クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

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 昨年11月の《30 Days Of Dead 2022》を時間軸を遡りながら聴いています。

 1979年からは今回3本、セレクトされました。
 オープナー01日の 1979-05-07, Allan Kirby Field House, Lafayette College, Easton, PA から〈Passenger〉。これは2013年の《30 Days Of Dead》でリリース済み。
 12日の1979-12-01, Stanley Theatre, Pittsburgh, PA から〈Althea〉。
 そして19日の 1979-12-07, Indiana Convention Center, Indianapolis, IN から〈Eyes Of The World〉。

 1979年には大きなできごとがあります。年頭のツアーの終った2月半ば過ぎ、鍵盤奏者がキース・ガチョーからブレント・ミドランドに交替し、キースと同時にドナ・ジーンも退団します。1970年代を支えたペアがいなくなり、ミドランドは鍵盤兼第三のシンガーとして1980年代を担うことになります。今回の3本はいずれもミドランド・デッドの時期です。

 一つの見方として、デッドのキャリアを鍵盤奏者で区切る方法があります。1960年代のピグペン、70年代のキース・ガチョー、80年代のブレント・ミドランド、90年代のヴィンス・ウェルニク。意図してそうなったわけではありませんが、結果としてきれいに区分けできてしまうことは、グレイトフル・デッドという特異な存在にまつわる特異な現象でもあります。デッドとその周囲にはこうしたシンクロニシティが実に多い。

 この年は珍しく年頭01月05日からツアーに出ます。フィラデルフィアから始め、マディソン・スクエア・ガーデン、ロングアイランド、アップステートから東部を回り、さらにミシガン、インディアナ、ウィスコンシン、オクラホマ、イリノイ、カンザス、ミズーリ州セント・ルイスまで、1ヶ月半の長丁場でした。その途中、ドナがまず脱落し、ツアーが終って戻ったキースと相談の上、バンドに退団を申し入れ、バンドもこれを了承しました。

 前年の末からキースの演奏の質が急激に低下します。その原因はむろん単純なものではありませんが、乱暴にまとめるならば、やはり疲れたということでしょう。デッドのように、毎晩、それまでとは違う演奏、やったことのない演奏をするのは、ミュージシャンにとってたいへんな負担になります。デッドとしてはそうしないではいられない、同じことをくり返すことの方が苦痛であるためにそうやっているわけですが、それでも負担であることには違いありません。

 それを可能にするために、メンバーは日頃から努力しています。もっとも本人たちは努力とは感じてはいなかったでしょうけれども、傍から見れば努力です。何よりも皆インプットに努めています。常に違うことをアウトプットするには、それに倍するインプットが必要です。キースもそれをやっていたはずで、そうでなければ仮にも10年デッドの鍵盤を支えることはできなかったはずです。それが、様々の理由からできなくなった、というのが1978年後半にキースに起きたことと思われます。そのため、キースは演奏で独自の寄与をすることができなくなります。そこでかれがやむなくとった方策はガルシアのソロをそっくりマネすることでした。このことはバンド全体の演奏の質を大きく低下させました。

 最も大きくマイナスに作用したのは当然ガルシアです。ガルシアは鍵盤奏者の演奏を支点にしてそのソロを展開します。鍵盤がよい演奏をすることが、ガルシアがよいソロを展開する前提のひとつです。それが自分のソロをマネされては、いわば鏡に映った自分に向って演奏することになります。その演奏は縮小再生産のダウン・スパイラルに陥ります。

 公式リリースされたライヴ音源を聴いていると、1979年に入ってからのキースの演奏の質の低下が耳につきます。したがって鍵盤奏者を入れかえることはバンドとしても考えなければならなくなっていました。ガルシアは代わりの鍵盤奏者を探して、当時ウィアの個人バンドにいたミドランドに目をつけていました。

 ミドランドがアンサンブルに溶けこむためにバンドは2ヶ月の休みをとり、04月22日、サンノゼでミドランドがデビュー、05月03日から春のツアーに出ます。05月07日のペンシルヴェイニア州イーストンはその4本目です。

 この年のショウは75本。レパートリィは93曲。新曲は5曲。ハンター&ガルシアの〈Althea〉〈Alabama Getaway〉、バーロゥ&ウィアの〈Lost Sailor〉と〈Saint of Circumstances〉のペア、そしてミドランドの〈Easy to Love You〉。

 1979年にはかつての "Wall of Sound" に代わる新たな最先端 PA システムが導入されます。デッドはショウの音響システムについては常に先進的でした。目的は可能なかぎり明瞭で透明なサウンドを会場のできるだけ広い範囲に屆けることでした。〈Althea〉やガルシアのスロー・バラードの演奏にはそうしたシステムの貢献が欠かせません。

 この年は世間的にはクラッシュのアルバム《ロンドン・コーリング》でパンクがピークに達し、デッドはもう時代遅れと見る向きも顕在化しています。一方で、この頃から新たな世代のファンが増えはじめてもいて、風潮としてはデッドやデッドが体現する志向とは対立する1980年代のレーガン時代を通じて着実にファン層は厚くなっていきました。ちなみにデッドヘッドは民主党支持者に限りません。熱心な共和党支持者であるデッドヘッドはいます。

 時間軸にしたがって、まずは 1979-12-07, Indiana Convention Center, Indianapolis, IN から〈Eyes Of The World〉です。第二部オープナー〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉が一度終った次の曲で、ここからクローザー〈Johnny B. Goode〉までノンストップです。

 ショウは10月24日から始まる26本におよぶ長い秋のツアー終盤の一本。このツアーは3本後の12月11日のカンザス・シティまで続きます。

 長いツアーも終盤でやはりくたびれてきているのでしょうか。ガルシアの声に今一つ力がありません。全体に第二部は足取りが重い。重いというと言い過ぎにも思えますが、〈Eyes Of The World〉は軽快に、はずむように、流れるように演奏されるのが常ですが、ここでは一歩一歩、確かめながら足を運んでいます。くたびれたようではあるものの、ガルシアはここで3曲続けてリード・ヴォーカルをとってもいますから、踏んばろうと気力をまとめているようでもあります。後半、ギターが後ろに引込んで、もともと大きかったベースと電子ピアノが前面に出て明瞭になります。とはいえ、それによって全体のからみ合いがよりはっきりと入ってきて、ひじょうに良いジャムをしているのがわかります。

 この後はウィアの〈Lost Sailor> Saint Of Circumstance〉のペアから space> drums> space ときて、本来のどん底を這いまわる〈Wharf Rat〉。そしてそのパート3から一気に〈Around And Around〉と〈Johnny B. Goode〉のロックンロール二本立てのクローザー。ここへ来て、ずっと頭の上にのしかかっていたものに耐えていた、耐えて矯めていたものを爆発させます。アンコール〈U. S. Blues〉が一番元気。

 疲れたらそれが現れるのを無理に隠そうとはしません。また飾りたててごまかすこともしない。疲れたなりに演奏し、それが自然な説得力を持つのがデッドです。そして結局演奏することで自らを癒す。より大きな危機も音楽に、ショウに集中することで乗り越えてゆきます。このショウはベストのショウではありませんが、デッドの粘り強さがよりはっきりと聴きとれます。(ゆ)

 昨年11月ひと月かけてリリースされた《30 Days Of Dead》を年代順に遡って聴く試み。20日リリースの 1980-05-31, Metropolitan Sports Center, Bloomington, MN からクローザーへ向けての3曲のメドレー〈I Need A Miracle> Bertha> Sugar Magnolia〉です。ショウは04月28日アラバマ州バーミンガムから始まった春のツアー後半の3本目。この後半は6月中旬、アンカレッジでの三連荘で打上げます。

 1980年は01月13日にカンボディア難民支援のチャリティ・イベントに参加しただけで、始動は遅く、03月31日ニュー・ジャージー州パサーイクから。ショウの総数は86本。レパートリィは103曲。新曲はミドランドの〈Far from Home〉とバーロゥ&ウィアの〈Feel like a Stranger〉。どちらもこの年04月にリリースの新譜《Go To Heaven》収録。

 このツアーの後、07月01日のサンディエゴを終えて1ヶ月半の夏休みに入りますが、その23日、キース・ガチョーが交通事故で死亡します。ピグペン、キース、ブレント・ミドランド、ヴィンス・ウェルニクの4人のデッドの鍵盤奏者はいずれも悲劇的な死に方をしています。

 秋にはサンフランシスコのウォーフィールド・シアター、ニューヨークのラジオシティ・ミュージック・ホールで長期レジデンス公演をします。この時は第一部がアコースティック・セット、第二部以降がエレクトリック・セットという構成でした。デッドが集中的にアコースティック・セットを演奏したのは1970年頃以来で、これが最後。ここからは《Reckoning》《Dead Set》というライヴ・アルバムがリリースされました。ライヴ音源を聴くかぎり、デッドはアコースティック・アンサンブルとしても一級で、こういう演奏をもっと聴きたかったものです。

 このショウは第二部だけ SBD があります。
 
 オープナーの〈Feel Like A Stranger〉は2ヶ月前にデビューして、これが16回目の演奏ですが、ミドランドのキーボードとコーラスの効果は歴然。ガルシアのギターもこれに感応しています。

 一度終って〈Ship of Fools〉。歌の裏のミドランドの電子ピアノが美味。ガルシア力唱。とはいっても、力みがないのがこの人の身上。

 やはり一度終って〈Last Sailor〉からは今回リリースされたクローザー〈Sugar Magnolia〉までノンストップ。〈Last Sailor〉は前年夏のデビューで、まだ新しい曲。1986年まではこの曲の後には〈Saint Of Circumstance〉が続きます。この二つは組曲になっていますが、さらに後者自体が少なくとも二つのパートに別れる組曲なので、ペアで演奏すると3曲の組曲に聞えます。このショウでは、後者の後半はまったく曲から離れた集団即興=ジャムになります。必然性は見えないけれど、聴いている分にはまことに面白いこの現象もデッドならではです。

 続くは〈Wharf Rat〉。やや闊達な演奏ですが、ガルシアのヴォーカルはむしろ抑え気味。ここではガルシアは歌っている間、ギターをほとんど弾きません。このヴァージョンはパート3でがらりと雰囲気が変わります。パート3が晴れやかな気分になるのはいつものことではありますが、ここはその切替えが大きい。ガルシアのギターは歌とは裏腹に緊張感が強い。

 イントロからベースのリフが入って〈The Other One〉。始まって間もなく少しの間 AUD になり、また SBD に戻ります。ここにアップされているのは Charlie Miller によるマスターなので、ミラーによる作業でしょう。演奏はいいです。間奏でのガルシアのギターは「ロック」してます。2番の歌詞の後、ガルシアがフリーの即興を続け、他のメンバーは小さな音でこれに反応します。しばし即興を続けてからガルシアも音を絞り、ドラマーたちに讓ります。

 Drums ではまず〈The Other One〉後半では沈黙していたクロイツマンがひとしきり叩いてから、ハートが加わって対話。一度終ってからハートが何やらドラム系ではない打楽器を叩きだし、しばらくしてガルシアがギターでメロディのない音数の少ないフレーズを弾きだして〈Space〉。

 〈Space〉からの曲が今回リリースされた〈I Need a Miracle〉。以下〈Sugar Magnolia〉までほぼ同じテンポ、アップビートな曲で軽快に駆けぬけます。前半はどちらかというとヘヴィに打ちこんできますが、後半は軽やか。この軽やかな〈Sugar Magnolia〉はいいなあ。

 このショウはダブル・アンコールで、一つ目が〈U. S. Blues〉、二つ目が〈Brokedown Palace〉。

 〈U. S. Blues〉は第二部後半の軽やかに弾む感覚が続いてます。ウィアがスライド・ギターでおいしいフレーズを連発します。とてもアンコールではないです。

 〈Brokedown Palace〉は再び AUD。音の良い AUD で、コーラスをきれいに捉えてます。これも明るく開放的な演奏。

 1980年代前半はこれまで公式リリースが少ないですが、こういうショウがあるんですねえ。(ゆ)

 グレイトフル・デッドの毎年11月恒例の《30 Days Of Dead》2022年版を年代順に遡って聴いています。
 今回は11-16リリースの 1981-12-06, Rosemont Horizon Arena, Rosemont, IL から〈To Lay Me Down〉。なお、このショウからは第一部9曲目〈Jack-A-Roe〉が2020年の《30 Days Of Dead》でリリースされています。

 毎年12月上旬はあまりショウはやりませんが、この年は珍しく11月29日ペンシルヴェイニアから12月09日コロラドにかけて短かいツアーをしています。この後は12日にカリフォルニアで軍縮を訴える音楽イベントをジョーン・バエズとやった後、26日からオークランドで恒例の年末年越しショウに向けての5本連続です。

 1981年はスロー・スタートで02月26日シカゴでの三連荘が最初。それでもショウの数は82本、レパートリィは123曲。デビュー曲は1曲だけで、ミドランドの〈Never Trust a Womon〉でした。この年の出来事としては春と秋の2回、ヨーロッパ・ツアーをしています。春はロンドンで4本連続をやった後、当時西ドイツのエッセンでザ・フーとジョイント。

 この時、New Musical Express の記者でパンクの支持者だった Paul Morley がガルシアに長時間インタヴューをします。パンクにとってはデッドは許しがたいエスタブリッシュメントだったわけですが、ガルシアは持ち前のユーモアと謙虚な態度でいなし、それにあくまでも愛想の良さを崩さなかったため、結果として出た記事ではモーリィが言いくるめられているように見えてしまい、これに怒った読者が数千人、雑誌の定期購読をやめるという事態になりました。今からふり返れば、パンクは表に現れた姿としてはデッドの音楽とは対極に見えても、根っ子ではかなり近いところから発していたので、そんなに怒ることもなかろうと思ったりもしますが、当時は何かと怒ることがカッコいいとされていたのでしょう。

 デッドは10月に再度ヨーロッパに渡り、イングランド、西ドイツ、デンマーク、オランダ、フランス、そしてスペインで唯一のショウをしています。

 また4月に《Reckoning》、8月に《Dead Set》の2枚のライヴ・アルバムが出ました。前年秋のサンフランシスコのウォーフィールド・シアター、ニューヨークのラジオシティ・ミュージック・ホールでのレジデンス公演からのセレクションで、前者がアコースティック・セット、後者がエレクトリック・セット。どちらも2枚組。後にCD化される際、トラックの追加がされています。アコースティック・セットはいくつか完全版が公式リリースされていますが、エレクトリック・セットは部分的なリリースだけです。完全版のリリースは50周年、2030年まで待たねばならないのでしょうか。

 このショウのヴェニューはシカゴ、オヘア空港そばの定員18,500人の多目的アリーナで、デッドはこの時初めてここで演奏し、1988年、89年、93年、94年といずれも春のツアーの一環として三連荘をしています。この時は開演午後8時で、料金は10.50ドルから。この頃になるとデッドヘッドは子どもたちをショウに連れてくるようになっていて、この日は特に多く、ウィアが「今日は子どもの日だね」とコメントした由。

 このショウの SBD はこの頃定番だったカセットではなく、オープン・リールに録音されているそうです。

 〈To Lay Me Down〉は第二部オープナー〈Samson And Delilah〉に続く2曲目で、次は〈Estimated Prophet> Eyes Of The World〉。

 この曲はガルシアのバラードの1曲。ハンター&ガルシアのコンビには、スロー・バラードのジャンルに分類できる曲がいくつもあって、これもその一つ。なお、スタジオ盤としてはガルシアの1972年のファースト・ソロに収められました。ちなみにこのファースト・ソロ収録10曲のうち、〈Deal〉〈Bird Song〉〈Sugaree〉〈Loser〉〈The Wheel〉とこの〈To Lay Me Down〉の6曲がデッドのレパートリィの定番になっています。もっとも〈Loser〉〈The Wheel〉以外の4曲はこのアルバム録音前から演奏されていました。〈To Lay Me Down〉も1970年07月30日初演。1980〜1981年に最も集中的に演奏されました。全体では64回演奏。

 〈Samson And Delilah〉はウィアのヴォーカルはいつもの調子で、ガルシアがギターを弾きまくります。ウィアがこれにスライドを合わせ、ミドランドがハモンドで支える形。

 次の曲が決まるまで、かなり時間がかかります。けれど、この後は〈To Lay Me Down〉からクローザーの〈Good Lovin'〉までノンストップです。

 〈To Lay Me Down〉の演奏はさらにゆったりで、やや投げやりともいえそうに始まりますが、徐々に熱気を加え、最後には相当に集中した演奏になるところが今回選ばれた理由でしょうか。

 一度きちんと終って間髪を入れずに〈Estimated Prophet〉。七拍子のこの曲は、当初はウィアが「ワン・ツー・フォー……」と数えて始まっていますが、この頃になると、いきなり始めています。歌のコーダではウィアがいかれたヤク中になりきっての熱演。いつもここは熱演になりますけど、この日の熱演はひときわ熱が入ってます。ウィアが歌を終らせるのを待ちかねたようにガルシアが2度目のソロ。1度目以上にメロディからはすっ飛んで、ギターの音色もどんどんと変えて、デッド流ロック・ジャズの精髄。

 いつの間にかビートが変わっていて、これという切れ目もなく〈Eyes Of The World〉に入ります。〈Estimated Prophet〉もわずかに速いテンポでしたが、こちらもそのまま疾走します。ガルシアも〈Estimated Prophet〉の後半から、細かい音を素早く連ねます。それにしても「世界の目」とは、世界を代表して見る目か、世界の中心としての目なのか。それとも両方を含めたダブル・ミーニングなのか。歌が終ってからのインスト・パートではガルシアの「バンジョー・スタイル」ギターが渦を巻き、バンドを引きこみます。やがてガルシアとウィアが残り、ウィアが締めて Drums にチェンジ。

 ビル・クロイツマンは10本ショウをやる毎にドラム・キットのトップの革を張りかえていたそうですが、ここでの叩きぶりを聴くと、さもありなんと納得できます。後半、ハートが背後に並べた巨大太鼓を叩くと、捕えきれずに、音が割れています。

 Space ではウィアとガルシアがまずスライド・ギターで音を散らし、ハートが様々なノイズを出すパーカッションを操り、おそらくレシュが背景を作って、ミドランドが風の音を送りこむ。いつもはドラマーたちは引っこみますが、この日はハートが殘って、いろいろな音を加えています。

 次の曲は〈Not Fade Away〉ですが、様々なサウンドや手法を試すように延々とイントロを続け、やがて前半とは対照的に遅めのテンポで曲本体が始まります。お祭りの曲というよりは、おたがいの間隔を広めにとり、ガルシアのソロも考えながら弾いている表情。

 続くは〈Wharf Rat〉。あたしの大のお気に入り。これが出てくると顔がにやけてしまいます。この曲は三つのパートからなる組曲になっていて、デッドの組曲好きが最も成功している例でもあります。パート2のガルシア、ウィア、ミドランドのコーラスが、うー、たまらん。ここでもガルシアは歌のメロディからはとび離れたギターを弾きますが、ここではジャズになりません。でもこれはロック・ギターでしょうか。どうでもいいことかもしれませんが、ギタリストとしてのガルシアはジャンルの枠組みにはおさまらない器の大きさを備えています。その点ではジミヘンもザッパも及ばないところがあります。よくあるロック・ギタリスト・ベスト100とかに現れるのはギタリスト・ガルシアのごく一部でしかない。

 クローザー〈Good Lovin'〉もゆったりとしたテンポで、前に突込まず、八分の力で半歩、いやほんの5ミリほど足を退いたところで演っています。クールというのともちょっと違う。ほんのわずか踏むところがずれると冷たく生気を失いかねない、軽やかな綱渡り。

