クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:インターネット

08月08日・月
 1330過ぎ、ネットがつながっていた。ルータの Active ランプが点灯しているのに気付いて試すと問題なくつながる。何も無しにいきなり切れたから、またいきなりつながるかと思い、電源を入れっぱなしにしておいたら、案の定であった。まったく原因不明。切れた時刻も復帰した時刻もほぼ同じ。ちょうど6日間。あるいはこのあたりのどこかの工事で何かでやらかしたのをこっそり直したのかもしれない。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月08日には1982年に1本だけショウをしている。公式リリースは無し。

1982 Alpine Valley Music Theatre, East Troy, WI
 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。16ドル。
 第二部 drums> space にザキール・フセイン、クローザーの〈Not Fade Away> Wharf Rat> Good Lovin'〉にジョン・チポリーナが各々参加。
 前夜に勝るとも劣らない出来だそうだ。(ゆ)

08月07日・日
 水曜昼以来、WiFi がネットにつながらない件、無線ルータ回りをいろいろやってみる。VSDLモデムとつなぐケーブルを替えてみたり、あらためてプロバイダのパスワードを入れなおしてみたり、いじれる設定をいじれるだけいじってみるが、まったく変化なし。 ルータの ACTIVE ランプがぴかぴかと点滅しているのは同じで、これはつまりインターネットへの接続先からの応答が無いということだそうだ。NEC の Aterm サポートにメールを出してもみる。

 ネットには iPhone のテザリング経由で必要最小限だけつなぐ。

 総とっかえすることにしたが、開通までは2〜3週間というので、つなぎも兼ねて WiMAX の無料トライアルを申込む。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月07日には1971年と1982年の2本のショウをしている。どちらも完全版が出ている。
 1966年にもこの日にショウをしていると DeadLists にあり、ポスターとチケットも残っているらしいが、DeadBase X でキャンセルとされている、との記載あり。DeadBase 50 とそこに含まれる XI にはまったく記載無し。

1. 1971 Golden Hall, San Diego, CA
 土曜日。南カリフォルニア3日連続のランの楽日。バルコニー3.50ドル、メイン・フロア4ドル。開演8時。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。
 《Dick's Picks, Vol. 35》で全体がリリースされた。2時間少し超えるこの時期としては短かいショウ。
 この録音はいわゆる "The Houseboat Tapes" の1本。《Dick's Picks, Vol. 35》に収められた3本のショウの録音すべてがそうで、このショウは完全だったが、他の2本は一部テープが修復不可能で、ショウの全部ではない。
 "The Houseboat Tapes" は、1971年にキース・ガチョーが加わった際、ガルシアがキースに渡した一箱のテープでこの年夏のツアーの録音。デッドの音楽を研究するようにという意図だったが、キースはまったく聴かずに、両親のボートハウスにこれを置いた。2005年春になって、キースの兄弟ブライアンと息子のシオンがこのボートハウスの整理をしていて、テープの詰まった箱を見つけた。かれらはその箱をドナ・ジーン・ガチョー=マッケイに送った。ドナは中身を見て仰天し、デッドのアーカイヴィスト、デヴィッド・レミューに電話した。そこに含まれていたのは、1971年04月28、29日のフィルモア・イースト、08月14、15日の Berkley Community Theatre の全体など。前者は《Ladies And Gentlemen…》の一部として別の録音からすでにリリースされていたが、後者はまだ出ていない。

2. 1982 Alpine Valley Music Theatre, East Troy, WI
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。
 《Dick's Picks, Vol. 32》で全体がリリースされた。ただし、CD2枚に収めるためだろう、drums, space とクローザー〈One More Saturday Night〉は編集されている。
 ヴェニューがあるのは近くには何もない田舎だが、マディソン、ミルウォーキー、ロックフォード、シカゴからほぼ等距離にあるので、動員力は大きい。1977年にオープンした37,000のキャパシティの屋外アンフィシアターで、7,500人分は屋根がある。アンフィシアターのサイズでは全米でも1、2を争う。デッドのお気に入りのヴェニューの一つで1980年08月23日から1989年07月19日まで、20回演奏している。1984年から89年まで毎年夏のツアーに組み込まれた。デッドヘッドはショウで踊りたい人間も多いから、こういう構造のヴェニューはファンにも人気がある。
 ショウ全体が公式リリースされているのはこれのみ。他に1981年07月11日から1曲が2012年の《30 Days Of Dead》、1989年07月17日と19日から1曲ずつが《Fallout From The Phil Zone》、07月19日からは他に1曲が《Beyond Description》、さらに3曲がビデオ《Downhill From Here》でリリースされた。(ゆ)

