あなたが死んだらどうなるという質問をよく受けるというところに大笑い。そう訊く人は大抵大藤さんより年上。人より先にご自分の心配をなさった方が、とは言えない。
試聴
あなたが死んだらどうなるという質問をよく受けるというところに大笑い。そう訊く人は大抵大藤さんより年上。人より先にご自分の心配をなさった方が、とは言えない。
夜、Zionote のブログで ES903 用の試聴曲を集めたページを全部聴く。近頃流行りのポップスがどういうものか、どういうものを試聴に使っているのか。音楽がまったく面白くないので、かえって試聴には使える。
ただ、たまたまかもしれないが、打ち込みの音が多い。打ち込みの音はあたしには全部同じに聞えるので、それ以外の音を探すことになる。1番違うのは声。声と歌い方はどれも違う。そこに注意を集中して聴くと、少し面白くなる。
ギター1本の歌も1曲だけあって、国内と海外の音の録り方の違いもわかる。声よりもギターの録り方が違う。
使ったのはもちろん ES903II。MacBook Air M1 上の Safari。iFi の iSilencer+ + iDefender3 をかませて DenDAC。DenDAC が再発になったというので、どんなだったっけ、と実に久しぶりに聴いてみた。これが出た頃はこういうタイプのものはまだなく、少し後で Audioquest の DragonFly が出たと記憶する。今でも立派な音で、YouTube などネット上の音源ならこれで十分だ。
ES903II にはあらためて惚れなおす。オープンのヘッドフォンも好きだが、オープンのイヤフォンにはまた別の魅力がある。上のページで比べられている ES1103 のニュータイプを待っている。待つのも愉しみのうち。解放感は同じだが、イヤフォンの方がより精密に聞える感じがする。プラシーボかもしれないが。ヘッドフォンは限界のない広がりが娯しい。
##本日のグレイトフル・デッド
04月03日には1968年から1991年まで10本のショウをしている。公式リリースは3本、うち完全版2本。
01. 1968 Winterland Arena, San Francisco, CA
水曜日。5ドル。開演6時。終演2時。KMPX-FM 一周年 "Super Bash" ベネフィット・コンサート。ポスターには名前が出ていない。DeadBase XI によればこの時期の典型的なセット・リスト。
02. 1970 Field House, University of Cincinnati, Cincinnati, OH
金曜日。3ドル。開演8時半。休憩無しで2時間を超える一本勝負。
9曲目で〈Candyman〉がデビュー。ハンター&ガルシアの曲。1995-06-30、ピッツバーグまで、計281回演奏。演奏回数順では45位。スタジオ盤は《American Beauty》収録。ジャムではなく、歌で聴かせる曲。
03. 1982 Scope, Norfolk, VA
土曜日。8.50ドル。開演8時。
04. 1985 Providence Civic Center, Providence, RI
水曜日。このヴェニュー2日連続の初日。12.50ドル。
05. 1986 Hartford Civic Center, Hartford, CT
木曜日。このヴェニュー2日連続の初日。15.50ドル。開演7時半。
06. 1987 The Centrum, Worcester, MA
金曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。開演7時半。
07. 1988 Hartford Civic Center, Hartford, CT
日曜日。このヴェニュー3日連続の初日。開演7時半。
第一部5曲目〈Cold Rain and Snow〉が2021年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
08. 1989 Pittsburgh Civic Arena, Pittsburgh, PA
月曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。前売18.75ドル、当日19.75ドル。開演7時半。
《Download Series, Vol. 09》で全体がリリースされた。
09. 1990 The Omni, Atlanta, GA
日曜日。このヴェニュー3日連続の最終日。春のツアーの千秋楽。次は05月05日のカリフォルニア州立大学まで1ヶ月休む。18.50ドル(テーパー)。開演7時半。
《Spring 1990 (The Other One)》で全体がリリースされた。
クローザーが〈Not Fade Away〉で、聴衆は例によって手拍子とコーラスを延々とくり返しつづけた。客電が点くのと同時にバンドがステージに戻ってきて、アンコールを歌いおさめた。
グレイトフル・デッドにとっての「作品」はスタジオで作られたアルバムではなく、1本1本のショウである。毎回演奏する曲目が異なり、順番が異なり、そして何よりも演奏そのものが異なる。ロックやポップスのライヴではない。むしろジャズに近い。あるいはアイリッシュ・ミュージックなどの伝統音楽に近い。もちろん毎回成功するわけではなく、むしろどこかがうまくいかないことの方が多いが、うまくはまった時に出現する音楽は、どんなジャンルでもフォーマットでも追いつけない高みに翔けあがる。デッドのリスナーはそれを聴くことをめざす。
うまくはまったショウが続くこともある。あるヴェニューでの3日間連続とか、あるツアーの一部とかでスイッチが入ったまま翔けてゆく。それが一連のツアー全部で続いたのが1972年、1977年、そして1990年の春のツアーだ。1990年03月から04月にかけての18本のショウは、四半世紀にわたるライヴ活動の蓄積がある化学反応を起こして、グレイトフル・デッド・ミュージックの究極を生みだした。ブランフォード・マルサリスという外部からの注入は、究極の中の究極を生みだした。
この千秋楽のショウは、究極のツアーに最高のしめくくりをつけている。こういう長いツアーや連続公演の時には、最終日はえてしてあまり良くないことが多い。それよりもその前日がピークだったりする。しかし、この時には最終日はまさしく掉尾を飾ることになった。
まず、ガルシアのギターが絶好調である。正直に言うと、この前2日間は、どこかもがくようにギターを弾いている。思うようなフレーズが出てこないように聞えることがある。そうしたことが気にならないくらい、全体の出来は良いのだが、細かくクリティカルに聴いてゆくと、そう聞える時がある。何らかの体の不調でもあるのかといささか心配になったりもする。
おそらくそれは「マルサリス・ショック」の後遺症の一つだったのではないか。マルサリスがやってみせた当意即妙の演奏は、ガルシアにとって最高の相手として歓ぶと同時に、脅威にも映ったであろう。そのショックを何とかして自分の中にとりこもう、消化しようとする苦闘が音に出ていたのではなかったか。
この日はそのショックを完全に消化して、ほとんど新たなギタリスト・ガルシアが生まれたかのような演奏を展開する。弾きやめたくない症候群とあたしが呼ぶ現象も出現する。しかもその音が軽い。軽快に一音一音がはずみ、飛ぶ。流れるように続くことはほとんどなく、むしろ、ぽつんぽつんと等間隔で連なってゆく。すると他のメンバーの演奏も軽くなり、全体の音楽も絶妙の浮遊感をたたえる。ゆったりともしているが、遅いわけでもない。
加えて、曲の移行が実に自然に感じられる。唐突なところ、無理矢理移るようなところがまるでない。あらかじめ綿密に計画されていたかのように、すうっと次の曲が始まる。第一部2曲目の〈Hell In A Bucket〉はきちんと終るのだが、一拍置くだけでガルシアが〈Sugaree〉を始めると、ウィアがピーンと反応する。第一部後半でも〈Picasso Moon〉から〈Tennessee Jed 〉への移行がやはり一度きちんと終って、一拍あるかないか。さらに次のクローザー〈The Promised Land〉へ、今度は前が終るか終らないかでウィアがコードを弾きだし、ガルシアが反応する。
この後半、〈Row Jimmy〉からの流れにはユーモアも軸になっていて、〈Picasso Moon〉も本来ユーモア・ソングなのだと気づかされる。この曲はメロディはウィアお得意の尖ったものだが、基本はロックンロールでもある。
第二部では曲のつながりはさらに自然になる。2曲目〈Scarlet Begonias〉からいつもの〈Fire on the Mountain〉に行かずにガルシアが〈Crazy Fingers〉のイントロを始めるのに無理がない。これまた通常の曲順を裏切る、好調の証拠でもある。この曲ではコーダに向けて Spanish Jam もとびだす。そこから〈Playing In The Band〉への転換は魔法の域。だんだんとフリーなジャムになってゆく、と思うと、回帰のフレーズが始まる。
Drums も Space も面白すぎて聞き惚れてしまう。