 アンコールは〈Brokedown Palace〉。なんということもない演奏ですが、名曲に堕演なし。

 このショウはアメリカでは衛星ラジオ Sirius のデッド・チャンネルで放送もされているそうです。1980年代はガルシアの健康問題もあって、ショウの質が定まらず、そのせいか、他の時期に較べると評価も高くありませんが、良いものはやはり良い。公式リリースが待たれます。(ゆ)

 まずは前回の訂正。
「AUD は残念ながらアンコール〈It's All Over Now, Baby Blue〉は収録なし」
 と書きましたが、順番を替えて、第一部のクローザー〈Keep Your Day Job〉の後にちゃんと入っていました。勘違いしてすみません。これもかなり良い演奏。

 1984年からのもう1本は04日リリースの 1984-04-16, Community War Memorial Auditorium, Rochester, NY から〈Dupree's Diamond Blues〉です。

 この年は03月28日から地元サン・ラファルの Marin Veterans Memorial Auditorium での4本連続ランで始動し、4月06日のラスヴェガスから春のツアーを始め、ロチェスターは四つめの寄港地です。このツアーは30日にロングアイランドで打ち上げます。

 この年のショウは64本、レパートリィは125曲。新曲はいずれもミドランドがらみで、〈Don’t Need Love〉と〈Tons Of Steel〉。それにトラフィックの〈Dear Mr. Fantasy〉のカヴァー。〈Dear Mr. Fantasy〉は後に〈Hey Jude〉と組合わされて、第二部後半の呼び物の一つとなります。

 この年、デッドは二つ、新しいことを始めます。一つはレックス財団 The Rex Foundation、もう一つが "Taper's Corner" です。

 デッドは結成当初から様々なベネフィット、チャリティ活動に参加し、演奏していますが、せっかくの収入の大半がたいていの場合、経費などの名目で途中で消えてしまうことに不満でした。そこで援助したい相手に直接資金を渡せるシステムとしてレックス財団を立上げたのです。レックスはクルーの一人 Rex Jackson からで、その急死を惜しまれていた人です。バンドはショウからの収入の一部を財団に寄付し、財団は5,000〜10,000ドルを個人や団体に寄付します。財団の評議員にはバンド・メンバー、クルー、スタッフに、ビル・グレアムとジョン・シェア、それにビッグ・ネーム・ファンでバスケットボールのレジェンド、ビル・ウォルトンも加わりました。財団が援助したのはミュージシャンだけでなく、学校や文化活動、AIDS 対策など多岐にわたります。ガルシアがかつてのよりを戻すために、デヴィッド・グリスマンへの資金援助を財団を通してやってもいます。この年最初の4連荘はレックス財団発足のお披露目でもありました。

 「テーパーズ・コーナー」は10月27日の Berkeley Community Theatre でのショウから導入されました。ガルシアの「公認」以来、ショウを録音する人間 Taper の数が増え、ベストの録音場所を求めた結果、サウンドボードの前に録音用のマイクが林立し、サウンド・エンジニアからステージが見えない事態にまでなっていました。また、テーパーの中には録音に熱中するあまり、周囲のファンに迷惑をかけることを顧ない者もいて、顰蹙をかってもいました。そこでサウンドボードの後ろに "The taper's section" または "The taper's corner" が設けられ、ショウを録音しようとする人間の指定席とされます。テーパーたちはこの席のチケットを買うことになりました。この措置は一方でショウの録音をバンドが正式に公認したことにもなりました。

 テープと呼ばれるショウの録音がデッドのファン・ベース拡大に果した役割はどんなに大きく評価してもし過ぎることはありません。テープがなければ、デッドが生きのびられたかどうか、危ういものがあります。デッドのテープ文化はそれ自体、大きな拡がりをもち、たいへん面白いテーマで、何冊もの本がすでに出ており、またこれからも出るでしょう。あたしらもまた、その恩恵を現在も受けています。解散後にファンになった人たちの中にも、公式に出ているサウンドボード録音 SBD よりも聴衆による録音 AUD の方が好きだという向きもあります。ひとつには AUD の方には聴衆の反応が大きく、明瞭に捉えられているからです。

 この年にはもう一つ、スタッフに変化がありました。ロック・スカリーが過度の飲酒でクビになり、アルコール中毒者更生施設に送られました。スカリーはパブリシスト、メディア担当の渉外係も兼ねていたので、デッドの存在が大きくなっているところで代わりの担当者が必要とされ、ガルシアの指名で Dennis McNally が就任します。マクナリーはジャック・ケルアックの伝記を書いていて、それを送られて読んだガルシアはマクナリーにデッドの伝記を書くことを提案していました。マクナリーはメディア担当としての経験も組込んで、バンド解散後、初の公式伝記 A Long Strange Trip, 2002 を執筆・刊行しました。関係者が多数まだ生きている時期で、内部にいた人間がこれだけ冷静かつ公平でバランスのとれた伝記を書いたのは、たいしたものだとあたしは思います。グレイトフル・デッドのキャリアについての基本文献です。

 この日04月16日のショウにも AUD があります。かなりクリアな佳録音です。

 オープナー〈Shakedown Street〉はガルシアが長いソロを展開します。こりゃあ、調子がいいです。

 〈Little Red Rooster〉ではウィアの声に思いきりリヴァーブがかけられ、スライド・ギターも見事。二度めの間奏ではミドランドのハモンド・ソロが聞き物。これを受けてウィアのスライドが再び炸裂。さらにガルシアが渋く熱いソロ。これはオールマンでも滅多に聴けないホットなブルーズ・ロックです。

 次は暗黙のルール通りガルシアの持ち歌で〈Peggy-O〉。この曲もいろいろ違った顔を見せます。ここでは歌も演奏もよく弾んで、やや明るい歌。感傷にも沈まず、脳天気にも飛びさらない、地に足をちゃんとつけて、酸いも甘いも噛みわけたような演奏。ここでもガルシアの声に軽くリヴァーブがかけられます。ガルシアの喉の調子が今一つで、痰がからんだような声になるので、そのカヴァーかもしれません。こういう判断はエンジニアのダン・ヒーリィがやっていたらしい。

 次のウィアは〈Me And My Uncle> Mexicali Blues〉のメドレー。この頃に多い組合せ。前者の間奏でガルシアが珍しくソロを3コーラス。確かによくはじけた演奏。この曲ではウィアの歌の後ろでもギターを弾いていて、それもかなり粋。曲は一度終りますが、ドラムスがそのまま次へ続けます。こちらでもガルシアがぴんぴんと硬く張った響きでやはり粋なソロを聴かせます。メロディから離れたりまた戻ったり。ここでもウィアの声に軽くリヴァーブがかかっているように聞えます。あるいはこのヴェニューの特性かも。

 次が今回リリースされた〈Dupree's Diamond Blues〉。この SBD は流通していないようです。AUD ではよく聞えないレシュとハートも明瞭。ここでのガルシアのソロはこの日の演奏に共通してよく弾んでます。

 ウィアの〈Cassidy〉ではミドランドが初めからずっと声を合わせます。ドナ時代のフォーマットの再現。この歌はこの形の方があたしは好き。その裏でガルシアもギターを合わせます。途中で少しダークなムードから始まるジャムがすばらしい。流れは続いていますが、曲からはまったく離れて、まるで別の曲。そしてコーラスにもどって静かに終る。いやあ、カッコええ。

 次はやはり少しダークな〈West L.A. Fadeaway〉。わずかに遅めのテンポで重いものが敏捷に跳ねてゆく感じ。この曲も魅力がわかるのにあたしには時間がかかりました。これはその名演の一つです。それにしてもロサンゼルスの西は太平洋で、West L.A. ってどこなんでしょう。

 第一部締括りは順番を無視してガルシアの〈Might As Well〉。ガルシアの声はもう潰れる寸前。ふり絞るのが愉しいと言わんばかりの歌唱。

 1時間超の第一部。かなり良いショウです。(ゆ)

 新年のご挨拶を申しあげます。

 今年が皆さまにとって実り多い年になりますように。


 昨年後半はとにかくグレイトフル・デッドばかり聴いていましたが、今年はもっと聴くことになりそうです。これまでは公式リリースを追いかけていましたが、年末の《30 Days Of Dead 2022》にひっかけて、AUD つまり聴衆録音も聴きだしました。これからできるかぎり聴いていこうと思ってます。

 オーディオ方面では昨年末に買った final ZE8000 がすばらしく、当分、これがあれば他は何も要らないくらいです。Amarra Play を通じて iPhone で Tidal も聴けるので、iPhone と M11Pro と ZE8000 で完結してしまっています。せっかく買った RS2 は、有線で聴くことが突然なくなってしまったので、宝の持腐れになってしまいました。また突然気が変わるかもしれませんけれど。

 今年、期待するものといえば final の耳かけ型ヘッドフォンです。

 読書では昨年秋、突如ハマってしまった石川淳を今年も読みつづけるでしょう。小林秀雄> 隆慶一郎の言葉を借りればあたしは今石川淳という事件の真只中です。いずれ読もうと買っておいた最後の全集が役に立っています。ただ、各種文庫の解説がなかなか面白い。

 さらに年末に宿題が出たドストエフスキーからトルストイ、プラトーノフ、グロスマン等のロシア文学も読むことになるしょう。 今だからこそのロシア文学です。それにグロスマンはウクライナ生まれですし。

 仏教関係にもハマりつつあります。今のところ鎌倉周辺。法然、親鸞、日蓮、道元、栄西あたり。それと原始仏教という、いわば両極端が面白い。これもあって、承久の乱前後の鎌倉時代がまた面白くなりだしました。

 SFFではアジア系をはじめとする女性の書き手たちという一応のテーマはありますが、あいかわらずとっちらかることでありましょう。

 しかしまあ、時間はどんどん限られているのに、読みたい本、聴きたい音楽は増えるばかり。ライヴも復活してきましたし、優先順位をつけるのがたいへん。一度つけてもしょっちゅう変わります。『カラマーゾフの兄弟』のように突然入ってくるものもあります。

 ということで、ここの記事はこういうことが主になるでありましょう。よしなに、おつきあいのほどを。



 では、《30 Days Of Dead 2022》のリスニングを続けます。

30 Days Of Dead 2022 を聴く。その10

 1986、85年からは今年はピックアップされず、次は1984年から2本、13日リリースの 1984-10-15, Hartford Civic Center, Hartford, CT のショウから〈Hell In A Bucket> Sugaree〉と、04日リリースの 1984-04-16, Community War Memorial Auditorium, Rochester, NY から〈Dupree's Diamond Blues〉です。それぞれ春と秋のツアーからです。

 前者はこのヴェニュー2日連続の2日目。10-05から10-20までの短いツアーの5つめの寄港地。ノース・カロライナでスタート、ヴァージニア、マサチューセッツ、メイン、そしてここ。この後はニュー・ジャージーとニューヨークのアップステート。1週間あけてバークリィで6本連続をやると、後は年末です。

 この日のショウからは4曲目の〈Bird Song〉が2018年、第二部3曲目の〈Playing In The Band〉が昨年の、それぞれ《30 Days Of Dead》でリリースされています。なお、〈Playing In The Band〉の返りはその後、クローザー〈Sugar Magnolia〉の前です。すなわち、Drums> Space> 〈The Wheel〉> 〈Wharf Rat〉までが〈Playing In The Band〉にはさまれています。

 〈Playing In The Band〉は演奏回数の最も多い曲の一つで、1968年のデビュー以降、キャリア全体にわたって演奏されていますが、変貌の最も大きな曲でもあります。初めは5分で終っていたものが、1972年春のヨーロッパ・ツアー中に長くなりはじめ、ついには大休止の前には30分を超えるのも珍しくないほどになります。極限まで伸ばされたその次に、間に別の曲がはさまりだし、それも1曲2曲と増えていって、やがては第二部全体がはさまる、つまり〈Playing In The Band〉でスタートして、クローザーないしその前でまた還ることも起きてきます。最後にはその日には還らず、数日置いて還るようにまでなりました。同じ曲の様々な演奏、ヴァージョンを続けて聴いてゆくのは、デッドの音楽の聴き方としてショウを丸々1本聴いてゆくのに次いで面白く、また成果も大きいものの一つです。ショウを聴いてゆくのを横糸とすれば、同じ曲を聴いてゆくのは縦糸になるでしょう。その中でも〈Playing In The Band〉の聴比べは最高に愉しいものです。ただし、とんでもなく時間もかかります。

 今回リリースされたのはオープナーからの2曲。曲は一度終りますが、間髪入れずガルシアがリフを始めます。このあたり、あるいはあらかじめ決めていたか。デッドは次に何を演奏するかはその場で決めていますが、オープナーや最初の2曲はステージに上がる前に決めることもありました。

 演奏はすばらしい。ここではガルシアのソロがひっぱります。どちらもメインのメロディのヴァリエーションながら、意表をつくフレーズを連ねます。〈Hell In A Bucket〉のソロもよいですが、〈Sugaree〉がやはり凄い。大休止からの復帰後、この曲の即興パートはごくシンプルな音を坦々と重ねて壮大な展開になるようになります。1977年春などはこのままついに終らないのではないかと思えるほどです。ここではそこまではいきませんが、それぞれのソロは彩りを変えて面白い。この録音ではウィアの煽りも愉しい。ただ、1970年代に比べると、どこか切羽詰った響きがあります。ウィア、ガルシアともにヴォーカルも好調。

 ガルシアの調子がよいのでしょう、次の〈El Paso〉でも珍しくソロをとり、それも良いギターを聴かせます。ここでソロをやれという指示はこの頃はウィアが出していたようです。

 〈Bird Song〉もテンポがわずかに速い。つんのめるわけではありませんが、のんびりしていられないという、何かに追いかけられているような感覚が無くもありません。その緊張感はジャムではプラスに作用しています。ウィアがほとんど暴力的なサウンドで噛みつくのに、ガルシアが太刀先を見切るようなソロで逃げる。かと思うといきなり丁々発止。こりゃあ、いい。光と影が交錯する、すばらしい演奏。

 〈C C Rider〉はブルーズ・ビート。ここでもガルシアは難しいことは何一つやりません。弾くだけなら誰でも弾けそうなシンプルなギターなのに、じゃあ、弾いてみろと言われれば、たいていのギタリストでは聴くにたえないものになるんじゃないか。2番の後、ミドランドとウィアが各々にまた美味しいソロ。ウィアはやはり相当にアグレッシヴ。さらにガルシア。さらにシンプルで美味しいギター。

 この頃の AUD を聴くとほとんどの歌を聴衆が最初から最後まで大合唱してます。デッドの曲は決してカラオケ向きではない、むしろ歌いにくいものが多いんですが、皆さん、耳がいいのか。〈Tennessee Jed〉もその典型。ビートものんびりしているようで、よく弾む感じをきちんと摑むのは簡単ではないでしょう。ガルシアのギターにはいつものおとぼけがちょっと足りないかな。

 〈Jack Straw〉も始まりこそとぼけていますが、中間部では疾走感がみなぎります。この曲のリード・ヴォーカルはウィアですが、珍しくガルシアが一節歌うところがあります。2人が交互にリードを歌う曲はこれだけでしょう。当初はウィアが終始ひとりで歌っていましたが、何度か試した後、一節だけ、ジャック・ストロウに殺される相棒のセリフをガルシアが歌うようになります。そう、これは人殺しの歌です。

 間髪入れずガルシアがリフを始めて第一部クローザー〈Keep Your Day Job〉。悪い曲じゃないと今聴くと思うんですが、この曲はデッドヘッドにとにかく嫌われ、あまりの不人気に4年ほどでレパートリィから落ちます。それでも4年間は演奏されつづけました。

 後半もテンションは落ちません。オープナーは〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain〉のメドレーという定番ですが、演奏はすばらしい。どちらもヴォーカルに力がありますし、ジャム=集団即興にはぞくぞくします。こういうのを聴くのがデッドを聴く醍醐味。

 続く〈Playing In The Band〉は70年代を髣髴とさせる長いジャムを展開します。これも聴きごたえがあります。半ばでフリーになってますます70年代の雰囲気が濃くなり、さらに宇宙を旅してゆく感覚の演奏が続きます。そこから自然に〈Drums〉ですが、この AUD では短くカットされているのは残念。〈Space〉はギタリスト2人の掛合い。ここから〈The Wheel〉さらに〈Wharf Rat〉という流れも定番ではありますが、この組合せは何度聴いてもいい。〈Playing In The Band〉の還り、つまりしめくくりの演奏が来ると、ここまで長く入り組んだ路を旅してきて、故郷にもどった気分。デッドのショウを聴くのは多様な寄港地をへめぐる旅をするのに似ています。間髪を入れずに〈Sugar Magnolia〉。ここでもガルシアがすばらしいギターで全体をひっ張ります。1980年代前半はあまり評価が高くありませんが、こういう演奏があるなら、もっと聴きたい。

 AUD は残念ながらアンコール〈It's All Over Now, Baby Blue〉は収録なし。(ゆ)

 1988年からの選曲は今回無しで、次は02日リリースの 1987-09-15, Madison Square Garden, New York, NY から〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉です。このペアは 1991-03-24 にも出ていますから、同じ曲がどう変わるかも体験できます。

 ここは肝心のところで、デッドは同じ曲を二度まったく同じに演奏することはありませんでした。この点ではロック・バンドではなく、ジャズのやり方です。つまり、同じ曲を同じように演奏することはつまらなかった。楽しくなかった。常に別のやり方、変わった手法でやろうとしました。このことは楽曲の演奏だけでなく、ショウの組立て、レコードの作り方から、ビジネスのやり方まで、あらゆるところに共通します。

 ですから、このペアのように通算で500回以上、そのキャリアの最初から最後まで通して演奏されつづけた曲でも、まったく同じ演奏は二つとありません。もちろん、時期が同じならば、共通したところはありますが、いつもどこか、何かが変わっています。またショウの中での順番、位置も変わります。これも時期によって、位置、順番が定まるケースもありますが、コンテクストが変わるので聴いて受ける感覚は変わってきます。このおなじみという感覚と演奏そのものが違うという感覚のバランスがデッドのショウを1本通して聴くときに愉しいところです。また、前回の 1989-02-06 のような、破格の順番、位置もまた愉しくなります。

 ショウはこのヴェニュー5本連続の初日。2日やって1日休んで三連荘です。この5本のショウの18.50ドルからのチケット85,000枚は4時間で売切れ、記録となりました。休みの17日にはガルシアとウィアが NBC の David Letterman Show に出演し、2人だけのアコースティック・セットで6曲演奏しました。この録画は YouTube で見られます。この時のランからは中日09-18のショウが《30 Trips Around The Sun》でリリースされています。

 前年の夏、ガルシアは重度の糖尿病で昏睡に陥ります。しかし、こんな重い症状から恢復したのは見たことがないと医者が驚く奇跡的な恢復を示し、10月にはジェリィ・ガルシア・バンドで、12月にはグレイトフル・デッドとしてステージに復帰しました。デッドはここから1990年春まで、終始右肩上がりに調子を上げてゆく黄金期を現出します。ビジネスの上でもそうですが、それよりも音楽の上で一層黄金期と言えます。見る角度によっては1972年、1977年をも凌ぐ、グレイトフル・デッドとして最高のピークです。

 そこにはこの年の夏、ミッキー・ハートが Bob Bralove の協力で MIDI をステージに導入したことも寄与しています。ブララヴまたはブレイラヴはクラシックの教育を受けたピアニストで、スティーヴィー・ワンダーのサウンド・デザイナー兼コンピュータ音楽ディレクターを勤めていました。ブララヴの援助で、ハートを皮切りにメンバーは次々に MIDI を導入し、これ以後のデッドのサウンドは多様性を大きく増すことになります。

 1987年は前年後半キャンセルした分もカヴァーするように、ショウの数は85本。1981年以来初めて80本を超えました。ちなみに30年のキャリアの中で年間80本を超えたのは14回あります。2,430万ドルを稼いで第4位。レパートリィは150曲。ここまで増えたのは、夏にボブ・ディランとツアーしたためもあります。

