クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:アイリッシュ・ミュージック

 バンド結成60周年記念で出ていたクラダ・レコードからのチーフテンズの旧譜10枚の国内盤がめでたく来週03月15日に発売になります。ちょうどセント・パトリック・ディの週末ですね。

ザ・チーフタンズ 1 (UHQCD)
ザ・チーフタンズ
Universal Music
2023-03-15

 

 いずれも国内初CD化で、リマスタリングされており、おまけに「高音質CD」だそうです。これらはもともと録音もよいので、その点でも楽しめるはずです。

 今回再発されるのは1963年のファースト・アルバムから1986年の《Ballad Of The Irish Horses》までで、ヴァン・モリソンとの《Irish Heartbeat》以降の、コラボレーション路線のチーフテンズに親しんできたリスナーには、かれらだけの音楽が新鮮に聞えるのではないでしょうか。ファーストから《Bonapart's Retreat》までは、バンドの進化がよくわかりますし、《Year Of The French》や《Ballad Of The Irish Horses》では、オーケストラとの共演が楽しめます。《Year Of The French》はなぜか本国でもずっとCD化されていなかったものです。

イヤー・オブ・ザ・フレンチ (UHQCD)
ザ・チーフタンズ
Universal Music
2023-03-15



 以前にも書きましたが、このライナーを書くために、あらためてファーストから集中的に聴いて、かれらの凄さにあらためて感嘆しました。まさに、チーフテンズの前にチーフテンズ無く、チーフテンズの後にチーフテンズ無し。こういうバンドはもう二度と出ないでしょう。

 言い換えれば、これはあくまでもチーフテンズの音楽であって、アイリッシュ・ミュージック、アイルランドの伝統音楽をベースにはしていますし、アイリッシュ・ミュージック以外からは絶対に出てこないものではあるでしょうが、アイリッシュ・ミュージックそのものではありません。伝統音楽の一部とも言えない。

 それでもなお、これこそがアイリッシュ・ミュージックであるというパディ・モローニの主張を敷衍するならば、そう、デューク・エリントンの音楽もまたジャズの一環であるという意味で、チーフテンズの音楽もアイリッシュ・ミュージックの一環であるとは言えます。

 ただ、ジャズにおけるエリントンよりも、チーフテンズの音楽はアイリッシュ・ミュージックをある方向にぎりぎりまで展開したものではあります。それは最先端であると同時に、この先はもう無い袋小路でもあります。後継者もいません。今後もまず現れそうにありません。現れるとすれば、むしろクラシックの側からとも思えますが、クラシックの人たちの関心は別の方に向いています。

 ということはあたしのようなすれっからしの寝言であって、リスナーとしては、ここに現れた成果に無心に聴きほれるのが一番ではあります。なんといっても、ここには、純朴であると同時にこの上なく洗練された、唯一無二の美しさをたたえた音楽がたっぷり詰まっています。

 ひとつお断わり。この再発の日本語ライナーでも「マイケル・タブリディ」とあるべきところが「マイケル・タルビディ」になってしまっています。前に出た《60周年記念ベスト盤》のオリジナルの英語ライナーが Michael Tubridy とあるべきところを Michael Turbidy としてしまっていたために、そちらではそうなってしまいました。修正を申し入れてあったのですが、どういうわけか、やはり直っていませんでした。

 ですので、「マイケル・タルビディ」と印刷されているところは「マイケル・タブリディ」と読みかえてくださいますよう、お願いいたします。なお、本人はメンバーが写っている《3》のジャケットの右奥でフルートを抱えています。

ザ・チーフタンズ 3 (UHQCD)
ザ・チーフタンズ
Universal Music
2023-03-15



 もう一つ。来週土曜日のピーター・バラカンさんの「ウィークエンド・サンシャイン」でこの再発の特集が予定されています。あたしもゲストに呼ばれました。そこではこの再発とともに、Owsley Stanley Foundation から出た、《The Foxhunt: San Francisco, 1973 & 1976》からのライヴ音源からもかけようとバラカンさんとは話しています。(ゆ)



1014日・火

 クラン・コラの原稿を書いた他はデッド関連。読書。とにかく安静にしていろ、というのにしたがう。病院によっては、大腸カメラでポリープをとると、二泊三日の入院というところもある。


 デッドを聴くヘッドフォンとして Grado The Hemp 2 はやはりなかなか良い。レシュのベースがもう少し欲しいので、ヘッドフォン・アンプをかましてみよう。


 先日亡くなったパディ・モローニについてあらためて調べていたら、なんと、誕生日がジェリィ・ガルシアと同じ8月1日。モローニはザッパとは親しく、ザッパのスタジオ、ユーティリティ・マフィン・リサーチ・キッチンもよく使わせてもらっていた。しかし、デッドとの接点は今のところ、浮上していない。ガルシアがチーフテンズの録音を聴いていた可能性は大いにある、というより、聴いていなかった可能性はまず無いだろう。

 デッドは中国の春節に合わせたショウとともに、セント・パトリック・ディに合わせたショウも行っている。1988年3月17日のオークランド、ヘンリー・J ・カイザー・コンヴェンション・センターでのショウでは Trip To Sligo というパサデナをベースとするバンドが前座を勤めた。このバンドのメンバーは

Jerry McMillan (fiddle)

Paulette Gershen (tin whistle)

Judy Gameral (hammered dulcimer, concertina, vocals)

Gerry O'Beirne (six- and twelve-string guitars, vocals)

Janie Cribbs (vocals, bodhran)

Thom Moore (vocals, twelve-string guitar, bodhran)

というもの。ジェリィ・オゥベアンとトム・ムーアはこの時期、アメリカに移住していたらしい。2枚アルバムを出しているが、未聴。


##本日のグレイトフル・デッド

 1019日には1971年から1994年まで9本のショウをしている。公式リリースは5本。うち完全版2本。


1. 1971 Northrup Auditorium, University of Minnesota, Minneapolis, MN

 キース・ガチョーのデビュー・ショウ。ピグペンは不在。また一気に5曲の新曲が披露された。〈Tennessee Jed〉〈Jack Straw〉〈Comes A Time〉〈One More Saturday Night〉〈Ramble On Rose〉。〈Comes A Time〉を除き、いずれも定番となる。

