クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:うた

 石川真奈美さんも shezoo さんも懐が深い。これくらい深いと生も何度か聴かないと摑みどころがわからない。このデュオの聴きどころがようやくわかってきた感じが今回は味わえた。二人にパーカッションが加わった Shinono-me を聴いたおかげで、デュオとしての姿がよりはっきり見えるようになったのかもしれない。声の綾なす歌のふくらみ、ピアノがうたう潮のさしひき、二人の声が織りなす音楽全体の姿が、大きな構図から細部のニュアンスまで、労せずしてごく自然に流れこんでくる。こうなればただ黙って浸っていればいい。

 冒頭、立原道造の詩に shezoo さんが曲をつけた〈のちの想いに〉からして、声の出し入れの妙にぞくぞくする。囁き声と力を入れた声の対比、その間のグラデーションに耳を持っていかれる。そしてやがて来たピアノのコーダにクラクラする。この後もコーダは余韻とキレの両方を兼ね備えて、彫りが深い。今日は調子が良い。たぶんやる方だけで無く、聴くこちらの調子も同じくらいよいのだ。

 次の滝口修造の詩に shezoo さんが曲をつけた〈瞬間撮影〉では、まずピアノのイントロが素晴らしい。滝口にふさわしいシュールな、とんがった演奏。この日は羽目をはずした大暴れはないのだが、むしろあえてそちらに行かない。意識して抑えているようでもない。自然にそうなっているようで、それが良い効果につながっている。その効果に引きだされるようにして、石川さんが一番二番とくり返すごとに歌い方を変える。はじめはストレートに、二度目は切迫した変化球だ。

 派手な即興が鳴りをひそめているのに、全体としてはジャズの向こうへ突抜けていく。この日のハイライトの一つは5曲目のシャンソンから〈枯葉〉へ繋いだ演奏。ジャズではスタンダードはスタンダードとわかった上でいかに新鮮に聴かせるかがポイントになるのだろうが、歌ではなく、声でメロディをくずしてゆくそのくずし方がジャズの範疇からははみ出てゆく。少なくとも、ジャズの常套ではない。方法論としてはジャズを使っても、めざしているところはジャズの先ではない。もっとパーソナルなところで、だからこそ普遍性を帯びることが可能になる境地だ。

 この日はしかしハイライトにしても突出してはおらず、どの曲もそれぞれに見事。〈枯葉〉の前、〈Little red bird is lonely〉 からラヴェルの〈嘴の美しい三羽の鳥〉では、アカペラの歌唱に一気に異郷へ引きこまれる。そこでは赤い鳥が血の滴る心臓を運んでくる。

 前半ラストのバッハ。〈マタイ〉からの一曲で、本番では石川さんの担当では無い歌。こういうのは良い。他の方のも聴きたい。ここは小細工をせず、真正面から突破する。こういうところ、こういう曲には歌い手の生地があらわになる。そして、こういうバッハはいつまでも聴いていたい。

 後半冒頭のエミリー・ディキンソン〈When the night is almost done〉もストレートな歌唱。ピアノはミニマル。これもはまっている。続く谷川俊太郎と武満徹の〈見えない子ども〉はディキンソンから引き継いだユーモアの隠し味が歌にもピアノにも流れる。ほとんどお茶目と言いたいくらい。これへの返答歌という石川さんの詞に shezoo さんが曲をつけた〈残月〉は、一転して緊張感に満ちる。さらに続く〈Blue moon〉にも緊張感がつながって、こうなると脳天気でもなく、哀歌でもない。底の方で何かにじっと耐えている。そこから歓びとまではいえないが、なぜか晴れ晴れとした感情が浮き上がってくる。とすれば、耐えることはこの場合、受身の態度ではなく、何かの準備でもなく、それ自体が積極的なふるまいなのだ。

 曲はどれもこれも良いが、ラストの〈両手いっぱいの風景〉はことさらに名曲。ひたすら聞き惚れる。

 アンコールは〈朧月夜〉。力を抜いて、語りかけるように歌いだして、声を変えてゆく。石川さんの真骨張。

 歌とピアノという組合せとしては破格の音楽をたっぷりと浴びて、気分は上々。この生きにくい世の中で、こういう気分になれるのは貴重でも必要でもあると思いしらされる。ありがたや、ありがたや。(ゆ)

みみたぼ
石川真奈美: vocal
shezoo: piano

 FRUK のニュースレター。面白そうなものが満載。分量もいつもより多い。しかし、今、読んだり聞いたりしてるヒマはない。今日も散歩の他はひたすら仕事。


 散歩の供は Jon Balke & Amina Alaoui の《Siwan》2009。ノルウェイのピアニストのバルケがモロッコのアラブ・アンダルシア音楽のシンガーを迎え、同じくノルウェイの Bjarte Eike 率いる Barokksolistene とトランペットの John Hassell、アラブ打楽器奏者を集めて作った1枚。アミナ・アラウイの線で買ったものだけど、大当り。アラウイの録音の中でも一番好き。アラウイ自身も楽しんで歌っている。アラブ録音とは録音のやり方が違う。そこは ECM で、こういう歌唱の録り方は心得たもの。ここでこの人がまわすコブシを HD414 のバランス接続で聴くと、歩きながらでも至福の感覚がひたひたと湧いてくる。

 Bjarte Eike のヴァイオリンがまたすばらしい。サイトにはハーディングフェーレを弾いてる写真もあって、かなり型破りで広範囲な活動をしている。われらが酒井絵美さんの先輩のような存在か。ここでのヴァイオリンはほとんどアラブ・フィドルの趣で、それを古楽のアンサンブルが浮上させる。そこにジョン・ハッセルのあのトランペットが響いてくると、異界の情景が出現する。

 こういう、境界線を溶かしながら、各々の特性はしっかり打ち出す、ホンモノの異種交配には身も心もとろける。散歩の足取りも軽くなる。

Siwan (Ocrd)
Balke, Jon
Ecm Records
2009-06-30


 アコーディオンとヴォーカルの服部阿裕未さんが、演りたい人を集めてトリオを組むシリーズの1回目。初回のお相手は高梨菖子さんと久保慧祐さん。

 ミュージシャンにもいろいろなタイプがあって、演奏を好むことでは同じでも、演奏自体を好む人と自分が出す音を好む人がいる。と服部さんの演奏を見聞して思う。つまり、こういう曲を演りたいというよりも、こういう音を出したいので、好みの音を出せる楽曲と演奏スタイルを選ぶという人だ。この二つは截然と別れるわけではむろんなく、音楽家は皆どちらの要素も持っていて、どちらかが濃いわけだ。TPOでそれが出る人もいる。

 とはいえ、ある楽器を選びとるのは、やはりその楽器の音、音色、テクスチャ、音の運びが好きだからではないか。

 服部さんはたまたまその好みが比較的はっきり出るタイプなのだろう。たとえばその好きな音を延ばしたり、アクセントをつけたりするし、またそういう音型がフレーズが出てくる曲を選んでいるようにもみえる。たとえば前半のポルカのセットで、3曲目が高梨さんの〈柏餅〉なのだが、これだけ独立して選んだのは、ああ、この音が出したかったのだな、とあたしは納得した。高梨さんの曲はフィドルや笛で聴くことが多く、アコーディオンで聴くのはとても新鮮だ。ちなみにこのセットの一曲目はAパートのシンコペーションが面白くて、これも出したい音に聞える。好きな音を出す歓びがあふれる。

 好みの音を出したいというのは、その音を聴きたいことでもあって、だから無闇に急がない。リールでもゆったりしたテンポで、自分たちの演奏にじっくりと耳を傾けている感じだ。聴いていると胸のうちがおちついてくる。後半のマーチではそれがうまくはまっていて、この方面のハイライト。

 服部さんのもう一つの顔はこういううたをうたいたい、声を出したい、といううたい手だ。この方面ではなんといっても高梨さんの〈春を待つ〉。高梨さんの東京音大作曲科の卒業製作用の曲だそうだが、これをうたいたいといううたい手の気持ちが、もともとの佳曲をさらに良くする。歌詞を書くのが気恥ずかしいと高梨さんはいうが、ならば作詞は他に頼んでも、もっとうたを作って欲しい。それを服部さんがうたって一枚アルバムを作ってもいいのではないか。

 高梨さんは例によって、ある時はユニゾンに合わせ、ある時は裏メロをつけ、ある時はハーモニーを作って、アコーディオンを盛りたてる。高梨さんのホィッスルとアコーディオンの組合せも珍しく、その音の動きがよくわかるのが愉しい。これがコンサティーナではやはり違う。サイズも違うが、コンサティーナの音はもともと繊細だ。音自体はシャープではあるが、細い。服部さんはリードのピッチをわずかにずらして、倍音を響かせるようにしているせいもあるだろうが、音の存在感がどっしりとある。アコーディオンとホィッスルだけの組合せというのは、あまり聴いた覚えがないが、おたがいの音が際立っていいものだ。

 この二人を見事に支えていたのが久保さんのギター。前半ではギターをミュージシャンの方に向けていて、アルジーナに注意されたのか、後半は客側に向けるようにしていた。まあ、ライヴとしてはその方がいいだろうが、ギターは客に聞えなくてもかまわないものではある。というのに語弊があれば、ギターは客よりもミュージシャンに向けて演奏しているのだ。デニス・カヒルのライヴを見ると、かれは客のことなぞ眼中にない。そのギターはひたすらマーティン・ヘイズのために弾かれている。

 クボッティと呼ばれるそうだが、リールのセットでは冒頭、単音弾きでリールを弾きこなして見事だった。何人か、ワークショップなどで学んだギタリストはいるようだが、基本的に独学だそうで、そうだとすると、豊田さんの言うとおり、天才と呼んでおかしくはない。豊田さんのソロではデニス・カヒル顔負けのギターを弾いてもいて、まことに末頼もしい。今は John Blake がマイブームの由。04/08の豊田さんのソロのアルバム・リリース・ライヴがたのしみではある。

 ライヴ当日になってようやくトリオとしての形ができてきた、と服部さんは言っていたが、アイリッシュ・ミュージックは音楽そのものよりも、コミュニケーションつまりおしゃべりが一番の目的だから、それもまたアイリッシュ的ではないか。隅々まできっちりと作るのではなく、基本のメロディとして提示して、たとえばきゃめるの仲間が、思いもよらないコード進行をつけたり、ハーモニーを編み出したりするのが何よりも愉しいと高梨さんも言う。音楽で楽器でおしゃべりしながら、ああでもないこうでもないといろいろ試し、やってみて、だめなものは捨て、うまくゆくものを拾ってゆく。そういうプロセスが透けて見えるのもアイリッシュの魅力だし、この日のライヴには、そうして出来上がってゆくときの愉しさが現れていた。完成した、非のうちどころのない演奏を聴くのも楽しいが、綱渡りしながら音楽を作ってゆくところが見えるのもまた楽しからずや。

 トリオ・シリーズの次回はまだ未定だそうだが、季節が変わる頃に、またホメリでということなので、たのしみに待ちましょう。音楽が愉しいと、ビールも旨い。(ゆ)

 デイヴ・フリンはこのツアーの告知で初めて聞く名前で、まったく何の予備知識もなく、ライヴにでかけた。聞けば5年前2013年にやはり小松さんの手引きで初来日しているそうな。

 結論から言えば、すばらしいミュージシャンに出逢えたことを感謝する。この人は確実に新しい。本人はポール・ブレディ&アンディ・アーヴァインとかボシィ・バンドを聴いて伝統音楽への興味を掻きたてられたと言うが、やはり世代は着実に代わっている。もちろん、あの世代とは天の運も地の時も違う。あの時代には、若い世代が伝統音楽をやることそのものが大変なことだった。伝統音楽はアイルランドにあっても、「田舎のジジババ」のやるものだったのだ。都会の若者たちにとっては1にも2にもロックンロールだった。それをひっくり返したのがクリスティ・ムーアであり、ドーナル・ラニィであり、ミホール・オ・ドーナルであり、あるいはアレック・フィンであった。

 しかし時代は変わって、このデイヴ・フリンのように、伝統音楽からクラシックからジャズからロックから、興味のあるものは何でもやってしまう、そしてそうしたジャンルの垣根を溶かしてしまって、どれにとっても新しいものを生み出している人たちが現れている。Padraig Rynne や Jiggy などもそうなのだろう。キーラはその先駆とも言えるかもしれない。そして、あちらではあたしなどが知らない、優れた人たちが、おそらく陸続と現れているのだ、きっと。

 フリンはまずギタリストとして出色だ。Wikipedia などの記事を見ると、エレキ・ギターでロックを弾くことから出発しているようだが、それにしては細かいニュアンスに満ちた、繊細なスタイルだ。メロディとリズムを同時に弾くところなどは、リチャード・トンプソンにも通じる。トニー・マクマナスよりはジョン・レンボーンだろう。ピックは使わず、コード・ストロークは中指以降の3本で上から叩くようにする。

 小松さんによればチューニングも特殊で、上4本をフィドルやマンドリンと同じにしているという。ダンス・チューンのメロディを弾くとき、うたの伴奏をするとき、小松さんのフィドルの相手をするとき、それぞれにチューニングを変えていた。

 ギターでダンス・チューンのメロディを演奏するのも、アイルランドでは少なくともあたしは初めてだ。ブズーキやマンドリンでメロディを演奏する人たちはいるが、ギターでは皆無というのがこれまでの認識だった。アイルランド以外ではトニー・マクマナスがいるし、ディック・ゴーハンもやるし、マーティン・シンプソン、ピエール・ベンスーザン、Gille de Bigot、Dar Ar Bras、Colin Reid などなど多彩な人たちがいるが、アイルランドではいなかった。Sarah McQuaid はアイルランド録音しているが、もとはアメリカ人だ。

 どちらかというと遅めのテンポ、装飾音を忠実につけてゆくよりは、ベースやコードも付けながら、全体のイメージを重視する。音量は大きくはないが、明瞭で、メリハリがある。どこかジャズの、それも80年代以降のギタリストたち、ジョン・スコフィールドとか、最近のカート・ローゼンウィンケルあたりに通じるところもある。ジャズのような即興をやるわけではないが、音楽から受ける印象が似ている。クールで控え目でクリア、一方で注ぎこまれているエネルギーの量、そこで燃えているものの大きさはハンパではない。

 2曲ほど披露したうたもいい。伝統音楽を直接ベースにしているものではないが、アイルランドからしか出てこないものでもあると聞える。ジミィ・マカーシィやノエル・ブラジルたちともまた違う。やはりもう少しジャズ寄りだ。

 全体に押し出しではなく、引っ込んで、聴く者の集中を誘う。

 同じことは後半、小松さんのフィドルに合わせたときにも言えた。相手を煽ることはしないが、ただ着実に土台を支えるというのでもない。音量は小さく、客席に聞かせるよりは、相手のプレーヤーに向かって演奏している。当然といえば当然だが、人に聴かせるときには、少なくとも並んで、ともに聴かせようとするのが普通だ。デニス・カヒルですら、ひたすらマーティン・ヘイズに注目しているものの、全く聴衆を無視しているわけでもない。周りにどう聞えるかは意識している。フリンも聴衆を無視するところはないが、かれにとって聴衆はいわば意識の外にあるのだろう。

 そしてその効果、相手のプレーヤーに対する効果ははっきりしていて、小松さんのフィドルは着実に熱を発してくる。もともとかれのフィドルの響きがあたしは大好きなのだが、独特のふくらみを孕んだその響きが一層艷やかになる。エロティックと言いたいくらいだ。いやらしいところはまったく無い、フィドルという楽器に可能なかぎりなまめかしい響きが引き出されてくる。

 年末からずっとグレイトフル・デッドのライヴ音源をひたすら聴きつづける毎日で、一昨日、ようやくそれが一段落した直後だったから、この二人の生の音はことさらに胸に染みる。こんなよい響きで聴けるのは、やはり生の、ライヴの場での特権だ。

 今年のライヴ初めは、かくてまことにめでたい一夜となった。デイヴ、小松さん、そしてグレインの加藤さんに心から感謝する。ごちそうさまでした。

 小松さんとは3月11日、下北沢の B&B で、アイリッシュ・フィドルの講座を予定している。本に囲まれたあの空間で、小松さんのフィドルの響きを聴くだけでも、足を運ばれる価値はあるでしょう。(ゆ)

 こもりうたというジャンルが成立するかどうか、あやしいところがある。あたしは子どもたちを寝かしつけるのに、ソウル・フラワー・ユニオンの〈満月の夕〉とか、上々颱風の〈連れてってエリシオン〉とか、栗コーダー・カルテットの音楽を使っていた。なんだってこもりうたになるものだ。〈歓喜の歌〉でも、セックス・ピストルズだって、コルトレーンだって、アイラーだって、こもりうたになる。だろう。たぶん。

 一方でこもりうたという型もある。こどもを寝かしつけるためには、滑らかなメロディで、ゆったりしたテンポ、うたいやすいうたであるべしという考えに沿って作られ、できてきたうた。もっともクラシックの名立たる作曲家たちによるものは、実際にこどもたちに向かってうたわれたかどうか。同時代のヨーロッパの富裕な市民の家庭ではうたわれたかもしれない。

