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今月の聴きもの
みわトシ鉄心 w/ 中村大史@ Cafe Bond, 是政, 府中市
みわトシ鉄心
ほりおみわ: vocals, guitar
トシバウロン: bodhran, percussion, vocals
金子鉄心: uillean pipes, whistle, low whistle, vocals
中村大史: bouzouki, piano accordion
Latina Best Album 2022
The Living Tradition 終刊
Tidal, Bandcamp Friday
The King Must Fall
"Hand in Hand" - Ian Siegal featuring Shemekia Copeland
%本日のグレイトフル・デッド
Folk Radio UK からのビデオ・クリップ
イングランドのトリオ Granny's Attic のフィドラーのソロ・アルバムから。踊っているのはクロッグ・ダンシングのダンサー。クロッグは底が木製の靴で踊るステップ・ダンスでウェールズや北イングランドの石板鉱山の労働者たちが、休憩時間のときなどに、石板の上で踊るのを競ったのが起源と言われる。クロッグは1920年代まで、この地方の民衆が履いていたそうな。今、こういうダンサーが履いているのはそれ用だろうけれど。
曲と演奏はともかく、ビデオが Marry Waterson というので見てみる。ラル・ウォータースンの娘。この人、母親の衣鉢を継ぐ特異なシンガー・ソング・ライターだが、こういうこともしてるんだ。このビデオはなかなか良いと思う。こういう動画はたいてい音楽から注意を逸らしてしまうものだが、これは楽曲がちゃんと聞えてくる。
床屋
04月02日・土
床屋。いつものように眉毛以外全部剃ってもらう。前回よりさらに剃り残しが減った。あたしの頭に慣れてきたのだろう。
EFDSS の Vaughn Williams Memorial Library の最近の収納品の中に Sounding The Century: Bill Leader & Co: 1 – Glimpses of Far Off Things: 1855-1956 という本がある。調べてみると、ビル・リーダーの生涯を辿る形で、現在90代のリーダーの生きてきた時代の、フォーク・ミュージックをレンズとして見たブリテンの文化・社会史を描くもの。全10冊予定の第1巻。とりあえずアマゾンで注文。
ビル・リーダーは1929年生。生まれたのはニュー・ジャージーというのは意外。両親はイングランド人でリーダーがまだ幼ない時にイングランドに戻る。1955年、26歳でロンドンに出る。Bert Jansch, the Watersons, Anne Briggs, Nic Jones, Connollys Billy, Riognach を最初に録音する一方、Jeannie Robertson, Fred Jordan, Walter Pardon を最後に録音した人物でもある。Paul Simon, Brendan Behan, Pink Floyd, Christy Moore も録音している。
著者 Mike Butler は1958年生まれのあたしと同世代。13歳でプログレから入るというのもあたしとほぼ同じ。かれの場合、マハヴィシュヌ・オーケストラからマイルスを通してジャズに行く。ずっとジャズ畑で仕事をしてきている。2009年からリーダーを狂言回しにしたブリテンの文化・社会史を調査・研究している。
##本日のグレイトフル・デッド
04月02日には、1973年から1995年まで7本のショウを行っている。公式リリースは4本。うち完全版3本。
1. 1973 Boston Garden, Boston, MA
春のツアーの千秋楽。全体が《Dave's Picks, Vol. 21》でリリースされた。New Riders Of The Purple Sage が前座。全体では5時間を超え、アンコールの前に、終電を逃したくない人は帰ってくれとアナウンスがあった。
2. 1982 Cameron Indoor Stadium, Duke University, Durham, NC
金曜日。10.50ドルと9.50ドル。開演8時。レシュとガルシアがステージ上の位置を交換した。
3. 1987 The Centrum, Worcester, MA
木曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。開演7時半。
4. 1989 Pittsburgh Civic Arena, Pittsburgh, PA
日曜日。このヴェニュー2日連続の初日。前売18.75ドル、当日19.75ドル。開演7時半。全体が《Download Series, Vol. 09》でリリースされた。
この2日間はこの年の春のツアーで最も東のヴェニューで、満員御礼だったが、チケットを持たなくても会場に行けば何とかなると思った人間が大勢やって来て、大きなガラス窓を割り、中になだれ込んだ。そのため、警察が大挙して出動した。
その場にいた人間の証言によれば、ドアの外で数十人の人間と一緒に踊っていた。音楽はよく聞えた。そこへ、中からイカれたやつが一人、外へ出ようと走ってきた。ドアが厳重に警備されているのを見て、脇の1番下の窓ガラスに野球のすべり込みをやって割り、外へ脱けだした。警備員がそちらに気をとられている間に、中で踊っていた人間の一人がドアを開け、外にいた連中があっという間に中に吸いこまれた。
5. 1990 The Omni, Atlanta, GA
月曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。18.50ドル(テーパー)。開演7時半。全体が《Spring 1990》でリリースされた。
このアトランタの3日間で演奏された曲はどれもそれぞれのベスト・ヴァージョンと思える出来だが、ここではとりわけ第一部クローザーの〈Let It Grow〉と第二部オープナーの〈Foolish Heart〉がすばらしい。前者ではラストに、演奏をやめたくないというように、だんだん音を小さくしてゆき、静かに終る。何とも粋である。
3人のシンガーが声を合わせるところがますます良く、〈He's Gone〉のコーダのリピートと歌いかわし、〈The Weight〉や〈Death Don't Have No Mercy〉の受け渡しに聴きほれる。〈The Last Time〉は終始3人のコーラス。こういうことができたのはこの時期だけだ。
