クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:エッセイ

 昨年読了した本は53冊。総ページ数12,365ページ。1冊平均237.8ページ。この他に、雑誌、アンソロジー、ウエブ・サイトなどで読んだものもある。そちらはいちいち記録はしていないが、記憶に残るものを一篇あげれば、Wendell Berry の 'The Rise'。1968年発表で、1969年のエッセイ集 The Long-Legged House に収録。LOA の The Story of the Week で読む。その畔に住んでいたケンタッキー河が雨で増水し、普段の何倍もの幅に膨らんだ。そこに上流からカヌーで乗りだし、いつもとはまったく違う世界を体験しながら家まで下る。


Sarah Ogilvie, The Dictionary People: the Unsung Heroes Who Created the Oxford English Dictionary; 2023
 著者はオーストラリア生まれ。英国で学び、Oxford English Dictionary すなわち OED の編集部に入る。オクスフォードで教えることになり、そこを去る日、地下の倉庫に降りて、世界中の協力者たちから送られてきた用例スリップの束にでくわす。

 OED の編集者といえば三代目で実際に OED を出しはじめたジェイムズ・マレーが有名だが、マレーと少数のその編集部だけで OED ができあがったわけじゃない。

 OED の原則は2つある。一つは語彙の意味を歴史にそって並べること。もう一つはすべての意味の時間的変化を用例で示すこと。この用例を収集することは少人数の編集部でまかなえるものではなく、OED の初期編集者たちは全世界の英語話者に協力を呼びかけた。つまり、文献を読んで、ある語彙のある意味を適切に示している用例を抜き書きして編集部に送ってくれというわけだ。語彙と用例、出典を書いた紙切れ、京大カードの一回り小さいくらいのサイズの紙が全世界の英語話者から送られた。英語圏からだけではなく、日本からも送られた。送ったのが日本人とは限らないが。それが全て地下に保管されていたのだ。OED を作ることが可能になったのは、ひとえにこの膨大な数の用例スリップのおかげだ。

 著者が見つけたものはもう一つある。マレーが作っていた住所録だ。用例スリップをたくさん送ってくる人たち、優れた用例スリップを送ってくる人たちの氏名、住所、時にその特徴、そして送ってきた用例スリップについてのメモが書かれていた。用例を探す文献は各自の判断に任されていたが、マレーの方で用例を探したい文献がある場合、本と空白のスリップを送って依頼することもあった。またある語彙の意味の変化を辿って空白の時期の用例を探すことを依頼することさえした。

 著者はこの2つの資料をもとに、用例スリップを送った人びとを追いかけはじめる。大部分は名前と住所だけで、何者ともわからない。それでも調べてゆくとぼんやりわかってくる人もいる。また、正体が詳細にわかる人もいる。こうしてわかった人たちについてわかったことを著者は書いてゆくのだが、まあ面白い。用例スリップを送った人びとのうち学者はごく一部。ほとんどは市井の人たち。実にいろいろな人たちがいる。

 おそらく最も有名なのは、それだけで1冊の本になり、映画化までされた、人殺しをして精神病院で生涯を過したウィリアム・マイナーだろう。

 職をもとめて執拗にマレーにまとわりつき、スリップを送りつづけた男オースティン。この男は家族が経営していた会社からも放りだされる。どこか性格か精神の箍がはずれていたのだろう。しかし送ったスリップの枚数ではダントツでトップ。

 フランクリンの第一次北西航路探索隊に医師として参加し、辛酸を舐め、また命の危険を感じて土着民の協力者の1人を射殺した人物。フランクリンが3度目の試みで行方不明になると、その追跡・探索に向かう。晩年、レイク・ディストリクトに隠棲して、娘とともにマレーにスリップを送りつづけた。

 OED立上げのためのネットワーク作りに誰よりも抜きんでて貢献したアレクサンダー・エリス。11歳のとき、親族の1人が姓を自分の Ellis に変えるなら莫大な遺産を残すともちかけたのに両親が応じて、生涯食うに困らず、趣味を追求した。その趣味の一つが古文献学、方言学。手がけたすべての趣味でプロの業績を残したアマチュア。

 マレー前任者でマレーを編集者に推した Furnivall の弟 William の存在もここで初めて明るみに出る。マレーに送ったスリップと国勢調査などの断片的な情報以外、データが無い。死んだ時約1万ポンドを唯一人親しかった姪に遺贈する。スリップ以外、外部との音信の記録が無い。OED の中だけに存在した人物。これに関連するヴィクトリア朝のイングランドの精神病院の様相もあり、さらにともにスリップを送った対照的な2人の精神科医も登場する。