 ガルシアの復帰とこの年の稼ぎは強い印象を残しました。3年後、ポール・マッカトニーは13年ぶりにツアーを始める理由を訊ねられて、「ジェリィ・ガルシアが昏睡からたち直ってツアーできるんなら、ぼくだってできないはずはないと思ったのさ」と答えることになります。

 〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉はこの日の第二部オープナー。後半、ガルシアのギターを中心にした集団即興=ジャムがすばらしい。とりわけ、ガルシアとミドランドとレシュの絡合いが、この録音はよくわかります。ウィアのギターの音が小さいのが残念。ヴォーカルはちゃんと聞えます。〈I Know You Rider〉でコーラスの後で、すぐに歌を続けず、おれが弾くと言わんばかりのガルシアのソロ。ガルシアの歌の後のガルシアのソロとレシュのベースの絡みがまたたまらん。最後のアカペラ・コーラスになるところ、会場が手拍子で支えてますね。

 続くのは〈Estimated Prophet〉から〈Eyes Of The World〉という定番の組合せ。この2曲は〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉や〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain〉ほどの完全なペアにはなりませんでしたが、かなりの頻度で続けて演奏されてます。ただ、この2曲は順番が逆になったりします。どちらも長いジャムになることもよくあって、ここでも2曲合わせて20分超。

 前者では最初の歌の後の間奏でガルシアが決まったフレーズから出発して、どんどんはずれてゆき、最高のソロを聴かせます。ウィアの歌にもどると大喝采。ウィアも負けじと、イカレた「預言者」の役を熱演。その後のガルシアのソロはこの曲ではよくありますが、完全にジャズ、それも極上のジャズ。デッド流ジャズ。このソロを愉しめるかどうかは、デッドの音楽を愉しめるかどうかの試金石かもしれません。

 一度終って、一瞬、間があって〈Eyes Of The World〉のリフが始まると大歓声。ガルシアのヴォーカルが力強く、歌いまわしにも余裕があります。昏睡からの恢復後は相当に節制につとめたこともあり、体調も絶好調なのでしょう。こちらは〈Estimated Prophet〉よりもアップテンポで、ギターもそれに合わせていますが、やはりロック・ギターの範疇からははずれます。それにミドランドがピアノのサウンドでからんでゆくと、ガルシアはますます調子が出てきて、今度はハートとも絡みます。やがて、Drums に遷移。ハートが MIDI で不思議な音を出すのに、クロイツマンは通常のドラム・キットで応じます。ハートは今度は巨大太鼓でこれに対抗。この AUD は優秀で音は割れていません。デジタル録音と思われ、かなりクリアです。

 普通 Space に移るとドラマーたちはひっこみますが、この日はなかなかひっこみません。ひっこんだ後はガルシアとウィアの2人だけ。ガルシアはスライド・ギターで思いきり音をひっぱります。明瞭なメロディはなく、まさに宇宙空間を旅している気分。ウィアはこれにコードを合わせるというより、遠くから投げかける感じ。

 ごく自然に〈The Wheel〉が始まり、他のメンバーも入ってくるのに、ガルシアがイントロを引きのばします。聴衆も力一杯歌っているのも聞えます。これもいい演奏。

 〈Gimme Some Lovin'〉への遷移はちょっと唐突ですが、リフが始まってしまえばこっちのもの。すぐにミドランドがハモンドで有名なリフをくり出します。これも全員のコーラスですが、レシュも歌っていますね。歌の後、ワン・コーラスですがガルシアが切れ味のいいソロ。最後はこれもやや唐突に終り、すぐに〈All Along The Watchtower〉をやりかけますが、ガルシアの気が変わったようで〈Black Peter〉におちつきます。

 〈Black Peter〉でもガルシアのヴォーカルは元気で、このピーターはとても死にそうには聞えません。死にそうだという噂をばらまいておいて、あわてて見舞いに来た友人たちにアッカンベーをして見せるよう。前年の自分の体験を重ねているのでしょうか。ビートはブルーズ調で、ここでのガルシアのギターは明るいブルーズ・ギターの趣。

 一度きちんと終って間髪を入れず〈Sugar Magnolia〉。会場全体が最初からウィアにぴたりと合わせて歌っています。ウィアも負けじとメロディを崩してます。ミドランドのピアノを合図にジャムに突入、ガルシアは自在にメロディを崩して美味しいギターを展開します。弾きやめません。これぞ、デッド、ガルシアのギターを中心にバンド全体が飛んでゆきます。やがて、一瞬の間を置いて、ドン、ドンと Sunshine Daydream。ウィアがひとしきり叫んだ後はまたガルシアが弾きだしますが、この日はウィアが再びからみ、コーダにもちこみます。

 アンコールは〈It's All Over Now, Baby Blue〉。惜しいことにこれは AUD には入っておらず、SBD をストリーミングで聴きます。これはガルシアの持ち歌。ヴォーカルは力が籠もっていますが、ギターは肩の力が抜けて、「枯れた」というと言い過ぎですが、半歩退いたクールさが光ります。ミドランドのピアノがまたよく脇を締めています。最後にウィアが "Manana マニャーナ"。つまり「また明日」。この選曲と演奏も含め、明日のために力を貯めておけ、ということでしょうか。(ゆ)

 1989年からはもう1本 02月06日の Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA から〈Cassidy; Tennessee Jed〉が18日にリリースされました。こちらはこの年2本目のショウで、つまりは1989年の始めと終りからのセレクションをそろえたのでしょう。

 ショウは最初の三連荘の中日。3日置いてロサンゼルス国際空港の東隣のイングルウッドで三連荘したあと、ひと月空けて03月27日、アトランタから春のツアーが始まります。

 この2曲は第一部クロージングの2曲。このショウは選曲と並びが尋常でなく、何となくというふぜいで〈Beer Barrel Polka〉を始め、一度終り、音が切れてからいきなり始まるのは〈Not Fade Away〉。普通ならショウのクローザーやそれに近い位置に来る曲です。これは全員のコーラスによる曲ですが、その歌にこめられたパワーがはちきれんばかり。ガルシアのソロもシャープ。一度終って間髪入れず〈Sugaree〉が続きます。ガルシアの声が力強い。ギターも絶好調。さらに間髪入れずに〈Wang Dang Doodle〉。ややおちついたかとも聞えますが、コーラスではやはり拳を握ってしまいます。ガルシアのソロもミドランドのオルガン・ソロもなんということもありませんが、耳は引っぱられます。こういう異常な選曲と並びはバンドの調子が良い徴です。

 続く〈Jack-A-Roe〉では、ガルシアは3番の歌詞が当初出てきませんが、もう1回まわるうちに思い出します。このギターはデッド以前のフォーキー時代を連想します。

 次の〈Queen Jane Approximately〉は1987年のディランとのツアーからレパートリィに入りました。第一部の真ん中あたりでウィアがディランの曲をうたうのが、しばらく定番になり、"Dylan slot" などと呼ばれました。ガルシアがヴォーカルをとるディラン・カヴァーは第二部に入るのが多いようです。

 肝心の〈Cassidy〉は中間部のジャムがいきなりムードが変わり、無気味で不吉な響きを帯びます。まるで別の曲。そしてまたコーラスで元に戻る。こりゃあ、いいですねえ。こういう変化もデッドの味わいどころ。

 〈Tennessee Jed〉ではガルシアの力一杯の歌唱にちょっとびっくり。この時期の特徴かもしれません。後半のギター・ソロがまたすばらしい。ちょっとひっぱずした、ユーモアたっぷり、お茶目なフレーズ。こういうとぼけた曲のとぼけた演奏もまたデッドならではです。

 ザッパにもユーモラスな曲はありますが、こううとぼけた演奏はまずやらない。ユーモラスな演奏はしますが、どうもマジメにユーモアしている感じがあります。フロ&エディの時期のライヴにはとぼけたところもありますが、それはザッパよりもフロ&エディが引張たように見えます。

 デッドはマジメなのか、フマジメなのか、冗談でやっているのか、真剣なのか、よくわからない。そこが日本語ネイティヴにとってデッドのわかりにくさになっているのかもしれません。けれども、デッドは自分たちの音楽にあくまでも誠実だったことは確かです。

 ヴェニューは1914年にオークランド市街の中心部に建てられた多目的施設で、現在は国指定の史的建造物になっています。中にあるアリーナの収容人員は5,500弱。デッドは1985年02月からこの1989年02月07日まで、計34回、ここで演奏しています。1989年になると、デッドには小さすぎるようになりますが、ビル・グレアムにとっては何かと使い勝手がよかったのでしょう。

 ちなみに、1976年の復帰後は、ロッキー山脈西側のショウはビル・グレアム、東側は John Scher が担当プロモーターになります。グレアムはデッドにとっては最も重要で、関わりも深かったわけですが、コンサートをいわば自分の所有物とみなすグレアムの態度にはデッドはどうしてもなじめませんでした。プロモーターとアーティストの関係としてはシェーアとの方がしっくりいっていたようです。(ゆ)

08月31日・水
 Margaret Weis & Tracy Hickman, Dragons Of Deceit: The Dragonlance Destinies, Vol. 1 着。The War Of Souls 以来20年ぶりのオリジナル・デュオによる『ドラゴンランス』新作。一度は Wizards of the Coast と訴訟騒ぎにまでなったが、無事刊行されてまずは良かった。


 

 タッスルが持つ時間旅行機を使って、父親が戦死する過去を改変しようとする娘の話。タイムトラベルはサイエンス・フィクションの常套手段の一つだが、ファンタジーではロマンス用以外に真向から歴史改変を扱うのは珍しいんじゃないか。

 さてさて、これを機会に、最初から読みなおすか。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月31日には1968年から1985年まで7本のショウをしている。公式リリースは2本。

1. 1968 Fillmore West, San Francisco, CA
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。3ドル。セット・リスト不明。リザーヴェイション・ホールジャズ・バンド、サンズ・オヴ・シャンプリン共演。

2. 1978 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO
 木曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。8.25ドル。開演7時半。
 第一部クローザー前で〈From The Heart Of Me〉、第二部オープナーで〈Shakedown Street〉がデビュー。
 〈From The Heart Of Me〉はドナの作詞作曲。翌年02月17日まで27回演奏。それまでの〈Sunrise〉に代わってドナの持ち歌として歌われた。スタジオ版は《Shakedown Street》所収。曲としてはこちらの方が出来はいいと思う。
 〈Shakedown Street〉はハンター&ガルシアの曲。1995年07月09日まで、計163回演奏。スタジオ版はもちろん《Shakedown Street》所収。踊るのに適しているのでデッドヘッドの人気は高い。

 デッドのショウの会場周辺、典型的には駐車場でデッドヘッドたちが開く青空マーケットが "Shakedown Street" と呼ばれた。売られていたのは食べ物、飲物、衣類とりわけタイダイTシャツやスカーフ、バンバーステッカー、バッジなどのアクセサリー、同人誌、ショウを録音したテープなどなど。各種ドラッグもあった。このマーケットによって地元にも経済効果があったが、そこに集まるデッドヘッドの風体とドラッグの横行に、これを嫌う自治体も多く、1980年代末以降、新たなファンの流入で規模が大きくなると、地元との摩擦が問題となった。デッドとしてはショウができなくなるのが最大の問題なので、後にはマーケットは開かないよう間接的にデッドヘッドに訴えた。もっともデッドヘッドはそれでおとなしくハイハイとやめるような人間たちではない。ビル・グレアムが設計したカリフォルニア州マウンテンヴューのショアライン・アンフィシアターでは、「シェイクダウン・ストリート」を開けるスペースがあらかじめ組込まれているが、これは例外。

3. 1979 Glens Falls Civic Center, Glens Falls, NY
 金曜日。9.50ドル。開演7時。
 第一部クローザー前で〈Saint Of Circumstance〉がデビュー。〈Lost Sailor〉とのペアの最初でもある。バーロゥ&ウィアの曲。1995年07月08日まで222回演奏。演奏回数順では63位。〈Ship of Fools〉より4回少なく、〈Franklin's Tower〉より1回多い。〈Lost Sailor〉が演奏された間はほぼ例外なくペアとして演奏されたが、〈Lost Sailor〉がレパートリィから落ちた後も演奏され続けた。ペアとしての演奏は1986年03月24日フィラデルフィアが最後。単独では76回演奏。スタジオ盤は《Go To Heaven》収録。

4. 1980 Capital Centre, Landover , MD
 日曜日。8.80ドル。
 第一部クローザー前の〈Lazy Lightning> Supplication〉が2019年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 これも宝石の1本といわれる。アンコール〈Brokedown Palace〉の途中でガルシアのギターの音が消えるハプニング。
 〈Lazy Lightning> Supplication〉はすばらしい。後半のジャムはベスト・ヴァージョンの一つ。

5. 1981 Aladdin Hotel Theatre, Las Vegas, NV
 月曜日。12ドル。開演8時。
 第二部前半、オープナー〈Lost Sailor〉から〈Playing In The Band〉までをハイライトとして、見事なショウだそうだ。
 終演後、観客は専用のルートで外に誘導された。デッドヘッドがカジノに溢れるのをホテル側が恐れたらしい。

6. 1983 Silva Hall, Hult Center for the Performing Arts, Eugene, OR
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。開演8時。
 第一部クローザー〈Cassidy> Don't Ease Me In〉が2010年の、第二部2曲目からの〈Playing In The Band> China Doll> Jam〉が2021年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 後者は面白い。〈Playing In The Band〉は10分ほどで、最後までビートがキープされて、型が崩れず、その上でジャムが進行する。テンポが変わらないまま、ガルシアが〈China Doll〉のリフを始め、他のメンバーが段々乗ってきて遷移。ガルシアは歌詞をほうり出すように歌う。むしろドライな演奏。センチメンタルなところがない。歌が一通り終るといきなりテンポが上がってジャム。定まったメロディのない、デッド独得のジャムで、ミドランドが愉しい。このミドル、スロー、アップというテンポの転換もいい。

7. 1985 Manor Downs, Austin, TX
 土曜日。13ドル。開演8時。
 良いショウだそうだ。(ゆ)

08月03日・水
 Mick Moloney がニューヨークで77歳で亡くなったそうです。

 アイルランドとアメリカを往ったり来たりするアイリッシュ・ミュージックのミュージシャンは少なくありませんが、アイルランドからアメリカに渡って腰を据えたのは珍しく、さらに現在のアメリカのアイリッシュ・ミュージックの発展に貢献したことではまず右に出る人はいないでしょう。彼がいなければ、あるいはアメリカに腰を据えなければ、チェリッシュ・ザ・レディースやソーラスは生まれなかったと思われます。

 1944年リムリック生まれ。音楽に目覚めるのはウィーヴァーズやアルマナック・シンガーズの録音を聞いたことで、そこから生まれ故郷周辺、とりわけシュリーヴ・ルークラの伝統歌謡とダンス・チューンに向かいます。

 ぼくが彼の名前を知るのはジョンストンズに参加してからです。そこではポール・ブレディのギターとともに、マンドリンで、後にプランクシティが完成させる「対位法的」バッキングやアレンジを始めています。もっともその前にドーナル・ラニィらとともに Emmet Spiceland をやっていたことを、JOM の追悼記事で指摘されました。これはブラザーズ・フォーに代表される「カレッジ・フォーク」をアイルランドで試みた初期のグループの一つで、アイルランドではヒットもしています。

 1973年にアメリカに移住。この頃はアメリカではまだアイリッシュ・ミュージックは移民共同体内部のものでした。様相が変わるのはモローニによればアレックス・ヘイリーの『ルーツ』です。これはアフリカ系アメリカ人である自分の「ルーツ」を探った本で一大ベストセラーになるとともに、他の民族集団が各々のルーツに関心を向けるきっかけにもなります。アメリカが多様なルーツを各々にもつ移民集団から成る社会であるという認識が定着するのもこれがきっかけだそうです。各民族集団の文化的活動への公的資金援助も増え、アイルランド系はすでに組織化されたものが多かったために、その恩恵を受けた由。

 1980年代前半はアイルランドは不況で、アメリカへの移民が増え、ミュージシャンも多数移住します。ミホール・オ・ドーナルとトゥリーナ・ニ・ゴゥナルの兄妹や、後にアルタンのメンバーとして来日もするダヒィ・スプロール、さらにはケヴィン・バークなどが代表です。こうした人びとの刺激もあり、アメリカのアイリッシュ・ミュージックはこの時期ルネサンスを迎えます。ミック・モローニはその中心にあって、演奏、制作、メディア、研究のあらゆる分野でこのルネサンスを推進しました。

 ソロ・アルバム《Strings Attached》を出し、The Green Fields Of America を結成してツアーし、チェリッシュ・ザ・レディースが誕生するきっかけとなったコンサートを主導し、シェイマス・イーガンのソロ・ファースト《Traditional Music Of Ireland》や、アイリーン・アイヴァーズとジョン・ウィーランのデュオ・アルバム《Fresh Takes》をプロデュースします。

 1992年にフォークロアとフォークライフの博士号を取得。アメリカにおけるアイリッシュ・ミュージックの歴史の研究家としてニューヨーク大学教授などを歴任。その業績にはアメリカ、アイルランドから表彰されています。2014年には TG4 の Gradam も受けています。

 個人的にはジョンストンズ時代の溌剌とした演奏と、1980年代、Robbie O'Connell と Jimmy Keane と出した《There Were Roses》のアルバムが忘れがたいです。

 まずは天国に行って、愉しく音楽していることを祈ります。合掌。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月03日には1967年から1994年まで5本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1967 O'Keefe Center, Toronto, ON, Canada
 木曜日。このヴェニュー6日連続のランの4日目。ジェファーソン・エアプレイン、ルーク&ジ・アポスルズ共演。
 セット・リスト不明。

2. 1968 The Hippodrome, San Diego, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。3ドル。開演8時半。カーリィ・クックズ・ハーディガーディ・バンド、マヤ共演。
 セット・リスト不明。
 James "Curley" Cooke は1944年ウィスコンシン生まれで2011年ワシントン州で死んだブルーズ・ギタリストのようだが、このバンド名では出てこない。この時期にハーディガーディをフィーチュアしていたとすれば、少なくとも20年は時代に先んじている。ハーディガーディでブルーズをやっているのは、まだ聞いたことがない。
 Maya もこの時代のミュージシャンは不明。

3. 1969 Family Dog at the Great Highway, San Francisco, CA
 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。バレー・アフロ・ハイチ、アルバート・コリンズ共演。
 サックスが〈Dark Star〉に参加し、他の曲にヴァイオリンも参加しているが、誰かは不明。サックスはチャールズ・ロイド、ヴァイオリンは David LaFlamme または Michael White が推測されている。

4. 1982 Starlight Theatre, Kansas City, MO
 火曜日。
 ヴェニューは屋外のアンフィシアターで、コンサートの他、演劇、ミュージカルにも使われ、音響が良い。デッドのサウンドはすばらしかった、と Tom Van Sant が DeadBase XI で書いている。ショウも決定的な出来。