 佐藤氏のうたうこもりうたは、後者に属するものではあるが、どうも、子どもを寝かしつけるためにうたわれてはいないようだ。こもりうたが本当に成功すれば、聴き手は途中ですやすや眠るはずだ。このコンサートで、聴衆が全員、途中で眠ってしまったならば、大成功ということになるのか。

 聴きながら、これは子どもたちに聴いてもらいたいと思って、終演後、出口にいたKさんにそのことを言ったら、大人のためのコンサートに先立って、子どもたちのためのライヴをやっていたそうだ。どんな反応だったのかまでは聞きそびれた。皆、眠ってしまったのだろうか。

 大人の聴衆の中には眠っていた人もいたが、大部分は眠らずに聴き入っていたようだ。あたしも眠らなかった。むしろ、CDの《こもりうた》収録の曲を題材にした「紙芝居」に引き込まれていた。

 この試みは面白い。ただうたってゆくだけでは、よく知られたうたばかりのため、単調になりやすい。いかに生とはいえ、CDとそれほど違うアレンジにもなるまい。お話を語って、そのなかにうたを配置し、うたってゆくと、うたそのものにも新たな角度から光があたる。話自体の出来はともかく、試みとしては成功していた。これならば、今度は話を先につくって、ふさわしいうたを選んでゆく形も可能だろう。

 佐藤氏はクラシックの声楽の訓練を受けているわけだが、クラシックの声楽につきまとうとあたしには感じられていた嫌らしさがまったく無い。これは佐藤氏が所属していたアウラもそうだし、アヌーナなどのアイルランドのシンガーたちもそうだ。もちろん、伝統音楽のうたい手たちの声とは一段異なる。地声の延長ではなく、断絶ないし飛躍があるのは確かだが、その方向が人間的と感じられる。人の声としての潤いと温もりがある。

 じゃあ、たとえばオペラなんかの声にはそういうものが無いのか、といえば、あたしは無いと答える。あれはどこか不自然だ。まるで声帯だけ別のものに交換したサイボーグみたいだ。交換じゃなければ、声帯だけ異様に発達してるんじゃないか。もちろん、聴く人が聴けば、あれこそは天上の声ともなるんだろうが、あたしはとにかくてんでダメなのだ。

 だから初めて《こもりうた》のCDを聴いたときには驚いた。ポピュラーのシンガーがうたうものとも一線を画していた。訓練というのは恐しいもので、うたの表面をなぞるのではなく、一番の底まで降りてゆくことができるようになる。うたが作られた、生まれたその瞬間にまで遡ることができるようになる。そこからうたわれると、聞きなれたというよりも、ミミタコというよりも、もっと心身に刷りこまれているうたが、独立の存在として輝きだす。生まれて初めて聴くように響きだす。

 共演のオルガンがまたいい。伴奏の域を超えたもう一つの声になっていることはもちろんだが、オルガンそのものとしても新鮮だ。チープな電子オルガンの軽みと、大規模なパイプ・オルガンの深みが不思議に同居している。このオルガニストとの再会がこうしたうたをうたいはじめたきっかけと言う。であれば、二人の共演はぜひ続けていただきたい。

 コンサートでは1台の電子オルガンの一種らしいものが使われていた。このオルガンがこの教会にあって、外部の使用に公開されていることで、《こもりうた》のライヴ演奏が可能になったのだそうだ。アルバムに収録されている曲は、時代も場所も様々で、それぞれにふさわしいオルガンを生でつけようとすると、通常なら何台もの異なった楽器が必要になるらしい。実際、曲によって様々な音が響いていた。おそらくは増幅のところに仕掛があるので、PAシステムが必要なのだろう。ヴォーカルもそれに合わせるためか、生ではなく、PAを通していた。もっともかなり巧妙に調整したとみえて、限りなく生に近い響きだった。

 あるストーリーを語るということからすると、案外オペラに近いようでもある。カラン・ケーシィの《SEAL MAIDEN》も思い出す。そういえば、あそこにもそれは美しいこもりうたが入っていた。佐藤氏の《こもりうた》でも、ウェールズの伝統歌はハイライトの一つだ。

 せっかちに季節を先取りした冷たい雨が降っていたけれど、体のなかは、いい音楽でほどよくほくほくしている。新井薬師駅前のファミマにも大粒玉子ボーロがあってますますいい気分。(ゆ)


こもりうた
佐藤悦子 勝俣真由美
toera classics
2016-06-19


 一番好きなうたはアンコールで出た。〈寝顔みせて〉は、なんとか親になることをかろうじてはたしたあたしのような人間にはなんともたまらない名曲だ。子どもというものはとにかく眠ってくれない。目をつむって、すやすや寝息をたてているのを見て、そおっと、ほんとうにそおっと離れようとする。その瞬間、ぱちっと目を開くのだ。いいかげんにねろおっとどなりつけたそうになったことが、何度あったことか。

 中川さんもそういう気になったことが何度もあったにちがいない。それを、こんな美しいイメージにうたいこめるのは、アーティストとしての才能と精進の賜物だろう。それまでにも歌つくりとしての中川さんのエラいことは十分認めていたつもりだったが、初めてこのうたをデモ録音で聴いたときには、尊敬ととそして感謝の念がふつふつと湧いてきたものだ。

 以来、このうたは何度聴いたかわからないが、考えてみると、生で、ライヴで聴いたのは初めてだった。これを聴けただけでも、出かけてきた甲斐があった。

 会場に入ってまず目についたのは、がらんとしたステージだった。奥の壁際にギターが1本。小さな丸いサイド・テーブルにタオルと水。マイクが1本。譜面台。それだけ。簡素なステージは見慣れているはずだが、なぜか、そのミニマルな佇いがひどく雄弁に見えた。演奏中も照明などは何もしない。単純にアーティストを照らしている。ギターを抱えた人がそこにいて、うたっているだけだ。

 まあ、この人はしゃべりもする。うたっているより、おしゃべりしている時間の方が長いかもしれない。数日前、徳島でのライヴの際、腰を痛め、一時は歩くこともできなかったそうだが、それをネタにして笑いをとる。ギターをかき鳴らしても、声をだしても、腰に響くらしい。もうつらくてつらくて、と言いながら、実際、時おり、腰を伸ばしたりしながら、しかし演奏はそれによって影響があるとも見えない。いや、むしろ、腰にトラブルを抱えていることで、演奏が良くなるという影響があるようにも思える。

 うたい、しゃべり、一部だけで1時間半。「いつ、終るんだろうねえ」と言いながら、腰がたいへんと言いながら、立ったままだ。〈満月の夕〉で長い一部はしめくくり。大震災を体験したわけではないのに、このうたは冷静には聴けない。ユニオンでもモノノケでも、あるいは山口洋さんや河村博司さんでも、ライヴでも何度も聴いているが、どうしても他の曲と同じようには聴けない。ひとりでうたううたい手に、やさほーやと声を合わせてしまう。このうたを、ほんとうに焚火を囲みながら合唱する日の来ないことを祈る一方で、満月を見上げながら、当事者としてこのうたをうたうことへのうらやましさもどこかにある。

 二部で最も痛切に響いたのは〈デイドリーム・ビリーバー〉。モンキーズの忌野清志郎によるカヴァーの、そのまたカヴァーだが、もちろん中川さん自身のうたになっている。清志郎はこのうたを亡くなった二人の母、生みの母と育ての母の二人に捧げているが、中川さんがうたうと、「クイーン」は必ずしも母親とかかぎらなくなる。自分を支えてくれている誰か、自分では意識せず、しかしその人がいなければ「夢を見つづける」ことができない存在ならば、誰でもあてはまる。女性とも限るまい。そういう存在への感謝は、できるうちにしておくべきなのだ。清志郎も、おそらく猛烈な後悔の念にさいなまれ、それを解決するためにこのうたをうたったのではないか。中川さんのうたはそういうところまで響いてくる。

 腰がつらかったと言いながら、アンコールはなんと6曲もやる。〈平和に生きる権利〉からの4曲はカヴァーをほとんど途切れずにやる。ジェリィ・ガルシアと同じく、中川さんもまた、演奏をやめたくないとみえる。なんのかんのと言いながら、楽しそうだ。ソロでやることの楽しさを満喫しているようである。バンドでしかできないことはたくさんあるだろう。たとえばの話、東チモールやパレスチナで演奏できたのも、バンドとしての活動があったからだろう。一方で、ソロは自由だ。ライヴをやるにも、カヴァーをするにも、やろうと思うだけでできる。延々と終らずに演奏しつづけることもできる。まあ、グレイトフル・デッドはバンドとして延々と演奏しつづけたが、やはりあれは例外だ。

 見る方からすれば、ソロではうたの生地が顕わになる。一つひとつのうたのキモが眼の前に置かれて、ああこのうたはこういうことだったのか、と賦におちる。それにはMCも助けになる。〈豊饒なる闇〉の印象的な一行「風に散らない花になりたい」の背後の意味。〈あばよ青春の光〉の「光」とは何をさすのか。それによって、あらためてそのうたがより深くカラダに入ってくる。

 そしてライヴでのハプニング。腰の故障は本人にはたいへんなことだが、客からすれば、そういう状態のアーティストの演奏を聴けることは千載一遇のチャンスだ。トラブルによって演奏が良くなることだけではい、悪くなることもまた、ライヴの愉しみだ。愉しみというと語弊があるかもしれないが、一生に一度の体験はやはり貴重だ。ライヴというのは、いつも必ず素晴しい音楽を体験できる、安心安全なものなどでは無い。何が起きるかわからない。演る方にも、聴く方にも、リスクがある。だからライヴは行く価値がある。

 すべてがうまくいって、この世のものとも思えない体験ができることもある。ライヴに行くときはいつもそれを期待してもいる。中川さんも、バンドではそういうライヴができたことが何度かあり、ソロでもそれを目指していると言う。とはいえ、それはひょっとすると、万全の状態ではできるものではないのかもしれない。どこかに不備を抱え、不足があり、故障があり、それを凌いでやるうちに、なにかの拍子にあらゆるものがかちりとはまる。演る人、聴く人の境界が消え、その場がひとつになる。普通はありえないことが起きる。むしろ、すべてが完璧というときには起きないのかもしれない。

 サムズアップはどこに坐ってもステージとの距離が近いのがいい。デヴィッド・リンドレーとか、トニー・マクマナスとか、あるいは先日のアンディ・アーヴァイン&ドーナル・ラニィとか、ソロやデュオ、せいぜいトリオぐらいまでの、それもアコースティックな音楽をここで聴くのは好きだ。中川さんも半年に一度はここでやっている。これまではめぐりあわせが悪くて、ソロを生で見るのは初めてだったが、これからは最優先で来るようにしよう、と思ったことだった。(ゆ)

 今年で九年め。来年は十周年。2018年9月30日。何をやるのか、今から楽しみ。

 実に久し振りの岡さんのライヴ。一部は演歌をさらっと4曲。〈復興節〉の現代版から始まり、次の〈ストトン節〉がまずはハイライト。岡大介入魂のオリジナル歌詞をこれでもかとぶちこんだスペシャル版で、うたい終って、今日はもうこれで終りという気分です、という。全国回りながらうたううちに好きな歌謡曲が2つできました、とうたったのが〈王将〉と〈大東京音頭〉。

 前者は大阪のうたということで登場したのが、桂九雀師匠。落語はそれほど好きではないが、大いに笑わせていただきました。教養の無い成金の隠居がステイタスが欲しくてデタラメにやる茶の湯で皆が迷惑する噺。上方の方だけど、あんまり関西弁は強くない。あるいは東京というので手加減されたのかもしれない。

 シンガーのライヴに落語家が出るというのも、岡さんのものくらいではないか。確かに諷刺を旨とするところで演歌と落語は通底するところもあるし、パフォーマンス、それもコトバと声によるものという点では似ているが、普通はストレートにはつながらない。あるいは寄席というのは本来こういうものなのかもしれない。うたも落語も同列なのかもしれない。落語にはリズムやメロディは一見無いが、間のとりかたや声の抑揚は無ければ文字どおり噺は始まらない。とすれば、演歌は落語のエッセンスをぎゅっと絞りこんだもので、落語は演歌をある典型的具体的状況のもとに展開したものとも言える。両方続けて体験すると、それぞれがより深く訴える。

 第三部は唖蝉坊を中心とした、明治大正昭和の演歌乱れ撃ち。もちろん、原曲そのままではなく、時に岡さんのオリジナルの歌詞が入る。〈炭坑節〉の後に、この元歌をやったのは面白かった。

 十年、うたい続けて、それもほとんどストリートや流しでうたい続けて、これだけうたえる人は、今ちょっといないのではないか。マイクからはずれてうたっても、声はよく通る。貫禄がついてきたと言ってもいい。その割にステージングがあまり上達していないのは、あるいはこれが岡大介のキャラかもしれない。客の煽りに乗ってしまうのも、ひょっとすると芸人としては失格と言われかねないが、本質的にシャイな若者、年齡とは関係ない永遠の若者が、好きな唄をうたいたい一心でひたすらうたっている潔さをあたしは見る。

 うたにもいろいろあるが、岡さんの唄はコトバで勝負するタイプだ。聞いて歌詞が明瞭にわかることが命。そしてその歌詞で筋の通らないことを笑いとばす。聴く者にカタルシスを与え、元気をもたらす。

 舞台に現れず、袖で叩いて岡さんを支えた打楽器も良かった。

 頭の方で「ぼくがやっているのはうたです、音楽じゃありません」と言い切ったのには一瞬えっと思ったけど、聴いてゆくうちに、納得させられた。このうたは、音楽というよりも落語のような話芸にずっと近いのだ。そして、それはうたというものの本質の一つであろうとも教えられる。ひょっとすると、うたと音楽を同じ範疇に含めるのは、勘違いなのかもしれない。

 すっかり元気をもらって出てみれば、浅草寺はライトアップされていて、まだまだ観光客もたくさん歩いている。半月が鮮やか。(ゆ)

 今回の目玉は関島岳郎氏だ。予め知ってはいたものの、実際にチューバを抱える姿を見たときには感激した。ショックといってもいい。そして、期待は遙かに超えられたのだった。

 奈加さんの歌唱もまずまた一段と良くなっている。もともと備わっているものが一層磨かれてきた観があるのは、微妙なタメのためかたで、〈Molly Malone〉や〈Scarborough Fair〉でのコーラスには陶然とさせられた。とりわけ後者の、"Parsley, sage, rosemary and thyme" の "thyme" のところの丸み。

 毎週一度、アイルランド語のレッスンを受けているそうで、2曲目のアイルランド語のうた、カトリックの母からプロテスタントの息子へ呼びかけるうたや、〈人魚のうた〉には、その精進の跡が歴然としている。スコティッシュ・ガーリックでジャコバイト・ソングをうたったのもすばらしかった。

 ここで登場したのが、great bass recorder。関島さんの身長より高いものに、S字型の吹き口をつける。意外に音域は高く、ギターの方が低い音が出るそうだし、この下にコントラバスもあるそうだが、むしろこのぐらいの低域がちょうど良いのだろう。チューバに似て、ベースもできるし、メロディも吹ける。

 この低域のドローンが、うたのバックにあると、うたが一段と映えるように聞えたのは、奈加さんの声との組合せのせいかもしれない。〈Greensleeves〉でのバス・リコーダーのドローン、アンコールの〈ダニー・ボーイ〉でのチューバのドローンがことさらに良かった。後者でチューバがメロディを吹いたのも、なんとも新鮮。余分な感傷が流れおちて、メロディの美しさが際立つ。〈Scarborough Fair〉でのチューバ・ソロの味わいも深い。

 永田さんはピアノはもちろんだが、昨日はトイ・ピアノやカシオトーンも駆使して、面白い効果を挙げていた。最初、小型の鉄琴かと思っていたら、トイ・ピアノをピアノを右側に置いて、ピアノの高域とつなげて使う。カシオトーンは〈人魚のうた〉のバックでテルミンそっくりの音を出す。操作のやり方を見ていても、テルミンかと思ったら、カシオトーンと明かされた。こういう、不定形で、フリージャズにも通じるバックのつけかたは、今のところアイリッシュ系では永田さんの独壇場。

 冒頭に「今日はアイリッシュ・ミュージックには日頃親しんでいない方が多いので」と言っていた割には、なかなか凝った選曲。それも順番もよく考えられていて、休憩無しだが、うたの世界を堪能させていただいた。来年また伊勢神宮で奉納演奏が決まったそうだが、神さまばかりでなく、われわれ下々の者にももっとうたっていただきたい。

 4人掛けのテーブルには、後から渋いながら迫力のある初老の男性と北中さんご夫妻が一緒になった。この店は席は指定だから、それなりの意図があったのかもしれない。あたしもそうだが、北中さんご夫妻も、この男性、あとで元上々台風の紅龍氏と判明したが、皆さん、眼をつむって聴き入っていたのは面白い。

