クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:アメリカーナ

 グルーベッジの前回のライヴの時、大渕さんが10月7日に次郎吉で自分が主催するライヴをやります、グルーベッジも出ます、というので、何をやるのかよくわからないまま、出かける。行ってみたら、大渕さんの10年来の友人という、アメリカはオレゴン州ポートランドのシンガー・ソング・ライター Kathryn Claire という人の新譜来日ツアーのラストだった。新作《Eastern Bound For Glory》は会場では売られていたが、まだ正式発売前。

 オレゴン州ポートランドときて、はてどこかで聞いた名前だと思っていたら、ハンツ・アラキと数枚、アルバムを共作していた。アルバムはうっかり聞き逃していたが、こうなると、聞かねばならない。

 今回はしかし、アイリッシュやケルト色は無く、いわゆるアメリカーナだ。大渕さん選抜のバックバンドもすばらしく、極上のアメリカーナを生で聴けた。こういう音楽を生で聴けるのは、あたしには貴重でありがたい体験。まずは、大渕さん、ご苦労様でございました。

 前半はグルーベッジ。前回、林正樹氏を迎えてのライヴは、今年最高、のみならず生涯でも最高のライヴの一つだった。今回はカルテットにもどっての、かっちりとバンドとしてまとまった、切れ味抜群の演奏。

 ナベさんはポップだというのだが、あたしにはトンガって、かつシャープ、しかも密度の濃いその音楽はむしろジャズに近く聞える。切れ味という点では、大渕さんのもう一つのバンド、ハモニカクリームズも負けないが、あちらはシャープな側面とルーズな側面の出し入れ、押し引きのバランスが身上だ。グルーベッジにはどこまでも切れ味を研いでいこうとする姿勢がある。ソロの即興にしても、ジャズや前衛音楽を指向して、どこまで切りこめるか、行けるところまで行ってやれと突っこんでゆく。それでいて一触即発の方へは傾かず、アンサンブルとしてのまとまりと絡み合いをさらに緻密にしてゆく。それはたぶん、ナベさんの性格もあるのかもしれない。ドレクスキップも後期になるにつれ、そういうところが現れていた。これをポップだというのなら、シャープなポップと言うべきか。そんなものがありえるとして、それが今回一番端的に現れていたと聞えたのは〈Cloud 9〉。


 キャスリン・クレアはフィドルも弾くそうだが、今回はバックバンド付きのせいか、あるいは大渕さんがいるせいか、本人は弾かず。大渕さんはキーボードに2曲ほどフィドルを弾き、MCもこなす。

 正直、こういうアメリカーナのシンガー・ソング・ライターは、優れた人も星の数ほどいて、誰を聴くかはもう筋をたどるしかない。何かの縁、赤い糸とは言わないが、天の、ないしはミューズの導きで出会うのをたぐるわけだ。キャスリンは日本には子どもの頃、数年滞在したこともある由で、その時通った、在日アメリカ人の子弟が通うアメリカン・スクールでソングライティングのワークショップもやったそうだ。

 キャスリンはシンガーとして一級で、重心の低い声も好み。歌作りとしても、厳しい内容を明るいメロディに載せられる人だ。このあたりがアイリッシュの流れを汲んでいるところ。ハイライトは最新作に入っている〈Dead in the Water〉。ここでの大橋氏のギター・ソロが見事。

 もう一つのハイライトはアンコール。グルーベッジのメンバーも加わっての、ジョン・デンヴァーの、たしか〈悲しみのジェット・プレーン〉という邦題がついていたヒット曲だが、思いきりアップテンポの緊張感漲る演奏が、曲の隠れた良さを展開してくれた。各メンバーにソロも回し、最高のエンディング。

 バックバンドのメンバーは大渕さんが最高と信じるメンバーを集めましたということだが、いずれも一騎当千の強者。とりわけ、ギターは大渕さんが「橙」というユニットを組んでいる相手でもある。あちらはアコースティック・ギターで、むしろ黒子に徹するところがあるが、エレキを持って、大渕さんと丁々発止するところも見たい。

 こういうシンガー・ソング・ライターなら、このバンド・サウンドも最高だが、本人のギターと大渕さんのフィドルだけというのも一度見たかった。キャスリンは結構頻繁に来日しているようだから、将来、そういうチャンスもあることを期待しよう。