 読んでいると、OED を生みだしたヴィクトリア朝英国は面白いキャラクターに満ちているとすら見えてくる。ほとんど OED を媒介としたヴィクトリア朝英国社会史の趣すらある。辞書の話というよりは辞書を作った人びとの話で、マレーやファーニヴァルなどの編集部も含めて、立ちまくったキャラクターのオンパレード。こうした人びとが作った OED が最大のキャラということになろうか。


Victoria Goddard, At The Feet Of The Sun; 2022-11
 ゴダードは昨年長篇を1本、中篇を6本リリースした。すべてセルフ出版。電子版だけでなく、紙版もある。

 長篇 The Bone Harp は「九世界」とは別の世界での話。ストーリーは単純で、次に何が起こるかよりも、どう起きるか、それがどう語られるかを味わう小説。しかも、いろいろな意味で、小説の構成や語りの型にまつわる暗黙の決まりを破っている。通常の出版社では構成が破綻しているといって、まず出さないか突返されるだろう。それでいて、小説を読む愉しみを十全に味わわせてくれる。加えて、ここまで徹底的に歌を織りこんだ話は珍しい。魔法としての歌、無生物との、あるいは死者との意思疎通の手段としての歌、武器としての歌、祝福としての歌。ただし、ここでは歌は呪詛にだけはならないらしい。

 その前に、例の The Hands Of The Emperor の続篇 At The Feet Of The Sun を読んだ。Hands と質量ともに肩を並べる雄篇。なお、話の順序としてはこの2本の間に The Return Of Fitzroy Angursell がはさまる。この3本は三部作を成す。長さから言えば Hands と Feet は通常の長篇の3、4倍はあるので、通常の長さの Return が2つをつなぐ形。これから読もうという向きはこの順番で読むことを薦める。

 この三部作はゴダードのこれまでの全作品の核をなす。「九世界」の中心の話だ。これを本流とすれば、Greenwing & Dirt のシリーズが最大の支流を形成する。Feet の最後で2つの話が合体する可能性が示される。

 昨年リリースした6本の中篇のうち、5本は Hands/Return/Feet の話の外伝で、すでに語られた事件を別の人物から見たり、主著に登場する人物たちの前日譚などだ。残る1本は「アブラマプル三姉妹」三部作の第三部。

 アブラマプル三姉妹は九世界の一つ Kaphyrn カフィルンの出身。その砂漠に住む Oclaresh 族の盗賊女王と都市からやってきた芸術家の夫の間の娘たち。長女アルズは魔法の編み手で空飛ぶ絨緞などを織ることができる。次女パリは抜きんでた戦士。三女サーディートは当代並ぶ者のない美貌の持ち主。三部作はまずサーディートが蒼い風の神にさらわれて妻とされたことから始まり、第二部でパリがごく稀な第三ヴェールの戦士の位を授けられ、そしてこの第三部でアルズの冒険となる。アルズは故郷に帰って母親の後を継ぐが、パリとサーディートは「九世界」を股にかける無法者集団「紅団(くれないだん)」の一員となり、その姿はすでに出ている作品のあちこちに現れている。Hands や Feet にも短かいが重要な役割で登場する。紅団については、正面からこれを扱ったシリーズの第一部が出ていて、あたしは続篇の登場を最大の愉しみにしている。


島田潤一郎, 長い読書; みすず書房, 2024-04
 「ひとり出版社」の先駆けとして知られる夏葉社を興した著者の回想録。核は夏葉社をなぜ始めたかの顛末。回想録はやはり面白い。この本を読んで思った。短い読書というのはありえない。細切れに、少しずつであっても、最後には長くなる。読書は長いもの、長くなるものなのだ。ここにも長い本を読む人びとが登場する。長い本を日常のごく断片的な時間の中で読む人びとに感心する。証券会社の営業マンをしながら、立ち食いそば屋でそばをかき込みながらプルーストを読み、谷崎源氏を読み、『カサノヴァ回想録』を読む人。高知の書店に勤め、毎年長い小説を読んでいる人。ドストエフスキー、『兵士シュヴェイクの冒険』『特性のない男』。そして、「決して座れない小田急線に揺られながら、新潮文庫の『魔の山』の上巻を読む」著者。最も共感した一節。

「疲れているから、内容は全然頭に入ってこない。でも、漂流した人が海面に浮かぶ丸太を離さないように、左手に吊り輪、右手に文庫本をしっかりともつ。

 ぼくは目をこすりながら、ページをめくる。それをやめてしまうと、こころがどこか遠くへ行ってしまいそうなのだ。
(中略)
 本を読んでいる時間も、働いている時間も、どちらも現実感がない。でも、世界がふたつあるということが、たいせつなのだ。」

