クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:カナダ




 著者 Ray Robertson はカナダの作家だ。デトロイトのすぐ東のオンタリオ州チャタムに育ち、今はトロントをベースにしている。これまでに小説が9冊、ノンフィクションが4冊、詩集が1冊ある。これは5冊目のノンフィクションになる。

 この本はアメリカ人には書けない。カナダに生まれ育った人間だからこそ書き、また書けたものだ。それによって、これはおよそグレイトフル・デッドについて書かれたもので最もすぐれた本の1冊になった。文章だけとりだせば、最もすぐれたものだ。ほとんど文学と言っていい。

 ほとんど、というのはグレイトフル・デッドについて書くとき、人はデッドヘッドにならざるをえないからである。デッドヘッドが書くものは普遍的にならない。文学になるためにはどこかで普遍に突破しなければならないが、デッドヘッドにはそれはできない。デッドヘッドにとってはグレイトフル・デッドが、その音楽が宇宙の中心であり、すべてである。普遍などというしろものとは縁が無い。

 著者は最後におれはデッドヘッドだと宣言している。これもまたカナダの人間ならではだ。アメリカ人はそんな宣言はしない。カナダの人間は宣言する必要がある。一方でこの宣言によっても、この本は限りなく文学に近づいている。

 人はなろうと思ってデッドヘッドになるわけではない。自分の意志で左右できるものではない。そもそも、デッドヘッドとはなりたいと人が望むものには含まれない。あるいは、望む望まないの前に、存在を知らない。なってしまって初めてそういうものがいることに気づく。

 あたしなどは自分がデッドヘッドであることに、この本を読むまで気づかなかった。

 この本は副題にあるように、ボーナス・トラックとして挙げられたものを含めて51本のショウを語ることでグレイトフル・デッドを語ろうとしている。ショウについての記述の中に、バンドの成り立ちやメンバーの状態、周囲のコンテクストなどを混ぜ込んでゆく。一本ずつ時代を追って読み進めれば、デッドとその音楽が身近に感じられるようになる。

 はずはないんだなあ、これが。

 デッドの音楽、グレイトフル・デッドという現象は、そんなに容易く飲み込めるような、浅いものではない。ここに書かれていることを理解し、うなずいたり、反発したりするには、すでに相当にデッドとその音楽に入れ込んでいる必要がある。これはグレイトフル・デッドの世界への入門書ではない。デッドへの入門書など書けないのだ。告白すれば、そのことがわかったのはこの本を読んだ効用の一つだった。

 グレイトフル・デッドは入門したり、手引きに従って入ってゆけるものではない。それぞれが、それぞれのきっかけで出逢い、引き込まれ、ハマり込み、そしてある日気がつくとデッドヘッドになっている。

 人はデッドの音楽をおよそ人の生み出した最高の音楽とみなすか、こんなものはゴミでしかないと吐き捨てるかのどちらかになる。中間はない。

 この本はデッドヘッドからデッドへのラヴレターであり、宣言書である。1972〜74年を最高とするという宣言だ。この宣言が意味を持つのはデッドヘッドに対してだけである。グレイトフル・デッドの世界の外では何の意味もない。または、全く違う意味になる。。

 あたしはこの宣言に反発する。してしまう。自分が反発しているのを発見して、自分もまた著者と同様、デッドヘッドであると覚った。覚らざるをえなかった。その事実を否応なくつきつけられた。

 だが、その宣言のやり方には感心した。させられた。デッドに関する本として可能な限り文学に近づいていることは認めざるをえなかった。

 著者があたしの前に現れたのは、今年の冬、今年最初の《Dave's Picks》のライナーの書き手としてだ。次には今年のビッグボックス《Here Comes Sunshine》でもメインのライナーを書いていた。一読して、アーカイヴ・シリーズのプロデューサー、デヴィッド・レミューがロバートソンを起用した意図はわかった。文章が違う。文章だけで読めるのである。

 ライナーというのは通常中身で支えられている。読者にとって何らかの形で新しい情報、あるいは既存の情報の新たな解釈が提供されることが肝心だ。それを伝える文章は伝えられるべき情報が的確に伝わればいい。むしろまずはそれを目指す。文章そのものの美しさ、味わい、面白さは考慮から外していい。

 ロバートソンのライナーにはスタイルがある。独自の表現スタイルがある。一文読めばそれとわかる個性がある。文章を読むだけの愉しみを味わえる。これがグレイトフル・デッドについての文章でなければ、純粋に文章だけを読んで愉しむこともできると思える。

 こういうスタイル、スタイルのあり方の文章によってデッドについて書かれたものはこれまで無かった。あたしの読んできたものの中には無かった。もっともデッドに夢中になった初めの頃は何を読んでも目新しい事実、情報ばかりだったから、まずはそれらを消化するのに懸命で、文章の良し悪しなど目もくれなかった恨みはある。とはいえ、ここまでの質の文章があれば気がついていたはずだ。

 これまでデッドについて書いてきた人びとはいずれもまず何よりもデッドヘッドである。つまり若い頃からのデッドヘッドだ。すなわち、自分はなにものであるかの1番目にデッドヘッドがくる人びとだ。この人たちは作家になろうなどとは望まない。文章を書くことに命を賭けようとは思わない。デッドヘッドは書く人ではない。聴く人、踊る人、意識を変革しようとする人、その他の人ではあるだろう。しかし書くことが三度の飯より好きな人にはならない。デッドヘッドが三度の飯より好きなのはますデッドの音楽を聴くことだ。

 これまでデッドについて書いた人間で書くことが仕事であるという点で最も作家に近いのはデニス・マクナリーであろう。かれによるバンドの公式伝記 A Long Strange Trip は質の良い、つまり読んで楽しい文章で書かれている。しかしかれは本質的には学者だ。文学を書こうとしてはいない。
 《30 Trips Around The Sun》につけた史上最長のライナー・ノートの執筆者ニコラス・メリウェザーもやはり学者である。それにあそこでは歴史ですらない、それ以前の年代記を作ることに専念している。

 ロバートソンの文章は違う。ロバートソンが文学を書こうとしているわけではない。書くものが書き手の意図からは離れて、どうしても文学になろうとしてしまうという意味でかれは作家である。

 加えてかれがデッドヘッドになるのは47歳の時。彼にとってデッドヘッドは何番目かのアイデンティティである。デッドヘッドである前に作家なのだ。その作家がデッドについて書けば、それはどうしても文学に近づいてしまう。これまでに無かったデッド本がかくして生まれた。

 ここでは作家とデッドヘッドが文章の主導権を握ろうとして格闘している。文章は右に振れ、左に揺らぎ、天空にかけのぼろうとして、真逆さまに転落し、また這い上がる。その軌跡が一個の文学になろうとするその瞬間、横殴りの一発に吹っ飛ぶ。これを読んでいる、読まされている、読まずにはいられないでいるこちらは、翻弄されながら、自らのグレイトフル・デッドの像を重ね合わせる。嫌でもその像が浮かんできて、二重写しになってしまう。

 1972〜74年のデッドが最高であること。そのこと自体は目くじら立てることではない。ドナの声がデッドとして空前絶後の輝きをデッドの音楽に加えていたという主張にもその通りと諸手を上げよう。

 しかし、とあたしの中のデッドヘッドは髪の毛をふり乱し、拳を机に叩きつける。これは違う。これはグレイトフル・デッドじゃない。

 いや、あたしのグレイトフル・デッドがどんな姿かを開陳するのはここではやめておく。

 グレイトフル・デッドを語る方法として、50本のショウをたどるというのが有効であることは証明された。デッドはスタジオ盤をいくら聞いてもわからない、その片鱗でも摑もうというのなら、まずショウを、一本丸々のショウを何本も、少なくとも50本は聴く必要がある。デッドヘッドにとっては自明のことであるこのことも改めて証明された。

 さて、ではここに選ばれた51本を改めて聴きなおしてやろうではないか。

 そして、あたしのグレイトフル・デッドを提示してやろうではないか。(ゆ)

08月29日・月
 Victoria Goddard から新作のお知らせ。"Those Who Hold The Fire"。1万1千語のノヴェレット。



 "Lays of the Hearth-Fire" のシリーズに属する。"The Hands Of The Emperor" から始まるシリーズ、ということは今のところ、彼女のメインのシリーズになる。11月に "The Hands Of The Emperor" の直接の続篇 "At The Feet Of The Sun" が予定されている。

 いやあ、どんどん書くなあ。ついていくのが大変。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月29日には1969年から1982年まで5本のショウをしている。公式リリースは2本。

1. 1969 Family Dog at the Great Highway, San Francisco, CA
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。このヴェニューは Playland と呼ばれた古い遊園地にあった、と Paul Scotton が DeadBase XI で書いている。単身2.50ドル、ペア4ドル。開演8時半。フェニックス、コマンダー・コディ、ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ共演。この日と翌日はグレイトフル・デッドのフル・メンバーで登場。
 2曲目〈Easy Wind〉が2017年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 良い演奏。ガルシアのギターはブルーズ・ギターではない。ずっとジャズに近い。ピグペンは歌わないときはオルガンでガルシアのギターにからめ、かなりよい演奏をしている。

2. 1970 Thee Club, Los Angeles, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。セット・リスト不明。

3. 1980 The Spectrum, Philadelphia, PA
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。10.50ドル。開演7時。
 これも良いショウのようだ。この年は調子が良い。

4. 1982 Seattle Center Coliseum, Seattle, WA
 日曜日。10.50ドル。開演7時半。
 第一部クローザー〈Let It Grow〉が2019年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 抜群のヴァージョン。ややアップテンポで緊迫感みなぎり、ガルシアが翔んでゆくのにバンドも悠々とついてゆく。間奏と最後の歌の後のジャムがいい。

5. 1983 Silva Hall, Hult Center for the Performing Arts. Eugene, OR
 月曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。15ドル。開演8時。
 良いショウのようだ。(ゆ)

07月27日・水
 Micheal R. Fletcherがカナダの人だと知って、俄然興味が湧く。GrimDark Magazine が騒いでいるのは知っていたが、いつか読もうのランクだったのだが、ISFDB でふと見ると、オンタリオ出身でトロント在住。となると読んでみたくなる。なにせ、カナダはスティーヴン・エリクソンが出ているし、チャールズ・ド・リントがいるし、ミシェル・ウェスト=ミシェル・サガラもトロントだし、ヴィクトリア・ゴダードもカナダだ。ウェストの先輩筋にあたる Julie E. Czerneda や K. V. Johansen もいる。

