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30 Days Of Dead 2022 を聴く。その14
30 Days Of Dead 2022 を聴く。その13
次の曲が決まるまで、かなり時間がかかります。けれど、この後は〈To Lay Me Down〉からクローザーの〈Good Lovin'〉までノンストップです。
30 Days Of Dead 2022 を聴く。その11
謹賀新年
1986、85年からは今年はピックアップされず、次は1984年から2本、13日リリースの 1984-10-15, Hartford Civic Center, Hartford, CT のショウから〈Hell In A Bucket> Sugaree〉と、04日リリースの 1984-04-16, Community War Memorial Auditorium, Rochester, NY から〈Dupree's Diamond Blues〉です。それぞれ春と秋のツアーからです。
30 Days Of Dead 2022 を聴く。その9
30 Days Of Dead 2022 を聴く。その8
Dragons Of Deceit
R.I.P. Mick Moloney
オクテイヴィア・E・バトラー
買物の日
(ここに楽天のアフィリエイトのリンクを貼ろうとしたが、手続きが難しすぎてよくわからん)
RIP Kelly Joe Phelps
スナーキー・パピーのライヴ・ビデオ
RIP Patricia A. McKillip
The King Must Fall
"Hand in Hand" - Ian Siegal featuring Shemekia Copeland
%本日のグレイトフル・デッド
インターステイト・システム
Guston In Time
しかし発表当時は時の美術界からは総スカンを食い、ほとんど唯一評価したのがまだ若い Ross Feld だった。2人の間に篤い友情が結ばれ、この本はフェルドが残した追憶の書。回顧展の図録は欲しい。ボストン美術館は通販で売っているがペーパーバック40ドルに送料52ドル。やはりためらう。昔はこういう本はイエナあたりにあったりしたのだが、今はどこか、集めているところはあるのだろうか。海外の展覧会の図録を集めて売っている本屋はありそうだが。それにしても、この人もカナダだ。
『足長おじさん』
グレイトフル・デッドのショウの長さ
04月05日・火
1972-04-07, Wembley Empire Pool, London でのショウを聴く。72年ヨーロッパ・ツアーの開始。このツアーのショウは長いものが多いので、腹を据えて聴かねばならない。先日聴き終えた1990年春のツアーはだいたい1本2時間半弱というところだが、この72年ヨーロッパ・ツアーの各ショウは04-21ブレーメンのビート・クラブを例外として、すべて2時間半を優に超え、4時間近いものもある。こうなると CD で4枚組だ。
デッドのショウはもともと長い。コンサートの契約書には通常「最長演奏時間」の項目がある。どんなに長くても、これ以上は演奏しないよ、という決まりだ。デッドの場合、「最短演奏時間」が書きこまれた。最低でもこれだけは演奏させろ、というので、どれくらい長くなるかは契約の上では決まっていなかった。施設やその街などのローカル・ルールによっていた。会場の制限を破ることは常習で、機器のコンセントを抜かれたのも一度や二度ではない。1980年代になっても、「終演は午前零時で絶対厳守のこと」と、スケジュール表に書かれたりしている。開演は7時半や8時だ。かれらはとにかく一緒に演奏するのが何よりも好きだったのだ。この点でも、ロック・バンドというよりはジャズやアイリッシュ・ミュージックなどの伝統音楽のミュージシャンの仲間だ。
1972〜73年はショウの時間が最も長くなった時期で、CD でも3時間を超えるのがザラである。曲間や休憩などはカットしてその時間になる。ツアー開始の07日のロンドンは CD で2時間44分。翌日の同じ会場は2時間59分。このツアーは04月07日から05月26日までの50日間に22本という、かなりゆるやかなスケジュールではあるのだが、04月下旬からは1977年春のツアーが入ってくる。終りはほぼ同時。両方が重なる日もある。さて、どうしたものか。
それにしても、毎日、3、4本のショウの録音を2年間聴きつづけた、という猛者もいるのは見習うべきか。
##本日のグレイトフル・デッド
04月05日には1969年から1995年まで9本のショウをしている。公式リリースは3本。
1. 1969 Avalon Ballroom, San Francisco, CA
土曜日。このヴェニュー3日連続の中日。オープニングの2曲〈Dupree's Diamond Blues> Mountains Of The Moon〉でガルシアはアコースティック・ギター。続くジャムの途中でエレクトリックに持ち替える。第二部ないし遅番ショウが進んで〈I Know It's A Sin〉が終ったところで、ガルシアが客席に「あと10分、何が聴きたい?」と訊ねた。おそらくはヴェニューのステージ・マネージャーからあと10分と言われたのだろう。その後〈Alligator〉から20分近く演奏した。おそらくこのためであろう、翌日〈Viola Lee Blues〉の途中で、マネージャーはデッドの機器のコンセントを引き抜いた。
2. 1971 Manhattan Center, New York, NY
日曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。第一部6曲目〈Big Railroad Blues〉と第二部10・11曲目〈Not Fade Away> Goin' Down The Road Feeling Bad〉が《Skull & Roses》でリリースされた。
《Skull & Roses》のオリジナル版の収録曲は1曲を除いてニューヨークでのショウからとられている。この年の04月04日から29日までの春のツアー後半は、ニューヨークに始まり、マサチューセッツ、ペンシルヴェイニア、ニュー・ジャージー、ロード・アイランド、メイン、ノース・カロライナと回って、ニューヨークのフィルモア・イーストでの5日連続のランで締める。計20本のうち、最初と最後のニューヨークでのショウからの収録である。例外の1曲は03月24日のウィンターランドだ。
そうしてあらためて見てみると、アナログ時代のライヴ・アルバムに収録されているのはサンフランシスコかニューヨークか、どちらかでの演奏だけだ。例外は《Europe '72》と《Dylan & The Dead》である。後者はマサチューセッツ、オレゴン、それにカリフォルニアでもオークランドとアナハイム。とはいえ、これはやはり別枠だろう。すると《Europe '72》はデッドのスタジオ、ライヴ全てのアルバムでもユニークなものとなる。これだけはアメリカでの録音では無いのである。〈Touch of Grey〉がヒットするまでは、このアルバムがデッド最大のベストセラーだったのも興味深い。
デッドのような音楽にとっては、どこで演奏しているかは目立たないが、重要な要素だ。ジャズのレコードでは録音場所が記されているのが普通だ。それと同じ。ごく大まかに言っても、「ホーム」と「アウェイ」の違いはある。サンフランシスコとニューヨークが「ホーム」で、それ以外は「アウェイ」だ。ヨーロッパはさらに「ファー・アウェイ」になる。
つまり、現役時代のライヴ・アルバムは「ホーム」か「ファー・アウェイ」のどちらかで、中間の「アウェイ」での演奏からはとられていない。