 そうだ、長い本を読むぞ、と決意を新たにしたことであった。


庄野潤三, 世をへだてて; 講談社文芸文庫, 1987-11/2021-07
 その島田氏が称揚していて、それではとまずこれを読んでみた。著者が脳梗塞で最初に倒れた時のいきさつ。老人は他人の病気の話は気になる。書名は倒れたことの前後が別の世と見えたことからつけられている。ここからしばらく庄野の著作を読んでいった。中ではアメリカ留学から生まれた『ガンビア滞在記』『シェリー酒と楓の葉』『ガンビアの春』『懐しきオハイオ』の四部作が面白かった。『鉛筆印のトレーナー』に始まる後期の小説連作も読むつもりでいるが、今は諸事情で棚上げ。今年どこかで戻りたいものだ。庄野が住んでいた生田の丘は、あたしの実家がしばらくあった所から尾根と谷を一つずつ隔てたところで、その家には散歩で何度か行ったことがある。そこが庄野潤三の家ということはなぜかわきまえていたが、その頃は庄野作品とは縁が無かったから、単に周りをまわっただけである。教えられて、折りしも神奈川文学館で開かれていた「庄野潤三展」も見にいった。ちびたステッドラーの鉛筆でいっぱいのボウルの実物に感激した。

佐藤英輔, 越境するギタリストと現代ジャズ進化論; リットーミュージック, 2024-09
 パンデミックでやることがなくなったので書いたそうだが、それならもう2、3回パンデミックが来て欲しいものである。唯一の不満はジェリィ・ガルシアにひと言も触れられていないことだが、それは無いものねだりであろう。

Surrealisme 展図録, ポンピドー・センター, パリ, 2024
 これまた教えられて瀧口修造のデカルコマニーを見にいった画廊で実物見本をぱらぱらやり、矢も楯もたまらず欲しくなって、英語版を注文してしまった。シュールレアリスム宣言百周年記念の一大回顧展の図録。2冊の本が背中合わせになっている。片方はほぼ時系列に沿って、重要な作品を並べる。片方は写真、資料と文章でシュールレアリスムの歴史を辿る。残された人生、シュールレアリスムについてはこれがあれば十分だ。(ゆ)

 活字がデジタル化されて、紙の雑誌が消滅への一途を辿っていると思われる今の時代に、一方で若い人たちが紙に印刷製本された媒体に惹かれているらしい。そうした「手作り」の雑誌や本を販売・交換する、活字版コミケとも言えそうな「文学フリマ」は回を重ねるごとに規模を拡大している。元々コミックのマーケットとして始まったコミケ自体でも活字メディアが出品されているとも聞く。

 右から左へ勝手に流れてゆくデジタル化されたデータ、情報ではなく、ゆったりと好みのペースで熟読玩味するための具体的なモノ、ブツを、人は求めるのだろうか。アメリカ大統領選挙投票日の翌日、ワシントン、D.C.でアメリカ最大の書店チェーン Barnes & Noble の大規模新店舗がオープンしたことを伝える Washington Post Book Club の記事でも、紙の本を手にとることの快感を訪れた人びとや書店関係者がそろって口にしていたと伝えている。

 若い友人から紙の雑誌に載せる原稿を書いてくれと言われた時、今の時代にわざわざ紙で雑誌を出す意義があるのか、と驚きと懸念がまず先に立った。しかし二人からほぼ同時に別々の雑誌にとなると、そういうことが一つの流れとしてあるのかもしれないと思えてくる。

 とまれ、頼まれれば嫌とは言えない性分、篠田一士ではないが、「一寸した誘いがあれば、すぐさま、それにのり、空言を弄し、駄文を草するといった為体」だ。もっとも篠田同様「本を読むしか能がないと思い定めて」はいるものの、読む量も読書の質も篠田には到底及びもつかないから、弄する空言も草する駄文も、篠田のものとは違って、文字通りの空言、駄文に過ぎないことも重々承知している。

 それでもいざ書きだしてみると、ひどく愉しい作業になった。むろん楽なわけではあるはずもないが、その苦労も含めて愉しいのである。もちろん初稿は紙に手で書いた。それが一番自分に合っているし、手で書くことが好きでもある。AquaSKK のおかげで候補を選ぶために流れを中断しなくてもすむから、キーボードで書くのも思考の速度にそれほど遅れず、愉しくなってきてはいるけれども、知的訓練を手で書くことでやってきているあたしには、手書きが何よりもしっくりくる。そうすると空言を弄し、駄文を草する行為は案外愉しいものだとあらためて思い知らされたものだ。

