クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:アフリカン・アメリカン

5月19日・水
 F&SF 2021-05+06着。新しい編集長 Sheree Renee Thomas は今月も Editorial を書いている。毎号書くことにしたのだろうか。F&SF はごく稀に何かよほど特別な時を除いて、長いこと Editorial が無かった。 無いことが伝統にすらなっていた観があった。あたしは雑誌の編集者がこういう形で直接顔をさらすのが大好きなので、大いに歓迎する。

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 SFM も創刊当初から森さんまでは毎号巻頭言があって、毎月買ってくるとまず読むのが愉しみだった。バックナンバーを揃えた時も、まずここだけ全部読んだものだ。後に編集後記に代わって、分量も増えて、それはそれでいいんだけれど、初めに刷りこまれたので、やはりアタマに欲しい。

 オンライン・マガジンもたいていアタマにある。Asimov's も巻頭に Editorial があるのは愉しい。Locus は巻末で、やはり真先に読む。

 こういうエディトリアルがあると雑誌を作っている人間の顔が見え、声が聞える。すると、雑誌としての人格というとヘンかもしれないが、独自のキャラクターをちゃんと備えて、愛着が湧くし、内容の信頼感ももてる。巻頭言も編集後記も無い雑誌はのっぺらぼうだ。まあ、カタログ雑誌だわな。

 で、その今月の巻頭言でとりあげているのがオクタヴィア・E・バトラー。トーマスは1972年生まれというから、バトラーが Patternmaster で実質デビューした時には4歳。物心ついた時にはすでに作家としては名が通っていただろう。トーマスが名を上げるのは2000年のアンソロジー Dark Matter: A Century of Speculative Fiction from the African Diaspora の編集者としてで、これにはもちろんバトラーも The Evening and the Morning and the Night で収録されている。当時バトラーは53歳。The Parable Of The Talents を出した2年後。バトラーから見ればトーマスは娘の世代で、トーマスはバトラーを師匠で友人と呼ぶ。
 トーマスはできるだけ感情を抑えて、客観的に書こうとしているようだが、読んでいるとトーマスにとってバトラーがいかに大きな存在だったか、その憧れと敬愛の念がにじみ出るように感じる。トーマスだけでなく、どうやら女性のSFFの書き手、それもアフリカ系、黒人をはじめとする「カラード」出身の人たちにとって希望の星だった、いや、今も希望の星で、むしろその輝きは大きくなっているようにも見える。

 実際、バトラーの存在は2006年の急死以後、時が経つにつれて大きくなっている。専門の学会もあるし、研究書の類は引きも切らないし、LOA にも入ったし、昨年は初めての伝記も出た。この伝記 Lynell George の A Handful Of Earth, A Handful Of Sky は通常の伝記のスタイルではなく、残されている遺品、遺稿、書簡、書類などを手がかりに作家としての軌跡をたどる半分ヴィジュアルの本。LOA の編集者の片割れ Gerry Canavan が伝記として薦めてもいる。



 トーマスによれば、とりわけこの Parable 二部作によって、バトラーはサイエンス・フィクション的な予言者、巫女とみなされている。まあ、無理もない。この2冊にはどちらもアメリカ大統領が出てくるが、どちらもまるでトランプそっくりだ。予言者たるところはそれだけではむろんない、というより、この二部作全体が確かに予言、というより預言の書の趣きがあるけれど、2人の大統領の印象は強烈だ。直接出てくるわけではなくて、主人公の日記を通しての間接的な登場だが、それでもだ。

 それにしてもバトラーのTシャツがあり、聖人に捧げる用の蠟燭があり、絵画やアートがあり、おまけに NASA は、先日火星に着陸した探査機 Perseverance の着陸地点を Octavia E. Butler Landing と名づけた。彼女の名前を持った小惑星はすでにある。作品の劇画化もされている。トーマスの言うとおり、ハリウッドか Netflix あたりが乗出してくるのも時間の問題かもしれない。

 巻頭でトーマスがこういうことが書けるのが嬉しくてたまらない様子で賛辞を捧げれば、巻末の Curiosities ではバトラーが増刷を認めなかったために市場からは消えている Survivor が取り上げられている。ここは隠れた傑作、名作をあらためて紹介するコーナーだけど、今回は意図的だろう。Surivor はバトラーの最初のシリーズ、Patternist の3作めとして1978年に出ているが、書かれたのは最初だそうだ。探してみたが、この本だけ、手許には無かった。LOA にいずれ入るかなあ。

 自分がまさに今やっている本がこういう形で話題になってくるのは、肩にかかるものがそこはかとなく重くなってくる感覚がある。翻訳者としては話題になろうがなるまいが、坦々と最善を尽くすのが本分だ。とわかってはいても、映像化されて売れてくれれば、バトラーの他の作品もできるかと、雑念が湧いてくるのを禁じえない。(ゆ)

 あちこちにある山桜がどれも満開。

 Grateful Dead、Skull & Roses 50周年記念盤発表。6月25日発売。付録は 1971-07-02, Fillmore West の一部収録。後半中心に10曲。2003年のCD拡大版に入っていた1971-04-06からの3曲は入らないらしい。フィルモア・ウェストでのデッドの最後のショウであるこの日は FM から取ったブートが出ている。音がどれくらい違うか。一緒に出るシャツに惹かれる。


 Library Of America からオクタヴィア・E・バトラーの巻のリリース発表。編者の Nisi Shawl と Gerry Caravan へのメール・インタヴュー。なかなか面白い。しかし、バトラーの評価も高まるばかりだ。へたをするとディレーニィよりも高いかもしれない。ここにもディレーニィへの言及は無いが、バトラーの宣伝だから無理もないか。今やっているバトラーが出ることで、わが国でもこの人にもっと注目が集まるといいんだが。

 ディレーニィの作品は LOA に入るだろうか。Nova は一応入っているが。これに関する LOA サイトの Jeet Heer の記事は「ニュー・ウェーヴ」との差別化を強調しすぎているようにも見える。実質そういう面もあるだろうが、当時読者の受け取り方としては、ディレーニィはディッシュ、エリスン、スピンラッドらとともにアメリカのニュー・ウェーヴ作家の一人だったことは否めない。もちろんニュー・ウェーヴとまとめて呼ばれても、UK とアメリカでは内実が異なっていたのは当然だ。それにムアコックとの関係では「時は準宝石の輪廻のように」という大傑作が生まれている。しかし、まあ、ほんと、Nova までのディレーニィのアウトプットは爆発と呼ばれるにふさわしい。長篇だけではなく、中短篇も凄い。まさに Super Nova だ。

 LOA の Sarah Pinsker の記事を見て Woody Guthrie, Bound For Glory を注文。

Modern Classics Bound For Glory (Penguin Modern Classics)
Guthrie, Woody
Penguin Classic
2004-06-01

 

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