クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:アイルランド

 パンデミックをはさんで久しぶりに見るセツメロゥズは一回り器が大きくなっていた。個々のメンバーの器がまず大きくなっている。この日も対バンの相手のイースタン・ブルームのステージにセツメロゥズのメンバーが参加した、その演奏がたまらない。イースタン・ブルームは歌中心のユニットで、セツメロゥズのメインのレパートリィであるダンス・チューンとは違う演奏が求められるわけだが、沼下さんも田中さんも実にぴったりの演奏を合わせる。この日は全体のスペシャル・ゲストとして高梨菖子さんもいて、同様に参加する。高梨さんがこうした曲に合わせるのはこれまでにも見聞していて、その実力はわかっているが、沼下さんも田中さんもレベルは変わらない。こういうアレンジは誰がしているのかと後で訊ねると、誰がというわけでもなく、なんとなくみんなで、と言われて絶句した。そんな簡単にできるものなのか。いやいや、そんな簡単にできるはずはない。皆さん、それぞれに精進しているのだ。

 もう一つ後で思いついたのは、熊谷さんの存在だ。セツメロゥズは元々他の3人が熊谷さんとやりたいと思って始まったと聞くが、その一緒にやったら面白いだろうなというところが効いているのではないか。

 つまり熊谷さんは異質なのだ。セツメロゥズに参加するまでケルト系の音楽をやったことが無い。多少聞いてはいたかもしれないが、演奏に加わってはいない。今でもセツメロゥズ以外のメインはジャズやロックや(良い意味での)ナンジャモンジャだ。そこがうまい具合に刺激になっている。異質ではあるが、柔軟性がある。音楽の上で貪欲でもある。新しいこと、やったことのないことをやるのが好きである。

 そういう存在と一緒にやれば、顕在的にも潜在的にも、刺戟される。3人が熊谷さんとやりたいと思ったのも、意識的にも無意識的にもそういう刺戟を求めてのことではないか。

 その効果はこれまでにもいろいろな形で顕れてきたけれども、それが最も面白い形で出たのが、セツメロゥズが参加したイースタン・ブルーム最後の曲。この形での録音も計画されているということで、今から実に楽しみになる。

 そもそもこのセツメロ FES ということからして新しい。形としては対バンだが、よくある対バンに収まらない。むしろ対バンとしての形を崩して、フェスとうたうことで見方を変える試みとあたしは見た。そこに大きくひと役かっていたのが、木村林太郎さん。まず DJ として、開演前、幕間の音楽を担当して流していたのが、実に面白い。いわゆるケルティック・ミュージックではない。選曲で意表を突くのが DJ の DJ たるところとすれば、初体験といいながら、立派なものではないか。MC でこの選曲は木村さんがアイルランドに留学していた時、現地で流行っていたものという。アイルランドとて伝統音楽がそこらじゅうで鳴っているわけではないのはもちろんだ。伝統音楽はヒット曲とは別の世界。いうなれば、クラシックやジャズといったジャンルと同等だ。そして、伝統音楽のミュージシャンたちも、こういうヒット曲を聴いていたのだ。そう見ると、この選曲、なかなか深いものがある。金髪の鬘とサングラスといういでたちで、外見もかなりのものである。これは本人のイニシアティヴによるもので、熊谷さんは DJ をやってくれと頼んだだけなのだそうだ。

 と思っていたら、幕間にとんでもないものが待っていた。熊谷さんのパーカッションをサポートに、得意のハープをとりだして演りだしたのが、これまたわが国の昔の流行歌。J-POP ではない、まだ歌謡曲の頃の、である。原曲をご存知ない若い方の中にはぽかんとされていた人もいたけれど、知っている人間はもう腹をかかえて笑ってしまった。アナログ時代には流行歌というのは、いやがおうでもどこかで耳に入ってきてしまったのである。デジタルになって、社会全体に流行するヒット曲は出なくなった。いわゆる「蛸壺化現象」だ。

 いやしかし、木村さんがこんな芸人とは知らなんだ。ここはぜひ、適切な芸名のもとにデビューしていただきたい。後援会には喜んではせ参じよう。

 これはやはり関西のノリである。東京のシーンはどうしても皆さんマジメで、あたしとしてはもう少しくだけてもいいんじゃないかと常々思っていた。これまでこんなことをライヴの、ステージの一環として見たことはなかった。木村さんにこれをやらせたのは大成功だ。これで今回の企画はめでたくフェスに昇格したのだ。

 しかし、今回、一番に驚いたのはイースタン・ブルームである。那須をベースに活動しているご夫婦だそうで、すでに5枚もアルバムがあるのに、あたしはまったくの初耳だった。このイベントに行ったのも、ひとえにセツメロゥズを聴きたいがためで、正直、共演者が誰だか、まったく意識に登らなかった。セツメロゥズが対バンに選ぶくらいなのだから悪いはずはない、と思いこんでいた。地方にはこうしたローカルでしか知られていないが、とんでもなく質の高い音楽をやっている人たちが、まだまだいるのだろう。そう、アイルランドのように。

 小島美紀さんのヴォーカルを崇さんがブズーキ、ギターで支える形。まずこのブズーキが異様だった。つまり、ドーナル・ラニィ型でもアレック・フィン型でも無い。赤澤さんとも違う。ペンタングル系のギターの応用かとも思うが、それだけでもなさそうだ。あるいはむしろアレ・メッレルだろうか。それに音も小さい。聴衆に向かってよりも、美紀さんに、共演者たちに向かって弾いている感じでもある。

 そしてその美紀さんの歌。この声、この歌唱力、第一級のシンガーではないか。こんな人が那須にいようとは。もっとも那須が故郷というわけではなく、出身は岡山だそうだが、ともあれ、この歌はもっと広く聴かれていい。聴かれるべきだ、とさえ思う。すると、いやいや、これはあたしだけの宝物として、大事にしまっておこうぜという声がささやいてくる。

 いきなり "The snow it melt the soonest, when the winds begin to sing" と歌いだす。え、ちょっ、なに、それ。まさかここでこんな歌を生で聴こうとは。

 そしてイースタン・ブルームとしてのステージの締めくくりが〈Ten Thousand Miles〉ときた。これには上述のようにセツメロゥズがフルバンドで参加し、すばらしいアレンジでサポートする。名曲は名演を引き出すものだが、これはまた最高だ。

 この二つを聴いていた時のあたしの状態は余人には到底わかるまい。たとえて言えば、片想いに終った初恋の相手が大人になっていきなり目の前に現れ、にっこり微笑みかけてきたようなものだ。レコードでは散々いろいろな人が歌うのを聴いている。名唱名演も少なくない。しかし、人間のなまの声で歌われるのを聴くのはまったく別の体験なのだ。しかも、第一級の歌唱で。

 この二つの間に歌われるのはお二人のオリジナルだ。初めの2曲は2人だけ。2曲目の〈月華〉がいい。そして沼下さんと熊谷さんが加わっての3曲目〈The Dream of a Puppet〉がまずハイライト。〈ハミングバード〉と聞えた5曲目で高くスキャットしてゆく声が異常なまでに効く。高梨さんの加わった2曲はさすがに聴かせる。

 美紀さんのヴォーカルはアンコールでもう一度聴けた。1曲目の〈シューラ・ルゥ〉はこの曲のいつもの調子とがらりと変わった軽快なアップ・テンポ。おお、こういうのもいいじゃないか。そして最後は別れの歌〈Parting Glass〉。歌とギターだけでゆっくりと始め、これにパーカッション、ロウ・ホイッスル、もう1本のブズーキ、フィドルとアコーディオンと段々と加わる。

 昨年のみわトシ鉄心のライヴは、やはり一級の歌をたっぷりと聴けた点で、あたしとしては画期的な体験だった。今回はそれに続く体験だ。どちらもこれから何度も体験できそうなのもありがたい。関西より那須は近いか。この声を聴くためなら那須は近い。近いぞ。

 念のために書き添えておけば、shezoo さんが一緒にやっている人たちにも第一級のシンガーは多々いるが、そういう人たちとはまた別なのだ。ルーツ系の、伝統音楽やそれに連なる音楽とは、同じシンガーでも歌う姿勢が変わってくる。

 後攻のセツメロゥズも負けてはいない。今回のテーマは「遊び」である。まあ、皆さん、よく遊ぶ。高梨さんが入るとさらに遊ぶ。ユニゾンからするりと外れてハーモニーやカウンターをかまし、さらには一見いや一聴、まるで関係ないフレーズになる。こうなるとユニゾンすらハモっているように聞える。最高だったのは7曲目、熊谷さんのパーカッション・ソロからの曲。アフリカあたりにありそうなコトバの口三味線ならぬ口パーカッションも飛び出し、それはそれは愉しい。そこからリールになってもパーカッションが遊びまくる。それに押し上げられて、最後の曲が名曲名演。その次の変拍子の曲〈ソーホー〉もテンションが変わらない。パンデミックは音楽活動にとってはマイナスの部分が大きかったはずだが、これを見て聴いていると、まさに禍福はあざなえる縄のごとし、禍があるからこそ福来たるのだと思い知らされる。

 もう一つあたしとして嬉しかったのは、シェトランドの曲が登場したことだ。沼下さんが好きなのだという。そもそもはクリス・スタウトをどこの人とも知らずに聴いて惚れこみ、そこからシェトランドにはまったのだそうだ。とりわけラストのシェトランドのウェディング・マーチはいい曲だ。シェトランドはもともとはノルウェイの支配下にあったわけで、ウェディング・マーチの伝統もノルウェイからだろう。

 沼下さんは自分がシェトランドやスコットランドが好きだということを最近自覚したそうだ。ダンカン・チザムとかぜひやってほしい。こういう広がりが音楽の深化にも貢献しているといっても、たぶん的外れにはなるまい。

 今月3本のライヴのおかげで年初以来の鬱状態から脱けでられたようである。ありがたいことである。皆さんに、感謝感謝しながら、イースタン・ブルームのCDと、熊谷さんが参加している福岡史朗という人のCDを買いこんで、ほくほくと帰途についたのであった。(ゆ)

イースタン・ブルーム
小島美紀: vocal, accordion
小島崇: bouzouki, guitar

セツメロゥズ
沼下麻莉香: fiddle
田中千尋: accordion
岡皆実: bouzouki
熊谷太輔: percussion

スペシャル・ゲスト
高梨菖子: whistle, low whistle

 4年ぶりのこの二組による新年あけましておめでとうライヴ。前回通算6回目は2020年の同月同日。月曜日、平日の昼間、会場は下北沢の 440。今回、最後にあちこちへのお礼を述べた際、中藤さんが思いっきり「440の皆さん、ありがとう」と言ってしまったのも無理はない。3年の空白はそれだけ大きい。言ってしまってから、しゃがみこんでいたのも頬笑ましかった。

 まず初めに全員で出てきて1セット。ジグの定番曲を3曲連ねる。その3曲目のBパートでさいとうさんと中藤さんのダブル・フィドルが高く舞いあがるところでまず体が浮く。昨年末、同じ会場での O'Jizo の15周年記念ライヴでは中藤さんと沼下さんのダブル・フィドルが快感だったのに負けない。沼下さんとの組合せだと流麗な響きになるのが、この組合せだと華麗になる。今回はいたるところでこのダブル・フィドルに身も心も浮きあがったのがまず何よりありがたいことだった。本格的にダブル・フィドルをフィーチュアしたバンドを誰かやってくれないか。その昔、アルタンの絶頂期、《The Red Crow》《Harvest Storm》《Island Angel》の三部作を前人未踏の高みに押しあげていたのも、ダブル、トリプルと重なるフィドルの響きだった。

 演奏する順番を決めるのはじゃんけんで、tricolor 代表はゲストの石崎氏、Cocopelina 代表はお客さんの一人。お客さんの勝ちで Cocopelina 先攻になる。

 かれらの生を見るのは一昨年の11月以来。その間に昨年末サード・アルバムを出していた。それによる変化は劇的なものではないが、深いところで進行しているようだ。アンサンブルのダイナミズム、よく遊ぶアレンジ、そして選曲と並べ方の妙、というこのバンドの長所に一層磨きがかかっている。新譜からの曲だけでなく、その後に作った新曲もどんどん演る。

 4曲目の〈Earl's Chair〉は実験で、有名なこの曲だけをくり返しながら、楽器編成、アレンジを次々に変えてゆく。アニーがブズーキで参加するが、通常の使い方ではなく、エフェクタでファズをかけたエレクトリック・ブズーキの音にして、ロック・バンドのリード・ギターのノリである。これはアンコールでも再び登場し、場の温度を一気に上げていた。

 この日は互いのステージに休んでいる方のメンバーが様々な形で参加した。気心の知れた、たがいの長所も欠点も知りつくしている仲だからこその芸だろうか。これが全体の雰囲気をゆるめ、年頭のめでたさを増幅もする。それにこうした対バン・ライヴならではの愉しさでもある。

 サポートの点で特筆すべきはバゥロンの石崎氏で、終始冷静にクールに適確な演奏を打ちだす。どちらかというと、ビートを強調してノリをよくするよりも、ともすれば糸の切れた凧のようにすっ飛んでいきかねないメンバーの手綱を上手にさばいていると聞えた。tricolor の時にも Cocopelina の時にも飄々と現れてぴたりとはまった合の手を入れるのには唸ってしまった。

 プレゼント・タイムの休憩(今回のプレゼントのヒットは岩瀬氏が持ってきたマイク・オールドフィールド《Amarok》のCD。昨年こればかり聴いていたのだそうだ)をはさんでの tricolor も怠けてはいない。オープナーの〈Migratory〉はもう定番といっていいが、1曲目でアコーディオンとフィドルがメロディを交錯させるのは初めて聴いた。2曲目〈Three Pieces〉の静と動の対照の鮮かさに陶然とする。次のセットの4曲目が実に良い曲。

 次の〈カンパニオ〉というラテン語のタイトルのセットでさいとうさんが加わり、まずコンサティーナ。長尾さんがマンドリン、アニーがギターのカルテット。持続音楽器と非持続音楽器のユニゾンが快感。2曲目でダブル・フィドルとなっての後半、テンポ・アップしてからには興奮する。締めは例によって〈ボン・ダンス〉。しかし、手拍子でノルよりも、じっと聴きこまされてしまう。この曲もまた進化している。

 どちらもアコースティック楽器がほとんどなのに、演奏の変化が大きく、多様性が豊富で、ステージ全体が巨大な万華鏡にも見えてくる。年明け一発めのライヴにまことにふさわしい。今年は元旦からショックが続いたから、こういう音楽が欲しかった。ショックの核の部分は11日の shinono-me+荒谷良一が大部分融解してくれたのに重ねて、今年初めてのアイリッシュ系のライヴでようやく2024年という年が始まった。ありがたや、ありがたや。

 それにしても、この二つ、演奏とアレンジのダイナミック・レンジの幅が半端でなく大きいから、サウンド担当の苦労もまた大変なものだ。エンジニアの原田さんによると、終った時にはくたくたになっているそうな。あらためてすばらしい音響で聴かせてくれたことに感謝する。(ゆ)


さいとうともこ: fiddle
岩浅翔: flute, whistles, banjo
山本宏史: guitar

中藤有花: fiddle, concertina, vocal
長尾晃司: guitar, mandolin
中村大史: bouzouki, guitar, accordion, vocal

Special Guest
石崎元弥: bodhran, percussion, banjo

 今年の録音のベストは『ラティーナ』のオンライン版に書いたので、そちらを参照されたい。

 今年最後の記事は、今年見て聴いたライヴのうち、死ぬまで忘れえぬであろうと思われるものを挙げる。先頭は日付。これらのほとんどについては当ブログで書いているので、そちらをご参照のほどを。ブログを書きそこねた3本のみ、コメントを添えた。

 チケットを買っておいたのに、風邪をひいたとか、急な用件とかで行けなくなったものもいくつかあった。この年になると、しっかり条件を整えてライヴに行くのもなかなかたいへんだ。


01-07, マタイ受難曲 2023 @ ハクジュ・ホール、富ケ谷
 shezoo さんの《マタイ》の二度目。物語を書き換え、エバンゲリストを一人増やす。他はほぼ2021年の初演と同じ。

 どうもこれは冷静に見聞できない。いつものライヴとはどこか違ってしまう。どこがどう違うというのが言葉にできないが、バッハをこの編成で、非クラシックとしてやることに構えてしまうのか。いい音楽を聴いた、すばらしい体験をした、だけではすまないところがある。「事件」になってしまう。次があれば、そしてあることを期待するが、もう少し平常心で臨めるのではないかと思う。





05-03, ジョヴァンニ・ソッリマ、ソロ・コンサート @ フィリアホール、青葉台
 イタリアの特異なチェロ奏者。元はクラシック畑の人だが、クラシックでは考えられないことを平然としてしまう。この日も前半はバッハの無伴奏組曲のすばらしい演奏だが、後半はチェロで遊びまくる。もてあそばれるチェロがかわいそうになるくらいだ。演奏の途中でいきなり立ちあがり、楽器を抱え、弾きながらステージを大きく歩きまわる。かれにとっては、そうしたパフォーマンスもバッハもまったく同列らしい。招聘元のプランクトンの川島さんによると、本人曰く、おとなしくクラシックを演っていると退屈してくるのだそうだ。世には実験とか前衛とかフリーとか称する音楽があるが、この破天荒なチェロこそは、真の意味で最前衛であり、どんなものにも束縛されない自由な音楽であり、失敗を恐れることなどどこかに忘れた実験だ。音楽のもっているポテンシャルをチェロを媒介にしてとことんつき詰め、解放してゆく。と書くと矛盾しているように見えるが、ソッリマにあっては対極的なベクトルが同時に同居する。そうせずにはいられない熱いものが、その中に滾っている。感動というよりも、身も心も洗われて生まれかわったようにさわやかな気持ちになった。









09-18, 行川さをり+shezoo @ エアジン、横浜
 恒例 shezoo さんの「七つの月」。7人の詩人のうたを7人のうたい手に歌ってもらう企画の第5夜「月と水」。

 行川さんの声にはshezoo版《マタイ受難曲》でやられた。《マタイ》のシンガーの一人としてその声を聴いたとたんに、この声をいつまでも聴いていたいと思ってしまった。《マタイ》初演の時のシンガーの半分は他でも見聞していて、半分は初体験だった。行川さんは初体験組の一人だった。初演の初日のあたしの席はステージ向って右側のかなり前の方で、そこからでは左から2番めの位置でうたう行川さんの姿は見えるけれども顔などはまるで見えなかった。だから、いきなり声だけが聞えてきた。

 声にみっしりと「実」が詰まっている。実体感がある。振動ではなく、実在するものがやってくる。同時によく響く。実体のあるものが薄まらずにどんどんふくらんでゆく。行川さんの実体のある声があたしの中の一番のツボにまっすぐにぶつかってくる。以来、shezoo版《マタイ》ときくと、行川さんのあの声を聴けることが、まず何よりの愉しみになった。

 《マタイ》や《ヨハネ》をうたう時の行川さんの比類なく充実した声にあたしは中毒しているが、それはやはり多様な位相の一つでしかない。というのは「砂漠の狐」と名づけられたユニット、shezoo さんと行川さんにサックスの田中邦和氏が加わったトリオのライヴで思い知らされたし、今回、あらためて確認させられた。

 行川さんの声そのものはみっしり実が詰まっているのだが、輪郭は明瞭ではない。器楽の背景にくっきりと輪郭がたちあがるのではない。背景の色に声の色が重なる。それも鮮かな原色がべったりと塗られるのではない。中心ははっきりしているが、縁に向うにつれて透明感が増す。声と背景の境界は線ではなくグラデーションになる。一方でぼやけることはない。声は声として明瞭だが、境界はやわらかくゆらぐ。やわらかい音の言葉はもちろんだが、あ行、か行、た行のような強い音でもふわりとやわらかく発せられる。発声はやわらかいが、その後がよく響く。あの充実感は倍音の重なりだろうか、響きのよさの現れでもあると思われる。余分な力がどこにも入っていないやわらかさといっばいに詰まった響きが低い声域でふくらんでくると、ただただひれ伏してしまう。

 やわらかさと充実感の組合せは粘りも生む。小さな声にその粘りがよく感じられる。そもそも力一杯うたいあげることをしない。力をこめることがない。声は適度の粘りを備えて、するりと流れだしてくる。その声を自在に操り、時には喉をふるわせ、あるいはアラビア語風のインプロを混ぜる。

 shezoo さんの即興は時にかなりアグレッシヴになることがあるが、この柔かくも実のしまった声が相手のせいか、この日は終始ビートが明瞭で、必要以上に激さない。行川さんによって新たな側面が引きだされたようでもある。

 行川さんにはギターの前原孝紀氏と2人で作った《もし、あなたの人生に入ることができるなら》という傑作があるが、shezoo さんとのデュオでもぜひレコードを作ってほしい。





12-17, アウラ、クリスマス・コンサート @ ハクジュ・ホール、富ケ谷


 来年がどうなるか、あいかわらずお先真暗であるが、だからこそ生きる価値がある。Apple Japan合同会社社長・秋間亮氏の言葉を掲げておこう。

「5年後のことを計画する必要はない。自分がいま何に興味を持ち、何に意欲を燃やしているかに集中すればいい」

 おたがい、来年が実り多い年になりますように。(ゆ)

 まずはこのようなイベントがこうして行われたことをすなおに喜ぼう。新鮮な要素は何も無いにしても、やはり年末には「ケルティック・クリスマス」が開かれてほしい。

 今年、「ケルティック・クリスマス」が復活と聞き、そこで来日するミュージシャンの名前を見て、うーん、そうなるかー、と溜息をついたことを白状しておく。ルナサやダーヴィッシュがまずいわけではない。かれらの生がまた見られるのは大歓迎だ。それにかれらなら、失望させられることもないはずだ。会場の勝手もわかっている(と思いこんでいたら、実はそうではなかった)。パンデミックの空白を経て、復活イベントを託す相手として信頼のおける人たちだ。

 しかし、ルナサもダーヴィッシュもすでに何度も来ている。反射的に、またかよ、と一瞬、思ってしまったのは、あたしがどうしようもないすれっからしだからではある。キャシィ・ジョーダンが開巻劈頭に言っていたように、ダーヴィッシュは結成44年目。ルナサももうそろそろ四半世紀は超える。みんなそろって頭は真白だ。どういうわけか、ルナサもダーヴィッシュもステージ衣裳を黒で統一していたから、余計映える。例外は紅一点キャシィ姉さんだけ。

 この日はいろいろと計算違い、勘違いをした上に判断の誤りも加わり、あたしとしては珍しくも開演時間に遅刻してしまった。ルナサの1曲目はすでに始まっていた。この曲が終ってようやく客席に入れてもらえたが、客席は真暗だから、休憩、つまりルナサが終るまでは入口近くの空いている席に座ることになった。バルコニー席の先頭を狙ってあえてA席にしたのだが、チケットには3階とあった。この距離でステージを見るのは初めてで、これはこれで新鮮ではある。距離が離れているだけ、どこかクールにも見られる。いつもなら目はつむって、音楽だけ聴いているのだが、これだけ距離があると、やはり見てしまう。そのせいもあっただろうか。2曲目を聴いているうちに、ルナサも老いたか、という想いがわいてきた。