 その前に書くために読むことがまた愉しい。30年間、ひたすら『月曜閑談』を書くために週に5日を読むことに費したサント・ブーヴも、おそらくその作業、読んでは書き、書いては読む作業が愉しかったのではないか。そうでなければ、何十年も続けられるはずがない。読むのが愉しくなければ、読んだものについて書くのが愉しくなるはずはない。書くのが愉しくなければ読んで愉しくなるはずもない。そうして書いたものを他人が読んで愉しむかどうか、さらに、もとになった作品を読むのまで愉しくなるかどうかは書いたこちらのコントロールの及ばないところではある。ではあるものの、片方に書いたキャサリン・マクリーン作品にしても、もう片方のために選んだ25本の作品にもまったく箸にも棒にもかからない駄作は無いと信ずる。

 「キャサリン・マクリーンのために」書いたものは『カモガワGブックス Vol.5 特集:奇想とは何か?』に載っている。



 鯨井久志さんが訳された「シンドローム・ジョニー」の附録である。キャサリン・マクリーンのベスト盤を編むとすれば、ぜひ入れたい一篇だ。もっともマクリーンは作品数も少なく、どれもこれも水準は軽く超えているから、どうせ出すなら中短篇を網羅した全集にしたいものである。アメリカでもまだ無い。一度 NESFA Press の近刊予告に出たことがあるが、その後消えてしまった。

 もう一つが jem 創刊号のためのもの。「特集 未来視する女性作家たち」のうちの「海外SF短篇25」である。書きあがった原稿を、執筆を依頼してきた友人は面白がった。量について何も言われなかったので、感興の湧くままに書いていったら、常識外れの量になった。削れと言われることを承知で、というより期待しながら、とにかくどういう反応が返ってくるかとえいやっとそのまま送ってみた。すると削減無しで載せたいという返事がきて、また驚いた。あたしとしては恐縮するしかない。ともあれ書いた甲斐はあった。

 書いたことで見えてきたこと、学んだことはまた別の話だ。それはあたし個人の収獲で、今後の読書をより愉しいものにしてくれるだろう。とすれば、時には空言を弄し、駄文を草することも、まったくの無駄ではない。むしろ、読むことをより愉しいものにしてくれる作用もある。こともある。

 漫然と興味・関心の赴くままに読むのも愉しいが、一つのテーマ、問題意識をもって読むことはさらに愉しくなる、というのもあらためて思い知らされた。今回は漫然と読んできた経験を一つのテーマに沿って組みなおし、それに従って再読、あるいは三読ないしそれ以上したわけで、テーマを持って読むことと、再読三読することの相乗効果もあったかもしれない。

 なれば、次は一つの枠組みに沿って初読も含めて読んでみることを試してみたくなっている。折りしも「アーシュラ・K・ル・グィン小説賞」の今年の受賞作が発表になり、選考委員の1人だったケン・リウが、最終候補10冊はどれもいいから全部読め、と薦めてもいる。中で1作だけ、ニーヴォの Mammoths At The Gates だけは読んでいたし、Emily Tesh はこれから読む本のリストの上位に入れていたけれども、他の8本は未知の書き手だから、ちょうどいい。ちなみに中の1冊 Orbital by Samantha Harvey は、同じ jem 創刊号で書評されている。となると、さらに背中を押されるというものだ。



 とはいえ、その前に Steve Silberman の NeuroTribe を読まねばならない。「自閉症スペクトラム」と総称される現象の見方を「治る見込みの無い精神病のひとつ」から「人の個性の多様性のあらわれ」に転換させたと言われる本である。シルバーマンは名うてのデッドヘッドでもあって、今年のグレイトフル・デッドのビッグ・ボックス《Friends Of The Devil: April 1978》のライナーに感心したのが、この本の存在を知るきっかけだ。さらに Charles King がヘンデルの『メサイア』成立の歴史を描いた Every Valley  も控えていて、「ル・グィン小説賞」候補作ばかり読んでいるわけにもいかない。

 若い頃は小説ばかり読んで少しも飽きなかったが、年をとるにつれて小説以外のエッセイ、紀行、伝記、日記、書簡、回想録、歴史などのノンフィクションが面白くなってきた。文学として書かれたものばかりではない。

 たぶんそれは人生の階梯に合っているのだろう。若いうちは小説を読むことで現実には出会えない、自分たちとは異なった多種多様な人間と出会い、様々な世界の諸相を体験することが必要なのだ。体験が重なるにつれて、今棲んでいるこの世界の諸相が面白くなってくる。その上で肝要なことは、チャールズ・キングが Every Valley の序文で言うように、今の世界とは異なる世界、より望ましい、棲みたい世界を思い描き、その世界に近づこうと努めることだ。キングによれば、『メサイア』はヘンデルとチャールズ・ジェネンズが、かれらが棲んだ世界とは異なる世界を思い描こうとした努力の賜物ということになる。

