８月末に四谷・いーぐるの連続講演としてやりました「イスラームの音楽」楽曲解説の後半です。
後半はまずイランからです。音楽ではペルシャと呼びたくなる大国であり、音楽発祥の地ともいえるほど。現在ユーラシア各地で使われている楽器はもとをたどればみなここにおちつくといわれます。撥弦楽器のサズ、打弦楽器のサントゥール、擦弦楽器のケマンチェ、斜めに吹く笛ネイ、片面太鼓のダフ、そしてアーヴァーズ（ペルシャ語で「声」の意味の由）に代表される声楽。いくらでも出てきますが、今回は声楽と器楽からそれぞれ一人ずつ。
この人はふだんロサンゼルスに住み、演奏や録音をしながら教えてもいます。イランの音楽はイランだけで行われているわけではありません。これは初めてのソロ録音になりますが、以前に Axiom of Choice というバンドで活動していました。これはイランをはじめとする中東地域の音楽をジャズ風味で展開していて、なかなか面白い録音があります。また、ハリウッドの映画、テレビ界でのヴォーカルの仕事も多いらしい。
21世紀に入り、これまでの音楽活動を一新する必要と衝動を感じ、一念発起して作ったのがこのアルバムで、タイトルは「永遠に探しつづける」意味の由。アメリカ在住の利点を活かし、イランのみならず、トルコやインドの要素も導入し、いわば多国籍集団で録音しています。トルコのシンガーでフルート奏者の Omar Faruk Tekbilek とデュオで、同じうたをペルシャ語とトルコ語の歌詞でそれぞれうたっているトラックもあります。
このうたのタイトルはイランの Kermanshah にある古代遺跡で、壮大精細な岩壁彫刻で有名です。世界遺産でもあります。この彫刻はササン朝のホスロー二世が彫刻家のファルファドに彫らせたという伝説があります。ファルファドはホスローの後宮の一人でキリスト教徒のシーリーンと恋におち、その罰としてベヒストンの岩山を掘りぬいて井戸を掘りあてることを命じられます。ファルファドは永年精励刻苦してついに井戸を掘りあてますが、ホスローは約束したシーリーンのかわりに老女を遣わし、老女からシーリーンがすでに死んだと聞いてファルファドは命を断ちます。シーリーンは実はまだ死んでおらず、ファルファドを探しにきて死体を発見し、これまた命を断ちます。このうたの歌詞はこの伝説をもとにしたものの一つで、ファルファドの鑿の音が絶えた夜をうたっています。
サントゥールは台形の枠に張った弦を木製のハンマーで叩く楽器で、ツィター、ツィンバロン、（ハンマー・）ダルシマーなどの原型です。ピアノの祖先でもありますね。古い楽器ですが、20世紀に入って名手が続出し、ソロ楽器としての地位を確立しました。あまりに名人がたくさん出たので、後続の演奏者がこれら先達を超えるのは至難の技といわれるほどですが、アルダヴァン・カマルは若くして21世紀のサントゥールを次のレヴェルに押し上げるだろう逸材といわれる人です。この録音はかれのオリジナル曲の録音。
アフガニスタンは今は戦乱に苦しんでいますが、ここも古くからいくつもの王朝が興亡したところです。もともとはインド文化圏の一部で、十世紀以後、ムスリム王朝がインドへ侵入する根拠地となっていました。音楽的にはインドの影響が強く、このあたりになると、イスラームの音楽という看板はあやしくなってきます。
マーワッシュは首都カブルで名をあげたシンガーで、Radio Kabul のメンバーでもあります。ちなみに Kabul を「カブール」と表記するのはごく最近の傾向で、歴史的には「カーブル」と表記されてきました。ピーター・バラカンさんがロンドンで乗ったタクシーの運転手がアフガニスタン出身だったので、どっちの発音が正しいのだとたずねたら一言「カブル」と答えたそうです。
ガザルはインド文化圏の主にムスリムの間で人気の高いジャンルというかスタイルというか、実はぼくにはまだよくわかりません。ラヴソングなのですが、人間同士のラヴではない。神への愛をうたうので、つまり、次のトラックとも共通するスーフィズムが背景にあります。詞の内容を見ると、人間同士の恋愛と同じことばや表現が使われていますし、もう身も世もなく、思いのたけをぶちまけたりしているのですが、対象はあくまでも神であります。こういううたがポピュラー音楽と呼べるほど人気がある、というのはやはりイスラームの功徳になるんでしょうか。