 〈Tennessee Jed〉は1995-07-08シカゴまで計437回演奏。演奏回数順では10位。

 〈Jack Straw〉は1995-07-08シカゴまで計478回演奏。演奏回数順では8位。

 〈Comes A Time〉は66回演奏なので定番とは言いがたいが、1994-10-09メリーランド州ランドーヴァーまでぽつりぽつりと演奏された。

 〈One More Saturday Night〉は1995-07-08シカゴまで計342回演奏された。演奏回数順では29位。これは元々はロバート・ハンターの詞にボブ・ウィアが曲をつけたものだったが、ウィアが歌詞を勝手に変えた上、〈U.S. Blues〉と改題することを提案したため、ハンターはこの曲との関係を絶った。さらに、ウィアが歌詞を勝手に変えて歌うことに対して、ハンターは1971年2月堪忍袋の緒を切らし、以後ウィアと共作することを拒否し、代わりにジョン・バーロゥをウィアの共作者として指名した。なお、バーロゥはウィアの高校以来の盟友としてデッド・ファミリーの一員だった。

 〈Ramble On Rose1995-06-27ミシガン州オーバーン・ヒルズまで計319回演奏。演奏回数順では35位。

 このショウはFM放送されたため、音質の良いブートが出回っている。


2. 1972 Fox Theatre, St. Louis, MO

 3日連続最終日。出たばかりの《Listen To The River》で完全版がリリースされた。
 


3. 1973 Fairgrounds Arena, Oklahoma City, OK

 前売4ドル、当日5ドル。開演7時。《Dick’s Picks, Vol. 19》で完全版がリリースされた。珍しくもトリプル・アンコール。


4. 1974 Winterland Arena, San Francisco, CA

 5日連続の4本目。オープナー〈Mississippi Half-Step Uptown Toodeloo〉、前半8曲目〈Black-Throated Wind〉、前半最後〈Big River〉、そしてアンコール2曲目の〈U.S. Blues〉が《Steal Your Face》で、前半9曲目〈Scarlet Begonias〉、1213曲目〈Eyes Of The World> China Doll〉、後半3曲を除く全部、アンコール1曲目〈One More Saturday Night〉が《The Grateful Dead Movie Sound Track》でリリースされた。〈Eyes Of The World〉は《So Many Roads》でもリリースされている。全体の3分の2がリリースされたことになる。

 〈Black-Throated Wind〉は復帰後も復活せず、次に演奏されるのは1990年3月になる。それ以後は最後まで継続して演奏された。


5. 1980 Saenger Theatre, New Orleans, LA

 2日連続の2日目。一部アコースティック、二部・三部エレクトリック。

 次は3日空けて、ニューヨークのラジオシティ。


6. 1981 Sports Palace, Barcelona, Spain

 このヨーロッパ・ツアー最後のショウで、スペインでの唯一のショウ。ツアー掉尾を飾る見事なショウの由。


7. 1989 The Spectrum, Philadelphia, PA

 3日連続中日。前半最後から2曲目〈Cassidy〉が《Without A Net》でリリースされた。

 この3日間の中ではベストと言われる。


8. 1990 Internationales Congress Centrum, Berlin, Germany

 前半2曲目Shakedown Street〉が2017年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 ベルリン2日連続の初日。会議室のような会場で、座席はテーブルとアームレスト、カップホルダーのついた折り畳み椅子。だが、ショウはこのヨーロッパ・ツアー最高と言われる。

 チケットが詰まったブリーフケースが立体交差した上の道路から放りなげられ、チケットが文字通り、降りそそいだ、という報告もある。


9. 1994 Madison Square Garden, New York, NY

 6本連続千秋楽。同時に秋のツアー千秋楽。デッドが次に東部に戻るのは翌年6月下旬で、東部ではこれが最後のショウというデッドヘッドが多かったようだ。(ゆ)


 ああ、生のフィドルの音はこんなにも気持ちのよいものだったのだ。もちろん名手の奏でるフィドルだからこそではあるだろう。久しぶりのせいか、マイキーはフィドルの腕が上がったように聞える。冒頭、いきなりポルカで始めるが、ビートがめだたない。まるでポルカではないかのように、細かい装飾音に支えられてメロディが浮きたつ。その次はホーンパイプからジグ。その次はカロラン・チューンからリール。ギター・ソロで始まり、フィドルが加わる。曲種と楽器のこの転換がひたすら心地良い。とりわけ斬新な工夫でもない、特別なことではないよというように、実際もう特別なことではないのだろうが、風景が変わってゆくのは快感だ。もう、これがアイリッシュかどうかなんてことはどうでもよくなるが、それでもこれはアイリッシュならではの快感だ。

 前半のしめくくりにトシさんが歌う。去年あたりから、あたしが見るライヴではトシさんの歌が最低で1曲は入っている。やはり歌っていると巧くなるもので、今回はもう一段の工夫もあって、レベルが上がった。芸は Bucks of Oranmore のメロディにオリジナルの歌詞をのっけるのだが、マクラとしてその歌詞を一度講談調に演じる。コロナが流行りだす頃から京都に移って、あちらの友人の提案だそうだが、講談はトシさんのキャラ、ミュージシャンとしてのキャラにも合っている。あの風采で和服に袴をつければ講談師で通りそうだ。誰もアイリッシュ・ミュージシャンとは思うまい。それでリルティングとか、こういう既存のメロディに物語りをのせるのをやったらウケるかもしれない。バラッドというのはそもそもそうやってできている。たとえばラフカディオ・ハーンの怪談をアレンジしてみるのはどうだろう。