ミドランドの〈I Will Take You Home〉はドラムレスで、ほとんど自身のピアノだけで切々と歌われる。この日はガルシアのバラッドが無いのは、これがあまりに良いせいかもしれない。次は一転〈Goin' Down The Road Feeling Bad〉。〈Throwing Stones〉の最後のコーラスは次の〈Not Fade Away〉とビートが同じ。例によって最後は聴衆にうたわせる。
アンコールは〈And We Bid You Goodnight〉。復活してからのこの歌は、時に歌詞を忘れて不完全燃焼になることもあるが、この日はガルシアがしっかりリードをとって、最高の締め。
18本のツアーを聴きおえて、しばし茫然。
10. 1991 The Omni, Atlanta, GA
水曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。22.50ドル。開演7時半。(ゆ)
02月12日・土
アメリカで Apple のヘッドフォン、イヤフォンがヘッドフォン市場の半分、という調査結果という記事。
世界で Apple が Sony を抜いたのが2018年で、AirPods 発売前。これには iPhone 付属のイヤフォンも含まれていた。発売されたら、あっという間に他は置いてけぼりになった。というわけだ。
上記アメリカ国内の調査では、3位 Bose、以下、サムスン、JBL、Sony。日本なら Sony がもっと上で、Skullcandy や LE が落ちて、オーディオ・テクニカや Shure が入ってくるかもしれない。いずれにしても Apple のシェアはそう変わらないか、もっと大きい可能性も大きい。
Apple がマイナーだった頃、我々はシェアを大きくすることが目的ではない、と言っていた気もするが、今は、Apple 以外のイヤフォン、ヘッドフォン・メーカーがシェアよりもちゃんと利益を上げることが大事、なんだろう。Apple のシェアがさらに増えて、4分の3を超えるようになると、そうも言っていられなくなるか。しかし、今のところ、Apple の牙城を突き崩す方策は見えない。かつての Apple の場合、市場シェアが1割に満たなくても、その独自性で存在価値を主張できた。ウインドウズ以外の選択肢があることは価値があった。ヘッドフォン市場に限ったとしても、そのシェアが9割を超えるとなると、レゾン・デートルが問われた他のメーカー、ブランドに答えはあるのか。もちろん、Apple の完全独占にはならないとしても、他はデザイナー・ブランドかマニア向けハイエンドだけ、というのも問題ではないか。
余談だが、Apple は個人相手でシェアを広めている。Amazon も Google も同じ。Microsoft も個人を重視するようになって持ち直したのではなかったか。先日、車載用バッテリーの再利用を普及する業界団体が立ち上がったが、普及の相手をまず企業だと言っていた。しかし、企業、とりわけわが国の企業は先例の無いものには消極的だ。新しいものにはなかなか手を出さない。大容量の大型バッテリーがあれだけ売れてるんだから、まず個人を相手にする方が新しいものの普及には有利ではないのか。わが国の起業がなかなかうまくいかないのは、企業や自治体などを最初のターゲットにするからではないか。
##本日のグレイトフル・デッド
02月12日には1966年から1989年まで、6本のショウをしている。公式リリースは無し。
1. 1966 Youth Opportunities Center, Compton, CA
トム・ウルフが『エレクトリック・クールエイド・アシッド・テスト』で描いた、ロサンゼルス、ワッツ地区のアシッド・テストがこれだと言われる。こちらはクロイツマンが回想録 Deal の中でも触れていて、実際に行われた。
2. 1967 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
リンカンの誕生日記念。共演モビー・グレープ、スライ&ザ・ファミリー・ストーン、New Salvation Army Banned、Notes From The Underground。Council for Civic Unity のためのベネフィット。2ドル。セット・リスト不明。
New Salvation Army Banned は1967年にシアトルで結成された5人組。New Salvation Army Band として出演することもあり、キリスト教団の救世軍から訴えられもしている。サンフランシスコに移って、そのロック・シーンの一角をなした。1967年に Salvation に改称して同名のデビュー・アルバムを出し、翌年セカンドも出す。が、離陸できず、1970年解散。録音は残念ながらストリーミングにも無いようだ。YouTube に短かいクリップがあるが、音はナレーションのみで、音楽はわからない。Salvation という名のアーティストは無数といっていい程いる。
Notes From The Underground は1968年にバンド名を冠したアルバムが1枚あるバークレー出身の5人組。メンバーの一人 Fred Sokolow はバンジョー弾きで、後、ソロで活動する。バンド名はドストエフスキーの『地下室の手記』から。2011年に出た《Follow Me Down: Vanguard's Lost Psychedelic Era (1966-1970)》に2曲収録されている。これを聴くかぎりでは、楽曲、演奏は水準は超えている。鍵盤がリードなのはドアーズに通ずる。ドアーズの前座もしていた由。
《Notes From The Underground》というアルバムは複数あり、その1枚はメデスキ、マーティン&ウッドのファースト。というのは余談。
3. 1969 Fillmore East, New York, NY
ジャニス・ジョプリンの前座として2日連続の2日目。DeadBase XI のブルース・コットンのレポートはこの両日のどちらか、はっきりせず、コットンが聴いたとしている楽曲も、判明しているセット・リストには無い。セット・リストはテープによる遅番ショウのみなので、早番ショウでやった可能性はある。
遅番は〈Dark Star> St. Stephen> The Eleven〉というこの年の定番組曲から始まり、〈Alligator> Caution〉を経て〈And We Bid You Goodnight〉まで一気に突走る1時間強。原始デッドのエネルギーに溢れたものだそうだ。原始デッドが本当に熱くなった時のエネルギーは、その後2度と感じられないことは確か。
4. 1970 Ungano's Night Club, New York, NY
この前後はフィルモア・イーストでのショウで、たまたま空いていた日に、急遽設定されたギグだったらしい。この日のテープと称されるものが出回っているが、そのテープは実際には翌日のフィルモア・イーストの早番ショウの録音だ、というのが結論になっている。
5. 1986 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA
16ドル。開演8時。この日も第二部半ばの Drums 以降クローザー〈Johnny B. Goode〉までネヴィル・ブラザーズが参加。この日はネヴィル・ブラザーズがデッドの後にやり、大いに盛り上がった。
6. 1989 Great Western Forum, Inglewood, CA
19.50ドル。開演6時。このヴェニュー2日連続の2日目。第一部クローザーの2曲〈How Long Blues〉〈Gimme Some Lovin'〉にスペンサー・デイヴィスが参加。第二部の前半オープナー〈Iko Iko〉から〈Stuck Inside Of Mobile With The Memphis Blues Again〉までとアンコールにボブ・ディランがギターで参加し、〈Stuck Inside Of Mobile With The Memphis Blues Again〉とアンコールの〈Knockin' On Heaven's Door〉ではヴォーカルもとった。第2部後半の〈The Other One〉に鼓童が参加。
鼓童は後2001年に20周年記念アルバム《Mondo Head》をミッキー・ハートがプロデュースした。このプロデュースのためにハートが来日したのが、デッドのメンバーが公式に来日した唯一の例。プライヴェートでは、親族が日本に住んでいるウィアが頻繁に来ているそうな。
〈Monkey and the Engineer〉の最後の演奏で唯一のエレクトリック・ヴァージョン。Jesse Fuller のカヴァーで、デッドの前のバンドの一つ Mother McCree's Uptown Jug Champions が1964年に演奏している。デッドでは1969年12月19日サンフランシスコで初演。1970年の大晦日で一度レパートリィから落ち、1980年09月05日、サンフランシスコのウォーフィールド・シアターのアコースティック・セットで復活。この時のサンフランシスコ、ニューオーリンズ、ニューヨークでのアコースティック・セットをフィーチュアしたレジデンス公演で集中的に演奏され、以後は散発的で、跳んでこの日が最後。計39回演奏。
