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マイケル・ルーニィ、ジューン・マコーマックとミュージック・ジェネレーション・リーシュ・ハープアンサンブル来日
みわトシ鉄心 w/ 中村大史@ Cafe Bond, 是政, 府中市
みわトシ鉄心
ほりおみわ: vocals, guitar
トシバウロン: bodhran, percussion, vocals
金子鉄心: uillean pipes, whistle, low whistle, vocals
中村大史: bouzouki, piano accordion
『250話で語るアイルランド史』脱稿
本書にはオーディオ・ブックもありますが、放送されたものをそのまま使っているので、そちらは240話までで終っています。単なる朗読ではないので、聞いて面白いですが、その点はご注意を。

RIP Seamus Begley (Bheaglaoich)
Latina Best Album 2022
Cocopelina @ 音倉, 下北沢
Cocopelina
さいとうともこ: fiddle, concertina, vocals
岩浅翔: banjo, whistle, flute, vocals
山本宏史: guitar, vocals
石崎元弥: bodhran, percussion, banjo
ジョンジョンフェスティバル@440, 下北沢
ジョンジョンフェスティバル
じょん: fiddle, vocals
アニー: guitar, piano, vocals
トシバウロン: bodhran, percussion, vocals
The Chieftains, The Foxhunt, Live in San Francisco, 1973 & 1976
まさか、こんなものが出ようとは。いや、その前にこんな録音があったとは、まったく意表を突かれました。Bear's Sonic Journal の一環として出たこの録音は1973年10月01日と1976年05月05日のサンフランシスコでのチーフテンズのライヴの各々全体を CD2枚組に収めたものです。
梅田千晶&矢島絵里子@ホメリ、四谷三丁目
木村穂波・福島開・瀧澤晴美・杉野文俊ライヴ@カフェ・ムリウイ、祖師ヶ谷大蔵
アフリカ系アイルランド人
アイルランドのカトリック教会が革命的変化を求める
R.I.P. Mick Moloney
吉田文夫氏
トリコロール@ホメリ、四谷三丁目
思いかえしてみれば実に2年半ぶりの生トリコロール。一昨年3月の下北沢・空飛ぶコブタ屋でのクーモリとの対バン以来。あの時は途方もなく愉しかった。諸般の事情でクーモリはその後ライヴをしていないそうだが、ぜひまたライヴを見たい。あの後、クーモリ関連のCDは手に入るかぎり全部買って聴いた。各々に面白く、良いアルバムだけれども、あのライヴの愉しさは到底録音では再現できない。
ニューヨークのアイリッシュ・ミュージック
録音のある時代が対象で、19世紀末から現在にいたるほぼ100年間を五つの時期に分けている。
RIP Dennis Cahill
アイリッシュ・ミュージックに魅せられた人間は、たいてい、そのコアに入ることを目指します。それが不可能だとわかっていても目指します。そうさせるものがアイリッシュ・ミュージックにはあります。カヒルもおそらくその誘惑にかられたはずです。しかし、どうやってかその誘惑を斥けて、つなぐことに徹していました。あるいはギターという楽器の性格が後押しをしていたかもしれない。それにしてもです。
The Living Tradition 終刊
Tina Jordan Rees, 《Beatha》
ランカシャー出身でリマリックでアイルランド伝統音楽を学び、現在はグラスゴーをベースに活動する人。フルートがメインでホィッスル、ピアノもよくする。これまでにも4枚、ダンス・チューンのアルバムを出しているが、今回は全曲自作で、ギター、ベース、バゥロンのサポートを得ている。初めクラウドファンディングで資金集めをした時に参加したから、先立ってファイルが来て、今回ようやくブツが来る。正式な一般発売は今月24日。
Tidal, Bandcamp Friday
レオ・ロウサムのパイプ
いろいろなモノが届く日
Cormac Begley《B》


須貝知世&木村穂波 with 中村大史@カフェ・ムリウイ、祖師ヶ谷大蔵
RIP Sean Garvey
ノーザン・アイルランド議会選挙
アイルランドのアーティストへのベーシック・インカム制度
04月06日・水
アイルランドのアーティストへのベーシック・インカム制度のパイロット版申請受付開始。1週間325EUR を3年間もらえる。アーティストまたはアートに関わる労働者で、申請して受給資格審査を通った中から抽選で2,000人が対象。支給されたものには課税されるが、税金の額はケース・バイ・ケースで異なる。これ以外に稼ぐのはもちろんOK。
325EUR x54=年額17,550EUR。x2,000=35,100,000EUR。現在のレートで47.5億。