第二部9曲目で〈Sing Me Back Home〉がデビュー。マール・ハガードの作詞作曲。1973-09-26まで計40回演奏。ハガードの原曲は1967年10月リリースのシングル。
3. 1980 NBC Studios, New York City, NY
土曜日。Saturday Night Live に出演し、〈Alabama Getaway〉と〈Saint Of Circumstance〉を演奏。火曜までニュー・ジャージー州パセーイクで三連荘をしていて、この日まで東部にいたらしい。次は04月28日アラバマ州バーミンガムから春のツアーを始める。
4. 1982 Spectrum, Philadelphia, PA
月曜日。このヴェニュー2日連続の初日。11.50ドル。開演7時。第一部4曲目〈Deep Elem Blues〉、クローザーの2曲〈Althea; Man Smart (Woman Smarter)〉、第二部オープニングからの4曲〈Bertha > Playing In The Band > Ship Of Fools > Playing In The Band Jam〉が《Road Trips, Vol. 4 No. 4》でリリースされた。計58分強。
5. 1988 Hartford Civic Center, Hartford, CT
火曜日。このヴェニュー3日連続のランの最終日。開演7時半。第二部3曲目〈Samson and Delilah〉が2012年の、オープナーからの2曲〈Hell In A Bucket> Sugaree〉が2019年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
前日とはうって変わって、ガルシアの声は絶好調だった由。
6. 1989 Crisler Arena, University of Michigan, Ann Arbor, MI
水曜日。このヴェニュー2日連続の初日。開演7時。最高のショウの由。
7. 1991 The Omni, Atlanta, GA
金曜日。このヴェニュー3日連続の最終日。開演7時半。ブルース・ホーンスビィ参加。第二部 Space 後の〈The Other One〉のライト・ショウがすばらしかった由。
8. 1993 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY
月曜日。このヴェニュー5本連続の最終日。26.00ドル。開演7時半。
9. 1995 Birmingham-Jefferson Civic Center Coliseum, Birmingham, AL
水曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。26.50ドル。開演7時半。第二部半ば〈Matilda, Matilda> Drums〉にネヴィル・ブラザーズのドラマー Willie Green が参加。良いショウの由。(ゆ)
『ユーモア・スケッチ大全』
03月29日・火
国書刊行会が再編集し、従来単行本未収録作品も集めて、あらためて4冊にまとめた浅倉さんの『ユーモア・スケッチ大全』が完結。著作権をとるのが大変な作業だっただろうと推察する。まことにありがたいことである。
『ユーモア・スケッチ大全』は浅倉さんのライフワーク、というのはあらためてよくわかる。その一方で、浅倉さんがやって雑誌掲載だけになっている中短篇を集めたオムニバスはできないのかなあ。傑作名作快作がかなりあるはずだが。
##本日のグレイトフル・デッド
03月29日には1967年から1995年まで11本のショウをしている。公式リリースは2本、うち完全版1本。
01. 1967 Rock Garden, San Francisco, CA
水曜日。このヴェニュー5日連続の2日目。
02. 1968 Carousel Ballroom, San Francisco, CA
金曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。5ドル。共演チャック・ベリー。
03. 1969 Ice Palace, Las Vegas, NV
土曜日。1時間半のステージ。共演サンタナ、The Free Circus。The Free Circus は不明。
4曲目〈Dark Star〉の前に誰かが、ハートのものに聞える声が、「これからやる曲はここラスヴェガスのアイス・パレスのために特別に作ったものだ。今朝書いたばかりだよ」と言う。
04. 1983 Warfield Theatre, San Francisco, CA
火曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。25ドル。開演8時。
05. 1984 Marin Veterans Memorial Auditorium, San Rafael, CA
木曜日。このヴェニュー4本連続の2本目。25.00ドル。開演8時。
06. 1985 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY
金曜日。このヴェニュー3日連続のランの最終日。13.50ドル。開演7時半。第一部3曲目〈I Ain't Superstitious〉でマシュー・ケリー参加。
なお、この3日間は自由席でオールスタンディング。自由に踊れた。ちなみに、デッドヘッドにとって、グレイトフル・デッドは基本的にダンス・バンド、その音楽で踊るためのバンドである。ちんまり椅子に座って聞いているものではない。会場が椅子席の場合、外の廊下やロビーで踊る者もいた。バンド側もそうした客のために、廊下やロビーにもPAのスピーカーを置いた。
07. 1987 The Spectrum, Philadelphia, PA
日曜日。このヴェニュー3日連続の初日。開演9時。開演時刻が遅いのは「レッスルマニア III」と重なったため。
08. 1990 Nassau Coliseum, Uniondale, NY
木曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。第一部6曲目〈Bird Song〉が《So Many Roads》で、第二部オープナー〈Eyes Of The World〉が《Without A Net》でリリースされた後、《Spring 1990 (The Other One)》で全体がリリースされた。その〈Bird Song〉と第二部全部、アンコールまで、ブランフォード・マルサリスが参加。
2,300本を越えるグレイトフル・デッドの全てのショウの中で「ベスト」と言われるものに1977年05月08日、コーネル大学バートン・ホールでのものがある。国の歴史的録音遺産にも収められている。これがバンドのみによる「ベスト」とするなら、このショウはゲスト入りでの「ベスト」と呼んでいい。多少ともジャズに心組みがあるならば、これを聴くことで、グレイトフル・デッド・ミュージックの真髄への扉が最高の形で開かれるだろう。グレイトフル・デッドが「単なる」ロック・バンドからかけ離れた存在であることも、よくわかるだろう。ブランフォード・マルサリスの参加によって、デッドの音楽そのものが一段上のレベルに昇っている点でもユニークだ。この時のデッドは全キャリアの中でも最高のフォームで、最高の音楽を生みだしているけれども、このショウでは、それからさらにもう一段昇っている。
一方のブランフォード・マルサリスからみれば、ロックのミュージシャンのアルバムへの参加としてはスティングの《Bring On The Night》が有名だけれども、ここではそれよりも量も質も遙かに凌駕する。あちらはいわばスティングの曲をやるジャズ・バンドだが、こちらはマルサリスとデッドによる共作だ。各々にとって新しい音楽なのである。