 お客には大渕さんの人脈か、大渕さんと同年輩の女性が多いが、キャスリンなら、あたしと同世代の、アメリカーナが好きな爺さんたちも楽しめるはずだ。まずは、会場で買った3枚のCDとハンツとの共作を聴き込むことにしよう。(ゆ)


Kathryn Claire: vocal, guitar
大渕愛子: keyboards, fiddle
大橋大哉: electric guitars
吉川知宏: drums
藤野俊雄: bass


GROOVEDGE
渡辺庸介: percussions
大渕愛子: fiddle
中村大史: guitar
秦コータロー: accordion


Emigrant's Song/the Labourer's Lament
Hanz Araki & Kathryn Claire
Imports
2013-08-13


Bones Will Last
Kathryn Claire
CD Baby
2017-03-24




 バラカンさんが相手なので、あたしとしては気は楽だったんですが、どういう方々がお客さんに来るのかかわらず、また満員御礼ということはそれだけ期待も高いということで、気楽な一方で緊張もするという、まさにデッド的な体験でありました。

 まずは、昨夜、お越しいただきまして、まことにありがとうございました。お客様のなかには、200回以上ショウを体験された猛者もおられて、それでまた緊張が高まったりしました。全体としてはご好評をいただき、お店からもぜひとのことで、次回もやることになりました。篤く御礼申しあげます。何をやるかはいくつか腹案はありますが、まだまったく白紙です。こんなのはどうだとか、ありましたら、どうぞよしなに。

 会場のシステムもすばらしく、さんざん聴いた音源なのに、まったく新たに聴くような発見が多々ありました。田口スピーカーを初めて聴けて、感激であります。

 昨夜聴いた音源です。

01. Bertha
1972-03-27, Academy of Music, NY, NY; Dave's Picks 2015 Bonus Disc 6:57
1990-03-19, Civic Center, Hartford , CT; SPRING 1990 7:09

02. Cold, Rain & Snow
1978-07-07, 1978-07-07, Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO; JULY 1978 7:25

03. Cassidy
1972-05, ACE 3:40
1983-10-21, Centrum, Worcester, MA; 30 TRIPS AROUND THE SUN 6:11

04. Uncle John's Band
1970-06, WORKINGMAN'S DEAD 4:44
1990-03-24, Knickerbocker Arena, Albany, NY; DOZIN’ AT THE KNICK 10:05

05. They Love Each Other
1973-02-26, Pershing Municipal Auditorium, Lincoln, NE; Dick's Picks, Vol. 28 5:51
1975-09-28, Golden Gate Park, San Francisco, CA; 30 TRIPS AROUND THE SUN 7:28
1976-12-31, Cow Palace, Daly City, CA; LIVE AT COW PALACE 7:13

06. Estimated Prophet
1977-07, TERRAPIN STATION 5:37
1978-04-22, Municipal Auditorium, Nashville, TN; Dave's Picks, Vol. 15 12:35

Encore
07. Around and Around
1978-07-07, Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO; JULY 1978 8:44

 途中でフェイドアウトしたトラックもいくつかありましたが、それでも当初予定していた2時間ではとうてい終らず、30分延長させていただいてもギリギリで、どうもすみません。次回はもっと調整をきちんとします。ただ、デッドのことについてしゃべりだすと、バラカンさんも止まらなくなるというのがよくわかりました。自分もそうですが、コントロールはなかなかたいへんです。

 最初の2曲はオープナーの代表として選びました。〈Bertha〉については初期のものと後期のものの聞き比べでもあります。〈Cold, Rain & Snow〉はこんなのんびりした地味な曲からショウを始めるのは確かに不思議です。

 〈Cassidy〉は初めがハンター&ガルシアの曲なので、デッドのレパートリィの片方を支えるバーロゥ&ウィアの曲という意味合いもあります。これはウィアの《ACE》からの選曲で、スタジオ版とライヴ版の違いをまず聴いてみたいという趣旨です。《ACE》はスタジオ録音としては名盤といってもいいと思いますが、ライヴ版とは比較にならない、ということがあらためて実感できました。ライヴでの、バンド全体のからみ合い、浮遊感が、聴いたことのないほど気持ち良かった。田口スピーカーのシステムの恩恵でしょう。

 ここまでで時間を使いすぎて、〈Uncle John's Band〉は、ライヴ版を聴きながら休憩とさせていただきました。なお、〈Cassidy〉とこの曲のスタジオ版はバラカンさんがお持ちのLP(イギリス盤)とカートリッジを持参され、アナログでの再生でした。これまた気持よかった。