 フレッチャーは2015年の Beyond Redemption で彗星のように現れた。

Beyond Redemption
Fletcher, Michael R
Harper Voyager
2015-06-16


 
 1971年生まれだから44歳で、遅咲きの方だ。もっともデビュー作は2年前2013年に 88 という長篇をカナダの小出版社から出している。後2017年に Ghosts Of Tomorrow として出しなおした。スティーム・パンクものらしい。このカヴァーを見ると読みたくなる。

Ghosts of Tomorrow
Fletcher, Michael R.
Michael R. Fletcher
2017-02-19


 
 以来今年05月の An End To Sorrow で長篇9冊。共作が1冊。作品集が1冊。
 以前はオーディオのエンジニアでミキシングや録音の仕事をしていたらしいことは今年01月の "A Letter To The Editor From Michael R Fletcher" に触れられている。これは GrimDark Magazine の Patreon 会員用に約束した短篇をなぜ書けないかの言い訳の手紙で、1篇のホラ話になっている。



 長篇は二部作が二つに三部作が一つ。スタンド・アローンがデビュー作の他に1冊、Beyond Redemption、The Mirror's Truth の二部作と同じ世界の話。この世界では妄想を現実にできる人間がいるが、それができる人間は必ず気が狂っている。こんな世界がロクな世界でないことは当然だが、そこからどんどんとさらに崩壊してゆく世界での権力争いと泥棒たちの野心とそれに巻きこまれる各々にろくでなしだが個性だけは強烈なやつら。まさに grim で dark、凄惨で真暗な世界での、希望とか優しさとかのかけらもない話、らしい。そして、それが面白い、というのだ。
 とまれ、読んでみるしかない。


%本日のグレイトフル・デッド
 07月27日には、1973年から1994年まで、4本のショウをしている。公式リリースは1本。

1. 1973 Grand Prix Racecourse, Watkins Glen, NY
 金曜日。翌日の本番のためのサウンドチェック。ではあるが、すでに来ていた数千人が聴いていたし、2時間以上、計11トラックの完全なテープが残っている。
 "Summer Jam" と名づけられたイベントでオールマン・ブラザーズ・バンド、ザ・バンドとの共演。
 後半の〈Me and My Uncle〉の後のジャムの一部が〈Watkins Glen Soundcheck Jam〉として《So May Roads》でリリースされた。
 本来正式なショウではないが、公式リリースがあるのでリストアップ。
 ワトキンス・グレンはニューヨーク州北部のアップステート、シラキューズから南西に車で130キロの村。この辺りに Finger Lakes と呼ばれる氷河が造った細長い湖が11本南北に並行に並んでいる、その中央に位置する最大のセネカ湖南端。会場となったレース場は NASCAR カップ・シリーズなど、全米的催しの会場。かつてはアメリカの F1 レースの会場でもあった。

2. 1974 Roanoke Civic Center, Roanoke, VA
 土曜日。
 Wall of Sound の夏。全体としては非常に良いショウだが、ところどころ斑の出来ではあるようだ。
 この7月末、25日から1日置きでシカゴ、ヴァージニア、メリーランド、コネティカットと回り、8月上旬フィラデルフィアとニュー・ジャージーで3日連続でやって夏休み。9月はヨーロッパに行き、その後10月下旬ウィンターランドでの5日間になる。

0. 1977 Terrapin Station release
 1977年のこの日、《Terrapin Station》がリリースされた。
 バンド7作目のスタジオ盤。アリスタからの最初のリリース。前作 Grateful Dead Records からの最後のリリース《Steal Your Face》からちょうど1年後。次は翌年11月の《Shakedown Street》。1971年からこの1978年まで、毎年アルバムをリリースしている。
 トラック・リスト。
Side one
1. Estimated Prophet {John Perry Barlow & Bob Weir}; 5:35
2. Dancin' in the Streets {William Stevenson, Marvin Gaye, I.J. Hunter}; 3:30
3. Passenger {Peter Monk & Phil Lesh}; 2:48
4. Samson & Delilah {Trad.}; 3:30
5. Sunrise {Donna Godchaux}; 4:05

Side two
1. Terrapin Part 1
Lady with a Fan {Robert Hunter & Jerry Garcia}; 4:40
Terrapin Station {Robert Hunter & Jerry Garcia}; 1:54
Terrapin {Robert Hunter & Jerry Garcia}; 2:11
Terrapin Transit {Mickey Hart & Bill Kreutzmann}; 1:27
At a Siding {Robert Hunter & Mickey Hart}; 0:55
Terrapin Flyer {Mickey Hart & Bill Kreutzmann}; 3:00
Refrain {Jerry Garcia}; 2:16

 2004年《Beyond Description》収録にあたって、ボーナス・トラックが追加。このアルバムについては録音されながらアルバムに収録されなかったアウトテイクがある。
07. Peggy-O (Traditional) - Instrumental studio outtake, 11/2/76
08. The Ascent (Grateful Dead) - Instrumental studio outtake, 11/2/76
09. Catfish John (McDill / Reynolds) - Studio outtake, Fall 1976
10. Equinox (Lesh) - Studio outtake, 2/17/77
11. Fire On The Mountain (Hart / Hunter) - Studio outtake, Feb 1977
12. Dancin' In The Streets (Stevenson / Gaye / I. Hunter) - Live, 5/8/77

 このアルバムは内容もさることながら、録音のプロセスが重要だ。プロデューサーのキース・オルセンはバンドに対してプロとしての高い水準を要求する。当初の録音に対し、こんなものは使えないとダメを出しつづける。業を煮やしたバンドが、これ以上はできないと言うと、オルセンは答えた。
 「いんや、きみらならもっといいものができる」
 また、スタジオでの時間厳守など、仕事の上でのルールを守ることを徹底する。
 それまで、好きな時に好きなようにやっていたバンドにとってはこれは革命的だった。そうしてリズムをキープし、余分な部分を削ぎおとすことで、音楽の質が上がり、またやっていてより愉しくもなることを実感したのだろう。この録音過程を経て、グレイトフル・デッドはほとんど別のバンドに生まれかわる。1977年がデッドにとって最良の年になるのは、半ばオルセンのおかげだ。それ以前、とりわけ大休止の前に比べて、演奏はよりタイトに、贅肉を削ぎおとしたものになり、ショウ全体の時間も短かくなる一方で内容は充実する。だらだらとやりたいだけやるのではなく、構成を考えたショウになる。シンプルきわまりない音とフレーズの繰返しだけで、おそろしく劇的な展開をする〈Sugaree〉に象徴される、無駄を省いた演奏も、このアルバムの録音ゑ経たおかげだ。
 つまるところ、大休止から復帰後の、デッドのキャリア後半の演奏スタイル、ショウの構成スタイルに決定的な影響を与えたアルバムである。
 一方で仕事をする上でのそうした革新が内容につながるか、というと、そうストレートにいかないのがデッドである。それに、仕上がったものは、バンドの録音にオルセンがオーケストラと合唱をかぶせたため、さらに評価がやりにくくなっている。バンド・メンバーからも批判された。
 まず言えることは、これまでのアルバムの中で、最もヴァラエティに富んでいる。B面はハンター&ガルシアが中心となった組曲〈Terrapin Station〉だが、A面はすべてのトラックで作詞作曲が異なる。しかも珍しくカヴァーを2曲も収めている。
 B面のタイトル・チューンをめぐっては、時間が経って聴いてみると、一瞬ぎょっとするものの、聴いていくうちに、だんだんなじんでくる。アレンジと演奏そのものは質の低いものではない。そして、後にも先にも、デッドの音楽では他には聴けないものだし、ライヴでももちろんありえないフォームだ。オーケストラによるデッド・ナンバーの演奏があたりまえに行われている昨今からすれば、むしろ先駆的な試みであり、デッドの音楽の展開の新たな方向を示唆しているとも言える。
 レパートリィの上では、〈Estimated Prophet〉〈Dancin' in the Streets〉〈Samson And Delilah〉それに〈Terrapin Staiton〉は以後定番となってゆく。

3. 1982 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO
 火曜日。13.75ドル。開演7時半。このヴェニュー3日連続のランの初日。
 お気に入りのヴェニューでノッていたようだ。第二部は〈Playing In The Band〉に始まり、〈Playing In The Band〉に終る。途中にも入る。

4. 1994 Riverport Amphitheater, Maryland Heights, MO
 水曜日。24.50ドル。開演7時。このヴェニュー2日連続の2日目。第一部4曲目〈Black-Throated Wind〉でウィアはアコースティック・ギター。
 開演前にざっと雨が降り、ステージの上に虹が出た。それでオープナーは〈Here Comes Sunshine〉。
 前日よりは良く、第一部の〈Jack-A-Roe〉〈Black-Throated Wind〉、第二部オープナーの〈Box Of Rain〉、クローザー前の〈Days Between〉など、ハイライトもあった。
 ツアーの疲れが一番溜まる時期ではある。(ゆ)

05月29日・日
 合間を見て、Folk Radio のニュースレターで紹介されているビデオを視聴する。AirPods Pro は便利だ。

 まずはこのカナダはブリティッシュ・コロンビアの夫婦デュオ。新譜が Folkways から出るそうで、昨年秋、ブリティッシュ・コロンビアの本拠で撮ったビデオ2本。オールドタイムをベースにしているが、そこはカナダ、一味違う。旦那は使うバンジョーに名前をつけているらしく、歌の伴奏は「クララ」、インストルメンタルは「バーディー」。それにしても夫婦の声の重なりの美しさに陶然となる。新譜は買いだが、Bandcamp で買うと Folkways は FedEx で送ってくるから、送料の方が本体より高くなる。他をあたろう。

Pharis & Jason Romero - Cannot Change It All (Live in Horsefly, BC)



Pharis & Jason Romero - Old Bill's Tune (Live in Horsefly, BC)




 次に良かったのがこれ。
Lewis Wood - Kick Down The Door; Kairos (ft. Toby Bennett)



 イングランドのトリオ Granny's Attic のフィドラーのソロ・アルバムから。踊っているのはクロッグ・ダンシングのダンサー。クロッグは底が木製の靴で踊るステップ・ダンスでウェールズや北イングランドの石板鉱山の労働者たちが、休憩時間のときなどに、石板の上で踊るのを競ったのが起源と言われる。クロッグは1920年代まで、この地方の民衆が履いていたそうな。今、こういうダンサーが履いているのはそれ用だろうけれど。
 もうすぐ出るウッドの新譜からのトラックで、場所はアルバム用にダンスの録音が実際に行われたサウサンプトンの The Brook の由。
 ウッドはダンサーに敬意を表してか、裸足でいるのもいい感じ。
 Granny's Attic のアルバムはどれも良い。

