クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

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 いやもうすばらしくて、ぜひとももう一度見たいと思った。演る方も愉しいのだろう、どうやら続くようで、実に嬉しい。

 デュオを組んだきっかけは、昨年秋の時の話とはちょっと違っていて、新倉さんが名古屋、渡辺さんが岐阜でライヴをやっていて、新倉さんが渡辺さんのライヴを見に行こうとしたら会場のマスターがどうせなら楽器を持ってきたらと誘ったのだという。とまれ、このデュオが生まれたのは、音楽の神様が引合せたのだろう。

 今回、お二人も言うように、チェロと打楽器の組合せはまずこれまで無かったし、他にも無いだろう。この場合、楽器の相性よりも、本人たちがおたがい一緒に演りたい相手と思ったところから出発しているにちがいない。むろん、チェロと打楽器のための曲などあるはずもなく、レパートリィから作る必要がある。というのは、何をしようと自由であるとも言える。試行錯誤は当然にしても、それ自体がまた愉しいと推察する。

 この日はバッハやグリーグ、クレズマー、北欧の伝統曲、それに二人のオリジナルという構成で、完璧とは言えなくても、ほぼどれも成功していた。あるいはお二人の技倆とセンスと有機的つながり、それにそう、ホールの魔術が作用して成功させていたというべきか。

 開演前、渡辺さんが出てきてハマー・ダルシマーのチューニングをする。後でこれについての説明もしていたこの楽器が今回大活躍。ステージ狭しと広げられた各種打楽器の中で、使用頻度が一番高かったのではないか。旋律打楽器としてはむしろ小型で、ビブラフォンなどよりは扱いやすいかもしれない。チューニングは厄介だが。

 オープニングは二人が客席後方から両側の通路を入ってきた。各々手でささえた鉢のようなものを短い棒で叩いている。金属製の音がする。ステージに上がって台の上に置き、ナベさんがしばしソロ。見ていると鉢のように上が開いているわけではなく、鼓のように何か張ってあるらしい。それを指先で叩く。これも金属の音がする。なかなか繊細な響きだ。

 と、やおら新倉さんが弓をとりあげ、バッハの無伴奏組曲第一番のプレリュードを始める。ここは前回と同じ。

 このホールの響きのよさがここで出る。新倉さんもハクジュ・マジックと繰り返していたが、楽器はノーPAなのに、実に豊かに、時に朗々と鳴る。この会場には何度も来ているが、ホールの響きがこれほど良いと聞えるのは初めてだ。チェロはことさらこのホールに合っているらしい。それはよく歌う。いつもはあまり響かない最低域もよく響く。サイド・ドラムのような大きな音にもまったく負けない。

 しばしチェロの独奏が続いて、ナベさんが静かに入ってくる。はじめは伴奏の雰囲気がだんだん拮抗し、次のサラバンドの後、今度は打楽器の独奏になる。この響きがまたいい。大きくなりすぎないのは、叩き方によるだけでもないようだ。残響を含めてホールの響きに自然にそうなるようにも見える。

 サイド・ドラムでマーチ風のビートを叩きはじめるとチェロがジーグを始める。これが良かった。ちゃんと踊っているのだ。先日聴いたアイルランドのチェリスト Ailbhe McDonagh の録音もそうだが、ダンス・チューンになっている。この組曲の各パートはダンス曲の名前になっているんだから、元々はダンス・チューンのはずである。バッハの曲はそうじゃないという確固たる根拠があるのか。作曲者はチェロの独奏を前提にしているが、打楽器が加わることでダンス・チューンになるのなら、どんどん入るべし。この曲全体をこのデュオで録音してほしい。それとは別に新倉さんのソロでも聴きたいものではあるが。

 新倉さんはクラシックだけでなく、東欧の伝統音楽も好きだそうで、そこでクレズマー。これもいい。チェロでクレズマーというのは初めて聴いたが、ハマー・ダルシマーとの組合せもハマっていて、もっと聴きたい。二人で口三味線するのもいい。これがまずハイライト。

 次のグリーグ〈ソルヴェイグの唄〉からスウェーデンのポルスカへのつなぎも自然。ポルスカをチェロで弾くのはたいへんそうだが、楽しそうでもある。ハマー・ダルシマーの共鳴弦がそれは美しく響く。この曲でのチェロの響きが今回のベスト。こうなると、この会場で酒井絵美さんのハーダンガー・フィドルを聴いてみたいものだ。

 新倉さんはいろいろな楽器に興味があるそうで、京都の楽器屋で見かけた口琴を買ってしまったり、カザフスタンの撥弦楽器を持ちこんだりしている。口琴は結局ナベさんが担当し、チェロと合わせる。口琴もカザフの楽器も音がひどく小さいが、このホールではしっかり聞えるのが、まさに魔法に思える。

 撥弦楽器を爪弾くのにハマー・ダルシマー、それにガダムだろうか、これまた音の小さな壺型の打楽器と声を合わせたのがまたハイライト。新倉さんのオリジナルでなかなかの佳曲。

 ラストは前回もやったナベさんのオリジナルの面白い曲。中間部でふくらむチェロの響きに陶然となる。アンコールはイタリアのチェロ奏者の曲で、さすがにチェロのための曲で楽器をいっぱいに使う。

 今回はこのホールが続けているリクライニング・コンサートで、座席を一列置きに空けていて、シートを後ろに倒せる。もともとそういう仕掛けにしてある。とはいえ、ゆっくりもたれてのんびり聞くというには、かなりトンガったところもあって、身を乗出して耳を開いて聴く姿勢になる。

 いやしかし、このデュオはいい。ぜひぜひ録音も出してほしい。

 それにしてもハマー・ダルシマーの採用はナベさんにとってはターニング・ポイントになるのではないかという気もする。このデュオ以外でも使うだろう。これからどう発展してゆくかも楽しみだ。

 この日は昼と夜の2回公演があって、どちらにするか迷ったが、年寄りはやはり明るいうちに帰りたいと昼間を選んだ。このところ真冬に逆戻りしていたが、またエネルギーをいただいて、ほくほくと帰る。ありがたや、ありがたや。次は6月だ。(ゆ)

 今年のサマソニのメインの出演者発表、と DM が来る。海外から招聘する22のアクトだそうだ。これまではまったく関心が湧かなかった。そんなものを聴くのに手間暇かけられるか、という反応がせいぜいだった。ところが、今はストリーミングというものがある。簡単に全部聴けてしまう。となると聴きたくなるのが人情というもの。

 え、違う?

 いや、あたしは聴きたくなってしまうのである。とにかく、名前も聞いたことのない人たちである。今売れっ子のはずである。そういう人たちはどんな音楽をやっているのか。来年はいないかもしれないではないか。いなくならないまでも、忘れられている可能性も小さくはなかろう。ここで聴かなければ、いつ聴く。

 というわけで、この22のアクトの、Tidal や Apple Music で一番上に出てきたトラックを聴いてみた。こういうところでトップに出てくるのは、再生回数が一番多い、つまり今一番人気ということだろう。ほとんどは3分前後、長くて5分、一つだけ7分半があったが、ヒットするには長くてはいけないというのは、この百年、変わっていないらしい。

 タイの Bright だけ、Tidal に無かったのは、英語で歌っていないからだろうか。Apple Music では曲名もタイ語表記で、そのままではまるでわからん。

 22の中で面白いと思ったのが2つ。Olivia Dean と Jon Batiste。ディーンは英国、バティストがアメリカ。この2人だけは、やりたい音楽をやっている。他は全部、売りたい音楽をやっている。後者は音楽である前に商品だ。

 もっともどれも商品としては一級である。売るためにカネをかけている。いろいろ工夫もしている。どれもヴォーカルがくっきりしっかり中央前面に据えられていて、インストルメンタルに埋もれることはまったく無い。聴かせたい焦点が明瞭だ。聴いていて不快にはならない。カネをやるからもう一度全部聴けと言われたら、聴いてもいいと思える。カネをもらっても二度と聴きたくないというものも、世の中にはごまんとある。

 工夫の中でおっと思ったのは AJR の〈World’s Smallest Violin〉。短かいフレーズを繰返しながら、ヴァイオリンの音から始めてシームレスにどんどんといろいろな音に変えてゆく。テクノロジーを使うのに想像力を働かせている。ただ、それが売れるための工夫におわり、そこから新しいものが生まれてはいない。あるいは他にもっと展開しているのかもしれないが、そこまで追いかける気にはなれない。

 全体の傾向として、アメリカのアーティストはそれぞれどこか際立って他と違うところがある。他人とは違うことをやろうとしていると見える。あるいは自然に否応なくやってしまう。UK のミュージシャンたちは他人と似ることを気にしない。同じようになるのを避けようとしない。Underworld は他と違うことをやっているようだが、7分半の曲を聴いているうちに気がつくと寝ていた。

 UK の今のジャズはどれもこれもユニークで実に面白いのに、ポップスやロックはどれもこれも似たようなものになるのも、別の意味で面白い。やはりジャズはやりたい音楽なのだ。

 米英以外の、イタリア、ノルウェイ、アイスランド、南アフリカとタイのミュージシャンは、言語も含めてそれぞれのローカルな要素は皆無と言っていい。タイだけはタイ語で歌っているところがローカルだが、それ以外はメロディもアレンジも演奏もすべてアメリカン・スタンダード。近所の中華料理屋の BGM でよくかかっている中国語以外はまったくアメリカのポップスというものと同じ。

 22曲、1時間20分。時にはこういうことをやってみるのも無駄ではない。結論としては、Olivia Dean と Jon Batiste 以外は聴かなくてもいいということだが、それが確認できたのは収獲。とにかく聴いてみないことにはわからんのだから。そりゃ、そういうものだろうという推測はつくが、推測だけで切りすてるのはゴーマンであろう。それにこの2人のような発見もある。

 もう一つ、Yoasobi や Ado のようなものばかりが世界で売れているわけではないこともわかった。その点ではヒット狙いのものは昔からあまり変わっていないようでもある。20世紀末からヒット曲がどれもこれも似たようなものになり、多様性が減ったという調査結果をシカゴ大学が出していたと記憶する。米英以外の地域、文化から出てくるものが、アメリカのヒット曲そっくりというのも、その傾向の現れだろう。

 K-pop は少し違って、音楽とは別の、より土台に近いところのローカル性が現れていると見える。和魂洋才ならぬ韓魂洋才と言ってみるか。とすると、ここに出てくる米英以外の地域出身者たちは、魂までアメリカに売っている。こういう音楽をやるのに、各々の地域でやる必要も必然も無いだろう、とあたしなどには見える。どの地域にも立派に世界に通用するローカル音楽があるのに、と思ってしまうのは、また逆の偏見だろうか。(ゆ)

 松浦湊というシンガー・ソング・ライターを知ったのは昨年秋、かものはしこと川村恭子からザ・ナスポンズというバンドの3曲入りCDシングル《ナスの缶詰め, Ver.1》を買ったことによる。



 これがなんともすばらしかった。楽曲、演奏、録音三拍子揃った傑作。そのヴォーカルと曲の面白さにノックアウトされてしまった。

 まずは歌詞が抜群に面白い。日本語の歌詞でこういう言葉遊びをしているのは初めてお目にかかる気がする。ダジャレと思えたものが、そこから意味をずらしてまるで別のところへ向かうきっかけになる。まったく脈絡のなさそうなもの、ことにつながってゆく。その先に現れる風光がなんとも新鮮でスリリングで、そしてグリムダークでもあり、シュールレアリスムと呼びたくなる。どんぴしゃのメロディがその歌詞の面白さを増幅する。ちなみにタイトルが Vol. 1 ではなく、Ver. 1 であるのも遊びの一つに見えてくる。

 歌唱がいい。発音が明瞭で、声域も広く、様々なスタイルを歌いわけられる。コントロールがきいている。ホンモノの、一級の歌うたいだ。

 バンド全体のアレンジと演奏も、この面子で悪いものができようはずもないが、ヒロインに引張られ、またヒロインを盛りたてて、このバンドを心から愉しんでいるのがよくわかる。

 録音も見事で、ヴォーカルをきちんと前面に立て、器楽の音に埋もれるようなことはまったく無い。わが国のポピュラー音楽ではヴォーカルが引込んで、ともすれば伴奏やバックに埋もれて、何を聴かせたいのか、わからなくなる形にすることがなぜかデフォルトらしい。先日も、まだ聴いたことがないのかと友人に呆れられたので、Ado の新曲を Apple Music で聴いてみたが、やはりヴォーカルが周囲に埋もれているし、声にファズだろうか、妙なエフェクトがかれられていて、あたしの耳には歌詞がまったく聴きとれなかった(米津玄師の〈Kick Back〉はアメリカでもヒットしたそうだが、ヴォーカルがちゃんと前面に出ているのも要因だろう)。松浦の録音ではそういう心配はまるでない。その点では英語圏の歌の録音やミックスと同じだ。

 この3曲入りのシングルはまさにヘビロテとなった。毎日一度は聴く。持っているヘッドフォンやイヤフォンを取替え引替えして聴く。どれで聴いても面白い。聴けば、心はハレバレ。ラストの〈サバの味噌煮〉ではヴォーカルが聞えてくるといつも笑ってしまう。この曲での松浦の歌唱は、どこかの三流宮廷の夜会でサバの味噌煮のプレゼンをする貴婦人という役柄。つくづく名曲だ。

 さらに、本人のサイトを眺めているうちに、ソロの《レモンチマン》が出ていることに気づいて買った。こちらはバックが東京ローカルホンクだ。あのバンドのリード・シンガーが松浦に交替した形である。これもたちまちヘビロテとなった。《ナスの缶詰め, Ver.1》と交互に聴く。



 当然のことながら生を見たくなる。一番近いザ・ナスポンズのライヴをかものはしに聞いて予約した。ところが、その前々日に熱が出て、前日に COVID-19 陽性判定が出てしまった。その次が今回のソロ、松浦湊ワン・ヒューマン・ライヴである。このヴェニューで定期的に続いていて、今回が第19回の由。まずソロを見られたのは結果として良かった。ミュージシャンのより本質に近い姿が見聞できたからだ。そしてそれは予想した以上に「狂気」が現れたものだった。

 音楽は多かれ少なかれ「狂気」の産物である。それに触れ、共鳴したくて音楽を聴いている。言い方を変えれば、「狂気」の無いものは音楽として聞えない。つまりまったくの業務として演奏したり、作られたりしたものは商品ではあっても音楽では無い。

 現れる「狂気」の濃淡、深浅はそれぞれだが、録音よりもライヴでより強く現れる傾向はある。アイリッシュなどのケルト系のアクトでは比較的薄いことが多いが、表面おだやかで、坦々とした演奏の底にぬらぬらと流れているのが感じられて、ヒヤリとすることもある。このヒヤリを味わいたくて、ライヴに通うわけだ。

 加えてバンドよりもソロの方が、「狂気」がより現れやすい傾向もある。この「ワン・ヒューマン・ライヴ」はすでに回も重ね、勝手知ったるハコ、お客さんも馴染みが多く、あたしのような初体験はどうも他にはいないような具合で、演る方としてもより地が出やすい、と思われた。

 まず声の強さは生で聴く方がより実感する。マイクを通しているが、ノーPAでも十分ではないかと思われるくらいよく通る。駆使する声の種類もより多い。〈かも〉ではカモの鳴き声を模写するが、複数の鳴き声をなきわける。もっとも本人曰く、カラスの声も混じったらしい。個人的にこのところカラスと格闘しているのだそうだ。ゴミを狙われているのか。

 ソロを生で見てようやくわかったのがギターの上手さ。5本の指によるフィンガー・ピッキングで、その気になればこれだけで食えるだろう。《レモンチマン》のギターの一部は本人だったわけだ。テクだけでなく、センスもいい。「いーぐる」の後藤さんではないが、音楽のセンスの無いやつはどうにもならないので、名の通った中にも無い人はいる。そしてセンスというのは日頃の蓄積がものを言うので、即席では身につかない。松浦は未就学児の頃、たまや高田渡で歌い踊っていたというから、センスのよさには先天的な要素も作用しているはずだ。

 もう一つ面白かったのが、MC はだらけきっているのに、いざ演奏を始めると別人になるその切替。MC はゆるゆるだが、不愉快ではない。こっちも一緒にだらけましょうという気分にさせられる。この文章もつられてだらだらになっている。それがまるで何の合図もきっかけもなく、不意に曲が始まる。場の空気がぱっと変わって歌の世界になる。ぴーんと張りつめている。聴くほうもごく自然に張りつめている。終るとまただらんとする。

 歌も上手いが、上手いと感じさせない。つまり歌そのものよりも歌が上手いことが先にたつことがない。聴かせたいのは歌の上手さではなく、歌そのものだ。それでも上手いなあと思ったのは3曲目の〈誤嚥〉。歌のテーマは時代に即している。というより、これからますますヴィヴィッドになるだろう。

 グレイトフル・デッドのショウに傾向が似ていて、前半はどちらかというと助走の趣、休憩をはさんだ後半にエンジンがかかる。先述の〈かも〉から始めて、〈おやすみ〉〈マーガレット〉〈あさりでも動いている〉とスローな曲が3曲続いたのがまずハイライト。〈あさり〉は《ナスの缶詰め, Ver.1》冒頭の曲でもあるが、実に新鮮に聞える。その前2曲はいずれも名曲。このあたり、ぜひソロの弾き語りの録音を出してほしい。

 亡霊の歌をはさんで、その後、ラストの〈サバ〉までがまたハイライト。ここで「狂気」が最も色濃くなる。〈平明のうた〉?では複数の登場人物を歌いわける。その次の〈ラビリンス〉が凄い。こういう曲のならびは意図していたことではないけれどと言いながら、その流れに乗ってやった〈喫茶店〉がまた面白い。

 なにかリクエストありますかと言っておいて、上がったものに次々にダメ出しして、結局〈サバ〉におちつく。いやあ、やはり名曲だのう。

 アンコールの〈コパン〉がまた佳曲。弾き語りをやると決めて初めて作った曲だそうだ。神楽坂のシュークリームが名物のカフェと関係があるのか。

 7時半オンタイムで始め、終演は10時近い。堪能したが、しかし、これで全部ではあるまい。まだまだ出していないところ、出ていない相があるはずだ。それもまた感じられる。持ち歌もこの何倍もありそうだ。ここでの次回は5月5日、昼間。デッドもよく昼間のショウをしている。午後2時開演というのがよくある。たいていは屋外だ。そう、松浦はどうだろう。屋外の広いところでもソロで見てみたい。どこかのフェスにでも行かねばなるまいが。

 初夏の後の真冬の雨で、入る前はおそろしく寒かったが、出てきた時はいい音楽のおかげかゆるんでいる。(ゆ)


2024-03-01訂正
 うっかり「バック・バンド」と書いたところ、メンバーから抗議をいただいたので、お詫びして訂正いたします。確かにジェファーソン・エアプレインはグレイス・スリックのバック・バンドではないし、プリテンダーズはクリシー・ハインドのバック・バンドではありませぬ。ザ・ナスポンズの松浦湊はスリックやハインドに匹敵するとあたしは思う。ソロの時は、歌唱といい、ギターといい、ジョニ・ミッチェルやね。

 パンデミックをはさんで久しぶりに見るセツメロゥズは一回り器が大きくなっていた。個々のメンバーの器がまず大きくなっている。この日も対バンの相手のイースタン・ブルームのステージにセツメロゥズのメンバーが参加した、その演奏がたまらない。イースタン・ブルームは歌中心のユニットで、セツメロゥズのメインのレパートリィであるダンス・チューンとは違う演奏が求められるわけだが、沼下さんも田中さんも実にぴったりの演奏を合わせる。この日は全体のスペシャル・ゲストとして高梨菖子さんもいて、同様に参加する。高梨さんがこうした曲に合わせるのはこれまでにも見聞していて、その実力はわかっているが、沼下さんも田中さんもレベルは変わらない。こういうアレンジは誰がしているのかと後で訊ねると、誰がというわけでもなく、なんとなくみんなで、と言われて絶句した。そんな簡単にできるものなのか。いやいや、そんな簡単にできるはずはない。皆さん、それぞれに精進しているのだ。

 もう一つ後で思いついたのは、熊谷さんの存在だ。セツメロゥズは元々他の3人が熊谷さんとやりたいと思って始まったと聞くが、その一緒にやったら面白いだろうなというところが効いているのではないか。

 つまり熊谷さんは異質なのだ。セツメロゥズに参加するまでケルト系の音楽をやったことが無い。多少聞いてはいたかもしれないが、演奏に加わってはいない。今でもセツメロゥズ以外のメインはジャズやロックや(良い意味での)ナンジャモンジャだ。そこがうまい具合に刺激になっている。異質ではあるが、柔軟性がある。音楽の上で貪欲でもある。新しいこと、やったことのないことをやるのが好きである。

 そういう存在と一緒にやれば、顕在的にも潜在的にも、刺戟される。3人が熊谷さんとやりたいと思ったのも、意識的にも無意識的にもそういう刺戟を求めてのことではないか。

 その効果はこれまでにもいろいろな形で顕れてきたけれども、それが最も面白い形で出たのが、セツメロゥズが参加したイースタン・ブルーム最後の曲。この形での録音も計画されているということで、今から実に楽しみになる。

 そもそもこのセツメロ FES ということからして新しい。形としては対バンだが、よくある対バンに収まらない。むしろ対バンとしての形を崩して、フェスとうたうことで見方を変える試みとあたしは見た。そこに大きくひと役かっていたのが、木村林太郎さん。まず DJ として、開演前、幕間の音楽を担当して流していたのが、実に面白い。いわゆるケルティック・ミュージックではない。選曲で意表を突くのが DJ の DJ たるところとすれば、初体験といいながら、立派なものではないか。MC でこの選曲は木村さんがアイルランドに留学していた時、現地で流行っていたものという。アイルランドとて伝統音楽がそこらじゅうで鳴っているわけではないのはもちろんだ。伝統音楽はヒット曲とは別の世界。いうなれば、クラシックやジャズといったジャンルと同等だ。そして、伝統音楽のミュージシャンたちも、こういうヒット曲を聴いていたのだ。そう見ると、この選曲、なかなか深いものがある。金髪の鬘とサングラスといういでたちで、外見もかなりのものである。これは本人のイニシアティヴによるもので、熊谷さんは DJ をやってくれと頼んだだけなのだそうだ。

 と思っていたら、幕間にとんでもないものが待っていた。熊谷さんのパーカッションをサポートに、得意のハープをとりだして演りだしたのが、これまたわが国の昔の流行歌。J-POP ではない、まだ歌謡曲の頃の、である。原曲をご存知ない若い方の中にはぽかんとされていた人もいたけれど、知っている人間はもう腹をかかえて笑ってしまった。アナログ時代には流行歌というのは、いやがおうでもどこかで耳に入ってきてしまったのである。デジタルになって、社会全体に流行するヒット曲は出なくなった。いわゆる「蛸壺化現象」だ。

 いやしかし、木村さんがこんな芸人とは知らなんだ。ここはぜひ、適切な芸名のもとにデビューしていただきたい。後援会には喜んではせ参じよう。

 これはやはり関西のノリである。東京のシーンはどうしても皆さんマジメで、あたしとしてはもう少しくだけてもいいんじゃないかと常々思っていた。これまでこんなことをライヴの、ステージの一環として見たことはなかった。木村さんにこれをやらせたのは大成功だ。これで今回の企画はめでたくフェスに昇格したのだ。

 しかし、今回、一番に驚いたのはイースタン・ブルームである。那須をベースに活動しているご夫婦だそうで、すでに5枚もアルバムがあるのに、あたしはまったくの初耳だった。このイベントに行ったのも、ひとえにセツメロゥズを聴きたいがためで、正直、共演者が誰だか、まったく意識に登らなかった。セツメロゥズが対バンに選ぶくらいなのだから悪いはずはない、と思いこんでいた。地方にはこうしたローカルでしか知られていないが、とんでもなく質の高い音楽をやっている人たちが、まだまだいるのだろう。そう、アイルランドのように。

 小島美紀さんのヴォーカルを崇さんがブズーキ、ギターで支える形。まずこのブズーキが異様だった。つまり、ドーナル・ラニィ型でもアレック・フィン型でも無い。赤澤さんとも違う。ペンタングル系のギターの応用かとも思うが、それだけでもなさそうだ。あるいはむしろアレ・メッレルだろうか。それに音も小さい。聴衆に向かってよりも、美紀さんに、共演者たちに向かって弾いている感じでもある。

 そしてその美紀さんの歌。この声、この歌唱力、第一級のシンガーではないか。こんな人が那須にいようとは。もっとも那須が故郷というわけではなく、出身は岡山だそうだが、ともあれ、この歌はもっと広く聴かれていい。聴かれるべきだ、とさえ思う。すると、いやいや、これはあたしだけの宝物として、大事にしまっておこうぜという声がささやいてくる。

 いきなり "The snow it melt the soonest, when the winds begin to sing" と歌いだす。え、ちょっ、なに、それ。まさかここでこんな歌を生で聴こうとは。

 そしてイースタン・ブルームとしてのステージの締めくくりが〈Ten Thousand Miles〉ときた。これには上述のようにセツメロゥズがフルバンドで参加し、すばらしいアレンジでサポートする。名曲は名演を引き出すものだが、これはまた最高だ。

 この二つを聴いていた時のあたしの状態は余人には到底わかるまい。たとえて言えば、片想いに終った初恋の相手が大人になっていきなり目の前に現れ、にっこり微笑みかけてきたようなものだ。レコードでは散々いろいろな人が歌うのを聴いている。名唱名演も少なくない。しかし、人間のなまの声で歌われるのを聴くのはまったく別の体験なのだ。しかも、第一級の歌唱で。

 この二つの間に歌われるのはお二人のオリジナルだ。初めの2曲は2人だけ。2曲目の〈月華〉がいい。そして沼下さんと熊谷さんが加わっての3曲目〈The Dream of a Puppet〉がまずハイライト。〈ハミングバード〉と聞えた5曲目で高くスキャットしてゆく声が異常なまでに効く。高梨さんの加わった2曲はさすがに聴かせる。

 美紀さんのヴォーカルはアンコールでもう一度聴けた。1曲目の〈シューラ・ルゥ〉はこの曲のいつもの調子とがらりと変わった軽快なアップ・テンポ。おお、こういうのもいいじゃないか。そして最後は別れの歌〈Parting Glass〉。歌とギターだけでゆっくりと始め、これにパーカッション、ロウ・ホイッスル、もう1本のブズーキ、フィドルとアコーディオンと段々と加わる。

 昨年のみわトシ鉄心のライヴは、やはり一級の歌をたっぷりと聴けた点で、あたしとしては画期的な体験だった。今回はそれに続く体験だ。どちらもこれから何度も体験できそうなのもありがたい。関西より那須は近いか。この声を聴くためなら那須は近い。近いぞ。

 念のために書き添えておけば、shezoo さんが一緒にやっている人たちにも第一級のシンガーは多々いるが、そういう人たちとはまた別なのだ。ルーツ系の、伝統音楽やそれに連なる音楽とは、同じシンガーでも歌う姿勢が変わってくる。

 後攻のセツメロゥズも負けてはいない。今回のテーマは「遊び」である。まあ、皆さん、よく遊ぶ。高梨さんが入るとさらに遊ぶ。ユニゾンからするりと外れてハーモニーやカウンターをかまし、さらには一見いや一聴、まるで関係ないフレーズになる。こうなるとユニゾンすらハモっているように聞える。最高だったのは7曲目、熊谷さんのパーカッション・ソロからの曲。アフリカあたりにありそうなコトバの口三味線ならぬ口パーカッションも飛び出し、それはそれは愉しい。そこからリールになってもパーカッションが遊びまくる。それに押し上げられて、最後の曲が名曲名演。その次の変拍子の曲〈ソーホー〉もテンションが変わらない。パンデミックは音楽活動にとってはマイナスの部分が大きかったはずだが、これを見て聴いていると、まさに禍福はあざなえる縄のごとし、禍があるからこそ福来たるのだと思い知らされる。

 もう一つあたしとして嬉しかったのは、シェトランドの曲が登場したことだ。沼下さんが好きなのだという。そもそもはクリス・スタウトをどこの人とも知らずに聴いて惚れこみ、そこからシェトランドにはまったのだそうだ。とりわけラストのシェトランドのウェディング・マーチはいい曲だ。シェトランドはもともとはノルウェイの支配下にあったわけで、ウェディング・マーチの伝統もノルウェイからだろう。

 沼下さんは自分がシェトランドやスコットランドが好きだということを最近自覚したそうだ。ダンカン・チザムとかぜひやってほしい。こういう広がりが音楽の深化にも貢献しているといっても、たぶん的外れにはなるまい。

 今月3本のライヴのおかげで年初以来の鬱状態から脱けでられたようである。ありがたいことである。皆さんに、感謝感謝しながら、イースタン・ブルームのCDと、熊谷さんが参加している福岡史朗という人のCDを買いこんで、ほくほくと帰途についたのであった。(ゆ)

イースタン・ブルーム
小島美紀: vocal, accordion
小島崇: bouzouki, guitar

セツメロゥズ
沼下麻莉香: fiddle
田中千尋: accordion
岡皆実: bouzouki
熊谷太輔: percussion

スペシャル・ゲスト
高梨菖子: whistle, low whistle

 4年ぶりのこの二組による新年あけましておめでとうライヴ。前回通算6回目は2020年の同月同日。月曜日、平日の昼間、会場は下北沢の 440。今回、最後にあちこちへのお礼を述べた際、中藤さんが思いっきり「440の皆さん、ありがとう」と言ってしまったのも無理はない。3年の空白はそれだけ大きい。言ってしまってから、しゃがみこんでいたのも頬笑ましかった。

 まず初めに全員で出てきて1セット。ジグの定番曲を3曲連ねる。その3曲目のBパートでさいとうさんと中藤さんのダブル・フィドルが高く舞いあがるところでまず体が浮く。昨年末、同じ会場での O'Jizo の15周年記念ライヴでは中藤さんと沼下さんのダブル・フィドルが快感だったのに負けない。沼下さんとの組合せだと流麗な響きになるのが、この組合せだと華麗になる。今回はいたるところでこのダブル・フィドルに身も心も浮きあがったのがまず何よりありがたいことだった。本格的にダブル・フィドルをフィーチュアしたバンドを誰かやってくれないか。その昔、アルタンの絶頂期、《The Red Crow》《Harvest Storm》《Island Angel》の三部作を前人未踏の高みに押しあげていたのも、ダブル、トリプルと重なるフィドルの響きだった。