わが国に置きかえてみる。人口比からすれば、共和国は現在人口500万。わが国が12,000万。24倍。48,000人。1,140億円。アート、芸術が国として生きてゆくのに不可欠であるという認識が、わが国に果してあるか。
##本日のグレイトフル・デッド
04月06日には1969年から1994年まで9本のショウをしている。公式リリースは2本。うち完全版1本。
1. 1969 Avalon Ballroom, San Francisco, CA
日曜日。このヴェニュー3日連続の最終日。バークレーの KPFA-FM で放送された。前夜、ヴェニューの終演時刻を超えたため、〈Viola Lee Blues〉の途中でコンセントを抜かれた。が、ヴォーカル・マイクは生きていたらしく、その後で2曲、ア・カペラで歌った。
2. 1971 Manhattan Center, New York, NY
火曜日。このヴェニュー3日連続の最終日。5ドル。開演8時。第一部8曲目〈Playing In The Band〉が《Skull & Roses》で、その前の〈Oh Boy〉〈I'm A Hog For You Baby〉が《Skull & Roses》の2003年 CD版でリリースされた。
〈Oh Boy〉はこの日が初演。1981-12-12まで計5回演奏。Sonny West と Bill Tilghman の作詞作曲。バディ・ホリー&ザ・クリケッツが1957年10月に〈Not Fade Away〉のシングルB面でリリース。
〈I'm A Hog For You Baby〉は1966-01-08初演で、これが3回目で最後の演奏。作詞作曲のクレジットは Jerry Leiber & Mike Stoller。
3. 1978 Curtis Hixon Convention Hall, Tampa, FL
木曜日。開演8時。
4. 1982 Spectrum, Philadelphia, PA
火曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。10.50ドル。開演7時。《Road Trips, Vol.4 No.4》で全体がリリースされた。
5. 1984 Aladdin Hotel Theatre, Las Vegas, NV
金曜日。14ドル。開演8時。
6. 1985 The Spectrum, Philadelphia, PA
土曜日。このヴェニュー3日連続の初日。13.50ドル。開演5時。この頃、毎年冬になるとガルシアは喉頭炎をわずらい、春先は声を嗄らしている。この時も声がほとんど出なかった。
7. 1987 Brendan Byrne Arena, East Rutherford , NJ
月曜日。このヴェニュー2日連続の初日。17.50ドル。開演7時半。〈Dancin' in the Street〉の最後の演奏。
8. 1989 Crisler Arena, University of Michigan, Ann Arbor, MI
木曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。開演7時。
9. 1994 Miami Arena, Miami, FL
水曜日。このヴェニュー3日連続の初日。25ドル。開演7時半。会場周辺は当時全米でも最悪のゲットーだった由。フロリダは「デッド・カントリー」の一つだ。(ゆ)
TG4 Gradam Ceoil Award
03月26日・土
今年の TG4 Gradam Ceoil Award が発表され、ドロレス・ケーンが生涯業績賞を受賞。ようやく、という感じが無いでもないが、とにかく受賞はめでたい。今さらといえば、スカラ・ブレイもグループ賞を受賞。メインの受賞者はパディ・グラッキン。となると、今年はこの賞の25周年ということで、あげそこなっていた人たちにあげる意味もあるのか、などというのはゲスのカングリというものであろう。何にしてもめでたい。
##本日のグレイトフル・デッド
03月26日には1967年から1995年まで、9本のショウをしている。公式リリースは5本。うち完全版3本。
01. 1967 Avalon Ballroom, San Francisco, CA
日曜日。この日についてはポスターが残っており、共演としてクィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、Johnny Hammond & His Screaming Nighthawks、Robert Baker が上げられている。デッドがヘッドライナー。
David Sorochty によれば Oakland Tribune 1967-03-26日付に記事があり、そちらでの共演者はチャールズ・ロイド・カルテットと The Virginians としているが、DeadBase 50 はこれを誤りとしている。
02. 1968 Melodyland Theatre, Anaheim, CA
火曜日。このショウについては存在を疑問視する向きもある一方で、DeadBase XI には John Crutchfield が15歳でこれを見た時のレポートを書いている。03月08日と09日のこのヴェニューでのショウについては、LA Free Press の広告で確認されているが、こちらについては、少数の証言のみではある。