5. 1994 Giants Stadium, East Rutherford, NJ
 水曜日。このヴェニュー2日連続の初日。開場5時、開演7時。トラフィック前座。
 第一部4曲目〈El Paso〉でウィアがアコースティック・ギター。
 DeadBase XI でのこのショウについての記事で、John W. Scott はデッドのヴィデオ・ディレクター Bob Hartnett へのインタヴューを載せている。これは実に興味深い。一つには、デッドのショウは音楽だけでなく、照明や映写イメージも含めた、総合的な作品になっていた。当時すでにU2の ZooTV ツアーやローリング・ストーンズのコンサートなどもそうした「総合芸術」になっていたが、デッドのものは、その中でも最先端の機材と技術と素材を駆使したものであることが、このインタヴューからわかる。
 ハートネットはキャンディス・ブライトマンと協力して、会場のビデオ画面に映しだすヴィジュアルを指揮していた。バンドが演奏する曲に合わせたイメージを映しだす。あらかじめ大量の素材をいくつかのセットにしたものをレーザーディスクに用意しておいて、演奏に応じて送りだす。デッドの音楽は何がどれくらいの長さ演奏されるのか、事前にはまったくわからないのだから、照明とスクリムのイメージ担当のブライトマンにしても、ビデオ・スクリーン担当のハートネットにしても、その仕事は難しいなどというレベルではない。06月のラスヴェガスではヴィジュアル組は本番3日前に現地に入って、入念にリハーサルをしている。
 ラスヴェガスでは暑さのために、機器がどんどん壊れた。このビデオ・プロジェクティングのチームはステージの下に陣取る。精神的、物理的ないくつもの理由からここがベストの配置なのだが、気温の上がり方は半端ではない。
 この年、この08月初旬まで炎熱の夏のツアーが組まれたのは、サッカーのワールド・カップ・アメリカ大会のためでもある。デッドのヴェニューはワールド・カップの試合会場と重なるところが多く、そのあおりでスケジュールはかなり無理の大きいものになった。
 このジャイアンツ・スタジアムでは初めて、屋外のステージでバンドのためのエアコン・システムが組まれた。特別仕立てのものだが、クルーやスタッフにはその恩恵は及ばない。
 インタヴューの最中、クルー、スタッフへの放送が入る。トラフィックのステージにガルシアが参加する可能性がある、それに備えて、トラフィックの最後の2曲では全員配置につくように、という指示だった。必ず入るとわかっているわけではなく、入るかもしれないというだけで、全員が用意している。
 ショウそのものは、スコットの記憶では前座のトラフィックの演奏ばかりが記憶に残るものだった。
 ベテランのデッドヘッドたちには我慢のならない出来かもしれない。しかし、バンド・メンバーだけでなく、デッドヘッドたちもまた老いてはいなかったか。少なくとも若くはない。(ゆ)

07月22日・金
 3ヶ月半ぶりの床屋。この爽快感はやめられない。夕方、散歩に出て、今年初めて蜩を聞く。

 夜、竹書房編集のMさんから連絡。今月末「オクテイヴィア・E・バトラー『血を分けた子ども』(藤井光訳)刊行記念オンライントークイベント」というオンライン・イベントがあるそうな。

 SFセミナーでもバトラー関連企画があるそうな。もう間に合わんか。
「オクテイヴィア・バトラーが開いた扉」出演:小谷真理 橋本輝幸

 わが国でもじわじわ来てますなあ。あたしが訳した The Parable 二部作は今秋刊行でごんす。皆さま、よしなに。

 それにしても、バトラーさん、出身高校にまでその名前がつけられる今の状況を知れば、墓の下で恥ずかしさに身を縮こませてるんじゃないか。こんなはずではなかったのに、と。なにせ、「血を分けた子ども」がネビュラを獲ったとき、こういうことにならないようにと思ってやってきたのに、と言ったくらいだからねえ。

 とはいえ、彼女の場合、黒人で女性という二重のハンデを筆1本じゃないペン1本だけで克服したわけだから、尊敬されるのも無理はない。それも、今と違ってマイノリティへの差別がまだあたりまえの時代、環境においてだし。まあ、とにかく、あたしらとしてはまずは作品を読むことだな。


%本日のグレイトフル・デッド
 07月22日には1967年から1990年まで4本のショウをしている。公式リリースは2本。

1. 1967 Continental Ballroom, Santa Clara, CA
 土曜日。2.50ドル。このヴェニュー2日連続の2日目。共演サンズ・オヴ・シャンプリン、ザ・フィーニックス、コングレス・オヴ・ワンダーズ。セット・リスト不明。これを見た人の証言は2日間のどちらか不明。

2. 1972 Paramount Northwest Theatre, Seattle, WA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。
 第一部3曲目〈You Win Again〉5曲目〈Bird Song〉11曲目〈Playing In The Band〉、第二部クロージングの3曲〈Morning Dew〉〈Uncle John's Band〉〈One More Saturday Night〉の計6曲が《Download Series, Vol. 10》でリリースされた。
 どれもすばらしい演奏。〈Bird Song〉と〈Playing In The Band〉は成長途中で、中間のジャムがどんどん面白くなっている時期。各々でのジャムのやり方を開発してゆく過程が見える。〈Playing In The Band〉の冒頭、ウィアがドナ・ジーン・ガチョーと紹介する。ドナの参加はまだこれだけ。
 〈Morning Dew〉はこの2曲よりは完成に近づいている。フォーマットはほぼ固まっていて、あとは個々の要素をより深めてゆく。

3. 1984 Ventura County Fairgrounds, Ventura, CA
 日曜日。開演2時。このヴェニュー2日連続の2日目。
 最高のショウの1本の由。

4. 1990 World Music Theatre, Tinley Park, IL
 日曜日。開演7時。このヴェニュー3日連続のランの中日。ティンリー・パークはシカゴ南郊。
 第二部2曲目〈Hey Pocky Way〉の動画が《All The Years Combine Bonus Disc》でリリースされた。
 第一部6曲目〈When I Paint My Masterpiece〉が始まって間もなく、一瞬、電源が切れて、沈黙が支配した。
 その後の第一部クロージングへの3曲がすばらしかったそうだ。(ゆ)

07月05日・火
 楽天の月初めのポイント5倍デーとて、山村修の謡曲にまつわるエッセイ、J. M. Miro の Ordinary Monsters 電子本、それに珈琲豆など必需品をあれこれ注文。

 (ここに楽天のアフィリエイトのリンクを貼ろうとしたが、手続きが難しすぎてよくわからん)


%本日のグレイトフル・デッド
 07月05日には1969年から1995年まで、4本のショウをしている。公式リリースは2本、うち完全版1本。

1. 1969 Kinetic Playground, Chicago, IL
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。共演バディ・マイルズ・エクスプレス。
 前日は一本勝負だが、この日は2セットに分けたらしい。

2. 1978 Omaha Civic Auditorium, Omaha, NE
 水曜日。
 《JULY 1978: The Complete Recordings》で全体がリリースされた。

3. 1981 Zoo Amphitheatre, Oklahoma City, OK
 日曜日。第二部11曲目〈Stella Blue〉が《Long Strange Trip》サウンドトラックでリリースされた。
 ガルシアの声が少し掠れている。これくらいの方がこの歌にはふさわしいとも思える。いつもより少しドライに、言葉を投げだすように歌う。ギターは積極的に、三連符での上昇下降を繰返す。哀しみと諦観が同居しているようでもあるが、その両者の間に関係が無い。諦観というよりは、ついに届かないことを承知しながらも、試みずにはいられない、そのこと自体を我が身に引受ける姿勢、だろうか。それが哀しいのではなく、その背後にある人間存在そのものへの悲哀に聞える。この歌に名演は多いが、これは3本の指に入る。

Long Strange Trip (Motion Picture Soundtrack)
Grateful Dead グレートフルデッド
Rhino
2017-06-08



4. 1995 Riverport Amphitheater, Maryland Heights, MO
 水曜日。このヴェニュー2日連続の初日。28.50ドル。開演7時。
 第一部6曲目、クローザー前〈El Paso〉でウィアはアコースティック・ギター。
 残りこれを含めて4本。このショウが最後となった曲が多数ある。
 ディア・クリークでの件を受けて、駐車場に入るところでチケットの有無をチェックされた。チケットを持っている人びとは不便さを受け入れた。
 ショウの後、大雨が降りだし、バルコニーないし納屋がキャンプ場の上に崩れおちた。(ゆ)

06月06日・月
 Kelly Joe Phelps の訃報。形はブルーズ、カントリーだったが、かれの音楽は表面的なジャンル分けを超えていた。およそ人間が音楽として表現できるかぎりのものがぞろりと剥出しになる。それがたまたまブルーズやカントリーに聞える、というだけだ。

 フェルプスの音楽を聴くことは、吹きさらしの断崖絶壁か、おそろしく高い塔のてっぺんに立たされるような体験だ。むろん、怖い。しかし、そもそも音楽は怖いものであることをそっと、しかし有無を言わせず突きつけられる。

 似たような立ち位置の人にボブ・ブロッツマンがいる。しかし、ブロッツマンの音楽はあくまでも島の音楽で、だから底抜けに愉しい。フェルプスの音楽は大陸の音楽で、だからどこまでも厳しい。

 その厳しさにさらされたくて、また聴くことになるだろう。


%本日のグレイトフル・デッド
 06月06日には1967年から1993年まで6本のショウをしている。公式リリースは1本。

1. 1967 Cafe Au Go Go, New York, NY
 火曜日。このヴェニュー10日連続のランの6日目。セット・リスト不明。

2. 1969 Fillmore West, San Francisco, CA
 金曜日。このヴェニュー5日連続のランの2日目。3.50ドル。Jr ウォーカー、Glass Family 共演。
 第一部とされている6曲80分弱のテープがあるが、むろん、これは一部だろう。ここにエルヴィン・ビショップが参加。うち1曲〈Checkin' Up On My Baby〉ではビショップがヴォーカル。
 ガルシアがこの日、ヤクでヘロヘロになり、ステージに立てなかったので、ビショップが替わりに出たとも言われる。
 Jr Walker は本名 Autry DeWalt Mixon Jr. (1931 – 1995)、アーカンソー出身のサックス奏者で歌も歌う。1960年代にモータウンから Jr Walker & the All Stars として何枚もヒットを出し、1969年にも〈What Does It Take (To Win Your Love)〉がトップ5に入った。
 Glass Family は West Los Angeles で結成されたサイケデリック・ロック・バンドのことだろう。この年ワーナーからアルバムを出している。バンド名はサリンジャーの諸短篇に出てくる虚構の一家からとったものと思われる。1970年代にはディスコ・バンドに転身したそうだ。

3. 1970 Fillmore West, San Francisco, CA
 土曜日。このヴェニュー4日連続のランの3日目。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ、サザン・カンフォート共演。3.50ドル。第一部はアコースティック・セット。
 第二部11曲目〈Attics Of My Life〉が《The Golden Road》収録の《American Beauty》ボーナス・トラックでリリースされた。

4. 1991 Deer Creek Music Center, Noblesville, IN
 木曜日。このヴェニュー2日連続の初日。23.50ドル。開演7時。
 デッドとしては平均的できちっとしたショウだが、突破したところは無い由。

5. 1992 Rich Stadium, Orchard Park, NY
 土曜日。開演6時。

6. 1993 Giants Stadium, East Rutherford, NJ
 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。28.50ドル、開場4時、開演6時。スティング前座。スティングは前日も前座に出ている。スティングの1曲にドン・ヘンリーが一節だけ参加。また別の曲にガルシアが参加。
 終日雨が降っていて、開演直前陽がさしてきた。それでオープナーは〈Here Comes Sunshine〉。(ゆ)

06月05日・日
 GroundUp からのニュースレターを見て、久しぶりにスナーキー・パピーのライヴ・ビデオを見る。やはり愉しい。たまにはこういうのを見ると気分爽快。
 見たのは〈Lingus〉で、この曲はフル・バンドでテーマをやった後、サックスとトランペットがソロの掛合いをしてからビートだけになり、ここでメンバーまたはゲストがまとまったソロをとる。そこに段々メンバーが加わり、盛り上げていって、最高潮に達したところでフル・バンドでのテーマに戻るが、その後、またソロイストがテーマをやるバンドと交互にソロを重ねる。このアンコール的な追っかけの演奏がまた面白い。
 公式に出ている《We Like It Here》のビデオでは Cory Henry がそれはそれはすばらしい演奏を聴かせる。ヴァイオリンの Zach Brock とクリス・ポッターのものがある。ザック・ブロックはもう一歩突込んでほしいと思う。このままだとただの巧いヴァイオリニストだ。それで終らないだけのものは垣間見えるんだが。ポッターはさすがの演奏。この人、本当に面白い。




%本日のグレイトフル・デッド
 06月05日には1967年から1993年まで5本のショウをしている。公式リリースは1本。

1. 1967 Cafe Au Go Go, New York, NY
 月曜日。このヴェニュー10日連続の4日目。セット・リスト不明。

2. 1969 Fillmore West, San Francisco, CA
 木曜日。3ドル。このヴェニュー5日連続のランの初日。共演 Junior Walker, Glass Family。演奏の順番は08日日曜日にはグラス・ファミリー、デッド、ジュニア・ウォーカー、グラス・ファミリー、デッド、というのがガルシアのステージ上の言葉から推定されるが、他の日がこの通りだったかは確定できず。
 第二部ないし遅番ショウの3曲目〈Dark Star〉が2010年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 この5日間のランはテープは残っているものの、完全またはそれに近いとされるものはこの日と08日のみで、他の日のテープは一部と思われ、全体像ははっきりしない。

3. 1970 Fillmore West, San Francisco, CA
 金曜日。このヴェニュー4日連続のランの2日目。3.50ドル。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ、サザン・カンフォート共演。
 第一部はアコースティック・セット、第二部はエレクトリック・セット。演奏の順番はアコースティック・デッド、サザン・カンフォート、NRPS、エレクトリック・デッド。
 昨日、06月04日の記事に書いたことはこちらのショウについてだった。すなわち、
 第二部終り近く、ガルシアが客席に、俺たちがこれまでやったことのある曲で聴きたいものはあるかと訊ねた。〈It's All Over Now, Baby Blue〉と叫ぶと、レシュが指差して、笑みを浮かべた。という証言がある。アンコールがこの曲。

4. 1980 Compton Terrace Amphitheatre, Tempe, AZ
 木曜日。9.50、10.50ドル。開場7時半、開演8時。ウォレン・ジヴォン前座。
 〈I Know You Rider〉で本来はガルシアがうたう "I wish I was a headlight on a north-bound train" をウィアが歌った。

5. 1993 Giants Stadium, East Rutherford, NJ
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。28.50ドル。開場4時、開演6時。
 第一部クローザー前で〈Easy Answers〉がデビュー。ロバート・ハンターの詞にボブ・ブララヴ、ボブ・ウィア、ヴィンス・ウェルニク、ロブ・ワッサーマンが曲をつけた。1995-06-28まで計44回演奏。スタジオ盤は Rob Wasserman のソロ・プロジェクト《Trios》。このアルバムはワッサーマンがベースで参加する様々なトリオ各々にふさわしい曲をあるいはカヴァーであるいはオリジナルで演奏したもの。この曲はボブ・ウィアとニール・ヤングとのトリオのための曲。
 この曲を嫌いなデッドヘッドは多い。あたしもまだいい演奏には出会っていない。ベスト・ヴァージョンはワッサーマン、ウィア、ヤングのスタジオ盤だと思う。(ゆ)

06月01日・水
 Locus 6月号。パトリシア・マッキリップの訃報。05月06日。享年74歳。マッキリップは一度、全部読もうとして、デビュー作 The House On Parchment Street を読んだだけで、例によって何かが飛びこんできて他へ行ってしまった。このデビュー作はヤング・アダルト向けで、幽霊屋敷ものなのだが、すばらしい出来。その時の日記からの引用。

—引用開始—
 夜、Patricia A. McKillip, The House On Parchment Street 読了。昨日着いていたもので、一気読み。すばらしい。この次がもう The Forgotten Beasts Of Eld になるので、おそらくこの2つの差は大きいはずだが、これはこれで立派なものだ。これが25歳の出版だから、やはり天才の部類。
 話そのものはむしろありふれているが、語り口のうまさ、性格描写の深み、そして文章の見事なことで際立っている。そして何より、この事件をくぐり抜けたことで、主人公たちが変わる、その変化の仕方がいい。14歳ということだが、大人びている、というとちょっと違う。大人として収まるのではなく、自立している、あるいは自立しようとあがき、もがいている。その苦闘している人間たちが、幽霊との遭遇とそれが意味するものの解明を通じて一段成長する。
 周りの大人たちもいい。父親のハロルドは助演賞ものだが、それこそ幽霊か悪霊のように、どこか強い匂いのように漂っていたのがラストに突如実際に出てきて舞台をさらってしまうブルースター夫人が秀逸。それにしてもアメリカ人でここまでイングランド人をリアリティをもって、しかもユーモラスに描いた例が他にあるか。一発で惚れた。
--引用終了--

 実際には The Forgotten Beasts Of Eld の前にもう1冊、同じ年に The Throme Of The Erril Of Sherrill が出ている。"Throme" は故意に 'n' を 'm' に替えている。
 スティーヴン・ドナルドソン、ライザ・ゴールドスタイン、テリ・ウィンドリングらが追悼する文章を読みながら、あらためて読もうと誓う。やはり、読むと決めたら、最後まで読まねばならない。マッキリップは児童書の書き手とされているらしく、邦訳がかなりある。もちろん、優れた児童書は大人が読んでも面白い。


%本日のグレイトフル・デッド
 06月01日には1967年から1991年まで4本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1967 Tompkins Square Park, New York, NY
 木曜日。2時から5時まで、とチラシにある。ニューヨークで最初のショウ。セット・リストとされるものは一応あるが、記憶によるもので、不完全で曲順も正確ではない由。

2. 1967 Cafe Au Go Go, New York, NY
 木曜日。昼に上記のショウをおこない、夜こちらに出た。この日から10日間連続のラン。この日にはカリフォルニアにいたという説もあるが、ビル・クロイツマンとロック・スカリーが口を揃えて、このランは実際にやった、と言っている。セット・リスト不明。ポスターがある。
 デッドにとっては初のニューヨークでのラン。少なくとも 12日の The Cheetah までニューヨークに滞在している。次はこの年年末にニューヨークで三連荘と二連荘を行い、さらにボストンに初めて行く。

3. 1968 Carousel Ballroom, San Francisco, CA
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。セット・リスト不明。同じヴェニューで6日後、また三連荘をする。

4. 1991 L.A. Memorial Coliseum, Los Angeles, CA
 土曜日。25ドル。開演1時。Johnny Clegg & Savuka が前座。ブルース・ホーンスビィ参加。
 Johnny Clegg (1953-2019) は南アフリカ出身のシンガー・ソング・ライター、ダンサー、文化人類学者、反アパルトヘイト活動家。英語とズールー語を混ぜた歌詞を使い、音楽もアフリカの伝統音楽の要素を取り込んでいるそうな。1986年に Savuka を結成してツアーした。ソロでも活動している。
 ショウ自体はそこそこ、つまり人によって評価が別れる。当時はいわゆる「ドラッグに対する戦争」が最も強引に進められていた時期で、ロサンゼルス警察はそれを口実にこのショウで多数のファンを検挙し、会場内に設けられていた金網フェンスを第一部の途中で多数のファンが殺到して押し倒し、ここでも警備にあたっていた警官たちが過剰な暴力をふるった。ロドニー・キング殺害のビデオが明るみに出たことで暴動が起きたのがこのショウの2ヶ月前という事情もあっただろう。(ゆ)

05月31日・火
 GrimDark Magazine のオリジナル・アンソロジー The King Must Fallがついに完成して、電子版が配布された。Kickstarter で支援したのが去年の7月だから、ほとんど1年かかった。全部で19篇。結構長いものもいくつかあるらしい。

 巻頭に言語についての断り書きがある。著者の言語、オーストラリア英語、アメリカ英語、カナダ英語、UK英語をそのままにしてある。スペルや語彙だけではない、語法なども少しずつ違うわけだ。まだここにはインド英語や南アフリカ英語、シンガポール、フィリピン、ジャマイカ英語は無い。すでに南アフリカ、シンガポールやフィリピン、カリブ海地域出身の作家は出てきているが。

 早速、冒頭の1篇 Devin Madson, What You Wish For を読む。なるほど巻頭を飾るにふさわしい力作。王は倒さねばならない。しかし、倒したその後に来るものは、必ずしも来ると信じたものではない。著者はオーストラリアのメルボルン在住。2013年に自己出版で始め、これまでに三部作1本、その次のシリーズが3冊あり、4冊目が来年春予定。ノヴェラがオーレリアスのベスト・ノヴェラを獲っている。これなら他も読んでみよう。オーストラリアは気になっている。


