いている。遠出をする機会が極端に減ったので、電車に乗らず、したがってイヤフォンを使うチャンスはますます減っている。光城の Keyagu とか、オーツェイドの intime 翔とか、ファイナルの A8000 とか、使ってみたいものも無いことはないが、ステイホームのうちはヘッドフォンで遊ぶだろう。そうそう、M11Pro と HD414 の組合せが、歌好きにはもうたまりまへん。414 のケーブルもグレードアップしたくなっている。ファイナルのシルバーコート・ケーブルが使えないのは、かえすがえすも残念。

 それにしてもゼンハイザーは HD414 の直接の後継機を出す気はもう無いんだろうなあ。500や600のシリーズを使えというんだろうが、ちょと違うのよねえ。まんまの復刻でもいいんだけど。今使ってるのが壊れると替えが無いのがなんとも不安。(ゆ)

 イヤフォン、ヘッドフォン・メーカーのファイナルが秋葉原に直営店をオープンしたので、開店日に行ってみました。

 ファイナルは創業者の高井金盛氏が亡くなられてから、目黒の長者町から川崎の現住所に転居し、ここにショールームを設けて、試聴やイベントの場としていたわけですが、ここはいかんせん、交通の便が悪い。あたしも何度か伺いましたが、鉄道のどの駅からも15分くらい歩きます。歩くのは苦になりませんが、雨でも降るとちょっとしんどい。ということで、今回、誘いを受けたのを契機に、秋葉原の駅の電気街口改札から歩いて2、3分というところに直営店を開いたのだそうです。入居したのは、秋葉原から御徒町方面に向かう線路の下を再開発したスペース SEEKBASE で、この中にはイベント・スペースも別にあります。

 秋葉原駅の改札から線路沿いに北へ向かい、左手に UDX という大きなビルのある交差点を渡ると CHABARA という、国内特産品販売店が集まっている一角があり、その次の一角が SEEKBASE です。

 一軒、ビールなど蒸留酒のバーがあるのが異色ですが、その他はモノを売る店。オープンが1週間ずれた「まんだらけ」の店が、見た目には圧巻。ソフトビニール・フィギュア専門だそうな。

 各店舗の間は壁がなく、スチールの格子で区切られているだけ。このパーティションは2メートルくらいの高さで、天井も剥出し。たとえばパルコなどの恒久的なテナント施設というよりは、がらんどうのイベント・スペースをちょいちょいと区切っている、テンポラリな施設のようでもあります。隣の店は丸見えですし、音や話し声などもさえぎるものはありません。ファイナルの店のお隣りは鉄道模型の専門店で、模型が走る音が結構大きく聞えます。

 バーとDJスクールを除いて、モノを売る店はモノであふれていますが、ファイナルの店は高級ブティックよりももっと展示されている商品が少ない。ほとんど、あんたら売る気があるのか、とツッコミたくなる感じ。入口にはでんと甲冑が鎮座していて、知らないと何の店かわからないかもしれません。テーブルや椅子などの什器も川崎のショールームから持ってきた由で、すべてヴィンテージもの。奥の試聴などに使うテーブルのハンス・ウェグナーの一番有名なYチェア、白木ヴァージョンだけは真新しい。

 開店日に行った最大の目的は新製品のフラッグシップ・イヤフォン、A8000 を聴くためであります。ファイナルのイヤフォンは MAKE 3 をクラウドファンディングで購入して愛用しています。きりりとして輪郭の明瞭で空間がクリアな音。基本的に硬質なサウンドですが、ヴォーカルは血が通ってます。アイリッシュ・ミュージックをはじめ、アコースティックなアンサンブルは最高です。マルチBAやハイブリッドよりも、ダイナミック・ドライバ一発の信奉者としては、そのファイナルが満を持して出したとなると A8000 は聴かないわけにはいかない。たとえ、到底手が出ない値段がついていても、です。

 聴いての結論は、買ってはいけない。こんなものを買ってしまっては、そこで終ってしまいます。もう新製品なんて要らなくなります。ただ、ひたすらこれを聴いていたい。これで音楽を聴いていたい。いつまでもこれで音楽を聴いていたい。他のこともしたくなくなる。本を読むとか、メシを喰うとか、そんなことはどこかへ飛んでしまう。