 演奏する順番を決めるのはじゃんけんで、tricolor 代表はゲストの石崎氏、Cocopelina 代表はお客さんの一人。お客さんの勝ちで Cocopelina 先攻になる。

 かれらの生を見るのは一昨年の11月以来。その間に昨年末サード・アルバムを出していた。それによる変化は劇的なものではないが、深いところで進行しているようだ。アンサンブルのダイナミズム、よく遊ぶアレンジ、そして選曲と並べ方の妙、というこのバンドの長所に一層磨きがかかっている。新譜からの曲だけでなく、その後に作った新曲もどんどん演る。

 4曲目の〈Earl's Chair〉は実験で、有名なこの曲だけをくり返しながら、楽器編成、アレンジを次々に変えてゆく。アニーがブズーキで参加するが、通常の使い方ではなく、エフェクタでファズをかけたエレクトリック・ブズーキの音にして、ロック・バンドのリード・ギターのノリである。これはアンコールでも再び登場し、場の温度を一気に上げていた。

 この日は互いのステージに休んでいる方のメンバーが様々な形で参加した。気心の知れた、たがいの長所も欠点も知りつくしている仲だからこその芸だろうか。これが全体の雰囲気をゆるめ、年頭のめでたさを増幅もする。それにこうした対バン・ライヴならではの愉しさでもある。

 サポートの点で特筆すべきはバゥロンの石崎氏で、終始冷静にクールに適確な演奏を打ちだす。どちらかというと、ビートを強調してノリをよくするよりも、ともすれば糸の切れた凧のようにすっ飛んでいきかねないメンバーの手綱を上手にさばいていると聞えた。tricolor の時にも Cocopelina の時にも飄々と現れてぴたりとはまった合の手を入れるのには唸ってしまった。

 プレゼント・タイムの休憩(今回のプレゼントのヒットは岩瀬氏が持ってきたマイク・オールドフィールド《Amarok》のCD。昨年こればかり聴いていたのだそうだ)をはさんでの tricolor も怠けてはいない。オープナーの〈Migratory〉はもう定番といっていいが、1曲目でアコーディオンとフィドルがメロディを交錯させるのは初めて聴いた。2曲目〈Three Pieces〉の静と動の対照の鮮かさに陶然とする。次のセットの4曲目が実に良い曲。

 次の〈カンパニオ〉というラテン語のタイトルのセットでさいとうさんが加わり、まずコンサティーナ。長尾さんがマンドリン、アニーがギターのカルテット。持続音楽器と非持続音楽器のユニゾンが快感。2曲目でダブル・フィドルとなっての後半、テンポ・アップしてからには興奮する。締めは例によって〈ボン・ダンス〉。しかし、手拍子でノルよりも、じっと聴きこまされてしまう。この曲もまた進化している。

 どちらもアコースティック楽器がほとんどなのに、演奏の変化が大きく、多様性が豊富で、ステージ全体が巨大な万華鏡にも見えてくる。年明け一発めのライヴにまことにふさわしい。今年は元旦からショックが続いたから、こういう音楽が欲しかった。ショックの核の部分は11日の shinono-me+荒谷良一が大部分融解してくれたのに重ねて、今年初めてのアイリッシュ系のライヴでようやく2024年という年が始まった。ありがたや、ありがたや。

 それにしても、この二つ、演奏とアレンジのダイナミック・レンジの幅が半端でなく大きいから、サウンド担当の苦労もまた大変なものだ。エンジニアの原田さんによると、終った時にはくたくたになっているそうな。あらためてすばらしい音響で聴かせてくれたことに感謝する。(ゆ)


さいとうともこ: fiddle
岩浅翔: flute, whistles, banjo
山本宏史: guitar

中藤有花: fiddle, concertina, vocal
長尾晃司: guitar, mandolin
中村大史: bouzouki, guitar, accordion, vocal

Special Guest
石崎元弥: bodhran, percussion, banjo

 このところ、積極的に音楽を聴く気にも、本を読もうという気にもなれなかった。日々、暮らしに必要なことやルーチンをこなしながら、茫然と過してしまう。

 というのはやはり能登の地震のショックなのではないか。と思ったのは、このライヴに出かける直前だった。年末にはようやくデッド本が向かうべき方向が見えてきたし、エイドリアン・チャイコフスキーに呼ばれてもいて、よっしゃひとつ読んでやろうやという気分になっていたはずだった。年が明けてしばらくは毎年恒例のことで過ぎる。元旦は近隣の神社、どれも小さく普断は無人の社に初詣してまわる。2日、3日は駅伝で過ぎ、3日、駅伝が終ったところで3年ぶりに大山阿夫利神社へ初詣に行った。そして、4日、5日と経つうちに、どうもやる気が起きない。こりゃあボケが始まったのかという不安も湧いた。それがひょっとすると元旦に大地震というショックの後遺症、PTSD といっては直接の被害者の方々に失礼になろうが、その軽いものに相当するやつではなかろうか、とふと思ったのだった。

 ライヴのことはむろん昨年のうちに知り、即予約をしていて、今年初ライヴがこれになることに興奮もし、楽しみにもしていた。はずだった。それが、いざ、出かけようとすると、腰が重いのである。これという理由もなく行きたくない、というより、さあライヴに行くぞという気分になれない。

 ライヴというのは会場に入ったり、演奏が始まったりするのがスタートなのではない。家を出るときからイベントは始まっている。ライヴに臨む支度をしていく。そういう心構えを作っていく。それがどこかではずれると、昨年末の「ケルティック・クリスマス」のように遅刻なんぞしたりしてしまうと、せっかく作った心構えが崩れて、音楽をすなおに楽しめなくなる。

 しかし、こういう時、なんとなく気が進まないといってそこでやめてしまうと、後々、後悔することになることもこれまでの経験でわかっている。だから、半ば我が身に鞭打って出発したのだった。

 そうしたら案の定である。開演時刻と開場時刻を間違えていて、いつもなら開場前に来て開くのを待っているのが、今回は予約客のほとんどラストだった。危ない危ない。席に座るか座らないかで、ミュージシャンたちが前に出ていった。努めて気を鎮める。

 そうして始まった。いや、始まったのだろうか。shezoo さんも石川さんも、永井さんの方を見つめている。永井さんは床にぺたりと座りこんで、何やらしているようだ。遅く来たために席は一番後ろで、音を聴く分にはまったく問題ないが、永井さんが床の上でしていることは前の人の陰になって見えない。やむなく、時々立ちあがって見ようとしてみる。

 そのうち小さく、静かに音が聞えてきた。はじめは何も聞えなかったのが、ごくかすかに、聞えるか聞えないかになり、そしてはっきりと聞えだした。何か軽く叩いている。いろいろなものを叩いている。その音が少しずつ大きくなる。が、ある大きさで止まっている。すると、石川さんが声を出しはじめた。歌詞はない。スキャットでうたってゆく。しばらく2人だけのからみが続く。一段落したところでピアノがこれまた静かに入ってきた。

 こうして始まった演奏はそれから1時間半以上、止まることがなかった。曲の区切りはわかる。しかし、まったく途切れなしに演奏は続いている。たいていは永井さんが何かを鳴らしている。ピアノが続いていることもある。そうして次の曲、演目に続いてゆく。

 いつものライヴと違うのは曲のつなぎだけではない。エアジンの店内いたるところにモノクロの小さめの写真が展示されている。そして奥の壁、ちょうど永井さんの頭の上の位置にスクリーンが掲げられて、ここにも写真が、こちらはほとんどがカラーで時折りモノクロがまじる写真がスライド・ショー式に写しだされる。このスクリーンを設置するために、永井さんは床に座ったわけだ。各種の楽器も床の上や、ごく低い位置に置かれている。

 写真はいずれも古い木造の校舎。そこで学んだり遊んだりしているこどもたちからして小学校だ。全部ではないが、ほとんどは同じ学校らしい。背景は樹々の繁った山。田植えがすんだばかりの水田の手前の道に2人の男の子が傘をさして立ち、その間、田圃のずっと向こうに校舎が見える写真もある。

 写真は荒谷良一氏が1991年に撮影したものという。それから30年以上経った昨年春、この写真によって開いた写真展を shezoo さんが訪れ、そこでこのコラボレーションを提案した。写真から shezoo さんはある物語を紡ぎ、それに沿って3人各々のオリジナルをはじめとする曲を選んで配列した。それには、川崎洋編になる小学校以下の子どもたちによる詩集『こどもの詩』文春新書から選んだ詩の朗読も含まれる。この詩がまたどれも面白い。そして音楽と朗読に合わせて荒谷氏が写真を選んでスライド・ショーに組立てた。

 後で荒谷氏に伺ったところでは、教科書用の写真を撮るのが仕事だったことから、教科書会社を通じて小学校に頼んで撮らせてもらった。こうした木造校舎は当時すでに最後に残されたもので、どこか壊れたら修理はできなくなっていた。撮影して間もなく、みな建替えられていった。小学校そのものが無くなった例も多い。

 写真展のために作った写真集を撮影した小学校に送ったところ、そこに当時新任教師として写っていた方が校長先生になり、子どもの一人は PTA 会長になっていたそうな。

 shezoo さんが写真から紡いだ物語は、完成した1本のリニアな物語というよりは、いくつもの物語を孕んだ種をばら播いたけしきだ。聴く人が各々にそこから物語を引きだせる。言葉で語ることのできない物語でもある。音楽と写真が織りなす、言葉になれない物語。あるいは物語群。ないしいくつもの物語が交差し、からみあい、時には新たな物語に生まれかわるところ。それでいて、ある一つの物語を語っている。それがどんな物語か、何度も言うが、ことばで説明はできない。聴いて、見て、体験するしかない。幸いに、このライヴはエアジンによって配信もされていて、有料ではあるが、終った後でも見ることができる。あたしがここで縷々説明する必要もない。

 打楽器は実に様々な音を出す。叩くのが基本だが、加えてこする、振る、かき乱す、たて流す、はじく、などなど。対象となる素材もまた様々で、木、革、金属、プラスティック、石、何だかわからないもの。形もサイズもまた様々。今回は大きな音を出さない。前回のライヴでは、時にドラム・キットを叩いて他の2人の音がかき消される場面もあって、その時は正直たまらんと思った。しかし後で思いかえしてみれば、それはそれでひとつの表現であるわけだ。ここでは打楽器が他を圧倒するのだという宣言なのだ。今回、打楽器はむしろ比較的小さな音を出すことを選んだ。ひとつには映像、写真とのコラボレーションという条件を考慮してでのことだろう。また、前回は大きな音を試したから、今回は小さな音でどこまでできるかを試すという意味もあるだろう。とまれ、この選択はみごとにうまく働き、コラボレーションの音楽の側の土台をがっしりと据えていた。曲をつないだのはその一つの側面だが、途切れがまったく無いことによる緊張の高まりをほぐすのが大きかった。永井さんの演奏にはユーモアがあるからだ。

 石川さんも shezoo さんもユーモアのセンスには事欠かないが、ふたりともどちらかというと、あまり表に出さない。隠し味として入れる方だ。永井さんのユーモアはより外向的だ。演奏にあらわれる。そして器が大きい。他の2人のやることをやわらかく受けとめ、ふさわしく返す。

 石川さんはスキャットで始める。歌詞が出たのは4曲目〈Mother Sea〉、「海はひろいな〜、おおきいな〜」というあの歌の英語版である。当初、このメロディはよく知ってるが、なんの歌だっけ、と思ったくらい意表を突かれた。

 とはいえ、詞よりもスキャットをはじめ、これも様々な音、声を使った即興の方に耳が引っぱられる。詞が耳に入ってきたのは、後半も立原道造の詩に shezoo さんが曲をつけた〈薄明〉。絶唱といいたくなる、ここから演奏のギアが変わった。その次、小学校3年生の詩「ひく」に続いて打楽器が炸裂する。次のカール・オルフ〈In Trutina〉がまた絶唱。テンションそのまま〈雨が見ていた景色〉と今度は5年生の詩「青い鳥へ」を経て、〈からたちの花〉の「まろいまろい」の「い」を伸ばす声に天国に運ばれる。しめくくる shezoo さんの〈両手いっぱいの風景〉は、まさに今、ひとつの物語をくぐりぬけてきた、体験してきたことを打ちこんでくる。もう一度言うが、どんな話だと訊かれても、ことばでは答えられない物語。そして、打楽器が冒頭の、今日の演奏を始めた低いビートにもどる。ゆっくりとゆっくりとそれが小さくなり、消えてゆく。

 渡されたプログラムでは、いくつかの曲と詩がひとまとまりにされていて、どこかで休憩が入るものと思いこんでいたから、まったく途切れもなく続いてゆくのに一度は戸惑った。それが続いてゆくのにどんどん引きこまれ、気がつくと今いる時空は、音楽が途切れなく続くことによって現れたものだった。

 語りおえられたことが明らかになって夢中で喝采しながら、生まれかわった気分になっていた。そして、ここへ来るまで胸をふさいでいたものが晴れているのを感じた。それが能登の地震によるショックだったとようやくわかったのである。やはり人間に音楽は必要なのだ。

 今回はそれに木造校舎で学び遊ぶ子どもたちの姿が加わった。その姿はすでに失われて久しい。二度ともどることもない。それでも写真は記憶、というよりは記憶を呼びおこす触媒として作用する。そこで呼びおこされる記憶は必ずしも見る人が実際に体験したものの記憶とは限らない。木造校舎は地球からの贈り物の一つだからだ。映像と音楽の共鳴によって物語による浄化と再生の力は自乗されていた。

 関東大震災の夜、バスキングに出た添田唖蝉坊の一行は人びとに熱狂的に迎えられた。阪神淡路大震災の際、避難所でソウル・フラワー・モノノケ・サミットが演奏した時、人びとはそれまで忘れようとしていた、抑えつけていた涙を心おきなく流した。

 音楽はパンではない。しかし、人はパンのみにて生きられるものでもない。音楽は人が人であるために必要なのだ。このすばらしいライヴで今年を始められたことは、期せずして救われることにもなった。shinono-me、荒谷良一氏、そして会場のエアジンに心から感謝。(ゆ)

shinono-me
石川真奈美: vocal
永井朋生: percussion
shezoo: piano

荒谷良一: photography, slide show



 今年の録音のベストは『ラティーナ』のオンライン版に書いたので、そちらを参照されたい。

 今年最後の記事は、今年見て聴いたライヴのうち、死ぬまで忘れえぬであろうと思われるものを挙げる。先頭は日付。これらのほとんどについては当ブログで書いているので、そちらをご参照のほどを。ブログを書きそこねた3本のみ、コメントを添えた。

 チケットを買っておいたのに、風邪をひいたとか、急な用件とかで行けなくなったものもいくつかあった。この年になると、しっかり条件を整えてライヴに行くのもなかなかたいへんだ。


01-07, マタイ受難曲 2023 @ ハクジュ・ホール、富ケ谷
 shezoo さんの《マタイ》の二度目。物語を書き換え、エバンゲリストを一人増やす。他はほぼ2021年の初演と同じ。

 どうもこれは冷静に見聞できない。いつものライヴとはどこか違ってしまう。どこがどう違うというのが言葉にできないが、バッハをこの編成で、非クラシックとしてやることに構えてしまうのか。いい音楽を聴いた、すばらしい体験をした、だけではすまないところがある。「事件」になってしまう。次があれば、そしてあることを期待するが、もう少し平常心で臨めるのではないかと思う。





05-03, ジョヴァンニ・ソッリマ、ソロ・コンサート @ フィリアホール、青葉台
 イタリアの特異なチェロ奏者。元はクラシック畑の人だが、クラシックでは考えられないことを平然としてしまう。この日も前半はバッハの無伴奏組曲のすばらしい演奏だが、後半はチェロで遊びまくる。もてあそばれるチェロがかわいそうになるくらいだ。演奏の途中でいきなり立ちあがり、楽器を抱え、弾きながらステージを大きく歩きまわる。かれにとっては、そうしたパフォーマンスもバッハもまったく同列らしい。招聘元のプランクトンの川島さんによると、本人曰く、おとなしくクラシックを演っていると退屈してくるのだそうだ。世には実験とか前衛とかフリーとか称する音楽があるが、この破天荒なチェロこそは、真の意味で最前衛であり、どんなものにも束縛されない自由な音楽であり、失敗を恐れることなどどこかに忘れた実験だ。音楽のもっているポテンシャルをチェロを媒介にしてとことんつき詰め、解放してゆく。と書くと矛盾しているように見えるが、ソッリマにあっては対極的なベクトルが同時に同居する。そうせずにはいられない熱いものが、その中に滾っている。感動というよりも、身も心も洗われて生まれかわったようにさわやかな気持ちになった。









09-18, 行川さをり+shezoo @ エアジン、横浜
 恒例 shezoo さんの「七つの月」。7人の詩人のうたを7人のうたい手に歌ってもらう企画の第5夜「月と水」。

 行川さんの声にはshezoo版《マタイ受難曲》でやられた。《マタイ》のシンガーの一人としてその声を聴いたとたんに、この声をいつまでも聴いていたいと思ってしまった。《マタイ》初演の時のシンガーの半分は他でも見聞していて、半分は初体験だった。行川さんは初体験組の一人だった。初演の初日のあたしの席はステージ向って右側のかなり前の方で、そこからでは左から2番めの位置でうたう行川さんの姿は見えるけれども顔などはまるで見えなかった。だから、いきなり声だけが聞えてきた。

 声にみっしりと「実」が詰まっている。実体感がある。振動ではなく、実在するものがやってくる。同時によく響く。実体のあるものが薄まらずにどんどんふくらんでゆく。行川さんの実体のある声があたしの中の一番のツボにまっすぐにぶつかってくる。以来、shezoo版《マタイ》ときくと、行川さんのあの声を聴けることが、まず何よりの愉しみになった。

 《マタイ》や《ヨハネ》をうたう時の行川さんの比類なく充実した声にあたしは中毒しているが、それはやはり多様な位相の一つでしかない。というのは「砂漠の狐」と名づけられたユニット、shezoo さんと行川さんにサックスの田中邦和氏が加わったトリオのライヴで思い知らされたし、今回、あらためて確認させられた。

 行川さんの声そのものはみっしり実が詰まっているのだが、輪郭は明瞭ではない。器楽の背景にくっきりと輪郭がたちあがるのではない。背景の色に声の色が重なる。それも鮮かな原色がべったりと塗られるのではない。中心ははっきりしているが、縁に向うにつれて透明感が増す。声と背景の境界は線ではなくグラデーションになる。一方でぼやけることはない。声は声として明瞭だが、境界はやわらかくゆらぐ。やわらかい音の言葉はもちろんだが、あ行、か行、た行のような強い音でもふわりとやわらかく発せられる。発声はやわらかいが、その後がよく響く。あの充実感は倍音の重なりだろうか、響きのよさの現れでもあると思われる。余分な力がどこにも入っていないやわらかさといっばいに詰まった響きが低い声域でふくらんでくると、ただただひれ伏してしまう。

 やわらかさと充実感の組合せは粘りも生む。小さな声にその粘りがよく感じられる。そもそも力一杯うたいあげることをしない。力をこめることがない。声は適度の粘りを備えて、するりと流れだしてくる。その声を自在に操り、時には喉をふるわせ、あるいはアラビア語風のインプロを混ぜる。

 shezoo さんの即興は時にかなりアグレッシヴになることがあるが、この柔かくも実のしまった声が相手のせいか、この日は終始ビートが明瞭で、必要以上に激さない。行川さんによって新たな側面が引きだされたようでもある。

 行川さんにはギターの前原孝紀氏と2人で作った《もし、あなたの人生に入ることができるなら》という傑作があるが、shezoo さんとのデュオでもぜひレコードを作ってほしい。





12-17, アウラ、クリスマス・コンサート @ ハクジュ・ホール、富ケ谷


 来年がどうなるか、あいかわらずお先真暗であるが、だからこそ生きる価値がある。Apple Japan合同会社社長・秋間亮氏の言葉を掲げておこう。

「5年後のことを計画する必要はない。自分がいま何に興味を持ち、何に意欲を燃やしているかに集中すればいい」

 おたがい、来年が実り多い年になりますように。(ゆ)

Victoria Goddard, The Hands Of The Emperor; 2019
Victoria Goddard, Derring-Do For Beginners; 2023
Ray Robertson, All The Year Combine: The Grateful Dead in Fifty Shows; 2023
Nghi Vo, Mammoths At The Gates; Tordotcom Publishing, 2023
友川カズキ, 一人盆踊り; ちくま文庫, 2019
洲之内徹, さらば気まぐれ美術館, 新潮社, 1988
The Annotated Memoirs Of Ulysses S. Grant, annotated by Elizabeth D. Samet; Liveright Publishing, 1886/2018
バート・S・ホール + 市場泰男, 火器の誕生とヨーロッパの戦争 Weapons And Warfare In Renaissance Europe; 平凡社ライブラリー, 1999/2023


 今年はとにかく Victoria Goddard に明け暮れ、そして洲之内徹を発見した。その合間に石川淳の中短篇を読みつづけ、Elizabeth D. Samet が厖大な、分量として本文と肩を並べ、かつ無数の図版を加えた厖大な注をつけたユリシーズ・S・グラントの回想録に夢中になった。


 まずは洲之内徹である。この人の名前と著書を知ったのは友川カズキの『一人盆踊り』だった。その『一人盆踊り』を教えられたのは、ダーティ・松本のブログである。
 『一人盆踊り』そのものも抜群に面白い読物だった。松本が書いているお地蔵さんにとりつかれた話も確かに面白いが、図書館から借りて読んでみて買う気になったのは、その話の次に入っている「一番下の空」という詩だった。その後の「詩篇供廚房められた中のいくつかも良かった。

 友川はシンガーであり、詩人であり、そして絵を描く。三つめからこの中の一篇「洲之内徹さんのこと」が生まれた。

 この文章は洲之内徹の追悼文である。白洲正子の追悼文の引用でしめくくりながら、これ自身見事な文章だ。こういう文章を書かせる洲之内徹が書いた本は読んでみたいと思わない方がおかしい。図書館には全部そろっていた。まず文庫版『気まぐれ美術館』を読み、『絵の中の散歩』を読み、以下、「気まぐれ美術館」の各巻を読んでいった。読みおえると、「気まぐれ美術館」以外の美術に関するエッセイを集めた『芸術随想』の2巻を、こちらは古書を買って読んだ。洲之内がとりあげた絵が図版として大量に入っていたからだ。

 信じられないくらい面白い。絵についてのエッセイがこんなに面白くなれるものとは知らなんだ。まさに我を忘れて読みふけってしまう。あっさり読んでしまうのはもったいないと、少しずつ読もうとするのだが、ついつい手が伸びてしまう。読みだすとやめられない。書いてあるのは、聞いたこともない絵描きたちのことばかりだ。日本で活動している、していた絵描きたちだ。日本語ネイティヴではない人も数人いる。読みおえた時には、誰もかれも昔から知っている人になっていた。

 とりわけ、最終巻『さらば気まぐれ美術館』だ。この巻に入ったとたん、空気が一変する。悽愴の気を帯びる。これが最後とわかっているのはこちらの話で、書いている本人はまだまだ何年も書きつづけるはずなのに、もうすぐ終りと気づいてしまった感覚がじわじわと這いのぼってくる。

 まず、洲之内はそれまで片鱗もなかったにもかかわらず、いきなり音楽を聴きはじめる。きっかけは友川だ。絵描きの友川のレコードを聴き、ライヴに行ったことで、日本のシンガー・ソング・ライターたちのレコードを聴きだす。周囲が薦めるものを片端から聴く。そしてある日、ジャズを発見する。今度はジャズに溺れこむ。レコードをかけて、以前はそんなに飲めなかった酒を飲みつづけながら、何時間も聴く。人にも無理矢理聴かせる。結局死ぬ間際まで聴きつづける。

 こんな風に死に物狂いで、実際に生きるためにも音楽を聴いていた人間、聴いている有様は見たことがなかった。洲之内の絵を見る眼のことを友川は書いている。もし眼のように耳がものを言うならば、洲之内の耳はさぞかしすさまじく美しい形相を見せていただろう。佐藤哲三や松田正平について語るように、洲之内がコルトレーンやモンクについて語っていたら、と思わざるをえない。

 洲之内徹については散々語られてきたし、これからも語られるだろう。あたしは黙ってその文章をくり返し読むだけでいい。こういう人に出会うと、もっと早く出会っていたかったと思うが、その度に、出会うにはその時が満ちることが必要なのだと自分に言い聞かせる。


 エリザベス・サメトが注をつけたユリシーズ・S・グラントの回想録を読んだのは、Washington Post Book Club で紹介されたからだ。



サメトはこの回想録にとり憑かれ、その研究をするためにウェストポイントの米陸軍士官学校で英語を教える仕事についた。そうして永年研究してきたありったけをこの注にぶちこんだ。と思えるが、おそらくまだまだ出していない、出せかなかったものが山のようにあるのだろう。そういうことも垣間見える。登場する人物などの固有名詞はもちろん、当時の社会、インフラ、テクノロジーなどの状況から、戦争を記録し、叙述する方法やスタイルの多様性、そしてグラント本人と回想録そのものの評価の変遷などなど、およそ紙の本として、一冊本として可能なかぎりの情報を詰めこんでいる。おかげで索引がはじき出された。基本にあるのは、時間的にも空間的にも可能な限り広い文脈で読もうとする姿勢である。例えば参照される文献には古代ギリシャ・ローマはもちろん、中国の古典から現代のものまで含まれる。グラントの本文はもともと滅法面白いが、それをさらに何倍、いや何乗にも増幅する。

 本文とサメトの注とから浮かびあがるグラントという人物も面白い。軍指揮官としてのグラントはアメリカのみならず、世界史上有数といわれる。断片的、ランダムな報告から、現場の地理的環境、状況全体を瞬時に適確に把握し、適切な対応ができる能力、自分が見えないところで敵が何をしようがまったく気にしないでいられる能力、戦場全体を総合的に把握して戦略を立てて実行する能力、そして全軍を一つの目標に向かって動かしてゆく能力を備えた。身長170センチの小男で、風采はあがらない。当時戦場で撮られた写真に映っているのは、どう見てもせいぜいが下士官だ。戦闘の間は丸腰のまま馬で戦場を駆けまわりながら、指示を出す。いったいいつ眠るのだと思えるほどの多忙の合間を縫って、愛妻ジュリアに頻々と手紙を書く。

 戦争に勝つという共通の目標に向かっている集団である軍隊を率いたとき、グラントは無類の強さを発揮した。しかし、一国の政治にはそうした共通の目標はありえず、様々な目標を各々の集団または個人がめざす。そういう集団を率いるとなるとグラントはほとんど無能になる。大統領としては最低の一人とされる。

 南北戦争終結までを扱うグラントの回想録は、62歳の時、詐欺師にひっかかって、全財産を失い、金を稼ぐ必要ができたことから書きはじめられた。ほぼ同時に喉頭がんが発覚して、金を稼ぐのも急がねばならなくなって本格化する。最後の原稿を渡したのは死の5日前。つまりがんが進行する中、1年で書いた。今や、アメリカ文学の古典として、いくつもの版が出ている。サメト注のものは、これら従来の版に冠絶する。


 バート・S・ホール + 市場泰男の『火器の誕生とヨーロッパの戦争』は、タイトル通りの話だが、火器には携帯用の小火器だけでなく、大砲もある。ヨーロッパの戦争はオープン・フィールドでの野戦と攻城戦がほとんどで、したがって初めは大砲が発達する。小火器がモノを言いはじめるのは、後込めシステムとライフルすなわち施条(しじょう)もしくは腔旋が発明されてからだ。それ以前の銃は装填に手間暇がかかりすぎたし、射った弾がどこに飛んでゆくかわからなかったから、使い方が限定されていた。滑腔銃である火縄銃で狙いをつけて撃つ、なんてことはありえないのだ。そしてライフルを施した銃が普及して最初の戦争が南北戦争だ。


火器の誕生とヨーロッパの戦争(945;945) (平凡社ライブラリー) [ バート・S.ホール ]
火器の誕生とヨーロッパの戦争(945;945) (平凡社ライブラリー) [ バート・S.ホール ]

 鉄砲や大砲は戦争の仕方をがらりと変えた、という定説を、そうではなかったと論証するのが、著者がこの本を書いたきっかけ。技術、テクノロジーはリニアに一直線に発展するものではないし、革新的なテクノロジーが即座に戦争のやり方を変えたわけでもない。むしろ、曲りくねって、時には改良しようとして逆行することもある。発明されただけで世の仕組みを変えることにはならない。

 情報のデジタル化も同じだ。それ自体では、たとえばCDが一時LPにとって代わったように、旧来の使われ方の中で使われる。これがネットワークと結びついた時、デジタル化の本領が発揮され、あるいはその真の意味が発見されて、情報はメディア、紙やレコードやフィルムから解放された。

 火器は人間ないし他の動物を殺傷する以外の機能は無い。槍、弓矢、刀剣も同様だが、それらは象徴になりうる。火器は象徴にならない。徹底的に工業製品だからか。それだけに、テクノロジーの本質を他よりも剥出しにする。


 石川淳はまずは文庫で読んでいる。エッセイ、随筆については昨年ほぼ読みつくした。『森鷗外』など、あえて読まずにとってあるものもあるが、最初期から最晩年までを網羅する形で、重要なものは読めた。そこで今年は中短篇小説をあらためて読みだし、そしてこちらも文庫で読めるものは読みつくした。

 まず驚いたのはエッセイと小説がほとんど対極といっていいくらいに違うことである。エッセイは漢文とフランス文学とそして江戸文化の分厚く、強靭な教養そのままに、「最後の文人」の面目躍如である。

 中には『諸国畸人伝』のように、諧謔精神たっぷりに対象を選んでいるものもある。その書きぶりは堂々たるもので、あまりに正統的なので、あたしなどはかつがれていることにかなり後になるまで気がつかなかった。正統的な叙述がそもそもかつぐ手法であるわけだ。

 そういうものも含めて、表面的には江戸以来の日本語のエッセイ、随筆の王道をひき継ぐ。これはどう見ても文学、それも「純」をつけたり、ゴチックで強調したりすべき文学だ。このエッセイだけでも石川淳が近代日本文学の巨人の一人に数えられるのも無理はない、とすら思えてくる。