 それにしても関島さんは若々しくて、北中さんがあえてお年を訊いたら56歳というのに驚く。10歳は若く見える。明後日4日には吉祥寺のマンダラ2で「関島岳郎オーケストラ」という、それこそオール・スター・キャストのビッグ・バンドのライヴがある。どういうことになるのか、わかりませんとおっしゃっていたが、あのメンツなら面白くないわけがない。行けないのが残念。

 ぜひこのトリオでのライヴをまた見たい。次の録音には、関島さんをぜひ入れていただきたいものだ。アイリッシュは高域に偏る傾向がある。アイルランド人というのは世界で2番目に高音の好きな連中という話もあるくらいで、われわれ低音好きの日本語ネイティヴにはときに物足らなくなる。チューバやバス・リコーダーは、低音のドローンができるのが強味だ。ベースでもアルコがあるけれど、チューバやバス・リコーダーの音の柔かさは癖になる。(ゆ)

 朝、トシさんからメールが来て、こんなライヴが今夜あるんですけど、いかがですか。いかがですかもない。こりゃ親の死に目に会えなくても行かないわけにはいかない。

 いたくらさんの顔には見憶えがあると思ったら、四月に来日したジョイ・ダンロップのガーリック伝統歌謡のワークショップの会場だった。その時ジョイから習った子守唄とマウス・ミュージックが今夜のハイライトの第一。

 あたりの空気が変わった。それまでは聞き慣れたうた、日本語のうたをうたってきて、日常世界とのつながりが濃い。サポートもトシさんとアニーだから、いつものライヴとのつながりも強く感じられる。それが、ガーリックのうたが始まったとたん、会場全体がそのまま別の次元に移行した。

 ぴーんと張りつめてもいる。一方で余計な力はどこにも入っていない。緊張と弛緩の同居。良い音楽には必ずある感覚。これを味わいたくて音楽を聴きつづけている感覚が湧きあがる。

 ガーリックの呼び名は難しすぎて覚えられないのでマウス・ミュージックと呼ばせてもらうが、ワークショップでもゆっくり始めてだんだん速くなっていった、その通りに、最後は普通のジグのテンポ。ギターとバゥロンの伴奏にも熱がはいる。うたっている本人も身体が浮いたそうだが、こういう浮上感は器楽演奏ではちょっと体験した覚えがない。

 いうなれば口三味線であるこの形は楽器が無いとき、あっても演奏できる人間がいないときにダンス伴奏として行われたそうだが、しかしこの浮遊感を好むダンサーもいたのではないか。場合によっては何時間もぶっ続けに演奏する、つまりうたい続けることもあったというのは、降りたくないという欲求の現れかもしれない。

 いたくらさんはクラシックの声楽の訓練を受けていて、そちらでうたうことも多いそうだが、昨日はベルカントではなく、いわば普通の発声をしていた。うたう言語によって声の出方が変わるのか、ガーリックのときが一番素直に声が響いていた。もとが英語のうたは英語でうたうときが一番うたいやすいとも言っていたのはなるほどとうなずく。

 一方で明治以来、西欧のメロディに日本語を乗せる試みが不断にされてきていて、そこから生まれた音楽はわれわれの血肉の一部にもなっている。散文の翻訳だけでなく、メロディにのせてうたうように翻訳というより翻案することは、日本語を鍛える上で重要な役割を果たしてきている。

 昨日のハイライトの第二はトシさんがサンディ・デニーの Sail Away to the Sea を日本語化してうたったもの。歌唄いとしてのトシさんの進境にも驚いたが、うた自体も良かった。トシさんは上記のマウス・ミュージックも日本語化していて、MCのなかで披露したけれど、こちらもなかなか面白い。 異文化の作物を己れの土壌に移しかえようとして、あれこれやったあげく、自分なりにうまくはまったと思えたときの快感はあたしにも覚えがある。翻訳をやっている人間はたぶん皆覚えがあるはずだ。

 サンディ・デニーにこんなうたがあったとはまったく覚えていなかった。あとで調べたらストローヴス時代に作ったものだった。後の名曲群にくらべると稚拙なところもあるけれど、すでに彼女の特徴が出ていて、なかなか良いうただ。目立たないけれどいいうたがカヴァーされて初めてその良さに気付くというのはよくある。それにしてもトシさんはどこでこのうたを見つけたのだろう。

 ハイライトはもう一つ。アンコール前の蛍の光。これをより古い、もう一つのメロディでうたってくれたのだ。ジョイがコンサートで両方でうたったのに倣い、いたくらさんもおなじみの日本語で、まず古いメロディ、次におなじみのメロディで交互にうたう。

 初めてこの古い方のメロディをどこで聴いたかもう記憶がない。Bobby Watt の HOMELAND だったか、Gill Bowman の TOASTING THE LASSEIS だったか。それとも Johnny Cunningham の A WINTER TALISMAN で Susan McKeown がうたうので改めて教えられたのだったか。始めはとまどったことは確かだが、いつの間にか、こちらの方がすっかり好きになった。トシさんもアニーも、今はこちらの方がいいと言う。いたくらさんはついついこちらでうたってしまいそうになるらしい。


Toasting Lassies: Burns Songs
Gill Bowman
Greentrax
1995-03-07


Winter Talisman
Johnny Cunningham & Susan Mckeown
CD Baby
2010-01-26



 あたしが古い方のメロディを好きなのは、まずこちらの方が耳になじむよいメロディということもあるが、さらに加えて、よく知られた方のメロディを聞くとどうしてもほたるのひかりの歌詞が出てきて、紅白の映像などもチラチラするからだ。独立したひとつのよいうたとして聴けない。ダギー・マクリーンぐらいじっくりとうたいこんでくれれば別だが、これはもうこの人クラスの芸達者にして初めて可能な話だ。

 トシさんのうたも良かったが、アニーも1曲、Factory Girl のギター・インストからのメドレーでビートルズの Blackbird をうたったのも良かった。聴きながら、Julie Fowlis がこのうたをスコティッシュ・ガーリックでうたっていたのを思い出し、あれをいたくらさんがうたうのを聴いてみたいとも思った。




 前から見たいと思っていたアニメ Song Of The Sea の主題歌を聴けたのも嬉しい。こうなると Karan Casey が SEAL MAIDEN でうたっていた子守唄をいたくらさんのうたで聴きたくなる。


Seal Maiden: A Celtic Musical
Karan Casey & Friends
Music Little People
2000-07-04


 いやあ、やはりうたのライヴはいい。ホメリという会場の性格を活かして、ライヴというよりはぐっとくだけて、友人の家のリビングでの語らいのように進行したのもあたりだった。トシさんのおしゃべりにアニーが入れる茶々や、いたくらさんの天然なおしゃべりにはおおいに笑わせてもらった。こういううたや演奏を聴くと、またうたがどんどんと聴きたくなってくる。アニーやトシさんが忙しく、次のライヴは未定だそうだが、ぜひぜひまたやって欲しい。ごちそうさまでした。(ゆ)

 ヴィン・ガーバットが今月6日に亡くなっていました。享年69歳。心臓の僧帽弁を人工のものに交換する手術を受け、手術自体は成功しましたが、人工の弁がうまく作動しなかったらしい。

 マーティン・カーシィやアーチー・フィッシャーや、あるいはディック・ゴーハンが死ぬのはやはりショックではありましょうが、ヴィン・ガーバットが亡くなるのは、あたしにとってはまた格別の哀しみであります。死なれてみるとあらためてそう思います。もちろんそうした人たちの大ファンでもありますし、おそらく全体の業績から言えばカーシィやゴーハンの方がいろいろな意味で大きいでありましょう。しかし、ガーバットはもっとずっと個人的なレベルで親しみを感じていました。一度も会ったこともなく、連絡をとったこともなく、ライヴもついに見られなかったわけですが、それでもかれはどこか遠くにいる人ではなく、いつでもそこにいて、頼めば、人懐こさがそのまま声になったかのように人懐こい声と独特の巻き舌で、味わいふかいうたをいくらでも聴かせてくれる。あたしにとっては上にあげた人たちの誰よりも、ブリテンのフォーク・ミュージック、フォーク・ソング、うたの伝統をいまここに受け継ぎ、うたい続け、つくり続けてくれる近所のおっさんでした。

 50年近いキャリアを経て、ガーバットは英国ではまぎれもないスターの一人で、葬儀には800人が参列して地元の教会はあふれたそうですが、スターらしさというものが欠片もない人でもありました。カーシィにしてもゴーハンにしても、フォーク・ミュージシャンは皆そうですが、その中でもガーバットの「近所のおっさん」度の高さはちょっとない。

 そのうたは、フォーク・ミュージックの伝統をしっかり継いで、虐げられた人びと、踏みつけられた人びとになりかわり、その苦しみ、哀しみ、嘆きをうたうものです。というよりも、自分もその一人であるところからずっとうたっていました。けれどかれのうたは拳を上げて怒ったり、お涙頂戴を誘うものではない。そのかわりにからりとしたユーモアにくるんだり、あるいは冷静なロマンティシズムにのせたりします。聴いていて涙が出るとしても、それは感傷的なものではなく、心の底から湧いてくるわけのわからないものが形をとるのです。そうして笑ったり泣いたりしているうちに、そのうたによって確実に世界はよりよくなったと感じる。そうしてもう一度生きていこうという気になる。

 そしてうたのうまさ。いつだったか、何かの記事にポール・ブレディとタメを張ると書いたことがありますが、依怙贔屓を入れれば、あたしはポールよりうまいとすら思います。ガーバットは出身の北東部イングランドの訛がきつく、また極端な巻き舌で、あたしなどは歌詞を見ながら聴いてもわからないくらいですが、そうしたものを超えてうたの肝を伝えてくる説得力で右に出るものはちょっと無いでしょう。

 1970年代初めにデビューしたうたい手の常として、かれはギターも達者ですが、母親がアイリッシュだったことから手にしたホィッスルも無類に上手い。若い頃は地元のアイリッシュ・コミュニティで腕を磨いたそうですが、この楽器の名手がまだほとんどいなかった頃に、穴のあいたパイプ1本でどれほどのことができるか、そしてまたどれほど楽しい音楽がそこから生まれるか、最初に教えてくれた人でもあります。

 Vincent Paul Garbutt は1947年11月20日にイングランド北東部ティーズ川南岸のミドルズブラに、アイリッシュの母親とイングリッシュの父親に生まれました。ボブ・ディランやクランシー・ブラザーズの影響でうたいはじめ、学校を出ると大陸にバスキングの旅に出ます。おもにスペインで過ごし、1970年代初めに帰郷すると、地元のフォーク・グループに参加しますが、一人でやる方が性に合っていたのでしょう。録音では大所帯のバンドを自在に操ったりもしますが、基本的にソロ・アーティストで通しました。

 スペインにいた頃からうたをつくりはじめていましたが、本格的になったのは帰郷してからで、Graeam Miles や Ron Angel など、地元のうたつくりたちに刺戟を受けました。1972年、ビル・リーダーの Trailer から出したデビュー・アルバム《THE VALLEY OF TEES》はそうした自作と伝承曲が半分ずつで、伝承曲の歌唱もすばらしいものの、タイトル曲をはじめとする自作曲の印象が強烈で、その印象は時が経つにつれて深くなりました。幸いこの自作曲はほとんどが後に《THE VIN GARBUTT SONGBOOK Volume One》として録音しなおされています。


The Vin Garbutt Songbook Vol.1
Vin Garbutt
Home Roots
2003-03-24



 以後、コンスタントにライヴと録音を重ね、独自の世界を築いてきました。最新録音は一昨年の《SYNTHETIC HUES》でこれが16作め。


Synthetic Hues
Vin Garbutt
Imports
2014-12-16



 下のビデオはあちらの死亡記事のいくつかに掲載された2009年8月のもの。うたっているのは《THE VALLEY OF TEES》のタイトル曲。ティー渓谷はかれが愛してやまなかった故郷です。本人の姿はさすがに歳月を経ていますが、うたと声はデビュー録音そのままです。




 昔、松平維秋さんと電話で話していて、ガーバットのあの明るさは貴重だよね、と言われていたのが印象に残っています。カーシィやゴーハンや、クリスティ・ムーアやポール・ブレディや、あるいはシャーリー・コリンズやジューン・テイバーは昏いというのが背景にあっての発言ではありますが、ガーバットの音楽のユニークな魅力を一言で言いあらわしてくれたと感心しました。時間が経つにつれて、その明るさに、めげない精神、辻邦生が「積極的な楽天主義」と呼んだ態度が見えるように感じ、あらためて貴重だと思うようになりました。不撓不屈というよりは、柳のような、がじゅまるの木のような粘り強さでしょう。ますますお先真っ暗な、不安ばかりが増す世界と時代にあって、ガーバットの音楽は、一隅を照らす灯にも見えます。

 さらば、ヴィン・ガーバット。御身の魂の安らかなることを。合掌。(ゆ)

 アルバニアの音楽伝統が厚いことは知っていた。A・L・ロイドがその昔フィールドワークをしたので、英 Topic Records に現地録音集が1枚あり、CD時代になって《WHERE THE AVALANCHE STOPS》というタイトルのオムニバスを、確か六本木の WAVE で買っていた。こちらは年1回の全国的な音楽祭のライヴ録音で、各地の様々な音楽の質の高い演奏をまとめて聴ける。持っている音源はこの2枚だけだが、印象は強烈だった。バルカン半島の音楽と共通するところも少なくないが、マケドニアやセルビアのものとは明らかに違う。

 ロイドのものは例によってライナーが充実していて、アルバニアはあまり広い国ではないが、国の中央を東西に流れる川を境に南北で言語、習俗、そしてもちろん音楽の性格もかなり違うことが書かれていた。昨夜もデュニは両方のうたをうたったが、北はアップテンポの闊達で陽気な曲が多く、南はよりスローで抑えた感じのうたが多いと説明していた。南にはアカペラ・コーラスもあり、そのうたをカルテットにアレンジしてやったのはハイライトのひとつでもあった。

 アルバニアはもっと聴きたい、ことに個々のミュージシャンを聴きたいとは願ったものの、音源はなかなか手に入らなかった。だから、このライヴの知らせが舞いこんだときにはまずアルバニアというだけで惹かれたのだが、案内のメールについていた動画に跳んでみて仰天した。
 



 これは2014年の Cosmo Jazz Festival のライヴ。コスモ・ジャズ・フェスティヴァルはフランスのシャモニーとそこから同じ谷を遡ったスイス側の Vallee du Trient で毎年7月末に開かれている。今年はデュニはソロで出たらしい。2014年はカルテットでの演奏で、息を呑むアルプスの景観を背景に極上の音楽を聴かせる。ステージすら無い。ドラム・セット用に台を置いただけで、その他は皆草の上。デュニは裸足だ。

 昨夜のデュニによればこのカルテットを組んで11年めだそうで、シンガーとそのバックバンドなどではもちろん無く、4人が一つの有機体になっている。曲そのものはアルバニアやアルバニア人の多いコソボの伝統歌ばかりで、そのことは一聴すればわかるが、歌唱もアレンジもそこからは一度離陸している。

 分類からすればジャズと呼ぶしかないだろうし、それはまたジャズの懐の深さを証明するものでもあるが、誤解を恐れずあえて言えば、ただのジャズではない。ジャズから出発して、新たな音楽になっている。おそらくかつてブルーズを素材としてジャズが生まれていったのと同様な作用がここにも働いている。あるいはまたスウェーデンのリエナ・ヴィッレマルクとアレ・メッレルが同じく ECM でやったように、伝統音楽を素材にして現代に向けて生み出した新たな音楽に通じるものでもある。スウェーデン勢の音楽がどちらかといえば伝統側に軸足を置いているのに対し、エリーナ・デュニ・カルテットの場合は、どちらかといえばジャズの側に重心があるとは言えそうだ。

 EDQ の場合、もう一つ言えるのは、かれらの音楽は音楽としてより純粋だ。伝統音楽は良くも悪しくも何らかのしがらみを持つ。別の言葉で言えば根っこを引きずっている。そういうものが無ければ伝統音楽とはいえないものでもある。ところが EDQ の音楽にはそうした根っこの臭み、それはたとえばくさやの臭みなので、味わいの一部でもあるのだが、それが無い。しかもなお伝統音楽としの味わいは不思議にもしっかりある。

 同様に伝統の臭みを音楽から抜くのに成功した例としてはアイルランドのメアリ・ブラックがいるが、彼女の場合はより普遍的なポップスの語法を適用していた。EDQ の音楽ではジャズの語法を応用していることになるのだろうが、聞えてくるものはもっと別の音楽、いまだ呼び名のない、最先端であり、同時に始原でもあるような音楽だ。ポップスにはどうしても金儲けのためという別のしがらみがつきまとう。EDQ の音楽にはそれすらも無い。夾雑物が一切無い。ひたすらより美しい音楽を生み出そうとめざす。

