クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:ちんどん

 年に一度の独演会。昨年からこの会場になった。面白いのは、木馬座も同じだったが、ステージの上は下足禁止であるらしい。靴下なのだ。昨年、上の助空五郎はタップダンス用の靴をはいたが、専用の板が敷かれた。それで思い出すのは先日見た能舞台でのジル・アパップたちの公演。アパップも含めて全員白足袋をはいていた。これも決まりらしい。裸足ではダメなのだろう。こういう決まりに理屈は無い。慣習というだけだ。ヨーロッパでクラシックのオケの公演なら、演奏する側はもちろん、聴衆側もタキシードにイヴニングで正装するのが慣習なのと同じだ。

 ただ、落語ではない音楽のライヴで靴下というのはどこかおちつかないのである。足元を見なければいいのだし、たいていは無視していられるが、一度気がつくと脇腹をつんつんされる感覚がある。

 もっとも能舞台に足袋というのは納得してしまうものもあるのもこれまた確か。

 岡さんのライヴで靴下というのが気になるのは裸足ではないからかもしれない。裸足はやはりダメなのか。他の人たちはともかく、岡さんが靴下というのが気になる。あたしが靴下が大キライで、自分ではなるべくはかないようにしているせいか。それにつけても思いだすのはリアム・オ・メーンリやキーラのロナン・オ・スノディがステージで裸足でやっていたこと。松本泰子さんも裸足でうたう。ミュージシャンは靴がはけないのなら、裸足でやってほしい。

 というのは文字通りの蛇足。

 今回は岡さん以外の出演者が3組。ちんどんののまど舎は3回連続の登場で、もはやこの人たちなしの独演会は考えられない。この人たちの音楽能力の高さからそれも道理で、岡さんとの共演はいつもハイライトだ。

 後の2組のうちひとつはウクレレ漫談。音楽で笑わせるという点では昨年見たモーツァルト・グループに通じる。この人も純粋にウクレレの演奏だけでも充分メシが食えるだろう。しかし音楽を演奏するだけでは収まらない何かを持っているにちがいない。

 もう一つはマジック。手品師。奇術師。妙齢の美しい女性。音楽とは一応縁は無さそうだ。

 ウクレレとマジックのお2人は岡さんと落語協会の同窓という縁で呼んだらしい。マジックもウクレレも大いに楽しませてもらった。マジックは笑いをとりながら、ちゃんとマジックとしても見せる。ルービック・キューブをネタにしたのは見応えがあった。

 これは岡さんの独演会。誰を呼ぼうとあたしなどが文句をいう筋合いはない。いろいろな芸を見せてもらうのもいい。こういう人たちもいるという紹介、いわゆる推し活もわかる。それでもなお、である。

 あたしは岡さんを見にきている。岡さんの唄を聴きに来ている。それが減るのだ。ありていにいえば3組は多すぎるのではないか。

 今回その少ない岡さんの出番で、あらためてうたい手としての成熟に感じいった。この声の張りと充実は滅多にないレベルにきているのではないか。それに初めて気がついた。というのは遅すぎるだろうが、気がつかないよりはマシではある。

 唄の巧さと MC の下手さはわかっていた。しかしこんなに声が良くなっていたのか。シンガー岡大介はまさに四十にして立っている。うたい手としてこれからが黄金期だ。

 もう一つ喜んだのは高田渡のカヴァーである。高田渡の唄こそは現代の、20世紀後半から21世紀初めにかけての「演歌」と呼んでいい。岡さんが大正・昭和の真の「演歌」に賭けていることは承知している。それも大事だ。しかしあまりにも時代が遠く、うたわれている社会も違っている。高田渡のうたはそのギャップを埋めている。岡流演歌として高田渡をうたうのをもっと聴きたい。レコードも欲しい。

 日曜夜の浅草は内外からの観光客でごった返している。ちょうど中国の大型連休でふだんにも増して増えているらしい。今見て聴いてきた芸と音楽のおかげで、観光客どんどんいらっしゃいの気分だ。それであたしのサイフが太るわけじゃまったく無いにしてもだ。(ゆ)

岡大介:唄, カンカラ三線, ギター
のまど舎=紺野しょうけい:チンドン + ほりごめみほ:アコーディオン
ウクレレえいじ:ウクレレ, 唄, 漫談
小梅:マジック

 今回は「ボーイズバラエティ協会企画/今宵の主役シリーズ第4弾」として

「★岡大介のカンカラ夏まつり★〜令和の浅草より、明治・大正・昭和のオッペケペー!」

という公演。ゲストにのまど舎(チンドン)、風呂わく三(漫談・司会)、上の助空五郎(ボードビル)という面子。ボーイズバラエティ協会が主体なので、いつもの木馬亭ではなく、東洋館。マップにしたがって行きは田原町で降りたけれど、木馬亭からそう遠いわけでもなく、帰りは浅草に出た。東洋館は収容人員は木馬亭と同じくらいか。ただ、こちらの方が横に広く、一番後ろに座ってもステージへの距離が近い。面白いのは、ステージには皆さん靴下で出てくる。上の助空五郎だけタップ・ダンスをするので靴を履いていた。