 オーディオ製品の1つの要諦は録音された音楽を魅力的に聴かせる機能です。録音や演奏がひどいものでも、それなりに聴かせてしまう機能です。リスナーをだますとも言えますが、娯楽とは受け手をいかにだまして、気持ちよい思いをさせるかを工夫するものです。オーディオもその例外ではありません。

 だまされるのがとにかく厭だという気持ちももちろんあって、いわゆるプロ用機器、スタジオ・モニタなどが人気なのもその現れでもあります。もっともこちらはこちらで、だましはしませんが、たとえばすべての楽器、すべての要素が等しく聞えたりします。仕事のためにはそれが必要なわけですが、音楽の実際、生演奏からはほど遠い形です。どんな音楽も、すべての楽器がまったく同等に聞えるようにはできていません。声も含め、それぞれの役割や位置に応じた音量や音質で聞えて初めて本来の形で聞えます。

 A8000 は、その描写が実に巧い。音楽を本来聞える姿で描きだしてくれます。それが巧いポイントの1つは、音の減衰のコントロールらしい。楽音はたいていポンと出て、だんだん小さくなって消えます。そのポンの立ち上がりがまず大事というので、オーディオ製品はその瞬発力に力を注ぎます。ところが減衰してゆく方はいわば放置されるのが普通です。音が勝手に小さくなるのにまかせる。生演奏ならそれでいいわけですが、電気的に音を再現する場合にはどうもそれではうまくないらしい。というのは実際に音を出しているのは振動板で、弦でも管でもリードでも声帯でもないからです。減衰する速度からして違う音のそれぞれの減衰を、1枚の振動板でどう再現するか。

 減衰する音のコントロールが足りないと、前の音が消えきらないうちに次の音が出るわけです。当然、次の音は濁るでしょう。普通は濁っているとはわからないくらいわずかなもので、最初の立上りが十分シャープであれば、人間の耳はうまくだまされる。もっとも、平面型のスピーカーやヘッドフォン、イヤフォンのメリットはもともとはそこにあります。他のタイプでは音をプッシュするだけですが、平面型はプッシュ・プルして、減衰をコントロールします。今流行りのダイナミック・タイプの平面型ドライバはそうでもないものもありますけど、スタックスなどの音の快感はプッシュ・プルのおかげです。

 A8000 は純粋ベリリウムの振動板を作りだすことで、減衰をコントロールしようとしている。そして相当なレベルまで成功している、と聞えます。音楽を聴くのがとにかく愉しい。聴くことそのものが快感です。音離れがいい、というのは普通、立上りがシャープで輪郭が明瞭なときに言われますが、減衰がうまくて、すっきりと消えることの方にあてはまるんじゃないかとも思えます。

 A8000 が凄いのは、音楽を聴く歓びを味わわせてくれるとともに、もう1つ、オーディオ的な満足感ももたらしてくれることです。音が良いことの驚きが新鮮なのです。今で言えば、スマホ付属のイヤフォンから、初めて本格的な、たとえば3万クラスのモデルに替えたときの驚き、でしょうか。あたし自身は、アキュフェーズの出たばかりのプリメインにボストン・アコースティックのダブル・ウーファー・スピーカー、トーレンスのアナログ・プレーヤーを組んだ時でした。好きな音楽を、良い音で聴くということがどんなにすばらしい体験か、あらためて噛みしめることを A8000 は可能にしてくれます。

 こうなってくると、20万という価格がそんなに高いと思えなくなってくるのが、オーディオの魔力でしょう。まんだらけに並んでいるフィギュアに付いている値段は、あたしなどには目玉が飛びでるものですが、欲しい人にとっては妥当なものであるわけです。もうそんなに長くもない人生の残りを、A8000 で音楽を聴くことで費すなら、満足して死ねるでありましょう。だからといってぽんと20万、どこからか湧いてくるわけではありませんが。

 いやいや、やはりこれは買ってはいけない。死ぬその瞬間まで、新しもの好きでいたい。

 ああしかし、これで思う存分音楽を聴きたいものよのう。

 というわけで、心は千々に乱れて(笑)、お店を後にしたことでありました。(ゆ)

 スピーカー中心のオーディオのイベントに初めて行ってみる。知人が開発に関わった新製品を見て聴くためだが、半分はどういう人たちが来ているのか、ヘッドフォン祭などと違うのか、という興味もある。