08月05日・金
 昨夜ははじめ2時間起きにトイレに起きる。0000過ぎの後は0530過ぎ。その後、目は覚めるがトイレに行きたくはならず。1030起床。一応回復。午後、散歩もする。

 水曜日の昼にいきなり家のネット接続が切れた件、プロバイダの Asahi-Net も、回線の NTT も自分のところが原因ではないという。NEC のルータは初期化して再設定してもダメ。結局、どこも他に押しつけあってラチがあかない。全部総とっかえするしかないか。

 振込しようと近くの郵便局に行くと、局員2人が COVID-19陽性で今週一杯 ATM も含めて閉鎖。ここは局長以下、パート含めて5、6人のスタッフで、そのうち2人というのは率が高いな。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月05日には1966年から1989年まで7本のショウをしている。公式リリースは2本。

1. 1966 Pender Auditorium, Vancouver, BC
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。前売2.50(カナダ)ドル、当日3(カナダ)ドル。
 セット・リスト不明。

2. 1967 O'Keefe Center, Toronto, ON, Canada
 土曜日。このヴェニュー6日連続の千秋楽。共演ジェファーソン・エアプレイン、ルーク&ジ・アポスルズ。この日もマチネーとソワレの二度ショウをやった。セット・リストの全体は不明。
 夜のショウのクローザー〈Alligator〉が2010年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 夜のショウの〈Turn On Your Lovelight〉が初演とされる。ピグペンの持ち歌として1972年05月24日のロンドンまで演奏され、1981年に一度、オランダで、1982年に二度演奏された後、1984年に本格的に復帰。ウィアをリード・シンガーとして1995年06月19日のジャイアンツ・スタジアムまで計348回演奏された。演奏回数順では26位。〈Black Peter〉より1回多く、〈Loser〉より4回少ない。スタジオ盤収録無し。アナログ時代の公式リリースでは1969-01-26, Avalon Bollroom の演奏が《Live/Dead》収録。
 原曲はボビー・ブランドが1961年に録音して年末にシングル・リリース、翌年初め、R&Bチャートで2位。作詞作曲はブランドのバンドのリーダー Joseph Scott。なお、本来のタイトルは〈Turn On Your Love Light〉。デッド世界では "Lovelight" のスペルが使われる。

3. 1970 Golden Hall, San Diego Community Concourse, San Diego, CA
 水曜日。一部、二部ともに30分強のアコースティック・セット。デヴィッド・ネルソンがマンドリンとヴォーカル、マーマデュークがバス・ヴォーカルで参加。

4. 1971 Hollywood Palladium, Hollywood, CA
 木曜日。このヴェニュー2日連続の初日。前売5ドル、当日5.30ドル。開演8時。終演?時。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。ポスター等には "The Grateful Dead Dance" と銘打たれている。

5. 1974 Civic Convention Hall Auditorium, Philadelphia, PA
 月曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。6ドル。開演7時。
 第一部5曲目〈Me And Bobby McGhee〉から第二部クローザー〈One More Saturday Night〉まで、第一部から4曲、第二部から11曲計15曲2時間弱が《Dick's Picks, Vol. 31》でリリースされた。
 出来は最高で、とりわけ第一部クローザー〈China Cat Sunflower> I Know You Rider; Around and Around〉もすばらしいが、第二部〈Scarlet Begonias〉からの後半はデッドの最高の音楽が聴ける。とりわけ〈Scarlet Begonias〉は単独ヴァージョンのベストというだけでなく、〈Fire on the Mountain〉とのペアでもこれだけの演奏は無いと思えるほど。〈He's Gone〉から〈Truckin'〉以下クローザーまでのメドレーも決定的と思える演奏が続く。
 この時期、デッドは内外のトラブルを抱えて内情は青息吐息だったわけだが、そんなことはまったくここには現れてこない。あるいはそれだからこそ、音楽が良くなるということか。