 それが実感されたのはやはり昨夜だった。ビデオでもCDでも、それはわからなかった。プログラムも半ば、最新作のタイトル曲「燕」。このうたは500年前、オスマン帝国に併合された故国から多数のアルバニア人がイタリアへ脱出する。難民となったことをうたう。かれらは燕によびかける。おまえが来年ここへもどってきても、その時われらはここにはいない。難民はどこの誰にでもありうる境遇だ。戦争や侵略だけではない。温暖化による災害や原発もある。EDQ の音楽はその切実さを静かに、しかしあらがいようもなく確実に打ち込んできた。政治的なメッセージとしてではなく、音楽の美しさに納得させられてしまう。

 そこからアンコールまで、ただただ美しい音楽が続く。ラストとアンコールでは、胸が詰まり、涙が湧いてくる。理由などない。人がそこにいて、うたう、ただそれだけでいい。

 シンガーとしてのエリーナ・デュニはうまい下手などはとっくに超越している。ヨーロッパの伝統音楽にはたいていどこの地域にもその伝統を代表するようなディーヴァがいるが、デュニはその中でもトップ・クラスだ。ティラナ出身ではあるが、両親それぞれの祖父母から習ったうたをいくつか披露していたから、音楽伝統のあつい家庭に育っているのだろう。どうやら祖父母を通じて、南北双方の伝統を吸収しているようだ。

 ちなみに彼女はふだんはスイスをベースにしているそうで、上記ビデオでもフランス語をしゃべっているが、昨夜のMCは全部英語で、こちらも達者なものだ。ひょっとするとあと二つ三つの言語はできるのではないか。

 カルテットの他のメンバーも超一流であることは言うまでもない。ピアノのコラン・ヴァロン(とデュニの発音は聞えた)が目当ての客もいたかもしれない。プリペアド・ピアノの音は、やはり左手をピアノの中に入れて出していた。個人的にはメンバー中最年長らしいドラマーにあらためて脱帽。このカルテットの音楽の肝を握っているのはこの人だ。

 場所は板橋の小竹向原の駅から歩いて10分ほどの安養院というお寺の、昨年新築した瑠璃講堂。東正面には薬師如来が安置されている。ミュージシャンはこの仏像を正面に見て、西を背に並ぶ。左手にピアノ、中央奥にベース、右にドラムス。中央手前にシンガー。靴を脱いで上がり、ミュージシャンたちも靴下。デュニはもちろん裸足。多目的ホールのようなもので、ヨガ教室などもやるらしい。音楽はクラシックがメインだが、音響設計をしたのが、今回招聘した録音スタジオという縁でこのライヴが実現したそうだ。天井が高く、声がよく通る。本郷の求道会館のヴェーセンもそうだったが、ここもああいう倍音を活用する楽器のアンサンブルはいい音で聴けそうだ。

 ミュージシャンたちの奥から左は一面ガラスで、外の虫の声も小さいがはっきり聞える。EDQ のような音楽には最適だ。この空間が異界になる。ここだけすっぽりと別の時空に移されたけしきだ。

 たどり着くまでは、グーグル・マップと首っぴき。小竹向原の駅は住宅地の真ん中にぽっかりと出て、駅前商店街などあるはずもなく、目印になるようなものが何もない。まったく面倒なところでやりやがって、という想いも途中湧いてこなくもなかったが、終ってみれば、よくぞこういうところでやってくれました、もしまたここでライヴをやるようなら、この場所というだけでまた来ましょうという気分。

 実はあまり体調がよろしくなく、歩かされて文句のひとつも言いたくなったのにはそれもあったが、こういう音楽を聴けば瀕死の病人だって回復する。ミュージシャンたちと、この来日公演を可能にした方々にはひたすら感謝する。

 このカルテットはこの後、明日、明後日は大阪、09/09と09/10 はソウルで公演があるようだ。

 迷っているなら、何をおいても行くべし。迷わなくても、行かなければ一生後悔するぞ。(ゆ)


Dallendyshe
Elina -Quartet- Duni
Ecm Records
2015-06-02


Matane Malit
Elina Quartet Duni
Ecm Records
2012-10-16


 あたしなんかもアイリッシュだけ聴くということができない。ふるさとにもどるのはいいもんだが、しばらくするとふるさとは飽きてくる。あたしは東京生まれの東京育ちで、ふるさとと言えるものを持っていないからなのかもしれない。とまれ、また旅に出て、聴いたことのない土地や人びとの聴いたことのない音楽を探索したくなる。

 大渕愛子さんがギターの大橋大哉さんと組んでいる 橙 Duo は大渕さんのアイリッシュ以外の音楽をやりたい欲求から生まれているらしい。上のような理由からこれには共感する。そしてそこから生まれている音楽にも共感する。

 ふるさとから離れても、ふるさとに似たもの、共通する要素のあるもの、共振するようなものを求めるものだ。つまりルーツ音楽、伝統音楽であって、こんにちどこにでもあるポップス、ヒップホップ、ロックを求めるわけではない。

 橙 Duo の音楽も、根っこにアイリッシュがあることが良い方に作用している。無理をしていない。無理矢理アイリッシュと対極になるようなことをしようとはしていない。音楽が歪まないのだ。

 大橋氏のギターはジャズやボサノヴァあたりがベースと覚しいが、神経が細やかだ。でしゃばらないが存在感はしっかりある。そういう点では長尾さんはじめアイリッシュのすぐれたギタリストに通じる。この存在感が主役を引き立たせるのだ。演劇や映画だって、主役だけがめだって、脇役はみな大根ではいいものになるはずがない。音楽ではそれ以上に脇役は大事だし、聴きようによっては主客は逆転する。デュオではとりわけ主客は流動する。それがデュオの面白さでもある。

 この日は実は中村大史さんがアコーディオンとブズーキで客演していたのだが、抑えに抑えた演奏で、あくまでも2人を立てていた。しかもかれが加わることで確実に音楽が豊饒になる。フィドルとユニゾンしたり、ドローンで支えるアコーディオンや小さく裏メロをかなでるブズーキが心憎い。こういうところが中村さんの頼もしさだ。

 橙はメンバーのオリジナルを演奏するプロジェクトで、この日は3枚めになる Vol.0 のリリース・ライヴという触れこみ。どれも愛らしい小品という趣。一方でかなり複雑で工夫の深い曲でもあって、何度か聴かないと味わいが沁みてこないようでもある。半分は大渕さんがうたう。

 大渕さんのうたは中性的でもあり、感情をこめない。これまたアイリッシュ的であって、感情は演奏そのものには現れず、聴く人間の内部に入ってから醗酵する。ノーマイクということもあって、ますますその傾向が強まる。じっくり録音を聴きたくなる。

 曲が短かいせいか、ギターの持ち替えやチューニングのためか、MCが多めで、楽しい。ミュージシャンの日常の音楽生活の機微にも触れる、かなり突っこんだ話も聞けた。

 とはいえハイライトはアンコールのアイリッシュのセットでした。

 ここは千駄木の、谷中銀座にも近いカフェ兼写真館で、会場は1階のカフェのテーブルと椅子を並べかえ、ミュージシャンは通りに面した一面ガラスの壁を背にする。外の路地を通る人は聴衆を見ることになる。20人も入ればいっぱいで、ミュージシャンとの距離はひどく近い。このライヴの数日前が3周年だそうで、アンコール前にハッピバースデーが始まったのはそれかと思ったら、大渕さんの誕生日祝いだった。大台にのってひどく気が楽になったそうだ。

 ここでは今年9月にハモクリ・アコースティック・トリオ版のライヴが予定されている。これは楽しみだ。(ゆ)

 shezoo さんのライヴに通っているのはまず彼女のつくる曲がおもしろいからだ。たとえばトリニテのセカンド《月の歴史》のタイトル曲でもある〈ムーンズ〉。はじめはトリニテで聴いたのでインスト曲だったが、後で歌詞もついたうたであることが、あれは昨年末やはりエアジンのラスト・ライヴで判明して、驚くとともに喜んだ。この日は編成もメンバーも変わってまた別の音楽。そして今回のハイライトでもあった。

 訊ねてみたら、うたはうたとしてやってくるのだそうだ。詞かメロディがどちらが先ということもない。もっとも曲は「上」から降りてくるので、一応そちらが先といえるかもしれないが、詞もほとんど同時に出現するらしい。〈ムーンズ〉は2つの月のうたなので、地球上の話ではない。太陽系内の話でもないだろう。どこかにはあるはずの、しかしまだ肉眼では見られない世界。このうたの中にだけある世界だ。ちょっとレトロ・フューチャーな雰囲気のメロディとの相乗効果で、聴くほどに名曲になってきた。

 昨年末のユニットは好評で、本人たちも手応えを感じたのだろう、プリエとして続けることになったのだが、メンバーの事情で継続が難しくなり、編成を変えて仕切りなおしになったのがこの日のユニット。前回からはサックスのかみむら泰一さんが残り、あとは一新。ヴァイオリンが入ったのが目新しいが、ベースレスは変わらない。シニフィアン・シニフィエの水谷浩章氏はジャズ・ベースというよりは、クラシックのコントラバスに近い。どちらの要素も兼ね備えているところが、あのバンドでの水谷さんの面白いところ。

 shezoo さんのピアノがベースの代わりをしてしまうせいもあるのだろうが、shezoo さんが起用する打楽器奏者はみな多才で、ベースの不足を感じさせない。トリニテではフロントの二人を立てているのか、サポートに徹している小林さんが、この日は爆発していた。見ようによってクールとも見え、またいかにもつまらなそうにも見える表情、あるいは無表情で、しかしそのカラダからは切れ味の鋭いフレーズが噴出する。

 ヴァイオリンの多治見智高氏は25歳だそうだが、髭のせいか、30以下には見えない。演奏も若さだけでなく、一本、筋が通っているし、したたかさもあるようだ。いろいろな編成や音楽で見てみたい。

 サックスのかみむらさんはあいかわらずテンションが高い。リハーサルからすでに本番なみだ。いつも椅子に座っているのはなぜか、訊ねようとおもっていて今回も忘れた。というのも演奏が佳境に入るといかにも座りごこちがよくないように見えるからだ。ついには立ち上がってしまうが、だったらはじめから座らなくてもいいんじゃないかと思うのは素人の浅はかさか。それとも座らないと火が点かないのだろうか。

 ヴォーカルの松本泰子さんが個人的にはハイライトだった。強い声と振幅の大きな表現力の持主で、〈ムーンズ〉がまるで彼女のために書かれたうたのようだ。〈The Water Is Wide〉も良かったが、このユニットならこのうたはもう少し違うアプローチでやってみてもいいのではないか、とも思う。たとえばおもいきりアップテンポとか、モロ・フォービートとか。松本さんは若々しくチャーミングでもあって、多治見氏より年上の息子さんがいるとはとても見えない。旦那さんが常味裕司氏と組んでいる和田啓氏だそうで、そちらのユニットでウンム・クルスームもうたっているというから、それも見なくてはいけない。見なくてはいけないものがこうして芋蔓式に増えてゆく。

 まだ名前のないこのユニットはすでに次回のライヴが決まっているそうだ。5月にやはりこのエアジン。

 5時半過ぎにライヴが終った後はエアジンの打ち上げ。うまいワインが次から次へと出てきて、極上のキッシュがふるまわれ(どちらも常連客のさしいれ、キッシュは自家製。ごちそうさまでした)、ひさしぶりにだいぶ飲んでしまった。とてもここでは書けない話もたくさん聞く。

 かくて今年もめでたくライヴじまい。あとは片付けと大掃除。来年ものらりくらりと、旨い音楽を求めていきたい。今年、すばらしい音楽を聴かせてくださった音楽家の皆さま、まことにありがとうございました。皆さまの上に音楽の女神の微笑まれんことを。来年もまたよしなにお頼みもうします。(ゆ)

 長崎・伊王島に伝わるうたを今、島でうたえるのは最年少95歳、最年長104歳の人びとと松田さんは言った。これらのうたは消滅するぎりぎりのところで新たなうたい手にひき継がれ、うたい継がれることになった。これを「縁」とよぶべきだろうか。

 確かに「縁(えにし)」には違いない。あるいは「縁」とは、本来こういうつながりを呼ぶことばなのか。もともと何のつながりも無かった人と人がうたに引き寄せられる。

 うたが松田美緒という特定の存在を探していたわけではないだろう、とも思う。一方で一度うたい手の中に落ちつくと、うたはそのうたい手の器にふさわしく成長する。昨夜はその成長ぶりがまざまざと現れていた。

 このトリオでのライヴを見聞するのは本の刊行直前、昨年12月の杉並でのライヴ以来。その間、一度、松田さんと渡辺さんの二人だけで下北沢でトーク&ライヴの形では見ていたが、やはりトリオでの、あくまでも音楽主体のコンサートは格別だ。そしてほぼ1年ぶりに聴くクレオールな日本語のうたたちは、りっぱに成長して、それぞれに見事な姿になっていた。

 前回ではうたたちはようやく新たな宿主、というのはまずいか、憑代はどうだろう、まあパートナーを得て、とにかくひと安心というところだった、と今の姿を聴いて思う。あの時はすばらしいと感じたのだが、まだあらためて生まれでたばかりの赤ん坊だった。それから1年ライヴを重ね、それにつれてうたも国内の各地を旅してきた。うたい手とうたわれた土地からエネルギーを吸いあげて、うたは十分に熟成している。本来の姿をとりもどしている。

 本来の姿、とはいっても、かつてうたわれていた姿とは異なるはずだ。いまの、この姿は、今の時空で、これらのうたたちに最もふさわしい姿なのだ。それも松田美緒といううたい手の中で熟成しているので、別のうたい手がうたえば、別の姿を現すだろう。

 そう、これらのうたは松田さん以外のうたい手にもうたわれて欲しい。本来の姿というならば、それこそが本来の姿といえるだろう。いろいろな人たちに、プロもアマもなく、それぞれの場所でそれぞれのうたい方でうたわれて欲しい。別に日本語ネイティヴのうたい手である必要もない。松田さんがポルトガル語のうたをうたうように、日本語のうたをポルトガル語ネイティヴがうたうのも聴いてみたい。クレオールとはそういうことでもあるし、世界中がシャッフルされている、今の時代にふさわしくもある。

 クレオールといえば、松田さんのうたう声がそもそもクレオールではないか、と昨夜気がついた。数曲、ポルトガル語のうたも披露されたし、『クレオール・ニッポン』に収められたうたの中にも、ポルトガル語の詩やうたが織りこまれたものもある。そのポルトガル語をうたう声と、日本語をうたう声が同じなのだ。そして、この声は他の日本語のうたのうたい手たち、すぐ思いつくのは木津茂理さんや柳原陽一郎氏あたりだが、こういう人たちとは違う。推測ではあるが、この声は松田さんがポルトガル語のうたをうたう中で探りあて、鍛えてきたのではないか。それはポルトガル語ネイティヴの声とも異なる。日本語とポルトガル語が混在し、融合し、たがいに浸食しあってできあがってきた声。どちらにも属さない、新たな次元で響く声。ある定まった声なのではなく、常に揺れうごきながら、それ自体が旅をしている声。『クレオール・ニッポン』が日本語のうたを解放することに成功しているのは、このクレオールな声によってうたわれていることが大きい。

 昨夜のうたたちは、いまの、この時点での姿だ。1年後、あるいは5年後にはまたおそらくは全く別の姿、別のうたに変わっているだろう。昨夜は「新曲」も披露された。こうしてレパートリィが増えてゆくにつれて、前からうたわれているうたたちもまた変わるだろう。

 ピアノの鶴来正基、打楽器の渡部亮のお二人も、松田さんとともにしっかりトリオになっていた。というのは、お二人の演奏もまた、伴奏のレベルは軽く超えて、うたの一部になっている。うたの不可欠の要素として溶け込んでいる。

 松田さんの声にはもうひとつ不思議なところがあって、声が口から出てくるように聴こえない。松田さんの体を中心とする空間から響いてくる。目をつむって聴いていると、前方の空間全体から響いてくる。うたい手個人というよりも、トリオが織りなす空間が有機体、1個の生きものとなり、そこから響いてくる。

 人がそこにいて、うたう。ただ、それだけのことがいかにすばらしいか。人とはうたう生きもの、うたって初めて人は人となる。人が人として生きてゆくために、うたは欠かせない。あらためてそう思いしらされた夜だった。(ゆ)



 

 なんとも面白い講演だった。日本におけるラテン音楽の吸収、といえば、歴史的には安土・桃山時代に南蛮文化の一環として入ってきたものが最初のはずだが、その痕跡は残らなかった。音源として残っているのは昭和初期のSP音源が最古の由。当時、アメリカ、ヨーロッパではやっていたラテン音楽を一早く模倣・移入したもの。当時はやっていたものを一早く模倣・移入するというこの姿勢はその後20世紀を通じて一環している。マンボ、チャチャチャ、そしてついにはドドンパという日本独自のものまで生まれる。

 戦前の音源もおもしろかったが、思わず姿勢を正したのは戦後に入ってからだ。後藤さんは全部リアルタイムで聞いて、ご母堂や自分もうたっていたとおっしゃるが、ぼくも昨日かかったヴァージョンそのままではなくても聞いていた曲が次々に出てくる。確かにこうして聞かされればラテンとわかるが、当時はもちろんそんな認識はない。最初に聞いたラテンはたぶん『狼少年ケン』の主題歌だ。『冒険ガボテン島』もあった。