 ところが小説は様相がまるで違う。こちらはどう見ても、「異端」と呼ばれておかしくないものばかりだ。小説の王道どころではない。裏街道ですらない。道なき道をかき分けてゆく。石川淳の前に道はなく、石川淳の後ろに道が残る。後を追って辿る者はいそうにない道だ。石川に並べられるのは中井英夫であり、かれが「異端の作家」と呼んだ、夢野久作、久生十蘭、小栗虫太郎、さらには山田風太郎といった面々だ。小説だけとりだせば、石川淳に最も近い位置に今いるのは筒井康隆ないし円城塔だろう。あるいは川上弘美か。石川淳の中短篇が『新潮』とか『群像』とか『文學界』とか、あるいは『すばる』などの雑誌に発表されたというのは、どういう契機なのだろう。出世作『普賢』が芥川賞をとったからだろうか。というようなことまで思ってしまう。

 しかしまあ面白い。もちろん文庫に収録されるものは精選されているとはいえ、どれもこれも面白い。「おとしばなし」のシリーズのような、カルヴィーノやレムを髣髴とさせるホラ話。半村良の『産霊山秘録』を髣髴とさせる「八幡縁起」のような伝奇もの。あるいは「まぼろし車」のような純粋のホラー。この「まぼろし車」を菅野昭正ほどの読み巧者が完全に読みあやまっていたのは、別の意味で面白かった。そうすると石川淳のキャリア全体が壮大な詐欺に見えてくる。20世紀日本の文学界全体をまんまとかつぎおおせた大詐欺師・石川淳。むろん、その石川淳と、「最後の文人」である石川淳は矛盾しない。同時にその二つの相を持っていたのだ。

 来年は長篇を読む予定だ。『狂風記』だけは読んでいるが、これを石川の長篇の最高傑作と呼ぶのを、あたしはためらう。むしろ『至福千年』や『荒魂』に期待する。


 さてヴィクトリア・ゴダードである。この人について語るのは難しい。ゴダードの作品はかなり人を選ぶからだ。ハマる人はハマるけれども、そうでない人にとってはまったくのゴミにしか思えない性質の小説だ。それに、なぜ、自分がこれにハマるのか、いつも以上にわからない。



 ひとつだけ言えそうなのは、あたしがゴダードを読むのは、そこに希望が語られているからだろう、ということだ。単に希望を持ちましょうと言っているわけではない。脳天気に楽天的な話で希望を抱かせようとするわけでもない。読んでいると、希望が持てそうな気がしてくるのである。具体的にはたぶんそこがゴダードを読みつづける人と棄てる人を分けるのではないか。ゴダードを読んでいると湧いてくる希望の感覚を、なんでこんな感覚が湧いてくるのだといぶかりながらも、話から必然的に生まれてくるものとして認め、受け入れる人と、徹頭徹尾うさん臭いもの、認めてしまっては危ない罠として拒む人が分れるのではないか。

 だから、とにかく文句ない傑作だから読めと、たとえばアン・レッキーの Ancillary Justice 邦題『叛逆航路』を薦めるようにはゴダードを薦めるわけにはいかない。

 しかも、エントリー・ポイントとしてのお勧めも難しい。ベストのエントリー・ポイントが The Hands Of The Emeperor であることはファンの一致するところだが、これは30万語超、邦訳400字詰3,000枚の長篇だ。kindle で902、Apple Book で 1,317 というページ数である。しかも、その長さを実感する小説なのだ。抜群に面白いが、なかなか読みおわらず、読みおえたとき、ああ長かったと思えてしまう。長かった、でも面白かった。そして、もう一度読みたいと思えてくる。



 これだけではない。ゴダードの作品は登場人物など、様々な形でからみ合っていて、一通り読んで終りではなく、もう一度全部読みなおしたくなるのである。

 エントリー・ポイントの2番目の選択肢としては The Greenwing & Dart シリーズの1冊目 Stargazy Pie だが、このシリーズの本当の面白さは巻を追って深まるので、これだけ読んでも、何の話かよくわからないうらみがある。あえて言えば、これを読んでみて、続きを読んでもいい、読みたいと感じられたら脈があるかもしれない。



 中短篇は初期のものは後に長篇で確立するスタイルとは違う。近作は長篇の外伝が多いので、元の長篇を読んでいないと面白さがよくわからない。

 もう一度あえて言えば The Bride Of The Blue Wind は、これまでのゴダードの全作品の中であたしが一番好きなものではある。このノヴェラは語り口が他のものと異なり、Nine Worlds と作者が名づけた世界での神話を語る、ダンセイニを思わせるやや古風なもので、きりりと引きしまった見事な出来だ。登場人物たちも後の他の作品に、いろいろと姿を変えて出てくる。



 そしてこれが例外となる語り口、ゴダードの主要作品の語り口がまた問題だ。ひと言でいえば、のんびりしているのである。毎日の暮しの細々としたことをゆったりとしたテンポで語ってゆく。食べもの、ファッション、買物、子どもたち、ゴシップ、近所づきあい。派手な活劇だけでなく、その裏にあるはずの生活を描く。ヒーローたちが負わされた宿命を進んで担おうという気になるような生活である。

 その語りのテンポはおよそ現代風の、常に何かに追いかけられているようなペースと根本的に異なる。このテンポについてゆけるかどうか、そこまで遅くゆるめることができるかが、おそらくはゴダードを読む第一関門となろう。言いかえると、語る必要のあることのすべてを、必要なだけの時間をかけて語るという姿勢を認め、いくらでも時間をかけていいし、手間暇をかけて語ってもいい、と思えるかどうかである。

 もっともこの人はアクション・シーンが不得手なわけではない。アクション・シーンでもペースは変わらず、一つひとつのシーン、手順をていねいに追いながら、しかも緊迫感が漲る。すさまじいまでの早技がほとんど舞踏に見える。考えてみれば、これはかなりの力業だ。並の筆力ではこうはいかない。ゆっくりていねいに描写すれば、緊張感は犠牲になるのが普通だ。

 あたしはとにかくどハマりにハマった。今年いっぱいかけて、長篇 At The Feet Of The Sun と Nine Worlds ものではない短篇を一握り残して、読みおえた。The Hands Of The Emperor にはやはり感動した。そして、今のところ最新の長篇 Derring-Do For Beginners には夢中になった。新たなシリーズの第一作で、続きを読みたくてしかたがない。

 ゴダードは2014年以来現在までに総数33本の作品を発表している。
短篇 = 7
短中篇 ノヴェレット = 4
長中篇 ノヴェラ = 9
長篇 = 12
 この他に Discord のみで読める短篇が3本。これもあたしは読んでいない。

 来年はゴダードの再読をしながら、また別の人を試すことになろう。誰かにハマるか。Richard Swan か Fonda Lee か Kevin Hearne か。あるいはまったくの新人か。ニー・ヴォはハマりかけている。C. S. E. Cooney もいる。一方、ル・グィンをあらためて読みなおそうという気分もある。ライバーを読んでやろうかとも思う。そうだ、ビーグルもいる。

 と思っていたら、マイケル・ビショップの訃報を Locus の最新号で知る。とすれば、追悼の意味で読むとするか。(ゆ)

 カネは無いはずだが、我ながらいじらしく何とか工面してはあれこれ買ったものである。中でこいつはいい買い物とよろこんだものたち。

Rupert Neve Designs RNHP



 RND はプロ用機器、スタジオで使われるミキサーやコンプレッサーやを作っているメーカーで、あたしには縁はない。無かった。これが出るまでは。これもプロ用で、したがって XLR のバランス入力はあるが、ヘッドフォン・アウトは標準のアンバランスのみだ。しかし一度は聴いてみたかった。ちょうど中古が出たので、ありったけのモノをかき集めて下取りに出して手に入れた。円安で新品は10万する。

 聴いてみて、顔がにやけた。まさにプロの音である。入っている音をそのまま出す。飾りなんかないし、「個性的」な音も皆無。YouTube を聴くと、これは圧縮されているなと素人耳にもわかる。それでいて全体の音は崩れない。ちょっと不思議だ。

 良い録音だと芯が1本、ビーンと通って、ひっぱたかれようが蹴っとばされようが、びくともしない音。小さくて繊細な音もそのままに芯が通っている。これで Tago T3-01 とか、Neumann NDH30 を鳴らすと、まあ、嬉しそうによく歌う。シングルエンドしかないグラドも大喜び。

 録音の良し悪しもモロに出るが、音楽そのものの良し悪しは録音とはまた別だ。最低の録音の音楽が最高ということもある。そして、そういうケースもこれはちゃんとそう聴かせてくれる。バランス・アウトなんぞ、要らない。

 サイズが小さい。しかも ACアダプターである。つまりセミ・モバイルなのだ。プロの現場は屋外だってある。どこにでも持っていける。

 そしてこの小さな姿からは想像もできないパワー。高インピーダンスとか平面型とか、いちいち気にする必要もない。あっさり鳴らしてしまう。小さな巨人でもある。

 これまでのリファレンスはマス工房の model 433 だったが、こいつが来てからは、433 の出番はなくなってしまった。まあ、いずれまたもどるだろうが、当面は RNHP さえあれば、ヘッドフォン・アンプは何も要らない。むろん、これはヘッドフォンのためのものだ。イヤフォンをつなぐものではない。


 スティック型 DAC/amp のハイエンドが花盛りである。DAP が製品として行き詰まりを見せていることの反映だろう。一昨年出た Lotoo PAW S2 を皮切りに、昨年3機種、そして今年どっと出て、モバイルの主なメーカーで出していないのは SONY くらいになった。

 DAP を出しているところは、そのトップエンド・モデルの技術を注ぎこんでいる。最新の iBasso DC-Elite はロームの DAC チップはじめ、DX320 Max に採用したテクノロジーや部品やデザインをほぼそのまま使っている。

 RU7 も Cayin N7 と同じ 1-bit DSD DAC を積んでいる。さらにバランスのラインアウトがあるのがユニークなところ。これなら試さないわけにはいかない。貯めこんでいた楽天のポイントを注ぎこんで、これまた定価の6割ぐらいでゲット。

 スティック型は小型であることもウリだが、その中でもこれは小さいし、軽い。小さいながらディスプレイもついているが、軽いのである。

 で、音はこれまたすばらしい。ふわあと開放されて、滑らかな音がすんなりと体に入ってくる。これなら N7 も欲しくなる。DAC としての優秀さは、RME の ADI-2 Pro FS R と比べてまったく遜色ないレベルだ。

 あたしはこれを主に iPad mini と USB でつないで、ストリーミングを聴くのに使う。iPad mini は今年春に出た第6世代。とりあえずどんなものか聴いてみる時には無線で、つまり AirPods Pro や final ZE8000 Mk2、あるいは HiFiMAN HE-R9 + bluemini R2R で聴くこともあるが、本腰を入れる時には RU7 とヘッドフォン、あるいはラインアウトでヘッドフォン・アンプに入れて聴く。こいつのバランス・ラインアウトから上記 RNHP にバランスで入れて、クローズドならば T3-01、オープンならば NDH30 で聴くと、もうこれでいいじゃん、他に何が要るの、と思う。真剣に思う。わざわざストリーマなんて要らないよ。

 iPad mini 第6世代で聴くストリーミングは、MacBook Air の M1 とか、iPhone SE 第3世代とかで聴くよりもだんぜん音が良い。ストリーミングの音が良いのは、どこがどう効いてるのかわからないけれど、とにかく、手持ちの機器では一番新しいモデルであるこれが一番良い。このことに気づいてからストリーミングで聴くことが格段に増えた。レコードを持っていないものはもちろん、持っていても、ストリーミングで聴くようにもなった。


 新たな展開の見えない DAP で、DAC の方式は最新にして、他は原点回帰に活路を見出そうとしたのがこの RS2。チップではない、抵抗を並べた R2R DAC、メーカーが Darwin と呼ぶシステムである。USB DAC としても使えて、その時には、ソースの機器から電気をとらないモードがついている。RU7 が来る前は、これを iPad mini によくつないでいた。

 Darwin の音は好きである。透明度が高く、滑らかで自然に響き、押しつけがましいところが無い。Darwin の音はどんなだろうと買ってみて、当初はちっぽけなディスプレイ画面とか、データベースが日本語の扱いが不得意とかがあって、失敗したかな、と思ったのだが、聴いていくうちに、すっきりと雑味のない音が好きになっていった。そうなると、画面が小さいとか、日本語がまともに扱えないなんてことは枝葉末節になる。そしてマイクロSDカードを2枚同時に挿せる、無線が一切何も無いという潔さにあらためて惚れなおした。このクリーンな音は無線をばっさり切って棄てたおかげとも思える。

 よく見ると、このサイズ、小さなディスプレイ画面、マイクロSDカード2枚挿し、いずれもこんにちの DAP 隆盛のきっかけとなった、あの懐しき AK100、AK120 へのオマージュではないか。




 MA910SR は発売前に試聴して一発で気に入って予約した。広い音場ときっちりした定位、自然に軽やかに伸びる低域、そして明るいキャラクター。バランスにリケーブルするために、REB Fes 02 @ 川崎であれこれ試聴した中で、あたしにはベストの組合せとして、これに落ちついた。Black Back はちょっと硬くて太めではあるが、この音なら許せる。

 この少し前に qdc の folk を買って、かなり気に入っていたのだが、こいつが来たおかげですっかり霞んでしまった。folk を買ったのは、こんなモデル名をつけられたら、買うしかないじゃないか。実際、ヴォーカルは実に良い。ギター、フィドル、蛇腹、笛などの生楽器もいい。ただ、ダブル・ベースがちと軽すぎる。そこで MA910SR + AIMS を使うことが増える。


Brise Audio Accurate USB ケーブル



 RU7 の前にメインだったスティック型 DAC/amp は PhatLab Rio である。チップは ESS だが、およそ ESS らしからぬ、しなやかで丈夫な音で、商売を抜きにしても、お気に入りである。馬力もあるし、外部電源入力があって、ソース機器から電気を食わなくさせることもできる。

 これと組合わせる USB-C ケーブルをあれこれ試して、結局これがベストだった。つまり、手が届く範囲で、だ。ブリスオーディオはつい先日、USB-C ケーブルの新作を発表したが、17cm で20万ではどもならん。

 お金持ちではない、フツーの、むしろビンボー人にとって Accurate が限界である。とはいえ、これがあれば十分すばらしい。比べなければ、これで最高。今はこれと RU7 をつないでいる。


サウンド・ジュリア ミニ・ミニ・ケーブル
 サウンド・ジュリアは名古屋のオーディオ・ショップ。モバイルではない、スピーカー主体の昔ながらのオーディオ・ショップである。ブログが面白く、もう何年も前から定期的に覗いている。気に入った機器を空気録音して YouTube に上げることもあり、そこで使われる音楽がなかなか面白い。あまりに良いので問合せてレコードを買ったこともある。

 ほとんどは読むだけの機器だが、ときたま、面白くて比較的安いものがある。オリジナル商品の一つ、スーパーコンタクトオイルの効果は大きい。いくつか試した接点賦活剤で、明白に効果があったのはこれだけだった。



 ケーブルも自作する。ある日、車載用として注文を受けて作ったという両端ミニの、いわゆるミニミニ・ケーブルの写真が出た。これに一目惚れしてしまった。

 オーディオ製品はツラが第一である。良い機器はいかにも良い音が出そうなツラをしている。いわゆるデザインが良い、というのとは違う。Bang & Olfsen のように、音も良いかもしれないが、その音の良さよりもデザインの良さが先に立つものとは違うのだ。時には無雑作に、そこらにある材料を貼りあわせたようなものが、良いツラをしていたりする。上記の RNHP などもその例だ。いかにもプロ用の、むしろ実用を考えた、美しいとはお世辞にも言えないが、しかしその佇まいはいかにも良い音が出そうだ。それで聴きたいと思ったわけである。

 このケーブルもそれだった。車載用だからアース線がついている。ごつごつした太いシースがからまっている。ツラがいいというだけでなく、オーラまでたちのぼっている。まったく前後を考えず、気がついたときには、これでアース線の無いミニミニ・ケーブルができないか、とメールしていた。もちろんできる、車載用と同じ長さならいくらいくらと返事が来て、うーっと2日考えて注文した。ミニミニ・ケーブルはすでに Ladder7 に頼んで作ってもらったものがあり、もうこれ以上は要らないと思っていたことなど、すっかり忘れていた。

 それで作ったので写真をとりましたという記事がこれである。





 ステッドラーは日本支社が独自の製品、つまりブランドを借りた OEM をあれこれ出しているが、これはちゃんと本家から出たもので、さすがにデザイン、作りは一線を画す。お得意の三角軸で、この三角軸は他社も含めてこれまでで最高の握り具合である。これまで最高だったファーバー・カステルの Grip 2011や Lyra の Comfort Liner をも凌ぐ。握った瞬間に違いがわかり、書くにつれて、ますます良くなる。我ながらいい字が書ける。もう、がんがん書きたくなる。軸の太さ、表面加工、全体のバランス、すべて揃った傑作。芯径が 0.7 しかないのもよろしい。シャープペンシルの芯はすべからく 0.7mm であるべきだ。0.3mm など、人として使えるものではない。


 来年出るのを心待ちにしているのは final/REB がプロトタイプを REB fes に出していたイヤフォン。一つのボディでユニバーサルとカスタムを同時に可能というのがウリだそうだが、それよりもなによりも、音にやられてしまった。まるであたしのために作ってくれたような音、これまで聴いたどんなイヤフォンよりも良いと思える音、聴くのを絶対にやめたくない音なのだ。REB fes 02 で何の気なしに試聴して、とびあがった。

 もう一つ待っているのがあのアクセル・グレルが Drop とジョイントで作っているオープン・バックのヘッドフォン OAE-1。NDH30 もグレルが中心になって作ったというので聴いてみたものだ。今やわが家のオープン・タイプでは Stax SR-L300 Ltd と人気を二分している。NDH30は本来プロ用で、OAE-1はリスナー用だろうから、どう違うかも愉しみ。


 来年は上の二つ以外は今年買ったものをはじめ、手許にあるものをおちついて聴こう使おうと殊勝なことを心に決めたりもしているのだが、たぶん、またあれこれと新しいものに手を出してしまうのであろう。MEMS ドライバを使ったイヤフォンには期待している。Noble 製品の評判は良いが、Nuarl のものが出るのを待っている。根が新しもの好きなのは死ななきゃ治らない。(ゆ)

 かつてはオレが応援しないで、誰が応援するのだ、ぐらいの気持ちでコンサートに臨んだものだった。結成して20年のアウラにはもうあたしなんぞの応援は要らない。こちらはそのハーモニーにひたすら浸って、いい気持ちになっていればいい。時々、本当に体が天に昇るような気分になる。

 前回は広々とした教会で、声は広大な空間に向かって解き放たれていた。今回は響きのコントロールされたホール。教会はクラシック音楽発祥の空間ではあるけれど、そこから出て、いわば聖のパワー・スポットから俗のサロンへと移ることで音楽として独立する。そして響きのコントロールへと向かう。このホールはやはり俗の空間で、教会との違いがラストの〈ハレルヤ〉に現れたのは当然ではある。前回の〈ハレルヤ〉が、聖なる空間によって引きだされ、人のためよりも神の、あるいは天のために響いていたとすれば、今回は俗空間にあって、うたい手たちの想いのこもった、人のための歌に聞えた。

 スキャットを使ったアレンジはさらに一段と巧妙になっていた。歌詞とスキャットの入れ替わりのタイミングと鮮かさに息を呑む場面がいくつもある。スキャットの種類も増えているし、アレンジのパターンもより多様だ。音量の大小、アクセントの強弱もメリハリがよくつき、リズムも変える。そうなると、5人だった時よりもアレンジが複雑になっているように聞える。にもかかわらず、全体の印象としてはすっきりと見通しが良い。そこにはおそらく、スキャットの役割を、たとえばインストルメンタルのパートに絞るというように、より整理していることも働いているのかもしれない。4人での体制が完成されたと思える。

 星野さんの低音がより際だつとともに、今回は菊地さんの声がこれまでになく大きく聞えた。彼女の声は大好きなので、あたしとしては喜ぶ。

 新曲の〈Auld Lang Syne〉はひょっとしてとひそかに期待したが、有名な方のメロディ。とはいえ、ストレートなアレンジが曲の美しさをあらためて引きたてる。いつか、古い方のメロディも歌ってくれると期待しよう。

 やはりこういうホールで聴くアウラは格別だ。教会には教会なりの良さがあるので、そちらも大歓迎だが、やはり距離があるし、それにどこか上の方から見られている気配のようなものがある。クリスチャンではないから気にすることもないし、時には聴衆以外のお仲間がいるのも面白いのだが、音楽から気を逸らされることもなくはない。俗のホールにはミュージシャンとリスナーしかいない。より純粋に音楽にひたりこんでいられる。人間の声だけのハーモニーには、他の音楽にはない魔法が宿る。(ゆ)

 今年のグレイトフル・デッドのビッグ・ボックス《Here Comes Sunshine 1973》はパッケージの製造過程でミスがあったらしく、CDPで再生できなかったり、リッピングできなかったりするディスクが続出。大騒ぎになっている。受取ったセットにまったく問題が無かったのは全体の4分の1にすぎない、という集計もある。

 あたしのところに来たのも17枚のうちの半分以上に、何らかの欠陥がある。音飛びや、短いループ、ひどいノイズなど。リッピングしてひっかかったものはCDPでも同じ問題が出る。大きな障碍ではなく、スピーカーでは気づかず、ヘッドフォンやイヤフォンでわかるものもあるが、音楽にひたりきることはできない。盤面はきれいなもので、欠陥があるとはわからない。いわゆるCDのプリント・ミス。販売元の Dead.net のカスタマーサーヴィスに連絡して交換してもらうことになっているが、どうなるか、まだ不明。

 トラブルの形はそれだけではない。厚紙製のパッケージに挿入する際に傷がついたものや、パッケージに使われた接着剤が盤面に付着したものも報告されている。

 メディアとしてのCDに未来はない。製造会社は新規の設備投資はしていないだろうし、人もいなくなっているだろう。CD製造自体台湾や東欧諸国に主力が移っているようでもある。デッドのボックスのCDはワーナー製造で、まだアメリカ国内でやっているとすれば、CD製造インフラの劣化が吹き出したのだろう。もともとアメリカ製CDは質が良くない。ECMはドイツ・プレス、アメリカ・プレス、日本プレスと三種類あり、各々音が違う。ドイツがダントツによく、次が日本。アメリカ・プレスのものは買うなと昔言われた。

 デッドの公式リリースのCDは HDCD だ。通常のCDにハイレゾ音源を入れる技術で、マイクロソフトが特許をもつ。ウィキペディアによれば、「20 – 24bit音源を自然な音質で、なおかつ聴感上のノイズを低下させつつ音量感を伴う音で16bit化し聴取するしくみである。あくまでも16bitのままで音質を改善するためのディザやノイズリダクションの技術セットであり、16bitのデータと隠しコードから20 – 24bitのデータを復元する技術ではない」そうだ。対応するCDPで再生するとハイレゾとして聴ける。非対応のプレーヤーにかけると通常の16/44.1として再生される。デッドのボックスや Dave's Picks のディスクを dbPoweramp など対応するソフトでリッピングすると24/44.1のファイルにできる。HDCDの製造装置やCDP、リッピング・ソフトにライセンス料がかけられると聞いた。

 当然製作の際に通常のCDより複雑な作業になる。設備も通常CD作成用よりも高価で、故障しやすいはずだ。憶測するに、HDCD製造装置が途中から一部に不具合が出たのに気づかなかった、というところか。

 ビッグ・ボックス・セットや Dave's Picks は Dead.net を顔とするデッドの財産管理会社の主な収入源だ。こうしたアーカイヴ音源の公式リリースをつづけているのは、生残りの旧メンバーの収入を支えるためもあるだろう。テープが出回っている、あるいは Internet Archives にデジタル化されたテープ音源がアップロードされていて、ライヴ録音をいつでも聴けるデッドの世界で確実にライヴ音源を売るには、経年劣化したマスター・テープを修復し、きちんとマスタリングし、読みごたえのあるライナーを付けて付加価値のあるパッケージで出す必要がある。HDCDも付加価値の1つだ。

 しかし製造インフラが劣化して商品としてまともなCDが作れないとなると、パッケージで出す以外の方法を考えざるをえないだろう。従来は発売早々に売り切れていた Dave's Picks が、今年に入っていつまでも売れ残っている。パンデミックをきっかけとした送料の大幅なアップで、アメリカ国外への販売が減ったためではないか。この方面でもパッケージ販売は限界にきている。来年の企画はもう動いているので、変化があるとすれば再来年からだろう。(ゆ)


2023-12-23追記
 後日談。Dead.net のサポートから問題のあるCDの写真を送れとの要請。盤面の写真を送る。印刷段階でのミスは見ただけではわからないはずだが、どうやら通販で届いた商品に問題があった場合はとにかく写真を送るよう求めるのがあちらの手順らしい。写真を送ると代替品を送ると連絡があり、やがて写真を送った盤が送られてきた。今回はどれもスムーズにリッピングできて、一件落着。メールの送信と返信の間には時に1週間ぐらいの間があいたし、返信の度に相手の名前は変わったが、無事解決したので、胸をなでおろしたことでありました。




 著者 Ray Robertson はカナダの作家だ。デトロイトのすぐ東のオンタリオ州チャタムに育ち、今はトロントをベースにしている。これまでに小説が9冊、ノンフィクションが4冊、詩集が1冊ある。これは5冊目のノンフィクションになる。

 この本はアメリカ人には書けない。カナダに生まれ育った人間だからこそ書き、また書けたものだ。それによって、これはおよそグレイトフル・デッドについて書かれたもので最もすぐれた本の1冊になった。文章だけとりだせば、最もすぐれたものだ。ほとんど文学と言っていい。

 ほとんど、というのはグレイトフル・デッドについて書くとき、人はデッドヘッドにならざるをえないからである。デッドヘッドが書くものは普遍的にならない。文学になるためにはどこかで普遍に突破しなければならないが、デッドヘッドにはそれはできない。デッドヘッドにとってはグレイトフル・デッドが、その音楽が宇宙の中心であり、すべてである。普遍などというしろものとは縁が無い。

 著者は最後におれはデッドヘッドだと宣言している。これもまたカナダの人間ならではだ。アメリカ人はそんな宣言はしない。カナダの人間は宣言する必要がある。一方でこの宣言によっても、この本は限りなく文学に近づいている。

 人はなろうと思ってデッドヘッドになるわけではない。自分の意志で左右できるものではない。そもそも、デッドヘッドとはなりたいと人が望むものには含まれない。あるいは、望む望まないの前に、存在を知らない。なってしまって初めてそういうものがいることに気づく。

 あたしなどは自分がデッドヘッドであることに、この本を読むまで気づかなかった。

 この本は副題にあるように、ボーナス・トラックとして挙げられたものを含めて51本のショウを語ることでグレイトフル・デッドを語ろうとしている。ショウについての記述の中に、バンドの成り立ちやメンバーの状態、周囲のコンテクストなどを混ぜ込んでゆく。一本ずつ時代を追って読み進めれば、デッドとその音楽が身近に感じられるようになる。

 はずはないんだなあ、これが。

 デッドの音楽、グレイトフル・デッドという現象は、そんなに容易く飲み込めるような、浅いものではない。ここに書かれていることを理解し、うなずいたり、反発したりするには、すでに相当にデッドとその音楽に入れ込んでいる必要がある。これはグレイトフル・デッドの世界への入門書ではない。デッドへの入門書など書けないのだ。告白すれば、そのことがわかったのはこの本を読んだ効用の一つだった。

 グレイトフル・デッドは入門したり、手引きに従って入ってゆけるものではない。それぞれが、それぞれのきっかけで出逢い、引き込まれ、ハマり込み、そしてある日気がつくとデッドヘッドになっている。

 人はデッドの音楽をおよそ人の生み出した最高の音楽とみなすか、こんなものはゴミでしかないと吐き捨てるかのどちらかになる。中間はない。

 この本はデッドヘッドからデッドへのラヴレターであり、宣言書である。1972〜74年を最高とするという宣言だ。この宣言が意味を持つのはデッドヘッドに対してだけである。グレイトフル・デッドの世界の外では何の意味もない。または、全く違う意味になる。。

 あたしはこの宣言に反発する。してしまう。自分が反発しているのを発見して、自分もまた著者と同様、デッドヘッドであると覚った。覚らざるをえなかった。その事実を否応なくつきつけられた。

 だが、その宣言のやり方には感心した。させられた。デッドに関する本として可能な限り文学に近づいていることは認めざるをえなかった。

 著者があたしの前に現れたのは、今年の冬、今年最初の《Dave's Picks》のライナーの書き手としてだ。次には今年のビッグボックス《Here Comes Sunshine》でもメインのライナーを書いていた。一読して、アーカイヴ・シリーズのプロデューサー、デヴィッド・レミューがロバートソンを起用した意図はわかった。文章が違う。文章だけで読めるのである。

 ライナーというのは通常中身で支えられている。読者にとって何らかの形で新しい情報、あるいは既存の情報の新たな解釈が提供されることが肝心だ。それを伝える文章は伝えられるべき情報が的確に伝わればいい。むしろまずはそれを目指す。文章そのものの美しさ、味わい、面白さは考慮から外していい。

 ロバートソンのライナーにはスタイルがある。独自の表現スタイルがある。一文読めばそれとわかる個性がある。文章を読むだけの愉しみを味わえる。これがグレイトフル・デッドについての文章でなければ、純粋に文章だけを読んで愉しむこともできると思える。

 こういうスタイル、スタイルのあり方の文章によってデッドについて書かれたものはこれまで無かった。あたしの読んできたものの中には無かった。もっともデッドに夢中になった初めの頃は何を読んでも目新しい事実、情報ばかりだったから、まずはそれらを消化するのに懸命で、文章の良し悪しなど目もくれなかった恨みはある。とはいえ、ここまでの質の文章があれば気がついていたはずだ。

 これまでデッドについて書いてきた人びとはいずれもまず何よりもデッドヘッドである。つまり若い頃からのデッドヘッドだ。すなわち、自分はなにものであるかの1番目にデッドヘッドがくる人びとだ。この人たちは作家になろうなどとは望まない。文章を書くことに命を賭けようとは思わない。デッドヘッドは書く人ではない。聴く人、踊る人、意識を変革しようとする人、その他の人ではあるだろう。しかし書くことが三度の飯より好きな人にはならない。デッドヘッドが三度の飯より好きなのはますデッドの音楽を聴くことだ。

 これまでデッドについて書いた人間で書くことが仕事であるという点で最も作家に近いのはデニス・マクナリーであろう。かれによるバンドの公式伝記 A Long Strange Trip は質の良い、つまり読んで楽しい文章で書かれている。しかしかれは本質的には学者だ。文学を書こうとしてはいない。
 《30 Trips Around The Sun》につけた史上最長のライナー・ノートの執筆者ニコラス・メリウェザーもやはり学者である。それにあそこでは歴史ですらない、それ以前の年代記を作ることに専念している。