 Folk Radio UK ニュースレターからのビデオ視聴続き。残りを片付ける。

Silver Dagger | Fellow Pynins
 すばらしい。これもオールドタイム・ベースで、独自の音楽を作っている。オレゴンのデュオ。

 

The Magpie Arc - Greenswell
 こりゃあ、すばらしい。さすが。アルバムはまだか。
 


"Hand in Hand" - Ian Siegal featuring Shemekia Copeland
 いいねえ。こういうの。ブルーズですね。
 

The Slocan Ramblers /// Harefoot's Retreat
 新しいブルーグラス、というところか。つまりパンチ・ブラザーズ以降の。いや、全然悪くない。いいですね。
 

The Sea Wrote It - Ruby Colley
 ヴァイオリン、ウードとダブル・ベースによる伝統ベースのオリジナル。これもちょと面白い。楽器の組合せもいいし、曲も聴いているうちにだんだん良くなる。
 

Josh Geffin - Hold On To The Light
 ウェールズのシンガー・ソング・ライター。だが、マーティン・ジョゼフよりも伝統寄り。繊細だが芯が通り、柔かいが粘りがある。面白い。
 

Noori & His Dorpa Band — Saagama
 スーダンの紅海沿岸のベジャという地域と住民の音楽だそうだ。中心は大きな装飾のついたエレクトリック・ギターのような音を出す楽器で、これにサックス、ベース、普通のギター、パーカッションが加わる。雰囲気はティナリウェンあたりを思わせるが、もっと明るい。ミュージシャンたちは中心のギタリストを除いて、渋い顔をしているけれど。このベジャの人びとがスーダン革命の中核を担い、この音楽がそのサウンドトラックだそうだ。基本的には踊るための音楽だと思う。これも少なくともアルバム1枚ぐらいは聴かないとわからない。まあ、聴いてもいいとは思わせる。動画ではバンドを見下ろしている神か古代の王の立像がいい感じ。



%本日のグレイトフル・デッド
 05月31日には1968年から1992年まで4本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1968 Carousel Ballroom, San Francisco, CA
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。チャーリー・マッセルホワイト、ペトリス共演。セット・リスト不明。

2. 1969 McArthur Court, University of Oregon, Eugene, OR
 土曜日。2.50ドル。開演8時。Palace Meat Market 前座。セット・リストはテープによるもので、第二部はひどく短いので、おそらく途中で切れている。ただしアンコールは入っている。それでもトータル2時間半超。

3. 1980 Metropolitan Sports Center, Bloomington, MN
 土曜日。すばらしいショウの由。セット・リストを見るだけで興奮してくる。とりわけ第二部後半。
 SetList.com のコメントにあるように、デッドの何がそんなに魅力的なのか、わからない。しかし、たくさんの人びとがテープを1本聴いてこのバンドに捕えられ、ショウを1回見て人生が変わっている。バンドが解散してから何年もたっても、かつてのファンの熱気は衰えないし、新たなファンを生んでいる。実際、あたしがハマるのもバンド解散から17年経ってからだ。いくら聴いても飽きないし、新たな発見がある。不思議としか言いようがないのだが、とにかく、グレイトフル・デッドの音楽は20世紀アメリカが生んだ最高の音楽である、マイルス・デイヴィスもデューク・エリントンもフランク・ザッパもジョニ・ミッチェルもレナード・バーンスタインもジョージ・コーハンもプレスリーもディランも勘定に入れて、なおかつ最高の音楽であることは確かだ。

4. 1992 Sam Boyd Silver Bowl, Las Vegas, NV
 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。23.50ドル。開演2時。第二部クローザーにかけて〈Spoonful> The Other One> Morning Dew〉にスティーヴ・ミラーが参加。DeadBase XI の Rob Winkler のレポートによればミラーはアンコールにも出ている。
 実に良いショウの由。ビデオもあるそうだ。3日間の中で最も暑い日で、雷雲のかけらも無く、スタジアムの周囲にスプリンクラーが置かれたか、会場のスタッフが時々ホースで観客の上に水を撒いた。ショウも3日間で最もホット。ミラーのギターも良いそうな。(ゆ)

05月18日・水
 急にインターステイトの歴史に興味が湧き、Wikipedia の記事から本を1冊注文。同年にもう1冊あるが、そちらは BookFinder でも見つからず。注文したのは、
 


 もう1冊は
Hanlon, Martin D. (1997). You Can Get There from Here: How the Interstate Highways Transformed America. New York: Basingstoke. ISBN 978-0-312-12909-5
 アマゾンでは2006-11-30に St. Martin's Press から出たことになっている。在庫無し。

 Wikipedia によれば、アメリカのインターステイト・システムは1956年の法律で建設が開始され、1992年に完成宣言が出ている。もっとも、その前から道路建設はシステム化されているし、その後も拡張は続いている。'interstate' という名称そのものがまず面白い。'international' と似たような感覚ではないか。

 アメリカにいた時にその存在を知り、毎日利用もして、インターステイトは面白いと思っていた。ジェリィ・ガルシアの両親がパロ・アルトに定着したのはインターステイト・システムによって起きた人口移動の一環だ、とどこかで読んで興味は増していた。それにデッドヘッドたちがショウへ通うにもインターステイトは絶大な役割を果している。バンドは飛行機で移動するのだが、聴衆はなぜか飛行機ではなく、車で移動した。若く、飛行機は高すぎたのか。トラヴェル・ヘッドたちも車で移動していた。インターステイトがなければ、グレイトフル・デッドは生きていけなかった。

 今回興味が湧いたのはサンフランシスコとロサンゼルスの間の移動に、おそらくバンドは早い時期から飛行機を使っていただろうと気がついたからだ。飛行機なら1、2時間。5号線、Interstate 5 を飛ばしても6〜7時間はかかる。その5号線はインターステイトの西端だ。

 インターステイトはわが国のいわゆる高速道路とはまったく異なるシステムだ。ヨーロッパの高速道路とも違うと、イングランドをちょこっと走っただけだが、思う。アメリカでは飛行機による移動も、商用自家用を問わずごく普通で、交通機関としてはたぶん列車よりも今は大きいだろうけれど、今のアメリカを造ったのはやはりインターステイトだ。19世紀が鉄道の時代とすれば、20世紀は自動車と道路の時代で、インターステイトはその最先端だ。どういう道路を何のためにどうやって造ったか、というのは歴史においてかなり大事な話だから、まっとうな研究もたぶんあるだろうけれど、まだ遭遇していない。ローマの街道は有名だけれど、道路はそれだけではないはずだ。上記の本がとっかかりになるか。


##本日のグレイトフル・デッド
 05月18日には1967年から1977年まで5本のショウをしている。公式リリースは2本、うち完全版1本。

1. 1967 Awalt High School, Mountain View, CA
 火曜日。3度高校でやっている、そのうちの1回。セット・リスト不明。音はひどいが録音もあるそうな。
 マウンテン・ヴューはサンフランシスコ湾南端の街。高校は今は閉鎖されたようだ。

2. 1968 Santa Clara County Fairgrounds, San Jose, CA
 土曜日。前日とこの日の夜はロサンゼルスの同じハコでショウをしている。サンノゼはサンフランシスコの近くで、こちらは昼のショウだが、そんな蜻蛉返りをしたのだろうか。40分弱のテープが残っているので、したらしい。もちろん出番が終ったらすぐ飛行機にとび乗れば、1〜2時間で着いてしまう。場合によってはチャーターも不可能ではない。飛行機をチャーターするのはアメリカでは簡単で、わが国のハイヤーか貸切バス感覚でできる。デッドの場合、セスナというわけにはいかないだろうが、中型機を持ってやっている独立の航空会社はいくらでもある。中型機が離着陸できる飛行場はもうそこら中にある。この会場の東1、2キロのところにも Reid-Hillview Airport がある。ロサンゼルスの方は会場の西12キロに Santa Monica Municipal Airport がある。つまり、やろうと思えばそう難しくはない。
 DeadBase XI では "Northern California Folk-Rock Festival" なるイベントで共演は
The Doors
Eric Burdon & The Animals
Big Brother & The Holding Company
The Yardbirds
Electric Flag
Jefferson Airplane
Kaleidoscope
Country Joe & The Fish
Taj Mahal
という、この時期のカリフォルニアではもうおなじみの面々。テープは2本あり、1本は客席で手に持ったマイク1本のモノ録音。もう1本はステージに置かれたマイクで、ヨウマ・カウコネンによるそうだ。

3. 1968 Shrine Exhibition Hall, Los Angeles, CA
 こちらは前日に続く2日目。これもヨウマ・カウコネンがステージに置いたマイクによる録音が残っているそうなので、同行したのだろう。ただ、セット・リストは不明。

4. 1972 Kongressaal, Deutsches Museum, Munich, West Germany
 木曜日。12.30マルク。開演8時。ヨーロッパ・ツアー18本目。ドイツ最後のショウ。これで大陸を打ち上げ、この後はロンドンでの4日連続のショウでツアーを締めくくる。
 《Europe ’72: The Complete Recordings》で全体がリリースされた。
 この日はガルシアのギターの調子が、悪くはないが格別良くもなく、むしろ歌で勝負、というところがある。アンコールまできてやった〈Sing Me Back Home〉の出来がすばらしく、この歌のこれまでのベスト・ヴァージョン。その間奏のギターが飛びぬけている。この日のギターでは第一部終盤の〈Playing In The Band〉と並ぶ。それでようやく殻が破れたか、アンコール2曲目の〈One More Saturday Night〉間奏のギターもすばらしい。
 〈Sing Me Back Home〉は初めはデッドがやるべき曲とも聞えなかったものが、回を重ねるごとに良くなり、ここに至って、最高の曲に思えるものになった。この曲があまり長く続かなかったのは、あるいはあまりに完成してしまって、それ以上展開する方向が見つからなかったからかもしれない。
 〈Playing In The Band〉も順調に育っていて、この日の演奏はこのツアーのここまでのベスト。
 〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉の成長はもう少しゆっくりしているが、この日の演奏はやはりすばらしい。
 この日の第二部のジャム曲は〈Dark Star〉で、歌が出るまでの集団即興は楽しい。その後の〈Morning Dew〉のガルシアの歌唱がいい。
 CD で再び3時間を超え、調子はまったく崩れず、ロンドンの4日間に突入する。
270 Fred Heutte

5. 1977 Fox Theatre, Atlanta, GA
 火曜日。このヴェニュー2日連続の初日。
 第一部5曲目〈Friend Of The Devil〉が2013年の、7曲目〈It Must Have Been The Roses〉が2014年の、第二部クローザー前の〈Stella Blue〉が2020年の、各々《30 Days Of Dead》でリリースされた。いずれ全体のリリースを期待。(ゆ)

05月16日・月
 NYRB のニュースレターを見て Ross Feld, Guston In Time をアマゾンで予約。今月24日発売。
 
Guston in Time (New York Review Books Classics)
Feld, Ross
NYRB Classics
2022-05-24


 Guston は Philip Guston (1913-80) で、1970年代以降の晩年の絵画が後の画家たちに大きな影響を与えた。ニュースレターに掲載された絵やボストン美術館で現在開かれている Philip Guston Now という回顧展のサイトのギャラリーを見ても、実に面白いと思う。こういう人がいるのねえ。



 しかし発表当時は時の美術界からは総スカンを食い、ほとんど唯一評価したのがまだ若い Ross Feld だった。2人の間に篤い友情が結ばれ、この本はフェルドが残した追憶の書。回顧展の図録は欲しい。ボストン美術館は通販で売っているがペーパーバック40ドルに送料52ドル。やはりためらう。昔はこういう本はイエナあたりにあったりしたのだが、今はどこか、集めているところはあるのだろうか。海外の展覧会の図録を集めて売っている本屋はありそうだが。
それにしても、この人もカナダだ。


##本日のグレイトフル・デッド
 05月16日には1969年から1993年まで7本のショウをしている。公式リリースは3本、うち完全版2本。

1. 1969 Campolindo High School, Moraga, CA
 金曜日。1時間弱のテープが残っている。大学では多数ショウをしているデッドだが、高校は珍しい。1966、1967、そしてこの時と3校が記録にある。
 モラガはオークランドの東10キロほどのバークリー丘陵の中の街。風光明媚なところらしい。この高校は公立校だが有名らしく、2019年の U.S. News & World Reports のランキングでカリフォルニアで30位、全国で239位。スポーツが盛ん。オリンピックやプロで活躍するアスリートを輩出している。球技、陸上、水上、格闘系なんでもござれだが、クロスカントリーでは男女ともに州トップ・クラス。

2. 1970 Temple University, Philadelphia, PA
 土曜日。6.50ドル。開演3時。テンプル野外フェスティヴァルと題されたラジオ局 WFIL 主催のイベントらしい。ジミ・ヘンドリックス・エクスペリアンスがヘッドライナー。デッド、スティーヴ・ミラー・ブルース・バンド、カクタス、MC5、Jam Factory の名がポスターにある。マンハッタン・トランスファーも出たという話もある。
 デッドのステージの録音として30分弱のテープが残っている。そこでは最後にロード・マネージャーのサム・カトラーが、今録音したテープを買うからテープ・デッキのスイッチを切るように言っているそうだ。実際、録音はそこまで。

3. 1972 Theatre Hall, Luxembourg
 火曜日。ヨーロッパ・ツアー17本目。《Europe ’72: The Complete Recordings》で全体がリリースされた。なおこれにはサウンド・チェックの2曲も収録された。
 ラジオ・ルクセンブルクは1960年代から国境を超えた汎ヨーロッパ的「海賊版放送局」として活動していた。このショウはそこで放送されるためのもので、放送局内の小さな方のスペースで行われた。定員は500。タダ券が地元民と、5月初旬のパリでのショウの後、ファンに配られた。番組は通常ヨーロッパではいくつかの周波数とフォーマットで放送され、短波で全世界に放送されていた。ためにレシュはこのショウの中でカリフォルニアのファンに呼びかけている。もっとも夜遅くなるにつれて受信状態が悪くなるのが常で、デッドの放送開始は午後11時だったため、第一部は明瞭だが、第二部はだんだん音が小さくなり、ノイズにまぎれていった。
 ショウの時間枠は3時間で、ために「ビート・クラブ」に次いで短かく、CDで2時間半強。コンパクトにまとまっている。短かい要因の一つはピグペンが長い曲をやっていないためで、本人の体力の問題もあったのだろう。クローザーの〈Not Fade Away〉では、戻って2度目の演奏で、従来はウィアとピグペンが歌いかわしていたのが、この日以降、ウィアが単独で歌う形になる。
 もっとも演っている3曲〈Mr. Charlie〉〈Chinatown Shuffle〉〈It Hurts Me Too〉はいずれも力唱だし、オルガンはしっかり弾いている。ちなみに〈Mr. Charlie〉はこのツアー22本のすべてで演奏された唯一の曲。
 演奏はこのツアーらしく、どの曲もきっちりした水準の高いもので、コンパクトにしようという意識があるのか、〈The Other One〉も短かめで、終始ビートがあって面白い。ハイライトは〈Sing Me Back Home〉で、ガルシアが歌のコツを摑み、これまでのベスト。
 ライナーで〈The Promised Land〉がこのショウでデビューと書いているのはデヴィッド・ガンスの勘違い。この曲は1971-05-29にウィンターランドでデビューしている。
 ルクセンブルクはアメリカ人には異様なところと映ったらしい。元来はフランス語圏だが、ルクセンブルクは「国策」としてルクセンブルク語をフランス語から独立させようとしている。ラジオ・ルクセンブルクの独自性もこの国がヨーロッパの中で他のどこにも属さないようにしているところから生まれていたのだろう。
 次は中1日置いて西ドイツにもどってミュンヘン。

4. 1978 Uptown Theatre, Chicago, IL
 火曜日。このヴェニュー2日連続の初日。とりわけ第二部が良いショウの由。

5. 1980 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY
 金曜日。11.50ドル。開演8時。このヴェニュー3日連続のランの楽日。03月30日からの春のツアーの千秋楽。この後は2週間休んだだけで、05月29日から夏のツアーを始める。
 第一部から5曲、第二部オープナーの2曲が《Go To Nassau》でリリースされた。

6. 1981 Cornell University, Ithaca, NY
 土曜日。9ドル。開演8時。コーネル大学3度めで最後のショウ。
 《30 Trips Around The Sun》の1本として全体がリリースされた。

7. 1993 Sam Boyd Silver Bowl, Las Vegas, NV
 日曜日。開演2時。このヴェニュー3日連続のランの楽日。スティング前座。
 飛び抜けて良いショウの由。第一部は6曲で短かかったが、第二部は新鮮な組合せが続いた。
 スティングもすばらしく、3日間で初めてアンコールをやった。デッドは全員右袖に出てきて、拍手喝采した。(ゆ)

04月14日・木
 寒いぞ、と言うので真冬の恰好で出たら、暑かった。

 ジーン・ウェブスターのあれをまた読んでいる。『レンズマン』シリーズと『宇宙船ビーグル号』と『指輪物語』と並んで、ひょっとするとそれ以上の回数読んだものだが、今回初めて原文で読んでいる。原文で読むことをまるで思いつかなかった。初版本がグーテンベルクにある。「あしながおじさん」というのはほとんど普通名詞になっているらしい。「あしなが育英会」というものもある。
 1世紀前の話だ。キンキラキン時代直前のアメリカ。話は「シンデレラ」だ。もっともこちらのヒロインはおとなしく王子様が来てくれるのを待っていたりはしない。今ならさしづめ学費免除に生活費もカヴァーする奨学金をもらったようなものだが、もらっていることを感謝しつつも、雄々しくもこれを返そうとするし、施しの相手の言うなりにもならない。そこがたぶん1番面白いところだ。新生児から孤児院で育ったにもかかわらず、独立不羈、好奇心旺盛、何ごとも前向きにとる。そしてしっかり努力、つまり勉強もしている。とはいえ、孤児院でいったい何を読んでいたのか。そこは出てこない。
 手紙という形式も読みやすい。1本ずつは短かいから、どんどんと読めてしまう。故意に古めかしい文体を模倣しているところを除けば、難しい文章はなにもない。
 原文で読んで気がついたことに、ジュディは終始、Daddy と呼びかけている。Daddy-Long-Legs の略であるわけだが、一方で「パパ」の意味もかけているにちがいない。邦訳では終始「おじ様」だ。邦訳でそうしたのは一応納得はできるし、ジュディも表向きはその意味でおそらく使っているはずだが、それだけではたぶんない。「おじ様」よりも親近感があるし、時にはかすかだが甘えたい気持ちもこめられている。甘えたいというと強すぎるか。頼りにしたい、と言うべきか。
 加えて、この呼びかけが、文章のリズムを整えている。照合したわけではないが、原文に出てくるすべての "Daddy" を訳してはいないだろう。日本語では省略する方が自然な場合がままある。しかし、原文ではこの Daddy が実に効果的に使われている。おそらくはかなり綿密に考えて使っているだろう。
 さて、次はいつもの通り、続篇 Dear Enemy に行くか。翻訳で読むと、いつも必ず続篇も読みたくなる。こちらはもっと「大人」の話だ。やはり隠れた愛が最後に花開く話だが、関係者も増え、手紙の相手も複数になり、対象となる問題も複雑になる。シンプルな学生の手紙ではなく、難しい問題を抱えた大人の書簡になる。一方でヒロインはアイルランド系、相手の騎士はスコットランド系、その間をつなぐのはもう1人のアイルランド名前の少女、という、『レンズマン』と同じくらい、ケルト好きにはたまらない話だ。