ジェファーソン・エアプレインの前座で、内容はこの時期の典型的なものだったようだ。
03. 1972 Academy of Music, New York, NY
土曜日。このヴェニュー7本連続のランの5本目。5.50ドル。開演8時。全体が《Dave's Picks, Vol. 14》でリリースされた。
04. 1973 Baltimore Civic Center, Baltimore, MD
月曜日。6.50ドル。開演7時。第一部2曲目〈Mississippi Half-Step Uptown Toodeloo〉が2011年と2021年の、11曲目〈Brown-Eyed Women〉が2017年の各々《30 Days Of Dead》でリリースされた。
05. 1983 Aladdin Hotel Theatre, Las Vegas, NV
土曜日。14ドル。開演7時。オープナーの〈Jack Straw〉が2014年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
06. 1987 Civic Center, Hartford, CT
木曜日。15.50ドル。開演7時半。第二部4曲目〈He’s Gone〉が2010年の、第一部クローザー前の〈Bird Song〉が2017年の各々《30 Days Of Dead》でリリースされた後、《Dave’s Picks, Vol. 36》で全体がリリースされた。
07. 1988 Hartford Civic Center, Hartford, CT
木曜日。15.50ドル。開演7時半。
08. 1990 Knickerbocker Arena, Albany, NY
月曜日。このヴェニュー3日連続のランの最終日。開演7時半。第一部オープナーからの3曲とクローザーの2曲、それにアンコールが《Dozin' At The Knick》でリリースされた後、全体が《Spring 1990》でリリースされた。
春のツアー10本目。これで4箇所を3日ないし2日の連続公演で回ってきているが、そろそろ疲れが出てくる。このショウの後半はその疲れの影響と思われるものが現れる。とりわけバンドの1番弱い部分、ガルシアに影響が大きい。この時、ガルシアは47歳だが、外見は年上のレシュよりよほど老けて見える。ほとんど60代といってもいいくらいだ。ガルシアは生命を使いはたして死んだのだというバラカンさんの指摘は正鵠を射ていると思う。毎晩ステージの上で「絶えず流れ落ちてくる流砂を片脚だけで一輪車をこいで登ろうとする」ことを続けるのは、身も心も削ることではあろう。
それでもそうした影響が最小限で、ショウとしては前2日ほどのピークではないが、デッドの水準としても高いところに留まるのがこの春のツアーである。とりわけ第一部は、ここだけとれば前2日を凌ぐとも言える出来だ。
久しぶりにホットでアグレッシヴな〈Hell In A Bucket〉でスタートするが、ラフにはならず、タイトに締まる。そのまま突走らず、〈Dupree's Diamond Blues〉でタメるところが見事。ゆったりしたテンポでガルシアは歌詞をはっきり発音する。宝石店強盗で裁かれる話をユーモラスに演奏するのがデッドの身上。ガルシアの後でミドランドがピアノ・ソロをとり、ワン・コーラスやったところで終るつもりが、もっとやれと促されたか、さらにワン・コーラス。こういうソロはもっと聞きたい。次のミドランドの〈Just A Little Light〉も18日よりもかっちりとして出来がいい。このツアーの16日に復活して2度目の演奏である〈Black-Throated Wind〉では、ウィアの歌の裏でガルシアが弾くギターがすばらしい。この歌は1990年のこの一時期だけ、歌詞がかなり変わっている。次の〈Big Railroad Blues〉は1年半ぶりの登場で、次はまた1年半後なのだが、楽しいロックンロール。ガルシア、ミドランドのハモンド、またガルシアと、活き活きしたソロが続く。〈Picasso Moon〉ではこれまた久しぶりにレシュが低域のハーモニーをつける。この後も数曲で参加する。ここでも後半のガルシアのソロが面白い。ガルシアのギターは次の〈Row Jimmy〉でも好調で、MIDI で音を二重にし、裏の音は幕を張るようだ。後半レゲエのビートになってはずみ、一層ユーモラスになる。第一部は〈Blow Away〉で盛り上がって締める。
この日は珍しい曲をやろうとしているのか、第二部オープナーは〈Built To Last〉。計18回演奏でこれが最後。これも好調の時にやってみてうまくゆくか試したのかもしれない。ほぼ生音の Drums、やはり面白い Space まで高水準の演奏が続く。乱れが現れるのは、〈Dear Mr. Fantasy〉から次の曲へ移るところで、一瞬だがためらうような感じになる。結局スティーヴィー・ウィンウッドを続けて〈Gimme Some Lovin'〉になって、流れは維持される。問題といえるのはクローザーの〈Morning Dew〉。ここではガルシアはギターが離陸せず、代わりに歌で聞かせる。ガルシアの疲れをカヴァーするように、ドラムスが積極的になって、劇的な盛り上げをする。いささかラフだが、クライマックスとしてはちょうどよい。
