クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:イングランド

 Qobuz の無料トライアルからの有料版への移行をやめる。確かに Tidal より音は良いが、タイトル数が少ない。あたしが聴きたいものが Tidal にはあるが、Qobuz には無いことが多い。逆のケースは1か月試す間には無かった。例外は Charlotte Planchou だが、Apple Music で聴ける。いくら音が良くても、聴きたいものが無いのでは話にならない。あたしは音楽が聴きたいので、いい音が聴きたいわけじゃない。それにひと月 1,280円のはずが、なぜか自動的に Apple のサブスクリプションにされて 2,100円になるのも気に入らない。

 Tidal などのストリーミング・サーヴィスに一度は出すが、後でひっこめる場合があることに最近気がついた。ひっこめたものは Bandcamp で売っていたりする。Bandcamp に出したものをプロモーションのために Tidal に出したものだろうか。Bandcamp の音もだいぶマシになってきて、比べなければ問題ない。購入と同時にダウンロードできるファイルも 24/44.1 以上のものが増えてきた。

 今月はシンガーに収獲。Brigitte Beraha と Charlotte Planchou。こういう出会いがあるから、やめられない。それに Sue Rynhart のセカンドでの化け方に喜ぶ。


John-Paul Muir, Home Now
 ニュージーランド出身のピアニストの新作。かなり良い。とりわけ、シンガーの Brigitte Beraha がすばらしい。この人はギタリストとの新作も良かったことを思い出し、あらためて見直す。トルコ人の父親、トルコ系ブリテン人の母親のもとミラノに生まれ、コートダジュールに育つ。父親はピアニストでシンガー。ベースはイングランドで、歌も基本は英語で作り、歌っている。歌もうまいが即興がいい。録音はソロも含め、かなりある。追いかけてみよう。


Carmela, Carme Lopez, Vinde todas
 スペイン、ガリシアの伝統歌謡を調査、研究して歌う人。すばらしい。ただし、Bandcamp の説明も全部スペイン語かガリシア語。macOS による英訳も細かいところは要領を得ない。Carme Lopez としてはこの前にパイプのソロがあり、シンガー Carmela としてはファーストになる、ということのようだ。アルバム・タイトルは "Come All" の意味。これは Carmela 自身のソロというよりも、様々なソースから集めた生きている伝統の録音を中心に、Carmela が脚色しているようだ。どの歌もうたい手もすばらしい。Carmela の脚色はアレンジではなく、その周囲にサウンドケープを配置したり、声そのものに効果をつけたりして、歌とうたい手を押し出す。録音年月日はないが、元の録音からしてすばらしい。各トラックの情報をクリックすると個々のページに飛び、そちらに背景情報がある。スペイン語であろう。macOS で英訳すると、名詞代名詞などのジェンダーがおかしい。

Carme Lopez, Quintela
 そのカルメ・ロペスのファースト。こちらはパイプ・オンリー。これは凄い。ガリシアのバグパイプはスコットランドのハイランド・パイプと楽器そのものは同じはずで、あれからどうやってこんな音を出しているのかわからん。III ではドローンでメロディを演奏しているようでもある。IV では打楽器としても使う。Epilogue は多重録音。フーガ風。バッハのポリフォニーを想わせる。パイプの限界を破っていることは認める。ではそれが音楽として面白いか、と言われると、もう一度聴きたいと思うほどではない。一度は聴いて、こういうものもあると確認できればそれでいい。


Ganavya, Daughter Of A Temple
 マンチェスター在住のインド人シンガー、ベース奏者。声からすると女性。ヴィジェイ・アイヤーとかシャバカ・ハッチングスとかが参加している。ベースは仏教系のマントラ、詠唱を音楽にしたてている。[04]は明らかに日本語の「南無妙法蓮華経」の念仏を複数の男女が称えているフィールド録音。確かに巧まずして音楽になっていないこともない。が、それらしいクレジットは無い。全体として今ひとつピンとこないのだが、聞き流してしまうにはひっかかるものがある。後半の大半はコルトレーンの A love supreme の変奏。気になって聴いてしまい、途中でやめたくなることもない。一聴面白いという類のものではない。これはむしろ集中して聴くよりも、流れに身を任せて浸る類のものだろう。UK Jazz のレヴューによればライヴで録ったずっと長い録音を編集して短かくしているそうな。


Chloe Matharu, Small Voyages 2024 edition
Chloe Matharu, Sailors And Rolling Stones
  Simon Thoumire が今週のスコットランド音楽のお薦めにした人。インド系ということで発音、発声がちがう。声はユニーク。セカンドの電子音を使った方が面白い。以前はタンカーの幹部船員として世界中を回っていて、その体験を元に歌をつくりうたっている由。

 歌詞がわかると面白い。後者は歌詞が Bandcamp にも出ていないので、何を歌っているのか、まったくわからない。発音が独得で、前者でも歌詞として掲げられているとおりに歌っているとは、信じられない。

 ファーストは自身のクラルサッハとわずかなフィドル、アコーディオン、バゥロンらしき打楽器ぐらい。後者はグラスゴーの Tonekeeper Production が電子音のバックをつけている。いろいろやっているのだが、今ひとつ単調に聞える。発音と発声もずっと同じなのも単調に聞える理由の一つか。ユニークなのだが、その声を活かす表現には思いいたらないらしい。声のユニークさに頼っているように聞える。


A paradise in the hold, Yazz Ahmed, A Paradise In The Hold; 0:10:04
 待ってました。ヤズ・アーメドの来年発売予定の新作から先行配信。すばらしい。楽しみ。来年のベスト・アルバムの一枚は当確。

Christy Moore, A Terrible Beauty
 前作よりも元気な感じ。前作はようやく声を出しているようなところがあったが、今回は余裕がある。息子のコーラスがいい。

Clare Sands, Gormacha
 4曲オリジナル。なかなか面白い。歌が入るのはいい。この人はもう少し聴こう。

High Place Phenomenon > Rat Horns, Ross Ainslie, Pool;
 新作から3曲先行リリース。あいかわらず面白い。ただ、ますますミュージック・メーカーになってきて、本人の演奏の比率は少ない。

Ride on, Lack of Limits, Just Live; 0:07:01
 ドイツ、ブレーメンのフォーク・バンド。アイルランド、ブリテンの伝統歌を演奏。Tidal に1998年から2007年まで5枚ほど。フルートの前奏から歌に入る。初めはおとなしく歌っているが、途中からテンポを上げ、アグレッシヴになり、最後はまた静かに終る。コーラスには女声もいる。途中盛り上げようとするのはジャーマン・プログレに通ずるか。

Vazesh, Tapestry
 タール、サックス&バスクラ、ベースのオーストラリアのトリオによる即興。ストリーミングでは曲間が切れるが実質は全曲1本につながる。なかなか良い。しかし、ずっと同じ調子ではあり、ここがハイライトと紹介しにくい。ラストに向かって多少盛り上がる。タールの人はイランからの移民らしい。

Ben Wendel, Understory
 ベテランのサックス奏者がリーダーのカルテット。演奏はかなり面白い。型破りの曲と演奏。4人とも面白い。今風、というのとも少し違う感じ。コルトレーンが源流なのだろうが、遊びがある。サックスのソロの時も集団即興の感覚がある。

Sue Rynhart, Say Pluto
 アイルランドのシンガーのセカンド。ヒュー・ウォレンとベースの3人。冒頭のトラディショナルがまずいい。この歌の解釈として出色。2曲目以下の自作も面白い。ファーストよりずっと良い。ヒュー・ウォレンのおかげもあるか。Christine Tobin に続く存在になることを期待。

John Faulkner, Storm In My Heart
 同じタイトルの回想録が出たというので聞き逃がしていたのを聴く。一聴惚れこむわけではないが、一線は超えている。やはりCDは買わねばならない。

Kathryn Tickell, Return To Kielderside
 16歳で出したファーストの再演。最近のものよりずっとゆったりしている。ホーンパイプがいい。

Maire Carroll, Philip Glass: complete piano etudes
 面白い曲のまっとうな演奏。JM のレヴューによるとかなり破格な解釈らしいが、まっとうに聞える方がはずれているのか。かなり集中させられる曲と演奏で、一度に聴くには3曲が限度。


 アルジェリアのウード奏者、シンガー。シンガーとしても一級。かなりのスターらしい。バック・バンドはフィドルが両端、右からダラブッカ、小型のタンバリン、左にいって短かい縦笛、斜めに構えているようには見えない。ギター、カーヌーン。ヴァイオリンはどちらも膝に立て、前で弾く。右は左利き。右が冒頭にソロ。笛以外はコーラスもうたう。本人は中央手前に右足を台の上に置いて立つ。

 短かいヌゥバ、大衆歌謡としてのヌゥバ? 構成は同じ。バンドも楽器を一人にしている。ヴァイオリンは二人。YouTube にあるものを3本ほど聴く。

Jow Music Live = Habibi (?), Abbas Righi, 0:08:43
 上の曲の別ヴァージョンらしい。

 音声のみ。ヴァイオリン、カーヌーン、ウード、パーカッション、笛。


High Horse, High Horse
 ボストンのグループ。fiddler Carson McHaney, cellist Karl Henry, guitarist G Rockwell, and bassist Noah Harrington. 女声シンガー。コーラスも。かなり面白い。テンポが自在に変わる。フィドラーか、マンドリンもある。ストリング・バンドの変形。アルバムは12月発売。

Dougie McCance, Composed
 Red Hot Chili Pipers のパイパーのソロ。Ali Hutton と Katie MacFarlane がゲスト。曲のコーダ、ドラムスを思いきり利かせた部分の録音に疑問が残る。Bandcamp の限界か。

Lisa Rigby, Lore EP
 エディンバラのシンガー・ソング・ライター。なかなかのシンガー。面白い。

Mohammad Syfkhan, I Am Kurdish
 レバノンでミュージシャンとして成功していたが、内戦で国を出て、なぜかアイルランドに落ち着く。息子たちもミュージシャンでドイツにいる由。やっているのはアラブとマグレブの伝統的大衆音楽。ヴォーカルとブズーキ。録音はリズム・マシーンをバックに歌い、弾く。録音が粗いが、音楽はすばらしい。

Wayfaring Stranger, Scroggins & Rose, Speranza; 0:05:00
 ボストンのデュオ。Alissa Rose のマンドリン、Tristan Scroggins のフィドルのみ。即興がいい。ジャズにまでなっていない。フォーク・ミュージックの範疇でなおかつ飄々としている。マンドリンは妙な音をたてる。これが三枚目。Bandcamp では初。High Horse にも通じる。こういう形のアコースティック・バンドが一種の流行なのだろうか。

Jawari, Road Rasa
 シタール奏者をリーダーとする多国籍というよりは超国籍バンドの超国籍音楽。UK Jazz では手放しの絶賛だが、確かに面白い。〈桜〉はあの「さくらあ、さくらあ、やよいのそらはあ」なのだが、ものの見事に換骨奪胎されて、明瞭に土着性を残しながらローカルなアイデンティティをはるかに超える音楽になっている。しかも陳腐になる寸前でひらりと身をかわす軽業に目ではなく耳を奪われる。

Charlotte Planchou feat. Mark Priore, Le Carillon
 ストリーミング・オンリーのリリース。ただし Tidal には無し。イントロに続く〈Greensleaves〉でノックアウト。すばらしいシンガーとピアニストの組合せ。どちらにとってもこれがファーストらしいが、これ1枚だけでも歴史に残る。UK Jazz のレヴューによれば最低でも5つの言語で歌っている。英仏独西はわかる。何語かわからないものもある。〈Mack the knife〉はドイツ語だ。とんでもないうたい手。(ゆ)

 2024年10月に初めて聴いて面白かったもの。イングランド、スコットランド、アイルランドの伝統音楽とその派生音楽、それにジャズ。ロックとかシンガー・ソング・ライターとか、聴いてないなあ。もう少しいろいろ聴きたいが、時間が無い。聴こうとすると聴けてしまうのも良し悪し。

Grace Smith Trio, Overleaf
 フィドル、コンサティーナ、ベースのトリオ。かなり面白い。

Cathy Jordan, The Crankie Island Song Project
 キャシィ姉さんの労作。大作。今の彼女にしか作れなかったアルバム。えらい。

Eoghan O Ceannabhain, The Deepest Breath
 一級品。Ultan O'Brien とのデュオも良いが、このソロの方が一層凄みが増している。

Freedom to Roam, The Rhythm Of Migration, 2021 @ Tidal
 面白い。かなりの大所帯バンド。全てオリジナル。弦はクラシック。

Hannah James & Toby Kuhn, Sleeping Spirals, 2021
 このデュオはビデオも面白い。鍵盤アコーディオンとチェロ。James は Lady Maisery の一角。マディ・プライアの《Shortwinger》2017にも参加。面白い人だ。

Tom Oakes, Water Street
 なかなかいいフルート。

Frankie Archer, Pressure & Persuasion
 どこかで耳にして気になりながら、なかなか聴けなかった。ついに聴いたら、なんのことはない、4曲入の EP だが、今年のベスト級。こういう人が出てくるあたりがイングランドの面白さ。これは絶対にスコットランドでもアイルランドでも出てこない。フランスならいるかもしれない。ブルターニュはどうだろう。

Frankie Archer, Never So Red; Qobuz
 昨年のデビュー EP。Frankie Archer は凄い。Jim Moray も偉い。

Matt Tighe, Matt Tighe
 いいフィドラー。

Nick Hart & Tom Moore, The Colour Of Amber
 ヴィオラとヴィオラ・ダ・ガンバを伴奏にハートが歌う。インスト・トラックもある。音源は Bandcamp。

Melrose Quartet, Make The World New
 なんとナンシ・カー&ジェイムズ・フェイガンがもう一組のデュオと組んだアカペラ・コーラス・グループ。こうなると悪いはずがないが、Lal Waterson のかかしは背筋が総毛立つ。もう何枚もアルバムがある。

Smile - 'Extreme' reharmonisation for violin, viola and voice, Agata Kubiak
https://youtu.be/q_wqRIR1swU
 同じスタンダードでも今やるならこれくらいやれよ。ヴァイオリン、ヴィオラと声によるまったく新しい解釈。

Jon Boden & the Remnant Kings, Parlour Ballads; Tidal
 すげえ。Bonny bunch of roses に脱帽。

Josephine Davies, Satori: Weatherwards
 シェトランド出身のサックス奏者。トリオ、またはピアノが入る。このピアノが前衛でいい。音楽でのルーツはあまり聞えない。

Shovel dance collective, Shovel Dance, Tidal
 面白い。

The Marais Project & Duo Langborn/Wendel, Nordic Moods & Baroque Echoes
 すばらしい。ヴェーセンのミカルのプロデュース。古楽としてのノルディック伝統音楽。

Macdara Yeates, Traditional Singing From Dublin
 こりゃあいい。男声版 Lisa O'Neill。こういうタイプの男声シンガーはリアム・ウェルドン以来ほとんどいなかった。歌い方としてはかつてのバラッド・グループに通じるところもある。たとえばルーク・ケリィのような。しかし、この人の声とスタイルは今のものだ。

Alice Zawadzki, Fred Thomas, Misha Mullov-Abbado, Za Gorami
 ようやく聴けた。これは買い。Alice Zawadzki は全部聴こう。

Mahuki, Gratitude
 チェコ出身のギタリストのビッグバンド。かなり面白い。ルーツ色は出ていない。ジャズ、ファンクの共通語彙による。

John Beasley / Frankfurt Radio Big Band, Returning To Forever
 すばらしいアルバム。いやもうサイコー。

The Kris Davis Trio, Run The Gauntlet
 ああ、そうだよ、こうこなくっちゃ。これは行ける。この人は追いかけよう。カナダだ。すばらしいトリオ。(ゆ)

 とにかく寒かった。吹きつける風に、剥出しの頭と顔から体温がどんどん奪われてゆく。このままでは調子が悪くなるぞ、という予感すらしてくる。もう今日は帰ろうかと一瞬、思ったりもした。

 この日はたまたま歯の定期検診の日で、朝から出かけたが、着るものの選択をミスって、下半身がすうすうする。都内をあちこち歩きまわりながら、時折り、トイレに駆けこむ。仕上げに、足休めに入った喫茶店がCOVID-19対策でか入口の引き戸を少し開けていて、そこから吹きこむ風がモロにあたる席に座ってしまった。休むつもりが、体調が悪くなる方に向かってしまう。

 それでもライヴの会場に半分モーローとしながら向かったのは、やはりこのバンドの生はぜひとも見たかったからだ。関西ベースだから、こちらで生を見られるチャンスは逃せない。

 デビューとなるライヴ・アルバムを聴いたときから、とにかく、生で見、聴きたかった。なぜなら、このバンドは歌のバンドだからだ。アイリッシュやケルト系のバンドはどうしてもインスト中心になる。ジョンジョンフェスティバルやトリコロールは積極的に歌をレパートリィにとりいれている。トリコロールは《歌う日々》というアルバムまで作り、ライヴもしてくれたけれど、やはり軸足はインストルメンタルに置いている。歌をメインに据えて、どんな形であれ、人間の声を演奏の中心にしているバンドは他にはまだ無い。

 キモはその音楽がバンド、複数の声からなるところだ。奈加靖子さんはソロだし、アウラはア・カペラに絞っている。バンドというフォーマットはまた別の話になる。ソロ歌唱、複数の声による歌と器楽曲のいずれにも達者で自由に往来できる。

 あたしの場合、音楽の基本は歌なのである。歌が、人間の声が聞えて初めて耳がそちらに向きだす。アイリッシュ・ミュージックでも同じで、まず耳を惹かれたのはドロレス・ケーンやメアリ・ブラックやマレード・ニ・ウィニーの声だった。マレードとフランキィ・ケネディの《北の音楽》はアイリッシュ・ミュージックの深みに導いてくれた1枚だが、あそこにマレードの無伴奏歌唱がなかったら、あれほどの衝撃は感じなかっただろう。

Ceol Aduaidh
Frankie Kennedy
Traditions (Generic)
2011-09-20

 

 歌は必ずしも意味の通る歌詞を歌うものでなくてもいい。ハイランド・パイプの古典音楽ピブロックの練習法の一つとしてカンタラックがある。ピブロックは比較的シンプルなメロディをくり返しながら装飾音を入れてゆく形で、そのメロディと装飾音を師匠が声で演奏するのをそっくりマネすることで、楽器を使わずにまず曲をカラダに叩きこむ。パイプの名手はたいてがカンタラックも上手い。そしてその演奏にはパイプによるものとは別の味がある。

 みわトシ鉄心はまだカンタラックまでは手を出してはいないが、それ以外のアイルランドやブリテン島の音楽伝統にある声による演奏はほぼカヴァーしている。これは凄いことだ。こういうことができるのが伝統の外からアプローチしている強味なのだ。伝統の中にいる人たちには、シャン・ノースとシー・シャンティを一緒に歌うことは、できるできないの前に考えられない。

 中心になるのはやはりほりおみわさんである。この人の生を聴くのは初めてで、今回期待の中の期待だったが、その期待は簡単に超えられてしまった。

 みわさんの名前を意識したのはハープとピアノの上原奈未さんたちのグループ、シャナヒーが2013年に出したアルバム《LJUS》である。北欧の伝統歌、伝統曲を集めたこのアルバムの中で一際光っていたのが、河原のりこ氏がヴォーカルの〈かっこうとインガ・リタ〉とみわさんが歌う〈花嫁ロジー〉だ。この2曲は伝統歌を日本語化した上で歌われるが、その日本語の見事さとそれを今ここの歌として歌う歌唱の見事なことに、あたしは聴くたびに背筋に戦慄が走る。これに大喜びすると同時にいったいこの人たちは何者なのだ、という思いも湧いた。