 あるいはそれは、遅刻したことでこちらの準備が整わず、素直に音楽に入りこめなかったせいかもしれない。ライヴというのは微妙なバランスの上に成りたつものだ。演奏する側がたとえ最高の演奏をしていたとしても、聴く方がそれを十分に受けとめられる状態にないと音楽は失速してしまう。そういう反応が一定の割合を超えると、今度は演奏そのものが失速する。

 3曲目のブルターニュ・チューンで少しもちなおし、次のルナサをテーマにしたアニメのサントラだといって、看板曲をやったあたりからようやく乗ってきた。このメドレーの3曲目で今回唯一の新顔のダンサーが登場して、かなりなまでに回復する。

 このダンサー、デイヴィッド・ギーニーは面白かった。アイルランドでも音楽伝統の濃厚なディングルの出身とのことだが、それ故にだろうか、実験と冒険に遠慮がない。華麗でワイルドで、一見新しい世代とわかるその一方で、その合間合間にひどく古い、と言うよりも根源的な、いわゆるシャン・ノース・スタイルの動作とまでいかない、空気がまじる。やっていることはマイケル・フラトリーよりもずっとアメリカンとすら思えるが、節目節目にひらめく色が伝統の根幹につながるようだ。だから新奇なことをやっても浮かない。とりわけ、ダーヴィッシュの前に無伴奏で踊ったのは、ほとんどシャン・ノース・ダンスと呼びたくなる。芯に何か一本通っている。

 その次のキリアンの作になる新曲が良く、ようやくルナサと波長が合う。そしてその次のロゥホイッスル3本による抒情歌で、ああルナサだなあと感じいった。あたしなどにはこういうゆったりした、ゆるいようでいてピシリと焦点の決まった曲と演奏がこのバンドの魅力だ。

 全体としてはメロウにはなっている。あるいは音のつながりがより滑らかになったと言うべきか。若い頃はざくざくと切りこんでくるようなところがあったのが、より自然に流れる感触だ。音楽そのもののエネルギーは衰えていない。むしろこれをどう感じるか、受けとるかでこちらの感受性の調子を測れるとみるべきかもしれない。

 休憩になってチケットに記された席に行ってみると、三階席真ん前のど真ん中だった。左に誰も来なかったのでゆったり見られた。狙っていた2階のバルコニー右側先頭の席は空いていた。

 後半冒頭、ギーニーが出てきて上述の無伴奏ソロ・ダンシングを披露する。無伴奏というのがまずいい。ダンスは伴奏があるのが前提というのは、アイリッシュに限らず「近代の病」の類だ。

 山岸涼子の初期の傑作『アラベスク』第二部のクライマックス、バレエのコンテストでヒロインの演技中伴奏のピアニストが途中で演奏をいきなり止める。しかしヒロインは何事もないようにそのまま無伴奏で踊りつづけ、最後まで踊りきる。全篇で最もスリリングなシーンだ。あるいは何らかのネタがあるのかもしれないが、有無を言わせぬ説得力をもってこのシーンを描いた山岸涼子の天才に感嘆した。

 クラシック・バレエとアイリッシュではコンテクストはだいぶ違って、アイリッシュ・ダンスには無伴奏の伝統があるが、踊る動機は同じだろう。

 歌や楽器のソロ演奏と同じく、無伴奏は踊り手の実力、精進の程度、それにその日の調子が露わになる。そして、この無伴奏ダンスが、あたしには一番面白かった。これを見てしまうと、音楽に合わせて踊るのが窮屈に見えるほどだった。

 ダーヴィッシュはさすがである。ルナサとて一級中の一級なのだが、ダーヴィッシュの貫禄というか、威厳と言ってしまっては言い過ぎだが、存在感はどこか違う。ユーロビジョン・ソング・コンテストにアイルランド代表として何度も出ていることに代表される体験の厚みに裏打ちされているのだろうか。

 そしてその音楽!

 今回は最初からおちついて見られたこともあるだろう。最初の一音が鳴った瞬間からダーヴィッシュいいなあと思う。ところが、いいなあ、どころではなかった。次の〈Donal Og〉には完全に圧倒された。定番曲でいろいろな人がいろいろな形で歌っているけれども、こんなヴァージョンは初めてだ。うたい手としてのキャシィ・ジョーダンの成熟にまず感嘆する。一回りも二回りも大きくなっている。この歌唱は全盛期のドロレス・ケーンについに肩を並べる。いや、凌いですらいるとも思える。そしてこのアレンジ。シンプルに上がってゆくリフの快感。そしてとどめにコーダのスキャット。この1曲を聴けただけでも、来た甲斐がある。

 ダンスも付いたダンス・チューンをはさんで、今度はキャシィ姉さんがウクレレを持って、アップテンポな曲でのメリハリのついた声。これくらい自在に声をあやつれるのは楽しいにちがいない。聴くだけで楽しくなる。この声のコントロールは次の次〈Galway Shore〉でさらによくわかる。ウクレレと両端のマンドリンとブズーキだけのシンプルな組立てがその声を押し出す。

 そして、アンコールの1曲目。独りだけで出てきてのアカペラ。

 ダーヴィッシュがダーヴィッシュになったのは、セカンド・アルバムでキャシィが加わったことによるが、40年を経て、その存在感はますます大きくなっていると見えた。

 とはいえダーヴィッシュはキャシィ・ジョーダンのバック・バンドではない。おそろしくレベルの高い技術水準で、即興とアレンジの区別がつかない遊びを展開するのはユニークだ。たとえば4曲目でのフィドルとフルートのからみ合い。ユニゾンが根本のアイリッシュ・ミュージックでは掟破りではあるが、あまりに自然にやられるので、これが本来なのだとすら思える。器楽面ではスライゴー、メイヨーの北西部のローカルな伝統にダブリンに出自を持つ都会的に洗練されたアレンジを組合わせたのがこのバンドの発明だが、これまた40年を経て、すっかり溶けこんで一体になっている。そうすると聴いている方としては、極上のミュージシャンたちが自由自在に遊んでいる極上のセッションを前にしている気分になる。

 アンコールの最後はもちろん全員そろっての演奏だが、ここでキャシィが、今日はケルティック・クリスマスだからクリスマス・ソング、それも史上最高のクリスマス・ソングを歌います、と言ってはじめたのが〈Fairy Tale of New York〉。アイルランドでは毎年クリスマス・シーズンになるとこの曲がそこらじゅうで流れるのだそうだ。相手の男声シンガーを勤めたのはケヴィン・クロフォード。録音も含めて初めて聴くが、どうして立派なシンガーではないか。もっと聴きたいぞ。

 それにしてもこれは良かった。そしてようやくわかった。中盤で2人が「罵しりあう」のは、あれは恋人同志の戯れなのだ。かつてあたしはあれを真向正直に、本気で罵しりあっていると受けとめた。実際、シェイン・マゴゥワンとカースティ・マッコールではそう聞えた。しかし、実はあれは愛の確認、将来への誓い以外の何者でもない。このことがわかったのも今日の収獲。

 最後は全員でのダンス・チューンにダンサーも加わって大団円。いや、いいライヴでした。まずは「ケルクリ」は見事に復活できた。

 キャシィ姉さんのソロ・アルバムを探すつもりだったが、CD売り場は休憩中も終演後もごった返していて、とても近寄れない。老人は早々に退散して、今度は順当に錦糸町の駅から帰途についたことであった。(ゆ)

 こういうところでライヴをやってくれるおかげで、ふだん行かない珍しいところに行ける。珍しいとは失礼かもしれないが、このライヴがなければ、まず行くはずのない場所だ。一度来れば、二度目からはハードルが下がる。

 御殿場線に乗るのは生まれてから2度目。最初は御殿場でのハモニカクリームズのライヴに往復した。4年前のやはり秋。御殿場線の駅の中でも谷峨は寂しい方で、これに比べれば御殿場は大都会。言われなければ、こんなところでアイリッシュのライヴがあるなどとは思いもよらない。どころか、降りてもまだ信じられない。それでも駅からそう遠くはないはずで、スマホの地図を頼りに歩く。りっぱな県道が通っているが車もめったに通らない。一緒に降りた地元の人らしき老夫婦は、近くの山陰に駐めてあった軽トラックに乗りこんだ。その先をどんどん行き、角を曲がったとたん、コンサティーナの音が聞えてきた。おお、まちがいない。ここだ、ここだ。

 この店は「スローンチャ」と名づけたライヴ・シリーズを続けていて、今回が18回目。ギターのサムはここでやるのはこれが5回めか6回めになるそうな。他に客がいるのかと思ったら、ちゃんと先客もいて、後から何人もやってくる。半分くらいは車で来たのだろう。

 ここはパンが売りもので、昼飯にクロックムッシュなど二つ三つ買って食べる。なかなか美味。雨が降っていなければ、家で食べるためにいくつか買いこんでいたところではある。飲物ははじめはガマンしてコーヒーにしたが、後でやはり耐えきれずにギネスを飲む。久しぶりでこちらも美味。マスターの話を聞いていると、ビールが美味いそうだが、もう飲めないカラダになってしまった。

 店の建物は宿泊施設を増やすために工事中で手狭ということもあって、すぐ外にモダンなスタイルの天幕を張った下がステージ。その正面、建物から斜めの位置にももう一つ天幕を張って、こちらは客席。少し距離があり、PAを入れている。外の天幕の下で聴くと、音は最高だった。

 生憎の雨模様で、後半、薄暗くなってくると、いささか冷えてきたけれど、山肌を埋めた木々をバックに、脇では薄の穂が揺れている中で聴くアイリッシュはまた格別。サムに言わせれば、この天気もアイルランドになる。

 このトリオでやるのは今回の二連荘が初めてだそうだ。沼下さんのフィドルを生で聴くのはパンデミック前以来だが、どこか芯が太くなって、安定感が増したように聞える。音色がふらつかない。それが須貝さんのフルートと実によく合う。考えてみると、須貝さんがフィドラーとやるライヴを見るのは実に久しぶりだ(記録をくってみたら、2017年の na ba na 以来だった)。この二人のユニゾンは気持ちがいい。片方がハーモニーにずれるのも快感。やはりあたしはフィドルの音、響きが好きなのだ、とあらためて思いしらされる。そして須貝さんのフルートとならぶと、両方の響きにさらに磨きがかかる。須貝さんのフルートには相手を乗せてともに天空を駆けてゆく力があるようだ。

 サムのギターも全体の安定感を増す。一番近いのはスティーヴ・クーニィだとあたしは思っている。派手なことはやらないが、ふと耳がとらわれると、ずんずんと入ってくる。この日は音のバランスも見事に決まっていて、3人の音が過不足なく聞える。それも快感を増幅する。

 前半はオーソドックスなユニゾンを軸に、ジグ、リール、ホーンパイプ? ポルカと畳みかける。曲も地味ながら佳曲が並ぶ。トリッキィなこともやらないし、冒険もしない。そこが気持ちいい。つまり、うまくいっているセッションを聴いている気分。先日の木村・福島組のようなすっ飛んだ演奏もいいし、こういうのもいい。どちらも可能で、どちらも同じくらい愉しい。というのは、アイリッシュの美味しいところではある。

 そう、そして八ヶ岳と木村・福島組の時と同じような幸福感が湧いてきた。それをモロに感じたのは2番目のセットの3曲目のリールが始まったとき、3曲目に入ったとたん、ふわあと浮きあがった。このリールはどちらかというとマイナーなメロディなのだが、気分はメアリ・ポピンズの笑いガスでも吸ったようだ。浮上した気分はワルツでも前半最後のストラスペイでも降りてこない。

 ワルツはベテラン蛇腹奏者 Josephine Marsh の作。その昔サンフランシスコ・ケルティック・フェスティバルに行った時、公式のコンサートがはねてからのパブのセッションで、ロレツも回らないほどべろんべろんに酔っばらいながら、見事な演奏をしていたあのおばさん、いや、あの時はお姉さんでしたね。

 後半は前半よりヴァラエティに富むスタイルということで、ソロでやったり、オリジナルをやったりする。

 スタートはスローなジグのセットで2曲目がいい曲。次はフィドルのソロのリールで始め、一周してからフルートとギターが加わる。シンコペーションのところ、フルートが拍をとばさずに、細かい音で埋めるのが面白い。

 次はフルートのソロで、スロー・エアから2曲目が須貝さんのオリジナル。鳥がモチーフなので、こういうロケーションで聴くのは最高だ。セットの3曲目〈Rolling Wave〉の演奏がいい。

 さらにギターのソロ。サムのオリジナルで〈喜界島の蝶々〉。これを〈町長〉と勘違いした人がいたそうな。そういうタイトルの曲を作るのも面白いんじゃないか。そこから〈Rolling Wave〉と同名異曲。このタイトルの曲はあたしの知るかぎりもう1曲ある。

 後半のワルツは前半のしっとりワルツと対照的な〈Josephin's Waltz〉。元気闊達な演奏で、フィドルとフルートが交替に相手のメイン・メロディにつけるハーモニーが美味しく、この曲のベスト・ヴァージョンの一つ。もう一度聴きたい。

 ラストは〈Mountain Road〉をたどれば〈Mountain Top〉に行くとのことで、この組合せ。スロー・テンポで始め、2周目(だと思う)でテンポを上げ、3周目でさらにもう一段速くする。かっこいい。マーチ、ストラスペイ、リールと曲の変化でテンポを上げるのは定番だけど、曲はそのままでテンポを上げるのも面白い。そのまま2曲目に突入して、最高の締めくくり。ここでようやくエンジン全開。

 アンコールのスライドがまたいい。セットの2曲目、途中で音を絞って3人でユニゾン、ギターがリズムにもどってまた音を大きくするのに唸る。尻上がりに調子が出てきて、第三部があれば文句ないところだけれど、山あいはもう暗くなりかけ、御殿場線の国府津行きの電車の時刻(1時間に1本)も迫ってきたので、それは次回に期待しよう。

 このトリオもいいし、ロケーションもいいので、どちらも次があれば行くぞと思いながら、また降りだした雨の中を駅に急いだ。(ゆ)

 あたしがアイリッシュ・ミュージックのライヴに行くのは珍しいと思われているらしい。確かに、パンデミック後はその前に比べてずいぶん減っている。それにはいろいろな事情があるので、別にアイリッシュ・ミュージックのライヴに行くのが嫌になったからではない。一番の原因はビンボーで、だからライヴに行く回数そのものが全体的に減っている。2番目の原因としては母親の介護が以前より忙しくなった。母も90代になって、さすがにあちこち衰えてきていて、医者にかかる頻度が増えている。3番目はあたし自身も老化は確実に進んでいて、外出するとくたびれる。かつてのように、連日ライヴをこなすような気力体力はもう無い。先日、八ヶ岳に行ったのはだから本当に呼びよせられたので、自分の意志ではない。あそこにいる間ずっと幸福感に包まれていたのはそのせいもあるだろう。

 だからといって、自分の意志で行こうと決めて行くライヴがつまらないわけでもない。もっとも、どのライヴに行くのも、そこに自分の意志がどれだけ働いているのか、八ヶ岳を体験してみると心もとなくなってくる。本当はいつも呼ばれているのではないか。

 これはライヴだけではなくて、本でもレコードでも同じだ。よくよく考えてみれば無数にある選択肢の中からなぜそれを拾いあげるかに、自分の意志がどれくらい入っているか、きわめてあやしくなってくる。ある本をいきなり無性に読みたくなる。あるレコードをいきなり無性に聴きたくなる。そういう体験は何度かあって、これはもう明瞭に呼ばれているとわかるが、そこまでではなくても、ふと手にとる、目について、読んでみる、聞いてみるのも、実は呼ばれているという気がしてくる。

 だいたい、ある本を読む、レコード(音源)を聴く時、そこに「自己の意志」はどれくらい入っているのか。他の人はみんな明確な意志を持って、よし、これを読むぞ、これを聴くぞ、と決意して読んだり聴いたりしているのだろうか。もちろん仕事のため、勉強のため、というような義務的な読書、リスニングは別である。ついでにここに、どの曲を演るか、を入れてもいいだろうが、あたしは演奏はできないから、それについては何も言わない。自分のことを顧みてみれば、次に何を読むか、聴くかは、なりゆきまかせのことがほとんどだと思われる。つまり明瞭に、自分の心と体の状態、人生全体の状況、今いる環境、割りあてられる時間の長さ、等々を勘案し、では、これを読もう、聴こうと決める、なんてことはまずやらない。なんとなく、これあ面白そうだ、と思ったものを手にとる。

 『本の雑誌』の目黒さんは、これから何をどういう順番で読むか、綿密なスケジュールを立て、それが崩れてはまた立てなおしするのが、何よりの愉しみだと言っていた。それなら、「自分の意志」は多少とも入るだろうとも思われる。あたしもマネをして読書計画などたててみたりもするが、まず守れたためしはない。聴く方はもう最初から放棄している。聴くのは、短かければ1枚30分、長くても3〜4時間というところだから、とにかく手許にたまったものを片っ端から聴いていくこともできる。本は読破するのに数ヶ月というのも珍しくはないから、順番くらいは一応決めておいた方がよい気もする。もっとも、篠田一士ではないが、ある長い本を読んでいる途中で、別の本、たとえば中短篇集を読みだすとか、小説を読みながら、紀行を読むとか、そういうことはよくやる。

 とまれ、つらつら思うに、あたしの場合、何かを読む、聴くというところに、あたし自身の意志などというものはほとんど作用していないようだ。だいたい、その前に「あたしの意志」なるものがあるのかすらあやしい。となれば、ある本を読む、レコードを聴くのは、向こうが呼んでくれているのに答えたと思う方がむしろすっきりする。

 ライヴの場合、どのライヴに行くかというのはもう意志とはまず関係がない。そもそも、関心のあるすべてのミュージシャンのスケジュールを完璧に把握し、自分の行動範囲内で行われるギグを確認し、その中から選んで出かける、なんてことはやるつもりもない。まともにそんなことをしだしたら、ほとんど毎日、どこかへ出かけなければならない。そんな金力も体力も無い。だから、ライヴについては、たまたま何らかのツテで知ったものだけを対象にして、その中から行けるものに行く。「たまたま何らかのツテで知る」というのは、表現を変えれば、呼ばれているのと同じだ。

 そう、このギグもやはり呼んでくれていたのだ。これを知ったのは7月の須貝知世&木村穂波デュオのライヴの時で、八ヶ岳と一緒だった。場所もデュオの時と同じムリウイ。今度は夜。行く行くと予約を頼んでいた。

 そうして、期待どおり、すばらしく愉しい体験だった。というよりも、あの幸福感にまた浸されたのである。最初の曲が始まったとたん、八ヶ岳のときのあの幸福感にふわあっと包みこまれた。それから最後まで、音楽が鳴っている間、ひたすら幸福だった。この幸福感はどこから来るのかなんてことは考えもしなかったし、今でもどうでもいい。面白いことに、曲が終ると幸福感もちょっと軽くなる。音楽が鳴っている間だけ、ひたすら幸福なのである。

 もう一つ面白いことに、1週間前の Bosco さんのギグではこういう幸福感は感じなかったのだ。かれが演るのがアイリッシュではなく、オールドタイムであるから、というだけのことだろうか。バスコさんのギグも音楽の愉しさでは勝るとも劣るものではなかったし、ああ、ここでこうして聴いているのは幸せと思ったものの、八ヶ岳とここで感じた幸福感とは少し違った。どこがどう違うというのは、今はもうわからないのだが、違うことだけは覚えている。アイリッシュの方がなじみがあるからだろうか。それだけでもないような気もする。この違い、幸福感の違いはどうでもいいことかもしれないが、あたしにとってはどこかで大事なことのような気もするから、とりあえず記録しておく。

 木村&福島の音楽にもどれば、ここでの音楽のまず選曲が面白い。アイリッシュのダンス・チューンには無数の選択肢があるわけで、そこからどれを選ぶかは、また「呼ばれる」かどうかが関ってきそうだが、それは別として、何を選び、どの順番で演るかは、演奏者の腕の見せどころ、というよりも、たぶんアイリッシュを演奏するまず最初の愉しみであり、最大の愉しみの一つではないか。一応確認したら、お手本にした演奏のままのセットもあり、独自に組んだセットもあるそうだが、どちらにしても、どれもこれも実に面白い選曲であり、組合せだ。意表をつかれるのだ。次の瞬間、ぴったりはまったそのはまり具合が快感となる。聴いたことのある曲でも、驚くほど新鮮な顔を見せる。たいていのセットで最後の曲が一番光るのは、その組合せがうまくいっているからだろう。つまり、選曲眼も良く、かつ良い組合せを作る能力が高い。

 そして、その曲そのものがまた面白い。中にはひどくトリッキィな、メロディ上ではテンポが一瞬ごくゆっくりになるように聞えたりするものもある。こんなのアイリッシュにあるのと抗議したくなりながら、それがリピートされていくうちに、アイリッシュかどうかなんてのはどうでもよくなり、いやあ、おもしれえ、と内心で声をあげている。

 福島さんのフィドルは初見参で、演奏する姿勢同様どっしりとした安定した土台の上に音が流れてゆくのは気持がいい。芯も太くて、木村さんの蛇腹に相対してゆるがない。あたしは Seamus Creagh を連想した。この音は好みだ。始めて3ヶ月というブズーキで披露したソロ演奏も良かった。フィドルに比べると繊細な面がよりはっきりと表に出る。3ヶ月でそこまで弾くのは大したものだと長尾さんが溜息をついていた。

 木村さんのアコーディオンも須貝さんの時に比べるとより奔放で、羽目をはずしている。と見えて、押えるところはきっちり押えている。このデュオはいいなあ。木村さんはソロもいいのだが、相手によって七変化するのが、あたしにはたまらん。

 その二人をうまく煽っていたのが長尾さんのギター。ぐいぐいと背中を押していったり、すっと引いてやわらかく受け止めたり。こういうところはベテランの味ですねえ。

 途中でキーを半音上げるという裏技もくり出す。ひょっとするとアイリッシュで感じる幸福感はこの音の高さ、高音の快感がベースにあるのかもしれない。

 福島さんは高橋創さんにつきあってもらって作った録音を Bandcamp に上げている。値段をつけず、タダで聴けるようにしている。もったいない。高崎での録音だそうで、ひょっとしてかの Tago Studio なのかな。

 それとは別に、このデュオにもぜひぜひ録音を、アルバムを作ってほしい。木村さん、頼みますよ。須貝さんのと1枚ずつ。

 終るまでおたがい気がつかなかったが、村上淳志さんが来ていて、久しぶりに会えて嬉しかった。村上さんのおかげでハープを聴く幅が広がったので、感謝多謝なのである。村上さんといい、梅田さんといい、ハープをやる人は面白い。