成功の鍵の一つはマルサリスがジャズのミュージシャンの中でも柔軟性にとりわけ富み、土俵の異なる相手ともやれる性格を備えていたことだろう。このショウの成功によって、デッドは後にデヴィッド・マレィやオーネット・コールマンを迎えてショウをしている。ジェリィ・ガルシアはコールマンのアルバム《Virgin Beauty》にゲスト参加して、かなり成功しているけれども、コールマンがゲスト参加したケースでは成功しているとは言えない。コールマンがあまりに個性的で、相手に合わせることができないためだ。これはおそらく能力というよりも性格からくるもので、合わせようとしても不可能だろう。コールマンの音楽家としての成立ちに、誰かに合わせるという概念そのものが存在しないのだ。
マレィはコールマンとマルサリスの中間、ややマルサリス寄りで、マルサリスほどではないが、かなり成功している。デッドヘッドの評価も高い。
なお、マレィの参加した1993-09-22, Madison Square Garden, New York , NY とコールマンの参加した1993-02-23, Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA の聴衆録音はネット上で聴くことができる。
またこのマルサリスのショウの公式録音はボックス・セットと同時にこれだけ独立して《Wake Up To Find Out》として一般発売されている。ディスク・ユニオンの新宿ジャズ館ではロング・セラーとも聞く。
きっかけはこの年が明けてまもなく、レシュとマルサリスの共通の友人の一人がレシュに、マルサリスに何か伝えることがあるかと訊ねたことだ。レシュはマルサリス兄弟のファンで、そのデビュー時からずっと追いかけていたから、ブランフォードには一度ショウを見にきてくれと伝えるよう頼んだ。ブランフォードは前日28日のショウを見にきて、終演後、楽屋に挨拶に行き、レシュとガルシアから熱烈に誘われた。そこでこの日、ソプラノとテナーの2本のホーンを持ってやって来たものだ。
リハーサルは無かった。ブランフォードはデッドの音楽をそれまでほとんど聴いたことがなく、どの曲をやりたいかと訊ねられても答えようがなかったらしい。一方で、相手がどんな音楽であっても合わせることができるという自信もあったのだろう。何でもやっていい、ついていくからと答えて、バンドは驚いた顔をした。とはいえ、デッドもジャズのミュージシャンが入りやすい曲を考えてもいたはずだ。第一部クローザー前の〈Bird Song〉、第二部オープナーの〈Eye of the World〉はその典型である。〈Estimated Prophet〉〈Dark Star〉と続けたのもそうした流れだし、Space はここではフリー・ジャズ、それも大胆かつ繊細な極上のフリー・ジャズだ。〈Turn On Your Lovelight〉は、ブランフォードが聴いて育った音楽でもあった。感心するのはアンコールの〈Knockin' On the Heaven's Door〉で、ちょっとこれ以上のこの歌のカヴァーはありえないと思える。
ブランフォードが後でゲストで出てくるという期待は、メンバーの気分を昂揚させたらしく、この日のショウは初っ端から絶好調だ。前日、あるいは24、25日と比べても、ノッチは一つ上がっている。
ブランフォードが入った効果はたとえば〈Bird Song〉の次の第一部クローザー〈The Promised Land〉でのガルシアの歌唱に現れる。それはそれは元気なのだ。〈Estimated Prophet〉でもウィアがブランフォードの前で歌うのが楽しくてしかたがないのがありありとわかる。実際、その裏でブランフォードがつけるフレーズが実に冴えていて、ウィアと掛合いまでする。
ガルシアのギターもあらためて霊感をもらって、突拍子もない、しかもぴたりとはまったフレーズがあふれ出てくる。ガルシアだけではなく、レシュもミドランドもウィアもドラマーたちも、出す音が違っている。
他のショウはそう何度も聴いてはいない。だいたい、1本が長いから、そう何度も聴けない。それがこのショウだけは、もう何度も聴いている。聴くたびに新たな発見をし、あらためて感服する。この音楽を聴けることの幸せを噛みしめる。
09. 1991 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY
金曜日。このヴェニュー3日連続のランの最終日。23.50ドル。開演7時半。第一部クローザー〈When I Paint My Masterpiece〉の途中で機器トラブルが起き、中途半端に終る。が、第二部は良かった。
10. 1993 Knickerbocker Arena, Albany, NY
月曜日。このヴェニュー3日連続のランの最終日。開演7時半。第一部7曲目〈Lazy River Road〉が2016年の、第二部オープナー〈Here Comes Sunshine〉が2017年と2020年の、アンコール〈Liberty〉が2018年の、第二部2〜4曲目〈Looks Like Rain; Box Of Rain> He's Gone〉が2021年の、それぞれ《30 Days Of Dead》でリリースされた。都合6曲、46分がリリースされたことになる。
11. 1995 The Omni, Atlanta, GA
水曜日。このヴェニュー4本連続の3本目。開演7時半。(ゆ)
The Best Of Lucius Shepard, Volume Two
03月09日・火
昼前、郵便配達が海外からの小包を持ってくる。ハンコが要る。サイズから見てあれかなと思ったら、やはり The Best Of Lucius Shepard, Volume Two, Limited Edition だった。Volume One の時は限定版の付録に収録の作品はすべて初出を持っていたので通常版にしたのだが、今回は付録の Youthful Folly and Other Lost Stories 所収の諸篇は同人誌などや特殊な媒体が初出のものがあって、持っていないのが大半なので限定版を注文。送料がまた本体の半分くらい。本にしては高いが、シェパードとなればやむをえない。この限定版は、製本か印刷かミスがあったとのことで、本体だけの通常版からかなり遅れた。付録の巻の方だろうか。
しかし、今はとにかく、デッドを聴くのに時間をとられて、本がまるで読めん。
##本日のグレイトフル・デッド
03月09日には1968年から1993年まで5本のショウをしている。公式リリースは無し。
1. 1968 Melodyland Theatre, Anaheim, CA
土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。ロサンゼルスの LA Free Press に広告によると、6時半と9時半の2回コンサートがあった。これもデッドはジェファーソン・エアプレインの前座。
2. 1981 Madison Square Garden, New York , NY
月曜日。12.50ドル。開演7時半。このヴェニュー2日連続の初日。すばらしいショウの由。
3. 1985 Berkeley Community Theatre, Berkeley, CA
土曜日。このヴェニュー4本連続の初日。開演7時半。第二部〈Drums> Space> The Other One〉に Merl Saunders が参加。
4. 1992 Capital Centre, Landover , MD
月曜日。開演7時半。ここはベストのショウがいくつも生まれるヴェニューだが、会場としての評判ははなはだ良くない。とりわけ、警備の体制が「ナチ」だったそうだ。
5. 1993 Rosemont Horizon Arena, Rosemont, IL