Ljus
シャナヒー (Shanachie)
Smykke Boks
2013-04-10



 みわさんの声はそれから《Celtsittolke》のシリーズをはじめ、あちこちの録音で聴くチャンスがあり、その度に惚れなおしていた。だから、このバンドにその名前を見たときには小躍りして喜んだ。ついに、その声を存分に聴くことができる。実際、堂々たるリード・シンガーとして、ライヴ・アルバムでも十分にフィーチュアされている。しかし、そうなると余計に生で聴きたくなる。音楽は生が基本であるが、とりわけ人間の声は生で聴くと録音を聴くのとはまったく違う体験になる。

 歌い手が声を出そうとして吸いこむ息の音や細かいアーティキュレーションは録音の方がよくわかることもある。しかし、生の歌の体験はいささか次元が異なる。そこに人がいて歌っているのを目の当たりにすること、その存在を実感すること、声を歌を直接浴びること、その体験の効果は世界が変わると言ってもいい。ほんのわずかだが、確実に変わるのだ。

 今回あらためて思い知らされたのはシンガーとしてのみわさんの器の大きさだ。前半4曲目のシャン・ノースにまずノックアウトされる。こういう歌唱を今ここで聴けるとはまったく意表をつかれた。無伴奏でうたいだし、パイプのドローンが入り、パイプ・ソロのスロー・エア、そしてまた歌というアレンジもいい。かと思えば、シャンティ〈Leave Her Johnny〉での雄壮なリード・ヴォーカル。女性シンガーのリードによるシャンティは、女性がリードをとるモリス・ダンシングと同じく、従来伝統には無かった今世紀ならではの形。これまた今ここの歌である。ここでのみわさんの声と歌唱は第一級のバラッド歌いのものであるとあらためて思う。たとえば〈Grey Cock〉のような歌を聴いてみたい。ドロレス・ケーン&ジョン・フォークナーの《Broken Hearted I'll Wander》に〈Mouse Music〉として収められていて、伝統歌の異界に引きずりこまれた曲では、みわさんの声がドロレスそっくりに響く。前半ラストの〈Bucks of Oranmore〉のメロディに日本語の歌詞をのせた曲でのマジメにコミカルな歌におもわず顔がにやけてしまう。

 この歌では鉄心さんの前口上で始まり、トシさんが受ける。これがまたぴったり。何にぴったりかというと、とぼけぶりがハマっている。鉄心さんの飄々としたボケぶりとたたずまいは、いかにもアイルランドの田舎にいそうな感覚をかもしだす。村の外では誰もしらないけれど、村の中では知らぬもののいないパイプとホィッスルの名手という感覚だ。どんな音痴でも、音楽やダンスなんぞ縁はないと苦虫を噛みつぶした顔以外見せたことのない因業おやじでも、その笛を聴くと我知らず笑ったり踊ったりしてしまう、そういう名手だ。

 鉄心さんを知ったのは、もうかれこれ20年以上の昔、アンディ・アーヴァインとドーナル・ラニィが初めて来日し、その頃ドーナルと結婚していたヒデ坊こと伊丹英子さんの案内で1日一緒に京都散策した時、たしか竜安寺の後にその近くだった鉄心さんの家に皆で押しかけたときだった。その時はもっぱらホィッスルで、パイプはされていなかったと記憶する。もっとも人見知りするあたしは鉄心さんとはロクに言葉もかわせず、それきりしばし縁はなかった。名前と演奏に触れるのは、やはりケルトシットルケのオムニバスだ。鞴座というバンドは、どこかのほほんとした、でも締まるところはきっちり締まった、ちょっと不思議な面白さがあった。パンデミック前にライヴを見ることができて、ああ、なるほどと納得がいったものだ。

The First Quarter Moon
鞴座 Fuigodza
KETTLE RECORD
2019-02-17



 この日使っていたパイプは中津井真氏の作になるもので、パンデミックのおかげで宙に浮いていたものを幸運にも手に入れたのだそうだ。面白いのはリードの素材。本来の素材であるケーンでは温度・湿度の変化が大きいわが国の風土ではたいへんに扱いが難しい。とりわけ、冬の太平洋岸の乾燥にあうと演奏できなくなってしまうことも多い。そこで中津井氏はリードをスプルースで作る試みを始めたのだそうだ。おかげで格段に演奏がしやすくなったという。音はケーンに比べると軽くなる。ケーンよりも振動しやすいらしく、わずかの力で簡単に音が出て、その分、音も軽くなる由。

 これもずいぶん前、リアム・オ・フリンが来日して、インタヴューさせてもらった時、パイプを改良できるとしたらどこを改良したいかと訊ねたら、リードだと即答された。アイルランドでもリードの扱いには苦労していて、もっと楽にならないかと思い、プラスティックのリードも試してはみたものの使い物にはならない、と嘆いていた。もし中津井式スプルース・リードがうまくゆくとすれば、パイプの歴史に残る改良になるかもしれない。少なくとも、温度・湿度の変化の大きなところでパイプを演奏しようという人たちには朗報だろう。鉄心さんによれば、中国や韓国にはまだパイパーはいないようだが、インドネシアにはいるそうだ。

 鉄心さんのパイプ演奏はレギュレーターも駆使するが、派手にするために使うのではなく、ここぞというところにキメる使い方にみえる。時にはチャンターは左手だけで、右手でレギュレーターのレバーをピアノのキーのように押したりもする。スプルースのリードということもあるのか、音が明るい。すると曲も明るくなる。

 パイプも立派なものだが、ホィッスルを手にするとまた別人になる。笛が手の延長になる。ホィッスルの音は本来軽いものだが、鉄心さんのホィッスルの音にはそれとはまた違う軽みが聞える。音がにこにこしている。メアリー・ポピンズの笑いガスではないが、にこにこしてともすれば浮きあがろうとする。

 トシさんが歌うのを初めて生で聴いたのは、あれは何年前だったか、ニューオーリンズ音楽をやるバンドとジョンジョンフェスティバルの阿佐ヶ谷での対バン・ライヴの時だった。以来幾星霜、このみわトシ鉄心のライヴ・アルバムでも感心したが、歌の練度はまた一段と上がっている。後半リードをとった〈あなたのもとへ〉では、みわさんの一級の歌唱に比べても、それほど聴き劣りがしない。後半にはホーミーまで聴かせる。カルマンの岡林立哉さんから習ったのかな。これからもっと良くなるだろう。

 そもそもこのバンド自体が歌いたいというトシさんの欲求が原動力だ。それも単に歌を歌うというよりは、声による伝統音楽演奏のあらゆる形態をやりたいという、より大きな欲求である。リルティングやマウス・ミュージックだけでなく、スコットランドはヘブリディーズ諸島に伝わっていた waulking song、特産のツイードの布地を仕上げる際、布をテーブルなどに叩きつける作業のための歌は圧巻だった。これが元々どういう作業で、どのように歌われていたかはネット上に動画がたくさん上がっている。スコットランド移民の多いカナダのケープ・ブレトンにも milling frolics と呼ばれて伝わる。

 今回は中村大史さんがゲスト兼PA担当。サポート・ミュージシャンとしてバンドから頼んだのは、「自由にやってくれ」。その時々に、ブズーキかピアノ・アコーディオンか、ベストと思う楽器と形で参加する。こういう時の中村さんのセンスの良さは折紙つきで、でしゃばらずにメインの音楽を浮上させる。それでも、前半半ば、トシさんとのデュオでダンス・チューンを演奏したブズーキはすばらしかった。まず音がいい。きりっとして、なおかつふくらみがあり、サステインもよく伸びる。楽器が変わったかと思ったほど。その音にのる演奏の闊達、新鮮なことに心が洗われる。このデュオの形はもっと聴きたい。ジョンジョンフェスティバルでオーストラリアを回った時、たまたまじょんが不在の時、2人だけであるステージに出ることになったことを思い出してのことの由。この時の紹介は "Here is John John Orchestra!"。

 みわトシ鉄心の音楽はあたしにとっては望むかぎり理想に最も近い形だ。ライヴ・アルバムからは一枚も二枚も剥けていたのは当然ではあるが、これからどうなってゆくかも大変愉しみだ。もっともっといろいろな形の歌をうたってほしい。日本語の歌ももっと聴きたい。という期待はおそらくあっさりと超えられることだろう。

 それにしても、各々にキャリアもあるミュージシャンたち、それも世代の違うミュージシャンたちが、新たな形の音楽に乗り出すのを見るのは嬉しい。老けこむなと背中をどやされるようでもある。

 是政は西武・多摩線終点で、大昔にこのあたりのことを書いた随筆を読んだ記憶がそこはかとなくある。その頃はまさに東京のはずれで人家もなく、薄の原が拡がっていると書かれていたのではなかったか。今は府中市の一角で立派な都会、ではあるが、どこにもつながらず、これからもつながらない終着駅にはこの世の果ての寂寥感がまつわる。

 会場はそこからほど近い一角で、着いたときは真暗だから、この世の果ての原っぱのど真ん中にふいに浮きあがるように見えた。料理も酒もまことに結構で、もう少し近ければなあと思ったことでありました。

 帰りは是政橋で多摩川を渡り、南武線の南多摩まで歩いたのだが、昼間ほど寒いとは感じず、むしろ春の匂いが漂っていたようでもある。風が絶えていた。そしてなにより、ライヴで心身が温まったおかげだろう。ありがたや、ありがたや。(ゆ)

みわトシ鉄心
ほりおみわ: vocals, guitar
トシバウロン: bodhran, percussion, vocals
金子鉄心: uillean pipes, whistle, low whistle, vocals

中村大史: bouzouki, piano accordion
 

 ラティーナ電子版の "Best Album 2022" に寄稿しました。1週間ほど、フリーで見られます。その後は有料になるそうです。

 今年後半はグレイトフル・デッドしか聴かなかったので、ベスト・アルバムなんて選べるかなと危惧しましたが、拾いだしてみれば、やはりぞろぞろ出てきて、削るのに苦労しました。

 ストリーミング時代で「アルバム」という概念、枠組みは意味を失いつつある、と見えますけれども、いろいろな意味で便利なんでしょう、なかなかしぶといです。先日、JOM に出たアイリッシュ・ミュージックに起きて欲しい夢ベスト10の中にも、専門レーベル立上げが入ってました。

 もっとも、あたしなんぞも、CD とか買うけれど、聴くのはストリーミングでというのが多くなりました。Bandcamp で買う音源もストリーミングで聴いたりします。

 とまれ、今年もすばらしい音楽がたくさん聴けました。来年も音楽はたくさん生まれるはずで、こちらがいかに追いかけられるか、です。それも、肉体的に、つまり耳をいかに保たせるかが鍵になります。年をとるとはそういうことです。皆さまもくれぐれも耳はお大事に。(ゆ)

06月15日・水
 UK の音楽雑誌 The Living Tradition が次号145号をもって終刊すると最新144号巻頭で告知。無理もない。これまでよくも続けてくれものよ。ご苦労様。



 この雑誌の創刊は1993年で、Folk Roots 後の fRoots がその守備範囲をブリテン以外のルーツ・ミュージックにどんどんと拡大していったためにできた空白、つまりブリテン島内のルーツ・ミュージックに対象を絞った形だった。これは正直ありがたかったから飛びついた。

 加えてここは CD の通販も始めて、毎号、推薦盤のリストも一緒に送ってきたから、それを見て、ほとんど片端から注文できたのもありがたかった。これでずいぶんと新しいミュージシャンを教えられた。The Tradition Bearers という CD のシリーズも出した。かつての Bill Leader の Leader Records の精神を継承するもので、音楽の質の高さはどれも指折りのものだったから、これまた出れば買っていた。優れたシンガーでもある編集長 Pete Heywood の奥さん Heather Heywood のアルバムも1枚ある。

 本拠はグラスゴーの中心部からは少し外れたところだが、カヴァーするのはスコットランドだけでなく、イングランドやアイルランドまで拾っていた。ウェールズもときたまあった。アルタンやノーマ・ウォータースンのようなスターもいる一方で、地道に地元で活動している人たちもしっかりフォローしていた。セミプロだったり、ハイ・アマチュアだったりする人も含まれていた。

 こういうメディアは無くなってみると困る。紙の雑誌はやはり消え去る運命にあるのだろう。fRoots もそうだったが、この雑誌も電子版までは手が回らなかったようだ。FRUK のように、完全にオンラインでやるのではなくても、紙版をそのまま電子版にして、定期購読を募る道もあったのではないか、と今更ながら思う。その点では英国の雑誌はどうも上手ではない。もっとも音楽誌はそういう形は難しいのだろうか。

 とまれ、30年続けたということは、ピートもヒーザーももうかなりのお年のはずで、確かに次代にバトンを渡すのも当然ではある。まずは、心から感謝申し上げる。ありがとうございました。


%本日のグレイトフル・デッド
 06月15日には1967年から1995年まで、8本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。

1. 1967 Straight Theater, San Francisco, CA
 木曜日。このショウが実際にあったかどうかは疑問視されている。
 この頃のショウは、テープ、実際に見た人の証言、ポスター、チケット、新聞・雑誌などに出た広告や記事などから推定されている。あるいは今後、UCサンタ・クルーズの The Grateful Dead Archives の調査・研究から初期数年間の活動の詳細が明らかになるかもしれない。もっとも未だに出てきていないところを見ると、バンド自らがいつ、どこで、演ったかのリストを作っていたわけではどうやら無いようだ。メンバーや周囲の人間でそういうリストを作りそうなのはベアことアウズレィ・スタンリィだが、かれも録音はして、それについての記録はとっても、自分が録音しなかった、できなかったものについての記録はとっておらず、その証言は記憶に頼っているようにみえる。

2. 1968 Fillmore East, New York, NY
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。4ドル。早番、遅番があり、遅番ショウの開演8時。セット・リスト不明。

3. 1976 Beacon Theatre, New York, NY
 火曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。《June 1976》で全体がリリースされた。

4. 1985 Greek Theatre, University of California, Berkeley, CA
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。15ドル。開演5時。
 DeadBase XI の Phil DeGuere によれば、三連荘は中日がベストになることが多いそうで、これもその一つ。ガルシアのギターが凄かったそうだ。

5. 1990 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。31.50ドル。開演7時。
 第一部が特に良い由。

6. 1992 Giants Stadium, East Rutherford, NJ
 月曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。26.50ドル。開演7時。
 良いショウで、スパイク・リーが客席にいた。この晩、月蝕があったそうな。

7. 1993 Freedom Hall, Louisville, KY
 火曜日。このヴェニュー2日連続の初日。開演7時。

8. 1995 Franklin County Airport, Highgate, VT
 木曜日。37.25ドル。開演6時。ボブ・ディラン前座。
 夏のツアーの最後のレグ、07月09日シカゴまでの15本のスタート。ガルシアの状態はひどく、出来は最低という評価はおそらく「客観的」には妥当なところだろう。一方で、これが最初のショウである人びとにとっては、忘れがたい、貴重な記憶、宝物となっている。加えて、〈Box of Rain〉が Space の次に歌われたのは全部で4回しかなく、これがその最後の4回目になるそうだ。
 前座のディランはすばらしかった。
 DeadBase XI の John W. Scott のレポートは音楽そのものよりも、聴衆の質のひどさに幻滅している。チケットを持たず、持つ意志もない連中が多数詰めかけてフェンスを押し倒して入りこんだ。そうして入った連中はマナーもへったくれもなく、いうなれば「デッドヘッドの風上にも置けない」連中で、時に「フェイク・ヘッド」と呼ばれるような人間だったようだ。フェンスが押し倒されたとき、その支柱が何本か、トイレの個室の上に倒れ、中に閉じこめられた人びとが何人もいたという。(ゆ)

06月03日・金
 カードが落ちないよと Tidal からメール。Tidal のアプリからサイトに行き、カードを更新しようとするが、郵便番号が正しくないとはじかれる。PayPal の選択肢があるのでそちらにするとOK。

 Bandcamp Friday とて散財。今回は Hannah Rarity、Stick In The Wheel、Maz O'Connor、Nick Hart 以外は全部初お目見え。
Hannah Rarity, To Have You Near
Fellow Pynins, Lady Mondegreen
Fern Maddie, Ghost Story
Fern Maddie, North Branch River
Iain Fraser, Gneiss
Stick In The Wheel, Perspectives on Tradition, CD と本。
Isla Ratcliff, The Castalia
Maz O'Connor, What I Wanted (new album)
Ceara Conway, CAOIN
Nick Hart Sings Ten English Folk Songs
Kinnaris Quintet, This Too
Mama's Broke, Narrow Line
Inni-K, Inion
Leleka, Sonce u Serci
Linda Sikhakhane, An Open Dialogue (Live in New York)
Linda Sikhakhane, Two Sides, One Mirror
Lauren Kinsella/ Tom Challenger/ Dave Smith


%本日のグレイトフル・デッド
 06月03日には1966年から1995年まで、5本のショウをしている。公式リリース無し。

1. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。開演9時。共演クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、マザーズ。
 おたがいのステージに参加したわけではないだろうが、デッドとザッパが同じ日に同じステージに立っている。
 ザッパのインタヴュー集が出ているが、まあ、やめておこう。デッドだけで手一杯。茂木が訳したら読んでみるべ。

2. 1967 Pritchard Gym, State University Of New York, Stony Brook, NY
 土曜日。Lost Live Dead のブログへのロック・スカリーのコメントによれば、ニューヨークに着いてホテルにチェックインするところでおそらく保証金としてだろう、1,500ドルをとられた。これはツアーの費用のつもりだったから、カネが必要になり、Cafe Au Go Go から前借りをした。そこで半ばこっそりと、半ば資金調達のために組んだのがこのショウ。
 デニス・マクナリーの公式伝記によれば、このショウを組んだのはカフェ・ア・ゴーオーのオーナー Howard Solomon とストーニーブルックの学生活動委員会の委員長 Howie Klein。なのでスカリーが「こっそり stealth」というのはどういう意味か、よくわからない。
 ストーニーブルックはマンハタンからロングアイランドを東へ80キロほど行った街。島のほぼ中央の北岸になる。
 ソロモンは西海岸のシーンに共感していて、多数のバンドをニューヨークへ呼ぶことになる。
 クラインは学内のラジオ局で DJ をしており、また学生組織の長でロック雑誌 Crawdaddy! 編集長の Sandy Pearlman とも親しかった。クラインはデッドのファーストを大いに気に入り、これを強力にプッシュしていた。そのおかげもあってか、ロングアイランドは後にデッドにとって強固な地盤となる。
 とまれ、このショウはデッドにとって東海岸で初めて収入を伴うショウとなり、マクナリーによれば750ドルを稼いだ。マクナリーはこの数字をどこから得たか書いていないが、デッドのことだからこの時の収入やかかった費用を記した書類があるのだろう。
 この1967年06月を皮切りに、デッドは頻繁にニューヨークに通って、ショウを重ね、やがてニューヨークはサンフランシスコに次ぐ第2のホームタウンとなり、ファンの絶対数ではサンフランシスコを凌ぐと言われるようになる。このシスコ・ニューヨーク間の移動は当然飛行機によるが、バンドやクルー、スタッフなどおそらく20人は下らないと思われる一行がその度に飛行機で飛ぶことになる。当時の航空便の料金はそういうことが年に何度もできるほど安かったわけだ。今、同じことをしようとすれば、とんでもない額のカネがかかり、駆け出しのロック・バンドには到底不可能だろう。インターステイト(フリーウェイ)・システムとガソリン料金の安さと合わせて、アメリカの交通インフラの条件がデッドに幸いしている。
 おそらく、デッドだけではなく、1960年代から70年代にかけてのアメリカのポピュラー・アクトの発展には、移動コストがきわめて安かったことが背景にあるはずだ。