第一部はゆったりと入るが、3曲目にガルシアがいきなり〈The Weight〉を始めるのに意表を突かれる。こういういつもとは違う選曲をするのは、調子が良い証拠でもある。マルサリスの後の4本では、いつもよりも冒険精神が旺盛になった、とガルシアは言っている。第二部は緊張感が漲り、全体にやや速いテンポで進む。ツアー当初の感覚が少しもどったようだ。アンコールでは再び対照的に〈Black Muddy River〉を、いつもよりさらにテンポを落として、ガルシアが歌詞を噛みしめるように歌う。これまたベスト・ヴァージョン。
確かにマルサリス以後の4本は、何も言わず、ただただ浸っていたくなる。本当に良い音楽は聞き手を黙らせる。
6. 1993 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY
金曜日。このヴェニュー5本連続の3本目。開演7時半。
7. 1995 The Pyramid, Memphis, TN
日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。26.50ドル。開演7時半。第二部2曲目〈Eternity〉が《Ready Or Not》でリリースされた。(ゆ)
サンディ・デニーの器
02月20日・日
サンディの《The North Star Grassman And The Ravens》の Deluxe Edition を Tidal で聴く。1972年の BBC のライヴ録音が入っていた。これを聴くと、シンガーとしていかに偉大だったか、よくわかる。どれも自身のピアノかギターだけだから、よけい歌の凄さがわかる。アメリカに生まれていたなら、シンガー・ソング・ライターとして、ジョニ・ミッチェルと肩を並べる存在になっていたかもしれないが、その場合には〈Late November〉のような曲は生まれなかっただろうし、フェアポート・コンヴェンションも別の姿になっていたか、浮上できなかったかもしれない。そうするとスティーライもアルビオンも無いことになる。あの時代のイングランドには器が大きすぎたのだ。
ジャニス・ジョプリンも同じ意味で、あの時代のアメリカには器が大きすぎた。デッドも器が大き過ぎたが、かれらは男性の集団だったから生き残れた。あの当時、器の大きすぎる女性にはバンドを組む選択肢も無かった。
##本日のグレイトフル・デッド
02月20日には1970年から1995年まで、6本のショウをしている。公式リリース無し。
1. 1970 Panther Hall, Fort Worth, TX
前売4ドル。当日5ドル。開演8時、終演1時。クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス共演。セット・リスト不明。
2. 1971 Capitol Theater, Port Chester, NY
このヴェニュー6本連続の3本目。このポート・チェスターのランは半分の3本の全体が公式リリースされているので、いずれ全部出ることを期待。
会場は1926年オープン、座席数1,800の施設で、当初は映画館、1970年代にパフォーマンスのために改修されてからコンサートに使われるようになる。ジャニス・ジョプリン、パーラメント/ファンカデリック、トラフィックなどがここで演奏した。
デッドは1970年03月20日からこの1971年02月のランまで、1年足らずの間に13日出演している。1970年には1日2回ショウをして、計18本。この時期に6本連続というのは珍しい。
ポート・チェスターはマンハタンからロング・アイランド海峡沿いに本土を40キロほど北上し、コネティカット州との州境の手前の町。人口3万。
3. 1982 Golden Hall, San Diego Community Concourse, San Diego, CA
このヴェニュー2日連続の2日目。良いショウのようだ。
4. 1985 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA
このヴェニュー3日連続の最終日。15ドル。開演8時。
次は03月09日、バークレー。
5. 1991 Oakland County Coliseum Arena, Oakland, CA
このヴェニュー3日連続の中日。開演7時。
Drums> Space に Babatunde Olatunji と Sikiru Adepoju がパーカッションで参加。良いショウの由。
6. 1995 Delta Center, Salt Lake City, UT
このヴェニュー3日連続の中日。28ドル。開演7時半。
アンコールのビートルズ〈Rain〉では、場内大合唱となった。(ゆ)
Norma Waterson (1939-2022)
30日午後に母が亡くなった、とイライザ・カーシィがツイートしていました。イライザの母ならばノーマ・ウォータースン。イングランドのフォーク・ミュージックの無冠の女王とも言われる傑出したうたい手であります。
ノーマはまず弟妹の Mike と Elaine (Lal)、それにいとこの John Harrison との The Watersons の一員として姿を現します。4人は出身地、北イングランドの伝統歌をアカペラ・コーラスで歌い、1960年代、ブリテンのフォーク・リヴァイヴァル新世代の登場を告げ、後続の若者たちに衝撃を与えたのでした。60年代後半、ヨークシャーのある街で、自分たちのギグを終えたザ・フーがウォータースンズが歌っているところを探して聴きにきた、という話も伝えられています。
ぼくがウォータースンズを初めて聴いたのは1977年の《Sound, Sound Your Instruments Of Joy》でした。ちょうど、ブリテンの伝統音楽に入れこみだしたばかりの頃で、その精妙かつ野趣あふれるハーモニーに夢中になったのでした。これはイングランドの教会で日常的に歌われてきた聖歌を集めた1枚ですが、説教臭さも抹香臭さもかけらもなく、まじりけのない歓びに溢れた、美しい歌が詰まっているアルバムです。聖歌集だということさえ、当初はわからず、伝統的なクリスマス・ソング集だとばかり思いこんでいました。実際、そう聴いてもかまわないものでもありましょう。
続いてノーマが妹のラルとの二人の名義で出した《A True Hearted Girl》はまたがらりと趣が変わって、軽やかな風に吹かれるような歌を集めていて、こちらも当時、よく聴いたものです。