火曜日。25ドル。開演7時半。春のツアーのスタート。このヴェニュー3日連続の初日。まずまずのショウの由。
ローズモントはシカゴ・オヘア空港のすぐ東にある街。会場は1980年05月オープンの多目的アリーナで、定員はコンサートで18,500。命名権の移転によって現在の名前は変わっている。1984年にロナルド・レーガンとジョージ・H・W・ブッシュ(パパ・ブッシュ)がここで大統領選の集会をしている。
デッドはここで1981年12月06日に初めて演奏し、1994年03月18日まで計13回のショウをしている。初回のショウの1曲〈Jack-A-Roe〉が2020年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。(ゆ)
「サンダースンの1年」
03月02日・水
Brandon Sanderson から思わせぶりなニュースレター。リンク先の YouTube のビデオで、来年1年「サンダースンの1年」企画の発表。来年、世界があることへの祈りの一環で参加すべえ。急な出費ではある。価格としては安くはない。送料が例によってほぼ同額で、ハードカヴァーだけだと300USD。
サンダースンの YouTube チャンネルの登録者数が30万。これだけの基礎読者がいるのは凄い。ストレス処理が小説を書くこと、というのも当然といえば当然だが、2年で5冊書いてしまった、というのはそう多くはないだろう。アメリカの作家にしては量産でもある。2019年には本のプロモーションなどで旅行している時間が1年の3分の1。2020年にはそれがほぼゼロになり、時間ができた。
結局ハードカヴァー4冊でプレッジ。開始24時間で45,000人弱1,200万ドルを超えている。平均270ドル。ということは電子版が多い。コメントを見ると、ヨーロッパはじめ、国外からの送料に対する不満が噴出している。
Kickstarter でのこの企画は、4冊のタイトルも中身も隠したままなのに、わずか4日で200万ドルを集めて、Kickstarter 史上第一位となった。Washington Post の Book Club までがとりあげる騒ぎになっている。それはそうだ。つまり、ニューヨークの出版社も、エージェントも要らない、ということになる。WPBC の Ron Charles のインタヴューに答えて、サンダースンは、これを試みた理由の一つはアマゾンの独占に対する対策だとしている。数年前、価格の面でトラブルとなった Mcmillan のタイトルを Amazon が1週間、販売を止めたことがあった。今後、そうしたことが無いとも限らない。ジョフ・ベゾズがある日突然、サンダースンを嫌いになるかもしれない。その時に備えてのことだ、というわけだ。もちろん、誰もがこれをできるわけではない。サンダースンは30人のスタッフを抱えている。本だけではなく、そこから様々な商品、かれが swag と呼ぶマーチャンダイジングをして、これまでにも成功している。自分の書いているファンタジー世界のシンボルをかたどったメダル、プレイング・カード、カレンダーなど、かなりの数にのぼる。今回も4冊の小説とともに、8セットの swag ボックスを用意して、12ヶ月毎月リリースする。こうした商品化も、出版業界は怠けている、ともサンダースンは指摘する。もちろん、基本には、かれの書く小説が面白い、ということはある。ロバート・ジョーダンの衣鉢を継いで、現時点では英語圏最大の SFF作家になっている。売行だけではなく、質と作品の多様性の点でも、今後、世界が存続すれば、21世紀前半最大の作家の一人に数えられるだろう。
##本日のグレイトフル・デッド
03月02日には1969年から1992年まで4本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。
1. 1969 The Fillmore West, San Francisco, CA
日曜日。このヴェニュー4日連続のランの最終日。第二部3曲目〈Death Don't Have No Mercy〉、クローザーに向けての2曲〈Feedback〉と〈And We Bid You Goodnight〉が《Live/Dead》でリリースされた。《Fillmore West 1969: The Complete Recordings》で全体がリリースされた。また第二部2曲目の〈That's It for the Other One〉と、4曲目〈Alligator〉からクローザー〈And We Bid You Goodnight〉までが、抜粋盤《Fillmore West 1969 (3CD)》に収録された。
2. 1981 Cleveland Music Hall, Cleveland, OH
月曜日。このヴェニュー2日連続のランの初日。この頃になると〈Playing In The Band 〉は成長して他の曲や Drums> Space をはさむようになる。
3. 1987 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA
月曜日。このヴェニュー3日連続の中日。17.50ドル。開演8時。クローザー〈Morning Dew〉は、ガルシアが昏睡から回復して初めての演奏。
4. 1992 The Omni, Atlanta, GA
月曜日。このヴェニュー3日連続の中日。開演7時半。Drums の終りの方で、ハートが梁?の上でとびはねだし、ウィアが携帯用の削岩機ないしドリルを打楽器に使った。(ゆ)
接種券、図書館、スパム
02月25日・金
市から Covid-19 ワクチン3回目接種券到着。
公民館に行き、本5冊受け取り。借りてきた本の1冊は Helen Swick Perry, The Human Be-In, 1970 の邦訳『ヒッピーのはじまり』。昨年5月、作品社から出たもの。原書は古書でも140ドルとかしている。邦訳には当時のポスター、写真、記事などのヴィジュアルもついていて、とにかくこいつを読むべえ。
もう1冊は Johann Hari, Chasing The Scream: The First and Last Days of the War on Drugs, 2015 の邦訳『麻薬と人間』。こっちはベストセラーだけあって、原書も安いが、これも翻訳をまず読んでみんべえ。『スターリングラード攻防戦』のように、よほどひどければ原書に行けばよい。邦訳は昨年2月、またしても作品社。ここは田川建三さんの『新約聖書 訳と注』を出している。こうなると今、一番面白い版元と言ってもいい。
あとの2冊はジギスムンド・クルジジャノフスキイの作品集2冊。まあ、これは買ってもいいんだが、念のため確認。河出からもう1冊出ている。河出の『神童のための童話集』の訳者がキンドルで2冊出している。
あたし的にはグラドの輸入元のナイコム名義でスパムが来る。送付元を確認するとアドレス末尾が .pk だからパキスタン。これも本当にそこから来ているかはわからん。ナイコムのサイトを見たらアナウンスがあった。eイヤホンの親会社のK氏からも、自分の名前でスパムが出回っているとお詫びのメール。今時、なりすまされるのは本人の落ち度ではなかろう。どこやらの中間のサーバが侵入されたんじゃないか。ナイコム、eイヤホンとは過去にメールのやりとりをしていた。
##本日のグレイトフル・デッド
02月25日には1966年から1995年まで5本のショウをしている。公式リリースは1本。
1. 1966 Cinema Theatre, Los Angeles, CA
Sunset Boulvard Acid Test。2ドル、メンバーは1ドル。開演午前零時。8曲のセット・リストが残っている。