3. 1967 Cafe Au Go Go, New York, NY
 土曜日。このヴェニュー10日連続のランの3日目。セット・リスト不明。

4. 1976 Paramount Theatre, Portland, OR
 木曜日。このヴェニュー2日連続の初日。1974年10月20日以来、1年8ヶ月ぶりにツアーに復帰したショウ。この間1975年には4本だけショウをしているが、いずれもベネフィット・コンサートへの参加や少数の招待客だけを相手にしたもの。ここで2本連続でウォームアップをした後、09日から東部とシカゴのツアーに出る。
 再生したバンドの新たな出発で、この日初演された曲が5曲。
 まずいきなりオープナーの〈Might As Well〉が初演。ハンター&ガルシアの曲で、1994-03-23まで計111回演奏。1970年のカナダの南端を東から西へ列車で移動しながらのコンサートとパーティー通称 Festival Express へのハンターからのトリビュート。スタジオ盤はガルシアの3作目のソロ・アルバム《Reflections》収録。
 第一部6・7曲目の〈Lazy Lightnin’> Supplication〉。どちらもバーロゥ&ウィアの曲。この2曲は最初から最後までほぼ常にペアで演奏され、1984-10-31まで114回演奏。後者は後、1993-05-24に一度独立で演奏される。この曲をベースにしたジャムは1985年以降、何度か演奏されている。スタジオ盤はやはりペアで、ウィアが参加したバンド Kingfish のファースト《Kingfish》所収。
 第二部オープナーで〈Samson And Delilah〉。伝統歌でウィアがアレンジにクレジットされている。録音により、ブラインド・ウィリー・ジョンソンやレヴェレンド・ゲイリー・デイヴィスが作者とされているケースもある。最も早い録音は1927年03月の Rev. T.E. Weems のものとされる。同年に少なくとも4種類の録音が出ている。ただし12月に出た2種は名義は異なるがブラインド・ウィリー・ジョンソンによる同じもの。デッドは1995-07-09まで363回演奏。演奏回数順では23位。〈Eyes of the World〉より18回少なく、〈Sugaree〉より2回多い。復帰後にデビューした曲としては〈Estimated Prophet〉の390回に次ぐ。スタジオ盤は《Terappin Station》収録。カヴァー曲でスタジオ盤収録は珍しい。
 アンコールの〈The Wheel〉も初演。ハンターの詞にガルシアとビル・クロイツマンが曲をつけた。1995-05-25まで258回演奏。演奏回数順で55位。〈Morning Dew〉より1回少なく、〈Fire on the Mountain〉より6回多い。歌詞からは仏教の輪廻の思想を連想する。スタジオ盤はガルシアのソロ・ファースト《Garcia》。このアルバムの録音エンジニア、ボブ・マシューズによれば、一同が別の曲のプレイバックを聴いていたときに、ハンターは1枚の大判の紙を壁に当てて、この曲の詞を一気に書いた。
 20ヶ月の大休止はバンドの音楽だけでなく、ビジネスのやり方においても変化をもたらした。最も大きなものはロッキーの東側のショウをこれ以後 John Scher が担当するようになったことだ。ロッキーの西側は相変わらずビル・グレアムの担当になる。
 シェアは大休止中にジェリィ・ガルシア・バンドのツアーを担当したことで、マネージャーのリチャード・ローレンと良い関係を結び、2人はよりスムーズでメリットの多いツアーのスタイルを編み出す。これをデッドのツアーにもあてはめることになる。(McNally, 494pp.)
 ショウ自体は新曲の新鮮さだけでなく、〈Cassidy〉や〈Dancin' on the Street〉など久しぶりの曲にも新たな活力が吹きこまれて、全体として良いものの由。オープナーの曲が始まったとたん、満員の1,500人の聴衆は総立ちとなって踊りくるったそうな。

5. 1995 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。開演7時。第一部クローザー〈Eternity〉でウィアがアコースティック・ギター。(ゆ)

05月31日・火
 GrimDark Magazine のオリジナル・アンソロジー The King Must Fallがついに完成して、電子版が配布された。Kickstarter で支援したのが去年の7月だから、ほとんど1年かかった。全部で19篇。結構長いものもいくつかあるらしい。

 巻頭に言語についての断り書きがある。著者の言語、オーストラリア英語、アメリカ英語、カナダ英語、UK英語をそのままにしてある。スペルや語彙だけではない、語法なども少しずつ違うわけだ。まだここにはインド英語や南アフリカ英語、シンガポール、フィリピン、ジャマイカ英語は無い。すでに南アフリカ、シンガポールやフィリピン、カリブ海地域出身の作家は出てきているが。

 早速、冒頭の1篇 Devin Madson, What You Wish For を読む。なるほど巻頭を飾るにふさわしい力作。王は倒さねばならない。しかし、倒したその後に来るものは、必ずしも来ると信じたものではない。著者はオーストラリアのメルボルン在住。2013年に自己出版で始め、これまでに三部作1本、その次のシリーズが3冊あり、4冊目が来年春予定。ノヴェラがオーレリアスのベスト・ノヴェラを獲っている。これなら他も読んでみよう。オーストラリアは気になっている。


 Folk Radio UK ニュースレターからのビデオ視聴続き。残りを片付ける。

Silver Dagger | Fellow Pynins
 すばらしい。これもオールドタイム・ベースで、独自の音楽を作っている。オレゴンのデュオ。

 

The Magpie Arc - Greenswell
 こりゃあ、すばらしい。さすが。アルバムはまだか。
 


"Hand in Hand" - Ian Siegal featuring Shemekia Copeland
 いいねえ。こういうの。ブルーズですね。
 

The Slocan Ramblers /// Harefoot's Retreat
 新しいブルーグラス、というところか。つまりパンチ・ブラザーズ以降の。いや、全然悪くない。いいですね。
 

The Sea Wrote It - Ruby Colley
 ヴァイオリン、ウードとダブル・ベースによる伝統ベースのオリジナル。これもちょと面白い。楽器の組合せもいいし、曲も聴いているうちにだんだん良くなる。
 

Josh Geffin - Hold On To The Light
 ウェールズのシンガー・ソング・ライター。だが、マーティン・ジョゼフよりも伝統寄り。繊細だが芯が通り、柔かいが粘りがある。面白い。
 

Noori & His Dorpa Band — Saagama
 スーダンの紅海沿岸のベジャという地域と住民の音楽だそうだ。中心は大きな装飾のついたエレクトリック・ギターのような音を出す楽器で、これにサックス、ベース、普通のギター、パーカッションが加わる。雰囲気はティナリウェンあたりを思わせるが、もっと明るい。ミュージシャンたちは中心のギタリストを除いて、渋い顔をしているけれど。このベジャの人びとがスーダン革命の中核を担い、この音楽がそのサウンドトラックだそうだ。基本的には踊るための音楽だと思う。これも少なくともアルバム1枚ぐらいは聴かないとわからない。まあ、聴いてもいいとは思わせる。動画ではバンドを見下ろしている神か古代の王の立像がいい感じ。



%本日のグレイトフル・デッド
 05月31日には1968年から1992年まで4本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1968 Carousel Ballroom, San Francisco, CA
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。チャーリー・マッセルホワイト、ペトリス共演。セット・リスト不明。

2. 1969 McArthur Court, University of Oregon, Eugene, OR
 土曜日。2.50ドル。開演8時。Palace Meat Market 前座。セット・リストはテープによるもので、第二部はひどく短いので、おそらく途中で切れている。ただしアンコールは入っている。それでもトータル2時間半超。

3. 1980 Metropolitan Sports Center, Bloomington, MN
 土曜日。すばらしいショウの由。セット・リストを見るだけで興奮してくる。とりわけ第二部後半。
 SetList.com のコメントにあるように、デッドの何がそんなに魅力的なのか、わからない。しかし、たくさんの人びとがテープを1本聴いてこのバンドに捕えられ、ショウを1回見て人生が変わっている。バンドが解散してから何年もたっても、かつてのファンの熱気は衰えないし、新たなファンを生んでいる。実際、あたしがハマるのもバンド解散から17年経ってからだ。いくら聴いても飽きないし、新たな発見がある。不思議としか言いようがないのだが、とにかく、グレイトフル・デッドの音楽は20世紀アメリカが生んだ最高の音楽である、マイルス・デイヴィスもデューク・エリントンもフランク・ザッパもジョニ・ミッチェルもレナード・バーンスタインもジョージ・コーハンもプレスリーもディランも勘定に入れて、なおかつ最高の音楽であることは確かだ。

4. 1992 Sam Boyd Silver Bowl, Las Vegas, NV
 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。23.50ドル。開演2時。第二部クローザーにかけて〈Spoonful> The Other One> Morning Dew〉にスティーヴ・ミラーが参加。DeadBase XI の Rob Winkler のレポートによればミラーはアンコールにも出ている。
 実に良いショウの由。ビデオもあるそうだ。3日間の中で最も暑い日で、雷雲のかけらも無く、スタジアムの周囲にスプリンクラーが置かれたか、会場のスタッフが時々ホースで観客の上に水を撒いた。ショウも3日間で最もホット。ミラーのギターも良いそうな。(ゆ)

05月29日・日
 合間を見て、Folk Radio のニュースレターで紹介されているビデオを視聴する。AirPods Pro は便利だ。

 まずはこのカナダはブリティッシュ・コロンビアの夫婦デュオ。新譜が Folkways から出るそうで、昨年秋、ブリティッシュ・コロンビアの本拠で撮ったビデオ2本。オールドタイムをベースにしているが、そこはカナダ、一味違う。旦那は使うバンジョーに名前をつけているらしく、歌の伴奏は「クララ」、インストルメンタルは「バーディー」。それにしても夫婦の声の重なりの美しさに陶然となる。新譜は買いだが、Bandcamp で買うと Folkways は FedEx で送ってくるから、送料の方が本体より高くなる。他をあたろう。

Pharis & Jason Romero - Cannot Change It All (Live in Horsefly, BC)



Pharis & Jason Romero - Old Bill's Tune (Live in Horsefly, BC)




 次に良かったのがこれ。
Lewis Wood - Kick Down The Door; Kairos (ft. Toby Bennett)



 イングランドのトリオ Granny's Attic のフィドラーのソロ・アルバムから。踊っているのはクロッグ・ダンシングのダンサー。クロッグは底が木製の靴で踊るステップ・ダンスでウェールズや北イングランドの石板鉱山の労働者たちが、休憩時間のときなどに、石板の上で踊るのを競ったのが起源と言われる。クロッグは1920年代まで、この地方の民衆が履いていたそうな。今、こういうダンサーが履いているのはそれ用だろうけれど。
 もうすぐ出るウッドの新譜からのトラックで、場所はアルバム用にダンスの録音が実際に行われたサウサンプトンの The Brook の由。
 ウッドはダンサーに敬意を表してか、裸足でいるのもいい感じ。
 Granny's Attic のアルバムはどれも良い。

Kathryn Williams - Moon Karaoke



 曲と演奏はともかく、ビデオが Marry Waterson というので見てみる。ラル・ウォータースンの娘。この人、母親の衣鉢を継ぐ特異なシンガー・ソング・ライターだが、こういうこともしてるんだ。このビデオはなかなか良いと思う。こういう動画はたいてい音楽から注意を逸らしてしまうものだが、これは楽曲がちゃんと聞えてくる。
 その楽曲の方はまずまず。フル・アルバム1枚聴いてみてどうか。


Tamsin Elliott - Lullaby // I Dreamed I was an Eagle



 ハープ、シターン、ヴィオラのトリオ。曲はハーパーのオリジナル。2曲目はまずまず。これもアルバム1枚聴いてみてどうかだな。

 今日はここまでで時間切れ。


%本日のグレイトフル・デッド
 05月29日には1966年から1995年まで7本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1966 California Hall, San Francisco, CA
 日曜日。「マリファナ禁止を終らせよう」運動ベネフィット・ボールと題されたイベント。シャーラタンズ共演。2ドル。開演9時。セット・リスト不明。

2. 1967 Napa County Fairgrounds, Napa, CA
 月曜日。DeadBase XI 記載。Project Hope 共演、とある。セット・リスト不明。
 Project Hope は不明。

3. 1969 Robertson Gym, University Of California, Santa Barbara, CA
 木曜日。"Memorial Day Ball" と題されたイベント。Lee Michaels & The Young Bloods 共演。開演8時。
 テープでは70分強の一本勝負。クローザー前の〈Alligator〉の後、1人ないしそれ以上の打楽器奏者が加わって打楽器のジャムをしている。ガルシア以外のギタリストがその初めにギターの弦を叩いて打楽器として参加している。途中ではガルシアが打楽器奏者全体と集団即興している。また〈Turn On Your Lovelight〉でも、身許不明のシンガーが参加しているように聞える。内容からして、この録音は05-11のものである可能性もあるらしい。
 内容はともかく、どちらもポスターが残っているので、どちらも実際に行われとことはほぼ確実。

4. 1971 Winterland Arena, San Francisco, CA
 土曜日。2ドル。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。
 4曲目で〈The Promised Land〉がデビュー。1979-07-09まで434回演奏。演奏回数順で11位。オープナー、クローザー、アンコール、第一部、第二部、どこにでも現れる万能選手。記録に残るものではこれが初演だが、The Warlocks 時代にも演奏されたものと思われる。原曲はチャック・ベリーの作詞作曲で1964年12月にシングルでリリースされた。キャッシュボックスで最高35位。1974年02月、エルヴィス・プレスリーがリリースしたシングルはビルボードで最高14位。The Band がカヴァー集《Moondog Matinee》に入れている。ジェリー・リー・ルイスが2014年になってカヴァー録音をリリースしている。その他、カヴァーは無数。

5. 1980 Des Moines Civic Center, Des Moines, IA
 木曜日。14ドル。開演7時。

6. 1992 Sam Boyd Silver Bowl, Las Vegas, NV
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。23.50ドル。開演2時。
 第二部3曲目〈Looks Like Rain〉が異常に長く、終る頃、本当に雨が降ってきた。非常に良いショウの由。数えた人によれば、この5月、7本のショウで97曲の違う曲を演奏している。このショウだけでも、それ以前の6本では演奏しなかった曲を8曲やっている。ショウ全体では Drums, Space を入れて19曲。ニコラス・メリウェザーによればこの年のレパートリィは134曲。デッドはステージの上でその場で演る曲を決めている。つまり、いつでもその場でほいとできる曲が134曲だった。

7. 1995 Portland Meadows, Portland, OR
 月曜日。28ドル。開演2時。このヴェニュー2日連続の2日目。チャック・ベリー共演。前日よりも良いショウの由。(ゆ)

0402日・土

 床屋。いつものように眉毛以外全部剃ってもらう。前回よりさらに剃り残しが減った。あたしの頭に慣れてきたのだろう。

 EFDSS Vaughn Williams Memorial Library の最近の収納品の中に Sounding The Century: Bill Leader & Co: 1 – Glimpses of Far Off Things: 1855-1956 という本がある。調べてみると、ビル・リーダーの生涯を辿る形で、現在90代のリーダーの生きてきた時代の、フォーク・ミュージックをレンズとして見たブリテンの文化・社会史を描くもの。全10冊予定の第1巻。とりあえずアマゾンで注文。

 ビル・リーダーは1929年生。生まれたのはニュー・ジャージーというのは意外。両親はイングランド人でリーダーがまだ幼ない時にイングランドに戻る。1955年、26歳でロンドンに出る。Bert Jansch, the Watersons, Anne Briggs, Nic Jones, Connollys Billy, Riognach を最初に録音する一方、Jeannie Robertson, Fred Jordan,  Walter Pardon を最後に録音した人物でもある。Paul Simon, Brendan Behan, Pink Floyd, Christy Moore も録音している。

 著者 Mike Butler 1958年生まれのあたしと同世代。13歳でプログレから入るというのもあたしとほぼ同じ。かれの場合、マハヴィシュヌ・オーケストラからマイルスを通してジャズに行く。ずっとジャズ畑で仕事をしてきている。2009年からリーダーを狂言回しにしたブリテンの文化・社会史を調査・研究している。





##本日のグレイトフル・デッド

 0402日には、1973年から1995年まで7本のショウを行っている。公式リリースは4本。うち完全版3本。


1. 1973 Boston Garden, Boston, MA

 春のツアーの千秋楽。全体が《Dave's Picks, Vol. 21》でリリースされた。New Riders Of The Purple Sage が前座。全体では5時間を超え、アンコールの前に、終電を逃したくない人は帰ってくれとアナウンスがあった。


2. 1982 Cameron Indoor Stadium, Duke University, Durham, NC

 金曜日。10.50ドルと9.50ドル。開演8時。レシュとガルシアがステージ上の位置を交換した。


3. 1987 The Centrum, Worcester, MA

 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。開演7時半。


4. 1989 Pittsburgh Civic Arena, Pittsburgh, PA

 日曜日。このヴェニュー2日連続の初日。前売18.75ドル、当日19.75ドル。開演7時半。全体が《Download Series, Vol. 09》でリリースされた。

 この2日間はこの年の春のツアーで最も東のヴェニューで、満員御礼だったが、チケットを持たなくても会場に行けば何とかなると思った人間が大勢やって来て、大きなガラス窓を割り、中になだれ込んだ。そのため、警察が大挙して出動した。

 その場にいた人間の証言によれば、ドアの外で数十人の人間と一緒に踊っていた。音楽はよく聞えた。そこへ、中からイカれたやつが一人、外へ出ようと走ってきた。ドアが厳重に警備されているのを見て、脇の1番下の窓ガラスに野球のすべり込みをやって割り、外へ脱けだした。警備員がそちらに気をとられている間に、中で踊っていた人間の一人がドアを開け、外にいた連中があっという間に中に吸いこまれた。


5. 1990 The Omni, Atlanta, GA

 月曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。18.50ドル(テーパー)。開演7時半。全体が《Spring 1990》でリリースされた。

 このアトランタの3日間で演奏された曲はどれもそれぞれのベスト・ヴァージョンと思える出来だが、ここではとりわけ第一部クローザーの〈Let It Grow〉と第二部オープナーの〈Foolish Heart〉がすばらしい。前者ではラストに、演奏をやめたくないというように、だんだん音を小さくしてゆき、静かに終る。何とも粋である。

 3人のシンガーが声を合わせるところがますます良く、〈He's Gone〉のコーダのリピートと歌いかわし、〈The Weight〉や〈Death Don't Have No Mercy〉の受け渡しに聴きほれる。〈The Last Time〉は終始3人のコーラス。こういうことができたのはこの時期だけだ。

 第一部はゆったりと入るが、3曲目にガルシアがいきなり〈The Weight〉を始めるのに意表を突かれる。こういういつもとは違う選曲をするのは、調子が良い証拠でもある。マルサリスの後の4本では、いつもよりも冒険精神が旺盛になった、とガルシアは言っている。第二部は緊張感が漲り、全体にやや速いテンポで進む。ツアー当初の感覚が少しもどったようだ。アンコールでは再び対照的に〈Black Muddy River〉を、いつもよりさらにテンポを落として、ガルシアが歌詞を噛みしめるように歌う。これまたベスト・ヴァージョン。

 確かにマルサリス以後の4本は、何も言わず、ただただ浸っていたくなる。本当に良い音楽は聞き手を黙らせる。


6. 1993 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY

 金曜日。このヴェニュー5本連続の3本目。開演7時半。

7. 1995 The Pyramid, Memphis, TN

 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。26.50ドル。開演7時半。第二部2曲目〈Eternity〉が《Ready Or Not》でリリースされた。(ゆ)