 たまたま読んでいた本に引きずりこまれて夢中になっていて、開演前もぎりぎりまで読み、休憩中も読み、帰りの電車でもずっと読みつづける。こんな風に、寸暇を惜しんで本を読むのも久しぶりである。音楽と本が共鳴して、また別の幸福感が生まれていたようだ。(ゆ)

 7月の下旬に須貝知世&木村穂波デュオのライヴに行ったら、8月最終週末にこんなイベントがあります、とアナウンスがあった。聞いた途端に行こうと思った。その時はわからなかったが、呼ばれていたのだ。

 少し経って、あらためて路線や乗換えを調べだして、行こうと思ったことが自分で不思議になった。誰かに誘われるとか、仕事がらみでないかぎり、あたしが自分で動くということはまず無い。どっしり根を下ろした人間なので、そういうフェスティヴァルがあると聞いただけで行こうという気になるのは、いつものあたしなら考えられないのだ。

 山梨というのも作用したかもしれない。これが茨城とか群馬とかだったら、おそらく動かなかったにちがいない。山梨は神奈川からは隣になる。実際に行ってみれば、北杜市は山梨でも一番奥で、結構な時間がかかった。結局は群馬や茨城に行くのとそう変わらないかもしれない。とはいえ、気分としてはすぐお隣りである。一方、都心を越えてその向こうへゆくのは、心理的に負担がかかる。都心は壁なのだ。

 しかし、たぶん一番大きいのは、須貝さんには人を呼ぶ力があるのだ。それは表現が強すぎるというなら、その周りに人が集まってくる星まわりに生まれている。あるいはそれを人徳と呼んでもいい。そういう力、星まわり、人徳はどうやら北杜市に移ってから身についたもののようでもある。いや、それよりはもともと備わっていたものが、北杜市という土地の持っているものとの相乗効果で顕在化したのだろう。それはいろいろな形であらわれていたが、何よりもこのフェスティヴァルそのものが生まれたのは、須貝さんが移住したからである。

 昨年に続いて今年が第2回目。会場は清里一帯の4ヶ所。あたしはそのうち3ヶ所を訪れることになった。8月最後の週末金曜日夜の hatao & sam のライヴに始まり、日曜午後の tricolor のライヴまでの2日半。規模も参加者の数も小さなものではあったけれど、なんとも愉しい。参加者のほとんどが何らかの楽器をやっていて、その人たちはもちろん愉しかっただろう。

 日曜日に小海線が止まってしまい、小淵沢の駅まで車で送ってくださったのは名古屋から来ていた方で、昨年も参加し、あまりに愉しかったので、名古屋に帰ってからあちこち言いふらしたそうな。そのおかげで今年は名古屋から5人見えていたという。

 観光に来たついでにやってきたイングランド人一家も大いに愉しんでいた。日曜の朝食後、食堂で自然発生で始まったセッションのとき、母親は生涯2番目に愉しいとまで言っていた。母親とその二人の息子は、観光で京都に来て、京都の「ケルトの笛屋さん」でフェスティヴァルのチラシを見、オーガナイザーの斎藤さんに水曜日に電話をかけてきたのだそうだ。オクスフォードでスロー・セッションを10年主催していて、母親と長男はフィドル、次男はギターを持ってきていた。3人ともなかなかの遣い手で、とりわけ長男は一級のフィドラーだった。こういう人たちがやってくるというのも、須貝さんが呼んだのだ。かれらが帰ってから宣伝して、来年は海外からの参加者が増えるかもしれない。

 一方で、あたしのような、楽器演奏にはまるで縁のない人間でも、その場にいることがひどく愉しかった。ふり返ってみれば、土曜日の午後、折りからの土砂降りの雨の中に着いた瞬間から1日半、どっぷりとアイリッシュ・ミュージックに漬かりこんで、その間、ずっと幸福感に包まれていた。あの土地一帯がしあわせの国で、そこに入ると誰でもいつでも幸福感に包まれる。まるでそんな感覚。日曜の夜、新宿行きの臨時特急の座席にすわりこんで、初めてくたくたにくたびれていることに気がついた。休みなしに、幸福感に包まれつづけるのは、くたびれることなのだ。それにしてもあの愉しさは、いったい、どこから生まれていたのだろう。

 まず第一に挙げるべきはオーガナイザーとスタッフのチームの尽力だ。それぞれの企画がスムーズに運んでゆく。計画に無理がないし、スタッフの動きも急いでもいないし、無駄がない。少なくともそう見えるし、実際にもそうでなければこうはいかない。

 オーガナイザーの斎藤さんによると、昨年は当初からフェスティヴァルをやろうと計画していたわけではなく、別の形で始めながら、途中で、えい、フェスティヴァルにしちゃえとやったそうだ。今年は始めからフェスティヴァルをする計画をたてた。フェスティヴァルの一つの特徴は、複数の企画が同時に別々のところで進行することだ。参加者はそのうちどれかを選ぶ。選ぶ方は簡単だが、用意する方は単純に作業が同時進行するイベントの数だけ倍になるわけではない。そのまた倍くらいの作業量になる。そうした量も大きく、質も求められる作業をこなしてイベントが滑らかにおこなわれるようにするのは誰にでもできることではない。企画・立案・運営にたずさわったスタッフの皆さんには心からの感謝を表します。

 とはいえ、後から思うと、それだけではない。単にみごとに仕事をしているだけではなかった。参加した者が、そこにいること、参加していることが愉しいと感じられる何かを発散していたようだった。それが地元住民主体だったろうスタッフの方々からたちのぼるのか、北杜という風光からたちのぼるのか、その合体なのか、あたしにはまだわからない。とにかく、少なくともあたしはあそこにいる間じゅうその魔法にかけられていたように感じられる。

 あたしは土曜日午後の木村穂波さんによるアイルランドの歴史と音楽の講演と、その夜の須貝知世&木村穂波デュオによる投げ銭ライヴを見た。日曜日は午前中、長尾晃司さんによる伴奏についてのワークショップを見学し、午後、tricolor のライヴを見る。正式のプログラムには入っていなかったが、土曜日夜のライヴの後はセッションとなり、何といってもこれがハイライトだった。

 木村さんの講演の会場は「八ヶ岳コモンズ」。なかなか面白い施設で、廃校になった小学校をそのまま、机や椅子の備品も含めて貸出しているようだ。図工室では機械の音がしてなにやら作っていたし、体育館では夏休みの課外授業らしきことをやっていた。

 講演の会場は階段状になった音楽教室。黒板の上に幕を下ろしてスライドを映し、その前で木村さんがアイルランドの歴史のポイントを話す。そしてそれに関連する楽曲を hatao、須貝、木村の三氏が演奏する。

 この形は面白い。歴史と音楽の結びつけ方は少々強引なところもあるが、アイリッシュ・ミュージックの楽曲は裏で歴史とかたく結びついていることを具体的な形で示すのは効果的だ。聴衆はことばの上だけではなく、音楽を伴なった体験として記憶する。より深く刻まれる。

 木村さんは現地に住んでの体験もまじえるから、話がより具体的に、生々しくなる。ノーザン・アイルランド社会の分断の実際もよくわかる。もっとも、分断されているとはいえ、ユニオニスト、ナショナリストそれぞれの居住地域の間に壁があるわけではなく、人間はその気になりさえすれば自由に往来できる。とすれば、その境界に住んでいる人間はいるはずだから、どういう暮らしをしているのかも気になってくる。

 休憩をはさんで質疑応答。共和国とノーザン・アイルランドの音楽は違うのか。ジャガイモ飢饉の時はジャガイモが全滅したというが、その時アイルランドの人たちは何を食べていたのか。アイリッシュ・ミュージックは貧乏人の音楽だが、貧乏人が楽器を買えたのか。ドイツではナチスと結びついたため、フォーク・ミュージックは戦後タブーとなったが、アイルランドで伝統音楽とナショナリズムの結びつきはあるのか。いや、面白い。

 共和国とノーザン・アイルランドで音楽が違うわけではない。ただし、ノーザン・アイルランドでは意識して伝統音楽を選んでやっている。
 ジャガイモ以外には食べるものが無かったので、たくさんの人が死んだ。
 楽器を買えたかどうかは不明。
 アイルランドでも伝統音楽とナショナリズムは結びつく傾向がある。ナショナリズムの表現として伝統音楽をやっている人も少なくない。

 あたしなりに補足すれば、ノーザン・アイルランドでアイリッシュ・ミュージックをやっているのはナショナリストに限られる。かつてはプロテスタントのユニオニストたちにもアイリッシュ・ミュージックをやっている人もいたのだが、1960年代以降、いわゆるノーザン・アイルランド紛争が始まると次第に減り、今はまったく消えてしまったそうだ。ユニオニストの伝統音楽としては7月12日を中心とするいわゆるオレンジ行進に付添うファイフ&ドラム・バンドぐらいだ。一方、カトリックのナショナリストがアイリッシュ・ミュージックを熱心にやるのは、自分たちの帰属意識の表現でもあり強化手段でもあるのは、共和国と通じる。

 楽器はパイプを除けば、皆工夫して手に入れていたようだ。アコーディオン、コンサティーナは工業製品でかなり安く流通していたし、フィドルは手許にある材料で作ってもいた。ブリキのフィドルも残っている。ホィッスル、フルートはもっと簡単に作れる。パイプは地主・領主などの富裕層が買い与え、御抱えのパイパーとして雇うという慣習があった。かつてのハープの地位にパイプがとって替わったわけだ。

 また楽器は演奏者から演奏者へ代々受け継がれてもいた。今でこそ、アイリッシュ・ミュージック用の楽器は優れた製作者が何人もいて、良い楽器が次々に生まれているが、かつてはそうではなかった。例えばフルートは19世紀イングランド製が最高とされて、古い楽器が大切に使われていた。アイリッシュ・ミュージックの楽器は自分の所有物ではなく、一時的な預かりものであって、死ねば次の人に渡すべきものと考えられてもいた。パイプもリアム・オ・フリンが使っていたセットはレォ・ロウサムが作ったもので、Na Piobairi Uliieann が管理し、オ・フリンの前はウィリー・クランシーが使っていた。今は Colm Broderic という若手パイパーに貸与されている。

 講演が終ると hatao さんの軽トラ改造キャンピングカーに乗せてもらって、宿である竹早荘に向う。



 ここは宿泊だけでなく、その晩の須貝&木村デュオの投げ銭ライヴと翌日の長尾さんの伴奏ワークショップの会場でもある。

 昔なつかしい民宿の趣で、枕カバー、掛布団カバー、シーツは自分でそれぞれかけるし、扉に鍵なんかない。トイレ、洗面所は共同。周囲は雑木林。ウエブ・サイトの写真は真冬に撮ったものだろうが、夏は緑一色の真ん中にある。この建物の前の庭では焚き火もできる。周りは静かで、夜は虫の声もあまり聞えなかった。そういえば、蝉の声もほとんど聞いた覚えがない。標高1300メートル前後だからか。

 夕食はビュッフェ方式。和食とエスニックの折衷のような、何だかわからないが旨い。味噌汁もあって、実になっている菜っ葉がふだん味噌汁では食べつけないものだが妙に旨く、訊いたら空芯菜だった。ご飯もあったが、おかずだけでお腹がいっぱい。デザートに配られたバナナのアイスクリームがまた絶妙で、ますますお腹いっぱい。

 こうしていい気分になったところで、須貝&木村デュオのライヴとなる。ギターは長尾さん。このデュオはアニー、先日の松野氏、そして今回の長尾さんと見ているが、それぞれ味わいは違いながら、全体の印象は変わらない。根幹のデュオの音楽はゆるがない。その味の違いを書きわけるのは無理だが、今回は音楽の流れがめだっていると聞えた。前回の松野氏の時はビートの存在が大きくて、跳ねている印象だった。ギターそのものは逆で、長尾さんの方がビートが強く、松野氏はより柔かいのは面白い。

 今回は曲を何回くり返すかはあまり厳密に決めていないそうで、ものによっては興にのって何度もリピートする場面もある。なかなかいい。

 それにしてもこのデュオは本当にいい。聴くたびに良くなる。アイリッシュ・ミュージックでは楽器の組合せはジャズ以上に自由だが、フルートとアコーディオンという組合せはあまり聞かない。若さにまかせて突走るのでもなく、わざわざ誰も知らないような曲を探してくるような偏屈でもなく、いわゆる玄人好みの渋い演奏だけでもない。華やかさがあって、バランスが実にちょうどいい。最初に聴いた頃に比べると、須貝さんのフルートが太くなっている。自ら北杜市に移住しようとしていて、今回のフェスティヴァルでもスタッフの一角をつとめていたサムは、北杜市に来てから須貝さんの笛の音が太くなったという。たぶん単純に太くなっただけではないのだろうが、表面では太く聞える。人を呼びよせる人徳が表に出てきたのが、フルートの音にも現れているのだろう。

 このお二人にはぜひぜひ、アルバムを作って欲しい。今のこの音楽を形として残しておいてほしい。音楽の姿は常に変わっているからだ。変わったその姿もいいはずだが、今のこの音楽とは違うものになる。

 長尾さんのサポートも例によって見事で、極上の音楽を堪能する。

 ところが、もっとすばらしいものがその後に待っていたのだ。ライヴが終って少しして同じ食堂で始まったセッションである。入りたい人は全員どうぞというので20人以上が円く座る。その外側にも何人かいる。まだ楽器を始めたばかりの人たちだ。その中の一人は1曲しか参加できなかったけれど、すごく愉しかったと後で言っていた。

 イングランドからの3人も楽器を持ってきた。それから真夜中12時の門限まで、延々途切れることなく続いたセッションは、たぶんこのフェスティヴァルの華であり、これが最高と、参加していた人たちは誰もが思ったのではないか。

 はじめはなるべく全員がやれるような曲が出ていた。最年少の斎藤さんの9歳の息子さんもホィッスルで曲出しをする。面白いのは日本人はほぼ全員参加している曲にイングランド人たちは入らない。知らないらしい。逆にかれらが出す曲についていく人は少ない。hatao さんとか須貝さん、木村さんぐらいだ。こういうものにもお国柄が出るらしい。1時間半ほどたったあたりでちょっと休憩の形になり、そこで半数が抜けた。風呂に入る人もいれば、寝る人もいる。それからがまた凄かった。須貝さんの旦那がフルートで渋いスロー・エアを披露もした。かれに会ったのは引越す前、東京でだが、その時はこんな姿は想像できなかった。気がつけばサムの夫人もコンサティーナを手にしている。ここに来るとみんなこうなるのだろうか。イングランド人の兄貴のフィドル・ソロも出た。これにはサムがギターでいいサポートをつけた。音楽は違うが雰囲気は完全にマーティン・ヘイズ&デニス・カヒルである。あたしはとにかくもう陶然として、ひたすら音楽を浴びていた。いいセッションはリスナーにとっても最高の音楽なのだ。

 あとで気がついたが、フィドルを持っていたのは、イングランド人二人と斎藤さんだけだった。笛が圧倒的に多い。次に蛇腹。バゥロンが一人。わが国のネイティヴにとってフィドルは敷居が高いらしい。斎藤さんもごく小さい頃ヴァイオリンを習った、習わされた経験を持っている。わが国にもフィドルの名手は多いが、皆クラシックから入っている。アイリッシュでゼロからフィドルを始めてモノにしている人はまだいないのか。

 日曜日の朝御飯はもう少し普通の和食に近く、これまた結構な味。コーヒーも旨い。コーヒーさえ旨ければ、あたしは文句は言わない。

 朝食が終って少しして、またセッションが始まった。今度は数人で、イングランドの二人が引張る形。この時だけ、ここだけではなく、結構あちこちで自然発生的にセッションがあったらしい。そういえば、夕食前、宿の庭の焚き火を囲んでやっている人たちもいた。そういう即席のセッションもフェスティヴァルならではだろう。

 誰が考えたのか知らないが、伴奏ワークショップというのはなかなか乙な企画だ。長尾さんという恰好の講師が来たからかもしれない。どちらかというと講義形式で、リール、ホーンパイプ、ジグ、スライド、ポルカとリズム別に伴奏をつける勘所を簡潔に説明し、実演する。実演には須貝さんがフルートでつきあう。須貝さんが同じ曲を演奏するのに、違う手法で伴奏をつけてみたりする。伴奏の付け方で曲の印象が変わるのがわかる。こういうのはリスナーにとってもありがたく、面白い。

 参加者は多くないが、どなたも自分なりにかなり明確な問題意識をもって臨んでいたようだ。具体的な質問がぽんぽん出る。

 以前、トシバウロンとやった楽器別アイリッシュ・ミュージック講座のギターの講師にも長尾さんを頼んだのは、この人は自分のやっていることをきちんと言語化できるからだ。質問にもていねいに答えている。こういう人がわが国アイリッシュ・ミュージックの弦楽器伴奏の第一人者であることの幸運を、われわれはもっと噛みしめるべきだろう。

 参加した最後のイベントは森の音楽堂での tricolor のライヴだ。午前中は伴奏ワークショップと同じ時間帯にここで中藤、中村両氏によるスロー・セッションが行われていた。



 ここは響きがとてもいい。スロー・セッションでも楽器の響きがそれはきれいだったそうだ。

 面白いのは、客席側は平面に椅子を並べることもできるが、階段状の座席がステージ対面の壁に折り畳まれる形で造りつけになっていて、電動でこれが前にすべり出る。座席もスイッチ一つで起きあがる。最後部は天井近くまで届く。席は当初、平面に設営されていたが、ミュージシャンの要請もあり、この階段席に変更になった。あたしは大喜びで最上段の真ん中に座った。平面と階段ではそれだけで音も違う。階段のどの段にすわるかでも変わる。中段から下が普通にはおそらくベストだろうが、tricolor のサウンドの設定もあるのか、最上段で聴くフィドルとコンサティーナの音があたしには実に魅力的だったのだ。

 オープナーは〈マイグレーション〉。これで始めて〈アニヴァーサリー〉で締める、というのが、このところの tricolor のライヴの定番らしいが、この2曲の威力をあらためてライヴで体験すると、それもまことにもっともだとしか思えない。〈マイグレーション〉が始まったとたん、実に久しぶりに生で聴くその音に、ああ、帰ってきたと涙腺がゆるんだ。ここでゆるんだ涙腺は、ラストの〈アニヴァーサリー〉にいたって、とうとう溢れだした。この2曲、とりわけ〈アニヴァーサリー〉ラストの爛僖奪侫Д襯戰覘瓩砲亘睨,宿る。レコードですら聴くたびにこみあげてくるものがある。ましてやライヴである。ほとんど3年ぶりのだ。それも、清里という「しあわせの国」で。

 もちろんこのふたつだけではない。前半6曲目、須貝さんが入っての〈マウス・マウス〉の弾む愉しさ。後半オープナーの〈Railway Polka〉もいい。アニーがアヴァンギャルドなアコーディオンを聞かせる。須貝さんは出てからは出ずっぱり。その次がまた凄い。今年出した絵本とCDをセットにした Nook に収録の〈Ennistymon Set〉。これには hatao さんも加わってのクインテット。須貝さんはホィッスルを手にする。音の厚みにぞくぞくする。そしてお待ちかね〈夢のつづき〉。アニーはもうシンガーとしても一級だ。須貝さんのフルートの太い音がアニーの声と溶け合って、あたしは桃源郷にいる。続く〈ボンダンス〉で、アニーが手拍子を求める。聴衆には演奏者も多いからか、ここまでダンス・チューンでも手拍子が出ない。それにしても愉しい曲で、あたしはリールから盆踊りビートに戻るところがとりわけ好き。もとに戻るところの愉しさは、グレイトフル・デッドで味をしめた。〈アニヴァーサリー〉では再び hatao さんが加わり、今度はダブル・フルート。アニーはピアノに回る。アンコールは午前中のスロー・セッションでやったポルカを本来のテンポでやって幕。

 開演前、休憩、終演後にロビーで hatao さんがケルトの笛屋さんを開店していて、人だかりが絶えない。斎藤さんの息子さんは初めて目にし、吹いてみたのだろう、高価なホィッスルに夢中になっていた。

 ひとつお願い。今回は個々のイベントごとにチケットを買う形しかなかった。どのイベントにも自由に出入りできる通し券ないしパスの形のチケットも販売してください。

 今夜はこの北杜市のアイリッシュ・ミュージック・コミュニティの核でもある Bull & Bear で打上げがあるそうだが、帰らねばならない。清里ではまだかんかん陽が照っていたが、小淵沢まで降りてくると、周囲には山が迫り、陽は夕焼けを残してすでに山の向うに入っていた。甲州の山は険しい。小淵沢から新宿までの間に二つの駅にしか止まらない特急は、夕闇の底を縫ってひた走る。来年も来るべえ。生きてあるかぎり、杖をついてでもひとりで動けるかぎり、このフェスティヴァルが開かれているかぎりは何度でもまた来よう。来年は24、25日になるか。いつの間にか眠っていて、ふと気がつくと列車は八王子に着こうとしていた。(ゆ)

2023-09-10 追記
 イングランドからの3人の楽器は本人たちが持ちこんだものではなく、かれらの依頼でオーガナイザーが手配して貸したものだった由。後で教えられた。
 

 ベルリンで開かれたコンシューマ向け電子機器の見本市 IFA でデノンが CEOL N-12 なるCDレシーバーを発表したそうな。
 


 CDプレーヤー、FMラジオ、ストリーマーが一体になっている。WiFi、イーサネット、Bluetooth でつなげられる。AirPlay2、Tidal、Amazon Music HD、Spotify などを聴くことができる。Bandcamp もOKだろう。USB入力もあるから、NAS 内のオーディオ・ファイルも再生できる。HDMI ARC をサポートしてテレビにもつなげられる。ヨーロッパでは10月01日、699EUR で発売。そのまま換算すれば11万円強。

 あたし的に問題なのはモデル名が "CEOL" であること。知ってる人は知ってるが、これはアイルランド語やスコティッシュ・ゲール語で「音楽」を意味することば。デノンにアイリッシュ・ミュージックのファンがいるのか、は別として、アイリッシュ・ミュージックやスコティッシュ・ミュージックを聴くにふさわしいマシンなのか。

 どこかで試聴できればいいんだが、こういう大手メーカーのマスプロ製品をまっとうに試聴するのは案外難しい。試聴機を借りられればベストだが、そういうシステムがあるかどうか。問合わせてみるか。(ゆ)

 アイルランドのダンス・チューンを聴くとほっとするのはなぜだろう。アイルランドに生まれ育ったわけでもなく、アイリッシュ・ミュージックに生まれた時から、あるいは幼ない時からどっぷり漬かっていたわけでもない。アイリッシュ・ミュージックを聴きだしてそろそろ半世紀になるが、その間ずっとのべつまくなしに聴いていたわけでもない。