 目当てのハードウェアはアキュフェーズの新しいプリメインのフラッグシップ E-800。来てみて思うのは、こういうイベントはオーディオ機器の試聴環境としては良くないことだ。30畳ぐらいの部屋に数十人も入れば、いくらルーム・チューニングをしても、個人の家で聴くものからは程遠くなるだろう。加えて、この会場の部屋そのものが、元来は会議室で、天井、壁、床に音響的配慮は皆無だ。ユーザー側のメリットとしては、様々なハードウェアに一度に接することができる、ということくらいか。



 それでも、基本的な音の性格の違いはわかる。時間が少しあったので、Esoteric で Avangard を鳴らすデモ、Fostex の2ウェイをアキュフェーズで鳴らすデモ、Triode の 真空管プリメイン MUSASHI で Focal のたぶん Utopia Evo を鳴らすデモ、オープンリール・デッキ NAGRA Tから蜂鳥のテープアンプに接続し、Mola Mola のプリアンプ「Makua」+パワーアンプ「Kaluga」から Lansche Audio のコロナ・プラズマ・トゥイーター搭載スピーカーシステム「No.5.2」を鳴らすデモを聴いてみる。

 好みはフォステクスでシャープで濃密。Triode では同じ音源をCDとアナログで聴き比べたのも面白かった。アナログの方が底力がある。価格合計がたぶん1,000万を超えるエソテリックとアヴァンギャルドは、ステージはあるが、どこか冷たく、ピアノに霞がかかり、声にも血が通っていない。やはりソニーの音。ヘッドフォン、イヤフォンもそうだが、このソニーの研ぎすまされて脆そうな音はどうにも好きになれない。テープ・デッキからのせいなのか、この音は時代錯誤に聞える。

 で、肝心のアキュフェーズは、うーん、こういう音が好きなのよね、とあらためて思い知らされる。思えばかつて出たばかりのアキュフェーズのプリメイン E-302 で Boston Acoustic の、10cmウーファーを2発積んだ板みたいな3ウェイを鳴らしたのが、あたしのオーディオ事始めだった。プレーヤーは Thorens の当時一番安い、ストレート・アーム付きのやつ。これで Dougie MacLean の、これも出たばかりの《Butterstone》を聴いた時の新鮮な驚きは忘れられない。やがて、トーレンスの音が物足らなくなって、もっといいプレーヤーが無いかと探しだして、表参道にあったらっぱ堂を訪ねたのが運のつき。ずぶずぶとはまっていったのでありました。

 ちなみに《Butterstone》はマクリーンのアルバムの流れとしては傍系になるんだけど、そこがむしろプラスに出ている。他は自身のプロデュースだが、これだけはレーベルのオーナーだった Richard Digance がプロデュースしているのも、マクリーンが普段封じているダークな面を引き出している。あたしの中ではディック・ゴーハンの《No More Forever》に匹敵する。


Butterstone
Maclean Dougie
Dambuster (UK)
1994-11-07


 アキュフェーズのデモのスピーカーは Fyne Audio F1-12 で、このメーカーはスコットランドはグラスゴー郊外にある、となると親近感が湧いてしまう。スコットランドの今や国宝的存在であるダギー・マクリーンは、これで聴くべきでしょう。F1-12 はサイズもデカすぎるし、値段も手は出ないが、一番安いブックシェルフの F500 をアキュフェーズの E-270 で聴いてみたいよねえ。




 それにしても E-800 と F1-12 は良かった。説明の始まる前に流れていたデモで Jennifer Warnes の《Hunter》がかかる。その声が出た途端、ぞく、っと背筋に寒気が走りましたね。こりゃあ、ええ。こりゃあ、ええよ。

ザ・ハンター
ジェニファー・ウォーンズ
BMGビクター
1996-04-24



 アキュフェーズの偉いさん?による説明の中でかけた岩崎宏美と国府弘子の〈時のすぎゆくままに〉がまた凄い。録音もいいが、演奏が凄い。岩崎宏美がこんないいシンガーとは知らなんだ。というよりもまるで興味が無かったが、こりゃあ一級じゃん。国府のピアノも鍵盤を広く使って、スケールが大きい。その最低域の音が生々しい。いや、このアルバムを聴けたのは来た甲斐がありました。こいつは買わにゃ。