6. 1979 Oakland Auditorium, Oakland, CA
 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。9.50ドル。開演8時。
 第二部 drums と space の間の〈Ollin Arrageed〉にハムザ・エル・ディン参加。
 この2日間はミドランドのベイエリア・デビューで、すでによく溶けこんで、ショウも良くなっていた由。

7. 1989 Cal Expo Amphitheatre, Sacramento, CA
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。開演7時半。
 この時期悪いショウはないはずだが、これはことにすばらしいらしい。
 第二部2曲目の〈Playing In The Band〉の時、ビデオないし映写でガルシア、ウィア、レシュ、ミドランドが、マウント・ラシュモアの大統領たちの形に映しだされた。(ゆ)

06月27日・月
 最近、WiFi の調子が今ひとつ悪い。ウエブ・サイトが表示されても、画像が出なかったりする。WiFi を一度切ってまた入れると出てくる。ルータが悪いのではないかと、新しいのを買ってきてつないでみる。ところがフレッツ光のモデムが認識しない。古いルータに戻すとちゃんと認識する。考えてみたら、ウチはBフレッツでずっと変えていないのだった。もうそんなサービスは NTT のサイトでも出てこない。

 そこで現行のものに変えられるのか、確認しようとしたが、NTT東日本の電話は全然つながらない。電話ではウエブ・サイトも見てくれ、と言うのだが、ウエブ・サイトを見ると、問合せはここへ電話しろとフリー・ダイアルの番号が表示される。そこへ電話して、まったくダメである。あちこち探して、メールでの問合せページを見つけて送ってみた。その返事が木で鼻をくくったように、ここへ電話しろとまたフリー・ダイアルの番号が示される。メールで問い合わせる方法は無い、とも言う。

 やはり、どこか勘違いしてるんじゃないか。それとも、大男、総身に知恵が回りかね、を地で行っているのか。あるいは、いまさらBフレッツなんぞ契約しているようなヤツはいちいち相手にしてられねえ、ということか。

 ということで、ちょうどチラシが入ってきた KDDI を試してみるか、という気になる。


%本日のグレイトフル・デッド
 06月27日には1969年から1995年まで8本のショウをしている。公式リリースは2本。

1. 1969 Veterans Auditorium, Santa Rosa, CA
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。3ドル。ポスターが読みにくい。1時間半の一本勝負。
 7曲目の〈Dire Wolf〉が《The Golden Road》所収の《Workingman's Dead》のボーナス・トラックでリリースされた。ここではウィアがヴォーカルをとっている。ガルシアはペダルスティールに専念。ガルシアは1曲目〈Ol' Slewfoot〉とクローザー〈Green Green Grass Of Home〉でもペダルスティール。〈Ol' Slewfoot〉に NRPS の  Peter Grant がバンジョーで参加。
 サンタ・ローザはサンフランシスコの北北西70キロほどの街。

2. 1970 Canadian National Exhibition Hall, Toronto, ON, Canada
 土曜日。前売14カナダ・ドル。当日16カナダ・ドル。有名な Trans Continental Pop Festival の一環。カナダのトロントからヴァンクーヴァーまで列車を仕立て、ミュージシャンたちを乗せて、行く先々でフェスティヴァル形式でコンサートを開く、という企画。結局途中で中断してしまうが、中断するまでの間の列車の中は四六時中音楽のパーティー状態で、参加したミュージシャンたちは生涯最高の体験と口を揃える。この時の模様は《Festival Express》としてビデオが出ている。

Festival Express
Festival Express
Shout Factory
2014-02-11



 参加したミュージシャンとしてポスターに掲げられているのは
ザ・バンド
ジャニス・ジョプリン
デラニー&ボニー&フレンズ
グレイトフル・デッド
エリック・アンダースン
テン・イヤーズ・アフター
トラフィック
イアン&シルヴィア&ザ・グレイト・スペクルド・バード
シャ・ナ・ナ
バディ・ガイ
トム・ラッシュ
ジェイムズ&ザ・グッド・ブラザーズ
Buckstone Hardware
シー・トレイン