 アイリッシュ・ミュージックが好きなことは確かだが、どんな音楽よりも好きか、と言われると、そうだと応えるにはためらう。一番好きなことではスコットランドやイングランドの伝統歌にまず指を折る。グレイトフル・デッドが僅差で続く。あたしにとってアイリッシュ・ミュージックは三番手になる。

 それでもだ、アイリッシュ・ミュージックを聴くとふわっと肩の力がぬける。快い脱力感が頭から全身を降りてゆき、帰ってきた感覚が湧いてくる。この「帰ってきた」感覚は他の音楽ではあらわれない。デッドは一時停止していたのが再開した感覚。スコットランドやイングランドの伝統歌では帰郷ではなく再会になる。となると、アイリッシュ・ミュージックが帰ってゆくところになったのは、いつ頃、どうしてだろう。

 いつ頃というのは、おそらく、あくまでもおそらくだが、世紀の変わり目前後というのが候補になる。この前後、あたしはとにかくアイリッシュ・ミュージックを聴いていた。出てくるレコードを片っ端から買って、片っ端から聴いていた。まだCD全盛時代だ。本朝でアイリッシュ・ミュージックを演る人はいなかった。アイリッシュ・ミュージックを聴こうとすれば、CDを買って聴くしかなかった。それに出てくるレコードはどれもこれも輝いていた。むろん、すべてが名盤傑作であるはずはない。けれどもどこかにはっと背筋を伸ばすところがあり、そしてどのレコードにも、旬たけなわの音楽の輝きがあった。どの録音も、そこで聴ける音楽の質とは別のところできらきらぴかぴかしていた。ちょうど1970年前後のロックのアルバムに通じるところだ。だから、何を聴いても失望させられることはなかった。当然、次々に聴くように誘われる。2002年にダブリンに行った時、当時アルタンのマネージャーをやっていたトム・シャーロックと話していて、おまえ、よくそこまで聴いてるな、と言われたのは嬉しかった。アルタンのマネージャーの前には、まだレコード屋だったクラダ・レコードのマネージャーで、たぶん当時、アイリッシュ・ミュージックのレコードを誰よりも聴きこんでいた人間から言われたからだ。

 そうやってアイリッシュ・ミュージックにはまる中で、アイリッシュ・ミュージックへの帰属感、それが自分の帰ってゆく音楽という感覚が育っていったのだろう。あとのことはアイリッシュ・ミュージックの作用で、たまたまあたしの中にそれと共鳴するものがあったわけだ。

 須貝さんと木村さんの演奏が始まったとたん、ほおっと肩から力が抜けていった。これだよね、これ。これが最高というわけではない。こういう音楽にひたることが自分にとって一番自然に感じるだけのことだ。他の音楽を聴くときには、どこか緊張している。というのは強すぎる。ただ、音楽を聴く姿勢になっている。アイリッシュ・ミュージックは聴くのではない。流れこんでくる。水が低きに流れるようにカラダの中に流れこんでくる。おふたりの、むやみに先を急がない、ゆったりめのテンポもちょうどいい。リールでもたったかたったか駆けてゆくよりも、のんびりスキップしている気分。

 さらにユニゾンの快感。ハーモニーはむろん美しいし、ポリフォニーを追いかけるのは愉しい。ただ、それらは意識して聴くことになる。ただぼけっとしているだけでは美しくも、愉しくもならない。こちらから積極的に聴きこみ、聴きわける作業をしている。ユニゾン、とりわけアイリッシュのユニゾンはそうした意識的な操作が不要だ。水や風が合わさり、より太く、より中身が詰まって流れこんでくる。カラダの中により深く流れこんでくる。

 受け手の側にまったく何の労力も要らない、というわけでは、しかし、おそらく、無い。アイリッシュ・ミュージックを流れとして受けいれ、カラダの中に流れこんでくるのを自然に素直に味わうには、それなりの心構えといって強すぎれば、姿勢をとることが求められる。その姿勢は人によっても違うし、演奏する相手によっても変わってくる。そして、自分にとって最適の姿勢がどんなものかさぐりあて、相手によって調整することもできるようになるには、それなりに修練しなければならない。とはいえ、それはそう難しいことではない。できるかぎり多様な演奏をできるかぎり多く聴く。それに限る。

 リールから始まり、あたしには新鮮なジグが続いて、3曲目、今年の夏、アイルランドでのフラァナ・キョールに参加するという須貝さんがその競技会用に準備したスロー・エアからジグのセットがまずハイライト。これなら入賞間違い無し。とシロウトのあたしが言っても効き目はないが、組合せも演奏もいい。後は勝とうとか思わずに、このセットに魂を込めることだ、とマーティン・ヘイズなら言うにちがいない。次の木村さんのソロがまたいい。急がないリールを堂々とやる。いつものことだが、この日はソロのセットがどれも良かった。

 後半冒頭はギター抜きのデュオ。そう、今回もギターがサポートしている。松野直昭氏はお初にお目にかかるが、ギターは年季が入っている。前回のアニーと同じく、客席よりもミュージシャンに向かって演奏していて、時にかき消される。しかし聞える時の演奏は見事なもので、どういう経歴の方か、じっくりお話を伺いたかったが、この日は後に別件が控えていて、終演後すぐに飛びださねばならなかった。おそらくギターそのものはもう長いはずだ。松野氏のソロ・コーナーもあって、スロー・エアからジグにつなげる演奏を聴いてあたしはマーティン・シンプソンを連想したが、むろんそれだけではなさそうだ。

 ギターのサポートの入ったのも良いのだが、フルートとアコーディオンのデュオというのもまたいい。アイリッシュはこの点、ジャズなみに自由で、ほとんどどんな楽器の組合せも可能だが、誰でもいいわけではないのもまた当然だ。まあ、合わないデュオを聴かされたことは幸いにないから、デュオはいいものだ、と単純に信じている。

 リハーサルはもちろんしているわけだが、お客を前にした本番というのはまた違って、演奏は後になるほど良くなる。最後のジグ3曲、リール3曲、それぞれのメドレーが最高だった。ワルツからバーンダンスというアンコールも良かった。バーンダンスの方は〈Kaz Tehan's〉かな。

 前回、去年の5月、やはりここで聴いた時に比べると、力みが抜けているように思える。あの時は「愚直にアイリッシュをやります」と言って、その通りにごりごりとやっていて、それが快感だった。今回もすべてアイリッシュなのだが、ごりごりというよりはすらすらと、あたり前にやっている。だからすらすらと流れこんできたのだろう。

 このところ、録音でアイリッシュ・ミュージックを聴くことがほとんどない。ジャズやクラシックの室内楽やデッドばかり聴いている。だからだろう、生で聴くアイリッシュには、とりわけ「帰ってきた」感覚が強かった。8月の最終週末、須貝さんの住む山梨県北杜市でフェスティヴァルをするそうだ。琵琶湖はやはり遠いので、近いところに避暑も兼ねて行くべえ。世の中、ますますくそったれで、鮮度のいいアイリッシュで魂の洗濯をしなければやってられない。(ゆ)

 パート3の合同演奏で、ジェ・ドゥーナのフィドルの舞さんは涙で唄えなくなってしまった。後を追いかけているバンドに自分たちの曲がうたわれ、新たな光を当てられるのを目の当たりにするのは感情を揺さぶられるだろう。いかに揺さぶられても、泣いてしまって演奏できなくなるのはプロじゃない、というのは酷だ。

 その少し前、後手のジェ・ドゥーナの3曲目を浴びていて、あたしも涙がにじんできた。こちらはワケがわからない。音楽に感動したからか。それも無いとはいえない。これは佳い曲だ。しかし、そういう時は背筋にぞぞぞと戦慄は走っても、涙まではにじんでこないのがふつうだ。あたしが老人だからか。それもあるかもしれない。老人はなにかと涙もろくなる。老人夫婦がおしゃべりしていても、子どもたちの小さい頃とか、死んだ親たちのこととかを思いだして、涙が出てくることは珍しくない。だけど、目の前の音楽は過去のことではない。いま、ここで、起きている。自分はそこに浸っている。

 そう、たぶん、いま、ここ、ということなのだ。不思議にいのちながらえて、いま、ここで、この音楽を浴びていられることが、むしょうに嬉しかったのではないか、と今、これを書きながら思う。自分が生きのびていることと、ジェ・ドゥーナが出現してくれたことが、ともに嬉しかったのだ。

 ジェ・ドゥーナは生を見たかった。月見ルのHさんから教えられて、録音を2枚聴いて、ぜひ生を見たい、と思った。ようやく生を見られたかれらは、期待以上だろうという期待をも軽く超えていた。

 まず驚いたのはその音楽がすでに完成していることだ。メンバー各自の技量の高さは言うまでもない。時に舌を巻くほどに皆巧いが、若い人たちの技量が高いことは世界的な現象でもあって、今さら驚くことではない。少なくとも人前でやろうという程の人たちは、ジャンルを問わず、実に巧いことは経験している。駅前の路上で演奏している人たちだって、技術だけはりっぱなものだ。ジェ・ドゥーナの技術はまた一つレヴェルが違うが、伝統音楽やそれを土台にした音楽は、ジャズ同様、テクニックのくびきがきついので、それだけをとりだして評価すべきものでもない。

 その高い技術によって実現されている音楽は、すでに独自の型を備え、その型を自在に駆使して、新鮮な音楽を次々にくり出す。そこには未熟さも、将来に期待してくださいというような甘えも一切無い。胸がすくくらいに無い。今持てるものをすべて、あらいざらいぶち込んでもいる。それが、先ほどの、いま、ここ、の感覚を増幅する。とにかく音楽の活きがよい。とれたて、というよりも、いま、ここで一瞬一瞬生まれている。そのみずみずしさ!

 見ていると、即興と聞えるところも緻密なアレンジをほどこしているようでもあり、入念なリハーサルを重ねているはずだが、そうは聞えない。たった今、思いつきで、というよりも内からあふれ出てくるものをそのまま出しているけしきだ。

 アレンジをしている時は内からあふれ出てくるのかもしれない。それをアレンジとして定着させるにはくり返し演奏しているはずだが、くり返しによって音楽がすり切れることがまるでない。名手、名演というのはそういうものではある。クラシックは楽譜通りに演奏するものだが、名演とそうでないものは截然とわかる。キンクスのレイ・デイヴィスは最大のヒット曲〈You Really Got Me〉を、文字通り数えきれない回数ステージで演奏しながら、毎回、いつも初めて演奏するスリルを感じると言う。おそらく音楽を新鮮で優れたものにするのは、その能力、演りつくしたとみえる楽曲を、初めて演奏するスリルをもって演奏できる能力なのだろう。ジェ・ドゥーナはそれを備えている。

 そしてそのアレンジが新鮮なのだ。いやまずその前に曲そのものがいい。ベースにしているアイリッシュ・ミュージックのダンス・チューンには無数の曲があり、もう新しいものはできないとも思えるが、ジェ・ドゥーナの作る曲はわずかに規範からはずれていて、はっとさせられる。しかも、何度聴いても、はっとさせられる。どこがどうはずれているのか、あたしなどにはわからないが、はずれかたが遠すぎず、近すぎず、絶妙としか言いようがない。

 そしてその佳いメロディーを展開するアレンジのアイデアが、やはりアイリッシュ・ミュージックの慣習からはずれている。ルナサが出てきたとき、そのアレンジのアイデアの豊冨なことと効果的なことに驚いた。プランクシティ以来のアイリッシュ・ミュージックの現代化はいかにアレンジするかの積み重ねでもあるけれど、ルナサはその中でも抜きんでていた。ジェ・ドゥーナのアレンジのアイデアはそこからまた一歩踏みだしている。おそらくクラシックの素養が働いているのではないかと思うが、それだけでは無いようでもある。ジャズの香りが漂うこともある。ヒップホップも入っているのは、今の時代、むしろ無いほうがおかしい。かと思えば、たとえばギターのアルペジオなどには1970年代とみまごうばかりの響きが聞える。

 こうした要素を演奏としてまとめあげるセンスがいい。確固として揺るぎない伝統を柱とする音楽に外からアプローチする場合、こういうセンスの有無は大きくモノを言う。このセンスはおそらくは先天性のもので、眠っているものを目覚めさせることはできても、全く無い人間が訓練で身につけられるものではないだろう。曲は面白いものが作れても、アレンジのセンスの無い人はいる。アレンジのセンスが必要ないジャンルやフォームもある。とまれ、ジェ・ドゥーナのメンバーはこのアレンジのセンスをあふれるほどに備えていることは確かだ。

 生を見てあらためて思う、ここまで音楽とスタイルを完成させてしまって、次にどこへ行くのだろう。余計なお世話ではあるが、初めにやりたいことをやり尽くしてしまって燃えつきたバンドを見てきてもいる。老人は心配性なのだ。若い時のように、時間が無限にあるとはもう感じられないからだ。そうわかっているから、心配が半分、そんな杞憂はあっさりはねのけてくれるだろうという期待が半分である。当人たちにとってはあっさりなどではないかもしれないが、傍から見る分には涼しい顔をして、またあっと言わせてくれるだろう。

 一方でことさらに変わる必要もないとも思える。無理に変わろうとして、崩れてしまっては元も子もない。むしろ、今の形をとことんまで深く掘りさげてゆくのもまた愉しからずや。いずれにしても、JJF を超えてゆくのを、JJF にはやりたくてもできないことをやるのを見たい。めざせ、ブドーカン! いや、そうではない。あんなところでジェ・ドゥーナを見たくはない。もっと音のまともな、もっと親密な、そして大きな空間で見たい。あるいは別の、あたしなどには思いもつかない姿を見たい。こちらとしては、とにかく、生きてそれを見られるよう、養生と精進に努めるばかりだ。


 ジョンジョンフェスティバルも収まりかえってはいなかった。じょんはオーストラリア、トシバウロンは京都、アニーは東京で、ふだん、おいそれとはリハーサルもできないと思われるが、そんなことは微塵も感じさせない。ネット上でやってもいるのだろうか。

 JJF が先に出てきたときには、ほほお、先手ですかと思い、すぐに、さすがだなと思いなおした。そして音が出た瞬間、うむうと唸った。じょんのフィドルがまた変わっている。切れ味が増している。パンデミックがとにもかくにも収まって、ヨーロッパにも行き、ライヴの機会が増えたからだろうか。アニーがピアノに座るケープ・ブレトン様式のラストの8曲メドレーは、JJF ならではの演奏。貫禄といっては重すぎるか、風格を見る。

 初めて対バンして、7曲も一緒にやるのは前例が無いとトシさんが言っていたが、この合同演奏は良かった。ダブル・フィドルの華麗な響き、ホィッスルのジャズ風の遊び、アニーが持ち替えるマンドリンやピアノの粋、ギター2本の重なり、そしてパーカッション二人の叩き合い。JJF の曲での口パーカッションも効いていた、と記憶する。久しぶりにほぼ立ちっぱなしだったが、もう1、2時間はそのまま聴いていたかった。アンコールの〈海へ〉が終るまで、足の痛みも感じなかった。会場を出て、外苑前の駅に向かって坂を登りだしたら、脚ががくがくしてきた。

 それにしても良いものを見せて、聴かせていただいた。生きるエネルギーをいただいた。ミュージシャンにも、Hさんにも感謝多謝。(ゆ)

 チーフテンズのフィドラー、ショーン・キーンが亡くなった。享年76。7日日曜日の朝、突然のことだったそうな。心臓が悪いとのことだったから、何らかの発作が起きたのか。

 これでチーフテンズで残るはケヴィン・コネフとマット・モロイの二人になった。

 ショーンのフィドルはバンドの華だった。チーフテンズの歴代メンバーは全員が一騎当千のヴィルチュオーソだったけれど、ショーン・キーンのフィドルとマット・モロイのフルートはその中でも抜きんでた存在だった。そして、この二人は技量の点でも音楽家としてのスケールの大きさの点でも伯仲していた。ただ、マットにはどこか「求道者」の面影がある一方で、ショーンは明るいのだ。

 美男子というのとは少し違うが、背筋をすっくと伸ばしてフィドルを弾く姿は、バンド随一の長身がさらに伸びたようで、誰かがギリシャ神話の神のどれかが地上に降りたったようと言っていたのは当を得ている。後光がさしていると言ってもいい。表面いたって生真面目だが、その芯にはユーモアのセンスが潜んでもいる。

 そして、そのフィドルの華麗さ。圧倒的なテクニックを存分に披露しながら、それがまったく鼻につかず、テクだけで魂のない演奏に決してならない。アイリッシュ・ミュージックは実はジャズ同様、「テクニックのくびき」がきついものだが、また一方でテクニックだけいくら秀でても、たとえばセッションの「道場破り」をやるような人間は評価されない。

 ショーンのフィドルは華麗なテクニックにあふれながら、同時にその伝統を今に担い、バンドの仲間たちと、リスナーとこれをわかちあえる歓びに満ちて、輝いている。マットがテクだけだとか、輝いていないというわけではもちろんなく、これはもう性格の違いだ。チーフテンズの顔といえばパディ・モローニだが、チーフテンズの音楽の上での顔はショーン・キーンのフィドルなのだ。モローニだって、その気になれば有数のパイパーだが、音楽の上でそれを前面に押し出すことはしなかった。

 ショーン・キーンのフィドルがチーフテンズの音楽の顔であることの一つの象徴は《In China》のラスト・トラック〈China to Hong Kong〉冒頭のフィドルだけの演奏だ。中国のどこかの伝統曲とおぼしき曲をアイリッシュ・ミュージックのスタイルで弾いて、しかも一個の曲として聴かせてしまうトゥル・ド・フォースだ。異なる伝統同士の異種交配のひとつの理想、ひとつの究極だ。

 ショーン・キーンにはチーフテンズ以外にもソロや、マット・モロイとの共演の録音がある。そこではチーフテンズとは別の、伝統のコアにより近い演奏が聴ける。ショーン個人としては、むしろこちらの方が本来やりたかったこととも思える。こうしたソロ・アルバムを作ることで、チーフテンズとのバランスをとっていたのかもしれない。

 76歳という享年は今の時代若いと思えるが、チーフテンズの一員としての活動やソロ・アルバムによって与えてくれた恩恵ははかりしれない。心からの感謝を捧げるばかりだ。(ゆ)

 Peatix からの知らせで、マイケル・ルーニィ、ジューン・マコーマックとミュージック・ジェネレーション・リーシュ・ハープアンサンブルの公演の知らせ。パンデミック前に松岡莉子さんが手掛けていた企画が、二度の延期を経て、ようやく実現したものの由。ルーニィとマコーマックの夫妻だけでも必見だが、九人編成のハープ・アンサンブルが一緒なのはますます逃せない。即座にチケットを購入。






 とにかく寒かった。吹きつける風に、剥出しの頭と顔から体温がどんどん奪われてゆく。このままでは調子が悪くなるぞ、という予感すらしてくる。もう今日は帰ろうかと一瞬、思ったりもした。

 この日はたまたま歯の定期検診の日で、朝から出かけたが、着るものの選択をミスって、下半身がすうすうする。都内をあちこち歩きまわりながら、時折り、トイレに駆けこむ。仕上げに、足休めに入った喫茶店がCOVID-19対策でか入口の引き戸を少し開けていて、そこから吹きこむ風がモロにあたる席に座ってしまった。休むつもりが、体調が悪くなる方に向かってしまう。

 それでもライヴの会場に半分モーローとしながら向かったのは、やはりこのバンドの生はぜひとも見たかったからだ。関西ベースだから、こちらで生を見られるチャンスは逃せない。

 デビューとなるライヴ・アルバムを聴いたときから、とにかく、生で見、聴きたかった。なぜなら、このバンドは歌のバンドだからだ。アイリッシュやケルト系のバンドはどうしてもインスト中心になる。ジョンジョンフェスティバルやトリコロールは積極的に歌をレパートリィにとりいれている。トリコロールは《歌う日々》というアルバムまで作り、ライヴもしてくれたけれど、やはり軸足はインストルメンタルに置いている。歌をメインに据えて、どんな形であれ、人間の声を演奏の中心にしているバンドは他にはまだ無い。

 キモはその音楽がバンド、複数の声からなるところだ。奈加靖子さんはソロだし、アウラはア・カペラに絞っている。バンドというフォーマットはまた別の話になる。ソロ歌唱、複数の声による歌と器楽曲のいずれにも達者で自由に往来できる。

 あたしの場合、音楽の基本は歌なのである。歌が、人間の声が聞えて初めて耳がそちらに向きだす。アイリッシュ・ミュージックでも同じで、まず耳を惹かれたのはドロレス・ケーンやメアリ・ブラックやマレード・ニ・ウィニーの声だった。マレードとフランキィ・ケネディの《北の音楽》はアイリッシュ・ミュージックの深みに導いてくれた1枚だが、あそこにマレードの無伴奏歌唱がなかったら、あれほどの衝撃は感じなかっただろう。

Ceol Aduaidh
Frankie Kennedy
Traditions (Generic)
2011-09-20

 

 歌は必ずしも意味の通る歌詞を歌うものでなくてもいい。ハイランド・パイプの古典音楽ピブロックの練習法の一つとしてカンタラックがある。ピブロックは比較的シンプルなメロディをくり返しながら装飾音を入れてゆく形で、そのメロディと装飾音を師匠が声で演奏するのをそっくりマネすることで、楽器を使わずにまず曲をカラダに叩きこむ。パイプの名手はたいてがカンタラックも上手い。そしてその演奏にはパイプによるものとは別の味がある。

 みわトシ鉄心はまだカンタラックまでは手を出してはいないが、それ以外のアイルランドやブリテン島の音楽伝統にある声による演奏はほぼカヴァーしている。これは凄いことだ。こういうことができるのが伝統の外からアプローチしている強味なのだ。伝統の中にいる人たちには、シャン・ノースとシー・シャンティを一緒に歌うことは、できるできないの前に考えられない。

 中心になるのはやはりほりおみわさんである。この人の生を聴くのは初めてで、今回期待の中の期待だったが、その期待は簡単に超えられてしまった。

 みわさんの名前を意識したのはハープとピアノの上原奈未さんたちのグループ、シャナヒーが2013年に出したアルバム《LJUS》である。北欧の伝統歌、伝統曲を集めたこのアルバムの中で一際光っていたのが、河原のりこ氏がヴォーカルの〈かっこうとインガ・リタ〉とみわさんが歌う〈花嫁ロジー〉だ。この2曲は伝統歌を日本語化した上で歌われるが、その日本語の見事さとそれを今ここの歌として歌う歌唱の見事なことに、あたしは聴くたびに背筋に戦慄が走る。これに大喜びすると同時にいったいこの人たちは何者なのだ、という思いも湧いた。