Piano Songs
岩崎宏美
テイチクエンタテインメント
2016-08-24



 最後のプッチーニのオペラからの録音もかなり良い。ベルカントはどうしても好きにはなれないが、訓練された声が存分に唄いきる時の快感というのはわかる。また、それが実感できる再生ではある。ライヴ録音で、会場の大きさもよくわかり、こういう音楽をこういうシステムで聴く醍醐味は味わえた。

 やっぱり、あたしの場合、人間の声がきちんと再生できることが肝心なのだ。ソニーの音はきれいなことはきれいだが、精巧なガラス細工で、ちょっとつつくと砕けてしまいそうなのよね。

 ヘッドフォン、イヤフォンの、どこでどんな姿勢で聴いてもいいという自由さ、性格の異なる複数の機種を取っ替え引っ替え聴けるという楽しみを味わってしまうと、スピーカーに完全に戻る気にはなれないが、時にはスピーカーで聴くのは耳をリフレッシュできていいもんだと改めて思うことであった。アキュフェーズにすっかり満足してしまって、もう他を聴く気にもなれず、そのまま出て、気になっている万年筆インクを物色しようと丸善に向かったのであった。

 それにしてもアキュフェーズがヘッドフォン・アンプを出してくれないか。DAC とかじゃなくて、純粋のヘッドフォン・アンプ。Luxuman P-750U のような、でももっとコンパクトなやつ。アキュフェーズが出したら、無理しても買っちゃいそうな気がする。(ゆ)

 「21世紀をサヴァイヴするためのグレイトフル・デッド入門」のために、デッドのライヴ音源を延々と聴くわけですが、それには何を使っているのか。

 あたしはスピーカーではまず聴かず、もっぱらヘッドフォンとイヤフォンで聴いてます。基本的に家ではヘッドフォン、外ではイヤフォン。なんだかんだで、知らないうちに増えていて、数えてみるとヘッドフォンは8本、イヤフォンも同じくらい。細かくて、正確にはもうわからん。取っ替え引っ替え使うわけですが、みんな均等にというのではなく、自分の中でも流行り廃りがあります。

 デッドのある曲を手許に溜まってきたライヴ音源の公式リリースから拾って聴いてゆくのは少々手間がかかります。一つのフォルダにまとめてこれを次々に再生してゆくのは、いつも使っている DAP は案外不得手で、これまでの経験で一番楽なのは MacBook Pro で再生する方法。ただし、Audirvana Plus はこういう時ほとんど役に立ちません。まずまず音が良くて使い勝手が良いのは Decibel。

 MacBook Pro から Chord Mojo に USB で出し、Analog Square Paper 製 STAX 専用真空管ハイブリッド・アンプで SR-L300 というのが最近の昼間の定番。だったんですが、選曲も佳境に入ったところで、朝、かぶろうとしたら SR-L300 のプラスティックのヘッドバンドがバキッと音を立てて真っ二つ。

SR-L300broken


 幸い、問い合わせたら修理できそうなのでほっとしました。ヘッドバンド交換だけですから、そんなに高くはないんじゃないかと期待。1本聴くごとに外したりかぶったりしていたからかなあ。

 マス工房 model 428 が来て以来、これで聴くことも多いんですが、デッドのライヴ音源は真空管をかませて聴きたいんですよ。デジタルでしか出ていないこの音源を聴くために『ステレオ』編集部が作った真空管ハーモナイザーをかますと、ヴォーカルやガルシアのギターがそれは艷っぽくなる。ところが 428 は入力がペンタコンだけなので、ハーモナイザーの RCA 出力からつなぐケーブルがまだありません。

 それと Decibel は最近アップデートしたんですが、それからどうも今ひとつ音にキレがなくなった感じ。ハイレゾ音源もちゃんと認識しないようだし。というんで、手持ちの機材をあれこれ組み合わせて落ちついたのがこのセット。

OPUS+Mojo+Phantasy


 OPUS#1s からは Reqst の光ケーブルで Mojo につなぎ、Mojo と PHAntasy はラダーケーブル製ラダー三段のミニ・ミニ・ケーブル。

 Listen Pro は Focal のヘッドフォンを何か使ってみたくて買ってみたもの。現行製品では一番新しくて、ダントツで安い。これはすばらしいです。箱から出したてで、100時間鳴らした DT1770 Pro とタメを張ります。DT1770 よりもすっきりした音で、この辺はドイツとフランスの違いですかね。Listen Pro に比べると DT1770 の方が粘りがあり、音場が丸い。Listen Pro の音場は広がりと奥行があって、円盤型。分解能も高いですが、細かいところまでムキになって出すのではなくて、各々の音量と位置をさりげなく、適確に示します。入っている音は全部出ているけれど、本来のバランスは崩れず、音楽に没入できます。ギアとして存在を主張するのではなくて、音楽を聴くツールに徹してます。モニターというのはそういうものでしょう。

