クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:アラブ

6月25日・金
Adnan Joubran
 Shubbak フェスティヴァル出演のウード奏者。1985年生まれ。どこの出身か公式サイトにない。参加している兄二人とのウード・トリオ Le Trio Joubran の記事が Wikipedia にあり、ナザレ、ラマラ、パリを拠点とするトリオ。 

 長兄 Samir (1973-) 、次兄 Wissam (1983-)。サミルは一家を成し、ソロもある。2003年のサード《Tamaas》でサミルは弟のウィサムを誘ってデュオでやる。2004年夏、末弟アドナンを加えてトリオを結成。以来、現在までにアルバム7枚。6作めは Dhafer Youssef がゲストだ。兄弟の父親 Hatem はナザレを拠点とする、アラブ世界全体で有名なウード・メーカー。母親 Ibtisam Hanna Joubran は Muwashahat と呼ばれる、アラブ・アンダルシア源流の歌謡のうたい手。

 3人のうちウィサムだけ Wikipedia に独立項目がある。父親の後を追ってウード製作を幼少時から始め(6歳で最初のウードを作った、そうだ)、さらにヴァイオリンに興味を持ってクレモナのストラディヴァリウス学院に留学。ヴァイオリン製作でも一級とイタリアで認められる。現在はジューブラン家第4世代の製作者として演奏と二足の鞋を履いている。演奏はもっぱらトリオでのものらしい。

 トリオのアルバムは大部分 Tidal にあるが、サミル、アドナンのソロは無し。




 Penguin のサイトの The greatest walks in literature のセレクションが面白い。確かに『指輪』ではたいへんな距離をみんな歩く。はじめっからグワイヒアにフロドを運んでもらえばいいものを、というのもまったくその通り。『嵐ヶ丘』でキャシィとヒースクリフがおたがいを探してムーアを歩きまわる距離はたいへんなものだ、というのには大笑いする。ウルフのダロウェイ夫人はロンドンを歩きまわる。とすれば、ジョイスのブルームとディーダラスがダブリンを歩きまわるのもここに入れてもいいか。しかし、エディンバラかグラスゴー、あるいはカーディフを歩く話は無いのか。パリは山ほどありそうだ。東京と京都もたくさんあるだろう。もっとも、ダロウェイ夫人ほど歩きながら考えるのも珍しい。オースティンのエリザベス・ベネットが歩く3マイルが本当に長いかどうかは読んでみてのお楽しみだろうが、5キロ歩くのは今のわが国のほとんどの人間にとっては長すぎるだろうなあ。へー、コーマック・マカーシィの The Road はこういう話だったのか。と今さら知る。それにしても Patrick Leigh Fermor が無いのはおかしいという向きもあろうが、かれはもうみんな読んでるだろう、という前提か。この中でまず読むとすれば Rachel Joyce の The Unlikely Pilgrimage Of Harold Fry かな。65歳の男が手紙を投函しに出かけて、そのまま700マイル=1,127キロを87日間かけて歩くことになる、という話。同い年の男の話だし。いや、自分もそうなってみたい。邦訳もあるが、やっぱり原文だろうな。それから Raynor Wynn, The Salt Path、Robert MacFarlane の The Old Ways。マクファーレインの Mountain Of The Mind は滅法面白かった。



ハロルド・フライの思いもよらない巡礼の旅
レイチェル・ジョイス
講談社
2013-08-27




The Old Ways
Macfarlane, Robert
Hamish Hamilton UK
2013-06-25


Mountains Of The Mind: A History Of A Fascination
Macfarlane, Robert
Granta Books
2017-11-09


 松本さんは芸の幅が広く、この日はいきなりアラブ歌謡から始める。あたしにはタイトルすら聴きとれないが、歌の内容は例によってラヴソングで、愛の対象が人なのか神なのかよくわからないもののようだ。shezoo さんのピアノは大したもので、ちゃんとアラブ音楽になっている、とあたしには聞える。

 ピアノの響きがいい。とりわけ中高域の響きがおちついた輝きを放つ。きらびやかにすぎず、華やかにすぎず、歯切れがいい。小型のアップライト型だが、足許に弦が剥出しになっていて、鳴りはよさそうだ。後で訊いたら、ようやくこのピアノの弾き方がわかったと言っていた。力を抜いて、八分の力で弾くつもりでやるとちょうどいい由。