Kathryn Williams - Moon Karaoke



 曲と演奏はともかく、ビデオが Marry Waterson というので見てみる。ラル・ウォータースンの娘。この人、母親の衣鉢を継ぐ特異なシンガー・ソング・ライターだが、こういうこともしてるんだ。このビデオはなかなか良いと思う。こういう動画はたいてい音楽から注意を逸らしてしまうものだが、これは楽曲がちゃんと聞えてくる。
 その楽曲の方はまずまず。フル・アルバム1枚聴いてみてどうか。


Tamsin Elliott - Lullaby // I Dreamed I was an Eagle



 ハープ、シターン、ヴィオラのトリオ。曲はハーパーのオリジナル。2曲目はまずまず。これもアルバム1枚聴いてみてどうかだな。

 今日はここまでで時間切れ。


%本日のグレイトフル・デッド
 05月29日には1966年から1995年まで7本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1966 California Hall, San Francisco, CA
 日曜日。「マリファナ禁止を終らせよう」運動ベネフィット・ボールと題されたイベント。シャーラタンズ共演。2ドル。開演9時。セット・リスト不明。

2. 1967 Napa County Fairgrounds, Napa, CA
 月曜日。DeadBase XI 記載。Project Hope 共演、とある。セット・リスト不明。
 Project Hope は不明。

3. 1969 Robertson Gym, University Of California, Santa Barbara, CA
 木曜日。"Memorial Day Ball" と題されたイベント。Lee Michaels & The Young Bloods 共演。開演8時。
 テープでは70分強の一本勝負。クローザー前の〈Alligator〉の後、1人ないしそれ以上の打楽器奏者が加わって打楽器のジャムをしている。ガルシア以外のギタリストがその初めにギターの弦を叩いて打楽器として参加している。途中ではガルシアが打楽器奏者全体と集団即興している。また〈Turn On Your Lovelight〉でも、身許不明のシンガーが参加しているように聞える。内容からして、この録音は05-11のものである可能性もあるらしい。
 内容はともかく、どちらもポスターが残っているので、どちらも実際に行われとことはほぼ確実。

4. 1971 Winterland Arena, San Francisco, CA
 土曜日。2ドル。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。
 4曲目で〈The Promised Land〉がデビュー。1979-07-09まで434回演奏。演奏回数順で11位。オープナー、クローザー、アンコール、第一部、第二部、どこにでも現れる万能選手。記録に残るものではこれが初演だが、The Warlocks 時代にも演奏されたものと思われる。原曲はチャック・ベリーの作詞作曲で1964年12月にシングルでリリースされた。キャッシュボックスで最高35位。1974年02月、エルヴィス・プレスリーがリリースしたシングルはビルボードで最高14位。The Band がカヴァー集《Moondog Matinee》に入れている。ジェリー・リー・ルイスが2014年になってカヴァー録音をリリースしている。その他、カヴァーは無数。

5. 1980 Des Moines Civic Center, Des Moines, IA
 木曜日。14ドル。開演7時。

6. 1992 Sam Boyd Silver Bowl, Las Vegas, NV
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。23.50ドル。開演2時。
 第二部3曲目〈Looks Like Rain〉が異常に長く、終る頃、本当に雨が降ってきた。非常に良いショウの由。数えた人によれば、この5月、7本のショウで97曲の違う曲を演奏している。このショウだけでも、それ以前の6本では演奏しなかった曲を8曲やっている。ショウ全体では Drums, Space を入れて19曲。ニコラス・メリウェザーによればこの年のレパートリィは134曲。デッドはステージの上でその場で演る曲を決めている。つまり、いつでもその場でほいとできる曲が134曲だった。

7. 1995 Portland Meadows, Portland, OR
 月曜日。28ドル。開演2時。このヴェニュー2日連続の2日目。チャック・ベリー共演。前日よりも良いショウの由。(ゆ)

05月19日・木
 Victoria Goddard から新刊 The Redoubtable Pali Avramapul。

The Redoubtable Pali Avramapul
Goddard, Victoria
Underhill Books
2022-05-18

 
 わーい、パリ・アヴラマプルの話だ。Nine Worlds の世界の中でも最もシャープでカッコいいキャラではないか。アヴラマプル姉妹の真ん中、フルネームは Paliamme-ivanar。「風に乗る隼の鋭どい爪をもち」芸術家の魂をそなえた戦士。Greenwing & Dart のシリーズの3作目 Whiskeyjack にちょいと出てくる。すでに初老の域だが、実にカッコよい。今度の長篇はアスタンダラス帝国の没落とそれに伴う魔法の失墜前後の話らしい。

 今年はこれで4冊め。前3冊はノヴェラだけれど、これはフルレングスの長篇。この後 The Hands Of The Emperor の続篇 At the Feet of the Sun が控え、Greenwing & Dart もこれまで年1冊だから、長篇が2冊出るわけだ。それで全部だとしてもこれまでの新記録。ブランドン・サンダースンはパンデミックでツアーがなくなり、時間ができたから小説4本書いちゃった、と言ってクラウドファンディングをしたわけだが、ゴダードも他にやることがなくて、やたら書いていたのか。嬉しい悲鳴ではある。


##本日のグレイトフル・デッド
 05月19日には1966年から1995年まで5本のショウをしている。公式リリースは完全版が2本。

1. 1966 Avalon Ballroom, San Francisco, CA
 木曜日。2ドル。開演8時半。Straight Theatre 主催の朗読とダンス・コンサートのイベント。共演 the Wildflower, Michael McClure。
 この時期でセット・リストがはっきりしている数少ないショウの一つで以下の曲のデビューとされている。いずれも第一部。いずれもカヴァー。
 オープナー〈Beat It On Down The Line〉は Jesse Fuller の曲。1961年のアルバム《Sings And Plays Jazz, Folk Songs, Spirituals & Blues》に収録。デッドは1994-10-03のボストンまで、計328回演奏。演奏回数順で34位。ウィアの持ち歌。イントロのダッダッダッダッを何発やるか、気まぐれで変わる。20発近いこともある。
 4曲目〈It Hurts Me Too〉は Tampa Red が1940年5月に録音したものが最初とされるが、タンパ自身がそれ以前に録音していたものが原曲らしい。1957年にエルモア・ジェイムズが歌詞を変え、テンポを落として録音し、以後、これがスタンダードとなる。デッドのヴァージョンもこれにならっている。ピグペンの持ち歌で、1972-05-24のロンドンまで57回演奏。
 5曲目〈Viola Lee Blues〉は Norah Lewis の曲とされるが、似た曲は他にもあり、おそらくは共通の祖先か。デッドは1970-10-31のニューヨーク州立大まで計30回演奏。長いジャムになることが多い。
 7曲目〈I Know It's A Sin〉は Jimmy Reed の1957年の曲。1970-06-04のフィルモア・ウェストまで11回演奏。これに基くジャムが1974-06-18、ケンタッキー州ルイヴィルで演奏された。
 Michael McClure (1932-2020) はアメリカの詩人。カンザス州出身。1950年代前半にサンフランシスコに移る。ビート・ジェネレーションの中心人物の1人。ジャック・ケルアックの Big Sur の登場人物 Pat McLear として描かれている。
 The Wildflowerは1965年にオークランドで結成された五人組。サンフランシスコ・シーンの一角を成すユニークな存在ではあったがブレイクしなかったため、ほとんど知られていない。Wikipedia にも記事は無い。記事があるのは同名異バンドのみ。今世紀初めまではメンバーを替えながら存続していた。

2. 1974 Memorial Coliseum, Portland, OR
 日曜日。前売5.50ドル。開演7時。
 《Pacific Northwest '73–'74: The Complete Recordings》で全体がリリースされた。
 第二部後半、〈Truckin'> Jam> Not Fade Away> Goin' Down The Road Feeling Bad〉のメドレーはデッド史上最高の集団即興の一つ。とりわけ、〈Truckin'〉後半から〈Not Fade Away〉にかけて。デッドを聴く醍醐味、ここにあり。

3. 1977 Fox Theatre, Atlanta, GA
 木曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。
 全体が《Dick's Picks, Vol. 29》でリリースされた。
 第二部後半の〈Playing In The Band> Uncle John's Band> The Wheel> China Doll> Playing In The Band〉というシークエンスについて Tom Van Sant が DeadBase XI で面白い説を展開している。まったく同じ順番で演奏されることはなかったが、この4曲はこれ以後様々な形でつなげられて演奏されている。ここには夜明けにバンドで演奏を始め、成長を祝い、成熟し、衰弱して死ぬという生命のサイクルが歌われてもいる、と言う。
 そういうサイクルは必ずしも聞き取れないが、〈Playing In The Band〉のジャムからガルシアが〈Uncle John's Band〉を仕舞うコードを叩きはじめ、いきなり最後のコーラスから始めるのはかっこいい。そこから冒頭に戻ってあらためて歌いだす。
 そしてここでの〈The Wheel〉は確かに音楽の神様が降りている。ほとんどトロピカルなまでにゆるい演奏と見事に決まっているコーラスが織りなすタペストリー。
 神様が降りているといえば、第一部半ば〈Looks Like Rain〉と〈Row Jimmy〉の組合せにも確かに降りている。前者ではウィアとドナのデュエットがこれ以上ないほど見事に決まり、それを受けるガルシアのギター、歌に応えるハートのドラミング、コーダの2人の歌いかわしとガルシアのギターのからみ合い。ベスト・ヴァージョン、と言いきりたい。後者のガルシアのスライド・ギターがすばらしすぎる。
 77年春の各ショウでは、こういうディテールと全体の流れの双方がなんともすばらしい。もう、すばらしいとしか言いようがない。最初の一音から最後の最後まで、無駄な音もダレた音も無く、個々の曲の演奏も冴えに冴え、組合せも時に意表をつき、1曲ずつ区切って聞いても、全体を流しても、この音楽を聴ける歓びがふつふつと湧いてくる。
 クローザーの〈Playing In The Band〉に戻ってのガルシアの、抑えに抑えたいぶし銀のギター・ソロに、ドラマーたちが感応して、あえて叩かないところ、ハートがドラムのヘリだけを叩く。やがて静かにドラムスが入り、ガルシアはシンプルながら不安を煽るような音を連ねる。一度盛りあがり、また静かになって戻りのフレーズが小さく始まる。そして爆発してもどっての最後のリフレイン。夜明けのバンド。バンドの夜明け。もうアンコールは要らない。
 次は1日置いてフロリダ州レイクランド。フロリダもまたデッド・カントリーだ。