0220日・日

 サンディの《The North Star Grassman And The Ravens》の Deluxe Edition Tidal で聴く。1972年の BBC のライヴ録音が入っていた。これを聴くと、シンガーとしていかに偉大だったか、よくわかる。どれも自身のピアノかギターだけだから、よけい歌の凄さがわかる。アメリカに生まれていたなら、シンガー・ソング・ライターとして、ジョニ・ミッチェルと肩を並べる存在になっていたかもしれないが、その場合には〈Late November〉のような曲は生まれなかっただろうし、フェアポート・コンヴェンションも別の姿になっていたか、浮上できなかったかもしれない。そうするとスティーライもアルビオンも無いことになる。あの時代のイングランドには器が大きすぎたのだ。

 ジャニス・ジョプリンも同じ意味で、あの時代のアメリカには器が大きすぎた。デッドも器が大き過ぎたが、かれらは男性の集団だったから生き残れた。あの当時、器の大きすぎる女性にはバンドを組む選択肢も無かった。



##本日のグレイトフル・デッド

 0220日には1970年から1995年まで、6本のショウをしている。公式リリース無し。


1. 1970 Panther Hall, Fort Worth, TX

 前売4ドル。当日5ドル。開演8時、終演1時。クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス共演。セット・リスト不明。


2. 1971 Capitol Theater, Port Chester, NY

 このヴェニュー6本連続の3本目。このポート・チェスターのランは半分の3本の全体が公式リリースされているので、いずれ全部出ることを期待。

 会場は1926年オープン、座席数1,800の施設で、当初は映画館、1970年代にパフォーマンスのために改修されてからコンサートに使われるようになる。ジャニス・ジョプリン、パーラメント/ファンカデリック、トラフィックなどがここで演奏した。

 デッドは1970年03月20日からこの1971年02月のランまで、1年足らずの間に13日出演している。1970年には1日2回ショウをして、計18本。この時期に6本連続というのは珍しい。

 ポート・チェスターはマンハタンからロング・アイランド海峡沿いに本土を40キロほど北上し、コネティカット州との州境の手前の町。人口3万。


3. 1982 Golden Hall, San Diego Community Concourse, San Diego, CA

 このヴェニュー2日連続の2日目。良いショウのようだ。


4. 1985 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA

 このヴェニュー3日連続の最終日。15ドル。開演8時。

 次は0309日、バークレー。


5. 1991 Oakland County Coliseum Arena, Oakland, CA

 このヴェニュー3日連続の中日。開演7時。

 Drums> Space Babatunde Olatunji Sikiru Adepoju がパーカッションで参加。良いショウの由。


6. 1995 Delta Center, Salt Lake City, UT

 このヴェニュー3日連続の中日。28ドル。開演7時半。

 アンコールのビートルズ〈Rain〉では、場内大合唱となった。(ゆ)


 30日午後に母が亡くなった、とイライザ・カーシィがツイートしていました。イライザの母ならばノーマ・ウォータースン。イングランドのフォーク・ミュージックの無冠の女王とも言われる傑出したうたい手であります。

 ノーマはまず弟妹の Mike Elaine (Lal)、それにいとこの John Harrison との The Watersons の一員として姿を現します。4人は出身地、北イングランドの伝統歌をアカペラ・コーラスで歌い、1960年代、ブリテンのフォーク・リヴァイヴァル新世代の登場を告げ、後続の若者たちに衝撃を与えたのでした。60年代後半、ヨークシャーのある街で、自分たちのギグを終えたザ・フーがウォータースンズが歌っているところを探して聴きにきた、という話も伝えられています。

 ぼくがウォータースンズを初めて聴いたのは1977年の《Sound, Sound Your Instruments Of Joy》でした。ちょうど、ブリテンの伝統音楽に入れこみだしたばかりの頃で、その精妙かつ野趣あふれるハーモニーに夢中になったのでした。これはイングランドの教会で日常的に歌われてきた聖歌を集めた1枚ですが、説教臭さも抹香臭さもかけらもなく、まじりけのない歓びに溢れた、美しい歌が詰まっているアルバムです。聖歌集だということさえ、当初はわからず、伝統的なクリスマス・ソング集だとばかり思いこんでいました。実際、そう聴いてもかまわないものでもありましょう。


 

 続いてノーマが妹のラルとの二人の名義で出した《A True Hearted Girl》はまたがらりと趣が変わって、軽やかな風に吹かれるような歌を集めていて、こちらも当時、よく聴いたものです。

 とはいえ、一人の独立したうたい手としてノーマを見直したのはずっと下って1996年、ハンニバルから出た《Norma Waterson》でした。名伯楽 John Chelew のプロデュースのもと、リチャード・トンプソン、ダニィ・トンプソン、Benmont Tench に、なんとロジャー・スワロゥという、これ以上は考えられない鉄壁の布陣をバックに、悠々と、のびのびと、歌いたいうたを天空に解きはなつその声に、完全にノックアウトされたのでした。就中、冒頭の1曲〈Black Muddy River〉の名曲名唱名演名録音にはまったく我を忘れて聴きほれたものです。曲がロバート・ハンター&ジェリィ・ガルシアの作になることはクレジットを見ればわかりましたが、それがグレイトフル・デッドのレパートリィの中でどういう位置にあるのか、多少とも承知するのは何年も後のことです。ノーマ自身、それが誰の歌であるか、知らないままに歌いだした、とライナーにありました。ある日誰からともなく送られてきていたカセット・テープに入っていて、ただいい曲だとレパートリィに加えたのだそうです。

Norma Waterson
Waterson, Norma
Hannibal
1996-06-11

 

 この人は年をとるにしたがって、存在感が大きくなっていきました。セカンド、サードとソロを出し、一方で 夫マーティン・カーシィと娘イライザとのユニット Waterson: Carthy の一員として、あるいは再生ウォータースンズのメンバーとして、その評価は上がる一方で、ついにはマーティンの叙勲とともに、一家はイングランド・フォーク・シーンのロイヤル・ファミリーとまで呼ばれるようになりました。それには、English Folk Dance and Song Society 会長にもなったイライザの活躍もさることながら、いわば女族長としてのノーマのごく自然な威厳ある佇まいも寄与していたようにも思えます。

 生前最後の録音はイライザとの2010年のアルバム《Gift》から生まれた Gift Band との2018年の《Anchor》になりました。

Anchor
Waterson, Norma / Carthy, Eliza & Gift Band
Topic
2018-06-01

 

 先日、イライザはパンデミックによって一家が困窮しているとして、ファンに財政支援を訴えていました。そこではノーマが肺炎で入院しているともありました。ここ数年、いくつかの病気を患い、2010年には一時昏睡に陥ってもいたそうです。

 弟マイクは2011年に、妹ラルは1998年に亡くなっています。

 自分でも思いの外、衝撃が大きくて、すぐにはノーマの歌を聴きかえす気にもなれません。今はまず冥福を祈るばかりです。合掌。



0131日・月

##本日のグレイトフル・デッド

 0131日には1969年から1978年まで3本のショウをしている。公式リリースは無し。


1. 1969 Kinetic Playground, Chicago, IL

 5ドル。開場7時半。閉場午前3時。このヴェニュー2日連続の初日。シカゴ初見参。1981年まではほぼ毎年のようにシカゴでショウをしている。Grassroots 共演。セット・リスト無し。

 ポスターでは Grassroots と一語で、これが The Grass Roots と同一であるかはわからない。後者は1966年にデビューしたブルー・アイド・ソウルのグループとウィキペディアにある。こちらは1967年に〈Let's Live for Today〉というベスト10ヒットをもっている。

 ポスターには1月下旬から3月上旬までの出演者が日付とともに掲げられている。デッドとグラスルーツの前は Buddy Rich OrchestraBuddy Miles ExpressRotary Connection。後はヴァニラ・ファッジ、レッド・ツェッペリン、ジェスロ・タル。以下、ティム・ハーディン、スピリット、The Move。ジェフ・ベック、サヴォイ・ブラウン、マザー・アース。ポール・バターフィールド、B・B・キング。ポール・バターフィールド、ボブ・シーガー・システム。ジョン・メイオール、リッチー・ヘヴンス。チケット代金、開場、閉場時刻はすべて同じ。


2. 1970 The Warehouse, New Orleans, LA

 このヴェニュー3日連続の2日目。フリートウッド・マック、ザ・フロック前座。

 8曲演奏されたところで、レシュのアンプがトラブルにみまわれ、5曲25分ほど、アコースティックで演奏され、またエレクトリックにもどってさらに5曲、40分ほど演奏される。


3. 1978 Uptown Theatre, Chicago, IL

 9.50ドル。開演8時。このヴェニュー3日連続の中日。最高のショウの一つだった由。この後のショウの録音を聴けば、容易に想像がつく。(ゆ)


0128日・金

 Mandy Morton のボックス・セットなんてものが出てきて、思わず注文してしまう。こういうの、ついつい買ってしまうなあ。Magic Ladyは結構よく聴いた覚えがある。スプリガンズよりも好みだった。スカンディナヴィアで成功して、アルバムを出していたとは知らなんだ。この人とか、Mae McKenna とか、Carole Pegg とか、一流とは言えないが、B級というわけでもない、中途半端といえばそうなんだが、でも各々にユニークなものをもっていて、忘れがたいレコードを残してくれている。

After The Storm: Complete Recordings
Morton, Mandy / Spriguns
Grapefruit
2022-02-11

 

 それで先日バートの諸作と一緒に Loren Auerbach のアルバムのデジタル版も買ってあったのを思い出して聴いてみる。

 後にバートと結婚して、おまけにほとんど相前後して亡くなって、今は同じ墓に葬られているそうだけど、この人の出現は「衝撃」だった。ミニ・アルバムとフル・アルバムがほとんどたて続けに出たのが1985年。というのは、あたしはワールド・ミュージックで盛り上がっていた時期で、アイリッシュ・ミュージックは全体としてはまだ沈滞していて、パキスタンやモロッコ、ペルシャ、中央アジアあたりに夢中になっていた。3 Mustaphas 3 のデビューも同じ頃で、これを『包』で取り上げたのは、日本語ではあたしが最初だったはずだ。"Folk Roots" のイアン・アンダースン編集長自ら直接大真面目にインタヴューした記事を載せていて、まんまとだまされたけど、今思えば、アンダースン自身、戦略的にやったことで、ムスタファズの意図はかなりの部分まで成功したと言っていいだろう。

 そこへまったく薮から棒に現れたオゥバックには「萌え」ましたね。表面的には Richard Newman というギタリストが全面的にサポートしているけれど、その時からバートがバックについてることはわかっていたという記憶がある。

 この人も一流と呼ぶのにはためらうけれど、このハスキー・ヴォイスだけで、あたしなどはもう降参しちゃう。バートと結婚して、バートのアルバムにも入っていたと思うが、結局自分ではその後、ついに録音はしなかったのは、やはり惜しい。あるいはむしろこの2枚をくり返し聴いてくれ、ここにはすべてがある、ということだろうか。実際、リアルタイムで買った直後、しばらくの間、この2枚ばかり聴いていた。今聴いても、魅力はまったく薄れていないのは嬉しい。

 その頃のバートはと言えば、1982年の《Heartbreak》、1985年の《From The Outside》、どちらも傑作だったが、あたしとしてはその後1990年にたて続けに出た《Sketches》と《The Ornament Tree》を、まさにバート・ヤンシュここにあり、という宣言として聴いていた。とりわけ後者で、今回、久しぶりにあらためて聴きなおして、最高傑作と呼びたくなった。一種、突きはなしたような、歌をぽんとほうり出すようなバートの歌唱は、聴きなれてくると、ごくわずかな変化を加えているのが聞えてきて、歌の表情ががらりと変わる。ギターもなんということはない地味なフレーズを繰返しているようなのに、ほんの少し変化させると急にカラフルになる。聞き慣れた〈The Rocky Road To Dublin〉が、いきなりジャズになったりする。デイヴ・ゴールダー畢生の名曲〈The January Man〉は、バートとしても何度めかの録音だと思うが、さあ名曲だぞ、聴け、というのではさらさらなくて、まるでそこいらにころがっている、誰も見向きもしないような歌を拾いあげるような歌い方だ。選曲はほとんどが伝統歌なので、これも伝統歌として歌っているのだろう。聴いている間はうっかり聞き流してしまいそうになるほどだが、後でじわじわと効いてくる。録音もいい。
 

 あたしはミュージシャンにしても作家にしても、あまりアイドルとして崇めたてまつらないのだが、バートについてはなぜか「断簡零墨」まで聴きたくなる。ジョン・レンボーンもアルバムが出れば買うけれど、我を忘れて夢中になることはない。ことギターについてはレンボーンの方が上だとあたしは思うが、「アコースティック・ギターのジミ・ヘンドリックス」などと言わせるものをバート・ヤンシュが持っている、というのはわかる気がする。

 ボックス・セットも来たことだし、あらためてバート・ヤンシュを聴くかな。デッドとバランスをとるにはちょうどいい。



##本日のグレイトフル・デッド

 0128日には1966年から1987年まで3本のショウをしている。公式リリースは無し。


1. 1966 The Matrix, San Francisco, CA

 2日連続このヴェニューでの初日。共演ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー、ザ・ローディング・ゾーン。セット・リスト不明。


2. 1967 Avalon Ballroom, San Francisco, CA

 このヴェニュー3日連続の2日目。クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス共演。セット・リスト不明。


3. 1987 San Francisco Civic Center, San Francisco, CA

 16.50ドル。開演8時。この年最初のショウ。春節に合わせたこのヴェニュー3日間の初日。ビートルズ〈Get Back〉の唯一の演奏だが、ウィアのヴォーカルがひどく、これをカヴァーしようとしてか、サウンド・エンジニアのダン・ヒーリィがその声にかけたエフェクトがさらに輪をかけてひどかった。その他にも、大きなミスや歌詞忘れが目立った。ガルシアは前年夏の糖尿病による昏睡から回復してステージにもどったのが前年12月半ばだから、調子がよくないのも無理はないと言える。

 ガルシアは復帰にもっと時間をかけるべきだったかもしれない。より十分な準備をすべきだった、とも言える。しかし、かれはガマンできなかったのだ。一応演奏ができ、歌がうたえるならば、ステージに立たずにはいられなかった。

 ガルシアはいろいろなものに中毒していた。ハード・ドラッグだけではなく、映画にも中毒していたし、サイエンス・フィクションにも中毒していたし、絵を描くことにも中毒していた。しかし、何よりも、どんな麻薬よりも中毒していたのは、人前で演奏することだった。グレイトフル・デッドとしてならばベストだが、それが何らかの理由でかなわない時には、自分のバンドでショウをし、ツアーをしていた。ガルシアの公式サイトではガルシアが生涯に行った記録に残る公演数を3,947本としている。うちデッドとしては2,313本だから、1,600本あまり、4割強は自分のプロジェクトによる。とにかく、ステージで演奏していないと不安でしかたがなかったのだ。

 スタートは吉兆ではなかったとしても、1987年という年はデッドにとっては新たなスタートの年になった。ガルシアの病気により、半年、ショウができなかったことは、バンドにとっては休止期と同様な回春作用をもたらした。ここから1990年春までは、右肩上がりにショウは良くなってゆく。1990年春のツアーは1972年、1977年と並ぶ三度目のピークであり、音楽の質は、あるいは空前にして絶後とも言える高さに到達する。

 1987年のショウは87本。1980年の89本に次ぎ、大休止からの復帰後では2位、1972年の86本よりも多い。このおかげもあってこの年の公演によって2,430万ドルを稼いで、年間第4位にランクされた。以後、最後の年1995年も含めて、ベスト5から落ちたことは無い。

 87本のうち、全体の公式リリースは4本。ほぼ全体の公式リリースは3本。

1987-03-26, Hartford Civic Center, Hartford, CT, Dave's 36

1987-03-27, Hartford Civic Center, Hartford, CT, Dave's 36

1987-07-12, Giants Stadium, East Rutherford, NJ, Giants Stadium

1987-07-24, Oakland-Alameda County Coliseum Stadium, Oakland, CA, View From The Vault (except Part 3 with Dylan)

1987-07-26, Anaheim Stadium, Anaheim, CA, View From The Vault (except Part 3 with Dylan)

1987-09-18, Madison Square Garden, New York, NY, 30 Trips Around The Sun

1987-12-31, Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA, Live To Air (except 5 tracks)

 07-1214はディランとのツアーでどちらも第一部・第二部のデッドだけの部分は完全収録。第三部のディランの入ったステージは一部が《Dylan & The Dead》でリリースされている。

 ガルシアが死の淵から生還し、デッドが復帰したことの影響は小さくない。ニコラス・メリウェザーは《30 Trips Around The Sun》の中で、ポール・マッカトニーのツアーへの復帰の直接の動機が、ガルシアの恢復と復帰だったことを記している。

 ツアーの面ではこの年、デッドはディランとスタジアム・ツアーをする。おかげでこの年のレパートリィ数は150曲に逹した。このツアーからは《Dylan & The Dead》がリリースされた。当時のレヴューでは軒並み酷評されて、「出すべきではなかった」とまで言われたが、今、聴いてみれば、見事な出来栄えで、どうしてそんなにボロクソに言われたのか、理解できない。同じものを聴いていたのか、とすら思える。われわれが音楽を聴くのは、つまるところコンテクストによるのだ、ということだろう。コンテクストが変われば、評価は正反対になる。

 また、このツアーのおかげで、以後、デッドのレパートリィにディラン・ナンバーが増え、1本のショウの中でディランの曲が複数、多い時には3曲演奏されるようにもなる。

 年初にこの春節ショウの後、2月一杯を休んで新譜の録音をする。Marin Vetrans Auditorium をスタジオとして、ライヴ形式で録音されたアルバムは0706日《In The Dark》としてリリースされ、9月までに100万枚以上を売り上げてゴールドとプラチナ・ディスクを同じ月に獲得する。さらに旧譜の《Shakedown Street》と《Terrapin Station》もゴールドになった。《In The Dark》からシングル・カットされた〈Touch of Grey〉はデッドの録音として唯一のトップ10ヒットともなる。デビューから22年を経て、デッドはついにメインストリームのビッグ・アクトとして認知されたのだ。それもデッドの側からは一切の妥協無しに。このことは別の問題も生むのだが、デッドは人気の高まりに応えるように音楽の質を上げてゆく。

 音楽面で1987年は新たな展開がある。MIDI の導入である。ミッキー・ハートが友人 Bob Bralove の支援を得て導入した MIDI は、またたく間に他のメンバーも採用するところとなり、デッドのサウンドを飛躍的に多彩にした。Drums Rhythm Devils に発展しただけでなく、ガルシアやウィアはギターからフルートやバスーンなどの管楽器の音を出しはじめる。ブララヴはデッドの前にスティーヴィー・ワンダーのコンピュータ音楽のディレクターを勤め、後には《Infrared Rose》もまとめる。(ゆ)


1215日・水

Sarah McQuaid, The St Buryan Sessions

 マッケイドの6作目になるソロ・アルバム。現在コーンウォールに住むマッケイドは COVID-19 による制限でライヴができなくなったことを逆手にとり、地元の教会で無観客で演奏するものを録音してこのアルバムを作った。通常のコンサートと同じ機材、セッティングで、コンサートをするように録音する。同時にビデオも録り、公開されている。


 舞台となった教会は6世紀にアイルランドから渡ってきた王女で聖女セント・バリアナが創設したという言い伝えがあるセント・バリアンの村にある。10世紀にサクソンの王が再建するが、歳月に崩壊し、現在の建物は15世紀から16世紀にかけて再建されたもの。ここでは1966年に Brenda Wootton が村の公民館で The Pipers Folk Club を始める。The Pipers は村のすぐ南に立つ2本一組の石の名前にちなむ。この石は安息日に演奏した廉で石に変えられた楽士なのだと伝えられる。このフォーク・クラブではマッケイドの前作《If We Dig Any Deeper It Could Get Dangerous》をプロデュースしたマイケル・チャップマンはじめ、ラルフ・マクテル、マーティン・カーシィなども出演した。