 2曲目は〈The Water Is Wide〉。このピアノの伴奏はこれまで聴いたこの歌の伴奏のベスト。途中、二人がフリーで即興するところもいい。この曲でこういうのは珍しい。

 この二人がやると即興は結構多くて、〈砂漠の狐〉はもちろん、〈鳥の歌〉でも、後半の宮沢賢治の詩の朗読にピアノをつける「山の晨明に関する童話風の構想」でも、即興が入る。この二人を聴く楽しみの一つだ。

 そして3曲目。待ってました。〈マタイ受難曲〉からの1曲。聴いていて背筋が伸びる。いやあ、バッハってすげえなあ。そして、これをここまで聴かせるこの二人もすげえ。こうやってシンプルな形で聴くと、細かいコブシがずいぶん回っているのがよくわかるのだが、これも全部作曲されているんだそうだ。来年02/20&21、2日間の全曲演奏は何をおいても行かねばならない。

 松本さんは賢治にハマっているそうで、後半では『北守将軍と三人兄弟の医者』をもとにしたミュージカルのために旦那の和田啓氏が作った〈兵隊たちの軍歌〉をやる。これが後半のハイライト。このミュージカルは全体を見たいものだ。

 あたしは初体験だが、二人だけのライヴは結構やっているらしい。もっと見るようにしよう。

 聴衆一人。まるであたしのためだけに演奏されているようだ。配信で視聴している人はいるとはいえ、この生を体験できるのは、全宇宙であたしだけ。いや、なんという贅沢。どんな大金持ちでも、王侯貴族でも、この贅沢は味わえない。まあ、バッハを抱えていた領主かな。これもコロナの恩恵か。ラズウェル細木だったか、聴衆が少ないと、音楽家から流れだす音楽の分け前が増えると言っていたが、今日は独占だ。うわはははははは。

 もちろんブールマンのマスターも一緒にいるが、かれは配信のあれこれにも気をつかわねばならず、何もかも忘れて音楽に集中するわけにもいかない。ふっふっふ。

 配信された映像はまだ数日はアーカイヴで見られるそうだ。投げ銭もよしなに。

 また昼間のライヴで、出ればまたも炎天。吉祥寺もそうだったが、成城学園の住人は皆さんお元気で、老人でも日傘もささずに、ひょいひょいと歩いておられる。(ゆ)

 何とも不思議な味の、とても面白い一夜だった。原田さんはちょっと規格外のところがあって、関東ではこういう人はまずいない。そのキャラがそのまま現れたようなライヴだ。

 まずレパートリィが面白い。ご本人はアイリッシュがメインと言われて、確かに曲の数からいえばアイリッシュが大半を占めるが、ここにオールドタイムとそしてアラブ・フィドルが入る。実は音楽のジャンルよりもフィドルという楽器そのものに惚れていることに、比較的最近気がついたのだそうだ。アラブの音楽はチュニジアのミュージシャンに習っているそうで、いずれ本格的なアラブ・アンダルース音楽も聴かせていただきたいものだが、この日はベリーダンス向けの曲。そのせいか、アイリッシュに混じってもあまり違和感がない。あるいはそういう曲を選んだのか。

 オールドタイムの方は、ひょっとするとこれがルーツなのではと疑われるほどはまっている。関西ではバスコこと高木光介さんとも演っていたそうだが、関東では他にはほとんどいない。もっともじょんもブルース・モルスキィは大好きと言っていたから、いずれこちらでもオールドタイムが頻繁に聞けるようになるかもしれない。

 その昔、ブラックホークで高木さんが演っていた頃は、オールドタイムは何とも単調に聞えて、どこが良いのかさっぱりわからんかった。周りもほぼ同様で、高木さんは孤軍奮闘だったけれど、まったく意に介さず、一人我が道を行っていた。そのうちアメリカに行ってしまい、もどって来たときは故郷に帰ったから、もう長いこと会ってはいないが、こちらは少しずつオールドタイムの面白さがわかるようになってきた。何度も書くが、そのブルース・モルスキィがドーナル・ラニィとマイケル・マクゴールドリックと三人でオールドタイムをやっている Transatlantic Sessions のビデオは、このシリーズの中でもベストの一つだ。