Ljus
シャナヒー (Shanachie)
Smykke Boks
2013-04-10



 みわさんの声はそれから《Celtsittolke》のシリーズをはじめ、あちこちの録音で聴くチャンスがあり、その度に惚れなおしていた。だから、このバンドにその名前を見たときには小躍りして喜んだ。ついに、その声を存分に聴くことができる。実際、堂々たるリード・シンガーとして、ライヴ・アルバムでも十分にフィーチュアされている。しかし、そうなると余計に生で聴きたくなる。音楽は生が基本であるが、とりわけ人間の声は生で聴くと録音を聴くのとはまったく違う体験になる。

 歌い手が声を出そうとして吸いこむ息の音や細かいアーティキュレーションは録音の方がよくわかることもある。しかし、生の歌の体験はいささか次元が異なる。そこに人がいて歌っているのを目の当たりにすること、その存在を実感すること、声を歌を直接浴びること、その体験の効果は世界が変わると言ってもいい。ほんのわずかだが、確実に変わるのだ。

 今回あらためて思い知らされたのはシンガーとしてのみわさんの器の大きさだ。前半4曲目のシャン・ノースにまずノックアウトされる。こういう歌唱を今ここで聴けるとはまったく意表をつかれた。無伴奏でうたいだし、パイプのドローンが入り、パイプ・ソロのスロー・エア、そしてまた歌というアレンジもいい。かと思えば、シャンティ〈Leave Her Johnny〉での雄壮なリード・ヴォーカル。女性シンガーのリードによるシャンティは、女性がリードをとるモリス・ダンシングと同じく、従来伝統には無かった今世紀ならではの形。これまた今ここの歌である。ここでのみわさんの声と歌唱は第一級のバラッド歌いのものであるとあらためて思う。たとえば〈Grey Cock〉のような歌を聴いてみたい。ドロレス・ケーン&ジョン・フォークナーの《Broken Hearted I'll Wander》に〈Mouse Music〉として収められていて、伝統歌の異界に引きずりこまれた曲では、みわさんの声がドロレスそっくりに響く。前半ラストの〈Bucks of Oranmore〉のメロディに日本語の歌詞をのせた曲でのマジメにコミカルな歌におもわず顔がにやけてしまう。

 この歌では鉄心さんの前口上で始まり、トシさんが受ける。これがまたぴったり。何にぴったりかというと、とぼけぶりがハマっている。鉄心さんの飄々としたボケぶりとたたずまいは、いかにもアイルランドの田舎にいそうな感覚をかもしだす。村の外では誰もしらないけれど、村の中では知らぬもののいないパイプとホィッスルの名手という感覚だ。どんな音痴でも、音楽やダンスなんぞ縁はないと苦虫を噛みつぶした顔以外見せたことのない因業おやじでも、その笛を聴くと我知らず笑ったり踊ったりしてしまう、そういう名手だ。

 鉄心さんを知ったのは、もうかれこれ20年以上の昔、アンディ・アーヴァインとドーナル・ラニィが初めて来日し、その頃ドーナルと結婚していたヒデ坊こと伊丹英子さんの案内で1日一緒に京都散策した時、たしか竜安寺の後にその近くだった鉄心さんの家に皆で押しかけたときだった。その時はもっぱらホィッスルで、パイプはされていなかったと記憶する。もっとも人見知りするあたしは鉄心さんとはロクに言葉もかわせず、それきりしばし縁はなかった。名前と演奏に触れるのは、やはりケルトシットルケのオムニバスだ。鞴座というバンドは、どこかのほほんとした、でも締まるところはきっちり締まった、ちょっと不思議な面白さがあった。パンデミック前にライヴを見ることができて、ああ、なるほどと納得がいったものだ。

The First Quarter Moon
鞴座 Fuigodza
KETTLE RECORD
2019-02-17



 この日使っていたパイプは中津井真氏の作になるもので、パンデミックのおかげで宙に浮いていたものを幸運にも手に入れたのだそうだ。面白いのはリードの素材。本来の素材であるケーンでは温度・湿度の変化が大きいわが国の風土ではたいへんに扱いが難しい。とりわけ、冬の太平洋岸の乾燥にあうと演奏できなくなってしまうことも多い。そこで中津井氏はリードをスプルースで作る試みを始めたのだそうだ。おかげで格段に演奏がしやすくなったという。音はケーンに比べると軽くなる。ケーンよりも振動しやすいらしく、わずかの力で簡単に音が出て、その分、音も軽くなる由。

 これもずいぶん前、リアム・オ・フリンが来日して、インタヴューさせてもらった時、パイプを改良できるとしたらどこを改良したいかと訊ねたら、リードだと即答された。アイルランドでもリードの扱いには苦労していて、もっと楽にならないかと思い、プラスティックのリードも試してはみたものの使い物にはならない、と嘆いていた。もし中津井式スプルース・リードがうまくゆくとすれば、パイプの歴史に残る改良になるかもしれない。少なくとも、温度・湿度の変化の大きなところでパイプを演奏しようという人たちには朗報だろう。鉄心さんによれば、中国や韓国にはまだパイパーはいないようだが、インドネシアにはいるそうだ。

 鉄心さんのパイプ演奏はレギュレーターも駆使するが、派手にするために使うのではなく、ここぞというところにキメる使い方にみえる。時にはチャンターは左手だけで、右手でレギュレーターのレバーをピアノのキーのように押したりもする。スプルースのリードということもあるのか、音が明るい。すると曲も明るくなる。

 パイプも立派なものだが、ホィッスルを手にするとまた別人になる。笛が手の延長になる。ホィッスルの音は本来軽いものだが、鉄心さんのホィッスルの音にはそれとはまた違う軽みが聞える。音がにこにこしている。メアリー・ポピンズの笑いガスではないが、にこにこしてともすれば浮きあがろうとする。

 トシさんが歌うのを初めて生で聴いたのは、あれは何年前だったか、ニューオーリンズ音楽をやるバンドとジョンジョンフェスティバルの阿佐ヶ谷での対バン・ライヴの時だった。以来幾星霜、このみわトシ鉄心のライヴ・アルバムでも感心したが、歌の練度はまた一段と上がっている。後半リードをとった〈あなたのもとへ〉では、みわさんの一級の歌唱に比べても、それほど聴き劣りがしない。後半にはホーミーまで聴かせる。カルマンの岡林立哉さんから習ったのかな。これからもっと良くなるだろう。

 そもそもこのバンド自体が歌いたいというトシさんの欲求が原動力だ。それも単に歌を歌うというよりは、声による伝統音楽演奏のあらゆる形態をやりたいという、より大きな欲求である。リルティングやマウス・ミュージックだけでなく、スコットランドはヘブリディーズ諸島に伝わっていた waulking song、特産のツイードの布地を仕上げる際、布をテーブルなどに叩きつける作業のための歌は圧巻だった。これが元々どういう作業で、どのように歌われていたかはネット上に動画がたくさん上がっている。スコットランド移民の多いカナダのケープ・ブレトンにも milling frolics と呼ばれて伝わる。

 今回は中村大史さんがゲスト兼PA担当。サポート・ミュージシャンとしてバンドから頼んだのは、「自由にやってくれ」。その時々に、ブズーキかピアノ・アコーディオンか、ベストと思う楽器と形で参加する。こういう時の中村さんのセンスの良さは折紙つきで、でしゃばらずにメインの音楽を浮上させる。それでも、前半半ば、トシさんとのデュオでダンス・チューンを演奏したブズーキはすばらしかった。まず音がいい。きりっとして、なおかつふくらみがあり、サステインもよく伸びる。楽器が変わったかと思ったほど。その音にのる演奏の闊達、新鮮なことに心が洗われる。このデュオの形はもっと聴きたい。ジョンジョンフェスティバルでオーストラリアを回った時、たまたまじょんが不在の時、2人だけであるステージに出ることになったことを思い出してのことの由。この時の紹介は "Here is John John Orchestra!"。

 みわトシ鉄心の音楽はあたしにとっては望むかぎり理想に最も近い形だ。ライヴ・アルバムからは一枚も二枚も剥けていたのは当然ではあるが、これからどうなってゆくかも大変愉しみだ。もっともっといろいろな形の歌をうたってほしい。日本語の歌ももっと聴きたい。という期待はおそらくあっさりと超えられることだろう。

 それにしても、各々にキャリアもあるミュージシャンたち、それも世代の違うミュージシャンたちが、新たな形の音楽に乗り出すのを見るのは嬉しい。老けこむなと背中をどやされるようでもある。

 是政は西武・多摩線終点で、大昔にこのあたりのことを書いた随筆を読んだ記憶がそこはかとなくある。その頃はまさに東京のはずれで人家もなく、薄の原が拡がっていると書かれていたのではなかったか。今は府中市の一角で立派な都会、ではあるが、どこにもつながらず、これからもつながらない終着駅にはこの世の果ての寂寥感がまつわる。

 会場はそこからほど近い一角で、着いたときは真暗だから、この世の果ての原っぱのど真ん中にふいに浮きあがるように見えた。料理も酒もまことに結構で、もう少し近ければなあと思ったことでありました。

 帰りは是政橋で多摩川を渡り、南武線の南多摩まで歩いたのだが、昼間ほど寒いとは感じず、むしろ春の匂いが漂っていたようでもある。風が絶えていた。そしてなにより、ライヴで心身が温まったおかげだろう。ありがたや、ありがたや。(ゆ)

みわトシ鉄心
ほりおみわ: vocals, guitar
トシバウロン: bodhran, percussion, vocals
金子鉄心: uillean pipes, whistle, low whistle, vocals

中村大史: bouzouki, piano accordion
 

 ようやく掲題の原稿を脱稿して、版元に渡したところです。

 Jonathan Bardon の A History Of Ireland In 250 Episodes, 2008 の全訳です。版元はアルテスパブリッシング。今年のセント・パトリック・ディ刊行はちょと難しいかなあ。




 バードンはノーザン・アイルランド出身の歴史家で、これは250本の短かい話をならべて、アイルランドに人間がやってきた紀元前7000年ないし6500年頃から1965年1月、当時の共和国首相(= ティーシャック)ショーン・レマスとノーザン・アイルランド首相テレンス・オニールの会合までを語った本です。

 歴史になるにはどれくらい時間的な距離が離れればいいのか。歴史家は通常50年、半世紀という数字を出します。直接の関係者が大部分死んでいるからでしょう。とすれば1960年代までは歴史として扱えることになり、本文を1965年でしめくくるのは適切ではあります。

 もともとは同題のラジオ番組があり、2006年から2007年にかけて、BBCアルスタのラジオで毎週月曜から金曜まで1回5分で放送されました。バードンはその放送台本を担当し、その台本をベースにして書物として仕上げています。ただし放送は240回、第二次世界大戦開戦を告げる英国首相ネヴィル・チェンバレンの国民向けラジオ放送で終りでした。バードンはその後に10本書き足して1965年までを描き、さらにエピローグで21世紀初頭までカヴァーしています。

 本書にはオーディオ・ブックもありますが、放送されたものをそのまま使っているので、そちらは240話までで終っています。単なる朗読ではないので、聞いて面白いですが、その点はご注意を。 

 1回5分ですから、各エピソードは短かく、さらっと読めます。放送を途中から聞いたり、時々聞いたりしても話がわかるように一話完結になってもいます。本の方もぱらりと開いたページから読めますし、頭から通読すればアイルランドの歴史を一通り読むことができます。

 一方、内容はかなり濃くて、ここで初めて公けになった史実もありますし、おなじみの事件に新たな角度から光があてられてもいます。14世紀にダーグ湖に巡礼に来たスペインはカナルーニャの騎士や17世紀末にコネマラまで入ったロンドンの書籍商の話などは、たぶん他では読めません。エピソードとはいえ、噂や伝説の類ではなく、書かれていることにはどんなに些細なことでもきちんとした裏付けがあります。歴史書として頼りになるものです。イースター蜂起のようなモノグラフが公刊されているものは別として、ほぼあらゆる点で、アイルランドの歴史についての日本語で読める文献としてはこれまでで最も詳しいものになります。

 短いエピソードを重ねる形は歴史書としてなかなか面白い効果を生んでもいます。通史としても読める一方で、一本のつながった筋のある物語というよりは、様々な要素が複雑にからみあって織りなされている様子が捉えやすくなることです。物語にのめり込むのではなく、一歩退いたところで冷静に見る余裕ができます。

 歴史は無数のできごと、要素が複雑多岐にからみあっているので、すっきり一本の物語にまとめようとするのは不可能、無理にそうしようとすると歪んでしまいます。最大の弊害は物語に落としこめない要素が排除されてしまうことです。そして歴史にとって本当に重要なことが、本筋とされる流れとは無関係に見える要素の方にあることは少なくありません。あるいは、一見傍流の、重要でもないと見えた要素が後になってみると、本筋だったこともよくあります。

 さらに加えて、ベースとする史料そのものからして、初めからバイアスがかかっているのが普通です。またどんなに避けようとしても、書いている本人の歴史をこう見たいという願望が忍びこみやすい。どんな人でも、人間である以上、そうした感情は生まれて当然なので、自分はそんなことはないと思っている人ほどその罠にはまるものです。通史を書くのは難しく、書く人間の力量が試されますし、本当に良い通史がめったにないのもわかります。

 この本では話は連続はしていますが、一本の筋にはなっていません。話が切りかわると、視点が変わりもします。歴史を織りなす何本もの筋があらわれてきます。著者もこの手法のメリットに味をしめたのでしょう、同様の手法でアイルランドとスコットランドの関係史も書いています。

 あたしは本が2008年に出たときに買って読んでみました。アイルランドの一冊本の通史は何冊も出てますが、どれがいいのかよくわからず、手を出しかねていたので、これはひょっとすると面白いかもと思いました。届いてまずその厚さにびっくりしましたが、読みだしてみると実に面白い。一話ずつは短かいので、ショートショートでも読む感覚。どんどんと読めてしまいます。史料の引用のやり方も巧い。ほとんど巻擱くあたわず、というくらいのめり込みました。

 ちょうどその頃はヒマでもあったので、自分の勉強のためにもと日本語に訳すことも始めてみました。可能な時には翻訳にまさる精読はありません。最初の訳稿がほぼできあがった頃、大腸がんが発覚して九死に一生を得る、同時に東日本大震災が重なるということがありました。恢復の日々の中で再度訳稿を読みなおして改訂するのが支えの1本にもなってくれました。

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 その後、訳したところで満足し、他の仕事も入ったりして、しばし原稿は眠らせていました。何かの雑談のおりだったか、もう記憶からはすっぽり落ちていますが、とにかくアルテスパブリッシングのSさんにこんなのがあるんだけどというような話をしたのでしょう。Sさんが乗ってきて、それはウチで出そうという話になったのがもう数年前。それならもう一度、きちんと出すつもりで見直さねばいけない、ということで、他の仕事の合間を縫って、ぼちぼちとやっていたわけです。その間、思いもかけず山川出版社から『アイルランド史』という日本語で読める信頼できる通史も出たので、固有名詞を中心に日本語の表記をこれに倣うようにする作業も入りました。昨年春も過ぎる頃になってようやくまとまった時間がとれるようになり、あらためて馬力をかけて改訂を進めて、ようやくまずはこれ以上よくできないというところまで来ました。
 アイルランドの歴史は海外との関係の歴史です。ことが島の中だけですむなんてことはまずありません。偽史である Lebor Gabala Erenn = アイルランド来寇の書が「史実」と長い間信じられていたのも、この島には繰返し波となって様々な人間たちがやってきたと語る内容が、アイルランドの人びとの皮膚感覚にマッチしたからでしょう。

 対照的に我々日本列島の住民は、列島の中だけで話がすむと思いたがる傾向があります。実は昔から列島の外との関係で中の事情も決まってきているわけですが、そうは思いたくない。アイルランドの歴史とならべてみると、よくわかります。もっともこの列島がもっと南に、たとえば今の沖縄本島の位置に本州がある形だったら、アイルランドのように大陸との関係が遙かに密接になっていたでしょう。今の位置は北に寄っていて、大陸との北の接点の先は文明の中心からはずっと離れ、人口も希薄でした。これが幸か不幸かは時代によって、見方によって変わってきます。

 アイルランドに戻れば、表面的にはその歴史はお隣りとの紛争の連続のようにも映りますが、必ずしも一方的な関係でもありません。また小さな島なのに、その中が一枚岩になったこともないのも興味深い。「うって一丸になろう」なんてことは思いつきもしない人たちなんですね、この島の住人は。常に何らかの形で異質な要素が複数併存していて、それがダイナミズムを生んでいます。つまり、この島では常にものごとや考えが流動していて、よどんで腐ることがありません。

 17世紀以降、アイルランドからは様々の形で大勢の人間が出てゆき、行った先で増えて、アイルランドの文化を伝えることになりました。出ていった人たちは望んで出たわけではありませんし、その苦労は筆舌に尽くしがたいものがあったことは明らかですけれど、時間が経ってみると、ディアスポラは必ずしもマイナスの面ばかりでないこともまた明瞭です。むしろ、ディアスポラ無くして、現在のアイルランドの繁栄は無いとも言えそうです。その点ではユダヤ人が生きのびたのはディアスポラのおかげであることと軌を一にします。ひょっとすると、マイノリティが生きのびるにはディアスポラが不可欠なのかもしれません。少なくとも現在のアイリッシュ・ミュージックの繁栄はディアスポラのプラス面が現れた例の一つでもあります。

 アイルランドという面白い国、地域の歴史を愉しく通覧もできるし、ディテールに突込む入口にもなる本だと、あたしは思います。乞うご期待。(ゆ)

 シェイマス・ベグリーが73歳で亡くなったそうです。死因は公表されていません。

 ケリィのゲールタハトの有名な音楽一族出身の卓越したアコーディオン奏者で、まことに渋いシンガーでした。息子のブレンダンも父親に負けないアコーディオン奏者でシンガーとして活躍しています。妹の Seosaimhin も優れたシンガーです。

 あたしがこの人のことを知ったのは前世紀の末 Bringing It All Back Home のビデオで Steve Cooney とのデュオのライヴを見たときでした。どこかのパブの一角で、2人だけのアップ。静かに、おだやかに始まった演奏は、徐々に熱とスピードを加えてゆくのはまず予想されたところでありますが、それがいっかな止まりません。およそ人間業とも思えないレベルにまで達してもまだ止まらない。身も心も鷲摑みにされて、どこかこの世ならぬところに持ってゆかれました。

 この2人の組合せに匹敵するものはアイルランドでもそう滅多にあるものではない、ということはだんだんにわかってきました。今は YouTube に動画もたくさんアップされています。シェイマスはその後 Jim Murray、Tim Edey とも組んでいて、それらもすばらしいですが、クーニィとのデュオはやはり特別です。

 本業は農家で、会いにいったら、トラクターに乗っていた、という話を読んだこともあります。プロにはならなかった割には録音も多く、良い意味でのアマチュアリズムを貫いた人でもありました。(ゆ)

 ラティーナ電子版の "Best Album 2022" に寄稿しました。1週間ほど、フリーで見られます。その後は有料になるそうです。

 今年後半はグレイトフル・デッドしか聴かなかったので、ベスト・アルバムなんて選べるかなと危惧しましたが、拾いだしてみれば、やはりぞろぞろ出てきて、削るのに苦労しました。

 ストリーミング時代で「アルバム」という概念、枠組みは意味を失いつつある、と見えますけれども、いろいろな意味で便利なんでしょう、なかなかしぶといです。先日、JOM に出たアイリッシュ・ミュージックに起きて欲しい夢ベスト10の中にも、専門レーベル立上げが入ってました。

 もっとも、あたしなんぞも、CD とか買うけれど、聴くのはストリーミングでというのが多くなりました。Bandcamp で買う音源もストリーミングで聴いたりします。

 とまれ、今年もすばらしい音楽がたくさん聴けました。来年も音楽はたくさん生まれるはずで、こちらがいかに追いかけられるか、です。それも、肉体的に、つまり耳をいかに保たせるかが鍵になります。年をとるとはそういうことです。皆さまもくれぐれも耳はお大事に。(ゆ)

 さいとうさんのフィドル・ソロや、やはりさいとうさんの Jam Jumble のライヴは見ているが、ココペリーナとしてのライヴは初めて。アルバムとしては2枚目、フル・アルバムとしては初の《Tune The Steps》には惚れこんでいたから、ライヴはぜひ見たかった。パンデミックもあって、4年待つことになった。この年になると4年待てたことにまず歓んでしまう。

 生で聴くとまず音の芯が太い。さいとうさんのフィドルの音の芯がまず太いのだが、フルートとギターも芯がしっかりしている。

 面白いのはフルートと対照的にバンジョーがむしろ繊細だ。普通はもっと自己主張する楽器だが、ここでは片足を後ろに退いている。その響きとフィドルの音の混ざり具合が新鮮。

 線の太さと繊細さの対照はギターでも聞える。曲のイントロやつなぎのパート、フィドルまたはフルートのどちらかだけとのデュオの形では、かなり緻密な演奏なのが、トリオになってビートを支えると太くなる。

 もっとも、ギターという楽器はどちらも可能で、アニーにしても長尾さんにしても、やはり繊細さと線の太さが同居している。のだが、それに気付いたのがこのトリオを生で見たとき、というのも面白い。アイルランドやアメリカなどのギタリストにはあまりいないようにも思える。ミホール・オ・ドーナルはそうかな。

 録音ではイントロやつなぎを中心に、かなり大胆でモダンなアレンジをしている部分と、ギターにドライヴされるユニゾンで迫る部分の対比がこのバンドの肝に見えた。それは生でも確認できたのだが、曲のつなぎは2曲目の b から c へのようにさらに面白くなっている。

 生で気がついたのはメインの部分でもさいとうさんか岩浅氏のどちらかがメロディを演奏し、もう片方がそこからは外れて即興をしている。ドローンもよく使う。これをごく自然に、まるでそもそもこういう曲ですよ、と素知らぬ顔でやる。つまり対比させるというよりも、同じ地平でやっている。

 見方によってどちらにもとれる。ユニゾン主体の、実にオーセンティックな演奏にも聞えるし、少々無茶な実験もどんどんしてゆく前衛的演奏にも聞える。両極端が同居している。

 選曲にもそれは現れて、耳タコの定番曲と聴いた覚えのない新鮮な曲が入り乱れる。

 ひと言でいえば、よく遊んでいる。こんなに遊ぶアンサンブルを他に探せば、そう Flook! が近いか。ココペリーナの方が伝統曲を核にしているし、あえて言えばココペリーナの方が洗練されている。どこか上方の文化の匂いが漂う。

 歌が2曲。前半の〈青い月〉と後半の〈Hard Times Come Again No More〉。どちらも良いが、後者では他のお二人もコーラスを合わせたのがハイライト。チューンでのハイライトは後半冒頭〈Cup of Tea〉から〈Earl's Chair〉のメドレーに聴きほれる。

 今回は石崎元弥氏がバゥロンとパーカッションでサポート。これが実に良い。これまた、もともとカルテットだと言われてもまるで不思議がないほどアンサンブルに溶けこんでいた。後半冒頭、トリオでやったのもすっきりとさわやかだったが、石崎氏が入ると、演奏のダイナミズムのレベルが一段上がる。