 フォーク・クラブは今は無いが、教会には Pipers Choir という合唱隊があり、マッケイドもここに引越して以来、一員として毎週日曜日に歌っている。この録音に使われたピアノはその合唱隊の男性部所有のものの由。

 COVID-19 が原点に戻らせた。自身の歌とギター、またはピアノ。それのみ。わずかに重ね録りをしているが、基本はあくまでも独りでの一発録り。

 もともと低い声、たとえばドロレス・ケーンよりも低い声がさらに低くなって聞える。女性ヴォーカルのイメージとは対極にある。低く太く、倍音というか、付随する響きがたっぷりしている。録音はそれをしっかり捕えている。

 曲はしかしその声に頼らない。むしろ、声に頼ることを拒否し、歌そのものとして自立しようとする。結果として現れるのは、シビアでストイックな、それでいて優しい音楽だ。

 目の前に聴かせる人がいないことで、うたい手と歌とは、おたがい剥出しになって対峙する。おたがいを剥出しにする。その姿勢は聞き手にも作用し、聞いている自分が裸にされてゆく。この歌を聴いているこの自分は何者か。音楽は鏡だ。真の音楽は聴く者の真の姿を聴く者に見せる。真の姿はむろん見たくない部分も含む。それをも見せて、なおかつ、それを見つめるよう励ましてくれる。支えてくれる。

 マッケイドがそこまで意図しているかはわからない。が、期せずしてそういうものになっているなら、なおさらこれは本物の音楽だ。



##本日のグレイトフル・デッド

 1215日には1970年から1994年まで、6本のショウをしている。公式リリースは無し。


1. 1970 The Matrix, San Francisco, CA

 これは本来デッドのショウではなく、デヴィッド・クロスビー、ガルシア、レシュ、ハートのメンバーで David and the Docks として知られる。一方、広告には Jerry Garcia & Frieds の名義で3日間の告知がある。セット・リストはテープによる。が、中のクロスビーのコメントから、内容は2日目のものではないかとも思われる。テープには午後のリハーサルと夜の本番が入っており、本番は1時間強。クロスビーのコメントはリハーサル中のもの。


2. 1971 Hill Auditorium, Ann Arbor, MI

 このヴェニュー2日連続の2日目。

 この街にデッドが来るのは4年ぶりで、しかもピグペン復帰でデッドヘッドの期待は高かった。しかし、前半はPAのバランスが悪く、ヴォーカルがほとんど聞えず、ピアノが大きすぎた。第一部の半ば過ぎてようやく調子が整った。ハイライトは第二部後半〈Turn On Your Lovelight〉からのピグペンのステージ、と Jace Crouch DeadBase XI のレポートで書く。アンコールの〈Uncle John's Band〉の最中に、男が1人、ステージに飛びあがり、レシュのヴォーカル用マイクを摑んだ。クルーが男を連れ出したが、アンプの陰で殴り合いになったのが、Crouch には見えた。やがてクルーが戻ってマイクをレシュの前のスタンドに戻し、そこからレシュはまた歌った。


3. 1972 Long Beach Arena, Long Beach, CA

 セット・リスト以外の情報無し。


4. 1978 Boutwell Auditorium, Birmingham, AL

 セット・リスト以外の情報無し。


5. 1986 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 このヴェニュー3日連続の初日。ガルシアが糖尿病の昏睡から復帰して、初めてのショウ。7月7日以来、半年ぶり。オープナーは当然〈Touch of Grey〉。第一部3曲目〈When Push Comes To Shove〉と第二部3曲目〈Black Muddy River〉がデビューした。10年後、後者はガルシアが人前で歌った最後の曲となる。

 Ross Warner によるDeadBase XI のレポートは生まれかわったバンドのまた演れる歓び、それをまた聴ける歓びを伝えて余りある。

 ガルシアのライヴ・ステージへの復帰は1004日、サンフランシスコの The Stone でのジェリィ・ガルシア・バンドのショウ。ここから12-15のこのショウまでに、ジェリィ・ガルシア・バンドで8回、その他で3回、ショウを行っている。加えて1122日にはウォーフィールド・シアターで行われた、Jane Donacker 追悼のチャリティ・コンサートにガルシア、ウィア、ハートのトリオで出演し、おそらくアコースティックで3曲演奏している。

 ドナッカーは女優、コメディアン、ミュージシャン、キャスターで、コンサートの1ヶ月前にヘリコプター事故で死んだ。ドナッカーは朝、ヘリに乗って上空からマンハタンとその周辺の道路交通情報をラジオで中継する仕事をしていたが、この年、2度、乗っていたヘリコプターが墜落し、1度目は助かったが、2度目は助からなかった。The Tubes に曲を提供しており、この追悼コンサートにもチューブスが参加している。


6. 1994 Los Angeles Sports Arena, Los Angeles, CA

 このヴェニュー4本連続の初日。この年最後のラン。開演7時半。

 第一部4・5曲目〈Me And My Uncle〉〈Mexicali Blues〉と第二部の Space でウィアはアコースティック・ギターを使った。(ゆ)


11月23日・火

 iPhone Safari のタブに溜めていた音源を片っ端から聴く。数秒聞いてやめるのが半分くらい。中には、こういうのもじっくり聴くと面白くなるかも、というアヴァンギャルドもあるが、面白くなるまで時間がかかるのは、どうしても敬遠してしまう。こちとら、もうそんなに時間は無いのよ。

 逆に、数秒聞いて、これは買い、というのもいくつかある。

 Sara Colman のジョニ・ミッチェル・カヴァー集《Ink On A Pin》。〈Woodstock〉がこれなら、他も期待できる。
 

 Falkevik。ノルウェイのトリオ。これが今回一番の収獲。
 

 ウェールズの Tru の〈The Blacksmith〉はすばらしい。ちゃんとアルバム出してくれ。
 

 Chelsea Carmichael。シャバカ・ハッチングスがプロデュースなら、悪いものができるはずがない。
 

 Lionel Loueke。ベニン出身のギタリスト。ジャズ・スタンダード集。Tidal でまず聴くか。
 

 Esbe。北アフリカ出身らしい、ちょっと面白い。ビートルズのイエスタディのこのカヴァーは、もう一歩踏みこんでほしいが、まず面白い。むしろ、ルーミーをとりあげたアルバムを聴くかな。
 

 Grace Petrie。イングランドのゲイを公言しているシンガー・ソング・ライター。バックが今一なのだが、本人の歌と歌唱はいい。最新作はパンデミックにあって希望を歌っているらしい。
 

 Scottish National Jazz Orchestra。こんな名前を掲げられたら聞かないわけにいかないが、ドヴォルザークの「家路」をこう仕立ててきたか。こりゃあ、いいじゃない。

 Bandcamp のアメリカ在住アーティストのブツの送料がばか高いのが困る。ブツより高い。他では売ってないし。ただでさえ円安なのに。



##本日のグレイトフル・デッド

 1123日には1968年から1979年まで5本のショウをしている。公式リリースは無し。


1. 1968 Memorial Auditorium, Ohio University, Athens, OH

 トム・コンスタンティンが正式メンバーとして参加した最初のショウ。

 前日のコロンバスでのショウにオハイオ大学の学生が多数、大学のあるアセンズから1時間半かけてやって来ていた。そこでデッドは翌日、ここでフリー・コンサートをやった。アセンズでショウをしたのはこの時のみ。

 少し後、1970年代初期にデッドは集中的に大学でのショウをするが、当初から学生を大事にしていたわけだ。ジョン・バーロゥと弁護士のハル・カント、1980年代半ばまでマネージャーだったロック・スカリー、後に広報担当となるデニス・マクナリーを除けば、デッドのメンバーにもクルーにもスタッフにも大学卒業者はいないのだが、大学生はデッドの音楽に反応した。

 このショウのことを書いたジェリィ・ガルシアからマウンテン・ガールこと Carolyn Elizabeth Garcia への手紙が1968年に書かれたものであるかどうかが、彼女とガルシア最後のパートナー、デボラ・クーンズ・ガルシアとの間のジェリィ・ガルシアの遺産をめぐる訴訟の争点となり、その手紙が1968年にまちがいなく書かれたものだとレシュが法廷で証言した。


2. 1970 Anderson Theatre, New York, NY

 セット・リスト無し。

 ヘルス・エンジェルスのための資金集め。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座で、これにウィアが参加した模様。

 ヘルス・エンジェルスとデッドとの関係はあたしにはまだよくわからない。デッド・コミュニティの中でも敬して遠ざけられている。デッドヘッドのための辞書である The Skeleton Key でも項目が無い。しかし、避けて通れるものでもないはずだ。

 マクナリーの本では1967年元旦のパンハンドルでのパーティの際に、ヘルス・エンジェルスがデッドを仲間と認めたとしている。初版176pp.

 このパーティはエンジェルスのメンバーの1人 Chocolate George が逮捕されたのを、The Diggers が協力して保釈させたことに対するエンジェルスの感謝のイベントで、デッドとビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーが出た。

 マクナリーによればエンジェルスは社会通念から疎外された者たちの集団として当時のヒッピーたちに共感してはいたものの、エンジェルスの暴力志向、メンバー以外の人間への不信感、保守的な政治志向から、その関係は不安定なものになった。1965年秋の「ヴェトナム・デー」では、エンジェルスは警官隊とともにデモ参加者に暴力をふるった。アレン・ギンズバーグとケン・キージィがエンジェルスと交渉し、以後、エンジェルスはこの「非アメリカ的平和主義者」に直接暴力をふるうことはしないことになった。たとえば1967年1月14日の有名なゴールデン・ゲイト公園での "Be-in" イベントではエンジェルスがガードマンを平和的に勤めている。

 一方でエンジェルスのパーティでデッドが演奏することはまた別問題とされたようでもある。また、ミッキー・ハートはエンジェルスのメンバーと親しく、かれらはハートの牧場を頻繁に訪れた。それにもちろんオルタモントの件がある。あそこでヘルス・エンジェルスをガードマンとして雇うことを推薦したのはデッドだった。

 ひょっとすると、単にガルシアがエンジェルスを好んだ、ということなのかもしれないが、このハートの例を見ても、そう単純なものでもなさそうだ。

 ヘルス・エンジェルスそのものもよくわからない。おそらく時代によっても場所によっても変わっているはずだ。大型オートバイとマッチョ愛好は共通する要素だが、ケン・キージィとメリィ・プランクスターズとの関係を見ても、わが国の暴走族とは違って、アメリカ文化の主流に近い感じもある。


3. 1973 County Coliseum, El Paso, TX

 前売5ドル。開演7時。良いショウの由。長いショウだ。


4. 1978 Capital Centre, Landover , MD

 7.70ドル。開演8時。これとセット・リスト以外の情報が無い。


5. 1979 Golden Hall, San Diego Community Concourse, San Diego, CA

 セット・リスト以外の情報が無い。(ゆ)


8月20日・金

 Dan Clark Audio から新フラッグシップ・ヘッドフォン、Stealth の告知。4,000USD。どうせ、国内販売は無いから、買うなら直接だが、食指が動かないでもない。とりわけ、クローズドはいい。とはいえ、EtherC Flow 1.1 があるからなあ。そりゃ、良くはなっているだろうけれど、価格差には見合わねえだろう。




 M11Plus LTD 発売日がようやくアナウンス。Shanling M6 Pro Ver.21も発表。こちらは面白みまるで無し。M17 はまだ影も形も無いなあ。


 Grim Oak Press のニュースレターで、COVID-19 のおかげで紙が不足しはじめているのと、昨年刊行予定のタイトルが今年に延期されたことから、印刷・製本がボトルネックになって、出版が滞りだしている由。以前は印刷所にファイルを送ってから本が届くまで長くても10週間だったのが、今は4ヶ月〜半年かかる。新規の印刷を受け付けないところも出てきた。この事情は Grim Oak のような小出版社だけではなくて、Big 6 も同じだそうだ。わが国ではどうなんだろう。


 Tor.com に記事が出ていたGwyneth Jones の Bold As Love のシリーズは面白そうだ。とりわけ、メイン・キャラの一人が Aoxomoxoa and the Heads というバンドのリーダーとあっては、読まないわけにはいかない。Gwyneth Jones はデビュー作 Devine Endurance を読んではみたものの、さっぱりわからなかった記憶がある。今なら読めるかもしれん。

 


 それにしてもこのシリーズのタイトルは、コメントにもあるように、ジミヘンがらみばかりで、作品の中にもジミヘンへのオマージュが鏤められているらしい。ジミヘンもひと頃、集めようとしたけど、まあ、やはり Band of Gypsy のフィルモア・イーストでのライヴに留めをさす。完全版も出てるけど、あたしには抜粋の2枚組で十分。デッドやザッパとは違う。


ライヴ・アット・ザ・フィルモア・イースト
ジミ・ヘンドリックス
ユニバーサル インターナショナル
2000-12-13



 音楽がらみのサイエンス・フィクションとしては Kathleen Ann Goonan のナノテク四部作もあって、積読だなあ。


 ECM の Special Offer で Around The World in 80 Discs というのが来る。見てみると、ほんとに世界一周かなあ、と思ったりもするが、それなりに面白い。知らないのも多々あって、勉強にもなる。聴いてみましょう。ECM は全部 Tidal にあるし、Master も多い。この Special Offer はいつまでなんだろう。(ゆ)




7月7日・水
 散歩のおともは Bellowhead, Broadside。まあ、見事というしかない。こういうのを聴いてしまうと、エレクトリック・トラッドだ、いやオーセンティックだとか口角泡を飛ばしていたのが、KT境界前の昔に思える。もちろんここにはフェアポートもアルビオンもブラス・モンキーもウォータースン・カーシィも流れこんでいる。そうした先駆者あってのものだけど、各々に一家を成しているそうした音楽を換骨奪胎して、新しい次元に展開している。核になっているスピアズ&ボゥデンがまずそれをやってみせた。その意味ではこれはその論理的発展形ではある。とはいえ、ジャズのビッグバンドの筆法も取り込んで、うーん、やはりこれは今のイングランドの到達点、集大成ではある。そして、これはおそらく、アイルランドにもスコットランドにもできないだろう。

Broadside
Bellowhead
Navigator
2012-10-30



 Shanling M30。Sony DMP-Z1 に続く製品がようやく出てきたのは面白いし、電源も良さそうだ。ただ、コア機能が中途半端な印象。このサイズでオペアンプかよ。モジュール方式にこだわったためか。このクラスなら、今できる半歩先を組み込んだディスクリートが欲しい。モジュールで交換できるというのは、Cayin のように、フラッグシップではなくて、その一つ下の方が面白い。それともこの上のフラッグシップを用意しているのか。どこにも情報が無かったので問い合わせたら、AirPlay はサポートしている。WiFi 経由でファイル転送もできる由。しかし、どうも魅力が薄い。これで価格がせめて30万切るならまだ検討の余地はあるかも。

 Oriolus のカセット・プレーヤー形の DAP。その恰好だけで24万? どこかひどく勘違いしてないか。それとも他に隠し機能があるのか。

 Unique Melody の骨伝導を組みこんだイヤフォン、MEST mini も良さそうだが、本家で MEST II が出て、物欲がむらむらと掻きたてられる。しかし、M17 もあるし、両方はムリだ。やはりソースか。いずれにしても、ワクチン接種を生きのびてからの話。(ゆ)

4月18日・日

 散歩用ヘッドフォンに久しぶりに eGrado を使ってみる。夜、少しじっくり聴こうと 428 をかますと良く歌う。これは素姓が良いのだ。ディスコンになったのは残念。SR60e を使えということなんだろうが、屋外で使うときには、eGrado のこの固いプラスティックががっちりはまるのが気持ち良いのだ。価格.com で見ると SR80e はもう無くて、SR60e の次は125e。325 も無く、GW100、Hemp と来て、RS2e になる。



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 すばらしい。ゆったりと悠揚迫らず、イングランドの歌の世界にどっぷりと浸れる。James Patterson のヴォーカルとギター。John Dipper のはヴィオラ・ダ・モーレとのことだが、ちょっといなたい、けれど気品のある響きが聞き慣れたフォークの世界と一線を画す。練りに練られたフレーズを即興に聴かせ、声を縫って、水墨画のような空間を描きだす。ハーディングフェーレほどではないが、共鳴弦が立体的な響きを生む。ソロではクラシック的な技法でノルディックの伝統曲を演るのが、やや乾いた音になるのが面白い。

 Patterson Jordan Dipper のトリオによる Flat Earth も見事なアルバムで、Ralph Jordan はどうしたのだろうと思ったら、2014年に亡くなっていたのだった。これにはそのジョーダン追悼の想いもこめられている。

Flat Earth
Patterson Jordan Dipper
Wild Goose
2003-08-11



 パタースンの歌唱は酸いも甘いも噛みわけた大人の味。激することも落ちこむこともない。ブリテンの伝統歌唱に特徴的な、感傷を排した、ちょっと聴くと単調な、その実、複雑微妙な綾を織りこんで、柔かいテクスチャの奥に硬い芯を隠した声、軽く鼻にかけた、松平さんが「鉄則」と呼んだ発声法が心地良い。

 曲は伝統歌ばかりでなく、ハーディやハウスマンの詩に曲がつけられた、元来はクラシック・スタイルで演奏されることを想定しているものもある。こういう曲も、この声で歌われると伝統歌に聞える。

 こういうシンプルな組立ての、伝統歌やそれに準じる歌をじっくりと聴かせるアルバムが、このところまたイングランドで豊作になってきた。(ゆ)

4月17日・土

 ECM のニュースレターで Anouar Brahem が ECM デビュー30周年。Barzakh, 1991 は確かに衝撃だった。1998年の Thimar がつまらなくて、あれは日和ってるよねえ、と星川さんと意見が一致し、それに引き換え、Barzakh は凄いと盛り上がったこともあった。やはりあれが一番かなあ。The Astounding Eyes Of Rita は良かった記憶がある。もう一度、全部聴いてみるか。

Barzakh by Anouar Brahem
Anouar Brahem
ECM



Conte de L'Incroyable Amour (1991)
Madar (1994)
Khomsa (1995)
Thimar (1998)
Astrakan Cafe (2000)
Le Pas Du Chat Noir (2001)
Le Voyage De Sahar (2006)
The Astounding Eyes Of Rita (2009)
Souvenance (2014)
Blue Maquams (2017)


 2021 フィリップ・K・ディック賞は4月2日に発表になっていた。15日と思いこんでいた。結果は受賞作が

ROAD OUT OF WINTER by Alison Stine (Mira)
Special citation was given to:
THE BOOK OF KOLI by M. R. Carey (Orbit)

 では、スタインの本から読むぞ。しかし、これハーレクインの Mira からの刊行で、そこがまた面白い。Michelle Sagara の Chronicles of Elantra のシリーズも今は Mira から出ている。ハーレクインは邦訳もどんどん出してるようだが、昔ながらのロマンスもの中心にごく一部のみ。ディック賞獲ったからって、出さねえだろうなあ。

 New York Times のジェフ・ヴァンダミアのインタヴューで名前の出てくる作家は見事なまでにまったく知らない。まあ、ここで名前を知って読みゃあいいわけだが、それにしても、だ。いわゆるSFFプロパーの名前が出てくるとほっとする。でも、この部分はちょっとメジャーすぎないか、と思えるほど、他の人たちの名前をちらりと聞いたことすらない。いったい、どこでこういう本や書き手を見つけるんだろう。いや、もちろん、あたしなんぞとは次元が違うほど遙かに広く目配りはしてるんだろうけどさ。