 ロバートソンの文章は違う。ロバートソンが文学を書こうとしているわけではない。書くものが書き手の意図からは離れて、どうしても文学になろうとしてしまうという意味でかれは作家である。

 加えてかれがデッドヘッドになるのは47歳の時。彼にとってデッドヘッドは何番目かのアイデンティティである。デッドヘッドである前に作家なのだ。その作家がデッドについて書けば、それはどうしても文学に近づいてしまう。これまでに無かったデッド本がかくして生まれた。

 ここでは作家とデッドヘッドが文章の主導権を握ろうとして格闘している。文章は右に振れ、左に揺らぎ、天空にかけのぼろうとして、真逆さまに転落し、また這い上がる。その軌跡が一個の文学になろうとするその瞬間、横殴りの一発に吹っ飛ぶ。これを読んでいる、読まされている、読まずにはいられないでいるこちらは、翻弄されながら、自らのグレイトフル・デッドの像を重ね合わせる。嫌でもその像が浮かんできて、二重写しになってしまう。

 1972〜74年のデッドが最高であること。そのこと自体は目くじら立てることではない。ドナの声がデッドとして空前絶後の輝きをデッドの音楽に加えていたという主張にもその通りと諸手を上げよう。

 しかし、とあたしの中のデッドヘッドは髪の毛をふり乱し、拳を机に叩きつける。これは違う。これはグレイトフル・デッドじゃない。

 いや、あたしのグレイトフル・デッドがどんな姿かを開陳するのはここではやめておく。

 グレイトフル・デッドを語る方法として、50本のショウをたどるというのが有効であることは証明された。デッドはスタジオ盤をいくら聞いてもわからない、その片鱗でも摑もうというのなら、まずショウを、一本丸々のショウを何本も、少なくとも50本は聴く必要がある。デッドヘッドにとっては自明のことであるこのことも改めて証明された。

 さて、ではここに選ばれた51本を改めて聴きなおしてやろうではないか。

 そして、あたしのグレイトフル・デッドを提示してやろうではないか。(ゆ)

 まずはこのようなイベントがこうして行われたことをすなおに喜ぼう。新鮮な要素は何も無いにしても、やはり年末には「ケルティック・クリスマス」が開かれてほしい。

 今年、「ケルティック・クリスマス」が復活と聞き、そこで来日するミュージシャンの名前を見て、うーん、そうなるかー、と溜息をついたことを白状しておく。ルナサやダーヴィッシュがまずいわけではない。かれらの生がまた見られるのは大歓迎だ。それにかれらなら、失望させられることもないはずだ。会場の勝手もわかっている(と思いこんでいたら、実はそうではなかった)。パンデミックの空白を経て、復活イベントを託す相手として信頼のおける人たちだ。

 しかし、ルナサもダーヴィッシュもすでに何度も来ている。反射的に、またかよ、と一瞬、思ってしまったのは、あたしがどうしようもないすれっからしだからではある。キャシィ・ジョーダンが開巻劈頭に言っていたように、ダーヴィッシュは結成44年目。ルナサももうそろそろ四半世紀は超える。みんなそろって頭は真白だ。どういうわけか、ルナサもダーヴィッシュもステージ衣裳を黒で統一していたから、余計映える。例外は紅一点キャシィ姉さんだけ。

 この日はいろいろと計算違い、勘違いをした上に判断の誤りも加わり、あたしとしては珍しくも開演時間に遅刻してしまった。ルナサの1曲目はすでに始まっていた。この曲が終ってようやく客席に入れてもらえたが、客席は真暗だから、休憩、つまりルナサが終るまでは入口近くの空いている席に座ることになった。バルコニー席の先頭を狙ってあえてA席にしたのだが、チケットには3階とあった。この距離でステージを見るのは初めてで、これはこれで新鮮ではある。距離が離れているだけ、どこかクールにも見られる。いつもなら目はつむって、音楽だけ聴いているのだが、これだけ距離があると、やはり見てしまう。そのせいもあっただろうか。2曲目を聴いているうちに、ルナサも老いたか、という想いがわいてきた。

 あるいはそれは、遅刻したことでこちらの準備が整わず、素直に音楽に入りこめなかったせいかもしれない。ライヴというのは微妙なバランスの上に成りたつものだ。演奏する側がたとえ最高の演奏をしていたとしても、聴く方がそれを十分に受けとめられる状態にないと音楽は失速してしまう。そういう反応が一定の割合を超えると、今度は演奏そのものが失速する。

 3曲目のブルターニュ・チューンで少しもちなおし、次のルナサをテーマにしたアニメのサントラだといって、看板曲をやったあたりからようやく乗ってきた。このメドレーの3曲目で今回唯一の新顔のダンサーが登場して、かなりなまでに回復する。

 このダンサー、デイヴィッド・ギーニーは面白かった。アイルランドでも音楽伝統の濃厚なディングルの出身とのことだが、それ故にだろうか、実験と冒険に遠慮がない。華麗でワイルドで、一見新しい世代とわかるその一方で、その合間合間にひどく古い、と言うよりも根源的な、いわゆるシャン・ノース・スタイルの動作とまでいかない、空気がまじる。やっていることはマイケル・フラトリーよりもずっとアメリカンとすら思えるが、節目節目にひらめく色が伝統の根幹につながるようだ。だから新奇なことをやっても浮かない。とりわけ、ダーヴィッシュの前に無伴奏で踊ったのは、ほとんどシャン・ノース・ダンスと呼びたくなる。芯に何か一本通っている。

 その次のキリアンの作になる新曲が良く、ようやくルナサと波長が合う。そしてその次のロゥホイッスル3本による抒情歌で、ああルナサだなあと感じいった。あたしなどにはこういうゆったりした、ゆるいようでいてピシリと焦点の決まった曲と演奏がこのバンドの魅力だ。

 全体としてはメロウにはなっている。あるいは音のつながりがより滑らかになったと言うべきか。若い頃はざくざくと切りこんでくるようなところがあったのが、より自然に流れる感触だ。音楽そのもののエネルギーは衰えていない。むしろこれをどう感じるか、受けとるかでこちらの感受性の調子を測れるとみるべきかもしれない。

 休憩になってチケットに記された席に行ってみると、三階席真ん前のど真ん中だった。左に誰も来なかったのでゆったり見られた。狙っていた2階のバルコニー右側先頭の席は空いていた。

 後半冒頭、ギーニーが出てきて上述の無伴奏ソロ・ダンシングを披露する。無伴奏というのがまずいい。ダンスは伴奏があるのが前提というのは、アイリッシュに限らず「近代の病」の類だ。

 山岸涼子の初期の傑作『アラベスク』第二部のクライマックス、バレエのコンテストでヒロインの演技中伴奏のピアニストが途中で演奏をいきなり止める。しかしヒロインは何事もないようにそのまま無伴奏で踊りつづけ、最後まで踊りきる。全篇で最もスリリングなシーンだ。あるいは何らかのネタがあるのかもしれないが、有無を言わせぬ説得力をもってこのシーンを描いた山岸涼子の天才に感嘆した。

 クラシック・バレエとアイリッシュではコンテクストはだいぶ違って、アイリッシュ・ダンスには無伴奏の伝統があるが、踊る動機は同じだろう。

 歌や楽器のソロ演奏と同じく、無伴奏は踊り手の実力、精進の程度、それにその日の調子が露わになる。そして、この無伴奏ダンスが、あたしには一番面白かった。これを見てしまうと、音楽に合わせて踊るのが窮屈に見えるほどだった。

 ダーヴィッシュはさすがである。ルナサとて一級中の一級なのだが、ダーヴィッシュの貫禄というか、威厳と言ってしまっては言い過ぎだが、存在感はどこか違う。ユーロビジョン・ソング・コンテストにアイルランド代表として何度も出ていることに代表される体験の厚みに裏打ちされているのだろうか。

 そしてその音楽!

 今回は最初からおちついて見られたこともあるだろう。最初の一音が鳴った瞬間からダーヴィッシュいいなあと思う。ところが、いいなあ、どころではなかった。次の〈Donal Og〉には完全に圧倒された。定番曲でいろいろな人がいろいろな形で歌っているけれども、こんなヴァージョンは初めてだ。うたい手としてのキャシィ・ジョーダンの成熟にまず感嘆する。一回りも二回りも大きくなっている。この歌唱は全盛期のドロレス・ケーンについに肩を並べる。いや、凌いですらいるとも思える。そしてこのアレンジ。シンプルに上がってゆくリフの快感。そしてとどめにコーダのスキャット。この1曲を聴けただけでも、来た甲斐がある。

 ダンスも付いたダンス・チューンをはさんで、今度はキャシィ姉さんがウクレレを持って、アップテンポな曲でのメリハリのついた声。これくらい自在に声をあやつれるのは楽しいにちがいない。聴くだけで楽しくなる。この声のコントロールは次の次〈Galway Shore〉でさらによくわかる。ウクレレと両端のマンドリンとブズーキだけのシンプルな組立てがその声を押し出す。

 そして、アンコールの1曲目。独りだけで出てきてのアカペラ。

 ダーヴィッシュがダーヴィッシュになったのは、セカンド・アルバムでキャシィが加わったことによるが、40年を経て、その存在感はますます大きくなっていると見えた。

 とはいえダーヴィッシュはキャシィ・ジョーダンのバック・バンドではない。おそろしくレベルの高い技術水準で、即興とアレンジの区別がつかない遊びを展開するのはユニークだ。たとえば4曲目でのフィドルとフルートのからみ合い。ユニゾンが根本のアイリッシュ・ミュージックでは掟破りではあるが、あまりに自然にやられるので、これが本来なのだとすら思える。器楽面ではスライゴー、メイヨーの北西部のローカルな伝統にダブリンに出自を持つ都会的に洗練されたアレンジを組合わせたのがこのバンドの発明だが、これまた40年を経て、すっかり溶けこんで一体になっている。そうすると聴いている方としては、極上のミュージシャンたちが自由自在に遊んでいる極上のセッションを前にしている気分になる。

 アンコールの最後はもちろん全員そろっての演奏だが、ここでキャシィが、今日はケルティック・クリスマスだからクリスマス・ソング、それも史上最高のクリスマス・ソングを歌います、と言ってはじめたのが〈Fairy Tale of New York〉。アイルランドでは毎年クリスマス・シーズンになるとこの曲がそこらじゅうで流れるのだそうだ。相手の男声シンガーを勤めたのはケヴィン・クロフォード。録音も含めて初めて聴くが、どうして立派なシンガーではないか。もっと聴きたいぞ。

 それにしてもこれは良かった。そしてようやくわかった。中盤で2人が「罵しりあう」のは、あれは恋人同志の戯れなのだ。かつてあたしはあれを真向正直に、本気で罵しりあっていると受けとめた。実際、シェイン・マゴゥワンとカースティ・マッコールではそう聞えた。しかし、実はあれは愛の確認、将来への誓い以外の何者でもない。このことがわかったのも今日の収獲。

 最後は全員でのダンス・チューンにダンサーも加わって大団円。いや、いいライヴでした。まずは「ケルクリ」は見事に復活できた。

 キャシィ姉さんのソロ・アルバムを探すつもりだったが、CD売り場は休憩中も終演後もごった返していて、とても近寄れない。老人は早々に退散して、今度は順当に錦糸町の駅から帰途についたことであった。(ゆ)

 毎年恒例、11月一杯かけて未発表のライヴ音源を毎日1トラックずつリリースする《30 Days Of Dead》が今年も無事終りました。今年で13年目。来年はあるか、と毎年思いますが、続いてますね。なお、この30本は来年の《30 Days Of Dead》が始まるまで、つまり1031日までダウンロード、またはウエブ・サイト上でストリーミングで聴くことができます。


 2023 年は

1968-12-07, Knights Hall, Bellarmine College, Louisville, KY

から

1994-10-19, Madison Square Garden, New York, NY

までのショウから選ばれています。

 合計9時間7分8秒は2021年の7時間4408秒を大幅に抜いてダントツの歴代トップ。


 昨年以来、1本のショウから複数曲を選ぶ形が増えました。かつては途切れなしに続くものにほぼ限られていたんですが、間が切れているものも選ぶようになりました。今年はむしろ単一の曲の方が少なくなりました。1回の時間も長く、30分超が4日、20分台が6日あります。



 登場したショウの年別本数。

66 0

67 0

68 1

69 1

70 1

71 1

72 0

73 1

74 0

76 2

77 2

78 1

79 3

80 3

81 2

82 0

83 1

84 1

85 1

86 1

87 1

88 0

89 1

90 0

91 2

92 1

93 1

94 1

95 0



 最短のトラック

22 U.S. Blues = 06:24; 1976-06-29, Auditorium Theatre, Chicago, IL


 最長のトラック

24 They Love Each Other; Cassidy; Tennessee Jed; Let It Grow> Don't Ease Me In = 40:55; 1981-11-30, Hara Arena, Dayton, OH


 従来登場した曲とダブったのは7回。

初日 Comes a Time; 1980-08-26, Cleveland Public Auditorium, Cleveland, OH 2019年にも登場。

03日目 Feel Like A Stranger> Bertha; 1994-10-19, Madison Square Garden, New York, NY はこの組合せで昨年登場し、さらに〈Feel Like A Stranger〉はその前年にも登場して3年連続。

04日目 My Brother Esau; High Time; 1987-09-16, Madison Square Garden, New York, NY のうち〈My Brother Esau〉は2021年、〈High Time〉は2019年に既出。

08日目 Scarlet Begonias> Fire On The Mountain; 1980-08-30, The Spectrum, Philadelphia, PA 2011

14日目 Playing In The Band> China Doll; 1983-08-31, Silva Hall, Hult Center for the Performing Arts, Eugene, OR 2021

の各々《30 Days Of Dead》ですでに出ています。

23日目 Space> The Other One> Black Peter> Throwing Stones> Playing In The Band; 1991-03-25, Knickerbocker Arena, Albany, NY のうち後ろの2曲〈Throwing Stones> Playing In The Band〉は2018年、

24日目 They Love Each Other; Cassidy; Tennessee Jed; Let It Grow> Don't Ease Me In; 1981-11-30, Hara Arena, Dayton, OH も後半の2曲〈Let It Grow> Don't Ease Me In〉が2020

の《30 Days Of Dead》で各々登場しています。



 今回初めて録音が《30 Days Of Dead》でリリースされたショウは以下の13本。

1968-12-07, Knights Hall, Bellarmine College, Louisville, KY

1969-10-26, Winterland Arena, San Francisco, CA

1971-03-20, Iowa Fieldhouse, University of Iowa, Iowa City, IA

1973-10-27, State Fair Coliseum, Indianapolis, IN

1977-03-18, Winterland Arena, San Francisco, CA

1979-05-05, Baltimore Civic Center, Baltimore, MD

1979-05-12, Alumni Stadium, University of Massachusetts, Amherst, MA

1979-12-11, Soldier's And Sailors Memorial Hall, Kansas City, KS

1980-12-13, Long Beach Arena, Long Beach, CA

1981-09-30, Playhouse Theatre, Edinburgh, Scotland

1984-06-23, City Island, Harrisburg, PA

1992-06-11, Knickerbocker Arena, Albany, NY

1993-03-09, Rosemont Horizon Arena, Rosemont, IL


 今回は昨年のような計画的なセレクションは見当りません。1969年と1977年、1977年と80年、1985年と86年、1987年と94年、1991年と92年が同じヴェニューであることくらいです。


 登場した楽曲は延63曲。うち2回以上登場は以下の11曲。

Casey Jones

Dark Star

Dire Wolf

Don't Ease Me In

Feel Like A Stranger

High Time

Let It Grow

My Brother Esau

Playing In The Band

Saint Of Circumstance

Uncle John's Band


 うち

Dark Star

Playing In The Band

 は3回登場。


 重複を除いたレパートリィは50曲。

Bertha

Black Peter

Brown-Eyed Women

Casey Jones

Cassidy

China Cat Sunflower

China Doll

Comes a Time

Crazy Fingers

Dark Star

Deal

Dire Wolf

Don't Ease Me In

Estimated Prophet

Feel Like A Stranger

Fire On The Mountain

Foolish Heart

Goin' Down The Road Feeling Bad> Jam

Here Comes Sunshine

He’s Gone

High Time

I Know You Rider

I Need A Miracle

Let It Grow

Loose Lucy

Lost Sailor

Might As Well

My Brother Esau

Never Trust A Woman

New Minglewood Blues

One More Saturday Night

Peggy-O

Picasso Moon

Playing In The Band

Row Jimmy

Saint Of Circumstance

Samson and Delilah

Scarlet Begonias

Shakedown Street

Ship Of Fools

St. Stephen

Sugar Magnolia

Tennessee Jed

The Eleven

The Other One

They Love Each Other

Throwing Stones

U.S. Blues

Uncle John's Band

Victim Or The Crime



 今年も1本ずつ聴いて書いてみるつもりですが、今年はリリースされたトラックに集中してみます。(ゆ)


 昨年11月ひと月かけてリリースされたグレイトフル・デッドの《30 Days Of Dead》を年代を遡る旅も終着点です。17日リリースの 〈Mindbender (Confusion's Prince)〉02:37は 1966-02-06, Northridge Unitarian Church, Los Angeles, CA からのセレクション。この録音は昨年の《30 Days Of Dead》で最も古い日付のものであるだけでなく、知られるかぎり、デッドのショウの録音として最も古いものです。この日のセット・リストとして残っているのは次の通り。

1. Early in the Morning(?)
2. Mindbender 2:37 30 Days 2022
3. See That My Grave Is Kept Clean
4. Beat It On Down The Line
5. The Only Time Is Now (?)

 録音は2013年02月第一週に Dead.net の Jam Of The Week で流されたそうです。

 〈Mindbender (Confusion's Prince)〉はガルシアとレシュの共作とされ、前年11月に録音されたデモが《Birth Of The Dead》に収録されました。記録では1966-01-07に初演。この02-06が2回目、最後は11-29で計4回の演奏。これが全部ではない可能性はありますが、翌年にはすでにレパートリーから落ちていたようでもあります。録音は知られている限りこれが唯一。今後も出てきそうにはありません。

 このショウは Northridge Acid Test と呼ばれます。ヴェニューの教会の Paul Swayer 牧師がデッドを招いたそうです。

 1966年はもちろんデッドが本格的に活動を始めた年。ショウの合計は現在わかっているところで107本。ただし、思いつくとハイト・アシュベリーの家からゴールデン・ゲイト・パークの「パンハンドル」にでかけておこなっていたというフリー・コンサートの大半はこの数には入っていません。ショウのほとんどはカリフォルニア州内、それもサンフランシスコ周辺ですが、7月末から8月初めにかけて初の「海外」公演をヴァンクーヴァーで行っています。また、アシッド・テストのように、コンサート形式ではないものもあります。10月には創業間もない The North Face がサンフランシスコ市内に初めて出したリアル店舗のオープニング・パーティーで「余興」として演奏しています。ノース・フェイス公式サイトの会社の歴史のページに、演奏している髭を剃ったガルシアとウィアの写真があります。

 レパートリィは60曲。ほとんどはカヴァーで、オリジナルは〈Mindbender (Confusion's Prince)〉の他、〈Caution〉と〈Cream Puff War〉。前者はピグペンの作詞、バンドの作曲のクレジット。後者はガルシアの作詞作曲。ピグペンは〈Tastebud〉〈You See A Broken Heart〉も作っていますが、前者は3回、後者は1回演奏されたのみ。オリジナルが花開くには、1968年のロバート・ハンターの参加を待たねばなりません。

 一方、この年にレパートリィに入ったカヴァー曲では〈I Know You Rider〉〈New Minglewood Blues〉〈Cold Rain And Snow〉〈Beat It On Down The Line〉〈Don't Ease Me In〉〈Dancing In The Street〉〈Me And My Uncle〉〈Morning Dew〉が定番として数多く演奏されます。中でも〈Me And My Uncle〉は演奏回数624回で、回数順では第一位です。

 ただ、この年の個々のショウのデータは不明のものが多いです。日付と場所だけはわかっているが、何を演奏したかの記録が無いものが大半です。ショウの録音は例外的で、人びとはまだショウのセット・リストを記録する習慣がありません。レパートリィはですから、これもまた今のところ、わかっているかぎりという条件がつきます。

 この歌はいかにも60年代半ばのヒット狙いの典型に聞こえます。デッドにもこういう曲を作り、演っていた時期があった、というのは時代の趨勢の持つ力の強さの証明でしようか。ここからいかにして脱皮してゆくかが、この時期のデッドを聴く焦点の一つです。

 この録音が面白いのは、当時の習いとして、片方、ここでは左チャンネルにインスト、右にヴォーカルを集めて始まり、コーラスもしていますが、途中からインストと声の片方をセンターにして、ハーモニーが別れて聞こえるようにしているところ。その意図はよくわかりませんが、現場ではこう聞こえていたのか。ステレオとしてはこの方が自然になることはもちろんです。

 なお、センターの声はガルシア、右はレシュに聞こえます。

 昨年の《30 Days Of Dead》を遡る旅も、今年のが始まる前に何とか終えることができて、ほっとしています。むろん、こんなに時間をかけるつもりはなかったので、せいぜいふた月ぐらいでさらっと終わるはずでした。

 長くなったのは、それぞれの曲が含まれるショウの全体の録音を聴きだしたのが大きいです。しかし、実際に全体を聴くと、やはり世界が広がって、格段に面白くなってしまいました。公式で出ておらず、まず出せないと思われるショウにも聴く価値のあるものがあることも改めてわかりました。全体の録音が残っているショウは少なくとも1,000本からありますから、前途遼遠ですが、できる限り聴こうと思っているところです。

 来月11月は《30 Days Of Dead》の月。おそらく今年もやるでしょう。これを道案内に新たな旅に出ることにします。デッドの世界はそういう旅を無数にできるところです。(ゆ)

  昨年11月ひと月かけてリリースされたグレイトフル・デッドの《30 Days Of Dead》を年代を遡りながら聴いています。今回は05日リリースの 1969-10-25, Winterland Arena, San Francisco, CA から〈Dark Star〉22:11。

 この日のショウは同じヴェニュー3日連続の2日目。ジェファーソン・エアプレイン、サンズ・オヴ・シャンプリンとの三本立。三つのバンドのメンバーの顔を散らしたポスターと3ドル50セントのチケットが残っています。初日はエアプレインがトリ、この日はデッドがトリ、3日目もエアプレインがトリだったようです。なお、ポスターには24、25日しか記載がなく、26日日曜日のギグは急遽追加されたらしい。当時のビル・グレアムの興行ではよくあったそうな。

 デッドの演奏として〈Dark Star > St. Stephen > The Eleven > Turn On Your Lovelight〉の60分強のテープが残っています。テープは2本あり、1本では冒頭に〈High Time〉の断片が入っています。〈Dark Star〉以下の4曲のメドレーはこの年の定番で、ほとんど組曲のように何度も演奏されています。

 1969年は60年代デッド、いわゆる原始デッドが頂点に達した年です。146本のショウは30年間の最高記録。レパートリィは97曲。うち3分の2の63曲が初登場。オリジナルは11曲。

Dupree's Diamond Blues; Robert Hunter+Jerry Garcia, 1969, Aoxomoxoa, 78
Doin' That Rag; Robert Hunter+Jerry Garcia, 1969, Aoxomoxoa, 38
Dire Wolf; Robert Hunter+Jerry Garcia, 1970, Workingman’s Dead, 227
High Time; Robert Hunter+Jerry Garcia, 1970, Workingman’s Dead, 133
Casey Jones; Robert Hunter+Jerry Garcia, 1970, Workingman’s Dead, 318
Easy Wind; Robert Hunter+Robert Hunter+1970, Workingman’s Dead, 45
Uncle John's Band; Robert Hunter+Jerry Garcia, 1970, Workingman’s Dead, 335
Cumberland Blues; Robert Hunter+Jerry Garcia & Phil Lesh, 1970, Workingman’s Dead, 226
Black Peter; Robert Hunter+Jerry Garcia, 1970, Workingman’s Dead, 346
Mason's Children; Robert Hunter+Jerry Garcia, Phil Lesh & Bob Weir, (none), 19
New Speedway Boogie; Robert Hunter+Jerry Garcia, 1970, Workingman’s Dead, 55

 カヴァー曲では以下の三つが定番になります。

Mama Tried; Merle Haggard, 307
El Paso; Marty Robbins, 396
Johnny B. Goode; Chuck Berry, 285

 いずれもウィアの持ち歌。

 この年の出来事としては8月のウッドストックと12月のオルタモントが音楽界としては大きいわけですが、どちらもデッドの世界ではほとんど脚注扱いされています。オルタモントでは会場には一度入ったものの、結局演奏はしませんでした。ウッドストックでは、デッドの常として、フェスティバル形式では実力が発揮できず、不本意な出来で、映画にも録音にも収録をことわりました。先年出たウッドストック全公演の録音ボックスに初めて収められました。

 デッドにとっては6月の《Aoxomoxoa》、そして11月の《Live/Dead》のリリースの方が大きい。とりわけ後者で、LP2枚組にわずか7曲という破格の形と、さらに破格のその音楽は、グレイトフル・デッドの音楽を強烈にアピールし、セールスの上でもベストセラーとなり、バンドにとって最初のブレイクとなりました。なお、ここに選ばれた02月27日から03月02日の4日間のフィルモア・ウェストでのショウの完全版が2005年11月に《Fillmore West 1969: The Complete Recordings》としてリリースされています。

 〈Dark Star〉は原始デッドのみならず、デッド全体の象徴のような曲であります。この曲を演奏することでデッドはデッドになっていった、バンドとして独自の性格を育てていった、ということもできましょう。ところがこの曲もライヴ盤以外のアルバム収録がありません。スタジオ・ヴァージョンとしてはシングルのみ。また、「大休止」から復帰後の70年代後半から80年代にかけて演奏回数が極端に少なかったため、全体の演奏回数は235回と、代表曲の割に多くありません。

 ここでの演奏が面白いのは、最初の歌の後のジャムで、二つの曲が同寺に演奏されているように聞えるところ。ガルシアは〈Dark Star〉のソロを弾いているつもりのようで、ウィアとレシュが演っているのは別の曲のようです。それも1曲ではなく、どんどんと変わっていきます。最後には後の〈Eyes Of The World〉のリフを連想させるものまで出てきます。結局ガルシアもそちらに乗り、ジャムは〈Dark Star〉から完全に離れます。こういうところがデッドの面白いところ。しばしジャムを続けてからガルシアがふっと曲の初めにやっていたようなソロにもどり、レシュが追いかけて冒頭のモチーフが出ます。そこからテンポを徐々に落としていって最後に2番の歌詞をガルシアが歌ってコーダ。切れ目無しに〈St. Stephen〉。この頃は通称 "William Tell Bridge" と呼ばれるクラシカルなメロディと雰囲気を持つパートもしっかり歌っていますが、この部分はすでに次の〈The Eleven〉の一部でもあるようです。あるいは、この2曲をつなぐブリッジという位置付けか。実際、後の〈St. Stephen〉では後に〈The Eleven〉が続かず、このブリッジは演奏されなくなります。

 〈The Eleven〉はレシュの曲でもあり、いつもベースが一番元気な曲です。ここでもソロをとり、奔放にあばれ回ります。ガルシアはソロをとっても短く、むしろ決まったフレーズにもどって、フロントはレシュに譲っているけしきです。

 やはりベースの主導で切れ目なく〈Turn On Your Lovelight〉。ここにはスティーヴン・スティルスが参加して、いつもより少しひき締まった演奏になっています。とはいえ、これはじっと耳を傾けるよりは踊るための音楽。もっともデッドは基本的にダンス・バンドではあります。

 なお、Internet Archive に上がっている音源のうち、再生回数のぐんと少ない Charlie Miller ミックスの版の方が音は遙かに良いです。(ゆ)

  昨年11月ひと月かけてリリースされたグレイトフル・デッドの《30 Days Of Dead》を年代を遡りながら聴いています。1970年の2本目、26日リリースの1970-02-28, Family Dog at the Great Highway, San Francisco, CA。

 02月28日のショウからは〈Little Sadie; Black Peter〉12:12 がリリースされました。28日は〈Turn On Your Lovelight〉で始め、〈Me and My Uncle〉〈Cumberland Blues〉までやったところで、楽器をアコースティックに切替え、〈Monkey and The Engineer〉〈Little Sadie; Black Peter〉とやって、〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉からまたエレクトリックにもどります。

 この年は《Workingmans Dead》と《American Beauty》をたて続けに出して、路線転換をやってのけますが、ライヴでは1969年までのピグペン・バンドのレパートリィと1970年以降のガルシア・バンドのレパートリィが混在しています。さらに、スタジオ盤でのアコースティック・サウンドをライヴに持ちこむ試みもしていたわけです。

 なお、このショウの録音として Internet Archive に上がっているものは SBD 1本だけです。セット・リストでは〈Big Boss Man〉の次に〈Casey Jones〉をやりかけ、またアンコールとして〈Uncle John's Band〉が演奏されたとされていますが、ともにテープには入っていません。

 この時期は60年代のいわゆる「原始デッド」、ピグペンをフロントとし、レシュが仕切る形のバンドと、70年代のガルシアとウィアを核とするバンドが混在しますが、このショウは前半と後半がはっきりと二つのバンドに別れます。まるで、別々のバンドが対バンでもしているようです。

 オープナーこそ〈Turn On Your Lovelight〉ですが、ここでもかつてのようにピグペンがそのヴォーカルとおしゃべりで圧倒するというよりもガルシアのソロが目立ちます。ガルシアはこの頃から多様なフレーズをくり出すようになり、ガルシア一流のギター・ソロを展開しはじめます。ロックのリード・ギターというよりもジャズのインプロに近い、けれども徹底して流動性を求める点で完全にジャズと言い切れない演奏です。デッドの音楽はフリーであることからも自由であろうとします。ここではガルシアのスイッチが「オン」になったまま切れなくなってしまったようでもあり、いつまでもギターを弾きつづけ、ついにピグペンが根負けします。

 このガルシアのギターのスイッチは次の〈Me and My Uncle〉でも〈Cumberland Blues〉でも落ちません。

 そしてその後は〈Dire Wolf〉まで《Workingmans Dead》以降のレパートリィと演奏が続きます。そして今回リリースされたアコースティックの演奏まで試みます。このアコースティック3曲は事実上、ガルシアとウィアのデュオでの演奏です。この3曲は10年後のサンフランシスコとニューヨークでのレジデンス公演でのアコースティック・パートでも演奏されます。〈Black Peter〉は歌唱では翌日のエレクトリック・ヴァージョンよりもパワフルですが、全体としてピーターはずっと弱気で、一人で奮闘しています。