ショウ全体としても、油が回って、引き締まったいいものの由。(ゆ)
02月05日・土
人間の耳は正直なもので、本質的に必要でないものは無くてもちゃんと聞きとることができる。空間オーディオなるものも、一時的に夢中になったり、中毒したりすることはあっても、人間の聴覚体験を一新することは無い。
2日ぶりにインターバル速歩散歩すると、えらく気持ちがよい。やらないと調子が悪いところまではまだだが、やると気分爽快、体が軽くなったように感じるまでになってきた。
夕方、試すと Tidal は問題なく使える。サブスクリプションが切れてるぞと出たあれは何だったのか。
久しぶりに denAmp/Phone を使ってみる。バスパワーで CS-R1 で聴いて、いや、すばらしい。hip-dac に劣らない。MQA のマスター音源ではさすがに違いがあるが、比べなければ、全然問題ない。HiFi と Master の違いもしっかり出す。この二つがあれば、もう他に USB-DAC は要らない。denAmp は販売休止中だが、春には再開するらしい。
T60RP でも試す。音量ノブはさすがに正午まで上げるが、しかし、がっちりと鳴らす。バスパワーのくせに、何がどうなっているのか。中身は何かは明かしていないし、開ける気もないが、このサイズだから DACチップにオペアンプのはずだ。DAC チップは Cirrus だろうか。
伝聴研の傳田さんは、あれだけ見事な自然音録音ができる人だから、耳は抜群だし、自分自身ミュージシャンで、生音も十分知っている。おかしなものは作るはずがない。あそこのものはどれも音がいいが、それにしても、denAmp は凄い。ヘッドフォン祭で一度、これを外付にして DAP と組み合わせている人を見たことがある。これは音がいいですよね、と盛り上がった。
溜まっていたリスニング候補の音源を Tidal でざっと聴く。アルバムの各々冒頭のトラック。
Marcin Wasilewski Trio, ECM
Ayumi Tanaka, Subaqueous Silence, ECM
Tim Berne & Gregg Belisle-Chi, Mars
Undercurrent Orchestra, Everything Seems Different
Jorge Rossy, Robert Landfermann, Jeff Ballard – Puerta, ECM
Maria-Christian Harper, Gluten Free
Chien Chien Lu, The Path
Banquet Of Boxes: a Celebration of the English Melodeon
Elton Dean Quartet, They All Be On This Old Road
どれも一通り聴く価値がある。
Maria-Christian Harper は面白い。名前の通り、ハーパーで、良い意味でアヴァンギャルド。ヴィブラフォンの Chien Chien Lu も良い。Badi Assad、Arooj Aftab は文句無い。Thea Gilmore はもう少し聽いてみる。Saadet Turkoz & Beat Keller はウイグル族の危難に反応した録音。伝統かつ前衛。とりあえず聴かねばならない。
Saul Rose を Tidal で検索したら、 Banquet Of Boxes: a Celebration of the English Melodeon というアルバムがヒット。思わず顔がほころぶ。 オリジナル録音のオムニバスかな。これは CD を探そう。
エルトン・ジョンの芸名のもとになった Elton Dean のカルテットも面白い。キース・ティペットが大活躍。こういう音はイングランドでしか出ないだろう。
##本日のグレイトフル・デッド
02月05日には1966年から1989年まで5本のショウをしている。公式リリースは2本。
1. 1966 The Questing Beast, Berkeley, CA%
テープが残っているので、各種サイトではショウとしてリストアップしているが、内容はリハーサル。〈Viola Lee Blues〉を何度もやっている由。
2. 1969 Soldier's And Sailors Memorial Hall, Kansas City, KS
アイアン・バタフライの前座として1時間強の演奏。セット・リストはこの年の典型。
3. 1970 Fillmore West, San Francisco, CA
3ドル。4日連続のランの初日。共演タジ・マハル。こういう組合せでコンサートを企画するのがビル・グレアムの面白いところ。
この4日間はいずれも一本勝負のショウ。オープナーの〈Seasons Of My Heart〉と〈The Race Is On〉でガルシアはペダルスティールを弾いている。
3曲目〈Big Boss Man〉が《History Of The Grateful Dead, Vol. 1 (Bear's Choice)》でリリースされた。ピグペンの声はまだまだ衰えてはいない。
4. 1978 Uni-Dome, University of North Iowa, Cedar Falls, IA
オープナー〈Bertha> Good Lovin'〉とクローザー〈Deal〉を含む第一部の5曲と第二部8曲全部が《Dick's Picks, Vol. 18》でリリースされた。計1時間半。
3日のショウに並ぶすばらしい出来。全体としてのレベルは3日の方が若干上かとも思うが、こちらの第二部も強力。〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain〉がまずはハイライト。特に〈Scarlet Begonias〉後半のガルシアのギターを核としてバンド全体が集団即興になるところは、デッド体験の醍醐味の一つ。そして〈Truckin'> The Other One> Wharf Rat> Around and Around〉と続くメドレーを聴くのは、この世の幸せ。〈Wharf Rat〉はいつもの囁きかけるような、どちらかというとウェットなスタイルとはがらりと変わり、言葉をほおり出すようなドライな態度をとる。喉の調子がよくなく、囁き声が出せなかったせいかもしれないが、怪我の功名で、3つのパートでどん底から天空に飛翔するこの歌、とりわけパート3にはまことにふさわしい。ガルシアはギターから錆ついた響きをたたき出し、明るいマイナー調のフレーズを聴かせる。〈Around and Around〉でもガルシアが延々とギターを弾いているので、ウィアがなかなか歌いだせない。この歌は1976年06月の大休止からの復帰後、はじめゆったりと入り、途中でポンとテンポを上げる形になる。ここではその前半のゆったりパートのタメの取り方の念が入っているのと、後半、ウィアとドナの声が小さくなるのが早いのとで、その後の爆発のインパクトが大きい。実に実にカッコいい。
DeadBase XI での Andy Preston のレポートによれば、〈Truckin'〉の前の音は、ステージ両側に駐車したセミトラックに仕掛けられた爆竹のようなもので、バックファイヤのつもりらしい。続いてエンジン音が大きくなるとともに、バンドは演奏に突入した。
会場は屋内フットボール場で、片方の50ヤード・ラインにステージが設けられ、残り150ヤードが椅子もなく、解放されていて、聴衆は自由に踊れた。音がよく響き、バンドを迎えた歓声の大きさに、レシュが「実際の人数以上の音だね」とコメントした。
第二部オープナーの〈Samson And Delilah〉で、ウィアのヴォーカル・マイクが入らず、マイクを交換する間、バンドは即興を続けた。ガルシアは苛立って、ギター・ソロが獰猛になった。マイクの面倒をみていたクルーがガルシアを見て、お手上げというように両手を挙げたので、ガルシアはギターでクルーの心臓を狙い、機関銃の音を立ててみせた。その後、マイクはきちんと作動して、歌は続いた。
さらに機器のトラブルがあり、ウィアがかつての「黄色い犬の話」に匹敵する「木樵の話」をして、時間を稼いだ。もっともその冗談はいささか混みいっていて、聴衆の反応は鈍かった。
この年、アイオワは百年に一度の寒い冬。
5. 1989 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA
開演7時。このヴェニュー3日連続の初日。この年最初のショウ。春節記念。この3日間に続いて、ロサンゼルスで3日連続をした後、1ヶ月休んで3月下旬、アトランタから春のツアーに出る。
バーロゥ&ミドランドの〈We Can Run〉とハンター&ガルシアの〈Standing On The Moon〉の初演。
〈We Can Run〉は1990年07月10日まで計22回演奏。スタジオ版は《Built To Last》に収録。