 というわけで、その原稿が載った雑誌 jem 創刊号が12月1日に出る。現物を見たければ、その日開催される「文学フリマ東京39」に行けば見られるはずだ。書き手の何人かにも会えるかもしれない。あたしは残念ながらその日は所要で行けない。不悪。巻頭言、目次などはこちらで見られる。通販もされる。(ゆ)



jem 創刊号目次



jem 創刊号目次解説




 著者 Ray Robertson はカナダの作家だ。デトロイトのすぐ東のオンタリオ州チャタムに育ち、今はトロントをベースにしている。これまでに小説が9冊、ノンフィクションが4冊、詩集が1冊ある。これは5冊目のノンフィクションになる。

 この本はアメリカ人には書けない。カナダに生まれ育った人間だからこそ書き、また書けたものだ。それによって、これはおよそグレイトフル・デッドについて書かれたもので最もすぐれた本の1冊になった。文章だけとりだせば、最もすぐれたものだ。ほとんど文学と言っていい。

 ほとんど、というのはグレイトフル・デッドについて書くとき、人はデッドヘッドにならざるをえないからである。デッドヘッドが書くものは普遍的にならない。文学になるためにはどこかで普遍に突破しなければならないが、デッドヘッドにはそれはできない。デッドヘッドにとってはグレイトフル・デッドが、その音楽が宇宙の中心であり、すべてである。普遍などというしろものとは縁が無い。

 著者は最後におれはデッドヘッドだと宣言している。これもまたカナダの人間ならではだ。アメリカ人はそんな宣言はしない。カナダの人間は宣言する必要がある。一方でこの宣言によっても、この本は限りなく文学に近づいている。

 人はなろうと思ってデッドヘッドになるわけではない。自分の意志で左右できるものではない。そもそも、デッドヘッドとはなりたいと人が望むものには含まれない。あるいは、望む望まないの前に、存在を知らない。なってしまって初めてそういうものがいることに気づく。

 あたしなどは自分がデッドヘッドであることに、この本を読むまで気づかなかった。

 この本は副題にあるように、ボーナス・トラックとして挙げられたものを含めて51本のショウを語ることでグレイトフル・デッドを語ろうとしている。ショウについての記述の中に、バンドの成り立ちやメンバーの状態、周囲のコンテクストなどを混ぜ込んでゆく。一本ずつ時代を追って読み進めれば、デッドとその音楽が身近に感じられるようになる。

 はずはないんだなあ、これが。

 デッドの音楽、グレイトフル・デッドという現象は、そんなに容易く飲み込めるような、浅いものではない。ここに書かれていることを理解し、うなずいたり、反発したりするには、すでに相当にデッドとその音楽に入れ込んでいる必要がある。これはグレイトフル・デッドの世界への入門書ではない。デッドへの入門書など書けないのだ。告白すれば、そのことがわかったのはこの本を読んだ効用の一つだった。

 グレイトフル・デッドは入門したり、手引きに従って入ってゆけるものではない。それぞれが、それぞれのきっかけで出逢い、引き込まれ、ハマり込み、そしてある日気がつくとデッドヘッドになっている。

 人はデッドの音楽をおよそ人の生み出した最高の音楽とみなすか、こんなものはゴミでしかないと吐き捨てるかのどちらかになる。中間はない。

 この本はデッドヘッドからデッドへのラヴレターであり、宣言書である。1972〜74年を最高とするという宣言だ。この宣言が意味を持つのはデッドヘッドに対してだけである。グレイトフル・デッドの世界の外では何の意味もない。または、全く違う意味になる。。

 あたしはこの宣言に反発する。してしまう。自分が反発しているのを発見して、自分もまた著者と同様、デッドヘッドであると覚った。覚らざるをえなかった。その事実を否応なくつきつけられた。

 だが、その宣言のやり方には感心した。させられた。デッドに関する本として可能な限り文学に近づいていることは認めざるをえなかった。

 著者があたしの前に現れたのは、今年の冬、今年最初の《Dave's Picks》のライナーの書き手としてだ。次には今年のビッグボックス《Here Comes Sunshine》でもメインのライナーを書いていた。一読して、アーカイヴ・シリーズのプロデューサー、デヴィッド・レミューがロバートソンを起用した意図はわかった。文章が違う。文章だけで読めるのである。

