クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:イリアン・パイプス

 最初の1曲を聴いたところで、不安は払拭された。初めてライヴを聴く、それもまだ若い人となれば、始まる前はこちらも期待と不安が半分ずつである。これなら大丈夫、今夜はいい夜になる。あとはたっぷり2時間、いい音楽にひたすら浸れた。

 音に確信がある。迷いが無い。というよりも雑念が無い。良い音楽と信じた曲をまっすぐに演奏する。そのことだけに没入している。これでいいんだろうかとか、こういう音楽を自分がやることの意義とか、ミスったらイヤだなとか、あるいは内心ではそういうことも考えているのかもしれないが、音にはカケラも出てこない。今、できることをすべてやる。全身全霊をこめて、と言うには、しかし肩に力が入っていない。楽器を始めて3年半とのことで、確かにまだ熟していないところは散見されるけれど、そういうことが気にならない。聴いていて気持ちがいい。それがアイリッシュ・ミュージックの性格であることもあるだろうが、やはりご本人の性格と、そして良い音楽にすなおに感応し、増幅できる能力が大きいのだろう。音楽を演ることの原点を摑んでいる。

 レパートリィも広い。アイリッシュ・ミュージックを始めてそれほど経っていない人たちの演奏は時に有名曲のオンパレードになりがちだが、あたしにとっては新鮮で、しかも良い曲が次々に出てくる。あまり知られていない曲と有名曲の組合せもうまい。どちらかというとジグがお好きなようだが、ホーンパイプもちゃんと聞かせる。ホーンパイプは各種ダンス・チューンの中で最もアイリッシュらしいもので、これがちゃんと演奏できればアイリッシュ・ミュージックのビートのキモを身につけていると言えるとあたしは思う。1曲、リアム・オ・フリンのエミュレートとて演ったスロー・エアも良かった。

 この時だけ、ドローンを入れ、レギュレイターも使う。スロー・エアからそのままギターが入って、ホーンパイプにつなげたのがハイライト。ギターが入るとドローンを切るのは見識だ。

 ラストやアンコールでは音がいささか乱れたが、後で訊くとリードが保たなかったそうだ。猛暑の一夜に狭い店内に30人以上詰めかけてぱんぱんになっていれば、いくらエアコンをフル回転させ、扇風機をつけても、湿度の高さは半端ではなく、もともと湿度に弱いリードはそりゃ参ってしまうだろう。

 確信に満ちた音では久保さんも同じで、豊田さんの時とはがらりと変えて、余計なことは一切せず、シュアにカッティングに徹している。もっとも、完全に背中がこちらに向いていて、完全生音なので、細かいことは聞えていなかったではあろう。

 久保さんは9月初旬にアイルランドに出発され、それまでは豊田さんとのツアーとのことで、当分ライヴを見られないのは残念だが、来年帰ってきた時が楽しみだ。

 水上さんは10/27にやはりさんさき坂カフェでのライヴがあるそうだ。レディチーフタンズにも、中原さんの代役で参加することもあるそうなので、そちらも期待する。それにしても、野口、中原に続いて、イリン・パイプの有望株が現われたのは、まことに嬉しい。水上さんの楽器は中津井パイプで、氏の存在はやはり大きい。

 予約もなし、投げ銭制で、客席がらがらでのんびり見られるだろうとの予測は完全に外れた。後から後から人が入ってきて、ただでさえ狭い店内は立ち見が出ようかという勢い。お二人と何らかのつながりがある人たちなのだろうが、ほとんどは同年代らしい。中にはイリン・パイプはおろか、アイリッシュ・ミュージックも初めて、という人もいたようだ。音楽そっちのけで話しこんでいる人たちもいる。そういう人たちを集めてしまうのも、お二人の人徳であろう。

 いろいろな意味で励まされ、元気をもらい、いい具合に昂揚した気分で家路についた。空には半月と火星が並んでいる。(ゆ)

 リアム・オ・フリンが昨日、3月14日、享年72歳で亡くなりました。昨年来、病床にあったそうです。
 アイルランド共和国大統領も追悼の声明を発表しています。まさに人間国宝と呼んでいい存在でした。アイルランド・イリン・パイプ協会 Na Piobairi Uilleann の創設者の一人で、名誉会長でもありました。

 何と言っていいのか、ちょっと言葉がみつかりません。プランクシティのメンバー、イリン・パイプ復興の立役者の一人、パイプ・オルガンやフル・オーケストラとの共演などのイノヴェーター、と書いてみても、オ・フリンの存在の大きさは摑みきれない気がします。

 たとえば、プランクシティのリーダーがクリスティ・ムーアであることは動きませんが、アイリッシュ・ミュージックの、伝統音楽のバンドとしての個性を生んでいたのは、オ・フリンだったと言っていいと思います。そして、おそらくはそれ以上に、バンドをまとめて、しっかりと大地に足を踏みしめさせていたのは、オ・フリンだったのではないか、とも思います。つまりバンドの要はまちがいなくオ・フリンでした。

 一度だけ、インタヴューしたことがあります。その時の、端正で、飾らない威厳に満ち、落ちついた声と口調は、他のアイリッシュのミュージシャンたちとは一枚次元の違うものでした。立板に水というわけではありませんが、含蓄に富んだ言葉を滑らかに話してくれました。

 いずれこの日が来ることはわかっていたわけですが、いざ、来てみると、それによって生じた穴はどう埋めようもありません。一つの時代が終ったことは確かです。

 存在の大きさに比べて、録音が少なすぎるのは、アイリッシュのミュージシャンの常ですが、残された録音はどれも深く傾聴するに値します。折りしも、1979年、再編時のプランクシティのライヴ音源も公式にリリースされます。

 オ・フリンの足跡について、自分なりにまとめてずにはいられない気分でもありますが、それはまだ先のことになりましょう。まずは、冥福を祈るばかりです。合掌。(ゆ)

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