〈Standing On The Moon〉も同じく《Built To Last》所収で、1995年06月30日まで、計75回演奏。これについてハンターは、いきなり頭に浮かんだのをとにかく書き留めたので、何の修正も改訂もしていない、と言っている。ガルシアはブレア・ジャクソンのインタヴューに答えて、理屈ではなく、とにかくこの歌が好きで、この歌が自分の口から出てゆくのが歓びなのだ、それはできるだけそのまま出るにまかせて、余計なことはしたくない、と言う。(ゆ)
10月08日・金
FiiO FD7, FDX 国内販売発表。FD78万はまあ妥当なところ。ケーブルもすでに独立販売されているから、FDX を買う必要もない。先日もダイヤを鏤めた300万のイヤフォンが出ていたけれど、こういうものを欲しい、と思う心情は正直わからん。あるいは音が変わるかもしれんけど、良くなるとも思えないし、あたしにその違いがわかるかも疑問。イヤフォンはどんどん進化かどうかわからないが、変化していて、新製品が次々出るから、こういうものも装飾以外の中身はすぐ古くなる。オーディオ機器はどんなに「最高」のものが出ても、必ずそれを凌ぐものが出てくるので、「一生モノ」などありえない。だいたい「一生」使えるほど頑丈な機械なんぞ、滅多にあるもんじゃない。この年になると「一生」も短かいから、死ぬまでこれでいい、というのもある。A8000はその一つだけど、だから買っちゃうと死んじまうような気がするのだ。
iFi ZEN Stream 5万。FD7よりこちらの方が先だな。これにも Tidal は入ってるが、Qobuz は入っていない。
##10月08日のグレイトフル・デッド
1966年から1989年まで7本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。
1. 1966 Mt. Tamalpais Amphitheatre, Marin County, CA
"1st Congressional District Write-In Committee for Phil Drath and Peace Benefit" と題された午後2時からのイベント。ポスターは熊のプーとコブタが地平線で半分に切られた朝日または夕陽に向かって歩いてゆく後ろ姿がフィーチュアされ、出演者としてジョーン・バエズ、ミミ・ファリーニャ、デッド、クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスの名がある。デッドとボラ・セテの名があるチラシも残っている。
2. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
前日に続き、ウィンターランドから移動した公演。バターフィールド・ブルーズ・バンド、ジェファーソン・エアプレインと共演。
3. 1968 The Matrix, San Francisco, CA
ここでの3日連続の初日。"Jerry Garrceeah (Garcia) and His Friends" の名義になっていて、ウィアとピグペンは不在。一方、San Francisco Chronicle のラルフ・グリースンのコラムでは同じ日付で "The Grateful Dead and Elvin Bishop" が演奏する、となっている。
残っているセット・リストでは三部に別れ、第三部はエルヴィン・ビショップ、ジャック・キャサディ、ミッキー・ハートという面子で演奏したそうな。第二部の終りにガルシアがビショップとベースのキャサディを呼出し、Mickey Hart & the Hartbeats と紹介。ビショップは、今日ここで演奏するはずだったんだが、リズム・セクションが来られなかったので、これでジャムをする、とアナウンス。後の2日も同様のことをやったらしい。
4. 1981 Forum Theatre, Copenhagen, Denmark
この年、2度目のヨーロッパ・ツアー。ロンドン4日間の次の寄港地。
5. 1983 Richmond Coliseum, Richmond, VA
まずまずのショウ、らしい。
6. 1984 The Centrum, Worcester, MA
2日連続の1日目。後半は冒頭から最後まで1本につながっている。この日は Willie Dixon の曲でマディ・ウォーターズの持ち歌〈I Just Want To Make Love To You〉をやって、全体にブルーズ基調だったそうだ。この曲は1966年、1984年(2回)、1995年に4回のみ演奏された。
7. 1989 Hampton Coliseum, Hampton, VA
2日連続の初日。18.50ドル。夜7時半開演。2日間の完全版が《Formerly The Warlocks》ボックス・セットとしてリリースされた。
この2日間のショウは1週間前まで開催が伏せられ、チケットはいつもの通販はせず、ハンプトン市内3ヶ所のみで販売され、さらに "Formerly The Warlocks" の名前で行なわれた。1987年の〈Touch of Grey〉のヒットによってデッドの人気が高まり、デッドのショウについてまわる「サーカス」が膨れあがって、ショウの会場周辺がキャンプと "Shakedown Street" と呼ばれた青空マーケットに埋めつくされるようになり、これを嫌う地元の住人との軋轢が深刻になっていた。トラブルを最小限にするため、実験として、サプライズの手法がとられ、ある程度成功したことで、後に何度かこの方式が採用される。
デッドヘッドの大群は会場周辺に多額のカネを落としたし、デッドヘッドは他のロック・コンサートの聴衆とは別次元なほど暴力を嫌い、平和的な人間だったから、商店は一般に歓迎したが、そうでない住人は、普段は見慣れない外見と、非合法とされるブツがごくあたりまえに存在するのに鶏冠を逆立てたらしい。自分は偏見や差別意識などない「まっとうな市民」だと思いこんでいる人間ほど、偏見と差別にこり固まって騒ぎたてるものだ。しかし、この頃になると、そういう人間たちのたてる騒音がショウそのものの成立を脅かすほど大きくもなっていた。バンドは会場周辺でのキャンプや物販をやめるよう要請する手紙を、メンバー全員の署名入りで通販のチケットに同封することもする。
音楽ではなく、キャンプや物販だけを目当てに来る人間も多かったから、そういう連中にはバンドの声は届かなかっただろう。また、問題を起こすのはそういう連中でもあった。このことは古くからのトラヴェル・ヘッド、デッドのショウについてまわるデッドヘッドたちにとっても死活問題になりえた。こうなった要因の大きなものは1980年代後半の急激なファン層の増加だ。新たにファンとなった人たちはいわばデッドヘッドとしての作法をわきまえなかった。デッドの音楽、それも表面的な部分に反応していたので、古くからのデッドヘッドたちのようにバンドと世界観を共有するところまでは行っていなかった。デニス・マクナリーはバンドの公式伝記 A Long Strange Trip の中で、もう一発ヒットが出たなら、バンドは潰れていただろうと言う。
一方でデッドが生みだす音楽、ショウの中身の方は、1986年末のガルシアの昏睡からの復帰以後、右肩上がりに調子を上げてゆく。1988年から1990年夏までは、1972年、1977年とならぶデッドの第三のピークだ。あたしにはこの第三のピークはその前二つのピークを凌いで、デッドが到達した頂点とみえる。そしてこの2日間は1989年の中でもピークと言われる。
後半冒頭〈Help On The Way> Slipknot!> Franklin's Tower〉は1985-09-12以来、4年ぶりに登場。会場を埋めた14,000のデッドヘッドの大歓声が音楽をかき消さんばかり。デッドヘッドはなぜか、長いこと演奏されなかった曲が復活すると喜ぶ。翌日にもかれらには嬉しいサプライズがある。
ある人の回想。ショウが始まって間もなく、彼とその友人たち数人が入口前のロビーのゴミを掃除していた。この頃になると新しいファンが増えたために、会場周辺のゴミの量もケタ違いに増えていたらしい。これを掃除していたわけだが、それを見ていた警備員の一人が、掃除を終えた彼らに合図して扉を開け、中に入れてくれた。そこらにたむろしていた連中も続こうとしたが、たちまち数人の警備員が現れて、掃除をしていた者たちだけを入れた。
ライナーでブレア・ジャクソンが、前半を終えた時点で、「こいつら、今日はオンになってる」と思ったと言うとおり、すべてがかちりと噛みあって、湯気をたてている。いつもはあっさり終る〈Big River〉でソロの投げ合いがいつまでも続く。こうなっても、もちろんミスはあり、意図のすれ違いもあるのだが、ミスもすれ違いもプラスにしか作用しなくなる。〈Bird Song〉の後半のジャムは、混沌と秩序、ポリフォニーとホモフォニー、音の投げ合い、エゴのぶつかり合いと音楽の共有の理想がすべて共存する、デッドのジャムがこの世を離脱してゆくゾーンに入る。わやくちゃなのに筋が通ってゆく。やっている本人たちもどこへ行くのかわからない。でも、その最中にふっと道が見えて、もとの歌にするりと戻る。この快感!