 原田さんのオールドタイムを聴いていて、こちらがルーツと思ってしまう理由の一つは、かれのフィドルに独特の響きがあって、それがあたしにはオールドタイムのあのアクセント、ぐいと伸ばす音のアクセントにつながって聞えるからでもある。原田さんが好きだというポルカにそのつながりが最もはっきりと響く。

 この響きは、なんとも言葉にし難いが、聞けばわかるので、共演の高橋さんもあれはいいと言っている。いつどういうときに出るのか、まだよくわからないが、とてもいい具合にアクセントになっていて、ふわっと身体が軽くなる。

 こういうレパートリィの組合せとともに、この日のギグをユニークなものにしていたのはベリーダンサーの存在だ。それぞれタイプの違うお二人で、生のベリーダンスを見るのも初めてだし、生演奏をバックにするのも当然初めて。これまたどこまでが決まっていて、どこからが即興なのか、わからないのも面白い。最初と最後や、途中のキーポイントは決めてあって、途中、即興になるのだろうか。それにしても、フィドルとギターの伴奏というのは、あまり無いんじゃなかろうか。

 前半2曲はベリーダンスのための曲だそうだが、2曲めはほとんどアイリッシュに聞える速い曲。ベリーダンスは、どちらかというと上半身の踊りで、腕と手の動きもポイントなのは、わが国の踊りに通じる。アイリッシュのようなパーカッシヴな動きはほとんど無い。それと、ベリーと言う名前の通り、腰を使う。腰というより、腰を中心とした腹部。臍のあたりの筋肉を細かく震わせるのも技のうちらしい。文楽の人形の動きを連想させる。あちらはこんなに細かくは動かないし、たぶん動かせないだろうが。

 後半はなんとアイリッシュでベリーダンスを踊る。スローなリールで始め、途中からテンポを本来のものに上げる。踊り手は1曲は布を使い、もう1曲では先が大きく広がる扇を使う。これが結構合っている。ベリーダンスはもちろんエロティックな要素も活かすので、アイリッシュ・ミュージック自体にその要素はほぼ皆無だから、そこがうまく合うのかもしれない。ダンサーは客にもからむ。広くない店内が踊り手の周りだけキャバレーになる。こういう猥雑さは、アイリッシュだけの時にはまず現れない。

 そう、この猥雑さなのだ。アイリッシュは時にあまりに「健全」すぎる。潔癖すぎるのだ。まあ、音楽というもの自体が「ピュア」なものを求める傾向はあるにしても、アイリッシュはそこを強調しすぎる傾向がやはりある。エロもグロもあっての人間なので、アイリッシュももっと貪欲に猥雑になっていい。いや、いいというより、なるべきだ。

 原田さんの音楽は猥雑なのだ。そこがすばらしい。猥雑でありながら、下品にならない。ここは大事なところで、下劣になってしまっては、猥雑さも失われる。アイリッシュが潔癖なのは、ちょっとでもゆるめると、とめどなく崩れてしまうことを自覚しているからかもしれない。本性はとことん下品なので、そうなるのを防ぐためにことさらに潔癖をめざすわけである。外から見るとそれが魅力に感じられるわけだが、だからといってその潔癖さだけを受け継ごうとすると本質からはかえって離れることになる。アイリッシュほど「下品」ではない我々としては、むしろ猥雑なくらいがちょうど良くなる。

 あるいは我々もまた実は、本性のところではアイリッシュに負けないくらい「下品」ではあるのかもしれない。アイリッシュとは別の形で潔癖なところを演じているのだろう。とすれば、そんな仮面をひき矧がすためにも、もっと猥雑さが必要だ。

 オールドタイムもアラブも、あるいはことフィドルによる音楽であれば、何であれ呑みこもうとする原田さんの姿勢は、あたしには理想的でもある。原田さんの良いところは、一つひとつの要素は徹底しているのだ。アイリッシュやオールドタイムやアラブはそれぞれに突き詰めている。それぞれに突き詰められたものが、まったく同列に提示されることで生まれる猥雑さが面白いのだ。いずれはスカンディナヴィアやハンガリー、あるいはギリシャや中東のフィドル属にも挑戦してほしい。