 で、そのヴァンダミアが薦める The Traitor by Michael Cisco を注文。


 

 この本についてのヴァンダミアのブログ

 この人は一応ホラー中心に書いてるらしい。


 散歩の供はShow Of Hands, 24 MARCH 1996: Live at the Royal Albert Hall。

Live at the Royal Albert Hall
Show of Hands
Imports
2014-01-21


 あらためて聴くとシンガーとしてのナイトリィの良さが印象的。曲としてそれほどではないものでも、歌唱で聴かせてしまう。この頃のライヴではやはりかれのヴォーカルが人気を培っていったのだろう。これを小さな会場で聴けば圧倒的ではなかったか。もちろんそれを活かし、刺激を与えていったのはビアだったわけだが、本人の精進も相当なものだったはず。

 録音がすばらしい。ということは会場の音響も良かったにちがいない。

 Galway Farmer は Skewball のヴァリエーションで、わが走れコータローのいとこでもあるが、このストーリーはやはりウケる。

 女性シンガー、すばらしい、誰だっけ、と帰ってから見ると Sally Barker だった。そういえば、最新作を買うのを忘れてた。 

 それにしても四半世紀経ってしまった。(ゆ)

4月15日・木

 締切が迫ってきたので、以前書いておいたものを元にして、ビショップの訳者あとがきを作ってみる。400字詰30枚になる。長すぎるかなあ。訳註の部類も含めたこともあるんだが。良い悪い、好き嫌いの評価は最低でも二度読んでからにしてくれ、と書いてみたが、これもどうだろう。この二つは本来まったく別の尺度なので、あんたは嫌いかもしれないが傑作というのもあれば、ダメダメだけれど好きでたまりません、というのもある。オレが好きなものは全部大傑作で、嫌いなものは駄作だというのは、あまりにひとりよがりに思い上がった傲慢だろう。文学は、いや、文学だけでなく、音楽、美術、パフォーマンス、どんなものでも、どんな個人よりも、人間よりも遙かに大きなものなのだ。もっとも、好き嫌いと良し悪しを混同していることをそもそも自覚していないのか。

[いつか、ツイッターで受けた質問で、イェイツから引用した原題は「無敵」か「他に強敵がいる」のどちらと思うかとあったけど、視点の置き方でどちらともとれる、と思います。]


 In Nearly Every House: Irish Traditional Musicians of North Connacht 着。

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 107人の老若男女のミュージシャンの写真と文章によるポートレイト。コノート北部、とのことだが、メイヨー、スライゴー、ロスコモン、リートリム中心で、ゴールウェイも一部含む。この地域出身でイングランドやアメリカにいる人も数人いる。Catherine McEvoy や Carmel Gunning、Harry Bradshaw、Shane Malchrone のような名の通っている人も何人かいるが、ほとんどは、市井の、無名の人たちだ。こういう人たちがアイリッシュ・ミュージックを支えている。アイリッシュ・ミュージックの「現場」を作っている人たちは、年齡性別職業に関係なく、皆いい顔をしている。音楽は人を磨く。むろん、皆が皆「いい人」のはずはないが。

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 文章を書いている Gregory Daly は1952年、ドニゴール南端出身で自身フルートを吹く。リートリム/スライゴーの伝統に連なると自覚しているそうだ。Coleman Music Center のために映画やCDを製作している。写真の James Fraher は1949年シカゴ生まれ。祖先はアイルランドからの移民。もともとはブルーズに惚れこみ、その関連の写真からキャリアを始めている。自分でも歌ったり、作ったりするようだ。アイルランドでの写真の仕事も多い。

 クラン・コラの原稿のために Fine Horseman の手許の音源を聴く。いや、もうどれもこれも名演名唱の連続。名曲は名演を生むが、ここまでレヴェルの高い演奏ばかりを生むのは滅多に無いよなあ。(ゆ)

4月8日・木
 「感性を刺激する音」とか「憧れのマークレビンソン」とか、PhileWeb の記事のタイトルに笑ってしまう。いやしくもオーディオ市場に出ている製品の音で「感性を刺激」しない音はあるのか。今のマークレビンソンが、かつて憧れの的だった「あの」マーク・レヴィンソンとその製品とは縁もゆかりもないことは、オーディオファイルなら常識ではないか。要するに語彙の貧困。書き手は文章についてのインプットが不足している。つまり本を読んでいない。ああ、しかし、人のフリ見て我がフリ直せ。もっと本を読みたい。

 THX Onyx。今どき USB B のコネクタってどうなのよ、と思いながらも M11Pro で THX AAA の実力を日々思い知らされている身としては、気にならなくもない。しかあし、その M11Pro があるからには、買う必要無し。と言い聞かせる。

 しかし M11Pro に続いて M15 も生産完了だそうだ。半導体の世界的不足のためらしい。M11Pro は大事に使わねば。 

 Le Guin, Annals Of The Western Shore, LOA着。LOA のル・グィン5冊め。LOA はやはりル・グィンを全部出すつもりらしい。今年は『アースシー』以外の残りの長篇かな。
 





 散歩の供は Paul Downes & Phil Beer, Life Ain’t Worth Living The Old Fashioned Way。1973年の2人名義のファースト。2人それぞれにとってもレコード・デビューらしい。デュオとして3枚あるうちこれのみ2016年に Talking Elephant から CD化されていた。アナログではこれのみ手に入らなかった。他の2枚もぜひデジタル化してほしいものだ。アナログでの記憶は後の2枚もすぐれもので、とりわけ2枚組ライヴ盤は傑作だった。

 
Life Ain't Worth Living in the
Paul Downs & Phil Beer
Imports
2016-12-16


 二十歳のビアがやせている! もっとも細く見える角度から撮ったか。ビアとダウンズが1曲ずつ書いている他は伝統歌。どれも有名どころではあるが、どれもなかなかに聴かせる。ビアの声が若い。ダウンズはほとんど変わらない。ダウンズの声は太く低いバリトン、ビアの声は表面柔かいが時々シャープにもなるテナー。ビアは楽器の腕はすでに一級。やはり天才だ。ビアはここでもショウ・オヴ・ハンズと同様の立ち位置。というより、ショウ・オヴ・ハンズはダウンズがナイトリィに替わっただけ、と言えないこともない。といってダウンズがシンガーとしてナイトリィに劣るわけでもない。ソングライターとしてはナイトリィの方に分がある。セカンドではなんとナイトリィの曲を数曲とりあげていた。ここに1曲入っているダウンズの曲は結構面白いが、書くのは好きではないのか。違いがあるとすればそこだろうか。ライヴを聴くかぎりは、この2人でずっとやってもよかったのではないかと思えた。

 これはどうやらLPからの起こしらしい。ぷちぷちと針音がするところがある。散歩しながらの時はわからなかったが、M11Pro > 428 > T3-01 で聴くと明らか。もっとも全体の音は良い。元の録音が優秀なのだろう。しかし、となると、他の2枚もマスターテープ紛失か。(ゆ)
 

4月6日・火

 八重桜が満開。温水のヨークマートの前にあった八重桜は背後の斜面に移したのだろうか。屋上の駐車場から見ると正面に間隔をおいて4本ほど並ぶ。その奥、上の道路脇に、こちらは前からある木だろう、もう3、4本ある。どれも満開。ヨークマート隣の SEL研究所のグラウンドの落合医院側の角に5、6本並んでいて、これも満開。梨畑で花が満開。あちこち藤も開きだした。こでまりも満開。

IMG_2313



 SFWA からニュースレター購読者対象無料本プレゼントの当選通知。二度目。Julia C. Czerneda の新作も面白そうだが、ハードカヴァーだそうで、もう片方の電子版にする。Susan Kaye Quinn の新シリーズの1作め。この人はロマンス風 YA の作家らしい。

 Julie E. Czerneda の SFシリーズ The Clan Chronicles の最初の3冊を Book Depository に注文。この3冊は Stratification 三部作で、書かれた順番としては後になるが、話の時間軸では最も早い。チャーネイダは同い年の同じ牡羊座。とすれば、読まないわけにはいかない。今一番好きな Michelle West とは同じカナダ出身、同じ DAW Books から本を出している仲間でもある。ますます、読まないわけにはいかない。この The Clan Chronicles のシリーズは三部作が3本からなる。他にアンソロジーが1冊。同じ宇宙の別の系統の話 Esen のシリーズが三部作が今のところ2本。2本めの第三部がもうすぐ出る。プレゼント対象はこのもうすぐ出る本。

 この人のファンタジィのシリーズ1作め A Turn Of Light, 2013のために作ったという舞台になる村の3D模型の製作過程の写真が公式サイトにある。これでもメシが食えるほどの水準。
 
 
 散歩のお供は Show Of Hands, Dark Fields。冒頭 Cousin Jack から Longdog への流れ、Crazy Boy、The Bristol Slaver と名曲が揃う。Flora のタイトルがつけられた Lily of the West、ニック・ジョーンズ編曲とクレジットされた The Warlike Lads of Russia、そして High Germany の伝統歌も名演。High Germany はライヴ録音で、ゲスト・シンガーはケイト・ラスビー。まだそれほど売れない頃だが、もう自意識目一杯の歌唱。ではあるが、ナイトリィのくだけたヴォーカルと並ぶとその固苦しいところがいいバランスになり、ビアのギター、クリス・ウッドのフィドル、アンディ・カッティングのアコーディオンもすばらしく、この歌のベスト・ヴァージョンの一つ。今回聴き直して最大の収獲。それにしてもこれはいいアルバムだ。Cousin Jack では珍しくピアノが活躍する。他にも案外ゲストは多彩にもかかわらず、実質2人だけの音作りなのも、全体を引き締めている。Lie Of The Land、ロイヤル・アルバート・ホールのライヴ、そしてこの Dark Fields と聴いて、こいつらはずっと追いかけるぞと、決意したはずだ。本国での人気もこのあたりで決定的になったと記憶する。ファンのネットワークも Longdog と呼ばれていた。Show Of Hands は何から聴けばいいかと問われれば、やはりこれにまず指を折る。

Dark Fields
Show of Hands
Twah!
1999-10-26



 夜、M11Pro > 428 > HE400i で酒井さんのソロと田辺商店《Get On A Swing》を聴く。HE400i の良さを改めて認識。ヘッドバンドとイヤパッドを替えたのも良いのだろう。

  ハーディングフェーレは一つひとつの音を共鳴弦の響きが美しい。響きの量は Ether C Flow 1.1 の方が多いが、美しさはこちらの方が上かもしれない。共鳴弦の響きに耳が行く。Ether C Flow 1.1 の音は豊饒。こちらは細身。あちらが壮麗ならこちらは流麗。

vetla jento mi 〜ハーディングフェーレ伝統曲集〜
酒井 絵美
ロイシンダフプロダクション
2020-12-27



 《Get On A Swing》はこれで聴くとかなり良い。もう少しチェロとギターのからみ合いを聴いてみたい気もするが、それぞれのソロをしっかり支えるというコンセプトなのだろう。チェロのベースはドーナルのバゥロンのベースにもにて、なかなか腰がある。コントラバスのように大きく響かないのが、かえってビートを効かせる。それに HE400i では音の芯が太くなる。これも使用150時間を超えてきたからでもあろう。やはりこれくらいは鳴らしこまないと、本当の実力はわからない。

GET ON A SWING
田辺商店
F THE MUSIC
2014-12-03



 これを聴いていて、HE400i に使っている onso のヘッドフォン・ケーブルから、公式サイトを覗いてみると、イヤフォン・ケーブルの新作 06 シリーズが出ていた。ヘッドフォン・ケーブルは HD414 用も使っていて、気に入っているから、イヤフォンもひとつ買ってみるか。(ゆ)

4月1日
 ITMA で紹介されていた In Nearly Every House: Irish Traditional Musicians of North Connacht by Gregory Daly を AbeBooks で注文。ITMA で買うと送料が高い。本の値段の半分。

 アルテスパブリッシングのニュースレターで濱田慈郎氏が03-21、平野甲賀氏が03-22に亡くなったのを知る。『フラメンコの歴史』は凄かった。平野氏が病気の間、晶文社のデザインをやっていた日下潤一さんはお元気だろうか。

 染井吉野が終って、次は八重桜だが、これももう咲きはじめている。田圃の中の畑に植えてある樹は満開になっていたが、ほとんどはまだまだぽつりぽつり。温水のヨークマートの前には八重桜の見事な並木があったが、店を造った後で大半を伐ってしまって、今は3本だけ残っている。1本は咲きはじめ、他の2本はまだまだ。ただし、そのヨークマートの裏側の斜面、雑木林の道路沿いに八重桜が10本ほど点々とならんでいて、これから咲こうとしている。ちょっと愉しみ。ウチの団地内の街路樹の根元の躑躅もどんどん咲いてきた。里山の欅、櫟などの落葉樹の若芽がずいぶん伸びている。これから連休までがいい季節。薄曇の空の下、いい音楽を聴きながら田圃の中の道を歩いていると、わけもなく笑ってしまう。

 散歩の供は Granny's Attic, Wheels Of The World。ファーストから3年ぶりのセカンド。まず耳につくのは Cohen Braithwaite-Kilcoyne のシンガーとしての成長。ファーストではまだその特徴的な声に頼るところがあって、もう一人のリード・シンガー George Sansom に一歩を讓るところがあったけれど、1枚も2枚も剥けて、ゆったりした曲をじっくりと聞かせられるうたい手になっている。サンソムも負けてはおらず、この2人が各々リードをとる Banks of Green Willow と Gilderoy がまずもってハイライト。イングランドの伝統歌の真髄をたっぷりと味わう。ラストの、サンソムがギターを弾かず、コンサティーナとフィドルだけをバックに歌う Our Captain Cried All Hands も見事。フィドルの Lewis Wood のペンになるダンス・チューンも相変わらずすばらしい。どうして、こんなに伝統的な曲が書けるのかと愚かなことを思わず考えてしまうほどだ。このトリオはイングランドの若手バンドとしては筆頭ではないか。コーエンとサンソムは Jack Rutter と並ぶシンガーの逸材だ。

Wheels Of The World
Granny's Attic
Grimdon Records
2019-09-13



 アマゾンで注文した本の未着につき確認すると、返金不可。評価を見ると他にも未着で対応もだめ。星一つの評価にする。そうしたら、あわてた様子で連絡が来て、返金するから、悪評価を消してくれ。返金したから誠意あるとして、評価は削除する。アマゾンで未着はこれで3冊目でインドの本屋が二つに、もう一つはニュージャージー在だがインド人。「#帝国の本」という名称のこの業者は悪質らしく、返金にも応じなかった。インドの本屋は安いのだが、本が届かないことが3回続いたから、避けるようにしよう。

 ファンケルの尿酸サポートは尿酸値7.0未満の人間のためのもので、7以上は医師に相談しろ。他の尿酸値対策サプリもみな同じ。ネットで検索すると、牛乳はじめ乳製品は尿酸を排出する。牛乳なら1日1杯。水を飲め。スイーツも控えろ。一般的な尿酸値対策は役に立たない。酒は飲まない。肥満ではない。プリン体の多いものも食べていない。それで7.5あるのだから、どうしろというのだ。医者は体質だという。

 オクタヴィア・E・バトラーの快進撃が止まらない。Locus 最新号によるとまず the National Women's Hall of Fame (NWHF) の今年の殿堂入りの一人に指名された。10-02に式がある。同時に指名された人の中には NASA の数学者だった Katherine Johnson もいる。

 もう一つは先月18日に着陸した NASA の火星探査機 Perserance の着陸地点がバトラーと命名された。作家のバトラーはまさに persevere することで作家としての地位を確立していったわけだから、ふさわしいとは言えるが、近年の黒人、女性などマイノリティの人びとの地位向上の流れの一環でもあるだろう。今年の SFWA グランド・マスターにN・K・ジェミシンが指名されたのもその流れの一つでもあるが、ジェミシンにとってもバトラーはロール・モデルだった。というよりも、アフリカ系女性作家全員にとってバトラーは希望の星だったようだ。確か小惑星の一つにも彼女の名前が付けられていたはずだ。

 こうした顕彰が売行につながればいいんだが。まあ、あたしとしてはとにかく今やっている The Parable Of The Sower、The Parable Of The Talents 二部作の翻訳をできるかぎり良いものにするよう努力するしかない。

 それにしても、生きている間は知る人ぞ知る存在だったわけで、この状況を本人が知ったら苦笑いするんじゃないか。The Talents でネビュラを受賞したとき、授賞式で、こういう立場にならないために作家になったと言った人ではある。(ゆ)

 JOM の記事 "'It's a macho scene': Irish Traditional Music Continues to 'privilege the contribution of men', says New Research"。パイパーの水上えり子さんも指摘していたが、女性差別は外国人に対してだけでなく、内部にすでにある。そりゃまあ、そうだ。ただ、外国人の場合、差別の度合いがさらにひどくなる。

 ここでは演奏家の話がメインのようだが、水上さんとのやりとりでは、楽器製作者、たとえばパイプ・メーカーに女性がいないことも話題になった。そういえば3、4年前だったか、ハープの製作を習いに渡愛するという女性を紹介されたことがあった。あの人はその後、どうしたろう。

 しかし、これは伝統音楽特有の性格というよりはアイルランドの伝統的な社会、価値観の問題だ。伝統音楽にはクラシックやジャズよりも立脚している社会の性格がより直接に出るから、社会の問題もモロに出る。クラシックやジャズにもある問題がより先鋭的に出る。これをきっかけとして、伝統音楽世界でのジェンダーの問題の改善を通して、アイルランド社会全体の問題の改善をはかることは一つの方策だが、最終的には社会そのもの、社会全体の話であるという認識も必要だろう。

 例によって女性や外国人の参加によって音楽伝統が「崩れる」という反論が出てくるだろうが、これもいつものことながら「崩れる」というのはどういうことか。よし、それで本当にアイリッシュ・ミュージックが消えるような伝統なら崩れるべし。社会の一部のみが「楽しめる」ような伝統、他の部分を差別、蔑視することが基本的性格の一部であるような伝統は、あるとしても過去のものだ。そして伝統とは古いものをそのまま残すのではなく、常に自らを刷新して生き延びてきたのだし、これから生き延びてゆくにもそれしかない。時代は変わっている。多様性を確保できない伝統は消える。

 確かにこれは「危機」の一つではある。こういう問題提起が出てくるのも、伝統音楽が盛んだからだ。誰も見向きもしないものなら、騒ぎはしない。アイリッシュ・ミュージックがかつてなく元気で健康で栄えているように見えるから、問題も大きくなる。そしてこの「危機」を乗りこえられなければ、つまり古いままのジェンダーをあくまでも引きずってゆくならば、伝統音楽は衰退する。

 一つ危惧するのは、わが国のアイリッシュ・ミュージック・シーンで、同じことが起きていないか、ということだ。国外出身者は地元アイルランド人以上に音楽伝統に忠実であろうとする傾向がある。その「音楽伝統」に古いジェンダー意識も含まれていないか。わが国の社会はまた、アイルランド以上に男尊女卑が強い。それが反映されていないか。プロやセミプロでやっている人たちでは、女性の存在感は大きいけれど。この傾向が続いて、ともすれば閉じこもろうとするわが国社会に蟻の一穴になることを願う。

 Nnedy Okorafor, Remote Control 着。

 散歩の供は Show Of Hands, Lie Of The Land。前作はドラムス、ベースも入って、バンド形式のサウンドだったが、これは打って変わって、ほとんど2人だけの印象。ラストの Exile のイントロとアウトロで遠くピアノが入るのが目立つくらい。このピアノは Matt Clifford。他に Nick Scott のイリン・パイプと Sarah Allen のホィッスルがクレジットされているが、気をつけていないとわからない。Nick Scott は Chris Sherburn & Denny Bartley とのライヴが1枚ある。

Lie of the Land
Show of Hands
Imports
2014-01-21

 

 ナイトリィのソング・ライティングが冴えわたり、ヴォーカルも絶好調、ビアのフィドルとマンドリン、ギターも隙がなく、これと次の Dark Fields はかれらの最初のピーク。Exile のスタジオ版、The Preacher、The Keeper など、レパートリィの根幹を成してゆく。冒頭 The Hunter も佳曲。ビアのマンドリンが強い印象を残す。次の Unlock Me のビアのフィドルもこの人ならでは。こういうダイナミックな歌伴のフィドルはスウォブリックと肩を並べる。

 それにしても Exile は名曲だ。


 染井吉野がなかなか散らない。散りはじめてはいるが、花が保っている。夜は散らない。このあたり、どこの樹も同じ。

 ぬるみず幼稚園先の一軒家に燕がもどってきていた。

Granny's Attic, Off The Land, 2016
 すばらしい。3人とも歌えて、コーラスもばっちりだが、コーエン・ブライスウェイト=キルコインとジョージ・サンソムの二人が交互にリード・ヴォーカルをとる。歌によっては一連ごとに交替する。どちらも一級のうたい手。イングランドのうたを堪能する。コーエンの声はちょっと癖があり、好みが別れるかもしれない。どちらかというとソロの方がよく響くか。この人、名前は立派なアイリッシュだが、やっている音楽はばりばりのイングリッシュ。最近のイングリッシュ・バンドらしく、ダンス・チューンもいい。どれもフィドルのルイス・ウッドのオリジナルというのはちょっと驚く。伝統にのっとった佳曲揃い。このフィドルが引っぱり、メロディオンが合わせ、ギターがドライブする。よくスイングする。このあたりはやはりアイリッシュやスコティッシュの影響だろう。

 これはセカンドになるようだ。ファーストは自主リリースで、公式サイトにも無い。

Cohen Braithwaite-Kilcoyne: vocals, melodeon, anglo concertina
George Sansom: vocals, guitar
Lewis Wood: fiddle, mandolin, vocals

Tracks
01. Away To The South'ard
02a. Lacy House {Lewis Wood}
02b. Right Under The Bridge {Lewis Wood}
03. False Lady
04. Horkstow Grange
05. The Death Of Nelson
06. Rod's
06a. Mr Adam's Scottische {Lewis Wood}
06b. Portswood Hornpipe {Lewis Wood}
06c. Steamkettle {Lewis Wood}
07. Poor Old Man
08. The Coalowner & The Pitman's Wife
09. After The Floods {Lewis Wood}
10. Country Hirings
11. Two Brothers {Trad. & Lewis Wood}

All songs trad. except otherwise noted.