後半、〈Help On The Way> Slipknot!> Franklin's Tower〉は見事だが、〈Victim or the Crime〉の荘厳さに打たれる。こんなに威厳をもってこの歌がうたわれるのは、覚えが無い。(ゆ)
9月23日・木
北日本音響からクラウドファンディングしたイヤフォン Mother Audio ME5-BORON 着。ドライバーの素材にボロンを使用したダイナミック型。ボロンはダイナミック・ドライバー振動板の素材としてはベリリウムに継ぐ優秀な特性を持つのだそうだ。
純粋ベリリウム振動板は加工が極端に難しく、Campfire の Lyra II も、final の A8000 も、20万近い。最近中国の Nicehck が3万を切る値段で出した。と、思ったら、その後からも出てきた。もっとも、「純粋ベリリウム・ドライバー」というのが何を意味するのかは、ユーザーは確めようがない。ただ、やはり中国の FiiO が、純粋ベリリウム・ドライバーをうたって FD7 を出し、そちらは直販で7万しているから、Nicehck 他は疑わしくはなる。それに、スピーカーの音が振動板の素材だけで決まるわけでもないことは、A&Cオーディオのブログでも散々言われている。イヤフォンといえど、極小のスピーカーなわけだ。A8000 はしかし究極とも思える音で、こんなものを買ってしまったら、そこで終ってしまう、さもなければ死んでしまうような気がしきりにする。
ME5-BORON はクラウドファンディングの立ち上げが4月で、その時にはまだ Campfire と final しか無く、二番手の素材を使っても3万以下というのは面白くみえて、乗ってみた。それから待つこと5ヶ月にして製品が届く。
早速試す。箱出しでは低域が弱い。しかし、聞えている音はまことにクリアで、ウィアの歌っている歌詞が明瞭に聴きとれる。分離もいい。明朗でさわやかな音。聴いていて気分のよくなる音。どんどん音楽が聴きたくなる音。A8000 のあの深み、掘ってゆくと後から後からいくらでも現れてきそうな奥行きは無いが、曇りやにじみの無い、愉しい音だ。一方でただキレがいいだけではなく、曖昧なところはきちんと曖昧に聞かせる。深みはまだこれから出てくるかもしれない。
ピンクノイズをかけ、《あかまつさん》を聴いているうちによくなってくる。Yaz Ahmed のセカンドではベースも活き活きしている。デッドでもそうだが、ヴォーカルが前面に出て、微妙なアーティキュレーションもよくわかる。様々な細かいパーカッションの響きが実にきれい。聴こうとしなくても耳に入ってくる。とともに、ボロンという素材のおかげか、インピーダンスや能率の数字推測されるよりも音量がずっと大きい。いつも聴いている音量レベルよりかなり下げてちょうど良い。
これは先が楽しみだ。
watchOS 8.0。今度は Apple Watch 3 にもインストールできた。使う頻度が一番多いタイマーの UI ががらりと変わっていて、面喰らう。
##本日のグレイトフル・デッド
9月23日は1966年から1988年まで7本のショウをしている。公式リリースは1本。
1. 1966 Pioneer Ballroom, Suisun City, CA
2日連続の初日。サスーン・シティはオークランドの北40キロにある街。サンフランシスコ湾の北に続くサン・パブロ湾からさらに東にサスーン湾、グリズリー湾があり、その北のサスーン・マーシュという北米最大の沼沢地の北側。サスーンはかつてこの辺に住んでいた先住民の名前。ここで演ったのはこの2日間だけ。ポスターが残っているのみ。セット・リストなし。the 13 Experience というバンドが共演。
2. 1967 Family Dog, Denver, CO
前日と同じヴェニュー。デンヴァーの Family Dog で演ったのもこの2日間のみ。ポスターのみ。
3. 1972 Palace Theater, Waterbury, CT
同じヴェニュー2日間の初日。料金5.50ドル。開演7時半。ある人が開演3時間前に会場に行くと、ここでやる他のロック・コンサートなら前3列の席がとれるのに、この時はすでにデッドヘッドが2,000人ほど集まっていてショックを受けたそうな。そのうち、デッドのクルーが卵サラダ・サンドイッチを大きなゴミ袋に入れて運んできて、配ってあるいた。さらには、でかいオープンリール・デッキと自動車用バッテリーを2本、堂々と持ち込んでいるやつがいた。この日は比較的短かくて前後3時間。アンコール無し。
4. 1976 Cameron Indoor Stadium, Duke University, Durham, NC
良いショウらしい。チケットが残っているが、開演時刻と料金の頭のところがちょうど切れていて、確認できず。
5. 1982 New Haven Coliseum, New Haven, CT
秋のツアーもあと1本。前半最後の〈Let It Grow〉が2011年の、後半2曲目〈Lost Sailor > Saint Of Circumstance〉のメドレーが2014年の《30 Days Of Dead》で、各々リリースされた。後者、音は少し上ずっていて、ベースがほとんど聞えないが、ウィアの声はすぐ目の前だし、演奏はすばらしい。
会場は正式名称 New Haven Veterans Memorial Coliseum で、1972年オープンした多目的屋内アリーナ。2002年に閉鎖。2007年に取り壊された。定員11,500。デッドはここで1977年から1984年まで、主に春のツアーの一環として計11回演奏している。秋に行ったのは79年とこの82年。うち公式リリースされたのは6本。1977年5月の完全版、78年5月のショウの大部分がある。
5. 1987 The Spectrum, Philadelphia, PA
3日連続の中日。これも良かったらしい。
6. 1988 Madison Square Garden, New York , NY
9本連続の8本目。こういうレジデンス公演の場合、この日がベストになることが多い。この日も好調だった由。(ゆ)
9月11日・土
駅前の皮膚科へ往復のバスの中で HS1300SS でデッドを聴いてゆく。このイヤフォンはすばらしい。MP3 でも各々のパートが鮮明に立ち上がってくる。ポリフォニーが明瞭に迫ってくる。たまらん。他のイヤフォンを欲しいという気がなくなる。FiiO の FD7 はまだ興味があるが、むしろ Acoustune の次のフラッグシップが気になる。それまではこの1300で十分で、むしろいずれケーブルを換えてみよう。
##本日のグレイトフル・デッド
9月11日には1966年から1990年まで、10本のショウをしている。うち、公式リリースは1本。ミッキー・ハートの誕生日。だが、2001年以降、別の記念日になってしまった。
1. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
単独のショウではなく、ジャズ・クラブのためのチャリティ・コンサート。"Gigantic All-Night Jazz/Rock Dance Concert" と題され、他の参加アーティストは John Hendricks Trio, Elvin Jones, Joe Henderson Quartet, Big Mama Thornton, Denny Zeitlin Trio, Jefferson Airplane, the Great Society そして the Wildflower。料金2.50ドル。セット・リスト無し。ジャンルを超えた組合せを好んだビル・グレアムだが、実際、この頃はジャズとロックの間の垣根はそれほど高くなかったのだろう。
ちなみにデニィ・ザイトリンは UCSF の精神医学教授でもあるピアニスト、作曲家で、映画『SF/ボディ・スナッチャー』(1978年のリメイク版)の音楽担当。
2. 1973 William And Mary Hall, College Of William And Mary, Williamsburg, VA