とはいえ、一人の独立したうたい手としてノーマを見直したのはずっと下って1996年、ハンニバルから出た《Norma Waterson》でした。名伯楽 John Chelew のプロデュースのもと、リチャード・トンプソン、ダニィ・トンプソン、Benmont Tench に、なんとロジャー・スワロゥという、これ以上は考えられない鉄壁の布陣をバックに、悠々と、のびのびと、歌いたいうたを天空に解きはなつその声に、完全にノックアウトされたのでした。就中、冒頭の1曲〈Black Muddy River〉の名曲名唱名演名録音にはまったく我を忘れて聴きほれたものです。曲がロバート・ハンター&ジェリィ・ガルシアの作になることはクレジットを見ればわかりましたが、それがグレイトフル・デッドのレパートリィの中でどういう位置にあるのか、多少とも承知するのは何年も後のことです。ノーマ自身、それが誰の歌であるか、知らないままに歌いだした、とライナーにありました。ある日誰からともなく送られてきていたカセット・テープに入っていて、ただいい曲だとレパートリィに加えたのだそうです。
この人は年をとるにしたがって、存在感が大きくなっていきました。セカンド、サードとソロを出し、一方で 夫マーティン・カーシィと娘イライザとのユニット Waterson: Carthy の一員として、あるいは再生ウォータースンズのメンバーとして、その評価は上がる一方で、ついにはマーティンの叙勲とともに、一家はイングランド・フォーク・シーンのロイヤル・ファミリーとまで呼ばれるようになりました。それには、English Folk Dance and Song Society 会長にもなったイライザの活躍もさることながら、いわば女族長としてのノーマのごく自然な威厳ある佇まいも寄与していたようにも思えます。
生前最後の録音はイライザとの2010年のアルバム《Gift》から生まれた Gift Band との2018年の《Anchor》になりました。
先日、イライザはパンデミックによって一家が困窮しているとして、ファンに財政支援を訴えていました。そこではノーマが肺炎で入院しているともありました。ここ数年、いくつかの病気を患い、2010年には一時昏睡に陥ってもいたそうです。
弟マイクは2011年に、妹ラルは1998年に亡くなっています。
自分でも思いの外、衝撃が大きくて、すぐにはノーマの歌を聴きかえす気にもなれません。今はまず冥福を祈るばかりです。合掌。
01月31日・月
##本日のグレイトフル・デッド
01月31日には1969年から1978年まで3本のショウをしている。公式リリースは無し。
1. 1969 Kinetic Playground, Chicago, IL
5ドル。開場7時半。閉場午前3時。このヴェニュー2日連続の初日。シカゴ初見参。1981年まではほぼ毎年のようにシカゴでショウをしている。Grassroots 共演。セット・リスト無し。
ポスターでは Grassroots と一語で、これが The Grass Roots と同一であるかはわからない。後者は1966年にデビューしたブルー・アイド・ソウルのグループとウィキペディアにある。こちらは1967年に〈Let's Live for Today〉というベスト10ヒットをもっている。
ポスターには1月下旬から3月上旬までの出演者が日付とともに掲げられている。デッドとグラスルーツの前は Buddy Rich Orchestra、Buddy Miles Express、Rotary Connection。後はヴァニラ・ファッジ、レッド・ツェッペリン、ジェスロ・タル。以下、ティム・ハーディン、スピリット、The Move。ジェフ・ベック、サヴォイ・ブラウン、マザー・アース。ポール・バターフィールド、B・B・キング。ポール・バターフィールド、ボブ・シーガー・システム。ジョン・メイオール、リッチー・ヘヴンス。チケット代金、開場、閉場時刻はすべて同じ。
2. 1970 The Warehouse, New Orleans, LA
このヴェニュー3日連続の2日目。フリートウッド・マック、ザ・フロック前座。
8曲演奏されたところで、レシュのアンプがトラブルにみまわれ、5曲25分ほど、アコースティックで演奏され、またエレクトリックにもどってさらに5曲、40分ほど演奏される。
3. 1978 Uptown Theatre, Chicago, IL
9.50ドル。開演8時。このヴェニュー3日連続の中日。最高のショウの一つだった由。この後のショウの録音を聴けば、容易に想像がつく。(ゆ)
Bert Jansch《The Ornament Tree》
01月28日・金
Mandy Morton のボックス・セットなんてものが出てきて、思わず注文してしまう。こういうの、ついつい買ってしまうなあ。《Magic Lady》は結構よく聴いた覚えがある。スプリガンズよりも好みだった。スカンディナヴィアで成功して、アルバムを出していたとは知らなんだ。この人とか、Mae McKenna とか、Carole Pegg とか、一流とは言えないが、B級というわけでもない、中途半端といえばそうなんだが、でも各々にユニークなものをもっていて、忘れがたいレコードを残してくれている。
それで先日バートの諸作と一緒に Loren Auerbach のアルバムのデジタル版も買ってあったのを思い出して聴いてみる。
後にバートと結婚して、おまけにほとんど相前後して亡くなって、今は同じ墓に葬られているそうだけど、この人の出現は「衝撃」だった。ミニ・アルバムとフル・アルバムがほとんどたて続けに出たのが1985年。というのは、あたしはワールド・ミュージックで盛り上がっていた時期で、アイリッシュ・ミュージックは全体としてはまだ沈滞していて、パキスタンやモロッコ、ペルシャ、中央アジアあたりに夢中になっていた。3 Mustaphas 3 のデビューも同じ頃で、これを『包』で取り上げたのは、日本語ではあたしが最初だったはずだ。"Folk Roots" のイアン・アンダースン編集長自ら直接大真面目にインタヴューした記事を載せていて、まんまとだまされたけど、今思えば、アンダースン自身、戦略的にやったことで、ムスタファズの意図はかなりの部分まで成功したと言っていいだろう。
そこへまったく薮から棒に現れたオゥバックには「萌え」ましたね。表面的には Richard Newman というギタリストが全面的にサポートしているけれど、その時からバートがバックについてることはわかっていたという記憶がある。
この人も一流と呼ぶのにはためらうけれど、このハスキー・ヴォイスだけで、あたしなどはもう降参しちゃう。バートと結婚して、バートのアルバムにも入っていたと思うが、結局自分ではその後、ついに録音はしなかったのは、やはり惜しい。あるいはむしろこの2枚をくり返し聴いてくれ、ここにはすべてがある、ということだろうか。実際、リアルタイムで買った直後、しばらくの間、この2枚ばかり聴いていた。今聴いても、魅力はまったく薄れていないのは嬉しい。