 さいとうさんのフィドルのどっしりとした存在感に磨きがかかったようでもある。フィドルでもフルートでも、こういう肝っ玉母さん的なキャラはあたしの好みなのだ。ソロは別格だし、Jam Jumble も楽しいが、やはりココペリーナをもっと聴きたくなる。

 満席のお客さんにはミュージシャン仲間が顔を揃えていた。あたしのように楽器がまったくできない人間は2、3人ではなかったか。これもまたこのバンドの人徳であろう。(ゆ)

Cocopelina
さいとうともこ: fiddle, concertina, vocals
岩浅翔: banjo, whistle, flute, vocals
山本宏史: guitar, vocals

石崎元弥: bodhran, percussion, banjo

 ジョンジョンフェスティバルは一回り大きくなっていた。2年10ヶ月ぶりというライヴだとメンバーが認めなければ、実はパンデミックの間中、3人でどこか山の中か、それこそオーストラリアの奥地に籠って、ひたすら演奏していました、と言われても納得しただろう。それともパンデミックのない別の次元に行って、ライヴをしまくっていたのかもしれない。

 パンデミックは音楽に携わる人たちに平均(というものがあるとして)以上に大きな圧力をかけていたわけだが、その圧力を逆手にとって、精進を重ね、ミュージシャンとしてそれぞれ1枚も2枚も剥けた、ということなのだろう。その上で再び一緒になってみれば、その間のブランクはまったく無かったかのように、カチリとはまった。そうなると、各々が大きくなった分が合わさり、そこにバンドとしてと作用が働いて、1+1+1が4にも5にもそれ以上にもなる。逆に言えば、それだけ、休止前は頻繁にバンドとして演奏していたことでもある。

 このレベルの人たちに言うのはおかしいかもしれないが、3人ともそれぞれに巧くなっている。どこという個々に指摘できるようなものではなく、全体として伸びている。最初の曲が終る頃には、正直舌を巻いていた。あえて言えば、じょんのフィドルは細かい音のコントロールが隅々までよく効いている。アニーのギターのコード・ストロークの切れ味がさらに良くなっている。トシバゥロンの低音の響きの芯が太くなっている。

 そう聞えたのはあんたが老いぼれた証だといわれても返す言葉はないが、これだけは確かに言えるのは、歌が巧くなっている。まずじょんの英語。やはり日本語を話す相手は息子さんだけ、という環境にいれば、いやでも英語は巧くなる。英語が英語らしく聞えるのは、日本語ネイティヴの場合、発音そのものよりも呼吸が変わっているのだ。〈Sweet Forget-me-not〉でのじょんの息継ぎが英語話者のものなのだ。それは日本語の歌にも良い作用を及ぼして、〈思いいづれば〉でもラストの〈海へ〉でも、じょんの歌が映える。いよいよシンガーとしても一級といえるレベルになってきた。

 アニーもあちこちで歌っているし、トシさんは今最も中心にやっているみわトシ鉄心のトリオが歌中心のバンドでもあり、シンガーとしての精進を重ねていることが、ありありとわかる。たとえば、ラストの〈海へ〉のコーラス、就中アカペラ・コーラスには陶然となった。確かにこの歌は別れの歌、それも聴きようによっては、この世に別れを告げるとも聞こえる歌だが、陰々滅々にならず、むしろ後に生き残る者たちを鼓舞するとも聞える。とにかく今回は、歌の曲があたしにとってはハイライト。これらはこのまま録音されたものを繰り返し聴きたい。

 インストルメンタルは3人とも思いきりはじけていた。このトリオはなぜかそういう気にさせるらしい。他のバンドや組合せを見ているのはアニーが一番多いからその違いが一番よくわかるが、後の二人もおそらく、ジョンジョンフェスティバルでやる時は、他の組合せや演奏の場でやるときとは、様相が変わっているにちがいない。しかも今回は、溜まっていたものを爆発させる勢いがあった。それもだんだん強く大きくなっていった。スピードではパンデミック前の方が速かったかもしれないが、こんなに演奏がパワフルに聞えたことはない。まるでロックンロールのパワー・トリオだ。しかも演奏が粗くならない。力任せにハイスピードでやりながら、粗雑とは縁遠い。じょんのフィドルを筆頭に、細部までぴたりぴたりと決まってゆく。それでいて大きなグルーヴがぐうるりぐうるりと回ってくる。こんな演奏ができるのは、このバンドだけだ。

 そういうはじける曲と、じっくりとむしろ静かに聴かせる曲との対比もまた心憎い。こちらではトシさんの友人 Cameron Newell の作った〈トシ〉がハイライト。

 ダブル・アンコールの曲がまた良かった。〈Planxty Dermot Glogan〉。じょんのフィドルが高音で引っぱりながら少し音をずらすのがくう〜たまらん。

 「解散せずにすみました」とアニーが言うが、こうなればもう大丈夫。何年ブランクが空こうが、ジョンジョンフェスティバルは不滅です。とはいえ、できれば1年、いや半年ぐらいでまた演ってもらいたい。

 アンコールの1曲目は〈サリーガリー〉で盛り上げておいて、2曲目はしっとりと収める。のはこういう時の常道ではあるが、しかし、そう簡単に収まってはおらず、思っていた以上に興奮していたらしい。あるいは単純な興奮とは違うのかもしれない。終演後もどこか地に足がついていない感覚で、体の中が高ぶっていた。もっと生きろ、とどやされている気分。

 そう、もっとライヴを見よう。ジョンジョンフェスティバルは来年までは無いし、オーストラリアまで行くカネは無いが、アニーやトシさんのプロジェクトをもっと見に出かけよう。まずはみわトシ鉄心だが、信州、名古屋あたりまでなら何とかなるだろう。(ゆ)

ジョンジョンフェスティバル
じょん: fiddle, vocals
アニー: guitar, piano, vocals
トシバウロン: bodhran, percussion, vocals
 




 まさか、こんなものが出ようとは。いや、その前にこんな録音があったとは、まったく意表を突かれました。Bear's Sonic Journal の一環として出たこの録音は1973年10月01日と1976年05月05日のサンフランシスコでのチーフテンズのライヴの各々全体を CD2枚組に収めたものです。

 このリリースはいろいろな意味でまことに興味深いものであります。

 まず、チーフテンズのライヴ音源として最も初期のものになります。それも1973年、サード・アルバムの年。デレク・ベルが加わって、楽器編成としては完成した時期。ライナーによれば、パディ・モローニの手許には1960年代からのアーカイヴ録音のテープもあるようですが、RTE や BBC も含めて、チーフテンズのアーカイヴ録音はまだほとんど出ていません。これを嚆矢として、今後、リリースされることを期待します。

 アイリッシュ・ミュージックのライヴのアーカイヴ録音は RTE や BBC などの放送用のリリースがほとんどで、1970年代前半のコンサート1本の全体が出るのは、あたしの知るかぎり、初めてです。

 次にこの1973年のアメリカ・ツアーの存在が明らかになり、それもその録音、しかも1本のコンサート全体の録音の形で明らかになったこと。チーフテンズが初めて渡米するのは1972年ですが、この時はニューヨークでのコンサート1回とラジオ、新聞・雑誌などのメディアでのプロモーションだけでした。公式伝記の『アイリッシュ・ハートビート』ではその次の渡米はここにその一端が収められた1976年のもので、1973年の初のアメリカ・ツアーは触れられていません。というよりも、1973年そのものがまるまる飛ばされています。

 ここに収められたのは、急遽決まったもので、すでに本体のツアーは終っています。サンフランシスコの前はボストンだったらしく、あるいはアメリカでもアイルランド系住民の多い都市を2、3個所だけ回ったとも考えられます。

 そして、これはより個人的なポイントですが、ジェリィ・ガルシアとチーフテンズの関係がついに明らかになったこと。もう一人のアメリカン・ミュージックの巨人フランク・ザッパとパディ・モローニの関係は『アイリッシュ・ハートビート』はじめ、あちこちで明らかになっていますが、グレイトフル・デッドないしジェリィ・ガルシアとのつながりはこれまで見えていませんでした。

 このライヴはその前日、ベイエリアの FMラジオ KSAN にチーフテンズが出演した際に、ジェリィ・ガルシアがそこに同席し、チーフテンズの演奏に感心したガルシアが、翌日の Old & In The Way のコンサートの前座に招いたのです。ガルシアはチーフテンズの泊まっているホテルに、ロック・ミュージシャンがよく使う、車長の長いリムジンを迎えによこし、これに乗りこもうとしているパディ・モローニの写真があるそうな。Old & In The Way のコンサートはベアすなわちアウズレィ・スタンリィが録音したものがライヴ・アルバムとしてリリースされてブルーグラスのアルバムとしては異例のベストセラーとなり、2013年には完全版も出ました。その前座のチーフテンズのステージも当然ベアは録音していた、というわけです。

 アウズレィ・スタンリィ (1935-2011) 通称ベアは LSD がまだ合法物質だった1960年代から、極上質の LSD を合成したことで有名ですが、グレイトフル・デッド初期のサウンド・エンジニアでもあり、またライヴの録音エンジニアとしても極めて優秀でした。1960年代から1970年代初頭のデッドのショウの録音で質のよい、まとまったものはたいていがベアの手になるものです。また音楽の趣味の広い人でもあり、デッドだけでなく、当時、ベイエリアで活動したり、やって来たりしたミュージシャンを片っ端から録音しています。その遺産が現在 "Bear's Sonic Journal" のシリーズとして、子息たちが運営するアウズレィ・スタンリィ財団の手によってリリースされていて、チーフテンズのこの録音もその一環です。

 実際この録音もまことに質の高いもので、名エンジニアのブライアン・マスターソンが、この録音を聴いて、ミスタ・スタンリーにはシャッポを脱ぐよ、と言った、と、ライナーの最後にあります。

 ガルシアがラジオに出たのは、当時デッドのロード・マネージャーだったサム・カトラーが作ったツアー会社 Out Of Town Tours で働いていたアイルランド人 Chesley Millikin が間をとりもったそうです。

 ガルシアはデッドの前にはブルーグラスに入れあげて、ビル・モンローの追っかけをし、ベイエリア随一のバンジョー奏者と言われたくらいです。当然、ブルーグラスのルーツにスコットランドの音楽があり、さらにはカントリーやアパラチア音楽のルーツにアイリッシュ・ミュージックがあることは承知していました。チーフテンズのレコードも聴いていたでしょう。当時クラダ・レコードはアメリカでの配給はされていませんでしたが、サンフランシスコにはアイリッシュ・コミュニティもあり、アイルランドのレコードも入っていたはずです。母方はアイルランド移民の子孫でもあり、ガルシアがアイルランドの伝統音楽をまったく聴いたことがなかったとは考えられません。

 少しでも縁がある人間とは共演したがるパディ・モローニのこと、ガルシアやデッドとの共演ももくろんだようですが、それはついに実現しませんでした。デッドの音楽とアイリッシュ・ミュージックの相性が良いことは、Wake The Deadという両者を合体したバンドを聴けばよくわかります。

 The Boarding House でのこのコンサートの時にも、チーフテンズと OAITW 各々のメンバーが相手のステージに出ることはありませんでした。アイリッシュ・ミュージックとブルーグラスでは近すぎて、たがいに遠慮したのかもしれません。デッドは後に、セント・パトリック・ディ記念のショウに、カリフォルニア州パサデナのアイリッシュ・バンドを前座に呼びますが、チーフテンズが前座に入ることはついにありませんでした。大物ミュージシャンがデッドの前座を勤めた1990年代でも無かったのは、1990年代前半はアイリッシュ・ミュージックが世界的に大いに盛り上がった時期で、チーフテンズがそのキャリアの中でも最も忙しかったこともあるのでしょう。

 一方、1976年の方は、チーフテンズ初の大々的北米ツアーで、この時のボストンとトロントの録音から翌1977年に傑作《Live!》がリリースされます。そのツアーの1本の2時間のコンサートを全部収めているのは貴重です。チーフテンズはバンドとして、その演奏能力のピークにあります。

 一つ不思議なのは、バゥロンがパダー・マーシアになっていることで、ライナーにあるゴールデン・ゲイト・ブリッジを背景にしたバンドの写真は1976年のものとされており、そこにはパダー・マーシアが映っています。メンバーの服装からしても、10月ではなく、5月でしょう。しかし、このツアーの録音から作られた上記《Live!》ではジャケットにはケヴィン・コネフが入っていて、クレジットもコネフです。

 考えられることはこのサンフランシスコのコンサートはツアーの初めで、まだマーシアがおり、ツアーの途中でコネフに交替して、ボストンとトロントではコネフだった、ということです。

 この時は、ベアはチーフテンズを録るために、会場の The Great American Music Hall に機材を抱えてやってきています。ベア自身、祖先はアパラチアの入植者たちにつながるそうで、マウンテン・ミュージック、オールドタイムなどに対する趣味を備えていました。

 こうしたことは子息でアウズレィ・スタンリィ財団を率いる Starfinder たちによるライナーに詳細に書かれています。このライナーはクラダ・レコードを創設し、チーフテンズ結成を仕掛け、パディ・モローニのパトロンとして大きな存在だったガレク・ブラウンとその家族、つまりギネス家にも光をあてていて、これまたたいへんに興味深い。

 演奏もすばらしい。特に1976年の方は、やはりこの時期がピークだとわかります。チーフテンズの音楽は基本的にスタジオ録音と同じですが、それでもライヴでの演奏は活きの良さの次元が違います。

 ソロもアンサンブルもとにかく音が活きています。たまたまかもしれませんが、あたしには目立って聞えたのがマーティン・フェイのフィドル。いろいろな意味で存在感が大きい。面白いこともやっています。

 加えてデレク・ベルのハープ。ベアの録音はその音をよく捉えています。クライマックスのカロラン・チューンのメドレーの1曲〈Carolan’s Farewell To Music〉のハープ・ソロ演奏は絶品で、こういう演奏を生で聴きたかったと思ったことであります。

 そして、コンサートの全体を聴けるのが、やはり愉しい。構成もよく考えられています。各メンバーを個々にフィーチュアするメドレーから始めて、アップテンポで湧かせる曲、スローでじっくり聴かせる曲を巧妙に織りまぜます。

 何よりも、バンドが演奏を心から愉しんでいるのがよくわかります。パディ・モローニの MC にも他のメンバーが盛んに茶々を入れます。言葉だけでなく、楽器でもやったりしています。皆よく笑います。これを聴いてしまうと、我々が見たステージはもう「お仕事」ですね。

 ゲストがいないのも気持ちがいい。バンドとしての性格、その音楽の特色がストレートに現れています。チーフテンズの録音を1枚選べと言われれば、これを選びたい。

 演奏、録音、そしてジャケット・デザイン、ライナーも含めたパッケージ、まさに三拍子揃った傑作。よくぞ録っておいてくれた、よくぞ出してくれた、と感謝の念が湧いてきます。おそらくパディ・モローニも、同じ想いを抱いたのではないか。リリースの許可をとるためもあって、スターファインダーたちはテープをもってウィックロウにモローニを訊ねます。モローニは近くに住むブライアン・マスターソンの自宅のスタジオで一緒にこの録音を聴いて、大喜びします。モローニが亡くなったのは、それからふた月と経っていませんでした。チーフテンズ結成60周年を寿ぐのに、これ以上の贈り物はないでしょう。(ゆ)

 笛とハープは相性が良い。が、ありそうであまりない。マイケル・ルーニィ&ジューン・マコーマックというとびきりのデュオがいて、それで充分と言われるかもしれないが、相性の良い組合せはいくつあってもいい。梅田さんは須貝知世さんともやっていて、これがまた良いデュオだ。

 このデュオはもう5回目だそうで、いい感じに息が合っている。記録を見ると前回は3年前の9月下旬にやはりホメリで見ている。この時は矢島さんがアイルランドから帰国したばかりとのことでアイリッシュ中心だったが、今回はアイリッシュがほとんど無い。前日のムリウイでの若い4人のライヴがほぼアイリッシュのみだったのとは実に対照的で、これはまたこれで愉しい。

 スウェディッシュで始まり、おふたり各々のオリジナル、クレツマーにブルターニュ。マイケル・マクゴールドリックのやっていた曲、というのが一番アイリッシュに近いところ。どれもみな良い曲だけど、おふたりのオリジナルの良さが際立つ。異質の要素とおなじみの要素のバランスがちょうど良い、ということだろうか。3曲目にやった矢島さんの曲でまだタイトルが着いていない、作曲の日付で「2022年07月22日の1」と呼ばれている曲は、サンディ・デニーの曲を連想させて、嬉しくなる。

 矢島さんは金属フルート、ウッド・フルート、それにロゥホィッスルを使いわける。どういう基準で使いわけるのかはよくわからない。スウェディッシュやクレツマーは金属でやっている。梅田さんの na ba na のための曲は、一つは金属、もう一つはウッド。どちらにしても高域が綺麗に伸びて気持ちがよい。矢島さんの音、なのかもしれない。面白いことに、金属の方が響きがソフトで、ウッドの方がシャープに聞える。このフルートの風の音と、ハープの弦の金属の音の対比がまた快感。

 もっとも今回、何よりも気持ちが良かったのはロゥホィッスル。普通の、というか、これまで目にしている、たとえばデイヴィ・スピラーンやマイケル・マクゴールドリックが吹いている楽器よりも細身で、鮮やかな赤に塗られていて、鮮烈な音が出る。この楽器で演られると、それだけで、もうたまらん、へへえーと平伏したくなる。これでやった2曲、後半オープナーのマイケル・マクゴールドリックがやっていた曲とその次のブルターニュの曲がこの日のハイライト。ブルターニュのメドレーの3曲目がとりわけ面白い。

 マイケル・マクゴールドリックの曲では笛とハープがユニゾンする。梅田さんのハープは積極的にどんどん前に出るところが愉しく、この日も遠慮なくとばす。楽器の音も大きくて、ホメリという場がまたその音を増幅してもいるらしく、音量ではむしろフルートよりも大きく聞えるくらい。特に改造などはしていないそうだが、弾きこんでいることで、音が大きくなっていることはあるかもしれないという。同じメーカーの同じモデルでも、他の人の楽器とは別物になっているらしい。

 クローザーが矢島さんとアニーの共作。前半を矢島さん、後半をアニーが作ったそうで、夏の終りという感じをたたえる。今年の夏はまだまだ終りそうにないが、この後、ちょっと涼しくなったのは、この曲のご利益か。軽い響きの音で、映画『ファンタジア』のフェアリーの曲を思い出すような、透明な佳曲。

 前日が活きのいい、若さがそのまま音になったような新鮮な音楽で、この日はそこから少しおちついて、広い世界をあちこち見てまわっている感覚。ようやく、ライヴにまた少し慣れて、身が入るようになってきたようでもある。

 それにしても、だ、梅田さん、そろそろCDを作ってください。曲ごとにゲストを替えて「宴」にしてもいいんじゃないですか。(ゆ)

 言葉はあまりよくないかもしれないが、とれたての新鮮な音楽、というのが、しきりに湧いてきた。ひとつにはフルートの瀧澤晴美さんがリムリックの大学院を卒業して3日前に帰国された、その歓迎ライヴということがある。その卒業コンサートで演奏した曲を、ここでも演奏されたりする。

 瀧澤さんのフルートは、たとえば須貝知世さんのそれを思い浮かべてみると、やや線が細く、繊細な感じがする。一方でしなやかで、強靭なところもある。もっとも今回は隣が木村さんで、おまけに木村さんが「新兵器」のメロディオンを持ちこんできたから、その究極とも言える音の太さは強烈で、あれと並んでしまうと、どんな音でも細く聞えるかもしれない。それでも、ソロで、その卒業演奏の曲、曲名がよく聴きとれなかったが、Bobby Gardner の娘さんの曲で、とりわけラストのテンポを落としたところは、繊細かつ新鮮なみずみずしさがしたたるようだ。

 昨年10月末の Castle Island のイベントでのセッションで習ったというジグのセットは伝統曲とリズ・キャロルともう1曲、オリジナル曲の組合せが、実にモダンで新鮮に響く。リズ・キャロルが入ればなんでも新鮮になるところはあるにしても、もう一段レベルが上がって、モダンかつ新鮮になる。たぶん、曲の組合せの効果だろうが、今、アイルランドで演奏されているセットという事実も後押ししているかもしれない。

 レパートリィでも新鮮さは増幅される。2020年の Young Scottish Traditional Awards 受賞のパイパーの作った曲というだけで新鮮だが、〈Toss the Feathers〉のような曲が入ったセットすら、新鮮になるのは面白い。たぶんこういう新鮮な感覚は、ライヴでしかわからないだろうとも思う。これをまんま録音してみても、すり抜け落ちてしまうんじゃないか。

 メンバーが若いことも、新鮮な感覚に寄与しているとも思われる。木村さんが同年代のメンバーを集めたそうで、4人とも20代半ば。やはりこの時にしか出ない音、響きというのはあるものだ。かつて Oige のライヴ盤を聴いたとき、文字通り「青春」まっただなか、という響きに衝撃を受けたものだが、あの感覚が蘓える。むろん天の時も地の利も違うので、音楽が同じわけではないけれど、若いというのは特権的な魅力がある。年をとるとそういうところがよくわかる。

 このメンバーはダンス・チューンでは音のころがし方が快い。フルートは持続音で、あんまりころころところがる感じがしないものだが、どこがどういうものか、この日はジグもリールも、全体としてよくころがっていると聞えた。流れるよりはころがる感じ。ごろんごろんではなく、ころころころだ。この点も含めて、4曲目のホップ・ジグからの4曲のセットがこの日のハイライト。どれも佳曲で、しかも、だんだん良くなる。選曲の妙だ。

 選曲と組合せが巧いのは木村さんのメロディオン・ソロでも愉しかった。楽器の特性を活かす選曲でもある。

 木村さん以外、初体験というのも新鮮さを加えていたかもしれない。フィドルの福島さんはどっしりと腰の座った、安定感あふれる演奏で、頼もしい。どういうわけかわが国の一線で活躍しているフィドラーは女性がほとんどなので、小松大さんに続く男性の登場はうれしい。やはり両方そろっているのが理想だ。時間に余裕があるので、とやったソロも良かった。オープン・チューニングという「反則技」を使ったそうだが、スロー・エアからジグは、有名曲なのに初めて聴く気がした。

 杉野さんのギターは音数が少なめで、ミホール・オ・ドーナルとデニス・カヒルの合体のように聞える。やはりどちらかというとリスナーに向けてよりもプレーヤーに向けて演奏している。後で確認すると、高橋創さんがお手本だそうで、改めて納得。。

 前回の木村さんのライヴと同じく、アイリッシュばかりのセレクションも気持ちが良い。スコットランド人の曲も、アイルランドにいる幼い女の子のためだそうで、あまりスコティッシュの感じがしない。