 Buckstone Hardware は1967年にトロントの北200キロほどの街 North Bay で結成された。当初はカルテットで The Riffkin と名乗り、5人目を加えてこの名前に改名。1969年初めにトロントに移り、シングルを1枚発表。このフェスティヴァルに参加したのがキャリアのピークらしい。

 デッドにとっても影響は大きく、これで音楽への姿勢が変わったとも言われる。形として最も明瞭なのが〈Goin' Down The Road Feeling Bad〉で、この時、列車の中でガルシアがデラニー・ブラムレットから習い、レパートリィの定番として300回近く演奏されることになる。

 この日と翌日、トロントでの公演があり、デッドのパートの一部のテープが残っている。デッドはトラックの荷台でアコースティック・セットを無料でやったという証言もある。


0. 1974 From The Mars Hotel release
 この日《Grateful Dead From The Mars Hotel》が発売。バンド7作目のスタジオ盤。Grateful Dead Records として2枚目。

From the Mars Hotel (Dig)
Grateful Dead
Grateful Dead / Wea
2006-03-07



 ジャケットに上下逆様にして反転したレタリングで "Ugly Rumours" という文句が印刷されている。このアルバムの別称としてこれが使われることがある。イラストは Mary Ann Mayer。

 The Mars Hotel はアルバムを録音したサンフランシスコの CBS スタジオの近くにあった建物。これを取り壊す映像が The Grateful Dead Movie の中にある。
 このスタジオは元々は Coast Recorders というスタジオで、デッドは1967年にここで〈The Golden Road (To Unlimited Devotion〉のシングルを録音している。その後、CBS が買取り、改修して使っていた。ガルシアはこの年、アート・ガーファンクルの《Angel Clare》の録音セッションで、ここで演奏したことがあった。

 録音は1974年03月31日から04月19日にかけて行われた。エンジニアは Roy Segal。シーガルは1960年代末から活動していたエンジニア。有名なところではビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーの《Cheap Thrill》を手掛けた。ローラ・ニーロ、スライ&ザ・ファミリー・ストーンなども担当している。

 ミュージシャンのクレジット。
Jerry Garcia - lead guitar, vocals
Bob Weir - guitar, vocals
Phil Lesh - bass, vocals
Keith Godchaux - keyboards
Donna Jean Godchaux - vocals
Bill Kreutzmann - drums

With;
Ned Lagin - synthesizer (on Unbroken Chain)
John McFee - pedal steel (on Pride Of Cucamonga)


 トラック・リスト。
A面
U.S. Blues;(Hunter/Garcia)
China Doll;(Hunter/Garcia)
Unbroken Chain;(Lesh/Peterson)
Loose Lucy;(Hunter/Garcia)

B面
Scarlet Begonias;(Hunter/Garcia)
Pride of Cucamonga;(Lesh/Peterson)
Money Money;(Weir/Barlow)
Ship of Fools;(Hunter/Garcia)

 このアルバムにも録音されながら落とされた曲は無い。

 初演年月日順
China Doll 1973-02-09
Loose Lucy 1973-02-09
U.S. Blues 1974-02-22
Ship of Fools 1974-02-22
Scarlet Begonias 1974-03-23
Money Money 1974-05-17
Unbroken Chain 1995-03-19

 〈Pride of Cucamonga〉はデッドのライヴでは演奏されず。ポスト・デッドの様々なバンドではライヴで演奏されている。

 終演年月日順
Money Money 1974-05-21
China Doll 1994-10-11
Ship of Fools 1995-06-25
Scarlet Begonias 1995-07-02
Loose Lucy 1995-07-05
U.S. Blues 1995-07-08
Unbroken Chain 1995-07-09

 演奏回数順。
U.S. Blues 332
Scarlet Begonias 314
Ship of Fools 225
China Doll 114
Loose Lucy 98
Unbroken Chain 10
Money Money 3
Pride of Cucamonga 0