 そうして昭和の歌謡曲を作ってきたものの、小さくない部分がラテン音楽だとよくわかる。なにも言われずに聞けば、ムード歌謡、演歌にしか聞こえないうたまで出されると、歌謡曲って実は雑種、混淆音楽であることが見えてくる。岡本さんによれば、こんにちの意味での演歌なる呼称はそんなに古くない。1960年代後半に始まるのではないか。

 そうしたラテンの要素が1970年代に入るとさっぱりと消える。断絶が起きる。そして1980年代に入ったとたん、オルケスタ・デ・ラ・ルスが颯爽と登場する。そのルーツは1976年のファニア・オールスターズの来日になる。これはいわばわが国サッカーにおけるメキシコ・オリンピックの銅メダルのようなものだろう。まったく新しい世代がラテン音楽をやりだした。さらには沖縄のディアマンテスのような存在まで出現する。流行しているからというよりも、単純にかっこいい、楽しいということでやりだす。このあたりはアイリッシュ・ミュージックとも共通する。

 今回はタンゴがない。フラメンコもない。そちらは戦前からの長い歴史をもち、独自の展開をとげてきていて、今回の文脈からははずれるわけだ。後藤さんによればジャズ喫茶の前にタンゴ喫茶なるものがあったそうだ。そちらはそちらで、また別に企画されるようなので、これは楽しみだ。いーぐるのシステムでカマロンが聞けるぞ。

 それにしてもこういう文脈で聴く歌謡曲はなかなかすごい。美空ひばりは多少心組みもあったが、郷ひろみとか中森明菜とか、シンガーとして見直した。本田美奈子はラテンをうたっていなかったかな。トニー谷と共演している宮城まり子というのも他にあれば聞いてみたい。先日夢中で読んだ堀井六郎の昭和歌謡の本もあらためてこの角度から読みなおしてみたくなる。歌謡曲というスタイルまたはジャンルは、どうしても好きになれなかったが、このあたりがとっかかりになりそうだ。

 やはり知らないジャンルのこういう紹介は刺激になる。足元にあって存在は否応なく知っているものに、意外な角度から照明を当てられると、思わぬ魅力に気がつかされる。

 岡本さんの、もう好きで好きでたまらないんです、という姿勢にも共感する。選曲のためにあれこれ聴いているだけで、ひとりで盛り上がってしまった、というのもよくわかる。

 いーぐるの連続講演はこのところ面白そうなものが目白押しで、毎週でも行きたいもんだが、霞を食って生きていくわけにもいかないのが哀しい。(ゆ)
 

 今日は聖パトリックの日ですね。バレンタインほどではないですが、だいぶ定着してきたようであります。もともとこれはアメリカ在住のアイルランド人たちが始めたので、海外で祝う方が本筋かもしれません。

 下記の記事のコメントでお知らせをいただいたので、念のため、転記します。

 北海道は札幌でブリテンの伝統歌をうたっておられる かんのみすず さんが、東京でライヴをされるそうです。ちょっと急な話ですが、うーむ、なんとか行きたい。くわしくはこちら


 かんのさんは greyish glow というグループをながらくやってらっしゃいます。アイリッシュもうたわれますが、どちらかといえばイングランドやスコットランドのうたがお好きらしく、こういううたをうたってくださる方はまだまだわが国では少ない、というより稀であります。もっとも、アイリッシュのうたをうたう方も少ないことではあります。

 サポートは東京のアイリッシュ系の人たち。イングリッシュやスコティッシュをやっている人たちはまだいないでしょうねえ。『まっさん』のおかげでスコティッシュは少し注目されているようですが、アイリッシュとなかなか区別つかないかも。


Traditional Night
伝統音楽との出会い、新しい出会い

期日 03月27日(金)19:30開演
場所 Grain, 高円寺
出演
 かんのみすず: vocal

 染村和代: vocal, accordion
 木村林太郎: celtic harp, vocal
 Kazumi Ediger: vocal, accordion
 Jim Ediger: vocal, cittern, accordion, etc.


 それにしても、ライヴというのはどうしてこうもたて続けになるのかな。(ゆ)

01. Golden Vanity, Bob Fox, THE BLAST, 2006, Trad.

 原詞はぼくが聞き取ったものですので、正確さは保証しません。不悪。日本語はあくまでも語られている内容の大意です。

I knew a ship from the north country
And the name that she went under was the Golden Vanity
They feared they'd be taken by the Turkish galley
As she sails on the Lowlands low
Lowlands, Lowlands
As she sails on the Lowlands low
Lowlands, Lowlands
As she sails on the Lowlands low.

Now the first who raised his hand was a little cabin boy
Saying, 'Captain what will you give me for the galley's to destroy?
I vowed I will win the day if you should me employ
To sink her in the Lowlands low
Lowlands, Lowlands
To sink her in the Lowlands low
Lowlands, Lowlands
To sink her in the Lowlands low

'I will give you gold and silver in great store
My daughter you shall marry when we return to shore
Dressed up silk and finery you'd never more before
If you'd sink her in the Lowlands low

So the boy bade his breast and over the side went he
And with some auger he swan across the sea
He swam until he came to the Turkish gallery
As she sails on the Lowlands low

Now some were playing cards and some were playing dice
He bored the three holes once he bored the three holes twice
He saw the waters flowing in and it dazzled in their eyes
And he sank her in the Lowlands, Lowlands low
Lowlands, Lowlands
He sink her in the Lowlands low
Lowlands, Lowlands
To sink her in the Lowlands low

And turn himself around him and back again swam he
He swam until he came to the Golden Vanity
Saying, 'Captain, pick me up, for I'm drowning at sea
And I'm drowning in Lowlands low
In the Lowlands, Lowlands
And I'm drowning in Lowlands low
Lowlands, Lowlands
And I'm drowning in Lowlands low

'I will not pick you up,' the captain he replied
'I will shoot you, I will drown you, I will sink you in the tide
For the captain he did rue and the promise he denied
And he left him in the Lowlands low

So the boy was forced to swim to the starboard side
And up to his ship mates full bitterly he cried
'Ship mates, take me up, for I'm drowning in the tide.
I'm drowning in the Lowlands low.'

Well the ship mates took him up but on the deck he died
So they stitched him into the hide so fair and wide
They threw him overboard and he drifted in the tide
He drifted in the tide in the Lowlands low
In the Lowlands, Lowlands
He drifted in the Lowlands low
Lowlands, Lowlands
He drifted in the Lowlands low

And the just three days later the weather fine and clear
The voice came from the Heaven in the smote of the captain's ears
'Captain, for your cruelty you'll pay a price right here
I'll sink you in the Lowlands low

Well the captain laughed the scornful laugh an evil man was he
He feared no retribution in so peaceful was sea
But soon a wave was breaking all the Golden Vanity
And she's sinking in the Lowlands low
In the Lowlands, Lowlands
And she's sinking in the Lowlands low
Lowlands, Lowlands
And she's sinking in the Lowlands low

Now the sailors in the wreckage were rescued from the sea
But the wicked captain was perished with the Golden Vanity
A giant wave came over her and swept him out sea
And drowned him in the Lowlands low
In the Lowlands, Lowlands
And drowned him in the Lowlands low
Lowlands, Lowlands
And drowned him in the Lowlands low


北国から出た船が一隻
名前は「金のうぬぼれ」
トルコの軍艦に捕まってしまうとおののいた
ロウランドを渡っている折りに

初めに手をあげたのは若い船室がかりの少年
「船長、あの軍艦沈めたら、なにをくれます?
やらせてくれたら、ご期待はうらぎりません」

「黄金も白銀もたっぷりくれてやる
陸へもどったら娘もくれてやる
おまえなんぞ、さわったこともないような絹の服も着せてやる」

そこで若者は船縁からとびこんだ
錐を1本かかえて海を泳ぐ
トルコの軍艦まで泳いでいった

軍艦ではトランプに興じるものもあり、サイコロを振っている者もあり
若者は錐で3つ穴をあけ、さらに6つ穴をあける
水がどうどう流れこみ、あわてふためくトルコ兵
そしてあっさり沈んでしまった

若者はくるりと体をひるがえし、「ゴールデン・ヴァニティ」へと泳いでもどる
たどりつくとさけんだ
「船長、引上げてくださいよう、溺れちまいそうだ」

船長の答えるに「いんや、引上げねえ。
おまえなんぞ、鉄砲で撃って、溺れさせてやる」
船長は約束を踏みにじり
若者が沈むにまかせた

若者はやむなく右舷へと泳いでまわる
同僚の船員たちにうったえる
「ひきあげてくれよう、溺れちまうよう」

船員たちは若者を引上げてやったが、甲板で若者は死んでしまった
そこで遺骸を皮に包んで縫いあわせ
船縁から海にほおりこみ、遺骸は潮に流れていった

それから3日後、よく晴れて穏やかな天気
天上から船長の耳に声が聞こえた
「船長、おまえのむごいふるまいのつぐないをしてもらうぞ
おまえはここで沈むのだ」

船長は心がよこしまで、あざけりの笑い声をあげた
こんなおだやかな海で、天罰なんぞありっこない
ところが大波がまきおこり、ゴールデン・ヴァニティをひと呑み

船乗りたちは海から助けあげられた
心のまがった船長は船もろともに海の底
巨大な波にさらわれて
海の藻屑となりました


  Child の286番(V巻収録)であり、Roud では122番。PBEFS の新旧双方に収録されていますが、基になったシンガーが異なり、歌詞も若干異なります。話の大筋は同じで、キャビン・ボーイが船に引上げられながら死ぬラストも変わりません。また Stan Hugill の SHANTIES FROM THE SEVEN SEAS にも収録があります。

 イングランドではセシル・シャープたちの運動で、伝統歌を習うことが小学校の教育課程に採用されています。これもその1曲で、したがってイングランドで小学校教育を受けた人ならば、たいていは知っているもの。そちらの基になっているのはPBEFS新版に収録されている版です。

 ブリテン島と北米に広く採集されていて、とりわけ北米で人気があったようです。アイルランドではほとんどうたわれていなかったそうな。サミュエル・ピープスもとりあげてます。

 'Golden Vanity' とはご覧のとおり船の名前です。北米ヴァージョンではこの名前は様々ですが、イングランド版ではほぼこれに統一されている由。他の名前としては The Sweet Kumadie や The Golden Victory などがあります。チャイルド版では船長はサー・ウォルター・ローリーに擬せられています。ブロードサイドで残っている最古の版は17世紀後期で、その頃には〈サー・ウォルター・ローリー、ロウランドを航海する〉と呼ばれていました。この古い版では船名は Sweet Trinity です。

 ここでは「敵」はトルコですが、フランス、スペイン、オランダなどもあります。面白いことに伝統歌の「敵」にはドイツがないですね。第一次世界大戦が始まり、戦場でうたわれたものにはさすがに出てきますが、19世紀までは見た覚えがありません。ドイツは大英帝国にとっては敵とするに値しなかったのか。基本的に好意を持っていたのか。王室がドイツと縁が深かったので忌避したのか。あるいはその全部か。ひょっとすると「トルコ」はドイツの婉曲表現なのかも。

 うたっているボブ・フォックスはライナー・ノートで、このうたの普及版の結末で船長に報いがないのが気に入らずにいたのが、カナダの伝統歌を集めた歌集で船長が神様から報いを受ける結末のある版を見つけた、と書いています。少なくとも19世紀までのほとんどの版では、少年が死ぬところでうたは終わります。人びとは、無情な結末を少なくとも受け入れていたわけです。それがどういう理由によるものかは、今は定かではありませんが、報いが無い方がうたのインパクトは強いでしょう。

 シンガーはイングランド北東部出身で、1970年頃からフォーク・クラブでうたいはじめ、1978年に Stu Luckley(元 Hedgehog Pie)とのデュオでレコード・デビューしています。基本的にソロかデュオの人で、バンドに参加しても短期間です。近年では、新しい Radio Ballads のプロジェクトに参加しています。ニック・ジョーンズ、デイヴ・バーランド、ヴィン・ガーバットなどに続く世代で、イングランド音楽の今の隆盛はこういう人たちが地味に支えた基盤の上に立っているとも言えます。

 とりあげた録音はフォックスのソロとしては3作目《THE BLAST》(2006) 収録。

The Blast
Bob Fox
Topic
2009-08-12

 

 この他にも〈The Old Virginia Lowlands〉や〈The Green Willow Tree〉などのタイトルのものも含め、録音はたくさんあります。フォックスのように、沈鬱な基調でうたっている例はむしろ少なく、ユーモラスだったり、陽気な海のうただったりする方が多い。歌詞とメロディが対照的性格のうたはたくさんありますが、少年が死ぬ結末の方が圧倒的に多いとなると、あるいはこれは元はコミカルな効果を狙ったものかもしれません。「敵艦」での様子も、戦闘を前にしているとは到底思われず、滑稽な情景にも見えます。

 このあたりは細かいところを突っ込んでもあまり意味はないかもしれません。とはいえ、報われない結末が伝承されてきた理由はあれこれ想像をたくましくしたくなります。

 さらに詳しいうたと録音についての情報は英語ですがこちらをご覧ください。(ゆ)


 松田美緒氏が『クレオール・ニッポン』をリリースするのを記念して、ライヴがあります。

*2014/12/04(木)19:00開演(18:30開場)
*会場:sonorium(ソノリウム・井の頭線永福町駅から徒歩7分)
*出演:松田美緒(vo)、鶴来正基(p)、渡辺亮(per)、沢田穣治(b)
*料金:前売3500円、当日4000円(全自由席)
*チケットご予約:メール(infoアットマークartespublishing.com)または電話(アルテスパブリッシング 03-6805-2886)でご予約のうえ、当日会場でご精算。
*チケットご購入:Peatix、イープラスで前売チケットをご購入いただけます。

 これはふつうのCDではなく、アルテスパブリッシングからのリリースで、本の形です。まあ、CDのライナーが大幅にあふれ出て、ブックレットなんぞでは収まらなくなったので、いっそのこと本の形にしまった、ということでしょう。


 ニューヨークに Ellipsis...(ドットも含めて名前)という出版社というかレコード会社というか、があって、ハードカヴァーにCDが付いた本をさまざまなサイズで出していました。音源もテキストもとびきりでした。マウス・ミュージックを集めたものは国内販売もされました。今もあるのかな。検索してもそれらしいのは出てこないなあ。

 本の方では収録されているうたの出自、それとの出逢い、うたに籠めた想いが、簡潔に綴られています。

 また、録音にパーカッションで参加している渡辺亮氏が、やわらかいタッチと色使いのイラストを描いてもいて、魅力を増しています。

 一足お先に拝読、拝聴させていただきましたが、内容はすばらしい。今年のベスト1を笹久保伸さんの《秩父遥拝》と争います。

秩父遥拝
笹久保 伸
CHICHIBU LABEL/BEANS RECORDS
2014-09-07

 

 伝統歌はある土地に根づいたもの、というのは確かですが、一方で伝統歌は旅をします。人とともに移り、移った先でまた根をおろす。日本語のうたが、時間的にも空間的にも、広がってゆくのをありありと感じます。

 ここでうたわれているうたのほとんどは、一度その姿が見えなくなってもいます。〈こびとのうた〉や、〈子牛の名前〉は、こんにちふつうにはうたわれていません。そうしたうたに、あらためて今のうたとしての命をよび起こす。うたい手の「選曲眼」の良さにも感服しますが、こうしてあらためてうたわれて姿を見せたうたに、うたい手を選んだうたの力も感じます。うたはこうして生き残ってきたのでしょう。

 本番のリリース前にライヴ、というのも珍しいかもしれませんが、生でいきなり聴くという出逢いもまた粋なものです。その昔、ヌスラト・ファテ・アリ・ハーンの何度目かの来日のとき、いきなり生に接して、おれの人生変わった、とわめいていた友人がいましたが、これもそれくらいのインパクトはありそうです。

 別の見方をすれば、音楽は本来は生で初めて耳にするもので、まず録音で聴く、というのは、人間の歴史でいえばごく最近の話ではありますね。(ゆ)

 Winds Cafe 215 「メランコリーの妙薬」が来週日曜日にあります。

 会場は三軒茶屋の「レンタルスペースSF」です。
くわしくはこちらをどうぞ。


 準備は順調に遅れております。目星をつけた音源をひたすら聴いているんですが、なかなかこれと思うものにぶちあたりません。プログラムを組むためにリサーチを始める前は、もっと簡単に組めると楽観していたんですが、なかなかどうして、敵もさるもの、やはりたやすい相手ではありません。

 一聴してこれは「陰々滅々」だ、これを聴かせれば、一発でノックアウト、という曲は実はごく少ないのです。表面では明るく、朗らかに、あっけらかんとうたっているようで、よくよく聴くと根が昏いものが多い。イングランド人はやはり一筋縄ではいきません。その点ではスコットランド人やオーストラリア人の方が単純であります。アイルランド人は今回はたぶん多くはありません。一人か二人でしょう。クリスティ・ムーアなどは昏い時と明るい時がはっきりしていて、その昏い時の代表を入れようかと思うとります。