4. 1992 Cal Expo Amphitheatre, Sacramento, CA
 火曜日。開演6時。このヴェニュー3日連続のランの初日。
 アンコールで〈Baba O’Riley〉と〈Tomorrow Never Knows〉がデビュー。
 前者はピート・タウンゼントの曲。1971年の《Who's Next》が初出。ヴィンス・ウェルニクが持ち込む。1994-11-29デンヴァーまで12回演奏。スタジオ盤収録無し。
 後者はレノン&マッカートニーの曲。1966年の《Revolver》収録。これも前者と同じ、1994-11-29デンヴァーまで12回演奏。スタジオ盤収録無し。初演と終演が同じで回数も同じというのは偶然の一致にしてはできすぎでもあるような気がする。
 このアンコールも含め、全体として良いショウの由。

5. 1995 Sam Boyd Silver Bowl, Las Vegas, NV
 金曜日。30ドル。開演2時。夏のツアーのスタート。このヴェニュー3日連続のランの初日。デイヴ・マシューズ・バンド前座。
 この3日間は最後のすばらしいランと言われる。(ゆ)

0121日・金

 眼科で緑内障の検査。視野検査まで一通り受ける。視野検査は3回目で、だいぶ慣れてきた。前回、右目で見えなかったところが、今回は見えている。この検査は慣れが必要で、最初の1、2回はあまり参考にならないのだそうだ。結論として、今回もまだ治療を始めるほどではない。また定期的に検査しましょう。とはいえ、特に右目は老化が確実に進んでいる。視力は右の方がずっと良いので、うまくいかないものだ。


 右足を前に出すか、左足を引くかして、下半身を軽く左にひねるようにして立つと、腹がひどく楽になることに気がつく。ということはなぜか上半身が右にねじれているのか。とにかく、気持ちがよい。血圧まで下がる気さえする。実際にはそんなことはないのだろうが。



##本日のグレイトフル・デッド

 0121日には1971年と1979年の2本のショウをしている。公式リリース無し。


1. 1971 Freeborn Hall, Davis, CA

 2.50ドルと3.50ドル。UC Davis の学生と一般か。開演8時。この年最初のショウ。James & the Good Brothers とニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジが前座。

 ショウはすばらしいもので、学生は踊りくるっていた由。

 会場は1961年建設の UC Davis の多目的ホール。授業や講演、集会など様々なイベントに使用され、コンサートも多数行われた。もっとも、こういうホールの常で、床は平坦だから、椅子を並べると後ろの方はステージが見にくかった。

 James & the Good Brothers はカナダ、オンタリオ州出身、カントリー、ブルーグラス、フォークをベースとしたバンド。ここに出ている3つのバンドの中では最もアコースティックなサウンド。Brian Bruce の双子の兄弟に弟の Larry James Akroyd が加わって、1967年この名前で活動を始め、1971年にバンド名をタイトルにしたデビュー・アルバムを出す。これにはクロイツマンが参加し、ベティ・カンター=ジャクソンがプロデューサーで、彼女とボブ・マシューズが録音。クレジットには無いが、ガルシアが参加している可能性もある。ドラムスにはホット・ツナの Sammy Piasta もクレジットされている。Special Thanks にクロイツマン、 ウィア、レシュ、Grateful Dead and Family、さらに Jack Cassady の名がある。わが国では「隠れ名盤」とされて、一時、LPの中古盤が高かった。後にグッド兄弟はカナダに戻り、The Good Brothers として現在も現役。

 かれらがここに登場したのは前年夏の有名な the Trans Continental Pop Festival の一部に参加したことで、デッドとのつながりができたため。ジャニス・ジョプリン、ザ・バンド、デラニー&ボニー、テン・イヤーズ・アフター、トラフィック、バディ・ガイ、シートレイン、フライング・バリトー・ブラザーズ、イアン&シルヴィアとザ・グレイト・スペクルド・バード、ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジなどにデッドも加わり、カナダの大陸横断鉄道を走る列車を借り切って、ところどころ停まってはコンサートをやる、という企画。そのコンサートよりも、列車の中が24時間のミュージシャンにとってのフェスティヴァルになった。全体の企画は途中で資金が切れて終ったが、このイベントは参加したミュージシャンたちに深甚な影響を与えた。デッドはその恩恵を最も大きく受けたうちのひとつ。後に定番のレパートリィになる〈Going Down the Road Feelin' Bad〉をここでデラニーからガルシアが習ったとされるのが一例だが、それだけでなく、デッドの音楽、ショウの組立て全体がこれ以後大きく変わることになる。この時の様子は映画撮影もされ、今は《Festival Express》としてドキュメンタリー・ビデオが出ている。


 

 《James And The Good Brothers》は今聴くと CS&N をずっとフォーク寄りにした感じ。ドラムス、ベースの入る曲も、リズム・セクションはあくまでも背景で、歌を前面に立てる。グッド兄弟とアクロイドの3人ともリード・ヴォーカルがとれるし、コーラスも綺麗に決まっている。《Workingman's Dead》ではやりきれなかったことをやっている、とも言える。サウンド的にはオートハープがアクセント。もう少し曲に個性があれば、ヒットしていたかもしれない。一番目立つのがラストのニルソンの〈The Rainmaker〉というのは、ちょっと弱い。あえて、売れ線を狙っていないように見えるところが、かつての「ブラックホーク」で評価されたのだろう。もっともヘンに背伸びせず、ウェストコーストでの録音のチャンスにのぼせ上がりもせず、普段着の音楽を普段通りやっているのは気持ちが良い。なかなか腹の座った人たち。なお、クロイツマンが入っているのは5曲目〈Poppa Took the Bottle from the Shelf〉。デッドの時とは別人の、ごく普通のタイコだ。


2. 1979 Masonic Temple, Detroit, MI

 9.50ドル。開演8時。外は厳寒。中はホット。良いショウの由。(ゆ)


1127日・土

 赤帽を頼んで、書庫に積みあがった本と雑誌を倉庫に運びこむ。軽トラ一杯350キロ。ようやく身を置く空間ができる。運びきれなかった本がまだ少し積みあがっているが、文庫や邦書は処分しよう。

 リビングに置きっぱなしだった可動式のテーブルと椅子、暖房器具を運び、オーディオ一式を移す。もともとは実家を畳んだ時、処分する気になれなかった本を運びこんだのが発端だった。紆余曲折を経て、いよいよわが家に老夫婦2人で暮すとなると、やはり一部屋足りなくなる。調べると家の近くの倉庫は2階だが、これまで借りていた駅近に比べて広さは倍で賃料は半額。これは移転するしかない。ということで、これでやっと息がつける。しかし、本もCDも、そして最近再びレコードも増えつづける。死ぬまで増えつづけるだろう。死んだらみなゴミになるとわかっていても、やめられない。

 Victoria Goddard, In The Company Of Gentlemen を読む。The Red Company ものの独立の中篇。The Bride Of The Blue Wind の主役の1人、アヴラマプル姉妹の次女で戦士のパリが登場する。感服する。これまたまったく違うスタイルとテーマ。なぜか、ひどく励まされる。これは刊行順では少し先になるので、間に出ている Bee Sting Cake; Whiskeyjack; Stone Speaks To Stone を公式サイトで購入。Greenwing & Dart シリーズの#2#3#1.5。ここまで読むと刊行順では次は The Hands Of The Emperor なのだが、それに行くか、Greenwing & Dart のシリーズを先まで読んでから、もどるか。しかし、いよいよ中毒になってきたけしき。

 公式サイトで購入すると電子版の種類を選べる。CAD でアマゾンより安い。著者の取り分も多いはず。
 


##本日のグレイトフル・デッド

 1127日には1968年と1970年の2本のショウをしている。公式リリースは無し。


1. 1968 Kinetic Playground, Chicago, IL

 2日連続のショウの1日目。プロコル・ハルムとテリー・リードが共演。プロコル・ハルムが先に演る。前座という形では無かったようだ。二部形式だったが、セット・リストははっきりしない。聴衆は2日とも200ほど。

 会場は1968年4月に The Electric Theater としてオープンしたナイト・クラブ。建物は1928年に建てられ、ダンス・ホールやスケート・リンクなどになったこともある。同年8月に Kinetic Playground に改名。ニューヨークの The Electric Circus に訴えられたため。

 ここでは当時メジャーなロック・バンドやミュージシャンたちが軒並み出ている。このショウが掲載された11月のポスターにはモビー・グレープ、エア・アパレント、スペンサー・デイヴィス、キャンド・ヒート、ムーディ・ブルース、チャールズ・ロイド、クリアデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル、ブルー・チアー、ティム・バックリーの名がある。12月の予告として、アイアン・バタフライ、ディープ・パープル、マディ・ウォーターズ、バディ・マイルズ・エクスプレスが挙げられている。196911月初め、ボヤを出して閉鎖された。後、場所を変えて短期間復活した。

 デッドはここではこの時が最初の出演。以後1969年7月5日まで8回ショウをしている。うち1969年4月25日のショウの2曲目〈Doin' That Rag〉が2016年と2018年の《30 Days Of Dead》で、翌26日のショウの半分ほどが《Dick's Picks, Vol. 26》で、アンコールの1曲〈Viola Lee Blues〉が《Fallout From The Phil Zone》で、各々リリースされた。


2. 1970 The Syndrome, Chicago, IL

 開演8時。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。セット・リストは一部。

 会場は Chicago Collesium が自由席のロック・コンサート会場として使用される際の呼称。197010月から1971年3月まで、この名称が時折り使用された。施設そのものは民主党、共和党の全国大会が開かれるレベルのサイズと設備を備えていた。1971年3月、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで行われたモハメド・アリ対ジョー・フレイザーの一戦の有料パブリック・ヴューイングが機材の故障で試合が始まる前に中止となったため、怒った観衆が暴動を起こす。その損害で施設は閉鎖された。 

 デッドがここで演奏したのはこの時のみで、翌年3月19日に予定されていたショウは上記の理由からキャンセルとなった。

 ちなみにこのヴェニューでの最後のコンサートは暴動後唯一行われた3月12日のジェイムズ・テイラー&キャロル・キング。記憶に残るものだったそうな。(ゆ)