 その原田さんの相棒として、高橋さんがまた理想的だ。これが長尾さんやアニーではこうはなるまい。高橋さんは面白い。アイリッシュの伝統の、最も本質的なところはちゃんと摑んで実践していながら、一方で、そこにはまらないものも何なく抱きとめる懐の深さもある。アラブ音楽の伴奏をギターでやってしまえるのは、高橋さんぐらいではないか。以前も披露した小学校の校歌も名曲の感を新たにする。谷川俊太郎作詞、林光作曲という豪華版だ。1曲、フィドルとバンジョーでやったリールもいい。

 アンコールはまたオールドタイムで、ダンサーたちも加わり、いやもう楽しいのなんの。

 ぜひぜひ、このギグは続けてほしい。原田さんはアイリッシュ・ミュージックで、緊縛ショーとのコラボもやったことがあるそうで、まあそれはやはり合わないだろうと思うけれど、もっといろいろなものとのコラボを見てみたい。そして、高橋さんとの録音も欲しいものではある。

 やはりあたしは、いろいろなものがほうり込まれた猥雑な音楽が大好きなのだと確認させられた夜であった。猥雑を煮詰めてピュアに見えるというのも好きだけれど。(ゆ)

 今週末、土曜日に四谷のジャズ喫茶「いーぐる」で、「イスラームの音楽その2」をやります。

 直前になってまた気が変わるかもしれませんが、今のところかけようと思っているのはこういう人たちです。順番はまだ固めていませんが、ウンム・クルスームから始めてヌスラト・ファテ・アリ・ハーンで締めるのはほぼ確定。

Oum Koulthoum, Egypt
Ghalia Benali, Tunisia
Anouar Brahem, Tunisia
Munir Bashir & Omar Bashir, Iraq
Lydia Daher & Tatafull, Algeria/ Germany
Amina Alaoui, Morocco
Mariem Hassan, West Sahara
Sahra Halgan, Somalia
Moneim Adwan, Palestine, 
Nishtiman, Kurdistan
Kayhan Kalhor, Iran
Mohammad Reza Shadjarian, Iran
Mahsa Vahdat, Iran
Taksim Trio, Turkey
Ria Soemardjo, Indonesia: Java/ Australia
Nusrat Fateh Ali Khan, Pakistan

 という舌の根も乾かぬうちですが、実はヌスラトにするか、ジャーファル・フセインにするか、まだ迷ってます。両方というのも一瞬考えましたが、やはりそれは却下しました。

 ヌゥバもなんとかかけようとしたんですが、最低でも6時間かかるものを圧縮なり、つまみ食いなりでうまく紹介する方法をついに思いつかず。スペインのパニワグワがヌゥバの一つを30分でやっている録音もあって、それ自体は悪くないんですが、これをヌゥバの例として紹介するのはためらいがあります。

 ヌゥバを始めとする、いわゆるアラブ・アンダルース音楽については、マグレブ各地でそれぞれに独自の発展をしていることもあり、チャンスがあれば、そうしたものをまとめ、ヨーロッパへの影響まで含めて聞き比べてみる方が実りは多いかもしれません。それにはあたしなどよりも専門の方がおられると思います。

 なるべく前回とは趣向を変えているつもりですが、なにせあたしは好きなものを好きなように聴いてきただけなので、同じようなものになりましたら乞う御容赦。

 では、明後日、四谷でお目にかかりましょう。(ゆ)

 気がついたらあと1ヶ月を切っていました。来月4月16日(土)に、四谷のいーぐるで「イスラームの音楽、その2」というイベントをやります。


 昨年8月にやらせていただいた「イスラームの音楽」の続篇です。昨年の報告についてはこちらをどうぞ。

 「イスラーム」というのは口実で、いわゆるイスラーム圏、イスラーム世界とされている地域の、おもに伝統音楽を、様々なスタイル、編成で聴いてみようという企画です。

 さて、そろそろ本腰を入れて準備しなきゃ。 (ゆ)