 当日は15曲、というのは前回のチーフテンズの時と同じ曲数です。はたして時間通りにいくかどうか。

 なお、上のウエブ・サイトでの案内では、終演後にパーティーとなっていますが、聴く間も飲んだり食べたりしていただいてかまいません。アルコールが入ると「陰々滅々」がもっと嵩じて、ほんとうに這い上がれなくなる場合もありますので、飲みながら聴かれるのも一興かと。アルコールがダメな方はお好きなものでどうぞ。

 ただ、あたしはタバコの匂いだけでも苦手なので、室内は禁煙でお願いいたします。パイプと葉巻はよいかも。あれは強烈というので、パイプ禁止の喫茶店なんかもありますが、あたしはむしろ紙巻よりはまだよいです。


 準備をしながら片方で Blair Jackson のジェリィ・ガルシアの伝記をこつこつと読んでおります。これはガルシアの死の直後に書かれているので、「陰」の部分はもちろん出ていませんが、一方で同時代、同じ空気を吸った人間にしか出せない味、ちょうどデッドやジェリィ・ガルシア・バンドのライヴが醸し出す独特の「ゆるさ」とリズムがあって、そこにはまるとずるずると読み続けてしまいます。

Garcia: An American Life
Blair Jackson
Penguin Books
2000-08-01



 その中で1971年のライヴ・アルバム GRATEFUL DEAD 通称 "Skull & Roses" のくだり、このアルバムのタイトルを SKULLFUCK とするとバンドが主張して、レコード会社のワーナー・ブラザースの社長がひっくり返るところは椅子からころげおちそうに笑ってしまいましたが、この補遺として著者がウエブ・サイトに載せている文章がまた輪をかけて面白い。デッドが LA のハリウッド・パラディアムでショウをした際に、バンドとワーナー幹部がこの件でもった会合の話をジェファーソン・エアプレインとニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジのドラマーだったスペンサー・ドライデンが回想しています。一番下の方の "Page 217, bottom; more on the "Skullfuck" episode:"。

 その最後の一節。今だったら別だろうが、1971年にそんなタイトルをつけられるわけがない。しかしそこにデッド側の「関係者」として同席していたドライデンも含めた数十人は、その主張が通ると信じていた。
「それがグレイトフル・デッドなんだ。連中は世間からはいつも少しズレていた。もちろんだからこそかれらは凄いわけだけどね」

 一言補足すれば、グレイトフル・デッドは世間からズレるために、そうしようと意識してズレていたわけではない、ということでもあります。かれらにとってまったく当然と思えることが、結果としてズレていることになる。さらに加えて、たとえそうすればズレることになるとわかっていても、ズレないように自分たちのふるまいを軌道修正することはしないし、またできない。もちろん、ズレていることでイタイ目に会うことは避けられません。例えばこの話のすぐ後、デッドはワーナーから離れて自分たちのレコード会社を立ち上げて大失敗します。しかし長い眼で見れば、グレイトフル・デッドはまさに他に類例のない独自の現象として顕現しつづけています。その音楽に親しみ、入れ込む人間の数は増えつづけています。

 イングランドやスコットランドの「陰々滅々」音楽というのもまた世間からはズレているものでしょう。それを看板にした「ブラックホーク」の戦略もまた、世間とのズレを逆手にとったものでした。松平さんにとっては、グレイトフル・デッドよりは意識的な行動ではあったかもしれませんが、やはりどうしようもなくズレてしまう自分の資質に忠実であろうとした結果だったのでしょう。

 とはいえ、こちらとしては世間からズレているかどうか、どれくらいズレているかどうか、ということはどうでもいいことなので、ひたすら「陰々滅々」で「心地良い」音楽を選んでおります。一聴忘れがたいということもほとんど無い、むしろ喉の小骨のように引っかかってくれるかもしれない曲であり、うたい手であります。



 何で聴いているのかって?

 ふふふ、AK120に音源を入れて、GloveAudio A1 にはめ込み、ヘッドフォンはゼンハイザー HD414 に HD650用のバランスケーブル CH650S を付け、ALO Audio の4ピンXLRから角型4ピン・ミニバランス・ジャックへのアダプタをかませてます。HD 414 の真の実力がようやく発揮されてます。この組合せで聴くと、昔リッピングした AAC ファイルでも、ほとんどハイレゾ、ですね。

A1+414-3A1+414-1A1+414-2


 GloveAudio A1 のお求めはこちらでどうぞ。今なら発売記念特典付きです。
 というわけで、GloveAudio A1 の宣伝でした。


 では、Winds Cafe 215 でお眼にかかりましょう。(ゆ)

 いよいよ来月になって、公式リリースも出たので、こちらでも案内します。

 昨年春に続き、今年も Winds Cafe に参加します。

--引用開始--
● WINDS CAFE 215 in 三軒茶屋 ●

【メランコリーの妙薬
——英国シンガー/ギタリストのうたう伝統歌謡を聴く】

おおしまゆたか(翻訳屋)
川村恭子(文筆家)

2014年11月16日(日) 午後2時開場+開演

レンタルスペースSF 東京都世田谷区太子堂2-12-10

入場無料(投げ銭方式) 差し入れ大歓迎!(特にお酒や食べ物)

※出入り自由ですが、できるだけ開演時刻に遅れないようご来場ください。

14:00 開場+開演(休憩をはさんで、前後半各1時間の予定)
17:00 パーティー+オークション

▼川村からひとこと

 ディスクジョッキーの楽しさをライヴで味わわせてくださるおおしまさん。

 これまでに【ケルト音楽の正体——その浸透と拡散】、【『ユーロ・ルーツ・ポップ・サーフィン』実践篇】、【録音でたどるアイルランド音楽の軌跡 第1部 2003〜1983】、【録音でたどるアイリッシュ・ミュージックの歴史 後篇 1904〜1983】、【「水」はいかに広いか】、【エキゾティック・イングランド——遅れてきたワールド・ミュージック】、【もう一つのチーフテンズ】と7回出演していただきました。

 今回も、前回に続き、川村恭子さんがご一緒してくださいます。もともとおおしまさんとは、川村恭子さんのご紹介で知り合ったのですが、それから早いものでもう15年目。今や、音楽・文学人生の大いなる先輩として頼りまくっております。

 当日は、おおしまさんも私も愛用しているタイムドメイン方式のオーディオ装置で音楽を再生します。装置は設計者栗田真二氏自らの運搬(!)と設置による bauxar社の Jupity301 ですので、こちらもお楽しみに。
http://www.bauxar.com/


▼おおしまゆたかさんからの手紙

 前回の WINDS CAFE で初期チーフテンズをやらせていただいて、アイルランドには一応ケリを着けたので、今回は英国、つまりブリテン島にもどり、主に英語の伝統歌謡を聴こうと思います。それも、ギター伴奏ないし無伴奏という形です。

 ギターはむろん伝統楽器ではなく、伝統音楽に使われるのは1950年代以降です。が、ぼくらにとってギターは最も身近な楽器でもあり、20世紀後半を象徴する楽器でもあります。また、ギターは伝統楽器ではない故に、英国の伝統歌謡を革新しました。

 今回は、けれどもそういう歴史的な文脈や英国の現代社会における伝統歌謡の位置といった筋にはあえて踏みこみません。つまり、ぼくとしてはそれを提示するつもりはありません。

 ギター伴奏による英国伝統歌謡は、ぼくがこの方面の音楽に引きこまれた機縁となったものです。それを、ともに味わっていただこうという、いたってシンプルな内容です。

 この形の音楽の性格として、昏いことがあります。ひたすら陰々滅々、昏い話を昏いメロディに載せ、昏くうたう。それを聴くのが何よりも悦びなのであります。その愉しみをご提供すべく、できるかぎり昏い演奏を選びます。聴きながら、あまりの昏さにいたたまれなくなって、次々に退場してゆき、ついには誰もいなくなる、というのをめざします。

 どんな明るい人もメランコリーになるように、メランコリーの人はますますドツボにはまるように。つまり、メランコリーを治す妙薬ではなく、メランコリーを引き起こす妙薬が提供できますように。

 今回も畏友・川村恭子氏(主宰者と血縁ではありません、念のため)にツッコミ役をお願いしました。うまくボケられますように。
--引用終了--

 ということで、イングランドとスコットランド英語圏のギタリスト/シンガーの録音を聴きます。

 ディック・ゴーハン、クリス・フォスター、クリス・ウッド、ヴィン・ガーバット、トニー・ローズあたりは当確。新しい人で Jimmy Aldridge & Sid Goldsmith も当選。

 その気になって探してみると、案外、みんな明るいんですね。ニック・ドウとかも明るい。イングランドの冬のくらさの中をどこまでも墜ちてゆくようなうたは、なかなかありません。

 あと、タイトルには「伝統歌謡」と掲げましたが、必ずしも「伝統」とはいえないものも出てくるかもしれません。

 今週末は別件のイベントなんで、それが終わってからおいおい最終選考に入ります。


 ちなみにそのイベントはこういうものです。あたしもどこかのブースにうろうろしております。結構面白そうなモノもあるので、おヒマな方はお立ち寄りください。(ゆ)

 久しぶりに聞くメアリの声はやはりすばらしい。AK100に入れ、拝借している FitEar の新作イヤフォン試作品(ほぼ完成品)で聴くと、さんざん聴きなれた曲もまことに新鮮。これまで気がつかなかった録音の細かい綾まで手にとるようにわかるのも楽しい。〈No Frontiers〉のヴォーカルにはこんなにリヴァーブかけてたんだねえ。〈The Holy Ground〉の故デイヴ・アーリィのドラムが胸に響く。〈I Will Be There〉でのポール・ブレディとのかけ合いなんか、生で聴きたいねえ、と思うが、まあムリなので、あらためて耳をすます。

 これは今回の来日に合わせた日本での独自企画盤だそうで、選曲はまあ納得のゆくものではある。あたしとしてはメアリは何といってもソロのファースト、それも〈Anarchie Gordon〉なので、あれが入っていれば完璧なんだけど。

 告白すれば、メアリ・ブラックからはすっかり遠ざかっていて、最新作もこれを聴いてあわてて注文したくらいだが、こうしてあらためて聴いてみると、アイルランドの声はやはりこの人にとどめをさす。伝統歌のうたい手はひとまず別として、モーラ・オコーネル、エレノア・マカヴォイ、エレノア・シャンリー、あるいはメアリとカラのディロン姉妹などなど、それぞれにすばらしいうたい手がその後陸続と現れたにしても、アイルランドに包まれる感覚が誰よりも強いのはメアリ・ブラックの声だ。少なくともぼくにとってはそうだ。伝統からは一歩離れたところでうたっているために、むしろその感覚が強くなる。メアリの声にはそういうところがある。〈Anarchie Gordon〉にしても、本来イングランド産のうたのはずだが、メアリがうたうとまぎれもないアイルランドのうたになる。このうたを初めて聴いたのはもちろんニック・ジョーンズで、それはそれで今も色褪せないが、やはりこのうたはメアリの持ち歌として聞こえる。

 メアリ・ブラックの功績はまずそこにある、と思う。メアリがうたうと、伝統歌にまつわる特有の「臭み」はみごとに脱けながら、しかもなおうたの出自、うたを生んだ伝統の香りは馥郁とただよう。ここで言う「臭み」はむろんほんとうにくさいものではない。たとえていえばそれは糠味噌の、納豆の、くさやを焼く煙の「臭み」だ。アイレイ産スコッチ・モルトのクレオソートに似た「匂い」。「醗酵」は化学的には「腐敗」と同じ現象だ。ただ、それが人間にとって役にたつ腐りかたをするとき醗酵と呼ぶにすぎない。ただし、うまく醗酵させるには不断の監視と手入れが要る。伝統も同じで、ただ放置すれば、あるいは単に保存すれば腐る。伝統音楽は多数の無名の人びとが丹精こめて見守り、世話をしてこんにちまで生きている。伝統の「臭み」はこの醗酵過程から生まれたものだ。

 一方でその「臭み」が人を遠ざける。醗酵して生まれたものは好んでも、その途中のにおいが残っているのは耐えられない、という人は少なくない。

 メアリ・ブラックはその「臭み」に耐えられない人も良い香りと感じるようにうたうことができる。彼女の他にそういうことができたのは、ぼくの知るかぎりではアン・ブリッグスぐらいだ。それは意識しておこなっていたことではおそらく無く、持って生まれた資質に負うところが大きいだろう。General Humbert でうたっている時から、メアリのうたは洗練されていた。その資質を磨き、大きく花開かせたのはデクラン・シノットではあった。

 そこからメアリのもう一つの功績が生まれる。アイルランドの新しいソングライターたちのうたを広めたことだ。このベストでいえば、〈No frontiers〉〈Katie〉の Jimmy McCarthy、〈Summer sent you〉の Noel Brazil、〈Carolina Rua〉の Thom Moore といった人たちは、メアリがとりあげなければ、世に現れたとしてもずっと遅れていただろう。

 この人たちの作るうたは、アメリカ人のつくるうたはもちろん、イングランドのソングライターたちのものとも明らかに一線を画している。それまでには無かった、今からふりかえれば、アイルランド的としか言いようのない、ある決定的な資質を備えている。伝統から一歩離れてはいるが、しかし、他のどこでもない、アイルランドのうたであることを静かに、しかし強烈に主張している。

 メアリがうたうことで、そのアイルランド性がさらに強調される。そしてまたメアリのうたのアイルランド性もまた増幅される。そこから生まれる効果は、うたとうたの作り手とうたい手の、そして、聴き手の幸福な共同体を出現させる。

 その「アイルランド性」の内実について、より突っこんだ分析をする用意は今はない。あるいはそういう分析を受けつけないかもしれない。たとえばフラメンコの「スペイン性」とはあり方が違うような気もする。ただ、それがアイルランドの伝統音楽に回り道をしながらも深くつながっていることは確かに感じられる。メアリのうたを聴いて、すぐにシャン・ノースが良いと思えるようになるというわけではない。メアリのうたの香りの源に、アイルランド伝統歌謡の大海があるのだ。

 これはメアリが世界にもたらした贈り物だが、彼女はわが国にとって、もうひとつ大事なものを贈ってくれた。いや、ものではなく人である。野崎洋子さんだ。

 今はミュージック・プラントの主宰として活躍される野崎さんは、この20年、この国のリスナーに、アイルランドや北欧のミュージシャンの生の音楽を体験できるライヴを提供してくれている。野崎さんがいなければ、ルナサもポール・ブレディもヴェーセンも、おそらく来ることはなかっただろう。個人的にはポールとともに来たティム・オブライエンのうたを生で体験できたのも大きい。その野崎さんがアイルランド音楽と出会い、こうしたミュージシャンたちとつながったその出発点はメアリだ。

 プランクトンにも足を向けては寝られないが、ぼくにとっては野崎さんの存在の方が大きい。

 ご本人は特にアイルランドだからと意識したわけではない、とおっしゃる。それはその通りなのかもしれないが、大手のプロモーターではなく、野崎さんのような音楽とミュージシャンを心から愛し、相手に寄り添う形で、つまりカネのためではなく、音楽とミュージシャンのために公演をつくってくれる人が手がけてくれてきたことは、アイリッシュ・ミュージックのリスナーとしてこれ以上望めない、まことに幸運としか言いようのないことだと思う。

 メアリ・ブラックはいわゆる「ライト・タイム、ライト・プレイス」の存在なのだ、きっと。メアリ自身も幸運にめぐまれたのだろうが、その幸運はまたメアリの声にのって、世界へと拡がった。思えばメアリのソロ・ファーストと、マレード・ニ・ムィニーとフランキー・ケネディのデビュー作はほぼ同時に出ている。一見、偶然にもおもえるが、あるいは必然だったのかもしれない。

 そのメアリがまたやって来る。これが最後の来日になる。そりゃ、アイルランドへ行けば聴けるかもしれないが、行ける可能性は限りなく低いし、ひょっとすると行っても聴けないかもしれない。それに、ここで、自分の生まれ育ったところで聴くところに、他では、おそらく現地でも体験できない味が生まれる。30年前、マレードたとちとともに、アイルランドの音楽を、これがそうだと教えてくれたメアリのライヴを、もう一度体験しに行こうと思う。

 ありがとう、メアリ。ありがとう、野崎さん。あなた方の上に、音楽の神の祝福あれ。(ゆ)

ザ・ベリー・ベスト・オブ・メアリー・ブラック
メアリー・ブラック
キングレコード
2014-04-23


 安場淳さんとはもうずいぶん前からの知合いのはずだが、ライヴは初めて。与那国の福里さんのライヴに安場さんがサポートで出られたのは見たが、かんじんの Anchang Project としては初体験だった。これなら、「月刊」でも見たい。