 〈Money Money〉は3回しか演奏されていないが、その3回とも公式リリースで出ている珍しい例。

 どの曲も悪くなく、曲調や性格もヴァラエティに富み、アレンジや演奏もしっかりしていて、当時のポピュラー音楽のアルバムとして、むしろ質は高い方と思われる。チャートでは Pop Album 年間で16位だから、まったく売れなかったわけでもない。この年、対抗馬となりそうなのはバッド・カンパニーのデビュー・アルバムと、クラプトンの《461 Ocean Boulvard》だが、前者はともかく、後者ではこちらの方が出来は良い、とあたしなどは思う。もっとも、クラプトンは《レイラ》以外、良いと思ったもことは無いけれど。

 デッドの音楽が不思議なのは、ライヴでは熱烈なファンを早い時期から獲得しながら、〈Touch of Grey〉までヒット曲が出ていないことだ。デッドの音楽はアメリカの若者の心の琴線に触れる、それも単に触れるだけではなくて、線が切れるかと思えるほど揺らすものがある一方で、表向きの楽曲としてはポピュラーなものにならなかった。ここに収められた曲も、〈Money Money〉と〈Pride of Cucamonga〉を除いて、ショウのレパートリィとしてはいずれも人気が高い。演奏回数の少ない〈Unbroken Chain〉にしても、デッドヘッドの非公式アンセムとされて、これをライヴで聴くことはデッドヘッドにとって長年の夢だった。

 むろん、スタジオ版はライヴ版に比べるべくもないにせよ、デッドのショウには行かないが、その音楽は好きだ、という人間がもっといてもいいとも思える。実際にそういう人も皆無ではないが、しかしごく少数のようだ。

 それはなぜか。スタジオ盤の質がはっきり悪いならば別だが、同じ条件であるはずの他のアルバム、たとえばそれこそ《461 Ocean Boulvard》は1位になり、こちらはならないのは、知名度の違いだけなのか。

 ベストセラーの1位になるような音楽、あるいは本でも、映画でも、飛び抜けて大量に売れるものは、どこかで媚びている。と言うときつすぎるかもしれないが、想像力をとことんまで解放してはいないところがある。ポール・マッカトーニーのように、そもそもとことんまで突きつめるということができないが、それでも質の高い作品を生む人もいるから、突きつめることがいつもベストであるわけではない。しかし、デッドのようにとことんまで突きつめることができ、それを生き甲斐としているクリエイターが突きつめない、あるいは突きつめられないでできた作品は、訴える力が弱くなる、それも自乗に反比例して弱くなる、のかもしれない。

 デッドはスタジオではとにかく窮屈でしかたがなかった。押し込められ、伸び伸びできないと感じていた。ライヴではとことんまで行けるが、スタジオでは行けなかった。突きつめられなかった。

 再びクラプトンにご登場願えば、かれは寸止めの名人である。Apple も同じくらい寸止めの名人だ。どちらも、最後の一分を残す。人はそこに安心する。とことん突きつめて尖ってしまったものを前にすると、たいていの人は退く。デッドのショウはとことん突きつめて、その向こうに飛び出してしまう。それは共感できる人間にとってはたまらない解放感を与える。人生をそこで変えるほどの解放感を与える。いつもそれが起きるわけではない。しかしいずれ起きることはわかっているから、デッドヘッドはできるかぎりたくさんのショウを見ようとする。1990年代への不満は、「それ」が起きる頻度が従前に比べてずっと減ると感じたからかもしれない。


3. 1976 Auditorium Theatre, Chicago, IL
 日曜日。このヴェニュー4日連続のランの2日目。6.50ドル。

4. 1983 Poplar Creek Music Theatre, Hoffman Estates, IL
 月曜日。このヴェニュー2日連続の初日。開演8時。
 かなり良いショウの由。

5. 1984 Merriweather Post Pavilion, Columbia, MD
 水曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。開演6時。
 この年ベストの1本らしい。

6. 1985 Saratoga Performing Arts Center, Saratoga Springs, NY
 木曜日。9ドル。開演8時15分。
 第一部クローザーの〈Hell In A Bucket > Don't Ease Me In〉が2013年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 すばらしいショウのようだ。