1126日・金

 TEAC UD-701N。どうしてこれにプレーヤー機能をつけないのだろう。ハード・ディスクやメモリを積む必要はない。SDカード・スロットを付ければいいだけのことだ。それが、そんなに音質に関わるのだろうか。iFi iDSD Pro にはあるではないか。Shanling EM5 も。


 Victoria Goddard, The Bride of the Blue Wind を読了。こりゃあ、すばらしい。Stargazy Pie とはまったく違うスタイル。叙事詩的。文章も詩のように作る。古くから伝わる伝承物語の雰囲気。3篇読んで全部スタイルが異なり、それぞれに面白さがあり、読ませる。読まされる。ちょっととんでもない書き手ではないか。他の作家の小説も間に入れて読むつもりだったが、次々に読んでしまいそうだ。


Stargazy Pie: Greenwing & Dart Book One (English Edition)
Goddard, Victoria
Underhill Books
2016-01-24



##本日のグレイトフル・デッド

 1126日には1972年から1982年まで3本のショウをしている。公式リリースは無し。


1. 1972 San Antonio Civic Auditorium, San Antonio, TX

 セット・リスト以外の情報無し。


2. 1980 Sportatorium, Pembroke Pines, FL

 9ドル。開演8時。

 これ以外の情報無し。


3. 1982 Bob Marley Performing Arts Center, Montego Bay, Jamaica

 Jamaica World Music Festival。3日連続のうち、中日のトリ。開場5時。開演7時。ポスターによる出演者。

11/25

Beach Boys

Aretha Franklin

Squeeze

Stacy Lattisaw

Skeeter Davis

Toots & The Maytals

Black Uhuru


11/26

Grateful Dead

B-52s

Joe Jackson

Gladys Knight & The Pips

Ronnie Milsap

Jimmy Cliff

Peter Tosh


11/27

Rick James

The Clash

Jimmy Buffett

English Beat

Bobby & The Midnites

Yellowman

Rita Marley & The Melody Makers


 デッドがステージに上がったのは午前3時。第二部を始めて間もなく夜明けが近くなり、日の出とともに〈Fire on the Mountain〉を始めた。全体としてレゲエやスカのビートに乗せた演奏が多いそうだ。フェスティヴァル全体が撮影されているが、ビデオはリリースされていない。(ゆ)


1029日・金

 あたしは知らなかった。Tor.com で Victoria Goddard を強力に推薦する Alexandra Rowland の記事で知った。自分にぴったりとハマった書き手に遭遇し、これにどっぷりとハマるのは確かに無上の歓びに違いない。その歓びを率直にヴィヴィッドに伝え、読む気にさせる見事な文章だ。しかもネタバレをほぼ一切していない。

 わかった、あんたのその見事な推薦文に応えて、読んでみようじゃないか。

 ちょと調べるとヴィクトリア・ゴダードはまたしてもカナダ人。そしてまたしても自己出版のみ。生年は明かしていない。トロントの生まれ育ちらしい。好きで影響を受けた作家として挙げているのはパトリシア・マッキリップ、コニー・ウィリス、ロイス・マクマスター・ビジョルド。この3人とニール・ゲイマンの Stardust の中間を目指す、という。

 刊行は電子版が基本で、紙版はアマゾンのオンデマンド印刷製本で、相対的に高い。

 2014年4月以来、これまでに長短20本の作品を出している。長篇7本、ノヴェラ6本、短篇6本。短篇の一部を集めた短篇集が1冊。今年年末に長篇が1冊出る予定で、来年出る長篇も1冊決まっている。大部分は Nine Worlds と作者が呼ぶ世界の話。これに属さない短篇が3本。

 最初は短篇を3本出し、2014年7月に初めての長篇を出す。2016年1月の Stargazy Pie から Nine Worlds の中心となる Greenwing & Dart のシリーズが始まる。2018年9月、900頁のこれまでのところ最大の長篇 The Hands Of The Emperor で決定的な人気を得る。アレックス・ロゥランドもこの本に出会って、ゴダードにハマりこんだ。来年出るのはこれの続篇だそうだ。ロゥランドの Tor.com の記事でも、著者のサイトの読む順番のページでも、この本をまず読め、と言う。

 あたしはへそ曲がりだし、基本的に刊行順に読むのが好みでもあるので、201411月に出たノヴェラ The Tower at the Edge of the World から読むことにした。もっともロゥランドはこれもエントリー・ポイントの一つとして挙げているし、著者サイトには話の時間軸ではこれが最初になるとあるから、それほど突拍子のない選択でもない。まだ頭だけだが、文字通り世界の果てに立つ塔で、何ひとつ不満もなく、儀式と祈りと勉強の日々を過ごしていた少年の世界に、ある日、ふとしたことから波風が立ちはじめる。ゆったりと、あわてず急がない語りには手応えがある。

 ここから Starpazy Pie、そして The Sisters of Anramapul の第一作 The Bride Of The Blue Wind と進めば、Nine Worlds 宇宙の中心をなすシリーズ3つのオープニングを読むことになる。


 それにしても、この人も ISFDB には、この Starpazy Pie だけがリストアップされている。それも8人の自己出版作家の長篇を集めたオムニバスの一部としてだ。自己出版は数が多すぎて、とてもカヴァーしきれないのだろうが、いささか困った事態だ。


 自己出版のもう一つの欠点としては、図書館に入らないことがある。ロゥランドの記事のコメントでも、地元の図書館には何も無いというのがあった。


 ところで自分にぴったりとハマる書き手に遭遇したことがあったろうか、と振り返ると、部分的一時的にはそう感じることはあっても、ある作家の作品全体というのはなかった気がする。全著作を読んだ、というのは宮崎市定だけだから、そういう書き手はやはりいなかっただろう。宮崎はとにかく喰らいついていったので、とても自分にハマるなどとは感じられなかった。相手の器の方が大きすぎる。

 そう考えるとあたしの小さな器にぴったりハマるような書き手はつまらんということになる。ぴったりハマってなおかつ読むに値すると感じるためには、己の器も相応に大きくなくてはならない。それには、ロゥランドのように自分もしっかり書いている必要がありそうだ。ただ読むのが身の丈に合っている、というのでは器の大小というよりは形が異なるんじゃないか。自分は結局読むしか能がない、と言いきったのは篠田一士だが、あれくらい読めれば読むだけでも何でもハマる器になれるかもしれない。あたしも読むしか能はないのだが、しかし、その読むのもなかなかできない。かくてツンドクがまた増える。



##本日のグレイトフル・デッド

 1029日には1968年から1985年まで6本のショウをしている。公式リリースは4本。うち完全版2本。


1. 1968 The Matrix, San Francisco, CA

 ピグペンとウィアが「未熟なふるまい」のためにこの時期外されていたため、このショウは Mickey and the Hartbeats の名で行われた。San Francisco Chronicle のラルフ・グリーソンによる "on the town" コラムでは Jerry Garcia & Friends とされている。

 演奏はジャム主体でラフなものだったらしい。1曲エルヴィン・ビショップが参加。


2. 1971 Allen Theatre, Cleveland, OH

 会場は1920年代に映画館として建てられた施設で、キャパは2,500。この時期、映画が小さな小屋で上映されるようになり、このサイズの映画館がコンサート向けに使われるようになっていたらしい。内装は建築された時代を反映して、金ぴかだが、楽屋などは当然ながら貧弱だった。ただ、座席はずらしてあり、視野が邪魔されなかった。

 ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジが前座。ガルシアはペダルスティールで参加。長いショウで終演は真夜中をかなり過ぎていた。 WNCR FM放送された。

 この日、デュアン・オールマンが死去。


3. 1973 Kiel Auditorium, St. Louis, MO

 このヴェニュー2日連続の1日目。全体が《Listen To The River》でリリースされた。3ヶ所 AUD が挿入されている。テープの損傷か。特に〈El Paso〉は全曲 AUD。使われた AUD の音質は良く、全体がしっかり聞える。〈Eye of the World〉はベスト・ヴァージョンの一つ。


4. 1977 Evans Field House, Northern Illinois University, DeKalb, IL

 8ドル。開演8時。全体が《Dave's Picks, Vol. 33》でリリースされた。


5. 1980 Radio City Music Hall, New York, NY

 8本連続の6本目。第二部5・6曲目〈Candyman> Little Red Rooster〉が《Dead Set》でリリースされた。

 どちらもすばらしい。〈Candyman〉ではガルシアのギターが尋常ではない。この人が乗った時のギターは尋常ではないが、その中でも尋常ではない。〈Little Red Rooster〉ではウィアのヴォーカルがいい。どちらもかなり遅いテンポであるのもいい。


6. 1985 Fox Theatre, Atlanta, GA

 このヴェニュー2日目。前半短かいが、後半はすばらしかったそうだ。(ゆ)


4月6日・火

 八重桜が満開。温水のヨークマートの前にあった八重桜は背後の斜面に移したのだろうか。屋上の駐車場から見ると正面に間隔をおいて4本ほど並ぶ。その奥、上の道路脇に、こちらは前からある木だろう、もう3、4本ある。どれも満開。ヨークマート隣の SEL研究所のグラウンドの落合医院側の角に5、6本並んでいて、これも満開。梨畑で花が満開。あちこち藤も開きだした。こでまりも満開。

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 SFWA からニュースレター購読者対象無料本プレゼントの当選通知。二度目。Julia C. Czerneda の新作も面白そうだが、ハードカヴァーだそうで、もう片方の電子版にする。Susan Kaye Quinn の新シリーズの1作め。この人はロマンス風 YA の作家らしい。

 Julie E. Czerneda の SFシリーズ The Clan Chronicles の最初の3冊を Book Depository に注文。この3冊は Stratification 三部作で、書かれた順番としては後になるが、話の時間軸では最も早い。チャーネイダは同い年の同じ牡羊座。とすれば、読まないわけにはいかない。今一番好きな Michelle West とは同じカナダ出身、同じ DAW Books から本を出している仲間でもある。ますます、読まないわけにはいかない。この The Clan Chronicles のシリーズは三部作が3本からなる。他にアンソロジーが1冊。同じ宇宙の別の系統の話 Esen のシリーズが三部作が今のところ2本。2本めの第三部がもうすぐ出る。プレゼント対象はこのもうすぐ出る本。