##本日のグレイトフル・デッド
 04月14日には1967年から1988年まで8本のショウをしている。公式リリースは3本、うち完全版1本。

1. 1967 Kaleidoscope, Hollywood, CA
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。ジェファーソン・エアプレイン、キャンド・ヒートと共演。セット・リスト不明。
 この名前のヴェニューは1968年春から半年だけハリウッドのサンセット・ストリップにオープンしていたライブハウス。中心になって経営したのはキャンド・ヒートのマネージャー Skip Taylor。
 このコンサートはテイラーがその前に Vine Street 1228番地で試みたライブハウスで予定されていたが、Wilshire Blvd. 3400番地の The Ambassador Hotel 内 The Embassy Bollroom に移された。しかし、このヴェニュー名で記録されているようだ。主催がテイラーだったからか。デッドがここで演ったのはこの3日間のみ。
https://concerts.fandom.com/wiki/Kaleidoscope

2. 1971 Christy Mathewson Stadium, Bucknell University Lewisburg, PA
 水曜日。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。バンドは午前2時まで演奏を続けた由。
 第一部9・10曲目〈China Cat Sunflower > I Know You Rider〉が2012年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

3. 1972 Tivoli Concert Hall, Copenhagen, Denmark
 金曜日。25クローネ。開演8時。ヨーロッパ・ツアー三つめの寄港地。大陸に上陸。ここからデンマークで3本。3時間半。第二部3曲目〈Brown-Eyed Women〉が《Europe '72》で、第二部7〜9曲目〈Good Lovin'> Caution (Do Not Stop On Tracks)> Good Lovin'〉が《Europe '72》2001年拡大版でリリースされた後、《Europe '72: The Complete Recordings》で全体がリリースされた。またオープナーの〈Bertha〉、5〜7曲目〈Black-Throated Wind〉〈Chinatown Shuffle〉〈Loser〉が《Europe '72, Vol. 2》でリリースされた。
 ボ・ディドリーの〈Who Do You Love〉の断片を20秒ほど〈Caution (Do Not Stop On Tracks)〉の中でやっている由。この日と05-11の二度だそうだ。
 このツアーの各ショウの客にはアメリカから飛んでいったり、たまたまヨーロッパに仕事や遊びでいたアメリカ人たちがかなりの数入っていたようだ。またデンマーク人はとりわけ英語に通じている。言語的に同じゲルマン語族で、語順はほとんど同じだ。
 ショウの始めの方で、曲間でアメリカや日本でならアンコールを促す手拍子が鳴る。ここでは特にもっとやれという意味ではないらしい。が、レシュが、そんなことしなくても、おれたちは続けるよ、と言う。するとウィアが、でもやっていいんだよ、好きなことしていいんだ、とまぜかえす。レシュが、きみら、おれたちの言うことがわかるんだな、と言うと歓声があがる。ウィア、わかるやつどれくらいいるんだ、手を挙げて。そんなに多くないなあ。
 とまれ、イングランド3本で自信をつけて、絶好調で大陸に乗りこんだ。ガルシア、ウィア、ピグペンが各々ヴォーカルをとる曲を順にまわすのもはまってきている。全体としてゆったりしたテンポ。だが、これはむしろ緊張の度合いが高かったためのようだ。ショウを重ねるにつれて、いつものもっと速いテンポにもどる曲もでてくる。
 第一部ではまず〈Playing in the Band〉。この曲のこのツアーでの変化は実に面白い。一つひとつは聴きごたえがあるが、全体として変化してゆく様がまた別のレベルで愉しい。
 第二部で〈Dark Star〉と〈The Other One〉を交互にやることにしていたらしい。この日は前者。やはりゆったりしたテンポが基調で、前回のロンドン2日目とはまったく別の曲になっている。この日の最大の聞き物はしかしその後の〈Good Lovin'〉。ピグペンが全開。延々と即興の歌を続け、バンドもこれに応じて、あるいは盛り上げ、あるいは小さく刻む。ベースだけ、ドラムスだけ、ガルシアとベースだけが伴走することもある。しかし、終始ピグペンがいわば仁王立ち。全盛時もかくやと思わせる。見ようによってはグレイトフル・デッドというバンドの演奏の一つの理想形だ。ただ、原始デッドでこれが可能だったか、というとまた別の話になろう。アメリカーナ・デッドの洗練がこの極めつけの演奏を引き出したのではないか。以後、この曲をやる時は、その日のハイライトになってゆく。
 ここからさらに〈Caution (Do Not Stop On Tracks)〉に移り、再度〈Good Lovin'〉にもどり、盛り上がって、完全にケリをつける。
 普通ならここでこの日は終り、あとはアンコールになるはずだが、この時期のデッドは終らない。ガルシアが新曲だよと言って〈Ramble On Rose〉をやり、そしてあらためて〈Not Fade Away〉でクロージングに入る。次に移る前にウィアが〈China Cat Sunflower〉のリフを始め、ガルシアもこれに応じかける。しかし、さすがにそれでは終らないと思ったのか、結局いつもの定番で〈Goin' Down The Road Feeling Bad〉に移り、〈Not Fade Away〉にもどって見事な締め。例によって〈One More Saturday Night〉のアンコールはむしろテンションが上がる。

4. 1978 Cassell Coliseum, Virginia Polytechnic Institute and State University, Blacksburg, VA
 金曜日。学生6ドル、一般7ドル。開演7時。南部の大学3つを回る中日。普段は何ごとも起こらない、のんびりした田舎で、良いショウの由。

5. 1982 Glens Falls Civic Center, Glens Falls, NY
 水曜日。10.50ドル。開演7時半。第二部オープナー〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉とクローザー前の〈Playing In The Band〉がすばらしかった由。

6. 1984 Coliseum, Hampton, VA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。10.50ドル。開演7時半。
 第一部5曲目〈My Brother Esau〉が2010年と2015年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。良いショウの由。

7. 1985 Irvine Meadows Amphitheatre, Laguna Hills, CA
 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。15ドル。開演7時。

8. 1988 Rosemont Horizon, Chicago , IL
 木曜日。このヴェニュー3日連続の中日。開演7時半。(ゆ)

0405日・火

 1972-04-07, Wembley Empire Pool, London でのショウを聴く。72年ヨーロッパ・ツアーの開始。このツアーのショウは長いものが多いので、腹を据えて聴かねばならない。先日聴き終えた1990年春のツアーはだいたい1本2時間半弱というところだが、この72年ヨーロッパ・ツアーの各ショウは04-21ブレーメンのビート・クラブを例外として、すべて2時間半を優に超え、4時間近いものもある。こうなると CD で4枚組だ。

 デッドのショウはもともと長い。コンサートの契約書には通常「最長演奏時間」の項目がある。どんなに長くても、これ以上は演奏しないよ、という決まりだ。デッドの場合、「最短演奏時間」が書きこまれた。最低でもこれだけは演奏させろ、というので、どれくらい長くなるかは契約の上では決まっていなかった。施設やその街などのローカル・ルールによっていた。会場の制限を破ることは常習で、機器のコンセントを抜かれたのも一度や二度ではない。1980年代になっても、「終演は午前零時で絶対厳守のこと」と、スケジュール表に書かれたりしている。開演は7時半や8時だ。かれらはとにかく一緒に演奏するのが何よりも好きだったのだ。この点でも、ロック・バンドというよりはジャズやアイリッシュ・ミュージックなどの伝統音楽のミュージシャンの仲間だ。

 197273年はショウの時間が最も長くなった時期で、CD でも3時間を超えるのがザラである。曲間や休憩などはカットしてその時間になる。ツアー開始の07日のロンドンは CD で2時間44分。翌日の同じ会場は2時間59分。このツアーは0407日から0526日までの50日間に22本という、かなりゆるやかなスケジュールではあるのだが、04月下旬からは1977年春のツアーが入ってくる。終りはほぼ同時。両方が重なる日もある。さて、どうしたものか。

 それにしても、毎日、3、4本のショウの録音を2年間聴きつづけた、という猛者もいるのは見習うべきか。



##本日のグレイトフル・デッド

 0405日には1969年から1995年まで9本のショウをしている。公式リリースは3本。


1. 1969 Avalon Ballroom, San Francisco, CA

 土曜日。このヴェニュー3日連続の中日。オープニングの2曲〈Dupree's Diamond Blues> Mountains Of The Moon〉でガルシアはアコースティック・ギター。続くジャムの途中でエレクトリックに持ち替える。第二部ないし遅番ショウが進んで〈I Know It's A Sin〉が終ったところで、ガルシアが客席に「あと10分、何が聴きたい?」と訊ねた。おそらくはヴェニューのステージ・マネージャーからあと10分と言われたのだろう。その後〈Alligator〉から20分近く演奏した。おそらくこのためであろう、翌日〈Viola Lee Blues〉の途中で、マネージャーはデッドの機器のコンセントを引き抜いた。


2. 1971 Manhattan Center, New York, NY

 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。第一部6曲目〈Big Railroad Blues〉と第二部1011曲目〈Not Fade Away> Goin' Down The Road Feeling Bad〉が《Skull & Roses》でリリースされた。

 《Skull & Roses》のオリジナル版の収録曲は1曲を除いてニューヨークでのショウからとられている。この年の0404日から29日までの春のツアー後半は、ニューヨークに始まり、マサチューセッツ、ペンシルヴェイニア、ニュー・ジャージー、ロード・アイランド、メイン、ノース・カロライナと回って、ニューヨークのフィルモア・イーストでの5日連続のランで締める。計20本のうち、最初と最後のニューヨークでのショウからの収録である。例外の1曲は0324日のウィンターランドだ。

 そうしてあらためて見てみると、アナログ時代のライヴ・アルバムに収録されているのはサンフランシスコかニューヨークか、どちらかでの演奏だけだ。例外は《Europe '72》と《Dylan & The Dead》である。後者はマサチューセッツ、オレゴン、それにカリフォルニアでもオークランドとアナハイム。とはいえ、これはやはり別枠だろう。すると《Europe '72》はデッドのスタジオ、ライヴ全てのアルバムでもユニークなものとなる。これだけはアメリカでの録音では無いのである。〈Touch of Grey〉がヒットするまでは、このアルバムがデッド最大のベストセラーだったのも興味深い。

 デッドのような音楽にとっては、どこで演奏しているかは目立たないが、重要な要素だ。ジャズのレコードでは録音場所が記されているのが普通だ。それと同じ。ごく大まかに言っても、「ホーム」と「アウェイ」の違いはある。サンフランシスコとニューヨークが「ホーム」で、それ以外は「アウェイ」だ。ヨーロッパはさらに「ファー・アウェイ」になる。

 つまり、現役時代のライヴ・アルバムは「ホーム」か「ファー・アウェイ」のどちらかで、中間の「アウェイ」での演奏からはとられていない。

 第二部9曲目で〈Sing Me Back Home〉がデビュー。マール・ハガードの作詞作曲。1973-09-26まで計40回演奏。ハガードの原曲は196710月リリースのシングル。


3. 1980 NBC Studios, New York City, NY

 土曜日。Saturday Night Live に出演し、〈Alabama Getaway〉と〈Saint Of Circumstance〉を演奏。火曜までニュー・ジャージー州パセーイクで三連荘をしていて、この日まで東部にいたらしい。次は0428日アラバマ州バーミンガムから春のツアーを始める。


4. 1982 Spectrum, Philadelphia, PA

 月曜日。このヴェニュー2日連続の初日。11.50ドル。開演7時。第一部4曲目〈Deep Elem Blues〉、クローザーの2曲〈Althea; Man Smart (Woman Smarter)〉、第二部オープニングからの4曲〈Bertha > Playing In The Band > Ship Of Fools > Playing In The Band Jam〉が《Road Trips, Vol. 4 No. 4》でリリースされた。計58分強。


5. 1988 Hartford Civic Center, Hartford, CT

 火曜日。このヴェニュー3日連続のランの最終日。開演7時半。第二部3曲目〈Samson and Delilah〉が2012年の、オープナーからの2曲〈Hell In A Bucket> Sugaree〉が2019年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 前日とはうって変わって、ガルシアの声は絶好調だった由。


6. 1989 Crisler Arena, University of Michigan, Ann Arbor, MI

 水曜日。このヴェニュー2日連続の初日。開演7時。最高のショウの由。


7. 1991 The Omni, Atlanta, GA

 金曜日。このヴェニュー3日連続の最終日。開演7時半。ブルース・ホーンスビィ参加。第二部 Space 後の〈The Other One〉のライト・ショウがすばらしかった由。


8. 1993 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY

 月曜日。このヴェニュー5本連続の最終日。26.00ドル。開演7時半。


9. 1995 Birmingham-Jefferson Civic Center Coliseum, Birmingham, AL

 水曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。26.50ドル。開演7時半。第二部半ば〈Matilda, Matilda> Drums〉にネヴィル・ブラザーズのドラマー Willie Green が参加。良いショウの由。(ゆ)


0329日・火

 国書刊行会が再編集し、従来単行本未収録作品も集めて、あらためて4冊にまとめた浅倉さんの『ユーモア・スケッチ大全』が完結。著作権をとるのが大変な作業だっただろうと推察する。まことにありがたいことである。

 『ユーモア・スケッチ大全』は浅倉さんのライフワーク、というのはあらためてよくわかる。その一方で、浅倉さんがやって雑誌掲載だけになっている中短篇を集めたオムニバスはできないのかなあ。傑作名作快作がかなりあるはずだが。







##本日のグレイトフル・デッド

 0329日には1967年から1995年まで11本のショウをしている。公式リリースは2本、うち完全版1本。


01. 1967 Rock Garden, San Francisco, CA

 水曜日。このヴェニュー5日連続の2日目。


02. 1968 Carousel Ballroom, San Francisco, CA

 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。5ドル。共演チャック・ベリー。


03. 1969 Ice Palace, Las Vegas, NV

 土曜日。1時間半のステージ。共演サンタナ、The Free CircusThe Free Circus は不明。

 4曲目〈Dark Star〉の前に誰かが、ハートのものに聞える声が、「これからやる曲はここラスヴェガスのアイス・パレスのために特別に作ったものだ。今朝書いたばかりだよ」と言う。


04. 1983 Warfield Theatre, San Francisco, CA

 火曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。25ドル。開演8時。


05. 1984 Marin Veterans Memorial Auditorium, San Rafael, CA

 木曜日。このヴェニュー4本連続の2本目。25.00ドル。開演8時。


06. 1985 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY

 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの最終日。13.50ドル。開演7時半。第一部3曲目〈I Ain't Superstitious〉でマシュー・ケリー参加。

 なお、この3日間は自由席でオールスタンディング。自由に踊れた。ちなみに、デッドヘッドにとって、グレイトフル・デッドは基本的にダンス・バンド、その音楽で踊るためのバンドである。ちんまり椅子に座って聞いているものではない。会場が椅子席の場合、外の廊下やロビーで踊る者もいた。バンド側もそうした客のために、廊下やロビーにもPAのスピーカーを置いた。


07. 1987 The Spectrum, Philadelphia, PA

 日曜日。このヴェニュー3日連続の初日。開演9時。開演時刻が遅いのは「レッスルマニア III」と重なったため。


08. 1990 Nassau Coliseum, Uniondale, NY

 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。第一部6曲目〈Bird Song〉が《So Many Roads》で、第二部オープナー〈Eyes Of The World〉が《Without A Net》でリリースされた後、《Spring 1990 (The Other One)》で全体がリリースされた。その〈Bird Song〉と第二部全部、アンコールまで、ブランフォード・マルサリスが参加。

 2,300本を越えるグレイトフル・デッドの全てのショウの中で「ベスト」と言われるものに1977年05月08日、コーネル大学バートン・ホールでのものがある。国の歴史的録音遺産にも収められている。これがバンドのみによる「ベスト」とするなら、このショウはゲスト入りでの「ベスト」と呼んでいい。多少ともジャズに心組みがあるならば、これを聴くことで、グレイトフル・デッド・ミュージックの真髄への扉が最高の形で開かれるだろう。グレイトフル・デッドが「単なる」ロック・バンドからかけ離れた存在であることも、よくわかるだろう。ブランフォード・マルサリスの参加によって、デッドの音楽そのものが一段上のレベルに昇っている点でもユニークだ。この時のデッドは全キャリアの中でも最高のフォームで、最高の音楽を生みだしているけれども、このショウでは、それからさらにもう一段昇っている。

 一方のブランフォード・マルサリスからみれば、ロックのミュージシャンのアルバムへの参加としてはスティングの《Bring On The Night》が有名だけれども、ここではそれよりも量も質も遙かに凌駕する。あちらはいわばスティングの曲をやるジャズ・バンドだが、こちらはマルサリスとデッドによる共作だ。各々にとって新しい音楽なのである。

 成功の鍵の一つはマルサリスがジャズのミュージシャンの中でも柔軟性にとりわけ富み、土俵の異なる相手ともやれる性格を備えていたことだろう。このショウの成功によって、デッドは後にデヴィッド・マレィやオーネット・コールマンを迎えてショウをしている。ジェリィ・ガルシアはコールマンのアルバム《Virgin Beauty》にゲスト参加して、かなり成功しているけれども、コールマンがゲスト参加したケースでは成功しているとは言えない。コールマンがあまりに個性的で、相手に合わせることができないためだ。これはおそらく能力というよりも性格からくるもので、合わせようとしても不可能だろう。コールマンの音楽家としての成立ちに、誰かに合わせるという概念そのものが存在しないのだ。

 マレィはコールマンとマルサリスの中間、ややマルサリス寄りで、マルサリスほどではないが、かなり成功している。デッドヘッドの評価も高い。

 なお、マレィの参加した1993-09-22, Madison Square Garden, New York , NY とコールマンの参加した1993-02-23, Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA の聴衆録音はネット上で聴くことができる。

 またこのマルサリスのショウの公式録音はボックス・セットと同時にこれだけ独立して《Wake Up To Find Out》として一般発売されている。ディスク・ユニオンの新宿ジャズ館ではロング・セラーとも聞く。

WAKE UP TO FIND OUT:
GRATEFUL DEAD
RHINO
2014-09-05

 

 きっかけはこの年が明けてまもなく、レシュとマルサリスの共通の友人の一人がレシュに、マルサリスに何か伝えることがあるかと訊ねたことだ。レシュはマルサリス兄弟のファンで、そのデビュー時からずっと追いかけていたから、ブランフォードには一度ショウを見にきてくれと伝えるよう頼んだ。ブランフォードは前日28日のショウを見にきて、終演後、楽屋に挨拶に行き、レシュとガルシアから熱烈に誘われた。そこでこの日、ソプラノとテナーの2本のホーンを持ってやって来たものだ。

 リハーサルは無かった。ブランフォードはデッドの音楽をそれまでほとんど聴いたことがなく、どの曲をやりたいかと訊ねられても答えようがなかったらしい。一方で、相手がどんな音楽であっても合わせることができるという自信もあったのだろう。何でもやっていい、ついていくからと答えて、バンドは驚いた顔をした。とはいえ、デッドもジャズのミュージシャンが入りやすい曲を考えてもいたはずだ。第一部クローザー前の〈Bird Song〉、第二部オープナーの〈Eye of the World〉はその典型である。〈Estimated Prophet〉〈Dark Star〉と続けたのもそうした流れだし、Space はここではフリー・ジャズ、それも大胆かつ繊細な極上のフリー・ジャズだ。〈Turn On Your Lovelight〉は、ブランフォードが聴いて育った音楽でもあった。感心するのはアンコールの〈Knockin' On the Heaven's Door〉で、ちょっとこれ以上のこの歌のカヴァーはありえないと思える。

 ブランフォードが後でゲストで出てくるという期待は、メンバーの気分を昂揚させたらしく、この日のショウは初っ端から絶好調だ。前日、あるいは24、25日と比べても、ノッチは一つ上がっている。