7. 1987 Alpine Valley Music Theatre, East Troy, WI
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。開演4時。
 第一部6曲目〈Just Like Tom Thumb's Blues〉は聴衆からの "We want Phil!" に対して、「わかった、今日だけな」と言って演奏した。
 このランのベストのショウとも言われる。

8. 1995 The Palace, Auburn Hills, MI
 火曜日。このヴェニュー2日連続の初日。27.50ドル。開演7時。
 第一部クローザー前の〈Eternity〉でウィアがアコースティック・ギター。
 オープナーの2曲〈Greatest Story Ever Told〉〈Bertha〉はこれが最後。(ゆ)

06月11日・土
 FSG のニュースレターを見て、Kaitlyn Tiffany, Everything I Need I Get From You をアマゾンで予約。"stan culture" すなわち熱狂的なファン活動がインターネット、ソーシャル・メディアを作ってきたことを、自ら One Direction のスタンである著者が書いたもの。当事者としての体験と、学究的な叙述をまぜあわせているらしい。Pitchfork というサイトに抜粋がある。

Everything I Need I Get from You
Tiffany, Kaitlyn
FSG Adult
2022-06-14



 スタン文化の最初の一つ、原型の一つで、インターネットをこんにちの形にしたものがデッドヘッドだ。ビートル・マニアもスタン文化と呼べるかもしれないが、かれらはネットワークを作った形跡がない。ビートル・マニアに比べると、デッドヘッドは「社会現象」では無かった。それは当初、デッド世界以外からはほとんど見えない存在だった。インターネット、ソーシャル・メディアは、それまで社会の表面からは隠れていたこういう集団が物理的空間を超えてコミュニティを作る手段となる。それをインターネット創成期からやったのがデッドヘッドであり、かれらがその形で利用したことで、インターネットは立ち上がってゆく。ティファニーが指摘しているのは、インターネット上のメーリング・リストなどを維持するのに必要な費用をデッドヘッドたちが負担したことだ。

 同様に社会的文化的にマージナルとみなされていた集団、たとえばアジア系クイアの人びとが Tumblr にコミュニティを作り、そこで反ヘテロ中心主義、反白人至上主義の流れを作ってゆく。そこで発言している、書きこんでいるのがアジア系クイアだとはすぐにはわからないから、ネット上の発言は発言者のアイデンティティを離れ、「世論」を形成してゆく。

 そうすると、今アメリカで顕著になっている禁書の動きは、既得権益層ありていにいえばカネのある白人保守層がインターネット、ソーシャル・メディアによって形成された「世論」の風潮にあわてふためいた結果ではないか。かれらはインターネット、ソーシャル・メディアがそうした「世論」を作っていることが理解できない。なぜなら、そういう形でネットを使っていないから。使う必要が無かった。これまでは。かれらに理解できるのは物理的な形あるものだけなので、そういうモノ、つまり本へのアクセスを禁ずることで、そうした「世論」形成にブレーキをかけようとしている。それで実際に「世論」の形成に歯止めがかけられるのか、かれらにも自信は無いのだが、他に思いつくものも無い。

 この本はワン・ダイレクションのハリー・スタイルズがゲロをしたロサンゼルスのハイウェイの路肩に1人のファンが「祭壇」(「ここでハリー・スタイルズがゲロをした」と書いた段ボールの看板)を作る話から始まる。これはつまり、パリの建物の壁に、作家なり画家なりある人物がここに住んでいたと記念の銘板を埋めこむのと本質的にはまったく同じことだ。著者は後日、この「祭壇」が置かれていた場所を探しまわるが、見つけられない。しかし、その「祭壇」があったことはネット上の写真、発言によって後に残る。さらに、それを探しまわって見つけられなかった著者のツイッターなどからも間接的に残る。記録のネットワークの形で残る。パリの建物の壁の銘板は、パリ自体が消滅すればともに消滅して記憶もなくなる。もっとも、その写真、訪問記の形でネット上には残るだろう。

 一方で、この著者はこんにちのインターネットの危うさも理解している。それは利益追求のみを目的とした企業によって支えられているので、かれらが利益を得られなくなれば、あるいは得られないと判断するだけでも、 Facebook も Tumblr もツイッターも Instagram も、そこに蓄積された膨大な記録、記憶ともどもあっさりと消滅する。今、無料のウエブ・サイト・ホスティング・サービスや掲示板をベースとしたコミュニティが、どんどん消滅しているように。