 高橋さんのギターはマイキーのフィドルとの呼吸の合い具合がさらに練れてきたと聞える。後半の1曲めでコード・ストロークでソロをとったのは良かった。引田香織さんたちとやっている「ブランケット」の成果だろうか。高橋さんは去年からスティール・ギターをもう80を超えたわが国の名手に習っているそうで、そのスティール・ギター風で Danny Boy をやる。確かに素直に聞けばこのメロディは綺麗なのだ。困るのはこれに余計な感傷をこめてしまうからだ。高橋さんのギター・ソロからフィドルとバゥロンが加わった演奏は、これまで聞いたこの曲の演奏でもベスト3に入る。マイキーのCDにはぜひ入れてもらいたい。

 ギター・ソロから3人のアンサンブルという転換はその前の Banks of Cloudy から Blackbird のメドレーも同じで、これも良かった。こいつもぜひCDに入れてください。まあ、この日の演目はどれもCDで残す価値はあるとは思う。

 マイキーは来年6月に次の任地ウクライナへの転任が決まったそうで、日本にいられるのはあと半年。なんとしてもその間に、CDだけは出してほしい。マイキーが去るのは残念だが、マイキーと入れかわりにコンサティーナを演られる妹さんが来日するそうで、なにせ、マイキーの妹さんだから、楽しみだ。

 20名限定で満席。こんな時によく来てくださいました、とミュージシャンたちは言うが、こんな時だからこそ、なのだ。こんな時によくも演ってくれました、なのだ。みんな、飢えているのだ。きっと。あたしは少なくとも飢えている。配信は確かに新しいメディアで、ふだんライヴに行けないような人たち、スケジュールが合わない、遠すぎる、などなどで行けない人たちにも生演奏に接するチャンスを生んだ。とはいえ、なのだ。それはそれでケガの功名として、ライヴの、それもノーPAの生音のライヴは格別なので、こういうライヴを体験できる幸運にはただひたすら感謝するしかない。

 ムリウイはビルの屋上の一部だし、周囲に高い建物は無いので、店の外に出れば街中としては空が広い。その宙天に冷たく輝く月がことさら目にしみる。思いの外に寒くなり、おまけに来てゆく服をまちがえたので、帰りの駅からのバスでは胴震いが止まらない。それでも、音楽のおかげだろう、風邪をひかずにすむ。(ゆ)

 珍しく(爆)、予定の本日正午に上旬の情報号を配信しました。届かない方は編集部までご一方ください。

 配信には間に合わなかった情報ひとつ。ケヴィン・バークの公式サイトとケヴィンのレーベル Loftus Music で年末バーゲンをしています。大晦日までにCD3枚買うと1枚好きなものがタダでもらえます。ケヴィンが関わったアルバムはどれもこれもはずれがありません。円高でもあります。持ってないものをそろえるのはいかが。

 Loftus では The Celtic Fiddle Festival の最新盤《EQUINOX》のサイン入りCDも販売してるそうです。クリスチャン・ルメートルのいる最後のアルバムです。(ゆ)

darach アイリッシュ・ミュージックのレコード・ショップとしては世界一といっていい、ダブリンのクラダ・レコードが期間限定(一ヶ月ぐらい、だそうです)で、セールをしています

 かなりおいしいものばかりで、どれを買っても損はありません。買いのがしたものをそろえるチャンス。当ブログも六枚ほど買いました(この頃、クラダはバーゲンでしか買っていないような気がする)。

 なお、日本(ないしEU外の地域)から買うときには表示価格から消費税分がさし引かれます。だいたい送料と相殺です。

 一枚も持っていないからどれから買えばいいのだ、というのであれば、

Andy Irvine & Paul Brady
Skara Brae
Darach O Cathain
Nioclas Toibin

あたりからいかが。全部うたものですが、アイリッシュ・ミュージックでも最高のものばかりです。はじめの2枚はモダンの代表、うしろの2枚はアイルランド語によるシャン・ノースの最高峰。

 Darach O Cathain はマーティン・ヘイズ&デニス・カヒルが初めて来たとき、開演前のBGMで流れていて、やけに良いけどこれは誰だと仲間うちで話題になったもの。マーティンが持参したCDで、今は亡き偉大なこのシンガーの唯一の録音と後で教えられました。おっさんがこのジャケット通りの人なつこい声でただただ坦々とうたうだけですが、ことばもわからないのに、それだけで宇宙は幸福に満たされます。(ゆ)

 10月情報号を今日の正午指定で配信しました。着かない方や文字化けがあった方はご一報ください。

 カリフォルニア在住のイラン人シンガー、ママク・カデム Mamak Khadem の公式サイトに彼女が主催するペルシア音楽のワークショップの動画があります。これがちょっと面白いのは、生徒さんたちがハープ、フィドル、フルート、コンサティーナといった面々で、どうやらふだんはアイリッシュ・ミュージックをやっている人たちらしい。動画の後の方では、ここで練習したものをステージで披露するシーンがありますが、ペルシア音楽とアイリッシュ・ミュージックを融合させてるのがわかります。かなり面白いので、ぜひ、次のアルバムでは入れてもらいたいところ。

 なお、ママクのソロ・デビュー・アルバム《Jostojoo (= Forever Seeking)》は今月号の『CDジャーナル』で紹介しましたが、こちらで買えます。

 アマゾンで検索すると『バトルスター・ギャラクティカ』や『バフィー 〜恋する十字架〜』のサントラが出てきますが、同じ人です。これまではこういう映画やTVの仕事が多かったそうですが、このソロ・アルバムをきっかけに、自らの音楽を前面に出してゆくようです。めでたい。(ゆ)

 京都・木津川市の加茂プラネタリウム館で、

アイルランドの星空を観ながらアイリッシュ・ミュージックを聞く

という、すてきなイベントがあるそうです。
なんという、すばらしいアイデア。
わが地元のプラネタリウム(一応あるんですよ)でもやってくれないかな。

 アイルランドの星の物語、というと、何だろう。
うーん、ちょっと思いだせん。
どなたか、教えてください。

 地図で見ると、ここは山の中にある施設のようで、
終わって外に出ると、今度はほんものの京都の星空が広がってるわけですね。
当日、晴れることを祈ります。

--引用開始--
      プラネタリウムコンサート

    「星とアイルランド音楽の世界」

日時:09/27(土)14:30〜16:00
場所:木津川市加茂プラネタリウム館
内容:プラネタリウムコンサート(90分)
   ・プラネタリウム「アイルランドの星空」
   ・アイルランド音楽の演奏
    アイリッシュハープ kumi
    アイリッシュフルート 長屋梨沙
   ・アイルランドの物語の朗読
    村上和佳子(朗読劇団泉座)