 この人のファンタジィのシリーズ1作め A Turn Of Light, 2013のために作ったという舞台になる村の3D模型の製作過程の写真が公式サイトにある。これでもメシが食えるほどの水準。
 
 
 散歩のお供は Show Of Hands, Dark Fields。冒頭 Cousin Jack から Longdog への流れ、Crazy Boy、The Bristol Slaver と名曲が揃う。Flora のタイトルがつけられた Lily of the West、ニック・ジョーンズ編曲とクレジットされた The Warlike Lads of Russia、そして High Germany の伝統歌も名演。High Germany はライヴ録音で、ゲスト・シンガーはケイト・ラスビー。まだそれほど売れない頃だが、もう自意識目一杯の歌唱。ではあるが、ナイトリィのくだけたヴォーカルと並ぶとその固苦しいところがいいバランスになり、ビアのギター、クリス・ウッドのフィドル、アンディ・カッティングのアコーディオンもすばらしく、この歌のベスト・ヴァージョンの一つ。今回聴き直して最大の収獲。それにしてもこれはいいアルバムだ。Cousin Jack では珍しくピアノが活躍する。他にも案外ゲストは多彩にもかかわらず、実質2人だけの音作りなのも、全体を引き締めている。Lie Of The Land、ロイヤル・アルバート・ホールのライヴ、そしてこの Dark Fields と聴いて、こいつらはずっと追いかけるぞと、決意したはずだ。本国での人気もこのあたりで決定的になったと記憶する。ファンのネットワークも Longdog と呼ばれていた。Show Of Hands は何から聴けばいいかと問われれば、やはりこれにまず指を折る。

Dark Fields
Show of Hands
Twah!
1999-10-26



 夜、M11Pro > 428 > HE400i で酒井さんのソロと田辺商店《Get On A Swing》を聴く。HE400i の良さを改めて認識。ヘッドバンドとイヤパッドを替えたのも良いのだろう。

  ハーディングフェーレは一つひとつの音を共鳴弦の響きが美しい。響きの量は Ether C Flow 1.1 の方が多いが、美しさはこちらの方が上かもしれない。共鳴弦の響きに耳が行く。Ether C Flow 1.1 の音は豊饒。こちらは細身。あちらが壮麗ならこちらは流麗。

vetla jento mi 〜ハーディングフェーレ伝統曲集〜
酒井 絵美
ロイシンダフプロダクション
2020-12-27



 《Get On A Swing》はこれで聴くとかなり良い。もう少しチェロとギターのからみ合いを聴いてみたい気もするが、それぞれのソロをしっかり支えるというコンセプトなのだろう。チェロのベースはドーナルのバゥロンのベースにもにて、なかなか腰がある。コントラバスのように大きく響かないのが、かえってビートを効かせる。それに HE400i では音の芯が太くなる。これも使用150時間を超えてきたからでもあろう。やはりこれくらいは鳴らしこまないと、本当の実力はわからない。

GET ON A SWING
田辺商店
F THE MUSIC
2014-12-03



 これを聴いていて、HE400i に使っている onso のヘッドフォン・ケーブルから、公式サイトを覗いてみると、イヤフォン・ケーブルの新作 06 シリーズが出ていた。ヘッドフォン・ケーブルは HD414 用も使っていて、気に入っているから、イヤフォンもひとつ買ってみるか。(ゆ)

 フィドルが重なる音には胸がときめいてしまう。3本、4本、あるいはそれ以上重なるのも各々に良いけれど、2本の重なりには、どこか原初的な力を感じる。それも、伴奏もないフィドル2本だけの音には、ひどく甘いところと峻厳なところが同居している。どこまでも気持ち良いのだが、その気持ち良さに背筋を真直ぐにさせるものが含まれる。

 これはアイリッシュに限られないし、ユニゾンでなくてもいい。ウェールズには無伴奏2本フィドルの伝統があるが、ここではメロディは片方でもう片方はドローン的な演奏をする。ハンガリーには、特有の三本弦のリズム専門のフィドルがあって、普通のフィドルと組む。リズム専門のフィドルは弦が山なりではなく、フラットに並んでいて、三本が垂直になるように持ち、弓も当然真直ぐ上下に引く。

 とはいえ、ユニゾンの2本フィドルの響きは格別だ。と、昨夜のライヴを体験してあらためて思う。アンコールのセットで、各々が1曲ずつソロで弾き、最後の曲を二人で弾いたのは、2本のユニゾンの威力をまざまざと叩きこんできた。今夜の気持ち良さの源を確認させられた。

 大木さんはカナダ出身だし、原田さんはオールドタイムが原点だそうだが、昨夜はほとんどがアイリッシュで、それもあまり聴いたことのない珍しい曲が多い。これも気持ちが良い。聴いたことのない佳曲を生で初めて聴くのは歓びなのだ。まあ、初物を歓ぶのはすれっからしの証なのかもしれない。録音でも、知っている人と名前を初めて聴く人の録音が並んでいると、知らない方を選ぶ。知らない蕎麦屋を見つけると、とにかくモリの1枚でも食べたくなるのと同じだ。

 一応ソースも紹介されるのだが、知らない人ばかりなのも嬉しいし、一方で Yvonne & Liz Kane の名前が出てくるのも、をを、聴いたことのある名前だ、あの録音は良かった、と嬉しい。フランス人でアイルランドのラジオを聞いてアイリッシュ・ミュージックにハマったという人も出てくる。ラジオは偉大だと思ったりもするが、今は YouTube が代わりだろうか。今、ジャズを盛り上げている人たちは YouTube を聴きあさっているそうでもある。

 前半の最後にオールドタイム、後半の初めにカナディアンが出てきて、これがまたいい。カナダはオンタリオの曲で、原田さんが指がツりそうと言っていたが、後で訊くと実際オンタリオの曲はフィドルでは弾きにくいキーを使ったりして、わざと難しくしている由。オンタリオでは独自のフィドル・コンテストが盛んで、それはオリジナル曲の面白さとそうした技術の高さを競うものなのだそうだ。オンタリオ出身というとピラツキ兄弟がいますよ、と大木さんに教えられる。もっともチーフテンズのステージではそういう曲はあまりやっていない。とはいえ、聴いている分にはたいへん面白いのは確かだ。ケベックとその周辺のフレンチ・カナディアンの曲にも面白い曲が多いが、そちらはそんなに難しくはない由。シャロン・シャノンが有名にした〈Mouth Of The Tobique〉はフレンチ・カナディアンがアイリッシュのレパートリィに入った代表だろう。

 原田さんはポルカが大好きだそうで、昨夜もたくさんやる。聴いていると原田さんのポルカはどこかオールドタイムにノリが通じるところがある。ポルカにはもともとそういう要素があるのかもしれない。

 大木さんは何よりもリールが一番しっくりくるという。もっともこの二人がやるリールは駘蕩としたところがあって、ノリにノってがんがん行く感じではない。むしろジグの方が速いと思えるくらいだ。

 はじめのうちは原田さんが昨年初めての海外旅行でアイルランドに行き、イミグレで30分引っかかった話などして、しゃべりが長くなりそうだったが、実際にはそんなこともなく、フィドルの音をたっぷりと浴びられる。いやあ、堪能しました。そう簡単には実現しないことは承知の上で、ぜひぜひ、またやっていただきたい。こういうのは、誰とでもOKというわけでもないだろう。今回は原田さんがセッションで知り合った大木さんのフィドルの響きに惹かれたのがきっかけと言う。

 そうそう、1曲だけ、ハーダンガー・ダモーレを大木さんが弾いたのも良かった。この楽器は Caoimhin O Raghallaigh が演っていて面白いと思っていたから、現物を見て、生音を聴けたのも嬉しい。もっとも共鳴弦があるから、チューニングはかなり面倒そうではある。

 ホメリの空間はこういう音楽にはぴったりだ。居心地がよくて、極上のセッションを友人の家で聴いている気分になる。ごちそうさまでした。(ゆ)

 先日リリースされて、この日の会場でも販売されていた『アイリッシュ・ミュージック・セッション・ガイド』で教えられたことの一つに「パーティーピース」というのがある。
 人の集まる場、セッションでもパーティーでも、そういう場で、参会者が求められて披露する芸である。別に特別なことは要求されない。つまり求められる芸の水準は高くなくていい。むしろ、あまりに高くては興醒めだ。ほんの少し、みんなをおっと思わせられればいい。ポイントはその人ならではの味があること、そしていつもまったく同じことを繰り返すこと。パディおじさんはそういう場ではいつも同じ小噺を繰り返して半世紀になる。死ぬまで同じ話を繰り返すだろう。

 今回のコンサートを見て、チーフテンズのコンサートはこのパーティーピースのひとつの極致なのだと納得したのだった。

 もちろん、そこで披露されている芸の水準はとびぬけて高い。というよりも、これだけの水準の芸を披露できる集団は、ジャンルを問わず、さらには音楽という枠をはずしても、世界でもそう多くはないだろう。

 一方でそこで披露されている芸は、いつも全く同じである。1曲披露した後、パディ・モローニが前に出てきてするアイルランド語の挨拶から、ケヴィン・コネフ、マット・モロイそれぞれのソロの曲目、フィナーレの方式、そこでのパディのいらついた仕種、そして大団円の観客を巻きこんでのダンスまで、毎回、変わることはない。そしてまさにそのことが、まったく同じ芸が毎回披露されること、しかもその質もまったく落ちることなく披露されることが、チーフテンズのショーの肝であり、すべてなのだ。

 我々はこれと同じ性格の芸を知っている。落語である。古典落語は、筋書はもちろん、言葉遣いまで、みな熟知している。暗誦できる人も少なくない。しかし、名人が語るとき、それは新鮮な体験となって、聞く者にカタルシスをもたらす。

 チーフテンズはそれを音楽でやる。個人と異なり、集団で毎回同じことをまったく同じく繰り返してなおかつ新鮮な体験をもたらすのは至難というより、不可能だ。グレイトフル・デッドはそれに近いことをやったが、あれは音楽の形態も、聴衆との関係も異なる。そこから新鮮さを引き出すためにパディ・モローニが開発した手法は、チーフテンズ本体の音楽は変えずに、それに様々な別の要素、カナダやスコットランドの音楽やダンスや、行く先々の地元のミュージシャンを加えて、変化をつける、というものだ。そのことが最も明瞭に現れるのはフィナーレだ。土台となる音楽を変えないことで、どんな形の音楽が来ても受け入れられる。アイリッシュのリールをはさんで、それぞれがソロをとる。そのソロはそれぞれにかけ離れている。それでいい。というよりも、それぞれがかけ離れていればいるほど、面白くなる。そして、そこで土台になる音楽は変わってしまってはいけない。どっしりといつも常に同じでなければならない。