2日連続ここでのショウの初日。ここでは1978年まで計4回演奏していて、どれも良いショウのようだ。1976年と1978年のショウは各々《Dave's Picks》の Vol. 4 と Vol. 37 としてリリースされた。
このショウでは前座の Doug Sahm のバンドからサックスの Martin Fierro とトランペットの Joe Ellis が一部の曲で参加している。マーティン・フィエロはジェリィ・ガルシアの個人バンドにも参加している。またブルース・ホーンスビィが一聴衆として、おそらく初めて見ていたそうだ。
3. 1974 Alexandra Palace, London
2度めのヨーロッパ・ツアー冒頭ロンドン3日間の最終日。このショウの前半から6曲が《Dick’s Picks, Vol. 07》に収録された。が、ほんとうに凄いのは後半らしい。
とはいえ、この前半も調子は良いし、とりわけ最後で、実際前半最後でもある〈Playing in the Band〉は20分を超えて、すばらしいジャムを展開する。この日の録音ではなぜかベースが大きく、鮮明に聞える。アルバム全体がそういう傾向だが、この3日目は特に大きい。ここでは誰かが全体を引張っているのではなく、それぞれ好き勝手にやりながら、全体がある有機的なまとまりをもって進んでゆく。その中で、いわば鼻の差で先頭に立っているのがベース。ガルシアはむしろ後から追いかけている。この演奏はこの曲のベスト3に入れていい。
それにしても、この3日間のショウはすばらしい。今ならばボックス・セットか、何らかの形で各々の完全版が出ていただろう。いずれ、全貌があらためて公式リリースされることを期待する。
4. 1981 Greek Theatre University of California, Berkeley, CA
2日連続このヴェニューでのショウの初日。ここでの最初のショウ。前売で11.50ドル、当日13ドル。
この日は、開幕直前ジョーン・バエズが PA越しにハートに「ハッピー・バースディ」を歌ったそうだ。
5. 1982 West Palm Beach Civic Center, West Palm Beach, FL
後半冒頭 Scarlet> Fire> Saint> Sailor> Terrapin というメドレーは唯一この時のみの由。
6. 1983 Downs of Santa Fe, Santa Fe, NM
同じヴェニューの2日め。ミッキー・ハート40歳の誕生日。
7. 1985 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA
地元3日連続の中日。80年代のこの日のショウはどれも良いが、これがベストらしい。
8. 1987 Capital Centre, Landover , MD
同じヴェニュー3日連続の初日。17.50ドル。6年で6ドル、35%の上昇。デッドのチケットは相対的に安かったと言われる。
9. 1988 The Spectrum, Philadelphia, PA
4本連続ここでのショウの3本め。前日の中日は休み。
10. 1990 The Spectrum, Philadelphia, PA
ここでの3本連続の中日。(ゆ)
9月10日・金
バラカンさんの著書『ピーター・バラカン式 英語発音ルール』を版元からいただく。まえがきとあとがきを読む。これは『猿はマンキ、お金はマニ』の改訂版で、まえがきは新旧ともにある。バラカンさんは日本を海外に紹介する番組をずっとやっていて、その視聴者が日本にやってきて会ったりすることもあるそうだ。そういう過程で、いわゆる「インバウンド」の対象が有名な観光地だけでなく、実にいろいろなところになっていることを確認している。そのことは、なんとなく感じていたけれど、バラカンさんが裏付けてくれている。
それにしても「ローマ字は英語ではありません」と、表紙に刷りこみ、まえがきでもあとがきでも大文字で繰返しているのに、いささか驚く。これだけ強調するということは、つまりはローマ字を英語とみなしている実例にたくさんでくわしてきたのだろう。あたしがそういう体験が無い、というか、気がついていないのは、あたしが日本語ネイティヴで、同じ勘違いをしているからか。ローマ字読みしてるつもりはないんだけど、知らずにそうしているのだろう。これは別の言い方をすれば、英語が日本語とは違うことをちゃんと意識しよう、ではないか。ローマ字読みをしてしまうのは、その意識が甘いからだろう。これがフランス語やドイツ語だったら、ちゃんと身構えてローマ字読みなどしないはずだ。英語だと自動的にローマ字読みしてしまう。James はジャメスになり、Graham はグラハムになる。「ジャメス」なんてありえないように思うが、バラカンさんが息子さんの名前を役所に屆けようとしたら、こう読まれたそうだ。これが Johann だったら「ジョハン」とは読まれまい。
でも、ほんと、もういい加減に「グラハム」はやめましょうよ。
まえがきで面白いのは、アメリカ英語の発音の方が日本語からずっとかけ離れていて、イギリスの標準的な発音の方がまだ近いから、そちらを採用している、という点。ああ、そうだったのか、と納得がゆく。ここは旧版のまえがきなので、読んでいるはずだが、完全に抜けていた。
1973-09-08の《Dave's Picks, Vol. 38》 を Acoustune HS1300SS Verde で聴く。すばらしい。デッドのライヴ音源を聴くためのイヤフォンがようやく見つかったか。全ての楽器、ヴォーカルがハーモニーの一人ひとりまで、みずみずしく、活き活きと聞えてくる。それも音の方から耳に飛びこんでくる。意識して耳をすませなくても、音楽が流れこんでくる。聴くにしたがって、ガルシアとウィアのギターの響きに艷が乗ってくる。デッドのライヴ音源を聴くヘッドフォンはといえばまず Grado The Hemp になるけれど、イヤフォンではまだ、これだ、というのは無かった。Unique Melody の 3D Terminator はいい線を行っているけれど、HS1300SS の方がどんぴしゃ感がある。
Sakura craft_lab 006 には物欲を大いに刺激されるが、高すぎる。筆記具にそんなにカネを割けないよ。オーディオの方が先だわなあ。
##本日のグレイトフル・デッド
9月10日のショウは1972年から1993年までの7本。うち3本に公式リリースがある。
1. 1972 Hollywood Palladium
前日に続く同じヴェニュー2日め。前半5曲目〈Bird Song〉が2013年の《30 Days of the Dead》でリリースされた。この演奏はちょっと面白い。ひとしきりジャムをした後で一度終ったとみせかけてドラムスが入って再び始まり、やや大人しくなって歌が入って、またジャムをする。ガルシアは難しそうなことは何もやらない。シンプルなフレーズ、同じ音を繰返すのを重ねてゆく。これがなかなかいい。ガルシアのヴォーカルもいい。ハーモニー、コーラスも決まっている。ただ、二度目の歌の後のジャム、ガルシアのギターがノリはじめたところでテープが切れている。残念。
後半6曲め〈Dark Star〉にデヴィッド・クロスビーが参加している。どうやらギターのみの模様。
2. 1974 Alexandra Palace, London
3日連続の中日。《Dick’s Picks, Vol. 07》に収録されたのはこの日のショウからが最も多く、前半2曲めからアンコールまで、10曲。
このショウの録音はキッド・カンデラリオで、かなり良い。すべてのパートが明瞭に聞える。ガルシアのギターは左、鍵盤が右、ウィアのギターとベース、ドラムスがセンターに並ぶ。この遠征にデッドは "The Wall of Sound" を持ちこんでいる。ロンドンのこの会場での設営には40人がかりで2日かかったそうだ。
3. 1983 Downs of Santa Fe, Santa Fe, NM
同じヴェニュー2日連続の初日。屋外で午後2時開演。
4. 1985 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA
地元で3日連続のショウの初日。チケットによれば料金15ドル。
5. 1990 The Spectrum, Philadelphia, PA
ここでの3日連続の初日。