対象:主に小学校高学年以上
   (※中学生以下は保護者同伴)

定員:80席

料金:大 人500円 中高生300円 3歳〜小学生200円
  (※市内小学生以下は無料)

申込:9/6〜先着順・定員になり次第〆切
   電話または来館にて受付

   木津川市加茂プラネタリウム館
   京都府木津川市加茂町岩船ガンド2番地
   TEL:0774-76-7645(9時〜17時)
   定休:月・木曜、祝日の場合は翌日
E-Mail: kamo-pura@mve.biglobe.ne.jp
http://www.city.kizugawa.lg.jp/

交通:JR加茂駅より奈良交通バス「加茂山の家」下車すぐ。
   または「西小(にしお)」下車徒歩約3分。

主催:木津川市教育委員会

奈良リビングイベント情報
--引用終了--

Thanx! > 三井さん@木津川市加茂プラネタリウム館


 ようやく Magnum の使用時間が70時間を超えました。8月は出歩く回数が激減したので iPod の出番も激減。おかげで遅々とした歩みであります。100時間超えないと実力が出ないといわれる Magnum ですが、ついこの間、60時間越えたあたりから、ぐんと良くなってきた感じです。音楽の鮮度があがったというのかな。今までも充分にディテールが聞こえていたのが、さらに一層ありありと、手にとるように聞こえてくる。雨のあとで、空気が澄み、もの皆濡れて生きかえっている。うーむ、この先どこまで行くのか。ちょと心配になるくらい。

 それと、Magnum は比較的スロースターターで、少し時間が空くと、スイッチ入れてから1曲分ぐらいかな、ちょっと鈍い感じがして、それから霞が晴れるみたいにあたりが鮮やかになるんですが、これも改善されて、オン直後の音と少し経ってからの音の差が小さくなってきました。

 そこでもう一つ、となるのが、やはりあたしもマニアなのかなあ、いろいろ試したくなるわけです。音が変るのはやはり楽しい。

 で、今回はレゾナンス・チップ

 こいつの音質改善効果は体験済。いちばん凄かったのは、ブレーカーのスイッチと冷蔵庫のコンセントにつけたとき。これはもう、ウソみたいでした。今では、もちろんその音があたりまえになってしまってますが。昔使ってたフランス製のCDプレーヤーのトレイにつけたときも、なかなかでした。

 というわけで、Magnum のボリューム・ノブの頭につけてみました。付けたのはレゾナンス・チップ・クライオ。メーカー曰、いちばんオーディオ的だというし、公式サイトのオンライン・ショップでスノウとセットで売ってたので。こういう安易さがオーディオには必要です。

 これは良いです。Magnum にかぎらず、ポータブルヘッドホンアンプ使っている人は、試してみる価値はあります。ワンランクは確実にアップします。まず解像度が上がります。微妙な陰翳はより微妙に、大胆な音はより大胆に。Rinka の小松崎操さんのフィドルは響きの美しいことでは世界でも指折りだ、とぼくは思いますが、新作《BLACK DIAMOND》ではその響きがますます美しい。で、このフィドルの音が、実は結構ノイズをともなっているのが、わかるようになりました。今さらですが(^_-)。こういうノイズは響きや音楽の邪魔にはならず、かえって、ノイズがあるために美しく聞こえるんですね。同じことはフィドル系の擦弦楽器にはどれもいえることなんでしょう。クレタ島のリラなど、出てくる音の半分以上はノイズじゃないかな。

 音のキレもよくなります。おなじく《BLACK DIAMOND》では、Rinka としてははじめてバゥロンを入れてますが、抑えめにしたバゥロンがよく弾んで、しかもきっちりコントロールが利いてます。こういう控えめな入れ方は良いなあ。こういうバゥロンは録るのも再生するのも、結構難しいんではないでしょうか。

 Magnum の低血圧症にも効果があるようでもあります。

 レゾナンス・チップの種類を変えて試してみるのも面白いでしょうねえ。もっともスノウは厚みがあるので、PHA のノブに付けると操作しにくくなるかもしれません。直径はコチップ以外はどれも10ミリで、Magnum の場合、ノブとほとんど同じ。なので、音量の位置をしめす白い線が見えにくくなります。マイナスといえば、それくらいで、こんなことに比べれば、プラスの比率は無限大。

 こうなると、イヤフォンやヘッドフォンにも付けたくなりますが、さて、どこに付ければよいのか。EarPhone M だと、お尻につけられそうですが、直径が細いので、つけるとすればコチップでしょう。Yuin OK3 は、ちょっとつけられそうなところがないなあ。K701 はどこだろう。

 レゾナンス・チップのメーカー、レクストのサイトには、iPod の高音質化方法も出ているので、近々試してみるつもりですが、レゾナンス・スクエアは面白いです。これは置くだけでよいので、置いたりはずしたりして楽しめます。MacBook で聴くとき、パーム・レストにこいつを置くと、音の肌理が格段に細かくなります。細かくなるけど、ぎすぎすしない。こいつはほんとうに気持ちがよい。やはり、良い音は聞いていて気持がよい音ですね。(ゆ)

 なぜかアマゾン・ジャパンでは扱っておらず、Amazon.co.uk から買いました。大英帝国ゆずりの配送システムは優秀で、注文から1週間かかりませんでした。

 まあアイルランド史や英国史の専門家でもなければ、こんな本を買う人はそうはいないでしょうし、図書館にもなかなか入らないでしょうから、簡単に中身を紹介しておきます。ただし、まだほんとにぱらぱらみただけで、まるで読んでません。

A New History of Ireland 1◎A NEW HISTORY OF IRELAND I: Prehistory and Early Ireland
Edited by Da/ibhi/ O/ Cro/ini/n
Oxford University Press, ISBN978-0-19-922665-8