 DT1770 と比べてどちらがベターというよりは音の性格の差でしょう。オールマンなら DT1770 で、デッドなら Listen Pro というと近いか。フェアポートなら DT1770 で、スティーライなら Listen Pro かな。まだ、試してないけど。ジャズならハードパッブは DT1770 で、ECM は断然 Listen Pro。ルーツ・ミュージックだと、ソロの歌や演奏は DT1770 の方が案外合うかもしれませんね。でもハイランド・パイプのピブロックのような倍音系は Listen Pro で聴きたい。

 先ほどの組合せに戻ると、ヘッドフォンやイヤフォンのテストに使っているアウラの〈アヴェ・マリア〉を、きちんと聴かせてくれました。ベスト盤の《ルミナーレ》にも入っているこの曲は、ソプラノ3人がめいっぱいハイトーンで唄っていて、たいていのヘッドフォン、イヤフォンでは、少なくとも2ヶ所でビビります。スピーカーではまったく問題ないんですが、ソプラノが上の方で2人、3人と重なるところは、小さな振動板にはきついんでしょう。

ルミナーレ
アウラ
toera classics
2017-06-25



 いわゆる「カッシーニのアヴェ・マリア」と呼ばれるこの曲は、実際はソ連の作曲家 Vladimir Vavilov の作品で、ただ「アヴェ・マリア」を繰り返すだけですけど、アウラのこのヴァージョンでは歌詞を加えていて、そこがまた良い。オーディオ・テスト用だけではなく、演唱としてすばらしいので、ヘッドフォン・マニアの方は持っていて損は無い曲でしょう。

 というわけで、今日の本番ではこれを使って PHAntasy の代わりに真空管ハーモナイザーを経由して店のPAにつないでみようと思ってます。問題は音量調節なんですが、それは現場で担当の方と相談。(ゆ)

 レーザーターンテーブルのキモの一つは、レコードの溝の中で、針が接触していない、上の部分をトレースすることでしょう。

 レコード盤の音溝は幅が51〜58ミクロンで、45度の角度で表面から直線に下がり、底は90度で交わってます。針はこの斜面の中央からやや下の部分に接触する。針の先端の脇が両側の斜面に10ミクロンの幅で触れる。より正確には、この幅で盤を削るわけです。したがって溝の一番底と上の方3分の1ほどは「すり切れる」ほど聴いたレコード盤でも無傷に近い。レーザーターンテーブルはその上の方、縁から10ミクロン下がった左右の斜面にレーザーを照射する。レーザーの幅は書いてませんが、1ミクロンぐらいらしい。

音溝断面図

 レーザーターンテーブルの資料を読んでいたら、最初に売れたのがカナダの国立図書館だったそうです。まだ開発途中で再生できるレコードの割合が一割にも満たなかった頃だったが、先方からは未完成でもいいからとにかく持ってこいと言われて、社長の千葉三樹氏とエンジニアが現物を持って行った。そこでこれを再生してくれと渡されたのが1919年録音のレコード。カナダ独立の時の国会議長のスピーチ、まあ独立宣言ですな、それが録音されたもの。もちろんSP盤で、さんざん再生されたんでしょう、通常のプレーヤーではもう聴けない。SP盤は今でこそ専用針がありますが、昔は竹や鉄の針でがりがりやってたわけです。今生きている人はその録音を誰も聞いたことがない。で、これが再生できた。その瞬間のカナダの人たちの歓びようはそれはそれは大変なもので、レーザーターンテーブルを製品化した千葉氏もその歓喜の様にその後ずっと背中を押され続けたと言うほど。

 こういうレコード盤でも再生できるのは、レコード盤の溝のうちの削られていない部分をトレースするからというのは素人でもわかります。

 レーザーターンテーブルはLPだけでなく、SP盤も再生できます。試聴の時、あたしも美空ひばりのSP盤(そういうものがあるのです)を聴かせていただきましたが、すんばらしい音、そしてすんばらしい唄でした。