ロング・ネック・リュートの一種セタールと小型ドラムのタブラクを伴奏にうたわれるのは13世紀のペルシア語詩人ルーミーの詩です。ルーミーはペルシア四大詩人のひとりに数えられ、それ以上にスーフィズムでは並ぶもののない最高の詩人とされています。
スーフィズムは門外漢にはわかりにくいのですが、乱暴に言ってしまうと神との合一をめざす姿勢です。イスラームでは本来は神＝絶対者と被造物である人間とはまったく次元を異にし、神は人間にはおよそ手が届かないとされるのですが、そうした中でもなお神と一体化したいと思う人たちが出現します。そのためにはむろん様々な修行や手段が必要で、音楽や踊りが使われることもあります。カッワーリはあのうたを聞くことで神と一体化しようとめざします。
ルーミーはこのスーフィズムの思想を詩に表現しました。後世の人びとはルーミーの詩を読み、あるいは聞くことで神との一体化をめざします。タジク出身のこのデュオはひじょうに古い形を伝えており、ルーミー自身が聞いていた形とあまり変わらないのではないか、とも言われます。こういう、一聴、素朴でひなびた民謡のように聞こえるうたが、実はたいへん洗練された、奥の深い文学作品であるというのもあるいはイスラームの功徳かもしれません。
《MAQAM D'ASIE CENTRALE 1- Ouzbekistan - Ferghana》, 1994, 6:23
現在はウズベキスタンに属するフェルガナ盆地は、サマルカンド、ブハラという古い街を擁し、東西交易の中継地として太古から栄えてきました。その昔、井上靖の西域小説に熱をあげていた身としては、こうした街の名を聞くだけで、砂嵐の向こうから尖塔がいきなり空にむかって突きあがってくる想いがして、『アラビアン・ナイト』以上に「イスラーム」のイメージとしてふさわしいと感じます。ぼくにとってイスラームという言葉から浮かぶイメージには、こうした街の持つ、多種多様な人びとと信仰と文化がごたまぜに共存し、猥雑に、たくましく、そして適量のデカダンスが加わって沸騰している感覚が濃いのです。宗�海任い┐弌▲爛好螢牋奮阿縫�リスチャンも仏教徒もゾロアスター教徒もマニ教徒もユダヤ教徒もヒンドゥー教徒もその他ありとあらゆる神々をありとあらゆる形で信仰する人たちがいたはずです。こうした混淆のあり方は、キリスト教に染まったヨーロッパにはあまり無いように思われます。
この辺りは人間が常に流動していますから、王朝も長続きしません。高校で世界史を習った先生は地域で歴史の流れを把握することを薦め、二千年にわたって中央アジアを領有した歴代王朝をこんな語呂あわせで教えてくれました。
「ああばくだいくしゃなえふたるとうさらせんさまからこらちゃちむーるさん」
アケメネス朝、アレクサンドロス、バクトリア、大宛、クシャーナ朝、エフタル族、唐、サラセン帝国（アッバース朝）、サーマーン朝、カラハン朝、コラズム（ホラズム）朝、チャガタイ汗国、ティムール帝国、ヒヴァ、ブハラ、コーカンドの三汗国。北南西の各アジアもそれぞれに語呂合わせがあったのですが、忘れてしまいました。北は
「きょうせんじゅうとつういきっとうおんなもうたくさん」
だったかな。
もっとも宮廷音楽家にとっては、これだけ王家が交代しても仕事がなくなるわけではなかったでしょう。前の王族と一緒に殺された者もいたかもしれませんが、音楽家が根絶やしになることはない。なぜなら、宮廷はいつどこでも音楽家を必要としていたからです。そこでここでは様々な音楽が融合した古典音楽が栄え、そこからまた様々なフォーク・ミュージックが派生します。インド以外でありえないと思えるうた、わが国の演歌そっくりのうた、そして遙か西のアラブ・アンダルース音楽の響きを備えた曲などが同時に聴けます。