Produced by Doug Bailey
Recorded by Doug Bailey @ WildGoose Studio, 2015-12/2016-01

Off the Land
Granny's Attic
Imports
2016-09-02



 Samuel R. Delany, Letters From Amherst 読了。実に面白い。補遺は娘アイヴァ・ハッカー=ディレーニィへの10通の手紙。1984年から1988年までの、夏のキャンプに行っているアイヴァ宛のもの。すべて7月ないし8月。やはり日常の細かいことを書きおくる。アイヴァはこの時10歳から14歳までだが、文章は多少やさしくしてはあるものの、内容は本篇の大人向けのものとほとんど同じ。この手紙の時期は本篇に先立つもので、あるいはむしろこちらがマクラとして読まれるべきものかもしれない。

Letters from Amherst: Five Narrative Letters (English Edition)
Delany, Samuel R.
Wesleyan University Press
2019-04-17



 とりわけ面白いのはまず1986-07-20付。この時、ディレーニィはデヴィッド・ハートウェルに頼まれたか雇われたかして、Arbor House のオフィスで週3日原稿やゲラを読む仕事をしている。同じオフィスで働いている人びとの描写に、例によって大笑いする。こういうのが見えてしまうと書かずにいられないということか。同じことを当時同棲していたフランクにすでに話しているその上でアイヴァに書きおくっている。

 この手紙にはタイプ原稿が2種類添えられている。一方は最初の草稿でシングル・スペースでびっしりと打たれ、もう一つはダブル・スペースつまり一行アケで打ちなおしている。そしてどうやら実際に送ったのは二番目のものをさらに打ちなおしたものらしい。本篇の長い手紙も同様のプロセスを経ているのか。それともこれは娘への特別サーヴィスか。

 ディレーニィはまた見た映画についてもよく書いている。『エイリアン2』は封切と同時に見たが、その後、一緒に見に行こうと誘われて都合4回見た。幸い、面白いから助かっているという。とりわけ『バベットの晩餐会』には強い感銘を受けたらしく、内容を詳しくアイヴァに書いている。こうしてディレーニィが語るのを読むと、この話は映画で見るのが効果的にも思える。もっともディネーセンの小説はどれも映画になりそうだが。

 クラリオンやハートウェルがハーヴァードでやっているサイエンス・フィクション作家養成講座への参加についての記述も面白い。後者の生徒の一人に、テキサス出身の若い男がいて、スティーヴン・ドナルドソン、ジョン・ノーマン、ドリー・プレスコットの本しか読んだことがない。ハインラインやスタージョンの名前すら知らなかった。この講座へ来て、自分が読んできたものがひどいものだとみんなから散々言われている。ここで学ぶことで、これまで楽しんできたものが読めなくなるんじゃないかと思うと言う。ディレーニィはこれに対して、そうではない、学ぶことはこれまで楽しんできたことを楽しまなくなるためのものではない、と諭す。そうした本を楽しむことになにも問題はない。学ぶことでもっといろいろな本を楽しめるようになるのだ。

 これを敷衍すれば、これまで読んできたものの別の楽しみ方を発見できるかもしれない。

 あたしに言わせれば、ひどい本も読む必要はある。傑作ばかり読んでいては見えないこともあるのだ。ディレーニィだって、シモンズの『ハイペリオン』をひどいものだと言いながら、読んでいる。

 ディレーニィは若い頃から自分がゲイであることを自覚していて、マリリン・ハッカーとの結婚は「実験」だったらしい。しかし、この娘を持ったことはディレーニィにとっては非常に大きなプラスになっている。ここに収められた手紙にも、娘がいることの幸福感があふれている。

 この時期の最後、1980年代末にはディレーニィはすでにワープロを使っている。まだワープロをタイプ代わりに使っているわけで、だから手紙の形で残っているわけだし、こうして本にもなる。メールでもこういう長いものを書いているのか。それは本になって出ることがあるのだろうか。それとも、単純にまとめられて電子版で出るのだろうか。これはディレーニィだけでなく、20世紀末からの、メールがデフォルトの通信手段になって以降につきまとう問題ではある。SNS などでの発言はどうだろう。たとえば死後、Facebook の書き込みなどが一般公開されることになるのだろうか。ディレーニィの原稿などの文書類はボストン大学図書館が収集しているが、そこではネット上のテキストも集めているのだろうか。そういう心配をするのも、あまりにこれが面白いので、ぜひ他の時期、60年代、70年代、90年代残りから今世紀のものも読ませてほしいからだ。日記は出はじめたが、書簡集はどうだろう。できれば、誰か、たとえばハッカーやハートウェル、バトラーなどとの往復書簡も読みたいものだ。


 春だ。花が咲き、木の芽が萌えでている。このやわらかい黄緑がなんとも言えない。

 Show Of Hands, Beat About The Bush。公式サイトでは初のスタジオ盤とされている。本人たちの意識の中でもCDで出すのはカセットとはレベルが違うのだろう。前作のライヴから2年。満を持してもいる。それにしてはジャケットで顔を隠すのはどうなのだろうか。しかし、こうして見ると、フィル・ビアは昔から丸い。Where We Are Bound のジャケットなど、最近太ったなあと思ったのだが、そう言えば昔から太っていたので、その後特に肥えたわけではなさそうだ。

Beat About the Bush
Show of Hands
Imports
2014-01-21

 

 内容としては確かに文句のつけようもない。四半世紀前の録音だが、時の試練に耐えて、今聴いてもみずみずしい。その後定番のレパートリィになる The Galway Farmer(この farmer は網野善彦のいう「百姓」がぴったり) と Blue Cockade はやはり鮮かなデビューだし、ロックンロールの Cars には笑ってしまう。Armadas で無敵艦隊、フォークランド/マルビナス戦争の UK、アルゼンチン両軍をならべて歌うのは、フォーク・シンガーとしてのしたたかさだ。ナイトリィのオリジナルとビアの歌う伝統歌を重ねることもすでにやっている。The Oak は遥か後年のヒット曲 The Roots の原型と言ってもいい。どこか無気味で、しかもシビアなユーモアも秘めていそうな Shadows in the Dark や Day Has Come は、宝石の原石にも見える。

 ピート・ゾーンのサックスのジャズ風味、Biddy Blythe のハープのたおやかな味わいと、いろいろと試してもいる。Blythe は The Galway Farmer で達者なフルートとホィッスルも聞かせる。このホィッスルはパイプの Stefan Hannigan かと思ったら違っていた。ハニガンはここではバゥロンを叩いて、馬の駆ける様を出している。Nick France という人は他では知らないが、シャープなドラミングで全体を浮上させる。こういう音を出せるのはジャズの人かもしれない。ラルフ・マクテルの切りたった断崖のようなハーモニカはちょっと意外。

Steve Knightley: vocals, guitar, mandocello, cuatro
Phil Beer: vocals, guitar, Spanish guitar, mandocello, mandolin, fiddle, melodeon, viola, slide guitar

Pete Zorn: bass, alto & soprano saxophone
Nick France: drums, percussion, tea tray
Matt Clifford: piano
Biddy Blyth: harp, flute, whistle
Vladimir Vega: vocals, charango, zamponas
Ralph McTell: vocal, mouthharp
Mike Trim: vocals, percussion, bass
Stefan Hannigan: uillean pipes, bodhran

01. Beat About The Bush; 4:38
02. Class Of Seventy Three; 3:06
03. Armadas; 4:28
04a. Nine Hundred Miles
04b. Wayfaring Stranger {Trad.}; 4:16
05. Shadows In The Dark; 3:47
06. The Galway Farmer; 5:44
07. White Tribes {Matt Clifford}; 2:35
08. Day Has Come; 4:36
09. The Hook Of Love; 4:15
10. Cars; 3:51
11. Blue Cockade {Trad.}; 6:09
12a. Mr. Mays {Phil Beer}
12b. Gloucester Hornpipe {Trad.}; 4:05
13. The Oak; 3:05

All songs by Steve Knightley except otherwise noted.

Produced & mixed by Mike Trim @ Wytherston Studios

 ネビュラの最終候補が発表になる。長篇賞、最近おなじみの名前が並ぶなかで、Rebecca Roanhorse と C. L. Polk が目新しい。

 6本のうち Locus の SF 部門にタイトルが上がっていたのはマーサ・ウェルズだけで、モレノ=ガルシアが Horror。他の4本は Fantasy。

 全員女性は近年の傾向だが、それだけ SFWA の会員に女性が増えたのだろう。これもパラノーマル・ロマンス・ショックの一つか。

 ノヴェラ部門で
“Tower of Mud and Straw,” Yaroslav Barsukov (Metaphorosis) は Locus Recommended に無い。

 ノヴェレットのうち3篇
“Stepsister,” Leah Cypess (F&SF 5-6/20)
“Where You Linger,” Bonnie Jo Stufflebeam (Uncanny 1-2/20)
“Shadow Prisons,” Caroline M. Yoachim (serialized in the Dystopia Triptych series as “The Shadow Prison Experiment,” “Shadow Prisons of the Mind,” and “The Shadow Prisoner’s Dilemma,” Broad Reach Publishing + Adamant Press)
が Locus には無し。

 短篇では
“Advanced Word Problems in Portal Math,” Aimee Picchi (Daily Science Fiction 1/3/20)
が無し。

 アンドレ・ノートン賞では5本のうち
Raybearer, Jordan Ifueko (Amulet)
A Game of Fox & Squirrels, Jenn Reese (Holt)
が無し。

 もっとも Locus の Young Adult のリストにあるのは
A Wizard’s Guide to Defensive Baking, T. Kingfisher (Argyll)
だけで、
Elatsoe, Darcie Little Badger (Levine Querido)
Star Daughter, Shveta Thakrar (HarperTeen)
は First Novel に入っている。

 今気がついたが、ネビュラにはノンフィクション部門が無い。「作家」が対象で、学者は入らない、ということか。

 Samuel R. Delany, The Motion of Light in Water 着。この本、ヒューゴーを獲っていたのだった。扉前の写真のギターを抱えた18歳のディレーニィのシャープなこと。この人、ぎっちょらしい。写真が左右反転でなければ。とすると、ジミヘンと同じ。ひょっとすると、フォーク界のジミヘンになっていたのかも。ミュージシャンから作家へ転身したのはシェパードも同じ。先日亡くなった Kathleen Ann Goonan のナノテク・カルテットは音楽がモチーフだが、彼女自身はミュージシャンではたぶんなかっただろう。


 散歩の供は The John Renbourn Group, A Maid In Bremen。1978-02-14 ブレーメンでのライヴ。ラジオ放送用に録音されたものらしい。コンサートをまるまる録っている。ファーストとセカンドの間でスー・ドラハイムが抜けて、チェロの Sandy Spencer が入っている。このチェロが効いている。このメンバーでの録音のリリースは初めてだろうか。

A Maid in Bremen -Digi-
Renbourn, John -Group-
Mig
2021-02-26



 レンボーンがこのグループをやったのは、ひとつには自分ももっと歌いたかったからではないかとも思う。しかし、ジャッキ・マクシーがいる以上、聴く方としてはそれを期待するので、レンボーンの声が出てくるとずっこける。別に悪いわけじゃあ全然ないんだが、シンガーとしての格が違いすぎる。本人の意識としてはともかく、レンボーンはギターに手足がついた人なので、シンガーとしてはどうしてもB級になる。

 バンドとしての演奏はすばらしい。とりわけトニィ・ロバーツのフルートがライヴで活き活きと躍動するのは楽しい。ケシャヴ・サテのタブラがもう一つなのは、これもやむをえないか。時代の制約かもしれない。今ならもっと質の良いパーカッショニストがいくらでもいるはずだ。あの頃、この手の打楽器奏者でこういうアンサンブルに入ってみようという人は見つけるのが難しかっただろう。結局レンボーンはアンサンブルを諦めてソロに行ってしまう。それはそれで文句のつけようもないけれど、こういう録音を聴くと、もっと後であらためて試みてほしかったとも思う。

 一方で、そのタブラも含めて、この音楽はやはり貴重だ。宙ぶらりんのところがいい。ベンタングルよりもざっくばらんで、メンバーが各々に自分の演奏、アンサンブルとしての演奏を愉しんでいる。あの時代にしか生まれなかったというところもよくわかる。

 リスニング・ギアはサンシャインのディーレン・ミニを貼りつけた KOSS KSC75 と FiiO M11Pro。(ゆ)

 T. R. Napper, Neon Leviathan、Samuel R. Delany, A, B, C: Three Short Novels、Siobhan Miller の CD3枚着。

 ディレーニィの Letters From Amherst を我慢できずに読みだす。最初に収録されている1本。1989年2月21日付け。これがもうとんでもなく面白い。序文でナロ・ホプキンソンが、初めてディレーニィ本人に会った時、あの長く、複雑で、恐しいまでの博識に支えられた文章と同じようにしゃべるのではないかと恐れていたが、実際にはごく普通に、わかりやすくしゃべるのでほっとした、と書いているように、書簡では直截的、簡明な文章を書いている。それにしても、よくもまあこれだけ細々と日常生活を手紙に書くものだ。ディレーニィの書簡集が出るのはこれで2冊めだが、書簡と日記だけで生涯に起きていることはほぼカヴァーできるのではないかと思えるほどだ。性生活についてもあっけらかんと書いていて、あまりにあたり前に書いているので、うっかり読みとばして、ん、まてよ、今のはひょっとして、と戻ったりもする。あるいはディレーニィにとっては、書くこと、食べること、おしゃべりすることとセックスすることはまったく同等のことなのかもしれない。もっとも、セックスを特別視する方がヘンだとも言える。

Letters from Amherst: Five Narrative Letters (English Edition)
Delany, Samuel R.
Wesleyan University Press
2019-06-04


 この手紙のメイン・イベントの一つはジュディス・メリルが避寒にカリブ海に行く途中でニューヨークのディレーニィのアパートに数日滞在した話だ。ちょうど彼女の67歳の誕生日で、その日の昼食はトーマス・ディッシュととる約束で出かけてゆく、その直後にディレーニィのもとにメリルの孫から電話が入る。曾孫が生まれたのだ。メリルがニューヨークに滞在したのは、そのためもあった。この孫の母親はメリルがフレデリック・ポールとの間にもうけた娘。その昔、ポールを振ったメリルがウォルター・M・ミラーとフロリダに潜んでいるところへポールが3歳の娘を連れて乗りこんでくる。たちまち大立ち回りとなり、ポールの眼鏡がふっ飛んで粉々になる。眼鏡なしでは盲同然のポールが床を手探りしながら這いまわっているところへ、その眼鏡の破片を集めて「はい、パパ、ここにあるよ」と差し出したのがその娘。それが成長して今やお祖母さんになったわけだ。写真で見ると若い頃のメリルは目のさめるような美人だから、当時の若い男性作家たちがとりあって殴り合いの喧嘩をしたのも無理はないかもしれない。

 この話には後日譚があって、この娘の親権をめぐってポールとメリルは裁判沙汰になり、結局メリルは負けるのだが、その裁判がキングスリー・エイミスの『地獄の新地図』に深刻な影を落としている、というのにも大笑いする。もっとも、ポールとメリルは離婚後も仲は良く、ディレーニィはマリリン・ハッカーとの距離を顧て、うらやましそうでもある。

 メリルはなにせ The Futurians のメンバーだったわけで、ここにもその一端は記されているが、その頃の話にも滅法面白いものがごろごろある。デヴィッド・ハートウェルがメリルに自伝を書かせようとし、本人もまんざらではなさそうだったことも出てくる。書いたけど、出せなかったのか、ついに書かれなかったのか、たぶん、後者だろうが、返す返すも惜しい。

 この調子であと4本、1本は平均して25ページはある。ノヴェレットの長さだ。もちろん、こういうゴシップばかりではなく、チケットをプレゼントされて娘のアイヴァとブロードウェイに見に行ったロイド=ウェバーのミュージカル『オペラ座の怪人』とその原作についての痛烈な批判もある。それはもう相手がかわいそうになるくらい痛烈だが、受けとる印象は不思議に肯定的で、読んでいて不快になるどころか、さわやかな気分になる。ひょっとするとこの辺りがディレーニィが愛されるポイントなのか。

 有名な「人種差別とサイエンス・フィクション」でも、言っていることは深刻で重大で衝撃的でもあるが、全体の印象は不思議に明るい。あそこに出てくる、ディレーニィがネビュラを二つ同時に受賞した時に、そのレセプションの挨拶で受賞作を含めて「最近の若い書き手とその作品」を散々にこきおろしたSF界の著名人はフレドリック・ポールというのが、The Atheist In The Attic Plus…所収のインタヴューで明かされている。このインタヴューによると、ポールはレスター・デル・リィの意見をもとにこのスピーチをしたのだが、自分ではまだ問題の作品『アインシュタイン交点』を読んではいなかった。後日、自分でも読んでみたところ、大いに気に入ってしまった。以後、ディレーニィの最も強固な支持者の一人となった。実際 Dhalgren は Bantam Books の Frederik Pohl Selection の1冊めとしてペーパーバック・オリジナルで世に出る。ちなみにこの Frederik Pohl Selection の2冊めは Sterling E. Lanier の隠れた傑作 Hiero's Journey。
 まあ、手紙だから、あまり相手に不快な思いをさせないようにという配慮もあるかもしれないが、一方、手紙というのは地が出るものでもある。それにしても、こんな面白い手紙ばかり、というわけではまさかないよなあ。