 収獲は何といっても台湾のネイティヴのうた。こんなすばらしいポリフォニーがアジアにあったとは、これまで知らなかったのは不覚としか言いようがない。あとで伺うと、曲によっては本来ユニゾンのうたを Anchang オリジナルのポリフォニーにアレンジされたものもあるが、もともとポリフォニーであるうたもあるそうだ。第二次大戦後、ネイティヴはこぞってキリスト教徒となり、教会で合唱するようになり、さらにポリフォニーが盛んになっているともいう。実はかれらは教会で合唱したいがためにキリスト教徒になった、と言われても、このうたを聴くと納得してしまいそうになる。

 ハーモニーだけでなく、メロディもたいへん美しい。天から降ってくるとか、地から湧きあがるというのとは違って、風に乗って漂うような、やわらかい旋律に、なんども背筋に戦慄が走る。

 この台湾から与那国を中心として、沖縄、奄美をもカヴァーするのが Anchang Project のコンセプトということになるのだろう。その台湾、与那国のうたはとてもやわらかい。聴いているととろけてしまいそうにやわらかい。そこでは風も海もやわらかそうだ。すくなくともうたから聴こえるかぎりは。

 この日は「バンド」の名前にわざわざ「ハモリ」と入れてあるように、ほとんどすべてのうたですばらしいはもりを聞かせてくれた。隣の人が、こういうハーモニーを聴いているの眠くなりますね、と言っていたが、それは本当のところ誉めことばだ。退屈で眠くなるのではない、陶然となって意識が遠くなるのだ。

 メンバーは一定しないそうだが、この日は

安場淳:vocal、三線
比嘉芳子:vocal、三線、サンバ
Jojo ??:vocal、electric guitar
?田まき:vocal、笛
田村ゆう:vocal、太鼓

 Jojoとまき両氏のお名前は申し訳ないが、読めない、わからない。

 なんとも不思議だったのは、安場さんも含めて、皆さん 、ごく普通の人だった。というのもヘンだが、ふだんはどんなに普通の人でも、ステージに上がるとミュージシャンとしての顔になるし、オーラをまとう。アイリッシュでもそういう人はいる、というか、伝統音楽ではごくあたりまえのことではある。Anchang Project にはそれが無い。ここはステージといえるものはなかったけれど、それでも「場」としてはステージだ。そこに立っても、誰もミュージシャンの顔をしていない。ところがいざ音を出し、うたいだすと、それは「普通」などではない、特別な現象、りっぱな音楽なのだ。「ふつう」の顔で、姿で、とんでもないことをやっている。そりゃ、確かに音楽はごく尋常な人間が尋常ではないことをやっているのだけれども、ここまで尋常と異常の境目が無いくせに、両者の差が大きいのは初めてだ。いや、驚いた。

 印象的だったのは「黒一点」のエレキ・ギターで、ほとんどリチャード・トンプソンか、という瞬間さえあった。この人たちはいったい何者なのだ。

 mois cafe は「モワ・カフェ」と読み、下北沢の駅にほど近いが、ちょっとわかりにくいところにある。古い民家を改造した施設で、ライヴが行われた2階は30人も入れば満席。天井を吹き抜けにし、壁をとりはらって一つの空間にしてある。床が板張りなのも改装だろう。ギターの小さなアンプでリード・ヴォーカルにも軽く増幅をかけている他はアンプラグドでもよく音は通る。

 この日は特別料理付きで、ラフテー丼と春野菜のクリーム煮バケット付きのどちらかという献立。あたしは野菜にしたが、なんとも美味でありました。

 ライヴの案内ではこのカフェは今月末で突如閉店、ということだったが、閉店がひと月延びたそうである。あの美味さなら、他の料理、飲み物も旨いにちがいない。どこか、古い友人の家で、のんびりくつろいでいるような感じにもなる。雨でも降ってあまり遠くへでかけたくないときに、好きな本、それも静かな画集か、良い写真のたくさん入った本でもかかえて寄ってみたいところではある。ほんとうはこういう都会のどまんなかではなくて、うちから30分くらい歩くと、木立のなかにほっとあると嬉しい。

 ごちそうさまでした。(ゆ)

 人はうたうべきうたと出逢ってシンガーとなる。
人はうたに鍛えられて、よきシンガーに育つ。
よきシンガーになるために必要な資質のなかには、よきうたに出逢うという幸運も含まれる。
幸運の女神は努力する人にのみ微笑むのではあるが、この場合にかぎっては、気まぐれが作用するらしい。
人はうたを選ぶのではない。
うたが人を選ぶからだ。
サム・リーはイングランドのうたに選ばれてうたう人となる。
おそらくは、選ばれる人がすべてうたう人になるわけではなかろう。
選ばれたことに感応し、その運命を受け入れてうたに奉仕する人がうたう人となる。
そして努力はそこにかかってくる。

 イアン・キングも、ジム・モレイも、イライザ・カーシィも、ニック・ジョーンズも、ヴィン・ガーバットも、ディック・ゴーハンも、ジューン・テイバーも、いやマーティン・カーシィすらも、やはりうたに選ばれて出会い、驚き、うたを受け入れ、うたをおのれの一部としてうたう人となった。

 いや、それを言えば、イワン・マッコールからしてそもそも同じだ。
はじめ演劇を志したところは、サム・リーとも共鳴する。
サム・リーがギターよりもバンジョーを愛用するのも、マッコールに通ずる。
自分が弾くのではなく、夫人のペギー・シーガーが伴奏したところまで同じだ。

 アイルランドやスコットランドと違い、音楽伝統が一度断絶したイングランドにあっては、その出逢いはそれだけ強烈でもある。
だから驚きが付随する。
選ばれた自覚もまた、より明瞭でもある。
そして、伝統に一方ではつきもののしがらみから自由だ。

 伝統歌をギターの伴奏でうたうことは、かつておそろしくモダンなことだった。
一部の人びとには「伝統の破壊」と映った。
あるいはサム・リーがうたの背景として採用しているスタイルよりもさらに「過激」だったかもしれない。

 そうした「過激」な、一見かけ離れたように思える要素を衝突させてうたを際立たせる手法は、伝統が断絶したイングランドで初めて可能なことだ。
伝統が途切れずにつながっているアイルランドやスコットランド、あるいはブルターニュでは、伝統の「慣性」は個人の「逸脱」を許さない。
そこでの変化はゆるやかで、一つひとつは小さい。
たとえばアイルランドで最も「過激」な変化はブズーキとバゥロンの導入だ。

 うたに選ばれることは、必ずしも幸せなことではない。
うたはうたうことを人に求める。
うたうことが三度の飯よりも好き、という人でなければ、その要求には応えられない。
サム・リーはうたうことが三度の飯よりも好きである。
それはライヴを見ればわかる。
そしてライヴを見なければわからない。
そう確認できたことが収獲のひとつ。

 ライヴでのサム・リーはきちんとビートに乗っていた。
その点できわめて同時代的である。
今はビートが支配する。
かれの師匠たちのように、先達のように、無伴奏でフリーリズムでうたっても、うたは聞かれない。
ミニマルで「無機質」な背景を配し、そこでビートにのせてうたうことで初めて聞かれる。

 録音ではあえてビートを排している。
録音はいつどこでどんな風に聞かれるか、決定できない。
ビートにのせることは聞かれ方を限定することだ。
録音では聴き手の裁量の余地を十分に残す必要がある。
ライヴではうたい手が聴き手の条件を限定できる。
うたい手の「地」に近くに引きこめる。
おそらくはペンギン・カフェなどもライヴではビートに乗っているのだろう。
そう確認できたことが収獲のふたつ。

 そしてもう一つ。
サム・リーはみずからうたううたを好きでうたっている。
みずからうたうべきうたと出逢ったことを悦び、うたに奉仕することを悦び、おのれに課された役割を正面から受け止め、悦んでいる。
これもライヴを見て初めて確認できる。

 おそらくこういうことは、サム・リーのホーム・グラウンドでライヴを見たとしても、確認できなかっただろう。
あちらではそれはごく当たり前のことだからだ。
サム・リーが始めたわけでもない。
かれは最も新しい代表のひとりにすぎない。

 かれが今やっているこの音楽が30年後なお聞かれているか。
それはこれから時間の試練にかけられる。
その答えが出る頃には、また新たな「サム・リー」がうたい始めているはずだ。
伝統音楽はしぶとい。
たとえ断絶したとしても、地下にもぐった水が思わぬところから湧き出るように、再び現れる。
日本語のうたもまた、しぶとく、生まれかわってくるだろう。

 こんにちアイリッシュ・ミュージックを、高い水準で演唱する日本語ネイティヴが増えているように、イングランドの伝統歌を独自に演唱する日本語ネイティヴがこれから現れるだろうか。
言語の違いは高いハードルになるだろう。
とはいえ、ユダヤ=アラブ伝統歌謡をうたう岡庭矢宵のような人もいる。
北欧の伝統歌を見事に日本語のうたとしてうたってみせた、大阪のシャナヒーたちの成果もある。
サム・リーによってイングランドの伝統歌と出逢い、うたの呼ぶ声に応えて、日本語ネイティヴとしてこれをうたう人が現れても、不思議はない。
 そのうたを聴く日まで、命ながらえたいと願う。

 このサム・リーをこの地に招き、この貴重な体験を可能にしてくれたプランクトンの人びとに感謝する。(ゆ)

Ljus
Shanachie Ljus

 こういうライヴに接すると生き延びてよかった、と実感する。死ぬことはこわくない、と言えば嘘になるが、それ以上につまらない。新しいことに出逢えなくなるから。

 ティム・スカンランは新しい。さまざまな音楽がまざりあっているその様が新しい。

 ベースになっているのは、名前からも連想できるとおり、アイリッシュだ。1週間前にポール・ブレディとアンディ・アーヴァインのデュオがオーストラリアに来たんだ、と興奮していた。あのアルバムは永遠のベストだよなあ、そりゃあ、すごかった、アンディは天才だ、あれで70近いんだぜ、おれもあの年になってもあれくらいできていたいもんだ。

 アイリッシュを核として、それにレゲエやブルースやフレンチ・カナディアンやなんだかよくわからない、ひょっとすると本人にもよくわからないあれやこれやが、あるいは融合し、あるいは混合している。その度合いも様々だ。あくまでもパーソナルな音楽、個人のフィルターを通ることで形をとっている。そこにはこれからも様々なものがあるいは融合し、あるいは混合してゆくだろう。その中には日本や琉球のものもあるかもしれない。そして、その全体は、全体としてみれば、やはりアイリッシュ・ミュージック、その変奏のひとつではある。

 ジョンジョンフェスティバルとともに演奏する姿を見ていると、アイルランドから流れでたものが、はるかな時空を隔てて、ここに束の間、合流しているのを見る想いがする。ティムも、ジョンジョンフェスティバルも、アイリッシュに敬意をはらいながら、そこにべったり依存してはいない。ひたすら模倣するのでもない。その流れから汲み上げたものをもとにして、それぞれに合った味付けをしている。汲み上げたものを変容させるのではなく、そこに自分たちにそなわるものをつけ加える。調味料を加える。そうしてアイリッシュから、新しい味をひきだす。調味料も、調理方法やスタイルも、ティムとジョンジョンフェスティバルでは異なる。それでいて、核となる材料を同じくすることでまず同居が可能になる。あるいはアイリッシュが触媒の作用をする。結果現れるのは、どこまでもアイリッシュでありながら、すでにアイリッシュとは別のなにか、だ。ユーラシア大陸の東端の列島と、オーストラリア大陸の東端にぞれぞれ現れた「なにか」同士が、共鳴し、反応し、これまでどちらにもなかったものが現れようとしている。

 とりあげていた曲も、自作のうた以外はほぼアイリッシュだった。フレンチ・カナディアンも少しあって、一緒にやったジョンジョンフェスティバルのじょんとあにいが、あれは癖になりそう、と言うのを頼もしく聞いた。そのフレンチ・カナディアン式のフット・パーカッションはやはりカナダで習った由。黒い靴は着ている服とそぐわず、特別なのかと訊いたら、実は街で拾ったのだという話。ある日、街中で、結婚式か葬式の帰りらしいスーツ姿の3人づれに出逢った。そのうちの一人が目の前ではいていた黒靴を脱ぎ、ゴミ缶の上に置き、靴下裸足で行ってしまった。往来の激しい通りで、しばらく見ていたが、誰も気がつかない。そっといただいて帰った。カナダでフレンチ・カナディアンお得意のフット・パーカッションを習い、これにはあの靴がぴったり、と帰って試したら、どんぴしゃ。最高の音がする。と歩いてみせると、なるほどぱきんぱきんといい音がする。かなり重いらしい。手に入れた方法がほんとうの話かは保証のかぎりではない。

 足は主にパーカッション。左でフット・シンバル、右でカホンにキック・ペダル。時に中央にそろえて、靴底を鳴らす。左ききのギター。左手にはエッグ・シェイカーを握って、ストロークをかきならしながら振ったり、ボディに当ててアクセントをつける。メイン・メロディはホルダーに付けたハーモニカ。

 どれもこれも尋常でなくうまい。どれか一つだけでも悠々メシが食える、というより第一級の腕の持ち主。アイルランド流のコンテストがあれば、優勝の常連になるだろう。だけでなく、そのうち、上の三つを全部あやつりながら、踊りだすのではないか、とすら思われる。

 そして、リズム感覚がどこか違う。どう違うかと言われると困る。とにかくアイリッシュのそれではない。少なくとも、アイリッシュ・ミュージック固有のものではない。むろんアメリカンではない。レゲエは大好きなようだが、カリブのものでもないだろう。今のところは、他にないユニークな感覚、とのみ言っておく。かなりしなやかな感覚ではあるようだ。とにかくそれが生む効果はゆるくたくましく高揚感をよびおこす。

 ひとつすぐわかる成果としては、レゲエとアイリッシュ・チューンの融合だ。こんなによく合うものとは意外と驚く一方でさもありなんとも思う。イングランドではかつて1980年代に Jumpleads がモリス・チューンをゲレエで処理して大成功しているし、スコットランドでは Salsa Celtica をはじめ、カリブのリズムとケルト系チューンを組み合わせて成功している例はいくつかあるが、アイルランドではたぶん聞いたことはない。これはもっと聴きたい。ティムのルーツのひとつではありそうで、口三味線をまじえてレゲエを再現しながら、ダンス・チューンをくりだす。

 シンガーとしても一級で、実際のところ、ポール・ブレディやアンディ・アーヴァインと肩をならべてもおかしくはない。うたそのものもユニークなものであり、その声の質もあいまって、ヴィン・ガーバットのうたを連想させる。そういえば風貌全体のかもしだす雰囲気もガーバットに似ている。

 乗った飛行機が中継地の香港で10時間立ち往生し、羽田に着いたのが昨日の朝2時、ということで、一晩熟睡したとはいえ、ジョンジョンフェスティバルの前座に続いてステージを始めたときは、まだ半分眠っている感じだったのはやむをえないだろう。前半の終わる頃にようやくエンジンがかかってきたようだ。これもアンディ・アーヴァインと同じで、ツアーが進むにつれて良くなってゆくにちがいない。2週間後に東京にもどってくる時には別人になっているはずだ。

 生き延びた甲斐があったとあらためて実感させてくれたトシバウロンに感謝。高円寺の Cluracan はギネスも旨い。(ゆ)

 三連荘の初日。

 隆慶一郎はそのエッセイで、小林秀雄の「幻のスピーチ」について一度ならず触れている。小林の恩師、東大仏文の名物教授辰野隆退官記念講義で弟子代表として送別の辞に立った小林が感極まり、最初の一節だけで後が続かず降壇した。一瞬静まりかえった講堂は、次の瞬間割れんばかりの拍手が満たした。その時その場に居合わせた人間だけが体験できたそのできごとを記して隆は言う。

 ここにいないやつはかわいそうだな。

 週末夜の吉祥寺。ポール・ブレディの1年ぶりのライヴというのにやけに客が少ないフロアで、最初の1曲が終わったとき、その一節が浮かんだ。

 隆の書くごとく、不遜といわれてもやむをえないだろう。それでも、その感動、いや感動などということばではとうてい汲みつくせない、存在の根柢からゆさぶられる感覚はそういう想いが出てきても不思議はない、いや、出てこなくてはおさまらないものだった。そしてその感覚は、しずまるどころかどんどん強くなり、アンコールではとうとう限界を超えてしまった。流行りの表現を借りれば、なにかが降りてきていた。それもポールだけにではなく、ステージの上だけでもなく、客席にも、店内の空間そのものにも、降りてきていた。その時その場かぎりの、空前にして絶後の体験。そこにいあわせた者にしかわからない、どう伝えようもない体験。およそ人として可能なかぎりの至上の体験。これ以上は踏みこんだら最後もどってはこれない絶対領域。ブラックホールのシュヴァルツシルド面、事象の地平線の彼方に行ってしまうだろう、その寸前。そこに居合わせた人間にできることは、ただそういうことがあった、と記録することだけだ。隆慶一郎とて、「幻のスピーチ」の概要は記録できても、その時の体験を伝えることはできなかった。

 そのできごとの成立に貢献していたのは、サウンドの良さだ。ふつうのマイクとは違う、録音スタジオで見るようなマイクが2本、ステージ中央に立てられていて、ポールも山口さんも、特にマイクに近寄らなくてもヴォーカルもギターも適度に増幅される。そのバランスと音質の極上なこと。