 別の見方をすれば、チーフテンズのショーは音楽のコンサートではない。音楽を使ったエンタテインメントだ。全部体験するには1時間半かけることが必要なエンタテインメント。落語も5分で終ってはいけない。古典落語はやろうと思えば5分ですませられる。しかし、ああ、楽しかった、と感じるためには、ある長さの時間をかけることが必要だ。そして、個々の要素はおそろしく高い質は落とさずに、同じことを繰り返す。

 アイリッシュ・ミュージックを、それを知らない人びとに受け入れられるものにしようとしたとき、パディ・モローニが採用したのが、これまたアイルランド伝統のパーティーピースだった。伝統文化としてのパーティーピースはテレビジョンの到来によって廃れるが、究極のパーティーピースとしてのチーフテンズのショーは、生の、ライヴのパフォーマンス芸として、テレビ時代を生き抜き、インターネット時代にあってもなお新たな生命を獲得している。


 今回、あたしにとってとりわけ印象的だったのは、地元の、わが国のミュージシャンたちの存在感の大きさだった。すなわち、2度登場したコーラス・グループ、アノナとフィナーレで「サプライズ」登場した Lady Chieftains だ。このために、アリス・マコーマックの出番が減っていたのは、彼女のファンとしてのあたしには残念だった一方で、アノナとレディ・チーフテンズの演奏の質の高さをあらためて確認できたのは、何とも嬉しかった。しかもそれぞれに個性を発揮して、アノナはフィナーレで本来の中世・ルネサンスの歌謡を聴かせ、レディ・チーフテンズは、フィナーレで最も「アイルランド的」なアンサンブルを聴かせた。そのサウンドを、ショー全体で最も「アイルランド的」と感じたのは、あたしの贔屓目かもしれないが。

 今回は「アフター・パーティー」を見ることもできた。ここでもセッションをリードしていたのは、レディ・チーフテンズのフィドラー、奥貫史子氏で、タラ・ブリーンと並んでまったく遜色が無い。豊田構造さんとマット・モロイが並んでフルートを吹く光景もまぶしかった。ケヴィン・コネフが1曲うたい、ピラツキ兄も即席の板の上でワン・サイクル踊り、奥貫氏の発案で、アイルランド大使公邸でのレセプションでも披露した、ピラツキ兄弟、キャラ・バトラーと奥貫氏の4人でのフット・パーカッションがまた出た。

 しかし、何といってもパディ・モローニがホィッスルでセッションに参加したのは、今回最大の収獲だった。アイルランドでもこんなことはもう永年無いはずだ。あるいはかれの生涯最後のセッションを目撃したのかもしれない。ひょっとすると、これでセッションの楽しみを思い出し、またあちこちでやるようになる可能性も皆無ではなかろうが。

 外に出れば、冷たく冴えかえる冬空に満月。今年もなんとか気持ちよく年を送ることができそうだ。(ゆ)

 ワーナーからこういうタイトルのシリーズが出るそうです。
監修は松山晋也さん。

 ケルトってのがアイリッシュやあるいはエンヤみたいなものに限られるわけではない、というのには大賛成で、ぼくは「ケルト」をヨーロッパのみならず、北米、オセアニア、時にはアジアも含めて全部ひっくるめたものを指すことばとして使っているつもりです。

 松山さんから電話をもらってこういうのが出ることを知ったわけですが、ラインナップを見て、歓びました。

 インクレディブル・ストリング・バンドが入っているのは松山さんの趣味かなとも思いますが、ぼくも嫌いではないです。どちらかというと4月発売分の《THE HANGMAN'S BEAUTIFUL DAUGHTER》が好み。どこがケルトかって? 中心メンバーの一人ロビン・ウィリアムスンはスコットランド人で、ずっと後になりますがクラルサッハ(スコティッシュ・ハープ)でばりばり伝統曲アルバムを出してます。凄く良いです。ジョン・レンボーンとの共作もありました。最近は ECM からソロを出してますね。もう一人のクライヴ・パーマーはイングランド人だけど、ソロで出したバンジョー・アルバムは結構良かったです。

 ECM といえば、北欧ばかりと思ってたら、ジューン・テイバーなんかも出してて、油断できません。というのは余談。

 とまれ Celtas Cortos(スペインだから「ケルタス・コルトス」じゃないですかね) とか、Great Big Sea とか、Eleanor Shanley が国内盤で出るのは嬉しい。Luka Bloom もいいですねえ。これが売れれば、ウェールズの Martyn Joseph なんかもどうでしょう。

 Celtas Cortos は楽しいバンドで、スカンディナヴィアのかつての Filarforket や、今だったら Alamaailman Vasarat のような立ち位置といったらわかりやすいかな。こういう大真面目に不真面目をやっているバンドはブリテン諸島ではなかなか無くて、やっぱり大陸の産物なんですかね。ケルトとジャズの融合として一級です。

 Great Big Sea はカナダ東部のバンドで、他にも Rawling Cross とか、このあたりはかなり面白いところです。豪快なケルティック・ロックですが、アメリカにはまず無いデリカシーがちゃんとあるところがカナダ。それになぜかこういうバンドはアメリカにはない。カナダとかオーストラリアとか、英国植民地であり続けた地域にあるのも不思議でもあり、面白くもあり。もっともアメリカでも Seven Nations は結構好き。

 Eleanor Shanley はデ・ダナン出身の若手シンガーの中の出世頭でしょう。1990年のデ・ダナンの A JACKET OF BATTERIES で初めて聴いたのは鮮烈でした。そしてこのファースト・ソロはシンガーとしての評価を確立したもの。久しぶりに公式サイトに行ってみたら、あらら、たくさん出てる。新作が出たばかりです。

 デ・ダナン出身といえばモーラ・オコンネルもそうですが、彼女はアイルランドのシンガーのなかでアメリカと波長が一番良く合う声とスタイルをもっていて、デ・ダナンの THE STAR SPANGLED MOLLY の成功もそこに負うところが大きい。ソロになってからの彼女はアメリカとアイルランドの中間のどこかでうたってるんですが、どちらでもあり、どちらでもない、でも中途半端ではない、不思議な世界。HELPLESS HEART はベラ・フレックがプロデュースして彼女のアメリカ的要素をうまく引き出した出世作。そこでジェリィ・ダグラスに出逢ってできた WANDERING HOME は彼女の最高傑作と思います。

 Chris Rea の《シロツメクサ日記》は出た当時『包』で松山さんが紹介していたので聴いてみたら結構気に入りました。うたも渋いし、ギターもうまい。その後も何枚か買っていたはず。また聴きなおすかな。それにはアナログ・プレーヤーを直さにゃならんけど。

 ブルターニュの Gwendal が国内盤で出ようとはまるで思いませんでした。ブルターニュのケルト音楽がジャズをとりいれる先駆けのバンド。アラン・スティヴェールは幅の広い人ですが、ジャズはなぜか入っていない。かれは徹頭徹尾ロックの人。Gwendal はジャズで伝統音楽を解釈することを始めて、スティヴェールに負けない影響を後続に与えてます。

 ムーヴィング・ハーツのファーストが国内盤で出るのは二度目かな。クリスティ・ムーアは国内盤は初めて。ぼくが頼まれたのはこれで、久しく聴いていないので、聴きなおさないと。昨年末にふと思いたって、クリスティの持っていなかった近作を数枚買っていたのはよいタイミングでした。ここのところ調子がいいですね。老いてますます盛ん、というより、みんな、老いるほどに盛ん。ああいう姿を見ると、元気が出ます。

 ということで、3月、4月と10枚ずつ、20枚出ます。1枚1,300円と安いし、どれも面白いですから、皆さん買いましょう。

 さあて、クリスティの録音を久しぶりに全部聴き直しますか。といって、ファーストは持っていないけど。(爆)(ゆ)

 2番目にダーヴィッシュのメンバーが出てきたとき、反射的に浮かんだのは、うわあ、みんな年とったなあ。キャシィ・ジョーダン以外は全員頭が真白。例外は最年長ブライアン・マクドノーでほとんど頭髪がない。

 無理もない。かれらももうそろそろ四半世紀やっている。マクドノーは70年代からやっている。こっちだけが年をとっているわけでもない。もっとも、その後のアルタンの方が一見若く見えたのは、ダーヴィッシュの若い頃を見ていて、しかもその間をほとんど見ていないからだろう。さらに、かれらの前に出たウィ・バンジョー3が若かったせいもある。

 そのウィ・バンジョー3のショーマンぶりに煽られたか、演奏そのものに老化現象はかけらもない。むしろ、うまさの点では、やはりダーヴィッシュに一日の長がある。それは単純にテクニックが上ということではない。うわべだけのうまさではない、音楽の本質に深くわけ入り、楽曲の美しさ楽しさエネルギーを、より生に近い姿で取出し、放っている、という感じがある。聴いているこちらのカラダの奥に直接届くように思える。

 その点はアルタンも同じで、この2つをこうして続けて聴けるのは、ケルクリならではの恩恵だ。2つのバンドの相似と相違が鮮やかにわかる。

 ケルクリならではといえば、アンコールでマレードとキャシィが並んで〈きよしこの夜〉をうたうのを見て聴けたのは、あの時あの場にいた者だけだろう。あたしにとってはこれがハイライトだった。マレードのアイルランド語版もすばらしかったが、キャシィがおなじみの歌詞をあの独特の節回しでコブシをまわし、ちょっと不思議な音程を延ばしてうたったのには背筋がぞくぞくした。ダーヴィッシュに対する唯一の不満は、おかげでキャシィがソロを出さないことだ。

 こちらも久しぶりに見る(マレードは6年ぶりと言っていた)アルタンは、これまたよく見ればみんな年をとっている。マレードは不思議に年齡を感じさせないが、キアラン・カランはたしかあたしより少し上のはずで、椅子にすわっている(ダーヴィッシュの男性は全員立っていた)。が、それよりも老人の顔になっていたのはキアラン・トゥーリッシュだ。なんか、滑舌もよくないんじゃないか。と思ったのは、あたしの耳がおかしいのだろうが、全体の姿はカラン以上に年を感じさせる。ダヒィ・スプロールの方がトゥーリッシュより年上のはずだが、真白な頭の割りには年齡を感じさせない。