 このプロジェクトは1970年代末にT W Moody (1907-84) の提唱により、発足しました。ムーディはアイルランドの歴史学をナショナリズムから解放して、実証に基く現代的な学問に脱皮させた大学者です。現在日本語で読めるもっとも包括的なアイルランド史の本である『アイルランドの風土と歴史』(論創社)の編者です。

 全9巻。各巻のタイトルは以下の通り。

Vol. I  Prehistory and Early Ireland
Vol. II  Medieval Ireland (1169-1534)
Vol. III  Early modern Ireland (1534-1691)
Vol. IV  Eighteenth-century Ireland (1691-1800)
Vol. V  Ireland under the union, I  (1801-70)
Vol. VI  Ireland under the union, II (1870-1921)
Vol. VII  Ireland, 1921-84
Vol. VIII  A chronology of Irish history to 1976: a companion to Irish history, I
Vol. IX  Maps, genealogies, lists: a companion to Irish history, II

 最後の2冊は資料集で、年表の巻と、地図、系図、図表を集めた巻。5、6巻の "The union" とは、1801年の英国との合併をさします。これで The United Kingdom of Great Britain and Ireland が成立。合併したのは18世紀後半にアイルランド各地で頻発した反乱に手を焼いたロンドン政府が統治を強化するため。1870年はいわゆる "Home Rule" つまり自治運動が始まった年でしょう。

 3巻の "modern" は日本語でいう「近代」に相当しますが、アイルランド史の時代区分では、基本的には16世紀半ばから現在まではひと続きとみなされるようです。アイルランド史では一、二を争う碩学 R F Foster の名著 MODERN IRELAND 1600-1972 のタイトルはこの認識そのまま。ぼくの感じですが、アイルランドにとっての「現代」は1990年以降かな。

 まあ、わが列島でも、安土桃山以降現在までをひと続きの時代ととらえることも可能ですね。「現代」は1964年以降と見る。

 ちなみに1巻と2巻を分ける1169年はノルマン人が進出した年。2巻と3巻の1534年は「絹のトマス」の反乱の年。3巻と4巻の1691年はオーグリムの戦い。6巻と7巻の1921年は愛英条約が締結され、アイルランド自由国が成立した年。

 ハードカヴァー版は1982年12月の第8巻から刊行が始まり、9、4、5、3、6、2、7 の順で、最後は第1巻が2005年2月に刊行されて完結しました。それが今年4月からペーパーバック版として今度は半年ごとに巻数順に刊行される、というわけらしい。つぎは今年10月にA New History of Ireland: Medieval Ireland 1169-1534が予定されています。こちらはアマゾン・ジャパンで12月予定で予約受付中。

 年表や地図、系図などの資料編から刊行を始めるのはエライですが、論文執筆よりは製作が楽かもしれません。

 この第1巻の刊行が最後になったのは、カヴァーする期間が最も長く、当然分量も多くならざるをえないことがありますが、それよりもまずプロジェクトが発足した当時にはこの時期の研究者がごく少なかったためだそうです。現在では研究者不足は解消されて、活発な調査研究活動が行われている由。刊行の遅れはマイナスばかりではなく、近年の考古学的、歴史学的な発見や研究の驚くべき進展の成果も取り入れられることになったようです。

 わが国のA5判よりわずかに大きなサイズで総ページ数1219。ただし本文は995頁で、文献リストが150頁に、索引が72頁。巻末にモノクロ写真のグラビアが48葉。本文中にも地図、スケッチが随所にあります。

 扱うのは先史時代から、一応ノルマン人の進出まで。ただし、論文によってはこれより後の時代までカヴァーしているものもあります。上のリストからおわかりのように、後続のどの巻よりも長い時代が対象です。この期間は聖パトリック以前、以後に大きく分けられます。この分割は聖パトリック本人の重要性によるものではなく、単純に文字による記録の出現によります。

 とりあえず収録されている27本の論文を目次にしたがってならべてみます。

01. The geographical element in Irish history, J H Andrews
  アイルランドの地理的要素

02. The physical environment, J P Haughton
  アイルランドの物理環境

 前者は主にアイルランドという島の、住んでいる人間も含めた地理学的分析。後者は周辺も含めた地学的分析、つまり、どうやってこの島が生成されたか、かな。


03. Ireland before 3000B.C., M J O'Kelly
  紀元前3000年以前のアイルランド

04. Neolithic Ireland, M J O'Kelly
  新石器時代のアイルランド

05. Bronze-age Ireland, M J O'Kelly
  青銅器時代のアイルランド

 同じ著者による先史時代三部作。氷河期時代のアイルランドと、最初の人間の定住期から、4章は農業の始まり、5章はケルト以前の最後の時代。


06. Iron-age Ireland, Barry Raftery
  鉄器時代のアイルランド

 ここで、いわゆるラ・テーヌ文化に代表される(古代)ケルト人が鉄器とともにやってきます。ただ、アイルランドの鉄器時代というのは、遺物が少なく、謎が多く、よくわからない時代なのだそうな。


07. Ireland, 400-800, Dáibhí Ó Cróinín
 ウィ・ニール王朝を中心とした中世初期アイルランドの政治状況の記述。


08. The archaeology of early medieval Ireland, C.400-1169: Settlement and economy, Nancy Edwards
  考古学からみた中世初期アイルランド400年ごろから1169年まで。定住と経済。

 この時期にはキリスト教とともにラテン語がもたらされ、文献記録が出はじめるわけですが、この章は文献以外の歴史記録から現れるこの時代の諸相について述べるもの。


09. The church in Irish society, 400-800, Kathleen Hughes
  アイルランド社会の中の教会、400〜800年

  ヒューズはアイルランドの初期キリスト教会の歴史の専門家として、今でもひじょうに高い評価を受けている歴史家。ここでは、キリスト教到来の前提となる周辺との関係から聖パトリック、キリスト教化以後の教会や修道院とその役割について記述しています。