その頃のバートはと言えば、1982年の《Heartbreak》、1985年の《From The Outside》、どちらも傑作だったが、あたしとしてはその後1990年にたて続けに出た《Sketches》と《The Ornament Tree》を、まさにバート・ヤンシュここにあり、という宣言として聴いていた。とりわけ後者で、今回、久しぶりにあらためて聴きなおして、最高傑作と呼びたくなった。一種、突きはなしたような、歌をぽんとほうり出すようなバートの歌唱は、聴きなれてくると、ごくわずかな変化を加えているのが聞えてきて、歌の表情ががらりと変わる。ギターもなんということはない地味なフレーズを繰返しているようなのに、ほんの少し変化させると急にカラフルになる。聞き慣れた〈The Rocky Road To Dublin〉が、いきなりジャズになったりする。デイヴ・ゴールダー畢生の名曲〈The January Man〉は、バートとしても何度めかの録音だと思うが、さあ名曲だぞ、聴け、というのではさらさらなくて、まるでそこいらにころがっている、誰も見向きもしないような歌を拾いあげるような歌い方だ。選曲はほとんどが伝統歌なので、これも伝統歌として歌っているのだろう。聴いている間はうっかり聞き流してしまいそうになるほどだが、後でじわじわと効いてくる。録音もいい。
あたしはミュージシャンにしても作家にしても、あまりアイドルとして崇めたてまつらないのだが、バートについてはなぜか「断簡零墨」まで聴きたくなる。ジョン・レンボーンもアルバムが出れば買うけれど、我を忘れて夢中になることはない。ことギターについてはレンボーンの方が上だとあたしは思うが、「アコースティック・ギターのジミ・ヘンドリックス」などと言わせるものをバート・ヤンシュが持っている、というのはわかる気がする。
ボックス・セットも来たことだし、あらためてバート・ヤンシュを聴くかな。デッドとバランスをとるにはちょうどいい。
##本日のグレイトフル・デッド
01月28日には1966年から1987年まで3本のショウをしている。公式リリースは無し。
1. 1966 The Matrix, San Francisco, CA
2日連続このヴェニューでの初日。共演ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー、ザ・ローディング・ゾーン。セット・リスト不明。
2. 1967 Avalon Ballroom, San Francisco, CA
このヴェニュー3日連続の2日目。クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス共演。セット・リスト不明。
3. 1987 San Francisco Civic Center, San Francisco, CA
16.50ドル。開演8時。この年最初のショウ。春節に合わせたこのヴェニュー3日間の初日。ビートルズ〈Get Back〉の唯一の演奏だが、ウィアのヴォーカルがひどく、これをカヴァーしようとしてか、サウンド・エンジニアのダン・ヒーリィがその声にかけたエフェクトがさらに輪をかけてひどかった。その他にも、大きなミスや歌詞忘れが目立った。ガルシアは前年夏の糖尿病による昏睡から回復してステージにもどったのが前年12月半ばだから、調子がよくないのも無理はないと言える。
ガルシアは復帰にもっと時間をかけるべきだったかもしれない。より十分な準備をすべきだった、とも言える。しかし、かれはガマンできなかったのだ。一応演奏ができ、歌がうたえるならば、ステージに立たずにはいられなかった。
ガルシアはいろいろなものに中毒していた。ハード・ドラッグだけではなく、映画にも中毒していたし、サイエンス・フィクションにも中毒していたし、絵を描くことにも中毒していた。しかし、何よりも、どんな麻薬よりも中毒していたのは、人前で演奏することだった。グレイトフル・デッドとしてならばベストだが、それが何らかの理由でかなわない時には、自分のバンドでショウをし、ツアーをしていた。ガルシアの公式サイトではガルシアが生涯に行った記録に残る公演数を3,947本としている。うちデッドとしては2,313本だから、1,600本あまり、4割強は自分のプロジェクトによる。とにかく、ステージで演奏していないと不安でしかたがなかったのだ。
スタートは吉兆ではなかったとしても、1987年という年はデッドにとっては新たなスタートの年になった。ガルシアの病気により、半年、ショウができなかったことは、バンドにとっては休止期と同様な回春作用をもたらした。ここから1990年春までは、右肩上がりにショウは良くなってゆく。1990年春のツアーは1972年、1977年と並ぶ三度目のピークであり、音楽の質は、あるいは空前にして絶後とも言える高さに到達する。
1987年のショウは87本。1980年の89本に次ぎ、大休止からの復帰後では2位、1972年の86本よりも多い。このおかげもあってこの年の公演によって2,430万ドルを稼いで、年間第4位にランクされた。以後、最後の年1995年も含めて、ベスト5から落ちたことは無い。
87本のうち、全体の公式リリースは4本。ほぼ全体の公式リリースは3本。
1987-03-26, Hartford Civic Center, Hartford, CT, Dave's 36
1987-03-27, Hartford Civic Center, Hartford, CT, Dave's 36
1987-07-12, Giants Stadium, East Rutherford, NJ, Giants Stadium
1987-07-24, Oakland-Alameda County Coliseum Stadium, Oakland, CA, View From The Vault (except Part 3 with Dylan)
1987-07-26, Anaheim Stadium, Anaheim, CA, View From The Vault (except Part 3 with Dylan)
1987-09-18, Madison Square Garden, New York, NY, 30 Trips Around The Sun
1987-12-31, Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA, Live To Air (except 5 tracks)
07-12と14はディランとのツアーでどちらも第一部・第二部のデッドだけの部分は完全収録。第三部のディランの入ったステージは一部が《Dylan & The Dead》でリリースされている。