 ライナーというのは通常中身で支えられている。読者にとって何らかの形で新しい情報、あるいは既存の情報の新たな解釈が提供されることが肝心だ。それを伝える文章は伝えられるべき情報が的確に伝わればいい。むしろまずはそれを目指す。文章そのものの美しさ、味わい、面白さは考慮から外していい。

 ロバートソンのライナーにはスタイルがある。独自の表現スタイルがある。一文読めばそれとわかる個性がある。文章を読むだけの愉しみを味わえる。これがグレイトフル・デッドについての文章でなければ、純粋に文章だけを読んで愉しむこともできると思える。

 こういうスタイル、スタイルのあり方の文章によってデッドについて書かれたものはこれまで無かった。あたしの読んできたものの中には無かった。もっともデッドに夢中になった初めの頃は何を読んでも目新しい事実、情報ばかりだったから、まずはそれらを消化するのに懸命で、文章の良し悪しなど目もくれなかった恨みはある。とはいえ、ここまでの質の文章があれば気がついていたはずだ。

 これまでデッドについて書いてきた人びとはいずれもまず何よりもデッドヘッドである。つまり若い頃からのデッドヘッドだ。すなわち、自分はなにものであるかの1番目にデッドヘッドがくる人びとだ。この人たちは作家になろうなどとは望まない。文章を書くことに命を賭けようとは思わない。デッドヘッドは書く人ではない。聴く人、踊る人、意識を変革しようとする人、その他の人ではあるだろう。しかし書くことが三度の飯より好きな人にはならない。デッドヘッドが三度の飯より好きなのはますデッドの音楽を聴くことだ。

 これまでデッドについて書いた人間で書くことが仕事であるという点で最も作家に近いのはデニス・マクナリーであろう。かれによるバンドの公式伝記 A Long Strange Trip は質の良い、つまり読んで楽しい文章で書かれている。しかしかれは本質的には学者だ。文学を書こうとしてはいない。
 《30 Trips Around The Sun》につけた史上最長のライナー・ノートの執筆者ニコラス・メリウェザーもやはり学者である。それにあそこでは歴史ですらない、それ以前の年代記を作ることに専念している。

 ロバートソンの文章は違う。ロバートソンが文学を書こうとしているわけではない。書くものが書き手の意図からは離れて、どうしても文学になろうとしてしまうという意味でかれは作家である。

 加えてかれがデッドヘッドになるのは47歳の時。彼にとってデッドヘッドは何番目かのアイデンティティである。デッドヘッドである前に作家なのだ。その作家がデッドについて書けば、それはどうしても文学に近づいてしまう。これまでに無かったデッド本がかくして生まれた。

 ここでは作家とデッドヘッドが文章の主導権を握ろうとして格闘している。文章は右に振れ、左に揺らぎ、天空にかけのぼろうとして、真逆さまに転落し、また這い上がる。その軌跡が一個の文学になろうとするその瞬間、横殴りの一発に吹っ飛ぶ。これを読んでいる、読まされている、読まずにはいられないでいるこちらは、翻弄されながら、自らのグレイトフル・デッドの像を重ね合わせる。嫌でもその像が浮かんできて、二重写しになってしまう。

 1972〜74年のデッドが最高であること。そのこと自体は目くじら立てることではない。ドナの声がデッドとして空前絶後の輝きをデッドの音楽に加えていたという主張にもその通りと諸手を上げよう。

 しかし、とあたしの中のデッドヘッドは髪の毛をふり乱し、拳を机に叩きつける。これは違う。これはグレイトフル・デッドじゃない。

 いや、あたしのグレイトフル・デッドがどんな姿かを開陳するのはここではやめておく。

 グレイトフル・デッドを語る方法として、50本のショウをたどるというのが有効であることは証明された。デッドはスタジオ盤をいくら聞いてもわからない、その片鱗でも摑もうというのなら、まずショウを、一本丸々のショウを何本も、少なくとも50本は聴く必要がある。デッドヘッドにとっては自明のことであるこのことも改めて証明された。

 さて、ではここに選ばれた51本を改めて聴きなおしてやろうではないか。

 そして、あたしのグレイトフル・デッドを提示してやろうではないか。(ゆ)

07月05日・火
 楽天の月初めのポイント5倍デーとて、山村修の謡曲にまつわるエッセイ、J. M. Miro の Ordinary Monsters 電子本、それに珈琲豆など必需品をあれこれ注文。

 (ここに楽天のアフィリエイトのリンクを貼ろうとしたが、手続きが難しすぎてよくわからん)


%本日のグレイトフル・デッド
 07月05日には1969年から1995年まで、4本のショウをしている。公式リリースは2本、うち完全版1本。

1. 1969 Kinetic Playground, Chicago, IL
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。共演バディ・マイルズ・エクスプレス。
 前日は一本勝負だが、この日は2セットに分けたらしい。