10. Early Irish law, T M Charles-Edwards
  アイルランドの初期の法律

 著者はこの巻全体の序文も書いている人。ブレホン法以前の法体系と社会におけるその運用、らしい。


11. Hiberno-Latin literature to 1169, Dáibhí Ó Cróinín
  1169年までのラテン語による文献記録

 著者はこの巻の編者。キリスト教とともにやってきたラテン語と、その刺激によって書かれはじめたアイルランド語のさまざまな文献とその筆者について。


12. 'What was best of every language': the early history of the Irish language, Paul Russell
  「この世で最も優れた言葉はどれであったか」初期アイルランド語の歴史

 オガム文字の話もあります。他のケルト語族との関係など、言語学的分析。


13. Language and literature to 1169, James Carney
  1169年までの言語と文学

 文字として残っている最初期の韻文から、いわゆるアイルランド神話についての章。


14. Manuscripts and palaeography, William O'Sullivan
  写本と古文書学

 装飾写本を中心とした章。古文書学史も含むようです。


15. Ireland c.800: aspects of society, Donnchadh Ó Corráin
  800年前後のアイルランド:社会の諸相

 この時点でのアイルランド社会全体を横断的に記述する試み。社会史的研究。


16. The Viking age, F J Byrne
  ヴァイキングの時代

 8世紀末に始まるヴァイキング、すなわちスカンディナヴィアからの侵入と彼らがもたらしたもの。


17. The Irish church, 800-c.1050, Kathleen Hughes
  800年から1050年前後までのアイルランドの教会

 これもヒューズの論文。ヴァイキング襲撃下の教会の状態、ヴァイキングの影響、その後の教会の社会進出。


18. Church and politics, c.750-c.1100, F J Byrne
  教会と政治、750年前後から1100年前後まで

 クロンマックノイズを中心に、教会内での勢力争いとその社会的影響、を述べているらしい。


19. Visual arts and society, Hilary Richardson
  視覚芸術と社会

 ここからの3章は芸術に焦点を当てます。まずこの章は金属、木、石、紙を使った種々様々な視覚芸術をまとめて論じます。


20. Ecclesiastical architecture before 1169, Roger Stalley
  1169年までの教会建築

 教会、修道院、ラウンド・タワーなどの建築について述べています。


21. Music in prehistoric and medieval Ireland, Ann Buckley
  先史時代および中世アイルランドにおける音楽

 なんといってもぼくらとしてはいちばん興味のある章。70ページにわたって、考古学的出土品、壁画や浮彫、彫刻などの建築物内の記録、それに楽譜を含む文献記録を駆使して、この時期の音楽とその社会との関係を述べている、と、詳細目次から推測されます。しかし、音楽を独立に扱う論文がちゃんとあるあたり、音楽の国らしい。いわゆる日本史で「天平・飛鳥の音楽」とか「平安京の音楽」なんて章がある本を見たことがない。


22. The archaeology of Ireland's Viking-age towns, Patrick F Wallace
  考古学からみたアイルランドのヴァイキング時代の町

 ヴァイキングはアイルランドに「町」をもたらします。ダブリンがそもそもそうした町
の一つです。これらの町の考古学的研究。


23. Coins and coinage in pre-Norman Ireland, Michael Kenny
  ノルマン以前のアイルランドにおける貨幣と貨幣鋳造

 9世紀まではアイルランドに貨幣はなかったそうで、その時代からノルマン人の侵入までの貨幣システムがどうなっていたか。


24. Ireland before the battle of Clontarf, F J Byrne
  クロンターフの戦い以前のアイルランド

 クロンターフは1014年の有名な戦い。ダブリン付近で、ブライアン・ボルーがデーン人を破りますが、自らも戦死。ヴァイキング時代の末からこの戦いまでの政治状況。


25. Ireland and her neighbours, c.1014-c.1072, F J Byrne
  1014年前後から1072年前後までのアイルランドとその近隣諸国

 ブライアン・ボルーの台頭から11世紀を通じてのヨーロッパの状況。


26. High-Kings with opposition, 1072-1166, Marie Therese Flanagan
  反対勢力を抱えたハイ・キングたち、1072年から1166年まで

 High-King すなわち Ard Ri/ はアイルランド各地の諸王から選ばれてその上に立つ盟主のようなものだったと思いますが、実際には室町末期の将軍にも似て、クロンターフからノルマンの侵入までのアイルランドは群雄割拠、四分五裂の状態。その錯綜する政治状況の概観。


27. Latin learning and literature in Ireland, 1169-1500, A B Scott
  1160年から1500年までのアイルランドにおけるラテン語による学問と文筆活動

 この時期の知識人たちとその活動の概観。


 とまあ、社会科学や自然科学を総動員して、この時期のアイルランドに生きた人びとがなにを考え、どうふるまい、なにを生みだしたかを、あらゆる角度から解明し、記述しようという試み、と言えそうです。こうなると、歴史学は総合科学ですね。

 20人の執筆者はいずれもアイルランド各地の大学で研究している人びと。くわしい肩書の入った執筆者一覧もありますが、これはまあ、専門家向けでしょう。われわれ素人にとっては、とにかくアイルランド史のトップ・クラスが、それぞれの専門分野について書いている、と思っていればいいわけです。『アイルランドの風土と歴史』の執筆者もいます。

 プロジェクトが長期にわたり、また必然的に高齢の人もいるので、故人も3人います。17章のキャスリーン・ヒューズ(1977年没)、3〜5章のマイケル・ジョセフ・オケリー(1982年没)、13章のジェイムズ・パトリック・カーニィ(1989年没)。ヒューズの論文は1974年に書かれたものだそうで、Ann Elizabeth Hamlin がアップデートしていますが、この人も2003年に亡くなっています。

 こういう論文集は、始めから終わりまで通読する、という形よりは、関心のあるもの、必要のある部分だけを読む方が多いのではないかな。また、英語圏ではこういう本は索引が充実しています(他の言語は不勉強にしてわかりません)。この本でもわざわざ索引製作者の名前までクレジットされるほど。この索引を活用すれば、事典代わりにも使えます。