ガルシアはくたびれてはいるものの、このツアーを通じて歌唱はすばらしく、アンコールの〈Brokedown Palace〉も申し分ない。この曲はそもそも、インプロを展開するものでもない。
09. 1995 The Omni, Atlanta, GA
日曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。開演7時半。(ゆ)
アイルランドの各カウンティを舞台にした本
03月17日・木
セント・パトリック・ディ記念で、Irish Times がアイルランドの32のカウンティ各々を舞台にした本、小説とノンフィクションをリストアップしていた。順番は州名のアルファベットによる。
ゲーリック・フットボールやハーリングなどの、アイルランドのナショナル・スポーツは各州対抗が基本で、その盛り上がり方はわが国の高校野球も真青だ。各々のカウンティ、日本語では伝統的に州と訳されている地域は面積から言えば狭いが、外から見ると意外なほどに人も環境も特色があり、住人の対抗心も強い。こういう特集が組まれる、組めるのもアイルランドならではだろう。
伝統音楽、アイリッシュ・ミュージックもローカリティの味がよく強調されるけれど、それ以前に基本的なローカルの性格の特徴をこうした本で摑むのも面白い。それに、真の普遍性はローカルを突き詰めたところに現れる。
##本日のグレイトフル・デッド
03月17日には1967年から1995年まで10本のショウをしている。公式リリースは2本、うち完全版1本。
1967年のこの日、ファースト・アルバム《The Grateful Dead》が発売された。このアルバムでは〈The Golden Road (To Unlimited devotion)〉がデビューしている。ライヴで揉まれずに、いきなりスタジオ盤でデビューした、デッドでは数少ない曲の一つ。クレジットの McGannahan Skjellyfetti はバンドとしてのペンネーム。このクレジットが付いた他の2曲〈Cold Rain And Snow〉〈New, New Minglewood Blues〉は本来は伝統曲。
1967年01月、ロサンゼルスの RCA スタジオで3日ないし4日で録音された。〈The Golden Road (To Unlimited devotion)〉のみサンフランシスコで録音されている。プロデューサーの Dave Hassinger はローリング・ストーンズのアルバムをプロデュースしており、デッドがそのアルバムを好んでハシンガーを指名したと言われる。冒頭の〈The Golden Road (To Unlimited devotion)〉を除き、すでにライヴの定番となっていた曲を収録している。ビル・クロイツマンの回想によれば、ライヴ演奏の良いところをスタジオ盤に落としこむ技術はまだ無かった。もっとも、結局デッドはそういう技術を満足のゆくレベルに持ってゆくことができなかった。あるいはライヴがあまりに良すぎて、スタジオ盤に落としこむことなど、到底できるはずもなかったと言うべきか。
今聴けば、ピグペンをフロントにしたリズム&ブルーズ・バンドの比較的ストレートなアルバムに聞える。ガルシアも言うとおり、当時のバンドのエッセンスがほぼそのまま現れているのでもあろう。ピグペンの存在が大きい、唯一のスタジオ盤でもある。
アルバムには故意に読みにくくしたレタリングで
"In the land of the dark the ship of the sun is driven by the"
と記され、その後の "Grateful Dead" はすぐにわかる。故意に読みにくくしたのはバンドの要請による。デザイナーはスタンリー・マウス。コラージュはアントン・ケリー。後に「骸骨と薔薇」のジャケットを生みだすことになるコンビ。
ビルボードのチャートでは最高73位という記録がある。
2017年のリリース50周年記念デラックス版では 1966-07-29 & 30, P.N.E. Garden Auditorium, Vancouver, BC, Canada の2本のショウの録音が収録された。これはデッドにとって初の国外遠征でもある。
01. 1967 Winterland Arena, San Francisco, CA
金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。共演チャック・ベリー、Johnny Talbot & De Thang。セット・リスト不明。
この日、Veterans Auditorium, Santa Rosa, CA でもショウがあったという。The Jaywalkers という共演者の名前もある。が、詳細は不明。DeadBase に記載無し。サンタ・ローザはサンフランシスコの北北西60キロほどにある街だから、昼間ここでショウをやり、夜ウィンターランドに出ることは可能だろう。