 風が冷たく、散歩で風邪をひきそうになる。お伴は Show Of Hands, Live, 1992。1992-06-08 の Bridport は The Bull Hotel でのライヴ。Bridport はイングランド南岸、ドーセットの港町で、ドーチェスターとシドマスのほぼ中間。ショウ・オヴ・ハンズがローカルからイングランド全土に知られはじめていた、バンドとして最初の飛躍の時期だろう。初めてのCDリリースで、あたしもこれで知った、と言いたいところなのだが、記録によるとこれを手に入れたのは1996年。1996-03-24 のロイヤル・アルバート・ホールでのライヴを収録したアルバムが出たのを The Living Tradition で知り、そのCDをあの雑誌のCDショップ The Listening Post で買ったのがどうやら最初らしい。そこから Lie Of The Land、Beat About The Bush、Backlog 1987-1991、そしてこの Live と遡っていったようだ。

Live 92
Show of Hands
Imports
2014-01-21


 上記ロイヤル・アルバート・ホールのコンサートは「無謀」と言われながら、いわば乾坤一擲の賭けに出て、ものの見事に完売御礼、CDでもその実力のほどを十二分に発揮して、イングランドのルーツ系のトップ・アクトに躍りでた。

 だがそれはまだ4年先。とはいえ、この時点でショウ・オヴ・ハンズとしてのスタイルはほぼ確立している。伝統歌がまだ多く、オープニングの Silver Dagger や Bonnie Light Horseman、珍しくナイトリィがソロで歌う Low down in the Broome などハイライトだ。Blind Fiddler はフィル・ビアの十八番になる。一方でショウの根幹はオリジナルで、定番というよりかれらを代表する曲になる Exile や Santiago、あるいは  Man of War といった曲が強い印象を残す。セカンド・アルバムからの Six O'Clock Waltz がちょっと面白い曲で、この側面は聴き直しての発見。

 Exile では Polly Bolton がゲストで声を合わせていて、この曲を聴くのはこれが初めてだったから、さらに印象が強くなった。ボルトンを知ったのも、この録音がきっかけだったかもしれない。これはカセット時代のナイトリィのオリジナルでも断トツの曲、ショウ・オヴ・ハンズのレパートリィ全体でも一、二を争う、存在自体がほとんど奇蹟のような歌だ。Exile は一般的には「亡命者」と訳されるけれど、自分にはどうにもならない力で故郷から追われたすべての人間の謂だ。帰りたくても帰れない人びと。

 演奏でまず目立つのはナイトリィの声の若さで、ハリがあり、よく伸びる。さすがに今はここまでの伸びはないようだ。ショウ・オヴ・ハンズの成功の鍵の一つはナイトリィのヴォーカルにあることは確かで、ビアのフィドルやギターによってそれを盛りたてるのが基本的な構図。芯が太く、表面硬質だが中身は柔かく、わずかに甘い声で、突きはなすように歌うのが快感。ビアのちょっとひしゃげた、とぼけたところのある歌唱とは対照的でもある。

 地べたを這いまわり、泥の中でもがきつづけた末に、あるべき形、自分たちの「声」と技をベストに活かすフォームを探りあてた、いやまだ確信ではない、探りあてた手応えを感じているだけだ。その意味ではこれはまだ「若書き」であり、粗削りでもある。それが確信に昇華するのが1996年3月のロイヤル・アルバート・ホール公演だろう。とはいえ、この遙かに小さな会場でのアット・ホームなギグこそはかれらのホーム・グラウンドだ。後のビデオにあるように、ヴァンに楽器と機材とCDを積み、自ら運転して、友人たちの家に宿を求めながら、地道にこうした会場を回ることで、確固たるファン・ベースを築いていった、その出発点。やはりこれこそがショウ・オヴ・ハンズの本当の意味でのデビュー作であり、だからこそ、ここにはかれらの全てがある。

 リスニング・ギアは FiiO M11Pro にピチップを貼った KOSS KSC75。(ゆ)

 セント・パトリック・ディ。高橋創さんはダブリンにいた間、この日は終日家にこもっていたそうだが、気持ちはわかる。アイルランドの音楽は好きだが、こういうお祭りさわぎは好きになれない。

 Shanling M3X は WiFi を省略し、USB DAC 機能もはずし、2.5mmバランス・アウトを捨てて低価格にしたもの。MQA はフルデコードだが、これは ESS9219C の機能。ハードウェア・レンダラーになっている。この最新チップ採用で電力消費も抑え、バッテリーの保ちがよくなっているのもウリか。このチップを採用した初めての DAP のようだ。チップの発表は2019年11月。エントリー・モデルでは AirPlay 2 対応はまずないなあ。

 1500前に出て、公民館で本を受け取り、歩いて駅前。かかりつけクリニック。先週の検査の結果を聞く。肺は問題なし。中性脂肪と尿酸値が高いぞ、気をつけろ。

 借りてきたのは『ローベルト・ヴァルザー作品集第3巻』。『ヤーコプ・フォン・グンテン』と『フリッツ・コハーの作文集』収録。まずは刊行順にしたがい、後者から読みだす。ヴァルザーは近年ますます評価が高くて、New York Review Books が英訳をがんがん出している。なら、あらためて英語ででも読むべえかと思ったら、しっかり邦訳で作品集が5冊も出ていて、その他にも出ている。危惧したとおり、学者訳のところもままあるが、とりあえず邦訳で読んでみるべえ。

 
ローベルト・ヴァルザー作品集3: 長編小説と散文集
ローベルト・ヴァルザー
鳥影社
2013-05-31



 もう1冊は山城むつみ『ドストエフスキー』。どうもいよいよドストエフスキーを読むことになりそうな気分。呼ばれているような気分。

 夜、借りてきた『ドストエフスキー』序論を読む。ひじょうに面白い。まずドストエフスキーの「キャラクター」が個々の登場人物の属性として与えられているのではなく、登場人物同士、あるいはその人物と世界との関係に生成される、という指摘。そして自ら理想とする状態、関係が生まれることに賭けて小説を書いた、という指摘。これは当然、ドストエフスキーで終るわけではなく、その後の小説家たちが、少なくともその一部が、小説執筆のコアとしたことだ。たとえばディレーニィ、たとえばル・グィン、たとえばバトラー。というより、今の英語のサイエンス・フィクション、ファンタジィでのキャラクターの描き方の基本は属性よりも関係によるものじゃないか。

ドストエフスキー (講談社文芸文庫)
山城むつみ
講談社
2016-04-08



 この本は二葉亭四迷と内田魯庵、あるいはバフチンはじめ20世紀初めの批評家たちがドストエフスキーから受けた衝撃から説きおこすが、その同じ衝撃を山城も、その山城がちくま文庫版『ドストエフスキー覚書』の解説を書いた森有正も受けている。そういう衝撃、人生を変えるような衝撃を読書から受けたことがあるか、と考えこんでしまう。ヴァン・ヴォクトの『宇宙船ビーグル号』の衝撃はサイエンス・フィクションに回心したわけで、人生における決定的な衝撃ではあるが、では、あの本ないしヴァン・ヴォクトについて1冊本を書こうという気が起きるか、となると、うーん、唸ってしまう。しかし、今、あたしが読んでドストエフスキーからそういう衝撃を受けられるか。それよりはディレーニィではないかとも思う。両方読みゃあいいわけだが、残り少ない人生、優先順位は考えねばならない。


 その Samuel R. Delany, Letters From Amherst 着。扉に娘の Iva の写真があって、高校卒業時のものの由だが、かなりの美人。母親のマリリン・ハッカーの顔はしらないが、やはり美人なのだろう。巻末に補遺としてそのアイヴァへの手紙が数通、収められ、そのうち2通のタイプされた現物そのままのコピーもある。ディレーニィは手書きではなく、タイプしているらしい。

Letters from Amherst: Five Narrative Letters (English Edition)
Delany, Samuel R.
Wesleyan University Press
2019-06-04


 ナロ・ホプキンソンの序文はなかなかいい。1960年生まれ。昨年還暦。ディレーニィはほぼリアルタイムだろう。この人はトロントに住んでいて、ジュディス・メリルがやっていた作家塾に参加していたそうな。そこへディレーニィが来て、メリルと対談し、サイン会をした。その時 Dhalgren の、もともと図書館からの回収本を買い、何度も読んでぼろぼろになったものを、ごめんなさいと言いながら差し出すと、ディレーニィは読んでくれたことが大事なのだ、と答えた。そうか、ぼろぼろになるまで読むのだ、あれを。

 N. K. ジェミシンが1972年生まれ。ンネディ・オコラフォーは1974年生まれ。ホプキンソンのデビューが1996年。オコラフォー、2000年。ジェミシン、2004年。ホプキンソンのデビューが36歳でやや遅い。


 駅前まで歩くお伴は Show of Hands《Backlog 1987-1991》。

Backlog 1987-1991
Hands On Music
1999-01-01


 
 ショウ・オヴ・ハンズは1987年2月にデュオとして最初のギグを行う。ファースト・アルバム Show Of Hands はその直前に録音し、カセットのみでリリースした。会場で売るためだ。2年後の1989年末にセカンド Tall Ships を録音して翌1990年初めにリリース。1991年にフルタイムのデュオとして活動を開始し、サード Out For The Court をリリースする。ここまではいずれもカセットのみで、ライヴ会場で手売りされた。当時はインターネットも無く、販売ルートはきわめて限られていた。レコードの国際的流通網にカセットはほとんど乗らない。ごく稀に気合いの入った業者がミュージシャンと直接連絡をとって入れることがあったぐらいだ。この3枚(3本?)のアルバムもその存在を知ったのはこのコンピレーションが出たことによる。

 このアルバムはその3枚計36トラックから15のトラックを選んで1995年にリリースされた。内訳はファーストから6、セカンドから3、サードから6。スティーヴ・ナイトリィによるライナーによれば、1992年の Live に収めたものは省いたそうで、そちらにはファーストとセカンドから5トラックが入っている。それ以外は楽曲、演奏面で時間の選別に耐えられなかったものということになる。

 二人ともこの時点で未経験な若者ではない。フィル・ビアは Paul Downes との Downes & Beer 以来のキャリアを持ち、一級のうたい手にして、およそ弦楽器全般についてのエキスパートであり、類稀なギターとフィドルの奏者として、デュオを組む前にはアルビオン・バンドのメンバーだったし、ストーンズの Steeler's Wheels にも貢献している。スティーヴ・ナイトリィもイングランドの West Country のアンダーグラウンド・ロック・シーンで名の知られたシンガーであり、教師として食べながら、音楽活動はやめていなかった。ソングライターとしての力量はこれ以後のショウ・オヴ・ハンズでの軌跡が証明してゆくことになる。いずれにしても、ミュージシャンの技量としてはどこからも文句の出ない水準にすでにある。

 カセット・リリースではあるけれど、録音の質は高い。CD化にあたって当然デジタル・マスタリングはしているはずだが、おそらく元の録音の質が高いと思われる。設備の整ったスタジオではなく、ビアの自宅などでの録音のようだが、良い録音は設備ではない、良い耳が肝心だということのすぐれた証明の一つだ。ビル・リーダーの自宅居間で録られたバート・ヤンシュのファーストと同じ。

 今、あらためて聴くと、かなりアメリカ寄り、あるいはポップス的、ポピュラー音楽の「主流」寄りの楽曲が多い。「ヒット狙い」のような曲もある。ビアももともとブルーズ大好き、アメリカン大好きなわけで、ここでもシャープなブルーズ・ギターを弾きまくる。聴く者の感性に鋭どい錐を突きこんでくるような、こういうギターはアメリカンのギタリストにはなかなか弾けないだろう。かれらは斧でざくざくと切りきざむ。

 面白いのは、ナイトリィの曲と歌は、キンクスやストーンズとは異なるのはもちろんだが、聴いていると、どこかグレイトフル・デッドのアコースティックでの演奏を聴いている気分になることだ。デッドの音楽にはアメリカン離れしたところがあって、イングランドやスコットランドの伝統音楽の影響というと強すぎる、根っこがつながっている感覚がある。ショウ・オヴ・ハンズの音楽が出発点において、デッドの音楽と根っこがつながっていると言うと言い過ぎだろうが、根っこをたどってゆくと、それほどかけ離れたところに辿りつくわけではないと思わせる。

 あるいはアメリカにおけるデッドとイングランドにおけるショウ・オヴ・ハンズの立ち位置、音楽的な立ち位置に共通点があるということか。ショウ・オヴ・ハンズはあくまでもナイトリィのオリジナルが中心で、 Nancy Kerr & James Fagan や Boden & Spears に比べれば軸足は伝統音楽のど真ん中に置いてはいない。一方でそのナイトリィのオリジナルも音楽伝統には深く棹さしていて、伝統音楽とのその距離の取り方が魅力ではある。デッドの音楽も、アメリカ音楽のあらゆるジャンル、形式をとりこみながら、さらに広く外の要素も注入して独自の音楽を作っている。

 もっともここに収められた曲でその後のレパートリィにも残っているのはレナード・コーエンの First We Take Mahattan ぐらいだ。Now We Are Four - Live でのこの曲の演奏でのビアのフィドルは一世一代とも言えるものだが、当初からフィドルは弾きまくっていたのだった。

 ビアのフィドルはスウォブリックとは異なるイングランドの伝統を汲む。2曲あるダンス・チューンも、ケルト系というよりはオールドタイム寄り。

 このアルバムのウリのひとつはラストに置かれた22分におよぶ Tall Ships で、これはセカンド・カセットのA面全部を占めていた。どうやら歴史的裏付けがあるらしいある話を、様々な曲のメドレーで語る。ショウ・オヴ・ハンズが1991年にフルタイムのデュオとして本格的に始動する、その一つのジャンプボードになったのが、この曲だった。原型はナイトリィが1970年代末にベースの Warwick Downes とやっていた時に生まれた。ウォリックは Paul の兄弟のようだ。

  話はこうだ。ナポレオン戦争の直後、イングランド西部の海岸にある村で、不漁と不作が続き、切羽詰まった村人は断崖の上で偽の明りをともし、沖合を通る商船を断崖の麓の岩礁に誘って難破させることを試みる。企みは成功するが、溺れた水夫の一人はその村出身の若者だった。1年前、村を出て船乗りになっていたのだった。(ゆ)

 土曜日が大雨で洪水注意報まで出たからどうだろうと、日曜日の散歩は川へ行くが、水量はほとんど変わっていない。都市部では家屋浸水まで出たそうだが、アスファルトとコンクリートで水の行き場がなくなったためか。この辺りでは、乾ききった田畑や山林が吸いこんでしまって、川には出てこないのだろう。


 散歩の供は Show of Hands 《Where We Are Bound》。前日のライヴのひとつ前のリリース。これも買いのがしていたもの。デュオとしての原点に回帰して録音したもの。近年のデュオとしてのツアーでのセット・リストに、最初の5枚からネットで投票を募った曲を加えた選曲。Fennario、Seven Yellow Gipsies、Banks of Newfoundland, Blackwaterside など伝統曲が多い。Seven Yellow Gipsies などは思わずカーシィ&スウォブリックを連想する。比べるものでもないが、今のフィル・ビアのフィドルはスウォブリックを超えるかとも思う。

 
soh-wwab

 二人だけの充実した演奏にひたっていると、かれらのアルバムを最初から全部聴きなおしたくなってくる。この二人の音楽はイングランドのルーツ系として一個の理想だ。The Bristol Slaver や Exile のような、あるいは Country Life のような曲と上記トラディショナルの曲を、まったく対等に、どちらにも偏らずに、同時代の歌として歌っている。

 伝統歌のうたい手としてはマーティン・カーシィの方が上かもしれないが、ショウ・オヴ・ハンズに並べると、どこか浮世離れした、形而上的なところを感じる。カーシィが貴族的だというのではなく、かれの場合、伝統歌の純化、歌としての独立性を強調するところにその真骨頂があるとみる。意図してそうしているというよりも、音楽家として体質から来るものでもあるだろう。

 ショウ・オヴ・ハンズの二人はいわば地べたを這いまわるようにうたう。やろうと思えば歌唱にしても演奏にしても、もっと精緻に洗練させることもできるだろうが、それをやるつもりはない。あえてぶっきらぼうに、村のエンタテイナーに徹する。そこには反骨としてのロックのスピリットもある。ヒットを飛ばしてリッチになるのはつまらないとする精神でもある。伝統歌もオリジナルも、「ミソもクソも」一緒というと語弊があるかもしれないが、いい歌、うたいたい歌は出自を問わない。とはいえオリジナルもイングランドの伝統にしっかり根を下ろしている。そしてかれらのイングランドは、ちゃんと外とつながっている。

 Exile はいつもと違って、フィル・ビアがリード・ヴォーカルをとる。スティーヴ・ナイトリィがうたうと、亡命者としての境遇を突きはなし、あえて孤高を貫こうとしているように聞える。ビアの歌唱では帰ろうにも帰れない、故郷のなくなった人間の悲哀が痛切に響いてくる。デュオとしてのライヴではこういうこともしているのだろう。(ゆ)

 土曜日は雨で出られなかった分、今日は長距離を歩く。お供は Show of Hands《Now We Are Four - Live》。昨年出て、買っていなかったもの。元のデュオにベース、ヴォーカルの Miranda Sykes が加わったトリオになってもう長いが、今度はバゥロンの Cormac Byrne が加わってカルテットになった、そのお披露目の一昨年秋のツアーからのライヴ集。CD2枚組で1枚目はいろいろな組合せのデュオ、2枚目がカルテットのバンドとしての録音。

sohnwaf




























 公式サイトでCDを買うと、ファイルがダウンロードできる。MP3 だが、このアルバムのものは 48KHz の 320bps という変わったフォーマットで、確かに音は良い。CDが来ればリッピングしなおすが、当面はこれで聴ける。

 コーマック・バーンはアイルランドでも指折りのバゥロン奏者のはずで、かれがこのイングランドのバンドに加わった経緯は知らないが、ここではバゥロンだけでなく、様々なパーカッションも操る。トシバウロンと同じような形。Show of Hands は打楽器なしに30年やってきて、別に不足も感じなかったが、かれには何か感じるものがあったのだろうか。入ってみれば違和感もなく、まるで最初からこの編成でやっているようにも聞える。

 正直、かれらの録音を聴くのは久しぶりだが、最初の MC からさりげなく演奏を始めるあたり、貫禄というか、場慣れというか、イングランド最高のライヴ・アクト、いや、ルーツ系ではヨーロッパでも最高の一つと感嘆する。最初から最後まですばらしいのひと言だが、とりわけ感銘を受けるのはミランダのヴォーカルがフィーチュアされたトラック、そしてバンドとしての質の高さ。フィル・ビアのフィドルがフィーチュアされる〈Cousin Jack〉から〈Santiago〉、そして〈The Galway Farmer〉と畳みかけるあたり。うー、たまらん。

 COVID-19 が収まっても、もうヨーロッパに行くのはしんどいが、こうして聴いてると、かれらの生を見るためだけに、最後に一度だけ行くかなあと思ったりもする。(ゆ)

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