 〈Uncle John's Band〉のコーラス・ワークはライヴではなかなか再現が難しいですが、インストの展開はやはりライヴが圧倒的で、この1990年03月24日はガルシアのギターがなんともかわいらしい演奏を聴かせます。それと、このうたは本当に歌詞がいい。デッドの曲の通例で、意味はよくわからないところも多いんですが、何度も聴いて歌詞が体に入ってくると、それはそれは気持ちよくなります。一緒にうたいたくなります。

 〈They Love Each Other〉は、時期によって演奏のやり方ががらりと変わる様を聞き比べました。どれもそれぞれに味わいがあると思います。あたしもこの曲は後期のゆったりしたテンポで慣れていましたが、今回のイベントのために様々なヴァージョンを聴くうちに、当初の速いテンポのものもいいなと思うようになりました。

 〈Estimated Prophet〉もスタジオ版との聞き比べ。デッドのライヴのキモであるジャム、集団即興の醍醐味を味わいたく選びました。

 デッドのイベントなので、やはりアンコールは欲しいと思い、〈Around and Around〉を選びました。この曲も時期によって演奏の仕方が変わります。これは休止からの復帰後で、ゆったりしたテンポで入り、半ばから通常のロックンロールのテンポにギアチェンジします。そのカッコよさにはシビれます。


 ということで、今回はイントロとして考えてみました。次回はもう少し、細部にわけ入ってみたいと思っています。

 終了後の質問で、たくさん出ているなかで、どれから聴けばいいのか、と訊かれました。どれでもいいと思います。本当にどれでもかまいません。YouTube にはたくさん映像や音源があります。Internet Archive にはかつてはテープで聴かれていた録音がデジタルの形であがっています。

 それでも何かひとつ挙げろと言われれば、これをお薦めします。

Fallout From the Phil Zone
Grateful Dead
Grateful Dead / Wea
2005-02-14


 これはベースのフィル・レシュがバンド解散後の1997年、バンドの全キャリアの中から選んだライヴ音源集です。グレイトフル・デッドというバンドの全体像が、ごくぼんやりではあれ、浮かんでくるかと思います。この中で、ピンと来たトラックと同じ時期の他のライヴ録音を聴いてゆく、というのは一つの方法でしょう。全部OKであれば、もう立派なデッドヘッドです(^_-)。

 実を言えば、あたしがデッドにはまるきっかけの一つがこのアンソロジーでした。バラカンさんから自分はデッドヘッドだと言われた衝撃から探索をはじめ、図書館にあったこのアルバムを聴いて、これならイケる、面白いじゃないか、と実感したことからすべては始まったのであります。

 それにもちろん 30 Days Of Dead があります。毎年11月、ちょうど今月ですね、公式サイトで毎日1曲ずつ、未発表のライヴ録音がMP3の形でリリースされ、無料でダウンロードできます。この30曲は毎年、バンドの全キャリアをカヴァーする形で選ばれています。合計すれば4〜6時間、これだけでたっぷりデッドのライヴに浸れます。

 毎日クイズにもなっていて、その録音がいつのどこの演奏のものか正解がわかれば、レアで豪華な商品が抽選で当ります。これはほとんど不可能に思えるかもしれませんが、多少聞き慣れてくると見当がつくようになり、ネット上のリソースを使って絞りこむこともできるようになります。


 とまれ、まずは日頃なかなか話す相手もいないグレイトフル・デッドのことについて、バラカンさんとおしゃべりでき、またすばらしいサウンドで聴くことができて、あたしとしてはたいへん幸せでありました。これを可能にしてくれた、バラカンさん、アルテスパブリッシングの鈴木さん、風知空知のスタッフの方々、そしておいでいただいた皆様に心より御礼申し上げます。(ゆ)

 というおおけないタイトルを掲げてまずはイベントをやることになって、日々その選曲をしている。基本的に「曲」をライヴで聴こうということで、ある曲の手許にある音源を聴いて、どれをかけるかを決めてゆく。3ヴァージョンほどに絞って、バラカンさんに聴いて1本選んでもらう形。

 まずは代表曲ということになるから、音源も多い。DeadLists のデータベースで演奏回数の一番多いのは Playin' in the Band の604回。次が The Other One の601。Sugar Magnolia、600。この辺りは今回はとりあげないが、取り上げる予定の Bertha が403回で、手許にある音源がムリョ60本以上。これをひたすら聴いてゆく。