 ブランフォードが入った効果はたとえば〈Bird Song〉の次の第一部クローザー〈The Promised Land〉でのガルシアの歌唱に現れる。それはそれは元気なのだ。〈Estimated Prophet〉でもウィアがブランフォードの前で歌うのが楽しくてしかたがないのがありありとわかる。実際、その裏でブランフォードがつけるフレーズが実に冴えていて、ウィアと掛合いまでする。

 ガルシアのギターもあらためて霊感をもらって、突拍子もない、しかもぴたりとはまったフレーズがあふれ出てくる。ガルシアだけではなく、レシュもミドランドもウィアもドラマーたちも、出す音が違っている。

 他のショウはそう何度も聴いてはいない。だいたい、1本が長いから、そう何度も聴けない。それがこのショウだけは、もう何度も聴いている。聴くたびに新たな発見をし、あらためて感服する。この音楽を聴けることの幸せを噛みしめる。


09. 1991 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY

 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの最終日。23.50ドル。開演7時半。第一部クローザー〈When I Paint My Masterpiece〉の途中で機器トラブルが起き、中途半端に終る。が、第二部は良かった。


10. 1993 Knickerbocker Arena, Albany, NY

 月曜日。このヴェニュー3日連続のランの最終日。開演7時半。第一部7曲目〈Lazy River Road〉が2016年の、第二部オープナー〈Here Comes Sunshine〉が2017年と2020年の、アンコール〈Liberty〉が2018年の、第二部2〜4曲目〈Looks Like Rain; Box Of Rain> He's Gone〉が2021年の、それぞれ《30 Days Of Dead》でリリースされた。都合6曲、46分がリリースされたことになる。


11. 1995 The Omni, Atlanta, GA

 水曜日。このヴェニュー4本連続の3本目。開演7時半。(ゆ)


03月09日・火

 昼前、郵便配達が海外からの小包を持ってくる。ハンコが要る。サイズから見てあれかなと思ったら、やはり The Best Of Lucius Shepard, Volume Two, Limited Edition だった。Volume One の時は限定版の付録に収録の作品はすべて初出を持っていたので通常版にしたのだが、今回は付録の Youthful Folly and Other Lost Stories 所収の諸篇は同人誌などや特殊な媒体が初出のものがあって、持っていないのが大半なので限定版を注文。送料がまた本体の半分くらい。本にしては高いが、シェパードとなればやむをえない。この限定版は、製本か印刷かミスがあったとのことで、本体だけの通常版からかなり遅れた。付録の巻の方だろうか。


 しかし、今はとにかく、デッドを聴くのに時間をとられて、本がまるで読めん。



##本日のグレイトフル・デッド

 0309日には1968年から1993年まで5本のショウをしている。公式リリースは無し。


1. 1968 Melodyland Theatre, Anaheim, CA

 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。ロサンゼルスの LA Free Press に広告によると、6時半と9時半の2回コンサートがあった。これもデッドはジェファーソン・エアプレインの前座。


2. 1981 Madison Square Garden, New York , NY

 月曜日。12.50ドル。開演7時半。このヴェニュー2日連続の初日。すばらしいショウの由。


3. 1985 Berkeley Community Theatre, Berkeley, CA

 土曜日。このヴェニュー4本連続の初日。開演7時半。第二部〈Drums> Space> The Other One〉に Merl Saunders が参加。


4. 1992 Capital Centre, Landover , MD

 月曜日。開演7時半。ここはベストのショウがいくつも生まれるヴェニューだが、会場としての評判ははなはだ良くない。とりわけ、警備の体制が「ナチ」だったそうだ。


5. 1993 Rosemont Horizon Arena, Rosemont, IL

 火曜日。25ドル。開演7時半。春のツアーのスタート。このヴェニュー3日連続の初日。まずまずのショウの由。

 ローズモントはシカゴ・オヘア空港のすぐ東にある街。会場は198005月オープンの多目的アリーナで、定員はコンサートで18,500。命名権の移転によって現在の名前は変わっている。1984年にロナルド・レーガンとジョージ・H・W・ブッシュ(パパ・ブッシュ)がここで大統領選の集会をしている。

 デッドはここで19811206日に初めて演奏し、19940318日まで計13回のショウをしている。初回のショウの1曲〈Jack-A-Roe〉が2020年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。(ゆ)


0302日・水

 Brandon Sanderson から思わせぶりなニュースレター。リンク先の YouTube のビデオで、来年1年「サンダースンの1年」企画の発表。来年、世界があることへの祈りの一環で参加すべえ。急な出費ではある。価格としては安くはない。送料が例によってほぼ同額で、ハードカヴァーだけだと300USD

 サンダースンの YouTube チャンネルの登録者数が30万。これだけの基礎読者がいるのは凄い。ストレス処理が小説を書くこと、というのも当然といえば当然だが、2年で5冊書いてしまった、というのはそう多くはないだろう。アメリカの作家にしては量産でもある。2019年には本のプロモーションなどで旅行している時間が1年の3分の1。2020年にはそれがほぼゼロになり、時間ができた。

 結局ハードカヴァー4冊でプレッジ。開始24時間で45,000人弱1,200万ドルを超えている。平均270ドル。ということは電子版が多い。コメントを見ると、ヨーロッパはじめ、国外からの送料に対する不満が噴出している。


 Kickstarter でのこの企画は、4冊のタイトルも中身も隠したままなのに、わずか4日で200万ドルを集めて、Kickstarter 史上第一位となった。Washington Post の Book Club までがとりあげる騒ぎになっている。それはそうだ。つまり、ニューヨークの出版社も、エージェントも要らない、ということになる。WPBC の Ron Charles のインタヴューに答えて、サンダースンは、これを試みた理由の一つはアマゾンの独占に対する対策だとしている。数年前、価格の面でトラブルとなった Mcmillan のタイトルを Amazon が1週間、販売を止めたことがあった。今後、そうしたことが無いとも限らない。ジョフ・ベゾズがある日突然、サンダースンを嫌いになるかもしれない。その時に備えてのことだ、というわけだ。もちろん、誰もがこれをできるわけではない。サンダースンは30人のスタッフを抱えている。本だけではなく、そこから様々な商品、かれが swag と呼ぶマーチャンダイジングをして、これまでにも成功している。自分の書いているファンタジー世界のシンボルをかたどったメダル、プレイング・カード、カレンダーなど、かなりの数にのぼる。今回も4冊の小説とともに、8セットの swag ボックスを用意して、12ヶ月毎月リリースする。こうした商品化も、出版業界は怠けている、ともサンダースンは指摘する。もちろん、基本には、かれの書く小説が面白い、ということはある。ロバート・ジョーダンの衣鉢を継いで、現時点では英語圏最大の SFF作家になっている。売行だけではなく、質と作品の多様性の点でも、今後、世界が存続すれば、21世紀前半最大の作家の一人に数えられるだろう。



##本日のグレイトフル・デッド

 0302日には1969年から1992年まで4本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。


1. 1969 The Fillmore West, San Francisco, CA

 日曜日。このヴェニュー4日連続のランの最終日。第二部3曲目〈Death Don't Have No Mercy〉、クローザーに向けての2曲〈Feedback〉と〈And We Bid You Goodnight〉が《Live/Dead》でリリースされた。《Fillmore West 1969: The Complete Recordings》で全体がリリースされた。また第二部2曲目の〈That's It for the Other One〉と、4曲目〈Alligator〉からクローザー〈And We Bid You Goodnight〉までが、抜粋盤《Fillmore West 1969 (3CD)》に収録された。


2. 1981 Cleveland Music Hall, Cleveland, OH

 月曜日。このヴェニュー2日連続のランの初日。この頃になると〈Playing In The Band 〉は成長して他の曲や Drums> Space をはさむようになる。


3. 1987 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA

 月曜日。このヴェニュー3日連続の中日。17.50ドル。開演8時。クローザー〈Morning Dew〉は、ガルシアが昏睡から回復して初めての演奏。


4. 1992 The Omni, Atlanta, GA

 月曜日。このヴェニュー3日連続の中日。開演7時半。Drums の終りの方で、ハートが梁?の上でとびはねだし、ウィアが携帯用の削岩機ないしドリルを打楽器に使った。(ゆ)


0225日・金

 市から Covid-19 ワクチン3回目接種券到着。

 公民館に行き、本5冊受け取り。借りてきた本の1冊は Helen Swick Perry, The Human Be-In, 1970 の邦訳『ヒッピーのはじまり』。昨年5月、作品社から出たもの。原書は古書でも140ドルとかしている。邦訳には当時のポスター、写真、記事などのヴィジュアルもついていて、とにかくこいつを読むべえ。

ヒッピーのはじまり
ヘレン・S・ペリー
作品社
2021-05-31

 

 もう1冊は Johann Hari, Chasing The Scream: The First and Last Days of the War on Drugs, 2015 の邦訳『麻薬と人間』。こっちはベストセラーだけあって、原書も安いが、これも翻訳をまず読んでみんべえ。『スターリングラード攻防戦』のように、よほどひどければ原書に行けばよい。邦訳は昨年2月、またしても作品社。ここは田川建三さんの『新約聖書 訳と注』を出している。こうなると今、一番面白い版元と言ってもいい。

麻薬と人間 100年の物語
ヨハン・ハリ
作品社
2021-01-29

 

 あとの2冊はジギスムンド・クルジジャノフスキイの作品集2冊。まあ、これは買ってもいいんだが、念のため確認。河出からもう1冊出ている。河出の『神童のための童話集』の訳者がキンドルで2冊出している。

 あたし的にはグラドの輸入元のナイコム名義でスパムが来る。送付元を確認するとアドレス末尾が .pk だからパキスタン。これも本当にそこから来ているかはわからん。ナイコムのサイトを見たらアナウンスがあった。eイヤホンの親会社のK氏からも、自分の名前でスパムが出回っているとお詫びのメール。今時、なりすまされるのは本人の落ち度ではなかろう。どこやらの中間のサーバが侵入されたんじゃないか。ナイコム、eイヤホンとは過去にメールのやりとりをしていた。



##本日のグレイトフル・デッド

 0225日には1966年から1995年まで5本のショウをしている。公式リリースは1本。


1. 1966 Cinema Theatre, Los Angeles, CA

 Sunset Boulvard Acid Test。2ドル、メンバーは1ドル。開演午前零時。8曲のセット・リストが残っている。


2. 1967 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA

 このヴェニュー3日連続の中日。オーティス・ラッシュ&ヒズ・シカゴ・ブルーズ・バンドとキャンド・ヒート共演。セット・リスト不明。


3. 1990 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 この年最初のショウ。このヴェニュー3日連続の初日。開演7時。

 第一部8曲目、クローザー前の〈Cassidy〉が《Without A Net》で、5曲目〈Stagger Lee〉が昨年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 ローリング・ストーンズの〈The Last Time〉が第一部7曲目でデビュー。19950706日まで、計70回演奏された。スタジオ盤収録は無し。

 〈Stagger Lee〉はガルシアのヴォーカルが遠くて、ほとんど聞えないのが難点だが、演奏はいい。

 〈Cassidy〉は宝石の一つ。《Without A Net》はレシュの選曲で、こういうのを拾うあたり、さすがだ。ウィアとミドランドが左右に別れて聞えるが、ちゃんとデュエットになっている。この曲はドナがいた時に、おそらく彼女の声を念頭に置かれて書かれている。ミドランドは見事にドナの代役をつとめて、この歌のしぶとさが滲みでる。それに誘われたか、3番の後のインストルメンタルが不定形のジャムになる。全員参加、誰がリードともわからない集団即興。長くはないが、それもまたよし。これぞ、デッドを聴く醍醐味。あっさりと、一見、何の合図もなく、コーラスにもどるところもカッコいい。この年のこの時期の異常なまでの好調さがよくわかる。


4. 1994 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 この年最初のショウ。このヴェニュー3日連続の初日。春節記念。24.50ドル。開演7時。

 この年のショウは85本。前年より4本増えた。レパートリィは143曲。うち前年には演奏されなかったものが12曲。新曲は3曲。〈Samba in the Rain〉〈If The Shoe Fits〉〈Childhood’s End〉。興収では5位。ローリング・ストーンズ、ピンク・フロイド、イーグルス、バーブラ・ストライザンドに次いだ。

 1月にバンドは「ロックンロールの殿堂」入りをした。その式典にガルシアだけは欠席し、等身大の写真の切抜きが代わりに出た。

 〈Samba in the Rain〉はハンターの詞にウェルニクが曲をつけた。6月8日にサクラメントで初演。1995年7月9日のラスト・ショウまで38回演奏。スタジオ盤収録無し。

 〈If The Shoe Fits〉は Andrew Charles 作詞、レシュ作曲。6月9日サクラメントで初演。1995年3月24日まで計17回演奏。スタジオ盤収録無し。

 〈Childhood’s End〉はレシュの作詞作曲で7月20日インディアナ州ノーブルヴィルで初演。1995年7月9日のラスト・ショウまで計11回演奏。

 レシュの2曲は《Ready Or Not》にも入らず、公式リリースでは出ていない。

 ニコラス・メリウェザーはどれもポテンシャルはあるが、十分に育つだけの時間が無かったとしている。


5. 1995 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 このヴェニュー3日連続の中日。開演7時。(ゆ)


02月15日・火

 Tidal でデッド関連の音源を聴く。ジャニス・ジョプリンの《Pearl》はバック・バンドの質の高さは一聴瞭然。ジャニスも水を得た魚のように活き活きしている。ただ、《Cheap Thrills》に比べると、ややコンパクトにまとまっている。これは完成されたシンガーのアルバムだ。

 《Cheap Thrills》はバンドがジョプリンについていけないだけ、ヒロインの野性が表に出る。モンタレーでのあのパフォーマンスを引き出すには、ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーのヘタさが必要だった、という気もする。つまり、ジャニスというロケットを地上から打ちあげるには、ヘタでもなんでも、闇雲なエネルギー、八方破れの突進が必要だった。しかし、それ以上に、シンガー本来の軌道に乗せるには、まったく能力不足だったわけだ。それはバンド以外の周囲の人間には誰の目にも明らかだったようでもある。今聴いても、それはわかる。

 その本来の軌道の先に何があったか、ついにわからないのは、やはり惜しい。

 ロケットの初段には闇雲な、八方破れの生のエネルギーが必要というのはデッドにも通じる。1960年代の「原始デッド」のショウに感じられるのは同じエネルギーだ。1970年代になると、生々しさ、八方破れな態度は後退し、代わってよりコントロールの効いた、質の高い音楽が現れる。


##本日のグレイトフル・デッド

 02月15日には1968年から1973年まで3本のショウをしている。公式リリースは無し。


1. 1968 San Quentin State Prison, San Quentin, CA

 前日のショウの最後に、明日の午後、サン・クエンティン刑務所でカントリー・ジョー&ザ・フィッシュ、デッド、ジェファーソン・エアプレイン、それに他にもいくつかのバンドのメンバーが演奏することが発表された。刑務所外の草の生えた丘の斜面で、トラックの荷台をステージにして、ガルシア、キャサディ、シャーラタンズのメンバー、CJ&F の Barry "the Fish" Melton が演奏した。刑務所の中では囚人たちのストライキが起きるか起きないか、一触即発になった。この草地には500人ほどのヒッピーが集まり、音楽に合わせて踊った。


2. 1969 Electric Factory, Philadelphia, PA

 このヴェニュー2日連続の2日目。3時間近い。


3. 1973 Dane County Coliseum, Madison, WI

 前売4ドル、当日5ドル。開演7時半。この年2本めだが、すばらしいショウの由。

 会場は現在は Veterans Memorial Coliseum という名称で、Alliant Energy Center と呼ばれる複合施設の一角をなす多目的屋内アリーナ。1967年オープン、2003-2004年に完全改修されて、座席数10,231。デッドがここで演るのはこれが最初で、以後この年10月、1978、79、81、83年と、計6回ショウをしている。うち1978-02-03の一部が《Dick's Picks, Vol. 18》でリリースされた他、1981-12-03の〈It's All Over Now, Baby Blue〉が《Postcards Of The Hanging》で、1973-10-25の〈Dark Star> Eyes Of The World> Stella Blue〉が2021年の《30 Days Of Dead》で各々リリースされた。

 ここから2月一杯、中部のミニ・ツアー。(ゆ)


0127日・木

 Tim O'Brien の昨年の新譜《He Walked On》着。アマゾンで予約したら、結局入荷せずで注文キャンセルになり、あらためて AMP で注文。ようやく入手。オブライエンは Sugar Hill Flying Fish などのマイナー・レーベルからデビューしたが、そこを卒業するとメジャーには行かずに、自前のレーベルでやりだした。だから、ずっとコンスタントに新譜を出している。しかも、どれもこれも質が高い。深く音楽伝統に棹さしていて、アメリカ人離れしているほどだ。だから、《Two Journeys》でアイルランドの名立たる連中と互角に渡りあえる。かれの音楽を好むのは、同世代というのもあるだろう。不満といえば、ライヴ盤を出してくれないことぐらい。

He Walked on
O'Brien, Tim
Howdy Skies
2021-07-09

 
Two Journeys
O'Brien, Tim
Sugarhill
2002-07-09

 それで思い出して、Hot Rize のサイトに行き、あるだけの CD DVD を注文。CD8枚。1枚品切れ。DVD1枚。送料が CD 4枚分以上。本体合計価格の半分弱。海外にいるアメリカ人やヨーロッパ人が、よくこれで文句を言わないものだ。一度、Smithonian Folkways CD Bandcamp で注文したら、送料が CD と同じくらいで、なんでこんなに高いんだと思ったら、FedEx で送ってきた。そりゃ、高くつくわなあ。1枚だけ品切れだった《Shades Of The Past》をアマゾンで注文。本体1,800円に送料380円。2割強。これでも高いと思うね。
 

 ストリーミングではとにかくクレジット情報やライナーがまったく無いから、やはりブツが必要なのだ。先日の《グレイトフル・デッドを聴きながら》も、バックのアコースティック・ギターがやたら良くて、いったい誰だ、と知りたくなり、CD を買った。ギタリストはディレクターでもある菊池琢己という人。名前を知ったからって、すぐにはご利益はないが、名前だけでもわかれば一応はおちつく。いずれまたどこかで遭遇するかもしれない。

 それに、ミュージシャンへの還元では、ブツも買った上でストリーミングで聴けば、両方から収入があるはずだし。

 こないだ、JVC だったか、ブックレットだけダウンロード販売するサービスを始めたが、Bandcamp あたりがやってくれないか。もっとも、あそこは、何を売るかはミュージシャンに任せているから、サイトとしてのサービスはやらないかもなあ。ミュージシャンによっては Bancpamp 内のページにクレジット情報を載せたり、デジタル版を買うと、ブックレットを PDF で付けてくれる人もいるが、全部じゃないしねえ。



##本日のグレイトフル・デッド

 0127日には1967年と68年の2本のショウをしている。公式リリースは無し。


1. 1967 Avalon Ballroom, San Francisco, CA

 このヴェニュー3日連続の初日。共演クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス。ポスターには開始時刻や料金が入っていない。

 この日のものとされる7曲1時間強のテープが出回っているが、それが実際にこの日のものかどうかは定かではない。また、確定するためのデータも無い。1967年のいつかのものではある。

 この頃はテープが残っているだけでも奇蹟的だ。その点ではアウズレィ・スタンリィ通称ベアは先駆者で、サウンド・エンジニアでもあったから、自分が担当したコンサートはデッドに限らず録りまくっていた。その成果が "Bear's Sonic Journals" として、息子たちがやっている財団から次々にリリースされている。ロックだけではなく、アリ・アクバル・カーンなんて人のものもある。

 デッド最初期のサウンドボード録音はたいていがベアの手になり、音も良い。


2. 1968 Eagles Auditorium, Seattle, WA

 このヴェニュー2日連続の2日目。4ドル。午後9時から午前2時まで。(ゆ)