宮廷音楽家の仕事は様々な儀式の音楽を担当することですが、一方でもう一つ重要なのが叙事詩をうたうことです。王朝の元祖を明らかにし、そこから当代までの王様をたたえ、王朝の旗のもとに人びとをまとめる。ウズベクだけでなく、タジク、トゥルクメン、ウイグルといった中央アジアの空の開けた土地に住む人びとは皆それぞれに叙事詩を伝えています。今それを歌うのは決まって女性です。しかもソロ。天成の声は豊かに溢れでて、たとえばアイルランドのドロレス・ケーンの声のように、言葉の意味はわからないながら、胸をひたひたと満たして、見果てぬ地平線の向こうへ連れていってくれます。
ムナージャト・ユルチエヴァはそうしたディーヴァのひとりです。この人の声にはとても高い潜熱があり、リスナーの中に入ってから発熱します。
14. Akhter Jahan〈Noor Jahan（とこしえの愛）〉《MYSTIC MELODIES》(2005), 4:52
東パキスタンがバングラデシュになった時、オーストラリアへ多数の人びとが移りました。この人はその一人で、パキスタンでは古典音楽の訓練を受けています。もちろんこの古典音楽はインドの古典です。オーストラリアは1970年代半ばに白豪主義から多文化主義に転換して以後、多様な文化が流れこみ、それが20世紀末ぐらいから熟成醗酵して、とても面白い成果が生まれるようになりました。この音楽もその一つで、インド亜大陸の古典音楽とオーストラリア生まれの若者たちのロックやジャズをベースとした音楽が融合しています。
うたっているのはノズルルー・イスラムの詩にアクター・ジャハンが曲をつけたもの。ノズルルー・イスラムはウルドゥ語の詩人でノーベル賞詩人タゴールに匹敵するといわれます。ジャハンのファーストはタゴールの詩をインド古典音楽の編成でうたっていますが、正直まったく面白くありません。それがこのセカンドではまったく別人のように活き活きとうたっていて、録音に馴れ、また新しい仲間を得た上に、うたう素材そのものへの入れ込みの深さが現れています。
このアルバムは２枚組で、ほぼ同じレパートリィを、１枚目ではアコースティックな伝統的な編成で、２枚目ではエレクトリック楽器やドラムスなども入ったモダンの編成で演奏しています。これはエレクトリック・サイドから。
トリはやはりカッワーリにしました。この方面の音楽に親しむきっかけはヌスラト・ファテ・アリ・ハーンでしたし。
ヌスラト亡き後、かれの後継者として何人かの名前があがっていますが、直接の跡継ぎであるラーファット・ファテ・アリ・ハーン以上に、このファイズ・アリ・ファイズこそはカッワーリを世界の音楽の中で次の位相へと押し上げていると思います。
ヌスラトは声には恵まれたとは言えませんでした。歌のテクニックとエネルギッシュな押し出し、それにタブラを中心としたバックの抜群のチーム・ワークがかれの強味でした。ファイズ・アリ・ファイズはそうしたヌスラトの強味に加えて、すばらしい声をもっています。そして、何よりも境界を超えることを厭わない、というよりも超えることに、未知の領域に挑戦することに歓びを感じる人です。
Thiery "Titi" Robin ティティ・ロバンは1980年代から活躍する撥弦楽器奏者で、撥弦ならギターであれ、ウードであれ、サズであれ、なんでもござれです。しかもまったくの独学の由。インド、ブルターニュ、バルカン、ジプシー、アラブなどなど、ひじょうに広いジャンル、スタイルと共演しています。こちらも境界を無視する冒険家です。
この２人がどういう経緯で共演したのかは不勉強にして知りませんが、いずれいつかは出会うことになっていたのでしょう。はじめ YouTube でライヴ映像を見て有頂天となり、公式録音の出現を祈ったのですが、いざ出たものは期待を遙かに超えるすばらしいものでした。まさにアルバム・タイトル通り、そこには魔法としか思えないものが働いています。21世紀が生みだした最高の音楽の成果として、長く聞きつがれるでしょう。
ということで、「イスラームの音楽」その２に続くことになります。さあて、どんなミュージシャンや曲を選ぼうか。今回は長すぎるとして避けたものも多かったんですが、後藤マスターからはいくら長くてもかまわん、とも言われましたので、イラクのムニール・バシールとか、イランのカイハン・カルハーとか、それにヌゥバもなんらかの形で組込みたい。まあ、こうしていろいろ考えているときが１番楽しいんですがね。（ゆ）