 Bertha の初演は1970年12月15日で、最後は1995年6月27日。比較的短かくて、シンプルな曲だから、まだどんどん聴いていける。グレイトフル・デッドは同じ演奏を2度しない、といわれるが、こうして聴いてゆくと、本当に全部違うのには、驚きを通りこして、呆れてしまう。集団だし、聴衆も含めれば、まったく同じ条件になることはありえないわけだから、その条件がそのまま反映されれば、同じショウが二つとないことはむしろ当然ではある。しかし、聴いていると、明らかに違うように演奏しようとしているとわかる。

 意図してこれまでとは違う演奏をしようとすると、ともすればいびつに歪んでしまうものだが、その点でもデッドは不思議なまでに無理がない。公式リリースされた音源に限っているので、当然のことながらどれも演奏の水準は高いわけで、うまくいっているケースばかりではある。リスナー録音も含めて、実際に毎日、毎回聴いていけば、歪みまくった演奏、霊感のかけらもない演奏にも遭遇するだろう。しかし、うまくいったときのデッドの演奏、音楽には、まず無理にやっているところが無いのだ。だから、どんどんと聴いていける。聴いてまったく退屈しない。同じ曲の演奏を次々に聴いていって、飽きないのである。

 アイリッシュなどの伝統音楽では、同じ曲をいろいろなミュージシャンで聞き比べることは醍醐味の一つだ。プレーヤーがある曲を覚える際にも、ベストの方法だろう。デッドの場合、それが違うミュージシャンたちではなく、デッドの中でできてしまう。

 もっともこういう聴き方は、デッドの聴き方としてはあまりいいものとは言えない。デッドの音楽の醍醐味は、1本のショウを、ひとつの話でも読むように、映画の1本を見るように、リニアに聴いてゆくところにある。それもなるべく、一息に、実際のショウと同じように、一晩で聴くところにある。そうすると、各々のショウに固有の流れが見えてきて、その流れのなかで、あらためて個々の曲が活きてくる。そういうコンテクストから外してしまうと、曲の魅力が半減してしまうことが多い。

 それでも、あえてある曲だけを聴き続けていると、それも5つや6つではなく、20とか30とかあるいはそれ以上の数のヴァージョンを聴いてゆくと、そこでようやく見えてくることもある。個々の曲の構造の細かい部分がまずわかってくる。常に同じように演奏される部分と常に変化する部分もわかる。歌詞の言わんとするところがぼんやり感得される。読んだだけでは意味不明のコトバがうたわれるのを何度も聴いていると、感覚として意味が伝わってくる。メロディと詞にしかけられたたくらみが閃くことがある。一つひとつの曲が、カラダの中に入ってくる感じがする。同じ録音を「擦り切れるまで」聴くよりも、少しずつ違う演奏を聴いてゆく方が、カラダの中により深く入ってくる感じがする。

 ひょっとするとその感覚は、リスナーよりも、演奏している側に近いのではないか。演奏している方は、1本のショウとして演っているよりも、常に今演奏しているこの曲を演っているという感覚だろう。次に何をやるのかわからないのだから、ショウ全体の見通しなどたてられるはずはない。むしろ、またこの曲を演っているという感覚ではないか。

 というようなことを考えながら、今日もデッドを聴いている。audiodrug という言葉があるらしいし、デッドといえばドラッグとは縁が深いが、デッドの音楽そのものが、こうして聴いているとドラッグ体験になってくる。

 今日は Cassidy だ。ボブ・ウィアの ACE に収録されているこの曲の録音は1972年の1〜2月。デッドが初めてとりあげるのは、それから2年ほど経った1974年3月23日。以後、1994年10月18日まで335回演奏された。デッドを本格的に聴きだした頃は、この曲はどこがいいのかよくわからなかった。バンドが休止から復帰した後の、1976年、1977年頃の演奏、それもドナ・ガチョーがウィアと並んでリード・ヴォーカルをとっているヴァージョンを聴いてから、だんだん好きになってきた。これはドナがいて初めてできた曲ではないかとすら思ったこともある。実際にはそれはありえないが、一方で、ドナがうたうことで曲としての魅力がはっきりしたということは言えるかもしれない。