 ガルシアがエレクトリックに戻るよと宣言して始まる〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉でも、ガルシアのギターが切れに切れます。〈High Time〉では一転してじっくりと歌を聴かせ、〈Dire Wolf〉ではさらにシリアスから一転しておとぼけに徹する。ここまでガルシアの持ち歌が続きます。

 そして、ここでもう一度一転して今度はピグペンの持ち歌を続け、空気はすっかり原始デッドで終りまで突っ走ります。この転換はあっさりとごくあたりまえに行われるので、一瞬、何が起きたのかわからなくなります。ガルシアのギターもすっかり60年代のスタイルにもどります。

 〈Good Lovin'〉と〈The Other One〉の前にドラムスのソロが各々あります。前者はクロイツマン中心、後者はハート中心に聞えます。

 〈The Other One〉はこの日は前後の〈Cryptical Envelopment〉が省略されます。翌日はまた戻るので、あるいはショウの流れとして〈Alligator〉の後に〈Cryptical Envelopment〉をもってくる気分になれなかっただけかもしれません。いきなりのせいか、この〈The Other One〉はむしろゆっくりとガルシアが独りでぽつんぽつんと始めて、ベースは後から加わります。進むにつれてだんだん熱が入ってきて、スピードも出て、歌の2番に突入。終ったとたんに〈Mason's Children〉。この歌の最後の演奏です。こうして今聴くと、これがレパートリィから落ちるのもむべなるかなと思えてきます。終始コーラスで唄われますが、60年代のコーラスで、CSN&Y の衝撃を消化した70年代のコーラスはやはり一線を画しています。ここでのガルシアのソロはどちらかというと70年代的。切れ目なく〈Turn On Your Lovelight〉ですが、こちらは曲の後半。後に〈Playing In The Band〉がやはり曲のコーダに回帰するフレーズの前で他の曲に移り、時にはショウの第二部全体をはさみこんでから回帰する形になっていきますが、その原型をここでやっていたわけです。

 このショウの後半、ピグペンはおそらくステージ中央に仁王立ちで、場内を支配していたのでしょう。ただ、音として聴くかぎりは衰えは聴きのがせません。あるいはこうしたピグペンのパフォーマーとしての衰えも、バンドの変身を促した要因の一つとも思えてきます。

 こうして見ると、この年のデッドは二つのバンドを同時に抱えていたので、休む間もなくショウを続けていたのも、その二つのせめぎあいに駆りたてられていたのかもしれません。(ゆ)

  昨年11月ひと月かけてリリースされたグレイトフル・デッドの《30 Days Of Dead》を年代を遡りながら聴いています。今回は1970年ですが、この年は2本のショウから選曲されています。同じヴェニューでの三連荘の2日目と3日目、26日リリースの1970-02-28と30日、最終日リリースの 03-01。場所は Family Dog at the Great Highway, San Francisco, CA。

 02月28日のショウからは〈Little Sadie; Black Peter〉12:12、03月01日のショウからは〈That's It For The Other One> Black Peter〉34:08。

 この金土日の3日間は Commander Cody & His Lost Planet Airmen が前座。料金は3ドル50セント。仰向けに寝ている骸骨に若い女性がまたがった図柄のポスターが残っています。娘の姿は透けているようでもあります。

 まずこのヴェニューが面白い。Family Dog はチェット・ヘルムズが率いたグループで、デッドなどの当時のサンフランシスコ・ロックにのせて踊るイベントを企画していました。当初はアヴァロン・ボールルームをベースにしていましたが、そこの賃貸契約が切れたために、海岸沿いにあった遊園地の中のこの建物を借りて "Family Dog at the Great Highway" と名付けます。建物自体は1880年代に建てられて、かなり老朽化していたようです。1969-06-13にジェファーソン・エアプレインで柿落し。1970年07月に閉じます。デッドはここで12回演奏しています。

 この頃のショウは後の二部構成ではなく、一本勝負で、アンコールが複数で長くなることもありました。28日、01日はどちらも2時間前後のテープが残っています。

 01日は〈New Speedway Boogie〉のテーマでジャムを始め、〈Casey Jones〉でスタートして7曲目の〈That's It For The Other One> Black Peter〉は最初のヤマです。34:08はこの年の《30 Days Of Dead》2番目の長さ。

 〈That's It For The Other One〉は1967-10-22初演で、〈Cryptical Envelopment〉をイントロとし、drums のブレイクが入って〈The Other One〉に展開、再び〈Cryptical Envelopment〉にもどる組曲です。真ん中の〈The Other One〉だけでなく、後ろの〈Cryptical Envelopment〉でもジャムになることがよくあります。ここでの演奏もその形。演奏回数を重ねるにつれて、イントロの〈Cryptical Envelopment〉が省略されるようになり、さらに後ろも消えて、1971-04-28から〈The Other One〉のみ独立します。

 なお03-01はアンコールの1曲目〈Uncle John's Band〉が2014年の《30 Days Of Dead》でリリースされています。

 1970年のショウの数は計142本。前年1969年に次ぐ2番目。正月2日にニューヨークのフィルモアで始動してから大晦日のウィンターランドまで、ほとんど休みらしい休みもなく、働いています。レパートリィは119曲。初登場の曲は28、うちオリジナルは12。

Dark Hollow;Trad. / Bill Browning, (none), 34
Friend Of The Devil; Robert Hunter, Jerry Garcia & John Dawson, 1970b, American Beauty, 311
Candyman; Robert Hunter & Jerry Garcia, 1970b, American Beauty, 281
It's A Man's, Man's, Man's World; James Brown & Betty Newsome, (none), 11
Roberta; Trad. / Leadbelly, (none), 2
Flood; unknown, (none), 1
Walk Down The Street; unknown, (none), 1
She's Mine; Lightnin' Hopkins, (none), 3
Cold Jordan; Trad., (none), 13
The Frozen Logger; James Stevens & Ivar Haglund, (none), 8
Attics Of My Life; Robert Hunter & Jerry Garcia, 1970b, American Beauty, 53
Nobody's Fault But Mine; , Trad., (none), 35
A Voice From On High; Bill Monroe & Bessie Lee Mauldin, (none), 4
Sugar Magnolia; Robert Hunter & Bob Weir, 1970b, American Beauty, 601
Big Railroad Blues; Noah Lewis, (1971, Grateful Dead=Skull & Roses), 175
Rosalie McFall; Charlie Monroe, (none), 18
To Lay Me Down; Robert Hunter & Jerry Garcia, 1972, Garcia (JG), 64
Truckin'; Robert Hunter, Jerry Garcia, Phil Lesh & Bob Weir, 1970b, American Beauty, 527
Brokedown Palace; Robert Hunter & Jerry Garcia, 1970b, American Beauty, 220
Ripple; Robert Hunter & Jerry Garcia, 1970b, American Beauty, 41
Operator; Ron McKernan, 1970b, American Beauty, 4
Box Of Rain; Robert Hunter & Phil Lesh, 1970b, American Beauty, 160
Till The Morning Comes; Robert Hunter & Jerry Garcia, 1970b, American Beauty, 6
Goin’ Down The Road Feeling Bad; Trad., (none), 298
Me And Bobby McGee; Kris Kristofferson & Fred Foster, (none), 118
Around And Around; Chuck Berry, (none), 420
La Bamba; Trad., (none), 5
Bertha; Robert Hunter & Jerry Garcia, (1971, Grateful Dead=Skull & Roses), 403
Bird Song; Robert Hunter & Jerry Garcia, Garcia (1972), 300

 オリジナルのほとんどはハンター&ガルシアの曲ですが、ハンターとレシュ、ウィア、そしてハンターの詞にガルシア、レシュ、ウィアが曲のクレジットに名を連ねたものが1曲ずつあります。ハンター&レシュの〈Box of Rain〉はハンターの詩集のタイトルにも採用されました。レシュの持ち歌として、一時レパートリィから落ちますが、後復活し、最後まで演奏されます。ハンター&ウィアの〈Sugar Magnolia〉は定番中の定番として、演奏回数は600回超。ハンターと3人の作になる〈Truckin'〉も500回を超える演奏回数です。

 1970年は以後のバンドの方向性を決める重要なできごとがいくつも起きた年です。1960年代を大いなる助走として、ここから本格的な活動に入ったと見ることもできましょう。

 まずは人事面。オルタモントの悲劇の後、その責任を負わされる形でローリング・ストーンズのロード・マネージャーをクビになった Sam Cutler をデッドはロード・マネージャーとして雇います。カトラーは優秀で、ショウからの収入をしっかり確保して、財政を大いにうるおします。1972年のヨーロッパ・ツアー実現にはイングランド人であるカトラーの尽力が大きい。最初のロンドン公演の録音冒頭でバンドを紹介するカトラーの声は疲れきっています。

 もう一つのできごとは弁護士のハル・カントと契約したこと。カントも優秀な弁護士で、また音楽面でのクライアントをデッドだけに限りました。デッドはカントに窮地を何度も救われることになります。

 また、この年、デッドの楽曲の著作権管理のため Ice Nine Publishing を設立します。

 プラスもあればマイナスもあります。03月、マネージャーだったレニー・ハートが巨額の使いこみをした挙句、大金をもって逐電します。このことでレニーの息子のミッキーは当然ながらたいへんなショックを受け、落ちこみ、翌年02月18日にバンドを離れる羽目に追いこまれました。

 バンド・メンバーにはまだ変化があります。01月30日のニューオーリンズでのショウを最後にトム・コンスタンティンがバンドを離れました。コンスタンティン自身はミュージシャンとして優れていたようですが、デッドの音楽にはついに完全に溶けこむことができませんでした。もっとも、DeadBase にかれが寄稿した記事は、当時のバンドの様子、とりわけツアー中の舞台裏やホテルでの生態を活き活きと伝えています。

 4月に《Workingmans Dead》を録音して、5月にリリース。8〜9月に《American Beauty》を録音して11月にリリースします。

 5月には初めて海を渡り、イングランドでショウをおこないます。後のヨーロッパ・ツアーへの布石の一つになりました。

 とはいえ、音楽面でこの年最も重要で、後々のバンドに長く影響を与えたできごとは、6月末から7月初めに参加した Trans Continental Pop Festival、通称 Festival Express です。これについてはドキュメンタリーの DVD も出ており、様々なところでとりあげられています。デッドに関して言えば、ひとつにはジャムに対する考え方を広げたと思われます。もう一つは〈Goin' Down the Road Feeling Bad〉をデラニー・ボニーから習ったこと。この曲は以後定番として最後まで300回近く演奏されました。

 しかし、この列車の仲間でもあったジャニス・ジョプリンは10月04日に世を去ります。その晩デッドはジェファーソン・エアプレインとの対バンをウィンターランドでしていました。ハンター&ガルシアはジャニスを悼み、〈Bird Song〉を作りました。〈Bertha〉と共に、12月15日にデヴィッド・クロスビー、ガルシア、レシュ、ハートのメンバーで The Matrix で行ったショウでデビューします。

 03月01日のショウのテープでは、まず〈New Speedway Boogie〉のテーマで遊んでいるバンドが捉えられています。Internet Archive にある SBD でも、これと正式なオープナーの〈Casey Jones〉は AUD で、客席でもステージを見ながら皆笑っています。3曲目の〈Big Boy Pete〉のイントロの途中で SBD に切り替わります。

 この〈Casey Jones〉はこういう位置で演奏されるのにふさわしく、まだテンポが段々速くなりません。リピートの部分でも終始同じテンポで、繰返しの回数も多くありません。とはいえ、力の籠もった演奏です。デビューしたての頃のある曲の演奏は後の形に比べると通常よりシンプルですが、だからといってつまらないわけではなく、その時期なりの聴きごたえがあります。そのことは〈Playing In The Band〉のように極端に形が変わる曲でもあてはまります。この曲は当初、5分ほどで終り、ガルシアのソロもほとんどありませんが、それでもその形でやはり聴いて面白いのです。

 ドン&デューイがオリジナルの〈Big Boy Pete〉はリード・ヴォーカルはピグペンですが、むしろコーラスの方が目立つ曲。ここを始め、後の〈I Know You Rider〉や〈Uncle John's Band〉でも、コーラスのハーモニーが決まっています。

 続く〈Morning Dew〉も初期形で、ガルシアはあまりソロを弾かず、むしろヴォーカルで聴かせます。デッドをやる以前のフォーク・シンガーの谺が聞えます。ガルシアがかなりシリアスに唄うのを受けてピグペンが一転、とぼけた味を効かせるのが〈Hard to Handle〉。ピグペンもむしろこういうとぼけた、真面目なのか、不真面目なのか、よくわからない、あるいは両方半々ずつ入っているような歌唱が身上でしょう。続いてウィアが〈Me And My Uncle〉をていねいに歌います。とりわけテンポがゆっくりなわけではありませんが、歌に余裕があります。ガルシアも良いソロを聴かせていい調子ですが、コーダでいきなりテープがちょん切れます。

 そして今回の〈That's It for the Other One〉。これもどちらかというとゆったりした入り。とはいえ、イントロとして〈Cryptical Envelopment〉に続いてドラムス二人の演奏のうちにじわじわと緊張感が高まってきて、駆けあがるベースとともに〈The Other One〉が爆発すると、これは原始デッド真只中。全力疾走するガルシアのギターにレシュのベースが執拗にからみつき、螺旋を描く二人に他のメンバーも負けじと追いすがる。やがて、ガルシアとレシュの美しいデュエットに収斂したと思うと、再び走りだす。ひとしきり走ってメインのモチーフが出て、ウィアが2番を歌い、おさめたところでガルシアが〈Cryptical Envelopment〉を歌いだして、そのままジャム。ここはほとんどフォービートに聞えるところもあり、ガルシアのギターもジャズに踏みこんでます。後に〈The Other One〉だけ独立すると、この部分が落ちてしまうのは惜しい。ジャムがゆっくりと終るのと間髪を入れずに〈Black Peter〉。

 これもいいヴァージョンですねえ。ガルシアのヴォーカルは粘りに粘り、このピーターはとても死にそうにありません。

 〈Beat It On Down The Line〉の冒頭は12発。初めの頃は2、3回のあっさりしたものでしたが、かなり増えてきました。ウィアの歌い方はいい具合にルーズですが、こういう力の抜け方がOKなのもデッドならではと言えそうです。〈Dire Wolf〉もとぼけた歌のとぼけた演奏で、歌詞だけ見ると、「殺さないでくれよ」と懇願していますが、実際の演奏にはそんな深刻さはありません。もっともそのそらとぼけたところに、生々しい恐怖感が隠されてもいるようです。

 〈Good Lovin'〉が始まった途端、時代は60年代、原始デッドの瑞々しさと禍々しさが同居した世界に突入します。ギターとベースのユニゾンがその呼び水。それが〈Cumberland Blues〉でまたフォーク調にもどり、〈I'm a King Bee〉でさらに再びピグペンの支配するブルーズの世界に返る、というこの大きな振幅こそはこの時期の醍醐味です。そして締め括りは〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉。ガルシアは歌もギターも尻上がりに良くなっています。

 アンコール1曲目、UJB はこの歌の最も遅いヴァージョン。あるいはいろいろなテンポで演奏してみて、最適なものを探していたのかもしれません。ここでは前半はドラムレスでギロを使い、ギターもアコースティックな響きで終始します。ハーモニー・コーラスも決まっています。その背後には CSN&Y の大成功があるわけですが、かれらほど声の質が合ってはいなかったデッドでも、ライヴでしっかり決めていたことがわかります。"Take Children home" のあとのリフからインストルメンタルになり、ドラムスとベースも加わり、ガルシアもギターを展開。このセミ・アコースティックからエレクトリックへの移行は試行錯誤の一環かもしれませんが、カッコいい。これも名演ですが、このメロディでダメな演奏ができるのかとも思ってしまいます。最近もジョン・スコフィールドがギター、ベース、ドラムスのトリオでカヴァーしてます。おまけにこの2枚組新作CDのタイトルにこの曲を選んでました。

  アンコールの後ろの2曲は SBD がなく、AUD になります。〈Dancing In The Street〉では途中テープがよれていますし、最後の〈It's All Over Now, Baby Blue〉は末尾で録音がちょん切れます。それでも前者でのガルシアのギターは出色で、この歌のソロとしてはベストの一つ。音質は落ちますが、聴く価値はあります。後者でもガルシアのヴォーカルが聞き物で、この時期、うたい手としてはガルシアに一日の長があります。(ゆ)

 告白するとフリスペルはまったく知らなかった。これが二度目の来日というのに驚いた。どうしてこのライヴのことを知ったのか、つい先日のことのはずだが、もう忘れている。とまれ、とにかく知って行ったのは嬉しい。これもまた呼ばれたのだ。呼んでくれたことに感謝多謝。そしてこの人たちを招いてくれたハーモニー・フィールズにも感謝多謝。

 もう一つ告白すれば、このライヴに行こうと思ったのは、渡辺さんが出るからでもあった。この前かれのライヴを見たのは、パンデミック前だから、もう3年以上前になるはずだ。ドレクスキップ以来、ナベさんの出るライヴはどれもこれも面白かったから、見逃したくない。共演の新倉瞳氏はあたしは知らなかったが、チェロは好きだから、これまた歓迎だ。

 ほぼ定刻、二人が出てきて背後の仏像に一礼、客席に一礼して位置につき、いきなりナベさんがなにやら金属の響きのするものを叩きだした。音階の出せる、平たいものを短かい撥らしきもので細かく叩く。うーん、芸の幅が広がっている。後ではハマー・ダルシマーまで操る。操る楽器の種類が増えているだけではないことは、曲が進むにつれてどんどんあらわになっていった。

 ひとしきり演ってから、やおらチェロがバッハの〈無伴奏チェロ組曲〉第1番を弾きだしたのにまずのけぞる。すばらしい響きだ。演奏者の腕と楽器とそしてこの場の相乗効果だろう。するとそこにナベさんがどんとからんだ。その音の鋭さにまたのけぞる。もうのけぞってばかりいる。こりゃあ、面白い。この二人の「前座」が終って休憩になったとき、隣にいた酒井絵美さんが、「うわあ、面白い。これだけで来た甲斐がありました」と言ったが、まったく同感とうなずいたことであった。

 それにしてもナベさんの音のシャープなこと。音の鋭さではふーちんが一番だと思っていたが、こうなってくるとどちらが上とも言えない。

 曲はバッハの後はナベさんのオリジナルが二つ。一つは雨上がりのまだ木の枝や草の葉の先から雫が垂れているときの感じ。もう一つは京都からナベさんの故郷・綾部に向かう山陰線が、長いトンネルと深い峡谷の連続を抜けてゆく、その峡谷がくり返し現れる情景を曲にしたもの。それぞれに面白い曲なのに加えて、ナベさんの口パーカッションにもいよいよ年季が入ってきて、表現の幅がぐんと広がり、深くなってもいる。いやもう、こんなになっていたとは、クリシェではあるが「別人28号」の文句が否応なく浮かんできた。

 ナベさんの曲作りのルーツにはケルトや北欧があり、ここの音楽は音の動きが細かい。フィドルが盛んなのは、そのせいもある。その細かい動きをチェロでやるのは大変で、チェロでケルトや北欧をやろうという人は、ヨーロッパでも5本の指で数えられるくらいだ。新倉さんは果敢にこれに挑戦している。演奏する姿を見ると気の毒になるくらいで、だからなるべく見ないようにする。そうすると、いやもう、立派なものではないか。こういう人が出てきてくれるのは嬉しい。というか、こういう人がこういうことをやってくれるのは嬉しい。

 二人のステージの最後にフリスペルのリーダー、ヨーラン・モンソンを呼ぶ。元はといえば、昨年この同じヴェニューでモンソン氏とナベさんのライヴを見た新倉さんがナベさんに電話をかけてきて、そのライヴがいかに凄かったか、さんざんしゃべった挙句、一緒にできないかとぼそっと言ったのが今回のきっかけだったのだそうだ。そのライヴはまったく知らず、見逃したのは残念だが、こうして新たにすばらしいライヴが実現したのだから、文句は言えない。

 トリオでやるのはスウェーデンの伝統曲。モンソンさんは例のコントラバス・フルートを持ちだす。とても楽器とは見えないシロモノだが、この人の手にかかると、まさに低音の魅力をたっぷりと味わわせてくれる。クリコーダー・カルテットのコントラバス・リコーダーも似たところがある。あちらはヨーロッパに実際にあったものらしいが、こちらはモンソンさんのオリジナル、のはずだ。クリコーダーのはどちらかというとドローン的な役割だが、モンソン流はよりダイナミックで時にアグレッシヴですらある。そして、この演奏も「ロック調」と本人が言うとおり、即興も加えたたいへんに面白いものだった。

 フリスペルとは要するにスウェーデン版のクリコーダー・カルテットではないか、と後半を見てまず思った。むろん、相当に異なる。まずカルテットではなくトリオだし、今回はとりわけサポートでパーカッションが入っている。一方で笛を操って千変万化、おそろしく多様で多彩、かつオーガニックな音楽を聴かせるところは共通する。なによりも遊びの精神たっぷりなのが似ている。

 前半最後のトリオでの演奏であらためて気がついたのは、ヨーラン・モンソンという人は遊ぶのがうまいのだ。それも自分が遊ぶだけでなく、他人をのせて一緒に遊ぶのがうまい。見ていて思い出したのはフランク・ロンドンだ。もう四半世紀の昔、セネガルのモラ・シラと来て、梅津和時、関島岳郎、中尾勘二、桜井芳樹、吉田達也と新宿のピット・インでやった時のあの遊ぶ達人ぶりが髣髴と湧いてきた。もう6年前になる、ジンタらムータとのライヴもなんともすばらしかった。そのロンドンと同じくらい、モンソンのミュージシャンとしての器は大きく、音楽で遊び、遊ばせる点でも同等の達人だ。このフリスペルはそのモンソンがバンドとして一緒に遊ぶために作ったのだろう。サポートの打楽器奏者も、かれが選んだだけのことはある。

 バンドとして遊ぶとなると一期一会とはまた違った工夫が必要になろう。ここで鍵を握っているのはアンサンブルではめだたない方のアグネータ・ヘルスロームだとあたしは見た。1曲、位置を変えてステージの上手の方に立ったとき、指はまったく動かないのに、音はちゃんと動いているのには驚いた。舌と唇?でやっていたらしいが、ほとんど魔法だ。ディジリドゥーの扱いも堂に入ったもので、インプロまでやってみせる。コントラバス・フルートが2台揃うのを目の前にするのはまた別の感動がある。

 モンソンとともにリードをとるクラウディア・ミュッレルはルーマニアの出身だそうで、彼女のお祖父さんが演っていたという伝統曲はハイライト。2曲のうち、二つ目は森で熊に会ったという、嘘かほんとかわからない話で、パーカッションのイェスペル・ラグストロムが、みごとな日本語のナレーションを入れる。むろん丸暗記だろうが、不自然さはほとんどない。そして、モンソンが日本人女性と日本であげた結婚式でフリスペルが演奏したというウェディング・マーチがまたハイライト。スウェーデンには結婚式のためにウェディング・マーチを作って贈る習慣があるそうで、いい曲がたくさんあるが、これはまた最高の1曲。

 ラグストロムは大小の片面太鼓、カホン、ダラブッカなどに加えて、小型の鉄琴を使う。これがなかなか面白い。膝の上に乗るようなサイズなので、リズムにはおさまらないがメロディにもなりきらない音が出てくる。

 面白い楽器といえば、モンソンが見たこともないものを使っていた。小型の方形の胴の上に4本の鉄弦?を張り、これを木製の太く短かい撥で叩く。これまたリズムともメロディともつかない音が出る。

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 渡辺、新倉が加わっての、スペインはサンチャゴ・デ・コンポステーラ巡礼のための音楽もすばらしい。観光バスで回る四国のお遍路とは違って、この巡礼路はわざとなのか、今でもあまり文明化されておらず、巡礼する人はちゃんと歩くらしい。

 二人はラストのダンス・チューン、800年前から伝わる〈La Rotta〉でも参加した。この曲を初めて聴いたのは、イングランドのアルビオン・カントリー・バンドの《Battle Of The Field》1976で、その時から様々な形で聴いているが、この6人によるものはベストといってもよかった。おまけにここではソロを回す。新倉さんがチェロでしっかり即興をするのに興奮する。こういうこともできる人なのね。

 アンコールは、笛3本で始め、低音担当のヘルストロームがモンソンが使っているのよりさらに短く、一段高い音域の笛に持ち替え。最後にラグストロムが、ごく短く、細い、ほとんど楊枝の様な笛を高く鳴らして終わり。会場、大爆笑。

 いやあ、堪能しました。今月はいろいろ忙しくて、ライヴは最小限に絞っているのだが、その中でこういうものにでくわしたのは、まさに大当り。ハーモニー・フィールズの主催するライヴはちゃんとチェックしなくてはいけない。(ゆ)


ヨーラン・モンソン Goran Mansson:リコーダー、パーカッション
アグネータ・ヘルストローム  Agneta Hellstrom:リコーダー、ディジュリドゥ
クラウディア・ミュッレル  Claudia Muller:リコーダー、口琴
​<サポートゲスト>
イェスペル・ラグストロム Jesper Lagstrom:パーカッション

渡辺庸介:パーカッション
新倉瞳:チェロ

 こういうところでライヴをやってくれるおかげで、ふだん行かない珍しいところに行ける。珍しいとは失礼かもしれないが、このライヴがなければ、まず行くはずのない場所だ。一度来れば、二度目からはハードルが下がる。

 御殿場線に乗るのは生まれてから2度目。最初は御殿場でのハモニカクリームズのライヴに往復した。4年前のやはり秋。御殿場線の駅の中でも谷峨は寂しい方で、これに比べれば御殿場は大都会。言われなければ、こんなところでアイリッシュのライヴがあるなどとは思いもよらない。どころか、降りてもまだ信じられない。それでも駅からそう遠くはないはずで、スマホの地図を頼りに歩く。りっぱな県道が通っているが車もめったに通らない。一緒に降りた地元の人らしき老夫婦は、近くの山陰に駐めてあった軽トラックに乗りこんだ。その先をどんどん行き、角を曲がったとたん、コンサティーナの音が聞えてきた。おお、まちがいない。ここだ、ここだ。

 この店は「スローンチャ」と名づけたライヴ・シリーズを続けていて、今回が18回目。ギターのサムはここでやるのはこれが5回めか6回めになるそうな。他に客がいるのかと思ったら、ちゃんと先客もいて、後から何人もやってくる。半分くらいは車で来たのだろう。

 ここはパンが売りもので、昼飯にクロックムッシュなど二つ三つ買って食べる。なかなか美味。雨が降っていなければ、家で食べるためにいくつか買いこんでいたところではある。飲物ははじめはガマンしてコーヒーにしたが、後でやはり耐えきれずにギネスを飲む。久しぶりでこちらも美味。マスターの話を聞いていると、ビールが美味いそうだが、もう飲めないカラダになってしまった。

 店の建物は宿泊施設を増やすために工事中で手狭ということもあって、すぐ外にモダンなスタイルの天幕を張った下がステージ。その正面、建物から斜めの位置にももう一つ天幕を張って、こちらは客席。少し距離があり、PAを入れている。外の天幕の下で聴くと、音は最高だった。

 生憎の雨模様で、後半、薄暗くなってくると、いささか冷えてきたけれど、山肌を埋めた木々をバックに、脇では薄の穂が揺れている中で聴くアイリッシュはまた格別。サムに言わせれば、この天気もアイルランドになる。

 このトリオでやるのは今回の二連荘が初めてだそうだ。沼下さんのフィドルを生で聴くのはパンデミック前以来だが、どこか芯が太くなって、安定感が増したように聞える。音色がふらつかない。それが須貝さんのフルートと実によく合う。考えてみると、須貝さんがフィドラーとやるライヴを見るのは実に久しぶりだ(記録をくってみたら、2017年の na ba na 以来だった)。この二人のユニゾンは気持ちがいい。片方がハーモニーにずれるのも快感。やはりあたしはフィドルの音、響きが好きなのだ、とあらためて思いしらされる。そして須貝さんのフルートとならぶと、両方の響きにさらに磨きがかかる。須貝さんのフルートには相手を乗せてともに天空を駆けてゆく力があるようだ。

 サムのギターも全体の安定感を増す。一番近いのはスティーヴ・クーニィだとあたしは思っている。派手なことはやらないが、ふと耳がとらわれると、ずんずんと入ってくる。この日は音のバランスも見事に決まっていて、3人の音が過不足なく聞える。それも快感を増幅する。

 前半はオーソドックスなユニゾンを軸に、ジグ、リール、ホーンパイプ? ポルカと畳みかける。曲も地味ながら佳曲が並ぶ。トリッキィなこともやらないし、冒険もしない。そこが気持ちいい。つまり、うまくいっているセッションを聴いている気分。先日の木村・福島組のようなすっ飛んだ演奏もいいし、こういうのもいい。どちらも可能で、どちらも同じくらい愉しい。というのは、アイリッシュの美味しいところではある。

 そう、そして八ヶ岳と木村・福島組の時と同じような幸福感が湧いてきた。それをモロに感じたのは2番目のセットの3曲目のリールが始まったとき、3曲目に入ったとたん、ふわあと浮きあがった。このリールはどちらかというとマイナーなメロディなのだが、気分はメアリ・ポピンズの笑いガスでも吸ったようだ。浮上した気分はワルツでも前半最後のストラスペイでも降りてこない。

 ワルツはベテラン蛇腹奏者 Josephine Marsh の作。その昔サンフランシスコ・ケルティック・フェスティバルに行った時、公式のコンサートがはねてからのパブのセッションで、ロレツも回らないほどべろんべろんに酔っばらいながら、見事な演奏をしていたあのおばさん、いや、あの時はお姉さんでしたね。

 後半は前半よりヴァラエティに富むスタイルということで、ソロでやったり、オリジナルをやったりする。

 スタートはスローなジグのセットで2曲目がいい曲。次はフィドルのソロのリールで始め、一周してからフルートとギターが加わる。シンコペーションのところ、フルートが拍をとばさずに、細かい音で埋めるのが面白い。

 次はフルートのソロで、スロー・エアから2曲目が須貝さんのオリジナル。鳥がモチーフなので、こういうロケーションで聴くのは最高だ。セットの3曲目〈Rolling Wave〉の演奏がいい。