 銀座線は観光電車になったようで、乗客の半分とはいわないが3分の1は海外からのお客さん。残りの本朝ネイティヴも半分は観光に来ている感じ。表参道のホームは長蛇の列。銀座でどっと降りてどっと乗ってくる。乗ってきた人たちのほとんどは浅草まで降りない。帰りも神田まで銀座線に乗ると、まだ観光客が多い。浅草駅に出る途中雷門の前を通ったら、仲見世はすっかり閉まっているのに、門の周辺だけ人だかり。ライトアップされていることもあって、そこだけぽっかりと異空間になったようだ。

 ボーイズバラエティ協会というのは一般社団法人で、幅広い芸の人たちが集まっているらしい。ボーイズと名がついているが、女性会員ももちろんいる。このボーイズは男子というよりは「あきれたボーイズ」から来ているそうな。まず川田会長が出てきて挨拶。次に司会の風呂わく三が出てきて岡さんを呼びだす。風呂わく三は後で自分でも漫談をする。

 岡さんが出てくるけど、客電を落とさないのはこのハコのしきたりか。客席の反応を舞台上の芸人にも見えるようにする配慮かもしれない。

 岡さんはまずは一発唖蝉坊の〈カネカネ節〉。この唄はとんでもなく長くて、いい加減終りかと思ったころ、「これで半分です、あと半分、がんばるぞー」。途中で歌詞が出てこなくてつっかえることもあるが、今回はまったくミスらずに完唱。岡さんはこれ1曲で引込み、ゲストが続く。

 坊主頭の爺さんが大きな正方形の板を運んできてマイクの後に敷く。その動作が可笑しい。芸になっている。と思ったら、この人、実は劇場のスタッフではなく、れっきとした芸人で、今宵の主役シリーズ次の第5弾の主役だそうだ。おそらくは人件費節約のため、芸人同士がたがいにスタッフを勤めているのだろう。ボードは上の助空五郎がタップ・ダンスをするためのもの。

 空五郎は前回横浜でも見て感嘆したのを再現してくれる。こうしてまた見られるのは嬉しいが、内容が横浜の時とまったく同じなのにはあれれ。ほんのちょっとでいいから、変えてほしかった。他人の舞台にゲストで出るときの演目として決めているのかもしれない。一種のサンプラーか。とはいえ、この人、リズム感が抜群とあらためて感嘆する。

 次はちんどん・のまど舎。本拠は中野だそうだ。男性のちんどんに女性がアコーディオン。どちらも歌う。アコーディオンなのは唄ったりしゃべったりするためもあるだろう。街頭宣伝ではクラリネット担当が加わったりするらしい。今回の芸は唄が中心。男性がメインで、この人、第一級のシンガー。木暮みわぞうとタメを張る。演奏の腕も確かで〈In the Mood〉のちんどん版はみごとだし、〈アルプス一万尺〉をボサノヴァから始めて様々なフォーマットにアレンジしてつなげるのは聞き物。とりわけ、カチャーシー版と宝塚版が凄い。やはりちんどんは一級のミュージシャンだ。この二人は後で岡さんのステージでもすばらしいサポートで盛り上げた。

 休憩が入って、後半まずは風呂わく三の漫談。面白いんだが、この人、どこか自分でも笑っているように見えるのは損をしている。

 そして真打ち、岡大介のステージ。
浅草節
ダイナマイト節
オッペケッペー節
ああ、わからない
 といつものレパートリィが続く。その次、
大震災の唄
 はあたしは初めて聴くバラッド。もっと聴きたい。

 そして次の〈東京節〉から最後まで、のまど舎が加わる。岡さんはソロが良いから並のサポートでは効果が無いが、このデュオが加わったトリオでの演奏はすばらしい。以下、

石巻の女
 「いしのまきのひと」と読ませる。〈北国の春〉の替え歌ないし本歌取り。
磐城石川自由民権節
 地元の人の詞に岡さんが曲をつけた。
大東京音頭

 アンコールは空五郎、わく三も加わり、〈地球の上に朝が来る〉から「のんだのんだのんだ」「唄う心も風まかせ」のメドレー。わく三はウクレレ。

 いつもながら楽しい岡さんのライヴだが、今回はのまど舎がハイライト。こういう人たちのステージはなかなか見るチャンスが無いが、またどこかで遭遇したいものだ。

 東洋館のあるあたりはいわゆる「六区」になるらしい。その昔、荷風が通ったのもこのあたりだろうか。一時はさびれたとも聞くが、今は結構人も集まり、生まれかわっているようでもある。ここでも子ども連れが目につく。COVID-19が指定分類を変更されてから出てくる人たちは、子ども連れが増えているように見える。夏休みということもあろうが、パンデミックで家族とのつながりが太くなってもいるのかもしれない。終って出てみればまだ9時前。夏の夜はこれからよという人たちも多そうだ。さすがにダブルヘッダーでくたびれて、半月のもと、あたしはとっとと帰宅の途についたのだった。(ゆ)

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