%本日のグレイトフル・デッド
 06月11日には1966年から1993年まで6本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。

1. 1966 Avalon Ballroom, San Francisco, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。The Quick and the Dead 2日目。The New Tweedy Brothers 前座。クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス共演。開演9時。セット・リスト不明。

2. 1969 California Hall, San Francisco, CA
 水曜日。厳密にはデッドのショウではなく、Bobby Ace And His Cards From The Bottom Of The Deck の名義で、メンバーはウィア、ガルシア、レシュ、ハート、トム・コンスタンティン、ジョン・ドーソン、デヴィッド・ネルソン、と DeadBase は記す。ポスターがあるが、ひどく読みにくい。ほとんど解読不能で告知の用をなさない。描いたのはL・ロン・ハバードとあるが、あのロン・ハバードなのだろうか。
 セット・リストはデッドらしいものと外れるものが混在している。前半3曲目の〈Mama Tried〉と8曲目〈The Race Is On〉が初演とされる。
 前者はマール・ハガードの作詞作曲。1995-06-25まで計307回演奏。スタジオ盤収録無し。演奏回数順で40位。〈Friend Of The Devil〉より4回少なく、〈It's All Over Now〉より4回多い。ハガードの原曲は1968年08月にカントリー・チャートで1位となっている。ハガードによれば、本人の体験をそのまま歌ったものの由。
 後者は Don Rollins の作詞作曲。1995-05-20まで64回演奏。1973年と1980年に集中して演奏された。スタジオ盤収録無し。原曲最初の録音は Jimmy Gray の1963年のシングル。有名なのはジョージ・ジョーンズの1964年のシングルで、カントリー・チャートで3位になった。

3. 1976 Boston Music Hall, Boston, MA
 金曜日。このヴェニュー4日連続のランの3日目。8.50ドル。《June 1976》で全体がリリースされた。

4. 1991 Charlotte Coliseum, Charlotte, NC
 火曜日。このヴェニュー2日連続の初日。22.50ドル。開演7時半。ブルース・ホーンスビィ参加。かなり良いショウの由。

5. 1992 Knickerbocker Arena, Albany, NY
 木曜日。このヴェニュー2日連続の初日。開演7時。第二部オープナー〈Foolish Heart〉を除くとあまり味のないショウの由。

6. 1993 Buckeye Lake Music Center, Hebron, OH
 金曜日。開演6時。スティング前座。非常に良いショウの由。(ゆ)

 「『著作者に無断でアップロードされた動画、音楽のダウンロード』について、
著作権法30条に定められた『私的使用』の範囲から外し、違法とすべき」
という方向性が、
著作権法改正について検討する
文化庁長官の諮問機関
文化審議会著作権分科会の私的録音録画小委員会でまとまりましたが、
この方向性についての是非を考えるシンポジウムを、
MIAU(Movements for Internet Active Users:
インターネット先進ユーザーの会」)が
12月26日に開いたそうで、
その要旨をまとめた記事が出ています。

 この方向性がはらむ問題点については
上記の記事に簡潔にまとめられていますが、
これは「レコード輸入権問題」と同じか、
それ以上に大きな問題だと思います。

 権利者死後の著作権有効期間の延長問題もそうですが、
基本的に、文化庁は著作権に関しては、
使用者側ではなく、
権利者側に立った姿勢が目立ちます。
このことは明治以来の我国中央官庁の癖で、
たとえてば、
「私的使用」のこのような形の制限は
「薬害エイズ」や「薬害肝炎」に相当する
と言えるのではないでしょうか。

 著作物は利用されて初めて価値が出るので、
だれも利用できないように囲い込めば、
著作物は死にます。
制限をしても利用する人間は多い
つまり商売として成りたつだけの数の人間は
制限を超えて利用すると
権利者側は思い込んでいるのでしょうか。

 「儲け」を重視するあまり、
著作権を神棚に祭り上げれば、
著作権のシステムそのものが崩壊する可能性を
デジタル技術ははらんでいると思います。(ゆ)

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