 さらにギターのソロ。サムのオリジナルで〈喜界島の蝶々〉。これを〈町長〉と勘違いした人がいたそうな。そういうタイトルの曲を作るのも面白いんじゃないか。そこから〈Rolling Wave〉と同名異曲。このタイトルの曲はあたしの知るかぎりもう1曲ある。

 後半のワルツは前半のしっとりワルツと対照的な〈Josephin's Waltz〉。元気闊達な演奏で、フィドルとフルートが交替に相手のメイン・メロディにつけるハーモニーが美味しく、この曲のベスト・ヴァージョンの一つ。もう一度聴きたい。

 ラストは〈Mountain Road〉をたどれば〈Mountain Top〉に行くとのことで、この組合せ。スロー・テンポで始め、2周目(だと思う)でテンポを上げ、3周目でさらにもう一段速くする。かっこいい。マーチ、ストラスペイ、リールと曲の変化でテンポを上げるのは定番だけど、曲はそのままでテンポを上げるのも面白い。そのまま2曲目に突入して、最高の締めくくり。ここでようやくエンジン全開。

 アンコールのスライドがまたいい。セットの2曲目、途中で音を絞って3人でユニゾン、ギターがリズムにもどってまた音を大きくするのに唸る。尻上がりに調子が出てきて、第三部があれば文句ないところだけれど、山あいはもう暗くなりかけ、御殿場線の国府津行きの電車の時刻(1時間に1本)も迫ってきたので、それは次回に期待しよう。

 このトリオもいいし、ロケーションもいいので、どちらも次があれば行くぞと思いながら、また降りだした雨の中を駅に急いだ。(ゆ)

 あたしがアイリッシュ・ミュージックのライヴに行くのは珍しいと思われているらしい。確かに、パンデミック後はその前に比べてずいぶん減っている。それにはいろいろな事情があるので、別にアイリッシュ・ミュージックのライヴに行くのが嫌になったからではない。一番の原因はビンボーで、だからライヴに行く回数そのものが全体的に減っている。2番目の原因としては母親の介護が以前より忙しくなった。母も90代になって、さすがにあちこち衰えてきていて、医者にかかる頻度が増えている。3番目はあたし自身も老化は確実に進んでいて、外出するとくたびれる。かつてのように、連日ライヴをこなすような気力体力はもう無い。先日、八ヶ岳に行ったのはだから本当に呼びよせられたので、自分の意志ではない。あそこにいる間ずっと幸福感に包まれていたのはそのせいもあるだろう。

 だからといって、自分の意志で行こうと決めて行くライヴがつまらないわけでもない。もっとも、どのライヴに行くのも、そこに自分の意志がどれだけ働いているのか、八ヶ岳を体験してみると心もとなくなってくる。本当はいつも呼ばれているのではないか。

 これはライヴだけではなくて、本でもレコードでも同じだ。よくよく考えてみれば無数にある選択肢の中からなぜそれを拾いあげるかに、自分の意志がどれくらい入っているか、きわめてあやしくなってくる。ある本をいきなり無性に読みたくなる。あるレコードをいきなり無性に聴きたくなる。そういう体験は何度かあって、これはもう明瞭に呼ばれているとわかるが、そこまでではなくても、ふと手にとる、目について、読んでみる、聞いてみるのも、実は呼ばれているという気がしてくる。

 だいたい、ある本を読む、レコード(音源)を聴く時、そこに「自己の意志」はどれくらい入っているのか。他の人はみんな明確な意志を持って、よし、これを読むぞ、これを聴くぞ、と決意して読んだり聴いたりしているのだろうか。もちろん仕事のため、勉強のため、というような義務的な読書、リスニングは別である。ついでにここに、どの曲を演るか、を入れてもいいだろうが、あたしは演奏はできないから、それについては何も言わない。自分のことを顧みてみれば、次に何を読むか、聴くかは、なりゆきまかせのことがほとんどだと思われる。つまり明瞭に、自分の心と体の状態、人生全体の状況、今いる環境、割りあてられる時間の長さ、等々を勘案し、では、これを読もう、聴こうと決める、なんてことはまずやらない。なんとなく、これあ面白そうだ、と思ったものを手にとる。

 『本の雑誌』の目黒さんは、これから何をどういう順番で読むか、綿密なスケジュールを立て、それが崩れてはまた立てなおしするのが、何よりの愉しみだと言っていた。それなら、「自分の意志」は多少とも入るだろうとも思われる。あたしもマネをして読書計画などたててみたりもするが、まず守れたためしはない。聴く方はもう最初から放棄している。聴くのは、短かければ1枚30分、長くても3〜4時間というところだから、とにかく手許にたまったものを片っ端から聴いていくこともできる。本は読破するのに数ヶ月というのも珍しくはないから、順番くらいは一応決めておいた方がよい気もする。もっとも、篠田一士ではないが、ある長い本を読んでいる途中で、別の本、たとえば中短篇集を読みだすとか、小説を読みながら、紀行を読むとか、そういうことはよくやる。

 とまれ、つらつら思うに、あたしの場合、何かを読む、聴くというところに、あたし自身の意志などというものはほとんど作用していないようだ。だいたい、その前に「あたしの意志」なるものがあるのかすらあやしい。となれば、ある本を読む、レコードを聴くのは、向こうが呼んでくれているのに答えたと思う方がむしろすっきりする。

 ライヴの場合、どのライヴに行くかというのはもう意志とはまず関係がない。そもそも、関心のあるすべてのミュージシャンのスケジュールを完璧に把握し、自分の行動範囲内で行われるギグを確認し、その中から選んで出かける、なんてことはやるつもりもない。まともにそんなことをしだしたら、ほとんど毎日、どこかへ出かけなければならない。そんな金力も体力も無い。だから、ライヴについては、たまたま何らかのツテで知ったものだけを対象にして、その中から行けるものに行く。「たまたま何らかのツテで知る」というのは、表現を変えれば、呼ばれているのと同じだ。

 そう、このギグもやはり呼んでくれていたのだ。これを知ったのは7月の須貝知世&木村穂波デュオのライヴの時で、八ヶ岳と一緒だった。場所もデュオの時と同じムリウイ。今度は夜。行く行くと予約を頼んでいた。

 そうして、期待どおり、すばらしく愉しい体験だった。というよりも、あの幸福感にまた浸されたのである。最初の曲が始まったとたん、八ヶ岳のときのあの幸福感にふわあっと包みこまれた。それから最後まで、音楽が鳴っている間、ひたすら幸福だった。この幸福感はどこから来るのかなんてことは考えもしなかったし、今でもどうでもいい。面白いことに、曲が終ると幸福感もちょっと軽くなる。音楽が鳴っている間だけ、ひたすら幸福なのである。

 もう一つ面白いことに、1週間前の Bosco さんのギグではこういう幸福感は感じなかったのだ。かれが演るのがアイリッシュではなく、オールドタイムであるから、というだけのことだろうか。バスコさんのギグも音楽の愉しさでは勝るとも劣るものではなかったし、ああ、ここでこうして聴いているのは幸せと思ったものの、八ヶ岳とここで感じた幸福感とは少し違った。どこがどう違うというのは、今はもうわからないのだが、違うことだけは覚えている。アイリッシュの方がなじみがあるからだろうか。それだけでもないような気もする。この違い、幸福感の違いはどうでもいいことかもしれないが、あたしにとってはどこかで大事なことのような気もするから、とりあえず記録しておく。

 木村&福島の音楽にもどれば、ここでの音楽のまず選曲が面白い。アイリッシュのダンス・チューンには無数の選択肢があるわけで、そこからどれを選ぶかは、また「呼ばれる」かどうかが関ってきそうだが、それは別として、何を選び、どの順番で演るかは、演奏者の腕の見せどころ、というよりも、たぶんアイリッシュを演奏するまず最初の愉しみであり、最大の愉しみの一つではないか。一応確認したら、お手本にした演奏のままのセットもあり、独自に組んだセットもあるそうだが、どちらにしても、どれもこれも実に面白い選曲であり、組合せだ。意表をつかれるのだ。次の瞬間、ぴったりはまったそのはまり具合が快感となる。聴いたことのある曲でも、驚くほど新鮮な顔を見せる。たいていのセットで最後の曲が一番光るのは、その組合せがうまくいっているからだろう。つまり、選曲眼も良く、かつ良い組合せを作る能力が高い。

 そして、その曲そのものがまた面白い。中にはひどくトリッキィな、メロディ上ではテンポが一瞬ごくゆっくりになるように聞えたりするものもある。こんなのアイリッシュにあるのと抗議したくなりながら、それがリピートされていくうちに、アイリッシュかどうかなんてのはどうでもよくなり、いやあ、おもしれえ、と内心で声をあげている。

 福島さんのフィドルは初見参で、演奏する姿勢同様どっしりとした安定した土台の上に音が流れてゆくのは気持がいい。芯も太くて、木村さんの蛇腹に相対してゆるがない。あたしは Seamus Creagh を連想した。この音は好みだ。始めて3ヶ月というブズーキで披露したソロ演奏も良かった。フィドルに比べると繊細な面がよりはっきりと表に出る。3ヶ月でそこまで弾くのは大したものだと長尾さんが溜息をついていた。

 木村さんのアコーディオンも須貝さんの時に比べるとより奔放で、羽目をはずしている。と見えて、押えるところはきっちり押えている。このデュオはいいなあ。木村さんはソロもいいのだが、相手によって七変化するのが、あたしにはたまらん。

 その二人をうまく煽っていたのが長尾さんのギター。ぐいぐいと背中を押していったり、すっと引いてやわらかく受け止めたり。こういうところはベテランの味ですねえ。

 途中でキーを半音上げるという裏技もくり出す。ひょっとするとアイリッシュで感じる幸福感はこの音の高さ、高音の快感がベースにあるのかもしれない。

 福島さんは高橋創さんにつきあってもらって作った録音を Bandcamp に上げている。値段をつけず、タダで聴けるようにしている。もったいない。高崎での録音だそうで、ひょっとしてかの Tago Studio なのかな。

 それとは別に、このデュオにもぜひぜひ録音を、アルバムを作ってほしい。木村さん、頼みますよ。須貝さんのと1枚ずつ。

 終るまでおたがい気がつかなかったが、村上淳志さんが来ていて、久しぶりに会えて嬉しかった。村上さんのおかげでハープを聴く幅が広がったので、感謝多謝なのである。村上さんといい、梅田さんといい、ハープをやる人は面白い。

 たまたま読んでいた本に引きずりこまれて夢中になっていて、開演前もぎりぎりまで読み、休憩中も読み、帰りの電車でもずっと読みつづける。こんな風に、寸暇を惜しんで本を読むのも久しぶりである。音楽と本が共鳴して、また別の幸福感が生まれていたようだ。(ゆ)

 アマゾンがデスクトップ版の Kindle for Mac を新版にした。従来のものは Kindle Classic と呼んで、間もなく使用できなくするらしい。この新版はアマゾンで買ったもの以外の mobi ファイルを受けつけない。アマゾン以外で買ったり、ダウンロードしたりした Kindle 本もかなりな数あるが、それらは認識しない。新しい本は Send to Kindle を使えとあるのだが、使おうとすると、これまでは問題なく Kindle で読めていた本が、このフォーマットはサポートしていません、と出る。デスクトップ版でこういう態度に出たということは、iPad OS、iOS 用でも同様だろう。

 そこで一度試したもののユーザー・インターフェイスが気に入らなくてお蔵入りさせていた Calibre をひっぱり出した。新しくなっていて、UI もだいぶマシになった。それよりもこれは mobi を epub に変換できるはずだ。試しにやってみると、Lo and behold!、みごとに変換してくれる。変換は MacBook Air (M1) でやるが、「ブック」で一度開けば、iPad mini でも iPhone でも開ける。よしよし、アマゾンが自社以外で入手した電子本は占めだすというのなら、mobi ファイルで持っている本は全部 epub に変換して読もう。

 電子本のメリットはいろいろあるが、配布元の意向次第で読めなくなるのは問題だ。だからできるかぎり紙の本を買うのだが、それができなくなりつつある。洋書の話だ。

 どうしても新刊で欲しいものは別として、従来洋書は一番安い版を探して買っていた。ほとんどは BookFinder で検索して一番安いもの、たいていは古書を買っていた。その方が電子版より安かった。それがパンデミックによって送料が上がり、さらに円安である。送料含めて1冊2,000円を切るのは稀だ。こうなると電子版より高いことが増える。

 新刊は完全に電子本の方が安い。しかし小説はともかく、ノンフィクション類で図版や写真が入っているものは電子版では見にくい。小説でも地図が重要なファンタジーはできるだけ紙で欲しい。地図だけ別にウエブ・サイトなどで公開してくれている人もいるが、まだ少ない。

 電子本は好きではない。上記以外にも、まず画面で読むのが眼に辛い。国籍で買えないことがある。人に貸したり、あげたりできない。読むのにツールと電気が要る。

 買うときは Apple Bookstore、Kindle ストア、楽天 kobo ストアで探し、一番安いものを買っていた。しかし、今後は Kindle はそれ以外には無い場合のみ買うことになるだろう。

 電子本を読むのはもっぱら iPad mini である。重さ、サイズがちょうどいい。そして、すべての電子本が読める。ePub のみならず、mobi も、kobo もアプリを入れればそのまま読める。

 iPhone は画面が小さすぎて、長時間見ていると頭が痛くなる。スマホがデフォルトなのだろうか、ゲームも映画もスマホで見ている人も巷にはかなりいるが、ああいうマネはとてもできない。

 すべての本に電子版があるわけでもない。電子版が出ているのは今世紀に入ってからの本か、古くて著作権が切れたタイトルのどちらかだ。20世紀後半に出た書物の電子化が少ない。古典と目される作品は電子化されていても、ちょっと外れるとダメだ。安田均さんは1960年代、70年代のSFペーパーバックは日本で一番集めたと思うと言っていた。宝物だ。

 雑誌はまた話が別だ。雑誌掲載のみで単行本化されていない中短篇は厖大だ。今世紀初めまでの雑誌は紙のバックナンバーを読むしかない。古書市場に出てこないものもある。古い雑誌に載った小説の著作権はもともと電子化は含まれていないし、著者にもどっているのが普通だし、物故者も増えてくるから、電子化はこれからも進まないだろう。

 何らかの形で単行本化されるものは氷山の一角に過ぎない。そして雑誌初出でしか読めない作品にも、忘れさられるままにするのはもったいないものがたくさんある。SFFのようなエンタテインメント系の作家の中短篇を網羅した全集が出ることは例外に属する。C・M・コーンブルースやジュディス・メリル、トム・リーミィやウォルター・M・ミラー・ジュニアのような作品数の少ない書き手は別として、ディックやスタージョン、セラズニィにシェクリイぐらいだ。シルヴァーバーグは初期に書きまくったものは選集になっている。ルグィンは進行中。アンダースンは中断している。ある作家の全作品を読もうとすれば、ほとんどは雑誌掲載のものを1本ずつあたるしかない。

 F&SF誌は定期購読をやめたことがないから、30年分はある。Asimov's も創刊から数年分はある。死んだ時、こいつらをゴミにするのはもったいないが、どこか、もらってくれるところはあるだろうか。

 電子本のメリットにはもう1つあると最近気付いた。やたらに本を買いこんで積読を増やすことが減った。なくなったわけではないけれど、ブツを買うのは今年に入って激減した。電子本が出ていれば、手許に置いておく必要がないからだ。読みたいときに買える。今のところはではあるが。洋書は買わなくては読めない。だから、とにかく手許に置いておかなくてはという心理も働いて、読めるはずがない量の本を買いこんでいた。その分が大幅に減った。ちょっと寂しくはあるが、やはり良いことではある。(ゆ)

 昨年11月ひと月かけてリリースされたグレイトフル・デッドの《30 Days Of Dead》を年代を遡りながら聴いています。今回は10日リリースの 1971-04-14, Davis Gym, Bucknell University, Lewisburg, PA から第二部オープナー〈Bird Song〉。

 このショウからは第一部9、10曲目の〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉が2012年の《30 Days Of Dead》でリリースされています。

 1971年のショウは計82本。レパートリィは90曲。新曲は18曲。以下、タイトル、作詞・作曲, 収録アルバム、演奏回数。

Wharf Rat; Robert Hunter & Jerry Garcia, (1971, Grateful Dead), 398
Loser; Robert Hunter & Jerry Garcia, 1972, Garcia (JG), 352
Greatest Story Ever Told; Robert Hunter & Bob Weir, 1972, Ace (BW), 281
Deal; Robert Hunter & Jerry Garcia, 1972, Garcia (JG), 427
Bird Song; Robert Hunter & Jerry Garcia, 1972, Garcia, 300
Sing Me Back Home; Merle Haggard, (none), 41
Oh Boy; Sonny West, Bill Tilghman & Norman Petty, (none), 6
I Second That Emotion; William Robinson / Al Cleveland, (none), 8
The Promised Land, Chuck Berry, (none), 434
Sugaree; Robert Hunter & Jerry Garcia, 1972, Garcia (JG), 362
Mr. Charlie; Robert Hunter & Ron McKernan, (none), 50
Empty Pages; Ron McKernan, 2
Jack Straw; Robert Hunter & Bob Weir, (1972, Europe ’72), 478
Mexicali Blues; John Perry Barlow & Bob Weir, 1972, Ace (BW), 443
Tennessee Jed; Robert Hunter & Jerry Garcia, (1972, Europe ’72), 437
Brown-Eyed Women; Robert Hunter & Jerry Garcia, (1972, Europe ’72), 345
One More Saturday Night; Bob Weir, 1972, Ace (BW), 341
Ramble On Rose; Robert Hunter & Jerry Garcia, (1972, Europe ’72), 319
Comes A Time; Robert Hunter & Jerry Garcia, 1976, Reflections (JG), 66
You Win Again; Hank Williams, (none), 25
Run Rudolph Run; Marvin Brodie & Johnny Marks, 7
Big River, Johnny Cash, (none), 399
The Same Thing; Willie Dixon, (none), 40
Chinatown Shuffle; Ron McKernan, (none), 28

 行末の演奏回数で、その曲の定番度がわかります。

 〈One More Saturday Night〉はもともとはロバート・ハンターの作詞でしたが、ウィアが歌う際に歌詞を勝手に変えたことにハンターが怒り、自分はこの歌とは一切無関係としたため、クレジットはウィア単独になっています。また、このことをきっかけにハンターはウィアとの共作も拒否し、替わりにその場にいたジョン・ペリィ・バーロゥをウィアの作詞家に指名しました。この年2月のことです。バーロゥは普通の高校からはじき出された生徒を受け入れるコロラドの高校でウィアと同窓で、デッド・ファミリーの一員として楽屋などにも出入りしていました。このペアの最初の作品が〈Mexicali Blues〉です。かくて、ハンター&ガルシアに加えて、もう一組、曲作りのペアが生まれて、デッドを貫く「双極の原理」がここにも見られます。

 〈Wharf Rat〉〈Jack Straw〉〈Tennessee Jed〉〈Brown-Eyed Women〉〈Ramble On Rose〉(加えて前年末デビューの〈Bertha〉)はどれも演奏回数400回300回を超える定番中の定番曲ですが、ご覧の通り、スタジオ録音が存在しません。初出のアルバムはいずれもライヴ盤です。スタジオ版が無いことを作詞者のハンターは気にしていたそうですが、今から振返ると、これまたいかにもデッドらしい現象に見えます。つまり、たとえある曲にスタジオ録音が存在するにしても、それらが「正式版」というわけでもないことを示唆します。

 スタジオ盤はレストランに置いてある料理見本の蝋細工、というと言過ぎでしょうか。蝋細工は食べられませんが、スタジオ盤はとにかく聴けますし、その音楽の質は悪いものではない。けれどもライヴでの演奏に比べてしまうと、たとえそれがあまり良いとはいえないライヴ演奏であっても、蝋細工を食べているような味気ないものに聴こえます。スタジオ録音は整いすぎている、あるいはきつちり整っていることはデッドらしくないと聴こえます。

 デッドのライヴ音源を聴きつづけていると、妙なことが起こります。歌詞を忘れ、あるいは歌に入りそこない、チューニングが狂い、ミスが連続しても、そうしたマイナス要素も全部ひっくるめて、デッドのライヴを味わうようになります。他のバンドやジャンルだったらぶち壊しになるようなマイナス要素がデッドのライヴではむしろ魅力になる。痘痕もえくぼ、というと、惚れた相手の欠点も輝くことですが、どうもそれとも違います。マイナス要素がプラス要素に転換するわけではない。マイナスがマイナスのまま、魅力になる。

 ヘタウマでもない。これまたよくある誤解ですが、デッドは決してヘタではありません。むしろ、抜群に上手いことは、早い時期からアメリカでも認められています。また、ヘタでは他にどんな魅力があろうと、アメリカのショウ・ビジネスで成功することはできません。デッドは名手揃いですし、アンサンブルとしても最も熟練したレベルです。そういうレベルではミスや失敗は音楽の価値を下げるはずが、デッドではそうなりません。むしろ、ミスのない、完璧な演奏が居心地の悪いものになります。ミスがあるのが当然、いや、必須になるのです。スタジオ録音がつまらないのは、ミスがないからです。これもまたデッドの面白さです。

 デッドがヘタという「伝説」はこのことが原因ではないかと思われます。デッドはミスを恐れません。それよりもそれまでやったことのないことをやろうとします。それで間違うとヘタに聞こえてしまう。それがまたデッドが「不真面目」という評価につながるわけです。しかし、かれらがヘタでも不真面目でもないことは、ライヴ音源に少し身を入れて耳を傾ければ、すぐに納得されます。

 1971年にはまず02月にミッキー・ハートがバンドを離れます。前年にバンドのマネージャーをしていた父親のレニーが横領の上、失踪したことが原因でした。復帰するのは1974年10月20日、ライヴ活動停止前最後のショウの第二部でした。9月に《Skull & Roses》をリリース。10月にキース・ガチョーが加わります。また、The Greatful Dead, Inc. を設立しました。

 《Skull & Roses》ジャケットに掲げられたデッドヘッド、ここでは "Dead Freaks" への呼びかけによって、カリフォルニア州サン・ラファルのオフィスに世界中から手紙がなだれこみます。日本からも送られました。ここから熱心なファンの集団が出来、かれらはデットヘッドと呼ばれるようになります。

 このショウのヴェニューは大学の施設です。この頃からデッドは大学でのショウを積極的に行います。デッドがショウを行った大学施設は総計約120ヶ所。会場となった大学に籍をおく学生には割安のチケットが用意されました。ここでライヴに接した学生たちが後にデッドヘッドの中核を形成していきます。年齢的には、デッドのメンバーと同じか、すぐ下の世代です。会場となった大学は、カリフォルニア大学の各キャンパスやスタンフォード、MIT、ラトガース、プリンストン、コロンビア、ジョージタウン、イェール、有名なバートン・ホール公演のコーネルのように名門とされるものが少なくありません。したがってデッドヘッドにはアメリカ社会の上層部が多数含まれることになりました。スティーヴ・ジョブズ、ビル・ゲイツなどデジタル産業の立役者たちは最も有名ですが、その他の実業家、政治家、弁護士、医師、学者、芸術家、軍人、官吏等々、あらゆる分野にいます。ずっと後ですが、デッドのショウの舞台裏にいた上院外交小委員会委員長のもとへ、ホワイトハウスから電話がかかってきたこともあります。

 デッドヘッドは決して髪を伸ばし、タイダイのTシャツを着て、マリファナをふかすヒッピーばかりではありません。あるいはデッドのショウに来る時はそれにふさわしい恰好をするにしても、普段は他の人たちと変わらない外見をもつ人びとも含まれるようになります。また数の上でも一握りの限られた集団というわけでもありません。むしろ、アメリカの現在の社会を作っている要素のなかでも大きな比重を占めていると見るべきでしょう。

 一方で、デッドヘッドには、アメリカ社会の主流からはじき出された人びと、ミスフィットもまた多く含まれます。デッドのメンバーやその周囲に集まった人びと自身がミスフィットだったからです。デッド世界はミスフィットたちの避難場所、シェルターとしても作用しました。幼児期に性的虐待を受け、施設を転々とした揚句、デッドの行く先々についてまわるツアー・ヘッドのファミリーに出逢って救われ、充実した人生を送っている人もいます。

 このショウからも多くのデッドヘッドを生んだことと思われます。ハートが抜けて、シングル・ドラムになって2ヶ月ですが、クロイツマンはその穴を感じさせません。

 〈Bird Song〉は前年末にデビューしてこれが7回目の演奏。後のように充分に展開しきったとは言えませんが、ガルシアのヴォーカルにはまだジャニスを失った実感がこめられています。

 この後はまだクローザーになる前の〈Sugar Magnolia〉、そして組曲版の〈That's It for the Other One〉、〈Wharf Rat〉。〈Wharf Rat〉はだめなヴァージョンをまだ聴いたことがありませんが、これはまた出色。そしてピグペンの〈Hard to Handle〉。ピグペンは鍵盤のはずですが、ここではほとんど聞えません。とはいえ、歌はまだまだ大したものです。ここでのウィアとガルシアのギター合戦も聞き物。ガルシアはこういう曲ではロック・ギターを弾いています。締めは〈Not Fade Away> Goin' Down The Road Feeling Bad> Not Fade Away〉。このセットは定番としてよく演奏されます。〈Not Fade Away> Goin' Down The Road Feeling Bad〉でのガルシアのソロは快調に飛ばします。音域はごく狭いのに面白いフレーズがあふれてくるのはガルシアの真骨頂。〈Not Fade Away〉ではピグペンもはじめはタンバリン、後ではヴォーカルで参加し、ウィアと掛合います。間髪を入れずに〈Johnny B. Goode〉で幕。アンコール無し。

 この後は17日にプリンストン、18日にニューヨーク州立大でのショウです。春のツアーは月末のフィルモア・イーストでの5連荘まで続きます。(ゆ)

 40年ぶりということになろうか。1970年代後半、あたしらは渋谷のロック喫茶『ブラックホーク』を拠点に、「ブリティッシュ・トラッド愛好会」なるものをやっていた。月に一度、店に集まり、定例会を開く。ミニコミ誌を出す。一度、都内近郊の演奏者を集めてコンサートをしたこともある。

 「ブリティッシュ・トラッド」というのは、ブリテンやアイルランドやブルターニュの伝統音楽やそれをベースにしたロックやポップスなどの音楽の当時の総称である。アイルランドはまだ今のような大きな存在感を備えてはおらず、あたしらの目からはブリテンの陰にあってその一部に見えていた。だからブリティッシュである。トラッドは、こうした音楽のレコードでは伝統曲のクレジットとして "Trad. arr." と書かれていることが多かったからである。フランスにおけるモダンな伝統音楽の優れた担い手である Gabriel Yacoub には《Trad. Arr.》と題した見事なソロ・アルバムがある。

 この愛好会についてはいずれまたどこかで書く機会もあろう。とまれ、そのメンバーの圧倒的多数はリスナーであって、プレーヤーは例外的だった。そもそもその頃、そうした音楽を演奏する人間そのものが稀だった。当時明瞭な活動をしていたのは北海道のハード・トゥ・ファインド、関西のシ・フォークぐらいで、関東にはいたとしても散発的だった。バスコと呼ばれることになる高木光介さんはその中で稀少な上にも稀少なフィドラーだった。ただ、かれの演奏している音楽が特異だった。少なくともあたしの耳には特異と聞えた。

 その頃のあたしはアイルランドやスコットランドやウェールズやイングランドや、あるいはブルターニュ、ハンガリーなどの伝統音楽の存在を知り、それを探求することに夢中になっていた。ここであたしにとって重要だったのはこれらがヨーロッパの音楽であることだった。わが国の「洋楽」は一にも二にもアメリカのものだったし、あたしもそれまで CSN&Y で洗礼を受けてからしばらくは、アメリカのものを追いかけていた。「ブラックホーク」で聴ける音楽も圧倒的にアメリカのものだった。そういう中で、アメリカ産ではない、ヨーロッパの音楽であることは自分たちを差別化するための指標だった。

 もちろんジャズやクラシックやロックやポップス以外にも、アメリカには多種多様な音楽があって、元気にやっているなんてことはまるで知らなかった。とにかく、アメリカではない、ヨーロッパの伝統音楽でなければならなかった。だから、アメリカの伝統音楽なんて言われてもちんぷんかんぷんである。オールドタイム? なに、それ? へー、アパラチアの音楽でっか、ふうん。

 高木さんの演奏する音楽がオールドタイムであるとは聞いても、またその演奏を聴いても、どこが良いのか、何が魅力なのか、もう全然まったく理解の外だった。ただ、なにはともあれ愛好会の定例会で生演奏を聞かせてくれる貴重な存在、ということに限られていた。不遜な言い方をすれば、「ブリティッシュ・トラッド」ではないけれど、生演奏をしてくれるから、まあいいか、という感じである。

 こういう偏見はあたし一人のものではなかった。当時は若かった。若者は視野が狭い。また誰も知らないがおそろしく魅力的な対象を発見した者に特有の「原理主義」にかぶれてもいた。たとえば上記のコンサートには「オータム・リヴァー・バレー・ストリング・バンド(つまり「秋川渓谷」)」と名乗るオールドタイムのバンドも参加していたのだが、その演奏を聞いた仲間の一人は、こんなのだめだよ、トラッドじゃないよ、と言いだしたものだ。

 振り返ってみると、オールドタイムをやっている人たちも居場所を求めていたのだろう。当時、アメリカの伝統音楽といえばブルーグラスとカントリーだった。この人たちも結構原理主義者で、オールドタイムは別物としてお引取願うという態度だったらしい。実際、ある程度聴いてみれば、オールドタイムがブルーグラスでもカントリーでもないことは明瞭ではある。音楽も違うし、音楽が演奏される場も異なる。ブルーグラスもカントリーもあくまでも商業音楽であり、オールドタイムは共同体の音楽だ。共同体の音楽という点ではまだ「ブリティッシュ・トラッド」の方に近い。もちろん「ブリティッシュ・トラッド」も商業音楽としてわが国に入ってきていたけれども、共同体の音楽という出自を忘れてはいないところは、そもそもの初めから商業音楽として出発したブルーグラスやカントリーとは別のところに立っていた。

 さらに加えて、高木さんの演奏は、その頃からもう一級だった、という記憶がある。オールドタイムという音楽そのものはわからなくても、演奏の技量が良いかどうかは生を聴けばわかるものだ。少なくともそうでなければ、よくわからない音楽の演奏を愉しむことはできない。

 当時の高木さんはどこか栗鼠を思わせる細面で、小柄だけどすらりとしたしなやかな体、伸ばした髪をポニーテールにしていた。このスタイルもおしゃれなどにはまったく無縁のあたしにはまぶしかった。