 もちろん通読すれば、きちんと流れがみえるように構成されているとは思います。ぼくらのような素人はかえってそのほうが得るところが多いかもしれません。もっとも、論文ごとに読みだしてどうにも面白くなければ、飛ばして次に行く、というのもアリでしょう。そうやって巻末まで行ったら、もどって読んでみると、前は退屈だった記述が急に生気を放つということもあります。

 そうそう、肝心の値段は送料含めて36.48GBP、今のレートですと、7,300円弱。なお、第2巻のアマゾン・ジャパンでの予価は7,604円。半年ごとの刊行ですから、毎月1,200円強。それで4年半、いや最後の2冊は資料集ですから、最低3年半読みつづければ、もうアイルランド史に関しては誰にもまけない(^_-)。これはもう「老後の楽しみ」にはもったいない。(ゆ)

 アイルランド共和国の中央統計局が先頃発表した予測によると、
共和国の人口は速ければ2014年に500万を突破する。
現在の国外からの流入と出生による増加の勢いが止まらないこと
が前提。
この二つの要因が減少すると500万突破は2041年にまで遅れる。

 二つのうちより重要なのは国外からの流入の方だそうだ。

 高齢化では、65歳以上の人口が2006年の46万人(約10%)から
2041年には130〜140万となり、全人口の25%となる。

 5歳から12歳の人口は出生によるものだけでもこれからの10年間に
少くとも10%以上増えると予測されている。
これに国外からの移民を加えると、2025年までに現在の45万が65万になる。


 あくまでも予測ではあるわけだがこれをまとめると、

高齢化はするけれど、少子にはならない。
つまり子どもは増えつづける。
従来とは逆の、中への移民の勢いが大きい。
それでも総人口が500万に達するのは先のこと。

 これを伝統音楽的に見るならば、

多様性が増した文化で育った若者たちがうみだした新たな音楽が、
コンパクトで風通しが良い社会で積極的に展開される。

 この2、3年のアイリッシュ・ミュージックは
正直言って「内向き」だが、
1990年代の爆発を導いた1980年代前半のように
内部にエネルギーを貯めこんでいる状態ではないか
と期待する。

 もっともそこには音楽流通のありかたが
大きく変わっている最中であることも作用しているだろう。
伝統音楽は「市場」にのらない、
直接的にはカネを生まない活動がメインだ。
これがカネを生みだしはじめる時、
伝統音楽は広い世界に飛躍する。
リスナーやプレーヤーの数を増やし、
異なる伝統、ジャンルとの交流、「異種交配」が活発となり、
新たな衣をまとう。
1970年代後半に起きたことがそれだった。
プランクシティ、ボシィ・バンド、クラナド、デ・ダナン、チーフテンズ
かれらは伝統音楽を「市場化」した。
ひととおり市場化がすむと、
1980年代には伝統音楽は古巣にもどる。
そこで溜まったエネルギーが1980年代末から90年代前半に放出される。
アルタン、ダーヴィッシュ、デイアンタ、『リバーダンス』。
この時は前回より放出の射程も大きく、期間も長い。
21世紀最初の10年も半ばから、
伝統音楽は再び古巣にもどる。

 もっともこういう見方は焦点がずれているかもしれない。
市場化された伝統音楽が活躍している間も、
市場化されない伝統音楽の活動もやんだはずはないからだ。
むしろ、活発になっていたくらいだろう。
あるいは市場化された伝統音楽は、
伝統音楽全体をひとつの生き物、
アメーバのような不定形の生命とみれば、
そこから「細胞分裂」してスピンアウトしたもうひとつの存在
というべきかもしれない。
そうして「子ども」をいくつも生みながら、
母体としての伝統音楽も成長してきている。
子どもたちからのフィードバックも成長のもとだし、
子どもを孕み、生む活動そのものが母体を元気にする。

 現在はこの「市場化」がやりにくくなっている。
伝統音楽に「市場化」されるだけの「価値」がなくなったわけではないだろう。
むしろ問題は「市場」の側にある。
「市場」の形自体が崩れているのだ。
カネを生む仕組みが崩れている。
音楽産業は音楽をパッケージつまりレコード(LPでもCDでもあるいは DVD でも)
の形にすることでカネを生みだしていた。

 パッケージする元々の音楽は実は各種の伝統音楽だ。
生まれたばかりのレコード産業をささえたのは「レイス・レコード」だ。
つまりアメリカ国内の様々な「民族集団」、
祖先や母国を同じくする人びとの集団向けに、
その集団の伝統音楽を録音したSP盤である。

(もっともここにはもう一つの側面、
パッケージ化されることで伝統音楽の形が確立する
という可能性も潜んでいるのだが、
今はそれは置いておく。)

 そのパッケージ化を可能にしたのは録音と再生のテクノロジーの展開だったわけだが、
やはりテクノロジーの新たな展開によって、葬られることになった。
音楽からカネを生む仕組みは崩壊し、
新しい仕組みはまだ現われていない。

 だから伝統音楽が「市場化」によって子どもを生むこともできなくなっている。

 20世紀を通じて、アイルランドの伝統音楽は市場化の形による
外部からの刺戟によって
自らを活性化し、
再定義し、
脱構築し、
再生してきた。

 ひょっとするとこれは
アイルランドの伝統音楽にかぎったことではないかもしれない。
世界中の伝統音楽
というよりも音楽はどこにあっても本来は伝統音楽なのだから、
世界中の音楽は市場化にさらされてきた。
それを積極的にバネとにして利用し、
自らを活性化して生き残ってきた。

 それができなくなろうとしている。
「外部」からの刺戟の形が再び変わろうとしている。
人間の移動の規模と速度が増し、
より直接的な接触、衝突(はじめは皆衝突だ)が増している。

 そこから何が生まれるか。

 生まれたものに接する機会をどう確保するか。
そして生まれた子どもと同じくらい重要な
誕生のプロセスに立ち会う機会をどう確保するか。

 いや、面白い時代になったものだ。(ゆ)



  さりげない。
  ちょんちょんと弦をこすり、次の瞬間、曲に入る。
  と、世界が変わる。

  マーティンとデニスの音が鳴っている間、ぼくらは別世界にいる。
「日常世界ではしらないような感情」に満たされた世界。
うちくだくことも押し戻すこともできない何かが、
二人の手の先からとうとうとあふれ出てくる。