ガルシアが死の淵から生還し、デッドが復帰したことの影響は小さくない。ニコラス・メリウェザーは《30 Trips Around The Sun》の中で、ポール・マッカトニーのツアーへの復帰の直接の動機が、ガルシアの恢復と復帰だったことを記している。
ツアーの面ではこの年、デッドはディランとスタジアム・ツアーをする。おかげでこの年のレパートリィ数は150曲に逹した。このツアーからは《Dylan & The Dead》がリリースされた。当時のレヴューでは軒並み酷評されて、「出すべきではなかった」とまで言われたが、今、聴いてみれば、見事な出来栄えで、どうしてそんなにボロクソに言われたのか、理解できない。同じものを聴いていたのか、とすら思える。われわれが音楽を聴くのは、つまるところコンテクストによるのだ、ということだろう。コンテクストが変われば、評価は正反対になる。
また、このツアーのおかげで、以後、デッドのレパートリィにディラン・ナンバーが増え、1本のショウの中でディランの曲が複数、多い時には3曲演奏されるようにもなる。
年初にこの春節ショウの後、2月一杯を休んで新譜の録音をする。Marin Vetrans Auditorium をスタジオとして、ライヴ形式で録音されたアルバムは07月06日《In The Dark》としてリリースされ、9月までに100万枚以上を売り上げてゴールドとプラチナ・ディスクを同じ月に獲得する。さらに旧譜の《Shakedown Street》と《Terrapin Station》もゴールドになった。《In The Dark》からシングル・カットされた〈Touch of Grey〉はデッドの録音として唯一のトップ10ヒットともなる。デビューから22年を経て、デッドはついにメインストリームのビッグ・アクトとして認知されたのだ。それもデッドの側からは一切の妥協無しに。このことは別の問題も生むのだが、デッドは人気の高まりに応えるように音楽の質を上げてゆく。
音楽面で1987年は新たな展開がある。MIDI の導入である。ミッキー・ハートが友人 Bob Bralove の支援を得て導入した MIDI は、またたく間に他のメンバーも採用するところとなり、デッドのサウンドを飛躍的に多彩にした。Drums が Rhythm Devils に発展しただけでなく、ガルシアやウィアはギターからフルートやバスーンなどの管楽器の音を出しはじめる。ブララヴはデッドの前にスティーヴィー・ワンダーのコンピュータ音楽のディレクターを勤め、後には《Infrared Rose》もまとめる。(ゆ)
Sarah McQuaid, The St Buryan Sessions
12月15日・水
Sarah McQuaid, The St Buryan Sessions
マッケイドの6作目になるソロ・アルバム。現在コーンウォールに住むマッケイドは COVID-19 による制限でライヴができなくなったことを逆手にとり、地元の教会で無観客で演奏するものを録音してこのアルバムを作った。通常のコンサートと同じ機材、セッティングで、コンサートをするように録音する。同時にビデオも録り、公開されている。
舞台となった教会は6世紀にアイルランドから渡ってきた王女で聖女セント・バリアナが創設したという言い伝えがあるセント・バリアンの村にある。10世紀にサクソンの王が再建するが、歳月に崩壊し、現在の建物は15世紀から16世紀にかけて再建されたもの。ここでは1966年に Brenda Wootton が村の公民館で The Pipers Folk Club を始める。The Pipers は村のすぐ南に立つ2本一組の石の名前にちなむ。この石は安息日に演奏した廉で石に変えられた楽士なのだと伝えられる。このフォーク・クラブではマッケイドの前作《If We Dig Any Deeper It Could Get Dangerous》をプロデュースしたマイケル・チャップマンはじめ、ラルフ・マクテル、マーティン・カーシィなども出演した。
フォーク・クラブは今は無いが、教会には Pipers Choir という合唱隊があり、マッケイドもここに引越して以来、一員として毎週日曜日に歌っている。この録音に使われたピアノはその合唱隊の男性部所有のものの由。
COVID-19 が原点に戻らせた。自身の歌とギター、またはピアノ。それのみ。わずかに重ね録りをしているが、基本はあくまでも独りでの一発録り。
もともと低い声、たとえばドロレス・ケーンよりも低い声がさらに低くなって聞える。女性ヴォーカルのイメージとは対極にある。低く太く、倍音というか、付随する響きがたっぷりしている。録音はそれをしっかり捕えている。
曲はしかしその声に頼らない。むしろ、声に頼ることを拒否し、歌そのものとして自立しようとする。結果として現れるのは、シビアでストイックな、それでいて優しい音楽だ。
目の前に聴かせる人がいないことで、うたい手と歌とは、おたがい剥出しになって対峙する。おたがいを剥出しにする。その姿勢は聞き手にも作用し、聞いている自分が裸にされてゆく。この歌を聴いているこの自分は何者か。音楽は鏡だ。真の音楽は聴く者の真の姿を聴く者に見せる。真の姿はむろん見たくない部分も含む。それをも見せて、なおかつ、それを見つめるよう励ましてくれる。支えてくれる。
マッケイドがそこまで意図しているかはわからない。が、期せずしてそういうものになっているなら、なおさらこれは本物の音楽だ。
##本日のグレイトフル・デッド
12月15日には1970年から1994年まで、6本のショウをしている。公式リリースは無し。
1. 1970 The Matrix, San Francisco, CA
これは本来デッドのショウではなく、デヴィッド・クロスビー、ガルシア、レシュ、ハートのメンバーで David and the Docks として知られる。一方、広告には Jerry Garcia & Frieds の名義で3日間の告知がある。セット・リストはテープによる。が、中のクロスビーのコメントから、内容は2日目のものではないかとも思われる。テープには午後のリハーサルと夜の本番が入っており、本番は1時間強。クロスビーのコメントはリハーサル中のもの。
2. 1971 Hill Auditorium, Ann Arbor, MI
このヴェニュー2日連続の2日目。