2. 1967 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
このヴェニュー3日連続の中日。オーティス・ラッシュ&ヒズ・シカゴ・ブルーズ・バンドとキャンド・ヒート共演。セット・リスト不明。
3. 1990 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
この年最初のショウ。このヴェニュー3日連続の初日。開演7時。
第一部8曲目、クローザー前の〈Cassidy〉が《Without A Net》で、5曲目〈Stagger Lee〉が昨年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
ローリング・ストーンズの〈The Last Time〉が第一部7曲目でデビュー。1995年07月06日まで、計70回演奏された。スタジオ盤収録は無し。
〈Stagger Lee〉はガルシアのヴォーカルが遠くて、ほとんど聞えないのが難点だが、演奏はいい。
〈Cassidy〉は宝石の一つ。《Without A Net》はレシュの選曲で、こういうのを拾うあたり、さすがだ。ウィアとミドランドが左右に別れて聞えるが、ちゃんとデュエットになっている。この曲はドナがいた時に、おそらく彼女の声を念頭に置かれて書かれている。ミドランドは見事にドナの代役をつとめて、この歌のしぶとさが滲みでる。それに誘われたか、3番の後のインストルメンタルが不定形のジャムになる。全員参加、誰がリードともわからない集団即興。長くはないが、それもまたよし。これぞ、デッドを聴く醍醐味。あっさりと、一見、何の合図もなく、コーラスにもどるところもカッコいい。この年のこの時期の異常なまでの好調さがよくわかる。
4. 1994 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
この年最初のショウ。このヴェニュー3日連続の初日。春節記念。24.50ドル。開演7時。
この年のショウは85本。前年より4本増えた。レパートリィは143曲。うち前年には演奏されなかったものが12曲。新曲は3曲。〈Samba in the Rain〉〈If The Shoe Fits〉〈Childhood’s End〉。興収では5位。ローリング・ストーンズ、ピンク・フロイド、イーグルス、バーブラ・ストライザンドに次いだ。
1月にバンドは「ロックンロールの殿堂」入りをした。その式典にガルシアだけは欠席し、等身大の写真の切抜きが代わりに出た。
〈Samba in the Rain〉はハンターの詞にウェルニクが曲をつけた。6月8日にサクラメントで初演。1995年7月9日のラスト・ショウまで38回演奏。スタジオ盤収録無し。
〈If The Shoe Fits〉は Andrew Charles 作詞、レシュ作曲。6月9日サクラメントで初演。1995年3月24日まで計17回演奏。スタジオ盤収録無し。
〈Childhood’s End〉はレシュの作詞作曲で7月20日インディアナ州ノーブルヴィルで初演。1995年7月9日のラスト・ショウまで計11回演奏。
レシュの2曲は《Ready Or Not》にも入らず、公式リリースでは出ていない。
ニコラス・メリウェザーはどれもポテンシャルはあるが、十分に育つだけの時間が無かったとしている。
5. 1995 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
このヴェニュー3日連続の中日。開演7時。(ゆ)
ジャニスとビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー
02月15日・火
Tidal でデッド関連の音源を聴く。ジャニス・ジョプリンの《Pearl》はバック・バンドの質の高さは一聴瞭然。ジャニスも水を得た魚のように活き活きしている。ただ、《Cheap Thrills》に比べると、ややコンパクトにまとまっている。これは完成されたシンガーのアルバムだ。
《Cheap Thrills》はバンドがジョプリンについていけないだけ、ヒロインの野性が表に出る。モンタレーでのあのパフォーマンスを引き出すには、ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーのヘタさが必要だった、という気もする。つまり、ジャニスというロケットを地上から打ちあげるには、ヘタでもなんでも、闇雲なエネルギー、八方破れの突進が必要だった。しかし、それ以上に、シンガー本来の軌道に乗せるには、まったく能力不足だったわけだ。それはバンド以外の周囲の人間には誰の目にも明らかだったようでもある。今聴いても、それはわかる。
その本来の軌道の先に何があったか、ついにわからないのは、やはり惜しい。
ロケットの初段には闇雲な、八方破れの生のエネルギーが必要というのはデッドにも通じる。1960年代の「原始デッド」のショウに感じられるのは同じエネルギーだ。1970年代になると、生々しさ、八方破れな態度は後退し、代わってよりコントロールの効いた、質の高い音楽が現れる。
##本日のグレイトフル・デッド
02月15日には1968年から1973年まで3本のショウをしている。公式リリースは無し。
1. 1968 San Quentin State Prison, San Quentin, CA
前日のショウの最後に、明日の午後、サン・クエンティン刑務所でカントリー・ジョー&ザ・フィッシュ、デッド、ジェファーソン・エアプレイン、それに他にもいくつかのバンドのメンバーが演奏することが発表された。刑務所外の草の生えた丘の斜面で、トラックの荷台をステージにして、ガルシア、キャサディ、シャーラタンズのメンバー、CJ&F の Barry "the Fish" Melton が演奏した。刑務所の中では囚人たちのストライキが起きるか起きないか、一触即発になった。この草地には500人ほどのヒッピーが集まり、音楽に合わせて踊った。
2. 1969 Electric Factory, Philadelphia, PA
このヴェニュー2日連続の2日目。3時間近い。
3. 1973 Dane County Coliseum, Madison, WI
前売4ドル、当日5ドル。開演7時半。この年2本めだが、すばらしいショウの由。
会場は現在は Veterans Memorial Coliseum という名称で、Alliant Energy Center と呼ばれる複合施設の一角をなす多目的屋内アリーナ。1967年オープン、2003-2004年に完全改修されて、座席数10,231。デッドがここで演るのはこれが最初で、以後この年10月、1978、79、81、83年と、計6回ショウをしている。うち1978-02-03の一部が《Dick's Picks, Vol. 18》でリリースされた他、1981-12-03の〈It's All Over Now, Baby Blue〉が《Postcards Of The Hanging》で、1973-10-25の〈Dark Star> Eyes Of The World> Stella Blue〉が2021年の《30 Days Of Dead》で各々リリースされた。
ここから2月一杯、中部のミニ・ツアー。(ゆ)
なぜ CD を買うか
01月27日・木
Tim O'Brien の昨年の新譜《He Walked On》着。アマゾンで予約したら、結局入荷せずで注文キャンセルになり、あらためて AMP で注文。ようやく入手。オブライエンは Sugar Hill や Flying Fish などのマイナー・レーベルからデビューしたが、そこを卒業するとメジャーには行かずに、自前のレーベルでやりだした。だから、ずっとコンスタントに新譜を出している。しかも、どれもこれも質が高い。深く音楽伝統に棹さしていて、アメリカ人離れしているほどだ。だから、《Two Journeys》でアイルランドの名立たる連中と互角に渡りあえる。かれの音楽を好むのは、同世代というのもあるだろう。不満といえば、ライヴ盤を出してくれないことぐらい。