 SP盤はLPに比べるとダイナミック・レンジはひどく狭いですが、人間の声の録音・再生にはLPでもかなわないところがあります。SPからLPに切り替わったのは、まず収録時間が圧倒的に長いためです。LPとは Long Player の略です。SPは片面せいぜい3分半。LPはムリすれば30分まで詰めこめます。それとSPは盤面に直接録音するので一発録り。失敗したら全部やり直しになる。LPはテープに電気的に録音したものから作れるのも大きい。

 ちなみにLPからCDに切り替わったのもまず収録時間の長いこと。CDの収録時間はカラヤン指揮ベルリン・フィルのベートーヴェンの第九が収まる長さに決められたというのは有名ですが、レコード盤を引っくり返す必要がなくなった。だから、真先にCD化が進行したのはクラシックでした。もう一つの理由、実はこちらの方が重要という話もありますが、輸送と貯蔵つまり流通が圧倒的に楽なこと。同じ重さなら、CDの方が遙かにたくさんの枚数が運べて貯蔵できますし、割れにくい。温度変化にも強い。ということはコストが低い。

 というのは余談ですが、あたしが試聴させてもらったアイリッシュのLPも、カナダ独立宣言のレコードほどではないにしても、溝の状態は良いとは言えません。何回再生したかはもうわかりませんし、かつてはカネもないから、再生システムも安物です。あたしのまともなオーディオの最初のものはヤマハのアナログ・プレーヤーで、針はたぶんナガオカの当時数千円のものだったはず。がりがり削るとまではいかなくても、似たような状態で聴いていたわけです。それでも感動してどんどん深みにはまっていったのは、音楽自体の魅力ではあります。

 そういう盤でもプレス直後の音で聴けるのがレーザーターンテーブルというわけです。だからアナログの音というだけでなく、アナログの音の一番新鮮なところを聴ける。しかも、レーザーはレコード盤そのものには影響を与えない。そりゃ、数万、数十万回照射すれば影響はあるでしょうがね。針に比べれば、無視していいほどの影響です。なので、何回再生しても、針のように音がだんだん悪くなってゆく心配はない。

 このことはもう一つ、あたしにとってありがたいことでもあります。つまり、アナログの音に感動して、家でいくら聴いても、レーザーターンテーブルによる再生には影響を与えないわけです。なにせ、読み取る場所が違うんだから。

 え、家でもレーザーターンテーブルで聴きゃいいじゃないか、って。そりゃ、カネがあればね。アイリッシュ・ミュージックはココロはそれは豊かにしてくれるし、人生全体もとんでもなく楽しいものにしてくれますが、アイリッシュ・ミュージックで金持ちになったという話は聞いたことがありません。まあ、一人だけ、いないこともないけど、あれは例外。(ゆ)

 ニール・ヤング、えらい!

 正直、危惧していたところもあったんです。かれがやっているのははっきり言って爆音で、なん十年もあんな音でやっていたら耳がいかれてもおかしくはない。実際、補聴器のお世話になっているロック・ミュージシャンも少なくないと聞きます。

 しかし、これを聞くかぎり、ニールの耳はまっとうです。やっぱり、ちゃんと気をつけて、十分休めたり、メンテをしたりしていたんでしょう。アコースティックのセットを入れるのも、そういう要素もあるのかもしれません。

Pono display横
 

 ぼくがこれに飛びついたのは、ニールのファンであることや新しもの好きは別としても、これがミュージシャンが企画し、音決めの中心になっているという点で、ひじょうに稀な、ひょっとすると史上初めてのオーディオ装置だ、ということがありました。音楽もやるエンジニアが造ったものやミュージシャンが協力したものはあったでしょうが、ミュージシャン自身がゼロから企画して製品化したプレーヤーは、少なくともコンシューマ・レベルではほとんどないんじゃないか。

 一番近いものとしては、ヘッドフォンにおける Beats でしょう。ミュージシャン自身が、わたしの、おれの音楽はこれで聴いてくれ、というツール。

 まだ使いだして数時間ですが、当面メインのリスニング環境になるでしょう。音が良いとか、音質の良し悪しということよりも、聴いていてとにかく気持ちがいい。どんどん音楽を聴きたくなります。ぼくにはこれがどんなものよりも確実な基準なのです。