 一つ、おことわりがあります。イベントの告知で、デッドの公演数を「2,600本」としているのは実は正確ではありません。ジェリィ・ガルシアの公式サイトの数字によれば、グレイトフル・デッドとしては「2,313本」です。The Warlocks としての10本を足しても「2,323」。この数字は以前から確認しているんですが、なぜか、「2,600」という数字が、頭にこびりついていて、ひょいと出てきてしまいます。

 もっとも、最初期、1965、1966年あたりには、気が向くとサンフランシスコのハイト・アシュベリーからほど近いゴールデンゲート・パークで即席のライヴを頻繁にやっていて、その数は誰にもわからないと言いますから、「2,600」という数字もまったくありえないわけでもなさそうです。(ゆ)


21世紀をサヴァイヴするためのグレイトフル・デッド入門」

日時:2017117日(火) 19時開場/1930分開演

会場:風知空知(下北沢駅南口徒歩3分)

出演:ピーター・バラカン×おおしまゆたか

料金:前売2000円/当日2500円(共に+1drink 500円)

予約:yoyaku●fu-chi-ku-chi.jp までメールで、

イヴェント名、お名前、枚数、ご連絡先電話番号を明記の上、

お申し込みください。 アルテスパブリッシング

info@artespublishing.com でも承ります。

【ご注意】

整理番号はありません。当日は先着順でご入場いただきます。

ご入場は建物1F右奥のエレベーターをご利用ください。

 グレイトフル・デッドをただ聴いているだけではがまんできなくなり、ヴェテランのデッドヘッドであるバラカンさんを巻き込み、アルテスの鈴木さんを口説いて、こんな企画を立ち上げてみたものの、いざ実行となると、あらためてエライこっちゃと慌てているのが現状。

 まあね、50を過ぎてデッドにハマったファン(あえて「デッドヘッド」とは申しません)から見ると、わが国の今のグレイトフル・デッドの評価やイメージはあまりに貧弱ないし的外れに見える。デッドの録音としてボブ・ウィアの《ACE》が最高とか言われると、ちょっと待ってよと言いたくなるのです。

 一方で、昔からのデッドヘッドの一部にある見方、60年代を知らなければ、とか、実際のライヴを体験しなければデッドはわからん、というのもまた偏ってるよなあ、と思う。

 まあ、とにかく、先入観とか、固定観念とか一度とっぱらって、デッドの音楽に、ライヴの音源に耳を傾むけてみましょうよ、それも1970年代や80年代を聴いてみましょうよ、という趣旨ではあります。

 20世紀もいろいろ大変だったわけだけど、21世紀はもっと大変な時代になっていて、たぶんもっともっと大変な時代になってゆくだろうと思われる。マイルス・デイヴィス、フランク・ザッパ、それにおそらくはデューク・エリントンと並んで、20世紀アメリカの産んだ最高最大の音楽のひとつであるグレイトフル・デッドの音楽は、その21世紀を生き延びてゆくよすがの一つになるんじゃないか。音楽に「役割」があるとすれば、サヴァイヴァルのためのツールというのが第一と思う。

 ということで、11/07、風知空知@下北沢へどうぞ。(ゆ)

「21世紀をサヴァイヴするためのグレイトフル・デッド入門」
日時:2017年11月7日(火) 19時開場/19時30分開演
会場:風知空知(下北沢駅南口徒歩3分)
出演:ピーター・バラカン×おおしまゆたか
料金:前売2000円/当日2500円(共に+1drink 500円)
予約:yoyaku●fu-chi-ku-chi.jp までメールで、
イヴェント名、お名前、枚数、ご連絡先電話番号を明記の上、
お申し込みください。 ※アルテスパブリッシング
info@artespublishing.com でも承ります。
【ご注意】
整理番号はありません。当日は先着順でご入場いただきます。
ご入場は建物1F右奥のエレベーターをご利用ください。

 「ブラック・ホーク」の時代は過去のものになった。
この本『渋谷百軒店 ブラック・ホーク伝説』は、
そのことのひとつの証左でもある。
そうだ、自分の中にくすぶっていたあの時代への郷愁もあぶり出された。


 この中で、皆さん、口をそろえて言っているが、
「ブラック・ホーク」に通ったことと、
松平維秋の文業に接したことは、
ぼくにとっても決定的な体験だった。
しかし、今やはりあれは過去のことに属する。
「ブラック・ホーク」で聞いていた音楽そのものは、
今でも新鮮に聞き返すことができるが、
松平さんが「ブラック・ホーク」を去ってからも、
音楽自体は先へ進んでいる。