02. 1968 Carousel Ballroom, San Francisco, CA
日曜日。2.50ドル。このヴェニュー3日連続の最終日。ジェファーソン・エアプレインとのダブル・ビルで、おそらくデッドが前座。80分ほどの演奏。《Download Series, Vol. 06》で全体がリリースされた。リリースに付けられたノートによると、《Fillmore West 1969: The Complete Recordings》ボックス・セットを作成した際に、関連した録音が他に無いか、デッドのアーカイヴ録音が収めらた The Vault を隈なく捜索して見つけた宝石。
すばらしいショウで、あのフィルモアのショウの1年前にすでにこれだけの演奏をしていた、というのに舌をまく。原始デッドの熱の高さと集中にひたることができる。時間が限られていることと、後に出てくるジェファーソン・エアプレインへの対抗心も作用しているだろう。〈Turn On Your Lovelight〉だけ独立していて、その後の〈That's It for the Other One〉からラストのフィードバックまで1時間近くノンストップ。ところどころ、ジャズの色彩、風味が混じる。時にはほとんどジャズ・ロックの域にまでなる。面白いのは、二人のドラマーが叩きまくっていることで、これだけ叩きまくるのはこの時期だけかもしれない。クロイツマン22歳、ハート25歳。やはり若さだろう。20年後とは完全に様相が異なる。
グレイトフル・デッドはヘタだった、とりわけ、初期はヘタだった、という認識がわが国では根強くあるように思われるが、その認識はどこから出てきたのだろう。デッドがヘタと言われると、あたしなどは仰天してしまう。スタジオ盤はそんなにヘタだろうか。アメリカでの当時の評価を見ると、60年代にすでに演奏能力の高さには定評がある。
03. 1970 Kleinhans Music Hall, Buffalo, NY
火曜日。4.50ドル。開演7時?。会場は2,200ないし2,300入るクラシック用ホール。Buffalo Philharmonic Orchestra との共演で、〈St. Stephen> Dark Star> Drums> Turn On Your Lovelight〉を演奏した。Drums ではオーケストラの打楽器奏者がデッドの二人のドラマーに合流した。〈St. Stephen〉は演奏されたという複数の証言があるが、記録の上では残っていないらしい。当初オファーされたバーズが辞退して、デッドにお鉢が回った。デッドは出演料をタダにした。また The Road、フルネームを the Yellow Brick Road という地元のバンドも出演した。
クラシックのフルオケとロック・バンドの共演という企画はオーケストラの指揮者 Lukas Foss のアイデアらしい。必ずしも成功とは言えないが、まったくの失敗でもなかった。オーケストラの聴衆とデッドヘッドやその卵たちがいりまじった客席は、デッドの演奏に興奮して、立ち上がり、手拍子を打ち、踊ったそうだ。
当時はヴェトナム反戦運動の昂揚期で、バッファローでも地元の大学を中心に騒然としていた。そういう中で、こうした実験が行われたのは面白い。クラシック界にもこれをやろうという人間がいて、デッドがその試みに応じたのは、どちらの側にも柔軟性や実験精神があったわけだ。グレイトフル・デッドというバンドが出現したのも、アメリカ音楽全体のそうした性格が土台にあったと思われる。
04. 1971 Fox Theatre, St. Louis, MO
水曜日。このヴェニュー2日連続の初日。
公式録音のマスターテープに物理的な問題があって、全体のリリースは無理とのことで、〈Next Time You See Me〉と〈Me And Bobby McGee〉が dead.net の "Taper's Section" で公開された。
05. 1988 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA
木曜日。このヴェニュー3日連続の中日。18.50ドル。開演7時。
1971年以来のセント・パトリック・ディ記念のショウで、Train To Sligo という名前のパサデナのケルティック・バンドが前座。リード・ヴォーカルでコンサティーナ奏者は若い女性で、黒のミニ・スカートに網タイツという衣裳で登場し、聴衆から大いに口笛や歓声をかけられた。頭上に渦巻く煙にも驚いた様子だった。メンバーは以下の通り。1981年結成で、この年解散。2枚のアルバムがあるが、あたしは未聴。Gerry O'Beirne と Thom Moore がいるから、聴いてはみたい。
Jerry McMillan (fiddle)
Paulette Gershen (tin whistle)
Judy Gameral (hammered dulcimer, concertina, vocals)
Gerry O'Beirne (six- and twelve-string guitars, vocals)