 清流に浸かって、内も外もすっかり綺麗に洗われた気分。わずかにしても若返った感じすらある。まことにありがたい。ご馳走様でした。

木村穂波(ボタンアコーディオン、メロディオン)
福島開(フィドル)
瀧澤晴美(アイリッシュフルート)
杉野文俊(ギター)

08月19日・金
 Irish Times の Rhasidat Adeleke による女子400m のアイルランド記録更新のニュースの写真には驚いた。驚く方がおかしいのかもしれないが、遠くから見ていると前触れもなく現れて、驚いてしまう。



 トリコロールの国旗を背負うこの若い女性の姿に、アイルランドの今が凝縮している。

 アフリカ系日本人が、陸上の日本記録を破って日の丸を背負う日は来るだろうか。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月19日には1966年から1989年まで5本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1966 Avalon Ballroom, San Francisco, CA
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。セット・リスト不明。ソプウィス・キャメル前座。

2. 1967 American Legion Hall, South Shore, Lake Tahoe, CA
 土曜日。セット・リスト不明。
 この年の夏、まだ50年代の眠りをむさぼっていたこの地に、突如、サンフランシスコからのアクトが一握り、やってきて演奏した。デッドの他にバッファロー・スプリングフィールドと The Electric Prunes がいた、という証言がある。

 デッドがタホ湖で演るのはこれが最初で、1週間後に、今度は North Shore で2日演り、翌年の02月と07月にもノース・ショアで2日間ずつショウをしている。

 The Electric Prunes は1965年にロサンゼルスで結成された5人組で、サイケデリアと初期のロック、それに独自の「フリーフォーム・ガレージ・ミュージック」が混淆した音楽をやっていた。1966年にリプリーズと契約し、3枚のアルバムを出すが、セカンドとサードはデヴィッド・ハシンガーがプロデューサーとして実権を握り、大部分が他のミュージシャンによって演奏されているという。ハシンガーはデッドには愛想を尽かして、アルバム制作を途中で投げだしたが、こういうこともやっていたわけだ。The Electric Prunes は1968年に解散。


3. 1970 Fillmore West, San Francisco, CA
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ共演。第一部アコースティック・デッド、第二部 NRPS、第三部エレクトリック・デッド。2時間半弱の全体のテープがある。
 興味深いのは第一部アコースティック・セットで40分で15曲やり、しかも〈Friend Of The Devil〉〈Candyman〉〈Truckin'〉〈Cumberland Blues〉〈New Speedway Boogie〉といった曲を含んでいる。こういう曲をアコースティックでやるのはこの時期だけだ。

4. 1980 Uptown Theatre, Chicago, IL
 火曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。
 第二部オープナーで〈Little Red Rooster〉がデビュー。
 伝統曲をウィリー・ディクソンがアレンジしたものとされるブルーズ・ナンバー。1995年07月09日まで272回演奏。演奏回数順で50位。〈I Need a Miracle〉と同数で、〈Let It Grow〉より3回少なく、〈Althea〉より1回多い。この曲ではウィアやミドランドもソロをとる。この曲でのウィアのソロはスライド・ギターであることも多く、ギタリストとしての実力がよくわかる。

 この時期、1980年前後にデビューした曲で演奏回数が多いものはいずれもウィアの持ち歌。〈Saint of Circumstances〉222回、〈Feel Like a Stranger〉207回、〈Throwing Stones〉265回、〈Hell in a Bucket〉215回。この時期はウィアが積極的に曲を作り、カヴァー曲を導入している。ガルシアの持ち歌で長く演奏されたのは〈Althea〉271回ぐらいだ。


5. 1989 Greek Theatre, University of California, Berkeley, CA
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。開演5時。このヴェニューで最後のショウ。レックス 財団ベネフィット。
 この週末の次の月曜日は新学期のスタートで、大学当局はその前日の日曜にショウがあることを嫌って、この時の公演をキャンセルしようとした。最後の瞬間に、金曜から日曜の3日間を1日前倒しして、木曜から土曜にすることで妥協が成立した。日曜日のチケットは木曜日に振り替えられた。3日間とも KPFA ラジオで生中継された。
 このヴェニュー最後を飾るにふさわしいすばらしいショウで、とりわけ第二部が凄く、前半の〈Playing In The Band〉、後半の〈The Other One〉が頂点。と Stu Nixon が DeadBase XI で書いている。あまりに嬉しくなり、その喜びは何日もの間収まらなかった。

 うーむ、歓びが翌日くらいまで持ちこすことはあるが、何日も収まらない、という経験はした覚えがない。(ゆ)

08月17日・水
 アイルランドのカトリック教会がローマ教皇庁に、女性、LGBT+、離婚・再婚者をはじめとする、従来、教会主流からは外されてきた人びとへの態度をよりインクルーシヴなものに変更し、僧侶への禁欲・独身の強制を廃止するよう求める文書を送った、というのはいささか衝撃的なニュース。それだけ危機感が強く、そこまで追いつめられてもいる、ということだろう。そういうことに積極的にならないと、社会から、とりわけ若い世代から時代遅れの遺物として見捨てられるという危機感だ。アイルランドの社会が短期間にいかにドラスティックに変化しているかを、裏面から浮彫りにしてもいる。

 来年秋に予定されている宗教会議への準備文書とのことだが、第二ヴァチカン会議に匹敵する、あるいはそれ以上の大改革がなされるかどうか。ヨーロッパの一部や北米のカトリックは賛同するかもしれないが、中南米も含めたラテン諸国やアフリカではどうだろうか。わが国のカトリック教会はどうか。

 アングリカン・チャーチでも、アメリカなどの教会が女性主教就任を求めたのに対して、国別信徒数では今や世界最大のナイジェリアの教会が反対し、分裂を恐れてカンタベリ大主教がアメリカの教会にそう急ぐなとなだめたという話もあった。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月17日には1970年から1991年まで4本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1970 Fillmore West, San Francisco, CA
 月曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ共演。第一部アコースティック・デッド、第二部 NRPS、第三部エレクトリック・デッド。残っているセット・リストはテープに基くもので不完全。また当のテープが本当にこのショウのものかにも疑問が持たれている。

 ただ、第一部で〈Truckin'〉がデビューしたことは確かなようだ。ロバート・ハンター作詞、曲はジェリィ・ガルシア、フィル・レシュ、ボブ・ウィアの共作。1995年07月06日まで、計527回演奏。演奏回数順では7位。〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉のペアよりも4回少なく、〈Jack Straw〉よりも51回多い。ペアをそれぞれ1曲と数えれば8位。つまり500回以上演奏されたのは全部で7ないし8曲。スタジオ盤は《American Beauty》収録。

 全米を走りまわる長距離トラック・ドライバーに託して、ツアーに明け暮れするバンドの喜怒哀楽を歌う。バンドのメンバーは飛行機で移動することも多いが、楽器・機材はトラックで運ばれたから、トラッキングはバンドとクルーの実感でもあっただろう。

 ロード・ムービーの趣。ビートもフリーウェイを駆ける大型トラック、というよりも、むしろ鉄道のレールの音を連想する。その点では、デッドの祖先の一つであるホーボー、貨物列車で移動した放浪の詩人たちへのオマージュも見える。

 ひとしきり歌を歌った後、長い集団即興=ジャムになることが多い。この曲の場合、ガルシアが細かくシンプルなパッセージで階段を昇るように音階を上がってゆき、頂点に達したところで、フル・バンドで「ドーン」と沈みこむという型が組込まれるようになる。これが決まった時の快感はデッドを聴く醍醐味の一つ。また、この型がだんだんできてゆくのを聴くのも愉しい。

 ガルシアによれば、ハンターの書く詞は当初は歌として演奏することをあまり考えておらず、曲をつけるのも、演奏するのもやり難いことが多かった。バンドのツアーに同行するようになって、ハンターの詞が変わってきて、この曲は詞と曲がうまくはまった最初の例の一つ。


2. 1980 Kansas City Municipal Auditorium, Kansas City, MO
 日曜日。09月06日までの16本のツアーの2本目。
 締まったショウらしい。

3. 1989 Greek Theatre, University of California, Berkeley, CA
 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。ヴェニュー隣の駐車場にもスピーカーが置かれて、700人ぐらいがそこで音楽に合わせて踊った。
 この時期のショウに駄作無し。

4. 1991 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。20ドル。開演7時。ブルース・ホーンスビィ参加。
 90年代でも最高のショウの1本の由。(ゆ)

08月03日・水
 Mick Moloney がニューヨークで77歳で亡くなったそうです。

 アイルランドとアメリカを往ったり来たりするアイリッシュ・ミュージックのミュージシャンは少なくありませんが、アイルランドからアメリカに渡って腰を据えたのは珍しく、さらに現在のアメリカのアイリッシュ・ミュージックの発展に貢献したことではまず右に出る人はいないでしょう。彼がいなければ、あるいはアメリカに腰を据えなければ、チェリッシュ・ザ・レディースやソーラスは生まれなかったと思われます。

 1944年リムリック生まれ。音楽に目覚めるのはウィーヴァーズやアルマナック・シンガーズの録音を聞いたことで、そこから生まれ故郷周辺、とりわけシュリーヴ・ルークラの伝統歌謡とダンス・チューンに向かいます。

 ぼくが彼の名前を知るのはジョンストンズに参加してからです。そこではポール・ブレディのギターとともに、マンドリンで、後にプランクシティが完成させる「対位法的」バッキングやアレンジを始めています。もっともその前にドーナル・ラニィらとともに Emmet Spiceland をやっていたことを、JOM の追悼記事で指摘されました。これはブラザーズ・フォーに代表される「カレッジ・フォーク」をアイルランドで試みた初期のグループの一つで、アイルランドではヒットもしています。

 1973年にアメリカに移住。この頃はアメリカではまだアイリッシュ・ミュージックは移民共同体内部のものでした。様相が変わるのはモローニによればアレックス・ヘイリーの『ルーツ』です。これはアフリカ系アメリカ人である自分の「ルーツ」を探った本で一大ベストセラーになるとともに、他の民族集団が各々のルーツに関心を向けるきっかけにもなります。アメリカが多様なルーツを各々にもつ移民集団から成る社会であるという認識が定着するのもこれがきっかけだそうです。各民族集団の文化的活動への公的資金援助も増え、アイルランド系はすでに組織化されたものが多かったために、その恩恵を受けた由。

 1980年代前半はアイルランドは不況で、アメリカへの移民が増え、ミュージシャンも多数移住します。ミホール・オ・ドーナルとトゥリーナ・ニ・ゴゥナルの兄妹や、後にアルタンのメンバーとして来日もするダヒィ・スプロール、さらにはケヴィン・バークなどが代表です。こうした人びとの刺激もあり、アメリカのアイリッシュ・ミュージックはこの時期ルネサンスを迎えます。ミック・モローニはその中心にあって、演奏、制作、メディア、研究のあらゆる分野でこのルネサンスを推進しました。

 ソロ・アルバム《Strings Attached》を出し、The Green Fields Of America を結成してツアーし、チェリッシュ・ザ・レディースが誕生するきっかけとなったコンサートを主導し、シェイマス・イーガンのソロ・ファースト《Traditional Music Of Ireland》や、アイリーン・アイヴァーズとジョン・ウィーランのデュオ・アルバム《Fresh Takes》をプロデュースします。

 1992年にフォークロアとフォークライフの博士号を取得。アメリカにおけるアイリッシュ・ミュージックの歴史の研究家としてニューヨーク大学教授などを歴任。その業績にはアメリカ、アイルランドから表彰されています。2014年には TG4 の Gradam も受けています。

 個人的にはジョンストンズ時代の溌剌とした演奏と、1980年代、Robbie O'Connell と Jimmy Keane と出した《There Were Roses》のアルバムが忘れがたいです。

 まずは天国に行って、愉しく音楽していることを祈ります。合掌。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月03日には1967年から1994年まで5本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1967 O'Keefe Center, Toronto, ON, Canada
 木曜日。このヴェニュー6日連続のランの4日目。ジェファーソン・エアプレイン、ルーク&ジ・アポスルズ共演。
 セット・リスト不明。

2. 1968 The Hippodrome, San Diego, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。3ドル。開演8時半。カーリィ・クックズ・ハーディガーディ・バンド、マヤ共演。
 セット・リスト不明。
 James "Curley" Cooke は1944年ウィスコンシン生まれで2011年ワシントン州で死んだブルーズ・ギタリストのようだが、このバンド名では出てこない。この時期にハーディガーディをフィーチュアしていたとすれば、少なくとも20年は時代に先んじている。ハーディガーディでブルーズをやっているのは、まだ聞いたことがない。
 Maya もこの時代のミュージシャンは不明。

3. 1969 Family Dog at the Great Highway, San Francisco, CA
 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。バレー・アフロ・ハイチ、アルバート・コリンズ共演。
 サックスが〈Dark Star〉に参加し、他の曲にヴァイオリンも参加しているが、誰かは不明。サックスはチャールズ・ロイド、ヴァイオリンは David LaFlamme または Michael White が推測されている。

4. 1982 Starlight Theatre, Kansas City, MO
 火曜日。
 ヴェニューは屋外のアンフィシアターで、コンサートの他、演劇、ミュージカルにも使われ、音響が良い。デッドのサウンドはすばらしかった、と Tom Van Sant が DeadBase XI で書いている。ショウも決定的な出来。

5. 1994 Giants Stadium, East Rutherford, NJ
 水曜日。このヴェニュー2日連続の初日。開場5時、開演7時。トラフィック前座。
 第一部4曲目〈El Paso〉でウィアがアコースティック・ギター。
 DeadBase XI でのこのショウについての記事で、John W. Scott はデッドのヴィデオ・ディレクター Bob Hartnett へのインタヴューを載せている。これは実に興味深い。一つには、デッドのショウは音楽だけでなく、照明や映写イメージも含めた、総合的な作品になっていた。当時すでにU2の ZooTV ツアーやローリング・ストーンズのコンサートなどもそうした「総合芸術」になっていたが、デッドのものは、その中でも最先端の機材と技術と素材を駆使したものであることが、このインタヴューからわかる。
 ハートネットはキャンディス・ブライトマンと協力して、会場のビデオ画面に映しだすヴィジュアルを指揮していた。バンドが演奏する曲に合わせたイメージを映しだす。あらかじめ大量の素材をいくつかのセットにしたものをレーザーディスクに用意しておいて、演奏に応じて送りだす。デッドの音楽は何がどれくらいの長さ演奏されるのか、事前にはまったくわからないのだから、照明とスクリムのイメージ担当のブライトマンにしても、ビデオ・スクリーン担当のハートネットにしても、その仕事は難しいなどというレベルではない。06月のラスヴェガスではヴィジュアル組は本番3日前に現地に入って、入念にリハーサルをしている。
 ラスヴェガスでは暑さのために、機器がどんどん壊れた。このビデオ・プロジェクティングのチームはステージの下に陣取る。精神的、物理的ないくつもの理由からここがベストの配置なのだが、気温の上がり方は半端ではない。
 この年、この08月初旬まで炎熱の夏のツアーが組まれたのは、サッカーのワールド・カップ・アメリカ大会のためでもある。デッドのヴェニューはワールド・カップの試合会場と重なるところが多く、そのあおりでスケジュールはかなり無理の大きいものになった。
 このジャイアンツ・スタジアムでは初めて、屋外のステージでバンドのためのエアコン・システムが組まれた。特別仕立てのものだが、クルーやスタッフにはその恩恵は及ばない。
 インタヴューの最中、クルー、スタッフへの放送が入る。トラフィックのステージにガルシアが参加する可能性がある、それに備えて、トラフィックの最後の2曲では全員配置につくように、という指示だった。必ず入るとわかっているわけではなく、入るかもしれないというだけで、全員が用意している。
 ショウそのものは、スコットの記憶では前座のトラフィックの演奏ばかりが記憶に残るものだった。
 ベテランのデッドヘッドたちには我慢のならない出来かもしれない。しかし、バンド・メンバーだけでなく、デッドヘッドたちもまた老いてはいなかったか。少なくとも若くはない。(ゆ)

07月25日・月
 朝、起きると、深夜、吉田文夫氏が亡くなったという知らせが、名古屋の平手さんからメールで来ていた。あの平手さんがメールを送ってくるのはよほどのことだ。吉田氏は平手さんが主催している滋賀県高島町でのアイリッシュ・ミュージック・キャンプの常連でもあったから、平手さんにとっては喪失感は大きいだろう。あたしはついに会うことがかなわなかった。もう一昨年になるか、25周年ということで初めてでかけたキャンプには、吉田氏は体調不良で見えなかった。がんの治療をしていることは聞いていた。

 吉田氏は関西でアイルランドやスコットランドなどの伝統音楽を演奏する草分けの1人だった。関東のあたしらの前にはシ・フォークのメンバーとして現れた。シ・フォークは札幌のハード・トゥ・ファインドとともに、まだ誰もアイリッシュ・ミュージックのアの字も知らない頃から、その音楽を演奏し、レコードを出していた稀少な存在だった。この手の音楽を愛好する人間の絶対数、といっても当時はタカの知れたものだが、その数はおそらく一番多かったかもしれないが、関東にはなぜかそうしたグループ、バンドが生まれなかったから、あたしらはハード・トゥ・ファインドやシ・フォークに憧れと羨望の眼差しを送っていたものだ。その頃はライヴに行くという習慣がまったく無かったので、どちらにしてもツアーで来られていたのかもしれないが、バンドとしての生を見ることはなかった。

 今世紀も10年代に入る頃から、国内のアイリッシュ・ミュージック演奏者が爆発的に出てきたとき、吉田氏の名前に再会する。関西の演奏者を集めた Celtsittolke のイベントとオムニバス・アルバムだ。東京でトシバウロンが Tokyo Irish Company のオムニバス・アルバムを作るのとほぼ同時だったはずだ。

 Celtsittolke には正直仰天した。その多彩なメンバーと多様な音楽性に目を瞠り、熱気にあてられた。関東にはない、猥雑なエネルギーが沸騰していた。関東の演奏家はその点では皆さんまじめで、行儀が良い。関西の人たちは、伝統に敬意を払いながらも、俺らあたしら、勝手にやりたいようにやるもんね、とふりきっている。そのアティテュードが音楽の上でも良い結果を生んでいる。アイリッシュ・ミュージックの伝統は、ちっとやそっと、揺さぶったところで、どうにかなるようなヤワなものではない。どんなものが、どのように来ても、あっさりと呑みこんでゆるがない。強靭で柔軟なのだ。そのことを、関西の人たちはどうやってかはわからないが、ちゃんとわきまえているようでもある。少なくとも吉田氏はわきまえていたようだ。Celtsittolke はそうした吉田氏が長年積み重ねてきたものが花開いたと見えた。

 結局、その生演奏にも接しえず、言葉をかわしたこともなかったあたしが、吉田氏について思い出を語ることはできない。今はただ、先駆者の一人として、いい年のとり方をされたのではないかと遠くから推察するだけだ。アイリッシュ・ミュージックやスコットランドの伝統音楽と出逢い、ハマりこんだことは人生において歓びだったと思いながら旅立たれたことを願うのみである。合掌。


%本日のグレイトフル・デッド
 07月25日には1972、74、82年の3本のショウをしている。公式リリースは1本。

1. 1972 Paramount Theatre, Portland, OR
 火曜日。このヴェニュー2日連続の初日。シアトル、ポートランドのミニ・ツアー。どちらも "Paramount Theatre"。シアトルのには "Northwest" がついているが。
 ピークのこの年らしいショウの1本という。

2. 1974 International Amphitheatre, Chicago, IL
 木曜日。二部としてレシュとラギンの〈Seastones〉が演奏された。
 第三部9・10曲目、〈Uncle John's Band> U.S. Blues〉が2015年の、第一部3曲目〈Black-Throated Wind〉が2016年の、第一部2曲目の〈Loose Lucy〉が2019年の、アンコール〈Ship Of Fools〉が2020年の、〈Loose Lucy; Black-Throated Wind〉が2021年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。つまり5曲がリリースされていることになる。
 きっちりした演奏。Wall of Sound の時期で音は良い。この日の録音はベースがはっきり聞える。ウィアのギターが小さめ。キースはこの頃にはすでにピアノだけではなく、オルガンも弾いている。
 この5曲はどちらかというと歌を聞かせる曲で、ガルシアは曲ごとに歌い方を変えている。〈Loose Lucy〉ではメリハリをつけ、〈Uncle John's Band〉ではややラフに、時にメロディを変え、〈Ship Of Fools〉ではごく丁寧に。〈U.S. Blues〉はギアがちょっとはずれて、歌詞が不安定。結局、ちゃんとケリを着けはする。
 〈Black-Throated Wind〉はウィアの独壇場になる曲。良い曲なのだが、ウィアの曲は時に、きっちりと構成が決まっていて、崩しようがないことがある。これはその典型。ずっと聴いていると、だんだん息が詰まってくる。

3. 1982 Compton Terrace Amphitheatre, Tempe, AZ
 日曜日。10ドル。開演7時半。
 1週間ぶりのショウで夏のツアーのスタート。08月10日までの12本。アリゾナ、コロラド、テキサス、オクラホマ、ミズーリ、ミネソタ、ウィスコンシン、アイオワを回る。
 ショウは良いものだそうだ。(ゆ)

07月12日・火
 思いかえしてみれば実に2年半ぶりの生トリコロール。一昨年3月の下北沢・空飛ぶコブタ屋でのクーモリとの対バン以来。あの時は途方もなく愉しかった。諸般の事情でクーモリはその後ライヴをしていないそうだが、ぜひまたライヴを見たい。あの後、クーモリ関連のCDは手に入るかぎり全部買って聴いた。各々に面白く、良いアルバムだけれども、あのライヴの愉しさは到底録音では再現できない。

 いや、クーモリの話はさておいて、トリコロールである。あちこちでライヴはしているそうだが、東京はむしろ少なく、遠くに呼ばれている由。あたしはホメリもたぶん2年ぶりだ。嬉しくて、名物のサンドイッチも食べてしまった。

 毎回思うことだけれど、ここは本当に生音が良く聞える。演奏者にもよく聞えるそうだ。この幅の狭さがむしろメリットなのだろう。聴いている方には適度に音が増幅され、しかも、個々の音が明瞭にわかる。柔かい音は柔かく、シャープな音はあくまでも切れ味鋭どく、つまり、生楽器の生音が最も美しく響く。重なるときれいにハモってくれる。妙に混ざりあって濁ることがない。だからユニゾンがそれはそれは気持ち良い。フィドルとピアノ・アコーディオンのぴったりと重なった音に体が浮きあがる。浮きあがるだけではない。クローザーの〈アニヴァーサリー〉のメドレーの1曲目を聴いているうちに、わけもなく涙が出てきた。たぶん悲しみの涙ではなく、嬉し涙のはずだけど、そう言いきれないところもある。