この街にデッドが来るのは4年ぶりで、しかもピグペン復帰でデッドヘッドの期待は高かった。しかし、前半はPAのバランスが悪く、ヴォーカルがほとんど聞えず、ピアノが大きすぎた。第一部の半ば過ぎてようやく調子が整った。ハイライトは第二部後半〈Turn On Your Lovelight〉からのピグペンのステージ、と Jace Crouch はDeadBase XI のレポートで書く。アンコールの〈Uncle John's Band〉の最中に、男が1人、ステージに飛びあがり、レシュのヴォーカル用マイクを摑んだ。クルーが男を連れ出したが、アンプの陰で殴り合いになったのが、Crouch には見えた。やがてクルーが戻ってマイクをレシュの前のスタンドに戻し、そこからレシュはまた歌った。
3. 1972 Long Beach Arena, Long Beach, CA
セット・リスト以外の情報無し。
4. 1978 Boutwell Auditorium, Birmingham, AL
セット・リスト以外の情報無し。
5. 1986 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
このヴェニュー3日連続の初日。ガルシアが糖尿病の昏睡から復帰して、初めてのショウ。7月7日以来、半年ぶり。オープナーは当然〈Touch of Grey〉。第一部3曲目〈When Push Comes To Shove〉と第二部3曲目〈Black Muddy River〉がデビューした。10年後、後者はガルシアが人前で歌った最後の曲となる。
Ross Warner によるDeadBase XI のレポートは生まれかわったバンドのまた演れる歓び、それをまた聴ける歓びを伝えて余りある。
ガルシアのライヴ・ステージへの復帰は10月04日、サンフランシスコの The Stone でのジェリィ・ガルシア・バンドのショウ。ここから12-15のこのショウまでに、ジェリィ・ガルシア・バンドで8回、その他で3回、ショウを行っている。加えて11月22日にはウォーフィールド・シアターで行われた、Jane Donacker 追悼のチャリティ・コンサートにガルシア、ウィア、ハートのトリオで出演し、おそらくアコースティックで3曲演奏している。
ドナッカーは女優、コメディアン、ミュージシャン、キャスターで、コンサートの1ヶ月前にヘリコプター事故で死んだ。ドナッカーは朝、ヘリに乗って上空からマンハタンとその周辺の道路交通情報をラジオで中継する仕事をしていたが、この年、2度、乗っていたヘリコプターが墜落し、1度目は助かったが、2度目は助からなかった。The Tubes に曲を提供しており、この追悼コンサートにもチューブスが参加している。
6. 1994 Los Angeles Sports Arena, Los Angeles, CA
このヴェニュー4本連続の初日。この年最後のラン。開演7時半。
第一部4・5曲目〈Me And My Uncle〉〈Mexicali Blues〉と第二部の Space でウィアはアコースティック・ギターを使った。(ゆ)
試聴の日
11月23日・火
iPhone の Safari のタブに溜めていた音源を片っ端から聴く。数秒聞いてやめるのが半分くらい。中には、こういうのもじっくり聴くと面白くなるかも、というアヴァンギャルドもあるが、面白くなるまで時間がかかるのは、どうしても敬遠してしまう。こちとら、もうそんなに時間は無いのよ。
逆に、数秒聞いて、これは買い、というのもいくつかある。
Sara Colman のジョニ・ミッチェル・カヴァー集《Ink On A Pin》。〈Woodstock〉がこれなら、他も期待できる。
Falkevik。ノルウェイのトリオ。これが今回一番の収獲。
ウェールズの Tru の〈The Blacksmith〉はすばらしい。ちゃんとアルバム出してくれ。
Chelsea Carmichael。シャバカ・ハッチングスがプロデュースなら、悪いものができるはずがない。
Lionel Loueke。ベニン出身のギタリスト。ジャズ・スタンダード集。Tidal でまず聴くか。
Esbe。北アフリカ出身らしい、ちょっと面白い。ビートルズのイエスタディのこのカヴァーは、もう一歩踏みこんでほしいが、まず面白い。むしろ、ルーミーをとりあげたアルバムを聴くかな。
Grace Petrie。イングランドのゲイを公言しているシンガー・ソング・ライター。バックが今一なのだが、本人の歌と歌唱はいい。最新作はパンデミックにあって希望を歌っているらしい。
Scottish National Jazz Orchestra。こんな名前を掲げられたら聞かないわけにいかないが、ドヴォルザークの「家路」をこう仕立ててきたか。こりゃあ、いいじゃない。
Bandcamp のアメリカ在住アーティストのブツの送料がばか高いのが困る。ブツより高い。他では売ってないし。ただでさえ円安なのに。
##本日のグレイトフル・デッド
11月23日には1968年から1979年まで5本のショウをしている。公式リリースは無し。
1. 1968 Memorial Auditorium, Ohio University, Athens, OH
トム・コンスタンティンが正式メンバーとして参加した最初のショウ。
前日のコロンバスでのショウにオハイオ大学の学生が多数、大学のあるアセンズから1時間半かけてやって来ていた。そこでデッドは翌日、ここでフリー・コンサートをやった。アセンズでショウをしたのはこの時のみ。
少し後、1970年代初期にデッドは集中的に大学でのショウをするが、当初から学生を大事にしていたわけだ。ジョン・バーロゥと弁護士のハル・カント、1980年代半ばまでマネージャーだったロック・スカリー、後に広報担当となるデニス・マクナリーを除けば、デッドのメンバーにもクルーにもスタッフにも大学卒業者はいないのだが、大学生はデッドの音楽に反応した。
このショウのことを書いたジェリィ・ガルシアからマウンテン・ガールこと Carolyn Elizabeth Garcia への手紙が1968年に書かれたものであるかどうかが、彼女とガルシア最後のパートナー、デボラ・クーンズ・ガルシアとの間のジェリィ・ガルシアの遺産をめぐる訴訟の争点となり、その手紙が1968年にまちがいなく書かれたものだとレシュが法廷で証言した。
2. 1970 Anderson Theatre, New York, NY
セット・リスト無し。
ヘルス・エンジェルスのための資金集め。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座で、これにウィアが参加した模様。
ヘルス・エンジェルスとデッドとの関係はあたしにはまだよくわからない。デッド・コミュニティの中でも敬して遠ざけられている。デッドヘッドのための辞書である The Skeleton Key でも項目が無い。しかし、避けて通れるものでもないはずだ。
マクナリーの本では1967年元旦のパンハンドルでのパーティの際に、ヘルス・エンジェルスがデッドを仲間と認めたとしている。初版176pp.