それで思い出して、Hot Rize のサイトに行き、あるだけの CD と DVD を注文。CD8枚。1枚品切れ。DVD1枚。送料が CD 4枚分以上。本体合計価格の半分弱。海外にいるアメリカ人やヨーロッパ人が、よくこれで文句を言わないものだ。一度、Smithonian Folkways の CD を Bandcamp で注文したら、送料が CD と同じくらいで、なんでこんなに高いんだと思ったら、FedEx で送ってきた。そりゃ、高くつくわなあ。1枚だけ品切れだった《Shades Of The Past》をアマゾンで注文。本体1,800円に送料380円。2割強。これでも高いと思うね。
ストリーミングではとにかくクレジット情報やライナーがまったく無いから、やはりブツが必要なのだ。先日の《グレイトフル・デッドを聴きながら》も、バックのアコースティック・ギターがやたら良くて、いったい誰だ、と知りたくなり、CD を買った。ギタリストはディレクターでもある菊池琢己という人。名前を知ったからって、すぐにはご利益はないが、名前だけでもわかれば一応はおちつく。いずれまたどこかで遭遇するかもしれない。
それに、ミュージシャンへの還元では、ブツも買った上でストリーミングで聴けば、両方から収入があるはずだし。
こないだ、JVC だったか、ブックレットだけダウンロード販売するサービスを始めたが、Bandcamp あたりがやってくれないか。もっとも、あそこは、何を売るかはミュージシャンに任せているから、サイトとしてのサービスはやらないかもなあ。ミュージシャンによっては Bancpamp 内のページにクレジット情報を載せたり、デジタル版を買うと、ブックレットを PDF で付けてくれる人もいるが、全部じゃないしねえ。
##本日のグレイトフル・デッド
01月27日には1967年と68年の2本のショウをしている。公式リリースは無し。
1. 1967 Avalon Ballroom, San Francisco, CA
このヴェニュー3日連続の初日。共演クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス。ポスターには開始時刻や料金が入っていない。
この日のものとされる7曲1時間強のテープが出回っているが、それが実際にこの日のものかどうかは定かではない。また、確定するためのデータも無い。1967年のいつかのものではある。
この頃はテープが残っているだけでも奇蹟的だ。その点ではアウズレィ・スタンリィ通称ベアは先駆者で、サウンド・エンジニアでもあったから、自分が担当したコンサートはデッドに限らず録りまくっていた。その成果が "Bear's Sonic Journals" として、息子たちがやっている財団から次々にリリースされている。ロックだけではなく、アリ・アクバル・カーンなんて人のものもある。
デッド最初期のサウンドボード録音はたいていがベアの手になり、音も良い。
2. 1968 Eagles Auditorium, Seattle, WA
このヴェニュー2日連続の2日目。4ドル。午後9時から午前2時まで。(ゆ)
ジョーン・ディディオン
01月12日・水
LOA のニュースから今月8日、87歳で亡くなった Joan Didion の "After Henry" を一読。親友で、頼りにしていた編集者の Henry Robbins 追悼文。1979年7月、出勤途中、マンハッタンの地下鉄14番街駅でばったり倒れて死ぬ。享年51歳。追悼式ではドナルド・バーセルミ、ジョン・アーヴィング、最初の版元 Farrar, Strauss & Giroux の Robert Giroux、最後の版元 Dutton の John Macrae が弔辞を述べた。1966年、Vogue で働きながら書いていた自分と夫を見出し、一人前のライターに育ててくれた。 FSG で出発し、ヘンリーがサイモン&シュスターに移ると一緒に移る。ヘンリーがダットンに移った時には契約が残っていたので、ついていかなかった。取り残された孤児と感じた。1975年のある晩、バークレーで、かつてその講義を聞いた教授たちの前で講演をすることになり、死ぬほど怖かった。そこへヘンリーが現れ、講演の部屋までつき添い、大丈夫、うまくいくと太鼓判を押してくれた。その言葉を信じた。ベストセラー作家でも駆け出しでもない中途半端の位置にいる著者が脅えているのに、飛行機でニューヨークから駆けつけるなんてことは、本来、編集者がやるべきことではない。ヘンリーが言うことは何でも信じたが、3つだけ、信じなかったことがある。1つは2冊目の長篇 Play It As It Lays のタイトルが良くないこと。2つめは3冊目の長篇 A Book Of Common Prayer 冒頭二つ目の文章を二人称で書いたのは良くないこと。3つめがこの文章のオチであり、そしてこれ以上はないオマージュになっていること。感心する。この人はスーザン・ソンタグの1歳下で、カリフォルニアの出身。ソンタグよりもデッドに近い。LOA のディディオンの巻の編者 David L. Ulin の観察は興味深い。
カリフォルニアに住んでいれば、「アメリカ」というものを、合州国の国境を超えて、より広く、より包括的な形で考えないわけにはいかない。ディディオンは、カリフォルニアとの関連と国全体での議論との関連の双方で、こうした(ラテン・アメリカとの)つながりを把握していたことから、関心を抱いたのだと思う。
グレイトフル・デッドもまたカリフォルニアの産物だ。してみれば、たとえまったく同じ人間が揃ったとしても、モンタナやテキサスではデッドは生まれなかった。ロサンゼルスでも無理だろう。やはりベイエリアだ。ディディオンもサクラメントの生まれ。ソンタグが60年代をニューヨークから俯瞰したとすれば、ディディオンはそれをカリフォルニアのベイエリアから見たのではないか。よおし、読みましょう。
##本日のグレイトフル・デッド
01月12日には1979年に1本ショウをしている。公式リリース無し。
1. 1979 The Spectrum, Philadelphia, PA
前年11月28日の公演の振替え。7.50、8.50ドル。開演7時。外は吹雪。第一部クローザー〈Deal〉ではガルシア、ウィア、ドナが声ですばらしい即興をした。
会場は1967年09月オープン、2009年10月閉鎖の屋内アリーナで、収容人数はコンサートでは18,000から19,500。コンサート会場としてメジャーなアクトが頻繁に使用した。オープンから1996年まで、ホッケーの Philadelphia Flyers、バスケットの Philadelphia 76ers の本拠だった。
デッドは1968年12月から1995年03月まで、計53本のショウをここで行なう。うち完全版3本を含む7本が公式リリースされている。
デッドが演奏した会場を見てゆくと、すでに閉鎖されているところが目につく。アメリカではこうした大規模な施設はどんどん建替えられている。残っているところも改修拡張されている。ホッケーやバスケットなどプロ・スポーツ・チームが本拠にするようなところは、今では2万は優に超えるのが普通だ。(ゆ)
初詣
01月01日・土
例年通り、近所の神社巡り。小町神社の階段はまだ一気に登れたが、太股が重い。ここ半年、速歩ばかりしていて、階段登りをしていなかったせいか。もう少しやるか。
##本日のグレイトフル・デッド
元旦には1966年と1967年の2本のショウをしている。
1. 1966 Beaver Hall, Portland, OR?