 音楽は成熟そのもので、若いアコーディオン、それもピアノ・アコーディオン奏者が入って、サウンドがより立体的になっていた。この蛇腹奏者はキアラン・トゥーリッシュの従弟だそうで、このあたりは伝統の厚みじゃのう。それにしても、マレードの声がまた不思議で、あの《北の調べ》で聴ける声と全然変わらない。

 今回の眼玉は先頭に出たウィ・バンジョー3であるわけだが、アイルランドからこういうバンドが出てきたことはあたしなどにはたいへん面白い。そのエンタテイナーぶりは他の追随を許さないところがある。全盛時のチーフテンズなら対抗できただろうか。もっともその動機となると、チーフテンズとは対極にあるようにあたしには思える。

 もちろんチーフテンズとは天の時も地の利も違うので、単純に比べるのはどちらに対しても失礼ではある。ウィ・バンジョー3は今のアイリッシュ・ミュージックのステイタスを前提にしているので、まったく何も無いところから開拓したチーフテンズの業績に載っかっているともいえる。一方でチーフテンズの手法や姿勢をよく研究して、チーフテンズのやり方を21世紀にふさわしい形でエミュレートしてもいる。MCを全部日本語でやってのけたのは、その証の一つではある。

 ウィ・バンジョー3がチーフテンズの単なるフォロワーになっていないのは、かれらにはやってみたいことがあり、それを実現するため、自分たちの実験を受け入れられやすくするためにエンタテイナーに徹しているところと、あたしは見る。その実験とはアイリッシュ・ミュージックをブルーグラスのスタイルで解釈し、それによって使用するリズムをより多様に、より自由度の高いものにしようとすることだ。ジグやリールの曲の「姿」はそのままに、ビート感を変えてゆく。

 ジグやリールは単に8分の6拍子とか4分の4とかいうだけではない。それぞれにある型、メロディや構造にあるパターンがある。あるいは自然にそうなっている。

 そこでかれらはジグやリールや、あるいはポルカやスライドといった伝統的なリズムから脱出しようとしている。しかもなおアイリッシュ・ミュージックとしても聴けるようにしながら、だ。レゲエのようなまったく別のリズムにのせることはこれまでも多々ある。ウィ・バンジョー3がめざしているのはそうではなく、もっと本質的で難しいが、成功すればはるかに面白い試みだと思う。

 そして、あるレベルまでは来ているとも見える。しかし、それを真正直にやってしまうと、当然反発が大きい。伝統とはそういう風に働く。そこでエンタテインメントとして提示する。リスナーを巻き込む。お祭りにしてしまう。

 まあ、30分ほどのステージを見ただけだから、これはほとんど妄想に近いかもしれないが、いくらかでも当たっているならば、ここまで徹底的にやろうとしたバンドはこれまでに無い。アイリッシュ・ミュージックの遊び、音楽的な遊びの面をここまで前面にうちだした音楽家たちはいなかった。

 かれらはその気になれば、ごりごりの伝統音楽もできる。あたしはエンダ・スカヒルしか聴いたことはないが、他の3人もおそらく伝統音楽家として十分以上の実力があるはずだ。だからこそ、こういう遊び、実験を思いつき、実行することができる。

 あれが十年も二十年も続けられるとは思えないが、しかし実験をエンタテインメントにしてしまうあの姿勢が続けられるならば、とんでもないものが生まれてくることも期待できる。ウィ・バンジョー3にはチーフテンズをただ継ぐのではなく、その先へ、大胆で楽しい実験による伝統音楽の刷新へ突き進むことを期待する。

 おなじみピラツキ兄弟のダンスにも一層年季が入って、かれらのダンスは見ていて本当に楽しい。タップだけでなく、あの脚の動きをあそこまで合わせるのは凄い。今回、たまたま席が左手二階バルコニーの先頭という面白いところで、ここはステージを間近に見下ろせる。おかげでかれらの脚の動きがよく見えたのはラッキー。ここには前から一度座ってみたかったので、この点でも満足。

 それにしても、トリフォニー・ホールは三階席まで満員。アルタンの新譜は早々に売り切れ、終演後のサイン会は長蛇の列。アイリッシュ・ミュージックもここまできたか。それともケルクリは特別なのか。いずれにしてもめでたいことではある。会場では来年のケルクリのチラシも配られていた。2016年12月3日(土)。ミュージシャンはシャロン・シャノン、チェリッシュ・ザ・レディース(ついに!)、ドリーマーズ・サーカス。最後のはデンマークの新進。おもしろいよ。

 今年は忙しい。ケルクリでは終らない。自分がかかわるイベントが2つあるし、行くことが決まっているライヴは3本。さらに1、2本増えそうだ。ウィ・バンジョー3にどんと背中をどやされた気分。(ゆ)

 「ケルティック・クリスマス」で来日するカーラ・バトラー&ジョン・ピラツキーによるダンス・ワークショップが開かれるそうです。

 カーラはご存知、ジーン・バトラーの妹。「わたしとはタイプが違うけど、とても良いダンサーよ」とジーンも先日来日した折、言っていました。ジーンが宝塚でアイリッシュ・ダンスの指導をした時、助手として来日しています。

 ジョンはピラツキー兄弟としてチーフテンズの前回の来日に同行して、エネルギッシュなダンスを見せてくれました。かれはアイリッシュではなく、カナダ・ケベック州のオタワ峡谷スタイルのダンスです。このスタイルのダンスのワークショップはめったにないチャンスでしょう。

 また、ジョンとカーラのダンスの映像はこちらで見られます。

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Step Dancing Workshop -- Cara Butler & Jon Pilatzke -- 開催のご案内

「ケルティック・クリスマスへの出演のため来日する、カーラ・バトラーとジョン・ピ
ラツキのワークショップを開催いたします。

 カーラ・バトラーは「ダンシング・オン・デンジャラス・グラウンド」や数々の映画に出演。リバーダンスのプリンシパルであったジーン・バトラーの実妹でもあります。今回は1994年以来、2度目の日本でのワークショップになります。

 ジョン・ピラツキは、オタワ・ヴァレー・スタイルのステップ・ダンサーです。オタワ・ヴァレー・スタイルは、ケープブレトン・スタイル、フレンチ・カナディアン・スタイルと並ぶ、カナディアン・ステップダンスのひとつ。アイルランドやスコットランドのステップを起源とする、躍動感あふれるダンスです。ジョンは、兄弟コンビを組むネイサン、そしてカーラ・バトラー、チーフテンズとのツアーにおいて、軽快かつ華麗なステップで観衆を魅了してきました。


【A: カーラ・バトラー・ワークショップ】
日時:12/16(土)15:00--17:00
場所:東京都内スタジオ(会場は後日お知らせいたします)
料金:5,000円
対象:アイリッシュダンス経験者(レベルは問いません)
持ち物:アイリッシュダンスシューズ(ソフト・へヴィ)
定員:20名程度

【B: ジョン・ピラツキ オタワ・ヴァレー・ステップダンス・ワークショップ】
日時:12/16(土)17:30--19:30
場所:東京都内スタジオ(会場は後日お知らせいたします)
料金:5,000円
対象:アイリッシュ・ダンス、タップダンスなどの経験者(レベルは問いません)
持ち物:アイリッシュ・ダンス・シューズ(ハード・シューズ)またはタップ・シューズなど
定員:15名程度

★お申込み方法
 メールにて、以下の項目を明記の上お申込みください。
 折り返し会場などについてご連絡いたします。
 もし3日経っても返事がない場合は、恐れ入りますがもう一度送信して頂きますようお願い申し上げます。

1:参加を希望するワークショップ
2:お名前
3:緊急連絡先(携帯番号など)
4:メールアドレス
5:ダンス経験(進行の参考にさせて頂きます)
宛先: iacjapan@hotmail.com
★各会場とも定員になり次第締め切らせて頂きます。お早めにお申込み下さい。
★応募者が最少催行人員に至らない場合、中止される場合があります。ご了承下さい。なおその場合は事前にご連絡いたします。連絡がない場合は予定通り開催されます。
★ 申込み後のキャンセルはご遠慮ください。万が一、やむを得ぬ理由でキャンセルされる場合はお早めにご連絡下さい。
★ なお、ご予約は12/10までにお願いいたします。

アイリッシュ・アーツ・アンド・カルチャー・ジャパン ― IACJ―
(幸島優子、長浜公恵、長浜武明、山本拓司)


Thanx! > 山本拓司さん

 ケープ・ブルトンをベースに活動している作家アリステア・マクラウドの作品の朗読に、わが国ケープ・ブルトン・フィドルの第一人者いそむらみほさんがフィドルで参加するそうです。

 マクラウドの作品は新潮社のクレスト・ブックスから短篇集『灰色の輝ける贈り物』『冬の犬』と長篇『彼方なる歌に耳を澄ませよ』が翻訳・刊行されています。

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ボッサ声と音の会3
「島の音楽、島の物語」〜アリステア・マクラウドの世界〜

日時:12/02(土)16:30開場、17:00開演 *予約優先
入場料: 1500円(1ドリンク付き)
場所:喫茶「谷中ボッサ

出演 木部与巴仁(きべ・よはに):語り
   ジム・エディガー: フィドル、ギター
   磯村実穂:フィドル

♪2冊の短編集「灰色の輝ける贈り物」「冬の犬」、1冊の長編「彼方なる歌に耳を澄ませよ」(以上、中野恵津子訳/新潮社刊)で世界的に知られる作家、アリステア・マクラウド(Alistair MacLeod)。彼はスコットランド人の祖先を持ち、カナダ・サスカチュアン州に生まれ、10歳の時に両親の故郷で、作品の主要舞台であるケープ・ブレトン島に移り住み、成長することになる。

詩人、作家の木部与巴仁氏が企画する、谷中ボッサでの朗読会に、演奏で参加させていただくことになりました。

ケープ・ブレトンで育ったスコティッシュ・カナディアンであるアリステア・マクラウドさんの小説で、ケープ・ブレトン島が舞台となっています。

今回、このようにケープ・ブレトン島を言葉と音楽で伝えるという貴重な機会に恵まれて、とても光栄です。

美しいスコティッシュ・スロー・エアーを中心とした、ジム・エディガーさんとのケープ・ブレトン音楽デュオも、お楽しみに★

尚、ご予約は、お店までお願いします。

ぜひ、朗読と音楽のコラボレーションにお越しください!


Thanx! > yswdさん

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