 と思っていたら、いきなり高木さんの姿が消えたのである。定例会に来なくなった。あるいはあたしが長期の海外出張で定例会を休んでいた間だったかもしれない。オールドタイムを学ぶために、アメリカへ行ってしまったのだった。そう聞いて、なるほどなあ、とも思った。念のために強調しておくが、その頃、1970年代、80年代に、留学や駐在などではなく、音楽を学びに海外に行くなどというのはとんでもないことだった。しかも高木さんのやっているオールドタイムには、バークリーのような学校があるわけでもない。各地の古老を一人ひとり訪ねあるいて教えを乞うしかないのだ。それがいかにたいへんなことかは想像がついた。同時にそこまで入れこんでいたのか、とあらためてうらやましくもなった。ちなみに、アイルランドやスコットランドやイングランドの伝統音楽を学びに現地に行った人は、あたしの知るかぎり、当時は誰もいない。例外として東京パイプ・ソサエティの山根氏がハイランド・パイプを学びに行っていたかもしれない。

 それっきり、オールドタイムのことは忘れていた。はっきりとその存在を認識し、意識して音源を聴きあさるようになったのは、はて、いつのことだろう。やはり Mozaik の出現だったろうか。その少し前から、ロビンさんこと奥和宏さんの影響でアメリカの伝統音楽にも手を出していたような気もするが、決定的だったのはやはり2004年のモザイクのファースト《Live From The Powerhouse》だっただろう。ここに Bruce Molsky が参加し、当然レパートリィにもオールドタイムの曲が入っていたことで、俄然オールドタイムが気になりだした、というのが実態ではなかったか。

Live From the Powerhouse
Mozaik
Compass Records
2004-04-06



 そこでまずブルース・モルスキィを聴きだし、ダーク・パウエルを知り、そして少したってデビューしたてのカロライナ・チョコレート・ドロップスに出くわす。この頃、今世紀の初めには古いフィドル・ミュージックのヴィンテージ録音が陸続と復刻されはじめてもいて、そちらにも手を出した。SPやLP初期のフィールド録音やスタジオ録音、ラジオの録音の復刻はCD革命の最大の恩恵の一つだ。今では蝋管ですら聴ける。オールドタイムそのものも盛り上がってきていて、この点でもブルース・モルスキィの功績は大きい。後の、たとえば《Transatlantic Sessions》の一エピソード、モルスキィのフィドルとマイケル・マクゴゥドリックのパイプ、それにドーナル・ラニィのブズーキのトリオでオールドタイムをやっているのは歴史に残る。



 かくてオールドタイムは、アイリッシュ・ミュージックほどではないにしても、ごく普通に聴くものの範囲に入ってきた。その何たるかも多少は知りえたし、魅力のほどもわかるようになった。そういえば『歌追い人 Songcatcher』という映画もあった。この映画の日本公開は2003年だそうで、見たときに一応の基礎知識はすでにもっていた覚えがあるから、あたしがオールドタイムを聴きだしたのは、やはりモザイク出現より多少早かったはずだ。


Songcatcher
Hazel Dickens, David Patrick Kelly & Bobby McMillen
Vanguard Records
2001-05-08


 一方、わが国でも、アイリッシュだけでなく、オールドタイムもやりますという若い人も現れてきた。今回高木さんを東京に呼んでくれた原田さんもその一人で、かれのオールドタイムのライヴを大いに愉しんだこともある。いや、ほんと、よくぞ呼んでくれました。

 高木さんはアメリカに行ったきりどうなったか知る由もなかったし、帰ってきてからも、関西の出身地にもどったらしいとは耳にした。「愛好会」そのものも「ブラックホーク」から体良く追い出されて実質的に潰れた。あたしらは各々の道を行くことになった。それが40年を経て、こうして元気な演奏を生で聴けるのは、おたがい生きのびてきたこそでもある。高木さんは知らないが、あたしは死にぞこなったので、嬉しさ、これに過ぎるものはない。

 まずは高木さんすなわち Bosco 氏を呼んだ原田豊光さんがフィドル、Dan Torigoe さんのバンジョーの組合せで前座を努める。このバンジョーがまず面白い。クロウハンマー・スタイルで、伴奏ではない。フィドルとのユニゾンでもない。カウンター・メロディ、だろうか。少しずれる。そのズレが心のツボを押してくる。トリゴエさんは演奏する原田さんを見つめて演奏している。まるでマーティン・ヘイズを見つめるデニス・カヒルの視線である。曲はあたしでも知っている有名なもので始め、だんだんコアなレパートリィに行く感じだ。

 フィドルのチューニングを二度ほど変える。これはオールドタイム特有のものらしい。アパラチアの現場で、ソース・フィドラーたちが同様に演奏する曲によってチューニングを変えているとはちょっと思えない。こういうギグで様々な曲を演奏するために生じるものだろうが、それにしても、フィドルのチューニングを曲によって変えるのは、他では見たことがない。それもちょっとやそっとではないらしく、結構な時間がかかる。それでいて、「チューニングが変わった」感じがしないのも不思議だ。あたしの耳が鈍感なのかもしれないが、曲にふさわしいチューニングをすることで、全体としての印象が同じになるということなのか。チューニング変更に時間がかかるのは、原田さんが五弦フィドルを使っていることもあるのかもしれない。

 二人の演奏はぴりりとひき締まった立派なもので、1曲ごとに聴きごたえがある。最後は〈Bonapart's Retreat〉で、アイルランドの伝統にもある曲。同じタイトルに二つのヴァージョンがあり、それを両方やる。バンジョー・ソロから入るのも粋だ。これがアイリッシュの味も残していて、あたしとしてはハイライト。この辺はアイリッシュもやる原田さんの持ち味だろうか。

 この店のマスターのお父上がフィドラーで、バスコさんの相手を務めるバンジョーの加瀬氏と「パンプキン・ストリング・バンド」を組んで半世紀ということで、2曲ほど演奏される。二人でやるのはしばらくぶりということで、ちょっとぎごちないところもあるが、いかにも愉しくてたまらないという風情は音楽の原点だ。

 真打ちバスコさんはいきなりアカペラで英語の詩ともうたともつかないものをやりだす。このあたりはさすがに現場を踏んでいる。

 そうしておもむろにフィドルをとりあげて弾きだす。とても軽い。音が浮遊する。これに比べればアイリッシュのフィドルの響きは地を穿つ。あるいはそう、濡れて重みがあるというべきか。バスコさんのフィドルは乾いている。

 今でもわが国でアイリッシュ・ミュージックなどでフィドルを弾いている人は、クラシックから入っている。手ほどきはクラシックで受けている。まったくのゼロからアイリッシュ・ミュージックでフィドルを習ったという人はまだ現れていない。高木さんはその点、例外中の例外の存在でもある。見ているとフィドルの先端を喉につけない。鎖骨の縁、喉の真下の窪みの本人から見て少し左側につけている。

 加瀬さんがバンジョーを弾きながら2曲ほど唄う。これも枯れた感じなのは、加瀬さんのお年というよりも音楽のキャラクターであるとも思える。もっともあたしだけの個人的イメージかもしれない。

 バスコ&加瀬浩正のデュオは2001年に Merl Fes に招かれたそうで、大したものだ。そこでもやったという7曲目、バスコさんが唄う〈ジョージ・バック?(曲名聞きとれず)〉がハイライト。オールドタイムはからっとして陽はよく照っているのだが、影が濃い。もっとも、この日最大のハイライトはアンコールの1曲目、バスコ&加瀬デュオに原田、ダニーが加わったカルテットでの〈Jeff Sturgeon〉(だと思う)。オールドタイムでは楽器が重なるこういう形はあまりないんじゃないか。このカルテットでもっと聴きたい。

 それにしても、あっという間で、ああ、いいなあ、いいなあと思っていたら、もう終っていた。良いギグはいつもそうだが、今回はまたひどく短かい。時計を見れば、そんなに短かいわけではないのはもちろんだ。

 原田さんの相手のダン・トリゴエさんは、あの Dolceola Recordings の主催者であった。UK Folk Radio のインタヴューで知った口だが、ご本人にこういうところで会うとは思いもうけぬ拾いもの。このギグも、御自慢の Ampex のプロ用オープン・リール・デッキで録音していた。動いているオープン・リール・デッキを目にするのはこれまた半世紀ぶりだろうか。中学から高校にかけて、あたしが使っていたのは、Ampex とは比較にもならないビクターの一番安いやつだったけれど、FM のエアチェックに大活躍してくれた。オープン・リールのテープが回っている姿というのは、LPが回っているのとはまた違った、吸い込まれるようなところがある。CDの回るのが速すぎて、風情もなにもあったものでない。カセットでは回っている姿は隠れてしまう。

 帰ろうとしたときに加瀬さんから、自分たちもブラックホークの「ブリティッシュ・トラッド愛好会」に出たことがあるんですけど覚えてませんか、と訊ねられたのだが、申し訳ないことにもうまったく記憶がない。だいたい、愛好会でやっていたこと、例会の様子などは、具体的なことはほとんどまったく、不思議なほどすっぽりと忘れている。ほんとうにあそこで何をやっていたのだろう。

 このバスコさんを招いてのギグは定例にしたいと原田さんは言う。それはもう大歓迎で、ぜひぜひとお願いした。オールドタイムにはまだまだよくわからないところもあって、そこがまた魅力だ。(ゆ)

Bosco
Bosco
Old Time Tiki Parlou
2023-04-07



バスコ・タカギ: fiddle, vocals
加瀬浩正: banjo, vocals
原田豊光: fiddle
Dan Torigoe: banjo

 昨年11月ひと月かけてリリースされたグレイトフル・デッドの《30 Days Of Dead》を年代を遡りながら聴いています。今回は07日リリースの 1972-10-24, Performing Arts Center, Milwaukee, WI から〈The Other One> He's Gone> The Other One〉。36:50はこの年の《30 Days Of Dead》最長トラック。

 第二部もクライマックス、〈Truckin'〉から  Drums を経て切れ目なしにこのメドレーに入り、ここで一度終り。〈Casey Jones〉〈Johnny B. Goode 〉で締めて、アンコール無し。〈The Other One〉の直後、機器トラブルにみまわれたとウィアが宣言しているので、アンコール無しはそのせいかもしれません。

 1972年は春のヨーロッパ・ツアーを筆頭に、デッドにとって最初のピークの年。1965年の結成以来右肩上がりに昇ってきたその頂点を極めた年です。春だけでなく、1年を通して絶好調を維持しています。

 このショウは同じヴェニュー2日連続の2日目。夜7時半開演のポスターが2種残っています。ひとつは全員完全に骸骨のバンドが踊っているもの。もうひとつは両側に蓬髪を垂らした頭蓋骨がこちらを睨んでいるもの。どちらもなかなかおどろおどろしくもあり、ユーモラスでもあり。

 この秋は働きづめで、08月27日、カリフォルニア州ヴェネタでの有名なショウ、09月03日コロラド州ボゥルダーでのショウの後、09日からツアーに出て10月02日に打上げ。09日にウィンターランドに出て、17日からセント・ルイスのフォックス・シアターでの三連荘から30日までツアー。11月13日から26日までまたツアーしています。春のヨーロッパ・ツアーのせいでしょう、夏に長いツアーをしていない埋合せでしょうか。

 年間のショウは計86本。1971年以降では最多。レパートリィは88曲。新曲は以下の13曲。

Black-Throated Wind; John Perry Barlow & Bob Weir
Looks Like Rain; John Perry Barlow & Bob Weir
The Stranger (Two Souls In Communion); Ron McKernan
How Sweet It Is (To Be Loved By You); Brian Holland, Lamont Dozier & Eddie Holland
Sidewalks Of New York; Charles B. Lawlor & James W. Blake
Who Do You Love; Ellas McDaniel (Bo Diddley)
He's Gone; Robert Hunter & Jerry Garcia
Hey Bo Diddley; Ellas McDaniel (Bo Diddley)
Rockin' Pneumonia and The Boogie Woogie Flu; Huey Smith / Johnny Vincent
Stella Blue; Robert Hunter & Jerry Garcia
Mississippi Half-Step Uptown Toodeloo; Robert Hunter & Jerry Garcia
Weather Report Suite Prelude; Bob Weir
Tomorrow Is Forever; Dolly Parton & Porter Wagoner

 カヴァー曲はいずれも単発ないし、数回の演奏でした。うち〈How Sweet It Is (To Be Loved By You)〉はデッドでは1回だけの演奏ですが、ジェリィ・ガルシア・バンドのレパートリィとして定着します。

 一方、オリジナル曲はピグペンの曲を除き、いずれも定番となります。

 デッドはステージではMCをしないために、ピグペンの曲はファンの間では長いこと〈Two Souls In Communion〉と呼ばれていました。《The Golden Road》に収録された際に〈The Stranger〉とされました。この年の03月12日から05月26日まで、13回演奏。

 ピグペンは前年末に復帰しますが、ヨーロッパ・ツアーで決定的に健康を損ない、06月17日を最後のステージとしてバンドから離れます。

 一方、前年大晦日に初ステージを踏んだドナ・ジーン・ガチョーはヨーロッパ・ツアーを経て完全にバンドに溶けこみ、1970年代の最も幸福な時期どデッドの音楽をより複雑多彩で豊饒なものにするのに貢献します。同時にデッドはピグペンのバンドから完全に離陸します。

 楽曲にもどって、〈He's Gone〉はバンドの金を使いこんで逃げた前マネージャーのレニー・ハートの一件を歌った曲。3月にかれは横領の罪で懲役6ヶ月を言い渡され、服役しました。横領した金の一部も返したようです。バンドは結局、損害賠償請求の訴訟も起こしませんでした。替わりに作ったこの歌は後に挽歌の性格を強め、関係者やバンドと親しい人間が死ぬと追悼に演奏されるようになります。

 バーロゥ&ウィアの2曲はこの年5月にリリースされたウィアの初のソロ《Ace》のために書かれた曲。《Ace》はバック・バンドがデッドそのままですし、プロデュースにはガルシアもかなり「口を出し」ています。そのためデッドのアルバムとして数える向きもありますが、デニス・マクナリーのバンドの公式伝記 A LONG STRANGE TRIP によれば、この録音を主導したのはあくまでもウィアで、どこからどう見てもこれはウィアのソロ・プロジェクトであるそうです。

 さらにこの年、バンドは自前のレコード会社として Grateful Dead Records、Round Records を設立します。ロック・ミュージシャンが自前のレコード会社を設立することはビートルズの Apple Records 以来珍しくありませんが、配給・販売まで自前でやろうとしたところはいかにもデッドらしい。そして見事に失敗するところはさらにデッドらしい。

 デッドは他人なら絶対にやらないようなことをあっさりとやってしまいます。そしていつもものの見事に失敗して、危機に陥ります。そうした危機を、かれらは音楽に集中し、より良い演奏をめざし、質の高いショウを重ねることで乗り越えていきました。それが可能だったのは、それらの失敗が後向きのものではなく、前向きのものだったからでしょう。

 10月24日のこのショウの SBD は第二部の後半のみ残っているようです。ショウ全体の録音は AUD があります。

 AUD はモノーラル録音、ステージからはやや遠いようで、細部は聴きとれませんが、ヴォーカルやギター、ドラムスの一部は明瞭です。ベースはどうしても落ちますけれども、一部わかるところもあります。

 演奏はさすがにピークの年、気合いの入ったもの。〈Truckin'〉でのガルシアのギターがなんともすばらしい。ウィアの歌の裏で弾いているのも、ソロになってからも、絶好調の時の、意表をつくフレーズがどんどんとあふれてきます。ここでの Drums は元来は〈The Other One〉の元になった組曲の一部で、単独時代でもこの年のクロイツマンはレシュが「鬼神」と呼んだのもよくわかる大活躍。それに引き出された〈The Other One〉はデッドの真骨頂。ベース・ソロもいいし、ガルシアのアヴァンギャルドなギターが縦横に駆けめぐります。こういう抽象的、不定形な即興が聴いていて面白いと感じられるのがデッドのデッドたるところ。メンバー各自の音楽的素養の深さと広さに支えられたものでしょう。

 その最中にガルシアがいきなりリフを始めて〈He's Gone〉。ここでもガルシアのギターがメイン・メロディの変奏からどんどん外れてゆき、しかも楽曲の大枠からははずれない、絶妙のバランスをとって流れてゆきます。それに他のメンバーがからみ、対抗して展開する集団即興の面白さには身もだえしてしまいます。この歌のベスト・ヴァージョンの一つ。

 そして今度はベースが音頭をとって〈The Other One〉にもどり、ウィアが2番を歌っておさめます。ここで一度終るので、〈Casey Jones〉と間をおかずに続ける〈Johnny B. Goode〉がアンコールに聞えなくもありません。(ゆ)

 7月の下旬に須貝知世&木村穂波デュオのライヴに行ったら、8月最終週末にこんなイベントがあります、とアナウンスがあった。聞いた途端に行こうと思った。その時はわからなかったが、呼ばれていたのだ。

 少し経って、あらためて路線や乗換えを調べだして、行こうと思ったことが自分で不思議になった。誰かに誘われるとか、仕事がらみでないかぎり、あたしが自分で動くということはまず無い。どっしり根を下ろした人間なので、そういうフェスティヴァルがあると聞いただけで行こうという気になるのは、いつものあたしなら考えられないのだ。

 山梨というのも作用したかもしれない。これが茨城とか群馬とかだったら、おそらく動かなかったにちがいない。山梨は神奈川からは隣になる。実際に行ってみれば、北杜市は山梨でも一番奥で、結構な時間がかかった。結局は群馬や茨城に行くのとそう変わらないかもしれない。とはいえ、気分としてはすぐお隣りである。一方、都心を越えてその向こうへゆくのは、心理的に負担がかかる。都心は壁なのだ。

 しかし、たぶん一番大きいのは、須貝さんには人を呼ぶ力があるのだ。それは表現が強すぎるというなら、その周りに人が集まってくる星まわりに生まれている。あるいはそれを人徳と呼んでもいい。そういう力、星まわり、人徳はどうやら北杜市に移ってから身についたもののようでもある。いや、それよりはもともと備わっていたものが、北杜市という土地の持っているものとの相乗効果で顕在化したのだろう。それはいろいろな形であらわれていたが、何よりもこのフェスティヴァルそのものが生まれたのは、須貝さんが移住したからである。

 昨年に続いて今年が第2回目。会場は清里一帯の4ヶ所。あたしはそのうち3ヶ所を訪れることになった。8月最後の週末金曜日夜の hatao & sam のライヴに始まり、日曜午後の tricolor のライヴまでの2日半。規模も参加者の数も小さなものではあったけれど、なんとも愉しい。参加者のほとんどが何らかの楽器をやっていて、その人たちはもちろん愉しかっただろう。

 日曜日に小海線が止まってしまい、小淵沢の駅まで車で送ってくださったのは名古屋から来ていた方で、昨年も参加し、あまりに愉しかったので、名古屋に帰ってからあちこち言いふらしたそうな。そのおかげで今年は名古屋から5人見えていたという。

 観光に来たついでにやってきたイングランド人一家も大いに愉しんでいた。日曜の朝食後、食堂で自然発生で始まったセッションのとき、母親は生涯2番目に愉しいとまで言っていた。母親とその二人の息子は、観光で京都に来て、京都の「ケルトの笛屋さん」でフェスティヴァルのチラシを見、オーガナイザーの斎藤さんに水曜日に電話をかけてきたのだそうだ。オクスフォードでスロー・セッションを10年主催していて、母親と長男はフィドル、次男はギターを持ってきていた。3人ともなかなかの遣い手で、とりわけ長男は一級のフィドラーだった。こういう人たちがやってくるというのも、須貝さんが呼んだのだ。かれらが帰ってから宣伝して、来年は海外からの参加者が増えるかもしれない。

 一方で、あたしのような、楽器演奏にはまるで縁のない人間でも、その場にいることがひどく愉しかった。ふり返ってみれば、土曜日の午後、折りからの土砂降りの雨の中に着いた瞬間から1日半、どっぷりとアイリッシュ・ミュージックに漬かりこんで、その間、ずっと幸福感に包まれていた。あの土地一帯がしあわせの国で、そこに入ると誰でもいつでも幸福感に包まれる。まるでそんな感覚。日曜の夜、新宿行きの臨時特急の座席にすわりこんで、初めてくたくたにくたびれていることに気がついた。休みなしに、幸福感に包まれつづけるのは、くたびれることなのだ。それにしてもあの愉しさは、いったい、どこから生まれていたのだろう。

 まず第一に挙げるべきはオーガナイザーとスタッフのチームの尽力だ。それぞれの企画がスムーズに運んでゆく。計画に無理がないし、スタッフの動きも急いでもいないし、無駄がない。少なくともそう見えるし、実際にもそうでなければこうはいかない。

 オーガナイザーの斎藤さんによると、昨年は当初からフェスティヴァルをやろうと計画していたわけではなく、別の形で始めながら、途中で、えい、フェスティヴァルにしちゃえとやったそうだ。今年は始めからフェスティヴァルをする計画をたてた。フェスティヴァルの一つの特徴は、複数の企画が同時に別々のところで進行することだ。参加者はそのうちどれかを選ぶ。選ぶ方は簡単だが、用意する方は単純に作業が同時進行するイベントの数だけ倍になるわけではない。そのまた倍くらいの作業量になる。そうした量も大きく、質も求められる作業をこなしてイベントが滑らかにおこなわれるようにするのは誰にでもできることではない。企画・立案・運営にたずさわったスタッフの皆さんには心からの感謝を表します。

 とはいえ、後から思うと、それだけではない。単にみごとに仕事をしているだけではなかった。参加した者が、そこにいること、参加していることが愉しいと感じられる何かを発散していたようだった。それが地元住民主体だったろうスタッフの方々からたちのぼるのか、北杜という風光からたちのぼるのか、その合体なのか、あたしにはまだわからない。とにかく、少なくともあたしはあそこにいる間じゅうその魔法にかけられていたように感じられる。

 あたしは土曜日午後の木村穂波さんによるアイルランドの歴史と音楽の講演と、その夜の須貝知世&木村穂波デュオによる投げ銭ライヴを見た。日曜日は午前中、長尾晃司さんによる伴奏についてのワークショップを見学し、午後、tricolor のライヴを見る。正式のプログラムには入っていなかったが、土曜日夜のライヴの後はセッションとなり、何といってもこれがハイライトだった。

 木村さんの講演の会場は「八ヶ岳コモンズ」。なかなか面白い施設で、廃校になった小学校をそのまま、机や椅子の備品も含めて貸出しているようだ。図工室では機械の音がしてなにやら作っていたし、体育館では夏休みの課外授業らしきことをやっていた。

 講演の会場は階段状になった音楽教室。黒板の上に幕を下ろしてスライドを映し、その前で木村さんがアイルランドの歴史のポイントを話す。そしてそれに関連する楽曲を hatao、須貝、木村の三氏が演奏する。

 この形は面白い。歴史と音楽の結びつけ方は少々強引なところもあるが、アイリッシュ・ミュージックの楽曲は裏で歴史とかたく結びついていることを具体的な形で示すのは効果的だ。聴衆はことばの上だけではなく、音楽を伴なった体験として記憶する。より深く刻まれる。

 木村さんは現地に住んでの体験もまじえるから、話がより具体的に、生々しくなる。ノーザン・アイルランド社会の分断の実際もよくわかる。もっとも、分断されているとはいえ、ユニオニスト、ナショナリストそれぞれの居住地域の間に壁があるわけではなく、人間はその気になりさえすれば自由に往来できる。とすれば、その境界に住んでいる人間はいるはずだから、どういう暮らしをしているのかも気になってくる。

 休憩をはさんで質疑応答。共和国とノーザン・アイルランドの音楽は違うのか。ジャガイモ飢饉の時はジャガイモが全滅したというが、その時アイルランドの人たちは何を食べていたのか。アイリッシュ・ミュージックは貧乏人の音楽だが、貧乏人が楽器を買えたのか。ドイツではナチスと結びついたため、フォーク・ミュージックは戦後タブーとなったが、アイルランドで伝統音楽とナショナリズムの結びつきはあるのか。いや、面白い。

 共和国とノーザン・アイルランドで音楽が違うわけではない。ただし、ノーザン・アイルランドでは意識して伝統音楽を選んでやっている。
 ジャガイモ以外には食べるものが無かったので、たくさんの人が死んだ。
 楽器を買えたかどうかは不明。
 アイルランドでも伝統音楽とナショナリズムは結びつく傾向がある。ナショナリズムの表現として伝統音楽をやっている人も少なくない。

 あたしなりに補足すれば、ノーザン・アイルランドでアイリッシュ・ミュージックをやっているのはナショナリストに限られる。かつてはプロテスタントのユニオニストたちにもアイリッシュ・ミュージックをやっている人もいたのだが、1960年代以降、いわゆるノーザン・アイルランド紛争が始まると次第に減り、今はまったく消えてしまったそうだ。ユニオニストの伝統音楽としては7月12日を中心とするいわゆるオレンジ行進に付添うファイフ&ドラム・バンドぐらいだ。一方、カトリックのナショナリストがアイリッシュ・ミュージックを熱心にやるのは、自分たちの帰属意識の表現でもあり強化手段でもあるのは、共和国と通じる。

 楽器はパイプを除けば、皆工夫して手に入れていたようだ。アコーディオン、コンサティーナは工業製品でかなり安く流通していたし、フィドルは手許にある材料で作ってもいた。ブリキのフィドルも残っている。ホィッスル、フルートはもっと簡単に作れる。パイプは地主・領主などの富裕層が買い与え、御抱えのパイパーとして雇うという慣習があった。かつてのハープの地位にパイプがとって替わったわけだ。

 また楽器は演奏者から演奏者へ代々受け継がれてもいた。今でこそ、アイリッシュ・ミュージック用の楽器は優れた製作者が何人もいて、良い楽器が次々に生まれているが、かつてはそうではなかった。例えばフルートは19世紀イングランド製が最高とされて、古い楽器が大切に使われていた。アイリッシュ・ミュージックの楽器は自分の所有物ではなく、一時的な預かりものであって、死ねば次の人に渡すべきものと考えられてもいた。パイプもリアム・オ・フリンが使っていたセットはレォ・ロウサムが作ったもので、Na Piobairi Uliieann が管理し、オ・フリンの前はウィリー・クランシーが使っていた。今は Colm Broderic という若手パイパーに貸与されている。

 講演が終ると hatao さんの軽トラ改造キャンピングカーに乗せてもらって、宿である竹早荘に向う。



 ここは宿泊だけでなく、その晩の須貝&木村デュオの投げ銭ライヴと翌日の長尾さんの伴奏ワークショップの会場でもある。

 昔なつかしい民宿の趣で、枕カバー、掛布団カバー、シーツは自分でそれぞれかけるし、扉に鍵なんかない。トイレ、洗面所は共同。周囲は雑木林。ウエブ・サイトの写真は真冬に撮ったものだろうが、夏は緑一色の真ん中にある。この建物の前の庭では焚き火もできる。周りは静かで、夜は虫の声もあまり聞えなかった。そういえば、蝉の声もほとんど聞いた覚えがない。標高1300メートル前後だからか。

 夕食はビュッフェ方式。和食とエスニックの折衷のような、何だかわからないが旨い。味噌汁もあって、実になっている菜っ葉がふだん味噌汁では食べつけないものだが妙に旨く、訊いたら空芯菜だった。ご飯もあったが、おかずだけでお腹がいっぱい。デザートに配られたバナナのアイスクリームがまた絶妙で、ますますお腹いっぱい。

 こうしていい気分になったところで、須貝&木村デュオのライヴとなる。ギターは長尾さん。このデュオはアニー、先日の松野氏、そして今回の長尾さんと見ているが、それぞれ味わいは違いながら、全体の印象は変わらない。根幹のデュオの音楽はゆるがない。その味の違いを書きわけるのは無理だが、今回は音楽の流れがめだっていると聞えた。前回の松野氏の時はビートの存在が大きくて、跳ねている印象だった。ギターそのものは逆で、長尾さんの方がビートが強く、松野氏はより柔かいのは面白い。

 今回は曲を何回くり返すかはあまり厳密に決めていないそうで、ものによっては興にのって何度もリピートする場面もある。なかなかいい。

 それにしてもこのデュオは本当にいい。聴くたびに良くなる。アイリッシュ・ミュージックでは楽器の組合せはジャズ以上に自由だが、フルートとアコーディオンという組合せはあまり聞かない。若さにまかせて突走るのでもなく、わざわざ誰も知らないような曲を探してくるような偏屈でもなく、いわゆる玄人好みの渋い演奏だけでもない。華やかさがあって、バランスが実にちょうどいい。最初に聴いた頃に比べると、須貝さんのフルートが太くなっている。自ら北杜市に移住しようとしていて、今回のフェスティヴァルでもスタッフの一角をつとめていたサムは、北杜市に来てから須貝さんの笛の音が太くなったという。たぶん単純に太くなっただけではないのだろうが、表面では太く聞える。人を呼びよせる人徳が表に出てきたのが、フルートの音にも現れているのだろう。

 このお二人にはぜひぜひ、アルバムを作って欲しい。今のこの音楽を形として残しておいてほしい。音楽の姿は常に変わっているからだ。変わったその姿もいいはずだが、今のこの音楽とは違うものになる。

 長尾さんのサポートも例によって見事で、極上の音楽を堪能する。

 ところが、もっとすばらしいものがその後に待っていたのだ。ライヴが終って少しして同じ食堂で始まったセッションである。入りたい人は全員どうぞというので20人以上が円く座る。その外側にも何人かいる。まだ楽器を始めたばかりの人たちだ。その中の一人は1曲しか参加できなかったけれど、すごく愉しかったと後で言っていた。

 イングランドからの3人も楽器を持ってきた。それから真夜中12時の門限まで、延々途切れることなく続いたセッションは、たぶんこのフェスティヴァルの華であり、これが最高と、参加していた人たちは誰もが思ったのではないか。

 はじめはなるべく全員がやれるような曲が出ていた。最年少の斎藤さんの9歳の息子さんもホィッスルで曲出しをする。面白いのは日本人はほぼ全員参加している曲にイングランド人たちは入らない。知らないらしい。逆にかれらが出す曲についていく人は少ない。hatao さんとか須貝さん、木村さんぐらいだ。こういうものにもお国柄が出るらしい。1時間半ほどたったあたりでちょっと休憩の形になり、そこで半数が抜けた。風呂に入る人もいれば、寝る人もいる。それからがまた凄かった。須貝さんの旦那がフルートで渋いスロー・エアを披露もした。かれに会ったのは引越す前、東京でだが、その時はこんな姿は想像できなかった。気がつけばサムの夫人もコンサティーナを手にしている。ここに来るとみんなこうなるのだろうか。イングランド人の兄貴のフィドル・ソロも出た。これにはサムがギターでいいサポートをつけた。音楽は違うが雰囲気は完全にマーティン・ヘイズ&デニス・カヒルである。あたしはとにかくもう陶然として、ひたすら音楽を浴びていた。いいセッションはリスナーにとっても最高の音楽なのだ。