 スター・パインズも含め、マンダラ系のライヴハウスはどこも音が良いが、その水準に比べても格段に良い。

 マイク位置に縛られないから、ポールはかなり自由に動ける。それが最も発揮されたのは〈Nothing but the same old story〉。1980年代半ば、ブリテンで過ごした体験から生まれたこのうたは、第二次大戦中から戦後にかけてアイルランドからブリテンに渡った移民たちが置かれた情況とそこから生まれる想いをうたっている。ポールはまさにその移民の一人になりきってうたう。ほとんど演劇の範疇だ。このうたのこんな演唱は初めてだし、それはまたベストのパフォーマンスでもある。

 PAシステムの音質の良さが発揮されるのは、まずなによりポールの声だ。力強く、大きくふくらみ、深く響くその声は、聞く者の全身を包みこみ、胸にするりと入りこみ、内側から満たしてくる。その快感はオルガスムスに近づく。音楽を、うたを、人間の声を聴くことの悦びが凝縮している。

 そしてギター。単にうまいだけではない。ポールはギターの限界に正面きって対峙し、突破をはかり、そうしてギターの限界をおし広げる。それも楽器としてギター単体だけではなく、うたとの組合せ、相互作用においてやってのける。うたとアコースティック・ギターの組合せの潜在能力、可能性をひとつの極限まで展開している。ストローク、アルペジオ、単音演奏、リズム、メロディ、カウンターメロディ、ハーモニー、あらゆるスタイルと位相が一体となるめでたさよ。

 そのすべてが今年66歳になる人間から生みだされていることをあらためて思うとき、驚きはさらに増す。先日のドーナル・ラニィもそうだったが、こいつらに老化ということは起きないのか。それとも音楽は人を若返らせるのか。よい年のとりかた、とか、円熟の味わいとか、枯淡の境地とかいうものとは、まるで無縁の音楽ではないか、ここで鳴っているのは。

 あと20年ぐらいしたら、山口さんもこうなれるだろうか。その可能性は小さくないと思うが、その頃にはもうこちらはいない。

 終演直後、これはこのままでは終われない、と思った。もう一度来なくてはならない。明日は無理だが、日曜日はなんとかしよう。

 しかし、一夜明けて、想いなおした。あんなことを体験したら、むさぼってはいけない。明日はもっと良くなるだろう。それは確実だ。だが、それをも体験してしまえば、昨日のような体験を時をおかず再びしてしまっては、おそらく限界を超えてしまう。自分の許容量はそう大きくはない。はじめから三連荘通うつもりで準備している時とは違う。容量を超えるものを注がれると、感覚は麻痺する。すでに入っているものも壊れ、変質し、すべてが失われる。昨日の体験をたいせつにするために、今回はもう見まい。

 代わりにポールのこれまでの録音を聴きかえそう。山口さんの録音を聴きかえそう。次にそなえるために。(ゆ)

 久しぶりにライヴを見たジョンジョンフェスティヴァルは大きくなっていた。成長した、というとこちらが偉そうに聞こえるが、ひと回りもふた回りも大きくなって、まぶしいほどの輝きを放っていた。その輝きをそのまま持って帰りたくて、まだ2回目のアンコールを求める拍手が鳴っている最中に会場を離れた。

 かつてのことを思い起こすとどうしても感傷的になってしまうのだが、かれらにはそんなものは要らない。誰はばかることもなく、好きな音楽に心ゆくまでひたりこみ、その歓びを解き放つ。明朗で、闊達で、一点の曇りもないその音楽は、人を幸せにする。音楽がつねに喜怒哀楽を含むものである以上、怒りも哀しみもそこにはあるが、それすらもどす黒さや痛みはやわらいで、むしろ悦びと楽しみを引きたてる。

 音楽はいわゆる「負」の感情を昇華する作用をもち、アイリッシュ・ミュージックはその作用がより強い。そしてジョンジョンフェスティヴァルの音楽は、さらにそれを増幅している。

 一番大きいのはたぶんじょんの変化だろう。演奏し、うたっているときの彼女はまさにフェアリーで、日常の次元を離れ、一緒に演奏している仲間たちや聴衆を別の次元に引きずりこむ。ともすれば他のメンバーの陰に隠れていたようなところがすっかりなくなって、自ら回転して渦を起こしてゆく。そう意識しているのかもしれないが、その様子に邪気がない。揺るぎない。そして軽い。俳諧の軽み。芭蕉よりは蕪村、あるいは一茶のような。

 むろん、ジョンジョンフェスティヴァルの音楽が俳句だというわけではない。かれらの生みだすアイリッシュ・ミュージックの軽みに一番近いものを、日本語文化の中に求めれば、俳句のそれだろう、というだけのこと。

 アニーとトシバウロンの二人はそのじょんをあるいは支え、あるいは煽り、そしてじょんから起こる渦に巻きこまれ、またこれを増幅する。

 田嶋トモスケ中原直生も、「サポート」という肩書はもうはずしてもいいんじゃないか。パフォーマーとしての田嶋、中原の純粋さがバンドの世界を拡大し、深めている。今回面白かったのは中原のメロディカ、鍵盤ハーモニカで、チープな蛇腹のような音が、中原の手にかかるとこれまた良い軽みを発する。

 「JJF感謝祭2012」と銘うたれた2日連続、3ステージのラスト、2日め夜の回。ゲストの岡大介は前口上で祭の場を設定し、〈東京〉は名曲だとあらためて納得させてくれた。この曲は JJF とともに録音したそうだから、リリースが楽しみ。

 もう一方のゲストのドレクスキップは、スウェーデン遠征後初めて見るステージで、これまた一回り大きくなっている。全体に自信ににじみ出ているが、とりわけ渡辺庸介が二枚くらい皮が剥けたようだ。再来週、12/16(日)には吉祥寺 Star Pine's Cafe に来るというから見にいかねばなるまい。

 ステージはじめ会場にあしらわれた草や花は、今年春、栃木で JJF と出会ったというハヤシラボによるものの由。フェアリーの祭の場を演出する。

 開演前と休憩の間には DJ 宮奈大がアナログ録音をかけて、楽しませてくれた。ライヴの音楽と付かず離れず、つながるかと思えば、カウンターをくり出す。邪魔にならず、ふとまた引き込まれる。なるほど、これもまたひとつの芸だ。

 物販のデスクには、所狭しと録音やグッズが並んでいた。出演メンバーの関係したものとのことだったが、いつの間にこんなにたくさん出ていたのだろう。あまり現金もなかったので、とりあえず2枚、ドレクスキップのメンバーが関係しているものを買う。

 外に出ると冷たい雨だった。が、胸のうちは温かい。しがらみから解き放たれた音楽は人を温める。(ゆ)

歌とチューン
歌とチューン
JJF の 2nd。今年のベストの一枚。

大正から昭和にかけての「風狂と反骨の演歌」を21世紀に受け継ぐ岡大介さんの恒例、浅草は木馬亭での独演会が今年もあるそうです。10回、ということはあと最低6回か。なんとか生きて見届けたいもの。
今年はゲストが面白い。この方にこういう側面があるとは不勉強で初めて知りました。
日本語、にかぎらず、うたを聴きたい方はぜひ、岡さんのライヴを体験してください。

--引用開始--
今年もやります!

◆岡大介浅草木馬亭独演会2012◆

〜風狂と反骨の演歌師・添田唖蝉坊 生誕百四十年記念うた会〜

10/13(土)
17:30開場 18:00開演
会場:浅草木馬亭
(03-3844-6293)
台東区浅草2−7−5
前売・予約3000円 当日3500円(全席自由)
☆チラシ持参の方は前売り料金
☆前売り、当日関係なく並んだ順でお入り頂きます

★予約・問合せ
Tel: 070-5012-7290

出演:岡大介(唄、カンカラ三線)
ゲスト:土取利行(太鼓、三味線、唄)
マルチ演奏家。70年代に坂本龍一、近藤等則、等とフリーミュージックシーンで活躍。75年よりパリのピーター・ブルック国際劇団の音楽監督、演奏家として30年に渡り活動。日本古代楽器の演奏研究家としても知られる。

山脇正治(ベース、三線)
弦楽器奏者。90年代よりネーネーズをはじめとする知名定男のプロジェクトに長年参加。

【口上】
岡大介です。木馬亭独演会も今年で4回目になります。いつも応援ありがとうございます。(10回は続けます!)今年は、この方の歌のお陰で今の岡大介がある。♪ノンキだね〜、♪マックロケノケ〜などの産みの親、スーパースター演歌師・添田唖蝉坊(そえだあぜんぼう)生誕140年にかけまして、郡上八幡より故・桃山晴衣さんの“演歌”の意志を受け継ぐ土取利行さんをお呼びして、「ニッポン音楽復興! 純・演歌の会」に致します。ご紹介頂いた山脇さんのベースの音で厚みも増して、今年も元気いっぱいに歌い上げます! みなさま今年も是非是非お越し下さい!!
--引用終了--


Thanx! > 岡さん

バート・ヤンシュが亡くなりました。現地時間10/05の朝、ロンドン北部ハムステッドのホスピスでのこと。1943年11月3日スコットランドのグラスゴー生まれですから、67年と11ヶ月の生涯でした。
    
    2009年に肺ガンが発見され、手術したものの、翌年にはニール・ヤングとアメリカ・ツアーもしています。ヤングにとってヤンシュはヒーローのひとりでした。
    
    何かと比較されるジョン・レンボーンは今年、13年ぶりのスタジオ録音をリリースし、ひょっとしてヤンシュもと期待していましたが、8月のギグが病気のためキャンセルとなりました。2006年の《THE BLACK SWAN》が生前最後のリリースでした。
    
    ヤンシュがどういう人でどんな影響を与えたかはネット上にたくさん情報があります。YouTube にもたくさん映像があがっています。ひとつだけ言えることは、かれの影響は生前にとどまらず、これからも長く拡がってゆくにちがいない、ということです。ヤンシュ・チルドレンの一人、ニック・ドレイクのように、あるいはフランク・ザッパのように、亡くなって初めてその真の大きさが、徐々に現れてくる。そういう人でありましょう。
    
    ぼくにとってヤンシュはギタリストというよりも、ソングライターであり、歌唄いでした。シンガーとして押しも押されもせぬ存在というよりは、うたとギターが一体となったそのありように、ひとつの原型を見ます。
    
    ジョン・レンボーンはどこまでもギタリスト、ギターに手足が生えた存在であり、マーティン・カーシィはどこまでもシンガー、独創的なギター伴奏を編み出した偉大な歌唄いです。バート・ヤンシュにあって、うたとギターを分けることはできません。
    
    ペンタングルはもちろん巨大な存在ですが、ヤンシュの全録音から1枚だけ選べと言われれば、ですから《HEARTBREAK》(1982) を挙げます。
    
    英国のフォーク・シーンは今年、マイク・ウォータースンに続いてバート・ヤンシュを失いました。どんな人でもいずれたどる道とは言え、1960年代、70年代に20世紀後半の文化を作った人びとが世を去るのは衝撃が大きい。ヤンシュの魂がどこかで再び音楽家として生まれかわっていることを祈ります。(ゆ)

唄とかんから三線の岡大介さんとラッパ二胡の小林寛明さんのコンビによる「かんからそんぐ」浅草木馬亭独演会が今年もあるそうです。
    
    サポートはいつもの中尾勘二(サックス、クラリネット)、関島岳郎(チューバ)、熊坂路得子(アコーディオン)の三氏に、今年は Modern Irish Project をはじめとして活躍著しい田嶋友輔さんのドラムが加わるという超強力布陣。これは見逃せないでしょう。
    
    それにしても、ライヴ録音または録画を出してくれ。

今年もやります!

岡大介と小林寛明の“かんからそんぐ”
【浅草木馬亭独演会!】〜ニッポン音楽復興エーゾエーゾ!カンカラ楽隊ふたたび〜

10/01(土)
開場17:30
開演18:00
前売予約2,500円
当日3,000円(全席自由)
チケットあります!
予約・問合せ(岡)
Tel:07050127290
taisuke@dk.pdx.ne.jp

会場「浅草木馬亭
台東区浅草2-7-5
Tel:03-3844-6293

〈楽士〉
岡大介(うた、カンカラ三線、ギター)
小林寛明(ラッパ二胡、二胡)
中尾勘二(サックス、クラリネット)
関島岳郎(チューバ)
熊坂路得子(アコーディオン)
田嶋友輔(ドラム)

【帰って来ました“カンカラ楽隊”♪ ジンタカタッタと日本のリズムを取り戻せ! 皆さま今年も是非お越し下さい! よろしくお願い致します。】

岡大介

すみません、昨日は本誌今月号の配信予定日でしたが、2、3日遅れます。読物篇のみの配信になります。
    
    
    最近読んだものの中から、面白い記述をひとつ。野上彌生子の紀行『欧米の旅』の一節。1938年昭和13年秋からヨーロッパを訪問した記録です。10月末、スエズ運河の地中海側のターミナル、ポートサイドに到着。そこでの体験。
    
    ここでは島崎藤村もこれから約20年前、フランスに行く途中、音楽体験を書き留めています。あちらはイタリア人の巡回芸人でしたが、こちらは地元エジプトのアラブ音楽のミュージシャン。
    
    ちなみにこの時の野上夫妻の訪欧は、夫豊一郎が日英交換教授として能楽の紹介のため外務省から英国に派遣されたのを機に、彌生子も同伴したもの。翌年の第二次世界大戦勃発に遭遇し、急遽アメリカ経由で帰国します。


    八時過から、Kさん(ポートサイドの日本公使館員)と奥さんに誘はれてカジノ・ベバに行く。(中略)K夫人は蘇格蘭生れの異人さんだけれど、日本の婦人とさう違はないくらゐ小柄で、金髪の、線の細い、もの優しい奥さんである。このカジノは東京なら浅草といつた風の場所だから、Kさんも奥さんもまだ来たことがないのだと云ふ。近くに自動車がずらりと竝んでゐるのと、入口の電燈がかんかんしてゐる以外には、見たところ普通の家と變りはなかつた。内側も一つの平土間になつてゐるだけで、盛り場らしい装飾はなく、正面の舞臺に垂れた白つぽい幕の背景にも、偶像的なものを否定する囘教の建前から繪一つ描いてなく、わづかにアラビア文字が僂い蹐蚤腓く模様のやうに散らしてあるだけであつた。意味はもとよりわからない。もしかしたらコーランの文句かも知れない。幾ら凝りかたまりの囘教徒だつて、カジノにコーランは持つて来ないだらうとあなたは仰しやるのですか。私はむしろますます囘教徒らしいと思ひますよ。もしほんたうにあれがお經の言葉だとしたら。

    舞臺では青い西欧風な服で、ふくよかな胸や腕をむき出しにした女が流行唄のやうなものを歌つてゐた。素晴らしい聲であつた。顏も豐麗で、竪長いほど圓い、とろりとした眼が大向ふを誘ひかけると、常連らしい若い男たちがいつしよに歌ひ出す。太い、張りのある、それで一種蕃的な哀調をおびた立派な聲を彼らはみんなもつてゐる。

    歌のあひだには踊が挟まつた。それも飛んだり跳ねたりの型よりは、胸と腰の特殊の動作に魅力が潛んでゐた。まるでその二つの肉の部分は別な着瓦濃拉曚気譴討陲襪のやうで、胸がくねくねと蛇のやうにくねつてゐる時、兩腕を菱形の枠にして支へた上半身はぴりつともせず、また腰はふつくらした股の線を見せたまゝ靜止してゐる時、乳當だけをした裸かの胸下の肉が、なにかそれだけの生き物のやうに膨れたりつぼんだりした。ギタや、笛や、ヴァイオリンからなる伴奏とともに、薄い衣を透いてほの白い肉が旋律的に巧みに波打つにつれ、拍手と賞賛の叫びが湧きあがるのである。

    天井までとどくほどのコニャクの大瓶を舞臺のまんなかに据ゑた、酒場を取り扱つた笑劇も氣が利いてゐた。リビアかスダンの生れと見える黒い女も魔女のやうに踊つた。しかし、いまだに忘れえないのは十ばかりの男の子の唄である。タキシードに赤いトルコ帽の小生意氣な姿をしたそのちびが、なんと驚くべき聲をもつてゐたことか。意味は相變わらずわからないが、なにか民謡風なものらしい。見物の男たちでも一般に見事な聲であることは書いた通りであり、スエズ運河の人夫たちの叫びにすでに私はそれを感じたのであるが、少年の一生懸命な、それこそ身體ぢゆうで搾り出してゐるびんびんした幅のある聲には、彼らに共通の一種野蠻めいた哀音が、子供つぽい純粋さでほとばしり、砂漠に生れ、砂漠に死ぬる民族の、運命的なやるせのない悲しみや、その間を彩るオアシスのやうな戀の歡びが脈打つて、聽くものの心に沁みるのであつた。
    
    野上彌生子『歐米の旅』上、1942.04、岩波書店、101〜102頁

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