クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:アコースティック・ギター

 エックス=旧ついったーの更新をやめた。もともとブログの記事の告知くらいしか使っていなかったので、これまでと大きく変わるわけではないけれど、一応おことわりしておく。

 ネット上のコミュニケーションはパソコン通信の時代からメーリング・リスト、Mixi など、ある時期、とことん突込んだことがあり、やりとりの面白さがわからないわけではないけれど、一方でひどく時間やエネルギーをとられることも実感している。残された時間がどんどん減るなか、それよりももっとやりたいこと、やるべきことに時間を注ぎこみたいと思う。もっと本も読みたいし、音楽も聴きたい。あたしにとってはこの2つが最大の関心事だし、2つだけでも多すぎるくらいだ。

 それでもともかく生きていることの証しは残したいので、このブログの更新頻度をもっと多くする心積もりではある。最低でも1週間に1度、理想は毎日だろう。「ほぼ毎日更新ブログ」をめざすか。

 ということで最新の発見はアメリカはケンタッキーのこのギター・デュオ。



 影響を受けた相手としてバート・ヤンシュ、ジョン・レンボーン、ニック・ジョーンズ、リチャード・トンプソンなどを筆頭に挙げているように、サウンドはまったくのブリティッシュ。サポートも含め、アメリカンなところがほとんど無いのが面白い。こういうアコースティック・ギターの響きには無条件で降参。(ゆ)

 高円寺グレインでのライヴがあまりに良かったので、原則を破って連日のライヴ通いした福江さんの東京2デイズの2日めは、前夜とはがらりと変わったものだったけど、やはり同じくらいすばらしい。中村さんとの組合せも別の意味でばっちりで、こうなると、福江、中村、高橋の3人でのライヴというのも聴いてみたくなる。

 変化の要因の一つはレテというこの空間。20人も入れば満員の小さな空間は、床と壁は木で、やや高い天井が打ちっ放しのコンクリート。演奏者は奥の、少し狭くなったところに位置する。木の壁で三方が囲まれたそこで奏でると、アコースティック・ギターの響きがすばらしいらしく、福江さんがあらためて驚いている。響きのよさに、いつまでもそこに座ってギターを弾いていたくなるらしい。

 演奏者のいる場所の天井には枯れ枝がからまる装飾というよりは彫刻と呼んでみたくなるものが吊るされている。音響にはこれも良い効果を生んでいるのではないか。照明はその絡みあった枝の中に吊るされた小さな電球、LEDではない、昔ながらの電球だけで、演奏中はこれも少し暗くなり、静謐な空間を生み出す。

 室内はいい具合に古びた感じで統一されている。椅子は、おそらく教会用の、背中に書類か薄い本を挿すいれものがついている。固く、小さく、坐り心地は良くないが、音楽には集中できる。トイレの扉も、ヨーロッパの旧家からはずしてきたような、白塗りのペンキがあちこち小さく剥げかけた両開き。

 全体に、下北沢のライヴハウスというよりは、どこか人里離れた岬の上にでも立つ小さなバー、という感じで、周囲の時空からすっぽりと切り出されている。

 正面、演奏者の背後の壁には、2メートル四方くらいの大きな絵の複製が、枠もなく、裸で貼られている。何を描いているのか、はじめわからなかったが、ずっと見ているうちに、どうやら中央に開けているのは川面で、両側にびっしり背の高い草が生えているのだと見えてきた。店の名前から、地獄の手前のレテ(忘却)の河かと思ったら、そうではなかった。しかし、そうであると言われても、納得する、ひどく静かな絵だ。

 ライヴは中村さんのソロで始まる。ソロ・アルバムに収めたような、静かでスローなダンス・チューンを坦々と弾いてゆく。MCの声も低く、ほとんど囁くようだ。自然にそういう振舞いになるのが、よくわかる。この空間に、騒々しいおしゃべりは似合わない。終演後のおしゃべりでも、皆さん、自然に声が低くなる。中村さんの静謐なギターの静謐なダンス・チューンは、その空間に沁み透る。

 中村さんは歌も唄う。〈見送られる人〉と〈夢のつづき〉。後者は聴いた初めから好きになったが、前者も何度かライヴで聴いて、だんだん好きになってきた。どちらも太文字で「名曲」とわめきたくなるものではないが、折りに触れて、聴いては味わいたくなる。不思議な魅力を備えたうただ。

 中村さんのラストに、福江さんと二人で〈オリオン〉。たがいにリードとリズムを交互にとるのは高橋さんの時と同じだが、シャープな高橋さんに対置すると、中村さんは全体にソフト・フォーカス。それでいて、焦点はぴしりと合っている。片方がカウンターメロディを弾いていて、するりとユニゾンになり、またふわりと離れる。うーん、たまりません。アコースティック・ギター2本のユニゾンがこんなにすばらしいとは。篠田昌已が大熊ワタルさんに、ユニゾンは深いんだよ、と言ったそうだが、いや、ユニゾンは実に深い。

 後半はまず福江さんのソロ。やはり静謐なドイツのピアニストの小品から始まり、その後は前日同様、ソロ・アルバムからの曲がメインだが、これまた響きがまるで違う。グレインでは福江さんの演奏を初めて見ることもあって、テクニックに眼を奪われたところがあるが、昨日はテクよりも曲そのものがずっと入ってくる。二度目ということはもちろんあろうが、それよりもやはりこの空間の作用が大きい。聴く者に音楽を沁み込ませるのだ。

 選曲も違ってきて、福江さんが大好きというアンディ・マッギーとエリック・モングレインの二人のギタリストの曲をカヴァーする。どちらも楽器としてのギターの限界をおし広げようという挑戦精神に満ちていて、しかも音楽として面白い。弦を叩いてわざと出すノイズが実に美しく響いたりする。福江さんの作る曲にもこの二人の影響は明らかだ。むろん、この二人だけではないはずだが。

 ひとしきりソロでやってから、また二人になる。中村さんが左、福江さんが右に座るが、幅が無いので二人は客席に直角に、互いに向かい合う形。二人でやると、またユニゾンに合わさったり、自然にズレて離れたりする対話になる。ずっとユニゾンではなく、ここぞというときにユニゾンになるのが、こんなにスリリングだとは知らなんだ。

 ハイライトはその次の福江さんの〈Coma〉で、まず中村さんがリード、応えて福江さんがリードをとる。ぞぞぞぞぞーと背筋に戦慄が走る。アコースティック・ギターの醍醐味、ここにあり。しかも、熱いのに、あくまでも静か。盛り上がるのにうるさくならない。聴く方は音楽に吸いこまれる。

 アコースティック・ギターにはやはり魔法がある。そして、この空間にもまた魔法が働いている。

 お客さんの数は少なかったけれど、ライヴに通うために九州から東京に転職したという若い女性や、hatao さんのお弟子さんで、遥々台湾から中村さんを見に来たという、これまた若い女性もいる。やはり、ここはどこか特別なのだ。当てられて、まったく久しぶりに Bushmills など飲んでみる。8月はまことに幸先よく始まった。(ゆ)

fluctuation
福江元太
gyedo music
2018-08-29


guitarscape
Hirofumi Nakamura 中村大史
single tempo / TOKYO IRISH COMPANY
2017-03-26


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