ではあるが、このショウは存在が疑問視されている。SetList Program にはそこにいたという証言もあるのだが、記憶が曖昧。DeadBase XI ではポートランドでのアシッド・テストとして1月のどこかという記載。Deadlist ではこのヴェニューでのイベントは01月15日のアシッド・テストのみ。一方、その日にはサンフランシスコの The Matrix でのショウもリストアップされており、そちらは13日と両日を載せたポスターがある。
ポートランドでアシッド・テストが行われたこと、そこで The Warlocks が演奏をしたことは動かないが、日付が確定できない。通常アシッド・テストは土曜日夜なので1965-12-25ないし1966-01-01になる。07になると The Matrix でのショウは確定している。なおポートランドにはこの名前のヴェニューが2ヶ所あった由。以上、Lost Live Dead の記事より。
2. 1967 Panhandle, Golden Gate Park, San Francisco, CA
こちらについてはビル・クロイツマンが回想録 Deal でやったと書いている。066pp. ヘルス・エンジェルスと The Diggers のための無料コンサートで、ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーも一緒。セット・リスト不明。
##本日のグレイトフル・デッド
01月02日には1969年から1972年まで3本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。
1. 1969 Fillmore West, San Francisco, CA
この年最初のショウ。3ドル。共演ブラッド・スエット&ティアーズ、Spirit。セット・リスト不明。
Spirit は1968年にデビュー・アルバムを出したロサンゼルスのバンド。ギターの Randy California はニューヨークの Jimmy James and the Blue Flames でジミヘンと共演していた。ドラムスはカリフォルニアの継父 Ed Cassidy で、他のメンバーより20歳年上、キャノンボール・アダレィ、ジェリー・マリガン、ローランド・カーク、セロニアス・モンク、リー・コニッツなどと共演した。アルバムはママス&パパスのプロデューサー Lou Adler のレーベルから出てヒット。
2. 1970 Fillmore East, New York, NY
この年最初のショウ。共演 Lighthouse。オープナーの〈Mason's Children〉が《Fallout From The Phil Zone》でリリースされた後、《Dave’s Picks, Vol. 30》で全体がリリースされた。第一部、第二部ではなく、Early Show、Late Show。
Lighthouse は1968年にカナダ、トロントで結成されたバンド。弦管、ビブラフォンを含む大所帯。ロック、ジャズ、クラシックなど渾然とした音楽で、断続的に現在まで活動。
3. 1972 Winterland Arena, San Francisco, CA
この年最初のショウ。2.5〜4ドル。キース・ガチョーの東部デビュー。(ゆ)
The Complete Chronicles Of Conan, Centenary Edition
12月30日・木
The Complete Chronicles Of Conan, Centenary Edition 着。ハワードの書いたコナンものを、未発表の原稿、草稿、断片にいたるまで原形のまま集成。ハワード生誕百周年記念版。早速編者 Stephen Jones の後記を一読。友人のホフマン・プライスが語るハワードのエピソードが面白く、無気味でもある。ホフマン・プライスとその新妻を乗せて車を運転していた時、不意にスピードを落とした。道端にちょっとした茂みが見えていた。助手席のホフマン・プライス越しにドア・ポケットから拳銃をとりだし、構えてちらりとあたりを見回し、ピストルを戻してまたスピードを上げた。
「まさかそんなことはないと思うが念のためだ。自分のように敵が多い人間はいつも用心していないといけない。味方でない者は敵だ」
こういう感覚は母親が醸成したものだったのだろうか。
この解説のネタになっている Weird Tales の表紙を描いた Margaret Brundage、ハワードの高校の教師 Novalyne Price Ellis の存在も興味深い。Brundage の絵は出来不出来が激しいが、良いものは時代を超えている。
ということで、今年もおつきあいいただき、まことにありがとうございました。
##本日のグレイトフル・デッドは1年一周するまで続きます。来年はいよいよ腰を据えてデッドを聴く予定。他のことをする余裕はおそらく無いでしょう。手許にある公式リリースされたショウのアーカイブ音源は現在トータル760時間強。毎日3時間聴いて250日超。公式以外にも聴きたい、聴かねばならぬものはたくさんあります。幸い、デッドのショウはいくら聴いても飽きるということがありません。というよりも、聴けば聴くほどもっと聴きたくなります。本当に良い音楽とはそういうものではあります。
植草甚一がジャズについて書いた最初の文章は「ジャズを聴いた600時間」でした。あたしもまずは「グレイトフル・デッドを聴いて1000時間」を目指すことになりましょう。植草がジャズを聴きだした年齡からは20年ほど遅れていますが、人間の器からすればそんなものです。あれほどアメリカ文化に精通した植草もわからなかったデッドに、還暦過ぎてハマるのも、ひとつの縁ではあります。もっとも、ライヴのアーカイブ録音がこれだけ出なければ、あたしにしても、やはりわからないままではあったでしょう。植草にしても、アメリカ文化の全部をわかっていたわけではなかった。1人の人間にそれは無理です。一方で今グレイトフル・デッドを相手にすることは、アメリカの文化全体を相手にすることでもあります。
とまれ、デッドにならって、ノンシャランと真剣にまいるといたしましょう。
という舌の根も乾かぬうちに、正月はマーティン・ヘイズの回想録を読まねばなりません。いや、面白い。
では、皆さま、よいお年をお迎えください。
##本日のグレイトフル・デッド
12月30日には1966年から1991年まで16本のショウをしている。この数字は28日に続く3番目。公式リリースは3本。
01. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
2日連続の年越しショウ1日目。ジファーソン・エアプレイン、クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスとデッドという顔ぶれ。2.50ドル。午後9時〜午前2時とチケットにある。セット・リスト不明。
02. 1967 Psychedelic Supermarket, Boston, MA
前日に続く2日目。この年最後のショウ。この2日間のショウはもともとは12-08/09 に予定されていた。
かくて、ファースト・アルバムを出し、ロバート・ハンター、ミッキー・ハートが加わった、バンドとしての本格的な始動の年が暮れる。
03. 1969 Boston Tea Party, Boston, MA
大晦日に向けての3日連続のランの中日。
04. 1977 Winterland, San Francisco, CA
大晦日に向けての4本連続のランの3本目。第二部3曲目〈Estimated Prophet〉からクローザー〈Sugar Magnolia〉までが《Dick’s Picks, Vol. 10》でリリースされた。
見事な演奏だが、とりわけ〈Estimated Prophet〉のガルシアのソロが尋常でない。時折りガルシアの演奏を他の全員がサポートする、通常のジャズのような形になることがある、その一つだけれど、このソロはキャリア全体を通じてもベストの一つ。〈St. Stephen〉はこの曲の最後から2番目の演奏。最後の演奏は翌年の大晦日。
05. 1978 Pauley Pavilion, University of California, Los Angeles, CA
前売8.50ドル、当日10ドル。開演7時半。とりわけ第二部が良い由。
06. 1979 Oakland Auditorium, Oakland, CA
大晦日に向けての5本連続のランの4本目。
このショウでは廊下で踊る連中のために外にもスピーカーが備えられた。第二部 Space のすぐ後の〈Truckin'〉の最中、ダンスがあまりに激しく、床が抜けた。ビル・グレアム・プレゼンツのスタッフはたちまち修理し、翌日行ってみると真新しいコンクリートの表面に「〈Truckin'〉の追憶のために」という趣旨のことばが彫ってあった。
07. 1980 Oakland Auditorium, Oakland, CA
大晦日に向けての5本連続のランの4本目。
08. 1981 Oakland Auditorium, Oakland, CA
大晦日に向けての5本連続のランの4本目。
09. 1982 Oakland Auditorium, Oakland, CA
大晦日に向けての5本連続のランの4本目。13.30ドル。開演8時。エタ・ジェイムズとタワー・オヴ・パワーがアンコールで参加。
10. 1983 San Francisco Civic Center, San Francisco, CA
大晦日に向けての4本連続のランの3本目。開演8時。オープナーの2曲〈Bertha > Greatest Story Ever Told〉が2018年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