03/15(火)きゃめる
酒井絵美: fiddle
高梨菖子: whistles
成田有佳里: bodhran
岡皆実: bouzouki
open 19:30/ start 20:00
予約 2,500円 当日 3,000円+1ドリンク
03-3822-0527

03/20(日)ノルカル Tokyo
酒井絵美: fiddle, harding fele
Morten J. Vatn: seijefloyte, fjellfloyte, bukkehorn, munnharp, etc.
記憶の蔵 in 谷根千
open 13:30/ start 14:00
2,500円(軽食付き)

03/24(木)「凪ぐ、はじまる」演奏会
服部阿裕未: accordion
中藤有花: fiddle
長尾晃司: guitar
with tipsipuca
高梨菖子: whistles
酒井絵美: fiddle
03-6320-0790
open 19:00/ start 19:30
2,500円+オーダー

03/27(日)*ノルカル Tokyo インストア・ライヴ@タワーレコード渋谷6F
酒井絵美: fiddle, harding fele
Morten J. Vatn: seijefloyte, fjellfloyte, bukkehorn, munnharp, etc.
start 16:00
無料

04/02(土)tricolor 最新アルバム《うたう日々》発売記念コンサート
tricolor
with
森ゆに: vocal
優河: vocal
中川理沙: vocal
渡辺庸介: percussion
マチネ open 13:30 start 14:00
予約 3,000円 当日3,500円 + 1オーダー
ソワレ open 17:00 start 17:30
予約 3,500円 当日4,000円 + 1オーダー
03/15までに予約すると特典付き

04/07(木)〜09(土) Garcon!
 フィジカルシアターカンパニー CAVA による生演奏の音楽付きパントマイム。
CAVA(さば)
with
熊坂義人: contrabass
瀬戸信行: clarinet
酒井絵美: violin
スパン子: accordion
作・演出 丸山和彰
前売 3,800円 当日 4,000円
ペア券 7,000円
学生 3,200円
小学生以下 1,500円
ファミリー割引あり 04/09(土)11:30〜のみ
予約・問合せ
CAVA 070-5585-3388
Confetti 0120-240-540

04/11(月)ゴリ達(ごりら)
渡辺庸介: percussion
清野美土: harmonica
佐藤芳明: accordion
岩見継吾: wood bass
open 19:00 start 19:30
予約 2,700円 当日 3,200円
0334100505

04/21(木)ムシカ・アラビーヤ
酒井絵美: violin
矢島夕佳里: oud
ミヤタカコ: darbukka, req
03-3891-6444
open 19:00/ 一部 20:00/ 二部 21:00
2,000円+オーダー

04/28(木)*ハモニカクリームズ「踊る復活祭」
清野美土: harmonica
大渕愛子: fiddle
長尾晃司: guitar
+
田中祐司: keyboards
松下マサナオ: drums
open 19:00/ start 19:45
前売 3,000円 予約3,500円+オーダー
小中高生割引 前売予約1,500円 当日2,000円+オーダー
小学生未満無料
注意:「整理番号付き前売券はスター・パインズ・カフェ、またはハモニカクリームズのライヴ会場にてお求めください。通常のメール予約前売券には整理番号は付いておりません。
当日の入場は整理番号付き前売券をお持ちの方> 整理番号付き前売券をお持ちでないメール予約の方>当日券の方の順番です」
(ゆ)

 来週土曜日に迫りました、四谷・いーぐるでの連続講演「イスラームの音楽」の告知です。

 鋭意選曲中ですが、候補ミュージシャンはこんなところです。

アザーン(トルコ)
Amina Alaoui(モロッコ)
Hassan Erraji(モロッコ)
Lili Boniche(アルジェリア)
Dhafer Youssef(チュニジア)
Dorsaf Hamdani(チュニジア)
Anouar Brahem(チュニジア)
Ghalia Benali(チュニジア)
アシュマハーン(エジプト)
Selim Sesler(トルコ)
Talip Ozkan(トルコ)
Simon Shaheen(パレスティナ)
Mahsa Vahdat(イラン)
Mahwash(アフガニスタン)
Nusrat Fateh Ali Khan(パキスタン)
Faiz Ali Faiz with Thierry Robin(パキスタン&フランス)
Alim Quasimov(アゼルバイジャン)
Monajat Yultchieva(ウズベキスタン)
Davlatmand(タジキスタン)
Oraq(ウィグル)
Babar Luck(イングランド)
Akhter Jahan(東パキスタン>オーストラリア)