 試聴して、凄い音だなあ、と感心はしても、ずっと聴きつづけたいとは思わない音を聴かせる装置は少なくありません。というよりも、そういうハードの方が多い。こりゃすげえ、と一目惚れして買いこんでも、しばらくは夢中になっているが、いつの間にか使う頻度が減っている、という体験を何度もしています。

 別の言い方をすると、PonoPlayer はとても「楽な音」を聴かせてくれます。録音されている音が、ひとつ残らず、しかも無理なく、耳に入ってきます。気を張って、さあ聴くぞ、と神経を集中させるなんてことをしなくても、音楽の各要素が、それぞれ適切なバランスで、ありありと立体的に聞こえてきます。そして、全体として、音楽を聴くことがとても楽しい。快感です。ほんのちょっとしたデターユに、背筋に戦慄が走ります。今は試しとして、聞き慣れた曲を聴いているわけですが、さんざんいろいろなハードで聴いた曲で、ああ、ここでこの楽器がこんなことをやっていたのか、とあらためて教えられます。それも、さあどうだ、こいつを聴けえ、という押しつけがましさは皆無。さりげなく、ごくあたりまえのこととして、さらりと奏でられる。発見しながら、あっと驚くのではなく、するりと納得してしまっています。

 そういう意味では音が変わることを喜ぶオーディオ・ファンにはあまりお好みではないでしょう。音よりも音楽を聴きたい、それもなるべく良い音で聴きたいリスナーが適当なDAPを探しているのなら、第一候補になると思います。

 192/24までのサポートというのも、スペックを良くすることよりも、ミュージシャンが聴かせたい音楽を聴いてもらうにはこれが必要ということなのでしょう。

 本体のメモリにはニール・ヤングの《ハーヴェスト》のタイトル曲が入っています。これはハープも含めたフルオケをバックにニールがうたう形ですが、こんな曲だったのか、とこれには驚きました。このうたのバックとしてフルオケがふさわしいと判断したその意味がようやくわかりました。それはおまえが鈍感だからだと言われればその通りですが、そういう鈍感なぼくでも否が応なくわかってしまうくらい、この音には説得力があります。

 ならばCDレベルやMP3では全然話にならないのかといえば、むろんそんなことはありません。それまでダメだった音が192/24になったとたん、いきなり良い音になるなんてことはありえません。どんなタイプのファイルでも、気持ちよく、楽に、デターユに満ち、生き生きとした音楽を楽しめます。ただ、レゾリューションが上がれば、デターユを描く精度が上がり、立体感がより鮮明になり、音に込められたエネルギーがより大きくなります。

 イヤフォンは音茶楽の Flat-4 粋、FitEar、ヘッドフォンは Yuin G1a です。ちょっと心配していた、敏感なイヤフォンでのノイズもありません。

 対応インピーダンスは見当りませんが、Yuin G1a はインピーダンスが150オームで、まったく問題ありません。Pono のフォーラムではベイヤーの DT990 Pro で Momentum を圧倒する音が聴けたという報告があります。これは250オームです。Oppo PM1 を試した人もいました。音質の好みはともかく、ドライブには直刺しで問題なかったようです。

 タッチパネルの反応は上々で、これまでのDAPで最もきびきびした動きです。敏感すぎることもありません。

 断面が二等辺直角三角形になる角柱は案外手になじみます。また、テーブルなどに置いた場合も安定し、かつ、ぺたっと寝た形よりも場所をとらない気もします。

 重さははじめ見かけよりも軽く感じますが、持っていると適度な重みがあります。

 メモリは内蔵が64GB。マイクロSDカードは128GBまでサポート。Grateful Dead 限定版には64GBのカードが付属し、これに《WORKINGMAN'S DEAD》全曲と《TERRAPIN STAITON SUITE》というタイトルで6曲入ったアルバムが収録されています。ともに192/24のflacファイルです。上記のニール・ヤングの〈ハーヴェスト〉は内蔵メモリに入っています。

Pono display 縦
 

 バッテリーは4時間でフル充電、とマニュアルにあります。持続時間は書いてありません。まだわかりませんが、かなり長そうです。スリープ状態では1週間保つそうです。

 ファイル・タイプとしては主なところはOKです。cue sheet はわからないので、質問を投げています。


 それにしても、シングルエンドでこの音とすると、バランス化したらどうなるのか。実に楽しみになってきました。(ゆ)

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