6. 1991Madison Square Garden, NY
MSG9本連続の3本めで、《30 TRIPS AROUND THE SUN》の1本として完全版がリリースされた。
ブランフォード・マルサリスが2度めに参加している。ブルース・ホーンスビィ参加。
7. 1993 Richfield Coliseum, Richfield, OH
3日連続の最終日。(ゆ)
9月9日・木
伊東屋のニュースレターに、カランダッシュ849のローラーボールが出た、とあるが、まだ国内には入っていないらしい。伊東屋のサイトでも売ってはいないし、公式ストアにも無い。本家のサイトのみ。ボールペンよりも少し太く、長いようだ。849の万年筆には惹かれなかったが、これは欲しい。849はやはりノックで使いたい。
夕方着いた Acoustune HS1300SS Verde を聴く。AET06 S のチップ。聴くのはもちろんチェルシーズ《あかまつさん》。このアルバムを愉しく聴かせてくれるのがよい機器になる。HS1300SS Verde はまずその関門は楽にクリア。あらためてやはりこのアルバムは傑作だ。アマゾンにある在庫は全部買って、配ろうかとも思う。
##本日のグレイトフル・デッド
1967年から1993年まで9本のショウをしている。
1. 1967 Volunteer Park, Seattle, WA
シアトル遠征2日めの昼にこのショウをしたことになっている。
2. 1967 Eagles Auditorium, Seattle, WA
前日に続く2日め。セット・リスト無し。ポスター以外の裏付けは無いようだ。デッドはこの日、Fillmore Auditorium にジョーン・バエズ、ミミ・ファリーニャとともに出ていたというビル・グレアムの言明も裏付けがあるかどうか。
3. 1972 Hollywood Palladium, Hollywood, CA
同じヴェニュー2日間の初日。
〈One More Saturday Night〉のアンコールの後、あまりに聴衆がしつこいので、ガルシアとウィアが出てきて、クルーの大半はティファナに向けて出発したし、ベース・プレーヤーはかわいい女の子のシケこんだから、今日はおしまい、とアナウンスした由。でも、翌日も同じこの場所でやる。
4. 1974 Alexandra Palace, London
2度めのヨーロッパ・ツアーの初日。ロンドン3日間の初日。この3日間の各々から一部ずつが《Dick's Picks, Vol. 7》に収録される。1本のショウとしても聴け、また3日間各々のハイライトも味わえる、一石二鳥を狙ったもの。
この日は休憩なしの一本勝負で、5、6、7曲めと13曲め〈Truckin'〉からのジャムと〈Wharf Rat〉が収録された。
5. 1982 Saenger Theatre, Los Angeles
秋のツアー初日。前半最後の〈Althea〉が2015年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。この〈Althea〉の途中でウィアが楽器のトラブルでいきなり引っこんだが、残ったメンバーがすばらしい演奏をした。
後半開始、ステージにメンバーが出てきて、普通はチューニングとかあるのが、この日は前振りなしに、いきなり〈Uncle John's Band〉が始まった。
6. 1987 Providence Civic Center, Providence, RI
3日連続このヴェニューの最終日。前半最後がいつもとは違う選曲と並び。
7. 1988 The Spectrum, Philadelphia, PA
3日連続同じヴェニューの中日。チケットによると料金は19.50ドル。
5日間、4本連続のこの一連のショウでは珍しく警察が介入せず、ヴェニュー向かいの公園はデッドヘッドの天国と化したそうな。
8. 1991 Madison Square Garden, New York , NY
9本連続 MSG の2日め。
9. 1993 Richfield Coliseum, Richfield, OH
3日連続同じヴェニューの中日。(ゆ)
9月8日・水
LRB のチャーリー・ワッツについてのブログに孫引きされた Don Was のコメントを読んで、Tidal で『メイン・ストリートのならず者』デラックス版の〈Loving Cup〉の正規版と別ヴァージョンを聴いてみる。まことに面白い。別ヴァージョンが採用されなかったのはよくわかるが、あたしとしてはこちらの方がずっと面白い。ミック・テイラーのギターもたっぷりだし、何よりもドン・ウォズが「リズムの遠心力でバンドが壊れる寸前」という有様が最高だ。こうなったのは、ワッツがいわば好き勝手に叩いているからでもあって、ストーンズのリズム・セクションの性格が陰画ではあるが、よく現れている。
対してデッドの場合も、ドラムスがビートを引張っているわけではない。この別ヴァージョンでのワッツ以上に好き勝手に叩くこともある。けれどもリズムが遠心力となってバンドが分解することはない。遠心力ではなく、求心力が働いている。ドン・ウォズの言葉を敷衍すれば、おそらくデッドでは全員がビートを同じところで感じている。だから、誰もビートを刻んでいなくても、全体としてはなにごともなくビートが刻まれてゆくように聞える。このことは Space のように、一見、ビートがまったく存在しないように聞えるパートでも変わらない。そういうところでも、ビートは無いようにみえて、裏というか、底というか、どこかで流れている。ジャズと同じだ。デッドの音楽の全部とはいわないが、どんな「ジャズ・ロック」よりもジャズに接近したロックと聞える。ジャズそのものと言ってしまいたくなるが、しかし、そこにはまたジャズにはならない一線も、意図せずして現れているようにも聞える。デッドの音楽の最も玄妙にして、何よりも面白い位相の一つだ。デッドから見ると「ジャズ・ロック」はジャズの範疇になる。
FiiO から純粋ベリリウム製ドライバーによるイヤフォン発表。直販だと FD7 が7万弱。FDX が9万。同じ純粋ベリリウム・ドライバーの Final A8000 の半分。DUNU Luna も同じくらいだが、今は中古しかないようだ。FiiO のはセミオープンだから、聴いてみたい。FDX はきんきらすぎる。買うなら FD7 だろう。ケーブルが FDX は金銀混合、FD7 は純銀線。それで音を合わせているのか。どちらも単独では売っていない。いずれ、売るだろうか。いちはやく YouTube にあがっている簡単なレヴューによれば、サウンドステージが半端でなく広いそうだ。こんな小さなもので、こんなに広いサウンドステージが現れるのは驚異という。
##本日のグレイトフル・デッド
1967年から1993年まで8本のショウ。
1. 1967 Eagles Auditorium, Seattle, WA
シアトルへの遠征2日間の初日。ポスターが残っていて、デッドがヘッダー。セット・リスト無し。
ピグペン22歳の誕生日。当時ガルシア25歳。クロイツマン21歳。レシュ27歳。ウィア20歳。ハンター26歳。
ビル・グレアムは、この日デッドは Fillmore Auditorium に出ていた、と言明しているそうだ。
2. 1973 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY
前日に続いて同じヴェニュー。この日のショウは《Dave's Picks, Vol. 38》に完全収録された。残っているチケットによると料金は5.50ドル。
ガルシアのギターが左、ウィアのギターが右。
珍しくダブル・アンコール、それも〈Stella Blue > One More Saturday Night〉というまず他にない組合せ。さらに後半4曲目〈Let Me Sing Your Blues Away〉ではキースがリード・ヴォーカルをとる。この曲はロバート・ハンターとキースの共作でこの時が初演。同月21日まで計6回演奏。《Wake Of The Flood》が初出。〈Here Comes Sunshine〉とのカップリングでシングル・カットもされた。
〈Weather Report Suite〉も組曲全体としてはこの日が初演。