2. 1978 Omaha Civic Auditorium, Omaha, NE
 水曜日。
 《JULY 1978: The Complete Recordings》で全体がリリースされた。

3. 1981 Zoo Amphitheatre, Oklahoma City, OK
 日曜日。第二部11曲目〈Stella Blue〉が《Long Strange Trip》サウンドトラックでリリースされた。
 ガルシアの声が少し掠れている。これくらいの方がこの歌にはふさわしいとも思える。いつもより少しドライに、言葉を投げだすように歌う。ギターは積極的に、三連符での上昇下降を繰返す。哀しみと諦観が同居しているようでもあるが、その両者の間に関係が無い。諦観というよりは、ついに届かないことを承知しながらも、試みずにはいられない、そのこと自体を我が身に引受ける姿勢、だろうか。それが哀しいのではなく、その背後にある人間存在そのものへの悲哀に聞える。この歌に名演は多いが、これは3本の指に入る。

Long Strange Trip (Motion Picture Soundtrack)
Grateful Dead グレートフルデッド
Rhino
2017-06-08



4. 1995 Riverport Amphitheater, Maryland Heights, MO
 水曜日。このヴェニュー2日連続の初日。28.50ドル。開演7時。
 第一部6曲目、クローザー前〈El Paso〉でウィアはアコースティック・ギター。
 残りこれを含めて4本。このショウが最後となった曲が多数ある。
 ディア・クリークでの件を受けて、駐車場に入るところでチケットの有無をチェックされた。チケットを持っている人びとは不便さを受け入れた。
 ショウの後、大雨が降りだし、バルコニーないし納屋がキャンプ場の上に崩れおちた。(ゆ)

06月19日・日
 山村修の本をあらためて読んでいる。この人は本当に惜しかった。〈狐〉名義による書評はもちろんだが、それ以外のエッセイがすばらしい。『遅読のすすめ』には大笑いしながら、膝を叩き、唸り、そして、励まされた。そうだ、本はゆっくり読んでいいのだ。いや、ゆっくり読むべきだ。数ではない。著者が何年も、ときには何十年もかけてようやくできた本を、そんなにあわてて読みいそぐのはむしろ失礼ではないか。相応の敬意を払い、その本にふさわしいテンポで読むべし。たくさん読みたいという欲求は否定しないが、だからといって無闇に急ぐのも本末転倒だ。

 それにしても、初めの方の『猫』の引用にはやられた。腹を抱えて、げらげら笑ってしまう。こりゃあ、やっぱりまた読まなくちゃ。

 『気晴らしの発見』がまた凄い。大宅壮一のこんな文章を見つけてくるのには脱帽するしかない。ベンヤミンは気晴らしを芸術の対極においたが、ここでは気晴らしが芸術の域に達している。ベンヤミンも気晴らしのこういう位相に気づいていたら、自殺することもなかったんじゃないか。

 ひいおばあさん同士が姉妹という中野翠が、青空を見る人というのがまたいい。あたしは真青な空よりも雲が浮かんでいる方が好きだが、空を見る気分はわかるつもりだ。近頃周りを見ていると、どうも皆さんうつむいてばかりいるようでもある。たまには顔を上げて、空を見てはいかが。気は勝手に晴れてくれない。晴れるように工夫をして、きっかけを作る必要はある。『鬼平』にも出てくるが、まず笑ってみる。絶体絶命の状況で笑うことで余裕を作る。こういうところ、やはり池波はわかってるなあ、と感心する。戦争体験だろうか。