〈Bertha〉の4:00直前から10秒ほど音が途切れる。なんらかの事故で音が入っていないらしい。もっとも良い AUD があれば今ならばつなぐのは可能なはず。"anymore" の繰返しは10回。GSET ではヴォーカルの裏でガルシアがすばらしいスライドを聴かせる。
どちらも元気いっぱいの演奏で、オープナーでこれなら全体も良いにちがいない。いずれ全体のリリースを期待。
11. 1985 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
大晦日に向けて2日連続の初日。15ドル。開演8時。15ドル。開演8時。第二部オープナーの〈The Mighty Quinn (Quinn The Eskimo)〉が《Postcards Of The Hanging》でリリースされた。
ガルシアの持ち歌で、デッドとしてはこれが初演。この後はアンコールで演奏されることが多い。ちなみにこの日のアンコールは〈It's All Over Now, Baby Blue〉。
原曲は《The Basement Tapes》セッションの1曲で、その録音は《The Bootleg Series, Vol. 11: The Basement Tapes Complete》で初めて公式リリースされた。ディランの公式リリースとしては《Self Portrait》でのワイト島フェスティヴァルでのライヴ録音が初出。
12. 1986 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA,
大晦日に向けての4本連続のランの3本目。開演8時。ネヴィル・ブラザーズが前座。第二部にも参加した由。 Drums にハムザ・エル・ディンが参加。
この年、コリシアムはヒューイ・ルイスが押えたために、ビル・グレアムはこの年越しランをずっと狭いこのヴェニューにせざるをえなかった。
13. 1987 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
大晦日に向けての4本連続のランの3本目。17.50ドル。開演7時。
14. 1989 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
大晦日に向けての4本連続のランの3本目。20ドル。開演7時。
15. 1990 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
大晦日に向けての4本連続のランの3本目。22.50ドル。開演7時。ブルース・ホーンスビィ参加。第一部クローザーは彼の〈Valley Road〉。
16. 1991 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
大晦日に向けての4本連続のランの3本目。23.50ドル。開演7時。第二部半ば Drums に先立つジャムから Drums にアイアート・モレイラが参加。(ゆ)
Tim O'Brien Band
12月18日・土
この人もキャリアは長いが、自分の名前を冠したバンドは初めてのはず。それだけアンサンブルを重視しているのだろう。一応ブルーグラスの編成だが、音楽はオブライエン節でブルーグラスではない。この人はブルーグラスから出発していると思うが、その資質はもっと広く、根も深い。
そう、この人の歌は根が深い。個人よりもそれが出てきた背後の存在を感じさせる。アイリッシュと相性が良いのもそこではないか。
存在感としてはヴォーカルは別として、まずフィドル。そしてベース。
##本日のグレイトフル・デッド
12月18日には1965年から1994年まで4本のショウをしている。公式リリースは無し。
1. 1965 The Big Beat Club, Palo Alto, CA
Big Beat Acid Test。セット・リスト不明。
2. 1973 Curtis Hixon Convention Hall, Tampa, FL
このヴェニュー2日連続の初日。ポスターによると WFSO または WFJO というラジオ局が主催した「自転車に乗ろう」キャンペーンの一環らしい。ラジオ局の名前のロゴがどちらにも読める。どちらのラジオ局もタンパ、セント・ピータースバーグ一帯にかつて存在した。
翌日同様、すばらしいショウの由。
3. 1993 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
3日連続のランの中日。
4. 1994 Los Angeles Sports Arena, Los Angeles, CA
開演7時半。第一部5曲目〈El Paso〉でウィアがアコースティック・ギター。(ゆ)
Conan's Brethren
12月16日・木
Grimdark Magazine の記事を見て、Conan's Brethren をアマゾンで購入。紙版はハードカヴァーは200ドル、トレード・ペーパーは皆無。よって Kindle 版を購入。
The Complete Chronicles Of Conan の姉妹篇として、同じく Stephen Jones が編集して、Solomon Kane、Kull of Valusia、Bran Mak Morn などの、コナン以外のハワードのヒーローものを集めた1冊。編者の後記は各々のヒーローの経歴を詳細に語る。パルプ雑誌、コミックスのカヴァー多数。コナンは一通り読んだが、こちらはまったく未読。
面白いのはコナンものもそうだが、中篇が短篇より多いこと。こういう話はやはり中篇になるのだろう。
巻頭のハワードの「序文」が面白い。これは Harold Preece とラヴクラフトの各々にあてた書簡から抜粋して組み立てたものの由だが、スコットランドの先住民の一つであるピクト族になぜかひどく惹かれたことから、ソロモン・ケインやブラン・マク・モーンが生まれた経緯を語る。むろんハワードが惹かれたピクト族は歴史に存在した人びとが元になってはいるものの、完全に架空の、ハワードが想像した人間たちであることは本人も自覚している。一方でハワードはスコットランド、アイルランドの歴史については相当に勉強している。オタクと言っていい。
初めはソロモン・ケインものが並ぶ、その先頭に "Solomon Kane's Homecoming" という詩が掲げられている。ドナルド・ウォルハイムが Wilson Shepherd と出した創刊号だけで終った同人誌 Fanciful Tales of Time and Space に、死の直後1936年に掲載されたものだそうだが、これがなかなか良い。ラヴクラフトの言うとおり、伝承バラッド、叙事詩の趣がある。これだけで立派な1個の短篇になっていて、しかも、この話はこういう形でしか語れないと思わせる。ヒーローの最後とはこういうものでしかありえない。
ISFDB のハワードの項を眺めていると、あらためてその執筆量の大きさに圧倒される。小説はもちろんだが、それに加えて、ラヴクラフトはじめ、膨大な書簡を書いてもいる。詩も多い。バートランド・ラッセルが書き残したものの量の多さは伝記作者には重圧だと、その伝記を書いたレイ・モンクが嘆いていたが、ラッセルは90年生きた。ハワードの活動期間は10年だ。
ハワードは自殺だが、短期間に膨大な量の、質の高い小説を量産したことでは長谷川海太郎に比肩あるいは凌駕する。ハワード1906-01-22/1936-06-11。長谷川 1900-01-17/ 1935-06-29、それにスコットランドのルイス・ギボン 1901-02-13/1935-02-07 とほぼ同時期。3人いれば偶然ではなくなる。20世紀最初の35年に何があったのか。
##本日のグレイトフル・デッド
12月16日には1968年から1994年まで5本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。
1. 1968 The Matrix, San Francisco, CA
ウィアとピグペン抜きの Mickey Hart and Hartbeats 名義。テープにはいずれも40分前後のジャムが2本入っており、前半に Jack Cassady と Spencer Dryden、後半に Jack Cassady と David Getz が参加している。
スペンサー・ドライデン (1938-2005) はジェファーソン・エアプレインとニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジのドラマー。
デヴィッド・ゲッツ (1940-) はビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーとカントリー・ジョー&ザ・フィッシュのドラマー。
厳密にはデッドのショウとは言えないし、テープの存在のみで知られるイベントで、サンフランシスコ・クロニクルには広告も記事も、このイベントに関するものは皆無だそうだ。
2. 1978 Nashville Municipal Auditorium, Nashville, TN
8ドル。開演7時。
3. 1986 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
16.50ドル。開演8時。このヴェニュー3日連続の中日。
第二部 Drums から〈Iko Iko〉までとアンコール〈In The Midnight Hour〉にネヴィル・ブラザーズが参加。
4. 1992 Oakland Coliseum Arena, Oakland, CA
開演7時。このヴェニュー4本連続の3本目。《Dick’s Picks, Vol. 27》で全体がリリースされた。
5. 1994 Los Angeles Sports Arena, Los Angeles, CA
このヴェニュー4本連続の2本目。全篇ブランフォード・マルサリスが参加。(ゆ)
