  あふれ出て空間を満たし、
ぼくの体を満たし、
心を満たす。
するとさらわれる先は生死の境。
もうほんの少しでも増えたなら、
あっさりと幽明の境を越えてしまうだろう。
それもまたよし。

  いや、そうではない。
よしも何もないのだ。
もっと静かにすみきった、
まったき抱擁。
かすかなやるせなさが残って
一層歓びを深くする。

  音楽はいつか止む。
ぼくらはいつか捕まり殺される。
しかし殺すものもまた、そうせざるをえない。
ぼくらを捕え殺すのがかれらの道、義務、ダルマだからだ。
命とはその原理の表象につきる。
音楽はその命の表象につきる。

  マーティンとデニスの音楽には余分なものがなにもない。
同時に音楽のすべてがある。
ジャズもクラシックもポップスも
無伴奏もフルオケもロック・バンドも
伝統も前衛も
アルタミラの洞窟に響いていた音も
太陽が滅ぶ時にたてるだろう音も
すべてを備え、生みだしてゆく。

  あえてハイライトをあげるなら、
後半、スロー・エアからマーチを経て展開されたメドレー。
そうだ、もう遠慮は要らない。
長い長いメドレーにこそひたりたい。

  あえてアイルランドにひきつけるなら、
この二人の音楽はアイルランドの伝統からしか現れない。
長い「逸脱」の積み重ねの末に
この二人とその音楽を生みだしたことで
アイルランドは称えられるべし。
そしてまたここから次なる伝統が流れだす。

  マーティンとデニスに感謝を。
  のざきさんに感謝を。
  武蔵野文化財団に感謝を。



Special thanks to Mr Naka
(ゆ)

  17日に迫った Winds Cafe 134 のための準備に精出す毎日。

  二週間に一度の資源ゴミ回収日で、集積所までいつものように裸足で何度か往復したのが油断だったらしい。30分程してぐわあと気分が悪くなる。体が裏返るような不快感。このまま眠ったら二度と目覚めないのではないかと思える睡魔。どう対処のしようもない閉塞感。とにかく耐えるしかない。まずはエネルギー補給だと、テーブルの上にあったバナナを食べ、水を飲み、ネットのニュースをブラウジングして気をまぎらす。そうしているうちにようやく足の冷たさが後退し、胸のあたりも楽になった。

  EGBridge が滅んだので、以前からかじっていた AquaSKK を本格的に試している。企業による商用製品よりも、オープン・ソースによるフリーウェアの方が信頼性が高くなるのは、自然の流れなのかもしれない。工業製品であるハードウェアはなかなかそうはいかないが。

  育った文化の違いからか、とまどうところもあるが、当面十分実用になる。というよりも、ひらがなは変換操作がいらないので、親指シフトにより近い感覚で使える。Tab による入力の補完機能は商用の IM にはない快適さ。「補完」や「履歴」の記録と利用は UNIX の伝統だろう。Mac にはこれまでなかった発想で、システム全体でもっとどんどん採り入れてもらいたい。辞書への登録にいちいち別アプリを立ち上げる必要がないのもうれしい。ただ辞書自体を管理する方法がわからない。一方、基礎となるシステム辞書は常に改訂されていて、しかもそれが定期的に自動的にダウンロード・インストールされるのも、商用 IM に無い便利な機能だ。これもフリーウェアならでは実装できまい。

  総じて、整ったマニュアルがないのが一番困るか。SKK 本体のマニュアルは充実しているが、あちらは Emacs での使用が前提なので、AquaSKK には適用できないことが多い。サポートが2ちゃんねるメインというのもいささかマイナス。2ちゃんねるがどうこうよりも掲示板というシステムそのものが性に合わない。言論の自由の保証度が低いわが国では2ちゃんねるは必要なメディアではある。むしろ、世界全体にとって、必要ではないかとすら思う。『グーグル詰め』に描かれた世界が実現すれば、不可欠になるだろう。ついでに言えば、そういう時代が来ることは時間の問題でしかない。あの話の通りになることはないとしても。ひょっとするともう半分は実現しているのかもしれない。その意味でも2ちゃんねるもまず中国語版や朝鮮語版やビルマ語版やアラビア語版やをつくるべきではある。今でもこういう言語で書こうと思えば書けるのかしらん。

  Dvorak で使っているせいか、キーボード・ショートカットでの設定がぶつかっているのか、キー操作による入力モードの切り替えがうまくいかないのと、全角スペースの入力ができない、あるいはわからない他はまずまず快適。

  EGBridge や ATOK では長い文章を一気に入力・変換することが推奨されているが、SKK では文節区切りをユーザが明示するために、基本的に文節ごとの入力・変換作業になる。この違いが文章の上にどのように現れるか、現れないか。

  それにしてもこの週末の雪はたいしたことがないことを祈る。日曜日には三鷹まで行って帰ってこなくてはならないのだ。

  それにしても来年の11月まで世界がもってくれることを祈る。マーティン・ヘイズ&デニス・カヒルの来日が決まっているのだ。(ゆ)

 京都以西で活動しているバンド MINE が初めてのCDを今月9日に発売し、合わせてライヴを京都でするそうです。


 ルナサの完コピ・バンドとして衝撃のデビューをかざり、その後オリジナルへと展開したバンドです。当初はルナサ以外のアイリッシュはまったく知らなかったそうですが、その後どういう方向に展開しているか、ひじょうに楽しみ。サイトのサンプル音源では、まさに「もう一つのルナサ」の感じ。これでパイプが入ればカンペキ(^_-)。

 CDはウェブ・サイトでも販売するようですが、9日以降らしい。


京都・大阪・岡山等で活動しているアイリッシュバンド「MINE」です。
結成して3年。待望のCDが発売されることとなりました。
CD発売を記念してライブを行います。

場所:『うずらギャラリー』京都市中京区三条寺町西入(1928ビル東隣・富田歯科1F)
時間:07/09(sun)14〜15時/16〜17時 2stages
料金:1000円

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