このパーティはエンジェルスのメンバーの1人 Chocolate George が逮捕されたのを、The Diggers が協力して保釈させたことに対するエンジェルスの感謝のイベントで、デッドとビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーが出た。
マクナリーによればエンジェルスは社会通念から疎外された者たちの集団として当時のヒッピーたちに共感してはいたものの、エンジェルスの暴力志向、メンバー以外の人間への不信感、保守的な政治志向から、その関係は不安定なものになった。1965年秋の「ヴェトナム・デー」では、エンジェルスは警官隊とともにデモ参加者に暴力をふるった。アレン・ギンズバーグとケン・キージィがエンジェルスと交渉し、以後、エンジェルスはこの「非アメリカ的平和主義者」に直接暴力をふるうことはしないことになった。たとえば1967年1月14日の有名なゴールデン・ゲイト公園での "Be-in" イベントではエンジェルスがガードマンを平和的に勤めている。
一方でエンジェルスのパーティでデッドが演奏することはまた別問題とされたようでもある。また、ミッキー・ハートはエンジェルスのメンバーと親しく、かれらはハートの牧場を頻繁に訪れた。それにもちろんオルタモントの件がある。あそこでヘルス・エンジェルスをガードマンとして雇うことを推薦したのはデッドだった。
ひょっとすると、単にガルシアがエンジェルスを好んだ、ということなのかもしれないが、このハートの例を見ても、そう単純なものでもなさそうだ。
ヘルス・エンジェルスそのものもよくわからない。おそらく時代によっても場所によっても変わっているはずだ。大型オートバイとマッチョ愛好は共通する要素だが、ケン・キージィとメリィ・プランクスターズとの関係を見ても、わが国の暴走族とは違って、アメリカ文化の主流に近い感じもある。
3. 1973 County Coliseum, El Paso, TX
前売5ドル。開演7時。良いショウの由。長いショウだ。
4. 1978 Capital Centre, Landover , MD
7.70ドル。開演8時。これとセット・リスト以外の情報が無い。
5. 1979 Golden Hall, San Diego Community Concourse, San Diego, CA
セット・リスト以外の情報が無い。(ゆ)
ヘッドフォン、DAP、ジミヘン
8月20日・金
Dan Clark Audio から新フラッグシップ・ヘッドフォン、Stealth の告知。4,000USD。どうせ、国内販売は無いから、買うなら直接だが、食指が動かないでもない。とりわけ、クローズドはいい。とはいえ、EtherC Flow 1.1 があるからなあ。そりゃ、良くはなっているだろうけれど、価格差には見合わねえだろう。
M11Plus LTD 発売日がようやくアナウンス。Shanling M6 Pro Ver.21も発表。こちらは面白みまるで無し。M17 はまだ影も形も無いなあ。
Grim Oak Press のニュースレターで、COVID-19 のおかげで紙が不足しはじめているのと、昨年刊行予定のタイトルが今年に延期されたことから、印刷・製本がボトルネックになって、出版が滞りだしている由。以前は印刷所にファイルを送ってから本が届くまで長くても10週間だったのが、今は4ヶ月〜半年かかる。新規の印刷を受け付けないところも出てきた。この事情は Grim Oak のような小出版社だけではなくて、Big 6 も同じだそうだ。わが国ではどうなんだろう。
Tor.com に記事が出ていたGwyneth Jones の Bold As Love のシリーズは面白そうだ。とりわけ、メイン・キャラの一人が Aoxomoxoa and the Heads というバンドのリーダーとあっては、読まないわけにはいかない。Gwyneth Jones はデビュー作 Devine Endurance を読んではみたものの、さっぱりわからなかった記憶がある。今なら読めるかもしれん。
それにしてもこのシリーズのタイトルは、コメントにもあるように、ジミヘンがらみばかりで、作品の中にもジミヘンへのオマージュが鏤められているらしい。ジミヘンもひと頃、集めようとしたけど、まあ、やはり Band of Gypsy のフィルモア・イーストでのライヴに留めをさす。完全版も出てるけど、あたしには抜粋の2枚組で十分。デッドやザッパとは違う。
音楽がらみのサイエンス・フィクションとしては Kathleen Ann Goonan のナノテク四部作もあって、積読だなあ。
ECM の Special Offer で Around The World in 80 Discs というのが来る。見てみると、ほんとに世界一周かなあ、と思ったりもするが、それなりに面白い。知らないのも多々あって、勉強にもなる。聴いてみましょう。ECM は全部 Tidal にあるし、Master も多い。この Special Offer はいつまでなんだろう。(ゆ)
Bellowhead、DAP 新製品、骨伝導イヤフォン
eGrado, イングランド伝統歌
散歩用ヘッドフォンに久しぶりに eGrado を使ってみる。夜、少しじっくり聴こうと 428 をかますと良く歌う。これは素姓が良いのだ。ディスコンになったのは残念。SR60e を使えということなんだろうが、屋外で使うときには、eGrado のこの固いプラスティックががっちりはまるのが気持ち良いのだ。価格.com で見ると SR80e はもう無くて、SR60e の次は125e。325 も無く、GW100、Hemp と来て、RS2e になる。

すばらしい。ゆったりと悠揚迫らず、イングランドの歌の世界にどっぷりと浸れる。James Patterson のヴォーカルとギター。John Dipper のはヴィオラ・ダ・モーレとのことだが、ちょっといなたい、けれど気品のある響きが聞き慣れたフォークの世界と一線を画す。練りに練られたフレーズを即興に聴かせ、声を縫って、水墨画のような空間を描きだす。ハーディングフェーレほどではないが、共鳴弦が立体的な響きを生む。ソロではクラシック的な技法でノルディックの伝統曲を演るのが、やや乾いた音になるのが面白い。
ショウ・オヴ・ハンズ、アヌアル・ブラヒム、ディック賞