%本日のグレイトフル・デッド
 06月19日には1968年から1995年まで10本のショウをしている。公式リリースは2本、うち完全版1本。

01. 1968 Carousel Ballroom, Francisco, CA
 水曜日。前売1.50ドル、当日2ドル。開演7時半。共演リッチー・ヘヴンス。Blackman's Free Store のためのベネフィット・イベント。ポスターには "Gratefull Dead" とある。
 セット・リストとして、前半〈Turn On Your Lovelight〉で始まり、〈Not Fade Away〉からまた TOYL に戻るもの、後半、〈Playing In The Band〉から〈Dark Star> The Other One〉をテーマとしたジャムになるもの、が残っている。ここから NFA と PITB の初演とされている。
 〈Not Fade Away〉はこれ以前に、《Rare Cuts & Oddities 1966》に収録された、1966年初めの日付場所不明の録音がある。これも含め1995-07-05まで計565回演奏。演奏回数順では5位。〈Sugar Magnolia〉より36回少なく、〈China Cat Sunflower〉よりも7回多い。スタジオ盤収録無し。アナログ時代のライヴ盤にも収録は無い。クレジットは Norman Petty and Charles Hardin。Hardin はバディ・ホリーが作曲者として用いた名前。Petty はホリーのマネージャーでおそらく名義のみ。The Crickets の1957年のシングルはヒットせず。ローリング・ストーンズが1964年に出したシングルがヒットした。
 当初はピグペンの持ち歌で、後にウィアが受け継ぐ。クローザーになることも多く、その場合、最後のコーラスに聴衆が声と手拍子を合わせ、バンドがステージから去っても延々と続けて、バンドを呼びもどす、というケースがよくある。
 〈Playing In The Band〉はハンター作詞、ウィア作曲。1995-07-05まで計610回演奏。演奏回数順では2位。〈Me and My Uncle〉よりも14回少なく、〈The Other One〉〈Sugar Magnolia〉よりも9回多い。バンドのオリジナル曲としては1位で、文句なくデッドのレパートリィを代表する曲。スタジオ盤はウィアのソロ・ファースト《Ace》収録。ただし、こちらでは歌詞が若干変えている。ハンターが書いた通りのヴァージョンとしては《Skull & Roses》収録のものがある。デッドとしてのスタジオ盤には収録無し。
 デッドの曲は演奏が重なるにしたがって姿を変えてゆくが、この曲はその中でも最も大きく変わったものだろう。当初は5分以内で終る歌だったものが、1972年のヨーロッパ・ツアーの間に中間の集団即興、ジャムの部分が膨らみだし、1973年から、74年頃には30分に及ぶモンスターになる。さらに、途中で他の曲が挿入されるようになり、挿入される曲が複数になって、第二部全体あるいはショウ全体をはさむ。ついにはコーダに復帰するのが複数のショウにまたがるまでになる(とうとう復帰しなかったこともある)。デッドの定番曲の録音を年代順に聴いてゆくのはたいへんに愉しいが、この曲の聴き比べはとりわけ愉しい。
 ウィアの曲らしく、メロディもユニークで、アメリカというよりはイングランドの曲に聞える。フェアポート・コンヴェンションあたりがやってもおかしくない。

02. 1976 Capitol Theatre, Passaic, NJ
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。8.50ドル。開演7時半。
 全体が《June 1976》でリリースされた。

03. 1980 West High Auditorium, Anchorage, AK
 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。開演7時半。アラスカ州での公演はこの時のみ。聴衆の半分は本土からやってきたデッドヘッド。当時アラスカでは個人的にマリファナを栽培することは合法だったので、自家製ポットでもてなすモーテルのおやじもいたそうな。
 ショウは見事なもの。

04. 1987 Greek Theatre, University of California, Berkeley, CA
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。開演7時。
 そうそう、〈Samson & Delilah〉のコーラスで "Tear this old building down" の "down" をガルシアが「ダウゥゥゥゥン」と伸ばす時は調子が良い証拠。

05. 1988 Alpine Valley Music Theatre, East Troy, WI
 日曜日。このヴェニュー4本連続のランの初日。開演7時。
 第二部オープナーで〈Foolish Heart〉がデビュー。ハンター&ガルシアの曲。1995-06-27まで84回演奏。スタジオ版は《Built To Last》収録。
 熱く、乾燥した日で、駐車場が舗装されていないので、舞い上がった土埃が会場の中に飛んできた。人呼んで「ダスト・ボウル・ショウ」。1時間遅れで始まり、第一部は短かかったが、第二部はすばらしい。

06. 1989 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
 月曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。開演7時。
 第一部クローザー〈Bird Song〉、第二部オープナー〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉を初め、非常に良いショウの由。

07. 1991 Pine Knob Music Theatre, Clarkston, MI
 水曜日。このヴェニュー2日連続の初日。23.50ドル。開演7時半。
 第二部2・3曲目〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain〉、Space 後のクローザーを含む3曲の計5曲が《Download Series, Vol. 11》でリリースされた。

08. 1993 Soldier Field, Chicago, IL
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。スティング前座。開演6時。
 非常に良いショウの由。

09. 1994 Autzen Stadium, University of Oregon, Eugene, OR
 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。28.50ドル。開演2時。Cracker 前座。第一部4曲目〈El Passo〉でウィアがアコースティック・ギター。
 この時期でもこれが最初のショウで人生が変わったという人がいる。

10. 1995 Giants Stadium, East Rutherford, NJ
 月曜日。33.50ドル。開演7時。このヴェニュー2日連続の2日目。ボブ・ディラン前座。(ゆ)

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