Janie Cribbs (vocals, bodhran)
Thom Moore (vocals, twelve-string guitar, bodhran)
セント・パトリック・ディ記念のショウは次は1991年で、以後、1995年まで毎年03月17日に行われた。
この日のデッドの演奏は良い由。
06. 1991 Capital Centre, Landover, MD
日曜日。このヴェニュー3日連続の初日。春のツアーのスタート。ブルース・ホーンスビィがピアノで参加。第二部5・6曲目〈Truckin' > New Speedway Boogie〉が2017年の、第一部クローザー前の〈Reuben And Cherise〉が2018年の、オープナーの2曲〈Hell in a Backet > Sugaree〉が2020年の、各々《30 Days Of Dead》でリリースされた。
〈Hell in a Backet > Sugaree〉と〈Truckin' > New Speedway Boogie〉はどちらも良い演奏。ガルシアのギターも好調で、ホーンスビィが入っていることの効果だろうか。後者では肩の力が抜けて、シンプルな音を連ねるだけで、いい味を出す。ガルシアの芸である。ウェルニクも凡庸なミュージシャンではない。バンドによって引き上げられている部分はあるにせよ、それだけの伸びしろは持っていたのだ。〈Sugaree〉ではガルシアのギターによく反応している。
〈Reuben And Cherise〉はハンター&ガルシアの曲で、グレイトフル・デッドとしてはこの日が初演。06月09日まで4回しか演奏されていない。しかし、ジェリィ・ガルシア・バンドでは定番のレパートリィで、1977年11月から1995年04月の間に100回以上演奏されている。スタジオ盤はガルシアのソロとしては4枚目で Jerry Garcia Band 名義のアルバムとしては最初になる《Cats Under The Stars》収録。
グレイトフル・デッドとジェリィ・ガルシア・バンドの違いが、こういう曲で鮮明になる。前者ではガルシアのソロもアンサンブルの一部に編みこまれている。他のメンバーとの絡み合いでソロを展開する。勝手に弾いているわけではない。ガルシアがソロですっ飛んで、他のメンバーがそれについていっているように聞える時でも、内実はそうではない。このことは初めから最後まで変わっていない。
後者ではガルシアは勝手に歌い、弾いている。何をやるか、どれだけやるか、どのようにやるか、決めるのはガルシアであり、他のメンバーはそれをサポートしている。だから、ガルシアは伸び伸びと歌い、弾いている。一方で、そこには緊張感が無い。なにもかもがゆるい。そのゆるさがまた良いのだが、JGB を聴いてからデッドを聴くと、身がぐっと引き締まる。同じソロ・プロジェクトでも、マール・ソーンダースと演っている時にはまた違って、ソーンダースとの対話がある。しかし、ジェリィ・ガルシア・バンドではお山の大将だ。
そして〈Reuben And Cherise〉は明らかに後者では成立するが、グレイトフル・デッドではうまく働かない。その理由は単純ではないだろうが、あたしにはまだよくわからない。ひょっとするとバンド自体にもわからなかったかもしれない。構造としては〈Dupree's Diamond Blues〉と共通するが、何らかの理由で、他のメンバーがうまく絡めないようだ。そうなると、ガルシアにとっても面白くなくなる。独りお山の大将でやるなら、ジェリィ・ガルシア・バンドでやればいいので、デッドでやる意味はない。デッドは全員でやることの面白さを追求するのが動機であり目的だ。試してみて、全員でやることを愉しめない楽曲はレパートリィから落ちる。ある時期は愉しいが、アンサンブルの変化で愉しくなくなって落ちる曲もある。演奏回数の多い定番曲はいつやっても、何回やっても愉しかった曲だ。デッドヘッドに人気が高く、曲としての出来も良い〈Ripple〉などもバンド全員で愉しめなかったのだろう。
この日〈Reuben And Cherise〉をやることは予定に入っていたらしい。デッドはステージの上で、その場で次にやる曲目を決めているが、とりわけデビューさせる曲はその日の予定に入れていたと思われる。
07. 1992 The Spectrum, Philadelphia, PA
火曜日。このヴェニュー3日連続の中日。開演7時半。セント・パトリック・ディ記念。あまりよい出来ではないらしい。
08. 1993 Capital Centre, Landover , MD
水曜日。このヴェニュー3日連続の中日。開演7時半。〈Lucy In The Sky With Diamonds〉がデビュー。1995年06月28日まで、計19回演奏。この歌のタイトルは LSD のもじりと言われる。良いショウの由。
09. 1994 Rosemont Horizon Arena, Rosemont, IL
木曜日。このヴェニュー3日連続の中日。26.50ドル。開演7時半。
10. 1995 The Spectrum, Philadelphia, PA
金曜日。このヴェニュー3日連続の初日。開演7時半。(ゆ)