ECM のニュースレターで Anouar Brahem が ECM デビュー30周年。Barzakh, 1991 は確かに衝撃だった。1998年の Thimar がつまらなくて、あれは日和ってるよねえ、と星川さんと意見が一致し、それに引き換え、Barzakh は凄いと盛り上がったこともあった。やはりあれが一番かなあ。The Astounding Eyes Of Rita は良かった記憶がある。もう一度、全部聴いてみるか。
散歩の供はShow Of Hands, 24 MARCH 1996: Live at the Royal Albert Hall。
あらためて聴くとシンガーとしてのナイトリィの良さが印象的。曲としてそれほどではないものでも、歌唱で聴かせてしまう。この頃のライヴではやはりかれのヴォーカルが人気を培っていったのだろう。これを小さな会場で聴けば圧倒的ではなかったか。もちろんそれを活かし、刺激を与えていったのはビアだったわけだが、本人の精進も相当なものだったはず。
女性シンガー、すばらしい、誰だっけ、と帰ってから見ると Sally Barker だった。そういえば、最新作を買うのを忘れてた。
訳者あとがき、音楽家たちの肖像
締切が迫ってきたので、以前書いておいたものを元にして、ビショップの訳者あとがきを作ってみる。400字詰30枚になる。長すぎるかなあ。訳註の部類も含めたこともあるんだが。良い悪い、好き嫌いの評価は最低でも二度読んでからにしてくれ、と書いてみたが、これもどうだろう。この二つは本来まったく別の尺度なので、あんたは嫌いかもしれないが傑作というのもあれば、ダメダメだけれど好きでたまりません、というのもある。オレが好きなものは全部大傑作で、嫌いなものは駄作だというのは、あまりにひとりよがりに思い上がった傲慢だろう。文学は、いや、文学だけでなく、音楽、美術、パフォーマンス、どんなものでも、どんな個人よりも、人間よりも遙かに大きなものなのだ。もっとも、好き嫌いと良し悪しを混同していることをそもそも自覚していないのか。
[いつか、ツイッターで受けた質問で、イェイツから引用した原題は「無敵」か「他に強敵がいる」のどちらと思うかとあったけど、視点の置き方でどちらともとれる、と思います。]

オーディオ、ル・グィン全集、Downes & Beer
「感性を刺激する音」とか「憧れのマークレビンソン」とか、PhileWeb の記事のタイトルに笑ってしまう。いやしくもオーディオ市場に出ている製品の音で「感性を刺激」しない音はあるのか。今のマークレビンソンが、かつて憧れの的だった「あの」マーク・レヴィンソンとその製品とは縁もゆかりもないことは、オーディオファイルなら常識ではないか。要するに語彙の貧困。書き手は文章についてのインプットが不足している。つまり本を読んでいない。ああ、しかし、人のフリ見て我がフリ直せ。もっと本を読みたい。
しかし M11Pro に続いて M15 も生産完了だそうだ。半導体の世界的不足のためらしい。M11Pro は大事に使わねば。
散歩の供は Paul Downes & Phil Beer, Life Ain’t Worth Living The Old Fashioned Way。1973年の2人名義のファースト。2人それぞれにとってもレコード・デビューらしい。デュオとして3枚あるうちこれのみ2016年に Talking Elephant から CD化されていた。アナログではこれのみ手に入らなかった。他の2枚もぜひデジタル化してほしいものだ。アナログでの記憶は後の2枚もすぐれもので、とりわけ2枚組ライヴ盤は傑作だった。
花、Dark Fields、HE400i
八重桜が満開。温水のヨークマートの前にあった八重桜は背後の斜面に移したのだろうか。屋上の駐車場から見ると正面に間隔をおいて4本ほど並ぶ。その奥、上の道路脇に、こちらは前からある木だろう、もう3、4本ある。どれも満開。ヨークマート隣の SEL研究所のグラウンドの落合医院側の角に5、6本並んでいて、これも満開。梨畑で花が満開。あちこち藤も開きだした。こでまりも満開。
《Get On A Swing》はこれで聴くとかなり良い。もう少しチェロとギターのからみ合いを聴いてみたい気もするが、それぞれのソロをしっかり支えるというコンセプトなのだろう。チェロのベースはドーナルのバゥロンのベースにもにて、なかなか腰がある。コントラバスのように大きく響かないのが、かえってビートを効かせる。それに HE400i では音の芯が太くなる。これも使用150時間を超えてきたからでもあろう。やはりこれくらいは鳴らしこまないと、本当の実力はわからない。
本を買う苦労、散歩の歓び
ITMA で紹介されていた In Nearly Every House: Irish Traditional Musicians of North Connacht by Gregory Daly を AbeBooks で注文。ITMA で買うと送料が高い。本の値段の半分。
03-31: アイリッシュ・ミュージックの女性差別
03-26: イングリッシュ・トリオ
03-24: 若葉、娘、ゴールウェイの百姓
3月19日 ネビュラ・ファイナル、ジョン・レンボーン・グループ
リスニング・ギアはサンシャインのディーレン・ミニを貼りつけた KOSS KSC75 と FiiO M11Pro。(ゆ)
3月18日 ディレーニィ、メリル、ビア、ナイトリィ、ボルトン
3月17日 ローベルト・ヴァルザーとショウ・オヴ・ハンズ
Shanling M3X は WiFi を省略し、USB DAC 機能もはずし、2.5mmバランス・アウトを捨てて低価格にしたもの。MQA はフルデコードだが、これは ESS9219C の機能。ハードウェア・レンダラーになっている。この最新チップ採用で電力消費も抑え、バッテリーの保ちがよくなっているのもウリか。このチップを採用した初めての DAP のようだ。チップの発表は2019年11月。エントリー・モデルでは AirPlay 2 対応はまずないなあ。
もう1冊は山城むつみ『ドストエフスキー』。どうもいよいよドストエフスキーを読むことになりそうな気分。呼ばれているような気分。
ナロ・ホプキンソンの序文はなかなかいい。1960年生まれ。昨年還暦。ディレーニィはほぼリアルタイムだろう。この人はトロントに住んでいて、ジュディス・メリルがやっていた作家塾に参加していたそうな。そこへディレーニィが来て、メリルと対談し、サイン会をした。その時 Dhalgren の、もともと図書館からの回収本を買い、何度も読んでぼろぼろになったものを、ごめんなさいと言いながら差し出すと、ディレーニィは読んでくれたことが大事なのだ、と答えた。そうか、ぼろぼろになるまで読むのだ、あれを。
3月15日 Show of Hands 再び
3月14日 Show of Hands