 まだ、これから候補が増えるあもしれませんが、にしても落とすのがたいへん。まあ、毎度のことではありますが、これが苦しみでもあり、楽しみでもあり。うーん、チュニジア多すぎよなあ。好きなミュージシャンの出自をあらためて確認したらたまたまチュニジアが多かったということなんですが。

 あと、基本的にうたがメインです。イスラームの音楽、ってのもまたずいぶん曖昧なのではありますが、とにかくそのなかにインストゥルメンタルがないわけでは全然ないんですけど、というか、すごい人はたくさんいるんですが、ひとつには1曲が長い。うた以上に長くなるんですね、これが。まあ、ことによってはインスト篇として別にやらせてもらえるかもしれません。ということで、うたを聴きましょう。なんといってもイスラームの基礎はコーランで、コーランは読誦されるのを聞くのが本来なのですから。

 ということで、来週土曜日15:30に四谷・いーぐるでお目にかかりましょう。(ゆ)

東京・四谷のジャズ喫茶「いーぐる」の連続講演として村井康司さんがやっておられる「ジャズ史で学ぶ世界の不思議」の07/16(土)15:30からの第2回に(ゆ)がゲストとして出ます。
    
    村井さんの連続講演はジャズの「正史」見直しの一環で、これまでジャズの文脈ではあまり語られて、聴かれてこなかった類の音楽をジャズの視点からとらえなおそう、という試みです。
    
    と、(ゆ)は解釈しております。
    
    (ゆ)にお声がかかったのは、ジャズ史というよりもその前段階、ジャズを生んだアメリカ音楽の源流を探ろうという意図であろう、と、これも勝手に考えております。
    
    ジャズも含めたアメリカのポピュラー音楽を生んだ複雑な交配と化学的変化の主な要素が、アイルランド、ブリテンから移民が持ちこんだ音楽と、アフリカからカリブ経由で奴隷が持ちこんだ音楽であることは、こんにち、ほぼ常識と言ってよいと思います。
    
    その辺りを、実際の音源で聴いてみようということがひとつ。
    
    そのケルト系とアフリカ系それぞれの音楽の背後にアラブ/イスラームの音楽があり、これが北米大陸での音楽の化学反応にめだたないながら触媒として作用していた、という議論がある。それも音源を聴いてみようということがもう一つです。
    
    もちろん、こういう壮大な話をきちんと跡づけることは(ゆ)の能力の範囲外でありますし、また時間的にも足りません。むしろ、(ゆ)の投げる球を村井さんがジャズの視点からどう打ち返されるか、が面白いところではありましょう。こちらとしてはストレートを投げるつもりですが、角度によっては曲球に見えるかもしれません。
    
    ですので、選んでいる音源はケルト系はむしろ少なく、アラブや地中海関連が比較的多くなります。
    
    手術後初めてのイベントで、体力的な不安もありますが、村井さんのお話だけでも聴く価値は十分以上ですので、(ゆ)としてはもっぱら、「いーぐる」のあのシステムで大好きな音楽を聴けるのを楽しみにしております。
    
    というわけで、ケルトとアラブは音楽の上では案外近いことをお聴きになりたい方など、お運びいただければさいわいです。(ゆ)

すみません、昨日は本誌今月号の配信予定日でしたが、2、3日遅れます。読物篇のみの配信になります。
    
    
    最近読んだものの中から、面白い記述をひとつ。野上彌生子の紀行『欧米の旅』の一節。1938年昭和13年秋からヨーロッパを訪問した記録です。10月末、スエズ運河の地中海側のターミナル、ポートサイドに到着。そこでの体験。
    
    ここでは島崎藤村もこれから約20年前、フランスに行く途中、音楽体験を書き留めています。あちらはイタリア人の巡回芸人でしたが、こちらは地元エジプトのアラブ音楽のミュージシャン。
    
    ちなみにこの時の野上夫妻の訪欧は、夫豊一郎が日英交換教授として能楽の紹介のため外務省から英国に派遣されたのを機に、彌生子も同伴したもの。翌年の第二次世界大戦勃発に遭遇し、急遽アメリカ経由で帰国します。