 あとで気がついたが、フィドルを持っていたのは、イングランド人二人と斎藤さんだけだった。笛が圧倒的に多い。次に蛇腹。バゥロンが一人。わが国のネイティヴにとってフィドルは敷居が高いらしい。斎藤さんもごく小さい頃ヴァイオリンを習った、習わされた経験を持っている。わが国にもフィドルの名手は多いが、皆クラシックから入っている。アイリッシュでゼロからフィドルを始めてモノにしている人はまだいないのか。

 日曜日の朝御飯はもう少し普通の和食に近く、これまた結構な味。コーヒーも旨い。コーヒーさえ旨ければ、あたしは文句は言わない。

 朝食が終って少しして、またセッションが始まった。今度は数人で、イングランドの二人が引張る形。この時だけ、ここだけではなく、結構あちこちで自然発生的にセッションがあったらしい。そういえば、夕食前、宿の庭の焚き火を囲んでやっている人たちもいた。そういう即席のセッションもフェスティヴァルならではだろう。

 誰が考えたのか知らないが、伴奏ワークショップというのはなかなか乙な企画だ。長尾さんという恰好の講師が来たからかもしれない。どちらかというと講義形式で、リール、ホーンパイプ、ジグ、スライド、ポルカとリズム別に伴奏をつける勘所を簡潔に説明し、実演する。実演には須貝さんがフルートでつきあう。須貝さんが同じ曲を演奏するのに、違う手法で伴奏をつけてみたりする。伴奏の付け方で曲の印象が変わるのがわかる。こういうのはリスナーにとってもありがたく、面白い。

 参加者は多くないが、どなたも自分なりにかなり明確な問題意識をもって臨んでいたようだ。具体的な質問がぽんぽん出る。

 以前、トシバウロンとやった楽器別アイリッシュ・ミュージック講座のギターの講師にも長尾さんを頼んだのは、この人は自分のやっていることをきちんと言語化できるからだ。質問にもていねいに答えている。こういう人がわが国アイリッシュ・ミュージックの弦楽器伴奏の第一人者であることの幸運を、われわれはもっと噛みしめるべきだろう。

 参加した最後のイベントは森の音楽堂での tricolor のライヴだ。午前中は伴奏ワークショップと同じ時間帯にここで中藤、中村両氏によるスロー・セッションが行われていた。



 ここは響きがとてもいい。スロー・セッションでも楽器の響きがそれはきれいだったそうだ。

 面白いのは、客席側は平面に椅子を並べることもできるが、階段状の座席がステージ対面の壁に折り畳まれる形で造りつけになっていて、電動でこれが前にすべり出る。座席もスイッチ一つで起きあがる。最後部は天井近くまで届く。席は当初、平面に設営されていたが、ミュージシャンの要請もあり、この階段席に変更になった。あたしは大喜びで最上段の真ん中に座った。平面と階段ではそれだけで音も違う。階段のどの段にすわるかでも変わる。中段から下が普通にはおそらくベストだろうが、tricolor のサウンドの設定もあるのか、最上段で聴くフィドルとコンサティーナの音があたしには実に魅力的だったのだ。

 オープナーは〈マイグレーション〉。これで始めて〈アニヴァーサリー〉で締める、というのが、このところの tricolor のライヴの定番らしいが、この2曲の威力をあらためてライヴで体験すると、それもまことにもっともだとしか思えない。〈マイグレーション〉が始まったとたん、実に久しぶりに生で聴くその音に、ああ、帰ってきたと涙腺がゆるんだ。ここでゆるんだ涙腺は、ラストの〈アニヴァーサリー〉にいたって、とうとう溢れだした。この2曲、とりわけ〈アニヴァーサリー〉ラストの爛僖奪侫Д襯戰覘瓩砲亘睨,宿る。レコードですら聴くたびにこみあげてくるものがある。ましてやライヴである。ほとんど3年ぶりのだ。それも、清里という「しあわせの国」で。

 もちろんこのふたつだけではない。前半6曲目、須貝さんが入っての〈マウス・マウス〉の弾む愉しさ。後半オープナーの〈Railway Polka〉もいい。アニーがアヴァンギャルドなアコーディオンを聞かせる。須貝さんは出てからは出ずっぱり。その次がまた凄い。今年出した絵本とCDをセットにした Nook に収録の〈Ennistymon Set〉。これには hatao さんも加わってのクインテット。須貝さんはホィッスルを手にする。音の厚みにぞくぞくする。そしてお待ちかね〈夢のつづき〉。アニーはもうシンガーとしても一級だ。須貝さんのフルートの太い音がアニーの声と溶け合って、あたしは桃源郷にいる。続く〈ボンダンス〉で、アニーが手拍子を求める。聴衆には演奏者も多いからか、ここまでダンス・チューンでも手拍子が出ない。それにしても愉しい曲で、あたしはリールから盆踊りビートに戻るところがとりわけ好き。もとに戻るところの愉しさは、グレイトフル・デッドで味をしめた。〈アニヴァーサリー〉では再び hatao さんが加わり、今度はダブル・フルート。アニーはピアノに回る。アンコールは午前中のスロー・セッションでやったポルカを本来のテンポでやって幕。

 開演前、休憩、終演後にロビーで hatao さんがケルトの笛屋さんを開店していて、人だかりが絶えない。斎藤さんの息子さんは初めて目にし、吹いてみたのだろう、高価なホィッスルに夢中になっていた。

 ひとつお願い。今回は個々のイベントごとにチケットを買う形しかなかった。どのイベントにも自由に出入りできる通し券ないしパスの形のチケットも販売してください。

 今夜はこの北杜市のアイリッシュ・ミュージック・コミュニティの核でもある Bull & Bear で打上げがあるそうだが、帰らねばならない。清里ではまだかんかん陽が照っていたが、小淵沢まで降りてくると、周囲には山が迫り、陽は夕焼けを残してすでに山の向うに入っていた。甲州の山は険しい。小淵沢から新宿までの間に二つの駅にしか止まらない特急は、夕闇の底を縫ってひた走る。来年も来るべえ。生きてあるかぎり、杖をついてでもひとりで動けるかぎり、このフェスティヴァルが開かれているかぎりは何度でもまた来よう。来年は24、25日になるか。いつの間にか眠っていて、ふと気がつくと列車は八王子に着こうとしていた。(ゆ)

2023-09-10 追記
 イングランドからの3人の楽器は本人たちが持ちこんだものではなく、かれらの依頼でオーガナイザーが手配して貸したものだった由。後で教えられた。
 

 昨年11月ひと月かけてリリースされたグレイトフル・デッドの《30 Days Of Dead》を年代を遡りながら聴いています。今回は22日リリースの 1973-12-19, Curtis Hixon Convention Hall, Tampa, FL から〈Dire Wolf; Black-Throated Wind; Candyman〉。この3曲は連続ではなく、各々間は切れています。

 このショウは大半が記念すべき《Dick's Picks, Vol. 1》でリリースされています。そこに収められていないトラックのうち、第一部クローザー前の〈Ramble On Rose〉が2012年の《30 Days Of Dead》でリリースされ、今回、これも未収録の第一部4曲目からの3曲がリリースされました。これでこのショウの26トラック中18トラック、2時間半が公式にリリースされたことになります。例によって Internet Archive ではショウ全体の SBD の Charlie Miller によるミックスがストリーミングで聴けます

 この年のショウは計72本、レパートリィは77曲。新曲は〈China Doll〉〈Eyes Of the World〉〈Loose Lucy〉〈Row Jimmy〉〈Here Comes Sunshine〉〈They Love Each Other〉、〈Weather Report Suite〉、それに〈Wave That Flag〉。最後のものは後に改訂されて〈U. S. Blues〉として生まれかわります。いずれも定番として、長く、また数多く演奏されます。

 年初は秋にリリースされる《Wake Of The Flood》の録音に費し、始動は02月09日のスタンフォード大学でした。このショウでは上記のうち〈Weather Report Suite〉を除く7曲が一気にデビューしています。1971年10月19日のミネソタ大学でも一気に7曲デビューしています。7曲というのはこの2回だけで、5曲デビューが3度ほどあります。

 今回の12月19日はこの年最後のショウです。1968年以降、ビル・グレアムの死ぬ1991年までの間で、年間を通して活動してなおかつ大晦日の年越しショウをしていないのはこの年だけです。

 03月08日、ロン・“ピグペン”・マカナンが多臓器不全により27歳で世を去りました。後にピグペンの父は息子と人生をともにし、その人生を充実した、実り豊かなものにしてくれたことに感謝する手紙をバンドに送りました。ピグペンはデッドのキャリアにつきそう死者たちの最初のひとりでありました。この死者たちの列に最後に加わったのがジェリィ・ガルシアです。グレイトフル・デッドはその名前通り、死者たちのバンドでもあります。

 ニコラス・メリウェザーによる《30 Trips Around The Sun》の「史上最長のライナーノート」によれば、この年はテープの存在が顕著になった年でした。『ローリング・ストーン』誌には東西両海岸のテープ交換、分配のシーンが紹介されました。この頃はまだオープン・リールによるもので、主に7インチの、おそらくは細ハブが使われたのでしょう。テープ・スピードを 9.5cm/秒にすれば往復で3時間入り、平均的なショウを1本にできます。このテープの世界は翌年から1976年にいたる大休止の時期に爆発的に拡大します。後にグレイトフル・デッドの初代アーカイヴィストになるディック・ラトヴァラがデッドのテープと出会って、頭から飛びこんでゆくのも1975年でした。

 12月19日のショウはこの年の総決算のようにすばらしい出来です。その年最後のショウは翌1974年10月20日も含めて、出来の良いものが多い中でも、これはトップを争います。この年のベストの1本のみならず、全キャリアの中でも指折りです。これが完全な形で公式リリースされていないのは何とも歯痒い。Internet Archives のストリーミングでも音は十分良いので、一度は通して聴かれることを薦めます。

 全体にひどくゆったりとしたテンポ。ゆっくり演る時のデッドは調子が良いことが多い。1976年の大休止からの復帰の後もゆったりとしたテンポが快いですが、このショウはそれよりもさらにゆったりしています。とりわけガルシアの持ち歌で顕著で、ガルシアはどの歌も歌詞を噛んで含めるように、言葉を愛おしむようにていねいに歌います。ガルシアはシンガーとしては疑問符が付けられる傾向がありますが、たとえばヴァン・モリソンのようなうたい手ではなかったとしても、十分個性的な説得力を備えています。デッドをやる前のブルーグラスやフォークを演っている時の録音を聴いても、むしろ一級のうたい手と言ってもよいことは明らかです。デッドの音楽の魅力は器楽演奏の部分だけではなく、歌があってのものです。

 今回の3曲はまさに歌を聴かせる曲で、どれもガルシアがソロをとる場面はあってもごく短かい。もっとも、ウィアの持ち歌では、ヴォーカルの裏でガルシアはずっと美味しいギターを弾いています。これ以外でも〈Jack Straw〉〈El Paso〉でも聴けます。ソロとは異なり、あくまでも歌を立てる伴奏の範疇に留まって出しゃばらないところが見事ですが、時に耳をもっていかれます。自分もコーラスをつける時にはギターは弾いていませんから、それだけギターに集中しているのでしょう。

 これでもわかる通り、ガルシアは絶好調で、ソロをとるときでも一瞬たりとも耳が離せません。本人も自覚しているのでしょう、〈Big River〉ではなかなかソロをやめません。特筆すべきは〈Here Comes Sunshine〉〈He's Gone〉〈Nobody's Fault But Mine〉。最後のものはブルーズ・ギターではなく、ほとんどジャズです。歌も元気一杯。ラストの〈Around and Around〉でも、およそロックンロールの定石からははずれたギター。アンコール〈Casey Jones〉のギターもいい。そして何といってもこの時期の〈Playing In The Band〉は特別。初めは5分ほどの普通の曲だったものが、どんどん長くなり、ついには30分を越えるようになるこの曲の成長と変化は、デッド音楽を聴く醍醐味の一つです。

 ここでの〈Playing In The Band〉はまだ終始ビートがあり、あたしには一番面白い形ですが、第二部の〈The Other One〉になると深化の階梯を一段上がっていて、後半に後の Space に通じる抽象的、スペーシィなジャムになります。復帰後の1977年春から第二部中間に Drums> Space が必ず置かれるようになりますが、大休止前にはこういう曲が途中から Space や Drums になります。いずれにしても、フリーリズムで不定形な集団即興は、バンドのごく初期から最後まで、常にそのショウの一部でした。ここは賛否両論別れるところかもしれませんが、あたしはこれがあってのデッドのライヴと思います。

 もうひとつ、このショウの質の高さはガルシアの好調だけに由来するものではありません。こういう時は他のメンバー各々にしても、またバンド全体として、みごとな演奏をしています。ここで目に(耳に)つくのはキースで、ドラムスに替わってビートを支えたり、面白いフレーズを連発したり、ここぞというところでツボにはまった演奏を聴かせます。なお、このショウではドナはお休みです。

 《Dick's Picks, Vol. 1》はもちろん聴いていましたが、こうしてショウ全体を聴くとやはりいろいろと発見があります。デッドにとっての「作品」とは、スタジオ盤ではなく、一本一本のショウであることもすとんと胸に落ちます。(ゆ)

 昨年11月ひと月かけてリリースされたグレイトフル・デッドの《30 Days Of Dead》を年代を遡りながら聴いています。今回は03日リリースの 1974-07-29, Capital Centre, Landover, MD から〈Scarlet Begonias; Jack Straw〉。この2曲も切れています。

 1975年は飛ばされていますが、無理は無いので、デッドはツアーをせず、年間を通じてショウは4回だけ。それも2回はフェスティヴァルに参加した短かいステージです。いずれも既に何らかの形で全てリリースされています。

 1974年は10月20日にウィンターランドで「最後の」ショウをするまで、ショウの数は40本と少ないですが、バンドとしてはいろいろと忙しい年です。レパートリィは83曲。新曲は6曲。〈U.S. Blues〉〈It Must Have Been The Roses〉〈Ship Of Fools〉〈Scarlet Begonias〉〈Cassidy〉〈Money Money〉。最後のもの以外は、以後、定番として長く数多く演奏されます。

 〈Scarlet Begonias〉は復帰後の1977年春から〈Fire on the Mountain〉を後につないでペアとして演奏されます。〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉と並んで人気の高い、定番中の定番となり、名演も多く生まれます。ですが、1974年、76年に50回近く単独で演奏されたものにも優れた演奏はあり、この日のものはそのベストの1本です。

 この年まず一番大きなできごととしては Wall of Sound が完成します。理想のライヴ・サウンドを求めて、ペアことアウズレィ・スタンリィたちが立ちあげた Alembic が中心となって開発したモンスターPAシステムです。前年からショウでの実地テストを繰返し、3月23日、カウパレスでのショウで正式にお披露目されました。5月12日、これを携えたツアーがモンタナとカナダから始まります。6月に《From Mars Hotel》をリリース。9月にはヨーロッパ・ツアーに出て、ロンドン、ミュンヘン、ディジョン、パリと「ウォール・オヴ・サウンド」をかついで回りました。

 一方、この年勃発した石油危機によって運送コストが法外なほど上がり、「ウォール・オヴ・サウンド」の維持費が耐えられる限界を超えます。完成形の「ウォール・オヴ・サウンド」機材の総重量は75トン。運搬にはトレーラー5台が必要で、組立て解体には30人の専従スタッフがいました。組立てに1日かかるので、連日のショウをこなすためには、二組用意して、一組をひとつ先の会場に送っていました。

 《フロム・マーズ・ホテル》はリリースしたものの、自前のレコード会社をもう続けられないことは誰の目にも明らかになっていました。

 こうした様々なストレスが重なり、ドラッグの消費量も目に見えて増えます。

 重なりあった問題を解決するため、バンドはライヴ活動を全面的に休止することを決め、10月16〜20日のウィンターランドでの公演を千秋楽として大休止に入りました。チケットにでかでかと "The Last One" のハンコが押された20日の「最後」のショウが終った時点では、グレイトフル・デッドがグレイトフル・デッドとして再びステージに立つ日が来るのか、誰にもわかりませんでした。20日のショウの第二部にミッキー・ハートがドラム・キットを持って駆けつけて復帰したのも、これを逃せば二度とバンドとしてともに演奏することはできなくなるという危機感からでした。

 その頃、太平洋の反対側で大学に入ったばかりだったあたしは、クラシックからプログレを経て、ブリテン、アイルランドの「トラッド」とその頃本朝では呼ばれていた不思議な音楽の虜となる一方、アメリカン・ロックの洗礼を CSN&Y によって受けようとしていました。グレイトフル・デッドの名も耳にしたものの、少し後でリアルタイムで買った《Steal Your Face》によって、以後追いかけようという意志を奪われます。デッドの音楽に開眼し、生きてゆくのになくてはならぬものになるのは、それから40年近く経た2010年代初めのことでした。

 07月29日のショウは7月19日から8月6日までの夏のツアー後半も終盤です。このツアーの後は9月のヨーロッパ・ツアーで、その次のショウは10月下旬のウィンターランドです。

 ショウには夜7時開演、料金6.50ドルのチケットが残っています。全体の4割に相当するトラックが2012年の《Dave's Picks Bonus Disc》に収録されました。第一部2曲めの〈Sugaree〉とクローザー〈Weather Report Suite〉、それに第二部の前半です。このうち〈The Other One> Spanish Jam> Wharf Rat〉は2019年の《30 Days Of Dead》でもリリースされました。今回の〈Scarlet Begonias; Jack Straw〉は第一部の6、7曲目です。これで全体の半分のトラックがリリースされたことになります。

 バンドの内外でそれぞれからみあった問題がより深刻になり、解決の道筋も見えない状況にあって、かえってそれ故にでしょうか、音楽の質は高いものです。72年のピーク時に比べても、質が落ちたとは感じられません。新曲もいずれもすばらしく、それによってショウの質が上がっている効果もあります。

 このショウもきっちりしていて、とりわけ、ウィアが歌っている時にその背後で弾いているガルシアのギターが聞き物です。〈Jack Straw〉でも聴けますが、3曲目の〈Black-Throated Wind〉や〈El Paso〉、第一部クローザー〈Weather Report Suite〉の〈Let It Grow〉では耳を奪われます。

 ソロのギターも冴えているのは〈Scarlet Begonias〉に明らかですし、〈Deal〉もいい。面白いのはクローザー前の〈To Lay Me Down〉で、ガルシアはほとんどギターを弾かず、バックはドラムス、オルガン、ベースという組合せ。デッドではきわめて珍しい組合せで、しかもぴったりとハマっています。

 ゆったりしたテンポの〈Sugaree〉と、〈Let It Grow〉での明瞭なメロディに依存しない不定形なジャムも十分面白い。ただこの二つの手法は、1976年の復帰後にあらためて突き詰められて、1977年の第二の、そして最高のピークを特徴づけるもとになります。バンドとしてのライヴ活動はやめるのしても、演奏ではすでに次のステップへ向けての運動が始まっていたのでした。(ゆ)

  昨年11月ひと月かけてリリースされたグレイトフル・デッドの《30 Days Of Dead》を年代を遡りながら聴く企画、今回は24日リリース、1976-09-27, Community War Memorial Auditorium, Rochester, NY からの〈Might As Well; Samson and Delilah〉です。第二部オープナーからの2曲。このショウからはこの後、drums の直後〈The Other One〉が2012年の《30 Days Of Dead》でリリースされています。開演夜7時半。料金7ドルのチケットが殘っています。

 1976年は06月03日に、1974年10月20日以来、1年7カ月ぶりにツアーに復帰します。この年のツアーは06月07月と09月10月の2回、ショウは41本、レパートリィは66曲。新曲はバーロゥ&ウィアの〈Lazy Lightening〉と〈Supplication〉のペア、ハンター&ガルシアの〈Might As Well〉と〈Mission in the Rain〉。そしてレヴェレンド・ゲイリー・デイヴィスのカヴァー〈Samson And Delilah〉。〈Mission in the Rain〉はデッドでは5回演奏されただけで、ガルシアのソロ・プロジェクト専用の曲になります。こういう曲は他にもあり、例えば〈Ripple〉が同じく、デッドからジェリィ・ガルシア・バンドに移っています。

 〈Might As Well; Samson and Delilah〉はどちらもバネのよく効いたビートにのった闊達な演奏。全員が溌剌としていて、大休止の効果は明らかです。このメンバーでまた演奏できる愉しさにあふれています。

 こうして並べて聴くと、この二つは片方が片方の霊感の元になったように聞えます。どちらかといえばガルシアの曲がウィアに後者を持ち出すきっかけを与えた気がします。

 次の〈Help on the Way〉からクローザーの〈Around and Around〉までひと続きです。〈Help on the Way〉は〈Slipknot!> Franklin's Tower〉と続くのが通例ですが、ここでは〈Slipknot!〉の次に drums>〈The Other One> Wharf Rat〉がはさまって〈Slipknot!〉に戻り、〈Franklin's Tower〉でまとめて、クローザーにつなぎます。〈Slipknot!〉から直接〈Franklin's Tower〉につながないのはこの年の特徴といわれますが、こういう尋常でないことをする時は調子が良く、この日もエネルギーに満ちた、見事な演奏です。

 drums はもちろんですが、〈Help on the Way〉のコーダに顕著なように、再びダブル・ドラムスになったメリットがよくわかります。ようやく全員揃ったという思いもこの演奏の質を押し上げているかもしれません。〈Slipknot!〉は特定のメロディに依存しない、フリーの集団即興=ジャムの曲で、かつての〈Caution (Do Not Stop On Tracks)〉に通じるところもありますが、ずっと洗練されていて、複雑になっています。このヴァージョンは緊張感漲るなかに、目一杯愉しんでもいて、デッドを聴く醍醐味ここにあり。drums>〈The Other One> Wharf Rat〉もテンションは落ちませんが、また〈Slipknot!〉にもどるところはスリリングです。〈Franklin's Tower〉では途中でやや息切れしたようでもありますが、それでも演奏をやめたくない様子も伺えます。このあたりが1976年で、翌年になると充実した演奏をショウの最初から最後まで貫いて維持するようになります。

 アンコールの〈U.S. Blues〉はゆったりしたテンポで、やはりこれを歌えるのが愉しくてたまらないのがありありとわかります。かくて、十二分の休養をとり、大休止前に抱えていた様々の問題をとりあえず精算して、音楽に集中する体制を整えることができたデッドは、キャリアの頂点を迎えることになります。(ゆ)

 この秋にプランクトンが呼ぶ二つのアクト、イタリア南部、長靴の踵にあたるプーリア州のバンドとスペイン・バスクのバンドを紹介するトークイベントに赴く。話者は松山晋也とサラーム海上の両氏。

 バスクから来るのは特有の伝統楽器チャラパルタのオレカTX。TX はチャラパルタのバスク語スペルの頭2文字。バラカンさんのLive Magic に出る。チャラパルタは蛇腹のケパ・フンケラのバンド・メンバーとして来たのは見ている。木の角材を並べて、これに両手に持った丸い棒を落として音を出す。原始的な木琴のような形と音だが、必ず二人以上で演奏する。5人ぐらいまであるらしい。演奏者はたがいにタイミングをずらし、同時に複数の音が鳴ることはない。分担するから、ガムランのように一人では不可能な演奏ができる。
 


 今回はチャラパルタの二人を中心に、やはりバスク特有のリード楽器のアルボカ、それにブズーキとパーカッションの組合せ。このバンドはケパ以降も二度ほど来日しているそうな。1つは現代舞踏のアーティストとの共演、もう1つは六本木ヒルズのイベント。双方のビデオが流される。どちらも面白そうで、知っていたら行ったはずだ。

 最近のビデオではケパの時よりも二人の奏者の息の合い方がずっと練りあげられていて、ほとんど腕が4本あるように見える。それにずっとにこにこしている。演奏が楽しくてしかたがないふぜい。

 このバンドをめぐって『遊牧のチャラパルタ』というドキュメンタリー映画が作られている。その予告篇も流される。チャラパルタの二人が北西アフリカ、インド、北極圏、モンゴルに行き、先々でその土地の材料、石、氷、木を使って楽器を作り、地元の人たちと共演する。サラームさんによると、訪問先の人びとはいずれもその地域で差別を受けているマイノリティの人たち。バスク人たちもスペイン、フランスそれぞれで差別されているマイノリティで、そういう人間同士の結びつきを試みる意志は徹底している。

 楽器自体はシンプルだが、素材を削って音程を合わせてゆくのに苦労する。とりわけ石は削りにくくて大変だったらしい。

 映画はプランクトン自身が日本語字幕を作成して挿入している。まずは上映会がある。今のところDVDなどのパッケージ販売の予定は無いそうだ。DVDやCDなどのソフトのパッケージ販売は絶滅寸前だそうで、こういう映像作品の流通が難しくなっている、と会場に来ていたバラカンさんが言う。YouTube にでも上げるしかないらしい。


 一方、イタリア南部プーリア州のバンドは Canzoniere Grecanico Salentino カンツォニエーレ・グレカニコ・サレンティーノ。「サレント地方のギリシャ語による歌をうたう人たちまたは歌集」という意味だそうで、CGS でいいよ、と本人たちも言っている由。サレントは長靴の踵の長く突き出た半島。



 ここはアドリア海をちょっと渡ればギリシャはすぐ近くで、古来から往来の絶えなかったところだ。ギリシャ語の方言が残っているらしい。最近ではアルバニアから難民が渡って話題になった。

 イタリアは北と南でまったく文化が異なる。南は古くはフェニキア人からギリシャ人、ノルマン、ムスリムなど、多様な人たちが交錯している。とりわけ、中世以降、マグレヴのイスラーム勢力の影響を受けて、独自の文化を展開してきた。というのはおぼろげに知っている。イタリアのバンドとして真先に浮かぶ La Ciapa Rusa は北の代表。南は長靴の爪先、カラブリアの Re Niliu がマグレヴの音楽とヨーロッパの音楽が混淆した特異な音楽を聴かせていた。2000年にリアルワールドからアルバムを出した Spaccanapoli も面白かった。とはいえ、踵の方は不勉強でまったく知らない。

 松山さんによると、爪先も含め、イタリア南部には共通のダンス・ミュージックがあり、タランテッラと総称される。スタタ、スタタ、スタタという三連符を共通の特徴とする。三連符なのだが、聴いているとつながって、カチャーシーや阿波踊りのビートに似てくる。プーリアのタランテッラはピッツィカと呼ばれる。

 ビートを叩きだす片面太鼓は、タンブレッロと呼ばれる、大きめのもので、モロッコあたりのものに似てタンバリンのように枠に金具がはまっていて、ジャラジャラ鳴るものもある。面白いのは、このタンブレッロはソロでも演奏されるが、4人5人と集団でユニゾンでも演奏される。驚いたことに、このタンブレッロを演奏する人がちゃんと本朝にはいて、ゲストで男女のお二人が来ていて、実演もする。

 タランテッラはタランチュラに通じる語で、毒蜘蛛に刺された毒を踊って汗として排出するための踊りという俗説があるそうな。祭などで女性たちが憑依された状態になって、ぐるぐる駆けまわったり、床に倒れて痙攣したり、のたうちまわったりするのもタランテッラと呼ばれる。

 CGSはピッツィカを演奏するバンドの筆頭として世界的に知られる。バンドは今のリーダーの父親が創設した。タンブレッロ、アコーディオン、フィドルを核とし、ギリシャのブズーキ、ザンポーニャが入り、シンガーとダンサーがいる。

 ザンポーニャは面白い。ハイランド・パイプやイリン・パイプよりバッグがずっと大きく、ドローンが無く、チャンターが長短2本。そのチャンターを両手で押える。バッグは利き手の脇の下。空気は口から吹きこむ。ザンポーニャも地域によって異なるはずだが、少なくともプーリアのザンポーニャはこういうものなのだろう。いや、プランクトンのサイトにあるビデオを見ると、ドローンはひどく短いものが、チャンターの根元についている。

 ニューヨークでのこのビデオによれば、ダンスもさることながら、これは歌のバンドでもある。4人もシンガーがいて、ハーモニー・コーラスはもちろん、誰でもリードがとれる。ダンス・ソングもあれば、バラッドらしきうたもあり、ビートにのせて朗々と歌われるうたもある。やはりイタリアは歌の国なのか。むろん発声は地声で、カンツォーネとはまったく違う。

 ダンスは即興のようだが、ひょっとすると踊っているうちに本当にトランス状態になるのを見られるかもしれない。ビデオでは顔にタランチュラを現す模様を黒く塗ったダンサーもいる。どちらかというと見せる踊りというよりはこちらも一緒になって踊るもののけしき。むろん、ほんとに一緒に踊ったら、心臓が破裂する。

 リーダーのマウロ・ドゥランテはフィドルとタンブレッロを操り、歌もうたう。タンブレッロを叩いて、ジャスティン・アダムズとのデュエットでの活動もしており、イタリアのテレビらしいビデオはすばらしかった。今回、アダムズも、という話もあったそうだが、バンドに集中した方がいいと川島さんが判断した。このデュオなら後でビルボードあたりで呼んでも客は来るんじゃないか。

 この人、13年前、まだ20代の時、古楽グループのメンバーとして来日し、今回と同じ三鷹で公演しているそうな。その時には古楽演奏もさることながら、ソロで即興も披露して、一躍ヒーローになったという。生まれた時から、両親の演奏するタランテッラに漬かって育ち、長じてバンドを引き継いでいるが、正規の音楽教育も受けているらしい。こういう人は強い。

 それにしても「灼熱のタランテッラ」とはうまい。このあたりの音楽はみな熱い。ダンスだけでなく、声も歌も熱い。地中海沿岸の音楽のなかでも、この辺がいちばん熱い。マグレブはかえってクールだ。イベリア半島も洗練されている。こういう音楽を聴くと、阿波踊りも夏にやるから阿波踊りなのだし、カチャーシーも南のビートだと思えてくる。

 彼らが来るのは秋だが、そのくらいの頃でちょうどいいだろう。今、この熱い音楽を浴びる気にはちょっとなれない。(ゆ)

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