0112日・水

 LOA のニュースから今月8日、87歳で亡くなった Joan Didion  "After Henry" を一読。親友で、頼りにしていた編集者の Henry Robbins 追悼文。1979年7月、出勤途中、マンハッタンの地下鉄14番街駅でばったり倒れて死ぬ。享年51歳。追悼式ではドナルド・バーセルミ、ジョン・アーヴィング、最初の版元 Farrar, Strauss & Giroux Robert Giroux、最後の版元 Dutton John Macrae が弔辞を述べた。1966年、Vogue で働きながら書いていた自分と夫を見出し、一人前のライターに育ててくれた。 FSG で出発し、ヘンリーがサイモン&シュスターに移ると一緒に移る。ヘンリーがダットンに移った時には契約が残っていたので、ついていかなかった。取り残された孤児と感じた。1975年のある晩、バークレーで、かつてその講義を聞いた教授たちの前で講演をすることになり、死ぬほど怖かった。そこへヘンリーが現れ、講演の部屋までつき添い、大丈夫、うまくいくと太鼓判を押してくれた。その言葉を信じた。ベストセラー作家でも駆け出しでもない中途半端の位置にいる著者が脅えているのに、飛行機でニューヨークから駆けつけるなんてことは、本来、編集者がやるべきことではない。ヘンリーが言うことは何でも信じたが、3つだけ、信じなかったことがある。1つは2冊目の長篇 Play It As It Lays のタイトルが良くないこと。2つめは3冊目の長篇 A Book Of Common Prayer 冒頭二つ目の文章を二人称で書いたのは良くないこと。3つめがこの文章のオチであり、そしてこれ以上はないオマージュになっていること。感心する。この人はスーザン・ソンタグの1歳下で、カリフォルニアの出身。ソンタグよりもデッドに近い。LOA のディディオンの巻の編者 David L. Ulin の観察は興味深い。

カリフォルニアに住んでいれば、「アメリカ」というものを、合州国の国境を超えて、より広く、より包括的な形で考えないわけにはいかない。ディディオンは、カリフォルニアとの関連と国全体での議論との関連の双方で、こうした(ラテン・アメリカとの)つながりを把握していたことから、関心を抱いたのだと思う。

 グレイトフル・デッドもまたカリフォルニアの産物だ。してみれば、たとえまったく同じ人間が揃ったとしても、モンタナやテキサスではデッドは生まれなかった。ロサンゼルスでも無理だろう。やはりベイエリアだ。ディディオンもサクラメントの生まれ。ソンタグが60年代をニューヨークから俯瞰したとすれば、ディディオンはそれをカリフォルニアのベイエリアから見たのではないか。よおし、読みましょう。



##本日のグレイトフル・デッド

 0112日には1979年に1本ショウをしている。公式リリース無し。


1. 1979 The Spectrum, Philadelphia, PA

 前年1128日の公演の振替え。7.508.50ドル。開演7時。外は吹雪。第一部クローザー〈Deal〉ではガルシア、ウィア、ドナが声ですばらしい即興をした。

 会場は196709月オープン、200910月閉鎖の屋内アリーナで、収容人数はコンサートでは18,000から19,500。コンサート会場としてメジャーなアクトが頻繁に使用した。オープンから1996年まで、ホッケーの Philadelphia Flyers、バスケットの Philadelphia 76ers の本拠だった。

 デッドは196812月から199503月まで、計53本のショウをここで行なう。うち完全版3本を含む7本が公式リリースされている。

 デッドが演奏した会場を見てゆくと、すでに閉鎖されているところが目につく。アメリカではこうした大規模な施設はどんどん建替えられている。残っているところも改修拡張されている。ホッケーやバスケットなどプロ・スポーツ・チームが本拠にするようなところは、今では2万は優に超えるのが普通だ。(ゆ)


0101日・土

 例年通り、近所の神社巡り。小町神社の階段はまだ一気に登れたが、太股が重い。ここ半年、速歩ばかりしていて、階段登りをしていなかったせいか。もう少しやるか。



##本日のグレイトフル・デッド

 元旦には1966年と1967年の2本のショウをしている。


1. 1966 Beaver Hall, Portland, OR?

 ではあるが、このショウは存在が疑問視されている。SetList Program にはそこにいたという証言もあるのだが、記憶が曖昧。DeadBase XI ではポートランドでのアシッド・テストとして1月のどこかという記載。Deadlist ではこのヴェニューでのイベントは0115日のアシッド・テストのみ。一方、その日にはサンフランシスコの The Matrix でのショウもリストアップされており、そちらは13日と両日を載せたポスターがある。

 ポートランドでアシッド・テストが行われたこと、そこで The Warlocks が演奏をしたことは動かないが、日付が確定できない。通常アシッド・テストは土曜日夜なので1965-12-25ないし1966-01-01になる。07になると The Matrix でのショウは確定している。なおポートランドにはこの名前のヴェニューが2ヶ所あった由。以上、Lost Live Dead の記事より。


2. 1967 Panhandle, Golden Gate Park, San Francisco, CA

 こちらについてはビル・クロイツマンが回想録 Deal でやったと書いている。066pp. ヘルス・エンジェルスと The Diggers のための無料コンサートで、ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーも一緒。セット・リスト不明。



##本日のグレイトフル・デッド

 0102日には1969年から1972年まで3本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。

1. 1969 Fillmore West, San Francisco, CA

 この年最初のショウ。3ドル。共演ブラッド・スエット&ティアーズ、Spirit。セット・リスト不明。

 Spirit 1968年にデビュー・アルバムを出したロサンゼルスのバンド。ギターの Randy California はニューヨークの Jimmy James and the Blue Flames でジミヘンと共演していた。ドラムスはカリフォルニアの継父 Ed Cassidy で、他のメンバーより20歳年上、キャノンボール・アダレィ、ジェリー・マリガン、ローランド・カーク、セロニアス・モンク、リー・コニッツなどと共演した。アルバムはママス&パパスのプロデューサー Lou Adler のレーベルから出てヒット。


2. 1970 Fillmore East, New York, NY

 この年最初のショウ。共演 Lighthouse。オープナーの〈Mason's Children〉が《Fallout From The Phil Zone》でリリースされた後、《Dave’s Picks, Vol. 30》で全体がリリースされた。第一部、第二部ではなく、Early ShowLate Show

 Lighthouse 1968年にカナダ、トロントで結成されたバンド。弦管、ビブラフォンを含む大所帯。ロック、ジャズ、クラシックなど渾然とした音楽で、断続的に現在まで活動。


3. 1972 Winterland Arena, San Francisco, CA

 この年最初のショウ。2.5〜4ドル。キース・ガチョーの東部デビュー。(ゆ)


1230日・木

 The Complete Chronicles Of Conan, Centenary Edition 着。ハワードの書いたコナンものを、未発表の原稿、草稿、断片にいたるまで原形のまま集成。ハワード生誕百周年記念版。早速編者 Stephen Jones の後記を一読。友人のホフマン・プライスが語るハワードのエピソードが面白く、無気味でもある。ホフマン・プライスとその新妻を乗せて車を運転していた時、不意にスピードを落とした。道端にちょっとした茂みが見えていた。助手席のホフマン・プライス越しにドア・ポケットから拳銃をとりだし、構えてちらりとあたりを見回し、ピストルを戻してまたスピードを上げた。

「まさかそんなことはないと思うが念のためだ。自分のように敵が多い人間はいつも用心していないといけない。味方でない者は敵だ」

 こういう感覚は母親が醸成したものだったのだろうか。

 この解説のネタになっている Weird Tales の表紙を描いた Margaret Brundage、ハワードの高校の教師 Novalyne Price Ellis の存在も興味深い。Brundage の絵は出来不出来が激しいが、良いものは時代を超えている。


 


 ということで、今年もおつきあいいただき、まことにありがとうございました。

 ##本日のグレイトフル・デッドは1年一周するまで続きます。来年はいよいよ腰を据えてデッドを聴く予定。他のことをする余裕はおそらく無いでしょう。手許にある公式リリースされたショウのアーカイブ音源は現在トータル760時間強。毎日3時間聴いて250日超。公式以外にも聴きたい、聴かねばならぬものはたくさんあります。幸い、デッドのショウはいくら聴いても飽きるということがありません。というよりも、聴けば聴くほどもっと聴きたくなります。本当に良い音楽とはそういうものではあります。

 植草甚一がジャズについて書いた最初の文章は「ジャズを聴いた600時間」でした。あたしもまずは「グレイトフル・デッドを聴いて1000時間」を目指すことになりましょう。植草がジャズを聴きだした年齡からは20年ほど遅れていますが、人間の器からすればそんなものです。あれほどアメリカ文化に精通した植草もわからなかったデッドに、還暦過ぎてハマるのも、ひとつの縁ではあります。もっとも、ライヴのアーカイブ録音がこれだけ出なければ、あたしにしても、やはりわからないままではあったでしょう。植草にしても、アメリカ文化の全部をわかっていたわけではなかった。1人の人間にそれは無理です。一方で今グレイトフル・デッドを相手にすることは、アメリカの文化全体を相手にすることでもあります。

 とまれ、デッドにならって、ノンシャランと真剣にまいるといたしましょう。


 という舌の根も乾かぬうちに、正月はマーティン・ヘイズの回想録を読まねばなりません。いや、面白い。


 では、皆さま、よいお年をお迎えください。



##本日のグレイトフル・デッド

 1230日には1966年から1991年まで16本のショウをしている。この数字は28日に続く3番目。公式リリースは3本。


01. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA

 2日連続の年越しショウ1日目。ジファーソン・エアプレイン、クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスとデッドという顔ぶれ。2.50ドル。午後9時〜午前2時とチケットにある。セット・リスト不明。


02. 1967 Psychedelic Supermarket, Boston, MA

 前日に続く2日目。この年最後のショウ。この2日間のショウはもともとは12-08/09 に予定されていた。

 かくて、ファースト・アルバムを出し、ロバート・ハンター、ミッキー・ハートが加わった、バンドとしての本格的な始動の年が暮れる。


03. 1969 Boston Tea Party, Boston, MA

 大晦日に向けての3日連続のランの中日。


04. 1977 Winterland, San Francisco, CA

 大晦日に向けての4本連続のランの3本目。第二部3曲目〈Estimated Prophet〉からクローザー〈Sugar Magnolia〉までが《Dick’s Picks, Vol. 10》でリリースされた。

 見事な演奏だが、とりわけ〈Estimated Prophet〉のガルシアのソロが尋常でない。時折りガルシアの演奏を他の全員がサポートする、通常のジャズのような形になることがある、その一つだけれど、このソロはキャリア全体を通じてもベストの一つ。〈St. Stephen〉はこの曲の最後から2番目の演奏。最後の演奏は翌年の大晦日。


05. 1978 Pauley Pavilion, University of California, Los Angeles, CA

 前売8.50ドル、当日10ドル。開演7時半。とりわけ第二部が良い由。


06. 1979 Oakland Auditorium, Oakland, CA

 大晦日に向けての5本連続のランの4本目。

 このショウでは廊下で踊る連中のために外にもスピーカーが備えられた。第二部 Space のすぐ後の〈Truckin'〉の最中、ダンスがあまりに激しく、床が抜けた。ビル・グレアム・プレゼンツのスタッフはたちまち修理し、翌日行ってみると真新しいコンクリートの表面に「〈Truckin'〉の追憶のために」という趣旨のことばが彫ってあった。


07. 1980 Oakland Auditorium, Oakland, CA

 大晦日に向けての5本連続のランの4本目。


08. 1981 Oakland Auditorium, Oakland, CA

 大晦日に向けての5本連続のランの4本目。


09. 1982 Oakland Auditorium, Oakland, CA

 大晦日に向けての5本連続のランの4本目。13.30ドル。開演8時。エタ・ジェイムズとタワー・オヴ・パワーがアンコールで参加。


10. 1983 San Francisco Civic Center, San Francisco, CA

 大晦日に向けての4本連続のランの3本目。開演8時。オープナーの2曲〈Bertha > Greatest Story Ever Told〉が2018年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 〈Bertha〉の4:00直前から10秒ほど音が途切れる。なんらかの事故で音が入っていないらしい。もっとも良い AUD があれば今ならばつなぐのは可能なはず。"anymore" の繰返しは10回。GSET ではヴォーカルの裏でガルシアがすばらしいスライドを聴かせる。

 どちらも元気いっぱいの演奏で、オープナーでこれなら全体も良いにちがいない。いずれ全体のリリースを期待。


11. 1985 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 大晦日に向けて2日連続の初日。15ドル。開演8時。15ドル。開演8時。第二部オープナーの〈The Mighty Quinn (Quinn The Eskimo)〉が《Postcards Of The Hanging》でリリースされた。

 ガルシアの持ち歌で、デッドとしてはこれが初演。この後はアンコールで演奏されることが多い。ちなみにこの日のアンコールは〈It's All Over Now, Baby Blue〉。

 原曲は《The Basement Tapes》セッションの1曲で、その録音は《The Bootleg Series, Vol. 11: The Basement Tapes Complete》で初めて公式リリースされた。ディランの公式リリースとしては《Self Portrait》でのワイト島フェスティヴァルでのライヴ録音が初出。


12. 1986 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA,

 大晦日に向けての4本連続のランの3本目。開演8時。ネヴィル・ブラザーズが前座。第二部にも参加した由。 Drums にハムザ・エル・ディンが参加。

 この年、コリシアムはヒューイ・ルイスが押えたために、ビル・グレアムはこの年越しランをずっと狭いこのヴェニューにせざるをえなかった。


13. 1987 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 大晦日に向けての4本連続のランの3本目。17.50ドル。開演7時。


14. 1989 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 大晦日に向けての4本連続のランの3本目。20ドル。開演7時。


15. 1990 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 大晦日に向けての4本連続のランの3本目。22.50ドル。開演7時。ブルース・ホーンスビィ参加。第一部クローザーは彼の〈Valley Road〉。


16. 1991 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 大晦日に向けての4本連続のランの3本目。23.50ドル。開演7時。第二部半ば Drums に先立つジャムから Drums にアイアート・モレイラが参加。(ゆ)


1218日・土

 この人もキャリアは長いが、自分の名前を冠したバンドは初めてのはず。それだけアンサンブルを重視しているのだろう。一応ブルーグラスの編成だが、音楽はオブライエン節でブルーグラスではない。この人はブルーグラスから出発していると思うが、その資質はもっと広く、根も深い。

 そう、この人の歌は根が深い。個人よりもそれが出てきた背後の存在を感じさせる。アイリッシュと相性が良いのもそこではないか。

 存在感としてはヴォーカルは別として、まずフィドル。そしてベース。

Tim O'Brien Band
O'Brien, Tim
Howdy Skies
2019-03-22



##本日のグレイトフル・デッド

 1218日には1965年から1994年まで4本のショウをしている。公式リリースは無し。


1. 1965 The Big Beat Club, Palo Alto, CA

 Big Beat Acid Test。セット・リスト不明。


2. 1973 Curtis Hixon Convention Hall, Tampa, FL

 このヴェニュー2日連続の初日。ポスターによると WFSO または WFJO というラジオ局が主催した「自転車に乗ろう」キャンペーンの一環らしい。ラジオ局の名前のロゴがどちらにも読める。どちらのラジオ局もタンパ、セント・ピータースバーグ一帯にかつて存在した。

 翌日同様、すばらしいショウの由。


3. 1993 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 3日連続のランの中日。


4. 1994 Los Angeles Sports Arena, Los Angeles, CA

 開演7時半。第一部5曲目〈El Paso〉でウィアがアコースティック・ギター。(ゆ)


1216日・木

 Grimdark Magazine 記事を見て、Conan's Brethren をアマゾンで購入。紙版はハードカヴァーは200ドル、トレード・ペーパーは皆無。よって Kindle 版を購入。

Conan's Brethren (English Edition)
Howard, Robert E.
Gateway
2011-04-28


 The Complete Chronicles Of Conan の姉妹篇として、同じく Stephen Jones が編集して、Solomon KaneKull of ValusiaBran Mak Morn などの、コナン以外のハワードのヒーローものを集めた1冊。編者の後記は各々のヒーローの経歴を詳細に語る。パルプ雑誌、コミックスのカヴァー多数。コナンは一通り読んだが、こちらはまったく未読。

 面白いのはコナンものもそうだが、中篇が短篇より多いこと。こういう話はやはり中篇になるのだろう。

 巻頭のハワードの「序文」が面白い。これは Harold Preece とラヴクラフトの各々にあてた書簡から抜粋して組み立てたものの由だが、スコットランドの先住民の一つであるピクト族になぜかひどく惹かれたことから、ソロモン・ケインやブラン・マク・モーンが生まれた経緯を語る。むろんハワードが惹かれたピクト族は歴史に存在した人びとが元になってはいるものの、完全に架空の、ハワードが想像した人間たちであることは本人も自覚している。一方でハワードはスコットランド、アイルランドの歴史については相当に勉強している。オタクと言っていい。

 初めはソロモン・ケインものが並ぶ、その先頭に "Solomon Kane's Homecoming" という詩が掲げられている。ドナルド・ウォルハイムが Wilson Shepherd と出した創刊号だけで終った同人誌 Fanciful Tales of Time and Space に、死の直後1936年に掲載されたものだそうだが、これがなかなか良い。ラヴクラフトの言うとおり、伝承バラッド、叙事詩の趣がある。これだけで立派な1個の短篇になっていて、しかも、この話はこういう形でしか語れないと思わせる。ヒーローの最後とはこういうものでしかありえない。

 ISFDB のハワードの項を眺めていると、あらためてその執筆量の大きさに圧倒される。小説はもちろんだが、それに加えて、ラヴクラフトはじめ、膨大な書簡を書いてもいる。詩も多い。バートランド・ラッセルが書き残したものの量の多さは伝記作者には重圧だと、その伝記を書いたレイ・モンクが嘆いていたが、ラッセルは90年生きた。ハワードの活動期間は10年だ。

 ハワードは自殺だが、短期間に膨大な量の、質の高い小説を量産したことでは長谷川海太郎に比肩あるいは凌駕する。ハワード1906-01-22/1936-06-11。長谷川 1900-01-17/ 1935-06-29、それにスコットランドのルイス・ギボン 1901-02-13/1935-02-07 とほぼ同時期。3人いれば偶然ではなくなる。20世紀最初の35年に何があったのか。



##本日のグレイトフル・デッド

 1216日には1968年から1994年まで5本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。


1. 1968 The Matrix, San Francisco, CA

 ウィアとピグペン抜きの Mickey Hart and Hartbeats 名義。テープにはいずれも40分前後のジャムが2本入っており、前半に Jack Cassady Spencer Dryden、後半に Jack Cassady David Getz が参加している。

 スペンサー・ドライデン (1938-2005) はジェファーソン・エアプレインとニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジのドラマー。

 デヴィッド・ゲッツ (1940-) はビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーとカントリー・ジョー&ザ・フィッシュのドラマー。

 厳密にはデッドのショウとは言えないし、テープの存在のみで知られるイベントで、サンフランシスコ・クロニクルには広告も記事も、このイベントに関するものは皆無だそうだ。


2. 1978 Nashville Municipal Auditorium, Nashville, TN

 8ドル。開演7時。


3. 1986 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 16.50ドル。開演8時。このヴェニュー3日連続の中日。

 第二部 Drums から〈Iko Iko〉までとアンコール〈In The Midnight Hour〉にネヴィル・ブラザーズが参加。


4. 1992 Oakland Coliseum Arena, Oakland, CA

 開演7時。このヴェニュー4本連続の3本目。《Dick’s Picks, Vol. 27》で全体がリリースされた。


5. 1994 Los Angeles Sports Arena, Los Angeles, CA

 このヴェニュー4本連続の2本目。全篇ブランフォード・マルサリスが参加。(ゆ)


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