    八時過から、Kさん(ポートサイドの日本公使館員)と奥さんに誘はれてカジノ・ベバに行く。(中略)K夫人は蘇格蘭生れの異人さんだけれど、日本の婦人とさう違はないくらゐ小柄で、金髪の、線の細い、もの優しい奥さんである。このカジノは東京なら浅草といつた風の場所だから、Kさんも奥さんもまだ来たことがないのだと云ふ。近くに自動車がずらりと竝んでゐるのと、入口の電燈がかんかんしてゐる以外には、見たところ普通の家と變りはなかつた。内側も一つの平土間になつてゐるだけで、盛り場らしい装飾はなく、正面の舞臺に垂れた白つぽい幕の背景にも、偶像的なものを否定する囘教の建前から繪一つ描いてなく、わづかにアラビア文字が�僂い蹐蚤腓�く模様のやうに散らしてあるだけであつた。意味はもとよりわからない。もしかしたらコーランの文句かも知れない。幾ら凝りかたまりの囘教徒だつて、カジノにコーランは持つて来ないだらうとあなたは仰しやるのですか。私はむしろますます囘教徒らしいと思ひますよ。もしほんたうにあれがお經の言葉だとしたら。

    舞臺では青い西欧風な服で、ふくよかな胸や腕をむき出しにした女が流行唄のやうなものを歌つてゐた。素晴らしい聲であつた。顏も豐麗で、竪長いほど圓い、とろりとした眼が大向ふを誘ひかけると、常連らしい若い男たちがいつしよに歌ひ出す。太い、張りのある、それで一種蕃的な哀調をおびた立派な聲を彼らはみんなもつてゐる。

    歌のあひだには踊が挟まつた。それも飛んだり跳ねたりの型よりは、胸と腰の特殊の動作に魅力が潛んでゐた。まるでその二つの肉の部分は別な�着瓦濃拉曚気譴討陲襪�のやうで、胸がくねくねと蛇のやうにくねつてゐる時、兩腕を菱形の枠にして支へた上半身はぴりつともせず、また腰はふつくらした股の線を見せたまゝ靜止してゐる時、乳當だけをした裸かの胸下の肉が、なにかそれだけの生き物のやうに膨れたりつぼんだりした。ギタや、笛や、ヴァイオリンからなる伴奏とともに、薄い衣を透いてほの白い肉が旋律的に巧みに波打つにつれ、拍手と賞賛の叫びが湧きあがるのである。

    天井までとどくほどのコニャクの大瓶を舞臺のまんなかに据ゑた、酒場を取り扱つた笑劇も氣が利いてゐた。リビアかスダンの生れと見える黒い女も魔女のやうに踊つた。しかし、いまだに忘れえないのは十ばかりの男の子の唄である。タキシードに赤いトルコ帽の小生意氣な姿をしたそのちびが、なんと驚くべき聲をもつてゐたことか。意味は相變わらずわからないが、なにか民謡風なものらしい。見物の男たちでも一般に見事な聲であることは書いた通りであり、スエズ運河の人夫たちの叫びにすでに私はそれを感じたのであるが、少年の一生懸命な、それこそ身體ぢゆうで搾り出してゐるびんびんした幅のある聲には、彼らに共通の一種野蠻めいた哀音が、子供つぽい純粋さでほとばしり、砂漠に生れ、砂漠に死ぬる民族の、運命的なやるせのない悲しみや、その間を彩るオアシスのやうな戀の歡びが脈打つて、聽くものの心に沁みるのであつた。
    
    野上彌生子『歐米の旅』上、1942.04、岩波書店、101〜102頁


    本日は本誌5月号の配信日ですが、諸般の事情により、配信は明日以降になります。明日にはたぶん配信できるでしょう。
   
    その間、こちらの映像をご覧になってお待ちください。中東の撥弦楽器ブズクの名手。今は亡きレバノンのジプシーの由。録音は2枚あり、1枚は INEDIT。そちらでの表記は "Matar Muhammad"。

    おそらくはまだレバノンが平和だった頃に結婚式かなにかで撮られたホーム・ビデオでしょう。



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