かつてはオレが応援しないで、誰が応援するのだ、ぐらいの気持ちでコンサートに臨んだものだった。結成して20年のアウラにはもうあたしなんぞの応援は要らない。こちらはそのハーモニーにひたすら浸って、いい気持ちになっていればいい。時々、本当に体が天に昇るような気分になる。
前回は広々とした教会で、声は広大な空間に向かって解き放たれていた。今回は響きのコントロールされたホール。教会はクラシック音楽発祥の空間ではあるけれど、そこから出て、いわば聖のパワー・スポットから俗のサロンへと移ることで音楽として独立する。そして響きのコントロールへと向かう。このホールはやはり俗の空間で、教会との違いがラストの〈ハレルヤ〉に現れたのは当然ではある。前回の〈ハレルヤ〉が、聖なる空間によって引きだされ、人のためよりも神の、あるいは天のために響いていたとすれば、今回は俗空間にあって、うたい手たちの想いのこもった、人のための歌に聞えた。
スキャットを使ったアレンジはさらに一段と巧妙になっていた。歌詞とスキャットの入れ替わりのタイミングと鮮かさに息を呑む場面がいくつもある。スキャットの種類も増えているし、アレンジのパターンもより多様だ。音量の大小、アクセントの強弱もメリハリがよくつき、リズムも変える。そうなると、5人だった時よりもアレンジが複雑になっているように聞える。にもかかわらず、全体の印象としてはすっきりと見通しが良い。そこにはおそらく、スキャットの役割を、たとえばインストルメンタルのパートに絞るというように、より整理していることも働いているのかもしれない。4人での体制が完成されたと思える。
星野さんの低音がより際だつとともに、今回は菊地さんの声がこれまでになく大きく聞えた。彼女の声は大好きなので、あたしとしては喜ぶ。
新曲の〈Auld Lang Syne〉はひょっとしてとひそかに期待したが、有名な方のメロディ。とはいえ、ストレートなアレンジが曲の美しさをあらためて引きたてる。いつか、古い方のメロディも歌ってくれると期待しよう。
やはりこういうホールで聴くアウラは格別だ。教会には教会なりの良さがあるので、そちらも大歓迎だが、やはり距離があるし、それにどこか上の方から見られている気配のようなものがある。クリスチャンではないから気にすることもないし、時には聴衆以外のお仲間がいるのも面白いのだが、音楽から気を逸らされることもなくはない。俗のホールにはミュージシャンとリスナーしかいない。より純粋に音楽にひたりこんでいられる。人間の声だけのハーモニーには、他の音楽にはない魔法が宿る。(ゆ)