 よく聞えるのはユニゾンだけではもちろん無い。3曲目〈Letter from Barcelona〉のアコーディオンの左手のベース、そしてギターのベース弦。フットワークの軽々とした低音もまたたとえようもなく気持ち良い。

 この日は新録に向けて準備中の曲からスタートする。オープナー〈Five Steps〉ではコーダのアコーディオンのフレーズが粋。次のまだタイトルの無い伝統曲メドレーは G のキーの曲を3曲つなげる。どれも割合有名な曲だが、あたしは曲のタイトルはどうしても覚えられない。オリジナルの一つ〈コンパニオ〉は、結婚式のウェルカム・ムービー用に作った曲だそうだが、何とも心浮きたつ曲。別にアップビートというわけではないのに、聴いていると気分が上々になる。昂揚感とはまた別の、おちついていながら、浮揚する。このやわらかいアッパーは、トリコロールの音楽の基本的な性格でもある。嫌なことも、重くのしかかっていることも、ひとまず洗いながされる。曲が終れば、あるいはライヴが終れば、また重くのしかかってくる圧力は復活するのだが、トリコロールの音楽を聴いた後では、前よりももう少し柔軟に、粘り強く対処していける。ような気になる。

 オリジナルの曲は一つのメロディを様々に料理することが多い。テンポを変え、楽器の組合せを変え、キーを変え、ビートの取り方を変え、いろいろと試し、テストしているようでもある。試行錯誤の段階はすでに過ぎていて、細部を詰めていると聞える。これは旨いと思うところも、それほどでもないかなと思うところも、両方あるけれど、終ってみるとどれもこれも美味しいという感覚だけが残る。

 アニーはアコーディオン、ブズーキに加えて、今回はホィッスルも1曲披露。長尾さんの〈Happy to Meet Again〉という曲で、切れ味のいい演奏をする。後半オープナーの〈Lucy〉のブズーキのカッティングがえらくカッコいい。中藤さんの〈Sky Road〉でもブズーキの使い方が面白い。「おうちでトリコロール」では長尾さんが新たに買ったシターン cittern を弾いていて、いい音がしていた。いずれ、ブズーキとシターンの競演も聴きたい。長尾さんのシターンはアイリッシュ・ブズーキよりも残響が深くて、サステインが長いようだ。ギリシャの丸底ブズーキに響きが近いが、もう少し低い方に伸びている気もする。

 弦楽器はどういうわけか、どれもこれも今のイラク、ペルシャあたりが起源で、そこから東西に伝わって、その土地土地で独自に発達したり、変形したりしている。ウードのギリシャ版であるブズーキはギリシャ経由でまっすぐアイルランドに来ているが、現代のシターンはイベリア半島に大きく回ってからイングランドに渡っている。中世に使われていた楽器の復元と言われるが、その元の楽器があたしにはよくわからん。ブズーキ、シターン、マンドーラ、今ではどれも似ている。カンランのトリタニさんによると、マンドーラは基準となるような仕様が無く、作る人が各々に勝手に、自分がいいと思うように作っているともいう。かれが使っているマンドーラは世界中に数十本しかないそうだ。言われるとあの音は他では聴いた覚えがない。

 〈アニヴァーサリー〉の前の〈盆ダンス〉に、客で来ていた矢島絵里子さんをアニーがいきなり呼びこむ。フルートが加わっての盆踊りビートのダンス・チューンは、いやあ愉しい。途中、それぞれに即興でソロもとる。すばらしい。矢島さんのCDが置いてあったので買う。帰ってみたら、彼女がやっていたストレス・フリーというデュオのCDを持っていた。フルートとハープでカロランや久石譲をやっている、なかなか面白い録音と記憶する。また聴いてみよう。

 アンコールは決めておらず、その場であれこれ話しあって〈マウス・マウス〉。〈Mouth of the Tobique〉をフィーチュアしたあれ。

 聴きながら「旱天の慈雨」という言葉が湧いてきた。このライヴのことをアニーから聞いたのは5月の須貝知世&木村穂波デュオのライヴで、その時も聴きながら、この言葉が湧いてきた。アイリッシュばかりで固めたあちらも良かったけれど、独自の世界を確立しているこのトリオの音楽はまた格別だ。おかげで乾ききっていたところが少し潤いを帯びてきたようでもある。新録も実に楽しみ。

 長尾さんとアニーは O'Jizo で今月末、カナダのフェスティヴァルに遠征する由。チェリッシュ・ザ・レディースがヘッドライナーの一つらしい。ひょっとするとジョーニー・マッデンと豊田さんの競演もあるかもしれない。感染者数が急増しているから、帰ってくる時がちょと心配。今でも入国は結構たいへんと聞いた。

 ライヴに来ると、いろいろと話も聞けるのが、また愉しい。秋に向けて、愉しみが増えてきた。出ると外は結構ヘヴィな雨だが、夏の雨は濡れるのも苦にならない。まったく久しぶりに終電に乗るのもさらにまた愉しからずや。(ゆ)

07月03日・日
 ITMA で "From The Bridge: A View of Irish traditional music in New York" というタイトルでニューヨークのアイリッシュ・ミュージックの足跡をたどるデジタル展示をしている。



 録音のある時代が対象で、19世紀末から現在にいたるほぼ100年間を五つの時期に分けている。

Early Years: 1870s-1900s
Recording Age 1920s
Post WWII Era
1970s-1990s Revival
Present Day

 それぞれにキーパースンの写真とテキストによる紹介と代表的録音を掲げる。テキストは英語だけど、ごくやさしい英語だし、興味を持って読めば、だいたいのところはわかるだろう。最低でも Google 翻訳にかければ、そんなにかけ離れた翻訳にはならないはずだ。

 それに他では見たこともない写真や、聞いたことのない音源もあって、突込んでいると、思わず時間が経つのも忘れる。あたしなどの知らない人たちもたくさんいて、興味は尽きない。

 個人的には最初の2つの章が一番面白い。この時期の音源はどれもこれも個性的だ。録音による伝統の継承がほとんど無いからだ。録音による伝統の継承の、その源になった音源だ。

 ニューヨークのアイリッシュ・ミュージックは、アイルランド国外での伝統音楽の継承と普及の一つのモデル・ケースにも見える。ここは19世紀後半からアイルランド移民の街になり、伝統音楽もそのコミュニティで栄える。1970年代以降、アイリッシュ・コミュニティの外から、アイリッシュ・ミュージックに関わる人たちが増えてくる。今では、マンハタンの一角に並んでいたアイリッシュ・パブは皆消えたが、ニューヨーク産のアイリッシュ・ミュージックが消滅したわけではない。ニューヨークは、アイリッシュ・ミュージックの伝統の中にユニークな位置を占めているのが、この展示を見、聞くとよくわかる。


%本日のグレイトフル・デッド
 07月03日には1966年から1994年まで7本のショウをしている。公式リリースは6本、うち完全版が3本。

1. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
 日曜日。"Independence Boll" と言う3日間のイベントの最終日。Love と Group B が共演。一本勝負。
 14曲目〈Cream Puff War〉が2013年と2014年の《30 Days Of Dead》でリリースされた後、《30 Trips Around The Sun》の1本として全体がリリースされた。
 この日が初演とされる曲が4曲。
 7曲目〈Big Boss Man〉、9曲目〈Keep Rolling By〉、15曲目〈Don't Mess Up A Good Thing〉、17曲目〈Gangster Of Love〉。
 〈Big Boss Man〉は1995年07月06日まで計74回演奏。大半は1969年から71年にかけて演奏された。当初はピグペンの持ち歌。元歌は Jimmy Reed の1960年のシングル。クレジットは Al Smith & Luther Dixon。
 〈Keep Rolling By〉は伝統歌。記録に残っているこの曲の演奏はこの日だけ。《The Birth Of The Dead》に疑問符付きでこの年07月17日のものとされる録音が収録されているが、17日のものとされているセットリストには無い。
 〈Don't Mess Up A Good Thing〉もこの日の演奏が最初で最後。同じ録音が《Rare Cuts & Oddities 1966》にも収録されている。原曲は Oliver Sain の作詞作曲で、Fontella Bass and Bobby McClure 名義の1965年のシングル。この2人は当時 Oliver Sain Revue のメンバー。
 〈Gangster Of Love〉もこの日のみの演奏。原曲はジョニー・ギター・ワトソンの作詞作曲で、1957年のシングル。
 Group B というバンドは不明。

2. 1969 Reed's Ranch, Colorado Springs, CO
 木曜日。4ドル。開演8時半。一本勝負。共演アリス・クーパー、Zephyr。
 クローザー前の〈He Was A Friend Of Mine〉が2011年の、7曲目〈Casey Jones〉が2020年の、各々《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 Zephyr は1969年コロラド州ボールダーで結成された5人組。ギタリスト、トミー・ボーリンの最初のバンドとして知られる。
 アリス・クーパーとデッドが同じステージに立っていたのも時代を感じさせる。この頃のロックは何でもありで、すべて同列だった。

3. 1970 McMahon Stadium, Calgary, AB, Canada
 金曜日。Trans Continental Pop Festival の一環。
 この日は、第一部アコースティック・セット、第二部ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ、第三部エレクトリック・セットという構成で、NRPS にはガルシア、ウィア、レシュが入っていた、という証言がある。
 ここでは2日間コンサートがあり、翌日がジャニス・ジョプリンとザ・バンドだった。

4. 1978 St. Paul Civic Center Arena, St. Paul, MN
 月曜日。
 全体が《July 1978: The Complete Recordings》でリリースされた。

5. 1984 Starlight Theatre, Kansas City, MO
 火曜日。13.50ドル。開演8時。
 第二部オープナーの3曲〈Scarlet Begonias> Touch of Grey> Fire On The Mountain〉が2014年と2016年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 ダブってリリースしたくなるのもわかる演奏だけど、全体を出しておくれ。

6. 1988 Oxford Plains Speedway, Oxford, ME
 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。開演5時。リトル・フィート前座。
 全体が《30 Trips Around The Sun》の1本としてリリースされた。
 第一部〈Bird Song〉の演奏中、パラプレーンないしエンジン付きパラグライダーが飛んできて、会場の上を舞った。やむなくバンドはジャムを切り上げて、セットを仕舞いにした。
 DeadBase XI の John W. Scott によれば、終演後、会場周辺で花火に点火する者が多数いて、中には相当に危険なものもあったそうな。

7. 1994 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。26.50ドル。開演5時。
 第二部2・3曲目〈Eyes of the World> Fire On The Mountain〉が2020年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 上記〈Eyes Of The World〉からガルシアが〈Fire〉のリフを始めたとき、ちょうど陽が山の端に沈んでゆくところだった。バンドがそれに合わせた。
 〈Fire On The Mountain〉は単独での演奏が12回ある。その最後。
 このメドレーはデッドとして一級の演奏で、ガルシアは声を絞りだすように歌うが、出すべきところはきちんと出ている。ギターも細かい音を連ねて面白く、バンドもこれによく反応している。後者への移行は、曲の行方が見えるのを待っているとこれが降りてきたけしき。これを聴いても、全体も良いとわかる。(ゆ)

 なんと、デニス・カヒルが亡くなってしまいました。パディ・モローニの死去にも驚きましたが、こちらはまさしく青天の霹靂。いったい、何があったのか。享年68歳。あたしと1歳しか違わないではないか。死因は公表されていません。やすらかに亡くなった、ということだけ。重い病気ではあったのでしょう。

 いや、しかし、これは痛い。惜しい。The Gloaming はどうなるのだ。その他でもマーティン・ヘイズのプロジェクトには欠かせない人だったのに。ヘイズの喪失感は想像するのも怖いほどですが、単にファンであるこちらも茫然としてしまいます。

 かれのギターはアイリッシュ・ミュージックのギターとして革命的だったけれど、それ以上に、マーティン・ヘイズの音楽を現代の、アイリッシュ・ミュージックの伝統の外の世界とつないだことが大きい。ヘイズのフィドルもまたカヒルのギターを受けて、伝統のコアにしっかり根を下ろしながら、なおかつ同時に現代の、最先端の音楽にもなりえていました。《Live In Siattle》に捉えられた30分のメドレーはカヒルのギターがなくては生まれなかったでしょう。The Gloaming でバートレットのピアノとヘイズのフィドル、オ・リオナードの歌をカヒルのギターがつないでいます。

 それはカヒル本人の精進の賜物でしょう。かれ自身、アイルランドの音楽伝統の外から入ってきて、その最もコアに近いものの一つであるヘイズのフィドルに真向から、愚直に向き合うことで、外と内をつなぐ術を編み出し、身につけていったと思われます。かれは自分が伝統のコアそのものになれないことを承知の上で、あえてそこと自分のいる外をつなぐことに徹したと見えます。こういう人はやはり稀です。

 アイリッシュ・ミュージックに魅せられた人間は、たいてい、そのコアに入ることを目指します。それが不可能だとわかっていても目指します。そうさせるものがアイリッシュ・ミュージックにはあります。カヒルもおそらくその誘惑にかられたはずです。しかし、どうやってかその誘惑を斥けて、つなぐことに徹していました。あるいはギターという楽器の性格が後押しをしていたかもしれない。それにしてもです。

 The Gloaming や Martin Hays Quartet がどう展開してゆくかは、とても愉しみにしていたのですが、カヒルが脱けるとなると、活動そのものが停止するのではないかと危惧します。

 人が死ぬのは常、とわかっているつもりでも、なんで、いま、あなたが死ぬのだ、とわめきたくなることはあります。ご冥福を、などとも言いたくない時があるものです。あたしなどがうろたえてもどうしようもありませんが、なんともショックです。(ゆ)

06月15日・水
 UK の音楽雑誌 The Living Tradition が次号145号をもって終刊すると最新144号巻頭で告知。無理もない。これまでよくも続けてくれものよ。ご苦労様。



 この雑誌の創刊は1993年で、Folk Roots 後の fRoots がその守備範囲をブリテン以外のルーツ・ミュージックにどんどんと拡大していったためにできた空白、つまりブリテン島内のルーツ・ミュージックに対象を絞った形だった。これは正直ありがたかったから飛びついた。

 加えてここは CD の通販も始めて、毎号、推薦盤のリストも一緒に送ってきたから、それを見て、ほとんど片端から注文できたのもありがたかった。これでずいぶんと新しいミュージシャンを教えられた。The Tradition Bearers という CD のシリーズも出した。かつての Bill Leader の Leader Records の精神を継承するもので、音楽の質の高さはどれも指折りのものだったから、これまた出れば買っていた。優れたシンガーでもある編集長 Pete Heywood の奥さん Heather Heywood のアルバムも1枚ある。

 本拠はグラスゴーの中心部からは少し外れたところだが、カヴァーするのはスコットランドだけでなく、イングランドやアイルランドまで拾っていた。ウェールズもときたまあった。アルタンやノーマ・ウォータースンのようなスターもいる一方で、地道に地元で活動している人たちもしっかりフォローしていた。セミプロだったり、ハイ・アマチュアだったりする人も含まれていた。

 こういうメディアは無くなってみると困る。紙の雑誌はやはり消え去る運命にあるのだろう。fRoots もそうだったが、この雑誌も電子版までは手が回らなかったようだ。FRUK のように、完全にオンラインでやるのではなくても、紙版をそのまま電子版にして、定期購読を募る道もあったのではないか、と今更ながら思う。その点では英国の雑誌はどうも上手ではない。もっとも音楽誌はそういう形は難しいのだろうか。

 とまれ、30年続けたということは、ピートもヒーザーももうかなりのお年のはずで、確かに次代にバトンを渡すのも当然ではある。まずは、心から感謝申し上げる。ありがとうございました。


%本日のグレイトフル・デッド
 06月15日には1967年から1995年まで、8本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。

1. 1967 Straight Theater, San Francisco, CA
 木曜日。このショウが実際にあったかどうかは疑問視されている。
 この頃のショウは、テープ、実際に見た人の証言、ポスター、チケット、新聞・雑誌などに出た広告や記事などから推定されている。あるいは今後、UCサンタ・クルーズの The Grateful Dead Archives の調査・研究から初期数年間の活動の詳細が明らかになるかもしれない。もっとも未だに出てきていないところを見ると、バンド自らがいつ、どこで、演ったかのリストを作っていたわけではどうやら無いようだ。メンバーや周囲の人間でそういうリストを作りそうなのはベアことアウズレィ・スタンリィだが、かれも録音はして、それについての記録はとっても、自分が録音しなかった、できなかったものについての記録はとっておらず、その証言は記憶に頼っているようにみえる。

2. 1968 Fillmore East, New York, NY
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。4ドル。早番、遅番があり、遅番ショウの開演8時。セット・リスト不明。

3. 1976 Beacon Theatre, New York, NY
 火曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。《June 1976》で全体がリリースされた。

4. 1985 Greek Theatre, University of California, Berkeley, CA
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。15ドル。開演5時。
 DeadBase XI の Phil DeGuere によれば、三連荘は中日がベストになることが多いそうで、これもその一つ。ガルシアのギターが凄かったそうだ。

5. 1990 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。31.50ドル。開演7時。
 第一部が特に良い由。

6. 1992 Giants Stadium, East Rutherford, NJ
 月曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。26.50ドル。開演7時。
 良いショウで、スパイク・リーが客席にいた。この晩、月蝕があったそうな。

7. 1993 Freedom Hall, Louisville, KY
 火曜日。このヴェニュー2日連続の初日。開演7時。

8. 1995 Franklin County Airport, Highgate, VT
 木曜日。37.25ドル。開演6時。ボブ・ディラン前座。
 夏のツアーの最後のレグ、07月09日シカゴまでの15本のスタート。ガルシアの状態はひどく、出来は最低という評価はおそらく「客観的」には妥当なところだろう。一方で、これが最初のショウである人びとにとっては、忘れがたい、貴重な記憶、宝物となっている。加えて、〈Box of Rain〉が Space の次に歌われたのは全部で4回しかなく、これがその最後の4回目になるそうだ。
 前座のディランはすばらしかった。
 DeadBase XI の John W. Scott のレポートは音楽そのものよりも、聴衆の質のひどさに幻滅している。チケットを持たず、持つ意志もない連中が多数詰めかけてフェンスを押し倒して入りこんだ。そうして入った連中はマナーもへったくれもなく、いうなれば「デッドヘッドの風上にも置けない」連中で、時に「フェイク・ヘッド」と呼ばれるような人間だったようだ。フェンスが押し倒されたとき、その支柱が何本か、トイレの個室の上に倒れ、中に閉じこめられた人びとが何人もいたという。(ゆ)

06月04日・土
 Tina Jordan Rees, 《Beatha》CD着。



 ランカシャー出身でリマリックでアイルランド伝統音楽を学び、現在はグラスゴーをベースに活動する人。フルートがメインでホィッスル、ピアノもよくする。これまでにも4枚、ダンス・チューンのアルバムを出しているが、今回は全曲自作で、ギター、ベース、バゥロンのサポートを得ている。初めクラウドファンディングで資金集めをした時に参加したから、先立ってファイルが来て、今回ようやくブツが来る。正式な一般発売は今月24日。

 中身はすばらしい。この人、作曲の才能があって、曲はどれも面白い佳曲揃い。中には名曲となりそうなものもある。楽器の腕も確かだし、明るく愉しく演奏するから、聴いていて気分が昂揚してくる。タイトルはアイルランド語、スコティッシュ・ゲール語の双方で「いのち」を意味する由。

 CD には各曲の背景も書かれていて、中には香港やタイのプーケット島に観光に行った印象を元にした曲もある。タイトル・チューンはやはりパンデミックがきっかけだろう。あたしもパンデミックをきっかけにあらためて「いのち」を身近に感じるようになった。

 このタイトルの発音は今一よくわからないが、デッドの定番ナンバー〈Bertha〉に通じるのがまた楽しい。こちらはデッドのオフィスで、スイッチが入ると勝手にあちこち動きまわる癖があった古い大型の扇風機の愛称。曲も明るく、ユーモラスな曲で、ショウのオープナーによく演奏される。「バーサ」がやってくるのは縁起が良いとされていて、「バーサ、きみはもうぼくのところへは来てくれないのか」と呼びかける。

 リースはこれから愉しい音楽をたくさん聴かせてくれるだろう。


%本日のグレイトフル・デッド
 06月04日には1966年から1995年まで7本のショウをしている。公式リリースは1本。

1. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続のの2日目。開演9時。共演クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、マザーズ。セット・リスト不明。

2. 1967 Cafe Au Go Go, New York, NY
 日曜日。このヴェニュー10日連続の4日目。セット・リスト不明。

3. 1970 Fillmore West, San Francisco, CA
 木曜日。このヴェニュー4日連続のランの初日。3ドル。Southern Comfort、ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ共演。
 第一部はアコースティック・デッド、第二部がエレクトリック・デッド。間にニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジのセットが入るのがこの時期の形。
 Southern Comfort はイアン・マシューズのあのバンドだろう。この年デビュー・アルバムを出している。
 第二部終り近く、ガルシアが客席に、俺たちがこれまでやったことのある曲で聴きたいものはあるかと訊ねた。〈It's All Over Now, Baby Blue〉と叫ぶと、レシュが指差して、笑みを浮かべた。という証言がある。アンコールがこの曲。

4. 1976 Paramount Theatre, Portland, OR
 金曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。
 第一部11曲目で〈Mission In The Rain〉がデビュー。ハンター&ガルシアの曲。この月の29日シカゴまで5回だけ演奏され、その後はジェリィ・ガルシア・バンドのレパートリィとして演奏された。スタジオ盤はガルシアのソロ《Reflections》収録。

5. 1977 The Forum, Inglewood, CA
 土曜日。5.50, 6.50, 7.50ドル。開演7時。
 春のツアーとウィンターランド3日間の間に、ぽつんと独立したショウではあるが、出来としてはその両者と肩を並べる由。とりわけ第二部後半。

6. 1978 Campus Stadium, University Of California, Santa Barbara, CA
 日曜日。9.75ドル。開演12時。
 アンコール2曲目〈Sugar Magnolia〉が2010年の、第一部クローザー〈Jack Straw〉が2012年の、その一つ前〈Tennessee Jed〉が2019年の、各々《30 Days Of Dead》でリリースされた。どれも録音が良い。
 〈Jack Straw〉のクローザーは珍しい。
 第二部 Space でステージの上でオートバイが排気音を出した。
 Wah-Koo というバンドがまず演奏し、次にエルヴィン・ビショップが出てきて、そのアンコールでガルシアと Wah-Koo のリード・ギタリストが参加して、各々ソロをとった。次がウォレン・ジヴォン、そしてデッド。

7. 1995 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。開演5時。第一部6・7曲目〈Mama Tried> Mexicali Blues〉でウィアはアコースティック・ギター。
 ベイエリア最後のショウで、これが最後に見たショウになった人は多い。この時点では、まだ2ヶ月後にガルシアが死ぬことは誰にもわかっていないが、アンコール〈Brokedown Palace〉を歌うガルシアは自らの挽歌を歌っていたように見えたという。(ゆ)

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