演奏はすばらしい。この年は前年のデビュー以来のピークの後で、翌年秋のライヴ停止までなだらかに下ってゆくイメージだったが、こういう演奏を聴くと、とんでもない、むしろ、さらに良くなっていさえする。もっとちゃんと聴いてみよう。
3. 1983 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO
3日連続同じヴェニューでのショウの最終日。
4. 1987 Providence Civic Center, Providence, RI
3日連続同じヴェニューでのショウの中日。
5. 1988 The Spectrum, Philadelphia, PA
同じヴェニューで4本連続のショウの初日。
6. 1990 Coliseum, Richfield, OH
前日に続いて同じヴェニュー。後半3曲目〈Terrapin Station〉の後のジャムが《So Many Roads》に収録された。
7. 1991 Madison Square Garden, New York , NY
1988年に続いて MSG で9本連続という当時の記録だった一連のショウの初日。ブルース・ホーンスビィ参加。
8. 1993 Richfield Coliseum, Richfield, OH
秋のツアー初日で、同じヴェニューで3日連続の初日。(ゆ)
本製品はヘッドフォンとアンプで構成されており下記の組合せがあります。ヘッドフォンは Beyerdynamic 社の T5p(32Ω)とT1(600Ω)を用意いたしました。それぞれに専用のバランスドライブができるよう改造を施し特性の4ピンXLRの高信頼性コネクタを装備しました。さらにオプションとしてクライオ処理を施した交換ケーブルも用意いたしました。ヘッドフォンアンプ “BDR-HPA-02” は JABEN の要求により本ヘッドフォン用にオーロラサウンが特別にチューニングしたもので4ピンXLRジャックによるバランス駆動、また標準フォーンプラグによるノーマル駆動ができるようになっています。また T5p と T1 というインピーダンスや感度が異なるヘッドフォンも適正な音量で駆動できるようにゲイン切り変えスイッチを(High/Low)を備えています。BDR-HPA02 仕様入力 RCA アンバランスラインレベル信号出力 4pinXLRバランスジャック x1 標準フォ-ンジャック x1周波数特性 5Hz -80kHz全高調波歪率THD+N 0.0046%最大出力 1500mW x2 @45Ω負荷 Highゲイン時ドライブ可能ヘッドフォン 16Ω - 600Ω High/Low ゲイン入り変え電源 AC100V 50-60Hz大きさ W230mm x D180mm x H80mm 突起物含まず
* Jaben のウィルソンおやじとファイナル・オーディオ・デザインの本社に行く。Muramasa の実物にお眼にかかる。ちょっと頭の上にのせる気にはなれない。もっともこれをベースに、はるかにユーザー・フレンドリーなヘッドフォンを開発中だそうな。そちらはヒジョーに楽しみだ。Muramasa の隣には、かの「伝説」のターンテーブル Parthenon がさりげなく置かれていた。
*「法隆寺再建・非再建論争」を、歴史家の気構えを教えられた学生時代の教訓の一つ と宮崎市定が書いている(「中国上代の都市国家とその墓地——商邑は何処にあったか」全集3所収)。この論争における非再建派の主張の基盤を、ウィキペディアは「非再建論の主な論拠は建築史上の様式論であり、関野貞の『一つの時代には一つの様式が対応する』という信念」としている。だとすれば、その「信念」は異なる言語ですべての語彙は一対一に対応する、と主張するようなものだ。こんな理屈がまかり通った背景が面白い。おそらくは「聖徳太子」の「御威光」か。
もっとも、ウィキペディアの記事のこの記述には参照先が示されていないから、関野の名誉のために検証する必要はある。
実物実地を重視する立場が、屢々本質を見誤るのは、実物実地という存在のもつオーラに眼がくらんでしまうからだろう。人間の認識力を信頼しすぎる、と言ってもいい。実物実地に直に接して、今自分が認識していることがすべてだと勘違いしてしまう。実物実地に接すると、人間は興奮する。その興奮がすべてで、それ以外はニセモノととりちがえる。
実物実地は情報量が多い。時には圧倒的に多い。しかもそれがいちどきになだれこむ。人間の認識能力を遥かに超えることがある。オーバーロードしてしまう。すると、その「体験」に比べて記録は重要なものではなくなる。したがって自分の認識ではなく、記録の方が間違っている、と思ってしまう。その場合、記録が間違っているという主張には、明確な根拠はない。当人の「体験」とそれに基く認識だけである。
これは歴史学のように時間軸上の異世界を探究する場合だけでなく、空間の中の異世界、異文化を探究する場合にもよく起きる。民族学、民俗学、文化人類学のような学問では生のデータでオーバーロードにならないような予防の方法論もできているはずだが、「趣味」の対象になると困ることがある。科学としての厳密さを求められないと、自分のココロがオーバーロードに陥っていることに気がつきにくい。個人の体験など、実はごく限られたものにすぎない。それが当人にとっては「絶対的に正しく」なる。それ以外の見方やとらえ方は「間違って」いるとして排斥する。
どんなにささやかにみえても、ひとつの文化、ひとつの社会は個人に比べれば巨大なものだ。その前では、己の限界に謙虚でありたい。
*かみさんが読んでいるジョン・グリシャムのペーパーバックのサイズがやけに縦長なのに気がつく。比べてみると、従来のマスマーケット版と横幅は同じだが、縦は2センチぐらい長い。中身は上下もいっぱいに印刷してあるのもあれば、下に大きく余白をとっているものもある。使っている書体も違うのは、アメリカのペーパーバックにしてもいいかげんだが、概ね従来よりも字のサイズは大きい。いつ頃から始まったのか知らないし、最近新刊はまず買わないから、ベストセラーだけに限定しているのかどうかもわからないが、トレードペーパーバック以来の「発明」ではあろう。本のサイズは、表面だけ大きくなるのではなくて、厚みも出る。ということは重くもなる。コストも高くなるはずだ。なぜこういうことをするのか。
あるいは Kindle や iPad への対抗ではなのか。判型を近づけ、字のサイズも大きくする。
紙の本はハードカヴァーが図書館向けなどの特殊なものに限られ、ペーパーバックと eBook が通常のリリース形態になると予想しているが、こういう試みがされるということは、それだけペーパーバックの売上げが減っているのだろう。
*新しく買った伝聴研の DAC がデジタル入力しかないので、MacBook Pro から光でつなぐ。すると、システム環境設定>「サウンド」で「デジタル出力」にしていても、プレーヤーで再生を始めると「AirPlay」に切り替わってしまう。Audio MIDI 設定でも AirPlay に出力が固定されてしまい、内蔵出力に切り替えることができない。Wi-Fi を切ると「AirPlay」は消えて「デジタル出力」だけになるが、ネットにつないだまま再生をしたい時には不便だ。Audirvana Plus では出力が切り替わると再生も切れてしまう。音も違う。AirPlay をオフにする方法がわからず、さんざん探しまわって、AirMac Express 本体にスイッチがあることに気がついた。AirMac ユーティリティのベースステーション設定に AirPlay のタブがある。心覚えのために書いておく。
*新 iPod touch のストラップはすこぶる便利。むしろ薄くなって、ストラップが無いと、本体をとりあげにくい。この辺、やはり使い勝手をいろいろ試してみた結果なのだろう。
*それにしても、われわれはいったいいつから、難問を前にして「逃げる人」になったのだろう。放射能の影響をできるだけ軽いものとみなそうとする人たち。原発映画という企画と聞いて「蜘蛛の子を散らすように逃げだした」人たち。ひたすら「安心」を求めるならば、かえって「安全」は得られないとわかっているのも「理屈の上」だけなのだろうか。その姿を見ていると、黒船来航後の幕府が髣髴とされてくる。(ゆ)