 松平さんが「ブラック・ホーク」を去った時に起きていたことは、
ロックのポップ化だけでは無かった。
これも、船津さんが書いているが、
次の時代への胎動も確実に始まっていたのだ。

 「99選」に含まれるアルバムは
いずれも時代を超えた価値を持ってはいる。
だが、
ディック・ゴーハンにしても、
ヴィン・ガーバットにしても、
ジューン・テイバーにしても、
あるいは
フェアポート・コンヴェンション
ペンタングル
アルビオンズのメンバーたちにしても、
みな、その後に巨大な仕事をしてきている。
死んでしまった人びとは別としても、
生きている連中はいずれもバリバリ現役だ。
オールダム・ティンカーズだって、
活動を続けている。
例外はアン・ブリッグスぐらいだ。

 その事情はトラッドだけでなく、
他の音楽にしても同じはずだ。
「99選」のリストを全部そろえるよりも、
あそこに名前が挙がった人びとの
「その後」や「今」を追いかける方が、
収穫は遙かに大きいはずだ。

 また、
すぐれたレコードはあの99枚に限られるわけではもちろんない。
同じくらいすばらしい、
あるいはもっとすばらしいものだって、
いくらでもある。
はやい話、ここに選ばれた人びとの後を追って、
たくさんの人びとがあらわれ出ている。
かれらに負けない、
ときにはかれらもかなわない
音楽をうみ出してきている。

 加えて、
良い音楽がすべて「ブラック・ホーク」にそろっていたわけでも無い。
初期の頃はいざ知らず、
「ブラック・ホーク」がとりあげたのは英語圏白人の音楽で、
それもブルース色は極力排除されていた。
テクノやプログレ、ハード・ロックやメタル系は別としても、
アメリカン・ミュージックの二つの高峰、
フランク・ザッパとグレイトフル・デッドも、
ほぼ無視されていた。
カントリーとブルーグラスの本流も、
オールド・タイムのコアの部分も、
直接の担い手よりは、
そうした音楽を消化して独自の音楽を作った人びとを通じての、
間接的な関わり方だった。

 つまりは、
「ブラック・ホーク」で聞けた音楽のタイプは、
ごくせまい範囲のものだったのだ。
むろん、それは意図的な制限であり、
あえて守備範囲を絞ることで、
その奥の広大な世界へ分けいるためだ。
そうやって客を選別し、固定客を増やす。
他のタイプを聴きたければ、どうぞ、他の店に行ってくれ。
ここでは、これしかかけないよ。

 99枚のレコードをそろえて聴くことも、
ひとつのアプローチではあるだろう。
しかし、そこで満足してしまっては、
この99枚が提示された意図を裏切ることになる。
ほんとうにやるべきことはそこから始まるからだ。
99枚を聴くことで、
音楽への、そしてその背後の文化への、
感性を鍛えること。
そして、その感性を使いこなして、
自分なりの何かをつかみとってゆくこと。
松平さんが、言い続け、書き続けたのは、
結局そのことの大切さであり、
言い続け、書き続けることで、
そうした営為に向かって、
リスナーを、読者を励ましていたのではなかったか。
叱咤激励と書きたいところだが、
松平さんに「叱咤」は似合わない。

 この本に登場する、その後独自の道をあるいてきた人びとも皆、
「ブラック・ホーク」でおのれの感性を磨き、
みがいた感性で自らの音楽をつかみとってきている。

 つまるところ、
かの人はこの人生をどう生きるかを、
自分の手でつかみとることの大切さを
言い続け、書き続けたのではなかったか。

 これこそ、「文化的雪かき仕事」でなくてなんだろうか。

 「99選」は松平さんの意図ではない。
彼が店にあるかぎりはありえない企画だった。
これは松平さんが去った後、
殘った人びと、後から来た人びとがその仕事を継承するための、
試みのひとつだった。

 ならば、自分なりの「99選」を作ることはどうだろう。
他人に見せるための99枚のリストを作ること。
その場限りの思いつきではなく、見るものを納得させるリスト。
見た人に、そのリストを持って(中古)レコード屋を回らせるだけの力のあるリスト。
これとはまったく重複せず、
しかし、同じくらい強烈な価値観を、感性を、哲学を主張するリスト。
そういうリストを、おまえは作ることができるか。

 この99枚のリストは、じつは読者に向かって、リスナーに向かって
靜かにそう問いかけている。(ゆ)

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